2006年07月
2006年07月23日
歴史的改革を目指して
現在、広島県行政のすべての仕事を見直す「事務事業総点検」実施中である。
各部局の担当者の立場からすれば、自らが担当している日々の仕事、しかも、つい数ヶ月前に成立した当初予算で認められたばかりの事業を自己否定したりするのは、許しがたいことかもしれない。
しかし、去年見直したから今年はもうできないとか、隣の○○部が削減するならウチの部もとか、相変わらず20世紀の議論をしているだけでは済まない。
21世紀最大の構造改革である道州制実現に向けて、国のどの権限を地方に移譲すべきなのか、47都道府県をどう再編するのか、といったスケールの議論を、当事者である自治体職員が自分の問題として行わなくてはならないときに、「霞ヶ関からのご指導により、この仕事は続けなくっちゃいけない」程度の議論をしていては国家の進路を見誤る。国民的損失である。
まして、広島県では、毎年数百億円の財源不足(放置すれば赤字になる額)を借金や貯金の取り崩しで何とかしのぐ財政運営をしているというのに、「やる意味がなくはない」程度の仕事を続ける理由がどこにあるというのか。
・・・と、そんなことを考えているときに、「日本海軍の興亡」(半藤一利)の一節に触れた。
日露戦争講和後の連合艦隊解散に当たっての東郷長官の訓示は、「勝って兜の緒を締めよ」であったが、その意を体し、明治41年、第一艦隊司令長官になった伊集院五郎中将は、海戦勝利の美酒に酔い、懈怠の心が生まれることを厳にいましめ、猛訓練実施に踏み切った。「月月火水木金金」。海軍猛訓練を象徴する合言葉は、このときに生まれたのである。この伝統がよく受けつがれて、世界最強最良の下士官兵をつくりあげたことは間違いない。
しかし、それと比較すると、はたしてよき指揮官の養成を海軍はしてきのか、疑問なしとはしないのである。日清・日露を戦ったよき先人たちは、大臣とか大将となるにしたがって「細かいことはよくわからぬ。もっとモノを知っている若手の管理者をつくらないことには、組織というものがうまく動かぬ」と、自分たちの後継者をつくるよりは、優秀な事務的アシスタントを養成しようとしたのではなかろうか。
明治初年に設置された士官養成のための海軍諸学校は、整備されるにつれて、管理事務や管理技術の教育に力をいれ、いわゆる分業化された部門での参謀としての「秀才」を多く生みだすようになっていった。一定のわくにはまった「秀才軍人」たちは小粒化し、官僚的になり、視野が狭くなり、立身出世がつねに視野のなかにあり、総合的な広い視野をもつ創造的な人物は少なくなっていった。
明治の軍人たちの偉大さのなかに、重大なキズを求めるとすれば、自分たちのような骨太の、純粋で、そして人間性豊かな後継者をつくらなかったことにあろうと思われる。
これを読んでアメリカの政治学者R・マートンの「訓練された無能力」という言葉を思い出した。
訓練された無能力とは、一般に官僚主義と呼ばれているものである。例えば、先例がないからという理由で新しいことを回避しようとしたり、規則に示されていないから、上司に聞かなければわからないといったようなものから、書類を作り、保存することが仕事と化してしまっている(繁文縟礼(はんぶんじょくれい))、自分たちの業務・専門以外のことやろうとせず、自分たちの領域に別の部署のものが関わってくるとそれを排除しようとする(セクショナリズム)、というような傾向を指し示している。(wikipediaより)
日本の公務員は、国・地方を問わずよく訓練され、業務執行における士気の高さ、質の高さは世界一だと思う。
しかし、今問われているのは、時代に対応した自己変革能力なのである。
大きな変革を担うのは政治の役割だと言われるし、実際その役割が大きいのは確かである。
しかし、現代の行政は、複雑化しすぎて、数百人の国会議員や、各県数十人の県会議員が各論まで仕切ることは不可能である。
そうである以上、志ある公務員一人々々が頑張るしかないと思う。
全国最大の市町村合併を見事に成し遂げ、住民に身近な市町村を中心とした地方自治を目指す、分権型社会のトップを走る広島県職員は、「一定のわくにはまった秀才職員」では済まされない、歴史的使命を負っていると思う。
