2006年01月

2006年01月29日

地域づくりの原動力へ、広島ZIT!

1月27日、「広島ZIT」が発足した。

ZIT(じげ(地域)おこしインターネット鳥取)は、鳥取に始まり、愛媛にも増殖中の、メーリングリストによる官民横断の地域おこしネットワークだ。

今回、3つ目の地域として、広島県内のネットワークができたわけだ。
「設立総会」は、30人余りの皆さんが県内各地から集まり、鳥取から来られた総元締・小谷寛さんからの経緯説明に続き、中国総合通信局長の岡山淳さんが会長に決まった。
和田さん(地域科学研究所)の気の利いた司会で、大いに盛り上がった。
会場準備は郵政公社の皆さん、ネームプレートは石倉昭和さん(中電技術コンサルタント)が用意してくださり、会の運営そのものがボランタリーで、創発的だった。

廿日市からは「野坂中学校区おやじの会」の野村洋一さんが来られ、「住民主体の公共事業」であるスケボーパークが今年4月、ついに完成すると聞いた。
実に1年半にわたる、愛情たっぷりの「公共事業」だ。
借金財政の元凶である「無駄な公共事業」への強烈なアンチテーゼだ。

今後も、普段からMLで様々な情報交換が行われるだろうが、有力な共通テーマが一つある。
「まちづくりのバカの壁」についてだ。

壁と言えば、行政が関わるものとしては、規制や意識の違いなどによる官民の壁、タテ割の壁、国と地方の壁なんかがある。
民間でも、例えば活動方針をめぐってのメンバー間の壁、営利・非営利など異なる組織間の壁、一般住民との壁などがあろう。
さらに言えば、自分の心の中の壁、世代、男女の壁・・・。

こうした数ある壁の中から、「バカの壁」を拾い集めるのだ。

養老先生の言葉を借りれば、「バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。・・・それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる。当然、話は通じなくなるのです。」

自戒を込めて言えば、公務員はたくさんの「バカの壁」に囲まれている。
でも、「シロウト感覚」「フツウの感覚」さえあれば、こんな壁はすぐに崩せるはずだ。
財政難の時代に税金を賢く使うためにも必要な感覚だと思う。

「ゼニを(Z)いい具合に使う(I)とってもフツウの公務員(T)」を目指したい。

shigetoku2 at 21:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域活性化・地域の話題 

子どもの遊びと創造性

子どもたちを連れて、蜂ヶ峰総合公園(山口県和木町)へ遊びに行った。
県境を越えてすぐの、丘の上の広い公園だ。

ミニSLや観覧車に乗れるし、大きな恐竜が10体置かれてるし(声の出る恐竜もいる!)、もちろん子ども広場にはたくさんの遊具がある。

中でも、「オービット・スーパー」は、らせん型の滑り台全体が回転台の上を回るようになっている、見たことのない遊具だ。
しかも回転台を力ずくで回さなくても、滑り台を登り降りするだけで、ひとりでに回転し始めるもので、実によくできており、面白い。
推測だが、全体構造に少し傾斜がついていることにより、こういう動きが出るのではないかな。
もっとも、子どもと一緒に私も遊んでみたが、目が回ってすぐにリタイヤした。

いつも思うのだが、子どもの遊具とかおもちゃというのは、よっぽど高い創造力を持つ方でなければ設計・製作できないと思う。
デパートのおもちゃ売り場などは、人の創造性が発露される空間の最たるものだ。
しかも、実用に当たっては、厳しい安全性チェックがかかるだろうから、神経も使うはず。予算の制約もあるだろう。

それにしても、うちのガキどもは外で遊び始めると際限なく遊び続け、夕方暗くなり、寒くなって、何度帰ろうと言ってもなかなか承知してくれない。
しかも、最近は自信や体力がついて、遊べる遊具の種類が格段に増えたからなおさらだ。
遊びは創造力の源泉というから、将来、さらなる新たな遊具やおもちゃを開発してもらおうか。

shigetoku2 at 09:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て 

2006年01月28日

創発 地方自治

先日、広島県内の23市町の財政担当者をメーリングリスト(ML)で結び、自治体の財政問題についていつでも情報交換できる仕組みをつくった。
手始めにこのMLを使って、自治体に余計な財政負担を強いるような、国の規制や補助金制度について、国に対して問題提起することに主眼をおいた「ネット財政改革会議」を行うことにした。

