専門学校の先生

拝啓
燕が飛び交う季節になりました。更新がなく一部の皆様にはご心配をおかけしたことと存じます。
この四月から、診療に加えて、ある医療専門学校の「内科」講義をまかされたところ、これが意外に、手ごわく「予習」に時間を割く毎日です。幸い教えることは大好きとまで行かなくても、生にあっているので、情熱を燃やしているこのごろです。
さて、かのジェフ・ウッドガー君(画家)は、5月にオーストラリアに帰国しました。ブログの最後のお話だとおもいましたので、さぞおなじみになったかと思いますが、いまごろ、また、せっせと絵を描いているのでしょう。9月頃また、日本に来るそうです。ただし、自慢のアパートは、残念ながら他の人に渡ってしまったそうです。
この間、ハワイのボブさんから電話で、この8月から9月にかけて、
「世界小中学校教師会議」が日本で開催されるので(日本のどこかな?)、日本に再度来日、どこか泊まりたいのだが、去年のジェフさんのアパートはどうかなど、聞いてきました。彼の日本での旅行中、お気に入りは「妻籠の民宿」と(無料?)の「ジェフ・アパート」でしたので、ひょっとしたら
私の「いなか」のお家に泊まることになるかもしれません。

それでは、皆様もお元気で。
6月3日
司馬専太郎

第14回ジェフ・ウッドガー展のお知らせ

さて、第14回ジェフ・ウッドガー展覧会(個展)のお知らせをします。
開催期間は3月31日(水曜日)から4月6日(火曜日)まで、場所は、中区錦三丁目(ワシントンプラザ・ホテル前)の「大黒屋画廊」です。
時間は、12時から午後7時まで、4月3日のオープニング・パーティー(土曜日)は、午後6時から始まります。皆さんのご来場を期待します。
ジェフ君(45歳)と私とは1995年(平成7年)の「ぎゃるりみしま」(久屋大通)からのお付き合いです。詳細は、名城糖友会エッセイコーナーに載せてあります。オーストラリア・ベンディゴの出身で、いわゆる「バルビゾン派」の風景画家としてだんだんと名古屋の愛好家の方々にも親しまれてきました。最近特に前回、前々回の「ロア」あるいは「モッカ」画廊での個展から、日本的な風景に興味を持ち始め、今回は「高山線沿線風景」や、山王祭で知られる津島の街の風景、さらに永平寺に通ずる道の印象などの作品がならんでいます。
かれは、金山にアトリエを構えていて、何回か私も油絵を習いにゆきました。風景画に専心して、英語の補助教員(S中学校)として生計をたて、主として「CoCoカレー」専門店で、食事、なんとなく独身を貫いています。カレーを一緒に食べているとき「僕は最近、また、振られた」と、一通の手紙を見せられたことがあります。それは、故郷のベンディゴからの手紙でイタリアの女性からでした。「ほかに好きな人が出来たのでお別れします」とのことでした。傷心のジェフ君は「カニ玉コロッケの大盛りに、野菜サラダの大盛りをいっぱいほおばっていました。
さて、失恋の痛手も、絵を描くことにより昇華し、無事24枚もの絵を個展に出すことができました。昨日は、絵を運んだり、タイトルの日本語訳を「Kinko」ショップでコンピューターに打ち込んで出力したりと、あわただしかったのですが(翻訳は楽勝ですが)、本日の開店にこぎつけることができました。
作品は、全部販売しますので(価格はジェフさんと交渉)比較的廉価でもとめやすく、以前、僕の知り合いの弁護士さんが気に入ってくれて、7−8点買ってくれたのがいまだに記憶として残っています。ジェフさんはこの後できれば、ニューヨークに渡り、ブルックリンの友人と海外での個展も視野に入れているとのことでした。日本文化と、西洋文化の橋渡し役がまた一人できるわけです。
では、「大黒屋画廊」でみなさんとお会いできるのを楽しみにしています。

