2010年05月
2010年05月31日
“官民融合”(2)〜公共領域のイノベーションを〜
通常、NPOなどの現場サイドが現状の問題点を行政に訴え、制度改正や弾力的な運用を求める際、前回述べたような“壁越しの握手”の状態では、行政側が現場の事情を容易に理解できないことが多い。
ルールに基づいて仕事をする公務員から見ると、民間側が求めていることが自分勝手な言い分に見えることが多いのである。
たしかに、行政のルールというのは、多くの関係者の利害をあれこれ勘案してようやく出来上がるものであり、公平性を破る例外をつくれば、均衡が崩れてしまうことにつながるのも事実だ。
しかし、ルールは常にすべての人を満足させるとは限らないのであり、一律のルールが唯一絶対ととらえて思考停止してはならない。
また、ルールを定める権限を有する行政の立場は、民間に比べて圧倒的に強いのだから、異論に対しても自分勝手だと切り捨てるのでなく、そうした少数者の声をもきちんと受け止め、常時改善に努める姿勢を持つことは、本来、行政の重要な責務であろう。
そこで、ヨコハマ特区では、こうした官民間の意思疎通の阻害要因となっている“壁”を取っ払い、公務員が、NPO側の発する声を受け身で聞くのでなく、むしろ現場のNPOの一員へと立ち位置を変えた、新しい事務局スタイルを提案しているのである。
この“官民融合事務局”では、行政のロジックや組織事情を理解する公務員が、NPO人と一緒になることによって、現場サイドの実情を直接把握しながら、現場の当事者の立場からソリューションを企画立案し、行政を含む諸機関との調整を円滑化する役割を果たすことになる。
これを可能とするためには、NPOが設立する事務局に相応の権限と責任が伴う必要がある。(そのための特区提案である。)
現場のエンパワメントは、この特区の本質である。
「与えられた制度へのあてはめをするのが現場」という構図を脱却し、「現場が頂点にあってそれを支えるのが制度」という姿の実現を目指すのである。
俗っぽく言うと、制度を考える人が一番エラくて、その下の下の下ぐらいに、現場担当者がフラスト抱えながら、苦しんでる人間の人生を必死に支えている、みたいな構図からのパラダイムシフトとでも言おうか。
現状では、役所の政策立案の場には、現場感覚が常時ダイレクトに伝わる機能が不足していると思う。
数年に一度の制度改正時に、有識者を集めた審議会や検討委員会を数回やって、最大公約数的なルールの見直しを行うのが通例だ。
事務局は行政の一部局が務めるため、所管や前例の域を超えることがなかなかできず、民間のダイナミズムも加味されないため、革新的な変化が遂げられないことが多い。
こうした従来のスタイルと異なり、現場の温度が恒常的な刺激としてボトムアップで伝わってくる仕掛けを官民一体となって構築することで(それが官民融合事務局)、“公共領域のイノベーション”を生み出したい。
実は、こうした現場のエンパワメントや、現場発のイノベーションは、中央集権へのアンチテーゼでもある。
地域の多様性・独自性に基づく発展を志向する地方分権、地域主権論とも密接不可分なのである。
現状の地方分権論は、基本的に地方自治体という行政主体のニーズに基づいているため、どうしても財源や人材といった要素を前提とせざるを得ない。(そのため、「財源とセットでなければ、その権限は受けられない」といった駆け引きが行われたりして、かえって権限移譲が進まない場面も出てくる。)
しかし、NPOの場合は「現場に何が必要か」という視点から地域に必要な施策を求めることになるため、自治体が「国の法令で決まっているので、それは自治体限りでは判断できません」といった対応に終始することになると、結局、公共サービスの革新をするためには、中央集権体制から脱しなければならないことが、現場でも理解されるようになるのではなかろうか。
つまり、エンパワメントされた官民融合事務局の登場は、現場に近い自治体の変革とともに、全国一律の画一行政から脱却する地方分権の流れの加速につながることが予想されるのである。
ルールに基づいて仕事をする公務員から見ると、民間側が求めていることが自分勝手な言い分に見えることが多いのである。
たしかに、行政のルールというのは、多くの関係者の利害をあれこれ勘案してようやく出来上がるものであり、公平性を破る例外をつくれば、均衡が崩れてしまうことにつながるのも事実だ。
