2005年10月
2005年10月24日
ロシア論
たまたまラジオで、青山学院の袴田茂樹教授の「日露両国の相互認識」という番組を聴いた。
ロシアでは、東方進出の野心から、ピョートル大帝時代の1705年から日本語学校が置かれ、ラックスマンが来日したりする一方、19世紀末にはジャポニズム(日本の古典文学)が大流行するなど、日本の文化をずいぶん受容してきたそうだ。
また、日本人の感性も、不思議とロシア人と共通するところがあり、黒澤明が映画化したドストエフスキーの「白痴」は、ロシア映画よりも本質を捉えているとロシア国内で評されているとのこと。
歴史的な背景として、日本とロシアは、ともに19世紀後半から欧米列強に遅れて民主主義国の仲間入りを果たしたという親近感があるのではないか、と袴田教授は見解を述べている。
また、大恐慌時代には、自由主義国でもニューディールなどの国家主導の経済政策がとられたし、戦後日本ではマルクス思想がずいぶん広まった経緯もある。
最近でも、ロシアでは、村上春樹、村上龍、吉本ばなな、俵まちらの文学が大売れで、特に村上春樹は、日本の小説というよりは、成熟社会の最先端の世界観を表す文学として、広くロシア人に読まれているそうだ。
普段、アメリカ、そして最近では中国・韓国の国民が、日本をどう見ているかを意識する程度の私たちだが、ロシア人のこういう認識を知るのは嬉しい。
しかしある調査によると、70%の日本人がロシアをネガティブなイメージで捉えているという状況にあるそうだ。
寒く、共産主義の統制国家のイメージの強いロシアだが(と断じること自体問題だが)、本当は、自由奔放な国民性らしい。
バイアスを排し、認識を改める必要がありそうだ。
ロシアでは、東方進出の野心から、ピョートル大帝時代の1705年から日本語学校が置かれ、ラックスマンが来日したりする一方、19世紀末にはジャポニズム(日本の古典文学)が大流行するなど、日本の文化をずいぶん受容してきたそうだ。
また、日本人の感性も、不思議とロシア人と共通するところがあり、黒澤明が映画化したドストエフスキーの「白痴」は、ロシア映画よりも本質を捉えているとロシア国内で評されているとのこと。
歴史的な背景として、日本とロシアは、ともに19世紀後半から欧米列強に遅れて民主主義国の仲間入りを果たしたという親近感があるのではないか、と袴田教授は見解を述べている。
また、大恐慌時代には、自由主義国でもニューディールなどの国家主導の経済政策がとられたし、戦後日本ではマルクス思想がずいぶん広まった経緯もある。
最近でも、ロシアでは、村上春樹、村上龍、吉本ばなな、俵まちらの文学が大売れで、特に村上春樹は、日本の小説というよりは、成熟社会の最先端の世界観を表す文学として、広くロシア人に読まれているそうだ。
普段、アメリカ、そして最近では中国・韓国の国民が、日本をどう見ているかを意識する程度の私たちだが、ロシア人のこういう認識を知るのは嬉しい。
しかしある調査によると、70%の日本人がロシアをネガティブなイメージで捉えているという状況にあるそうだ。
寒く、共産主義の統制国家のイメージの強いロシアだが(と断じること自体問題だが)、本当は、自由奔放な国民性らしい。
バイアスを排し、認識を改める必要がありそうだ。
いざというときに使えない情報
羽田発の飛行機に乗ろうと浜松町まで行ったら、モノレールが不通だった。
ギリギリの時間だったので、あわててJRのキップ売り場で、浜松町→(JR)→品川→(京急線)→羽田のルートのキップを買おうとした。
ところが、案内板を見たら、京急蒲田までの料金しか載っておらず、羽田までの料金が分からないのだ。
いや、どこかに表示されているのだろうが、あれこれ見るヒマもないので、とりあえず、足りないと知りつつ適当にキップを買った。
羽田の改札では、案の定、乗り越し精算がゲキ混み。
やっとの思いで改札を出た私は、全速力で走り、何とかフライトに間に合った。
こんな一刻を争う場面は、これまでも再三あったはずだ。
なぜ、浜松町には羽田までの料金が表示されていないのだろう?
細かいことのようだが、重要なことが細部に宿ることはよくあることだ。
ギリギリの時間だったので、あわててJRのキップ売り場で、浜松町→(JR)→品川→(京急線)→羽田のルートのキップを買おうとした。
ところが、案内板を見たら、京急蒲田までの料金しか載っておらず、羽田までの料金が分からないのだ。
いや、どこかに表示されているのだろうが、あれこれ見るヒマもないので、とりあえず、足りないと知りつつ適当にキップを買った。
羽田の改札では、案の定、乗り越し精算がゲキ混み。
やっとの思いで改札を出た私は、全速力で走り、何とかフライトに間に合った。
こんな一刻を争う場面は、これまでも再三あったはずだ。
なぜ、浜松町には羽田までの料金が表示されていないのだろう?
