原子力規制委員会 --- 独立・中立という幻想③

(原子力規制委員会---独立・中立という幻想②の続き)

4章 原子力規制委員会は「使命」に応えているか


規制委員会の
3.11シビアアクシデントに対する反省点

①外部事象も考慮したシビアアクシデント対策が十分な検討を経ないまま、事業者の自主性に任されて規制委員会きた。

②過去に設置許可された原発にさかのぼって最新の科学的・技術的所見にもとづき審査し改良を要求する「バックフィット」といわれる法的仕組みは何もなかった。

③日本では、積極的に海外の知見を導入し、不確実なリスクに対しての安全の向上を目指す姿勢に欠けていた。

④地震や津波に対する安全評価をはじめとして、事故の起因となる可能性のある火災、火山、斜面崩落等の外部事象をふくめた総合的なリスク評価はおこなわれていなかった。

⑤複数の法律の適用や所掌官庁の分散による弊害が著しかった。原子力安全規制は一元的な法律体系のもとで実施されることが望ましい。

                                                    

この5つを3.11シビアアクシデントに至った反省点とした。①~④までは分かるが⑤においては問題がある。後述する。

 

改正原子炉等規制法の要点

原子力規制委員会設置法の附則において原子炉等規制法が改正された。その要点は以下の通りである。

①シビアアクシデント対策を義務化

②バックフィット制度を既存の原発にも義務化

③電気事業法による実用原子炉の運転段階における規制を廃止し原子炉等規制法による規制に改めた

④原発の運転期間を40年間とし、例外的に1回限り延長を20年とした

 

そしてこの原子炉等規制法に則って規制委員会は各原発の再稼働検査を行うとした。

 

新規制基準の概要

原子力安全委員会が安全設計審査指針を補完する形で耐震設計審査指針を定めたのは1981年だった。その後、19951月の阪神・淡路大震災の発生にともない耐震設計審査指針の改定が議論されるが、具体化されなかった。原子力安全委員会は2006919日なって、新たな耐震設計審査指針を決定した。地震に関する最大の争点は活断層の存在である。

この2006年の耐震設計審査指針は、活断層の活動性評価の期間を従前の5万年前から1213万年前に拡大するとした。だが、敷地内に活断層があっても原子炉建屋の真下でなければ設置許可されてきた。

 

新規制基準はこの耐震設計審査指針を踏まえて、「将来活動する可能性のある断層等は、後期更新世以降(約1213万年前以降)の活動が否定できないものとし、必要な場合は、中期更新世以降(約40万年前以降)まで遡って活動性を評価するこを要求」するとした。これは従来の基準とされてきた後期更新世以降の活動性評価をより強化するものと説明されている。

 

また、活断層が動いた場合に建屋が損傷し、内部の機器等が損傷する恐れがあるから、耐震設計上の重要度Sクラスの建物・構築物等(原子炉圧力容器等)は、活断層の露頭(表土に覆われず、直接露出していること)がない地盤に設置することを要求するとした。だが、これはあまりにも当然のことであり、明文上の規制基準とされていなかったことに驚く以外にないだろう。

 

さらに原子力発電所の敷地の地下構造により地震動が増幅されることを踏まえて敷地の地下構造を3次元的に把握することを要求するとした。

 

 

新基準による津波対策

新規制基準では過去最大の津波を上回る津波を「基準津波」とし、その到達・流入を防ぐための防潮堤等の津波防護施設を設置することを要求するとされた。また津波防護施設は地震によって浸水防止機能を喪失しないよう、原子炉圧力容器と同様の耐震設計上最も強固なSクラスを要求するとされた。

 

新基準による火山の噴火、火砕流、竜巻などの対策

新規制基準は「その他の自然現象想定と対策を強化」するとして、「火山・竜巻・森林火災について想定を大幅に引き上げた防護対策を強化」するとしている。火山については「半径160キロメートル圏内の火山を調査した火砕流の到達の可能性、到達した場合の影響を評価し、予め防護措置を講じることを要求」するとした。

 

新基準によるシビアアクシデント対策

新規制基準は、以上のような地震、津波をはじめとした自然現象による原発の崩壊防護対策をしめしたうえで、いわゆるシビアアクシデント対策を、炉心損傷防止対策、格納容器破損防止対策、敷地外への放射性物質の拡散抑制対策、意図的な航空機衝突などへの対策(テロ対策)などを表Ⅳ-2のように示した。従来、これらの対策が電力会社の自主的対策とされていたことからいえば評価してよいであろう。だが、独立の外部電源を2回線設けるといったある意味できわめて「初歩的」な規制すらおこなわれていなかったことは、驚くべきことといわねばならない。

 

新規制基準の問題点

以上3つの対策を施さなければ規制委員会は再稼働を容認しないとした。だが、少なくてもこの新基準の問題点は4つ挙げられる。以下にそれを記す。

①新規制基準は「信頼性を向上させるバックアップ施設は、新規制基準の施行段階で必要なシビアアクシデント対策等に係る工事計画の認可から5年後までに備えていることを要求する」とした。このバックアップ施設とは、シビアアクシデント時においての緊急時対策所のことを言っている。意味が分からない。なぜ「5年後までに」なのか?再稼働と同時に設置してなければいけないものではないのか?理解に苦しむ。

②しかもこの緊急時対策所は3.11シビアアクシデント時においてさかんに言われた「免振重要棟」と同義のはずだが、新基準には「免振棟」であることが義務づけられていない。

③新基準は複数基の原発施設についての規制と単数基の原発施設の規制を分けていない。つまり複数(2つ以上の原子炉)を備えた原発施設の規制と1基のみの原発施設の規制を上述の規制で一色他にして規制している。3.11シビアアクシデント時において、1号機がまず爆発し、その後3号機が爆発し、続いて2号機から大量の放射性物質が大気中に拡散された。まさにこれは複数基の原子炉を備えていたゆえの事故で、この連鎖的に事故が起こったことが災害をより大きくした。であるならば当然複数基の原子炉を備えた原発施設はより厳しい規制が敷かれて当然である。なぜ新基準はそうしなかったのか?

④新規制基準は原発立地自治体及び周辺自治体の避難計画の策定を規制していない。つまり避難計画はなければならないがその存否を含めて審査の対象としていない。理解できない。原子力災害特別措置法(1999年)や災害対策基本法(1961年)も都道府県・市町村にその策定を求めている。なのになぜ新規制基準はこれを電力事業者に規制しないのか?意味が分からない。

 

大飯原発34号機における再稼働認可の疑義

関西電力は20111028日大飯原発3号機、1117日に4号機のストレステストの評価を原子力安全・保安院に提出した。それは全交流電源が喪失し熱の逃がし場がなくなった場合でも炉心は16日間、使用済み核燃料は10日間損傷するまでに余裕がある、とするものだった。そして当時の野田政権は2012413日に再稼働を決定した。3.11シビアアクシデントから約1年しか経っていないこの時期に野田政権は再稼働を認可した。

 

このストレステストというのは実際の原発敷地内の建物をテストするわけではない。想定をコンピューターシュミレーションで項目を決めて画面上で確認するだけだ。しかもこの段階で評価基準となる安全設計審査指針や耐震設計審査指針は当然3.11以前のものだ。なぜこのようなテストで3.11シビアアクシデントから1年しかたっていないこの時に急いで再稼働を認可したのか?大きな疑問だ。

 

そもそも当時の民主党政権は新たに原子力規制機関、つまり規制委員会をつくる、としていたのだからその規制委員会の「新規制基準」に照らした後に再稼働を認可してもよかったのではないのか?なぜこんなにも急いだのか、大いなる疑問だ。

 

だが、これに対し201211月、福井県の住民が「安全が確認されていない」として福井地裁に運転差し止めの訴訟を起こした。裁判長・樋口英明は2014521日、2基の原子炉の再稼働を認めない判決を下した。関西電力はこれに対し、名古屋高裁金沢支部に控訴し、訴訟は継続中だ。それはともあれ、この2基は20139月に定期検査に入り、運転を停止した。

 

規制委員会が基準とした地震基準動の疑義

関西電力は201378日、大飯原発34号機の再稼働に向けて規制委員会に新規制基準への適合性審査を申請した。そして規制委員会は2017524日に再稼働を正式に認めた。この審査において最大の焦点となったのは地震・津波予測と対策である。原子力規制員会は若狭湾のFO-AFO-B、熊川断層の3つの活断層の連動による地震と津波に重点をおいて審査した。結果、これによる基準地震動は856ガルとした。だが、この試算に20149月まで規制委員会委員長代理をしていた島崎邦彦氏は疑義を呈した。島崎氏は2016116日に田中俊一委員長らとの意見交換の場で「過小評価の可能性が高い」と指摘した。それはその揺れの大きさが想定される最大の揺れの1/3~1/4 とされるものだった。

 

揺れの想定式は入倉・三宅式、武村式、山中・島崎式があるが関西電力は入倉・三宅式を使って算出した。規制委員会もこれを認めた。この算定式に用いられたデータは地震発生後に得られた情報によって算出したものであり、地震発生前に得られた情報ではない。事前に推定された(であろう)断層の長さを用いて、実際に日本で発生した地震の「震源の大きさ」を推定してみると、入倉・三宅式で出された推定が最も過小評価であるとの結論が得られたのだ。だが、事前の断層の長さについての推定には主観が入る可能性がある。そこで島崎氏は1891年の濃尾地震、1930年の北伊豆地震、2011年の福島県浜通り地震の3例をとりあげ、入倉・三宅式、武村式、山中・島崎式のそれぞれから地震モーメントと実際値を比較した。その結果、山中・島崎式を妥当とすれば、入倉・三宅式はこれによってもあきらかに過小評価であり実現値の1/3.5 程度だったのだ。

 

再々計算を拒否した規制委員会

この島崎氏の指摘によって規制委員会は再計算をすることになった。その結果、基準地震動644ガルの規制委員会2揺れが推定されるとし、規制委員会は基準の地震動の設定が856ガルであるから問題なしとした。だが、この計算式は入倉・三宅式ではなく、武村式を使ったものだった。島崎氏はそれに対し、「関西電力と同じ設定で計算するべきなのにされていない」「補正した上で『不確かさ』を加味すれば、推定で最大1500ガルとなる」と指摘した。つまり規制委員会は「武村式」を用いて再計算したが、関電による「入倉・三宅式」による推計と断層の形状や大きさが同一ではない。それを同一にした上で「武村式」で計算し、さらに断層面の角度や断層の中でも強い揺れを起こす箇所があるといった「不確かさの考慮」を上乗せすれば、基準地震動は最大1500ガルになる、としたのである。この1500ガルの揺れは前述したストレステストで関電が炉心冷却を確保できなくなる下限値とした1250ガルを上回る(「毎日新聞」2016715日)。だが、規制委員会は再々計算することなく、基準地震動856ガルが過小評価でないとして再稼働の承認に向かった。


(原子力規制委員会---独立・中立という幻想④に続く)

