2015年04月

ド・ゴールの正体

今、私は「赤い楯 下巻」広瀬隆 著 集英社 刊 という本を読んでいる、と先日も書きましたがまた、書きたくなったことが出てきたので書きたいと思います。それはフランスの歴史上、英雄とされているド・ゴール元フランス大統領についてです。

このド・ゴールは日本でも有名でやはり英雄と言われていますが、私が今まで書いてきた政治の文同様にこの話も嘘だったようです。ではまずは以下にド・ゴールについて書いてある箇所をこの「赤い楯」から、ではなく、「詳説 世界史」山川出版社 刊 2011年版 から一部抜粋したいと思います。

(抜粋開始)

(前略)フランス第3共和制は崩壊し、ペタン政府が成立してドイツに降伏した。フランスの北半はドイツに占領され、南半をペタン率いるヴィシー政府が統治した。しかし、ド・ゴールらは降伏を拒否し、ロンドンに亡命政府(自由フランス政府)を組織して抗戦をよびかけ、フランス国内にもやがてレジスタンス(対独抵抗運動)がおこった。(後略)

(抜粋終わり)

赤い楯13これは第2次大戦中のフランスにおけるドイツとの戦いの様子を書いたものですがこれを読むと、いかにもド・ゴールがヒットラー率いるナチス・ドイツに頑張って抵抗して、自由フランス政府をつくってドイツに抵抗を続けた、かのように書かれています。また、この「自由フランス政府」という名称もいかにも何か、自由な、正義な感じがします。ではこの日本でもフランスでも英雄視されているド・ゴール率いる自由フランス政府が何をしたか、について書いてある箇所を「赤い楯 下巻」から引用したいと思います。

(引用開始)

(前略)そこに至るまでの過程を遡ってみよう。自由フランス赤い楯6のド・ゴールたちは、北アフリカで一体何をしてきたのだろうか。自由フランスは、ユダヤ人問題を語るときにだけ登場する。ナチスを倒すレジスタンスの姿を描けばそれで美化されてきたのである。しかし第2次大戦中の1941年から42年にかけて巨費がアルジェリアに投資され、サハラ砂漠鉄道が完成したとき、原住民を砂漠で奴隷として使ったのが自由フランスなのである。両者は同時代の出来事である。戦後は、それがさらに悪どい商人と結び合っていった。

首都アルジェから東へ200キロのセティフでアルジェリア人が反乱を起こした時、ド・ゴールの軍勢は外人部隊に対して、「アラブ人男子の姿を見たら全員射殺せよ」という命令を下し、実際には男に限らず、女と子供まで含む5万人ものアラブ人が虐殺されたのである。カチンの森の虐殺など比較にならない大虐殺であったが、終戦直後、1945年の出来事であるこれを皮切りに、北アフリカ全土で終戦からの10年間、同じように虐殺につぐ虐殺が繰り返され、アラブ人の抵抗に関してだけはテロと呼ぶ、狂気のフランス・ジャーナリズムの腐り切った時代が続いてきた。現代のド・ゴール主義の復活は、1990年11月にド・ゴール生誕100周年を祝う国家的な現象にまで発展してきた。

実際には、フランスにはジャーナリズムなど存在しないのである。フランス人のテロ団が現地の警察と組んで、'アラブ人との友好を求めるフランス人'まで殺害し続けた。しかしここに、遂にアラブ人の怒りが爆発する日を赤い楯14迎えた。1954年11月1日の万聖節の夜、アルジェ南東のオーレス山地で蜂起がはじまると、戦闘は全土に広まっていった。フランス国家「ラ・マルセイエーズ」を歌うことを拒否するアラブ人の子供たちが、北アフリカ全土に誕生してきたのだ。やがて火の手は、モロッコにまで広がってゆき、これに対してフランス軍はある地区で6万を超える部族民を皆殺しにするなど、ますます弾圧を強めていった。捕虜に対する拷問は、自由フランス軍が'ナチスの開発した電気ショック'を使用したことによって、自らナチスを非難する資格を失っていった。秘密警察を育てたフランス内務省にアルジェリア局が創設されたのは、1905年という昔のことであった。相手がアラブ人だというだけで殺す権利を神から与えられた彼らは、'アラブ人に対する水晶の夜'を繰り返した。(後略)

(引用終わり)

これは当時のフランスの財閥がアルジェリアの石油利権に群がり、その結果起こった顛末が書かれているのです。その財閥の名を挙げると、「ラザール・フレール」、「アルジェリア信用銀行」、「アルジェリア商会」、「アルジェリア液化メタン」など他にも多数あり、またこういった財閥、銀行群はフランス家ロスチャイルドと一族となっているとも著者の広瀬氏は記しています。つまりこういった財閥・銀行群が'カネ儲け'するためにド・ゴールの自由フランス軍を利用したということです。

上述の引用文を読めば、ド・ゴールは英雄などではなく、戦争屋、虐殺者といった類の人間だったということです。では次にこの戦争屋としてのド・ゴールの戦後の動向について、「20世紀のファウスト 下巻」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊 に記してあったので以下に引用したいと思います。

(引用開始)

赤い楯12(前略)ハリマンとガルブレイズは各国主脳に礼を言ってまわった。しかし、ド・ゴールを完全に無視した。ド・ゴールはヒトラー軍の侵攻を前にして、一目散にイギリスへ逃亡してきた。ハリマンはチャーチルを動かし、自由フランス政府代表という名目だけの名をド・ゴールに与えた。そして大戦後アイゼンハワーと同じように「英雄」に仕立ててやった。核実験の実験禁止協定でも実務的な協議を重ねてきた。しかしハリマンは「不都合で、不名誉で、かつ裏切りでさえある」と、ド・ゴールを許せなかったのだ。(後略)

(引用終わり)

これはアメリカのジョン・F・ケネディが暗殺された後に行われた葬儀の一場面を記したものですが、少し前まで私がこの「20世紀のファウスト」を引用して記していたアヴェレル・ハリマンのド・ゴールに対しての印象を記しています。

ここでド・ゴールについて注目したいのは、前述した「自由フランス政府(軍)」を実際にド・ゴールは指揮していたのではなく、一目散にイギリスに逃亡したということです。このことからド・ゴールは英雄ではなく、ナチス・ドイツとフランスを守るために戦ったのではないことが明らかになります。しかも、ハリマンがチャーチルを動かし、「自由フランス政府代表」という名目だけの名をド・ゴールに与えた、すなわちド・ゴールはイギリスに一目散に逃亡したにもかかわらず、その名をもらった、ということを考えれば、何かロスチャイルドと繋がっている感がします。先日記したようにチャーチルはユダヤ人であり、ロスチャイルド一族の人間です。

では次にド・ゴールが具体的にしたことが書いてある箇所を同じ「20世紀のファウスト 下巻」から以下に引用します。

(引用開始)

(前略)1960年2月13日、サハラ砂漠でフランスは核実験を行った。フランスのエリゼ宮殿のベッドの中で寝ていたド・ゴール大統領は、メスメル国防相の電話で目を覚ました。「おはようございます。将軍、原爆の実験は2、3分前に無事成功しました。」

フランスはこの瞬間に、米、ソ、英に次いで4番目の核保有国となった。ド・ゴールはすぐにフランス原子力委員会に祝電を手書きした。「この瞬間、フランスはより強大となり、フランスの誇りは高められた。心底より謝意を表す」

同じ1960年、イスラエルで核施設ディモナの完成が近づいていた。パリのユダヤ王の一人、エドモンド・ド・ロスチャイルドとニューヨークのエイブラハム・フェインバーグ(トルーマン、ケネディに大口の献金をした実業家)の二人が中心となり、ディモナのために資金集めをしていた。ヴィクター・ロスチャイルドも他のユダヤ資本家たちとともに金を出していた。イスラエルの国家予算だけではディモナの完成ができなかったからだ。この年の5月、ド・ゴールはイスラエルからの要請を受けて原子炉とウランの供給に着手するが、その一方で不安を感じていた。ド・ゴールの「回想録」見ることにしよう。

「ベングリオン(私の注:当時のイスラエルの首相)は現代でもっとも偉大な政治家の一人だ。勇気溢れる戦士であり、闘志である。首相には最初に会った瞬間から共感し、尊敬の念を抱いた。(中略)とりわけ、ベルシェバ近くの施設へのわが国の協力を中止した。この施設はウランからプルトニウムを取り出すもので、ある晴れた日突然、この施設で核兵器が完成していないとも限らなかった。」

これは表向きのド・ゴールの姿である。フランス企業はウラン鉱石と発注済みの原子炉部品を納入した。しかし、フランスとイスラエルには密約があった。「フランスは外国による査察を要求しない。イスラエルは原子炉の存在を公表し、ディモナの工事を進めるが、フランス政府は公式の支援を行わない・・・・・」。要するに、「沈黙」のうちにすべてを行おうとしたのだ。こうしてイスラエルの核施設は完成に近づきつつあった。アメリカはフランスとイスラエル両国からこの事実を知らされてはいなかった。

(中略)

1963年、ケネディは部分的核実験禁止条約をソヴィエト、イギリスと結ぶため、ハリマンをパリとモスクワに送り込んだ。ハリマンはド・ゴールを説得し続けた。だがド・ゴールは応じなかった。ケネディはド・ゴールに「核実験禁止条約に加入するように」との親書を送っている。ド・ゴールは「米、英ソと同じ力を備えるのをやめるわけにはいかない」と、ケネディの親書に答えるかたちでパリで宣言した。(後略)

(引用終わり)

つまりド・ゴールは戦後、核実験を行い、フランスを核保有国にし、さらにはイスラエルの核施設の建設にも協力したということです。

では、ここでこの「20世紀のファウスト 」にド・ゴールの正体について記した箇所があったので以下に記します。

(引用開始)

(前略)アイゼンハワー大統領の時代、イスラエルは核兵器製造に情熱を燃やすようになっていた。アメリカに在住するユダヤ人たちが盛んにアイゼンハワー政権内部に入っていった。一方でエドモン・ド・ロスチャイルドがイスラエル建国のために尽力した。それは同時に、イスラエルが中東諸国と戦うための武器を調達するということでもあった。

隠れユダヤ人ド・ゴールが大統領として登場してくるのは歴史の必然であった。それはフランスのユダヤ王ギ・ド・ロスチャイルドの力によった。ギは1950年にユダヤ財団の理事長に就任し、エドモンとともにイスラエル防衛のためにド・ゴールを働かせた。ユダヤ人の兵器商ダッソーが仲介に入った。こうして爆撃機がイスラエルに輸出された。そして核兵器も・・・・・。

ド・ゴールは心変わりし、イスラエルへの武器供与を止めると言った。しかし、殺されかけた。ほんの少しだけ、運がよかっただけのことである。(後略)

(引用終わり)

