2010年01月

2010年01月25日

“1億総当事者”社会をつくろう!

毎年、総務省の採用(1種事務系)向けに、「先輩からのメッセージ」という冊子が作成されている。

久しぶりに(確かめたらH17年度以来)原稿執筆依頼があったので、以下の文章を作ってみた。

自分自身も、組織の中堅ぐらいになってくると、これから役所に入る若者にはぜひ夢を持ち続けてもらいたいと心から願うし、いい仕事ができる環境をつくってあげる責務も感じる。
そんな想いを込めて書いたつもりである。

学生向けに、分かり易くまとめたつもりなのだが・・・ちょっと気負ってるというか断定調なのはご容赦いただきたい(苦笑)。

【以下、原稿のコピー】
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“一億総当事者”社会をつくろう!
〜「事業仕分け」、そして「新しい公共」へ〜

「事業仕分け」の3つの意義
政権交代直後に行われた「事業仕分け」については色んな意見があったが、通常の予算プロセスと比べ、3つの意義があったんじゃないかと思う。
(1)仕分け人の現場感
仕分け人は行財政のシロウトではあるが、現場からのダイレクトな意見には説得力がある。各省の担当者は、これを超える説明力を持たなければならない。
(2)オープンさ
会場は出入り自由、仕分け人とのやりとりはネット中継されるオープンさ。「この事業は必要だ」という利害関係者だけでなく、一般納税者からの「税金の無駄遣いだ」という声に耳を傾けざるを得ない。
(3)官僚のプレゼンテーションスキル
「お役所の常識」が通用しない人たちへのプレゼンテーションは、従来、官僚にあまり求められなかったスキルだ。話す内容はもちろん、受け答えや表情など全人格的に勝負する場となった。
国民から遠い存在であった官僚も、顔の見える関係づくりに努めなければならない時代だ。

他人まかせにしたくない国民意識
今回の事業仕分けは、予算を国民の目の前で議論したことに支持が集まった。これは、他人まかせでなく、“当事者”に近い立場に立ちたい国民意識の表れだと思う。
これまで日本では、役所にすべてを託していた。何か不満があると“官僚は何やってるんだ!”という声があがるのも、このためだ。
不満は、社会変革に向けた第一歩だが、他人まかせにしているうちは、何も変わらない。
成熟国家ニッポンでは、公共領域を行政が独占するのでなく、多くの国民が参画した“ぶ厚いパブリック”を目指すべきである。

行政刷新とは、官民関係の再構築 〜「新しい公共」へ〜
行政依存が根強いわが国では、行政サービスを民間やボランティアに委ねようとすると、「財政難を理由に、行政の仕事を住民に押しつけるのか」との批判が出るのも現実だ。
(1)公務員参加型NPO!
この官民関係を再構築するにあたり、重要なのは、公務員自身の姿勢だ。
公務員だって一住民である。意欲ある公務員が、住民と一体となってNPOなど地域活動に参画することで、地域は大きく前進する。
○吹雪のバス停で待ち続ければならなかったバスの位置情報をケータイに提供するNPO法人「青森ITSクラブ」
○若手市議らとともに、住民参加の模擬議会を開催するNPO法人「ひろしま創発塾」
○小学校と連携して、大豆栽培や豆腐づくり教室を実施するおやじの会
○夏休みのラジオ体操や早朝の防犯活動を行う県職員おやじの会
私自身も色々やってきたが、大切なのは、地域や他者への愛と信頼だ。不信や責任転嫁は何も生まない。
(2)「官民連携」から「官民融合」へ
これからは、官と民が壁を隔てて(無理に)握手する「官民連携」を超え、社会のあらゆる人材が官民の壁を取っ払って縦横無尽に活躍する「官民融合」の発想が必要だ。
官民間の人材流動化を進め、NPOが補助金頼みでなく、寄付や出融資等のファンドレイジング(資金集め)ができる仕組みを作らなければならない。
(3)中央集権からネットワークへ
○地域活動を実践する全国の公務員が、組織を超えて結びつく「地域に飛び出す公務員ネットワーク」。
○全国各地の行政・メディア・金融機関・NPOが毎月早朝に集う「地域力おっはー!クラブ」。
組織内外のボーダーをなくし、ネットワークを広げるのは、中央集権にはなかった方向性だ。

