2006年11月
2006年11月11日
生きる上で大切にしたい数字の世界
小川洋子著「博士の愛した数式」を読んだ。
「ぼくの記憶は80分しかもたない」という博士の世話をする、30前の家政婦と、10歳の息子ルート。
3人だけでつくられる人間関係の中に、数式をモチーフとした繊細な感受性が表現されている。
初めて聞く数学用語がいくつか登場する。
家政婦の誕生日220と博士の腕時計の裏に刻まれた番号284は、「友愛数」。
:220の自分以外の約数を全部足すと284
⇔284の自分以外の約数を全部足すと220
という関係である。
「完全数」というのもある。
:28の約数を足すと28。一番小さな完全数は6。
「素数」や「双子素数」を巡る会話が登場する。
=====================================
素数を並べると、2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43、47、・・・。
「例えば17、19とか、41、43とか続きの奇数が二つとも素数のところがありますね」
「うん、なかなかいい指摘だね。双子素数だよ」
普段使っている言葉が、数学に登場した途端、ロマンティックな響きを持つのはなぜだろう、と私は思った。
友愛数でも双子素数でも、的確さと同時に、詩の一節から抜け出してきたような恥じらいが感じられる。
イメージが鮮やかに沸き上がり、その中で数字が抱擁を交わしていたり、お揃いの洋服を着て手をつないで立っていたりする。
「数が大きくなるにつれて、素数の間隔も空いてくるから、双子素数を見つけるのもだんだん難しくなる。素数が無限にあるのと同じように、双子素数も無限にあるのかどうかは、まだ分からないんだ」
双子素数を円で囲みながら博士は言った。
=====================================
ちょっと考えればすぐ出てくる数列も、じ〜っと見ていると不思議なことに気がつく。
あわただしく過ぎていく現実の日々の中で、このようなささやかな感動の源が見過ごされていると思うともったいない気分になる。
この小説は、そんな感傷にひたる機会を与えてくれた。
また、数学の世界は、世の人が思うほど、ただの無味乾燥、幾何学的なものではないようだ。
=====================================
「100をすぎて一万、百万、千万、と大きくなると、素数が全然出てこない砂漠地帯に迷い込んでしまうこともあるんだよ」
「砂漠?」
「ああ。行けども行けども素数の姿は見えてこない。見渡すかぎり砂の海なんだ。太陽は容赦なく照りつけ、喉はカラカラ、目はかすんで朦朧としている。あっ、素数だ、と思って駆け寄ってみると、ただの蜃気楼。手をのばしても、つかめるのは熱風だけだ。それでもあきらめずに一歩一歩進んでゆく。地平線の向こうに、澄んだ水をたたえた、素数という名のオアシスが見えてくるまで、あきらめずにね」
=====================================
かように数字の世界には、砂漠もあれば、オアシスもある。
暑さや喉の渇き、風を五感で感じることもあるのである。
よく使われる「天文学的な数字」といった表現が、宇宙空間を想起させるように、数字にはもともと時間や空間といった広がりをイメージさせる誘因があるのかもしれない。
円周率を10万ケタ暗唱するという気の遠くなるようなチャレンジに成功した方がいるが、人間の頭脳というのもまた摩訶不思議でとらえようのない永久の空間である。
素数をめぐる家政婦の小さな心の冒険はまだ続く。
=====================================
素数を見るたび、博士を思い出した。
それはありふれた風景のどこにでも潜んでいた。
スーパーの値札、表札の番地、バスの時刻表、ハムの賞味期限、ルートのテストの点数・・・そのどれもが、表向きの役割に忠実でありながら、裏に隠れた本来の意味を健気に守り支えていた。
見るからに合成数のようなのに、実は素数だったという場合もあれば、第一印象で素数に間違いないと思ったのに、約数が見つかることもしばしばだった。
事務所の床を磨いている時に出会ったのは、341だった。デスクの下にNo341の青色申告決算書が落ちていた。
素数かもしれない。
咄嗟に私はモップを動かす手を止めた。
既に従業員たちの姿はなく、明かりも半分消された事務所で、検証作業に取り掛かった。
341は素数ではなかった。