第14回ジェフ・ウッドガー展覧会の巻でした。

W様へ、また「名城糖友会の表紙」からジェフ・ウッドガー展へのアクセスをよろしくお願いいたします。

西医体(於:志賀高原)に参加して

バンクーバーから帰ってから、西日本医科学生体育冬季大会に応援のため、志賀高原に来ています。
今年は、例年雪不足に悩まされる戸狩スキー場から、志賀高原一の瀬スキー場に変更になりました。アルペン系は、一の瀬のパーフェクタコースで、ノルディックは一の瀬から奥志賀を回るコースで、まず10kmでは、わが名古屋大学の岡田君が見事1位に輝いたことを報告受けました。アルペンでは、僕の日程の都合で、スーパー大回転しか応援できませんでしたが、特に学士入学の利根川さんが、夜行バスで到着したにもかかわらず、11位と得点を挙げたのが印象的でした。私は、前走を申し込んでありましたが、コンディション不良(練習不足)で、キャンセルさせていただきました。宿屋はホテルこだまで、スキー場に隣接していて便利でした。
帰りには、長野の善光寺とその隣の東山魁夷美術館によって、生誕100年記念の展示を中心に300点におよぶ収蔵の模様を見学して名古屋に帰ります。
4月からまた、仕事に復帰しますのでよろしくお願いいたします。

バンクーバー・ウィスラーにて

3月21日は、夜7時から、ウィスラー村でパラリンピックの閉会式がありました。
僕は、今回オフィシャルではないので、まず空港まで、ホテルのチャーターバスで乗せていってもらい、空港のカウンターで、ウィスラー村行きの往復バスチケットを買い求め、10時発の便で、バンクーバー市内、北および西バンクーバーを経て、オリンピックのために新たに作られた高速道路に乗って、スノーミッシュ(途中の村で、静岡県清水町と姉妹村;送られたソメイヨシノが早くも開花)でトイレ休憩、ウィスラー村に1時ごろ着きました。お客さんはそれぞれのロッジにゆくチャーターバンに移ったり、ホテル前で降りたりして、最後に僕がポツンとひとりバスの中で残っていたので運転手が「どこでおりるんだー」と聞くので、「オリンピック閉会式に一番近いところ」というと、「マーケットプレイス」にゆく、チャーターバンがもうすぐ来るので、降りてくれ」とのこと、雨が降る出したので、バス停で心細く待っていると、髭のおじさんがバンでやってきて、「さあ乗って」というので、乗り込みまたまた、聞くと、ウィスラーも広いので「ちゃんとどこで降りるのか言ってくれなきゃ」というので、「マーケットプレイス」まで、といったら3分と経たないところで降ろされて「3時ごろここで誰かが迎えにく来るよって、タノシミナサレ、バイバイ」と僕をおろして忙しそうに行ってしまいました。
雨がますます強くなるので、マーケットプレイスホテルに雨宿り。
そのホテルのロビーカウンターの中国人らしい女性に説明してもらって、閉会式上に向かいました。閉会式会場前のチケット売り場では、もうチケットは一週間前にソールドアウト。一枚もなしとのこと。3時に帰るし、夜遅く閉会式がおわってからバンクーバーに戻るのも大変で、雨も強くなったので、近くのスターバックで一服、このスターバックスは、なんでこんなに苦いコーヒーばかり売るのかと自分で文句言いながら飲んでいると、見たような日本人オリンピック・オフィシャルの方、そうです、東京所沢の、日本リハビリセンター病院でお目にかかった、中川パラリンピック医師団団長でした。それでテントの中に入って、いろいろなパラリンピックに関する医療事情についてインタビューさせていただきました。特に今回は、アンチドーピングは問題なかったけれども、優勝候補で、2個もアルペンでメダルを取った大日方選手が滑降で競技中に転倒してから具合が悪いとのことで、やや心配になりました。彼女はいまは廃村になった「新潟県新井スキー場で2度ほどメダリストを世界中から呼んで、コンテストしたときの優勝者で、良くお話していました。また今回僕が豊橋で診断書を書いた選手も活躍してくれてて、頼もしく思いました。パラリンピック役員テントをでると、雨が止んでいて、ウィスラーのスロープが良く見えて、ここまで来たからのは自分もスキーしなくちゃと、後ろ髪を引かれる思いで、ウィスラーからまたバスで、バンクーバー空港まで帰ってきました。

