2008年03月

2008年03月11日

楽しみながら自治や分権を知るために

総選挙や参院選などでの有権者の関心事項に、地方分権とか道州制が上位に挙がることがない。

「分権すると、どんないいことがあるの?」「地方自治ってどういうこと?」といったことを、もっと一般市民にも分かりやすく伝え、ともに考えるためのNPOを若手市議、行政職員、民間人とともに立ち上げた。

それが、「ひろしま創発塾」だ。(4月にNPO法人化予定)

このNPOでは、市民による模擬議会を中心とした活動を展開していく予定であり、その活動内容が「経済レポート」に分かりやすく掲載された。

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政官民融合の「ひろしま創発塾」 〜廿日市で模擬議会を開催〜

 地方分権、地方自治の意義を学び実践につなげていく場づくりを目的としたNPO法人「ひろしま創発塾」(4月認証予定)は、地元住民による「模擬議会」を22日に廿日市商工会議所で行う。
 ふだんあまり馴染みのない議会の意思決定システムを体験することで、議会の役割や重要性を理解し、自立した住民の主体性の大切さを知ることを趣旨とする。

 今回が2回目で、第1回は昨年11月25日に大竹市で行った。
 テーマを「保育行政と子育て政策」とし、模擬市長から「駅前に公設公営方式で認可保育所を設置する」と原案を出し、これに基づいて参加者3班(模擬会派)に分かれてワークショップを行い原案への対案を作成。各班から模擬議員を選出して、本会議を開き、各会派から修正案を提出。質疑応答のあと傍聴者による住民投票で上位2案まで絞り込み、最終的に議会で決定するという流れ。

 模擬議会では、国が定めた政省令を地域の実情や地域住民の意志に基づき議会で修正する「条例による上書き権」を行使できるようにしている。実際の制度上はまだ認められていない「上書き権」を"先取り”することにより地方分権の重要性を実感できるようにしている。

 廿日市市で行う模擬議会も同じテーマで、同様の流れを予定。時間は午前11時−午後5時。
 ひろしま創発塾は、全国的にも珍しい「政官民融合型」のNPO法人で、県内の市議会議員5人と行政職員2人、民間2人で理事役員を構成し、全員が30歳代。
 政党目的は一切なく純粋に「地方分権(主権)時代を迎えるこれからの広島の展望」を考えるとし、「若年世代への政治参画・関心を高める"芽”を培う場づくりを目指す」としている。

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この模擬議会のポイントの一つが、「条例による上書き権」。

昨年11月25日に大竹市で行った実際のワークショップの議論では、「保育所に調理室を置くより、駅前の商店街から食事を調達する方が経済効果もあるし、地域とのつながりができるのではないか」という意見が出てきたため、「保育所には調理室を置かなければならない」とする国のルールを『上書きしちゃえ』ということで、本会議に上書きを含む修正案が提出された。

ワークショップに参加するのは行政マンでもない一般市民だから、国と対決して「絶対上書きしてやる!」なんていうマインドを持っている人たちではないのだが、素直に考えていった結果が、自然に上書きに結びつくところが面白い。

一方、この議論の途中では、「でも、アレルギー体質の子に間違ったものを食べさせたら大変だ。国の基準を守ってた方がいいんじゃないか。」と心配する意見も出た。
それでも「きめ細かな個別メニューをつくる契約を結び、契約の履行状況を住民が定期的に監視する委員会を設置すればいいじゃないか」という案が出て、解決に至った(もちろんバーチャルな話ではあるが)。

このように、「国の基準を守っていれば安心」というところから一歩踏み出し、自らリスクテイクすることになる上書き権の行使には、少し勇気が要るが、地域住民の知恵と行動によりこれを乗り越えてこそ、骨太な自治が実現されていくのではないか。
今まで「国の決まりでこうなってますから」で何となく納得せざるを得なかった状況に対する「気づき」がスタートラインだ。

また模擬議会では、いつも議員を批判する立場のマスコミ記者が議長役をやったり、議員さんが市長役をしたり、また、公民館の会議室でやってるだけの「本会議」なのに、議員役の人たちが質問に立つときのしゃべりが少し緊張気味になったり・・・見ているだけでも面白い。
議員の職責のひとつは賛否を決断することであり、議会での質疑を経て採決をするときの若干の緊張感を体験した参加者には、住民代表たる議員が背負ってるものを少しでも理解してもらえるのではないか。