しかし、ルールは常にすべての人を満足させるとは限らないのであり、一律のルールが唯一絶対ととらえて思考停止してはならない。
また、ルールを定める権限を有する行政の立場は、民間に比べて圧倒的に強いのだから、異論に対しても自分勝手だと切り捨てるのでなく、そうした少数者の声をもきちんと受け止め、常時改善に努める姿勢を持つことは、本来、行政の重要な責務であろう。
そこで、ヨコハマ特区では、こうした官民間の意思疎通の阻害要因となっている“壁”を取っ払い、公務員が、NPO側の発する声を受け身で聞くのでなく、むしろ現場のNPOの一員へと立ち位置を変えた、新しい事務局スタイルを提案しているのである。
この“官民融合事務局”では、行政のロジックや組織事情を理解する公務員が、NPO人と一緒になることによって、現場サイドの実情を直接把握しながら、現場の当事者の立場からソリューションを企画立案し、行政を含む諸機関との調整を円滑化する役割を果たすことになる。
これを可能とするためには、NPOが設立する事務局に相応の権限と責任が伴う必要がある。(そのための特区提案である。)
現場のエンパワメントは、この特区の本質である。
「与えられた制度へのあてはめをするのが現場」という構図を脱却し、「現場が頂点にあってそれを支えるのが制度」という姿の実現を目指すのである。
俗っぽく言うと、制度を考える人が一番エラくて、その下の下の下ぐらいに、現場担当者がフラスト抱えながら、苦しんでる人間の人生を必死に支えている、みたいな構図からのパラダイムシフトとでも言おうか。
現状では、役所の政策立案の場には、現場感覚が常時ダイレクトに伝わる機能が不足していると思う。
数年に一度の制度改正時に、有識者を集めた審議会や検討委員会を数回やって、最大公約数的なルールの見直しを行うのが通例だ。
事務局は行政の一部局が務めるため、所管や前例の域を超えることがなかなかできず、民間のダイナミズムも加味されないため、革新的な変化が遂げられないことが多い。
こうした従来のスタイルと異なり、現場の温度が恒常的な刺激としてボトムアップで伝わってくる仕掛けを官民一体となって構築することで(それが官民融合事務局)、“公共領域のイノベーション”を生み出したい。
実は、こうした現場のエンパワメントや、現場発のイノベーションは、中央集権へのアンチテーゼでもある。
地域の多様性・独自性に基づく発展を志向する地方分権、地域主権論とも密接不可分なのである。
現状の地方分権論は、基本的に地方自治体という行政主体のニーズに基づいているため、どうしても財源や人材といった要素を前提とせざるを得ない。(そのため、「財源とセットでなければ、その権限は受けられない」といった駆け引きが行われたりして、かえって権限移譲が進まない場面も出てくる。)
しかし、NPOの場合は「現場に何が必要か」という視点から地域に必要な施策を求めることになるため、自治体が「国の法令で決まっているので、それは自治体限りでは判断できません」といった対応に終始することになると、結局、公共サービスの革新をするためには、中央集権体制から脱しなければならないことが、現場でも理解されるようになるのではなかろうか。
つまり、エンパワメントされた官民融合事務局の登場は、現場に近い自治体の変革とともに、全国一律の画一行政から脱却する地方分権の流れの加速につながることが予想されるのである。
2010年05月28日
“官民融合”(1)〜連携を超えて〜
前回書いたヨコハマ特区を実現する上での重要なポイントの1つは、パーソナルサポーターの活動を支える「官民融合事務局」である。
“官民連携”ではなく“官民融合”というのには理由がある。
近年、行政と住民との協働や住民参加型行政などの“官民連携”が進んできたが、“連携”はどうしても「官と民が壁越しに無理に握手しようとする」ような構図になる。
官の側にいる人は、何か民のお役に立てればと考えてはいるものの、あくまでも官は官、民は民、と立場が違うことを前提として物を考えている。
このため、民が行う公共活動に対して「結構なことですが、行政としてはこれ以上関わりを持つことはできません」と、常に公平性の観点から分をわきまえ(?)、どこか他人事のように見ていることが多い。