ML設置の狙いは、いくつかある。

‘本の財政は極めて厳しい。自治体が、交付税や補助金に頼ろうとしても、もはや現ナマはどこにも余っていない。国への陳情に力を割くより、自らの情報力を高め、頭を使い、知恵を絞ることで、納税者からいただいた貴重なカネを上手く使うことに心血を注ぐべきだ。

△修里燭瓩両霾鷂擦蓮△△蠅箸△蕕罎襪箸海蹐砲△襦その気にさえなれば、地域や自治体行政の現場から湧き出してくるはずだ。「国が決めたルールでこうすることになっているから」という行動原理を脱し、「このルールは本当にこのままでいいのだろうか」「こうすればもっと賢く仕事ができるはず」という自治体職員一人一人の気づきが、改革の源泉になる。

C亙分権や交付税改革の影響を受ける当事者は自治体なのに、議論はもっぱら国(経済財政諮問会議など)で行われている。そのこと自体、自治体にとっては歯がゆいことだが、少なくとも国での議論の動きを今まで以上にウォッチしつつ、地域の実情から見て、異論があれば地方から言うべきことを言っていくことが、地域住民に対する責任でもある。


地方分権改革は、21世紀初頭のわが国最大の政治・行政システム改革であり、そのプロセスには、地域住民を含む多くの関係者が主体的に関わっていくべきである。
これを国に任せっきりにしては、分権改革そのものがこれまでの「国にお任せ地方自治」体質と何ら変わりないものになってしまう。

高度経済成長によって実現しきれなかった「真の豊かさ」を感じられる社会づくりを、分権型国家体制の樹立によって、今度こそ実現するんだという断固たる決意と覚悟を持って臨まなくてはならない。
そうでなければ、いつまで経っても中途半端な小出しの分権が延々と続くことになるだろう。

そして、何より大事なのは、受け皿となる地方の政治・行政の「意識」である。
少なくとも、霞ヶ関からの通知を金科玉条のごとく盲従するような自治体職員の脳みそは硬直化し、地域の将来はお先真っ暗だ。
地方分権の成果は、自治体が現場情報をどう読み取り、どんな知恵を考え出すことができるかにかかっている。

発想・発信・意思形成のスタイルを、国を頂点とするピラミッド型・お仕着せ型から、多様な自治体・地域によるネットワーク型・創発型へ転換していこう。
市町のMLも、その試みの一環である。

わが国の市町村は合併で1820になる。
1820人(市町村)の生き方を1人(国)が決めるのは、シロウト感覚で見ても不自然だ。
1820人いれば、1820通りの生き方があって良いというのが、21世紀成熟社会の普通の感覚であってほしい。

shigetoku2 at 12:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 

2006年01月15日

「創発」への途

8人による共著「創発まちづくり〜動く・繋がる・生まれる」を昨年末に発刊した。

先日、メンバー全員で打ち上げをした。

編者の和田崇さん(地域科学研究所)、広島修道大学の川名和美さん、広島SOHO’クラブの牛来千鶴さん、NPO雁木組の氏原睦子さん、中国地方総合研究センターの吉原俊朗さん、中国新聞の増田泉子さん、松波計画事務所・日本焚火学会の松波龍一さんだ。

なんとも多彩な顔ぶれで、それぞれの分野で個性的な活動をしている面々なので、話題もユニークだ。
しかも前置き抜きに話せば通じるという感じの雰囲気が大好きである。
それに、何かやろう、という推進力のようなものが自然に生まれてくる場でもある。
これが「創発」への途なのかな。

川名さんはコミュニティFMななみ(五日市)で番組を持っていて、地域の面白い人を紹介しているそうだ。和田さんもすでに登場したらしい。公務員シリーズの企画も検討していただければと。

いつも風変わりな話を聞かせてくださる松波さんは、日本一長いバス停名が「いしかわじまはりまじゅうこういりぐち」だと言う。これについては検証もできないが、確かに長い。
「創発」の次なる企画の提案があるそうだ。

牛来さんの企画する今月26日のSOHO交流会には、メンバーがそろって出席することになっている。
起業家の皆様との交流は、まちづくりにも、行政の仕事にも、とても貴重なことだと思う。

いずれにしても、今回の打ち上げ会場提供者でもあり、きりたんぽ鍋を用意してくれた氏原さんに心より感謝。

地方の時代、地域の時代の主役であるこの方々とのコラボレーションを、一歩一歩進めていきたいなと思う。

shigetoku2 at 01:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 経済社会・文化・科学 