ひろしま創発塾の模擬議会は、地域における小さな歩みではあるが、「楽しみながら自治や分権を知る」ための仕掛けだと考えたい。
何事も、楽しくなければ続かないのだ。

とりわけNPOは、議員と公務員と住民がみんな参加できる器であるから、普段距離のあるこの3者の隙間を埋め、自治や分権という分かりにくいテーマを身近なものにしていくという、これまで誰にも果たせなかった役割を果たせると思う。

上書き権に関する内閣府分権委での実際の議論の進捗も気になるところだが、今後も、分権型国家を目指し、多くの人々とともに思いを一つにして、一歩ずつ歩んでいきたい。

shigetoku2 at 22:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NPO | 行政・地方自治

2008年03月10日

平山画伯の国家観

尾道市(旧瀬戸田町)の平山郁夫美術館を訪れた。

2年半前に来たときは、子どもたちが館内で大騒ぎし、作品を見ることなく外でシャボン玉遊びに付き合って終わりになってしまったので、今回はリベンジである。

平山郁夫「行七歩」新たな収蔵品として、「行七歩(こうしちほ)」という画伯の長男をモデルとした絵があるなど、地方にありながら黒字を続ける美術館には素晴らしい作品が並んでいた。

平山画伯は、著書「絵と心」にその国家観について述べられている。
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東西文明の交流ということがよく言われる。私自身、東西をつなぐ心を求め、画題を求めて世界の道を歩いてきた。この東西文明、あるいは東西文化の交流というものがなぜ起こってきたのか、歴史の中での日本の国のあり方を理解することをめざして、私なりに考えてみることにしよう。

大きな東西文明交流の末端に連なった日本は、自分だけの力ではとうてい手の届かない、インドの仏教にふれたり、はるか西方のイスラム文化が生んだ文物まで、唐を通じて手に入れることになった。私たちは今日、それを正倉院の文物に見ることができる。

このように、残念ながら日本は、自らの力で文字を生んだ国でもなく、東西文明の交流の中では、もっぱら西からの文明の流れを受け容れた国でしかない。少なくとも、古代においてはそうである。しかし、中国を中心とする大陸の文化を、独自の方法で受容し、消化してきたことの中に、日本の文化の優れた力があった。

私は、日本は中国を中心とする東西文明交流から、はかり知れない裨益を受けている国だと思っている。そのことに、日本人の末裔の一人として、感謝の心を忘れないようにしたい。私の仕事が、そうした感謝の表現であってほしいと願っている。

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シルクロードと仏教を生涯かけて描き続けている画伯から見れば、日本という国は、やはり西方からの文明の行き着く先であり、東西文明の交流あってこそ、成り立っている国なのである。

しかし、そうありながらも、日本人の美意識や文化には大いに独自性があるとする。
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私は、美というものは、生きることそのものだと思っている。これは人間だけでなく、この世に存在するあらゆるものについて言えることである。
わかりやすくいえば、たとえば鳥が鳥として、花が花として生きよう、成長しようとしているときには、美しさを表す、ということである。この世に存在するあらゆるものが、生きようとする意志をもっている。人間や動植物だけでなく、私たちには見えないだけで、水や石のようなものにさえ、生きようとする意志があるかもしれない。

この世のありとあらゆるものを、自然と言い換えてもいい。長い歴史を通じて、自然とともに暮らしてきた日本人は、自然の恵みによって生きられることに感謝し、自然に学びながら文化を形成してきた。これが日本人の文化の本質なのだ。

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そして、大陸の合理的精神の源流を体験的に見極めたうえで、さらに日本人の美意識の価値を強調しているのである。
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大陸で生きる人々の精神構造が、日本列島で暮らす人々と違ってくるのは当然である。私はシルクロードの旅の中で、砂漠を移動中、思いがけない天候の急変にあって立往生するようなことを、再三経験した。そういうときに、砂漠の暮らしというものが、常に死と紙一重のところにあることをつくづく感じさせられたものである。

砂漠や荒野に生きる集団に指導者がいた場合、その指導者の判断しだいでは、集団の全員が死ぬこともある。指導者は判断を迫られたとき、絶対に判断を誤ってはならない。私は、こういうところに、きびしい合理精神や論理性も生まれてくるに違いないが、強烈な一神教が受け入れられる基盤もまたあるのだと思った。

