2008年10月

2008年10月26日

社会のスキマを埋めるSR

NPOや企業、政府などのSR(Social Responsibility。社会的責任)について議論する「SRフォーラム」に参加した。

一橋大学の谷本寛治教授の基調講演では、SRの世界的潮流が語られた。
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。沓闇代の世界では、経済成長が中心に語られ、環境や社会は単なる与件に過ぎなかった。
△靴し90年代から、グローバリゼーションが進む中で、人々は経済と環境・社会とのバランスの必要性に気づき、NPOやNGOから、事業者に対し社会的に責任ある事業活動を求める声が上がり始めた。
そして、21世紀に入ると、経済は、環境や社会があって初めて成り立つという考え方が強まり、“持続可能な発展”が求められるようになった。

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国際舞台において、経済に対する環境・社会の重要性が強烈にアピールされた事象として、99年のシアトルWTOでのNGOによるデモや、01年から始まった「世界社会フォーラム」(ポルトアレグレ会議)の印象が強い。
ただこれらは、過激な反グローバリゼーションの象徴のようにとらえられる傾向がある。

しかし経済社会のルールを規定する主体として、「政府」と「市場」だけではなく、「市民」セクターが不可欠であることを表舞台で明確に主張する動きが始まったことに疑いの余地はない。

まさにこの方向性が、SRといわれるものである。
「市民」といっても、その担い手はNPO・NGOに限らない。
企業が行えばC(Corporate)SRと表現される。
労働組合であればU(Union)SR、大学もU(University)SRだろうか。
いずれにしても、「市民」の視点に立って、持続可能な社会を追求する動き全般を指すといってよいのではないだろうか。

日本でも最近は、CSRやソーシャルビジネス(社会的事業)がかなり実践されるようになってきた。
が、日本においては、公共の領域がこれまで圧倒的に政府セクターに占められ、国民意識としても行政への強い信頼感と依存心がある中で、まだまだ他のセクターにおける十分なSR活動が行われているとはいえないというのが一般的な評価だろう。

だが逆に言えば、SRは、これから発展の一途が期待される分野と言うこともできよう。


谷本教授によれば、
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市場経済のグローバリゼーションにより、そのネガティブな側面が顕在化し、健康な環境、健全な社会がなければ、ビジネスも成り立たないということが再認識されてきている。

持続可能な発展のためには、
・現在のニーズvs将来のニーズ
・先進国の利益vs途上国の利益・・・
といった時間軸や国家を超えた様々な対立を克服していかなければならない。

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既存組織や利害関係者が自己主張を続け、対立ばかりしていると、公共社会に“スキマ”ができてしまう。
このスキマとは、社会のすべての構成員で埋めていかなければならない公共課題であり、放置しておくと、環境、治安、教育、医療、食と農など、様々な分野の機能不全を引き起こしていく。
このスキマが大きくなると、人間社会は崩壊に向かい、経済もまわらなくなる。

そして、このスキマを埋める機能こそが、市民セクター、すなわちSRなのである。

最近の日本国内でも、社会のスキマはたくさんできているように見える。
企業や行政が、それぞれの負う“狭義の使命”の遂行に全力を挙げたとしても、スキマは一向に埋まらない。

神野直彦東京大学教授の言葉を借りれば、
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人間は経済人、つまりホモ・エコノミクスではない。
人間はホモ・サピエンス、つまり「知恵のある人」であり、知性人あるいは叡智人なのである。

経済とは自然を人間にとっての有用物に変換し、それを人間のあいだに分配することにほかならない。
自然を人間にとって有用物に変換する行為を、労働と呼んでいる。

こうした経済を営むのは、人間が経済人ではなく、知恵のある人だからである。
人間以外の生物とちがって、人間だけが自然に存在するものをそのまま消費して欲求を充足するのではなく、自然を人間にとっての有用物に変換していく。

人間の欲求を充足する有用物を増加させるには、自然を有用物に変換する「創造力」や構想力を高めなければならない。
しかも、有用物を増加させ、生活水準を上昇させるためには、狭義の労働と言う自然を有用物に変換させる能力だけでなく、人間どうしの協力や人間のきずなが決定的な要素となる。

(『人間回復の経済学』岩波新書)
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そもそも経済とは、人間が創造したシステム。
経済がうまく回るための環境をつくるのも、また人間なのである。

shigetoku2 at 16:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NPO | 行政・地方自治

