2008年12月
2008年12月24日
メイク・ア・ウィッシュ
妻が「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」の大野寿子さんの講演を聞いて、とても感銘を受けたというので、少し調べてみた。
HPによると、メイク・ア・ウィッシュとは、1980年にアメリカで発足した団体である。
「願いごとをする」意味のボランティア団体で、3歳から18歳未満の難病とたたかっている子どもたちの夢をかなえ、生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立されたという。
設立のきっかけは、アリゾナに住む7歳の白血病の男の子の「警察官になる」という夢を、地元警察が名誉警察官として実現してあげたことだそうだ。
アメリカ国内のほか、27か国に支部を置いて活動しており、大野寿子さんは、日本支部の事務局長である。
日本では、今年8月現在までに、1200人以上の子どもの夢をかなえてきたという。
あるサイトに大野さんの話が掲載されていたので、少し引用すると・・・。
=========================
夢がかなうと誇らしげに堂々としてくるんです。
それはかなえてもらったからじゃなくて、かなえたからなんですね、自分で。
その気持ちがその子を変えていくんだと思います。
それまでは、いつもしてもらう一方であったり、あるいは家族に迷惑をかけているとか、そういう切ない思いを抱えている。
それが夢をかなえた瞬間から、病気のままでも自分でできたという思いが生まれ、自分がやったことで両親や周りの人もこんなに喜んでいるという、自分が喜びの発信地だということが、自信になるんじゃないかと思うんです。
=========================
「夢を自分でかなえる」って、難病の子どもたちに限らず、すべての子どもたち、いや、大人にとっても一番大切なことだと思う。
大きな夢でも小さな夢でもいい。
まず夢を持つこと、それに向かって突き進んでいくこと、そして少しでも実現していくこと。
これが人間の人生を豊かにするのは間違いない。
一方で、「最近の子どもには夢がない」「今の日本社会は閉塞感があり夢が持てない」といった論調がしばしば見られる。
これは、社会全体の問題である前に、一人一人の大人の姿勢の問題だと思う。
子どもに対し、目標になるような大人像を見せていくことが大人の役割である。
仕事に疲れたり、落ち込んだときでも、「こんな顔を子どもに見せたくない」と思うだけで、背筋が伸びるものだ。
いつも顔を上げ、ニコニコしている大人が多ければ、「あんな大人になりたい」「早く大人になって社会で活躍したい」と思う子どもも増えるはず。
卑近な例だが、たとえば電車で子どもを見かけたときに、二コッとしてあげられる余裕ぐらいは持ちたいものだ。
小さな子どもが騒ぐのに対しムッとした表情をする大人は多いと思うが、これは世の子連れのお母さん方にも相当プレッシャーをかけているに違いない。
周囲を気にして「すみません」と謝りながら、子どもに必要以上に厳しく叱りつけたり、途中下車を強いられる結果となる。
子どもも最低限のルール(座席に土足で上がらないとか)は守らなければならないが、ある程度騒いだり動いたりするのは許容範囲として笑って許せる大人たるべきだと思う。
次に、日本人のボランティア論を語っている。
=========================
例えば外国人が手伝いにきてくれる場合、「もしもし、今新宿にいて1時間ぐらい時間があるんだけど、なんかできることない」ってフットワークがいい。
それと比べて日本人は、「中途半端になったらかえってご迷惑だから」「月曜日から金曜日までいかなきゃいけませんでしょうか」「10時から5時まででしょうか」。
そういう声をたくさん聞いた時に、その生真面目さが結局、1歩も進めないものにするんだと思ったんですね。
・・・
でも、口先だけでも、1日だけでも、やらないより、やってくれる方が助かるんです。
=========================
ボランティア活動の責任論にはいろいろ議論がある。
ボランティアは、義務的な仕事とは異なり、「できる人が、できるときに、できる範囲で」行うのが基本であろう。
でも、だからといってボランティアは通常の仕事よりも責任が軽いということではない。
上記の例でいえば、「今から1時間ぐらい手伝う」と言った以上は、その時間の約束を守り、誠実に労働力を提供しなければ、信頼を失うこととなる。
信頼を失うことは、全人格的な問題であり、金銭的な対価を失う以上にシビアな面がある。
いずれにしても、この辺りの認識は当事者間のコンセンサス、社会のコンセンサスによって左右される要素が大きいので、具体的に個々の団体やボランティアといった当事者間で考え方を明確化し、共有する努力を続けていくべきであろう。