鬼塚氏によれば、ド・ゴールはユダヤ人(隠れユダヤ人)ということになります(私はそれを書き記した文言をまだ確認出来ていませんが)。

赤い楯16では、ここでド・ゴールについてまとめたいと思います。

第2次大戦中、ナチス・ドイツ軍がフランスに攻めてきた。ド・ゴールは一目散にイギリスに逃げた。しかし実際に戦線で戦っている「自由フランス軍(政府)」の代表という地位をチャーチルから与えられた。しかしそれを与えるように指示したのは、ユダヤ王ロスチャイルドと当時強い絆で結ばれたアヴェレル・ハリマン。そして戦後形だけの英雄に仕立てられた。

戦後はロスチャイルド・フランス家のギ・ド・ロスチャイルドによって大統領に仕立てられ、イスラエルの核施設建設などイスラエルのために働かせられる。また、フランスの核実験を成功させ、ケネディの強い説得があったにもかかわらず、核実験禁止条約には批准しなかった。

そして政権末期に心変わりし、最後の最後にやっと改心したのか、「イスラエルへの武器供与を止める」と言った。だから殺されかけた。だが運が良かったために生涯'核反対'を貫いたケネディのように死なずに済んだ。

といったところでしょう。英雄では全くもってなかったわけです。

そして最後に強調しておきたいのは、ロスチャイルドが裏で暗躍して大量虐殺された国は、私が書いたこの文ではアルジェリアです。前回ロスチャイルドが裏で暗躍して大量虐殺されたことについて私が書いた文は、それはイランでした。前々回のそれはウクライナでした。たった私の書いた直近の文3つだけで3カ国もの国民が大虐殺されたこととが分かったということです。

蕎麦屋という老後の生き方

先日、横須賀に住んでいる、毎年シダーズがクリーニングでお蕎麦屋伺いしているお客様の紹介で、とある横浜のお客様のところへクリーニングで行ってきました。その時の昼休みに食事をとるため、食べる所を探していたら、お蕎麦屋さんを見つけました ・・・・が、そのお店ののれんは見つかったのですが入口が見当たらないのです。

蕎麦屋2そしてその、のれんのまわりをよく見ると、すぐ横にかなり長い階段があり、どうやらその長い階段を上りきったところにお店があるようでした。




その階段を上りきり、頂上につき、そば蕎麦屋3が食べれる!!」と少し安堵な気持ちを抱いたのですが、一応食べるところらしき場所はあるものの人の気配が全くありません。シダーズは一瞬、「ひょっとして、なんちゃってお蕎麦屋さんか!」、などとくだらない冗談混じりの妄想しながらよくまわりを見てみると、その食べるところらしきところの右側に入口、というか普通のベランダの掃き出し窓がありました。

そしてその掃き出し窓を恐る恐る開けて見たのですが蕎麦屋4そこにも誰もいません。仕方なくシダーズが2回ほど、「すみませ〜ん」 と大き言うと、お店の2階から階段を降りてきて、というか普通の家の階段を上から、そのお店のマスターとそのかみさんらしきひと2人が降りてきました。ここで普通の一軒家を改築してお蕎麦屋さんをやっている、ということが分かってきました。

蕎麦屋5ですがこのお蕎麦屋さん、なかなか粋なもので、シダーズが掃き出し窓を開けて中へ入ると、大きいテーブルがあり、その真ん中に暖炉があり、その暖炉の上にはそばつゆが入っている大きめの鍋が置いてありました。

蕎麦屋6そしてシダーズがその暖炉があるテーブルのまわりにあるイスに座るとそのマスターが、「すみませんねえ、なんか下にお客様が来たのかなあ、と思ってはみたのですがとなりの家の音もそれと同じくらい響くのでお客様が来てるのかどうか分からなかったもんで」、と言われました。その後のシダーズとこのお店の人との会話は以下の通りです。

シダーズ:暖炉があるっていいですねえ、なんかすごく風情がありますよ。

マスター:(少し嬉しそうな感じで)そうですか。

シダーズ:お家を改装して(お店を)やってるんですか。

マスター:ええ、なんか台所がゴチャゴチャになってますけど。

シダーズ:でもいいですよね、家賃もかからなくて。

マスター:うん、それ、それです(それが一番のメリットです)。

かみさん:(お茶と前菜の大根の味噌がけをシダーズの前に置きながら)あっ、お客さん、それ i-Pad ですよね。私らも持ってるんですけどなんか全然使い方がわからなくて。

シダーズ:私もあまり分からないんですけど、そういう時は(auの販売店、もしくはサービスセンターに)すぐに電話して聞いちゃいますよ。その方が早いですよ。

マスター:それが聞いても言葉の意味が分からないから分からないんですよ。まあ、老後のボケ防止に、夫婦2人でいろいろと考えながら、時間かけてやってれば、なるんで気楽にやってますよ。さっきもお客さんを少し待たせちゃった時、上でパソコンを2人であくせくしながらやってたんですよ。

といった感じでした。そしてこのお蕎麦屋さんの営業も、ボケ防止の一環でやっている、といったことも話していました。

シダーズはこの御夫婦と会話していて、人生の先輩方を前にしてシダーズは頭の中で、「このお二方は、i-Padの使い方を聞いても言葉の意味が分からない、と言いながらも非常に人生を分かってらっしゃるなあ」と痛感させられました。

自宅を改装してお蕎麦屋さんを夫婦2人でやる、ということは店舗家賃は¥0、従業員への支払い給料¥0。お店を営業するにあたっての水道光熱費は、電気代はキッチンとリビングルームの照明だけ(これとて普通に生活していればかかる電気代)、そばつゆは木炭で暖めている暖炉で常に保温状態なのでその分ガス代は浮く(木炭代はかかるが)。そしてパソコンは夫婦2人で力を合わせながら時間をかけて問題を解決しながら日々を過ごす---- これを時間のムダ使い、と思う必要があるのは忙しい現役選手のこと。特に夢ややりたいことがないのであれば、こうして頭を使う時間をあえてつくり、蕎麦屋さんを営業することによって少しの緊張感もでて、結果、長く若々しくいれる、ことを悟っている、このお二方は!!と勝手にシダーズは頭の中で決め込んでいました(⌒∇⌒)//。

蕎麦屋7


シェル石油とBP(ブリティッシュ石油)を支配するロスチャイルド

昨日に引き続き今私は「赤い楯 下巻」広瀬隆著 集英社刊 という本を読んでいるのですが、また書きたくなったことが出てきたので書きたいと思います。それはこの本の主題であるロスチャイルドが世界の石油業界に及ぼしてきた影響の大きさについてです。というか見方を変えれば世界の石油業界を左右していると言っても過言ではないくらいにロスチャイルドの石油業界に対する影響力は大です。

また、今これから書くことは世界の石油市場に与えるロスチャイルド財閥の影響力のみならず、今までロスチャイルドが我々が分からないところで世界を支配し続けている、という事実も見えてくるものと思います。ではまずは、そのロスチャイルドが世界の石油の流通に与えている影響度について記された部分を「赤い楯 下巻」から引用します。

(引用開始)

(前略)「シェル」の創業者はイギリスのユダヤ人マーカス・サミュエルと言われ、石油業界では伝説的な人物と赤い楯6なっている。しかしサミュエル一人で世界一の油田を動かせるはずもなかった。世界的なジャーナリストであるアンソニー・サンプソンの著書「セブン・シスターズ」などは、このような特定の人物にだけ光を当て、その背後で動いたロスチャイルドのことにはまったく触れないという不思議な本である。隠すべき何かの理由があるのだろう。

マーカス・サミュエルがバクーから石油を運び出した時、その船が向かった先はスエズ運河であった。この運河を通ってサミュエルは石油をアジア、特にわが日本に向けて大量に輸送し、同時にその帰りの船で米の交易などもおこなった。父親が貝殻細工の輸入業者だったため、この船には貝がら(英語でshell)のマークを付け、社名を「貝がら輸送貿易」と名付けたのが事の始まりだった。イタリア・ルネッサンスの傑作ボッティチェリの'ヴィーナスの誕生'は、美の女神ヴィーナスが生まれた絵となっているが、同じ地中海の貝がらから生まれたのが、バクー油田の貿易であった。この「シェル」創業の伝説でそれほど注目されていないのが、マーカス・サミュエルの資金を出した人物、ロスチャイルドの正体である。実にバクー油田のパトロンとなったロスチャイルドは、イギリス家でなく、フランス銀行の理事アルフォンス・ロスチャイルドたち、パリ一族であった。さきほどの'石油成金'の系図47に示した通り、鉄道王ジェームズの息子に当たる。

マーカス・サミュエルはロンドンの商人だが、こうして現代はイギリスの会社と定義されている「シェル」の資本が、パリによってまかなわれたという点が重要である。さらにもうひとつ石油業界で重要なことが見落とされている。サミュエルはすでに上巻の系図10に「マーカス・サミュエル」商会の創業者として示した通りロスチャイルド家の一族だが、この貿易事業の成功によって「アングロ・ペルシャ石油」の重役室に入っていった。

この石油会社こそ、「アングロ・イラニアン石油」から「ブリテイッシュ石油」(BP)へと名を変え、セブン・シスターズとして君臨するシェルのライバルである。実業界の通説がどのように仕組まれ、独占して一族の名を巧みに隠してきたかがお分かりであろう。シェルとBPというヨーロッパの2大石油会社はライバルどころか、創業時代からすでにロスチャイルド家が両方の株を握り、そのうちかなりのものをフランスの'赤い楯'が保有していたことになる。'石油成金'の系図に、すでに登場した「スエズ運河」社長ジャック・ジョルジュ=ピコを書き加えれば、この運河を通って石油を運んだシェル輸送貿易の歴史と見事に符合する。イギリスとフランスがエジプトを襲ったスエズ動乱の真因は、ここにあった。

かくしてシェル・フランス創業者ドイッチ家自らロスチャイルド家となり、フランス銀行の金庫とスエズ運河の堰(せき)を自由にあけたり閉じたりしながら、際限なく富を蓄える財閥になった。これをスイス・ジュネーブ出の強欲な銀行家たちが指をくわえて眺めているはずもなく、ミラボー銀行、ヴェルヌ銀行、マレ銀行といった古典的ブルジョワが寄ってたかって嫁を差し出し、ムコを選んで、あっという間に'一家族'となってしまった、というのが今日の成金貴族の出生である。これは、艶笑映画「青い牝馬」や「お熱いのがお好き」をしのぐ悲壮とも思われる財閥史。(後略)

(引用終わり)

これは日本でも有名な「シェル石油」の創業者でるマーカス・サミュエルが実はスターリンのソ連のバクー油田の権益を確保していたロスチャイルドから創業資金を得て、赤い楯8「シェル石油」を設立したことの記述になります。世界でも代表的な石油会社である「シェル石油」もロスチャイルドの配下だったということです。