民間人の活動に熱烈なシンパシーを感じ、身も心も一緒になって取り組もうという姿勢をあらわにする公務員は少数派ではなかろうか。
また、「住民参加型行政」にはいろんな形態があり、官民が絶妙な協力関係をつくれているケースも中には存在するが、基本的にはあくまで行政の土俵の上で、住民の意見は聞くものの、その意見は行政の事務局で調整し、もっぱら行政が主導して決定することが多い。
一方、民の側で活動する人は、行政固有の公平中立性や予算や議会のプロセスなど、行政のロジックを理解していないことが多いから、行政との接点が増えれば増えるほど、行政の動きが鈍いとか融通が利かないと感じることが多くなってしまう。
はじめのうちは官の気の利いた動きに期待はするものの、しまいには「下手なおせっかいをするぐらいなら、口出しせず邪魔しないでくれれば官の役割としては十分だ」と皮肉まじりに(?)言うようになる人も少なくない。
つまり、志はともに地域社会、公共社会に貢献しようとしているはずなのに、官民間には越えがたい壁があるのが現状だ。
そんなわけで、“協働疲れ”などといわれることがあるように、長く協働に取り組んできた地域であっても、どうしても相互の立場の違いを理解しあえない状況が続いていることが多い。(もっとも、官民連携の取り組みがほとんど進んでいない地域もあるわけだから、くたびれるほど協働しようと頑張っているところには心から敬意を表したいと思っているが。)
そこで、これからの官民の協力関係は、こうした壁を取っ払い、お互いが同じ立場でモノを考え行動する“官民融合”であるべきと考えている。
私が関わってきたNPO法人青森ITSクラブやNPO法人ひろしま創発塾では、公務員が欠かせないメンバーとなっている。
こうしたNPOを“公務員参加型NPO”と呼んでいる。
NPOは非行政組織であるが、その構成員が非公務員でなければならないわけではない。
いや、むしろ公務員は役所の人間である以前に、一住民であることをもっともっと認識すべきで、住民の一員としてNPO活動に参画すべきである。
そもそも民間人でもNPOに専従する人はまだ少なく、多くの場合、本業を持ちながらNPOの運営をするケースもあるのだから、公務員が勤務時間外にNPOに参加することと何ら変わりないのである。
いや、むしろ公共の仕事を本業とする公務員こそNPOの担い手たるべきという見方もできると思う。
また、ふだん役所組織ベースでタテ割りでモノを考える公務員も、NPOという器に民間人と一緒に所属すると、行政の立場を超え、NPOのミッションに基づいた建設的な議論ができるようになる。
行政組織の中では気づかなかったような本質的な発見をすることも多い。
この意味でも、公務員が行政組織を飛び出して活動する意義は大きい。
NPOは、いわば、公務員個人の能力を組織内のみで活用するのでなく(組織に埋もれさせず)、地域社会に役立つ潜在力をより大きく引き出す仕掛けになるのである。
このように、公務員が官の土俵上のみで仕事をすることを前提として、“官民連携”と称し民間人まで官の土俵に引っ張り込むのでなく、むしろ官と民が一体となって広い社会を縦横無尽に活動展開し、官と民の2項対立みたいな図式を脱するイメージが、“官民融合”なのである。
“官民連携”ではなく“官民融合”というのには理由がある。
近年、行政と住民との協働や住民参加型行政などの“官民連携”が進んできたが、“連携”はどうしても「官と民が壁越しに無理に握手しようとする」ような構図になる。
官の側にいる人は、何か民のお役に立てればと考えてはいるものの、あくまでも官は官、民は民、と立場が違うことを前提として物を考えている。
このため、民が行う公共活動に対して「結構なことですが、行政としてはこれ以上関わりを持つことはできません」と、常に公平性の観点から分をわきまえ(?)、どこか他人事のように見ていることが多い。
民間人の活動に熱烈なシンパシーを感じ、身も心も一緒になって取り組もうという姿勢をあらわにする公務員は少数派ではなかろうか。
また、「住民参加型行政」にはいろんな形態があり、官民が絶妙な協力関係をつくれているケースも中には存在するが、基本的にはあくまで行政の土俵の上で、住民の意見は聞くものの、その意見は行政の事務局で調整し、もっぱら行政が主導して決定することが多い。