2008年10月23日

中央区企業の社会貢献

CSR(Corporate Social Responsibility。企業の社会的責任)担当者の集まりである「中央ぷらねっと」の定例会に顔を出させてもらった。

東京都中央区に本社を置く企業がメンバーで、金融、商社、デパート、製薬、化粧品、ビールなどの大企業も多い。

これらの企業が、中央区を舞台として、隅田川の緑化活動、子どもたちとの教育交流活動、浜離宮恩賜庭園の手入れなど、地域に根ざした社会貢献活動を行っている。

企業の集まりとしては珍しいのは、普段は競争相手となるはずの同業他社と共同で活動している点だろう。

この集まりは、中央区という地域に特化した活動を目的としているが、企業によっては、全国に支店網・店舗網を持っているわけで、CSR活動が全国的に広がっていく可能性を秘めているように感じる。


これは、行政としても重要な視点だ。

そもそもSRの分野は、民間の領域にとどまるべきものでもなく、民間と行政、市民とが、共通の土俵でプレーヤーとして活動することのできる分野でもある。
行政職員も、CSRならぬG(Government)SRに取り組むべき時代ではないか。

これまでの時代は、行政は“行政本来”の仕事、企業は“企業本来”の仕事をすることしか求められてこなかった。

しかし時代は、各主体に対して、社会の構成員として、より広い視野で活動することを求めている。

環境問題、食と農の問題、治安・防災の問題、健康・福祉の問題、子育て・教育の問
題・・・。
近年、日本人が直面している公共課題はいくらでもあり、その解決は行政、企業それぞれに任せても困難なことが多い。

心の充足、人生の豊かさ、生きる幸せ・・・。
これからの時代は、20世紀とは違う価値観に包まれることだろう。
個々の取り組みが大きく広がっていけば、必ず日本社会はもっともっと豊かになるは
ずだと思う。

shigetoku2 at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域活性化・地域の話題 | NPO

2008年10月19日

兄弟の秩序

子どもの成長というのは本当は著しく、日々の出来事を書こうとすれば、別の子育てブログでも作らないと書ききれないような気がする。

1つだけ、最近よく考えることを挙げるとすれば、兄弟の上下関係だろうか。

どこの男兄弟でも同じだと思うが、わが家も例外ではなく、家の中でも、外に出かけるときにも、とにかくケンカばかりする(ちょっと前までは上の2人だけだったが、最近は3人目も加わり始めた)。
クルマの中なんかで騒ぎ出すと、やかましいし、もう収拾がつかない。

まあ、兄弟の遊びにはケンカが付きものなので、ケンカをするなとまでは言えないが、しかし、兄弟関係の基本原則を決めようと考え、最近、子どもたちとの間で「3つの約束」を定めた。

1.ちょっと嫌なことがあったぐらいで泣いたり大声で騒いだりしない。

2.弟に優しくする。

3.お兄ちゃんの言うことを聞く。


経緯を言うと、当初は「2つの約束」だったのだが、後で3つ目を加えた。

これは、兄は、無条件に弟に横暴を振るって良いということではなく、強い兄として弟に優しくすることを前提として、初めて弟に従ってもらえることにした方が良いのかな、と考えたためである。
鎌倉時代の“御恩と奉公”みたいな感じだろうか(??)。

実際、子育ての諸先輩方の話を聞くと、やっぱり「お兄ちゃんを立てること」に心を砕く親は多いようである。
これは兄弟・家族における基本的な秩序であって、大きくなってからも続く。
やっぱり長幼の序は、大切にしなければならない原則なのである。

もっとも、これは私自身が長男だからしっくりくるだけであって、次男として育った方から見たら、「そんな封建的な!」という意見もあるかもしれない。

とにかく子育ては試行錯誤である。
色んな方の意見を聞いてみたい。

shigetoku2 at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て 

2008年10月16日

地域に飛び出せ!公務員

『地域に飛び出す公務員ネットワーク』という、全国の公務員を結ぶ、ちょっと変わったネットワークをつくることになった。

国・地方の公務員を問わず、所属・役職を問わず、とにかく地域社会に元気をするために、“一住民として”地域活動を実践する公務員を結びつけ、?日常的にメーリングリストで情報交換し、?地域イベントがあるときはお互いに駆けつけ、?時々オフ会(飲み会)をやる、ということを続けることによって、豊かな社会をつくっていこう!というものである。
(口コミのネットワークなので、ご関心ある方は私までお問い合わせください。)

このネットワークのメンバーを公務員に限っているのには訳がある。

いま、地方行政の最大の課題の一つは行革・財政再建である。
あらゆる行政サービスのあり方を見直し、効率性を高め、効果の低いものは廃止・縮小する。
そうした議論の中で、NPOや自治会などの地域が実施主体となることを念頭に、“住民ができることは住民自身が行うべき”という理由で、行政が直接サービス提供することをやめてしまうことも多い。

だが、その際に期待されている“NPOや自治会など”って、一体誰が担うのだろう?
行政がほっとけば、“善良なる住民”が勝手にどんどんやってくれるものなのだろうか?

