私は今、「歴史の真相と大麻の正体」内海聡 著 三五館 刊 という本を読んでいて、大麻というものが人類の歴史にどれほど影響を及ぼしてきたか、ということの自分が知らない見解での記述があることを期待してこの本を読み始めた、と先日記しました。

2そしてこの本は第一部「歴史の真相」と第二部の「大麻の正体」の二部構成になっていて、その二部「大麻の正体」に読み進む前に第一部の「歴史の真相」のところで気になったことがあったのでそのことについて書かせて頂きました。

ですがまた、第二部の「大麻の正体」に読み進む前に気になったことが出てきたのでそのことについて書きたいと思います。それは日本の天皇家を含め明治時代以降、政・財界などにおいて多くの歴史の偉人と(世間では)されてきた人物を排出してきた田布施町についてです。

田布施町は2つあって一つは私も昨年の夏に訪れた、山口県熊毛郡田布施町ともう一つは鹿児島県の田布施村(現加世田市金峰町)です。この2つとも日本の歴史の真相の決定的な重要な歴史があります(隠されている)。そのことについて書いていきます。ではまずは「歴史の真相と大麻の正体」からそのことについて書かれている部分を以下に引用します。

(引用開始)

タイトル:鹿児島田布施部落

明治維新を考察する上では、必ず田布施の話をせねばなるまい。これは山口(長州)や鹿児島(薩摩)にあった朝鮮系の被差別部落の町である。「日本のいちばん醜い日」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊 によれば、その町の出身者には大室寅之裕=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八郎、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などがいる。その後の総理大臣である岸信介、佐藤栄作、小泉純一郎、麻生太郎、安倍晋三なども、すべて田布施の末裔である。

田布施1小泉純一郎元首相の父・純也は、鹿児島の田布施出身の朝鮮人であるという。純也は上京して小泉又次郎(刺青大臣といわれた)の婿養子となって小泉姓を名乗り、日本国籍を取得したのはあまりにも有名で、小泉純一郎の本来の名字は鮫島である。彼らは朝鮮系の部落の出身なので朝鮮人とかかわりが深い。だからこそ小泉純一郎時代に拉致問題の進展があった。ちなみに、その時の拉致問題対策委員長は安倍晋三であった。

この人間たちは被差別部落民であり日本人に対しては恨みがあった人々、という解釈ができる。そしてキリスト教者たちやヨーロッパの利権者たちはこれを利用したのだ。

(引用終わり)

この引用文は「日本の一番醜い日」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊 という本をもとに内海氏が記した文章です。ではその「日本の一番醜い日」にはそのことについてどんな記述があったのか、以下にその部分を「日本の一番醜い日」から引用したいと思います。尚、かなり長くなりますが日本の歴史、それも天皇家の真相を知る上でものすごく重要な部分になるので引用させて頂きたいと思います。

(引用開始)

(前略)益田勝美は長州の国家老益田弾正の一族である。彼は山口県熊毛郡田布施町麻郷に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、後に明治天皇となる「てんのうはん」のことを書いている。続ける。

「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前の老人たちによく聞かされたことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家があったが、天皇の国家はなかった。尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。彼らが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和できるうちはよいとして、その矛盾が激化すると、・・・・激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。

我が家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ天皇と長州の間がうまくいっていた、密月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になり始めたからである。今日では、もうこのことは公々然の秘密となっている。」

①大室寅之祐は田布施町の生まれ。私は2006年10月、この田布施を訪れた。光市と柳井市に挟まれた寒醜い3の風景がそこにあった。私は知人と大室寅之祐について学びはじめていた。私の手元に知人が作成した1枚の系図がある。簡単に記すと、伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衞文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之祐の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後の内務大臣安倍源基も大室寅之祐の生家の近くである。これは偶然とはいえない何かがあるだろう。