バンクーバー/ウィスラーの巻

司馬専太郎

シアトルのお寿司屋さん食べ歩き

シアトルの2日目は、ノースウェスト・Kidney Centreでの、朝8時から始まる「General Round セミナー」から。20年ぶりにDr.Sherad に合って、ごあいさつ。少しお耳が遠くなったようでした。テーマは「移植と糖尿病」および「腎不全と全身性硬化症」でした。後者の方が面白く、全身性硬化症のほとんどが、MRI撮影時の造影剤から生じるというものでした。健診特に脳ドックでは気をつけないといけません。
終わって、オーストリアからの移住のDr.Pias先生の、端正なお顔を拝見。以前にご一緒に回診していたので、お礼を言って、ダウンタウンにある、透析センターを去り、マイクの働いている「ベナロヤ研究施設」に、行きました。
この施設は、シアトル市民からの寄付で出来たもので、「シアトル交響楽団」の本部も入っています。アメリカは寄付が発達していますね。
マイクは、細胞培養(monocyte)した細胞を使った動脈硬化の予防に関するお仕事の真っ最中。
そこで、周りの病院(スウェーデン病院、バージニアメイスン病院)などを、見学したのち、マイクと近くのお寿司屋に。
たくさんのお寿司屋ができて、乱立気味とか。昔長男の友人が「シロー寿司」=シアトルでの老舗(樫葉四郎さん創立)でアルバイトしていて、そのお店で働いていた方が、独立されたとか。
その後、大学(ワシントン大学)にもどり、絵のスケッチを開始。いつものテーマ「ワシントン湖」で有名な、生化学の建物の裏で、湖岸にボートハウスが立ち並び、大きなモーターボートが横づけされているおなじみの風景を堪能しました。夕方は、マイクの奥さんも加わり、グリーンレイク沿いのお寿司屋さんへ。
奥さんのエリザベスさんは、高校の先生ですが、久しぶりに会うと「ハグ」を強要するので、照れてしまいます。
このお寿司屋で働いていたギター弾きのテリーは残念ながら肺がんで亡くなったというお話でした。アメリカではやはり肺がんが死亡率のトップとか。
さて、マイクさんらとお話と料理が弾み「熱燗のオオゼキ」をいつもより多く飲んだので、ホテルに帰ってバスタブにお湯を出しっぱなしにして寝てしまったので、排水機能が壊れていたお部屋のバスタブから、お湯がドンドンあふれて、寝室まで侵入し、あとから、バスタオルで拭いてはトイレに水を流し、拭いては搾る操作が真夜中まで延々と続きいささか疲れてしまいました。
翌日は土曜日、朝早く空港にゆくとすでに黒山の人だかり。
アラスカ航空などの国内航空会社で、東西南北に飛ぶ人たちでいっぱいでした。
みな、セルフサービスのチェックインを行っていて、私もマシーンの前でさんざん苦労して航空券を手に入れ、ほっとして、バンクーバー行きの待合の近くにあるSTARBUCKSこーヒーをひとすすり。
それにしても、こんな苦いコーヒーが良くもたくさん売れたのか、気がしれません。でもシアトルの名前が日本でも売れて、イチローや大魔神の名前と同等に有名になって、シアトルにも日本から観光客が増えて良かったですね。

