本日、「天皇のロザリオ---- 日本キリスト教国化の策謀㊤」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊 という本を読み終えました。この本は先日の6日に私を含め独立党員数名と東京高裁において、‘不正選挙裁判’で共に闘った犬丸勝子氏が、日本社会の病巣の根源があると思われる、山口県田布施町について記した際に、「伊藤博文が孝明天皇を殺し、大室寅之祐を明治天皇にでっち上げた」、ということについて記す際に引用させて頂いた本になります。
 
ですが今日はこの同著を、「天皇に戦争責任はある、というよりむしろ主犯格」、という視点で引用したいと思います。
 
いわゆる太平洋戦争と言われる戦争で‘日米開戦’を決定づけたものとして、‘御前会議’がよく取り上げられます。この御前会議は言うまでもなく、昭和天皇(ヒロヒト)の御前で日本軍部の上層部が日米開戦について会議を行い、当時のアメリカとの開戦を決定づけた、とされるものです。この会議において天皇の御前で軍部の人たちが会議を行い、‘日米開戦’を決定して昭和天皇にしぶしぶ承認させた、と一般的にはよく言われていますがどうも真実は違うようです。
 
この著作で著者である鬼塚氏はその真実を暴露していますが、それを記すにあたり数え切れないくらいの著作を鬼塚氏は読破し、検証して、この著作で多く引用した上で真実を暴露しています。このことから鬼塚氏が引用している著作のジャーナリストや日本史研究者も鬼塚氏と同じ見解もしくはそれに近い見解を示している、といえます。
 
ではその‘御前会議’の真実とは何なのか、以下にその御前会議について記してある箇所をこの著作から引用したいと思います。
 
(引用開始)
 
タイトル:御前会議
 
1941年(昭和16年)9月6日、午前10時から12時まで、昭和天皇が出席し、「帝国国策遂行要領」に関する御前会議が開かれた。主な出席者は近衛内閣総理大臣、豊田外務大臣、東条陸軍大臣、及川海軍大臣、杉山参謀総長、永野軍令総長、原枢密院議長、他6名。
 
この御前会議で米英との具体的な戦争に入ることが決定した。原枢府議長が会議を司会し、豊田外相が戦争に入る可能性について説明した。また、及川海相が戦争準備について語った。この及川海相の答弁の後に天皇が立ち上がり、語りだしたのである。「杉山メモ」の原文のままを記すことにする(参謀本部編「杉山メモ」より。カタカナをひらがなにした)。
 
9月6日
 
御前会議席上 原議長の質問に対し及川海軍大臣の答弁あり。其後
 
御上(昭和天皇): 事重大だから両統帥部長に質問する。先刻原がこんこんと述べたのに対し両統帥部長は一言も答弁しなかったがどうか。極めて重大なことなりしに統帥部長の意思表示なかりしは自分は遺憾に思ふ。私は毎日、明治天皇御製の、
 
四方の海皆同胞と思ふ代になどあだ波の立騒ぐらむ
 
を拝謳して居る。
 
どうか。(後略)
 
(引用終わり)
 
この昭和天皇が読み上げた歌をもって後世に昭和天皇は、‘戦争には本当は反対で、平和主義者だ’、と日本史家の人たちは確信してきた、と言われています。つまりこの昭和天皇が歌った歌は、平和の歌ということです。しかしこの歌が本当に昭和天皇が平和を思って歌った歌ではなく、むしろ戦争を煽った歌だと鬼塚氏は指摘しています。私にもそう思えます。
 
しかしそのことより重大な事実があります。それはこの、‘日米開戦’につながったとされる御前会議のその前日の9月5日にも実は戦争の作戦会議がありました。これは昭和天皇が御前会議に出席したうちの陸海統帥部長の2名(杉山参謀総長、永野軍令総長)を当時首相であった近衛文麿首相の立会いのもとで御下問しているのです。その昭和天皇が御下問する様子の1部も同著作に記してあったので以下に引用します。
 
(引用開始)
 
御上(昭和天皇):南方作戦は予定通り出来ると思ふか
杉山(参謀総長):右に対し馬来比島等の予定作戦を奉答す
御上:予定通り進まぬ事があるだろう。5け月と云うがそうはいかぬこともあるだろう
杉山:従来陸海軍で数回研究して居りますので大体予定通り行くと思ひます
御上:上陸作戦はそんなに楽々出来ると思ふか
杉山:楽とは思ひませんが陸海軍共常時訓練して居りますので先ず出来ると思ひます
御上:絶対に勝てるか(大声にて)
杉山:絶対とは申し兼ねます。しかし勝てる算のあることだけは申し上げられます。必ず勝つとは申上げ兼ねます・・・・
御上:あゝ分かった(大声にて)
 
(引用終わり)
 
これは昭和天皇が日本軍の作戦が上手くいくのかどうか、を杉山参謀総長に問いただしている様子です。この杉山参謀総長がその時に記した‘杉山メモ’といわれるものに書かれているものです。昭和天皇は杉山参謀総長に問いただしているのです。この引用文を読めばそれはわかります。あきらかに昭和天皇が作戦を計画する上で上下関係でいうと完全に上で、杉山参謀総長に問いただしているのです。
 
我々は小・中・高校などの歴史の授業で大東亜戦争は日本軍の暴走によって引き起こされた、と教えられてきました。昭和天皇の戦争への関与は全く教えられてこなかったのではないでしょうか。少なくても私は昭和天皇の大東亜戦争への関与について学校の歴史の授業で教わった記憶がありません。
 
