2009年08月

2009年08月26日

社会起業家と公務員

社会起業家を育成するNPO法人ETIC代表の宮城治男さんのお招きにより、東京財団の「週末学校」に事例報告者の一人として参加した。

「自治体の自立のために」と銘打ち、北は北海道、南は沖縄から30〜40代を中心に40人近くの自治体職員が週末、年10回にわたり研修を受けるプログラムである。

登壇者は、公務員である私のほかは、4人の社会起業家の方々。

まず、京都を拠点に、都市住民向けの体験農園を運営している株式会社マイファーム代表取締役の西辻一真さん。

“自産自消”をキーワードに、農業を学び、農業に関わりたい人たちを増やすため、現在関西を中心に24か所に農園をつくっているそうだ。
農園を開くにあたっては「地域との信頼関係が大事。好き勝手にどんどんやっていてはうまくいかない。近所の人たちに丁寧に説明することにしている」という。
NPO法人でなく株式会社にしたのは、活動を持続・拡大しなければ意味がないとの思いから。
ちなみに農園を1000か所(250万屐砲蚤臚Δ鮑遒襪函日本の食料自給率が1%上がるそうだ。
こういう仕事は本来行政がやってもいいはず」というコメントが耳に残った。


次に、株式会社トビムシ代表取締役社長の竹本吉輝さん。

わが国の人工林には、あと5〜10年管理すれば収益性が出てくる樹齢の木材も多いが、個別の森林所有者にとってはロットが小さすぎて、追加投資の意欲が出てこない。
このため、同社では「長期・包括管理」の導入に取組み、新規設備の導入や雇用の安定化を進めているそうだ。
現在取り組んでいるのが、岡山県西粟倉村(にしあわくらそん)の「百年の森」を守り育てる事業。たたら流しの跡の残るこの森では、100年ほど前、製鉄産業が発展する中で、たたら製鉄に変わり将来を託せる遺産としてスギを植林したという。こうした先人たちの営みを継続させることによって、森林を守ることができる。
資金的に持続可能な事業とするため、「共有の森ファンド」を設置し、小口投資に限定することで、多数の投資家の参加を得る仕組みをとっている。
このファンド設立にあたっては、ミュージックセキュリティーズ社も関わっている。
竹本さんは、個人の顔の見える信頼関係=“新たなコモンズ”に基づくファンドをつくることによって、地方債や制度融資などの行政施策と異なった効果的な事業展開が可能となると指摘している。


NPO法人「日本のうらほろ」代表の近江正隆さん。

東京生まれの近江さんは、もともと漁師になるため北海道にわたったそうだが、転覆事故をきっかけに自分の使命“命の使い方”を考え始めたという。
十勝郡浦幌町(うらほろちょう)で、行政や学校、商工会など地域と一体となって、子どもたちを育てる「ふるさとづくり計画」を実行中である。
たとえば、「子どもの想い実現プロジェクト」では、浦幌町のはまなすを使ったシュークリームを開発・販売するするなど、地域の良さを体験を通じて学ぶ。
地域活性化に向け、固定観念のある大人はなかなか変われないが、「子どもが変われば大人が変わるんだ」と実感しているという。


もう一人、NPO法人「Eyes」代表理事の横山史さん。

ETICの宮城さんとの出会いをきっかけに、学生を地元中小企業に受け入れる実践型インターンシップの仕組みを愛媛県でスタートした。
立ち上げの’05年には100%行政からの委託事業(事業規模1500万円)だったが、’09年は、会費収入など自主財源を50%確保しているそうだ(事業規模1000万円)。
委託事業から自立運営に向けて、1000万円を自主財源として確保することを目標しているそうだ。


いや〜、最近、時代は行政中心の公共から大きく舵を切り、民間の方々が公共の“当事者”として、行動し始めていると感じることがホントに多い。
ETICのHPにも「未来を創る当事者になれ」とある。

地域ベースの取り組みによって、行政のタテ割りを超えた優れた事例が登場している。

こうした人たちは、社会への不安や疑問を単なる行政批判でなく、自らの行動と、行政への具体的な注文に転化する。
「自分たちは○○をやるから、行政は□□をやってもらいたい」と。
(「自分は○○するから、行政は邪魔だけはしないでくれ」という人さえいる。)

