いろいろ書きたいことはあるのですが、書き始めると長くなってしまうので、遅々としてアップが遅れていて自己嫌悪です。というか、ちょっと身の回りでいろいろありすぎて、対応するのに精一杯でした(ということにしておいてください)。

 さて、現在朝日新聞では当時のスタイルで夏目漱石の新聞小説を連載しています。漱石ファンの僕としてはこの一件だけとってみても(批判の多い朝日新聞ですが)、取りたいなと思います(将棋の名人戦の棋譜も載っているし)。 

 人として信用できるというか「この人と話しても大丈夫だな」って思える基準がありまして、もし文学の話をするなら「漱石が好き」っていう人は無条件で信頼できるんですよね。 「太宰が好き」なんていうような人って「コルトレーンが好きです」っていうジャズファンと同じくらい「話しても大丈夫かな?」なんて思っちゃうんですよね。ジャズなら「ロリンズが好きです」「やっぱりマイルズですよね」なんていう人だと、どこか安心してしまう感じに似ています。ちなみに、以前TVでジャズファンで有名な林家こぶ平がタモリとジャズについて喋ってて「コルトレーン最高じゃないですか!」ってタモリに絡むこぶ平に対して「俺、コルトレーン嫌いなんだよね」って言っているのを見て「やっぱりタモリは違うな」と思って、それ以来タモリという人物を余計に好きになりました。

 閑話休題。

 漱石については以前どこかで熱く語ったので繰り返しませんが、作品としては『それから』と『明暗』が大好きです。特に『それから』は当時の自分の状況と重なるようなところもあって「なんでこの人俺の気持ちがこんなにわかるんだろう」って、読みながら思ったことがあります。
 そしてサルトルなんですがこの人も僕は好きなんです。60年代の学生ほどではないですがやっぱり実存主義が「性に合う」んですよ。ハイデガーも好きですよ。
  
  で、なんでこの二人のことを書いているかというと、言っていることとか、人間に対する考え方が似ているような気がするんです。気づいているの僕だけなんじゃないかな(笑)。「日本の実存哲学の創始者は夏目漱石である」と声高に宣言したいと思います。


 人間の目的は生まれた本人が、本人自身のためにつくったものでなければならない。


 この言葉は漱石の言葉です。次にサルトルの言葉です。


人間とは「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであること」つまり「人間とは、彼が自ら創りあげるものに他ならない


 どうですか?言っていること全く一緒じゃないですか。
 
 漱石ってすごく心に沁みる言葉を数多く残しています。すごく好きな言葉もいっぱいあります。もし何かに困ったときに漱石の言葉に耳を傾けると、何かの希望を見つけ出せるかもしれません。
 僕は生まれつき悲観主義的なところがあるので、すごく厭なことが続くと「生きているのが苦しい」って思ってハイデガーの言う「存在し続けることへの苦しみ」を感じるんです。「なんでこんなに苦しくて厭なことばかりなのに、生き続けないといけないのか?」と。で、その時に心の片隅にあるサルトルの言葉があるんです。

 L'homme est une passion inutile.

 日本語では「人間は一つの無益な受難である」という有名な訳で定着しています。passionという単語にいろいろな意味がありますが、「受難」という場合は大文字のPassionになるようで、しかもキリスト教関連の文献にみられるようです。だから、「感情」とか「熱情」という感じで訳してもいいかもしれせんが、とにかく

「人間なんて生きてること自体が大変なんだよ。」

 という原文のイメージが頭に残っているんです。だから生きててつらくても「まあ人間なんてinutile(役に立たない・むなしい)存在だからな」と言い聞かせて日々をやり過ごしています。