益田勝美は「奇兵隊挙兵の翌年に・・・・」と書いている。「中山忠能(ただやす)日記」の中に、「寄(奇)兵隊天皇」の言葉が出てくる。

私は田布施麻郷に行った。麻郷とは麻を作る郷ということであろう。麻から麻糸をつくり、この糸を漁業関係者に売って生計をたてていたのではなかろうか。山が海に迫り、瀬戸内でありながら孤島のような感じがした。

(中略)

沖浦和光の「瀬戸内の被差別部落」や「瀬戸内の民俗誌」を読むと、瀬戸内海の沿岸、島々に、いかに被差別部落が多いかがわかる。この内海の家船漁民たちの姿が描かれている。彼らは「浮鯛杪」という古い巻物を大事にしている。「浮鯛杪」は「記紀」の仲哀天皇二年の条から出てくる神功皇后伝説から書き始められている。大室寅之祐の生家が漁業をしていない点を考えると、大室家は「河原巻物」を持つ一族であった、と思われる。大室家が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。

「週刊朝日」(2006年10月6日号)に「家政婦は見た----安倍晋三研究」が出た。‘家政婦’として40年あまりを安倍家に仕えた一人の女性・久保ウメさん(80歳)が安倍一族の真実を語った。その中で安倍晋三の父・晋太郎について次のように語っている。

②「お棺に入れるときにあの人の骨格、あれはやっぱり日本人のものじゃないと思ったの。肩の幅から下までまっすぐに定規を引いたみたいな。これは完全に韓国の体形。自分で「僕は朝鮮だ、朝鮮だ」と言ってたけれども、なるほどこれは朝鮮だなと思った。だから、あっちですごくモテたってよ。彼が元気で、もうちょっと働ける時間があったら、「北」の問題もとうに解決していたと思うの。晋太郎さんの死は、つくづく国の損だった。」

大室寅之祐は熊毛郡田布施村(現在は田布施町)の出身である。

(中略)

この布施に田の字がのっている。この田が上についているのは意味があるのだろうか。‘田布施’とは田を布施する意味からきているのではないかと私は考える。北朝鮮系の人々の信仰する‘白山信仰’を封じ込めるために、時の権力者が寺院に全権力を与えた特殊部隊が田布施という地名になったのではなかろうか。そういう視点から田布施町(昔は村)を観察すると、やたらと寺の多さに気づくのである。

田布施4


鹿児島にも田布施村があった。現在は加世田市金峰町というけれども、ここは昔は田布施村といった。小泉純一郎の父、小泉純也はこの地の出身である。彼は上京して小泉又次郎の一人娘・芳江と結婚して婿養子となって小泉姓を名乗り、義父の地盤を継いで代議士となった。小泉純也は朝鮮の姓を持つが、この結婚により日本国籍を得た。長州の田布施と薩摩の田布施、直近二代の首相が同じ田布施一族の末裔なのだが、これは偶然ではないだろう。

私は北朝鮮系の日本人であろうと、被差別部落民であろうと別に何ら問題なしとする。しかし、天皇家に結びつくだけにどうしても追っていかなければならない。

どうしてか。答えはいたって簡単である。

英国王エドワード八世が離婚歴のある夫人と結婚しようとし、ついに王位を捨てざるをえなかった例を引いたように、日本の天皇家もエドワード八世を退位させた闇の権力(人々はよくその勢力を「フリーメーソン」とか「イルミナティ」と呼ぶ)に幕末以来狙われ、脅迫され続けていたのではないかと思うからである。

私は闇の権力とかフリーメーソンという言葉を使わないで、「国際金融同盟」という言葉を使いたいと思う。ユダヤの国際金融資本家たちが中心になって作った組織である。この同盟については後述する。もう一度明治維新のころに戻ってみよう。

イギリスの外交官アーネスト・サトウは幕末に活躍した。アーネスト・サトウは天皇になる前の大室寅之祐と会っていた可能性が大である。彼は上司のハリー・パークス公使から日本の政情を調べるようにいわれ、鹿児島の苗代川に行く。ここは、慶長三年(1598年)、朝鮮から虜囜として連れてこられた43人の男女が、島平の浜辺に遺棄されたように、維新後、苗代川の住民は、創成期の近代日本のただ中に遺棄された。「東郷成徳伝記」と同書の「解説」(萩原延壽)に、この間の歴史の闇が詳述されている。