原子力規制委員会 --- 独立・中立という幻想②

(原子力規制委員会---独立・中立という幻想①の続き)

2 原子力規制委員会とはどんな組織なのか

 

原子力規制員会とはどんな組織なのか

・国家行政組織法第3条にもとづく行政委員会とされ、環境省の外局と位置づけられた。

規制委員会・委員は5名とされ衆参両院の同意をえて首相が任命する。

・事務局として原子力規制庁を置いている。

また、原子力安全規制を一元的に担う組織とされた、内閣府の原子力安全委員会は廃止され、原子力規制委員会に機能統合された。権限としては、

・経済産業省原子力安全・保安院が担っていた発電用原子炉の規制

・文部科学省の試験研究炉の規制及び核燃料物質等の使用に関する規制

・国土交通省の船舶等原子炉の規制

・経産省、文科省の担ってきた核物質防御に関係する関係省庁の調整

・文科省の担ってきた核不拡散の保障措置に関する規制

・放射線モニタリングの関係省庁間の調整

・文科省の担ったSPEEDIの運用

・文科省所管だった放射線障害防止法の事務

また、首相をはじめ、閣僚への勧告権をもつ。この規制委員会の下に、

・原子炉安全専門審査会

・核燃料安全専門審査会

・放射線審議会

を置いている。が、これらの審査会、審議会の委員は規制委員会が任命するが、国会の関与は定められていない。

 

改正原子炉等規制法について

原子力規制委員会を設置するにあたり原子力規制委員会設置法がつくられたのと同時に、原子炉等規制法と原子力基本法が改正された。その原子炉等規制法の改正において原子炉の寿命は40年と初めて明確に示された。また、既に稼働している原子炉にも新基準への適合を義務づけるバックフィット制度、つまり最新の知見にもとづいた規制に適合しなければ既に稼働している原子炉も稼働を継続することができないとされた。これらについては当然のことであり理解できる。だが、その一方でこの原子炉等規制法には「例外規定」が設けられていて、規制委員会の「安全基準」に適合されているものであれば最長20年延長して稼働することができるとされた。

 

 

 

改正原子力基本法について

一方の改正原子力基本法についてだが、前述の原子力規制委員会設置法の附則第12条によって改正された。それには、

「確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」

とある。つまり推測になるが、原子炉でウランを使った後に発生するプルトニウムを使用して核弾頭などをつくることを想定してこのような附則文を入れたと思われる。

 

原子力規制委員会委員の欠格要件について

原子力規制委員会は2012919日に発足した。その委員の欠格要件について原子力規制委員会設置法は第7条第1項で、

「人格が高潔であって、原子力利用における安全の確保に関して専門的知識及び経験並びに高い見識を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」

とあり、同法第7条第7項第3号で、

「原子力に係る製錬、加工、貯蔵、再処理若しくは廃棄の事業を行う者」

とあり、これらの人物は委員に任命できないとされた。また、これのガイドラインとして、「原子力規制委員長及び委員の要件について」が定められそれには、

①就任直近3年間に、原子力事業者及びその団体の役員、従業員等であった者

②就任直近3年間に、同一の原子力事業者から、個人として、一定額以上の報酬等を受領していた者

は、委員長・委員から除外されるとされた。

 

初代原子力委員会委員に見る「欠格要件」の欠陥

当時の野田政権において初代規制委員会委員の人選がされた。だが、この人選はいわゆる「原子力ムラ」の人間を入れているのではないか、と与党の民主党からも批判が噴出した。そしてこれらの人選された委員の国会同意は得られなかった。そして野田首相は、原子力規制委員会設置法附則第2条第5項の、

「この法律の施行後最初に任命される委員長及び委員の任命について、国会の閉会又は衆議院の解散のために両議院の同意を得ることが出来ないときは、内閣総理大臣は、第7条第1項の規定(衆参両院の同意を得ること)にかかわらず、同項に定める資格を有する者のうちから委員長及び委員を任命することができる」

という例外規定を用いて以下の5名を委員長ならびに委員に任命した。

委員長:田中俊一

委員:更田豊志、中村佳代子、大島賢三、島崎邦彦(委員長代理)

 

 

この5名は、

田中俊一:日本原子力研究開発機構(旧動燃)副理事長、原子力委員会委員長代理、原子力学会会長の経歴をもつ。

更田豊志:日本原子力研究開発機構副部門長であり、高速増殖炉「もんじゅ」や東海村再処理工場を保有する原子力事業者の職員。

中村佳代子:公益社団法人日本アイソトープ協会プロジェクトリーダー(この協会は研究系・医療系の放射性廃棄物の貯蔵、廃棄の事業を行っている)。

大島賢三:外交官。国連平和協力本部事務局長、国連事務局事務次長、国連日本政府代表部特命全権大使などを務め、規制委員会発足時には国会事故調査委員会委員、放射線被爆者医療国際協力推進協議会(HICARE)理事の職にあった。

島崎邦彦:東大地震研究所教授、日本地震学会会長、地震予知連絡会会長を務めた地震学者。

だが、この5名は本当に全員、「欠格要件」がないのか?大島賢三氏と島崎邦彦氏は問題なし、と言えるが他の3名は本当に欠格要件なし、と言えるのだろうか?特に更田豊志氏と中村佳代子氏は原子力関連事業者なのだから「直近3年間においてその事業者であること」に当てはまるのではないのか?それに対し、野田政権は、

「委員就任と同時に辞職予定だから欠格要件に該当しない」

と意味不明のことを言い、

「そもそも日本原子力研究開発機構も日本アイソトープ協会も、営利企業でないから原子力事業者等に該当しない」

と意味不明なことを言った。私(志田)は原子力規制委員会設置法の「欠格要件」の項の文を全部読んだわけではないから強くは言えないが、上述した「欠格要件」の文の限りでは「欠格要件」にあたる。いずれにしても、日本アイソトープ協会も日本原子力開発機構も「原発推進組織」であるのは間違いない。これらに所属する人間を委員にすること自体が法的にうんぬん言う以前に問題なのだ。

 

ちゃんと再稼働審査をしたから島崎邦彦は再任されなかった

このような規制委員会委員のもとで大飯原発34号機の再稼働審査が行われた。大飯原発はすでに再稼働されていたがこれが新しい新規制基準に照らして、次の定期検査まで稼働してよいかどうか、を決める審査だ。結果は少しの対策だけして稼働継続が決定された。しかしこの大飯原発においての問題点は34号機に冷却用海水を送る「非常用取水路」の真下を通る「F-6破水帯」と呼ばれる断層が活断層かどうかだった。だが、これについての審査は行わずに稼働継続が決定された。ゆえに地震学者の島崎邦彦は稼働継続に反対した。

 

そして2014527日、安倍政権は任期の切れる島崎邦彦氏と大島賢三氏を再任しなかった。この理由はどうやら関西経済連合や川内原発の稼働によって利益を得る九州経済連合、そして自民党の反対があったと思われる。つまり経済界やそれと強い結びつきがある自民党にとって島崎邦彦氏が規制委員会の委員では思うように原発稼働ができないからだ。しかも後任にはなんと日本の原子力学会において「ドン」と言われる田中知が就いた。この田中知は20042011年度にかけて原子力事業者や関連団体から最低でも760万円の寄付金を受け取っている。これは規制委員会が公表したのだがでは2012年度以降はどうなのか?もし受け取っていればこれも規制委員会委員の「欠格要件」にあてはまる。そもそも2011年度に受け取っているのだからそれ自体が「欠格要件」にあたる可能性すらある。これに対し原子力規制庁幹部は、「田中氏本人ではなく、田中氏が教授を務める東京大学大学院の研究室に寄付されたものだから欠格要件にあたらない」とした。こんな理屈がまかり通っていいのか?田中氏は前述したように原子力学会の「ドン」だ。つまりこの寄付金は原発推進のための研究に使われる。そんな原発推進派が規制委員会の委員になること自体が問題ではないのか。さらには原発を推進する自民党の石原伸晃環境相は、

「ガイドラインは民主党時代のものであり、自民党政権のガイドラインではないし、今後も作る意向はない」

と国会で答弁した。この男は正気でこんなことを言っているのだろうか?原発稼働に偏らないために作ったガイドラインを民主党政権がつくったものだから守らず、自民党のそれをつくるつもりもない、ということはどんなに原子力業界やその関係団体からどんなに寄付金を受け取っていても委員に採用する際に問題はない、と言っているようなものだ。事故が起これば放射能により国民の生命を脅かす原発の審査員の選定において、このようなことを言っている石原は決して正気な人間とは言えない。

 

そして翌年の15年には任期の切れる更田豊志を再任させ、この男が後に田中俊一委員長の後を継いで委員長になる。この男は昨年(2017年)の8月、「(汚染水をくい止める)『凍土壁』は上手くいかないからできる」と言った男だ。

 

原子力規制庁はどんな組織なのか

原子力規制庁は簡単に言うと、規制委員会の下に位置し、その事務局である。ただしこの場合、規制委員会の庶務を行う、というだけのものではない。規制委員会の委員は前述したように各方面の専門家が5人集まっている。つまり各々専門が違う5人の合議制で運営される。逆に言えば、その専門分野は5人のうち1人しかそれに精通していないと言える。このような性質からその事務局である規制庁は規制委員会の庶務を行う、というよりは規制委員会の業務を強くバックアップする組織だ。尚、規制庁設立当初は比較的簡素的な組織構成だったが、後にJNES(原子力安全基盤機構)が規制庁に統合されたことにより、組織が大きくなった。

 

 

規制庁は長官の下に次長、緊急事態対策監、審議官(3人)、原子力地域安全総括管の順で幹部が構成されている。その初代の幹部は、

長官:池田克彦 警察官僚出身

次長:森本英香 元環省大臣官房審議官

審議官:名雪哲夫 原子力安全委員会事務局審査指針課長などを歴任

櫻田道夫 元資源エネルギー庁核燃料サイクル産業課長

山本哲也 元原子力安全・保安院首席統括安全審査官

緊急事態対策監:安井正也 元原子力安全規制改革担当官

原子力地域安全総括管:黒木慶英 警察官僚出身

だが、長官と原子力地域安全総括管がなぜか警察官僚出身だ。これは何を意味するのか?反・脱原発市民団体などの取り締まり強化を狙った人事の可能性がある。言うまでもないがこの2人は原発の専門家ではない。他の5人は3.11原発事故に至るまでの「原子力ムラ」の住人だ。このような規制庁人事で原発の安全厳格化が図れるのか?大いに疑問だ。尚、201771日時点での規制庁幹部は次のようになっている。