“1億総当事者”の時代へ
日本社会は、間違いなくこんな方向に向かっている。
地域主権への流れは、政府・自治体間の役割分担にとどまらず、必ずや官民の役割の問い直しにつながるだろう。
なぜなら、夢があり心豊かに暮らせる社会づくりを望んでいるのは、行政だけでなく、1億人の国民すべてだからだ。
私が関わってきたNPO活動等に、地域の仲間が集まったのも、このためだ。
総務省に入って十数年。日本全国を舞台とし、地域の現場、国・地方の行財政力学を学ぶ中で、いかに新しい社会をつくっていくかを構想し、実践してきた。
公共空間を自在に駆け回る公務員たちが、リーダーとして期待される役割は極めて大きく、その可能性は無限に広がっている。
社会への感性を研ぎ澄まし、“1億総当事者”の時代を思いっきり駆け抜けたいという気概を持つ諸君は、ぜひ総務省の門を叩いていただきたい。


shigetoku2 at 22:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 行政・地方自治 | NPO

2010年01月18日

得すること、損すること

敬虔なカトリック教徒としても知られる作家の曽野綾子さんが、ある雑誌への寄稿の中で次のように述べておられる。

【以下引用】
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人生のことを「損得」の勘定で選ぶことは、マーケットで買い物をするときくらいなものだ。
3本でいくらというキュウリを買う時など、私は真剣に素早く太くてイボのはっきりしたキュウリを選んでいる。
しかし他のもっと大切な人生の選択は、あまり損得で決めたことはない。
・・・

損か得かということは、その場ではわからないことが多い。
さらに損か得かという形の分け方は、凡庸でつまらない。
人生にとって意味のあることは、そんなに軽々には損だったか得だったかがわからないものなのだ。

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キュウリの例は面白い。

確かに、スーパーで買ってきたバナナが傷んでいたとき、リンゴの歯ごたえが柔らかかったとき、卵にヒビが入っていたときなど、ショックは大きい。

しかし人生の選択では、そもそも損得が分からないことも多い。

他人に言われて初めて気がつく場合も多い。

だから、選択を迷ったときには、もしかして損するかもしれない、と心配になって他人に相談することもあるが、結局損得は分からないことが多い。

分からないまま、自分で決めるしかない。


【以下また引用】
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現世でのご利益を、私の信仰では求めないことになっているのだが、不思議なくらい、私が誰かに贈ることのできたものは、神さまが返してくださっているような気がする。
運命を嘆いたり、人に文句ばかり言っている人と話をして気がつくことは、多くの場合、そういう人はだれかにさし出すことをほとんどしていない。

与える究極のものは、自分の命をさし出すことなのだが、私のような心の弱い者には、とうていそんな勇気はない。
しかしささやかなものなら、さし出せるだろう。

国家からでも個人からでも受けている間(得をしている間)は、人は決して満足しない。
もっとくれればいいのに、と思うだけだ。
しかし与えること(損をすること)が僅かでもできれば、途方もなく満ち足りる。
不思議な人間の心理学である。

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社会や他者に不満を感じることは、実は、世の中を良くするための第1歩だと思う。

ただし、第2歩として、他者を批判したり他者からの施しを求めるのではなく、他者を理解し、社会を良くするため自分に何ができるのか考え、行動できるかどうかが重要であり、もしこれができれば、“途方もなく満ち足りる”はずだ。


この意味で、本来、行政の仕事などは“満ち足りる”チャンスの多い仕事の1つだと思っている。

もっとも、人によっては“損な”仕事に見えるかもしれない。

自分の心がけ次第である。

shigetoku2 at 07:15|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 日本論・人生論 

2010年01月12日

天下りについて

昨年の事業仕分けで議論になることが多かったテーマの一つに、「天下り」がある。

官庁OBの再就職の指定席となっている独立行政法人や公益法人に対して、様々な形で税金が流れている、という手のものである。

役所からの割高な委託費でOBの人件費を賄っているとか、特定の法人に対して長年にわたり随意契約で支出されているとか、過去に政府が拠出した多額の基金の運用益で活動費を賄っているとか、さまざまパターンが指摘された。


天下りについては、公務員の厚遇とか税金の無駄遣いの典型例として、長年にわたり、マスコミ・世論から凄まじい批判を浴びてきた。

現に天下り先は少しずつ減ってきているようであり、私ぐらいの年次だと、入省まもない頃から「君たちの頃にはもう天下りなんてなくなっているだろうな」と諸先輩から言われ続けてきた。
20〜30代の官僚は、マスコミで批判される“役人天国”を実感したことのない(今後実感することもないであろう)世代である。

もっとも、天下りの話題になると、役所内だけでなく、意外と民間人の中にも
「一概に悪いこととはいえないんじゃないか。50歳そこそこの有能な人(早期退職をした人)の能力を役所の中に埋もれさせるより、外で発揮した方が良い。受け入れ側にとっても役所とのパイプは役に立つ。それに、弁護士とか高給な民間企業に行くこともできたような学歴を持つ人が、長年にわたり安月給で役所の長時間労働に耐えてきた後に少しぐらい厚遇されなければ、もとが取れないし、役所に入る人材を確保ができなくなるんじゃないか?」
という方もいる。(かなりひいき目に見てくれている人の場合だと思うが。)

