2009年03月

2009年03月30日

ネットが浸透した生活

自宅のパソコンのハードディスクが壊れてしまったので、電機屋さんに修理に出し、10日間ほどで直って却ってきた。

パソコンがないと、メールやブログが書けないのはもちろんだが、そのほかにもいくらか気づきがあった。

まず、家に帰ってからの時間が長く感じる。

つまり、メールチェックなどパソコンに向かう時間が減る分、アナログの時間が増えるのである。
夫婦の会話も増え、その日の出来事を振り返るようになる。
プチ・スローライフという感じだ。


一方、圧倒的に“不足感”を感じたのが、ネット検索とニュースの2つの機能だ。
裏を返せば、日常的にネットで最も利用しているのがこの2つということであろう。

たとえば、電車の路線図や時刻表とか、店の場所や電話番号、営業時間など、ちょっとしたことが調べられない。
以前は電話で聞いたりしていたのだろうが、ネット検索に慣れていると不便きわまりない。

また、ネットでニュースを見られないので、新聞やTVニュースを見るようになる。
最近では主なニュースはネットで目に入ってくるので、新聞などの情報源は、補完的に必要あれば見る程度になっていたように思う。


あらためて、現代人の生活にはインターネットが溶け込んでいると感じさせられた。

そして、ネットの普及は、現代人の生活を慌ただしくさせている。

今も昔も1日は24時間しかないが、ネットは人々の1日の過ごし方を効率化させ、同じ時間の中で、以前よりも多くのことを見聞きできるようになっている。

私の場合、職場に届くメールやネット情報も、職場で見る暇がなければ自宅に転送して家で見たりする。
職場と家を連続化・一体化させ、それぞれにおける時間配分をコントロールしていると言えよう。

また、気になる音楽も、以前なら、レンタル屋さんでCDを借りて、ダビングまでしていたのに、今ではYouTubeで視聴しておしまい。


昔ならば、もう少し1つずつのことに執着する余裕があったような気もするが、今ではたくさんの事柄を日々こなし続けている。

一方で、スローライフや農村生活へのあこがれも、現代人の志向だ。

利便性の高まる今(そして将来)も良いが、ゆっくりとした昔も良かった。
IT革命による時代の流れは不可逆だが、生活の効率化・利便化という一方向だけでなく、ゆっくりと過ごす選択肢も失いたくない。
IT革命の果実は、“選択肢の増加”ととらえたい。


たまにはパソコンが故障して、こういう振り返りをしてみるのも良いかもしれない。

shigetoku2 at 06:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ちょっとした気づき 

2009年03月16日

「コミュニケーション・ファースト」と「円卓会議」

博報堂から、内閣府の男女共同参画及びワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)担当の政策企画調査官として出向されている船木成記さんと話す機会があった。

主に広報を担当されている立場から、霞が関の仕事ぶりについて語る中で、一番印象に残ったのが「コミュニケーション・ファースト」という言葉だ。

通常、役所では、政策を検討し、法案をつくり、国会を通ったら、施行する。
その最後の施行の段階になって、初めて広く国民に広報することが多い。
つまり、企業に例えて言えば、“顧客”(国民)とのコミュニケーションが、商品が発売されてから行われている状態だ。

そうではなく、政策立案の早い段階から、国民との間のコミュニケーションをとることが重要だ、というのが「コミュニケーション・ファースト」の考え方である。

コミュニケーションが後回しになると、「そんな制度など誰も求めていない」とか「いつの間にこんな制度ができたのか?唐突だ」とかいう国民感情に至ることになる。

なるほど、私の知る範囲でも、いくつかの政策が思い当たる。


もとより経済発展を遂げた日本において、すべての国民が一様に求めるような“国民的ニーズ”というものはなかなか見当たらない。
誰かが良いと言っても、誰かにとっては良くない施策となることも、以前よりは多いと思われる。

このため、政府から国民に対して何かを一律に施す、というだけでなく、国民自身がそれぞれのニーズを自ら満たすための活動を行うことも求められている。

内閣府においては、市民や企業が、行政と並んで社会的責任を果たす仕組みとして、近く「円卓会議」が設置される予定である。

円卓会議とは、公共サービスの担い手が政府・自治体以外の様々な主体に広がっている中で、従来の政府の審議会に代わって、広い意味での公共政策を論じる場である。

従来の審議会は、有識者が集まって政府に政策提言を行う場であり、民間主体はあくまで政策の客体にすぎなかった。(=政策主体はあくまで政府であった。)