長官:安井正也 経産省出身

次長:荻野徹 警察庁出身

原子力規制技官:櫻田道夫 経産省出身

緊急事態対策技監:山形浩史 経産省出身

核物質・放射線総括審議官:片山啓 経産省出身

審議官:荒木真一 経産省出身 青木雅裕 経産省出身 片岡洋 文科省出身

原子力規制部長:山田知穂 経産省出身

つまり経産省出身者が7名、文科省出身者が1名、警察庁出身者が1名だ。3.11原発事故以前の経産省主導体制へ回帰している。そして繰り返すが警察庁出身者は原発の専門家などではない。さらには、この規制庁の職員の約8割は原子力安全・保安院からの横滑りだ。3.11シビアアクシデント時まで原発推進の立場だった保安院から8割もの人事異動で本当に原発を厳しく規制できるのか?はなはだ疑問だ。

     

抜け穴だらけのノーリターンルール

規制庁に入庁した者にはノーリターンルールというものがある。これは規制庁設置後5年間という例外期間を除いて一度規制庁の職員になった者は原子力推進組織への転属を認めないというものだ。当然のルールだが、実際は機能していない。そもそも5年間の例外期間を設けていること自体が 規制委員会----規制庁 を設置した趣旨に反する。そしてたとえ規制庁に一度入庁しても原籍地を変更しないで一旦他の省庁にいき、もとの原籍地に戻るならば問題なし、としているのだ。

 

どういうことかというと、例えば経産省の人間が規制庁に入庁する。この段階でなぜか原籍を経産省から規制庁へ変更しない。そして規制庁から一旦、文科省などに入り、その上で経産省に入ればノーリターンルールに払拭していない、となる。これは俗に「霞が関文学」と言われている類のものらしいが常識人には全く理解できない。そしてこのルールを作った人間がこの「霞が関文学」を知らないはずはないのだからあえて抜け道をつくったと言わざるを得ない。

 

3章 原子力規制委員会とはいかなる行政委員会か

 

そもそも行政委員会とは何なのかP84の全文)

20119月に環境省の外局として原子力規制委員会が設置された。中央行政機構に久方ぶりに設置された行政委員会である。行政委員会とは一般行政機構から独立して準立法・準司法機能をも担う合議制機関とされるが、第二次大戦に敗戦後の日本の中央政府には、きわめて多数の行政委員会が設けられた。それはGHQの日本行政の民主化に応えるものと概括できるが、政党政治の介入や官僚支配を排除し、行政の公平性と専門性を確保しようというものだったといってよい。その意味では戦後民主化を象徴する新鮮な響きをもつ行政組織だった。

 

ところが、行政委員会は1952年の日本独立とともに廃止や大幅な見直しがおこなわれ、中央行政機関は内閣の下の府省体制を基本とした。見直しの理由としては、行政責任の不明確さや行政効率の悪さが掲げられたが、要するに占領体制から解放され内閣のもとに一元的な行政機構を作り上げようとするものであった。すぐあとにみるように、法的に行政委員会とされる組織はきわめて少数である。

(引用ここまで)

まあ、明治6年政変をきっかけに大久保利通が論敵・江藤新平をさらし首にし、「行政=司法」的に中央集権体制が確立された当時の日本と基本的には同じ、と言える。

 

政権主導体制下での行政委員会(「内閣府における合議制機関の濫設」の項の一部引用)

(前略)しかも、2014年の国家公務員制度改革基本法によって設けられた内閣人事局は、部長級以上の高級幹部職員の人事権を一元的に所管することになった。人事局長には内閣官房副長官が補職される。こうした高級幹部人事権の掌握は、善かれ悪しかれ各省官僚の政権への求心性を高めるといってよいし、政権の側も政策思考を同じくすると思える官僚を内閣官房や内閣府に「一本釣り」している

 

原子力規制委員会の設置は、一見するかぎり、原発のシビアアクシデントなる未曽有の事態をうけて行政委員会制度にあらたな存在証明を付与するもののようにみえる。けれども、政権主導・官僚主導を核とする行政システムのもとにおいて、行政委員会はいまや「強大」な権力を擁する内閣に統轄された多くの合議制機関のひとつにすぎないといっても過言ではないようだ。いい方を換えれば、法的根拠はともかく「政権主導」の名の下に、内閣府に合議制機関が「濫設」されることによって、制度としての行政委員会と他の合議制機関を隔てる垣根は、きわめて低くなっているといえよう。

 

規制委員会2たとえば、国家公安委員会は、行政委員会とは名ばかりであり委員長を国務大臣とする内閣統轄下の組織である。民間人からなる国家公安委員の会議は、実質的に警察庁の「諮問機関」とすらいえよう。特定秘密保護法や共謀罪を新設したテロ等準備罪の制定をうけて、国家主義に傾斜する政権をささえていくことは眼に見えている。また、公正取引委員会は私的独占の排除による企業間競争の促進と公正取引の確保を使命としている。けれども、「成長戦略」として大規模経営統合と企業間の新自由主義的競争が政権の経済政策であるとき、「公正」な市場の監視役とはなりがたいといえよう

 

環境省の外局である原子力規制委員会も、原発を基幹エネルギーと位置づけた政権の「「成長戦略」から無縁のところに位置しているわけではない。その一端は第Ⅱ章で述べた委員人事にみることができよう。原子力規制委員会は政権のエネルギー政策をうけて原発の安全規制を担わざるをえない。3,11シビアアクシデントをまえにして社会が原子力規制委員会に寄せた期待は、当初より多くの制約のもとにあるといってよいのではないか。

(引用終わり)

(原子力規制委員会---独立・中立という幻想③に続く)

原子力規制委員会 --- 独立・中立という幻想①

少し前に私は立憲民主党の「原発ゼロ法案」の成立を目指すタウンミーティングに行き、その質疑応答部分の内容を書きましたが、その際に政調会長代理の逢坂誠二議員が「我々は原子力規制委員会を改革する上で『原子力規制委員会 --- 独立・中立という幻想』新藤宗幸 岩波新書 という本を参考にしていく」と言ったことも書きました。そこで今日はこの本の要約文を書き記したいと思います。

 

私はこの本を読んで改めて原子力規制委員会が原発の安全性を審査する、というよりは原発を稼働させるための組織であることが分かりました。規制委員会の組織構造及び審査方法が明らかに原発を稼働させることを前提にされている、と思えるのです。この要約文を読んで頂ければそれが分かって頂けると思います。では書きます。

※章のタイトルは本文そのままに、項のタイトルは私がつけました。

※文中の太字は私によるものです。


1 原子力規制委員会はいかに作られたのか

3.11までの原子力規制システム

原子力行政組織のスタート

195511月、原子力基本法ならびに原子力委員会設置法、総理府設置法の一部改正法(原子力局の設置)のいわゆる「原子力三法」が成立をみた。これを機として戦後日本は原子力開発に邁進していく。当初、原子力開発の旗手となったのは、国家主義的政治家・中曽根康弘と警察官僚出身の政治家・正力松太郎だった。彼らは195312月にアイゼンハワー・米大統領がおこなった国連演説「平和のための原子力」を拠りどころとして、日本もまた原子力開発に向けた体制を整えるように活動していった。実際、中曽根らは「原子力三法」に先立って54年度予算に「原子力予算」を追加計上するよう政権にもとめた。543月、総額25000万円、原子炉基礎研究助成金23500万円とウラン調査費1500万円から構成された「原子力予算」が私立した。

 

アイゼンハワーの国連演説は、たしかに核の「平和利用」を謳っていたが、その実、「商業利用」を狙うことによって、ソ連、イギリスなどの原発開発に対抗するとともに、核開発技術、もっといえば核兵器開発技術を一定の範囲に閉じ込め、核大国としての地位を維持することに狙いがあった。実際、日本の原発開発のベースとなる日米原子力協定は、1954年にアメリカ連邦議会が議決した改正原子力法にもとづく二国間協定であり、日本に軍事利用などの技術移転・開発、さらに第三国への移転などにきびしい枠をはめるものである。いわば、原発プラントの輸出はするが、核技術開発はきびしく管理するものだった。

 

とはいえ、原子力開発への着手を主導する中曽根らの主眼が、真に「平和利用」「商業利用」にあったかどうかは、多分に疑わしい。中曽根にも増して国家主義者である岸信介は、はやくも1959年に「専守防衛のためならば核兵器の保有も憲法違反ではない」と発言している。こうした発言は、その後現在にいたるまで、ときに保守政治家から語られている。

 

ともあれ、原子力の平和利用、商業利用を名分とした原子力開発は、1956年から国策としての体制を整える。19561月に総理府原子力局が設置されるとともに、国家行政組織法第八条にいう「審議会等」として原子力委員会が総理府に設けられた。「審議会等」とは、大臣等の諮問機関を指す言葉で、詳細は第3章でみる。委員長は「審議会等」にはありえない国務大臣とされ、正力松太郎が就任した(原子力委員長に国務大臣が充てられる体制は20011月の行政改革までつづいた)。さらに565月に総理府の外局として国務大臣を長とする科学技術庁が設置された(長官・正力松太郎、総理府原子力局を移管)。こうした中央行政機構の設置とならんで、同年6月には特殊法人日本原子力研究所の設立、8月の原子力燃料公社(6710月に動力炉・核燃料開発事業団=動燃へ改組、その後核燃料サイクル開発機構、さらに200510月、日本原子力研究所と合併して日本原子力研究開発機構)の設立とつづく。さらに576月には原子炉等規制法が公布され、原子炉等の設置許可処分が定められた。こうして50年代末に原子力開発の組織・法制度が整う。(後略)

 

審査能力を欠く原子力委員会と科学技術庁

ところで、原子力開発体制と構成する行政機関は、のちに1978年に原子力委員会にくわえて原子力安全委員会が設置されるまで、概ねつぎのような体制(権限)を担った。①総理府の外局である科学技術庁は、原子炉等規制法にもとづき原子炉の設置許可にかかる審査と設置許可処分を担った(法的な設置許可処分の権限者は首相)。②原子力委員会は開発計画の策定、安全基準・指針策定を担った。③のちに原発行政の中心主体となる電気事業法の所管省である通商産業省は、電気事業法にもとづく設備の詳細設計についての許可や定期検査を担当した。

 

①の科学技術庁(原子力局)は、一般的にいえば設置許可申請をうけた審査において安全性への審査を避けられないはずである。また②の原子力委員会も任務の一つとして安全基準・指針の策定があり、原発の安全性に関して審査する権限がある。実際、原子力委員会は傘下に安全審査の審議会を設けていた。だが、実際には安全審査はつぎのような理由で十分になされなかったのである。

 

原子力発電所の多くは、民間電力事業者によって設置された。初期の原子炉はゼネラルモーターズ(GE)製、ウエスチングハウス(WH)製などのアメリカからの輸入である。さきに触れた日米原子力協定は、1955年に研究協定の調印がなされ、両者の協力による原子炉設置の新協定が1958年、1968年、1988年に締結されている。現行協定の有効期間は2018年までである。この協定自体「片務」的だが、日本の重電メーカーは、東芝と日立が沸騰水型原子炉メーカーであるGEと、三菱重工は加圧水型原子炉メーカーのWHと技術援助協定を結び、いわばアメリカの企業の下請けとして原子炉ならびに関連技術をえていった。初期の原発開発はアメリカに従属していたのであり、原子力委員会ならびに化学技術庁原子力局の原子炉設置許可処分をはじめとした安全審査が厳格に実施されたとはいえない。端的に言えば、すべてアメリカ任せであった。原子炉の核心部分についてブラックボックスとされていたところも多く、日本側の原子力行政機関は、独自の審査を実施する条件も能力も欠いていたといってもよい。