=========================
特にやりたいと思っているのは、学校で子どもたちにメイク・ア・ウィッシュの話をすることなんです。
あなたたちにも他人事じゃないのよ、と。
例えば10万人に1人病気になる子どもがいるということは、残りの9万9999人はその子のおかげで10万分の1の確率から逃れられたわけです。
その子のおかげであなたは10万人に1人にならなかった。
でも、その子が自分の力だけじゃできないんだとしたら、残りの9万9999人はその子の手伝いをしても当たり前じゃないのと。
・・・・
私は確信を持つんですけど、私たちの中には「自分さえよければ」と思う気持ちがあるけれど、それに負けないぐらい「誰かの役に立ちたい」という気持ちが強い。
それがDNAに組み込まれているって確信する。
========================
前段の例え話が適当なのかどうかはよく分からないが、しかし私たちの中に「誰かの役に立ちたい」DNAが組み込まれているのは、間違いないと思う。
だからこそ、人々の「思い」に支えられた公共・非営利の活動が成り立つのだ。
日本のような成熟国家においては、これまで以上に多くの人たちのDNAが本領発揮することがいよいよ期待される。
このDNAをいかに引き出し、具体的な活動に転化させ、社会の質的向上につなげていけるかが、勝負どころである。
ボランティアも、行政も、NPOも、企業CSRも、それぞれの舞台で「誰かの役に立ちたい」という思いを源に、ダイナミックに活動を展開していくことを期待したい。
HPによると、メイク・ア・ウィッシュとは、1980年にアメリカで発足した団体である。
「願いごとをする」意味のボランティア団体で、3歳から18歳未満の難病とたたかっている子どもたちの夢をかなえ、生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立されたという。
設立のきっかけは、アリゾナに住む7歳の白血病の男の子の「警察官になる」という夢を、地元警察が名誉警察官として実現してあげたことだそうだ。
アメリカ国内のほか、27か国に支部を置いて活動しており、大野寿子さんは、日本支部の事務局長である。
日本では、今年8月現在までに、1200人以上の子どもの夢をかなえてきたという。
あるサイトに大野さんの話が掲載されていたので、少し引用すると・・・。
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夢がかなうと誇らしげに堂々としてくるんです。
それはかなえてもらったからじゃなくて、かなえたからなんですね、自分で。
その気持ちがその子を変えていくんだと思います。
それまでは、いつもしてもらう一方であったり、あるいは家族に迷惑をかけているとか、そういう切ない思いを抱えている。
それが夢をかなえた瞬間から、病気のままでも自分でできたという思いが生まれ、自分がやったことで両親や周りの人もこんなに喜んでいるという、自分が喜びの発信地だということが、自信になるんじゃないかと思うんです。
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「夢を自分でかなえる」って、難病の子どもたちに限らず、すべての子どもたち、いや、大人にとっても一番大切なことだと思う。
大きな夢でも小さな夢でもいい。
まず夢を持つこと、それに向かって突き進んでいくこと、そして少しでも実現していくこと。
これが人間の人生を豊かにするのは間違いない。
一方で、「最近の子どもには夢がない」「今の日本社会は閉塞感があり夢が持てない」といった論調がしばしば見られる。
これは、社会全体の問題である前に、一人一人の大人の姿勢の問題だと思う。
子どもに対し、目標になるような大人像を見せていくことが大人の役割である。
仕事に疲れたり、落ち込んだときでも、「こんな顔を子どもに見せたくない」と思うだけで、背筋が伸びるものだ。
いつも顔を上げ、ニコニコしている大人が多ければ、「あんな大人になりたい」「早く大人になって社会で活躍したい」と思う子どもも増えるはず。
卑近な例だが、たとえば電車で子どもを見かけたときに、二コッとしてあげられる余裕ぐらいは持ちたいものだ。
小さな子どもが騒ぐのに対しムッとした表情をする大人は多いと思うが、これは世の子連れのお母さん方にも相当プレッシャーをかけているに違いない。
周囲を気にして「すみません」と謝りながら、子どもに必要以上に厳しく叱りつけたり、途中下車を強いられる結果となる。
子どもも最低限のルール(座席に土足で上がらないとか)は守らなければならないが、ある程度騒いだり動いたりするのは許容範囲として笑って許せる大人たるべきだと思う。
次に、日本人のボランティア論を語っている。