まさに企業・NPOとの役割・責任分担による新たな「公」だ。


さて、私からの事例報告としては、「官民の立ち位置をとらえ直そう」として、公務員が与えられた公務にとどまらず、地域社会に飛び出す必要性を説いた。

民間人が地域社会のために頑張っているのを傍観するのでなく、公務員こそ社会の“当事者”性を高め、仕事外でも自分が問題意識を持つ分野でNPO活動をするなど個人の力を発揮すべきではないか。

そもそもNPO活動に取り組む人の中には、自営業の方が自分のメシの種を気にしながらも地域の将来のため活動しているケースも少なくない。

それなのに、身分は保障され、給料も安泰、組織は絶対つぶれない公務員が、なぜ平日の9時から5時の仕事だけで「公共の仕事」を全うしたと考えるのか。

もともと公務員は、社会に貢献したいと思って仕事を選んだ人間であり、より大きな視点で活動の幅を広げるには適した人材であるはずだ。
また、多様な利害関係者間のバランス感覚、調整力、根回し力など、仕事上身につけるスキルは、NPO活動において相当威力を発揮する。もちろん行政とのパイプや情報収集の面でも役立つ。

そして、こうした活動は、公務員に住民視点を根付かせ、ひいては行政組織の活性化をもたらす。
仕事外の活動が、仕事を磨くことにつながるわけだ。


実は、こうした姿勢は、ふだんの仕事の場面で求められることでもある。

多くの公務員は、「仕事が増えること」をやたらと嫌がる。
しかし、社会的に見て明らかにムダな仕事だったり、本人が超多忙で仕事が増えるとぶっ倒れてしまうという状況ならばともかく、ここで1つでも2つでも、“社会のためになるのなら”という気持ちで、前向きに仕事を引き受ける姿勢があれば、行政の仕事の質は、一気に高まるはずだ。

自営業と異なり、仕事を引き受けた分、収入が上がるわけではないが、やりがい、生き甲斐こそ公務員の仕事冥利である。


それにしても、宮城さんをはじめ登壇した事例発表者はいずれも20〜30代の世代。

ちょうど日経新聞で最近「低温世代」と名づけた特集を組んでいる。
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「非東京」に価値見出す
・・・
経済疲弊にあえぐというが、地方には中央では成り立たない仕事や生き方もある。
それを見つける嗅覚に、本物の好況を知らない低温世代はたけている。

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バブル時代を知らない世代は、経済の低成長を当たり前のこととして受容し、金銭的に付加価値の高い仕事よりも、むしろ人生にとって真に価値のある活動に意義を感じ、身を投じる傾向があるという。


バブル崩壊から十数年を経て、こうした感覚を持つ世代が社会の若手から中堅層に及ぶようになり、世の中の変化が顕在化しつつあるように思うのは、私だけではないと思う。

少子高齢化や人口減少、経済低成長の時代にどう向き合うのか、多くの人たちが社会の“当事者”として受け止め、行動に移すようになってきているのだと思う。

shigetoku2 at 07:43|PermalinkComments(4)TrackBack(0) NPO | 行政・地方自治

2009年08月22日

哲学と行政

東大哲学科の榊原哲也准教授と話す機会があった。

今年総務省に採用された新人(同学科の卒業生)の仕事ぶりをインタビューしに来られたのである。

国立大学の法人化に伴い、最近では哲学科といえども学問を学び研究するのみでなく、社会への貢献が強く求められるようになってきたという。
その一環として卒後の追跡調査をし、大学教育にフィードバックするという趣旨だそうだ。

哲学科卒で総務省に就職する人間は数少ない(というかこれまで聞いたことがなかった)が、今年度採用された丸尾豊くんは、哲学科とは思えない(失礼)明るく社交的な人物である。
一般に公務員に求められるのは、学問知識もさることながら、何よりコミュニケーション能力だと私は考えている。
逆にいえば、コミュニケーション能力のある人間であれば、大学時代に何を学ぼうと、どんな活動をしようと問題はなく、むしろ組織の活力や発想力の観点からは、多様なバックグラウンドを持つ人材を集めるべきだと思う。

霞が関は、採用時点から偏った人材の集まりになっており、ダイバーシティ(多様性)の観点からはかなり問題があるとの指摘が絶えない。
東大法学部出身者がこれほど集まる職場は、日本中探しても類例がない。