 

原子力行政体制の見直し-----原子力行政懇談会「最終意見書」

(前略)(1976730日に、原子力船「むつ」の事故を受けて出された原子力行政懇談会の)「最終意見書」は、2つの委員会の役割をつぎのように分けている。原子力委員会は、①平和利用の担保、②原子力基本政策の策定、③原子力安全委員会との相互的調整(計画・予算)、④その他原子力安全委員会の所掌以外の原子力開発の重要事項、を担うとした。一方、新設すべき原子力安全委員会は、①安全規制に関する政策(安全研究の計画を含む)、②安全規制基準およびガイドライン等の策定(放射線審議会の所掌範囲は従来どおりとする)、③安全規制のダブルチェック、④その他原子力安全規制に関する重要事項、を担うとされた。つまり、原発開発計画と安全規制をそれぞれ別個の機関に担わせることを提起したのである。

 

そして両委員会の事務局は、原子力委員会については従来の経験をもとに円滑な運営に寄与すると思えるので科学技術庁原子力局におく。原子力安全委員会については独立の事務局を設けるのが望ましいが、その体制整備に時間を要するから当面科学技術庁原子力安全局(761月設置)におくとされた。なお、原子力安全委員会の委員長は、「専門的な知識を必要とし長期に在職し行政庁と一線を画す姿勢を明示することが望ましい」から、学識経験者とするのが適当とされた。一方の原子力委員会委員長は、従来、設置法にもとづき国務大臣をあてるとされてきたが、これについては懇談会の意見が割れたため明確な方向をしめしていない。

 

「最終意見書」はこうした原子力委員会と原子力安全委員会の二元体制を提起しただけではない。その後の原子炉等の設置許可、安全審査体制にとってきわめて重要な意見を述べた。「原子力安全行政に関する批判の多くが、基本的な安全審査から運転管理に至る一連の規制行政に一貫性が欠けている」ことに向けられているとして、今後は実用段階に達した発電用の原子炉等に関するものは通産省、実用船舶用原子炉については運輸省、試験研究用原子炉と開発段階にある原子炉については科学技術省が、設置から安全規制までの規制権限(設置許可処分等)を一貫して担当することが妥当だとされた。

 

のちにまた詳しく論じるが、(原子力行政懇談会の)有沢座長らは、「追付き型近代化」のなかで通産省が果たしていた「規制」の名による業界の「保護・育成」を、どのように認識していたのだろうか。報告書では、総理府の審議会等として原発の安全審査を任務とする原子力安全委員会の設置を謳った。だが、一方で原子炉等の規制についての規制権限の所管庁を整序するとして、発電用原子炉等の権限規制を通産省に担当させるべきだとした。戦後日本の産業行政は分野ごとに業法を制定し業への参入規制をおこなう一方で、囲い込んだ企業を「保護・育成」するものだった。業界への規制は主として行政指導としてなされたが、肝心の中身は所管庁と業界の「合作」に他ならない。通産省は電気事業法を基本として電力業界との一体性を保ちつつ日本のエネルギー政策を担ってきた。こうした通産省が、はたして電力事業者による原子炉等の設置や運転管理についてきびしく立ち向かうのだろうか。

有沢座長は、当時の日本を代表する統計学者であり日本経済の専門家である。彼が産業行政における官民関係を知らないはずはない。一方で彼は19561月から729月まで原子力委員会委員を務めている。その意味では彼は原子力エネルギー関係の推進派でもある。内閣のもとに「権威ある」原子力委員会と原子力安全委員会の二元体制をつくることによって、通産省の業界行政を抑制しうると考えたのかもしれない。しかし、原子力行政懇談会の「最終意見書」では、その後の原子力行政に禍根を残すものだったといってよい。

 

原子力安全委員会の発足-----初期からのダブルチェックの綻び

(前略)原子力安全委員会の創設は、それまでの原子力開発に欠けていたダブルチェック体制を導入し、原発開発の推進に歯止めをかけうる組織の再編ではあった。だが、さきにもふれているように通産省や科学技術庁などに原子炉の設置から安全審査の第一次審査をゆだねる体制のもとでは、総理府の審議会等にすぎない原子力安全委員会にダブルチェックさせる行政体制に限界があるといわざるをえないだろう。委員会の事務局とされたのは科学技術庁原子力安全局だが、のちに述べるように組織的自立性はきわめて弱体であったから尚更である。

 

相次ぐ重大事故と原子力安全委員会

(前略)三木政権下の原子力行政懇談会は、国民の原子力エネルギー開発への信頼をえるためとして原子力安全委員会の設置を提起し実現をみた。しかし、同じ原子力行政懇談会の「最終意見書」にもとづき科学技術庁は、試験研究用原子炉と開発段階の原子炉の設置許可権限をもった。「もんじゅ」や東海再処理工場は科学技術庁の所管である。その一方で、科学技術庁原子力局は原発の推進政策を立案する原子力委員会の事務局を担う。しかも、「ダブルチェック」をかかげる原子力安全委員会の事務局は同庁原子力安全局におかれた。いうまでもなく、原子力局と原子力安全局は人事に独立性はなく相互に人事異動する。こうした組織体制は「ダブルチェック」に大きな制裁を課す。この組織体制が「ダブルチェック」を形だけに終わらせるために意図的に設計されたのでないならば、「机上の空論」という以外にないだろう。

 

ところが、またもや同一省内、今度は経済産業省に、原子力開発・推進の組織と安全規制のための組織を併存させる「改革」が、2001年の行政改革によって実施された。そこには原子力委員会と原子力安全委員会の事務局を、ともに科学技術庁の部局が担ったことへの総括が欠如していたといわざるをえない。

 

2001年行政改革と原子力安全・保安院の発足

2001年の行政改革は、原子力行政体制を大きく変えた。原子力委員会と原子力安全委員会は、ともに科学技術庁のもとを離れ、新設された内閣府の「審議会等」とされた。原子力委員会の委員長は国務大臣とされなかったが、内閣府内には原子力開発の推進組織と安全規制組織が併存することになった

 

くわえて、2001年行政改革による原子力行政体制の重要な変化は、経済産業省に原子力安全規制権限の大部分を集中させ、それらのミッションを効果的に遂行するためとして原子力安全・保安院を新設したことである。マスコミが大々的に報じたように2001年の行政改革は中央行政組織体制の大規模な編成を図った。総務省、国土交通省、厚生労働省といったように省庁の合併が実現をみた。こうしたなかで通産省は、戦後復興・高度経済成長のすぎさるなかで存在証明を問われながらも、経済産業省と名称を変更しほぼ「無傷」で残った。それだけではない。資源小国のエネルギー安全保障の追求をあらためて省のミッションと位置付けた。そして、外局である資源エネルギー庁の内部再編を果たすとともに、同庁のもとに「特別の機関」(国家行政組織法八条の三)として原子力安全・保安院を新設した。

 

この省庁再編にともなって科学技術庁は文部省に併合されて文部科学省となった。文部科学省は試験研究炉の安全規制、放射線防止、環境モニタリングを担うとされたが、原子力開発の安全規制の大部分が経産省に集中することになった。すなわち、経産省は核燃料の製錬・加工、原子力発電所、発電用研究開発段階炉、使用済み核燃料の中間貯蔵、再処理、廃棄物の埋設・管理に関する許認可権限をもつことになった。行政処分行為の最終決裁権者は経済産業大臣だが、これらの規制行政は原子力安全・保安院が担う。

 

原子力安全・保安院は、原子力エネルギーの推進部局である資源エネルギー庁の「特別の機関」とされた。「特別の機関」とは行政組織法上、省の外局に準じる組織とされる。したがって、原子力安全・保安院は経産省の外局である資源エネルギー庁よりは「格下」の組織である。だが、そのような行政組織上の区分はともあれ、実際には職員(官僚制幹部)のあいだに身分的格差があるわけではない。

 

原子力安全・保安院は原発の安全規制のみではなく、通産省時代から引き継いだ高圧ガス、都市ガス、液化石油ガスなどの安全対策も担ったが、名称が象徴するように原発の安全規制が最大の任務だった。約8000人の職員のうち原発安全規制に係る職員は300人であった。また全国21カ所の原発や原子力施設に原子力保安検査官事務所をおき、原子力保安検査官や原子力防災専門官が1人から9人常駐した。だが、これらの職員は技術系のノンキャリア組であって、院長・副院長、幹部職は経産省のキャリア官僚組だ。彼らは経産省本省、資源エネルギー庁などを異動していく。およそはじめから原発の安全規制について独立性の高い組織ではない。それでも橘河武郎・武田晴人「原子力安全・保安院政策史」が述べるように、院長はスタートにあたって「自主・独立」の精神でミッションを遂行するよう訓示しており、それなりに新組織には原発の安全規制について意気込みがあったともいえよう。

 

とはいえ、原子力安全・保安院のスタートから10年後の東電福島第一原発のシビアアクシデントが雄弁に物語るように、推進側と「同棲」するような組織体制のもとで原発の安全規制というミッションの遂行が自覚的に追求されたとはいえないだろう。しかも、原子力安全・保安院は発足とともに、本体である資源エネルギー庁の不祥事の始末に追われるのである。

 

東電による原発損傷隠しと資源エネルギー庁、原子力安全・保安院

(前略)こうした電力会社との「密着」が根本からただされないなかで、電力会社や機材メーカーの出資でつくられた財団法人原子力発電技術機構を母体として、2003年に独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)が設立された。これは2002年の東電による損傷隠しを見抜けなかった「反省」に立って、原子力安全・保安院とは別個に原発の検査や安全性の評価をおこなう組織として設けられた。だが、3.11シビアアクシデントにいたるJNESと原子力安全・保安院との関係について、「福島原発事故独立検証委員会 調査 検証報告書」は、JNESと原子力安全・保安院の能力格差が大きく、前者がつくった基準を後者が安全規制に反映させることができなかったとしている。それもある意味では当然である。通産省は1978年に原子炉の設置許可処分権限が移って以降、電力会社に安全規制検査を「下請け」させていたのだから、資源エネルギー庁そして原子力安全・保安院に検査のノウハウや、それをもとにする安全規制の政策能力が蓄積されるはずもないのだ。

 

