7/21第2回「福島を忘れない!全国シンポジウム」に参加しました

 早速、
並びに、
をアップしていただき感謝です。

 21日朝、子どもたちが焼き上げた朝食用「ねじりパン」をおいしく頂き、子どもたちにさよならしました。そして、

福島市で開催される第2回「福島を忘れないシンポジウム」に向かいました。

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 会場にて大熊町野上1区長木幡仁さんと合流。
 用意した「帰らない宣言」を参加者にお配りしました。
 この会の主催は、「反原発自治体議員市民連盟」です。

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 会場には川俣町、浪江町、伊達市等から地元町会議員15〜16名をはじめ、地元住民合わせて48名が参加。前双葉町町長井戸川氏が初参加。
 (井戸川さんは、3・11以後福島で初めてこのような場所で話したと言ってました。分からないわけではありませんが驚き!)
 県外から「革新市議」35名ほど、他一般参加者(意識的市民)を含めて総数155名でした。

 何といっても地元原発被害者を代表する町議・住職等地元報告は圧巻で、県外参加者はこの報告に圧倒され、聞き入りました。
 出席した町議は、旧来「保守」といわれてきた人が多数。
 淡々と静かに、檄することもなく現状を伝え、時にはユーモア溢れる国・東電に対する痛烈な批判は、「行政」とわたり合う「自立した被害住民」の必死の姿を見る思いでした。

 原発被害地福島住民のマグマは沸々と煮えたぎりつつあります。
 しかし、このマグマは一直線に進むわけではありません。
 それぞれ異なる地域の歴史、国、東電との債務関係の濃淡は、闘いにおいて同時・同一の進行を困難なものにします。
 「分断支配」越えて進む「要求項目の整理と具体化・ヘゲモニー創出」が求められます。
 ですが、このことは福島の現実に分け入り、地元の人々の声を聞き、一緒に考え抜き、繋ぐことなしにはあり得ません。
 ついでにいえば、「過渡的綱領・過渡的要求」は、こうした現実との緊張関係の中からしか生まれないと思います。

 ここで問われている重要な一つは、
 『自治体とは何か?それは誰れのものか?
です。
 昨年のシンポで川俣町町議Tさんは次のように話しています。
 「自治体というのは住民のものなのか、国の行政の末端機関なのか。
  ここがこの原発事故で最も問われたのです。
  ・・国、少なくとも村、町が残るかどうかではなくて、住民が生きていけるかどうか、
  これからの生活が未来に希望をもって生きていけるものなのかどうかが、一番大切な
  んだ
と。
 まさにこのことをめぐって「東京電力福島原発被害地住民」は国・県・市・町・村行政との捩じり合いに入っているのです。

 曹洞宗・補陀落山円通寺住職・吉岡棟憲さんは、東電広瀬社長に
 「あなたは人の命と東電を赤字にしないこととどっち大切ですか
と迫った泉田新潟県知事を羨望のまなざしで見つめ、
 「これくらいのことを福島県の首長さんたちもハッキリ言ってほしいなあ
と言っています。
 また、吉岡住職は、浪江町の馬場町長が町民の半分以上一万数千人の連書をもって東電に対して損害賠償の増額を求める要望書を出したことに、
 「全ての県民が被害者なのに政府を追い詰める有効な宝刀が得られずばらばらにされて
  いる時、この浪江町の行動はまさに一筋の光明である
と述べています。
 「県内には2000人近くの政治家さんがいらっしゃいます。
  その人たちが手をとり合い、このような有事の時こそ党派・会派を越えて一つになり
  県民のために汗を流そうとの思いがあったなら、頑張ろうといった次の日から何かの
  行動を起こしているはずです。
  でも何もしていません。一致協力する姿もありません。
  ・・やはり県知事、首長さんたちが先頭に立って、多くの議員さんと一緒に『俺につ
  いて来い』と言ってくれるのを待ち望んでいるのが市民の姿です
と。