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例えば外国人が手伝いにきてくれる場合、「もしもし、今新宿にいて1時間ぐらい時間があるんだけど、なんかできることない」ってフットワークがいい。
それと比べて日本人は、「中途半端になったらかえってご迷惑だから」「月曜日から金曜日までいかなきゃいけませんでしょうか」「10時から5時まででしょうか」。
そういう声をたくさん聞いた時に、その生真面目さが結局、1歩も進めないものにするんだと思ったんですね。
・・・
でも、口先だけでも、1日だけでも、やらないより、やってくれる方が助かるんです。
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ボランティア活動の責任論にはいろいろ議論がある。
ボランティアは、義務的な仕事とは異なり、「できる人が、できるときに、できる範囲で」行うのが基本であろう。
でも、だからといってボランティアは通常の仕事よりも責任が軽いということではない。
上記の例でいえば、「今から1時間ぐらい手伝う」と言った以上は、その時間の約束を守り、誠実に労働力を提供しなければ、信頼を失うこととなる。
信頼を失うことは、全人格的な問題であり、金銭的な対価を失う以上にシビアな面がある。
いずれにしても、この辺りの認識は当事者間のコンセンサス、社会のコンセンサスによって左右される要素が大きいので、具体的に個々の団体やボランティアといった当事者間で考え方を明確化し、共有する努力を続けていくべきであろう。
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特にやりたいと思っているのは、学校で子どもたちにメイク・ア・ウィッシュの話をすることなんです。
あなたたちにも他人事じゃないのよ、と。
例えば10万人に1人病気になる子どもがいるということは、残りの9万9999人はその子のおかげで10万分の1の確率から逃れられたわけです。
その子のおかげであなたは10万人に1人にならなかった。
でも、その子が自分の力だけじゃできないんだとしたら、残りの9万9999人はその子の手伝いをしても当たり前じゃないのと。
・・・・
私は確信を持つんですけど、私たちの中には「自分さえよければ」と思う気持ちがあるけれど、それに負けないぐらい「誰かの役に立ちたい」という気持ちが強い。
それがDNAに組み込まれているって確信する。
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前段の例え話が適当なのかどうかはよく分からないが、しかし私たちの中に「誰かの役に立ちたい」DNAが組み込まれているのは、間違いないと思う。
だからこそ、人々の「思い」に支えられた公共・非営利の活動が成り立つのだ。
日本のような成熟国家においては、これまで以上に多くの人たちのDNAが本領発揮することがいよいよ期待される。
このDNAをいかに引き出し、具体的な活動に転化させ、社会の質的向上につなげていけるかが、勝負どころである。
ボランティアも、行政も、NPOも、企業CSRも、それぞれの舞台で「誰かの役に立ちたい」という思いを源に、ダイナミックに活動を展開していくことを期待したい。
2008年12月16日
おやじの料理教室
池尻小学校88会(おやじの会)で、「おやこ料理教室」を開催した。
学校の家庭科室を借りて、子どもたち30人、親も同数ぐらい集まり、豚汁やおにぎりを作ったのである。
会として初めての試みである。
豚汁に入れたダイコンは、「大蔵大根」と言って、世田谷の地元のダイコンである。
実は、世田谷にも農地はあるし、地場農産品もあるのである!
“地産地消”の料理教室だ。
大蔵ダイコンは、品数の関係上、一般のスーパーには置いておらず、なかなか手に入らないのだが、学校の近所にある東京栄養食糧専門学校の小林陽子先生のご協力により、世田谷の農家の方から調達していただいた。
採れたての大蔵ダイコンは、生で食べても、甘くてとっても美味しかった。
さらに、豚汁にして食べた大蔵ダイコンは、煮崩れせず、味がしみわたり、美味!の一言に尽きた。
大きな葉っぱも、刻んでご飯に混ぜ、おにぎりにした。(ムダがない!)
料理を始める前に、『食べ物の働きを覚えよう!』コーナーで、小林先生から子どもたちに、料理に使う食材を「力のもとになるもの」「肉や血になるもの」「体の調子を整えるもの」に分けるクイズをやっていただいた。
子どもたちは興味津々。
コンニャクやイモは、力のもとなんだなー、とか、学ぶところも多かったのでは?
また、大豆を皿から皿へ箸を使って移すゲームもした。
低学年の子でも、意外と器用に、箸をあつかっていたのが印象的だった。
豆を多く移せた優勝チームには、お菓子の詰め合わせをプレゼント!