細かいことのようだが、重要なことが細部に宿ることはよくあることだ。
2005年10月23日
新潟県中越地震から1年・・・
新潟県中越地震から1年経つ。
土砂に埋もれた車から、4日ぶりに2歳の皆川優太ちゃんを救出したハイパーレスキュー隊。
「避難所生活には慣れても、余震の怖さには慣れることはできない」と打ち明ける女性。
ボランティアは受け付けず、近所同士で支え合うと宣言する、不思議なくらいに絆の強いコミュニティ。
・・・数々の現場活動や人々の言葉が、いまだに鮮明に記憶に残る。
そして、中越地方の最近の様子を報道で知るにつけ、災害はまだまだ続いていると気づく。
先日、豊田市の宮川龍也さんのご紹介により、中核市の東京事務所長さん方30名ほど集まる機会に、私の体験をお話しする機会を得た。皆さん、大変熱心に聴いていただいた。
講演後、マスコミ対策に関する質問を頂戴したので、
「・長岡市妙見堰でのハイパーレスキュー隊の活動では、マスコミを現場から1kmほど距離を置いた地点まで下がってもらい、定期的に情報を提供する体制をとった。
・上空をバリバリと猛烈な音を立てて飛び回る報道ヘリが、活動の妨げになったため、退去を要請した。
・なぜか母子3人全員生存との報道が流れたりした。」と答えた。
大災害が発生するたびに、いろいろな課題が浮かび上がる。
安全な社会で、安心して暮らすことができる世の中を作るのは、私たちの仕事の最低条件だ。
こつこつと改善を重ねていくことで、国民の行政への信頼を高めたい。
土砂に埋もれた車から、4日ぶりに2歳の皆川優太ちゃんを救出したハイパーレスキュー隊。
「避難所生活には慣れても、余震の怖さには慣れることはできない」と打ち明ける女性。
ボランティアは受け付けず、近所同士で支え合うと宣言する、不思議なくらいに絆の強いコミュニティ。
・・・数々の現場活動や人々の言葉が、いまだに鮮明に記憶に残る。
そして、中越地方の最近の様子を報道で知るにつけ、災害はまだまだ続いていると気づく。
先日、豊田市の宮川龍也さんのご紹介により、中核市の東京事務所長さん方30名ほど集まる機会に、私の体験をお話しする機会を得た。皆さん、大変熱心に聴いていただいた。
講演後、マスコミ対策に関する質問を頂戴したので、
「・長岡市妙見堰でのハイパーレスキュー隊の活動では、マスコミを現場から1kmほど距離を置いた地点まで下がってもらい、定期的に情報を提供する体制をとった。
・上空をバリバリと猛烈な音を立てて飛び回る報道ヘリが、活動の妨げになったため、退去を要請した。
・なぜか母子3人全員生存との報道が流れたりした。」と答えた。
大災害が発生するたびに、いろいろな課題が浮かび上がる。
安全な社会で、安心して暮らすことができる世の中を作るのは、私たちの仕事の最低条件だ。
こつこつと改善を重ねていくことで、国民の行政への信頼を高めたい。
2005年10月17日
幼児教育と日本の将来
ある幼稚園の園長先生と話し、子供の自発性を尊重した、しっかりした教育理念を聞くことができた。
「なくなったおもちゃ一つをみんなで一生懸命探すことは、自分が迷子になった時でも、みんなが探してくれるというイメージを疑似体験すること。生きる上での安心感、人と人との信頼感が育まれる。」
「お絵描きして汚れたテーブルを先生が拭いていると、園児が『自分もやりたい』と言うので一緒に掃除している。汚しても後で綺麗にすればいい。失敗しても挽回できることを知り、何にでもチャレンジする気持ちにつながる。」
「子供は本来、遊び方を考える天才。でも、親からこうやって遊びなさいと指示されるのに慣れた子供は、目の前のおもちゃでどうやって遊べば良いのか聞いてくることがある。『大人になったら判断できるようになる』なんてことはない。子供の頃から自分で考えさせることが大事。」
子供の行動に、何一つとして意味のないものはないようだ。
こういう感覚で見守られなければ、人を信じられない孤独な人、失敗を恐れてチャレンジできない人、自分で判断できない指示待ち人間になっていくのかもしれない。・・・しかしこれって、社会によくいるタイプじゃないか??