では、バンクーバーでのお話を期待していてください。

シアトルからバンクーバーへ(その2)
3月20日(土曜日)記入。

バンクーバー・シアトル旅行記:その1

平成22年(2010)3月18日から、シアトル・バンクーバーの旅に出かけました。
中部国際空港(セントレア)を、12時50分に出発。
横の席に、カナダ・バンクーバー在住の大山さん(男性68歳)の乗り合わせましたので、さっそくバンクーバーの情報を教えていただきました。長野オリンピックの時と同じで、多くのホテルが建ち、物価が上がっているそうです。
僕は、最初にシアトルに行くため、同じ18日(北米、西海岸時間)の午前10時にバンクーバーに到着後、アメリカの入国審査を済ませたのち、アラスカ航空(実際はホライゾン航空:13時25分バンクーバー発)に乗り替えました。
シアトルには30分後に到着。快晴のレーニア山(シアトル・タコマ富士)に迎えられ、空港に降り立つと、急に懐かしさがこみあげてきました。
1984年から1988年までの3年半を暮らしたところです。
レンタカーを借りて、さっそく住んでいたアパート(ウェッジウッド)にゆくと、20数年前そのままの、玄関前の芝生の石造りのベンチで、我子供3人がジャンプしていたことまで、目の前に浮かんできました。近くのディケーター小学校のだだっ広い校庭では、すでにいくつかの子供の野球チームが、保護者達の指導で、一生懸命バッティングや守備に取り組んでいて、木曜日の午後4時だというのに、多くのご主人が参加されていて、日本と違い仕事に余裕があることを感じさせました。いつもの宿、ホテル「ネキサス」について、荷物をほどいてから、さっそく日本人で「シアトル・クロネコヤマト」に勤めている、寺田さんに電話をかけると、ちょうど奥さんのナンシーさんが病院勤めから帰ってきたところでした。ナンシーさんは、小児病院のMEで「ICUの呼吸管理」専門のテクニシャンです。ご主人の隆雄さんとは、日本の横浜の大学で「空手部」どうしで知り合い、結婚されてシアトルにご夫婦で戻り、今や、3人の子供(ユキ、ジェイミー、太陽)さんは、大きくなって、それぞれ独立。一番下の太陽君は、以前モーグルの北米のチャンピオンでしたが、大学の数学を専攻するため、オリンピックの日本代表にはならなかったそうです。ご主人の隆雄さんは、僕がシアトルを引き上げるときまで、アルペンタール(市民スキー場の一つ)のスキーパトロールや、三浦雄一郎プロの指導員など、をしていたのですが、夏は仕事がなかったので、僕の引っ越しを手伝ってくれていた時に、シアトル・タコマ国際空港近くの「クロネコ・ヤマト」の事務所に荷物を運んだ際に「この会社で働いてみよう」と決心。僕も勧めたので、今だに、クロネコの社員で「日本人相手」の引っ越しや羅、宅急便を取り扱っておいでです。
夜は、ローレルーハースト小学校(子どもたちが通っていた学校)の近くの、寺田さんのお家で、ご馳走になることになりました。