さらにここで注目に値するのがイランの石油会社「アングロ・イラニアン石油」の重役室に、このロスチャイルドの資金で「シェル石油」を立ち上げたサミュエルが入った、という事実です。この「アングロ・イラニアン石油」が先日も記しましたが、昨年、ロスチャイルドが(見せかけ上の)買収をしたBP(ブリテイッシュ石油)社です。この2社をロスチャイルドは1900年前後の時期におさえていたことになります。

そして私はこの部分を読んでいて、先日記した(http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8081823.html)、この「赤い楯」の上巻に記された以下の記述を思い起こしました。

(引用開始)

(前略)地下組織ハガナーが設立された1920年から、パレスチナを根城にして、世界を股にかけるロスチャイルドの軍事組織が動き出した。ロスチャイルド赤い楯3はパレスチナに資金を送り、今日のイスラエル一のヘブライ大学の母体となる学校を1925年に創設し、もうひとつの手で、ペルシャにパーレヴィを送り込んで独裁王国を誕生させてしまった。これはチャーチルが投資した「アングロ・ペルシャ石油」の利権を自由に支配するための実質的なイギリス植民地政策であった。その正体は、10年後に国名をペルシャからイランに変えると共に社名も「アングロ・イラニアン石油」と変え、さらに1953年にCIAを利用したクーデターで2代目パーレヴィを王位に就かせると、「ブリテッシュ・ペトロリアム」、その名も英国石油となって自ら覆面を脱ぎすてたのである。アラビアのロレンスの芝居は、その上司メンジスとCIAダレスの合同作戦につながり、パレスチナだけでなくイラク・イランの領域まで含むものであった。(後略)

(引用終わり)

赤い楯9つまりロスチャイルドが当時のイランにイラン国王パーレヴィを送り込んで「アングロ・ペルシャ石油」を完全に支配したということです。イラン国王をヨーロッパのロスチャイルドが送り込んだのです。これが記述にあるように、現在もロスチャイルド配下の石油会社BP社と社名を変えるわけです。そしてこのイラン国王パーレヴィを送り込んだ後のイラン国内について記した文が、「ザ・パージャン・パズル 上巻」ケネス・M・ポラック 著 小学館 刊 にあったので引用します(http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8087430.html)。

(引用開始)

(前略)政治的な意識の高いイラン人は、アングロ・ペルシャ石油(APOC)が自分たちの国を欺き、詐欺を働いていることに早くから気づいていた。1925年、レザー・シャー(私の注:パーレヴィのこと)はAPOCに対する調査を命じたが、そ赤い楯7の結果、さまざまな不正行為が暴露された。APOCは、ペルシア政府に収益を過少申告していたほか、パイプラインの維持費として1万ポンドを請求しながら、その修理費と称してさらに法外な金額を追加請求していた。また子会社が債務にかかる利息分を納入したにもかかわらず、その分を収益から差し引いていて、さらには収益の3%を親英系の複数の部族に支払い、その分をペルシャ政府に納入する金額から減額していたうえ、英国政府には石油を割引価格で売却していた。こうした複数の不正行為を隠すために行った、経理上のごまかしは想像を超えるものだった。レザー・シャーはまず1927年に、APOCと新たな契約を結ぼうとしたが、マジュリス(必ずしも独立した機関ではなかったから、この問題ではおそらくシャーの意見を反映していた)がこれを否決した。次いで1930年、シャーは4%の所得税の課税を導入したが、APOCは断固としてその支払いを拒否した。これが最後のわらの一本となったらしく、シャーは1932年、石油利権を一方的に取り消した。

APOCはここにいたって、初めて事態の重大さに気づいた。ペルシアは当時、世界第5位の石油産油国であり、大英帝国の海軍に納入される、石油の大半はペルシア産(APOCがその最大の株主(私の注:英国政府のこと)に与えている不正な値引きのおかげで)だった。しかしレザー・シャーには、駆け引きをする余地はほとんどなかった。シャーは石油を売却する相手としての英国を必要としていたし、何よりも石油から上がる現金を必要としていた。当時、ペルシアが受け取っていた、このわずかな石油収入が、輸出収入の全体の3分の2を占めていた。1933年4月、両者はあらたな契約に合意した。最終的にどちらが得したのかははっきりしないが、イラン政府は石油価格を決める方法を、これまで以上にごまかしの効かないものにした。石油生産の1バーレル当たりで固定し、総額で最低収入を少し上回る額に設定した。一方、APOCは旧契約の利権地域の80%を返上(もっとも石油が現に確認されている地域についてはすべて保留)した。APOCはまた契約の1993年までの延長を確保した。(後略)

(引用終わり)

この文はアメリカの元CIAの職員だったポラック氏が書いていることもあり、文章が巧妙に、ことの真相が分からないように、読者の頭を煙に巻くように書かれた文章といえるでしょう。イラン国王パーレヴィが「アングロ・イラニアン石油」の不正を暴くかごとくに書かれていますが、このパーレヴィをイランに送り込んだのがロスチャイルドあり、この1930年頃というのはロスチャイルド一族であるイギリスのウィンストン・チャーチルがイギリスの海軍大臣をしていて、イギリス軍としてはこの時期イランから大量の石油を輸入して、これからロスチャイルドが仕掛ける第二次世界大戦にむけて大量にイランの石油を必要としていたのです。だからこそここでロスチャイルドがパーレヴィをイランに送り込んだといえます。なのでこのパーレヴィの「アングロ・イラニアン石油」叩きはおそらくロスチャイルドに仕込まれた芝居でしょう。日本の安倍がアメリカに、芝居して、国民の生活向上を政策にしているように見せかけて、実は第三次世界大戦に向かう政策をさせられているのと同類のものでしょう。それはこの引用文にあるように、「最終的にどちらが得したのかははっきりしないが、」という一文がそれを物語っています。

ではここで一応おさらいということで、通史ではイギリスの英雄とされるウィンストン・チャーチルがユダヤ人であり、ロスチャイルドの犬であったことを証明する事実が書かれている文を先日まで再三引用させて頂いた「20世紀のファウスト 上巻」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊 から引用したいと思います。

(引用開始)

(前略)まさしくチャーチルは彼の主治医が述べたように、ヴィクトリア王朝の人間だった。

彼の背後にはクロムウェルとユダヤ王ロスチャイルドがいた。チャーチルの若き日のエピソードを記すことにする。以下は彼がセシル・ローズのボーア戦争に従軍し、その戦記をイギリスの出版社から出版しようとし、母に宛てた手紙である。

赤い楯4「ママ、頼むよ。新聞社に交渉してほしい。きっと面白い戦記を送る。絶対、生々しいスケッチだよ。一本、10ポンドか15ポンドで掛け合って下さい。ロスチャイルド卿に頼んでください。彼は全部の新聞社を知っている。タイムのウォーレス、モーニング・ポストのポーンウィックがいいが、彼らがダメならグラフィック紙でもいい。ママに全権一任します。」

チャーチル家はイギリス最高位に位置する貴族である。その住まいのプレイナム御殿はイギリス一の豪邸と言われていた。マールボロの称号はイギリス史上最も名誉ある名前である。ただし哀しいかな、チャーチル家は斜陽の時代を迎えていた。それゆえマールボロ公爵は、泥棒貴族のアメリカ鉄道王ヴァンダービルド家のジェニー・ジェロームと結婚した。持参金250万ドル、その他を入れて1000万ドルをヴァンダービルド家は使った。

チャーチルはボーア戦争に従軍する直前、21歳のとき、ロスチャイルド家のパーティーに招かれた。彼はそのときの模様を手紙で伝えている。

「ロスチャイルド卿は素晴らしい感覚の持ち主です。誠に博識です。このような賢い人に会って話を聞くことができるとは、実に貴重な体験です。」

前章の「ダーウィニズムの世界」の項で、コンスエロ・ヴァンダービルド一族の娘のジェニー・ジェロームがランドルフ・チャーチル卿のもとへ嫁ぎウィンストン・チャーチルが生まれた、と私は書いた。このジェロームはユダヤ系アメリカ人だった。ジェニーの父はニューヨーク・タイムズの社主であった。この男はロックフェラーとロスチャイルドに非常に近い男だった。チャーチルは生まれながらにして首相候補だったわけである。

チャーチルは生涯、借金に追いたてられた。この点はルーズヴェルト大統領とよく似ている。そして、ロスチャイルドが借金漬けのチャーチルを首相に育て上げるのである。彼は夢の中でたびたび、黒い犬に追いかけられた。彼を追いかけまわしたのは間違いなくロスチャイルドであろう。

ユダヤ人の条件の一つに、ユダヤ娘から生まれた人間はユダヤ人であるというのがある。そういう意味においてはチャーチルもユダヤ人だ。それも純正のユダヤ人だ。(後略)

(引用終わり)

ユダヤ人の定義はいろいろとあるようですが上記の鬼塚氏の文章に則れば、チャーチルがユダヤ人であること赤い楯10は火を見るよりも明らかでしょう。しかも、完全に、ロスチャイルドの黒い犬であることも明白でしょう。

以上いろいろと書かせて頂きましたが、ロスチャイルドは「シェル石油」と「BP社」の巨大石油会社を牛耳っており、現代まで、陰に、世界の石油の流通に影響を及ぼしてきたのです。ですがここでロスチャイルドの石油支配、というだけでは世の中の仕組みを誤って捉えてしまいそうです。というのは先日も記しましたがこの石油=ガソリンが現代の車社会を迎える前の、言ってみれば、鉄道の時代はどうだったか? を見ればロスチャイルドが抑えてきたものは石油に留まらないことが分かります。

先日も記しましたがロスチャイルド財閥はこのシェル石油とBP社を抑える以前は当時のフランス・ロスチャイルド家がヨーロッパの鉄道を牛耳っていました(http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8060365.html

)。つまりは車社会であろうと鉄道社会であろうとロスチャイルドはぼろ儲けしていて、世界に多大な影響を与えていたのです。

では、最後に、上述してきた「シェル石油」と「BP社」の二つのうちの「BP社」、すなわち「アングロ・イラニアン石油」をロスチャイルドが支配するためにイランにイラン国王パーレヴィを送り込んだ後の、イランの庶民の人たちの生活はどうなったか? を先に引用させて頂いた「ザ・パージャン・パズル 上巻」ケネス・M・ポラック 著 小学館 刊 から再度引用させて頂き、終わりにしたいと思います。

尚、文中の「英国政府」は、'陰でロスチャイルドが動かしている' ということを前提に読んで頂きたいのと同時に、昨日記させて頂いた、'ウクライナ大虐殺キャンペーン' によってウクライナの人々がロスチャイルドの'金儲け'のために死、もしくは強制労働所で重労働を強いられたことと同義のことがイランでも行われた、という前提で読んで頂ければと思います。