マンパワーの大切さは、社会人になると、強く実感するものだ。
広島県庁でも、職員研修が大変熱心に行われている。
でも、その素地作りは幼児の頃に作られるのかもしれない。
小学校以降の教育については、ゆとりをどうするとか、円周率をどう教えるとか、英語を教えるべきだとか、国民的な議論が百出しているが、未就学児については、待機児童をなくすとか、母親が働けるように延長保育をするとかいう話ばかりで、教育内容について大きな議論になることがないような気がする。
団塊の世代が大量退職する「2007年問題」と称して、人材の確保や育成がクローズアップされる中、日本の将来を託せる有為な人材を育てるためにも、私たちは、もっともっと幼児の育て方にもっと目を向けるべきではなかろうか?
「なくなったおもちゃ一つをみんなで一生懸命探すことは、自分が迷子になった時でも、みんなが探してくれるというイメージを疑似体験すること。生きる上での安心感、人と人との信頼感が育まれる。」
「お絵描きして汚れたテーブルを先生が拭いていると、園児が『自分もやりたい』と言うので一緒に掃除している。汚しても後で綺麗にすればいい。失敗しても挽回できることを知り、何にでもチャレンジする気持ちにつながる。」
「子供は本来、遊び方を考える天才。でも、親からこうやって遊びなさいと指示されるのに慣れた子供は、目の前のおもちゃでどうやって遊べば良いのか聞いてくることがある。『大人になったら判断できるようになる』なんてことはない。子供の頃から自分で考えさせることが大事。」
子供の行動に、何一つとして意味のないものはないようだ。
こういう感覚で見守られなければ、人を信じられない孤独な人、失敗を恐れてチャレンジできない人、自分で判断できない指示待ち人間になっていくのかもしれない。・・・しかしこれって、社会によくいるタイプじゃないか??
マンパワーの大切さは、社会人になると、強く実感するものだ。
広島県庁でも、職員研修が大変熱心に行われている。
でも、その素地作りは幼児の頃に作られるのかもしれない。
小学校以降の教育については、ゆとりをどうするとか、円周率をどう教えるとか、英語を教えるべきだとか、国民的な議論が百出しているが、未就学児については、待機児童をなくすとか、母親が働けるように延長保育をするとかいう話ばかりで、教育内容について大きな議論になることがないような気がする。
団塊の世代が大量退職する「2007年問題」と称して、人材の確保や育成がクローズアップされる中、日本の将来を託せる有為な人材を育てるためにも、私たちは、もっともっと幼児の育て方にもっと目を向けるべきではなかろうか?
2005年10月16日
政策を分かりやすく
呉市長候補の公開討論の基調講演で、北川正恭前三重県知事が次のように述べられた。
「国家予算は年間80兆円。次の総選挙まで3年とすると、皆さんは今回の総選挙で、小泉さんに240兆円、一人当たり200万円、一家4人なら800万円を託したことになる」と。
では市長にはいくら託すのか?
そのうち、医療福祉、環境、教育、産業雇用、文化にそれぞれいくら使うのだろう?
これまで作った施設の維持管理費、借金の利息にはいくらかかるのだろう?
そして、その使い方に有権者は納得するのか?
各候補者が、何の予算に一人当たりいくら配分するのか、マニフェストとあわせて議論すれば、主張する政策がもっと分かりやすくなるはずだ。
こんなマニフェストの進化にも期待したい。
「国家予算は年間80兆円。次の総選挙まで3年とすると、皆さんは今回の総選挙で、小泉さんに240兆円、一人当たり200万円、一家4人なら800万円を託したことになる」と。
では市長にはいくら託すのか?
そのうち、医療福祉、環境、教育、産業雇用、文化にそれぞれいくら使うのだろう?
これまで作った施設の維持管理費、借金の利息にはいくらかかるのだろう?
そして、その使い方に有権者は納得するのか?