科学は、世界のあらゆることを解明したかに見えるが、実はわからないことだらけである。逆説的に言えば、科学の発達は、自然というもの、あるいは生きるということの謎をかえって深めたとも言える。自然のいのちを感じるところから出発している日本の美は、意味を失ってはいない。むしろ世界的に存在価値を増してきたとも言える。

現在の価値観に合わないものは、何でも切り捨てるというなら、神話などは何の意味ももたないだろう。そこにマンションやオフィス・ビルを建てるのに、神社やお地蔵さんが邪魔だということになる。
私は日本人は、現代的な生活をしながらも、神話の価値がわかるような生活をすべきだと思う。古くから伝わった歴史の遺跡、文化遺産は、私たちがどんなに優れていても新たにつくることはできない。自分たちの歴史の価値を知らない日本人は、国際的にも尊敬を得られないだろうと思う。

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著書のあとがきにも、戦後日本の歩みを振り返った上で、今のわが国が、蓄積された富を人類のためにどう生かすのか、専門性に陥ることなく、自然との調和、真善美の認識を通じて、世界から信用を勝ち取るのかといった持論が述べられている。
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日本的価値観の一つに、自然との調和を述べてきたが、政治、経済、文化に関しても調和こそが前提であろう。

日本では「真」、「善」、「美」の調和を教養として学ぶ時代があった。この考え方は古い伝統的なものである。と同時に、普遍性がある。全人格的な人間形成として、これまで少なくとも日本の指導者には、この思想を持つよう教育されてきたものである。

ちょうど、自然の生態系に似ている。宇宙は、森羅万象が、大自然の法則によって、何十億年と悠久の時を経てきている。
その中を何百万種類の生命体が、自然の摂理に沿って進化しようと、努力を繰り返している。これまでこの真善美が、宗教的に、哲学的に、文化的に様々な方式で人の生き様を支えてきた。

こうした自然の調和や摂理と国家の運営を比較すると、失敗した例はすべてこの原則を破っている。或いは、科学技術が高度に専門化され分化した結果、専門的な技術論に陥り易く、この原則が崩れている。
開発者の目的や、利用など、また、すべてを統治する政治家の判断で、真善美のバランスが根底から崩れることになり、人類を破滅に導くことになる。

日本は、今一度、この失いかけた真善美や自然の摂理を再認識して、しっかりとした日本のグローバルな目標を示せば、世界は日本を認め国際信用が高まるだろう。

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平山画伯が魅せられた東西文明交流の道・シルクロードを訪れてみたいという気持ちが、数年前からずっと心の中にある。
その道をたどれば、日本の伝統文化や、日本人独特の感性(その細やかさ、いたわり、調和を重んじる精神など)がなぜ存立するのか、深い理解を得られるに違いない。

米国に留学していた頃、“欧米文化に対して卑屈になる同僚日本人”への嫌悪感を強く感じたものだ。
一つには、常によそからの文化を受け入れることにより成り立ってきた、日本人の(文明の発祥地におけるような)文明の自発性のなさに対し、私自身こそが卑屈になっていたのかもしれない。
だがもう一つには、日本人には、世界に誇るべき文化性(平山画伯の言われる美の感性がその代表格なのであろう)を有していることへのプライドが許さなかったのではないかと思う。

これからの日本経済は、国際的に相対的には縮小局面に向かうのだろうが、そうであればあるほど、国家の成り立ちの歴史や、日本人の持つ文化性の高さをしっかりと心に据えていくべきだと思う。

shigetoku2 at 23:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 経済社会・文化・科学 

2008年03月08日

「意志あるお金」の可能性

ひろしまNPOセンターの方々や県職員数人で、「NPOバンク」の可能性について議論した。

これまでわが国において、主として行政が担ってきた公益的事業は、財政規模が縮小する局面に入ったこともあり、民(NPO等)がより多くを担っていく方向にあるが、「その活動資金をいかにまかなうか」というのは重要な論点の一つである。

今のところ、NPO活動の財源といえば、行政からの補助金のほかは、細々とした寄付金や会費ぐらいしかないのが実情である。

そこで、民の活動に対し、民(NPOバンク)が投融資するという民・民の関係を構築していこうではないか、というのが基本的な考え方だ。

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「お金は天下の回りもの」と言います。とはいえ、個人の生活にも、地域の活性化にも、事業を興すにも、お金は必要です。

