お待たせしました。
では、宇龍の秘密に迫りましょう。
もういちど、宇龍の航空写真を見てみよう。
いいですか?
スサノオ超考古学には、古代史、考古学だけでなく、民族学はもとより、地学、気象学、鉱物学、植物学、地球物理学、海洋学、生態学、農学、化学・・ありとあらゆる分野が必要になります。ホントです。
でも、けっこう簡単だから、安心して。
さて、上の写真で僕が気付いたことを指摘する。
まず、南に位置する民家は、すべて、昔の川の上に建てられている。
発掘すればわかりますが、調査はなされておりません。
まず、最低一万年以上昔の川でしょう。ひょっとすると、十万年はさかのぼると思う。
あなたが、普段通っている道路だって、ほとんどは昔、川だったんだよ。
山からチロチロ流れた水が渓谷となり、やがて広い川となり、それが干上がったところに田んぼができ・・
これ、奥出雲の斐伊川(ひいがわ)源流(撮影日:4月2日 撮影者:谷田茂)。
ここから湧き出る水が、航空写真でしかわからない風景〜造形を造った。
すごいね。
いわゆる神話の世界なんて、ホン、昨日のことだ。ん〜〜。
水はすべてを知っている・・
航空写真、もういちど、よく見ると、
南の山の、過去の川による切り込みは、複数あることに気づくはず。
これ、過去何度も激しい急流が、色んな方向から流れ込んだことを示している。
そうなると・・この港は、とてつもなく深くなり、
天然の良港として、日本海側の通商拠点として、大賑わいを見せたという記録が、現に残っている。
宇龍港は、戦国時代には山陰屈指の貿易港として、また、江戸時代には北前船の風待ちの港として賑わった
「大社まちかど百科」
あれれ、「山陰屈指の貿易港」?
貿易というからには、国レベルですな。戦国時代だから、朝鮮半島、中国辺りか・・それとも・・
(もちろん、通商は古代出雲の時代にすでに行われていた。たぶん、その前にも)
あのね、こんな狭い港なのに、賑わうにはわけがある。
大きな船は、喫水の関係で、深い港にしか係留できない。
でも、いくら係留できたとしても、通商の目的が必要だ。
大陸から、いや、ひょっとしたら、東南アジアからさえも、
どうしようもなくほしいものがあって、大きな船が、ここ、宇龍にやってきた。
どうしようもなくほしいもの・・それって・・
狭い港だから、何十艙も、港に入るのを待たされたことであろう。
沖合で停泊。
その時、その、整理に役立ったのが、権現島に違いないと僕はにらむ。
では、権現島ではいったいなにが行われたのか。
そのとき、一番役立ったのは何か?
出雲の遺跡から出土する、あれ、ですよ。
参考
古代出雲王国-スサノオの光と影-1
http://blog.livedoor.jp/shig1/archives/79032.html
これ、次章までのお楽しみ、ではなく、自分で考えてね。
それがこのサイトの楽しいところなんだから。
僕もいま、考えています。
では・・
その九につづく・・
では、宇龍の秘密に迫りましょう。
もういちど、宇龍の航空写真を見てみよう。
いいですか?
スサノオ超考古学には、古代史、考古学だけでなく、民族学はもとより、地学、気象学、鉱物学、植物学、地球物理学、海洋学、生態学、農学、化学・・ありとあらゆる分野が必要になります。ホントです。
でも、けっこう簡単だから、安心して。
さて、上の写真で僕が気付いたことを指摘する。
まず、南に位置する民家は、すべて、昔の川の上に建てられている。
発掘すればわかりますが、調査はなされておりません。
まず、最低一万年以上昔の川でしょう。ひょっとすると、十万年はさかのぼると思う。
あなたが、普段通っている道路だって、ほとんどは昔、川だったんだよ。
山からチロチロ流れた水が渓谷となり、やがて広い川となり、それが干上がったところに田んぼができ・・
これ、奥出雲の斐伊川(ひいがわ)源流(撮影日:4月2日 撮影者:谷田茂)。
ここから湧き出る水が、航空写真でしかわからない風景〜造形を造った。
すごいね。
いわゆる神話の世界なんて、ホン、昨日のことだ。ん〜〜。
水はすべてを知っている・・
航空写真、もういちど、よく見ると、
南の山の、過去の川による切り込みは、複数あることに気づくはず。
これ、過去何度も激しい急流が、色んな方向から流れ込んだことを示している。
そうなると・・この港は、とてつもなく深くなり、
天然の良港として、日本海側の通商拠点として、大賑わいを見せたという記録が、現に残っている。
宇龍港は、戦国時代には山陰屈指の貿易港として、また、江戸時代には北前船の風待ちの港として賑わった
「大社まちかど百科」
あれれ、「山陰屈指の貿易港」?
貿易というからには、国レベルですな。戦国時代だから、朝鮮半島、中国辺りか・・それとも・・
(もちろん、通商は古代出雲の時代にすでに行われていた。たぶん、その前にも)
あのね、こんな狭い港なのに、賑わうにはわけがある。
大きな船は、喫水の関係で、深い港にしか係留できない。
でも、いくら係留できたとしても、通商の目的が必要だ。
大陸から、いや、ひょっとしたら、東南アジアからさえも、
どうしようもなくほしいものがあって、大きな船が、ここ、宇龍にやってきた。
どうしようもなくほしいもの・・それって・・
狭い港だから、何十艙も、港に入るのを待たされたことであろう。
沖合で停泊。
その時、その、整理に役立ったのが、権現島に違いないと僕はにらむ。
では、権現島ではいったいなにが行われたのか。
そのとき、一番役立ったのは何か?
出雲の遺跡から出土する、あれ、ですよ。
参考
古代出雲王国-スサノオの光と影-1
http://blog.livedoor.jp/shig1/archives/79032.html
これ、次章までのお楽しみ、ではなく、自分で考えてね。
それがこのサイトの楽しいところなんだから。
僕もいま、考えています。
では・・
その九につづく・・