ゲーム終了後、小林先生から箸の長さや持ち方について指導してもらった。
1年生も多かったので、ゲームなんてやったら大騒ぎになると予想していたのだが、思いのほか、みんなゲームに集中して静かになったのが面白い現象であった。
子どもたちを静かにさせるには、「静かにしなさい!」なんて何度も叫ぶより、好奇心をくすぐるのが一番のようだ。
そして、待ちに待った食事の時間。
みんなで今日のダイコンの名前を「大蔵ダイコ〜ン!」と唱え、「いただきまーす!」と一斉に食べ始めた。
これまたみんな食べるのに夢中で、静かな時間になる。
そして、普段は野菜を食べたがらない子どもたちも、あっという間に完食!
鍋があっという間に空っぽになってしまった。
これはすごいことだ!!
全体のおわりに、会長の正林さんから「来年もやります。先生方にもぜひ気軽に参加してもらいたいと思います」という挨拶があった。
この点に関しては、私も問題意識を持っている。
これまでの88会の活動には、学校の先生は必ずしも積極的に参加していたわけではないようだ。
確かに、教員の立場に立って考えてみれば、中途半端にかかわって、色々注文を付けられたり、あれこれ背負わされるぐらいなら、最初から関わらない方がいいと思うに違いない。
それに、先生だってサラリーマンである。
仕事は仕事であり、それぞれの家庭も大切にしなければならない。(そんなことは、サラリーマンの我々お父さんが一番よく分かっているはず!)
先生だけは、休日返上してでも学校行事に参加すべき、なんてご都合主義ではいけないと思う。
確かに、先生と親とが一致協力してイベントを企画から実施までやっていくことは、一つの理想形かもしれないが、それにはおのずと限度があるのである。
そういうことではなく、ちょっと面白そうなことやってるみたいだな?ぐらいの軽い気持ちで先生方に様子を覗いてもらうだけでも、子どもたちは大いに喜ぶと思うし、親も嬉しい。
こういう軽い付き合いでいいと思うのだ。
考えてみれば、そんな付き合い方がなかなかできないのは、むしろ、受け入れるこちら側の認識の問題も大きいのではないかと思う。
先生には、本来の学校教育を頑張っていただき、プラスαのイベントには少しでも顔を出してもらえたら十分すぎるぐらいありがたいことであって、それを中途半端だとか、もっと関わるべきだとか、必要以上に負担をかけるようなことを言うべきではないと思う。
“オール・オア・ナッシング”(全部に関わるか、まったく関わらないか)では、ボランタリーな世界は成り立たない。
こうした“適度な距離感”みたいなものも、少しずつ、やりながらお互い身につけていいきたいものである。
さて、今回のイベントに関して、もう一つ感じたのは、教育や子育て、そして食や農のテーマに関しては、地域の多くの人たちが関心を寄せているという点だ。
企画段階から、東京栄養食糧専門学校のみならず、関心を寄せてくださった人・団体は多く、「できることがあれば、なんでも協力しますよ」と言われた。
東北や広島といった地方を経験してきた私としては、東京の“ローカル”というものがどんなものか、よく分からない面があったが、今回感じたのは「都会も田舎も、人間が求めているものは同じ」ということである。
いろんな関係者とのネットワークをつくっていけば、来年以降は、さらに広がりと奥行きのある活動になっていく予感がする。
それにしてもこうしたイベントは、本当に多くの人たちの力あってこそであり、みんなの心が一つになるのが感じられ、感動さえ覚える。
今回、多大なるご貢献をいただいた東京栄養食糧専門学校、いつもお世話になっている児童館、暖かく見守ってくださる校長・副校長先生、お父さんたちの行き届かないところまで気配りしてくださるお母さん方、楽しみながらもここ一番でパワーを発揮する88会の仲間たち、そして笑顔と元気いっぱいの子どもたちに、心から感謝したい。
学校の家庭科室を借りて、子どもたち30人、親も同数ぐらい集まり、豚汁やおにぎりを作ったのである。
会として初めての試みである。
豚汁に入れたダイコンは、「大蔵大根」と言って、世田谷の地元のダイコンである。
実は、世田谷にも農地はあるし、地場農産品もあるのである!
“地産地消”の料理教室だ。
大蔵ダイコンは、品数の関係上、一般のスーパーには置いておらず、なかなか手に入らないのだが、学校の近所にある東京栄養食糧専門学校の小林陽子先生のご協力により、世田谷の農家の方から調達していただいた。
採れたての大蔵ダイコンは、生で食べても、甘くてとっても美味しかった。
さらに、豚汁にして食べた大蔵ダイコンは、煮崩れせず、味がしみわたり、美味!の一言に尽きた。
大きな葉っぱも、刻んでご飯に混ぜ、おにぎりにした。(ムダがない!)