実際問題、天下りがなくなり、すべての公務員が定年まで役所で働くようになれば、その分の人件費(税金からの拠出)が余計にかかるはずであり、実はこれが天下りをなかなか廃止できない最大の原因と考えられる。

高齢の公務員が組織内に増えるからといって、幹部ポストの数には限度があるので、処遇が難しい。
かといって、幹部にならない高齢職員への給料を高くするわけにもいかない。
であれば、高齢職員の給与を激減させたり、あるいは、これを機に公務員給与全体を下げることも考えられるが、さすがに組織全体の士気が下がったり、若い人材が集まらなくなる懸念もある。

色々考えると、そこまでして天下りを廃止して公務員を定年まで組織内にとどめさせる必要があるか、という議論になりかねず、なかなか困難な問題だ。


しかし、天下りの仕組みや、これを守ろうとする官僚の態度が続く限り、メディアや国会における官僚批判がやむことはないだろうし、官僚や政府に対する国民の信頼が高まることはないと思われる状況になってしまっている。


天下りについて、私がよく思うのは、次のようなことである。

(1)「天下りがあるから役所に入った」という官僚はまずいない。

退職後の再就職のことまで考えて官僚になったという話は聞いたことがない。
もっぱら現役中のやりがいを求めて職業選択をしているはずだ。

その裏返しとして、再就職先で「まさにこれが天職だ!」と目を輝かせて仕事をしている人もあまり見たことがない。

個々人レベルで、早く退職してどうしても天下りしたいと思っている人はいないだろうけれども、人事システムがそうなっている以上、消極的選択としてそうならざるを得ないのが現状である。

それなのに、天下り批判により官僚が叩かれまくっているため、中堅・若手の職員まで、本来気にする必要のないことで士気を下げる形になっているのは皮肉なことであり、きわめて悲しい事態である。

でも、天下りは人事管理システムの一環なので、天下りがシステムとして廃止され、別の人事ルールが整備されるまでは、現在の環境のもとで個人の能力や人脈で別口の再就職とか起業ができる人以外は、現時点では、個人々々の力では批判に対応のしようがない状況である。

なお、本来、組織のお世話により消極的選択として天下りするより、自ら強い問題意識を持って、NPOなど民間非営利組織に転身し、公務員として培ったスキルを積極的に活用すべきというのが私の持論である。

これを促進するための環境整備は、公務員のためというよりは、民間非営利組織全体を活性化させるためにぜひ必要である。


(2)中堅・若手からすると、将来どこかの天下り先で働く自分の姿を想像すらできない状況にある。

たとえば議員から天下りの実態を批判する趣旨の質問があった際、“守り”の答弁書を作成するのは、とても後ろめたい気持ちになる。
でもしょうがないと割り切って、個人の想いとは異なる答弁を作成することもある。

しかし、近い将来、天下りなんてできなくなりそうだ。

では現役公務員は、一体なんのために一生懸命、天下りを擁護しているのだろうか。

現役公務員は、将来展望として、天下りのシステムなき後、いったいどういう職場組織や人事の仕組みが望ましいのか、もっとよく考えるべきである。

今後の日本の公共的課題は、官のみでなく、NPOや社会的企業を含む官民の力を合わせた“新しい公共”により解決していく流れにあるのだから、次の時代に適した人材資源の配分のあり方について、社会全体の問題として、同時に官僚自身の問題としてもっと議論するべきである。


(3)天下りが廃止され、役所で仕事をする期間が伸びるのであれば、採用された省庁だけでなく、いろいろな省庁に転籍する仕組みがほしい。

世の中の動きは早い。

私が自治省に入省した平成6年以降、環境庁と防衛庁が省に昇格し、新たに金融庁や消費者庁などが誕生した。
自治省が総務省になるなど、省庁の統合も行われた。

中長期的に見れば、社会の動向に応じて、省庁は大きくなったり小さくなったり、新設されたり廃止されたりする。

40年(採用から定年退職まで)スパンで考えて、重要性を増した役所に人材をシフトさせていく仕組みも必要だと思う。

逆に、重要性が薄れた役所や部門も、人員を機動的にシフトして縮小しないと、必要性の薄い政策が継続される弊害もある。

こうした発想は、公務員の採用一元化とか、幹部人事の一元化という形の公務員制度改革として議論されているが、「改革」の手前の、省庁間の合意に基づく人事運用の「カイゼン」レベルでも、相当なことができるのではないかと思う。