一方、民の側で活動する人は、行政固有の公平中立性や予算や議会のプロセスなど、行政のロジックを理解していないことが多いから、行政との接点が増えれば増えるほど、行政の動きが鈍いとか融通が利かないと感じることが多くなってしまう。
はじめのうちは官の気の利いた動きに期待はするものの、しまいには「下手なおせっかいをするぐらいなら、口出しせず邪魔しないでくれれば官の役割としては十分だ」と皮肉まじりに(?)言うようになる人も少なくない。
つまり、志はともに地域社会、公共社会に貢献しようとしているはずなのに、官民間には越えがたい壁があるのが現状だ。
そんなわけで、“協働疲れ”などといわれることがあるように、長く協働に取り組んできた地域であっても、どうしても相互の立場の違いを理解しあえない状況が続いていることが多い。(もっとも、官民連携の取り組みがほとんど進んでいない地域もあるわけだから、くたびれるほど協働しようと頑張っているところには心から敬意を表したいと思っているが。)
そこで、これからの官民の協力関係は、こうした壁を取っ払い、お互いが同じ立場でモノを考え行動する“官民融合”であるべきと考えている。
私が関わってきたNPO法人青森ITSクラブやNPO法人ひろしま創発塾では、公務員が欠かせないメンバーとなっている。
こうしたNPOを“公務員参加型NPO”と呼んでいる。
NPOは非行政組織であるが、その構成員が非公務員でなければならないわけではない。
いや、むしろ公務員は役所の人間である以前に、一住民であることをもっともっと認識すべきで、住民の一員としてNPO活動に参画すべきである。
そもそも民間人でもNPOに専従する人はまだ少なく、多くの場合、本業を持ちながらNPOの運営をするケースもあるのだから、公務員が勤務時間外にNPOに参加することと何ら変わりないのである。
いや、むしろ公共の仕事を本業とする公務員こそNPOの担い手たるべきという見方もできると思う。
また、ふだん役所組織ベースでタテ割りでモノを考える公務員も、NPOという器に民間人と一緒に所属すると、行政の立場を超え、NPOのミッションに基づいた建設的な議論ができるようになる。
行政組織の中では気づかなかったような本質的な発見をすることも多い。
この意味でも、公務員が行政組織を飛び出して活動する意義は大きい。
NPOは、いわば、公務員個人の能力を組織内のみで活用するのでなく(組織に埋もれさせず)、地域社会に役立つ潜在力をより大きく引き出す仕掛けになるのである。
このように、公務員が官の土俵上のみで仕事をすることを前提として、“官民連携”と称し民間人まで官の土俵に引っ張り込むのでなく、むしろ官と民が一体となって広い社会を縦横無尽に活動展開し、官と民の2項対立みたいな図式を脱するイメージが、“官民融合”なのである。
2010年05月20日
NPOによる「パーソナルサポーター」実現特区
行政のタテ割りは、不満の的になることが多い。
霞が関での政策立案においてもタテ割りの弊害を指摘されることも多いが、身近な自治体でも、1つの手続きをするのに、いくつもの窓口を回らなければならないこともあり、「融通が利かないな〜」と感じたことのある方もいるはずである。
特に、仕事が見つからず生活が困窮しているとか、家庭環境や心身の疾病、多重債務に悩んでいるとか、困った度合いの高い人にとって、役所のたらい回しのような対応は苦しみを増幅させるのではないだろうか。
“サービス提供者”としての役所の資質を問われる場面である。
自治体の中には、盛岡市や滋賀県野洲市のように、多重債務などのトラブルを抱える消費者が窓口に行けば、市役所内の税、福祉、国保料、公営住宅家賃などの各部署だけでなく、外部の弁護士・司法書士が連携して、包括的・総合的に関わってくれる体制を整えているところもある。
ただ、すべての自治体がこのような体制をつくることは一つの理想であるが、現実にはなかなかそうはいかない。
しかしよく考えてみると、そもそもこうした総合的なサービスは、自治体にしかできないのだろうか?
むしろ、現に日々困窮者と向き合い、一時的・金銭的な救済のみならず、本人の立場に立って中長期的な自立や安定的な社会生活を送れるよう支援活動を行っているNPO団体が、“総合相談窓口”役を果たすことができれば、さらに良いのではないか?