金融はそうした人々の期待に応えるためにあるはずですが、同時に個々の金融機関は営利企業であることから、リスクを読めない先には資金を提供しません。利益が見込めないと資金を引き揚げます。

必要なところに、必要なだけのお金が流れない。お金が回らない。ならば、自分たちの力で、自分たちの意志で、必要なお金を集め、必要なところに回そうではないかという市民の活動を、総称して「金融NPO」と呼びます。

金融NPOは、銀行や証券、保険、今はやりの投資ファンドなどの営利金融とは違います。優先するのは経済的な“儲け”ではありません。

社会のためになる事業、人のためになる活動にお金を回すことを最優先します。活動を持続するために投融資先の事業性の評価も怠りませんが、基本は非営利の金融なのです。

市民主導の金融NPOの活動が広がり続けている背景には、お金を、単に利を生む手段として扱うのではなく、環境や地域社会などを良くするためにこそ使いたいという「意志あるお金」の持ち主が増えていることも関係しているようです。

いびつなお金の流れを改め、お金を活かして使うには、市場や既存の金融機関に委ねるだけでは不十分なのです。お金の出し手が、お金の行き先を見つめ、お金を託す担い手を選ぶ。そこに金融NPOの存在理由があります。「お金は市民が回すもの」。

【藤井良広著「金融NPO」(岩波新書)はしがきより】

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現在、NPOバンクは、東京、北海道、長野、新潟、愛知など全国に10程度が組織されているとのことである。

一度お会いした名古屋のコミュニティ・ユース・バンクmomoの木村真樹さんによれば、NPOバンクは「一般の金融機関と異なり、お金を貸すこと自体が目的ではなく、NPOと一緒になって苦労しながら事業を作り上げていくことに意味があると思っている」。
また、「まだまだ社会的に十分認知されていないNPOが、融資を受けること自体、自立した責任ある活動をする組織として信頼性を高めることにつながる」と考えているようである。

前掲「金融NPO」は、その辺りについても指摘している。
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営利金融と非営利金融は明確に違う点がある。それは営利の場合、相互に競い合うのが宿命だが、非営利の金融機関は非営利活動を社会に広めることが最大の使命である点だ。従って、相互連携や相互依存、他の期間の支援育成は、その使命に沿った本来活動なのだ。

もちろん金融NPOの活動にとっても事業性は大事だ。他の金融NPOと事業性で競う場面もある。ただ、営利の金融機関と異なるのは、そうした競い合いは、市場シェアを高めるとか、顧客数を増やす競争とは異なる点だ。借り手となるNPOや零細企業、個人をいかにたくさん育成・支援するか、というパフォーマンスでの競い合いだ。

「意志あるお金」を社会に活かす。その役割は極めて重要で、「21世紀的」でもある。営利の金融が市場ベースであるのに対して、それは人間をベースにしているからである。

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NPOといえども、本来まずは、既存の金融機関から融資を受けられるぐらいに、しっかりとした事業性のある活動を行えるようになることが筋とも思う。

しかし、NPOバンクという存在が成り立つこと自体が、NPO活動の価値を期待し、資金を提供する人がいるからこそであり、そういう人たちと借り手であるNPOとの間に介在する人間の「意志」を取り持つところに、NPOバンクの存在意義があるのだと思う。

市場主義にもまれる金融界にあって、NPOバンクが、小さいながらもピリリとした存在感を高めていくのだとすれば、グローバル経済に翻弄される現代社会において、人間の尊厳を取り戻す重要な動きと評価すべきではないかと思う。

そして、こうした動きは、やはり、“地域から発想される”のが常なのである。



shigetoku2 at 18:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NPO 

2008年03月04日

少年時代のやり残し

今年に入ってから、いくつかの新しい経験をした。

20080113とんど
1月には、吉島東小学校で行われた、とんど祭りを見に行った。
PTAの方々が中心となって、日中にクレーンで設営する、本格的なものだ。

20080113とんど夜
夜、点火すると、ものの5分ぐらいで焼け落ちてしまった。
倒れたとんどは、焚き火のようで、寒い夜、みんなで暖をとった。




20080203イチゴ狩り元気村
2月初めには、周防大島の「元気村」で、イチゴ狩りをした。
たくさん採って、家でパフェをつくり、次男の誕生日のお祝いをした。



20080211カマクラ魅惑の里
友人家族と廿日市市(旧吉和村)の魅惑の里で、カマクラをつくった。
雪の山をくり抜く方式でなく、壁を積み上げて屋根を作っていく方式を採用し、「ほんまに出来るんだろうか?」と思いながらも童心に返って、3時間ほどかけて見事に出来上がった。
これは最高に楽しかった!子どもより大人が楽しかった!!!