各候補者が、何の予算に一人当たりいくら配分するのか、マニフェストとあわせて議論すれば、主張する政策がもっと分かりやすくなるはずだ。
こんなマニフェストの進化にも期待したい。
付加価値の高い仕事を
総務省の先輩である、椎川忍内閣府審議官の講演を聴いた。
小泉内閣の進める地方の行財政改革について、松下幸之助さんの言葉を引用し「5%の削減は難しいが、30%ならできる」と言い切る。
必要なのは、小出しの人減らしの発想でなく、そもそも公務員がやるべき仕事なのか、根こそぎアウトソーシングできないか、という視点である。
水道事業を「根こそぎ」民間委託した吉岡広小路三次市長の言葉を借りれば、行政に残すべき仕事は、「税金から給料をもらう公務員にふさわしい高度な仕事」である。行革は、公務員の仕事の高付加価値化と同義だと思う。
そもそも、付加価値の高い仕事を短時間で効率的にやる、というのは、人口減少・男女共同参画時代のライフスタイルの一環だと思う。職業人自身の仕事への満足度も高まるはずだ。
ちなみに、今回初めて知ったのだが、椎川さんは、公務員が現場に飛び込まずに理屈ばかり並べることに対してずいぶん批判的である。
そこで、私の持論である「住民参加型行政よりも、公務員参加型NPO」という考え方を話したところ、即座に、大いに賛成してくれた。
総務省幹部にこういう感覚を持っている人がいるのは、本当に心強い。これからもいろいろと話をしてみたいと思った。
小泉内閣の進める地方の行財政改革について、松下幸之助さんの言葉を引用し「5%の削減は難しいが、30%ならできる」と言い切る。
必要なのは、小出しの人減らしの発想でなく、そもそも公務員がやるべき仕事なのか、根こそぎアウトソーシングできないか、という視点である。
水道事業を「根こそぎ」民間委託した吉岡広小路三次市長の言葉を借りれば、行政に残すべき仕事は、「税金から給料をもらう公務員にふさわしい高度な仕事」である。行革は、公務員の仕事の高付加価値化と同義だと思う。
そもそも、付加価値の高い仕事を短時間で効率的にやる、というのは、人口減少・男女共同参画時代のライフスタイルの一環だと思う。職業人自身の仕事への満足度も高まるはずだ。
ちなみに、今回初めて知ったのだが、椎川さんは、公務員が現場に飛び込まずに理屈ばかり並べることに対してずいぶん批判的である。
そこで、私の持論である「住民参加型行政よりも、公務員参加型NPO」という考え方を話したところ、即座に、大いに賛成してくれた。
総務省幹部にこういう感覚を持っている人がいるのは、本当に心強い。これからもいろいろと話をしてみたいと思った。
2005年10月13日
議員って一体・・・
県内の若手市議さんたちから腹を割った話を聞く機会があった。
みんな30代。すばらしい人材の方々だ。
だが、悩みは深い。
「財政問題は、一番重要なんだけど、難しくて執行部に切り込むことができない。」
確かに、財政制度全体を理解するのは大変なことだし、その道10数年という財政課職員に太刀打ちするのは至難の業だというのは容易に想像がつく。
一方、役所がすべての情報をさらけ出し、議員さんと真摯に議論するための土俵を用意しているとは言いがたい。
特に、役所が突っ込まれたくない情報を議員から求められたとき、必要以上に情報を出すのは得策でないと考える。
そのくせ、議員の質問が少しでもおかしいと見るや、「あの先生は勉強不足」のレッテルを貼ったりするからたまらない。
「首長との圧倒的な差を感じ、議会の無力さを感じる。」
地元への利益誘導でなく、地域全体のために活動しようとすればするほど、情報不足、力不足を実感するのかもしれない。
ちょっとうるさい議員に対しては、役所側は情報を小出しにし、思っていることを口に出さない。そのために、議員はなおさら力を出せない。こんな非対称な状況は、決して健全ではない。
「先生、先生」と議員のご機嫌をとってばかりでなく、政治・行政のあるべき姿について、もっと本音で語り合っていけないものか。
まずは、情報公開。その上で、役所と議員が、話の分かる人間同士で、心から価値観を共有して、建設的なお付き合いをしたい。
不自然な非対称な状況を変えれば、民主主義がうまく働くように思う。
みんな30代。すばらしい人材の方々だ。
だが、悩みは深い。
「財政問題は、一番重要なんだけど、難しくて執行部に切り込むことができない。」
確かに、財政制度全体を理解するのは大変なことだし、その道10数年という財政課職員に太刀打ちするのは至難の業だというのは容易に想像がつく。
一方、役所がすべての情報をさらけ出し、議員さんと真摯に議論するための土俵を用意しているとは言いがたい。
特に、役所が突っ込まれたくない情報を議員から求められたとき、必要以上に情報を出すのは得策でないと考える。
そのくせ、議員の質問が少しでもおかしいと見るや、「あの先生は勉強不足」のレッテルを貼ったりするからたまらない。
「首長との圧倒的な差を感じ、議会の無力さを感じる。」
地元への利益誘導でなく、地域全体のために活動しようとすればするほど、情報不足、力不足を実感するのかもしれない。
ちょっとうるさい議員に対しては、役所側は情報を小出しにし、思っていることを口に出さない。そのために、議員はなおさら力を出せない。こんな非対称な状況は、決して健全ではない。
「先生、先生」と議員のご機嫌をとってばかりでなく、政治・行政のあるべき姿について、もっと本音で語り合っていけないものか。
まずは、情報公開。その上で、役所と議員が、話の分かる人間同士で、心から価値観を共有して、建設的なお付き合いをしたい。
不自然な非対称な状況を変えれば、民主主義がうまく働くように思う。