2006年02月

2006年02月26日

星は、すばる

土日に子どもたちをもみのき森林公園(廿日市市)と広島市こども文化科学館に連れて行った。

もみのき森林公園は、ソリ1台を1日500円。子ども2人1000円で楽しめる。
ソリなんて久しぶりというか、子供の頃にやった記憶すらない。
子どもたちと一緒に滑ると、純粋に楽しい。大人だけではできないことだ。

こども文化科学館には、プラネタリウムがある。(大人500円)
「星は、すばる!」と題した45分程度のプログラムをやっていたが、さすがに3〜4歳の男の子には少し退屈だったようだ。
初体験のプラネタリウムそのものの雰囲気を楽しんでいたようではあるが。
しかし私には、すばる(プレアデス星団)がおうし座を構成していることや、清少納言が枕草子に書いていることも、「そういえばそうだっけ・・・」と再確認する良い機会だった。

大人になっても、幼児期以降は自分の記憶もかすかに残っているわけで、いわば物心のつき始めた頃の自分の成長過程を再発見するような感覚だ。
子育てと言いつつ、自分が通り過ぎた道をもう一度確かめ、味わうのは何となく楽しいものである。

shigetoku2 at 21:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て 

身体を動かそう!

東大の「身体運動科学研究室」の跡見順子教授の話を聞いた。

消防庁でナノファイバーの研究をしていた頃、東工大の谷岡明彦教授のお誘いでシンポジウムに参加した際お会いして以来だ。

「身体運動は心と体をつなぎ、自己の再発見になる」といったテーマなのだが、何とかつかんだポイントを自分なりに整理すると、次のようなことだ。
============================
・身体運動は、細胞を活性化する(分子シャペロンの働きによるものと説明される)。
・身体運動を起こすのは「心」の働きであり、活性化される細胞はすなわち「生命」である。
・つまり、心(わたしの生)と、40億年の命の歴史を刻むDNAにより生成される生命とは、身体運動を介して相互依存の関係にある。
・まずはやってみようと思い立ち、動いてこそ、人は、豊かで面白い身体、そしてその身体を持つ「わたし」を発見し、英知と行動力を持つ人間として生きることができるのだ。
============================
・・・これを生命科学の観点から解説されていたようなのだが、私の理解を超えるのでここまでとしておくが、この跡見理論を次のようにとらえ、活用することができないものだろうか?

わが国は成熟期を迎え、人々は、これまでの旧習(形式主義、地域のしがらみ、年功序列、学歴主義、終身雇用、男女差別、中央集権、情報偏在などなど)から解放されようとしている。
従来は、物事は他律的に決まり、人々は何かにとらわれ、束縛されていたが、それに従っていれば悪いことにはならなかった(ある意味ラクだった)。
「誰がいつの間に決めたことなのか知らんけど、まあ逆らわずにやっていけば、何とかなるよね」という感じだ。

いま日本で起こっている、価値観の多元化、実質主義、実力主義、雇用の流動化、男女共同参画、地方分権、ITによる情報ネットワーク化などの変化は、個々人がエンパワメントされ、本来持てる能力を今まで以上に引き出すための重要な仕掛けだと思うが、能動的・積極的に物事を考えて行動を起こした上、自己責任まで背負わなきゃならんというのは、とってもしんどいことだ。
しかも、肝心の人々の頭の中が旧習にとらわれたままでは、良い成果も期待できない。
「このままじゃいけないと思うし、何とかしたいんだけど、でもまあ誰かがやってくれるし、何とかなるでしょ!」なんて言ってたら沈没である。

そこで、「個々人が力を出し、この世の中にとって本当に必要なことを考え、主張し、行動する」ことが必要なのだが、抽象的なことを言ってても始まらない。
何かきっかけ、手がかりが欲しいところだ。
その意味で、跡見理論は、身近なところにその答えの一つを示してくれたと思う。

「自分の身体の一部を動かしてみる」ということだ。

お腹を引っ込める動作、腕の関節をねじる動作をしてみよう。
心を積極的に働かせ、いつも動かさない身体の部分を動かすことで、細胞が活性化され、「わたしの生」を発見し、英知と行動力ある人間になっていくのだ!(跡見先生いわく「お腹を引っ込める動作は女性はいつもやってる」そうだが・・・(そうなんでしょうか?))