(引用開始)

(前略)戦後のイランでの発展の可能性を、最も期待されたのは石油であった。数年の間に、原油輸出が劇的増大し、イランは大英帝国の主要な産油国となった。1914年、30万トンにも足りなかった原油輸出は、20年に150万トン、41年に650万トン、そして45年には1600万トンへと急拡大を続けた。問題はイラン国民自身がその恩恵にほとんど浴していないことだった。仮に石油収入のすべてをイランが手にしたとするなら、その総額は2億7500万ポンドにのぼっていたはずである。しかしながら1933年の協定の下では ----- さらにアングロ・イラニアン石油(AIOC、APOCの後身)が収益を不正に操作した後では ----- それは実際には、3,700万ポンドでしかなかった。しかも屈辱的だったのは、会社がイラン人従業員に、わずかな給料しか払わず、彼らをまるで奴隷労働者のように扱っていたことだった。

AIOCは祖国をだまし、法外な利益を貪っているという思いが、イラン人の間に怒りを呼び起こした。また一方ではAIOCのイラン人職員への待遇問題が、1946年6月、ついにゼネストを引き起こした。これに対する英国政府(AIOCの株の過半数以上を持つ株主)の対応は、いかにも帝国主義的であった。英国政府はアバダンの主な製油所に圧力を加えるために、艦隊を出動させ、フーゼスタン州の地方部族とアラブ人を使って、ストライキ中の労働者に、殴り込みをかけさせた。この衝突で、数十人が死亡し、数百人が負傷した。最後に英国はストライキの停止と引き換えに、イランの労働法を順守する、という譲歩をした。労働者たちは暴力にうんざりし、給料を手にしたがっていた。労働者たちは職場に復帰した。しかしAIOCはすぐに約束を撤回し、イラン人従業員の待遇には、何の改善も加えられなかった。

(中略)

シャー(私の注:上述のロスチャイルドが送り込んだパーレヴィのこと)の抑圧的な政策は、もう一つ別の問題と重なって、一つの画期的な政治連合を生んだ。別の問赤い楯11題というのは英国の石油利権である。AIOCは強欲で軽率な会社だった。彼らは直接の利益の極大化を求め、イランに対しては何の配慮も示すことがなく、自分たちが作り出している敵意にすらも、まったく無頓着だった。会社は嘘をつき、会計帳簿をごまかして、イラン政府への支払いを数十億ドルも不当に少なくしていた。 またAIOCはイラン政府の役人たちを買収し、イランの国内政治の操作を試み、地方の部族には彼らの支持を得るために武器を供与し、そして1933年の石油利権の協定の条項に、終始違反し続けた。この条項には労働条件の改善、イラン人従業員の訓練、イラン人職員のより大きな権限を持つ地位への昇格、などが明記されていた。英国人はインドから労働者を呼んできて、当然イラン人に当てられるべき職場を、インド人に与えることさえした。

AIOCのイラン人労働者の労働条件は過酷なものだった。彼らに支払われた賃金は1日当たり50セントで、彼らはカガザバード(ペルシア語で「紙の町」の意、主要な建築資材が紙だったことからこの名がつけられた)と呼ばれるスラム街に住んでいた。休日はなく、病気で休むことすら認められず、怪我をしても補償はなかった。アバダンで数年間働いたことのあるイスラエル人は「ここのイラン人は地球上で最も貧しい人々だ ----- 、彼らは夏の暑い数ヶ月を木立の下で夜を過ごし ----- 、冬に会社が建てた大きなホールに移ったが、そこには1カ所に3000人から4000人が詰め込まれ、なかには仕切りすらなく、1家族に与えられる広さは、毛布1枚分だけだった。便所すらもなかった ----- 英国人の同僚とは時に議論となり、われわれは彼らが現にやっているような、イラン人の取り扱い方は間違っていることを、何とか理解させようとした。しかし彼らは「われわれ英国人は原住民をいかに扱うかについて数百年の歴史がある。本国では社会主義も結構だが、ここではわれわれは支配者でなければならない」と主張するのが常だった」と記している。1951年にアバダンを訪れたアヴェレル・ハリマンは、トルーマンにそこで目にしたスラム街について「これは西欧の石油大会社の従業員住宅として、あまりにもひどすぎる」と打電した。彼はまた後に、英国人は「イランに対して19世紀の、完全に植民地主義的な態度をとっている」とも打電している。(後略)

(引用終わり)

新しいステンレス素材の磨き方

最近、ようやく年度末から年度始めにおける原状回復クリーニング(空き部屋のクリーニング)の繁忙期が終り、少し落ち着いてきました。今回のこの年度末から年度始めにおけるクリーニングで改めて認識できたことがありました。それは‘ステンレスの磨き’についてです。

キッチンシンクなどのステンレスの磨きはやはりクレンザーを使って磨き上げるのですが、ステンレスがピッカピカになる反面、キズがつき、しかも目立つのがステンレス素材です。このステンレス素材を使用したキッチンがある空き部屋に今回数部屋分クリーニングを行ったのですがその部屋はすべてシダーズが去年の年度末にリフォームして水廻りが新しくなった部屋でした。

つまり新しい水廻りを入居者の方が1年使用した状態だったのですが、このくらいの使用頻度だとやはり、といっていいのか分かりませんが、水廻り各部がほんの少しづつだけ汚れている状態でした。

水垢1

そのうちの一つであるステンレス素材でできたキッチンの天板部分において、新しく認識できたことがありました。それは、‘ステンレスを傷つけずにピッカピカに磨き上げる技でした。それもクレンザーを使って。

否、正確にいうと、クレンザーを使う以上キズをつけないのは不可能なので実際には多少キズをつけてしまっているのですが最小限に抑えられる、ということです。

ではそれはどんな技か? というと、なんてことありません。クレンザーを使いはするのですが極弱く磨く、ということです。

通常はキッチンなどのステンレスを磨き上げる際には、シダーズは一般には販売されていない、クレンザーに含水垢2まれている研磨剤が通常は尖ったかたちのものが含有されているのですが、その研磨剤のかたちが円形のものが含有されているクレンザーを使って磨き上げています。このクレンザーのメーカーの人に聞いたところ、この研磨剤を円形にすることによってキズがつきにくくなるということでした。このクレンザーを特殊な資材を使って磨き上げます。

ですが前述したように、このやり方だとステンレスを傷つけてしまいますし、また今回のこのキッチンはまだ使用後1年しか経過してないので汚れていな水垢3い部分がほぼ新品状態で、その新しい部分との違いがはっきりでて、余計にそのキズを浮き彫りにしてしまいます。ではどうしたか? 手にこの研磨剤の形が円形のクレンザーを手に少量だけつけて、軽くそのステンレスを磨く、というよりはなぞるように磨きます。すると、前述したように完全に無傷というわけにはいかないのですがほぼ無傷の状態でピッカピカに仕上がったのです。

と、いうことでもし、使っているキッチンなどの素材がステンレスでできていて、かつ水垢などの汚れがそれほど強くステンレスにこびりついていない状態で、なるべくキズつけずにきれいに仕上げたい! と思っている方はこの、クレンザーを手に少量つけて、軽くなぞるように磨く、というクリーニングをおすすめします
(⌒∇⌒)//。

水垢4

ウクライナ大虐殺の本当の狙い

少し前まで「私は今、「赤い楯 広瀬隆 著 集英社 刊 紂廚箸いλ椶鯑匹鵑任い襦廚判颪、それをもとに文を記して、先日やっと読み終えた、とも書きました。そして少し時間が空いてしまったのですがようやく、この下巻の方を読み始めたのでそれについて記していきたいと思います。

それは少し前に「20世紀のファウスト」鬼塚英昭 著 成甲書房 刊 を読んでそれについて記した際に、ソ連のスターリンによるポグロム(ユダヤ人虐殺)について記させて頂きましたがそれのスターリンが、今プーチンと西側諸国で争っている、ウクライナにおいて行ったポグロムについて記したいと思います。尚、先日私は第2次大戦後、ヒットラーやドイツ・ナチス兵がアルゼンチンなどの南米に逃れたことについて疑問符をつけましたがその答えが見えてくるものとなっていました。ではまずはその部分について書かれている箇所を引用したいと思います。

(引用開始)

赤い楯1(前略)ソ連が生き延びるための外貨を獲得する目的で、ウクライナの小麦が西ヨーロッパへ輸出され、その収入が鉄鋼産業を育てることになった。この当時の鉄は、現在とは比較にならないほど、すべての工業を支配する巨大な動力であった。‘鉄の人’スターリンは小麦を売って鉄を買ったのである。ここに、西ヨーロッパでこの小麦を買ったのは誰か、という歴史上最大の謎が生じてくる。

ソ連貿易の実作業を取り仕切った人物、それはリトヴィノフと連動して、恐怖の1930年代のソ連を動かしたラーザリ・カガノヴィッチという男であった。

(中略)-----1893年、キエフの貧しいユダヤ人労働者の家に生まれ、スターリンの側近として1930年代には終始、ソ連でNo2の地位にあった。1925年には、ウクライナ共産党の第一書記となり、ウクライナ共産党リーダーの粛清を行った。1928年から中央委員会の書記となり、ウクライナなど各地にスターリンの代理人として赴き、何百万人という農民とその家族を死と流刑に追いやる恐怖活動を指導した。キリスト教会など重要な古い建築を無慈悲に破壊し、1930年代後半の粛清においては、逮捕と流刑を自ら実践し、航空産業大臣であった実兄ミハイルにも冷淡で、ミハイルはベリヤによる処刑の決定を聞いて自殺した。

(中略)カガノヴィッチの本名は、その人名録に‘Kogam(コーガン)'と書かれているが、西ヨーロッパの資料では‘Kagan(カガン)'となっている。つまりコーガンまたはカガンという姓を、ロシア式の名前にしてカカノヴィッチ(Kaganovich)と変えたのである。粛清者ラーザリには、自殺した兄ミハイルだけでなく、分かる限りモイシェ、ユーリイ、ローザの少なくても合計4人の兄弟姉妹がいた。問題はこの全員にあった。男4人は、スターリン政権の中で‘カガノヴィッチ王国’と呼ばれるほど権力を誇り、前述のようにバクーを支配する石油産業大臣から、重工業大臣、航空産業大臣まで工業界を一手に引き受け、5ヵ年計画の利権を自在に動かしながら民衆とかけ離れた裕福な生活を送っていた。その中で、ベリヤの前に恐怖の死刑執行人だった秘密警察の責任者エジョフがこの兄弟たちを‘ブルジョワの手先’として告発したため、兄弟のひとり、ミハイルが自殺してしまったのである。驚いたスターリンは、そのあとカガノヴィッチ一族に手を触れないよう秘密警察に命じた。なぜなら、スターリン第3の妻が、粛清者ラーザリの実の妹ローザ・カガノヴィッチだったからである。

