2011年09月23日

蛇足です、『ブランドなんか、いらない』の版元

この本Amazonの中古品の出品でしか買えなかったのだけど、その版元「はまの出版」破産を告げていましたね。2008年1月25日「はまの出版が破産手続き開始決定。負債は約3億円。」だそうだ(文化通信)。わたしは一応業界の片隅にいるんだけど「はまの出版」のことはよく知らなかった。こういうまじめな本を出していた人文系出版社の倒産は本当に心痛みますね。まだまだ中小の出版社の倒産は続くんでしょう。ウチの事務所も最近何故か人文系出版社とのおつきあいが多くなってきた。当然そういう本の装丁の仕事をしたかったからだけど。デザイン面でしかないが、出来るだけのことはしていきたい。

ちなみに『ブランドなんか、いらない』は出版社大月書店から新版として復刊されてます。価格¥ 3,675 。2007年アメリカ社会学協会での講演「『もうひとつの世界』の実現をめざして」を新たに収録だそうだ。写真がそれです。
ブランドなんか、いらない新版


shige4 at 19:02|PermalinkComments(0)

是非読んで欲しい『ブランドなんか、いらない』

この本の初版は2001年5月ですね。どれほど日本で反響があったんだろうか。なんとなくどこかで小耳にした本な気がするけど。このところ読書時間がなかなかとれず、ようやく半分なんだけど、素晴らしい批判書だと思う。ただしこのBLOGのコメント欄でも触れられてたけど、とても読みにくい訳文が無いとはいえない。例えばブランド(=巨大企業ということなんだけど)がキャンパスという教育現場へ進出する様を分析した第4章「ブランドの学校進出─キャンパスに入り込んだ企業広告」の終わり近くのところ(P116)

「そして、少なからぬ終身在職権をもつ急進派教授たちは、社会主義思想を若者に植えつけておきながら、その実、自身は、「真実とは構造である」というポストモダニズムの考えに執心していた。この考えは学問の世界では支持を得られず、もちろん他者(企業)に学習モデル(公共)に対する「特権」を与えることの是非を問う政治論争にも参加しえなかった。真実は相対的であるから、プラトンの対話がフォックスのアナスタシアより優れていると、いったい誰が言えるのだろうか?」

前後の文脈で読むしかないんだけど、そうしたところでこれってすんなり頭に入ってくる文章だろうか?。多分前後の文脈というより論文発表当時の世相の雰囲気の理解が必要なんだろう。まあ、こちらの読解力や無知識を指摘されると言葉返せないが。しかし、例のパラグラフはどうしても数回読み返して自分なりに解釈し直さなければ先へ進めない。ただ私は著者ナオミ・クラインはそこまで頭でひねりまわさなくちゃいけないことを主張してるとはおもえないんだが。

と、そんな部分が多数出てくるが決してめげてはいけない。そんなところは自分なりに勝手に解釈しておけばよい。この本は徐々に論じることが具体性を帯びるてくる。それに伴い上記のようなややペダンティックな表現は無くなっていく(ペダンティックなに思えるのはちょい訳者のせいだといいたいんだけど)。なるほど、グローバルといおうが多国籍といおうが、ブランド企業がいかに世界から公共空間を奪い環境を破壊し、多様性とかいいながらその実、自由な選択肢を奪い、人々からまともな仕事を奪っているのかを教えてくれる。漠然とはそうしたいきさつは知っていたつもりだった私自身、認識の甘さを痛感させられた。。。。。。

と、昨日、毎週恒例の某週刊誌表紙会議のため、原宿近くの明治通りのブランド・ロゴで溢れかえる醜悪極まりない通りあたりを過ぎながら思ったのでありました。

さて早く読了して新刊『ショック・ドクトリン』を読まねば。

ブランドなんか、いらない


shige4 at 18:36|PermalinkComments(0)