役所のイスに座ったまま、誰かに期待していても始まらない。
公務員だって住民なんだから、一住民として地域づくりに参画したり、NPOを立ち上げたり、率先して地域のために汗を流すべきではないか。

NPO活動の実情や悩みも知らずに「これからは何でもかんでも行政がやる時代じゃない。住民に任せるべきだ」と言っている公務員の方々。
そういう方々にこそ、少しでもいいからぜひNPO活動に携わってもらいたい。
時間がなければ、どこか気に入ったNPOに寄付するだけでもいい。
とにかく関心を持ってもらいたい。


NPO法人(特定非営利活動法人)の社会的認知度だって、まだまだ低い。
NPO法人を指定管理者にしたら、「企業でもあるまいし、なぜ行政からカネを出してまでNPOを儲けさせなきゃならんのだ?」という誤解にもとづく批判の声が上がると聞くこともある。

こんなことを言うと、民間の方々に怒られるかもしれないが、この点、私は、公務員という職業・身分が社会的認知度が高いという特性を生かし、公務員がNPOのメンバーになるなどの関わりを強めることを通じて、一般人から見たNPOへの信頼性を高めることが必要ではないかと考えている。

バッシングがあっても、日本の公務員に対する信頼性はまだまだ高い。
わが国の公共分野に、民間組織であるNPOが参入する上で、公務員という人材を活用することは、少なくとも過渡的な橋渡しとして、重要な手法ではないかと思う。

また、ある意味で、NPOの認知度は、行政活動との相対関係にあると思う。
行政が引っ込む分だけ、NPOの活躍の場が広がる。
実力をつけたNPOは、それまで行政が行えなかったような気の利いたサービスを提供する。
そしてNPOが行政よりも優れているのは、住民の共感や協力を得ながら活動する点である。
こうして、何でも行政にお任せだった時代に比べ、地域全体の公共精神の高まりとあわせ、地域社会の豊かさはさらに増すのである。


もっとも、霞ヶ関や県庁とは異なり、もともと市町村の公務員は(否応なしに?)住民と一体となって色んなイベントなどの地域活動をしてきたはずである。
小規模な自治体では、現在もそういう面が強いと思う。
しかし、市町村合併で「役場が遠くなった」「旧町村部が寂れた」という声が聞かれる中、行革に取り組む市町村においては、公務員が以前よりも地域活動に積極的に向き合う必要性が増しているのではないかと思う。


ちなみに今回のネットワークづくりの底流には、今年7月に着任した総務省の椎川忍地域力創造審議官の持論である「公務員参加型地域おこし」がある。

誠に奇遇であるが、私が持論として提唱してきたのは「公務員参加型NPO」。
以前、椎川さんと話をしたときに同意見だったので驚いたことがある。

また、私はこの4月に東京に戻って以降、国家公務員も足元を見つめ直す必要性を感じており、今回のネットワークには国家公務員もぜひ参加してもらいたいと思っている。

とにもかくにも、地域社会を元気にしていくための“公務員の大運動”を展開していきたい。

shigetoku2 at 06:05|PermalinkComments(7)TrackBack(0) 行政・地方自治 | NPO

2008年10月06日

ICT革命の今後

世界ICTサミット2008(主催:日経新聞・総務省)で、国内外の情報通信やネットビジネスに携わる方々のプレゼンテーションや討論を聞いた。

議論を貫いたテーマは、“ポストWeb2.0”。

ちょっと不可思議で理解が難しい言葉だ。

“ポスト”以前に、“Web2.0”という言葉は(明確な定義はないそうだが)、コンテンツ事業者だけでなく、一般のネットユーザーがコンテンツの発信に参画することによって、ネット世界の質が革新的に変化し、規模も加速度的に拡大していく、といった状況をさすようである。