「いわば270年余のサイクルが廻って、この村のひとびとは、再び島平の浜辺に立ち、今度はあのとき他郷に連れ去られた同胞と同じように、母国の姓名を捨て、その言葉を忘れ、その風俗を改めて、あたらしく移住してきた土地に同化しようとする(略)。

東郷茂徳は明治15年(1882)12月10日、ト茂徳(朝鮮語に変換できなかったのでカタカナ表記)としてこの苗代川で生まれた。(略)なお、東郷という姓は鹿児島ではとくにめずらしいものではなく、ト家が「入籍」した東郷家と、提督東郷平八郎の家とは関係がない。

こうして、5歳のときから、ト茂徳は東郷茂徳を名乗るようになった。

私はどうして終戦時の外相、東郷茂徳をここに登場させたのか。その理由は3つある。

その一つは、あの明治10年(西南戦争があった)のあわただしさの中で、アーネスト・サトウがパークスの命令とはいえ、朝鮮人の被差別部落の調査報告書を作成しているということである。サトウは日本の国土の中に朝鮮系に人々が多数いて、差別されているのを見た。西南戦争は被差別部落の問題が大きく影を落とした戦いである。もう一つは、終戦内閣にどうして東郷茂徳が外相として迎えられたのか、というのが二つ目の理由である。それは、終戦にあたり、昭和天皇が最も信頼できる人物を内閣に入れたことにある。東郷茂徳は、明治天皇=大室寅之祐と同じ出自を持つと考えられたのではなかったか。

さらにもう一つ、東郷茂徳を起用した理由がある。それは天皇の財宝を隠蔽する役割を東郷茂徳に命じた点にある。天皇はいちばん大事なことをするのに、日本人よりも朝鮮人を信用したといえる。この財宝隠蔽工作は後述する。「歴史の流れの中に 最後の内務大臣安倍源基」なる本を源基の子息の安倍基雄が出版している。この本から引用する。

「余談となるが、石城山のある熊毛郡という小さな郡は、明治においてこそ名の通った人々は住んでいないが、昭和に入ってからは後述の岸、佐藤兄弟をはじめ、戦前、外相として慣らすらした松岡洋右、司法界での大ボス岩田宙造、戦前戦後にわたって活躍した賀屋興宣(育ったのは広島であるが、上の関の近くの出である)、最近では宮本顕治など、主として政治の面で名の通った人々を輩出している。」

「明治天皇となった大室寅之祐がそこで生まれたからこそ」の一文がぬけている。安倍基雄は続けて書いている。

「安倍基雄は明治27年2月14日、山口県熊毛郡曾根地方に安倍半次郎、美津子の長男として生まれた。曾根村は前述したように田布施木から上の関の方向に進んだところで、人口3,000人程度の村落である。現在は町村合併により、大野村、佐賀村とともに平生町に合併され、平生町曾根となっている。岸、佐藤兄弟の出身地として知られ、また天照皇大神宮教(踊る宗教)の中心地としても知られる田布施村(現田布施町)はとなり村の一つにあたる。」

安倍基雄の生家と大室寅之祐の生家は田布施川をはさんで、すぐ傍にある。安倍基雄はその事実を隠している。この関係があればこそ、最後の内務大臣に天皇は最も信頼できる安倍源基を任命した。そして憲兵たちは操られ、8月14日~15日の「日本のいちばん醜い日」の演出が安倍源基の闇の力添えを得てなされたのである。

安倍源基と安倍晋太郎を結びつける系図を私は発見できていない。しかし大室家と安倍家は確実に結びついているとみている。安倍基雄は微妙な言いまわしで出自に触れている。

「時折り「安倍源基さんは、安倍能成や安倍晋太郎さんと御親戚ですか」と聞かれることがある。血縁的には何のつながりもない。しかし、これらの人々の家紋が、我が家の家紋と同じ‘立梶の葉’であると聞いたことがあるので、何百年も前には関係があったかもしれない。