2006年01月11日

とうさんたちの朝

1月10日(火)は、近所の吉島東小学校の始業式の日。
そして吉島東とうさんの会にとって、2回目の「防犯パトロール」の日だった。

西日本の冬の朝は6時半になっても薄暗く、起きるのがちょっとつらい。

でも、7時半に、三好弘泰さん(の奥さん?)が製作を一手に引き受けてくれたオレンジ色のタスキをかけたメンバーが集合し、ノボリを立ててみんなで歩き始めると、次第に気分が高揚してくる。

通りすがる人に、老若男女問わず「おはようございます!」と挨拶をしまくる。
心なしか、1回目のパトロール(12月15日)よりも通行人の反応も良い気がした。

今回は、学区の南端、光南町まで足を伸ばしてみた。
工場や空き地も多く、夕方以降になればちょっと薄気味悪くなりそう。
でも、雇用・能力開発機構のつくった住宅があって、そこから子供も少し通っているようだ。
こういう地域を重点的に回って、安全へのメッセージを発したらいいのかも。

一方、こうして歩いてみると、ふだんは目に留まらない、地域のお店や特徴ある造りの家など、いろんなものが見えてくる。
メンバーで話し合って、危険箇所マップと一緒に、安くてうまいお好み焼きマップなんかも作ったら、楽しめるんじゃないかと思う。

1月中にあと2回パトロールしたら、夜の反省会(with牡蠣)。
今後の活動への英気を養う場だ。

地道で楽しい地域活動をこれからもみんなで続けていきたい。

そういえば、理髪店の湊さんも、会の進展状況を気にしているようだ。
メンバー拡大も反省会のテーマにしよう。

shigetoku2 at 00:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て 

2006年01月03日

目指せラグビー王国

岡崎高校ラグビー部のOB会に出席した。

10年にわたる黄金時代を築いた長坂英司先生が久しぶりに出席されたこともあり、当時お世話になった若手世代もずいぶん集まった。

しかし、何と言っても現役部員が少ない。
2年生が9名、1年生がなんとゼロになってしまった。

世の中の体育会離れの傾向に加え、岡高の進学校化がさらに進んできていることが影響していると思うが、やはりカリスマ性のある優れた指導者が不在で「強い岡高ラグビー部」でないことが大きいと思う。

その意味で、同期の新海徳則くんが、岡高赴任と同時にラグビー部長に就任した意義は大きい。
今日長坂先生が言われたように、黄金期を知る世代が岡高教員になったわけで、選手の指導はもちろん、私たち若手OB世代とのパイプ役を担ってもらいたい。

今日集まったOBの顔ぶれを見ると、私の代は、50代以上の方々を除けば、最年長だ。
先輩方に遠慮することなく、率先して現役選手たちをサポートする体制づくりを考えなければならないと思う。
高校ラグビーを強くすることは、日本ラグビーを強くすることにつながり、2015年ラグビーW杯誘致への途を開くことになる。
(2011年誘致失敗は本当に残念だったが、国際的な交渉の経験は、日本ラグビー協会はじめ関係者に対して多くの教訓として残ったようである。次回こそ!)

何はともあれ、30代は社会の中核である。
いつまでも先輩方に甘えることなく、責任を持って後世代をリードしていこうではないか!
良い意味で、私たちは「ホリエモン・三木谷世代」なのである。
前進あるのみ。
この変化の時代に、社会をリードすることを躊躇している場合ではないと思う。

shigetoku2 at 21:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 経済社会・文化・科学 

2006年01月01日

養老孟司との対談?

年末年始を利用して、養老孟司先生の「バカの壁」を読んだ。

これまでは読まないままに、しょっちゅう勝手に「バカの壁」という言葉を使ってきただけに、原典を何度も読み返した。

本書を引用して、(バーチャル)インタビュー形式の読書感想文にしてみた。(ややオタクっぽいが。)

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(重徳)この本の序盤では、私たちがいつも身につけなくっちゃと思っている「個性」についての議論からスタートしますね。

(養老(原文引用。以下同じ))
○脳は社会生活を普通に営むために、「個性」ではなく、「共通性」を追求する。
○意識にとっては、共有されるものこそが、基本的には大事なものである。それに対して個性を保証していくものは、身体であるし、意識に対しての無意識といってもいい。
○今の人は夢にもそう思ってない。それどころか、まったく逆に、意識の世界こそが個性の源だと思っている。

(重徳)えっ?意識的に「個性を伸ばそう」って考えなくてもいいんですか?
無意識のうちに個性は育つということなんでしょうか?