以下、シアトルでの出来事を、詳細に報告します。
シアトルは、今、早咲きのサクラが8分咲きで、ほとんど春ですが、風はまだまだ冷たく、マフラーが必要でした。

3月18日

司馬専太郎ブログ日記ーバンクーバー・シアトル旅行記ーその1

ハワイ・カウワイ島より

拝啓:司馬専太郎ブログ日記の読者の皆様へ、
アロハ!
今、ハワイのカウワイ島にいます。北の海岸端です。
ボブ・シムズとメアリー夫妻のところにホームステイしています。
ボブさんは、黒人ですが、大の日本びいきです。
僕が、シアトルに留学していた頃(1984−1988)、日系人(3世ー4世対象)の日本語学校(日本人のための日本語補習校とは別です)を訪れたときに熱心に「日本語で、文法の」質問をしていたので、授業が終わってからお会いしてお話しすると、シアトルのワシントン大学北の、私達の家(ウェッジウッドアパート群)のすぐ近く、エクシュタイン中学校の進路指導の先生で、奥さんのメアリーさんは、ハワイ人、当時、シアトル南部の黒人街の小学校の先生をされているということでした。
ボブさんは、日本にはまだ行ったことがないが「日本の文化と歴史」に興味を持ち、現在の教職をリタイアしたら、ぜひ、日本に行きたいので、「いっしょうけんめいに」日系人の子供達に混じって、「日本語を学んでいる」とのことでした。特に「漢字」には、特別な興味を持っているとのお話で、その人懐っこい性格から、家族ぐるみの交際となった方です。
シアトルでの当時のご家族は、お子さんが、4人そのうち2人は「男の子の双子(ウミとモシ)達」で、2人とも小学校5年生。
長女は、キタトシャ(中学生)、長男は、ジョナサンといって高校生でした。
我々一家が、1988年に日本に帰国。その後もお付き合いが続き、私達の長男が、高校生のときに一度、夏休みを利用して、シアトルのボブさん家に1週間ほどホームステイさせてもらいました。また、長男は日本の外国語大学を卒業してから、シアトルの短大に進んだため、その2年間もずいぶんお世話になりました。そのようなお付き合いの中で、昨年の5月についに、ボブさんの念願の日本行きが決まり、5月の半ばから月末まで、名古屋を中心に、旅行されたことはすでにブログに書いてありご存知の方も多いと思います。
ハワイでは、海岸のピア(桟橋)で、魚釣りしたり、市民ゴルフ場で(約12ドル)ゴルフをしたりして、のんびり過ごしています。明日は、近くのフィッシュマーケットに買い物に出かけ、おいしそうな魚介類をかってきて、お刺身か、海鮮八宝菜でも作ってボブさんとメアリーさんにご馳走しようと思っています。

では、皆さんごきげんよう。アロハ!

3月、4月の予定です

拝啓:

「司馬専太郎ブログ日記」の読者の皆様へ、

お元気でご活躍のことと存じます。

3月の声を聞き、日増しに春を感じさせます。御津の家のお庭の紅白の梅の木に「春を告げるウグイス」が、とうとうやってきました。どうやら庭に植えた苺「あきひめ」の実の、良い香りに誘われたようです。

ここで、ブログの紙面をお借りして、ご挨拶方々、お知らせがあります。

3月、4月の予定を、ご参考までにお知らせしておきたいと思います。

まず4月から、

1)名古屋市千種区にある国家公務員共済組合連合会「東海病院」にて、

健診(人間ドック)医師として、

毎週月曜日、水曜日 (8時半から午後4時まで)健診業務。

2)毎週火曜日午後、「トライデント千種・スポーツ医科学専門学校」にて内科学講義。

3)虹ヶ丘(名古屋市名東区)介護老人施設、および虹ヶ丘クリニック非常勤医師

4)名東区休日診療所非常勤医師

以上となります。

さて、3月ですが、
1)上記の仕事の準備、特に「内科学講義」の準備のスライド・プリント作り。

2)3月13日から始まる「2010冬季パラリンピック・バンクーバー・ウィスラー」における、観戦および医師見習い(医療、アンチ・ドーピング、体調管理など)として、参加します。

4)帰国後、西日本医学生スポーツ大会(アルペン・距離)の参加(前走・応援にて)、名古屋大学医学部学生(医師、看護師、放射線技師、理学療法士のたまごの皆さん)と一緒に、長野県志賀高原一瀬スキー場に集まります。

昨年も参加させていただきましたが、この西医体にて、ポールの間を滑る「大回転」、「回転」競技の前走者(OBや、地元の指導員が5−6人滑ります)として滑るのが楽しみです。

スーパー大回転だけは、「志賀高原一の瀬スキー場」の上部の斜面では、スピードが出すぎて「かなわない」と思い、止めにしました。無理して、怪我をしてはいけませんので。

以上、3月、4月の予定をお知らせしました。

3月までの、「職場の皆さん、飯田線路小坂井駅前の「理容師、Nさんご夫妻」、「Aグループホームの方々」、「A院外薬局の方々」
特に「浜松医科大学整形外科名誉教授I先生」(T居酒屋さんで遅くまで飲み明かしました。;Nさん、「豊川議会議員補欠選挙の選挙カーに乗せていただき、白手袋に、グリーンのヤッケを着させていただきましたね。手をふって、地元の皆さんが手をふり返しなさってくださり、本当に候補者になった気分でした)
Nさんご夫婦に;ご当選おめでとう!!