「シビアアクシデントは起こりえない」

一方の原子力安全規制組織である原子力安全委員会は、いかなる状態にあっただろうか。右の「福島原発事故独立検証委員会 調査 検証報告書」が詳細に描き出したように、原子力安全委員会は、多くの専門審議組織を設け安全審査などのあり方に検討をくわえた。そこには多数の専門家が動員されたのだが、それぞれの審議組織の人数が多かったことにくわえて、それらはミクロ的な部分的安全規制にエネルギーを注入した。原子力安全委員会は、この分散的な審議組織の活動を統括し、一定の指針をだす能力を欠いていたのだ。しかも、これは原子力安全委員会のみの責任とはいえないが、原子力安全委員会はスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故を経験しつつも、原発のシビアアクシデントが起こりうることを基本認識とした、回避の方策の検討、さらには万が一発生したときの重層的な対処方針の検討を試みることははかった。

 

たとえば、原子力安全委員会は、1981年に「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」(旧指針)を定め、設計用限界地震の規模をマグニチュード6.5とした。だが、19951月、阪神・淡路大震災が発生した。原子力安全委員会はこれを機として指針の見直しを図るとしたが、新耐震設計審査指針に「改訂」したのは、実に11年後の20069月だった。(中略)この新耐震設計審査指針は、原子力安全委員会の原子力安全基準・指針専門部会耐震指針検査分科会がおこなった改訂作業にもとづく。だが、脱・反原発市民運動や専門家からは、分科会の委員の過半数が電力会社の業界団体である日本電気協会の委員を兼務しており、電力会社の意向をうけて既存の原発が一基たりとも不適合にならないように設計されたものと批判された。原子力安全・保安院は原発事業者に旧指針によって設置された原発を新指針に照らして再評価(耐震バックチェック)し報告するように指示した。原子力安全委員会も耐震バックチェックを事業者にもとめた。だが、国会事故調査委員会が詳細に検討し明らかにしたように、事業者の耐震バックチェックは、「中間報告」の水準にとどまり精緻さを欠いた。原子力安全委員会もそれを黙認した。こうして3.11は悲しいかな原子力規制機関への批判を「実証」したのだ。

 

何が問題であったのか

これまで1956年の原子力委員会の設置から76年の原子力行政懇談会の「最終意見書」をもとにした、78年の原子力委員会と原子力安全委員会への分割、さらに2001年行政改革による原子力安全・保安院の設置を概観してきた。またこの行政改革において原子力行政の規制権限がほぼ経産省に一元化されたことを述べた。

 

原子力安全委員会と原子炉設置等に権限をもつ規制行政庁(原子力安全・保安院や文部科学省など)との関係は、法的かつ組織的に図1-1のように描かれる。だが、2001年行政改革によって一段と顕著になったのは、原発の設置許可・安全規制の中心行政が「産業行政」の総本山ともいうべき経産省であり、国策民営の原子力発電の安全規制を担うとされてながらも、「規制」であるのか「保護」であるのか判然としない体制が構築されたことだ。しかも原子力安全・保安院の独立性は人事ひとつをとりあげても著しく低かった。一方の原子力安全委員会は内閣府の審議会等とされたが、内閣自体が原子力開発を国策と位置づけているのであり、「ダブルチェック機関」とされつつも、これまた政権からの「独立性」は高くない。委員は当然のことだが原発に異を唱える学者ではない。原子力安全・保安院そして原子力安全委員会はその傘下に電力会社および業界団体の技術者や原発推進の研究者を多く抱え込んでいたのだ

 

要するに、原子力安全・保安院も原子力安全委員会も、ブレーキとしては体裁ばかりであり、性能は「欠陥部品」に等しかったのだ。これらの規制機関は政権(政治)からの「独立性」が低いのはもとより、原発事業者やその周辺専門家からの「自立性」もまた低かった。規制行政機関が「規制対象事業者らの虜」となったというよりはむしろ、事業者や周辺の専門家を囲い入れ、「円滑」な行政を指向したのだ。したがって、組織体制としてみれば、原子力開発のダブルチェック体制は存在したが、それは実質をともなうものでなかったといってよい。3.11東電福島第一原発のシビアアクシデントは、起こるべくして起きたといえる。(後略)

(原子力規制委員会---独立・中立という幻想②に続く)

おしどりマコ&ケンの日本一詳しい原発トーク

先日(429日)、おしどりマコ&ケンという吉本エージェンシー所属のお笑いタレントのトークライブに行ってきました。と言っても、お笑いネタを見に行ったのではなく、原発についてのトークライブです。実はこのおしどりマコ&ケンというお笑いタレントは知る人ぞ知る、原発問題に詳しいお笑いタレントなのです。しかもおそらく、原発問題全般の総合知識としては日本一詳しいと思われます。

 

そして私は実際に講演を聴いてみて驚くほどの情報量に圧倒されました。原発のいろんな角度からの知識量が豊富なのです。また、ただ原発に関しての情報量が多いだけでなく、一応(笑)お笑いタレントなので爆笑付きで話を聞けるのです。なので今日はその429日に私の地元、神奈川県大和市で行われたおしどりマコ&ケンの講演内容をここに記したいと思います。但し、ほぼ私の速記と記憶のみで書いたので若干の聞き違い・書き違いがあると思われること、私の時間の関係上、おしどりマコ&ケンのおもしろみのある言葉遣いやニュアンス及びケンの相づち等はほとんど省略してあります。ご了承下さい。

※小題のタイトルは私がつけました。

※マコ、ケンの表示がない「品川プリンスも電力会社と仲が良かったのか?」以降の文は全てマコのトークです。

 

(トークここから)

 

反原発の報道をすると圧力がかかる

マコ:はい、みなさん、湿きった部屋に来て頂いてありがとうございます。

ケン:窓とかあればよかったのにね。

主催者の人:(照明の関係で(マコの)顔が見えない。

マコ:あぁ、顔はいい、声だけ聞こえれば。

ケン:マコちゃん、マイク。

マコ:そうそうマイク、あっ、でも声でかいからマイクあっても一緒か。

ケン:そだね。

マコ:私たち2011年から原発事故のこと調べているんですけど、私たち事故のすぐ後大阪(大阪吉本)から東京(東京吉本)へ行ったんですね。

ケン:そうそう。

マコ:それで日テレの報道番組で1時間の枠で原発についての番組で出演依頼がきたんですね。

ケン:そうそう。

マコ:ところが吉本がそういうのは嫌がるんですね。また、TV局もいろんなところから圧力があって(原発を否定する)番組をするのは大変なんですね。だからTV局もいろんなところと闘わなくてはならないんですね。それでいろんなところと闘って番組制作をするところまで行ったんですけど一番闘ったのは吉本だったんですね。そんな番組に出させるわけにはいかないって。それでTV局がどう吉本を説得したかっていうと、「大丈夫です。放送するのは日曜の深夜(AM1:00~)だから誰も見ませんので」って言ったら吉本が「じゃあ、いいか」となって説得したんですね。

 

事故当時、電通の東京事務所は大阪に移転していた

マコ:だけど事故当時よくTVCM流れていましたよね。「(放射能について)東京は大丈夫」とか言って。ACジャパンとか。でもそのACが関西へ事務所移転したってどういうこと?って思ったんですけど。

ケン:そうそう、アンフェアだよね。

マコ:これ私調べなんですけど、芸人とかミュージシャンとかマスコミ関係の人たちが東京から脱出して関西とか沖縄とかに行ったのは(3月)12日の午後からなんですね。そんな中で私たちに、11日に仕事の依頼が来て「CMのオーデションに行ってくれ」って吉本から連絡があったんですね。私、東京はすごいなって思ったんですね。こういう余震がバンバンきてるときに東京のマスコミは仕事するんかい、って。

それでオーデションに行ったんですけど私、荷物かかえて3日分のパンツ持って行ったんですね。(ここでその荷物の写真が映し出される)って言うのは私、阪神大震災も経験しているんで地震が怖いって思ってて、当時地下鉄とかも全く信用してなかったので3日分のパンツもって3日かけてオーデション会場に行ったんですね。でもCMって言っても顔が出るわけじゃなくて魚を焼くクッキングペーパーのCMで、その焼かれる魚の気持ちになって焼かれてる時の声をやってくれってことでオーデションに行ったんですね。

ケン:そうそう。

マコ:それで17日にオーデション会場に向かったんですけど、この1217日の間って3号機の爆発とか爆発がいっぱいあったじゃないですか。だから本当にこんな状況でオーデションするのかなって思ったんでD2(電通)に電話して聞いたんですよ。あのD2(電通)ですよ。そしたらD2の人が「あれ、聞いてなかった?うち、事務所大阪に引っ越したんですよ。予定変更したんだよ」って言ったんですよ。それって(その引っ越し先が)吉本の裏の淀川やないかい!って思ったんですけど。でも芸人もそうで私の先輩の芸人さんも自分だけ東京に残って家族は東京を脱出させた人たちがたくさんいたんですね。こういう話をすると「(一般の人たちは)知らなかった」ってよく言われるんですけど。

 

品川プリンスも電力会社と仲がよかったのか?

それでこの時期に品川プリンスホテルで私たちを前面に出した(おしどりマコ・ケンの子供のファンをターゲットにした)催しを行う予定だったんですけど、この催しが、私がアコーディオン弾いてケンちゃんがハリがねを曲げる、っていう初めて聞いたらよくわかんないものなんですけど(このときその映像が映し出される)。でも私たち思ったんですね。こんな時に、いろんな人たちが東京から脱出して(させて)いる時に私達はその東京の品川に人を集めて催しなんかやってていいのか?って思ったんですね。それで私たち品川プリンスの主催者の人に言ったんですね。

「すみません。今度の催しで今日本で起きている原発についての現状を話してもいいですか?」って。そしたらその人は、「何言ってんの?」っていう顔をしたんですよ。どうも(品川プリンスも)電力会社となかがいいようで。それでそれはあきらめたんですけどそれで何ができるか考えたんですよ。そしてこの催しは最後に子供たちに私達の「特性電子の羽」っていうのをあげる予定だったのでそのとき一緒に私達が調べたことを書いたものをそのお父さんお母さんに渡して、「読んでください!」って言ったんですね。

 

事故当時の放射性物質の流れ

事故当時まず12日に放射性物質は北方向へ流れます。15日には関東に流れます。次の日の16日に今度は北西方向へ流れます。17日に山梨方面へ流れます。こんな感じで関東を含む大部分の上空を放射性物質が流れます。

 

それでこの放射性物質は10日で地球を1周するそうです。雨が降らなければ。それで私たちドイツに招待されたんですけどブランシュバリク(?)という所で放射性物質の測定結果を確認したんですけど(3月の)1314日のこのブランシュバリクでは放射生物質のピークを迎えました。このときにチェルノブイリ事故のときの約半分の量がドイツのブランシュバリクでも放射性物質が測定されました。もちろんチェルノブイリは距離が近いので多いのはあたりまえなのですけど福島原発事故の際もかなりの量の放射性物質がドイツにも流れました。

 

籠池夫妻について

私たち籠池夫妻が家宅捜索された4日後に籠池夫妻の自宅に行ったんですね。それでどんな人かと思って話をしてみたんですけど特別に右寄りの人、というよりは何かいい話があるとすぐにしかも強烈にそれにはまってしまう人みたいなんですね。私たちも「教育勅語を自分の学校の小学生に暗唱させるってどうなの?」って思ってたんですけど、特に右寄りの思考で凝り固まったという人でもないんですね。

