2005年12月

2005年12月31日

今を生きることに感謝

先日の大竹市での戦後60周年イベントで、気になる公文書を一つ見つけた。

戦時中に海軍省が家族向けに発した「家族の防諜」というタイトルの通知だ。
「心得テ居ナケレバ知ラズニ軍機保護法ニ触レル」。おどろおどろしいサブタイトルが付けられている。

【以下抜粋】
========================
「特に海軍に勤務する者の家族として心得ねばならない事項を2、3申し上げたいと存じます。
○第一、海軍のことに関し新聞やラジオで発表された以外のことを聞きたがらぬこと、話さぬこと。
〔御主人を失はれた遺族の御胸中は御察し致しますが、目下大戦争遂行中であることを考へるならば苦しい我慢もして頂かねばならないと存じます。〕

○第二、海軍のことに関し新聞やラジオで発表された以外のことを手紙に書かぬこと。
〔臨時郵便取締令では外国郵便物だけの検閲ですが内国郵便物でも怪しいと思はれるものは何時でも検閲されて居るのでありまして、これにも艦船の行動、所在、行先等軍事上の秘密を書いて軍機保護法に依り罰せられた人が相当あります。〕

○第三、噂話に耳を傾けたりこれを他人に話したりしないこと。
〔或る航空母艦艤装員の夫人が友人にご主人の艦の名前、建造地、竣工時期等を話しました所、その友人が米国大使館に出入りしていたといふ実例がありました。こんなのは軍機保護法で6月以上10年以下の懲役に処せられます。〕

○第四、海軍機密書類の取扱に注意すること。

 尚御参考迄に軍機保護法の一部を記して置きます。
 大変重い刑罰ですが人を殺したり物を盗んだりすることよりも機密を漏泄することの方が定刻の安危を左右することの大なるを思へば重いのも当然と申せませう。
○第2条 軍事上の秘密を探知し又は収集したる者は6月以上10年以下の懲役に処す。
〔「我方航空母艦一隻喪失」と云ふ様な発表のあったときに「自分の主人も航空母艦に乗って居るが戦死したのではあるまいか」などと尋ねる人がありますが、それ等もこの罪になる場合があります。通知が待ちきれず我損害の発表毎に尋ね回られる様なことがありましては軍人の家族として甚見苦しいことでもあります。〕」
=====================

これはもう、常識が180度異なる時代背景をもってしか説明のしようがない。

遺族に対し「苦しい我慢もして頂かねばならない」とか、「軍人の家族として甚見苦しい」といった個人の価値観まで、中央政府・軍が支配していたのだ。
個人の郵便物も「怪しいと思はれるものは何時でも検閲されて居る」と、人権などまったく眼中にない。

命をかけて戦った軍人だけでなくその家族も、国によってあらゆる忍耐を強いられていたという事実を、痛々しいまでに感じさせられた。

もちろん、こうした通知を出す当時の状況を、頭の中で理解できないわけではない。

人間は、いつの時代でも、与えられた環境の中を生きていくしかないのだ。

現代の国民主権国家は、国民自身の思いが最大限尊重されるシステムになっている。
この環境の中に生まれ育ったことに感謝しつつ、では私たちは次を担う子供たちのために、どんな環境を残してやれるのか、精一杯考えていきたい。

shigetoku2 at 14:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本論・人生論 

2005年12月30日

小さな不幸せ

年末に、広島から愛知にクルマで深夜に帰省したとき、「小さな不幸せ」を2つ体験をした。

〔梢盛眤の米原〜関ヶ原で、大渋滞に巻き込まれた。

「緊急工事のため10km、80分の渋滞」。
電光標識を見ても、ラジオを聞いても、それ以上の情報は何もない。

周りのドライバーは、みんなイラついていたはずで、雪がぱらつく中、路肩を走り始めるクルマ多数。

・・・せめて何のための工事なのか、どういう緊急性があるのか、知らせてくれるだけで、ドライバーの気持ちはやわらぐんじゃないかな〜?
結局、渋滞の原因と見られる地点に辿り着いても、何の「緊急工事」が行われていたのかさっぱり分からなかったし、かなり後味悪い渋滞だった。

¬世永に到着した愛知県内のIC近くのガソリンスタンドで、お姉さんに「空き缶捨ててくれますか?」と頼んだら、「ゴミ、終わってるんで・・」と断られた。

・・・はっ??終わってる??

GSの決め事でゴミの時間帯を限定し、明け方は受け付けていないんだろうか?
年末は市のゴミ収集車がもう来ないということだろうか?
それとも、私のでかい態度(ということはないと思うのだけど)が気に入らず、適当な理由で断っただけなんだろうか??

