2006年05月
2006年05月14日
棚田にて
田植えの終わった井仁(いに)の棚田(安芸太田町(旧筒賀村))を見に行った。
広島県内で唯一、農水省の「日本の棚田百選」に選ばれた場所だ。
新潟県中越地震で甚大な被害を受けた棚田で生産されていたのが、かの魚沼産コシヒカリだったように、棚田のお米は美味いというのが定説だが、その理由は聞いたことがなかった。
近くで作業をしていた農家のおじさんに尋ねたら、「標高が高いと気温差が大きいから、米は美味くなるみたいだな。やっぱり厳しい環境で育つといい味になるんだ。最近はこの辺りも下水道が完備して、生活排水も混じらなくなったからなおさらだ」とのことだった。
実に現場感覚あふれる直感的な回答だったが、確かに専門サイトを調べてみても、
◇平坦地の水田に比べ昼夜の温度差が大きいため、稲がゆっくりと熟すること
◇水源に近いため、水の中に微量元素を多く含み、また汚れが少ないこと
◇大型の機械(コンバインなど)が使用できないため、ハサ掛け(天日乾燥)にすることが多く、程良く乾燥すること
といった理由で、棚田の米はうまいらしい。
翻って、わが国の農政は、国際競争力を強め、食料自給率を向上させるという至上命題もあって、生産効率性の高い大規模農業支援に重点化されつつある。
限られた財源の有効活用の観点からしても、やむを得ない面もある。
一方で、景観保全や農村生活の維持はもちろん、災害の予防にも貢献する、いわゆる農業の「多面的機能」を主張する声も強い。
理論的な論拠も政策論争には欠かせないが、しかし、小さな農村集落で営まれてきた人々の悠久の歴史を時代の遺物として消し去ることなど、断固としてしたくない!という「情」の土台がなければ、賢い人たちの唱える理論など、底の浅いものにしか見えない。
先人たちが築いてきた歴史の重さと、現代に通ずる荘厳なる田園の美観が織りなす迫力は、訪れた者にしか伝わらない。
井仁の棚田に限らず、人々の心を奪う地域の圧倒的な迫力が、もっと多くの日本人、世界の人々の感ずるところとなり、これを残し伝えていく意義を浸透させたいものである。
3人で出勤
晴れた日の朝は、吉島の自宅から2人の子どもを自転車の前と後ろに乗せて、橋を2つ越え、翠町の幼稚園に送り届けるのが日課である。そして、そのまま職場に向かうのだ。
計40分のちょっとした有酸素運動である。
子どもたちとのコミュニケーションの時間でもある。
チンチン電車が通るたびに、「グリーンムーバーマックス!」とか「グリーンライナー!」と、車種名を一緒に叫ぶ。
緑のガソリンスタンドを見れば「ジェイ、オー、エム、オー」などと叫ぶ。
チャリ登校中の高校生たちの中で、わりと目立つ存在だ。
横断歩道では、赤なのに渡ると子どもから注意されるので、信号もよく守る。(時にじれったいが。)
そして、幼稚園で子どもたちを引き渡すときには、先生と話をする。
若い女の先生だからというだけではない。
子どもが幼稚園でどう過ごしているのか知りたいし、園の雰囲気を少しでも知りたい。
先生も、子どもがちょっといじけているような様子だったりすると、「今日はどうしました?」と聞いてくれたりする。
ちょっとした様子を先生が気にしてくれることは、とても嬉しいことだ。
親としても、家と幼稚園との間で、子どもを責任持って引き継ぐことが必要だと思う。
学校に入ればなおさらなのだろうが、教育をできるだけ幼稚園に任せっきりにせず、家庭との協力関係で、子どもたちをしっかり育てていきたいと思う今日この頃である。
計40分のちょっとした有酸素運動である。
子どもたちとのコミュニケーションの時間でもある。
チンチン電車が通るたびに、「グリーンムーバーマックス!」とか「グリーンライナー!」と、車種名を一緒に叫ぶ。
緑のガソリンスタンドを見れば「ジェイ、オー、エム、オー」などと叫ぶ。
チャリ登校中の高校生たちの中で、わりと目立つ存在だ。
横断歩道では、赤なのに渡ると子どもから注意されるので、信号もよく守る。(時にじれったいが。)
そして、幼稚園で子どもたちを引き渡すときには、先生と話をする。
若い女の先生だからというだけではない。
子どもが幼稚園でどう過ごしているのか知りたいし、園の雰囲気を少しでも知りたい。
先生も、子どもがちょっといじけているような様子だったりすると、「今日はどうしました?」と聞いてくれたりする。
ちょっとした様子を先生が気にしてくれることは、とても嬉しいことだ。
親としても、家と幼稚園との間で、子どもを責任持って引き継ぐことが必要だと思う。
学校に入ればなおさらなのだろうが、教育をできるだけ幼稚園に任せっきりにせず、家庭との協力関係で、子どもたちをしっかり育てていきたいと思う今日この頃である。
2006年05月07日
今を生きる海軍訓示
高校の後輩が広島に遊びに来てくれたので、広島義塾事務局長の安岡儀晄さんと一緒に県内を案内した。
初めて広島を訪れる人がとりあえず押さえるべきは、言うまでもなく原爆ドーム、平和記念資料館、宮島の厳島神社。
そして、ちょっと硬派な向きには、昨年オープンした呉市の大和ミュージアム、さらには江田島市の海上自衛隊第一術科学校がある。
2日間でこれらをすべて周れたのは、安岡さんのジープと、せとうち物流社長の中須賀公則さんのご協力あってのことだ。(心より感謝!)