20080216くい裸祭り
そして、三原市(旧久井町)で100年以上の伝統を誇る、「くい裸祭り」に友人が参加するというので、家族で見に行った。
高地にある久井の夜の寒さは並大抵ではなかったが、酒の勢いなのか何なのか、厄年の男性を中心に、異様な盛り上がりを見せていた。
こういうお祭りの伝統を持つ地域は、本当にうらやましい。

これらはいずれも、「子どもたちを連れて行ってやる」つもりだったのだが、自分の方が楽しんでいたような気がする。

その意味で、子育ては「自分の子ども時代のやり残しをリカバリーする」チャンスだと思う。
特に、うちは男の子3人なので、(妻には悪いが)私にとってのやり残しを童心に返って楽しむ機会が、これからもまだまだあることだろう。

shigetoku2 at 23:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て 

2008年03月02日

父親が変われば・・・

「父親であることを楽しもう!」をテーマとした、県主催講演会を聴いた。

NPO法人ファザーリング・ジャパン代表理事の安藤哲也さんは、家族と過ごすことを「家族サービス」と表現することへの疑問を指摘していた。

そして家族サービスに代わる言葉を「Fathering」として、父親であることを楽しみ、笑っている父親になろう、と主張していた。
まあファザーリングという言葉が分かりやすいかといえば、これまた疑問ではあるが、家族と過ごす時間を大切にし、子どもや家族、地域とともに人生を送ることを大切にしようという動きが、わが国における時代の要請であることには、まったく同感である。

また、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉への理解は私も不十分だったが、これについては、次のように解説してくれた。

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ワークライフバランスとは、“やじろべえ”のように、仕事とプライベートを天秤にかけてその平均をとる、といったことではない。これでは、仕事を重視すれば家庭が犠牲になり、家庭を重視すれば仕事を犠牲にすることになってしまうだけの、トレードオフだ。

そうではなく、“寄せ鍋”のように、仕事・趣味・育児・地域活動といったいろんな具材が有機的にブレンドされる。育児や家庭の視点を仕事に生かし、仕事の経験を地域活動に生かす。この寄せ鍋の美味しさを知った父親がより多く入ってくれば、味はより良く、社会はもっと良くなっていく。
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講演会のテーマは、父親が代われば、家族が変わり、地域や企業、社会が変わる、というものである。
「寄せ鍋理論」は、それをよく言い表していると思う。

パネラーの篠原收・広島女学院教授が紹介したデータによれば、日本では平成4年ごろから専業主婦世帯よりも共働き世代が多くなっている。
しかし、共働き世代の増加には、いわゆるワーキング・プアを含む、経済的理由による要因が大きく作用しているようである。

一方、意識調査によれば、「出産した女性が中断なく働くべき」とする人の割合は、30年前は10%だったのが、最近では50%近くまで増えてきている。
この意識は男女ともに同様の傾向であり、社会の変化が如実に現れている。

また、先進国の北欧ではパパ・クォータ制と呼ばれる、父親の育児休業の取得義務があるようだが、日本でも少しずつではあるが、このような企業も出てきているそうである。

最近の学生は、企業説明会で「男性も育児休業を取れるのか」という質問をすることが増えているそうだが、同じくパネラーのアンデルセンサービス広報室長の林賀子さんは、男性が育児に携わることが、キャリアロスにつながらないことを企業の姿勢として明らかにすることが重要だと述べていた。

今後、若年労働力が減少していく日本では、若い世代のライフスタイルや人生観に配慮した労働環境をつくれない職場は、人材を確保できず、淘汰されていくことになるだろう。
「働く女性を支える夫」という男性像が一般化するところまで行かずとも、少なくとも「男性にも女性にも、人生の選択肢は多いほうが良い」というコンセンサスなら得られるのではないかと思う。


・・・しかし、今回の講演を聴くにあたっては、うちの3人のガキどもを会場で託児することができたのが何よりも有難かった。

初めて他人に預けられた三男は大泣きを続け、保育士さんたちにはずいぶん迷惑だっただろうけれども。
保育士さんたち、ありがとうございました。

shigetoku2 at 18:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て