採用担当ではないのであまり無責任なことは言うべきではないが、哲学科に限らず、より幅広い分野を経験した者を採用すべきではないかと私は思う。

榊原先生には、秋口からは各省とも学生向けの説明会が各地で開かれるので、ぜひ哲学科の学生さんにも役所の仕事の話を一度聞きに来てもらえれば、とお伝えした。


ところで、榊原先生は最近、看護や福祉のケア現場に哲学思想を取り入れる活動をされているそうだ。

人はなぜ存在するのか、なぜ生きるのか、といった有史以来の永遠の問いかけを福祉現場で行っているというのである。
患者のみならず、看護にあたる側にも、あらためてこれを学びたがる方々がいるそうだ。

この問いかけに対しては、答えがないから面白いのであり、明快な答えがあればそもそも哲学など存在しない。

一方、これへの答えが見つからず自ら命を絶つ人さえいるのだから深刻だ。

年間3万人を超す自殺者が出る日本社会には、日常的に、生きるとは何かを問う機会が必要ではないか。

自分が生きる意味を考えることなく過ごしていると、ある時、突然空虚な気持ちになる。深刻なまでに思いつめることすらある。
そして、分からないなりに人生の意味づけがぼんやりとできてくると、ようやく楽になり、少し達観できる。

本来、こうした心の支えは宗教の果たす役割が大きいはずだが、日本社会では、政治・行政において宗教がタブーとなっておりなかなか難しい。

であれば、哲学の切り口から、人間の存在を見つめ直す機会をもっと取り入れてはどうか。

そんなことを考えさせられた小一時間であった。

shigetoku2 at 00:57|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 行政・地方自治 

2009年08月18日

農村文明と木島平村

7月末に長野県北部の木島平村を訪問した。


この村は、“いのち”の循環そのものを体感することのできる村だ。

村を囲む豊かな山林では、ブナが育ち、繁り、倒壊する。ブナが倒れた箇所は、森の中に光が差し込む“ギャップ”を形成し、新たな樹木の誕生を促す。
こうしたサイクルが数十年で繰り返されるのである。

湿原にはニッコウキスゲやミズバショウが咲き乱れる。

山から里へと向かって美しい扇状地が開け、ブナ林から伏流水となって里に名水が湧き出る。
この水は、全国トップレベルの美味しいコシヒカリを生産する豊かな田の水利となり、村民が日々口にする美味しい飲み水となる。

美しい水は、村の特産品を生み出す。
最近、この村で誕生した名物そば「名水火口(ぼくち)そば」を生み出したのもこの水である。つなぎには、「雄山火口」(おやまぼくち)というヤマゴボウの一種が使われているという。


今回の旅程では、国際日本文化研究センターの安田喜憲教授とご一緒させていただいた。
安田教授は、世界文明を生み出し、人類の繁栄を支え続けてきた森・川・里・海の循環の重要性を説く「環境考古学」の創始者である。

そもそも人類とは、太古の昔より“森の民”だという。

都市に人口が集積し、産業や金融が発展し、欧米のリードにより経済のグローバル化が進んできたのは、たかだかここ数百年。
この間、都市文明は、工業生産性や生活の“利便性”を高めることを目的として、自然と対峙し、自然を破壊し続けてきた。

こんな都市文明に対し、本来、人類が森・川・里・海の循環の中で、自然と共生し肥沃な大地の上で、豊かな農耕生活を営々と築いてきた「農村文明」こそが、人類の悠久の歴史そのものである。

昨年来、世界的な経済危機に直面し、経済合理性や利潤最大化一辺倒のグローバル経済に少なからぬ人々が疑問を抱き始めた。
今こそ、国土の多くが森林として残されている日本は、持続可能な人類社会に向けて、世界人類共通の長い歴史に裏付けられた「農村文明」、「自然との共生」といった価値観をあらためて提唱すべきではないか。

どんな取り組みも、日本の伝統文化にそむくことは、長期的に見て成功しない。
物質的に豊かなのが都市であることは確かだが、農村が大切にすべきものは豊かな「心」。
難しいテーマだが、行政が宗教心をどう取り込んでいくかも、これからの課題。

・・・若い者にも気さくに語りかけてくださる安田先生の話は、世の中の真理を追求する強烈な主張である。迫力と説得力、そして魅力に満ちている。

1年ほど前に聞いた、気仙沼でカキ養殖を営む畠山重篤さんは、この理論の実践家と言えよう。


ところで、この村の高社山(こうしゃさん)という山にはスキー場があるが、パラグライダー発祥の地でもあり、夏場には山頂近くから飛び立つ方々が多数。
田園の美しい豊かな農村風景を上空から眺めたら、さぞかし感動するだろうと想像するけれども、自ら試す勇気までは・・・。
昨年4月からこの村の副村長の任にある総務省の後輩である戸梶晃輔くんに「やってみたら」と勧めるの精一杯であった。

shigetoku2 at 07:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 地域活性化・地域の話題 | 日本論・人生論