わが家の言い伝えはともかく、安倍の姓が愛媛県(安倍能成は伊予の出身)、大分県に多いこと、曾根も海に面していることなどからみて、瀬戸内海をつたわってこの一族がひろがっていったと考えられ、毛利にしたがって山口県にきたというよりは、それ以前から根を生やしていた一族であり、毛利の台頭とともに、それに臣従していったというのが事実ではあるまいか。」

私はこの一文を読んで、ハッとした。どうしてか、を書いてみよう。

「日本のいちばん醜い日」、すなわち8月14~15日までの内閣をみるとき、大分県出身の大臣や軍人の多さである。列記する。

阿南惟幾(陸軍大臣)=竹田市出身
梅津美治朗(陸軍参謀総長)=中津市出身
豊田副武(海軍軍令部総長)=杵築市出身

これらの3人はすでに書いた。阿南は竹田市という熊本県に近いところの出身。彼は鈴木貫太郎が侍従武官長のとき侍従武官として天皇と親しく接していた。その関係で陸軍大臣の拝命を受けた。梅津も豊田も、地図を見ていただければ分かるが、瀬戸内の海で結ばれた土地に住んでいた。

安倍が語るまでもなく、大分県の国東半島の沿岸部と田布施や曾根は昔からさかんに交流していた。私は安倍源基の一族も大室寅之祐も、その「家船」の交流の中から結婚の相手を求めていたのではなかったかと思ったのである。重光葵(東久邇宮内閣外相)は同じ国東半島の安岐町出身。南次郎元帥は同じ半島の日出町出身。これもたんなる偶然ではない気がする。

天皇は終戦を迎えるにあたり慎重に人選した。鈴木貫太郎の妻が天皇の乳母であった。貞明皇后はクエーカー教徒であり、その乳母も熱烈なるクエーカーであった。鈴木首相が最後の陸相を阿南にする。阿南は同じ大分県出身で、大室寅之祐一族と海で結ばれている国東半島出身の軍人たちとの交流もあるからである。それをやはり、国東半島出身の重光葵が背後から支える、という構図が浮かんでくる。

なお、鈴木内閣の、内閣総合計画局長官・秋永月三は中津市出身。梅津と同じ市である。秋永の後任の池田純久は宇佐市出身。宇佐市も中津市も瀬戸内海に面している。

この大分閥の存在を近衛文麿元首相は危惧していたのである。この面からも、田布施に生まれた明治天皇の姿を見ることができよう。

家船民族は時とともに消えていった。それとともに、瀬戸内の血縁関係も薄れていき、大室寅之祐一族の物語も忘れられていったのである。

もう一度、益田勝美の「天皇史の一面」から引用する。明治は遠くなりにけり、か。

③ 「天皇制を悠久の昔からのものと考えることは出来ない。天皇家と天皇制はひとつにして見るべきではなかろう。天皇制は近代百年の政治的創作で、新しいわれわれと同時代のものである。戦後、ある日、総理大臣吉田茂が、突如昔のように天皇に対して臣茂と言いはじめ、わたしの子供の頃には、昼間の銭湯には、伊藤博文がはじめて臣博文とやらかした時のことを、覚えている老人たちが集まっていた。禁裡様から天子様、天皇陛下へ移り変わったことをかれらは知っていて、天皇ファンが多かったが、大した出世をするものよ、と感心されてもいた。一代の成り上がり者明治天皇を偉いとほめ、息子の大正天皇の精神異常のエピソードをさまざまに公言する老人たちの寄合は、数年後にはもう銭湯からも姿を消した。安政・万延・文久生まれが急速にいなくなったからである。」