つまり昭和天皇に戦争責任があるかどうか、という議論は今までされてきましたが、戦争責任がある、どころか‘昭和天皇は大東亜戦争の主犯格!’と言えそうなのです。
 
我々は大東亜戦争の一番の主犯格を挙げるとすれば多くの人が東条英機を挙げるのではないでしょうか。少なくてもそのように学校で教えられてきました。その点について鬼塚氏はこの著作で、東条はあくまで昭和天皇の命令に従って戦争を遂行しただけで主犯格ではない、というかむしろ真面目に昭和天皇の言うことを聞いたに過ぎない、と記しています。しかもそれどころかよく我々が大東亜戦争の話を聞く時に、‘日本は大本営が戦争へ導くように発表するのに従って突き進んだ’、といった話を聞かされます。ですがこの著作によればその大本営というのは皇居内にあったということです。そして御前会議というのは天皇の御前で行なう会議です。つまり昭和天皇が積極的に大東亜戦争を遂行した、ということです。
 
そしてこの度々行なわれていた天皇主導の大本営会議には東条英機は一度も出席していません。この著作によると大本営のメンバーというのは、昭和天皇、杉山参謀長、永野軍令部総長とこの2人の部下たちで構成されていて、連日のように大東亜戦争の机上プランを練っていたということです。東条英機や日米開戦の引き金を引いた山本五十六や米内光政はこの大本営のメンバーではないのです。
 
そして東条英機が大東亜戦争の主犯ではない事実が以下の戦後、東条英機がA級戦犯としてGHQから尋問された時の様子を記した引用文からも確信できます。引用します。
 
(引用開始)
 
(前略)1946年1月、元首相東条英機は巣鴨拘置所にてフィーリーによる尋問を受けた。以下、問はフィーリーで答は東条である。
 
問:初代天皇の言葉だという「八紘一宇」のスローガンがありますか。
答:はい、あります。
問:それは日本の軍国主義者と、日本の膨張を望んでいた国民のスローガンだったのですか。
答:そのように使われました。
問:満州事変の前の1925年-31年、そしてその後も、そのスローガンを唱え、日本がその通りアジア、太平洋に膨張すべきだと信じていた陸軍将校たちがいたのですか。
答:この思想は国民に誤解された。実は精神的な意味だった。日本国民はそのスローガンを間違って解釈した。私や他の責任者はこのスローガンを四方にあまねく徳を広げ、他国との関係を徳で守るという、精神的な意味で使ったのです。
 
(引用終わり)
 
このフィリーという尋問者の尋問に対しての東条英機の答弁が本心のものであったならば東条は本当は戦争推進者ではなかった、と言えます。それは大本営会議のメンバーでなかったという事実も合わせて考えればなおさらのことです。ではなぜ東条英機は大東亜戦争の主犯格、と我々が教わってきた歴史ではされているのか? それはこの著作によれば戦後、GHQの処罰の対象となることを恐れた昭和天皇が自分の戦争責任を東条に全部負わせたということです。
 
GHQも当初は昭和天皇をA級戦犯として裁こうとしていました。ですが天皇自身が東条やその他の軍人に責任転嫁しながらいろいろとGHQにいい印象を与えて責任逃れをし、またGHQも途中から昭和天皇を日本国民の象徴として生きさせた方が戦後の日本支配が上手くやれる、と判断し、天皇を処罰の対象にしなかったのです。
 
私はこの「天皇のロザリオ ---- 日本キリスト教国化の策謀」を読んで天皇家というのが実は日本の歴史に、特に戦争遂行(日清戦争以降の戦争全て)において、非常に影響を及ぼしていることを知りました。そしてその天皇中心の王政という要素にロスチャイルドやロックフェラーのユダヤ系財閥が関わって明治以降の日本国の姿が出来上がっていくわけです。つまりいわゆる、ユダヤ金融資本とかCIAとかが本当は日本を支配しているとしても、天皇家というものも調べて考察していかないと日本という国の真実は見えてこないと思われます。
 
そのことを踏まえた上で最後に、ここまで上述した内容が記されている、「天皇のロザリオ ---- 日本キリスト教国化の策謀」のその段で鬼塚氏が最後に書かれている文章を以下に記します。
 
(引用開始)
 
9月6日の御前会議で天皇が発言する場面をもう一度読んで欲しい。
 
天皇が、「両統帥部長は一言も答弁しなかったがどうか」と両統帥部長に語るところである。天皇は首相をはじめ、すべての国務大臣を無視し続けている。9月5日(御前会議の前日)、杉山が天皇に「半年や1年の平和を得ても続いて困難が来るのではいけないのであります」と言う。天皇はその翌日の御前会議で、豊田外務大臣が説明する平和について聞くだけである。半年や1年の平和について、関心を示すことはなかったのだ。
 
天皇が側近でかためた大本営には、首相でさえ参加することができなかった。天皇は軍閥と財閥が複合体をつくり、二・二六事件が発生したことに危機感をおぼえた。そのために、軍閥と財閥の力をそぐために、外部に彼らを脅す組織が必要となった。
 
頭山満と徳富蘇峰が朝日新聞と毎日新聞で論陣を張ったのも偶然ではない。一党独裁体制ができたのも偶然ではない。頭山満の子分(あえてこのように書く)の広田弘毅が首相になったのも同じように偶然ではない。御前会議は単なる儀式のようなものであった。すべては天皇主導の大本営で決まっていた。
 
皇道派と統制派とかで陸軍を考えようとするから分からなくなる。天皇直属の大本営こそ、日本国家最大にして最高の暴力装置であったのだ。
 
あえて書こう。ここから恐怖が流れ出した。そして多くの日本人が殺された。どこにいる人間が叫んでいるのか? 平和天皇論を叫ぶ人間の正体は暴かれるべきではないのか。