今回の「事務事業総点検」が、その使命を果たす礎になることを願っている。
各部局の担当者の立場からすれば、自らが担当している日々の仕事、しかも、つい数ヶ月前に成立した当初予算で認められたばかりの事業を自己否定したりするのは、許しがたいことかもしれない。
しかし、去年見直したから今年はもうできないとか、隣の○○部が削減するならウチの部もとか、相変わらず20世紀の議論をしているだけでは済まない。
21世紀最大の構造改革である道州制実現に向けて、国のどの権限を地方に移譲すべきなのか、47都道府県をどう再編するのか、といったスケールの議論を、当事者である自治体職員が自分の問題として行わなくてはならないときに、「霞ヶ関からのご指導により、この仕事は続けなくっちゃいけない」程度の議論をしていては国家の進路を見誤る。国民的損失である。
まして、広島県では、毎年数百億円の財源不足(放置すれば赤字になる額)を借金や貯金の取り崩しで何とかしのぐ財政運営をしているというのに、「やる意味がなくはない」程度の仕事を続ける理由がどこにあるというのか。
・・・と、そんなことを考えているときに、「日本海軍の興亡」(半藤一利)の一節に触れた。
日露戦争講和後の連合艦隊解散に当たっての東郷長官の訓示は、「勝って兜の緒を締めよ」であったが、その意を体し、明治41年、第一艦隊司令長官になった伊集院五郎中将は、海戦勝利の美酒に酔い、懈怠の心が生まれることを厳にいましめ、猛訓練実施に踏み切った。「月月火水木金金」。海軍猛訓練を象徴する合言葉は、このときに生まれたのである。この伝統がよく受けつがれて、世界最強最良の下士官兵をつくりあげたことは間違いない。
しかし、それと比較すると、はたしてよき指揮官の養成を海軍はしてきのか、疑問なしとはしないのである。日清・日露を戦ったよき先人たちは、大臣とか大将となるにしたがって「細かいことはよくわからぬ。もっとモノを知っている若手の管理者をつくらないことには、組織というものがうまく動かぬ」と、自分たちの後継者をつくるよりは、優秀な事務的アシスタントを養成しようとしたのではなかろうか。
明治初年に設置された士官養成のための海軍諸学校は、整備されるにつれて、管理事務や管理技術の教育に力をいれ、いわゆる分業化された部門での参謀としての「秀才」を多く生みだすようになっていった。一定のわくにはまった「秀才軍人」たちは小粒化し、官僚的になり、視野が狭くなり、立身出世がつねに視野のなかにあり、総合的な広い視野をもつ創造的な人物は少なくなっていった。
明治の軍人たちの偉大さのなかに、重大なキズを求めるとすれば、自分たちのような骨太の、純粋で、そして人間性豊かな後継者をつくらなかったことにあろうと思われる。
これを読んでアメリカの政治学者R・マートンの「訓練された無能力」という言葉を思い出した。
訓練された無能力とは、一般に官僚主義と呼ばれているものである。例えば、先例がないからという理由で新しいことを回避しようとしたり、規則に示されていないから、上司に聞かなければわからないといったようなものから、書類を作り、保存することが仕事と化してしまっている(繁文縟礼(はんぶんじょくれい))、自分たちの業務・専門以外のことやろうとせず、自分たちの領域に別の部署のものが関わってくるとそれを排除しようとする(セクショナリズム)、というような傾向を指し示している。(wikipediaより)
日本の公務員は、国・地方を問わずよく訓練され、業務執行における士気の高さ、質の高さは世界一だと思う。
しかし、今問われているのは、時代に対応した自己変革能力なのである。
大きな変革を担うのは政治の役割だと言われるし、実際その役割が大きいのは確かである。
しかし、現代の行政は、複雑化しすぎて、数百人の国会議員や、各県数十人の県会議員が各論まで仕切ることは不可能である。
そうである以上、志ある公務員一人々々が頑張るしかないと思う。