料理を始める前に、『食べ物の働きを覚えよう!』コーナーで、小林先生から子どもたちに、料理に使う食材を「力のもとになるもの」「肉や血になるもの」「体の調子を整えるもの」に分けるクイズをやっていただいた。
子どもたちは興味津々。
コンニャクやイモは、力のもとなんだなー、とか、学ぶところも多かったのでは?
また、大豆を皿から皿へ箸を使って移すゲームもした。
低学年の子でも、意外と器用に、箸をあつかっていたのが印象的だった。
豆を多く移せた優勝チームには、お菓子の詰め合わせをプレゼント!
ゲーム終了後、小林先生から箸の長さや持ち方について指導してもらった。
1年生も多かったので、ゲームなんてやったら大騒ぎになると予想していたのだが、思いのほか、みんなゲームに集中して静かになったのが面白い現象であった。
子どもたちを静かにさせるには、「静かにしなさい!」なんて何度も叫ぶより、好奇心をくすぐるのが一番のようだ。
そして、待ちに待った食事の時間。
みんなで今日のダイコンの名前を「大蔵ダイコ〜ン!」と唱え、「いただきまーす!」と一斉に食べ始めた。
これまたみんな食べるのに夢中で、静かな時間になる。
そして、普段は野菜を食べたがらない子どもたちも、あっという間に完食!
鍋があっという間に空っぽになってしまった。
これはすごいことだ!!
全体のおわりに、会長の正林さんから「来年もやります。先生方にもぜひ気軽に参加してもらいたいと思います」という挨拶があった。
この点に関しては、私も問題意識を持っている。
これまでの88会の活動には、学校の先生は必ずしも積極的に参加していたわけではないようだ。
確かに、教員の立場に立って考えてみれば、中途半端にかかわって、色々注文を付けられたり、あれこれ背負わされるぐらいなら、最初から関わらない方がいいと思うに違いない。
それに、先生だってサラリーマンである。
仕事は仕事であり、それぞれの家庭も大切にしなければならない。(そんなことは、サラリーマンの我々お父さんが一番よく分かっているはず!)
先生だけは、休日返上してでも学校行事に参加すべき、なんてご都合主義ではいけないと思う。
確かに、先生と親とが一致協力してイベントを企画から実施までやっていくことは、一つの理想形かもしれないが、それにはおのずと限度があるのである。
そういうことではなく、ちょっと面白そうなことやってるみたいだな?ぐらいの軽い気持ちで先生方に様子を覗いてもらうだけでも、子どもたちは大いに喜ぶと思うし、親も嬉しい。
こういう軽い付き合いでいいと思うのだ。
考えてみれば、そんな付き合い方がなかなかできないのは、むしろ、受け入れるこちら側の認識の問題も大きいのではないかと思う。
先生には、本来の学校教育を頑張っていただき、プラスαのイベントには少しでも顔を出してもらえたら十分すぎるぐらいありがたいことであって、それを中途半端だとか、もっと関わるべきだとか、必要以上に負担をかけるようなことを言うべきではないと思う。
“オール・オア・ナッシング”(全部に関わるか、まったく関わらないか)では、ボランタリーな世界は成り立たない。
こうした“適度な距離感”みたいなものも、少しずつ、やりながらお互い身につけていいきたいものである。
さて、今回のイベントに関して、もう一つ感じたのは、教育や子育て、そして食や農のテーマに関しては、地域の多くの人たちが関心を寄せているという点だ。
企画段階から、東京栄養食糧専門学校のみならず、関心を寄せてくださった人・団体は多く、「できることがあれば、なんでも協力しますよ」と言われた。
東北や広島といった地方を経験してきた私としては、東京の“ローカル”というものがどんなものか、よく分からない面があったが、今回感じたのは「都会も田舎も、人間が求めているものは同じ」ということである。
いろんな関係者とのネットワークをつくっていけば、来年以降は、さらに広がりと奥行きのある活動になっていく予感がする。
それにしてもこうしたイベントは、本当に多くの人たちの力あってこそであり、みんなの心が一つになるのが感じられ、感動さえ覚える。
今回、多大なるご貢献をいただいた東京栄養食糧専門学校、いつもお世話になっている児童館、暖かく見守ってくださる校長・副校長先生、お父さんたちの行き届かないところまで気配りしてくださるお母さん方、楽しみながらもここ一番でパワーを発揮する88会の仲間たち、そして笑顔と元気いっぱいの子どもたちに、心から感謝したい。
2008年12月09日
本州最北端・下北半島の活性化
「下北半島活性化研究会」に参加するため、青森県むつ市、さらに足を伸ばして本州最北端の大間まで行ってきた。
この研究会は、むつJCや地元経済界、市町村で構成される組織で、10数年にわたり活発に活動をしている。
下北半島には、実に地域資源が多い。
おいしい魚介類や観光資源など、青森県全体に多いと思うが、下北は格別だ。
全国的に有名なのは、言うまでもなく「大間のマグロ」。
津軽海峡での漁師の一本釣りの風景や、キロ数万円する高級マグロは、TV番組の常連である。
しかし、せっかく大間で獲れたマグロをすべて築地市場に持っていってしまうのでなく、むしろ、これを地元に食べに来る人の流れを作れないものか?