世の中にとって本当に必要なこと、物事の本質を見抜くことは、個人で言えば、生命の本質を実感することではないか。それは、身体運動によって発見される「わたし」である。
「そうか、私の生とはこういうことなんだ」という発見は、「社会にとって本質的に必要なことはこういうことなのか」という、当たり前だが大切なことを見つけるための第一歩だと思う。
人間の英知と行動力を発揮するため、まず身体を動かしてみよう。

ちなみに跡見先生は、「身体運動」を最も盛んに行っている運動部の学生に対し、身体運動のこうした意義を知ってもらうことを試みようとしているそうだ。
う〜ん、私もラグビーやってたときに少しは知っておくべきだったか・・・。

shigetoku2 at 16:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 経済社会・文化・科学 

2006年02月15日

道州制は新たな国力の源泉

広島県主催の道州制シンポジウムを聴いた。

これまで中国地方では「組み合わせは中国5県か中四国9県か」とか「州都はどこか」とかいう議論に終始している感があったので、一歩考えを深める良い機会となった。

各論はいろいろあるが、議論をする基本的な姿勢として、シンポでの三好勝則香川大学教授の「市町村合併に学べ」という指摘は当を得ていたように思う。
すなわち市町村合併の協議では、組み合わせとか役場の位置をめぐる争いが全国各地で見られた(これは話がまとまらない典型パターンだ)。
それでも合併が一段落し、最近になって、ようやく行革や住民との協働など、合併後の地域づくりに関する議論や取り組みが本格的になってきたところである。
こんな合併経験が身近に数多く存在するのだから、県が合併して道州をつくるにあたっては、州都争いなどからでなく、「この地域をどうしたいのか、道州制によってそれがどう実現されるのか」という観点から議論をきちんと積み重ねるべきというのだ。

他地域に目を転じれば、北海道では、平成15年10月の自民党政権公約にも盛り込まれた「道州制特区」の取り組みが進められている。
道州制に向けた合併を議論する必要のない北海道で、先行的にやってみようという画期的な試みだ。
しかし北海道庁からの権限移譲提案に対し、今のところ各省庁の態度はかなり堅いといわざるを得ない。
依然として、今日の延長に明日があるという発想しかないようだ。
今国会に法案を提出する動きもあるようだし、状況を見守っていきたい。

ところで、「道州」の権限は、いまの県と何が違うのか。
よく言われる「県と、国の出先機関を統合して道州になる」というイメージにはどうも違和感がある。
国の出先なんて大した権限はないんだから、単に県と出先を一緒にしても、今の県の権限とあまり変わらないのではないか。

その点、昨年12月9日の第28次地方制度調査会の資料によれば、道州は、いまの都道府県の事務を大幅に市町村に移管した上で、次のような事務を中心に担うとされている。
・圏域を単位とする主要な社会資本形成の計画・実施
・広域的な見地から行うべき環境の保全・管理
・人・企業の活動圏や経済圏に応じた産業経済・雇用政策
・高度な技術や専門性、また大きな財政力等を要する福祉、教育等に関する政策
・区域内の市町村の連絡調整 など
これがそのまま実現すれば、内政全般、省庁でいえば国交省、環境省、経産省、厚労省、文科省が担ってきた仕事の多くを道州が担うことになる。
まさに霞ヶ関分割だ。
廃藩置県以来の内政システム大改革というからには、このぐらいダイナミックなイメージが必要だ。

霞ヶ関の分割、道州への権限移譲により、全国各地の人材が力を得て群雄割拠しはじめ、少子高齢化・人口減少へと向かうわが国における新たな国力の源泉を生むことになると思う。

shigetoku2 at 02:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 

2006年02月12日

ノミの心臓?