 

だからその時は精神的にまいっていたってこともあってスピリチュアルにはまっていたんですね。たぶん人からすすめられて、以前の日本会議のようにスピリチュアルも「すばらしい!」と思ってどっぷりはまっちゃっていると思うんですね。そういうなんか簡単に影響されちゃう、ってところがあるんですね。最近籠池さんがもらった名刺を見せてもらったんですけど、「弥勒菩薩」とか他の神様の名前の名刺が多かったのでおそらくその人たちにスピリチュアルをすすめられてはまっちゃっていると思うんですね。

 

それで今は、以前に山本太郎さんとか福島瑞穂さんとかを日本会議に言われるままに、「あいつらはとんでもない連中だ!」と怒っていたんですけどその時には「会ってみるとすばらしい人たちだった」と言っちゃってるくらいなんですね。

 

また、奥さんの諄子さんはとても起伏の激しい人で私たちが訪れた時にはやっぱりかなり落ち込んでて、「逮捕されたらどうしよう」とか言って落ち込んでたかと思うとすぐに「いや頑張って闘わないと!」と言って急に意気まいたり、するとまたすぐに、「でもどうしよう」と言って落ち込んだかと思うと急に、「でも頑張らなくちゃ!」って意気まいてすごく起伏の激しい人なんですね。それで私にどうしたらいいか聞いてきたので、私以前、「逮捕された時はどうすればいいか!」っていう催しをやったことがあって、そのときに逮捕された経験のある人たちに「何回逮捕されたんですか?」とか質問したこともあったので少しは詳しかったので、諄子さんに「逮捕された時は被疑者ノートを作った方がいいですよ」ってアドバイスさせて頂いて、それを弁護士さんとかに見せてしっかり対策をした方がいいですよってアドバイスさせて頂いたんですね。そしたらその数日後に実際に籠池さんたちは逮捕されたんですけどその時の報道を見て私驚いたんですね。その報道では、「籠池氏、被疑者ノートを持って取調室へ向かう」って字幕が出て実際に籠池さんが被疑者ノートを持って取調室へ向かう籠池さんの映像が映し出されているんですね。私は籠池さん、不器用な人だなぁって思っちゃいましたよね。

 

また、家宅捜索自体にも籠池さん本当に怒ってて、「あの人たち何から何まで持って行ったのにこの本(安倍晋三励賛本2冊)だけは持って行かないのよ。この本にはこのように昭恵夫人のサインも書いてあるのよ!」って言ってたんですけど本当に何から何まで持って行ってて食器皿まで持って行ったんですよ。だから私たちはその時籠池さん宅に出入りしていたさっき言った「弥勒菩薩」の人がつくった食事を紙皿において食べさせてもらったんですよ。その時は弥勒菩薩の人が籠池さんの食事をつくっていたみたいなんですよ。

 

マスコミの昭恵夫人報道は足立区のママから始まった

私、足立区の(たぶんスナックの)ママとよく会って話すんですけどその人が私に相談してきたので私は「なんでも徹底的に調べて世界一調べたらすごい力が身につきますよ」ってアドバイスしたんですね。そしたらママは昭恵夫人について徹底的に調べて昭恵氏の過去5年間の履歴をほぼ完ぺきに調べ上げたんですね。もうそれはすごいもので昭恵夫人の過去5年間に関わった人物を全員調べ上げて、グーグルの顔認証ソフトまで使ってその人物を特定して昭恵夫人の過去5年の履歴を完全に調べ上げたんですね。そしたらそのママのところにマスコミの人たちがわんさか取材に来るようになってそれを手始めにマスコミの人たちが昭恵夫人について報道するようになったんですね。ですから何事も自分で徹底的に調べる、という行動はとても大切なんですね。

 

記者会見について

私たち2011年から今までず~っと東電の記者会見に行っているんですけどよく「どうすれば記者会見に行けるんですか?」って聞かれるんですね。でも簡単な話で、「堂々としていれば会見場に入れます」って答えています。記者っていうのは別に国家試験を通って資格をとることが法律で決められているわけではないですし、記者の皆さん全員そうですよね。何ら私たちとかわらないわけですよね。だから私は「堂々としてれば記者会見場に入れます」と答えています。

 

でもその東電の記者会見に来る記者さんも回を追うごとに減ってっているんですね。はじめのうちは100人くらい来てたんですけど最近はだいたい10くらいしか来なくなったんですね。ひどいときは私たち以外に3人しか来ないっていう時もあったんですね。東電の記者会見だけではなくて私たち規制庁とか警察庁の記者会見なんかにも行っているんですけどみんなそうなんですね。

 

また、来る記者さんたちも社内の配置転換で移動になるのでず~っと継続的に来ている人っていうのは1人もいないんですね。私たちおしどりだけなんですね。ず~っと来てるのは。だから私たちが一番東電について詳しいんですよ。それだけではなくて東電の記者会見で発表する人たちも代わっていて発表する内容が以前の人と違うことを言ってたりするんですね。この前も発表する人が間違ったことを言っていたので「今のところ以前の人が話してたことと違うことを言ってたんですけど間違ってますよね。何なら私はその時の議事をとっているのでここで今言いましょうか」って言うと、「いえ、マコさんの言う通りです」ってあっさり認めて自分で調べようともしないんですよ。また、発表する人が「この数値は確か20%か25%だと思うんですけど確か20%だと・・・」と言って私の方を見るので私が首を振ると、「いや、25%だと・・・」言いかけて私の方をまた見るんですね。それで私がうなずくと確信を持った様で、「この数値は25%です」と言ったりするんですね。もう東電の記者会見ってそんな感じになっているので東電の都合のいいことばかり言って歴史の改ざんが行われているんですね。

 

福島県民健康調査検討委員会について

福島県が主催して行っている「県民健康調査検討委員会」というのがあるんですけど私たちはその会場に行こうと思って問い合わせたら、実はこれが非公開、つまり密室で行われていてオープンにされてなかったんですね。なんで「そうかぁ やってないのかぁ」って思っていたらいつの日か、福島県の地元紙「福島民報」とか「福島民友」にプレスの公表したこと以上のことが書いてあったんですね。それで私たちは福島県に問い合わせたら、担当の人が「公開はしていないんですが委員会会場から委員の人たちが出てきたときにマスコミの人たちがその委員の人たちを取り囲むようにしていろいろ聞く、まあいわゆる「ぶら下がり会見」ってやつなんですけどそれをやっているからそれによる情報だと言うんですね。なので私たちもそのぶら下がり会見に行きたいので今度行われる委員会の日時を教えて下さい、って言っても特定の記者以外の人たちは行けないことになっている、って言うんですね。なので私は「分かりました。じゃあ私が勝手に行きますから日時を教えて下さい」と言ったら「そういわれても私の一存で教えることは出来ないんですよ」というので私は「そうですよね。あなたの口から何時いつ行います、とは言えないですよね。じゃあ私が日にちや週をいうのであなたはそれに対してその日・週は熱いか寒いかのどちらかを言ってくれればいいですから」というと、「いや、その熱いとか寒いとかも言えないんですよ」と言うのでそれから私は何度も電話して「この日は熱いですか」「この週は熱いですか」って聞いたんですよ。でもいつも「その日は寒いんですよ」「この週も寒いんですよ」って言うんですね。そうしているうちにあるとき向こうから電話がかかってきて「良かったですね、〇月〇日はようやく熱くなりました」って言ってきたんですよ。どういうことかと言うとその日は第4回目の委員会だったんですけどその4回目から公開されるようになったということだったんですね。

 

それで私たちはその4回目から今までづ~っと行っているんですけど東京から来ているのは私たちだけなんですけど来ている人数は回を追うごとに増えていて、この委員会だけは他の記者会見と違っていて増えているんですね。はじめのうちは発表する人がすぐ目の前にいるくらいの感じだったんですけどこの写真のようにいまでは彼方遠くに見えるくらいになるまで増え続けているんですね。

 

それでこの委員会は福島県民のがん検査の結果を発表するわけですけどまず1次検査があってここでA:問題ない人、B:ガンの可能性あり、C:ガン患者 3つに分けられてこのBとCの人が2次検査を受けることになるんです。そこでCの人は再度検査をして悪性のガンが発見されれば手術を受けることになるんですが問題はBの人で、このBの人の何割かは2次検査で再度、可能性あり、つまりガンと確定できないが可能性があるということになりこの人たちはA評価の次回の検査ではなくて通常診療というものを受けるようになるんですね。これはこの検査は福島県立医科大学で行われるわけなんですけどそうでない、他の病院で「通常診療」として診療を受けることになるんです。ところがこの通常診療を受けて「悪性のガン」と判定されて手術を受けることになってもこの分は公表する、手術を行った人数分に入れてなかったんです。そんなことはそれまでマスコミで全く報道されなかったことでこの検討委員会で初めて公表されたんです。この時は当然いろんな批判が飛び交いました。それでなぜこの通常診療で手術を受けた人を手術した人数に入れてなかったのか? といった批判が多く飛び交いました。ただこの委員会以降の検討委員会では来ていた記者のその担当としての任期が切れて新しい記者がこの検討委員会に来るようになるので、それまでの過程をよくは知らないゆえにこの委員会の発表することに対する異論も少なくなっていってしまったわけなんですね。

 

また、これは10代の女性に多いんですが、福島県立医大で手術を受けない人がいるんですね。つまり他の病院で手術をするわけですがなぜかというと、実は福島県立医大というのはこういったガンの摘出手術の経験があまりなく、うまく摘出手術が出来ない可能性があり、その場合大きな傷跡が残ってしまうからなんです。だから10代の女性を中心に他の病院で手術を受けるわけですが実はこの人数も手術をした人数に入れてなかったんですね。

 

それでなんでその人数に入れないのか? 問いただしたら福島県立医科大以外で手術をした場合はその福島県民健康調査としての手術ではないので人数に入れなかった、というよくわかんないことを言うんですね。

 

全国ガン登録について

今までの福島の人たちのこの健康調査をこれから2016年から始まった全国ガン登録に登録しようとする話が今出ています。つまり放射線による福島の人たちの健康調査、といより全国一律にガン患者として扱うことを意味していると思います。そしてこのガン登録は情報開示請求は認めないとされています。個人情報の保護のためということですが今、マイナンバーカードと保険証を一緒にしようという話もでています。つまり福島の放射線によって被害を受けた人たちも含めて政府がガン患者の情報を一括して管理しようというものです。(私は)やはり(マイナンバーカードの目的は)こういうことだったのかなぁと思います。

 