・・・ということで始まったのが、毎年10月下旬の「大間超マグロ祭り」。
大間の巨大マグロが、この日ばかりは地元で解体され振舞われるのである。
’01年に始まったこの祭りも今年で8回目となる。
今回、8年来の友人である「あおぞら組」組長の島康子さんに会ってきた。
あおぞら組は、NHK朝ドラ「私の青空」にちなんで、当時東京から青森に戻ってきた島さんが中心になって大間で立ち上がった若者グループである。
超マグロ祭りも、私が青森にいた頃に、東京から大間に戻ってきた島さんと「やってみよう!」と共謀(?)して始まったイベントなのである。
超マグロ祭りは、近年1〜2万人の集客を誇り、半数が県外からのお客さんだそうだ。
また、よそから人が集まる流れができたこともあって、9〜10月上旬の毎週末に100kg級のマグロを地元の商店会で解体するようになるなど、波及効果が出てきたようだ。
島さんは「大間のマグロの水揚げ20億円を超えて、100億円の経済効果を目指すのだ!」と言っていた。
(そうか、「超」マグロ祭りとは、そういう意味だったのか!知らなかった・・・)
しかし、大間のみならず下北半島に住む人たちにとって切実な問題がある。
大間と函館との間で就航しているフェリーが存亡の危機にあるのだ。
大間の人たちは、函館へ買い物や病院、酒飲みにも行く。
県と町の負担で、当面延命したようだが、今後どうなっていくのか、地元にとって死活問題である。(とりわけ島組長の思いはグッと来る。)
実に難題である。
即効薬はないだろう。
しかし、下北半島は、マグロのほかにも、恐山や、下風呂温泉・薬研温泉、イカ、寒立馬、仏ヶ浦の絶景、菜の花畑と、都会の人から見ると、本州最北端、異境の地のイメージを堪能できる土地なのである。
最近は、下北半島活性化研究会を中心に、こうした地域資源を映画やCMのロケ地として売り出す下北フィルムコミッションの活動も始まっている。
また、六ヶ所村には、核燃料再処理工場が建設中であるほか、近隣町村にも原子力発電所、風力発電所が立地している。
これも見方を変えれば、世界規模で環境やエネルギーを考えるのに最適の土地と捉えることができる。
こんな資源を生かし、下北半島全域で連携して活動できれば、必ず大きな効果が出せるはずである。
下北半島を行き来する人が増えれば、航路など交通インフラの維持充実につながる可能性が出てくる。
どんなに時代が変わっても、何より大切なのは、地域のアツい想いである。
地域活性化に必要なのは、そういうアツい想いを結ぶ人的ネットワーキングと、それを活用した戦略である。
これは、同じ青森県の大鰐町の将来とも共通する課題だと思う。
IT時代。そういう戦略を実行する環境は整っている。
(以前、島さんが「私はインターネットがあったから大間に帰ってきた」と言っていたのが忘れられない。)
今後はまず下北半島内、そして下北半島と東京とを結ぶネットワークを作っていこうと思う。
この研究会は、むつJCや地元経済界、市町村で構成される組織で、10数年にわたり活発に活動をしている。
下北半島には、実に地域資源が多い。
おいしい魚介類や観光資源など、青森県全体に多いと思うが、下北は格別だ。
全国的に有名なのは、言うまでもなく「大間のマグロ」。
津軽海峡での漁師の一本釣りの風景や、キロ数万円する高級マグロは、TV番組の常連である。
しかし、せっかく大間で獲れたマグロをすべて築地市場に持っていってしまうのでなく、むしろ、これを地元に食べに来る人の流れを作れないものか?