結局、めんどくささも手伝って「終わった、てどういう意味ですか?」と聞けず、また、明け方まで働く若い女性に敬意を表しつつ(?)、あれこれ考えながら、実家まで空き缶を持ち帰った。
ゴミを断られたことよりも、お姉さんの真意が分からずじまいだったことが、むしろ歯がゆい一件であった。

shigetoku2 at 23:31|PermalinkComments(0)TrackBack(1) ちょっとした気づき 

「人間力」の時代へ

愛知県に額田町という町がある。

中山間地域にある人口1万人ほどの町だが、この地域の住民自治活動を知り、はかり知れない「人間力」に感服した。

居住者のいなくなった屋敷を地域住民が茅を葺き直して再生させ、昔ながらの囲炉裏を囲んでお酒を飲み、料理を食べて、宿泊することもできるゲストハウスになっている。

また、全国的に後継者難、収益難に悩む林業だが、林業出身の鈴木啓允町長さんのイニシアティブで、住民が一つの山にサクラとモミジを植えたり、間伐材を使ってログハウスを建設するなど、本格的な住民参加の地域経営が展開されている。

年末に総務省の大先輩が茅葺屋敷にソバ打ちに来られ、私も町長さんらと一緒に囲炉裏を囲む機会があった。
囲炉裏の懐かしさや、ソバや料理の味に加え、何と言っても、ここの運営をしている方々の明るさ、温かさが嬉しかった。

こうした事業は、NHKスペシャルで「スローな公共事業」という切り口で取り上げられたそうだ。

【従来の公共事業】
 多額の予算をかけ、建設業者に発注して、ピカピカの完成品を住民に提供する。
  →しかし愛着はわかず、使われずじまい。
【スローな公共事業(これからの姿)】
 現存する地域資源を活用し、地域住民が、行政からの原材料費のみで、手間ひまと時間をかけ、手作りの拠点を作り上げる。
  →みんなの想いが集まり、大切に使われる。

まさに「ハードからソフトへ」「モノ・カネから人間・ハートへ」の流れではないか!
広島県内では、廿日市市おやじの会による手作りスケボーパーク、旧沼隈町(現福山市)住民による道路づくりといった事例も登場してきたし、「人間力」を中心にした、新しい時代が到来しているようだ。

額田町は、平成18年1月1日をもって隣の岡崎市と合併する。

「この取り組みがなければ、額田町は、新市のはじっこになるしかなかっただろう」という住民の言葉には、もう、うなずくしかない。

頑張ろう、全国の合併町村!!

shigetoku2 at 23:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域活性化・地域の話題 

2005年12月23日

戦後の引揚港・大竹

大竹市の中川洋市長さんのお招きで、戦後60周年メモリアルイベントに参加した。

大竹は、戦時中、海兵団や海軍潜水学校など軍事拠点となった場所だが、戦争が終わると、「厚生省宇品引揚援護局大竹出張所本部」が置かれ、海外に駐留していた軍人や、台湾など南方の領土に住んでいた日本人が帰国する、いわゆる引揚港となったという。
昭和20年11月から翌年12月までの間に41万人が引き揚げたそうで、「青い山脈」の故藤山一郎さんもその一人らしい。
大竹に引揚げた元経企庁事務次官の糠谷(ぬかや)信平さんが、会場に来られていた。

恥ずかしながら私は、引揚という歴史上の出来事自体よく知らなかったが、今回の展示はとても興味深かった。

海外から引揚げた人たちは、沖で大きな船から小型ボートに乗り換えて、埠頭にたどり着き、トラックの荷台に乗せられて大竹駅まで運ばれ、そこから復員列車でそれぞれの故郷に向かったそうだ。
すぐに帰る場所のない人のために、旧大竹海兵団兵舎が宿舎として使われたという。

興味深かったのは、アメリカの国立公文書館から提供された、進駐軍撮影の引揚風景のカラー映像である。

驚くことに、引揚げてきた人たちは荷物をほとんど持っておらず、身一つで帰ってきたのである。
オーストラリアなどの進駐軍に監視される中、誰一人として口を開く者もなく、頭に消毒薬をかけられていた。
なんとも屈辱的な光景ではないか。
しかし、カメラの前を歩いていく人たちは、みなこちら(つまり進駐軍の撮影者)に向かって会釈をしているように見える。
これが、日本人の美徳なのだろう。

大竹市民も、引揚軍人からのコレラ感染を防ぐため予防接種を受けたそうだ。
受け入れる地元にも負担がかかる。
引揚は、本当に大変な出来事だったと思う。

イベント後、岩国の錦帯橋の見えるホテルで、「獺祭(だっさい)」という山口県のお酒を飲んだ。
誰かが「ワインみたいで飲みやすい」と評したところ、日本酒愛好家の糠谷さんが「いいお酒を『ワインみたい』だなんて表現するもんじゃない」とおっしゃった。

確かにそのとおりだ。

shigetoku2 at 14:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域活性化・地域の話題