五所稲荷の「千本のぼり」を貸していただいたMさん。兎足(うたり)神社のK宮司のKさん。

いずれも、毎朝、お参りさせていただきました。「おみくじ」に感謝します。
「ドラゴンズのシーズン券抽選会」のとき、もちろん、お賽銭を弾んで90枚のおみくじを持ってきて、余興で使いました、ありがとうございました。

あと、地元御津町、小坂井、豊川、豊橋の方々。ご支持に、感謝感激です。

御津は、もちろん、実家ですので、一週間に一度は帰ってきます。

「なごやん」、「赤福」、「信長鬼ごろしお酒」など、お土産いっぱい持って帰ります。

かわりに、名古屋へは「ヤマサのちくわ」、「三河屋の羽二重餅」、そして

御津のお庭で育てた「レモン」、「いちご」、特産「三河湾の海苔」など、たくさんのお土産を持って帰ります。

*「2010冬季パラリンピック」に関しては、NHK教育テレビ、みのもんた「朝ズバ」で取り上げられるので、皆様、ご関心をお寄せくださいますようにお願いいたします。

敬具

名大;八方尾根;黒菱平ヒュッテの思い出(その1)

ここで、学生スキーにまつわるお話をひとつ、・・

3月に入ると、「名古屋大学医学部スキー部:アルペン合宿」に参加します。

(戸狩市民スキー場にて;村田館;学生12名参加OB2名参加;名大名誉教授

T.H先生(第一解剖学元教授;インド・サンジャイガンジー病院元院長)と私。

 ところで、私のスキー部としての学生時代は、なんと実績ゼロです。

それもそのはず・・昭和45年の大学4年時代、そのころは、白馬・八方尾根の

中腹の黒菱平に「名大合宿小屋」がありまして、名大生なら誰でも泊まれまし

た。ただし、プロパン・ガスボンベをふもとの「雪の荘」(ご主人丸山さん;

名大黒菱小屋の管理人)から、はこび、食糧、米なども持参して、

1週間のスキー旅行をしました。もちろん宿泊料は無料です。

ポリクリ(臨床実習9の5−6人のグループだったと思います。

小屋らしい場所に着くと、まず小屋の玄関をスコップで1−2mの雪の中から掘

り出します。水道なし、トイレは、(大)のみ(失礼:通称ポットン・トイレ

;おつり?が来るので要注意!!)、小屋の外の雪の中で、食器洗いと

(小:失礼)、生活用水は、朝、近くの「井戸」まで汲みにゆきます。

夜、寝るときは、持参の寝袋の上に、小屋の布団をかぶりますが、朝起きると

布団や寝袋の上に「うっすら」と粉雪が積もっています。

朝6時に起きて、だれも滑っていないゲレンデ(スカイラインコース学割)で、

滑るのは最高です。

これは、「スキー部の合宿ではありません」でしたが、現在「大垣整形外科院長

の」F君が、スキー部だったので、彼のリードで合宿しました。

合宿の最後に「名大・黒菱ヒュッテ来場者名簿に名前と連絡先を記入」

そのことにより、後々「名大医学部スキー部OB」として、毎年、学生が部誌;

「モルゲン・レーテ」をもって、寄付を集めに職場の病院に来るようになりまし

た。それで、めでたくスキー部OBとなっていることを知りました。

以来、大きな顔をして、シーズン・インコンパ(毎年11月:新栄;多門亭;