・・・こうした考えから、“行政が主導してNPOに(タテ割りの)サービスを提供させる”のでなく、むしろ“NPOが主体となり、本人のニーズにあわせて行政の持つさまざまなリソースを使いこなす”「パーソナルサポーター」を実現する試みを、横浜市内のNPO中心に進めている。
しかし、現行制度では、官と民の間には、権限などに相当な差が設けられており、この試みを実現するためには、こうした壁を突破しなければならない。
このため、今年3月〆切の構造改革特区(臨時受付)に16項目の提案を出し、現在、各府省の最終回答待ちの段階である。
大きくとらえれば、この取り組みは、NPOが、行政と並んで、公共領域のれっきとした担い手となる社会づくりを目指すものである。
成熟国家ニッポンは、権限を持つ一部の者が国民をリードする発展途上国型から、すべての人が社会のさまざまな問題の解決に主体的に取り組むスタイルに移行すべきだと思う。
“1億総当事者”の精神である。
この段階で、横浜の取り組みが、構想日本経由でプレスリリースされたので、ご紹介する。
【以下、提言のコピペ】
====================
緊急提言
日本をもっと生きやすい国にしたい
〜「パーソナルサポーター」特区の実現に向けて〜
【提案者】 市民で創るヨコハマ若者応援特区実行委員会
代表 岩永牧人(NPO法人ユースポート横濱理事長)/小川泰子(社会福祉法人いきいき福祉会専務理事)/川崎あや(NPO法人アクションポート横浜理事)/ 鈴木晶子(NPO法人ユースポート横濱事務局長)
【賛同者】
日置真世(NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事)/ 清水康之(NPO法人ライフリンク代表)/ 山口寛士(京都府雇用政策監)/ 奥田和志(NPO法人北九州ホームレス支援機構代表)/ 玉城 勉(沖縄県労働者福祉協議会事務局長)/ 湯浅 誠(反貧困ネットワーク事務局長)/ 加藤秀樹(構想日本代表)
1.背景
孤独死、派遣切り、DV、児童虐待、自殺・・・。
これらの背景にあるのは、家族・地域のつながりが希薄になり、弱者ほど頼るものがなく、孤立、無縁、貧困、更には死に至るという現代社会の病弊であり、もはや誰にとっても他人事ではありません。
2.これまでの対応の限界
このような問題に対して、行政の「セーフティネット」は、タテ割りで継続性に乏しく、複雑で、制度に精通しない者には行き届きません。
民間でも、NPOの活動の多くはそれぞれの分野ごとにとどまっており、家族や地域のつながりに代わるにはいたっていません。もはや単体では解決できないほどに複雑且つ深刻になっているのです。
3.「パーソナルサポーター」の実現を
この状況を打破するため、社会で孤立する人たち自身の立場に立って、本人に寄り添い、がんじがらめの制度にとらわれず存分に活動できる「パーソナルサポーター」と、それを民と官、NPO同士が融合してバックアップする体制を実現したいのです。
政府でもこうしたしくみの必要性がようやく議論され始めましたが、本気でこれを実現するには、行政が独占している就労支援や生活再建などの権限を現場に 大幅に移し、「制度に現場や人が従属するしくみ」を、「現場や人に制度が従属するしくみ」に全面的につくりかえなければなりません。
4.行動の第一歩
その第一歩として、私たちは、若者の就労支援のための「パーソナルサポーター」の仕組みを実現するため、関係分野の包括的な規制緩和を求めて、16項目の構造改革特区提案を行いました。
多くの前途ある若者が、社会の中でつながりをなくし、職に就けず、孤立・無縁であるが故にさらなる障害に直面しています。
就労意欲を失ったり、長らく就労を経験しなかった若者は、雇用情勢が回復した際にも、働き手として社会を担うことができなくなる懸念さえあります。
パーソナルサポーターは、官民の既存の資源を自在に活用することによってこの若人たちに、生活支援、住居確保、医療受診、社会参加、職業訓練など分野を越えて継続的な「寄り添い型」の支援をし、自立や就労を目指すのです。
5.全国各地、様々な分野で応用可能なモデル地域
この特区が実現すれば、冒頭で述べた様々な問題に対し、全国で様々なパーソナルサポーターが活動するために応用可能なモデルとなります。
そのためには、民と官の関係をつくりかえるような、この治外法権的とも言えるほど包括的な特区をなんとしても実現したい。
私たちは日本を生きやすい国にしたいのです。
お問い合わせ先:045−261−3410(ユースポート横濱:担当 岩永)
====================
霞が関での政策立案においてもタテ割りの弊害を指摘されることも多いが、身近な自治体でも、1つの手続きをするのに、いくつもの窓口を回らなければならないこともあり、「融通が利かないな〜」と感じたことのある方もいるはずである。
特に、仕事が見つからず生活が困窮しているとか、家庭環境や心身の疾病、多重債務に悩んでいるとか、困った度合いの高い人にとって、役所のたらい回しのような対応は苦しみを増幅させるのではないだろうか。
“サービス提供者”としての役所の資質を問われる場面である。
自治体の中には、盛岡市や滋賀県野洲市のように、多重債務などのトラブルを抱える消費者が窓口に行けば、市役所内の税、福祉、国保料、公営住宅家賃などの各部署だけでなく、外部の弁護士・司法書士が連携して、包括的・総合的に関わってくれる体制を整えているところもある。
ただ、すべての自治体がこのような体制をつくることは一つの理想であるが、現実にはなかなかそうはいかない。
しかしよく考えてみると、そもそもこうした総合的なサービスは、自治体にしかできないのだろうか?