大室寅之祐が南朝の末裔であるとする説について、少しだけ書いておきたい。

世に「河原もの」という系図がある。多くの部落民がそれを持っている(部落民以外の人々も)。しかし、江戸期、系図を作成する商売人がいて日本全国津々浦々にまで、この種の系図が流布したのである。その系図はほとんどが南朝の系図である。しかも大室寅之祐の家には、その系図さえ残っていない。田中光顕の「大室寅之祐(そのように書いていないが)南朝説」が語り継がれているのを唯一の証拠とするのが現状のようである。

南朝正統を名乗った天皇が戦後期、あふれ出た。熊沢天皇、三浦天皇・・・・。私は、大室寅之祐よりも、むしろ、熊沢天皇説と三浦天皇説に愛着をおぼえるとのみ記しておく。「河原もの」にゆめゆめ欺されるな。と書いておく。

私はもう一つだけ記しておきたい。明治天皇替え玉説を調べるために私はたくさんの資料を集めた。山岡荘八の「明治天皇」も読んだし、外国人の書いた明治天皇関係の本もほとんど読んだ。この点から明治天皇を記すことはやめにする。ただ、私は、明治天皇の母である中山慶子について調べているときに驚いたことがあるので、その一点のみを記す。

--------  ④  ----------

明治天皇の生母、中山慶子の墓が豊島ヶ丘墓所(東京・文京区)にある。ここには、中山忠能の墓もある。現在の中山家の長は中山重啓(しげよし)である。

私はあるルートを通じて、中山重啓の情報を入手した。明治天皇の母の墓を、明治天皇はじめ、現在にいたる田布施3皇族たちの一人としてお参りしていない事実を知った。中山重啓は高齢だといわれる。彼の執事は「ご生母に関しては箝口令がしかれていますので、一切お答えできません」の一点ばりであった、と私の知人は私に伝えてくれた。

私は、明治天皇が、生母と言われる中山慶子と会っているのかを調べた。しかし、外国人の著作の中に一回会っているらしい場面を見つけたが、どうも疑わしい。私は確信した。明治天皇は孝明天皇の息子ではなく、間違いなく、山口県熊毛郡田布施村麻郷の出身であった、と。この人間関係の冷たさが----たとえ生母でなくてもいいではないか。会えばいいではないか----日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかったのである。

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(私の注:この事実は)昭和天皇も今上天皇も、その他の皇族たちも、自分たちが孝明天皇の子の睦仁の血統につながらない、山口県熊毛郡田布施村麻郷での特殊被差別部落出身者・大室寅之祐の一族であることをはっきりと認識していることの証にならないのか。もし、孝明天皇の子孫と認識するのなら、明治天皇の生母の中山慶子の墓を粗末にすることはないであろう。(後略)※下線、点線、数字は私の筆記による。

(引用終わり)

これは著者の鬼塚氏が(おそらく)相当な時間をかけて徹底的に明治天皇について調べた上で書かれたものです。明治天皇は江戸時代末期の最後の天皇であった孝明天皇の子息の睦仁親王ではない、とする証拠と言えるものがが多々記してあります。

では上記の引用文について記していきたいと思います。まず、①の段落は今の世界に至る支配の構図の下部組織として日本、という国がつくられる最初の段階の文と私は捉えます。①の段落ででてくる人物は、

大室寅之祐、伊藤博文、難波八助、宮本顕治、木戸幸一、近衛文麿、河上肇、国光五郎、松岡洋右、岸信介、安倍源基ですが、

まず、大室寅之祐は天皇家の血など引いてなく、伊藤博文が日本を支配するために明治天皇に仕立て上げた
人物と考えられます(http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8068046.html)。

木戸幸一はご存知の木戸孝允の孫にあたり、戦前、昭和天皇の側近中の側近だった人物で、この木戸幸一が昭和天皇が太平洋戦争を長引かせたことに協力した人物ともいえます。この戦争を長引かせることによって当時のアメリカの軍需産業はまちろん、戦後の世界の設計図を描いていた、と思われるロスチャイルドも莫大な利を得たと考えられます(http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8038533.html)。