(養老)
○放っておいたって個性的なんだということが大事なのです。みんなと画一化することを気にしなくてもいい。
○それより、親の気持ちがわからない、友達の気持ちがわからない、そういうことのほうが、日常的にはより重要な問題です。
○その問題を放置したまま個性と言ってみたって、その世の中で個性を発揮して生きることができるのか。他人のことがわからなくて、生きられるわけがない。社会というのは共通性の上に成り立っている。

(重徳)
私は、物質的豊かさを達成した今、私たち日本人は、モノやカネの豊かさばかりをこれ以上追い求めるのでなく、人間の価値やキャパシティを再発見し、人間が意欲や行動力、魅力を最大限発揮できるような仕組みをつくることによって、誰もがそれぞれの価値観の中で、満足感を得られるような社会、すなわち「真の豊かさ」を享受できる社会につくっていきたいと考えています。
ご指摘の、社会における「共通性」は、こんなこととどう関係するのでしょうか?

(養老)
○かつては「誰もが食うに困らない」というのが理想のひとつの方向でした。今はそれが満たされて、理想とするものがバラバラになっている。だからこそ共同体も崩壊している。昨今の風潮でいえば、こうしたバラバラであることそのものが自由の表れであるかのような考え方もあります。これはどこか「個性」礼賛に似ている。
○しかし、そうではないのではないか。「人間ならわかるだろ」という常識と同様、人間にとって共通の何らかの方向性は存在しているのではないでしょうか。
○「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。

(重徳)
うーん、自己実現のためにも、人と気持ちを共有することにもっと力を入れるべきだということですね。
私としては、昨今、個性を大事にすべきとの主張があることは、それはそれで積極的に評価すべきことだと思っていますが、一方で、地域社会で相互理解、相互協力といった面が欠落してきているのは事実だと思いますし、安全・安心という観点からも、これを問題視し、解決しようという流れも出てきていると思います。

では、地域社会が追求すべき現代のテーマをどう考えておられますか?

(養老)
○現代人においては、「食うに困らない」に続く共通のテーマとして考えられるのは「環境問題」ではないでしょうか。環境のために自分は共同体、周りの人に何が出来るか、ということもまた人生の意味であるはずなのです。

(重徳)
なるほど。
それで、本題である「バカの壁」とは何なのか?
根底にあるのは、意識ある世界だけで物事は規定されない。前述の「個性」の源泉である無意識も視野に入れるべきというご主張ですね。

(養老)
○人間、三分の一は寝ている。だから、己の最低限三分の一は無意識なのです。その人生の三分の一を占めているパートについては、きちんと考慮してやらなきゃいけない。
○「あんたが100%、正しいと思ったって、寝ている間の自分の意見はそこに入っていないだろう。三分の一は違うかもしれないだろう。67%だよ。」

(重徳)
「バカの壁」について「一元論」という言葉を使いながら説明されていますね。
「一元論」とは、「独善につながりかねない唯一絶対を信仰する考え方」といえると思います。
私たち行政の世界で言えば、お役所の建前主義、前例踏襲主義、ルール至上主義のようなことだと理解しました。

(養老)
○バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。
○楽をしたくなると、どうしても出来るだけ脳の中の係数を固定化したくなる。aを固定してしまう。それは一元論のほうが楽で、思考停止状況が一番気持ちいいから。
○現状は、NHKの「公平・客観・中立」に代表されるように、あちこちで一神教化が進んでいる。それが正しいかのような風潮が中心になっている状況は非常に心配です。安易に「わかる」、「話せばわかる」、「絶対の真実がある」などと思ってしまう姿勢、そこから一元論に落ちていくのは、すぐです。一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになります。それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる。当然、話は通じなくなるのです。

(重徳)
私たちの身の回りには、たくさんのバカの壁がそびえ立っています。
次々と壁を突破し、壁の向こうの多様な人たちと気持ちを共有しようと努力することで、21世紀を誰しもが自己実現のできる、真に豊かな時代にしていきたいものです。

shigetoku2 at 16:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 経済社会・文化・科学