2008年11月

2008年11月25日

銀座ミツバチプロジェクト

休日に子守りをしていたが、家の中で大暴れが始まるので、外出しようと決心し、「ファーム・エイド銀座2008」というイベントを見に行った。

銀座のビルの屋上でミツバチを飼っているNPO法人銀座ミツバチプロジェクトの主催である。

シンポジウム、映画上映、全国の特産品販売などが行われていたが、子ども3人連れにとって楽しかったのは、「ミツバチ見学会」。
ビルの屋上に上がり、巣箱の様子を観察した。
冬場のミツバチはおとなしく、じっくり見ることができ、体の大きな女王バチも確認できた。

半径2km以内に皇居、日比谷公園、浜離宮があり、都内でもちゃんと蜜を集めることができるそうだ。

見学会後、参加者にはハチミツ瓶が配られた。
夏ハギ・リンデンの花から運ばれたという、淡い色の美しいハチミツだった。

ここで採れたハチミツは、銀座のお店のカステラやカクテルに使われているそうだ。
銀座版地域連携である。
また、茨城県大子町、青森県西目屋村、山形県大蔵村など全国の町村からの屋台が会場を囲み、イベントを活気付かせていた。
強い発信力、ネットワーキング力を持つこうした活動は、他のNPO活動の参考になろう。

ところで、ミツバチ見学会について某TV局のインタビューを受けたので、テレビを見てたら夕方のニュースに映っていた。
しかし「東京の真ん中でこういうものが見られるのはいいですね」なんていう平凡なコメントだったので、もう少し気の利いたことが言えなかったのか!?と、ひとりで後悔していた。
「自分の職場でも屋上菜園をやったら、ここのハチが蜜を取りに来てくれますかねー」とか「働きバチを見てたら、毎日あくせく働く自分たちサラリーマンを見てるようでした」とか・・・。(あんまり気が利いてないか)
あまり奇をてらうと採用されないだろうけれども・・・。

でも、間髪入れずに大学のラグビー部の友人から「テレビ観たぞ」と電話がかかってきた。
色々な効用の生まれるイベントであった。

shigetoku2 at 07:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域活性化・地域の話題 | NPO

2008年11月18日

地方分権と霞ヶ関改革

地方分権改革推進委員会の委員をされている神奈川県開成町の露木順一町長と意見交換する機会があった。

ご縁あって、霞ヶ関構造改革プロジェクトKのメンバーと一緒に町を訪問した。

露木町長からは現場や町役場という目線から、多岐にわたるお話があり、本当に面白かったが、その中でも「分権委のヒアリングに出てくる各省庁の幹部は、すべての仕事について、国が権限を保持する必要があると主張するが、心の底からそうは思っていないはずだ」という趣旨の話があった。

霞ヶ関の組織の階段を登りつめるほど権限を持ち、自分の考えを政策として実現しやすくなるが、一方で、責任を負うことにもなる。
この責任とは、一義的には組織の仕事の社会へのアウトプットに対する責任であろうけれども、自分の組織や部下を守る責任という立場も併せ有するため、分権議論の観点からすれば、社会へのアウトプットと背反する(中央集権を維持する)場面が多くなるわけである。

この点から見れば、現在30代以下のプロジェクトKのメンバーが、40歳を超えて組織の管理職の立場になっても霞ヶ関改革を唱え続けることができるかどうかがポイントということになる。

しかし、霞ヶ関を取り巻く現状をみるに、いまや組織を守ることができるかどうかどころではなく、霞ヶ関そのものが国民からの信頼を維持し続けることができるかどうかのギリギリのところまで来ているのである。
いくら組織を守ることができても、国民からの信頼を失っては、その組織で仕事をする意味がない。
官庁を志望する優秀な学生が激減するのも目に見えている。

官僚批判は、マスコミが一方的にひどく書き立てているという見立てもあるかもしれないが、それでも官庁の組織のあり方や仕事の仕方を変えないままに、批判がやむことなどありえないと思う。
過剰な批判だと感じることも多いけれども、官庁側に問題があるのも間違いない。