河上肇は京都大学の教授でマルクス主義経済学の重鎮だったようですがこのマルクス経済主義というものが今日世界で蔓延っている超大企業だけが大儲けする経済システムの根幹といえます。つまりロスチャイルド系列やロックフェラー系列のユダヤ系列の大企業や日本も含めた大企業が儲ける経済システムを河上肇は広めようとした、と言えると思います(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6)。

しかもそれを昭和天皇の側近であった木戸幸一や元首相の近衛文麿に教え込んでいるのですから日本の天皇、首相をも取り込んだ、大企業だけが大儲けする、資本主義システムを広めたといえます。

そして戦前の外相であり、日本の戦争を、‘国際連盟脱退’という(シナリオ?)ことによって結果的に推進させた松岡洋右元外相も山口県熊毛郡田布施町付近の生まれ。この松岡洋右の太平洋戦争前の動きを考察すれば、ロスチャイルドなどが世界支配してきた流れの中で松岡は重要な動きをしたといえます(
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/7844439.html)。

というふうに考えていくとこの①の段落で、当時の山口県熊毛郡田布施町がロスチャイルドが構築した世界支配システムとしての、日本支部の始まりがこの田布施だった、と言っても過言ではありません。

②の段落、で当時40年余りにおいて安倍家の家政婦をしていた久保ウメさんの話は「週刊朝日」に載ったこともあり、かなり知られているようです。これにより安倍晋三一族が元々は朝鮮人であった、可能性が農厚になったと言えそうです。そして鹿児島県加世田市と山口県熊毛郡田布施町は元々朝鮮部落であったということです(http://www.bing.com/videos/search?q=%e9%ac%bc%e5%a1%9a%e8%8b%b1%e6%98%ad%e3%80%80%e7%94%b0%e5%b8%83%e6%96%bd%e3%80%80%e5%8b%95%e7%94%bb&docid=607995965829220700&mid=1807BE4E12B0B4F444A21807BE4E12B0B4F444A2&view=
detail&FORM=VIRE1#view=detail&mid=5C60908552DEC79DDCA25C60908552DEC79DDCA2
)。

③の段落の鬼塚氏が引用した益田勝美の「天皇史の一面」から引用文では、「一代の成り上がり者明治天皇を偉いとほめ」とあります。つまり明治天皇は一代の成り上がり者で孝明天皇の子息ではない、と当時とある銭湯で寄り合って話をしていた(おそらく)一般人の人々は言っていたわけです。鬼塚氏がいう明治天皇=大室寅之祐 説を強く裏づけるものと言えます。

そして④の3つの段落は現在の皇室の事実にまで至る、天皇家の、明治天皇の生母とされる、中山慶子及びその父親である中山忠能の墓に対しての姿勢が記されています。天皇家は代々、明治天皇の生母とされる、天皇家の先祖である、とされる中山慶子の墓参りを一度もしていないのです。もうこれは異常であり、この異常な事実も中山慶子の子供が明治天皇ではないことを裏づけています。

さらに本当は他にも、「河原もの」と言われた系図が江戸時代に商売人よって書かれ、商品として売られ、しかもそれがお金を出して買った人の祖先は後醍醐天皇の南朝に繋がる系図であったこと、終戦間際に陸軍大臣の阿南惟幾は基本的には天皇を崇拝していて、日本の敗戦を悟った暁には、日本軍の敗戦の責任を「自決」したことにより責任をとったこと、などなど詳しく書きたかったのですが私の時間の都合もあり、ここで筆を下ろさせて頂きます。

ですがこの鬼塚氏の、「日本のいちばん醜い日」からの引用文に、日本という国の本当の姿及び天皇家の真相また、山口県熊毛郡田布施町及び鹿児島県加世田市の田布施町が今の日本につながる、ロスチャイルドやそのロスチャイルドが大きく影響を与えているアメリカが世界を支配しているシステムの日本支部のはじまりだった、ということが分かって頂けたかと思います。