ノミのタンパク質から100%近い弾力を持つゴムが開発されたと知った。

開発したのは、オーストラリア連邦科学産業機構のクリス・エルヴィン博士(50)。

原料は、体長の百倍もの距離を簡単に跳ぶノミの脚の付け根や、一生に五億回も羽ばたくミツバチの羽、トンボの羽ばたき、セミの鳴き声を支えている「レジリン」というタンパク質だ。

ボールのバウンドは弾むたびに弱まっていくのは、変形でゴムにたまるエネルギーが一部熱に変わり、元の形に戻るのにはエネルギーの60%しか使われないからだそうで、この数値は、子供が遊ぶスーパーボールで80%、人間の臓器にあるエラスチンという柔軟なタンパク質でも90%だが、レジリンは97%にも達するそうだ。

実用化すれば、人工椎間板(ついかんばん)や心臓の弁など、繰り返し変形する部分の生体材料に使える可能性があるとのこと。

いやはや、すごい発明だ。感動的だ。
しかも素材が、やっかいもののノミだというのがいい。

エルヴィン博士の研究チームでは、20人ぐらいの研究者が、いろんな分野の素材を探しては、性質を調べ、合成を試みているという。
コメントがイカしてる。
「生物学者が採ってきた素材の構造を物理学者や化学者が調べ合成する。お金もうけが目的じゃない。こういう科学がとにかく楽しい。次はナマコが自己防衛に使う粘っこい物質をまねて、水中で使えるのりが作れないかな。」

科学者は得てしてタコツボに入りがちで、せっかくの研究成果がなかなか他の人から発掘されず、世の役に立たずにいるケースが多いようだ。
産学官連携による新技術開発や産業創出も、もともとこの点がネックになっていた。

消防庁でナノファイバーを活用したハイパー消防服の開発に取り組んでいたときも同じ構図だった。
ナノテク研究者は、消防の現場にどれほどのマーケットがあるかを知らなかったし、現場の消防隊員は、ナノテクで現場活動がどれほど改善される可能性があるか想像だにしなかったのである。

とっても身近なものに着目して、世の中を良くしていくことができるのが、科学の面白さの一つだと思う。

shigetoku2 at 19:27|PermalinkComments(0)TrackBack(1) 経済社会・文化・科学 

2006年02月11日

信は力なり

1月の伏見工ラグビー部の花園優勝に感激し、総監督山口良治さんの「信は力なり」を読んだ。

実に多くの名言があり、何度も泣きながら読破した。

山口さんは、仲間を思う気持ちや優しさこそが、強さだと説く。

「苦楽をともにした仲間たちに『優勝』という二文字を贈りたい。この優しさが力を生むのだ。」

「強くなかったら人に優しくできない。弱いやつは自分のことしか思えない。弱いやつは人のことなんか気にもならない。一番大事なのは、自分と同じように人のことを思いやれる心をもった人間になることだ。他人のことを自分のこととして捉えることができる優しさが強さなんだ」

阪神淡路大震災や日本海重油流出事故の際には、生徒をボランティアに連れて行く。

「〔自分が〕必要とされていることを肌で感じたり、悲惨な状況のなかに身をおいて、そこで何かができた、役に立てたという素直な喜び、それは子どもたちの優しさをさらに大きくしてくれるだろう。これは、ラグビーのスピリットである『フォア・ザ・チーム、フォア・ザ・フレンド』につながる。そしてそれをさらに『社会のために』につなげていってほしいと思う。」

全国大会決勝の前夜にも、選手たちにこうまで言う。

「『なぜ戦うのか?誰のために戦うのか』−それを子どもたちに問い、気づかせなければならない。『出たくても出られない、テレビに映らない、そんな仲間たちのいることを、おまえたちはどう考えているんだ?伏見のラグビーは仲間を思いやる心がなかったらできないんだ。試合には15人の選手だけが出る。しかし、一緒にがんばってきた仲間がいてはじめて決勝に進めたんやないんか!』子どもたちはみんな泣いて、そのことを忘れていた自分に気づく。決勝に進出したということだけに自己満足している自分の身勝手さに気づく。」

その信念は一貫している。

「教育者として、子どもたちが自分自身を思いやるのと同じように人のことを思いやれる心を育てたい。高校ラグビーで日本一になったからといって、そういう心が失われたら元も子もない。それは時として、技術、体力以上に大切なことだ。」