2011年09月06日

『ブランドなんか、いらない』

カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインの発言はこれまでちょっと共感を持って接してた。今度話題になった『ショック・ドクトリン』の訳書が上下巻で岩波書店から出たんで早速読もうと思ったが、1冊400ページ強の大著。別にページ数そのものにはたじろがないけど、その前にそもそもナオミ・クラインの名を知らしめた処女作『ブランドなんか、いらない――搾取で巨大化する大企業の非情』を読んでおこうとそちらを取り寄せ、読み始めた。
ブランド価値至上主義のマーケティングとグローバリゼーションが、いかに発展途上国の人を搾取し巨大化したか。そしてまたそのことが結果的に先進国の人にも悪影響をあたえているかを分析した本。
ワタシにはマーケティングにせよイノベーションにせよ、現代的マーケティング手法の行く末には本来見いだされなければいけない人間性そのものをを無視する世界が広がっている気がするんだが。それが非情な世界であることは現実を見ればなんとなく分かる事だ。カトラーもドラッガーも何も知らない人間がそう思うだけだが。
まあ、あれやこれやのブランドにうつつを抜かしてる人たちはこういう現実は知る気もないだろう。というか知る気もないようにされてる訳だが。。。。
ブランドなんか、いらない


shige4 at 10:45|PermalinkComments(3)

2011年07月07日

『大局観─自分と闘って負けない心』

おととい、下の娘が「ハイ!」といってこの本をプレゼントしてくれた。
ん?どういう風の吹き回しだろうとか思ったけど、機会があれば読たい本だったんでありがたく頂いた。
羽生さんの言葉は本当に良く心に響く。何回もここで紹介してるけど
「将棋は他力本願のゲームである」とか
「将棋は記憶力の戦いではない」とか
「寄りそうで寄らないものは寄らない」wとか。実に味わい深い。
だからこの本も実に面白かった。もう読んだだけで駒1枚強くなった気がする。いや多分強くなってるw

ただ阿久津七段の本のときも書いたけど、いかに優れた勝負師といえど所詮は勝負師は勝負師なんで、現代ビジネスやら、人の生き方、処世やらに拡大拡張してしまうと、天才中の天才位将棋の強い人が、こんなこと考えてみました、なんて話に過ぎない訳ですが。

ということで将棋を指せない人も楽しんでは読めます。私は事務所1往復半くらいで読んじゃいました。

羽生善治著)、角川oneテーマ21新書、¥760。

大局観




shige4 at 12:39|PermalinkComments(0)

2011年06月27日

こんな本が出ましたね、さて?

亜紀書房からの近藤誠さんの新刊です。今朝の読売新聞広告欄で見まして早速Amazoりました。
『放射線被ばく CT検査でがんになる』。出版社からのコメントは「安全」「無害」と繰り返す専門家たち。しかし、検査被ばくによる発がん率は世界第1位、CTの設置台数は圧倒的に世界第1位。 何が正しく、何が危険か、判断するのは私たち一人ひとりだ。」だそうで。近藤さんの本はほとんど読んでますんで、この本で何を訴えようとしてるのかはだいたい分かりますが。しかしワタシなんどこの2週間でどれほど被曝したものやら。そうなんですよね、「判断するのは私たち一人ひとりだ。」ということがいかに困難なことであろうか。抗がん剤治療も含め痛感しています。近藤理論の概略も含め、一度ワタシの考えてることを少しまとめて書いてみたいとは思っている今日この頃なですが。ねえ。

放射線被ばく CT検査でがんになる



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2011年06月24日

またまた寄り道読書

『百年の孤独』は飲んだことないが『百年の誤読』なら読んだことがある。とかコメントいただいて、どんな本だかどうも気になってAmazonに注文してしまった。これと、注文する際やはり気になった『文学賞メッタ斬り!』てのも。先に『文学賞メッタ斬り!』が届いたのでこちらを読み始めてる。読んでびっくり「文学賞」ってこんなにあったのね。でもともと小説なんてハードボイルドかホラーくらいしか読まないもんで、出て来る作家も作品もまったく読んだことのないものばかり。でもまあ知らなくとも選考委員やら文学賞そのものをメッタ斬りするし方が面白い。面白いし、いまだまだなんていうかその、文壇てやつが歴然とあり、また賞を狙って(だけじゃないだろうけど)かくも沢山の若い人が小説家目指してる(と感じたんだけど)のにびっくりして、驚いた。
さて『百年の誤読』も本日発送されたようなんで、ま、ちょいと気分転換に読んでみます。