つまり、従来は、情報の出し手と受け手が固定化されていたが(テレビ番組や新聞記事の提供側と、一般視聴者・読者の関係のように)、ネット世界では、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)ウィキペディア、ブログ、YouTubeに見られるように、ユーザー側が、情報の出し手としての地位をも確立してきており、多数のユーザーが発信した情報により形成されたコンテンツに対して、さらに多くのユーザーがアクセスする、といった重層的な情報流通のありさまは、これからの経済社会を読み解く上で重要な要素となってきているのである。

今後はパソコンだけでなく、携帯電話(モバイル)やゲーム機といったハードウェアもさらに進化していくし、テレビも日本ではアナログ波から地上デジタルへの完全移行まであと3年を切った。

“ポストWeb2.0”においては、こうした目まぐるしい環境の変化に伴って、次なる革新的なビジネスモデルの模索が続くこととなろう(・・・という程度にしか理解できていないですが、詳しい方、ぜひご指導ください。)


さて、今回の世界サミットで特に印象に残ったのは、まず、日々パソコンを使う上での基本的な“常識”も、数年単位で次々と覆される、そのスピード感である。

たとえば現在、多くの人たちは一般に、パソコンのブラウザを立ち上げると、まずyahooやgoogleといった検索画面から操作を始めることが多い。
そして、それとは別にメールソフトを立ち上げ、メールの送受信を始める。

だが米国の(日本でもそうなりつつあるのだろうか)10代・20代の若者の多くはyahooやメールでなく、SNSから入るそうだ。
SNSは、知人・友人ら登録メンバー間で情報をやりとりできる“コミュニティ”であって、誰かとつながっていることで安心感を得られる空間である。
したがって、SNSのサイトから、メールや検索、ニュースなどに入っていけるのが一番“気持ちいい”。
こういうのがウケるわけだ。


また、強烈だったのは、やはり世界のICTを牽引してきた米国企業の方々の話だった。

まずYouTube共同創業者のスティーブ・チェン氏の奔放なビジネスモデルの創造の話は刺激的であった。

YouTubeは、動画のアップロード・ダウンロードを簡便にしたことで爆発的なアクセスを得るようになったサイトだ。
これまで動画に字幕や吹き出しを付ける機能を付加したり、映像を高画質化するなど、次々と新しいサービスを創造してきた。
広告主に対しては、広告サイトの閲覧数を時間帯別、国・地域別に分析できる機能もある。
ユーザーが、動画をどこまで見て止めたか、といったことも分かるそうだ。
これらの機能を駆使することで、広告ビジネスが成り立ってくる。


課題は“著作権”である。

ユーザーによるコンテンツの形成は、Web2.0の基本である。
が、たくさんの匿名ユーザーによって作り上げられたコンテンツの著作権はいったい誰のものなのか?
また、どのユーザーでも容易に複製できる映像や写真などの著作権はどこまで保護されるべきものなのか?
ネット上のビジネスモデルがものすごいスピードで革新されていくこの世界で、法により個別具体的に網をかけていくのは、現実性・実効性に乏しそうだ。

そこで米国の著作権法では“フェア・ユース”という規定があるそうである。
著作権者に無断で著作物を利用していても、批評・解説・報道・研究などを目的とする、著作物のフェアユース(公正な利用)であれば、著作権の侵害とならないのである。
日本でも、政府の知財戦略本部でこの考え方が議論され、著作権法改正を検討するようだ。

リスクなきところに革新はない。
企業がグレーゾーンの手前でたたずみ躊躇している間に、国際競争に敗れていくようなことのないよう、政府は企業が安心してチャレンジしていける環境をつくらなければならない。


また、ジュースト社CEOのマイク・ボルピ氏は、地デジをにらんだ放送と通信の融合のビジョンを描き出してくれた。

いわく、テレビとネット上のコミュニティとの融合。

現在わたしたちは、テレビを家族や友人と一緒に見ることもあるだろう。
また、前の晩に見た番組の話を学校や職場の人たちと話題にすることもあるだろう。
そして、その話を聞いて、再放送があれば見てみたかったりすることもあるだろう。

こうしたやりとりは、テレビがインターネットと一体化すれば、すべてテレビ上でできるようになるのである。
こうした縦横無尽な展開の中で、新しいビジネス機会が生まれてくるはずだ。

NHKは、今年12月から地デジを活用して「NHKオンデマンド」サービスを開始する。
見逃した番組を1週間以内なら見られるサービスや、過去の人気番組を配信するサービスが登場するのである。
まさにデジタル化の賜物だ。