「私自身、日本代表の選手として強い外国のチームとあちこちで戦ってきた、その想い出のすべてが『自分のためにやった』というものはない。今の時代は何かというとよく『自分のためにする』と言うけれど、はたして、自分のためだけに力など出るだろうか。自分のためだけだったら、自分より体の大きい男に、しかも双方全速力で走っているなかで頭からタックルに行けるだろうか?自分のためというだけで、その恐怖感を乗り越えることができるだろうか。」

そして、この本の、そしてドラマ「スクールウォーズ」でも断トツに印象に残るのが、次のシーン。

「〔112対0でノーサイドとなり〕選手たちが戻ってくるのを待った。抱きしめてやりたいような素直な気持ちでグラウンドのタッチラインまで出て待っていた。」

「しかし、選手たちの顔を見た瞬間、別の激情が私を突き抜けた。帰ってくる彼らの表情からは、『負けて悔しい!』という気持ちのかけらも読み取れないのだ。『ああ、終わったわい。負けんのあたりまえじゃい』そう言わんばかりのふてくされた顔をして戻ってくる。『許せない、許してはならない、この負け犬根性を』・・・自分たちが完膚無きまでにやられた、そのみじめさを素直に感じることができずに『しかたないわ』で受け止めるすさんだ心は、どんなことがあっても許してはならない。これを許してしまっては、この子たちは人生の負け犬になりさがってしまう。」

「『何とも感じないのか、おまえら。今112対0で負けたんだよ。こんな試合して悔しいと思わんか、何とも思わんか』しだいに私の声も大きくなってきた。ついに、『おまえらそれでも男か。悔しいと思わんのかー!』と叫んでいた。」

「小畑キャプテンが、『悔しいー!』と突然叫んでうずくまった。『どうしたんや』と聞くと、がーっと震えて、『悔しい、ちくしょー!』と泣き叫びながら、這いつくばってグラウンドにこぶしを叩きつけた。」

「『悔しかったらどうしたいんや?』とたたみかけた。しばらく沈黙があって、『勝ちたいです』『おまえ、どんな辛抱しても勝ちたいのか。どんな辛抱でもできるんか!』彼の葛藤が手に取るように伝わってくる。『・・・』『どっちなんだ。どっちかはっきりせー!』
・・・とうとう、『どんな辛抱してでも勝ちたいです』と泣き叫んだ。」

「それから私は、泣きながら、まず小畑から順番に一人ずつ、思いっ切り頬をぶん殴っていった。教師になって初めて私は子どもを叩いた。可愛い子どもたちには、今このときこそ、何かを感じさせてやらねばならないと思ったからだった。
『いいか、よく聞け。今殴られた痛みは三日もしたらとれる。しかし、この悔しい気持ちだけはどんなことがあっても忘れるんじゃない。この気持ちでがんばったら、どんなことでもできる。必ずやれる』」

こうして、伏見工は、5年後の昭和55年の花園V1に向かって戦い始めるのである。

この書は、私にとって少なからぬショックを与えてくれた。
山口さんは、大いなる激情、愛、涙をもって仕事に打ち込まれてきた。
そして何よりもその仕事の成果は、世の多くの人々の感動を誘ってきた。
職業は違うが、そんな仕事、そんな生き方をしてみたい。私にとって、一つの目標ができたような気がする。

shigetoku2 at 00:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日本論・人生論 

2006年02月09日

徴収のカベ

蠢換饕亙税徴収実務機構の篠塚三郎さんとお会いした。

神奈川県庁で徴税一筋数十年された方で、「つまらん天下り先で退屈な生活を送るなんてまっぴらだ、自分で会社を作るんだ!」と言って数年前に、地方税や国保料の徴収コンサルティング会社を立ち上げた、ものすごく元気な方だ。
長年の経験を生かして、全国各地の自治体と契約し、「徴収の極意」を伝授、例外なく徴収率を上げているそうだ。

三位一体改革により、19年度から3兆円分の所得税が個人住民税に振り替わるので、自治体の徴収能力はますます重要になってくる。
このようなコンサルティング業務の需要は伸びるのではないか。

