『122歳』のウソ


 ギネスブックで世界最高齢生存者と認定されていた京都府京丹後市の木村次郎右衛門さんが、2013年の6月12日未明に亡くなった。これを報じた同日付けの夕刊によると、木村さんは同市内の病院に入院中で、死因は老衰だったという。木村さんは1897(明治30)年4月19日生まれだから、116歳と54日という長寿記録を残したことになる。

正確な記録をもとに判定するようになってからの長寿記録で、これまで世界最長とされたのは、女性では日本の猪飼たねさんの116175日、男性では米国のクリスチャン・モーテンセンさんの115歳252日だった。木村さんは、モーテンセンさんを抜いて116歳に達し、史上最長寿の男性となったわけだが、猪飼たねさんの記録には及ばなかった。人間の最大寿命のカベは116歳であること、116歳を大きく超えては生きられないことが、これでいよいよはっきりしたことになる。

 そこで、改めて問題になるのが、ギネスブックにまだ記載されている「122歳164日」という長寿記録の保持者・フランスのジャンヌ・ルイーズ・カルマン夫人の存在だ。「120歳まで生きた」ということで日本で話題となり、史上最高齢の男性として一時はギネスブックにも掲載された泉重千代さん(1986年2月死去)が、「記録に疑いあり」(実際は、享年105歳だった)として2012年版から削除されたように、カルマン夫人の記録にもメスを入れるべきではないだろうか。

 この点は、すでに私の著書『よりよく老いる技術』(社会保険出版社刊)でも触れているが、カルマン夫人の記録の周辺には、不自然な点が少なからず残されており、欧米の老年学者の一部からは〝疑惑の目〝が向けられていた。 

 彼らがカルマン夫人の記録に疑いを抱いたのは、アメリカの老年生物学の最高権威レオナード・ヘイフリックが、1990年代の初め、発掘された化石を手がかりに霊長類の脳重量と体重を計測して、最大寿命の変遷を推定、「ヒトの最大寿命は、10万年ほど前に115歳に達し、そのあたりで止まっている。ヒトの最大寿命が120歳にまで達するには、1万年以上かかるだろう」と予言していたからである。  

 カルマン夫人が姿を現したのは、1995年2月21日に突然開かれた記者会見だった。彼女はこの会見で「私は、1875221日に南フランスのアルルで生まれました。今日は私の120歳の誕生日です」と自己紹介したが、それから二年後の199784日には死んでしまう。残されたのは、122歳と6ヵ月という、とてつもない長寿記録だった。彼女が本当に122歳だったとすれば、これまでの長寿記録は完全に塗り替えられ、「122歳」が人間の最大寿命ということになり、ヘイフリックの最大寿命115歳説は、「明白な事実」によって崩されてしまうことになる。

しかし、人類の祖先の骨を実際に計測、比較し、老年生物学の最高権威が打ち立てたヒトの寿命についての「科学的仮説」が、こんなに簡単に否定されていいものだろうか。ヘイフリック理論では、到達するまで「1万年はかかるはずの120歳」が、20世紀の末に早くも出てしまったことに、疑念が抱かれるのは当然の話である。

 調べてみると、カルマン夫人の122歳を証明する証拠として存在するのは、夫人とその家族の出生、結婚、死亡証明書と40代頃の写真しかなく、医師の診療記録や近親者の証言のような客観的な証拠は全く得られなかった。彼女は結婚して一児(娘)をもうけたが、彼女の夫は1942年に、兄は1962年に死亡して年長の近親者はいなくなり、娘も1934年に36歳の若さで死に、たった一人の孫も1963年に36歳で亡くなっている。つまり、彼女が若かった頃を知っている者も、彼女の思い出話を直接聞いた者もすべて死んでいて、彼女の年齢を裏付ける近親者の証言は皆無なのである。かかりつけの病院の診療記録でもあればいいのだが、それに該当するようなものは見つからず、晩年には一本残らず歯が抜けてしまっていたので、歯医者の記録も利用できなかった。結局、調査に当たったフランス人の疫学者ジャン・マリー・ロビンヌと医師ミシェル・アラールは、彼女たち一家の出生、結婚、死亡の証明書を調べて、それが「つじつまが合っていて、疑わしい点はない」ということを根拠に、カルマン夫人が本当に122歳であったと結論づけたらしい。

