2008年02月

2008年02月18日

道州制の前提条件

県議会の地方分権改革推進特別委員会にて、政策研究大学院大学の横道清孝教授が、参考人として道州制に関する意見を述べられた。

いわく「道州制を導入する前に、住民に身近な基礎自治体である市町村がしっかりしていないと、市町村は頼りなく、県はさらに遠くに行ってしまうという制度になってしまい、住民の賛同は得られにくい。」

「市町村がしっかりする」とはどういうことか?

1つには、広島県のように市町村合併を進め、県から市町村への権限移譲をしていくことだろう。
ただし、全国的に広島県並みの合併(86→23市町)が進むとは考えにくい。
教授いわく「合併が進まない場合は、複数市町村による新たな広域行政の仕組みを検討する必要がある。」

そしてもう1つ、教授が主張されていたのが「新しい市町村経営モデル」。
これについては詳細な言及がなかったが、私は行政と住民との関わり方の新たなスタンダードを作り上げなければならないと思う。
行政丸抱えシステムから、住民の主体性を強めた民間主導システムへ。
行政・住民の双方に相当な意識改革が必要だし、かなり期間を要するかもしれないが、これこそがこれからの「市町村経営」の基盤になると思う。

敬愛する平浩介委員からは「市町村合併が進めば、県はむしろ不要となり、(全国同じサービス水準を保障する趣旨からも)国が直接市町村とやりとりすることになって、今よりも中央集権が進むことにならないか」という懸念が示された。

そんなことになってはならない。

霞ヶ関を分割し、力強い地方政府を構築していくことによって、わが国が、地域からみなぎる新たな国力を発揮できる国に生まれ変わるべきだと思う。
地域格差の是正は、国から何かを恵んでもらうのを待つのではなく、地方が自立的な力をつけることによって解消していくしかないのである。

shigetoku2 at 23:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 

2008年02月17日

地縁コミュニティの再活性化

廿日市市の市民活動センターを訪問した。

大野・吉和・佐伯・宮島の4町村との合併前後を通じ、地域の「小さな自治」づくりを続けている藤井地域協働課長(センター長)さんの現場に根ざしたお話に感銘を受けた。

このセンターは、「地縁コミュニティ」すなわち、町内会・自治会など地区単位の自治を活性化させることに主眼を置いている。

地縁コミュニティで起こっている問題は、「人切れ、ネタ切れ、息切れ」。

(事はすべて町内会長が決定する。反対意見がないので、住民みんな賛成かと思いきや、やらされ感が強いので、行事への参加率が低い(=人切れ)

発想する人が会長しかいないので、ネタもすぐに尽きる。(=ネタ切れ)

こんな風にやってると、地域活動は持続しない。(=息切れ)

こうした従来のいわばヒエラルキー的な意思決定スタイルを改め、住民の主体的な地域づくりへの参加を促すため、地区ごとに「円卓会議」などの取り組みを実施してきたところ、5年間の持続的な努力の結果、住民意識にも変化が見られてきたという。

とりわけ、NPOやボランティア団体などのように特定のテーマを持って地区単位を超えた活動を行う組織(「テーマコミュニティ」)が、地縁コミュニティに対して刺激を与えることが期待されるため、センターとしては、これら2種類の「コミュニティ」を結びつける役割を担っているとのこと。
確かに、NPOが町内会などの地区組織に入り込んでいくのは、通常とっかかりがなく難しい。
行政に仲介機能があれば、相互交流が進みやすくなるのは間違いない。

NPO組織の運営や活動の充実強化そのものも重要課題であるが、これを既存組織(地縁コミュニティ)の活性化に結びつける視点を忘れてはならないと感じた。


このほか、行政が業者に発注してきた仕事についても、地域を巻き込むことで住民の参画意識を促すとともに、経費も劇的に安価にできてしまう事例も教えていただいた。(「4分の1事業」と称しているようである。)
例えば、市勢要覧に載せる写真を自治会から募集することで、外部のプロのカメラマンに委託するよりも(精度は多少劣っても)住民の思いのこもった写真満載の作品が出来上がる。
この市勢要覧は、『市民が想うわがまち自慢』というタイトルでDVD化されている。

また、センターにイラスト制作のための機材を導入し、現役引退後のイラストレーターに使ってもらう代わりに、低料金でイラストを描いてもらったりもしているそうである。
センター側にとっては低コスト(貢献価格)、イラストレーター側にとっても自己実現の場となる、みんな幸せな仕組みである。

通常の行政スタイルとは異なる、こうしたハートフルな市民とのやりとりができるのは、住民自治の強化に向けた地域に根ざした地道な活動の賜物である。

市町村合併前の役場が住民を丸抱えする行政スタイルを脱皮し、21世紀型の日本の地方自治に作りかえていくためには、こうした自治体の粘り強く、かつ、気の利いた取り組みが不可欠なのだ。
そのためには、自治体職員が、住民のハートをとらえるセンスに磨きをかける必要もあろう。

廿日市市の市民活動センターの話をもっと多くの人たちに聞かせてあげたい。

shigetoku2 at 09:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 | 地域活性化・地域の話題

2008年02月07日

家族というモチベーション

完全に「親バカ」ネタであるが・・・。

夜中にふと目を覚ますと、三男の寝顔が目の前に。
寛三の寝顔

「ああ、この子のためにも良い世の中を作っていかなきゃなぁ」とあらためて思った。

近頃は仕事が忙しくて、子どもの相手もなかなかできずにいた。
仕事でテンションが上がれば上がるほど、家族との時間を大切にする気持ちも失われがちである。
家族と過ごしていても、どこかで仕事のことが気になっていたりする。

しかし世に言う「仕事人間」であっても、確固としたモチベーションがどこかになければ、人生のどこかの時点でプッツンと切れてしまうように思う。
そのモチベーション、もっと言えば、人生の目的とは、人によって程度の差こそあれ、「家族の幸せ」が大きな部分を占めるのは間違いないのではないか。

20代半ばにコロンビア大学で「自分は何のために生きているのか?」という疑問に悩んでいた頃、ある米国人の友人がサラッと「僕は家族のために生きている」と言っていたことを思い出す。
当時は「家族なんて、個人のちっぽけなことじゃないか。もっとビッグな人生の目的はないのか」なんて、さらに深い悩みにはまり込んだものだが。

確かに、家族なんて昆虫でさえ本能的に大切にしているものなのであって、人間のような高等動物にはもっと高度な人生の目的があるはずじゃないか、と考えること自体は全くおかしくない。
それが社会貢献や世界平和であったり、個人で言えば仕事であったり、富であったり、地位や名誉なのかもしれない。

それでも、どんなに成功した人だって、家族や親族を大切に思う気持ちを持っていなければ、その人の魅力自体が薄まってしまうような気がする。

話は飛ぶが、戦国時代の人質や政略結婚にしても、家族への無償の愛を大前提としていたわけで、(最近のように)家族を平気で殺傷する事件が相次ぐような世相であったら、同盟も和睦も成り立たなかったのではないか。
徳川家康だって権謀術数を張り巡らせる一方で、家庭では子孫繁栄に精を出してたわけだし。

まあこれらは家族の幸せとは少し意味が違うかもしれないが・・・。

shigetoku2 at 04:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て