「まあ、何ということ・・・」
341÷11=31
素数の予想が外れた場合には、またそれなりの収穫がある。
11と31を掛け合わせると、かくも紛らわしい偽素数が誕生するのかということは新鮮な発見であり、素数に最も似た偽素数を作り出す法則はないのだろうか、という思いがけない方向性を示してくれる。
素数を見つけたからと言って、あるいは、素数でないことが判明したからと言って、何も変わらない。製造番号がいくらであろうと、冷蔵庫はただ自分の役目を果たすだけだし、No341の決算書を提出した人は、今も税金問題に頭を悩ませている。
それでも尚、2311が素数で、341が合成数であるという真実は、色褪せない。
「実生活の役に立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ」
と、博士が言っていたのを思い出す。
「素数の性質が明らかになったとしても、生活が便利になる訳でも、お金が儲かる訳でもない。もちろんいくら世界に背を向けようと、結果的に数学の発見が現実に応用される場合はいくらでもあるだろう。楕円の研究は惑星の軌道となり、非ユークリッド幾何学はアインシュタインによって宇宙の形を提示した。素数でさえ、暗号の基本となって戦争の片棒を担いでいる。醜いことだ。しかしそれは数学の目的ではない。真実を見出すことのみが目的なのだ」
博士は真実、という言葉を素数と同じくらい重要視した。
=====================================
真実の追求というのは、歴史的に西洋哲学の基本姿勢である。
数字は、人間社会における実用の仕方によっては、人類の利益にも害悪にもなりうるのは確かだが、私たちの内面に訴えかけてくる哲学的な魅力は、数字というニュートラルな存在なくして語ることはできない。
「数学と文学を結婚させた」(藤原正彦氏による巻末解説)この作品は、私が日々にらめっこしているピリピリした実務の数字とはまったく異なる、とても魅力的な数字の世界を垣間見せてくれた。
もともと数字は、人間が安心して心豊かに生きていくために欠かせない「確かなるもの」を提供してくれる大切な概念であり、その意味で人類最大の発明の一つと言うべきものなのであろう。
「ぼくの記憶は80分しかもたない」という博士の世話をする、30前の家政婦と、10歳の息子ルート。
3人だけでつくられる人間関係の中に、数式をモチーフとした繊細な感受性が表現されている。
初めて聞く数学用語がいくつか登場する。
家政婦の誕生日220と博士の腕時計の裏に刻まれた番号284は、「友愛数」。
:220の自分以外の約数を全部足すと284
⇔284の自分以外の約数を全部足すと220
という関係である。
「完全数」というのもある。
:28の約数を足すと28。一番小さな完全数は6。
「素数」や「双子素数」を巡る会話が登場する。
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素数を並べると、2、3、5、7、11、13、17、19、23、29、31、37、41、43、47、・・・。
「例えば17、19とか、41、43とか続きの奇数が二つとも素数のところがありますね」
「うん、なかなかいい指摘だね。双子素数だよ」
普段使っている言葉が、数学に登場した途端、ロマンティックな響きを持つのはなぜだろう、と私は思った。
友愛数でも双子素数でも、的確さと同時に、詩の一節から抜け出してきたような恥じらいが感じられる。
イメージが鮮やかに沸き上がり、その中で数字が抱擁を交わしていたり、お揃いの洋服を着て手をつないで立っていたりする。
「数が大きくなるにつれて、素数の間隔も空いてくるから、双子素数を見つけるのもだんだん難しくなる。素数が無限にあるのと同じように、双子素数も無限にあるのかどうかは、まだ分からないんだ」
双子素数を円で囲みながら博士は言った。
=====================================
ちょっと考えればすぐ出てくる数列も、じ〜っと見ていると不思議なことに気がつく。
あわただしく過ぎていく現実の日々の中で、このようなささやかな感動の源が見過ごされていると思うともったいない気分になる。
この小説は、そんな感傷にひたる機会を与えてくれた。
また、数学の世界は、世の人が思うほど、ただの無味乾燥、幾何学的なものではないようだ。
=====================================