それに対し、円卓会議は、企業やNPOなど新たな政策の担い手たちが、お互いの強みを持ち寄りながら、協働して解決する枠組みであるため、主客が二分化した審議会方式と異なり、すべての主体が当事者として対等にかかわり合う。
(だから「円卓」の会議なのである。)

この枠組みの中では、社会のニーズや必要とされる施策に関する議論が、多様な当事者の間で行われるのであるから、おのずと「コミュニケーション・ファースト」が実現されることになろう。

こうした新しい仕組みの実効性は、まだこれから試される段階であるが、行政側も、国民側も、ぜひ頭の中を入れ替えて、新しい日本の公共の姿を実現していきたいものである。

shigetoku2 at 07:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 

2009年03月07日

えせ専業主夫の1日

妻が出かける用事があったので、平日に1日休暇をとった。

この日はほぼ1日、“専業主夫”で、朝から色んなことがあった。

まず、三男(2歳)の検診のため、歯医者に行った。
あいにくの天気だったので、傘をさしながら抱っこで歩いていった。
本当は小さな傘を持って歩かせたかったのだが、途中で「歩けない。抱っこして〜」と言われると、子供の長ぐつの泥で私の服が汚れる。
しかも彼は、生意気にもベビーカーに乗りたがらない。
しかたなく、最初から最後まで抱っこする選択肢しか残らなかったのである。
重たかった。

歯医者の次は、小学校へ長男の授業参観に。
3時間目と4時間目を見に行った。
ところが途中から三男坊が騒ぎ始め、授業参観どころでなく、廊下でまたずっと抱っこ。
教室の中の方が暖かいので、「中に入ろうよ」と言っても、どうしても「いやだ!」と言う。
仕方なく廊下側の窓からずっと授業を覗いていたら、やがて三男は寝てしまった。

あー眠たかったのか!そうと分かっていたらベビーカーを持ってきて寝かせたのに!

が、いよいよ抱っこしているしかない。
寝た子は、起きてるとき以上に重く感じる。
先日痛めた腰がまた悪くなりそうだ。

給食の様子まで見届け、次は昼ごはんを食べに家に帰る。
くたびれたので、朝の残りのごはんと納豆と味噌汁だけで済ませる。(この辺りが“主夫”としてまだまだ甘いが。)

今度は、幼稚園が14時に終わるので、次男を迎えに。
でも、雨足が強まっていたので、マイカーで向かう。
実は幼稚園の前にクルマを止めておくスペースはないのだが、一瞬だけ路上に停車して、すぐ次男を連れてくれば大丈夫だろうと踏んで、園が終わる時刻ちょうどを目指して家を出た。
予定通り14時ピッタリに園に着いたのだが、そんなときに限って、終わる時間が遅れている。
このため、園の裏側のクルマがすれ違えないほど狭い道に「別のクルマが来ませんように」と祈りながら、停車して時間調整。
10分ほど後に、次男をピックアップ。

さて14時20分ごろには長男が学校から帰ってくる予定なので、急いで帰らなければ。
しかし、帰りの道路はなんと渋滞。
しかも、途中で、職場から携帯に電話がかかってきたので、またしばし停車。

ようやく到着し、家の駐車場にクルマをとめたが、次男坊がぐずぐずしてクルマから降りてこない。
すでに長男が帰ってくるはずの時刻を過ぎていたので、「先に家に戻ってるから、クルマのドア閉めてこいよ!」と言い残して、三男を抱きかかえて階段を上がった。

が、長男がどこにもいない。
もしカギが開いてなくても、すぐ帰るから、家の前で待ってろと言ってあったのだが・・・。
晴れた日なら、家の周りで遊んでいるだろうが、雨なので、友達の家に行ってしまったか、学校に戻ったのか?見当がつかない。

しかたないので、学校に電話をかけ、「まだ帰ってきてないのですが、そちらを何時に出たのでしょうか?」と尋ねてみた。
最初に副校長先生が出て、担任の先生に代わり、「ちょっとクラスが終わるのが遅くなってしまったので、もう家に着くころだと思うんですけど」との回答。
・・・という話をしているところへ、ちょうど長男が帰ってきた。
何のことはない。クラスの終了時間も少しは遅かったのかもしれないが、それ以上に、どうやら友達と道草食っていて遅くなったらしい。
担任の先生は産休代替で先日着任されたばかりの若い先生だ。
まったく責めるつもりはなかったのだが、「今後は時間どおりに終えるようにします。申し訳ありません」とお詫びをされてしまった。こちらこそ申し訳ありません。

さて続いて、3時15分からは、長男・次男のピアノのレッスンだ。
余裕を持って家を出ようと思ったその時、三男がうんち。
お尻にべっとり付いていたので、シャワーで洗い流し、おむつを換えた。