ところで篠塚さんから、役所の「組織の壁」についての話を聞いた。

ある市の国保担当部局は、税務部局から、税の滞納者の資産情報を提供してもらえないとのこと。
「税務部門にとっては、市民から税さえ払ってもらえれば、あとの料金の徴収はどうでも良いと思っているんだ」と。

市にとっては、国保料であろうが、税金であろうが、他の料金であろうが、滞納者は滞納者だ。
市民からしても、どのお金も払う義務があるのであって、一部の人が払っていないというのでは、不公平感をあおる結果となる。

小さな役場であれば、国保料も税金も、同じ課で徴収したりしているが、大きな市になると、課どころか部や局まで違ったりするので、組織の壁が高〜くそびえているわけだ。

こういう問題は、県庁のように図体の大きな組織はまさに他山の石とすべきだが、外から見ないと意外と当事者には分からないことも多いのかもしれない。

いわゆるタテ割り行政のカベだ。
これを崩すだけで、相当大きな財政効果もあることだろう。

shigetoku2 at 22:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 

悩ましい日本昔話

2人の子どもが寝るときにはいつも絵本を読んでやるのだが、たまに本でなく、自分の記憶を辿って日本昔話なんかを聞かせてやることがある。

しかしこれが意外と難しい。

たとえば「浦島太郎」。

「浦島太郎はカメに乗って海の中に入っていきました」
・・・とりあえず息できんよな。
「海の底まで行くと、明るい光に包まれた竜宮城が現れました」
・・・辿り着くまでは、真っ暗い水の中だったんだろう。
「歌や踊りを見て、おいしいご馳走を楽しみました」
・・・酒飲んだんだろうか?未成年じゃないのか??何歳なんだ、浦島太郎?

などと、余計な心配をしてしまうのだ。

「お酒を飲んで酔いつぶれた浦島太郎が翌朝起きると、乙姫様が別れを告げに来ました」
・・・1泊しかしないんだっけ?なんか話違う?
「この箱は決して空けてはなりません」
・・・お土産渡すのに、不自然なセリフだ。普通「つまらんものですが」だろ?だいたい「空けてはなりません」だなんて、あんたに命令される筋合いはない。
「浜辺に辿り着くと、辺りの様子がすっかり変わっていました。」
・・・って、送り届けたカメはそのまま黙って引き返したわけ??
「箱を空けたら、白髪のおじいさんになってしまいました。おしまい」
・・・オチになってない。

そもそも、この話は何が言いたいのだろう?
せっかくカメを助けてあげたはずの浦島太郎が、結局カメ一味に騙されるのだ。
竜宮城はやっぱり1泊じゃなく、1ヶ月とか1年とか家空けてたのか?そりゃいけん。家出に対するお仕置きだったのか!
家出少年に聞かせてやらなきゃならん話だ。

と最後は、支離滅裂である。
納得しないままに子どもに話すのは、けっこうつらいものだ。

shigetoku2 at 22:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て 

ヒロボー社長からの学び

広島県府中市のヒロボー株式会社の松坂敬太郎社長にお会いした。

無人ヘリ開発という実業面での実績と、ふるさと(府中市)に対する愛着をこれほど兼ね備えた方は、ちょっと見当たらない。
優れた民間の方にお会いする度に、行政も頑張らなくては、という思いを新たにさせられる。

たとえば、三位一体改革について、こんな持論を聞いた。
「三位一体改革で市に税源移譲されるのは個人市民税であり、法人関連税でないので、企業が府中市内でがんばって収益を上げても、市の税収につながらない。それどころか、府中市内の企業従業員のうち6割は福山市民なので、福山市の税収に貢献することになってしまう。」
「市長は府中市への企業立地を進めているが、今の税制では、企業ががんばっても、府中市のまちづくりに充てるためのカネにならない。そこで、企業が稼いだカネが市に行くように、経営者が「旦那衆」をつくって、市にお金を寄付することを考えている。」
そんなわけで、府中市商工会議所では、手始めに昨年、旅館「恋しき」を買い取り、株式会社をつくって「迎賓館」として運営をするのだそうだ。