全国最大の市町村合併を見事に成し遂げ、住民に身近な市町村を中心とした地方自治を目指す、分権型社会のトップを走る広島県職員は、「一定のわくにはまった秀才職員」では済まされない、歴史的使命を負っていると思う。
今回の「事務事業総点検」が、その使命を果たす礎になることを願っている。
2006年07月06日
ピカソの革命
パブロ・ピカソの絵を見に行った。
1881年生まれのピカソは、1900年にパリを訪れて以降、いわゆる「青の時代」(1901〜04)を経て、1907年制作の「アヴィニョンの娘たち」に始まるキュビスム(立体派)の大運動を起こす。
【←「魚と瓶」(1909年)】
よく知らなかったのだが、キュビスムは、ポール・セザンヌの影響が大きいのだそうだ。
解説によれば、「『自然を円柱・円錐・球として捉える』というセザンヌに触発されて、ルネサンス以来の遠近法の画法を打ち破り、対象を基本的なフォルム(形態)とボリューム(量感)でとらえ、平面という絵画本来の世界に留まりつつ、現実の対象物を表現する新たな絵画世界を切りひらいた」ものだという。
ピカソは突然変異の革命家のようなイメージがあったりするが、キュビスムの作品について言えば、パリ・モンマルトルなどで多くの画家や作品に出会い、影響を受けて生み出されたもののようだ。
どんな革新や進歩も、他の世界や過去の歴史から学ぶことなしに、ゼロから生まれるものではないということだ。「温故知新」という言葉もある。
ピカソは、第1次大戦後、キュビスムから離れ、シュールレアリズム(超現実主義)で夢や無意識の世界にも入り込む。
また、オルガ、マリー・テレーズ、ドラ・マールといった女性たちとの生活の色合いも、作品に色濃く描き出されていく。
やがて、彼を取り巻く社会環境は、スペイン戦争や第2次大戦といった不幸な動乱の時代に突入し、「ゲルニカ」のような社会性の強い作品が生み出される。
常人をはるかに超える感性の持ち主が、これほど波乱に満ちた人生を送ったことにより、どれほど精神的に翻弄され、苦悩を続けたのか、想像もつかない。
それにしても、遠近画法という当時の常識を打ち破ったピカソという人物の歴史的存在価値は絶大である。
何事にも従来の常識を疑う必要に迫られている今日、キュビスム的発想転換をしていきたいものである。
そのためには、過去から学び、他者から学ぶことが大事だと、ピカソは私たちに教えてくれている。

【←「魚と瓶」(1909年)】
よく知らなかったのだが、キュビスムは、ポール・セザンヌの影響が大きいのだそうだ。
解説によれば、「『自然を円柱・円錐・球として捉える』というセザンヌに触発されて、ルネサンス以来の遠近法の画法を打ち破り、対象を基本的なフォルム(形態)とボリューム(量感)でとらえ、平面という絵画本来の世界に留まりつつ、現実の対象物を表現する新たな絵画世界を切りひらいた」ものだという。
ピカソは突然変異の革命家のようなイメージがあったりするが、キュビスムの作品について言えば、パリ・モンマルトルなどで多くの画家や作品に出会い、影響を受けて生み出されたもののようだ。
どんな革新や進歩も、他の世界や過去の歴史から学ぶことなしに、ゼロから生まれるものではないということだ。「温故知新」という言葉もある。
ピカソは、第1次大戦後、キュビスムから離れ、シュールレアリズム(超現実主義)で夢や無意識の世界にも入り込む。
また、オルガ、マリー・テレーズ、ドラ・マールといった女性たちとの生活の色合いも、作品に色濃く描き出されていく。
やがて、彼を取り巻く社会環境は、スペイン戦争や第2次大戦といった不幸な動乱の時代に突入し、「ゲルニカ」のような社会性の強い作品が生み出される。
常人をはるかに超える感性の持ち主が、これほど波乱に満ちた人生を送ったことにより、どれほど精神的に翻弄され、苦悩を続けたのか、想像もつかない。
それにしても、遠近画法という当時の常識を打ち破ったピカソという人物の歴史的存在価値は絶大である。
何事にも従来の常識を疑う必要に迫られている今日、キュビスム的発想転換をしていきたいものである。
そのためには、過去から学び、他者から学ぶことが大事だと、ピカソは私たちに教えてくれている。
2006年07月04日
田舎で起業!