(中略)そして第3の妻であるユダヤ人、ローザ・カガノヴィッチと翌年(スターリンが)結婚したのである。彼女をスターリンに紹介したのが、ナチスと組んだユダヤ人モロトフ(私の注、1939年からソ連の外務大臣)で、モロトフは情報委員会(後年のKGB)の議長をつとめ、自ら秘密警察のトップに立った男である。

(中略)-----モロトフは大量テロの組織には極めて積極的に参加した。1935年にソ連人民委員会会議に入っていた25の人民委員のうち、弾圧の時代に非業の死を遂げなかったのは、ミヤコン、ウォロシーロフ、カガノヴィッチ、リトヴィノフ、それに当のモロトフだけであった。ウクライナにおける虐殺キャンペーンの主席指揮官と指導者は、モロトフとカガノヴィッチであった。モロトフはユダヤ人反ファシズム委員会のほとんど全メンバーの逮捕など、戦後のすべての弾圧に責任を負い、その犠牲者となったのがモロトフ自身の妻ポリーナ・ジェムチュージナである。彼女はユダヤ人で、イスラエルに姉妹と甥が住んでいた。第2次大戦後にモロトフは解任されたが、スターリンの死後に再び外相に任命され、妻ポリーナも釈放されるという時代に入ったところでへ、今度は1957年、フルシチョフとの衝突によって完膚なき敗北を喫し、モロトフの政治的履歴は事実上終りを告げた。1984年にモロトフの復党願いを積極的に支持したのが。(イスラエル建国を承認した)グロムイコであった。

(中略)しかしカガン家には、6番目の子供が存在したことを示唆する重大な事実が、フランスの文献に書かれている。その名をニコラといい、これが、彼ら兄弟の暗い秘密を握っていた人物である。

この男はカガノヴィッチではなく、父親アブラハム・カガンの姓をそのまま継いで、ニコラ・カガンといった。ウクライナの粛清者ラーザリの5つ年下で、モスクワに生まれ、のちフランスに帰化したフランス人だったのである。表面上は、ソ連から派遣されたフランス駐在の銀行高官とされていたが、実は次のような履歴を持っていた。

さきほどの‘フランスの二百家族’大系図44の一番上に示したように、ニコラは‘赤い楯’の投資銀行として全世界に勢力を張る「セリグマン銀行」のオーナーで、共同経営者は勿論セリグマン一族であった。本書上巻タイタニック号の沈没で、系図8に登場したのがこの一族のアメリカ移民である。カガンはそのフランス家とパートナーの関係を結び、トップの座にいた。

しかし、彼ら‘赤い楯’のマーチャント・バンカーには鉄則があり、少なくともこの当時は‘一族以外は絶対にオーナーになれなかった’のである。では、ニコラ・カガンはなぜオーナーになることができたのであろうか。その答えは、ニコラ・カガン当人がロスチャイルド一族であった、と推測するほかないであろう。

ウクライナの農民1千万人の虐殺の手掛かりを求めて、カガンもしくはコーガンという人物を全世界の歴史上の記録で探したところ、注意を惹く2家族が見つかった。これを二百家族の大系図でカガノヴィッチの右に示すが、そのひとつは、ロシア支配者ギンスブルク家と結婚したカガン家で、これはアメリカに渡ってユダヤ教で高位のラビ一族となっていた。もうひとつはコーガンの息子がアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれ、まぎれもなくヘルガ・ロスチャイルドと結婚している一族であった。

仮にこれがすべて同じ家族だとすれば、ソ連(ロシア)とフランスとアルゼンチンを結ぶキー・ワードが存在することになる。その共通項は、穀物の他にないであろう。実名で言えば、‘ロシア’の穀物をウクライナのオデッサから独占的に買い付けてきた‘フランス’の穀物商社ルイ=ドレフュス商会である。これがアルゼンチンに進出して、のちに現代アメリカで世界第4位の穀物商社になったことはすでに述べた通り、穀物業界の常識でもある。

では「セリグマン銀行」と「ルイ=ドレフュス商会」の関係を調べてみよう。大系図では2枚目右下の位置になるが、その穀物商社一族であるフランス・ルイ=ドレフュスという女性がアルゼンチンのブレノスアイレスで誕生し、彼女がフランスのヌーヴェル・ヴォーグ時代に二枚目として登場した男優ジャック・シャリエと結婚したのである。「アンネの日記」の舞台に立っているところをマルセル・カルネに認められたシャリエは、「危険な曲り角」でパスカル・プティと共演して映画デビューし、「熱い手」、「今晩おひま?」、「禁じられた肉体」など、題名から想像される作品群に次々と主演した。このルイ=ドレフュスと結婚する前にシャリエの妻だったのが、神がアダムと共に創った女ブリジッド・バルドーである。

いまここで大事なのは、読者がもう少し知りたいと思っている官能的な女優、バルドーではない。彼女はもうすぐ映画界で登場する場面がある。この家系の元をたどってゆくと、そちこちに危険な曲り角はあるが、ロシアのロスチャイルド家グンツブルグを通って、ウクライナの粛清者カガノビッチ=スターリン一族のパートナー、問題のセリグマン家に達する系図を見なければならない。これがフランス‘二百家族’の秘密であった。

そして穀物商社とセリグマン銀行についての関係は、いま説明した血族関係をそのまま金融界にも反映し、正確な全体像を描いてきた。つまりセリグマン銀行はルイ・ヒュルス銀行と合併したのち、1968年に問題の穀物商社ルイ=ドレフュス商会に吸収合併されたのである。こうしてスターリンの使者としてフランスとソ連のあいだを行き来したニコラ・カガンは、まぎれもなく穀物商社の代理人だったことが明らかになる。

結局、ウクライナで数百万人の農民が飢えたまま枯れ木のように死んでゆき、数百万人が収容所に送られていった時、そこには「屋根の上のバイオリン弾き」の主人公テヴィエのようなユダヤ人の農民も大量に含まれていたはずだが、当時についての数々の資料が示すように、クレムリンにはロールス・ロイス、キャデラック、リンカーンなど西側世界の最高級車がずらりと並び、指導者は美食家ぞろいで、ボルシチに鴨や鹿など、豪華な食事をたらふく食べていた。ある者はスターリンことグルジア人ジュガシヴィリ、ある者はカガノヴィッチことユダヤ人カガン、ある者はリトヴィノフことユダヤ人ワラック、ある者はモロトフことユダヤ人スクリャビンたちであった。(後略)

(引用終わり)

以上の引用文をまとめると、

1922年にソヴィエト社会主義共和国連邦が誕生し、スターリンは外貨を獲得する目的でウクライナの穀物をフランスへ輸出した。だがそれはソ連国民の生活を潤すためでは全くなかった。その穀物を買ったのがフランスのルイ・ドレフュス商会。このルイ・ドレヒュス商会の家系図を著者の広瀬氏の書いた系図でたどっていくと、ドイツ・フランクフルトで成り上がったロスチャイルド家初代・マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドの4男で、イタリア・ロスチャイルド家初代カール・ロスチャイルドにたどり着きます。

そのルイ・ドレフュス商会とソ連との穀物の売買で活躍したのがスターリンの側近で、1930年代はソ連No2の位置にいたラーザリ・カガノヴィッチ。このキエフの貧しいユダヤ人の家に生まれたカガノヴィッチがスターリンの下で、ソ連国内のウクライナ地方の農民に穀物を生産させる過程で数百万人のウクライナの人たちを死刑もしくは強制収容所に入れ、重労働をさせた。

そのカガノヴィッチのカガン家には、ミハイル、モイシェ、ユーリイ、ローザの少なくても合計4人の兄弟姉妹がいた。このうちのローザは女性でスターリンの第3の妻となる。そのローザをスターリンに紹介したのが第2次大戦直前にソ連の外相をしていてウクライナの‘虐殺キャンペーン’でカガノヴィッチと共にウクライナの人びとを死刑もしくは収容所に送り込んだユダヤ人モロトフ。

だがカガノヴィッチのカガン家に6番目の、カガノヴィッチの兄弟がいたことがフランスの文献で明らかになる。その名はカガノヴィッチではなく、父親アブラハム・カガンの姓をそのまま継いで、ニコラ・カガンと名乗った。

このニコラ・カガンはロスチャイルド一族の投資銀行である「セリグマン銀行」のオーナーだった。

その名前カガンはカガンという綴りの他にもう一つ、コーガンとよも読める。このコーガンを世界中の歴史の記録で調べていくと、コーガンの息子がアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれ、ヘルガ・ロスチャイルドと結婚している一族であるというところに行き着いた。つまりここでもロスチャイルドと結びついている。

そしてこの時点で、ヒトラーやナチスの軍兵が第2次大戦後、逃れたとされる南米のアルゼンチンにロスチャイルドが進出していることが推測できる。そしてこのアルゼンチンとウクライナのあるソ連とルイ=ドレフュス商会のフランスを結ぶキーワードは‘穀物’以外に考えられない。

さらにそのルイ=ドレフュス商会の一族のフランス・ルイ=ドレフュスという女性がアルゼンチンのブレノスアイレスで誕生し、彼女がフランスのヌーヴェル・ヴォーグ時代に二枚目として登場した男優ジャック・シャリエと結婚した。このジャック・シャリエという男優は、左利きのアンネがなぜか右手で書いた「アンネの日記」の舞台でマルセル・カルネに認められ、映画デビューする。

このジャック・シャリエの前の妻が女優ブリジッド・バルドー。このバルドーの家系の元をたどってゆくと、ロシアのロスチャイルド家グンツブルグを通って、ウクライナの粛清者カガノビッチ=スターリン一族のパートナー、セリグマン家に達する。このロスチャイルド一族のセリグマン銀行はルイ・ヒュルス銀行と合併したのち、1968年にルイ=ドレフュス商会に吸収合併された。

となります。こう見てくと、ソ連、フランス、そしてアルゼンチ赤い楯2ンにまで第2次大戦前からロスチャイルドが進出していて、当時スターリンが数回にわたって行った‘ポグロム(ユダヤ人大虐殺)の一つである‘ウクライナ大虐殺キャンペーン’といわれるものが実はユダヤ人の虐殺が目的ではなく、本当の目的が、ロスチャイルド一族と当時のソ連の政府要人の‘カネ儲け’が本当の目的であったことが分かってきます。ウクライナの数百万人の人たちを死、もしくは強制労働収容所に追いやって。そしてこの後、ソ連ではスターリンとモロトフなどがロスチャイルド一族が‘カネ儲け’のために引き起こした第2次大戦に進んで参加していくわけです。