「100をすぎて一万、百万、千万、と大きくなると、素数が全然出てこない砂漠地帯に迷い込んでしまうこともあるんだよ」
「砂漠?」
「ああ。行けども行けども素数の姿は見えてこない。見渡すかぎり砂の海なんだ。太陽は容赦なく照りつけ、喉はカラカラ、目はかすんで朦朧としている。あっ、素数だ、と思って駆け寄ってみると、ただの蜃気楼。手をのばしても、つかめるのは熱風だけだ。それでもあきらめずに一歩一歩進んでゆく。地平線の向こうに、澄んだ水をたたえた、素数という名のオアシスが見えてくるまで、あきらめずにね」
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かように数字の世界には、砂漠もあれば、オアシスもある。
暑さや喉の渇き、風を五感で感じることもあるのである。
よく使われる「天文学的な数字」といった表現が、宇宙空間を想起させるように、数字にはもともと時間や空間といった広がりをイメージさせる誘因があるのかもしれない。
円周率を10万ケタ暗唱するという気の遠くなるようなチャレンジに成功した方がいるが、人間の頭脳というのもまた摩訶不思議でとらえようのない永久の空間である。
素数をめぐる家政婦の小さな心の冒険はまだ続く。
=====================================
素数を見るたび、博士を思い出した。
それはありふれた風景のどこにでも潜んでいた。
スーパーの値札、表札の番地、バスの時刻表、ハムの賞味期限、ルートのテストの点数・・・そのどれもが、表向きの役割に忠実でありながら、裏に隠れた本来の意味を健気に守り支えていた。
見るからに合成数のようなのに、実は素数だったという場合もあれば、第一印象で素数に間違いないと思ったのに、約数が見つかることもしばしばだった。
事務所の床を磨いている時に出会ったのは、341だった。デスクの下にNo341の青色申告決算書が落ちていた。
素数かもしれない。
咄嗟に私はモップを動かす手を止めた。
既に従業員たちの姿はなく、明かりも半分消された事務所で、検証作業に取り掛かった。
341は素数ではなかった。
「まあ、何ということ・・・」
341÷11=31
素数の予想が外れた場合には、またそれなりの収穫がある。
11と31を掛け合わせると、かくも紛らわしい偽素数が誕生するのかということは新鮮な発見であり、素数に最も似た偽素数を作り出す法則はないのだろうか、という思いがけない方向性を示してくれる。
素数を見つけたからと言って、あるいは、素数でないことが判明したからと言って、何も変わらない。製造番号がいくらであろうと、冷蔵庫はただ自分の役目を果たすだけだし、No341の決算書を提出した人は、今も税金問題に頭を悩ませている。
それでも尚、2311が素数で、341が合成数であるという真実は、色褪せない。
「実生活の役に立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ」
と、博士が言っていたのを思い出す。
「素数の性質が明らかになったとしても、生活が便利になる訳でも、お金が儲かる訳でもない。もちろんいくら世界に背を向けようと、結果的に数学の発見が現実に応用される場合はいくらでもあるだろう。楕円の研究は惑星の軌道となり、非ユークリッド幾何学はアインシュタインによって宇宙の形を提示した。素数でさえ、暗号の基本となって戦争の片棒を担いでいる。醜いことだ。しかしそれは数学の目的ではない。真実を見出すことのみが目的なのだ」
博士は真実、という言葉を素数と同じくらい重要視した。
=====================================
真実の追求というのは、歴史的に西洋哲学の基本姿勢である。
数字は、人間社会における実用の仕方によっては、人類の利益にも害悪にもなりうるのは確かだが、私たちの内面に訴えかけてくる哲学的な魅力は、数字というニュートラルな存在なくして語ることはできない。
「数学と文学を結婚させた」(藤原正彦氏による巻末解説)この作品は、私が日々にらめっこしているピリピリした実務の数字とはまったく異なる、とても魅力的な数字の世界を垣間見せてくれた。
もともと数字は、人間が安心して心豊かに生きていくために欠かせない「確かなるもの」を提供してくれる大切な概念であり、その意味で人類最大の発明の一つと言うべきものなのであろう。
2006年11月05日
人間の証明
森村誠一の名作「人間の証明」を読んだ。
初版は昭和52年だから、30年前。