結局時間ぎりぎりになってしまい、大慌てで家を出ようとしたら、次男が「楽譜が1冊見つからない〜」と騒ぎ出す。
少し探したら見つかったので、泣きべそかいてる次男坊の手さげ袋に入れて、家を飛び出した。

しかも、先ほど「クルマのドア閉めてこい」と言っていたにもかかわらず、次男はスライドドアを閉めてこなかったらしい。
駐車場へ回り、クルマのドアを閉め、ロックしてから、レッスンへと向かった。
雨なので、ちょっとした行動がめんどくさい。

雨の中、また三男を抱きかかえながら、10分ほど早足で歩いた。
クルマが通るたびに、後ろを振り返り、ついてくる上の2人に「クルマが来たぞ!端っこに寄れよ!」と注意を促す。
ピアノ教室に着いたころには、腕が限界。(うちの三男坊は肉付きがよく、けっこう重たいのである。)

レッスンは当然1人ずつなので、もう1人は黙って聞いていなければならない。
さらに一緒にいる三男がおとなしくしているはずもない。
私としては、とにかくレッスンを妨害しないよう、騒ぎ出そうとするガキどもを封じ込めるのに必死である。
教室に折り紙が置いてあるので、それでヒコーキを作ったりしながら、なんとかしのぐ。先生の指導内容は、半分も聞くことができない。

さて、ピアノの先生に「ありがとうございました」と言って建物を出ると、三男が、雨で濡れた地面で滑って転び、大泣き。・・・また抱っこだ。

腕と腰への負担がピークになる頃に家に着くと、次は晩ごはんの支度だ。
食材を切ったり混ぜたりしてたら、次男や三男がわらわらと寄ってきて、「手伝いたい!」と言うので、「じゃあ一緒に混ぜ混ぜしよう!」とかなんとか言って、一緒に作業。(といってもほとんど戦力になるはずもなく、煩わしいだけなのが、お手伝いも教育のうちと思い、“笑顔”で「役に立つなー、お前たちは!」。この辺りになると、さすがに自分で自分を褒めてやりたいぐらいだ。)

ところが。
アレルギー体質の三男が、何にどう反応したのか、じんましん発生。
かゆさの余り、不機嫌になる。かわいそうに。
薬を見つけたので、薬を飲みやすくするため、大好きなあんこに練りこんで食べさせたら、かゆさよりも「あんこ食べた〜い!」が続く。
一口ずつ小分けにあげていたら、何度も「もっと食べる〜」と言うので、やむなく最後はドカッとあげて、黙らせた。


・・・そうこうするうちに、ついに妻が帰宅。

結局、晩ごはんのおかずは妻がササッとつくってくれた。
やっぱり手際がいい。
妻はすごいな、と思いながら、みんなで食卓を囲んだ。


それにしても、たまの専業主夫でもくたくたである。
この文章を読み返すだけでも、どっと疲れが出る。

日々専業主婦をしている妻へのいたわりと敬意、そして感謝が必要だと思った。

と同時に、育児支援や男女共同参画、女性の社会進出を本気で語るには、男性陣による“専業主夫体験”の共有が必要だとも思った。

世の男性(もちろん私を含む)は、お母さん方の昼間の状況をほとんど知らずに、夜中に酔っ払っていい気分で帰ってくるのだから・・・。

shigetoku2 at 09:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 家族と教育、子育て | ちょっとした気づき

2009年03月05日

飛び出す公務員とWLB

内閣府の「仕事と生活の調和(ライフ・ワーク・バランス(WLB))」の有識者会議に出席した。

冒頭、小渕優子内閣府担当大臣が挨拶され、
景気が悪く、『WLBどころではない』と言う企業もあると思うが、こういうときだからこそ、人材確保や仕事の効率化に資するWLBの真髄を各方面に働き掛けていきたい」と述べられた。

WLBとは、単に仕事を早く切り上げて家に帰ろう、という時短の話ではなく、「人間本来の生き方」をとことん追求するものであって、特に高度成長期に仕事一辺倒が美徳とされてきた日本人の価値観に訴えかけるものであるため、個人によってさまざまな受け止め方があるように感じるが、特に若い世代にとっては、当然追求すべき生活スタイルと感じている人が多いのではないかと思う。

各省庁からの情報提供の際、私からは「地域に飛び出す公務員ネットワーク」の話をさせてもらった。

WLBは、家庭や育児だけでなく、そこからさらに地域活動、ボランティア、NPO活動の発展にも資するものであるはずである。

多くの社会的課題を抱える日本において、行政にお任せでなく、地域住民が参加する“新しい公共”によって課題解決していくためには、まず多くの住民が仕事だけでなく、家族とともに時間を過ごし、地域に関心を持つ機会を得る必要がある。