福島の農家の人たちの放射線対策は無いに等しい

よく復興だとか福島の農作物を安全にしようとか今まで国はよく言ってきましたよね。ですが仮に福島の農作物を安全なものにしたとしてもそこで農作業に従事している農家の人たちの健康被害はどうなんだ?っていう問題があるわけですよね。これは福島の農家の人たちや農民連の人たちもず~っと言い続けているわけです。汚れた土を触って農作業をしているわけですから。政府は今まで土壌に入ったセシウムは上からカリウムを撒けば農作物には影響ない、と言ってきたわけですけどこれは「スイヘイリイベイ・・・・」っていう化学表ありますよね。あの表でセシウムとカリウムは縦軸の関係だからカリウムはセシウムを抑えることができる、というわけです。でもじゃあその土を触って農作業をする福島の人たちの被ばくはどうなの?っていう問題があるわけです。そういうことを福島の農家の人たちは2012年からず~っと言っているわけです。

 

この労働者の放射線被ばくについての規制は電離則(電離放射線障害防止規則)というものがあるんですけどこの電離則よりも福島の農家の人たちに対する規則はあまい基準なんです。電離則では40000/1㎡ベクレル以下に放射性物質を抑えることになっているのですが福島の北部では176000/1㎡ベクレルある農地もあります。2016年の最高値はなんと700000/1㎡ベクレルにもなるんです。だから福島の農家の人たちは2012年からず~っとせめて電離則と同じ基準にしてくれ、と厚労省に言い続けています。ですが厚労省は断り続けているので福島の農家の人たちは厚労省はあきらめてつい3日前の426日に農水省に懇願したんです。

 

なぜ厚労省が福島の農家の人たちが望む電離則の基準を拒むかというと、電離則と言うのは放射線を受ける事業に携わる事業者に対する規則であって、農家の人は事業者ではなく、自営業者だからダメだというんです。

 

じゃあ福島の農家の人たちに対する規則はどんなものかというと、これはJAEA(日本原子力研究開発機構)が決めたものなんですけど、「農作業における放射線と健康対策」というものなんですけど、

・放射線は家や農地には比較的少なく、その間の道に多い。だからその間の往復は歩くのではなく小走りに走るか息を止めること。

・家にいる時は、1階よりも2階の方が放射線量が高い。だからなるべく1階にいるように。

そして1階にいるときはなるべく窓のない部屋にいるように。

・もし2階に居る場合はなるべく押し入れの中に居ること。

・土ホコリを被ったら鼻をかみ、うがいをすること。

・長袖を着ること

・水道水は飲まない

などです。ひどいですよね。こんなのをJAEAはつくって福島の農家の人たちの放射線対策としているわけです。これを知った福島の農家の人たちは当然怒って、「水を飲むなって夏場は熱中症になれというのか!!」など怒りの声をあげたわけです。こういうものをJAEAはマニュアルとしてつくっているわけですがこのマニュアルには「セシウムは無くならない。だから共存するもの」などとも書いてあるわけです。

 

しかもですよ、こういったJAEAがつくったマニュアルがある、ということを農民連も福島県も長い間知らなかったんです。そしてこのマニュアルは18歳以下は対象ではないんです。なぜかというと「18歳以下は農業に従事しないから」とJAEAは言っているのです。

 

汚染水除去作業による放射能被ばく

汚染水は400/1日出ています。その汚染水は専用のタンクに溜められているわけですがこのタンクが20122013年にかけて漏洩しました。このタンクは溶接ではなく、フランジナットで継ぎ目をつないでいるのですがこれが放射線で弱ってしまったんですね。それで新しいタンクをつくり、そこに汚染水を入れ替えたわけです。この際ポンプで汚染水を汲み上げるわけですがタンクの底部に少し汚染水が残ってしまうわけですね。で、これをどうするかというとなんとタンクの中に人が入って拭き取るんです。実は福島第一原発の敷地内で(人が作業に携わる場所で)このタンク内が一番放射線量が高いんです。こんな場所で人が入って作業をしているわけです。そしてこのタンク内は格子状になっているところがあるんですがこの格子のネジを拭く人が一番被ばくするんです。

 

それでもともとICRP(国際放射線防護委員会)は原発敷地内で人が作業する際の被ばく線量の最大値を150ミリシーベルト/年としていたわけですがその値を2011年にソウルで行われた委員会で100ミリシーベルト/5年に下げたんです。これはソウル声明と言われてるんですけどなぜ下げたかというと、目の水晶帯が被ばくして白内障が起こる線量の基準がだいぶ低いと分かったからなんです。このソウル声明を日本と同じ原発大国であるフランスはちゃんと取り入れて規制を強化したんです。ですが日本はその基準を変えることなく今までやってきてるんです。だから今福島第一原発敷地内で20ミリシーベルト/1ヵ月の被ばくをしている作業員もいるんです。それでなぜソウル声明を取り入れないのか?を東電に聞いてみると東電は「法律上問題ないから取り入れてない、法律が変わったら取り入れる」と言ったんです。このソウル声明をめぐる国内の議論は去年の2017年に始まって2019年から取り入れることが決まっているんです。つまり東電はそれまでは150ミリシーベルト/1年の基準で作業させる、と言っているんです。しかもここ最近、上述のタンク内の残った汚染水を拭き上げる作業員が急激に増えているんです。つまり2019年に法律が変わるまでに作業員に作業させられるだけさせようということなんです。

 

国の放射性廃棄物対策について

廃棄物もどんどん溜まっています。それで当然それを処理する処分場が必要なわけですが、その中間所蔵施設として福島を含む6県が候補にあがっています。そのうちの福島県だけが中間貯蔵施設の受け入れを引き受けました。これは第一原発の敷地の周辺につくられることになっていますがこれを福島県はあくまで中間貯蔵施設で、最終処分場にはしないということを、釘を刺した上で引き受けました。なので引受期間は2030年までで、それ以降はどこか他の場所にその廃棄物を移す、とされています。ですがこの2031年からどこか他の場所に移すのは引受先がないので不可能なんです。で、国がやろうとしているのはどこかに移すのではなく、再利用することなんです。例えば福島県の二本松市においては道路の下に放射性物質の入った土を埋めることを国は考えているんです。ですが二本松市はその説明は受けていないんです。

 

また、移す場所がないからその土を土壌として使うことも国は考えているんです。つまり公園の緑地や住宅地の土壌として汚染された土の上にそうでない土を盛り土して土壌をつくることを考えているんです。しかしこれは法律的にできないんです。というのは、法律の基準は100ベクレル/k㎡以下でないと公の場で再利用することはできないことになっているんです。そして例えば、南相馬市の汚染土は8000ベクレル/1k㎡にもなるんです。だから環境省は数千ベクレル/1k㎡の汚染土を再利用してもいいという新概念をつくりました。つまり環境省が法律違反の概念を持ち出してきたのです。実際に環境省は3000ベクレル/k㎡の汚染土をそういった土壌として使う実験を行おうとしています。このようなことは世界中を見ても前例がないことなんですがそれを環境省は行おうとしているわけです。

 

ドイツ人の政治に対する認識の高さ

私たちは国際会議に招待されてよくドイツに行くんですが本当にドイツ人の原発に対する認識の高さに驚かされるんです。私たちはよく学校に講演をしに行くのですが、講演が終わって教室を出ると学生に囲まれて質問攻めにされるのですが、

「福島第一原発事故の原因は津波ではなく地震だと思うのですが?」

「本当に非常用電源設備が津波にのまれたから原発事故が起こったのですか?」

などの質問をされます。つまりドイツの人たちはこの学生(中学生・高校生・大学生)も含めて一般の人が日本の国会事故調査報告書や政府事故調査報告書の英語版を読んでいるんですね。農家のおじちゃんやおばちゃんも含めて。また、こんな質問もされます。

「NHKの(籾井)会長は大丈夫か?」

これは、ドイツには公共放送がいっぱいあって、その中には左寄り、右寄り、リベラルなどいろんな偏向をもったマスメディアがたくさんあってその中でドイツの人たちは自分の好きなものを選んでいるんですね。だけど日本はNHKの1つしかない。なのに「あんな(籾井)会長で大丈夫なの?」と質問するわけです。こんな質問もあります。

「日本の報道はどうして政府寄りなのか?」

つまりドイツでは政府寄りの報道はあり得ない、ということです。これと関連したこんなことも言われました。

「日本の報道関係者が首相とごはんを一緒に食べる、っていうことを聞いて私はすぐに日本の報道は政府寄りだと分かりました」

つまりドイツでは報道関係者と首相が食事をするなど絶対にあり得ないし、記者会見の時に出されたコーヒーでさえ記者は手をつけないんです。そんなドイツ人から見たら当然そう思うわけです。そしてこんなことを言う高校生もいました。

「私はこの政党を支持している」

なので私はまだ若くて選挙権もないのに素晴らしい、といったことを言ったらこの学生にこう切り返されました。

「何で?日本人は選挙権を持ってから支持政党を選ぶのか?」

そしてこうも言われました。

「私たちは第二次世界大戦時にナチス政権を選んだ。当時のドイツはそういう雰囲気だった。だからみんなナチス政権を選んだ。そんな過ちは絶対に繰り返してはいけない。だから私はたとえみんなと意見が違っても、最後の一人になっても声を上げ続けるんだ!」

 

(トークここまで)

 

このおしどりマコ&ケンのライブトークは61日(金)に神奈川県海老名市でもやります。原発の話ですが笑いながら原発に詳しくなれると思いますので良かったら足を運んでみて下さい。


mako

東電原発裁判③

(東電原発裁判②の続き)
6 残された課題

 

23号機の炉心溶融は防げたのか?