ストーリー展開はまったく色褪せていないが、戦後から数えると現在の半分しか年数が経過していない時点の作品であり、背景にずいぶん戦後の余韻が感じられた。
たとえば、NY警察の刑事ケンの回想に次のような日本評がある。
国民性ともいうべき勤勉さと民族的団結力は、敗戦の焦土から短時日の中に見事に立ち直って世界を驚嘆させた。
「黄色い猿」とさげすんでいたケンたちであったが、蟻のような勤勉さと、集団においておいて核反応のように発揮される彼らの力には、ミステリアスな脅威をおぼえたものである。
彼らのアメリカの物量をあたえたら、絶対に勝てなかったという気がした。
日本の強さと恐さは、大和民族という、同一民族によって単一国家を構成する身内意識と精神主義にあるのではあるまいか。
日本人であるかぎり、たいだい身許がわかっている。
要するに日本人同士には、「どこの馬の骨」はいないのだ。
それがアメリカはちがう。
人種の坩堝と言われるように、世界のあらゆる人種がモザイクのように寄り集まっている複合国家である。
国民すべてが「馬の骨」ばかりである。
こういう国家では、人間の相互不信がうながされやすい。
人々は人間よりも物質を信用するようになる。
自動販売機が世界で最も発達しているのがアメリカである。
飲食物、雑誌、切符などから、生活必需品の多くが自動販売機で購える。
物質文明の高度の爛熟は、人間の精神や温かさをはるか後方に置き去りにして、物質だけが先走ってしまった。
この物質の悪魔の跳梁に最も冒されやすいのが、アメリカのような合成国家である。
もともと地縁によって結ばれた同一種族による国家ではない。
成功の機会を求め、あるいは母国を食いつめてやって来た人間が寄り集まったのであるから、人間はみなライバルである。
精神を物質が支配する素地が、アメリカの誕生とともにあった。
だが、日本はちがう。人間が最初から国土とともにあった。
そこではどんなに物質が氾濫しても、人間を支配することはないだろう。
一小説の中の表現に過ぎないとは言え、今読むと、時代の変化を感じさせられる。
仮に最近の小説において、日本に対するこのような評価が登場したならば、少し飲み込みにくい違和感を感じざるを得ないのではないか?
今後も、日本は、人間の精神を物質が支配することのない国であり続けたいと思う。
だが、情報化やグローバリズムの中、日本独自の価値観や文明を維持し続けることは難しいことのように思われるし、そもそもかような独自性を持ち続けるべきだというコンセンサス自体が失われているような気がする。
また、東京と田舎とのギャップがテレビを通じて埋まってきた様子が伺える場面がある。
「あれえ、東京からこられたがですか」
若いお手伝いが目を輝かした。
テレビのおかげで日本のどんな果てまでも、大都会のファッションが同時に行きわたる。
むしろ地方のほうが大胆なファッションの取り入れが早いくらいである。
事実、そのお手伝いを見ても、東京の街角で見かける若い娘たちと少しも変わりなかった。
調べてみたら、白黒テレビの普及率が50%を超えるのは昭和35年ごろ、カラーテレビのそれは昭和46年ごろのことである。
この小説が出されたころに、カラーテレビがようやくほぼ100%となったのである。
わが国の中央集権体制は、明治維新に始まったと言われるが、中央からの情報が、地方の生活様式に直接影響するようになってきたのは、実はこの頃なのかもしれない。
進駐軍の兵士との間に子をもうけた日本人女性と、その子との関係に思いをいたす場面も。
テレビで売れっ子の家庭問題評論家が、再来日した息子ジョニーを刺殺する場面を自白するシーンでは、身勝手な母親に対する飽くことなき息子の愛の大きさが際立つ。
どんな境遇にあろうと、息子にとって彼女はこの世でたった一人の母親なのである。
ジョニーはもうアメリカへ帰りたくないと言いました。
日本の国籍を取って日本に永住したいというのです。
私に迷惑をかけないから、私のそばにいたいと訴えました。
でも、ジョニーがそばにいては、いつかは私の過去が露われてしまう。
そうなったら、私は破滅です。
アメリカに帰るようにジョニーを説得しましたが、彼はいうことをききません。
私は追いつめられた気持になりました。
私はジョニーを殺す決意をして、九月十七日の夜八時ごろ清水谷公園で待つように言いました。
でもジョニーに会うと、何度も固めたはずの決心が鈍りました。
それが鈍ったまま、自分と家庭を守るためにナイフを突き出したために、ナイフは先端がジョニーの体にほんの少ししか刺さりませんでした。
