本日、「公明党=創価学会の真実」乙骨正生 著 かもがわ出版 刊 という本を読み終えました。宗教団体とされる創価学会が実は公明党を操り、その結果、自公政権というかたちで日本の政治・政界にも大きく影響を及ぼしている、というのはもう多くの人が知っていることですがそれがかなり昔から起こっている、ということを示唆する文がこの著作にありました。
創価学会は戦前、初代会長である牧口常三郎氏が創設し、2代目会長:戸田城聖、3代目会長:池田大作、と続いていくわけですが当時3代目会長であった池田大作氏が1960年代前半の総理大臣を務めた、池田勇人元首相とかなり親密な関係にあった、といったことが記されていました。
今でこそ自民党と公明党が連立与党を組んでいて、創価学会の影響力が国政にまでも及んでいる、という事実は多くの人が知るところですがなんと1960年代にすでに、池田大作氏が時の総理大臣であった池田勇人氏と親密な関係だったというのはどういうことなのでしょうか。
この著作にはそのあたりの詳しい詳述はなかったのですが、この事実と同時に昨今の日本の総理大臣の人事に創価学会が介入していたことの記述がありました。これは日本の政界の真相部分を知る上で非常に重要なことです。我々の生活に直結する政治に創価学会が介入していたわけですから。
その重要な部分をここに引用したいと思います。
<引用開始>
第三章 創価学会は「政治・宗教団体」の1.総理大臣人事にまで介入する池田大作氏の第1項
タイトル:「森ノー」の意思を明らかに
平成13年3月30日夜に行なわれた自民党5役との会談で、森首相は、9月に実施される予定の自民党総裁選の前倒しを容認。3月30日に行なわれた自民党党大会の席上、総裁選挙を前倒ししての実施を公言したことで、森首相の退陣がようやく決まった。
① 創価学会・公明党は、同年1月24日夜に都内の料亭「有栖川清水」で行なわれた秋谷栄之助会長・八尋頼雄副会長、藤井富雄公明党常任顧問と自民党の野中広務前幹事長、古賀誠幹事長、青木幹雄参議院幹事長、村岡兼三総務会長との会談の席上、森首相では参議院選挙が戦えないとして、森首相の退陣を要求。以後、公明党は森降ろしの尖兵役を果たしたが、この「有栖川清水」での会談から4日後の1月28日、創価学会名誉会長池田大作氏は、「聖教新聞」に連載中の「池田SGI会長の素晴らしき出会い」において、自民党・宏池会の創設者である池田勇人元首相との濃密な関係を発表。その中で総理大臣の資質に言及し、暗に森首相の退陣を求めるとともに、後継総理についても含みのあるところを示した。
問題の記事は「‘2人の池田’で頑張りましょう!!‘希望の日本’へ命をかけて」と題する池田大作氏の筆になるエッセイ。そこで東京都新宿区信濃町、学会本部からほんの目と鼻の先に住んでいた池田勇人元首相とは親密な間柄であり、その関係は濃密だったと誇示している。その中で池田氏は、池田勇人氏が総理大臣に就任した直後に、お祝いのために池田邸を訪れた池田大作氏に対して、池田勇人首相はライスカレーをふるまいながら、講話したと記述。池田勇人元首相の口を借りて森首相の総理大臣としての資質、心構えを問題にしている。該当部分は以下の通り。
「庶民的な「総理のライスカレー」は池田邸の名物であった。総理就任と同時に、ゴルフも宴会も「日本人の誰もが行けるようになるまでは、ぷっつり、やめます」とのこと」
この記述が、連日の料亭通いに、愛媛県宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカ海軍の原潜と衝突した際に、ゴルフに耽っていた森首相に対する批判以外のなにものでもないことは明々白々。
池田大作氏は、池田隼人元首相の総理大臣就任時のエピソードを披露することで、森首相に総理大臣の資格なしと引導を渡し、「森ノー」の意志を明らかにしたのである。
② また同時に池田大作氏は、宏池会の創設者である池田勇人元首相と自ら濃密な関係を誇示することで、平成12年秋の加藤政局の折に加藤派を分断し、自・公・保連立政権崩壊の危機を救った池田勇人元首相の女婿である池田行彦元自民党総務会長や、堀内光雄元通産大臣氏らが結成した堀内派への支持を満天下に示すと共に、創価学会・公明党ともっとも関係の良い野中広務前幹事長の後継総理就任が叶わぬ場合は、次善の策として堀内氏の擁立を示唆したものと見られている。
周知のように、堀内氏は山梨県に本社のある富士急行の元会長。富士急行は平成3年に創価学会が日蓮正宗から破門されるまで、学会員の日蓮正宗総本山・大石寺への参詣登山の大量のバス輸送を請け負っていた。それだけに富士急行がここまで大きくなった要因の一つは創価学会のバス輸送の請け負いにあったといわれている。
こうした事実を背景に創価学会は、「加藤の乱」に際しての堀内氏の行動が象徴するように、堀内氏を自民党における創価学会の橋頭堡として利用してきた。そうであればこそ公明(当時)は、自民党と、創価学会が支援した新進党が全面対決した平成8年10月の総選挙で自民党公認候補の堀内氏を推薦。堀内氏も「新進党=創価学会」とのキャンペーンを張り、創価学会の政界支配を批判した自民党の現職議員でありながら平然と公明党の推薦を受けたのだった。(後略)
<引用終わり>
※数字は私の記述。
この文は創価学会が大きく日本の政界に影響力を及ぼしていることを記した文といえます。
まず、①の段落で秋谷栄之助会長と八尋頼雄副会長が自民党の当時の中心議員と言っても過言ではない、野中広務前幹事長、古賀誠幹事長、青木幹雄参議院幹事長、村岡兼三総務会長と会談して、‘森首相の退陣’を促し、実際に当時の森首相は退陣しています。この秋谷栄之助氏と八尋頼雄氏はともに創価学会の当時の会長、副会長であり、公明党の議員ではありません。その2名が料亭の「有栖川清水」で公明党の議員がいない中で(この記述文には登場してきていない)時の自民党の中枢議員に‘森退陣’を促している事実は明らかに創価学会が政権与党に影響を及ぼしているといえます。政教分離という憲法からも逸脱しています。
また、②の段落でも野中広務前幹事長の総理就任、それがダメなら同じ自民党議員であった堀内光雄元通産大臣を総理にしようと企んでいた意志がみてとれます。しかもここでその堀内氏がその池田大作氏の企みに乗って、平成8年10月の総選挙においては当時新進党を支援していた創価学会を指して、‘新進党=創価学会’と言って批判していたにも関わらず、公明党の推薦を受けているのです。この事実なども政権与党である自民党が公明党というフィルターを通して創価学会の影響を受けていることを端的に示すものといえます。
付録:創価学会に関するリンク
- カテゴリ:
- 政治