福島第一原発の23号機において、実は炉心溶融を防げた疑いがある。つまり事故後に処理を誤ったゆ東電原発裁判2えに炉心溶融が起こった、ということだ。もし事故後すぐに非常用冷却設備を使用するなどして原子炉の減圧及び冷却を適切に行っていれば炉心溶融はなかったということだ。社会技術安全研究所を主宰する田辺文也氏は、「東電はSOPに則った事故処理をしたがその前に行うべきEOPを軽視したために23号機の炉心溶融は起こった」と指摘した。東電には事故処理時の「事故時運転操作手順書」といものがあり、それには、

AOP:事象ベースのもの

EOP:徴候ベースのも

SOP:シビアアクシデントに対応したもの

3つがあり田辺氏は、本来はまずEOPすなわち、高圧で原子炉に注水する系統が機能している間に時機を得て低圧で原子炉に注水できる系統を起動し、その後原子炉を減圧することで原子炉注水を継続でき、23号機の炉心溶融は防げた、と言っている。

 

一方、当時の福島第一原発の所長であった吉田昌郎氏は、政府事故調の聞き取りに対し、「手順書というものはあるが全交流電源が喪失したので即シビアアクシデントに対応したわけであります」といった旨のことを言っている。つまり田辺氏は、東電がEOPの手順を疎かにしたから炉心溶融が起こったとし、吉田氏は全電源が喪失したのだからEOP(非常用電源装置を起動させるなど)をどうこうする余裕などなく、始めからシビアアクシデントとして対応する以外にはなかった、と言っているのだ。現時点でどちらの話が本当なのかは分かっていない。


甲状腺がんの広がりについて

原発事故によって放射性物質が福島を中心に東日本中に拡散されたわけであるから子どもなどに甲状腺がんの発生が懸念されている。福島県「県民健康調査」検討委員会が20163月に出した「県民健康調査における中間取りまとめ」によれば、全国平均の数十倍のオーダーで甲状腺がんが発見されている。だがこの数字をこのまま甲状腺がんの数と確定ができない。なぜならスクリーニングによる調査は悪性でないがんも甲状腺がんも一色他にがん細胞として発見するので従来からがん細胞を包含している人体において、それが甲状腺がんと確定が出来ないのが現状だ。

 

しかし福島県において、明らかに甲状腺がんが認められる子どもはいてその数は全国平均を上回っている。また、検査時には発症していないが、それから数年経って発症するケースも考えられるので、現時点で言えることは、福島県における甲状腺がんが発症している数は全国平均を上回っていて、それが原発事故の放射性物質によるものかはあと数年は経過した段階で検査しないと分からない、ということである。

 

福島県の責任

原発事故の責任追及は東電と国に視線が集中しがちだが福島県にも責任はある、と言わざるを得ない。原発事故のとき、福島県の放射線モニタリングポストは計24ヵ所あったのだが事故により1カ所しか機能しなかった。これは事故によるものだから仕方がない、とは言い切れない。実は新潟中越沖地震のときも柏崎・苅羽原発の放射線監視用装置が故障し、地震直後から見れなくなった。この地震から4年も経過しているのに福島県はそれに対する対策をとらなかった、ゆえに事故後、機能しなかったと言わざるを得ない。

 

また、これとは違う次元のことだが、福島県は事故直後に東電の本店に連絡をし、東電に対し、「これから天候が崩れる予想だが、いま北西の風が吹いており、観測された放射線から健康に被害がでる心配はない」という文言を福島第一のプレス文に入れてほしい、という話をしている。この福島県の文言に科学的根拠はなく、県民を多量の放射線物質に晒す可能性すらでてくる文言だ。

 

そして何よりも県の重大な過ちは前述したように、2010年のバックチェックの基準を決める際に事実上、「津波チェックなし」を了承したことだ。20104月の福島県原子力安全対策課長・小山吉弘氏と資源エネルギー庁の原子力立地・核燃料サイクル産業課長の森本英雄氏の打ち合わせにおいて、森本氏の「津波などは含まない評価でいいんですね」との問いに小山氏は「国で判断してほしい」と繰り返した。だから東電は福島第一原発の想定津波を過小評価した。

 

しかも現在刑事裁判の被告人の1人の武藤氏は20083月に、「津波の再評価は20096月までに行う」と福島県庁で言っているのだ。なぜ小山氏もしくは福島県は、「国で判断してほしい」と言ったのか?

 

現行の法律では企業を罰する規定がない

この原発事故に限らず2005年に起こった福知山線脱線死亡事故などもそうだが裁判が行われても責任追及の対象者を個人に限定し、企業全体は対象とならない。刑法ができた今から100年以上前の基準でつくられているからだ。当時は今とは比べものにならないほど、何か事故があった際の企業が及ぼす民間への損害は少なかった。ゆえに企業を罰する規定が刑法に載せられなかった。これが原発事故の責任追及の甘さの一つの原因となっている。

 

政府事故調査報告書の問題点

政府事故調の調査報告書は当初開示されなかった。だが、不開示を条件に調査に応じた当時の福島第一原発の所長・吉田昌郎氏の調書が死後に公開されたことによって政府は開示するようになった。

 

この開示には反論がある。本人が不開示を条件に調査に応じたのに開示されては後に調査に応じる証人が委縮して真実を話さなくなる、などの理由から開示すべきでないとする反論だ。それは当然考慮しなければならないことだがその大前提として、調査をする側が公正に調査をすることが求められる。では実際に政府事故調は公正に調査等を行なってきたのか?答えはNOだ。前述したように、保安院の小林勝・耐震安全審査室長は複数の上司から「余計なことを言うな」「クビになるよ」と圧力をうけた。そのことは政府事故調の聞き取りでも分かったことだが、それは報告書に記載されていない。このように国側に都合の悪い証言が記載されていない事実はこのことだけではなく、他にもある。

 

このように政府事故調の調査に問題があり、逆にそれが国民の政府に対する不信感の増大につながり、事故調査報告書の開示を求める声が高くなっている有り様だ。

 

公文書公開の問題点
事故調査報告書だけではない。政府が隠蔽している公文書は他にも多数ある。例えば20064月に保安院が原子力安全委員会に送った文書に対する政府の公開姿勢にも問題がある。この文書は2012517日に保安院が記者会見で配布したものだが、これを今の規制委員会に公開請求するとほとんど黒塗りされた文書となって公開される。内容は全く分からない。これに対し、著者の添田氏が規制委員会に問いただしても、「保安院と規制委員会は別の組織であり委員会で不開示すべき情報と判断したら公開致しません」といった旨の返答がくるような有り様だ。しかもこの文書以外で20049月以降の原発関連の文書は全く公開されていない。これについて添田氏が規制委員会に問いただしても、規制委は「持っていません」と答える有り様だ。20049月から2011311日まで約6年半もの原発関連の文書を規制委員会が1つも持っていないはずがない。

 

さらには、規制委は公文書閲覧・検索できるようにするために備えなければならない「行政文書ファイル管理簿」を2015年まで3年間公開せず、20175月時点でも76%しか公開していない。こんな政府に対して、我々は「情報開示の問題点」などを考える前に公正を求めていかなければならない。

 

また、政府は最近文書を電子化して保存しているが、ここにも問題点がある。その一つは国側担当者のPCによる打ち込みミスだ。添田氏は20179月に規制庁5階の原子力関係資料閲覧室のPCで検索したがいくらしてもそのページにたどり着けなかった。原因はその担当者の打ち込みミスだった。添田氏は「福島第一原子力発電所」といくら打ち込んでもその資料を見つけられなかったのだが、それは担当者が「福島第一発電所」と打ち込んでいたのが原因だった。しかもそう打ち込んである資料は110件もあった。打ち込みミスも問題だが、こんな凡ミスを当の原子力規制庁の担当職員が110回もするのか? 意図的な隠蔽工作ではないのか?と疑いたくなる。

 

教訓をどう伝えるか

201512月、非難区域以外の住民が起こした原発裁判で初めて遺族に賠償金が支払われた。これは福島県の相馬氏の酪農家が生活苦のため,将来が真っ暗に思え、絶望した末に自殺したことをもって遺族が訴訟を起こしたものだ。この酪農家が自殺した堆肥小屋のベニヤ板にはこう書かれていた。

「原発さえなければと思います」

「仕事をする気力をなくしました」

「残った酪農家は原発にまけないで頑張って下さい」

このベニヤ板に書かれた遺書を後世に残し、原発事故の悲惨さをどう伝えていくか、遺族の支援者たちが検討している。このベニヤ板は現在、木造平屋建て約200平方メートルの原発災害情報センターで保管・展示していて本格的な展示はこれからだ。

 

福島県の原発関連施設の問題点

一方、福島県は20167月、福島県の三春町に直径13メートルの球状シアターを備える面積4632平方メートルの福島県環境創造センター交流棟「コミュタン福島」を総工費約200億円を使い、開設した。税金で。この施設について福島大学の後藤忍准教授は、コミュタン福島の展示解説文を写真撮影などで集めて、テキスト・マイニングという手法でその特徴を分析し、論文にまとめた。その結果、この施設にはキーワードとして、「緊急時モニタリング」「SPEEDI」「安定ヨウ素剤」「服用指示」などの福島県が教訓とすべきキーワードが一つも出てこなかった。また、被ばくに関連した避難指示区域や放射線管理区域の基準についての記述もほとんどないことが分かった。この施設は、一昨年の10月に講演した武藤類子さんも話していたが、「原発事故の悲惨さを伝える」ことが一番の目的ではなく、「日本人が原発と仲良く一緒に暮らしていきましょう」と日本人に呼び掛けることが一番の目的である疑いがある。

 

また、福島県は2020年に双葉町に、延床面積5200平方メートルのアーカイブ拠点施設「ふるさとふくしま再生の歴史と未来館(仮称)を総工費約55億円で建設する計画を進めている。税金で。ここで資料の収集・保存、調査研究や展示などを行う予定らしいがその対象範囲は、

(ア)事故前の地域を伝える資料

(イ)原子力発電所を誘致するに至った経緯を示す資料

(ウ)複合災害発生以降の資料

(エ)復旧・復興に向けた福島の歩みを語る資料

となっているが大事なことが抜けている。それは(イ)と(ウ)の間に、

「事故前に原発の安全性は、きちんと調べられていたのか、リスク評価は公正に行われていたのか」の資料・記録が抜け落ちている。やはりこの施設も、「原発事故の悲惨さを伝える」ことが一番の目的ではなく、「日本人が原発と仲良く一緒に暮らしていきましょう」と日本人に呼び掛けることが一番の目的のようだ。

 

さらにこの施設の展示計画も気になる。それは、

1 プロローグ

地震や津波が起こっても「原子力発電所の事故など起こるはずはない」という安全意識と共にあった過去、それが一瞬にして崩壊した事実、この災害の特徴を象徴的に発信し、自分事化するきっかけを創り、展示全体へ意識をかきたてる。

2 災害の始まり 原子力発電所事故~ / 安全神話の崩壊~

地震そして津波の襲来から原子力発電所の電源喪失、その後の原子力発電所事故。誰もが初めて経験するこの複合災害の発生時に、国・県・市町村・医療・警察・消防・企業などが一丸となり対応した記録。現場の深刻さや混乱に立ち向かった人々の気持ちや行動、判断を、臨場感豊かに伝える。

『展示内容例』想定外の事象を示す資料

3原子力災害の影響と対応(初期)

(以下略)

だが、「1プロローグ」と「2災害の始まり」の間に、大きな欠落がある。なぜ安全神話が形成されてしまったのか。事故を防ぐことはできなかったのか。それができなかったのは、どこに問題があったのか。それらのテーマを、わかりやすく展示する必要があるだろう。1万人を超える人たちが裁判で問うているのは、まさにそこだ。そして世界各地で原発のそばに暮らす住民にとっても、関心の高いテーマだろう。それを「安全神話の崩壊」「想定外の事象」であっさり片付けられては、事故の重要な教訓は伝えられない。

 

法で責任が問われるほどかどうかは争っている最中だが、組織的な人災の側面があったこと自体は、政府や東電の事故調査報告書でさえ認めているのである。

 

そして、裁判記録も保存してほしい。例えば、尼崎市立地域研究資料館や、あおぞら在団付属西淀川・郊外と環境資料館(大阪市)では、大気汚染公害訴訟に関する訴訟資料などを所蔵している。東電福島原発事故に関連した裁判で、原告たちが何を訴え、法廷で何が解き明かされてきたのか、その記録は公正に残すべき貴重なものだ。

 

(概要終り)

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