2009年08月04日

小中学生のまちづくり教育

全国の小中学校教員有志で構成されるTOSS(Teachers Organization of Skill Sharing)のサマーセミナーが有楽町よみうりホールで行われた。

ざっと1000人は集まっていただろうか、一つ一つのプレゼンに対する会場の反応や拍手はすごく、大変な熱気だった。

TOSSは、様々な教科の教育技術を法則化・共有し、学校教育の質を高めていく取り組みを続けているNPOだ。
総務省地域力創造グループでは、TOSSと連携して、全国の小中学校で「まちづくり教育」を進めていく方針である。

「まちづくり教育」とは、授業で通常行われている「まち調べ」の域を超え、どうしたら自分の住むまちがより魅力的になるか、子どもたち自身で考える力を身につけるための教育である。
これを実現するためには、まずはこれを教える先生たちが地域や行政と連携をとりながら、地域を知り、地域づくりのスキルを学ぶ必要がある。

その第一歩として、TOSSの先生方が夏休み期間中に、TOSSと総務省との連名文書を手に、各市町村長さんに対して「まちづくり教育」への協力要請をすることになっている。

今回のサマーセミナーは、TOSSと総務省との連携事業の事実上のキックオフの機会となった。


セミナーでは、電子黒板(スマートボード)を使い、立体的な画像をつくり上げることのできるグーグルの「スケッチアップ」技術を駆使した模擬授業が行われた。

森林保全の問題や、大都市のヒートアイランド問題をビジュアルに見せながら、小気味よいテンポで次々と繰り広げられた。

とりわけ、先生と子ども(役の先生)たちとの絶妙なやりとりは、エンターテインメント性すら帯びていた。

スケッチアップを使えば、画面上で地球と太陽と月をつくりだし、皆既日食の仕組みを学ぶ授業だってできてしまうのである。
構造物建築、都市計画、街路の景観・・・何にでも応用できるので、まちづくりの具体的なアイディアを授業の中でいくらでも創造できるのではないかと思う。
授業だけではない。地域で大人たちが取り組むまちづくりに活用する可能性のある技術ではないかと感じた。


プログラムの最後は向山洋一代表が、学校教育の10カ条について熱弁をふるわれた。
その中で印象的だったのは、「どんな小さなことでも子どもたちとの約束を守らなければならない」という言葉だ。
軽い気持ちで「みんなにお土産買ってくるからな」と言って旅行に行ったのに、何も持たずに帰ってくる。
そんな小さなことが2つ続くと、子どもとの信用関係が失われるというのだ。
大人にとっては冗談のように聞こえても、子どもたちはいつも先生の話を真剣に聞いているのだ。


ところで、「まちづくり教育」は、もしかしたら、地域で活動する大人たちにも応用できるスキルになるかもしれないと私は思っている。
大人であろうと、子どもであろうと、教わるべき基本は共通しているはず。
固定観念やしがらみが強くなっている大人に対する「まちづくり教育」は有効なのではないかと思うのである。
そこへ「スケッチアップ」のようなビジュアルな新技術が組み合わされば、かなり目から鱗のまちづくり談義ができるのではないかと思う。


さて、セミナー後の交流会では、模擬授業であれだけ会場を沸かせたTOSSの先生たちが、今度はバンド(おやじバンドって感じの)で歌や音楽を披露してくださった。

そして、向山代表のご令嬢でニューズウィーク誌「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれたアニャンゴこと向山恵理子さんによるケニア音楽の演奏があった。

ニャティティという楽器は初めて本物を見たが、実に不思議なものだ。
小型ハープのような弦楽器を手で両手で鳴らしながら、足で打楽器を操作する。
しかも座ったままケニア語(たぶん)で歌い上げるのだから、並みの肺活量ではない。
小柄で可愛らしいアニャンゴさんがすごい迫力に見えた。

ちなみにアニャンゴさんがつい先日出版した「夢をつかむ法則 〜アニャンゴのケニア伝統音楽修業記」は、アマゾンで上位にランキングされたそうだ。

とにもかくにも、肩や腰を振る踊りにみんなで興じた。

いや〜、音楽は力だ!

shigetoku2 at 07:46|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 行政・地方自治 | 家族と教育、子育て