公務員も例外ではない。
公務員は、行政のプロであるだけでなく、一住民でもあり、仕事さえすれば“公共”への貢献がすべて終わるものではない。
小さな政府を目指して行革する一方で、“公共”を充実させるためには、公務員という職業を持つ住民が、率先して地域活動を行うべきである。

・・・ということで始まったのが、このネットワークである。

メーリングリストでは、地方公務員の方々から多くの情報発信が行われている。
霞が関の公務員も、積極的にこうした取り組みに参加してもらいたい。

官僚バッシングがやむことを知らないのも、「顔の見える官僚」がいないのが大きな一因だと思う。
政策立案をする公務員が、地域社会の実情を知らないようではいけない。
まず、余暇を利用して、どんどん地域に飛び出し、地域の方々と交流し、地域社会に貢献していく必要がある。

WLBにはそんな効用もあるはずである。



この意見に対しては、何人かの委員の方々からご意見をいただいた。

東京大学社会科学研究所・日本社会研究情報センター教授の佐藤博樹さん:
公務員にはボランティア休暇(5日)があるので、これを利用したら良いだろう。

株式会社ワーク・ライフバランス代表取締役の小室淑恵さん:
役人バッシングに対する考え方に共感する。
公務員の方と直接話をすると「公務員って結構良い人たちなんですね」と言う人が多い。
民間企業のブランド戦略においても、CMよりも、その企業の社員の方を直接知っていることが消費者の購買動機として強い。
公務員が仕事外で飛び出していくことをぜひ応援したい。


読売新聞編集局生活情報部の榊原智子さん:
良い取り組みだと思うが、公務員はただの住民ではなく、社会のルールづくりを行う特別な存在であることを忘れてはいけない。
その意味で、地域に飛び出すにあたっても、単に飛び出せば良いというものではなく、ぜひコーディネート力や情報をつなげる能力を発揮するような方向で活動してもらいたい。



良くも悪くも、公務員は社会で注目され、期待されている(その裏腹で失望されることも多い)。
公務員は、地域社会とともに歩む存在でありたい。

それと同時に、民間企業のWLBが進み、民間人も地域にどんどん飛び出してくる社会になってくれば、官民の多様な人材が持つ能力・経験が融合した、とびっきり元気な地域づくりが進むに違いない。




shigetoku2 at 06:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 | 家族と教育、子育て

2009年03月01日

NPOと行政の対話

NPOと行政の対話フォーラム」(主催:日本NPOセンター)に参加した。

主催者あいさつの中で、山岡義典代表理事は、
『NPO』という用語は、官庁の監督下にある公益法人と区別された市民セクターとして、これまで『特定非営利活動法人』を指すものととらえられてきた。
が、公益法人改革が行われた今、公益法人、さらには他の公共性ある法人、生協などの組合、任意団体まで、広く『非営利組織』ととらえる必要がある

と述べられた。

まったくそのとおりである。
行政と対話し、対等なパートナーシップを組んでいくべきは、何も狭い意味でのNPO法人だけではない。
世の中で「公のため、地域社会のため」という思いで活動しているすべての民間団体が、行政とともに社会の課題を解決し、明るい将来を切り開く主体となるべきである。
町内会のような地縁コミュニティでも、PTAでも、おやじの会でも、同窓会でも・・・とにかくすべての非営利組織に期待したい。


続いて、自立支援センターふるさとの会理事の水田惠さん、川崎市長の阿部孝夫さん、前安孫子市長の福嶋浩彦さんの3人で、鼎談が行われた。

阿部市長は、「行政がやっていたことをNPOに任せて安くあげようとするのは、間違い。」「まちづくりは本来、市民が担う。」といった大原則を述べた上で、川崎市で昨年策定した「川崎市協働型事業のルール」を紹介された。

私がこのルールを見て気がついたのは、「橋働型事業の考え方」の中で、協働に必要な相互の「特性の理解」について、次の点が挙げられていることである。
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○市民活動団体の主な特性
  多様性、先駆性、自立性、専門性、地域性
○行政の主な特性
  公平性、平等性、安定性、専門性、権力性

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よく見ると、「専門性」だけが共通している。

行政には、組織的に蓄積してきた膨大な施策情報や調査統計資料、ノウハウがあるが、NPOも、各界の専門家や実践家がそろい、特定分野で長年経験した専門性を持っているのである。