では、最後にこの数百万人に及んだ‘ウクライナの大虐殺’がほんの一部の人間だけがいい思いをしたことを象徴している文として引用文の最後の段落を再度引用して終わりたいと思います。

(引用開始)

結局、ウクライナで数百万人の農民が飢えたまま枯れ木のように死んでゆき、数百万人が収容所に送られていった時、そこには「屋根の上のバイオリン弾き」の主人公テヴィエのようなユダヤ人の農民も大量に含まれていたはずだが、当時についての数々の資料が示すように、クレムリンにはロールス・ロイス、キャデラック、リンカーンなど西側世界の最高級車がずらりと並び、指導者は美食家ぞろいで、ボルシチに鴨や鹿など、豪華な食事をたらふく食べていた。ある者はスターリンことグルジア人ジュガシヴィリ、ある者はカガノヴィッチことユダヤ人カガン、ある者はリトヴィノフことユダヤ人ワラック、ある者はモロトフことユダヤ人スクリャビンたちであった。

(引用終わり)

ムルシに禁固刑を課した裁判の欺瞞性

本日(22日)の朝日新聞の国際欄を読んでいて、「ええ、そんなことあるのか!!」と、ビックリした記事がありました。それは先日も記させて頂いたエジプトの情勢について書かれた記事だったのですがとにかく違和感を感じたのです。

内容は元エジプト大統領のムルシ氏が2013年当時、ムルシ政権に対して大統領府前に座り込みをしていた反政府デモ隊に対し、威嚇し、暴力で抑圧したとして20年の禁固刑をエジプト・カイロの刑事裁判所がムルシ氏に対して下した、とするものでした。この、「座り込みをしていた反政府デモ隊にムルシ氏が暴力で抑圧した」とするところが私は腑に落ちないのです。その理由を以下に記しますがまずはその朝日新聞の記事を引用します。

(引用開始)

判決によると、ムルシ氏らは刑期終了後も5年間、警察の監視下に置かれる。

大統領当時のムルシ氏とスタッフだった同胞団指導者らは12年12月、大統領府前に座り込みをしていた反ムルシ派のデモ隊に対し、同胞団員を扇動して殺害したとして起訴された。判決でアフマド・サブリ・ユスフ裁判長は、ムルシ氏らは権力を誇示してデモ隊を威嚇し、暴力で抑圧したと認定した。武器を携行して殺害したとする001罪については無罪だとした。

ムルシ氏はこの裁判の他にも、カタールに国家機密を漏らした罪や、11年の「アラブの春」の際に脱獄した罪などにも問われており、審理中だ。

この日の判決公判はカイロの警察学校で行われ、周辺は治安部隊が警戒にあたった。法定は報道陣に公開され、記者ら約100人が詰めかけた。金網と鉄格子に囲まれた被告席にムスリム同胞団幹部らが現れ、こぶしを振り上げたり、手をたたいたりした。ロイター通信によると、ムルシ氏は立ったまま判決を聞いた。判決の読み上げの後、両手を上げる仕草も見せた。

閉廷後、ムルシ氏の弁護人は朝日新聞に「無罪を期待していた。上訴することになるだろう」。被害者側の弁護士は「同胞団に対し、もっと重い刑を期待していた。我々に上訴する権利はないが、検察はするだろう」と語った。

12年12月のデモの現場で弟(22)が撃たれて亡くなった、レダ・ムハンマドさん(28)は「父は息子の死を悲しみながら翌年に亡くなった。死刑にしてほしかった」と話した。

(引用終わり)

私がなぜムルシ氏が‘暴力で抑圧した’ことに違和感を覚えたのは、ムルシ氏はイスラム教の団体の「ムスリム同胞団」出身で大統領時もムルシ氏の支持母体は言うまでもなく「ムスリム同胞団」でした。この「ムスリム同胞団」は、当時の新聞記事を読み返してみてもこのように暴力や威嚇をもって信仰や信念を貫くような団体とは思えないのです。

さらに書かせていただくと、私自身が今まで数冊ですがイスラム教関連の本を読んで、そして今、イスラム教の聖書である「コーラン機Ν供彙羝クラッシックス 刊 藤本勝次、伴康哉、池田修 訳 を読書中なのですがイスラム教の教えにそんな凶暴性は感じられないのです。

2013年当時のエジプト混乱時の新聞記事4つ(朝日3、読売1)を改めて読み返してもみても凶暴性どころか当時の紛争時においてさえ平和的な行動をとっているのです。ここでその4つの新聞記事の1つである朝日新聞の2013年7月29日の記事を記したいと思います。

(引用開始)

[カイロ=今村実] モルシ(私の注:ムルシのこと)派の多数のテントが並ぶナセルシティーの入り口付近は、コンクリート片や土のうを大人の背丈ほどまで積み上げ、バリケードを築いていた。当局の突入に備え周囲の防備を固めているという。棒を持った若者らが入場者の身分証や手荷物をチェックし、徹底抗戦の姿勢だ。

27日の事件は、3日の政変後では最悪の惨事となった。内務省は「モルシ派と住民との衝突で散弾銃などが使われた。これに介入した警官隊は、催涙ガスしか使用していない」と説明している。

だが、テント村で抗議活動を続ける農業技師アブナルさん(55)は「真っ赤なウソだ。われわれは平和的デモを002行っていて、住民との衝突などなかった」と主張。現場で拾った10本ほどのくぎを見せ「内務当局がチンピラを使い、散弾銃でこんなものを撃ったんだ。私服警官も攻撃に加わったと思う」と訴えた。

法律家のアイードさん(41)は「通常より強烈なガスが使われた。気分が悪くなり、倒れてしまった」と話す。

イブラヒム内相は27日、司法当局の決定があり次第、警察と軍が協力しモルシ派の拠点からの一掃に乗り出す方針を明言した。だが、モルシ前政権を支えたイスラム勢力「ムスリム同胞団」は事件に反発し、むしろ対決姿勢を強めている。

公務員マーヘルさん(38)は「武器は持っておらず、体を張ってここを守る。当局はわれわれを皆殺しにする以外に、排除する方法はない」と、悲壮感を漂わせて語った。

宗教関係者ザガルールさん(33)は「このテント村を出ても当局に逮捕されるだけだ。それよりここで死ぬ方を選ぶ」と強調した。

(引用終わり)

この記事の前に書いてあった見出し文に、「治安当局は、同地区で数千人が泊まり込みを続けるモルシ派を近く強制排除する構え。」という一文がありました。つまりムルシ氏を支持するムスリム同胞団は攻撃しているのではなく、泊まり込みにより抗議しているのです。

そして上述した記事には、農業技師アブナルさん(55)、法律家のアイードさん(41)、公務員マーヘルさん(38)、宗教関係者ザガルールさん(33)の4名の証言からは暴力で抑圧する、ような凶暴性は全く感じられません。そもそもこの記事の1段落目には、

「モルシ派の多数のテントが並ぶナセルシティーの入り口付近は、コンクリート片や土のうを大人の背丈ほどまで積み上げ、バリケードを築いていた。当局の突入に備え周囲の防備を固めているという。」

と書いてあります。つまりムスリム同胞団が攻撃するどころか反ムルシ派に攻撃されるのを防御しているということです。宗教関係者ザガルールさん(33)に至っては、「このテント村を出ても当局に逮捕されるだけだ。それよりここで死ぬ方を選ぶ」とまで言っています。このザガルールさんの発言からして殺されるのを覚悟してまで、インドのガンジーが行ったような、無抵抗主義というようなものさえ感じます。

引用はしませんが他の私が読み返した当時の新聞記事3つもニュアンスはこの記事と全く同じです。あくまでムスリム同胞団は「平和的解決」をもって行動していると3つの記事に、読売でさえも、書いています。

ただ、はじめに記した記事は2012年12月の事件について裁判所が裁いた内容になっています。ここに焦点が絞られています。ですが上述したようなことから考えるとこの記事の信ぴょう性に疑問符を私はつけます。ムスリム同胞団の性質的な「平和性」はここで私が記すまでもなく、当時のマスコミもそう報道していましたし、私が知る限りの、イスラム教の教えに、則って信仰しているとすれば、暴力的な行動をするとは思えないのです。

仮にこの2012年12月の事件においてそうだったとしてもこの事件だけが裁かれるのは不公平極まりないのはいうまでもありません。それ以外の事件(紛争)においてムスリム同胞団はあくまで平和的な抗議をもって闘っていたのですから。

それと同時に記しておきたいのはこのムルシ政権の前の大統領であった、30年にわたり親米政権として、大統領職にあったムバラク氏は裁判において「無罪判決」を言い渡された、という事実があるということです(http://www.asahi.com/articles/ASGCY62Q2GCYUHBI01F.html)。

市議会・県議会議員も把握している世の中の構造

4月12日に統一地方選挙の前半戦が行われましたが私は少しブルーな気分(やるせない気持ち)になっています。というのは私の地元である神奈川県大和市の選挙区から以前少しだけ応援していた元神奈川県議会議員のS氏が当選したからです。

なぜ以前少しとはいえ自身が応援していたS氏が当選したのにブルーな気分になっているのか? それはS氏の心うちを私は知ったからです(あくまでも私見ですが)。

ではS氏の心うちとは何なのか? 言ってしまうと、裏社会と繋がっている人間の可能性がある、と私は今では思っています。もちろんあくまで私の推測の域をでない話なのですがどうもS氏の言動、行動にその可能性を感じてしまうのです。

S氏はもともと無所属で政治活動していておもに「議員改革」に取り組んでいて実際に頑張ってはいました。「議員年金」という本も出していて私も買って読みましたがしっかり調査、取材等をした上で書かれた本でこの本自体は賞賛に値するものでした。なので私は一時期は少しだけ応援していて、S氏が月一回ペースで開いていた「市民の意見を聞く会」といったたぐいのものにできる限り参加し、意見交換もしていました。ですがこの頃、ちょうど私がS氏を少しだけ応援していたこの頃からS氏は今はなき、「みんなの党」の推薦を受けるようになっていました。

そしてこの「市民の意見を聞く会」といったたぐいのもので参加した市民の方から、「Sさんは無所属なのに県議会でみんなの党の時間枠で発言したのは何でですか?」といった質問をされ、それに対し、「別に私はみんなの党の人間ではないが無所属で活動していると県議会での発言の時間枠がとれないんですよ。それで発言するためにそうしたまでです。あまりそのあたりのことは大したことではないんですよ」といった要旨の発言をいかにも軽い問題を扱うような素振りでしていました。

ですがその後まもなくS氏の街頭演説に当時みんなの党の確か、政調会長だった浅尾慶一郎氏が応援にかけつけるようになりました。しかもその時すでにS氏はみんなの党の神奈川県支部の政調会長に確かなっていました。そのS氏のポスターには堂々と「浅尾慶一郎 推薦!!」と書かれていました。