 記録によると、彼女は、115歳の時に転倒して両側の大腿骨を骨折してから車いすの生活を送り、目も見えず、ほとんど耳も聞こえなかったが、記憶力だけはしっかりしていたようだ。彼女は10代の頃、画材店で働いていて、絵具を買いに来たゴッホと会ったそうで、「汚くて、服装がだらしなく、不快な人」と、その印象を語っていたという。確かにゴッホは、1888年に一年間だけアルルに滞在していたから、その証言はすっかり信用され、だれもがカルマン夫人が記録破りの長寿であることを疑わなかった。

 現在でも、カルマン夫人の記録をそのまま信じている学者が多く、「最大寿命122歳」説はすっかり定着したように見えるが、彼女の経歴に関する疑問が、すべて解消したわけではない。カルマン夫人の死後、「116歳」を越える長寿者が一人も現れず、(今回の木村次郎右衛門さんの例でみたように)これからも出現する見通しが全くないことから、疑惑はむしろ深まったようにも見える。

そこでここでは、カルマン夫人の経歴に対して最も厳しい疑惑を提起したイギリスの高名な老年生物学者トム・カークウッドの「母娘入れ替わり説」を紹介し、再検討の一助としたい。彼は、その著書『生命の持ち時間は決まっているか』のなかで、カルマン夫人の長寿が認定される経過を調べ、「意地悪な見方をすれば、一連の記録の中に、年齢をごまかそうとすればごまかせた箇所が一つだけある。それは、1934年の娘の死である。このとき、実際に死亡したのは母のほうで、娘が母に成りすましていると考えることができなくもない」と、具体的な疑問点をあげた。何とも鋭い指摘である。確かに、この時(娘が死んだとされる1934年)は母と娘が入れ替わることのできた唯一のチャンスで、もし入れ替わったとすれば、36歳の娘が59歳で死んだ母になりすまし、それから1997年まで63年間生きたことになる。カークウッドはそこまで言及していないが、彼女が死んだとき、122歳というのはウソで、本当は99歳だったのではないかと考えると、すべてのつじつまが合ってくる。

娘と並んで写っている40代のカルマン夫人の写真を見ると、二人は見分けがつかないほど似ていたというから、娘が母親に化けるのは、そう難しいことではなかったかもしれない。ゴッホの昔話も、母から聞いたことを思い出して話したのだろう。ただし、年齢をごまかすには、かなり入念に準備し、彼女を知る人々には固く口止めする必要がある。そこで彼女は、1963年にたった一人の孫(本当は彼女の娘)が死亡して、彼女を知る近親者が一人もいなくなり、口封じの必要がなくなってから、やっと「カルマン夫人」としての行動を起こすのである。

カークウッドの著書によると、孫が死んでから二年後の1965年、カルマン夫人はアンドレ・フランソワ・ラフレイという弁護士と、死後財産の相続契約を結んだ。契約内容は、カルマン夫人の死後、彼女のアパートを弁護士が相続する代わりに、彼女が生きている間は一か月あたり500ドルの年金を支給するというものだった。その時、カルマン夫人は90歳と自称(実際はまだ67歳)していたから、弁護士側は「あと数年すれば自分のものになる」と判断、喜んで契約に応じたのだろう。ところが、彼女はその後数年どころか122歳(実際は99歳)まで長生きし、弁護士の方が先に死亡してしまう。そして、契約によって、年金の支払い義務が遺族に引き継がれることになった。結局、弁護士一家は、彼女が死ぬまで32年間も年金を支払い続けたことになり、その支払総額はアパート資産額の三倍にも達したという。

考えてみれば、彼女が「85歳でフェンシングを始めた」とか「100歳で自転車に乗っていた」、あるいは「120歳までヘビースモーカーだった」という数々のエピソードも、23歳の「サバ」を差し引けば、初めて納得できる。彼女に詐欺的な意図があったとは決して思わないが、彼女が年齢をごまかすことによって、結果的に大きな利益を得ていたことだけは確かなのである。

現時点では、彼女やその親戚の遺体を墓から掘り出し、DNA鑑定までして記録の信ぴょう性を確認しようという話は出ていないから、まだ「122歳のウソ」を証明することはできないが、その経歴に疑わしい点が存在することだけは、ぜひ知っていてほしい。そして、少しでも疑いがあれば、「人間は122歳まで生きられる」と書きまくるのはやめるよう、専門の学者たちにお願いしたいと思う。



[注記] 本稿は日本エッセイスト・クラブの会報 No65-2号(2013年11月発行)に掲載されたエッセイに加筆、手直ししたものである。