そのときジョニーはすべてを悟ったようです。
ママはぼくが邪魔なんだねとジョニーは言いました。
・・・・そのときのジョニーのたとえようもない悲しげな目つきを私は忘れることができません。
・・・・私は・・・・、私は、・・・・わが子をこの手で刺してしまったのです。
すべてを悟ったジョニーは、私が中途半端に手を離してしまったナイフの柄に自らの手を当ててそのままグッと深く突き立てたのです。
そして私に早く逃げろと言いました。
ママが安全圏に逃げきるまで、ぼくは絶対に死なないから早く逃げろと、自分を殺しかけた母の身を瀕死の体で庇ってくれたのです。
私はあれ以来一分一秒として安らかな時間はありませんでした。
でもせっかく一人の子供を犠牲にして守った地位と家庭なので、最後まで大切にしようとおもったのです。
そして、NYの刑事ケンがハーレムで暴漢に刺殺されるラストシーン。
占領時代の日本人が経験した進駐軍へのコンプレックスや無力感は、アメリカ国内の秩序の中で抑圧される階層が感じるそれと構造的に重なるというのである。
「おれだってそうだ。おれは決して正義の味方ではなかった」
ケンはうすれいく意識の中でつぶやいた。
遠い日、兵役で日本へ行ったとき、無抵抗の日本人に小便をかけたのにも、明らかな理由はなかった。
混血という理由だけで、常に最前線に駆り出された怨みを、日本人へ八つ当たりしたにすぎない。
戦場では危険な最前線にいつも押し出されたが、市民生活へ戻れば、今度は底辺に押しこめられる。
あのころは自分も若く、粗暴であった。
自分を疎外したものすべてを敵視した。
本国へ帰れば、サラブレッドの白人女は自分たちにはなもひっかけないことがわかっている。
そのストレスと若い獣欲を、被占領国の女性に叩きつけようとした。
それを阻んだあの日本人も敵だった。
だがあのとき日本人に放った小便は、自分の心に向けたのと同じであった。
日本人のそばでその男の子らしい幼児が、自分を燃えるような目をしてにらんでいた。
あの目が、それ以後、日本に対して追ったケンの債務になったのである。
−−−死ねば、あの借りも帳消しになるだろう−−−とおもったとき、ケンの最後の意識が切れた。
初版は昭和52年だから、30年前。
ストーリー展開はまったく色褪せていないが、戦後から数えると現在の半分しか年数が経過していない時点の作品であり、背景にずいぶん戦後の余韻が感じられた。
たとえば、NY警察の刑事ケンの回想に次のような日本評がある。
国民性ともいうべき勤勉さと民族的団結力は、敗戦の焦土から短時日の中に見事に立ち直って世界を驚嘆させた。
「黄色い猿」とさげすんでいたケンたちであったが、蟻のような勤勉さと、集団においておいて核反応のように発揮される彼らの力には、ミステリアスな脅威をおぼえたものである。
彼らのアメリカの物量をあたえたら、絶対に勝てなかったという気がした。
日本の強さと恐さは、大和民族という、同一民族によって単一国家を構成する身内意識と精神主義にあるのではあるまいか。
日本人であるかぎり、たいだい身許がわかっている。
要するに日本人同士には、「どこの馬の骨」はいないのだ。
それがアメリカはちがう。
人種の坩堝と言われるように、世界のあらゆる人種がモザイクのように寄り集まっている複合国家である。
国民すべてが「馬の骨」ばかりである。
こういう国家では、人間の相互不信がうながされやすい。
人々は人間よりも物質を信用するようになる。
自動販売機が世界で最も発達しているのがアメリカである。
飲食物、雑誌、切符などから、生活必需品の多くが自動販売機で購える。
物質文明の高度の爛熟は、人間の精神や温かさをはるか後方に置き去りにして、物質だけが先走ってしまった。
この物質の悪魔の跳梁に最も冒されやすいのが、アメリカのような合成国家である。
もともと地縁によって結ばれた同一種族による国家ではない。
成功の機会を求め、あるいは母国を食いつめてやって来た人間が寄り集まったのであるから、人間はみなライバルである。
精神を物質が支配する素地が、アメリカの誕生とともにあった。
だが、日本はちがう。人間が最初から国土とともにあった。
そこではどんなに物質が氾濫しても、人間を支配することはないだろう。
一小説の中の表現に過ぎないとは言え、今読むと、時代の変化を感じさせられる。
仮に最近の小説において、日本に対するこのような評価が登場したならば、少し飲み込みにくい違和感を感じざるを得ないのではないか?