・・・ということで始まったのが、毎年10月下旬の「大間超マグロ祭り」。
大間の巨大マグロが、この日ばかりは地元で解体され振舞われるのである。
’01年に始まったこの祭りも今年で8回目となる。
今回、8年来の友人である「あおぞら組」組長の島康子さんに会ってきた。
あおぞら組は、NHK朝ドラ「私の青空」にちなんで、当時東京から青森に戻ってきた島さんが中心になって大間で立ち上がった若者グループである。
超マグロ祭りも、私が青森にいた頃に、東京から大間に戻ってきた島さんと「やってみよう!」と共謀(?)して始まったイベントなのである。
超マグロ祭りは、近年1〜2万人の集客を誇り、半数が県外からのお客さんだそうだ。
また、よそから人が集まる流れができたこともあって、9〜10月上旬の毎週末に100kg級のマグロを地元の商店会で解体するようになるなど、波及効果が出てきたようだ。
島さんは「大間のマグロの水揚げ20億円を超えて、100億円の経済効果を目指すのだ!」と言っていた。
(そうか、「超」マグロ祭りとは、そういう意味だったのか!知らなかった・・・)
しかし、大間のみならず下北半島に住む人たちにとって切実な問題がある。
大間と函館との間で就航しているフェリーが存亡の危機にあるのだ。
大間の人たちは、函館へ買い物や病院、酒飲みにも行く。
県と町の負担で、当面延命したようだが、今後どうなっていくのか、地元にとって死活問題である。(とりわけ島組長の思いはグッと来る。)
実に難題である。
即効薬はないだろう。
しかし、下北半島は、マグロのほかにも、恐山や、下風呂温泉・薬研温泉、イカ、寒立馬、仏ヶ浦の絶景、菜の花畑と、都会の人から見ると、本州最北端、異境の地のイメージを堪能できる土地なのである。
最近は、下北半島活性化研究会を中心に、こうした地域資源を映画やCMのロケ地として売り出す下北フィルムコミッションの活動も始まっている。
また、六ヶ所村には、核燃料再処理工場が建設中であるほか、近隣町村にも原子力発電所、風力発電所が立地している。
これも見方を変えれば、世界規模で環境やエネルギーを考えるのに最適の土地と捉えることができる。
こんな資源を生かし、下北半島全域で連携して活動できれば、必ず大きな効果が出せるはずである。
下北半島を行き来する人が増えれば、航路など交通インフラの維持充実につながる可能性が出てくる。
どんなに時代が変わっても、何より大切なのは、地域のアツい想いである。
地域活性化に必要なのは、そういうアツい想いを結ぶ人的ネットワーキングと、それを活用した戦略である。
これは、同じ青森県の大鰐町の将来とも共通する課題だと思う。
IT時代。そういう戦略を実行する環境は整っている。
(以前、島さんが「私はインターネットがあったから大間に帰ってきた」と言っていたのが忘れられない。)
今後はまず下北半島内、そして下北半島と東京とを結ぶネットワークを作っていこうと思う。
2008年12月02日
大鰐町を食す会
青森県大鰐町の食材を使った「殿様御膳を食す会」が、NPO推進青森会議やOH!!鰐元気隊が中心となって、神田の居酒屋跳人(はねと)というお店で開かれた。
言うまでもなく跳人とは、ねぶた祭りで踊る人たちを意味する。
コテコテの青森のお店である。
長くて太めの豆モヤシや、細いソバモヤシ、地鶏のシャモロックなど、大鰐名物を使ったいろいろな料理が登場した。
50人以上の大鰐ファンが集い、青森の地酒「豊杯」「田酒」を飲み、賑やかな会となった。
大鰐といえば、自治体行政の世界では、三セク経営の失敗と財政難ですっかり有名になってしまったが、こうした地域を元気にするには、マスコミ世論の評判を気にすることより、地域に思いを寄せる、当事者に近い人たちの輪をつむいでいくことが、潜在的にかなりパワーを持つことになると思う。
実はこの会、東京にいる大鰐町関係者のネットワークを作り上げることが隠れた(?)目的の一つであった。
宴もたけなわになった頃、司会者が「オオワニのこと好きな人〜?」と投げかける。
美味しい食べ物とお酒で、いい気分になった人たちは、そう聞かれれば、みんな「は〜い!」と手を挙げる。
