古代出雲王国−スサノオの光と影−57 八幡様はスサノオ

谷田茂

 

さて、全国どこにでもあるある神社といえば、八幡様、お稲荷様、天神様。

そのおびただしい数。本当の神様は誰だろう。

 

まずは八幡様から。

もちろん、筆頭は宇佐八幡宮だ。Wikipediaを見てみよう。


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宇佐神宮
(うさじんぐう)は、大分県宇佐市にある神社である。全国四万四千社と称する八幡宮の総本社である。式内社、旧官幣大社。正式名は宇佐神宮だが、宇佐八幡あるいは宇佐八幡宮とも通称される。

主祭神は八幡三神と呼ばれ、祭られている神殿の順に応神天皇(一の御殿)、比売大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(三の御殿)の三柱の神が上宮・下宮に祭られている(メインは上宮だが、上宮・下宮どちらも三柱全てを祀っている)。比売大神は宗像三神のこととされる。

このほか、境内には仁徳天皇以下五柱の通称「若宮五神」を祭る若宮神社、応神天皇の子神を祭る春宮神社、大山積尊を祭る亀山神社(亀山は当宮が位置する山の名前)、境内の菱形池を守る水分(みくまり)神社、菅原道真を祭る天満神社、素戔嗚尊を祭る八坂神社、武内宿禰を祭る黒男神社、和気清麻呂を祭る護皇神社、初代大宮司・大神比義を祭る大神祖神社、かつて東征中の神武天皇をこの地でもてなしたとされる菟沙津彦・菟沙津姫を祭る宇佐祖神社などが末社として敷地内に存在する。

社伝等によれば、欽明天皇32年(571)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才童児となり、「我は、誉田天皇廣幡八幡麻呂(註:応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があった(扶桑略記東大寺要録、宮寺禄事抄)と言われている。

そして遅くとも社殿を新たに建て替えたと考えられている和銅元年(708)頃までには大神比義と関係がある大神一族が大和朝廷より宇佐の地にやってきて、あるいは大和朝廷と手を結んで、神仏習合、八幡神創出を行ったと考えられている。

また、宇佐神宮は三つの巨石を比売大神の顕現として祀る御許山山頂の奥宮・大元(おおもと)(=御許:おもと)神社の麓に位置し、豪族宇佐氏の磐座信仰が当初の形態であろうと言われている。

そこに、当初は香春岳山麓に住み、その後、現在の中津市大貞薦神社で神官もしくは巫女を務めていたと思われる、渡来系のスサノオの子、五十猛命(いそたける)が始祖と言われている辛嶋氏が比売大神信仰を持ち込み、後に宇佐辛嶋郷に住んで、辛嶋郷周辺に稲積六(いなずみろく)神社(単に稲積神社とも表記。宇佐市中561)、乙廖覆とめ)神社(宇佐市下乙女宮本1343)、さらに酒井泉神社(宇佐市辛島泉1)、郡瀬(ごうぜ)神社(昔の表記は瀬社(せしゃ)。宇佐市樋田字瀬社187-1)と社殿を建築した。

708年創建と伝えられている大隅正八幡宮は、隼人の聖地・石体宮(しゃくたいぐう)に由来するもので、興味深いことに平安末期の記録には、辛島氏出身の漆島氏および酒井氏がその神官を務めたとあり、地主神に、おそらくは豊の国から移住してきた、秦一族の八幡神信仰が合祀されたと考えられている。

699年には辛国の神山名に由来、辛嶋氏に関係すると思われる「稲積城」が日向南部に築かれたことからして、豊の国の秦一族、中でも祭祀を主に司っていた「辛島勝」姓を名乗らなかった辛嶋氏の一部(こちらが本家筋ではないか、とも言われている)が7世紀頃より移住した、と考えられている。「辛嶋」氏の中で、隼人の反乱に勝利した宇佐の辛嶋氏が、大隅の辛嶋氏と区別するため、後に「辛嶋勝」姓を名乗った、という説もある。「勝」は、本来は一族の長である、「村主」が語源と考えられている。

 

あまりに長いので引用を大きく省くことになったが、賢明な読者はもう、お分かりになったであろう。

宇佐八幡宮の神様は、応神天皇比売大神神功皇后の3神であるが、当初は比売大神だけであったものを、大和朝廷が乗っ取って、天皇の租神を加えたのだ。

「秦一族の八幡神信仰」とはっきり書いてある。この地にはぞくぞく秦氏が移り住んでいる。

前に触れた大和のニギハヤヒ関連の神社界隈も、丹後籠神社あたりも、秦氏が多く住んだ。

大和朝廷と秦氏の策略が見えてくるではないか。

では、宇佐の真の神様はだれか?答えはすでに出ている。

 

「豪族宇佐氏の磐座信仰が当初の形態」

「そこに、当初は香春岳山麓に住み、その後、現在の中津市大貞薦神社で神官もしくは巫女を務めていたと思われる、渡来系のスサノオの子、五十猛命(いそたける)が始祖と言われている辛嶋氏が比売大神信仰を持ち込み」

素戔嗚尊を祭る八坂神社が末社として・・」

 

作用。答えはスサノオである。宗像三神がスサノオと習合したことも書いてある。

消された歴史。それは、スサノオによる北九州制覇であった。もちろん、征服はしていない。

秦氏が持ち込んだとされる養蚕、農耕、鉄文化などを伝え、豪族宇佐氏を連合国に加え、宇佐の地に九州制覇の基礎を築いたのであった。

ならば、八幡宮の「八」は、八坂神社や八雲、八俣オロチなど、スサノオに因むものではないか。

 

結論。

全国四万四千社を誇る八幡宮の真の神はスサノオである!

源氏が八幡様を頂いたのは、当時も武神といえば、スサノオが最高神だったからだろう。

 

次回はお稲荷様である。もちろん、答えはスサノオだが、きちんと説明してみたい。

58につづく