私はいずれの場所も何度か行ったが、何回見てもまた見たくなるのが第一術科学校の教育参考館である。時間制限があるので、一度にたくさん見られない。
今回は、東郷平八郎元帥が日露戦争終結後に発した訓示の原文をじっくり見てきた。
これは1905年、ポーツマス条約締結の3ヶ月後、12月21日に行われた帝国海軍連合艦隊の解散式で読まれたものだと言う。
今読んでも心を動かされる有名な一文がこれだ。
「而して武力なるものは艦船兵器等のみにあらずして、之を活用する無形の実力に在り。百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば我等軍人は主として武力を形而上に求めざる可らず」
【訳(どっかのサイトより):ところで、戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。】
やや飛躍するが、この訓示は現代の地方分権を目指すムーブメントにも当てはまるのではないか。
中央政府が全国一律に作った莫大な補助金制度は、バブル崩壊後のバラマキ政策に典型的に見られるように、多様な実情を持つ各々の地域にとっては「百発一中」、地域住民が心から納得できないものも多い。(中央政府を「敵砲」になぞらえるのは少々不穏当かもしれないが・・・。)
地域を豊かにするのは、形而上、すなわち無形の実力なのである。
地方自治を担う者は、連合艦隊さながら「百発百中」を目指して、無形の実力を充実させなければならない。
「古人曰く勝って兜の緒を締めよと」で結ばれるこの名文は、かの参謀秋山真之中佐の手によるものとされ、米国のセオドア・ルーズヴェルト大統領が甚く感激し、自国の陸海軍に伝えたという名文である。
21世紀にも、中央主導の国づくりを根底から変革する地方分権運動の金字塔となるような、世紀の名文が待たれるところである。
初めて広島を訪れる人がとりあえず押さえるべきは、言うまでもなく原爆ドーム、平和記念資料館、宮島の厳島神社。
そして、ちょっと硬派な向きには、昨年オープンした呉市の大和ミュージアム、さらには江田島市の海上自衛隊第一術科学校がある。
2日間でこれらをすべて周れたのは、安岡さんのジープと、せとうち物流社長の中須賀公則さんのご協力あってのことだ。(心より感謝!)
私はいずれの場所も何度か行ったが、何回見てもまた見たくなるのが第一術科学校の教育参考館である。時間制限があるので、一度にたくさん見られない。
今回は、東郷平八郎元帥が日露戦争終結後に発した訓示の原文をじっくり見てきた。
これは1905年、ポーツマス条約締結の3ヶ月後、12月21日に行われた帝国海軍連合艦隊の解散式で読まれたものだと言う。
今読んでも心を動かされる有名な一文がこれだ。
「而して武力なるものは艦船兵器等のみにあらずして、之を活用する無形の実力に在り。百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば我等軍人は主として武力を形而上に求めざる可らず」
【訳(どっかのサイトより):ところで、戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。】
やや飛躍するが、この訓示は現代の地方分権を目指すムーブメントにも当てはまるのではないか。
中央政府が全国一律に作った莫大な補助金制度は、バブル崩壊後のバラマキ政策に典型的に見られるように、多様な実情を持つ各々の地域にとっては「百発一中」、地域住民が心から納得できないものも多い。(中央政府を「敵砲」になぞらえるのは少々不穏当かもしれないが・・・。)
地域を豊かにするのは、形而上、すなわち無形の実力なのである。
地方自治を担う者は、連合艦隊さながら「百発百中」を目指して、無形の実力を充実させなければならない。
「古人曰く勝って兜の緒を締めよと」で結ばれるこの名文は、かの参謀秋山真之中佐の手によるものとされ、米国のセオドア・ルーズヴェルト大統領が甚く感激し、自国の陸海軍に伝えたという名文である。
21世紀にも、中央主導の国づくりを根底から変革する地方分権運動の金字塔となるような、世紀の名文が待たれるところである。