個人的にはぜんぜん理解が進んでいないが、ICT、デジタルの分野は、もっとも進化のスピードが早く、革新的な発想が求められる。

わが国は、世界一のブロードバンド網を持つ国なのだ。
今回は米国のイノベーティブな話が目立ったが、いずれ世界を凌駕するような日本のビジネスモデルが誕生することを期待したい。

shigetoku2 at 00:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 経済社会・文化・科学 

2008年10月01日

寄付獲得に王道はない

国際交流基金日米センターのNPOフェローとして、9ヶ月間アメリカのインディアナ州でファンドレイジングを学んでこられた鈴木歩さんの帰国報告会に参加した。

最近私がやたらとファンドレイジングに関する勉強をしているのは、日本のパブリック分野における資金の行き先が行政に偏っている現状に対し、これをもっと民間の非営利セクターに行き渡らせる必要があると考えているからである。

NPOへの寄付については、よく言われるように寄付税制など制度面の課題があるのはもちろんだが、ただ、これまでファンドレックスの鵜尾さんの話やマイクロソフト社のローリー・フォアマンさんの話を聞いてみると、前提としてNPO側のスキルアップが必要ではないかと思う。
つまり、NPO自身がファンドレイジング能力を高める努力をしない限り、たとえ制度が充実したとしても期待するほどの実績を挙げることができないように感じるのである。

「米国には寄付文化があり、寄付税制も充実しているから寄付が多いが、日本にはそれがないから難しい。」などという単純な問題ではない。

鈴木さんによれば、米国で企業の担当者に寄付の依頼をした際に、断られる理由は、日本企業のそれと何ら変わりはないそうだ。

・本部が決定しているので、担当限りで判断できない。
・経営状況が良くないので、寄付する余裕がない。
・他に寄付しているので、もう寄付できない。
・寄付なんて依頼されたことがない。お宅はどちら?

・・・確かにそうだ。

では日米で何が異なるか?

日本のNPOは、なかなか寄付が得られないとき、
・いいことをしているのだから、当然支援があるべきなのに。
・非営利団体なのだから、お金を稼ぐことなく、禁欲的であるべきだ。
・どこかがドンとお金を出してくれればいいのに。
なんて言いながら、あきらめてしまう。

しかし米国のNPOではこういう嘆き節はまったく聞かれない。
何より米国のファンドレイジングは、以下のとおり、きわめて戦略的である。

・ファンドレイズは、チームワークである。(ファンドレイズに取り組む職場は常に楽しい雰囲気づくりに努め、同僚との結束を強めている。)
・データベース、命!(資金提供者に関する情報はすべてデータベース化し、分析を怠らない。)
・ファンドレイジング・サイクルをまわしている。(依頼→寄付→感謝→事業→依頼・・・。感謝は7回、あらゆる手を尽くして行う。)
・ファンドレイザー同士の情報交換が盛ん。
・楽観的。つまりは、楽しくやっているということだ。

とはいえ、鈴木さんの経験によると、ファンドレイジングは細かいテクニックを駆使した、とっても地道な活動だ。

・企業のトップにコンタクトするだけでなく、従業員を巻き込むため、楽しいイベント(ハロウィーンの仮装大会など)を開催。
・知らない人から頼まれて寄付に応じる人は少ない(この点、日米に変わりない)ため、知り合いを通じた人脈づくり。
・一方、3ヶ月で250社といったペースで、電話したり出向いたりといった体当たりも。
・寄付依頼文書には、企業の寄付実績ランキングや、企業イメージの向上など本業におけるメリットを記載。
・寄付金額の目安として、従業員1人1週当たり1ドル(=年間52ドル)など、負担を軽く見せる工夫。
・感謝状や表彰などを行う。
・寄付者(予備軍含む)のデータベース化とアップデイト(最近株で儲けた人、別荘を所有している人、子どもが就職した人(教育出費から解放)をウォッチ。)

ここまで努力して資金提供者の共感や理解を得て、ようやく収入源を得ているのがNPOである。
楽にカネを得る王道はないようだ。

果たして日本のNPOで戦略的に寄付を得るための取り組みをしている団体がどのぐらいあるだろうか?

私自身が設立にかかわったNPO(青森ITSクラブ・ひろしま創発塾)のメンバーとも、一度ファンドレイジングについて議論してみようと思う。

shigetoku2 at 23:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NPO