ちなみに全国ベースの状況をちょっと調べてみたところ、15年度決算の法人関連税収は、
○国税(法人税)10.1兆円
○道府県税(法人2税)4.4兆円
○市町村税(法人住民税)2兆円
全国的にみれば企業活動は都市部に偏っているので、租税政策上、法人関連税が国税中心(地方税にしにくい)のは当然かもしれないが、松坂社長の言われることも決して間違っていない。

県に対しては、「府中市では、経済活動も『まちづくり』のためにやることにしている。がんばった企業、税収に貢献した地域に対して、県も目配りをするべきだ。」との注文がついた。
広島県の税収をみると、H16年度収入済額2829億円のうち、法人2税は931億円(32.9%)を占める。企業は大切なお客様だ。

それから、行革については、最近私が気にしている次のことを言われた。
「いま進められている地方行革は、自治体の採算の帳尻を合わせることはできても、職員が減り、サービスが低下して、地域にとって良いことがない」と。
行政は、『低コストで高い価値を生み出す行政』を徹底して目指すべきだ。

shigetoku2 at 12:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 

モードの野望

学校法人モード学園で働いている大学時代のクラスの友人、飯島忠樹くんと先日東京で会った。

モード学園は、新宿西口の朝日生命ビルの跡地に50階建ての高層ビルを建設し、3つの専門学校が入居、約1万人の学生が通う計画だそうだ。
(本当は60階建てにするつもりだったのが、石原都知事から都庁より高いビルに難色を示されたそうな。)
国内最大級の学校ビルで、数百億円規模の事業だが、自己資金でほぼすべてまかなうとのこと。トヨタ方式だ。すごい。

入居する3つの専門学校の一つが、新しく設立される「東京医専(仮称)」。
看護師、救急救命士、理学療法士、介護福祉士などを育成する専門学校で、大阪にはすでに大阪医専が開校している。
救急救命士の養成には、東京消防庁も全面的に協力するようだし、高度救急のニーズが大幅に拡大する中で、モード学園には、良質な救急サービスに貢献していただけると心強い。

設立準備室の統括責任者である彼は、とても輝いていた。まあ学生時代から元気なやつなのだが。
「いやー通産省じゃこれほどの仕事はできなかったよ!」という言葉は、最近、多くの脱・経産官僚の方々から聞かれる。
個人的能力を生かして、民間に転じる人は、省庁の中で経産省が突出している印象がある。
霞ヶ関での役割にかげりが見えるなどと言われるが、経産省が人材の宝庫であることは間違いない。

shigetoku2 at 12:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 経済社会・文化・科学 

2006年02月08日

IT時代の「地域」

政令指定都市の東京事務所長さんの集まりで、新潟県中越地震について講演する機会があった。
中越地震について話をする機会はこれで10回ほどとなる。
大災害の被災現場の話を語り伝えるのは、現場経験者の責務である。
今後も機会があれば、話をしていきたい。

同じ会で、総務省同期で内閣府のIT担当の細田大造くんが、今後のIT政策について話をした。
細田くんによれば、これからはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の時代だという。
SNSとは、「参加者が互いに友人を紹介しあって、新たな友人関係を広げることを目的に開設されたコミュニティ型のWebサイト」である。代表的なSNSとしてmixiが挙げられる。
千代田区新潟県長岡市では、地域SNSの取り組みがすでに始まっている。
地縁・血縁による地域の結びつきの弱体化が指摘されて久しいが、ついにWeb上の「地域」が生まれつつあるのか?
そのうち「SNS版こども会」とか「SNS版PTA」、「SNS版老人会」ができるのかもしれない。

ところで会議後の懇親会で、政令市になったばかりのある所長さんが「政令市になって、優れた若い人材が集まりやすくなると思うが、先輩職員がこれを育てられるかどうかが不安だ」と話していた。
地方の時代に、自分の能力を自治体で試してみようという若者が増えてくるのは間違いないが、その志や期待に応えるためにも、自治体は変わらなくてはならない。
地方分権改革で自治体の環境を変え、行政改革で仕事の質を変え、自治体職員が自由に、遺憾なく力を発揮できる職場にしていかなくてはならないと思う。

shigetoku2 at 23:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治