そして2012年の、あの野田元首相が芝居じみた、当時自民党党首だった安倍現首相との公開討論で突然の、「ブチ切れ衆議院解散発言」から始まった衆議院選挙においてS氏は衆議院選挙に立候補しました。みんなの党の人間として。

そしてS氏は私の地元の市民に特別送達で「衆議院選の出陣式」の招待状を送り、私も送られました。

私はその「衆議院選出陣式」の会場へ行き、その会場に居合わせた、いつも「市民の意見を聞く会」といったたぐいのもので顔を合わせるS氏のスタッフ(おそらく秘書)にこう聞きました。「みんなの党は維新の党と組もうとしているがどういうことですか?」(当時みんなの党と維新の党は一緒になるのならないのとマスコミに報道されていた)と。

するとそのS氏のスタッフは私に、ガムを噛みながら、「いやまだ決まったわけじゃないんだから。これから維新の党もどうなるか分からないんだから」といった要旨の切り返しを、政党が合併するという事実の重要性を全く感じていないような雰囲気で(少なくても私にはそう感じた)私にしました。

そしてS氏の「衆議院選出陣式」における話が始まり、質問コーナーを経て無事出陣式が終わり、その後S氏が月一回ペースで行っていた「市民の意見を聞く会」といったたぐいのものが行わるということだったので私は参加しました。その時です。その時に私はこのS氏が、裏社会と本当の本当は繋がっている可能性がある、と思うようになったのは。

この「市民の意見を聞く会」といったたぐいのものは少人数の参加ということもあってかかなりユルユルの感じで始まって、最初はこのS氏がアメを舐めながら話を始めるところから始まりました(私はこのアメがS氏が「衆議院選挙出陣式」において熱弁したゆえの、喉を潤すためののど飴だったかどうかは知らない)。

そしてこの流れの中で「経済政策」についてもいろいろと意見交換がなされたのですがその中で、S氏が、経済政策が行き詰まった場合という前提で、こう話しました。「戦争を起こし軍需産業を隆盛させて雇用をつくるという政策もある」と。

私はこの発言を聞いて驚きました。いくら経済政策が行き詰まった、という前提であったとしてもいわゆる「戦争経済」を、それも一県議会議員が話すとは思わなかったからです。「戦争経済」すなわちユダヤ金融資本とか国際金融資本とか言われているユダヤ系財閥を中心とした連合体が裏で戦争を画策して、各国に戦争をさせ、軍需産業を中心に‘カネ儲け’する「戦争経済」の話をS氏がここで何でするのか?と考えた場合、私の頭の中で、「S氏が裏社会と繋がっている可能性がある」という疑念が生じてしまったのです。

もちろん、これはあくまで私の推測でこの事実をもって私はS氏をそうだとは断定していません。あくまでその可能性がある、というかその可能性もある、と思っていた方が日本の政治家を観ていくにはいい、と思ったに過ぎません。なにせユダヤ金融資本とか国際金融資本といわれる連中は我々が想像もつかない策を今まで何度も巡らし、何度も戦争を引き起こしたのですから。

また、この私の疑念をさらに増幅させる出来事がこの後(私がS氏の応援をやめてだいぶ経った頃)起こりました。私は約1年前に地元のスナックでお酒を飲んでいたのですが、ちょうどその時、地元の市議会議員のI氏がたまたまそのスナックの私がお酒を飲んでいるカウンターに居合わせたときのことです。私はそのI氏が私の地元で貼られているポスター等でよく見かける市議会議員のI氏だと分かり、こう話しかけました。「日本の政治の根本的な構造は、ユダヤ金融資本⇒統一教会⇒創価学会⇒日本の政治家 という指揮系統で動いている、と考えていいんですか?」と。するとこのI氏は全くビックリする様子も見せず、「うん、そう。私が開く会に統一教会の人たくさん来てますよ」と答えました。その後の私とこのI氏の会話の一部分を記すと、

私:「つい最近グラクソ・スミス・クラインの子宮頸がんワクチンの「サーバリックス」の投与によって危篤な症状がでて大変なことになってますけど、このグラクソ・スミス・クラインとかノバルティス・ファーマとかの製薬会社はユダヤ系(の製薬会社)と思っていいんですよね?

I氏:「うん。そう。ノバルティスなんてもろユダヤ系だよ。」

私:「ところで少し前まで私はS氏の「市民の意見を聞く会」といったたぐいのものによく参加していたのですがその時のS氏が、「戦争を起こし軍需産業を隆盛させて雇用をつくるという政策もある」と言ったのを聴いてビックリしたんですよ。まさか一県議会議員が「戦争経済」について話すものかと。」

I氏:「彼そんなこと言ってましたか。彼は私の下でやってますよ(おそらくS氏はI氏の政治家として後輩という意味)。」

といった感じの話でした。つまり地方の市議会議員のレベルでもユダヤもしくは国際金融資本⇒統一教会⇒創価学会⇒日本の政治家 という政治の構造を把握しているということです。その市議会議員であるI氏が「下でやっている」と言っている政治家が今回の統一地方選挙で当選したS氏なのです。そしてこの私がたまたま地元のスナックで居合わせたI氏は自民党の議員です。

この私の頭の中に生じた「疑念」の話はここで終わりにしたいと思いますが、こういった裏社会(今ではもう表の社会として認知している人も増えてきていますが)の構造の中で、その構造を知った上で、地方議員も動いているという事実は我々有権者が把握しておくべきことと思います。

4月26日には統一地方選挙の後半戦が行われますが地方選といえども、こういった現実がある、ということを頭において投票しましょう!!と書かせて頂きます。

そして最後に、上述したS氏について少し書かせて頂きますが、S氏は2012年の衆議院選挙及び2013年参議院選挙に落選し、その間、介護職員として2年半働き、今回の選挙では有給休暇を使って選挙戦に挑んだということです。

私はこのS氏の選挙中の街頭演説を聞いたのですがそのとき市民の方から話しかけられたことに対して話していたことは、「私は実際に介護の仕事に就いて現実の問題が分かったんです。その経験をこれから政治家として活かしたいんです!!」と話していました。

また、選挙後に私に送られた手紙(市民に送られた手紙)にはこう書かれていました。一部抜粋します。

(抜粋開始)

(前略)今回の選挙戦は、今まで訴えてきた安全(治安・防災・基地問題)や3つの改革(行財政改革・議会改革・地方自治制度改革)はもちろんのこと、特に介護・福祉について強く訴えました。現場の視点と専門職の知見が今の議会には欠けていると痛感したからです。また、自転車遊説に併せて、車椅子専用バイク「コアラ」を用いました。奇抜なフォルムが有権者の目を引いたようですが、私の思いは「障害者でも自由にバイクで出歩ける社会を作りたい」という製作者の思いが私の政治理念である「共存・共栄」に合致していたため、広くこの取り組みを知って頂きたいということでした。(後略)

(抜粋終わり)

このS氏の‘思い’を私は信じたいと思います。決して私が推測したような、‘裏社会と繋がっている’ということがあくまで私の推測であるように。

AIIB不参加にみる日本政府の対米隷従ぶり

先日(16日)の毎日新聞3面にAIIB(アジアインフラ投資銀行)についての記事がありました。その中にAIIBに加盟する際のEUの動きについて記した記事がありました。その記事は今後のAIIBの流れを象徴した動きなのかも知れない、思ったのと同時にこれからのAIIBを見ていく上で参考になるかも知れない、とも思ったのでその記事を以下に抜粋したいと思います。

(抜粋開始)

タイトル:日本見通し甘く孤立

「情報収集は全部している。(規模は)想定の範囲だ」。AIIBの参加国が57カ国にのぼったことについて、菅義偉官房長官は15日の記者会見で、驚いた様子を見せなかった。

しかし、英国を追うように独仏伊が参加表明した3月17日の夜、政府高官は「まさか、ここまで(欧州勢が)一斉に動くとは」と嘆いていた。主要7カ国(G7)は昨年夏、議長国のドイツを中心に「中国の誘いに安易に乗らない」方針で一致していたためだ。

AIIBを巡り中国から日本に接触があったのは昨年春。中国は「アジアのインフラ需要に応えたい」と理解を求めた。日本は「アジア開発銀行(ADB)と何が違うのか」と突き放す。昨年10月にインド、タイなど21カ国が設立の覚書に署名した際も「主要国は入らない」と高をくくっていた。

日本が雲行きの怪しさを感じたのは、今年1月後半。G7の事務レベル協議で、英財務省の担当者がAIIBについて「国によってそれぞれの対応があり得る」と発言。2月後半には「政治的に参加を検討せざるを得ない」と言い切った。

「欧州の結束が崩れる」。ドイツは日米と検討しながら対応策の協議に入る。中国の独走を防ぐため、参加国代表による理事会に大きな権限を与えるなどの要求をG7共同でまとめ、「条件を満たせねば不参加。満たせばあとは各国判断」との妥協案で英国を説得した。だが、5月の下院選で、中国との経済関係強化をアピールしたいキャメロン首相政権の意向は変えられず、3月12日の参加表明を迎える。日本政府内にG7の一角が崩れた。追随する国が出る」との懸念が広がった。

懸念はすぐに現実になった。

3月9日に来日したメルケル首相は、首脳会談で「参加条件を厳格に設定することが大切」と指摘。安倍晋三首AIIB相は英国の動きに懸念を示した上で「条件があいまいなまま参加しても、抜けるのが大変」と応じた。G7の連携を確認したはずだった。ところが、ドイツから16日、日本の外務省に「参加の方向で議論している」「(英国などとともに)内側から改善を求める」との連絡が入る。財務相、外務省幹部は17日昼、国会審議の合間に急きょ、官邸に安倍首相を訪ね、対応を協議した。「ちゃんと情報を上げてくれ」。首相周辺からは両省に不満の声が上がったが、事実上の事後通告で、説得の間もなかった。「ドイツ・ショック」を機に欧州各国は雪崩を打って参加に動いた。

メルケル首相は首脳会談後の夕食会の立ち話で日本の参加の可能性について探りを入れ、安倍首相に「影響力が保てるなら、理論的には参加の選択肢はある」とまで発言させていた。外交筋は「首相が最も怒ったのはドイツ」と明かす。

両首脳は4月、電話協議した。AIIBへの対応は分かれたものの、今後も連携することを確認したようだ。政府内では「ドイツはAIIB改善で協力するため、日本の参加を促すのでは」との見方が出ている。

(引用終わり)

このAIIBへの参加がどれほど今後の世界情勢に影響を及ぼすのか、私には分かりません。分かりませんが、記事にあるように57カ国もの国が参加し、直前まで不参加の素振りをしていた英国、ドイツまでもが参加表明したという事実を考えれば、決してこのAIIBが今後の世界情勢に及ぼす影響力は小さい、とはいえないような気がします。