うなぎ屋)と、西日本医科学生スキー大会(名大最大のイベント大会)報告会・

祝勝会・追い出しコンパ、と新入生歓迎コンパにはよく顔を出しています。

  ということで、名大生徒が合宿する時には時々一緒に滑っています。

お話が、長くなりましたが、「のんびりした」よき時代のことで、

スキー小屋にまつわるお話(その1)を終わります。

飛騨白川郷・北陸永平寺「座禅体験」の巻

平成2月13日(土曜日)
私の「絵画・スケッチ」の先生の「ジェフ・ウッドガー(豪州)」君と、「永平寺の座禅修行」の小旅行に出かけました。
まず、朝早く、ジェフのアパートに出かけ、3月31日から名古屋・錦の「大黒屋画廊」で、行われる「ジェフ・ウッドガー油彩・スケッチ展」の、お知らせのはがきを20枚ほどもらいました。

小旅行の出発は、JR高山線「ひだ:9時46分名古屋駅発」に乗り、車窓に次から次へと、展開する「雪景色の飛騨川」を楽しみました。ジェフ君は、最近購入した「Nikonデジタル一眼レフ」で、盛んに撮影。

終点の高山駅で降り、そばを食べてから、レンタカーにて、「白川村」目指して、東海北陸道に乗り、午後3時ごろ「萩村」に到着。屋根に雪の残る合掌造りの家屋を見学。ライトアップを待たずに、東海北陸道から、北陸道に入り、「金沢」で下車。

友人の金沢医科大学T教授行きつけのお寿司屋さんにて、握り2人前注文。

その後、福井までドライブして、宿泊しました。

翌朝、5時頃起きて、「永平寺」に連絡。午前10時に「座禅修行」を予約しました。このとき、Shibasenは、英語を駆使して、「シアトルからの日系三世」と、「オーストラリアからの画家」とで、坐禅体験の説明を、「英語で」お願いいたします」
と、言いますと「英語対応のお坊様」がいますので大丈夫です。とのことでした。
さすが「永平寺・国際部(あらゆる言語に対応)」です。

実は、私の先祖は「第65代管主・福山文吉」ですが、そのことは胸にしまっていました。雪の永平寺に8時半に到着。受付を済ませてから、資料館に行き、「ご先祖」を確認。明治の後期から大正にかけての管主であることが分りました。
さて、10時から始まった「座禅体験」は、われわれ2人のみで、説明はすべて英語で行われました。10分間の説明の後「瞑想」に入り、20分坐禅を組んだ後2人とも「すっきりした」心境になり、ジェフ君はいたく感心して、「お坊さんの服装の「袈裟」に興味がおよび、どこかで借りて、修行僧に変身したいとのこと。(Shibasen;托鉢修行、虚無僧姿、山伏姿)もあります)
と、僕が答えると「どこで借りれる?」など、積極的。

知り合いの「扇屋」さんの、H社長君(旭丘22回生:なにかと相談に乗ってもらっています)に聞いてみようかと思っています。

二人だけの座禅会を終え、永平寺の周りのヒノキの大木、滔々と流れる小川と小さな滝、雪の中の山門などを写真撮影したのち、下山して、

いつも使う、「ファミリーマート:坂井市」で、かに、いくら、卵どんぶりを買い、海岸べりを、ドライブ。

景勝地「越前松島」の入り江、で昼食。東尋坊回り寒かったのですぐに食堂に入り、「さざえの壺焼と甘酒」を注文。

「食堂の壁を飾る大きな写真;海から見た波しぶきの東尋坊を撮影」(寒いのでこれにしようと、食堂のおばさんに伺ってから撮影。その後、福井に戻り、
レンタカーを返却して、北陸線(JR特急しらさぎ)にて名古屋に帰りました。特急の自由席は「温泉帰りのお客様」で満員、「芦原温泉同級会」帰りの3人のおばさまの席に混じり、

「ジェフ・ウッドガー展覧会・3月31日大黒屋画廊」

を宣伝させていただきました。(後述)名古屋の家に帰宅すると、2日ほど早い僕と長男のダブルの「誕生日ケーキ」が待っていました。
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