(4)特定の天下り法人に対する財政支出を止め、NPOや公益法人など様々な民間非営利法人が同じ条件で、資金にアクセスできるような社会環境をつくるべきだ。

想いあふれる優秀な官僚であれば、官庁を辞めた後、NPOや社会的企業を立ち上げ、組織ではやれなかった社会問題の解決を目指した活動に乗り出してはどうかと思う。

組織に雇われ、税金から給料を得る立場から、雇用を生み出し、税金を払う側に回るのも、意味のある立ち位置の転換であろう。

いったん公務員を辞めた者が、NPO等から行政に戻ってくるルートがあってもいい。
NPO人材を中途採用するルートを広げ、公務員人材を多様化すれば、行政組織も活性化する。

天下り法人に限って財政資金が流れる仕組みを撤廃し、社会への貢献度合いの高い民間組織が等しく正当な評価を得て、民間資金が集まるような仕組みを日本社会に根付かせる方策を考えていきたい。

公務員出身者が民間非営利組織のプレーヤーになったり、元プレーヤーが公務員になったりするような人材流動を起こすことにより、公共に奉仕する人材の層の厚みと多様性がぐっと増し、成熟国家ニッポンにふさわしい社会を作り上げていくことができるだろう。

こうした議論を始めると終わりがなくなるので、この辺りにするが、日本の公共社会の再構築を進めることは、実は、日本の官僚が、胸を張って日本のために仕事をしているという誇りを持って働ける環境づくりにもつながると思う。

天下り問題を一つのきっかけとして、こんな議論を深めていきたいものである。

shigetoku2 at 07:19|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 行政・地方自治 

2010年01月01日

混ざった暮らし

大晦日に、愛知県長久手町のゴジカラ村を訪問した。

雑木林に囲まれた斜面に、「もりのようちえん」、託児所、ケアハウス、特別養護老人ホームなど様々な施設があって、お年寄りから子どもたちまで幅広い年代の人たちがお互いに行き来しながら過ごせるようになっている。

理事長の吉田一平さんによると「昼間は大人も子どもも、みんなそれぞれに決められたルールや規則の中で生きているけれど、夕方5時を過ぎれば、誰もが本来の自分に戻る。そういう等身大のつきあいがいつもある場所を作りたかった」(奥様ジャーナル紙より)。

子育て世代の私からすると、やはり圧巻は「もりのようちえん」だ。

ごみごみした街なかに作られた手狭な幼稚園に比べ、広さはもちろんのこと、雑木林の中の斜面は、自然がそのまま残されており、季節によって移り変わる環境は、子どもの本能的な冒険心を否応なくくすぐるはずである。(私も子どもに戻って遊びたいぐらいだ!)
教室や職員室もログハウス風で、地域の人たちも出入りできる憩いの場になっている。

また、通常の老人施設は、要介護者と介護サービス提供者だけで構成され、世の中から隔絶された環境になってしまいがちなのに対し、ゴジカラ村の施設は、子どもや若い世代が出入りする環境にある。

このほかにも、今回は訪問できなかったが、ぼちぼち長屋では、寝たきりのお年寄りと子連れ家族や独身OLが、一つの「長屋」で共同生活を送る仕組みになっているそうだ。

吉田さんは、こうした「混ざった暮らし」をすることによって、固定的な人間関係によって失われがちな「立つ瀬」が得られ、人間の本来的な生き方ができるはずと語る。


ただ、このように従来の“通常”の概念を大きく転換する取り組みを実践されている吉田さんは、幼稚園や福祉施設に関する行政のタテ割り・画一的な設置基準とは戦い続けてこられたようだ。

広く納税者から集めた税金を扱う行政には、効率・平等・公平といった観点がどうしても伴いがちだ。
これは、すべての納税者に対して説明責任を求められる行政にとって、必要悪という側面もある。

しかし、すべてを行政の枠組みに当てはめようとすることに本来的な無理がある。

人の暮らしや人生に、タテ割り・画一といった合理的な整理はできないのである。

人間の本来的な生き方を肯定し、真に豊かな生活を送ることのできる日本をつくっていくためには、公共のあり方を行政が独占的にルール化してきた姿を改め、地域社会の様々な担い手の主体的な行動と責任による社会づくりが必要である。

新年を迎え、あらためて従来の官独占から、官民協働・官民融合による「新しい公共」への転換を進めていきたい想いが強くなる一方である。

皆様、こんな私ですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします!!

shigetoku2 at 18:49|PermalinkComments(6)TrackBack(0) 地域活性化・地域の話題 | 行政・地方自治