今後も、日本は、人間の精神を物質が支配することのない国であり続けたいと思う。
だが、情報化やグローバリズムの中、日本独自の価値観や文明を維持し続けることは難しいことのように思われるし、そもそもかような独自性を持ち続けるべきだというコンセンサス自体が失われているような気がする。
また、東京と田舎とのギャップがテレビを通じて埋まってきた様子が伺える場面がある。
「あれえ、東京からこられたがですか」
若いお手伝いが目を輝かした。
テレビのおかげで日本のどんな果てまでも、大都会のファッションが同時に行きわたる。
むしろ地方のほうが大胆なファッションの取り入れが早いくらいである。
事実、そのお手伝いを見ても、東京の街角で見かける若い娘たちと少しも変わりなかった。
調べてみたら、白黒テレビの普及率が50%を超えるのは昭和35年ごろ、カラーテレビのそれは昭和46年ごろのことである。
この小説が出されたころに、カラーテレビがようやくほぼ100%となったのである。
わが国の中央集権体制は、明治維新に始まったと言われるが、中央からの情報が、地方の生活様式に直接影響するようになってきたのは、実はこの頃なのかもしれない。
進駐軍の兵士との間に子をもうけた日本人女性と、その子との関係に思いをいたす場面も。
テレビで売れっ子の家庭問題評論家が、再来日した息子ジョニーを刺殺する場面を自白するシーンでは、身勝手な母親に対する飽くことなき息子の愛の大きさが際立つ。
どんな境遇にあろうと、息子にとって彼女はこの世でたった一人の母親なのである。
ジョニーはもうアメリカへ帰りたくないと言いました。
日本の国籍を取って日本に永住したいというのです。
私に迷惑をかけないから、私のそばにいたいと訴えました。
でも、ジョニーがそばにいては、いつかは私の過去が露われてしまう。
そうなったら、私は破滅です。
アメリカに帰るようにジョニーを説得しましたが、彼はいうことをききません。
私は追いつめられた気持になりました。
私はジョニーを殺す決意をして、九月十七日の夜八時ごろ清水谷公園で待つように言いました。
でもジョニーに会うと、何度も固めたはずの決心が鈍りました。
それが鈍ったまま、自分と家庭を守るためにナイフを突き出したために、ナイフは先端がジョニーの体にほんの少ししか刺さりませんでした。
そのときジョニーはすべてを悟ったようです。
ママはぼくが邪魔なんだねとジョニーは言いました。
・・・・そのときのジョニーのたとえようもない悲しげな目つきを私は忘れることができません。
・・・・私は・・・・、私は、・・・・わが子をこの手で刺してしまったのです。
すべてを悟ったジョニーは、私が中途半端に手を離してしまったナイフの柄に自らの手を当ててそのままグッと深く突き立てたのです。
そして私に早く逃げろと言いました。
ママが安全圏に逃げきるまで、ぼくは絶対に死なないから早く逃げろと、自分を殺しかけた母の身を瀕死の体で庇ってくれたのです。
私はあれ以来一分一秒として安らかな時間はありませんでした。
でもせっかく一人の子供を犠牲にして守った地位と家庭なので、最後まで大切にしようとおもったのです。
そして、NYの刑事ケンがハーレムで暴漢に刺殺されるラストシーン。
占領時代の日本人が経験した進駐軍へのコンプレックスや無力感は、アメリカ国内の秩序の中で抑圧される階層が感じるそれと構造的に重なるというのである。
「おれだってそうだ。おれは決して正義の味方ではなかった」
ケンはうすれいく意識の中でつぶやいた。
遠い日、兵役で日本へ行ったとき、無抵抗の日本人に小便をかけたのにも、明らかな理由はなかった。
混血という理由だけで、常に最前線に駆り出された怨みを、日本人へ八つ当たりしたにすぎない。
戦場では危険な最前線にいつも押し出されたが、市民生活へ戻れば、今度は底辺に押しこめられる。
あのころは自分も若く、粗暴であった。
自分を疎外したものすべてを敵視した。
本国へ帰れば、サラブレッドの白人女は自分たちにはなもひっかけないことがわかっている。
そのストレスと若い獣欲を、被占領国の女性に叩きつけようとした。
それを阻んだあの日本人も敵だった。
だがあのとき日本人に放った小便は、自分の心に向けたのと同じであった。
日本人のそばでその男の子らしい幼児が、自分を燃えるような目をしてにらんでいた。
あの目が、それ以後、日本に対して追ったケンの債務になったのである。
−−−死ねば、あの借りも帳消しになるだろう−−−とおもったとき、ケンの最後の意識が切れた。