『百年の誤読』は岡野 宏文・豊崎 由美/著。『文学賞メッタ斬り!』は大森 望 ・豊崎 由美/著です。

百年の誤読/他


shige4 at 21:13|PermalinkComments(0)

2011年05月26日

ついAmazonに注文してしまった

次に読みたい、というか読まねばならぬと思っている本を3冊決めてたんで、はな、西村賢太は芥川賞受賞作と他2冊読んだらもういいやと思っていたが、読んでしまうと口惜しい。どうで、すぐ読み終えるんだからとかしなくてもいい言い訳を考えながら『二度はゆけぬ町の地図 』(角川文庫)と『小銭をかぞえる』(文春文庫)を注文してしまった。ついでに車谷長吉と比べてみたくなって『贋世捨人』 (文春文庫) も注文。どうで、ぼくは回り道が好きなんだなあ。
二度はゆけぬ町の地図



shige4 at 19:59|PermalinkComments(0)

2011年04月28日

旧約聖書を知っていますか

てっとりばやくキリスト教を、あわよくばユダヤ教の端っこくらいは分かる本はないかと探してみた。阿刀田 高さんの『旧約聖書を知っていますか』と『新約聖書を知っていますか』を選んでみたが恐らくピンポーンだ。上手い文章というのはこういうのを言うんだなあ。阿刀田式ダイジェストは素晴らしい。電車の2往復くらいで、「旧約聖書」を読み終え「新約聖書」の前半イエスがガリラヤ湖の湖面を歩くところくらいまで読んだ。
そもそも信仰心とかは無いんで、ワタシ的にはこの程度の知識で充分な気がする。どちらも新潮文庫なんだけどGODじゃないGoodです。

『旧約聖書を知っていますか』


shige4 at 00:03|PermalinkComments(0)

2011年04月20日

あまりに通俗的だと思う『夜と霧』

『夜』の深さに比べて通俗的な『夜と霧』に驚いてしまった。作者ヴィクトール・E・フランクルは精神科医であり心理学者らしい。フロイトに師事したらしいだが、あまりに表象的すぎる描写に驚いてしまった。かの名高い作品として語られていた『夜と霧』がこんな表層的な書物だったのかと唖然とする。いまさらヴィクトール・E・フランクルがどんな心理学者だったのか追跡する気もないけど、多分、根拠はないけど、たいしたことない心理学者だったんじゃないかと思う。この後も著書は多数出してるようだけど。しかしそもそも、こういう心理学系の「人間主義」というのは、もうそれだけで私にはダメなのではあるけど。そして『夜と霧』より『夜』の方が断然素晴らしい作品だ、と思うのでした。

shige4 at 23:52|PermalinkComments(0)

2011年04月19日

amazonから『夜と霧』が来た

やはりみすず書房の新版。これは初めて読むと思う。アラン・レネの映画なんかで知ってるようなつもりになってたが、未読だというのは自分でも意外だ。しかし若い頃読んだ記憶がある『夜』にしても、内容はほとんど記憶にない。『夜』の訳者(村上光彦氏)あとがきでこういってる
「じつは、私はこの本を親しい人たち、なかでも幸福で屈託のない人たちには読んでほしくないと思いました。悲しく、苦い思いをさせたくないからです。」。
もしかしたら私が読んだときは「幸福で屈託のない」頃だったのかもしれない。

はてさて、いまどき『夜と霧』やら『夜』なんぞを読もうなんて人はそう多くはなさそうだ。だから『夜』の最期のワンフレーズを引用したって困るひとはないだろう。最期はこうだ

「ある日、私は全力をふりしぼったすえに、ようやく起き上がることができた。私は、正面の壁にかかっている鏡に、自分の姿を映してみたいと思った。私はゲットー以来、自分の顔を一度も見ていなかったのである。
鏡の奥から、死体が私をじっと見つめていた。
私の目の中にあった死体のまなざしは、それっきり私を離れたことがない。」

なんとなくそんな本だったなあ、という記憶はどこかにあったんだけど。

さて心理学者がみた強制収容所、『夜と霧』はどんな本だろうか。。。。。。
夜と霧



shige4 at 23:53|PermalinkComments(0)