むしろ、現に日々困窮者と向き合い、一時的・金銭的な救済のみならず、本人の立場に立って中長期的な自立や安定的な社会生活を送れるよう支援活動を行っているNPO団体が、“総合相談窓口”役を果たすことができれば、さらに良いのではないか?
・・・こうした考えから、“行政が主導してNPOに(タテ割りの)サービスを提供させる”のでなく、むしろ“NPOが主体となり、本人のニーズにあわせて行政の持つさまざまなリソースを使いこなす”「パーソナルサポーター」を実現する試みを、横浜市内のNPO中心に進めている。
しかし、現行制度では、官と民の間には、権限などに相当な差が設けられており、この試みを実現するためには、こうした壁を突破しなければならない。
このため、今年3月〆切の構造改革特区(臨時受付)に16項目の提案を出し、現在、各府省の最終回答待ちの段階である。
大きくとらえれば、この取り組みは、NPOが、行政と並んで、公共領域のれっきとした担い手となる社会づくりを目指すものである。
成熟国家ニッポンは、権限を持つ一部の者が国民をリードする発展途上国型から、すべての人が社会のさまざまな問題の解決に主体的に取り組むスタイルに移行すべきだと思う。
“1億総当事者”の精神である。
この段階で、横浜の取り組みが、構想日本経由でプレスリリースされたので、ご紹介する。
【以下、提言のコピペ】
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緊急提言
日本をもっと生きやすい国にしたい
〜「パーソナルサポーター」特区の実現に向けて〜
【提案者】 市民で創るヨコハマ若者応援特区実行委員会
代表 岩永牧人(NPO法人ユースポート横濱理事長)/小川泰子(社会福祉法人いきいき福祉会専務理事)/川崎あや(NPO法人アクションポート横浜理事)/ 鈴木晶子(NPO法人ユースポート横濱事務局長)
【賛同者】
日置真世(NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事)/ 清水康之(NPO法人ライフリンク代表)/ 山口寛士(京都府雇用政策監)/ 奥田和志(NPO法人北九州ホームレス支援機構代表)/ 玉城 勉(沖縄県労働者福祉協議会事務局長)/ 湯浅 誠(反貧困ネットワーク事務局長)/ 加藤秀樹(構想日本代表)
1.背景
孤独死、派遣切り、DV、児童虐待、自殺・・・。
これらの背景にあるのは、家族・地域のつながりが希薄になり、弱者ほど頼るものがなく、孤立、無縁、貧困、更には死に至るという現代社会の病弊であり、もはや誰にとっても他人事ではありません。
2.これまでの対応の限界
このような問題に対して、行政の「セーフティネット」は、タテ割りで継続性に乏しく、複雑で、制度に精通しない者には行き届きません。
民間でも、NPOの活動の多くはそれぞれの分野ごとにとどまっており、家族や地域のつながりに代わるにはいたっていません。もはや単体では解決できないほどに複雑且つ深刻になっているのです。
3.「パーソナルサポーター」の実現を
この状況を打破するため、社会で孤立する人たち自身の立場に立って、本人に寄り添い、がんじがらめの制度にとらわれず存分に活動できる「パーソナルサポーター」と、それを民と官、NPO同士が融合してバックアップする体制を実現したいのです。
政府でもこうしたしくみの必要性がようやく議論され始めましたが、本気でこれを実現するには、行政が独占している就労支援や生活再建などの権限を現場に 大幅に移し、「制度に現場や人が従属するしくみ」を、「現場や人に制度が従属するしくみ」に全面的につくりかえなければなりません。
4.行動の第一歩
その第一歩として、私たちは、若者の就労支援のための「パーソナルサポーター」の仕組みを実現するため、関係分野の包括的な規制緩和を求めて、16項目の構造改革特区提案を行いました。