以前書いた読書感想文。
===========================
私は、バブル崩壊期に社会人になったせいか、モノやカネへの信仰が薄い。
だから、宝くじが当たりでもしたら、使い途を思いつかないと思う。
「1億円当たったら何に使いますか?」と聞かれたら、「えーと・・・貯金かな??」と答えてしまいそうだ。
先日聞いた経営コンサルタントの話によれば、私のような世代は、カネの使い方を知らない「デフレ世代」だという。
カネは、「使うためにある」のが本当らしい。
その一方で、人間の意欲と創造力への信仰がめっぽう厚い。
「企業は人なり」とか、「人材を生かす」といった議論が大好きである。
そんな私が、人のチャレンジ精神の可能性を大いに掻き立てられる本は、「田舎で起業!」(田中淳夫著、2004年、平凡社新書)である。
「人生すべてを会社に捧げたくない!」と農業経営に転じたビジネスマンが、「19世紀的」ものづくりへのこだわり100%でなく、「21世紀的」経営管理40%+マーケティング40%+ものづくり20%というベストミックスにより、「面積当たり」でなく「時間当たり」の生産性を重視するケースなど、ちょっとした「常識的な発想」から次々と生まれる田舎ビジネスが紹介されている。
ちょっとした「気づき」が活路を開く。
行政も同じじゃないか!と、読んでいるだけで汗がにじみ、気合いが入ってくる。
ところどころに挟まれているコラムも、冷静で面白い。
決して田舎を手放しで礼賛せず、田舎生活に対するスローライフのイメージは「勘違い」であって、田舎では一人何役もこなし、草刈りや間伐、田畑の世話など、雑務に追いまくられるのが通常で、のんびりなどできないと説く。
また、田舎で起業した人の手法は、「たいして新しくない」という。
都会やほかの業界では当たり前の手法が、田舎では採用されていないため、ゼロから発明しなくても異業種の知恵や方法を持ちこむだけでビジネスになる、と。
そして、「地域が活性化するというのは地域の利益追求だ。地域が儲からないといけないのだ。そして、田舎には、ベンチャービジネスのシーズは山ほど埋もれている。宝の山なのである」と締めくくる。
「本当に田舎が宝の山だとすれば、現状ではなぜ民間が参入しないのか。そんなの絵空事だ」とおっしゃる方もいるだろう。
しかし、いくらチャンスがあったって、人が最大限努力して、工夫して、時間をかけなければ成功しない。
地域に溶け込む努力も田舎では必要だ。
その意味で、田舎ビジネスには、カネとか制度よりも、人の努力やハートの方がよっぽど大事だと思う。
教科書で「わが国は高度経済成長を遂げたが、真の豊かさを実感できていない」と学んできたが、高度成長で得た豊かさは、カネやモノが中心だったはずだ。
今こそ、人やハートを大切にした「真の豊かさ」を実現するときだ。
経済の右肩上がりは終わっても、人間力の右肩上がりは永遠だと信じている。
===========================
私は、バブル崩壊期に社会人になったせいか、モノやカネへの信仰が薄い。
だから、宝くじが当たりでもしたら、使い途を思いつかないと思う。
「1億円当たったら何に使いますか?」と聞かれたら、「えーと・・・貯金かな??」と答えてしまいそうだ。
先日聞いた経営コンサルタントの話によれば、私のような世代は、カネの使い方を知らない「デフレ世代」だという。
カネは、「使うためにある」のが本当らしい。
その一方で、人間の意欲と創造力への信仰がめっぽう厚い。
「企業は人なり」とか、「人材を生かす」といった議論が大好きである。
そんな私が、人のチャレンジ精神の可能性を大いに掻き立てられる本は、「田舎で起業!」(田中淳夫著、2004年、平凡社新書)である。
「人生すべてを会社に捧げたくない!」と農業経営に転じたビジネスマンが、「19世紀的」ものづくりへのこだわり100%でなく、「21世紀的」経営管理40%+マーケティング40%+ものづくり20%というベストミックスにより、「面積当たり」でなく「時間当たり」の生産性を重視するケースなど、ちょっとした「常識的な発想」から次々と生まれる田舎ビジネスが紹介されている。
ちょっとした「気づき」が活路を開く。
行政も同じじゃないか!と、読んでいるだけで汗がにじみ、気合いが入ってくる。
ところどころに挟まれているコラムも、冷静で面白い。
決して田舎を手放しで礼賛せず、田舎生活に対するスローライフのイメージは「勘違い」であって、田舎では一人何役もこなし、草刈りや間伐、田畑の世話など、雑務に追いまくられるのが通常で、のんびりなどできないと説く。
また、田舎で起業した人の手法は、「たいして新しくない」という。
都会やほかの業界では当たり前の手法が、田舎では採用されていないため、ゼロから発明しなくても異業種の知恵や方法を持ちこむだけでビジネスになる、と。
そして、「地域が活性化するというのは地域の利益追求だ。地域が儲からないといけないのだ。そして、田舎には、ベンチャービジネスのシーズは山ほど埋もれている。宝の山なのである」と締めくくる。
「本当に田舎が宝の山だとすれば、現状ではなぜ民間が参入しないのか。そんなの絵空事だ」とおっしゃる方もいるだろう。
しかし、いくらチャンスがあったって、人が最大限努力して、工夫して、時間をかけなければ成功しない。
地域に溶け込む努力も田舎では必要だ。
その意味で、田舎ビジネスには、カネとか制度よりも、人の努力やハートの方がよっぽど大事だと思う。
教科書で「わが国は高度経済成長を遂げたが、真の豊かさを実感できていない」と学んできたが、高度成長で得た豊かさは、カネやモノが中心だったはずだ。
今こそ、人やハートを大切にした「真の豊かさ」を実現するときだ。
経済の右肩上がりは終わっても、人間力の右肩上がりは永遠だと信じている。