さて以前、このブログにプロジェクトKの本を読んだ感想を書いたことがある。
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ただ個人的には、3つの国家像を実現するため、「抜本的な地方分権」とか「道州制」という選択肢も有効な手段として挙げるべきだと思う。
そもそも霞ヶ関という、国民から最も遠い存在(自治体と比べ)が所管すべき政策分野を限定するという発想がなければ、現場性のない職場での不毛な議論がいつまでも続くであろう。
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この点、最近のプロジェクトKは、国と地方の関係について問題意識を持ち、自治体関係者と議論を重ねてきているところなので、今後、地方分権を視野に入れた新たな国家ビジョンについて、ともに議論できることを期待している。

shigetoku2 at 06:43|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 行政・地方自治 

2008年11月12日

日本人の主体性

11月11日の日経新聞・経済教室に、北岡伸一東大教授「大転換期、共同で乗り切れ」が掲載されていた。

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オバマ次期米大統領の下、米国はどこに向かうのか。

現在の米国は、おそらく1945年以来の転換の中にある。

傷ついたのは、モラルリーダーシップである。
米国を偉大ならしめてきたのは自由と民主主義の擁護者としてのモラルリーダーシップ(道義的指導力)であって、それなしには、米国はただの大国にすぎない。

極端な保護主義に走ることになれば、国際協調にとっては打撃であり、米国のリーダーシップを損なう。

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ロシア、中東、北朝鮮など各国との外交政策について議論した後、日本について次のように述べられている。

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オバマ政権になれば、対日政策はどうなるか・・・我々はこういう議論を散々聞かされてきた。
だがこういう考え方は、問題の本質を突いていない。

世界をどうすべきか、米国自身が悩んでいるのである。
米国とともに、世界をどうするか、一緒に考えるという姿勢が必要だ。

オバマ政権になれば親中国になるという懸念をいう人がいる。
それも順序が違う。
米国がモラルリーダーシップを維持しようとすれば、価値を共有するパートナーと組むのがよいことは明らかである。
日本は当然のパートナーである。
しかし日本が当てにならないのならば、次善の手段として、価値は共有していなくても当てになるパートナーを探すことになる。
オバマ政権が親中になるか親日になるかは、かなりの程度、日本自身の選択なのである。

日本の問題は、必ずしもねじれ国会のせいではない。

たとえばインド洋における給油は、なぜ1年の時限立法なのか。
連立与党への配慮のためではないか。
もっと政府開発援助(ODA)を増やせないのは財務省の反対のせいではないか。
平和維持活動にもっと参加できないのは、自衛隊や警察や内閣法制局のせいではないのか。
45年以来の大転換に遭遇しているのに、政府一丸となった必死の努力が見られないのである。

日本は、自らの潜在的能力を自分で拘束し、進んで二流の国家になろうとしている。
自己卑小化とでもいうべきだろうか。
これでは頼りになるパートナーにはなりえない。

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たまたま外交政策論を取り上げたが、これに共通する問題は、外交に限らずわが国の様々な分野において気になることである。

官僚批判、政治主導の流れの中で、官僚がタテ割りのタコツボの中にこもってしまい、「物事を決めるのは政治だから」と消極的になり、自分の職責をとがめられることのないように(もちろん表から見れば「与えられた職責をしっかりと果たすべく」と見ることもできるわけだが)という姿勢で仕事をしているように見える。

官僚個人の所属は「○省○局○課職員」であるが、それ以前に“国家”公務員であることを忘れてはならないと思う。
政治家とともに、日本国を背負っているのが官僚なのであり、国民からそう期待されていることも忘れてはならない。
そもそも、こういう気概を忘れたら、国家公務員になった意味がない。


関連する話として、最近、日本の政治や行政やメディアの姿勢、さらに国民の基本姿勢が、色々なことに対して客観的あるいは受身的に見えることが多い。

「世の中こういうものなんだ」ということを唯々諾々と受け入れた上で、指導的立場にある人の無能力さを批判したり、自分たちの無力感を嘆いたりする。

確かに指導者がしっかりすべきことは言うまでもないが、しかし、他人のことをどうこう言う前に、自分ができること、社会のためになすべきことを、日本人一人々々が考え、もう一歩前に出ようと行動すべきではないか。

オバマ氏の「Yes,we can」とは、私が大統領になったらこうします、というだけでなく、アメリカ国民の主体的行動をも求める訴えではないのか。
「施しを待つのではなく、国民自身が、米国のために何ができるか」と訴えたケネディ大統領に通じるものがあるのではないか。