NPOはボランティアであり素人の集まりだと思ったら大間違いだ。
「多様性」や「地域性」とあいまって、行政にはない専門的な力量を発揮することしばしばである。


ところでこのルールの策定に関し、福嶋さんが、阿部市長に対して「行政と市民の協働のためのルールを、片方の主体だけ(行政側)がつくることに疑問を感じる」と投げかける場面があった。
阿部市長は「ご指摘の趣旨はごもっともだが、検討の場の設定や、文書作成などの事務処理は、現実問題として行政が行うのが便宜である。もちろん、策定の過程では市民の意見は十分に聴いたし、今後も必要に応じて、内容を修正していくことになる」と回答した。

現時点では、福嶋さんの指摘は理念が先行しすぎていて、阿部市長の回答が現実的であるという感もある。

しかし、私自身がかかわっている事例でも、たとえば、
。稗圍咫Intelligent Transport Systems。高度道路交通システム)の施策を進める「青森ITS推進研究会」の事務局を青森市と共同で担う青森ITSクラブのような例もある。

また、
∈鯒から総務省が共同主催者に加わった「eco japan cup」も、事務局が「環境ビジネスウィメン」というNPO(有限責任中間法人)である。
このイベントへの行政のかかわり方についても、さらに深める余地があると思っている。

行政とNPOとの協働の意味内容を、実際の仕事を通じて理解を深めるためにも、「NPOを事務局とする実行委員会」や「NPOと行政の共同事務局」による事業遂行モデルがもっと増えるといいし、面白い成果も出てくるはずだ。


私が参加した第2分科会では、NPO法人市民活動情報センター代表理事の今瀬政司さんが、行政とNPOとのかかわりに関する実務的な提案として、“NPO等と行政の『協働契約書』”の提案をされた。

行政とNPOとの契約の形態には「委託」が多いが、現行の委託契約書では、
・事業主体は行政であり、NPOは事業を実施するが権利や主体性は限られ、下請けの立場である。
・NPOへの委託料に対する財・サービスの受益者は委託者としての行政であり、市民は行政を通じて間接的にそのメリットを享受するような契約形態となっている。
・成果物等の権利(著作権等)が行政のみに帰属するようになっているため、その成果をNPOとして今後の事業に十分生かせない。

こうした問題点を解決し、行政とNPOとの対等性やパートナーシップを実現するための条項を盛り込んだ、『協働契約書』を導入すべきである。


こうしたテクニカルな側面も、行政実務に携わる者として、持つべき重要な視点の一つとなるのではないかと思う。

この分科会では、三鷹市市民協働センターのセンター長・伊藤千恵子さんからの発表もあり、昭和50年代からの長い取り組みが結実したものとして、NPOとの「パートナーシップ協定」(H13)や「自治基本条例」(H18)、さらに無作為抽出による「市民会議」といった、これでもか、という勢いで市民を巻き込んだまちづくりの事例が紹介された。
何といっても、公務員なんだかNPO人なんだかよくわからないような(と進行役の古賀桃子さん(ふくおかNPOセンター代表)に言わしめた)伊藤さん自身のキャラクターが三鷹市の姿勢を物語っていると思う。


ところで行政の立場から見た住民とのかかわりについて、安孫子市長時代に議会との間で、根回し抜きのオープンな議論を行ってこられた福嶋浩彦さんは、次のように述べられた。
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自立した自治体行政を確立するためには、主権者市民の意思に基づくことが必要である。

自治体では、国政と異なり、議員だけでなく、首長も直接公選で選ばれている。
地方自治は、選挙だけでなく、首長のリコール、議会の解散、条例制定、監査請求、住民訴訟など、住民が日常的に直接かかわるさまざまな権利が地方自治法上付与されている。
さらに、自治体によっては、自治基本条例が制定されるなど、さらに積極的な参加機会が設けられていることもある。

首長が住民との直接対話をすると、議会から「議会軽視だ」と声があがることがあるが、首長も住民から直接公選で選ばれている以上、議会だけでなく住民と直接対話していく責任がある。

国政の場合には、内閣が国会に対してのみ責任を負う議院内閣制であるため、内閣が国民との対話を直接行おうとすれば「国会軽視」と言われるかもしれないが。

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国政と比べ、住民との関係の深い地方政治・行政について、制度的な裏付けを挙げており、わかりやすい説明であった。

もっとも、最後の国政に関する部分は、制度理論的にはそうであろうが、国政の政権運営が、メディアを通じた情報の開示(氾濫?)や、日々の国民支持率によって少なからぬ影響を受けている現状からすると、理論はさておき、いまや内閣と国民との直接対話の機会も欠かせない要素になってきているように思うが・・・。

shigetoku2 at 22:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0) NPO | 行政・地方自治