 この現実を聞き、この日県外から集まった「反原発市民議員連盟」は、己の地元自治体において、全国市民議員連盟として「何をなすべきか?」を掴んで帰ったのだろうか。
 それは「反原発一般」ではないはずです。
 私には「市民議員・革新議員が果たすべきこととは何か?」が逆に問われていると思えます。
 具体的にいえば、長野県松本市が放射線量にさらされている福島現地の児童を長期にわたる「疎開先」として受け入れを表明し、具体化しつつあるように、第2、第3、もっと多くの松本市を全国に!を合言葉に地元自治体で実現していくために全力を注ぐべきと思うからです。
 それは私たちNPOができる小さな規模でお茶を濁す程度の話ではない筈です。
 地元自治体の受け入れ推進、「子ども支援法」による国の予算措置の具体化まで勝ち取りながらです。

「原発即廃炉」の戦略的位置は不動―地方自治、地方政党の時代が始まっている

 安倍自公政権が政治焦点から「東電福島第一原発事故」を消し去ろうとしても消し去ることなど出来ません。
 原発は依然として安倍の喉元に喰らいつく刃です。
 その戦略的位置は不動です。
 (そして、解釈改憲による「集団的自衛権行使の閣議決定」は、国の在り方を問う根本問題としてあり、原発と並ぶ戦略的位置を有するものが期せずして登場したことを「歓迎」とはいいませんが、この国の行く末を決める二本柱として、結合して闘うに十分です)

 こうした安倍の思惑をいま許している一つの要因は、都知事選等に見られた反原発運動の「未成熟さ」ゆえでした。
 闘いの前進は、私たち主体の「成熟の度合い」にかかっています。
 そして、
  「福島は忘れようとしても、たとえ忘れても、忘れさせない!
  (2011.9.11新宿アルタ前、柄谷行人発言)
のです。

 福島は分断・苦悩の中から、新潟県泉田知事が、函館市市長が、多くの原発立地とその周辺、そして何より沖縄が「自治体とは何か?それは誰れのものか?」に応えようとしています。
 そうです。
 いずれも「地方」からです。
 福井地裁判決も「地方(裁判所)」からのものです。

 「中央政界」は、理念を欠落した「空白地帯」と化しています。
 既存の野党がどのように組み合わされても、安倍自公政権に対抗することは出来ないでしょう。
 いわんや、福島現地の差し迫る要求、各地に生まれている「自治の声」を代表することなどあり得ないでしょう。
 それは、これら政党が「国家」を第一義に考えるからで、この点において安倍自公政権と野党は変わるところはないのです。
 (例えば「尖閣諸島」をめぐる「領土認識」について、共産党を含む野党と安倍自民党との違いはありません。「社会民主主義」はいつでも「ナショナリズム」に変貌します)
 せいぜい「民主主義的手続き」をめぐる違いぐらいのものです。
 民衆の側からの「国家全体に対するオルタナティブ」が求められています。
 (ex,浜矩子、柄谷行人「世界史の構造」参照)
 それは、「国家を通した富の公平な分配」=「社会民主主義」=「国家主義」(社会民主主義は結局のところ「国家主義」に帰結します。「国家」を前提とするからです、これは私の理解・認識です)とは別の位相に立つ、『国家主義』を越える「社会」の創出です。

 「みんなの電事連」、「みんなの経団連」はこの具体化に連ながると私は思っています。
 expand全共闘さんの
 「私はもう既成政党とその中央本部など無用で、地域政党からスタートし、自前の議員を10〜20年スパンで共に育成・支援していくよりない、と」
という考えに同意します。
 そして、もっと極端にいえば沖縄那覇市長翁長さんが口には出しませんが、「琉球独立」を根底にすえているように(私には見えます)、福島が、それぞれの地方が、中央政治・官僚から独立した「地方民族党」ぐらいを立ち上げないと「国は、自治体は誰のためにあるか?」がはっきりしない。
 その分岐は、始まっているのではないかと思います。

 そしてここでは、「保守とは何か?」というよりも、「左翼・革新とは何か?」が逆に問われるのではないか。
 このように問題を立てた方がすっきりする気がしますが、どうでしょう。

 こういう私は、反動派?それとも永遠の改良主義者でしょうか?

 2014.08.05
 By「保守を問い直す左翼」こと「いとしのユメちゃん」