環境問題にしろ、教育問題にしろ、治安問題にしろ「あなたならどうしますか?」と問われたら「いや、それはどこかの偉い人が考えることで・・・」なんて言わずに、「行政は行政、企業は企業、学校は学校で、それぞれ組織として責任ある仕事をしてもらいたいが、自分個人としても、地域としても、こういう取り組みをしていくんだ」という国民一人々々の決意にもとづき、全国津々浦々に主体性あるダイナミズムが生まれることを日本社会に期待したい。

shigetoku2 at 06:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 国際問題 | 日本論・人生論

2008年11月10日

健康マラソンに参加して

世田谷健康マラソン」(10km)に参加した。

マラソンと名の付くものに参加するのは、学生時代にホノルルマラソンを走って以来。
ちゃんと走るのはものすごく久しぶりだから、3ヶ月前に参加費1000円払って申し込んだときには、よっぽど練習しないといけない・・・と思っていたのだが。

申し込み直後は、やる気満々で、何度か近所の公園で走ったのだが、その後あまり練習もせず・・・。
気がついたら本番の2週間前になり、あわてて毎朝走ることにしたが、3日続けて走ったらひざの調子が悪くなってしまったりして(いや〜冴えない)。

特に、前日に酒を飲んでたりすると、翌朝の練習では、アルコールが再び体内を回り始め、高地トレーニングに匹敵するぐらい(?)体をいじめる練習となった。

結局、準備不足のまま本番を迎えることになってしまったが、結果は予想以上で、360人といわれる参加者の中で、36位の45分06秒。

もともと学生時代まで得意だった長距離走が、少しは体に残っていたか。
それとも“高地トレーニング”の成果だろうか。(んな訳ないか)


ところで今回、1つ試してみたことがある。

スタートの際、最後尾から走ってみたのである。

それは、次の素朴な疑問を解決するためであった。
〆埜緘からスタートラインまで、どのぐらいかかるのだろう?
∈埜緘からスタートする人のタイムって、いつ、どこからカウントするのだろう?

【答え】
。隠吃団度だった。まあ360人ならそんなものか。
東京マラソンのように2万人以上走るレースになると、20分以上かかるらしい。
スタートする前に気分が悪くなりそうだ。

∧垢い討澆燭箸海蹇∈2鵑侶鮃マラソンでは、ゼッケンにICタグが付いていて、スタートラインを通過してからゴールラインを通過するまでのタイム(“ネットタイム”)であった。
しかし、本当のマラソンでは、一斉スタートの時点から計測する“グロスタイム”が公式記録だそうだ。


それにしても、やっぱり練習と本番では、ぜんぜん違う。

一人で練習しているときには、ちょっときつくなってくると「別にここでやめたって構わないんだぜ・・・」という悪魔のささやきとの戦いになる。
それもほんの1〜2km走った辺りからささやきが始まるのだ。
学生時代には、そんなささやきに負けた記憶はないのだが、30代後半ともなると、やたらと自分に甘くなる。
くじけそうで、くじけそうで、本当につらくなる。

それに比べ、大勢の人たちと一緒に走る本番は、やっぱり違う。
まず、スタート前には、10数年ぶりだろうか、アドレナリンが体内から発せられる感覚を味わった。
そして、やはり競争は大事だ。
途中、何人かのランナーと抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げた。
体が悲鳴を上げそうになっても、前後に走っている人がいると、くじけずに走れる。
まして、前方のランナーを捕らえられそうだと思うと、俄然力が湧いてくる。

そんな風にして走りながら、「やっぱり競争のない中央省庁による政策立案より、自治体間で政策を競い合う方が、頑張って良い政策が作れるはずだ」などと妙なところで“地方分権の必要性”を確信したりした。(職業病である。)

少しおかしなマラソンではあったが、やっぱり体を動かすことは良いことだ。
来年もまた参加したいと思う。

shigetoku2 at 23:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ちょっとした気づき 

2008年11月06日

安藤忠雄のメッセージ

建築家・安藤忠雄さんの講演会(世田谷区主催)を聴いた。

独特の関西弁のダミ声で「世田谷・東京〜美しいまちづくりへ」と題して、自らが手がけた建築をスライドで紹介しながら、1時間ほど話をされた。

印象に残ったのは、次のような話だ。
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好奇心は、若さや元気のもとである。
「歳を重ねただけでは、人は老いない。理想を失うとき人は初めて老いる」。(詩人サムエル・ウルマン『青春』より)