一方このAIIBの発足を受け、アメリカ連邦議会でオバマ大統領が、「世界に中心となって影響力を及ぼすのは中国が主導して運営されるAIIBではなく、アメリカが中心となって行うべきだ」といった発言をし、連邦議員によるそれに関わる法案の提出がされた、といった要旨のニュースが確か17日か18日のNHKのラジオニュースで流れていました。

つまりアメリカは完全にこのAIIBに対抗する姿勢をみせている、ということです。となるとアメリカとEU各国はG7の枠が崩れ、違う外交、経済政策を行おうとしている、ととれます。

もし本当にEUとアメリカがこの流れのままに外交、経済面において違う方針で行くのであれば、今後の世界情勢、というか勢力図がかなり変わってくる可能性があります。ここで注目したいのが英国、ドイツなどが直前まで参加の意思を出さず、日本やアメリカに、言ってみれば、秘密にしておいて参加表明をしたということです。このEU各国の動きは言ってみれば、うざいアメリカの目を、かいくぐって参加することに成功した、ととれなくもありません。TPPにおいて日本の安倍や甘利がアメリカの(事実上の)言いなりの条件をのませれていく今後の過程と同時にこのAIIBにおけるEU各国の動きも注目していくべきでしょう。

さらに私が気になるのは記事の中の、3月9日にドイツのメルケル首相と安倍が交わした会話の中で、

「3月9日に来日したメルケル首相は、首脳会談で「参加条件を厳格に設定することが大切」と指摘。安倍晋三首相は英国の動きに懸念を示した上で「条件があいまいなまま参加しても、抜けるのが大変」と応じた。」

と安倍が応じたところです。確かに条件が悪いからといって後から簡単には抜けれないでしょう。ではTPPへの参加はどう説明できるのか? 現時点ではこのAIIBよりもよっぽどTPPに参加することの方が危険であることは明白です。そのTPPに日本が参加することがいかに日本にとって危険極まりないもであるかを記した記事が2013年3月13日の東京新聞朝刊の1面にあったので以下に記したいと思います。

(抜粋開始)

タイトル:日本の主張反映困難

オバマ政権が「年内妥結」を目指し各国が交渉を進展させる中で、日本が交渉の詳細情報を得られるのは、最速でも3ヶ月以上たった7月ごろ。正確な情報を得るのが遅れ、日本が不利な状況で交渉を迫られるのは確実で、貿易や投資、各国共通の規制のルール作りに日本側の主張を反映させる余地がますます限られてくる。

交渉筋によると、正式に参加と認められた段階で閲覧できるのは、各国がこれまでに決めた協定の素案や、各国の提案、説明資料、交渉に関わるEメールなどで、数千ページにのぼる。参加国以外には公表しない取り決めになっている。

日本政府は協議対象となる輸入品にかける税金(関税)の撤廃や削減、食品の安全基準のルール作りなど21TPP分野で関係省庁が個別に情報収集しているが、交渉の正確な内容を入手できていない。ある交渉担当者は、日本側の関心分野の多くは「参加国となって文書を見られるまで、正式には内容が分からないところがある」と述べた。

日本が参加国と認められるには、各国の承認が必要で、米国の例では議会の承認を得るために最低90日は必要な仕組みになっている。安倍晋三首相が近く参加表明した場合でも、5月に南米ペルーで開く第17回交渉会合に、日本は傍聴者(オブザーバー)としても参加できない。

シンガポールで13日まで開催中の第16回交渉会合で情報収集する日本の非政府組織(NGO)アジア太平洋資料センターはじめ、米国、ニュージーランドの市民団体によると、米国の交渉担当官会合で「日本には正式な参加国になる前に一切の素案や交渉経緯を見せられない」と各国交渉官に念押しした。さらに、「日本には一切の議論の蒸し返しは許されず、協定素案の字句の訂正も許さない」と述べた。

(抜粋終わり)

この、「日本には正式な参加国になる前に一切の素案や交渉経緯を見せられない」さらに、「日本には一切の議論の蒸し返しは許されず、協定素案の字句の訂正も許さない」というTPPに日本政府は国民の大半が反対していたにも関わらず前のめりになって参加して案の定、安倍や甘利がアメリカの要求をのまされ続けている、にもかかわらずこのAIIBは、中国はこのTPPの記事のような理不尽なことはまだ何も言っていないのに、安倍は、「条件があいまいなまま参加しても、抜けるのが大変」などと言っているのです。要するに安倍や日本政府にとって国民の生活、命などどうでもよくて、アメリカの言いなりになっているだけということです。

S400防空ミサイル供与の狙い

本日の東京新聞朝刊の国際欄。ロシアが中国に最新ミサイルを供与した、とする記事がありました。この軍事面でのロシアと中国の接近は私は良しとします。その理由を書く前にまずはその記事を以下に引用します。

(引用開始)

(モスクワ=常磐伸)ロシアが中国に対し、最先端の防空ミサイルシステムS400の供給に踏み切ったことが分かった。ロシアの国営兵器輸出会社「ロスオボロンエクスポルト」のイサイキン社長が、13日付経済紙コメルサントのインタビューで、ロシアが中国とS400の輸出計画を結んだことを明らかにした。

ウクライナ危機で対ロ制裁を発動する欧米との対立で、対中傾斜を進めるプーチン政権が従来慎重だった軍事面でも協力を一段と深化させた格好。

S400売却は昨年11月にロシア紙ベドモスチが報じたが、輸出責任者により供与契約が確認されたのは初めて。

イサイキン氏は「中国がロシアの最新防衛システムの最初の輸入国となった。これは(中ロの)相互関係が戦略的な水準にあることを強調している」と、プーチン政権が進める対中関係強化の一環であることを明言した。

ロシアメディアによれば、四個大隊に当たる発射機32機(ミサイル128発)を供与。契約額は30億ドル(約360億円)とみられる。

ロシアには中国の膨張に警戒感があり、ロシアが輸出した兵器を違法にコピーして売却するとの不信感がある。しかしイサイキン氏は協力関係は中ロ双方の利益になると懸念を否定。

中国はすでにロシア製防空ミサイルS300を配備しているが、S400は射程など防空能力はさらに向上。ロシアメディアによると、中国南部に配備されるとみられ、台湾のほか南シナ海で中国と領有権問題を抱える東南アジア諸国や、沖縄県・尖閣諸島問題で中国と対立する日本など周辺国の懸念が高まりそうだ。

ロシアの戦略技術分析センターのカシン研究員はロシア通信に、S400を配備すれば「(アジア)地域の戦力バランスを変化させることが可能だ。尖閣諸島上空の(戦闘)目標を破壊でき、台湾上空の一部もコントロールできる」と指摘している。

S400は2007年からロシア軍が国内配備。日本にも配備されたパトリオット(PAC3)ミサイルよりも射程が長く、高性能との見方もある。

(引用終わり)

これは中国とロシアの軍事強化、という面で捉えるだけでは片手落ちだと思います。

まずこの時期にこのことをロシア側がマスコミに公表したということがポイントと思われます。つまりつい先日中国はAIIB(アジアインフラ投資銀行)を設立したと公表し、イギリスやフランス、ドイツがアメリカの意向に逆らって参加を表明しました。世界経済という枠組みでアメリカ中心の経済システムから少し中国よりにシフトしようとしているこのタイミングでロシアは中国に最新鋭の防空ミサイルを供与したわけです。

これはアメリカにとってダメージが大きいと思われます。中東でCIA等が軍事訓練したイスラム国を暴れさせ、一方でアラブ連合軍の設立もおそらくはアメリカが画策してやらせた。そしてイスラム国とアラブ連合軍を対立させ、戦争を起こさせる。この状況の中で当然アメリカの現在の視点は中東・アラブ地域にいっていてアジアがおろそかになっていた矢先のプーチン・ロシアの中国への防空ミサイル供与です。

・CIAなどが軍事訓練したイスラム国が中東・アラブで紛争を各大している。
・大戦争を引き起こし結果的にアメリカ・ドルの世界基軸通貨としての延命を図りたいアメリカは中東・アラブ地域にくぎ付けになる。
・そんなさなか、中国がAIIBを設立する。

このタイミングでロシアの中国への防空ミサイル供与がなされたわけです。絶妙なタイミングではないでしょうか!!

武器供与
 

政府のことば遊びによる戦争推進

本日(14日)の朝日新聞1面の記事。安倍晋三政権の戦争推進政策が着々と進んでいる内容の記事があった。要はアメリカなど(などは事実上つかない)の他国が海外で戦争しているところに自衛隊を送り込みましょう!!、という内容だった。以下にその記事を引用します。

(引用開始)

タイトル:後方支援は「国際平和支援法」 恒久法案名  政府が方針

政府は13日、新たな安全保障法制をめぐり、戦争している他国の軍隊を支援する恒久法(一般法)について、名称を「国際平和支援法」とする方針を固めた。14日から再開する自民、公明両党の与党協議で提示する。自衛隊派遣の国会承認など歯止め策をどう盛り込むかが焦点となる。

政府は国際社会の安全と平和などの目的を掲げて戦争している他国軍を支援するため、その都度、期限を区切った法律をつくるのではなく、自衛隊がいつでもどこにでも行けるよう恒久法を検討していた。国際平和支援法は戦争の前線よりも後ろで、武力を使わずに他国の軍隊に食料や燃料を補給する活動を想定している。

法案には、自衛隊を派遣する際、国連の決議や国会の承認がある場合に限る「歯止め」を盛り込む方向だ。ただ、公明は「例外なき事前の国会承認」を求めているのに対し、自民は「緊急の場合もあり、例外なく事前の国会承認を義務づけるのは難しい」と主張し、現段階では溝がある。

この他、政府は現行の周辺事態法から「周辺事態」という概念を削除し、抜本的に改正する方針を決めている。日本周辺という事実上の地理的な制約を取り払い、地球規模で米軍などを支援するため、新しく「重要影響事態安全確保法」に名称を変えることにした。

また、集団的自衛権の行使については、昨年7月の閣議決定で定めた「武力行使の新3要件」に当てはまる新事態を「存立危機事態」と位置付けることにし、武力行使事態法に盛り込む方針も固めた。

(引用終わり)

要するに政府が国民を欺くようなことば遊びをして、自衛隊をいつでもどこへでもアメリカのために簡単に送り込めるようにした、ということです。

そして公明党はいつものようにパフォーマンスで「例外なき国会承認」を言い、ある程度反対したある時期に、「妥協する」という芝居をして、可能ならばこの法案を通す日に何かくだらないニュースを大げさにマスコミに報道させ、我々国民の目をそらした上で法案を通す、というシナリオの第一章といったところでしょうか。

いくらことば遊びしたところでその法案は遊びにはならないし、遊びではなく本当に自衛隊が100%完全にアメリカの命令どおり動く日が近づいているということです。

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