そしたら「いま手を挙げた人は、みんな登録用紙に記入して提出してくださ〜い!」。
こうして、会に集まった50人は“一網打尽”である。
どういう会か分からないけど面白そうだから行ってみるか、ぐらいの軽い気持ちで参加した人も含め、気持ちよく「ダマされて」大鰐ネットワークに入る。
人と人との関係こそが、これからの地域社会の力の源泉である。
大鰐で何が起こっているか、東京在住の人が知る。
東京の人たちが何を考えているか、大鰐在住の人が知る。
こうして情報が交流し始めれば、心の交流が生まれる。
そして人の流れが始まる。
NPO推進青森会議の常務理事・三上亨さんと話した中で印象に残ったのは、次のようなことだ。
自治体財政の厳しさは重要な問題だが、地域の問題の一つに過ぎない。
メディアで“どうしようもない”レッテルを貼られた大鰐だが、大事なことは、この地域に関心を持ち、この地域を愛する人がどれほどいるかということではないか。
大鰐をテーマとした会に、これだけ多くの人たちが集まるという事実に光を当てるべきではないか。
大鰐を応援するこの活動は、内閣府の「地域の元気再生事業」に採択された活動の一環である。
地域の頑張りに対して、政府もしっかりサポートし、目を向けていくべきである。
ちなみに、今回の食す会には、公務員の人もけっこう参加していたので、「地域に飛び出す公務員ネットワーク」に勧誘した。
公務員でこういう場に顔を出す人間は、ほぼ例外なく、地域づくりへの想いが人一倍強い。
こういうイベントを通じて、元気な公務員も“一網打尽”にしていきたい。
言うまでもなく跳人とは、ねぶた祭りで踊る人たちを意味する。
コテコテの青森のお店である。
長くて太めの豆モヤシや、細いソバモヤシ、地鶏のシャモロックなど、大鰐名物を使ったいろいろな料理が登場した。
50人以上の大鰐ファンが集い、青森の地酒「豊杯」「田酒」を飲み、賑やかな会となった。
大鰐といえば、自治体行政の世界では、三セク経営の失敗と財政難ですっかり有名になってしまったが、こうした地域を元気にするには、マスコミ世論の評判を気にすることより、地域に思いを寄せる、当事者に近い人たちの輪をつむいでいくことが、潜在的にかなりパワーを持つことになると思う。
実はこの会、東京にいる大鰐町関係者のネットワークを作り上げることが隠れた(?)目的の一つであった。
宴もたけなわになった頃、司会者が「オオワニのこと好きな人〜?」と投げかける。
美味しい食べ物とお酒で、いい気分になった人たちは、そう聞かれれば、みんな「は〜い!」と手を挙げる。
そしたら「いま手を挙げた人は、みんな登録用紙に記入して提出してくださ〜い!」。
こうして、会に集まった50人は“一網打尽”である。
どういう会か分からないけど面白そうだから行ってみるか、ぐらいの軽い気持ちで参加した人も含め、気持ちよく「ダマされて」大鰐ネットワークに入る。
人と人との関係こそが、これからの地域社会の力の源泉である。
大鰐で何が起こっているか、東京在住の人が知る。
東京の人たちが何を考えているか、大鰐在住の人が知る。
こうして情報が交流し始めれば、心の交流が生まれる。
そして人の流れが始まる。
NPO推進青森会議の常務理事・三上亨さんと話した中で印象に残ったのは、次のようなことだ。
自治体財政の厳しさは重要な問題だが、地域の問題の一つに過ぎない。
メディアで“どうしようもない”レッテルを貼られた大鰐だが、大事なことは、この地域に関心を持ち、この地域を愛する人がどれほどいるかということではないか。
大鰐をテーマとした会に、これだけ多くの人たちが集まるという事実に光を当てるべきではないか。
大鰐を応援するこの活動は、内閣府の「地域の元気再生事業」に採択された活動の一環である。
地域の頑張りに対して、政府もしっかりサポートし、目を向けていくべきである。
ちなみに、今回の食す会には、公務員の人もけっこう参加していたので、「地域に飛び出す公務員ネットワーク」に勧誘した。
公務員でこういう場に顔を出す人間は、ほぼ例外なく、地域づくりへの想いが人一倍強い。
こういうイベントを通じて、元気な公務員も“一網打尽”にしていきたい。