東京湾のゴミと残土の埋立地に植樹をする『海の森プロジェクト』。
宇宙飛行士の毛利衛さん、ノーベル平和賞のワンガリ・マータイさん、U2のボノさんの賛同も得て、1口1000円を50万人分集めて5億円の募金を目指している。
毛利さんは、「100haの森は宇宙から見える」と言う。
東京から発信し、世界の人の手でつくるプロジェクトである。

東急渋谷駅の設計では、地下構造の中に吹き抜けをつくり、下の階を見降ろせる“地宙船”構造にした。
地下空間の中にいても、人間が安心感を得られるデザインである。

2016年の誘致を目指す東京オリンピックの建築設計は、世界中の建築技術の粋を集める“世界コンペ”とする。
これによって、自由に行き来できる東京、世界に開かれた都市を目指す。

電柱の地中化、学校グラウンドの芝生化も進めている。
ぜひ人々の心に残るまちをつくっていきたい。

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何と言っても、次々と放たれる壮大な発想、そして、ひたむきな前向きさに胸を打たれる。
また、それを明るく言い放つ人間力。

失敗を恐れず、失敗しても良いからどんどん新しいことを考えていこうじゃないかという主張は、建築家・安藤忠雄の生きざまそのもののように感じた。
著書にも「連戦連敗」なんていうのもあるぐらいだ。

今の日本に、安藤さんと同じような生き方のできる人はそうたくさんはいないだろう。
しかし講演の中で、「若い人には家族や社会を背負って立とうという気概をぜひ持ってもらいたい」と繰り返し述べておられたように、日本の将来のためにも、強い責任感を持ち、旺盛なチャレンジ精神を失ってはならない、という私たちへのメッセージを感じた。

大胆な構想を描き、それを実現するための日々の努力を継続するという姿勢は、先行き不透明な時代において求められるリーダーシップの姿だと思う。

ぜひ多くの同世代・若い世代の仲間とともに、こうしたマインドを共有し、希望あふれる明るい時代をつくっていきたい。

shigetoku2 at 00:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 経済社会・文化・科学 

2008年11月03日

エコジャパンカップ2008

エコジャパンカップ2008」というイベントがある。

環境に貢献する事業者や地域づくり団体を表彰するイベントだ。

主催者は、有限責任中間法人環境ビジネスウィメンを中心に構成されている。
実は今年から総務省が、主催者に加わった(昨年までは官庁は環境省のみ)。

エコジャパンカップには、いくつかの部門があり、総務省としては“市民が創る環境のまち『元気大賞2008』”の審査員の一員として参画することになる。

先日、それに先立って、中小ベンチャー部門の審査の風景を覗きに行く機会があった。
各ベンチャーの創業者たちが順に15分程度のプレゼンを行い、審査員の方々の鋭い指摘に答えていく・・・といったやりとりが続く。
ここで審査内容や結果にかかわるようなことは書けないが、率直に感じたのが、「ベンチャーやる人たちってすごい!」ということだ。

大企業をやめてベンチャーを始めた人もいれば、親の会社で新しい事業を立ち上げ大きく育てた人もいる。
苦労も多ければ、達成感も相当なもののはず。

特に、長年働いた大企業をやめた方の話で印象に残ったのは、
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サラリーマン時代には、名刺を渡すだけで分かってもらえたのに、ベンチャー事業者となると誰も信用してくれない。
「自分ってこんなに信用ない人間だったのか。」
毎日毎日、数十件をへとへとになるまで営業してまわった。
信用ある会社と取引してもらうことによって、信用を得ていくしかなかった。

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思えば、青森ITSクラブの葛西事務局長は、自身がベンチャー事業者ということもあり、NPOの名前を売ることを常に意識していたことを思い出す。

考えてみれば、公務員なんて、名刺を出せばどこでも通用してしまう。
私も普段あまり意識しないが、こういう信用力というのは、いくらカネを出しても買えない代物だ。
こういうせっかくの無形財産を意識的に大切にすれば、行政はもっと良い仕事ができるのではないか。

審査会では、ほかにも「よくこんなこと思いつくなー」と感心させられるアイディアが飛び出し続けた。

各部門の審査結果は12月11日から東京ビッグサイトで行われる「エコプロダクツ2008」(国内最大級の環境に関する展示会)というイベントで発表・表彰されることになっているので、多くの皆様にぜひご覧いただきたいと思う。

shigetoku2 at 23:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域活性化・地域の話題