多くの前途ある若者が、社会の中でつながりをなくし、職に就けず、孤立・無縁であるが故にさらなる障害に直面しています。
就労意欲を失ったり、長らく就労を経験しなかった若者は、雇用情勢が回復した際にも、働き手として社会を担うことができなくなる懸念さえあります。
パーソナルサポーターは、官民の既存の資源を自在に活用することによってこの若人たちに、生活支援、住居確保、医療受診、社会参加、職業訓練など分野を越えて継続的な「寄り添い型」の支援をし、自立や就労を目指すのです。
5.全国各地、様々な分野で応用可能なモデル地域
この特区が実現すれば、冒頭で述べた様々な問題に対し、全国で様々なパーソナルサポーターが活動するために応用可能なモデルとなります。
そのためには、民と官の関係をつくりかえるような、この治外法権的とも言えるほど包括的な特区をなんとしても実現したい。
私たちは日本を生きやすい国にしたいのです。
お問い合わせ先:045−261−3410(ユースポート横濱:担当 岩永)
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2010年05月17日
経産省の山田さん
経済産業省の山田正人さんが、先週末(5/8(土))の朝日新聞beで取り上げられていた。
育児休業を1年間取得し、そのときに貴重な体験をまとめた著書も出された方だ。
「地域に飛び出す公務員ネットワーク」のメンバーでもあり、いまは横浜市の副市長をされている。
今回の記事であらためて印象に残ったのは、次の部分だ。
【以下記事より引用】
=================
保育園の送り迎えでパパ友・ママ友もでき、育児も板についてきたころ、小泉首相の「郵政解散選挙」があった。
ニュースでは連日のように選挙戦が報じられ、画面の向こうの世界にくぎづけになった。
だが、ママやパパたちとは、まるで話題に上らない。
「やっぱり生活の根っこはこっちだよな」。
霞が関特有の熱気に浸ってきた自分とのズレを痛感した。
「かつては『国家』とか『国益』とか大上段の議論ばかりしていた。
だが、それを因数分解したら『家庭の幸せ』に行き着くことを実感したことが育休の最大の収穫でした」。
復帰後は週2回は定時退庁し、3人の子どもを保育園に迎えにいった。
=================
本来、国家公務員は国民すなわち生活する人すべてのために仕事しているのであるが、霞が関の職場で語られる話題は、国民の日常生活の場面とは乖離していると思う。
もちろん国家公務員が国益や日本の将来を考えなくなったら、他の誰が考えるんだ、という自負を持って仕事をしているわけで、そのこと自体はまったく否定されるべきものではない。
だが、物事を考えるには、バランスというものが必要である。
霞が関の職員で5時や6時に家に帰る者はほとんどいないので、職場の外の世界がどうなっているのか、自分の目で確かめる機会がほとんどないのは事実である。
商店街で買い物する主婦、学校・塾・保育園帰りの子どもたちの姿を知らないばかりか、そもそも自分の家で子どもたちと食卓を囲むこともないのだから、実は平日の家庭のことも何も知らない。
最近、マスコミにも同様のことを言っている方がいた。
「私たちは夕方に記事を書き始め、深夜に帰宅する。たまに明るい時間帯に職場を離れる機会があると、こんなにたくさんの人たちが世の中で生活しているのかと新鮮に感じるほど。いつも帰る頃には、ネオンサインとコンビニしかやってないのでね。でもそれほど社会に触れていない人が書いた記事を読者は読んでるんですよね」と。
人間として生きていくのに不可欠な、人間同士の“愛”とか“信頼”・・・。
そうした言葉が、霞が関で交わされることはほとんどない。
多くのサラリーマン職場でも同様ではなかろうか。
雑談ならともかく、そんな議論を会議でまじめにしていたら、失笑を買ってしまいそうだ。
でも昨今、こうした愛や信頼の欠如ゆえに、どれほど多くの人たちが、空虚な人間関係の中で暮らしているだろう?
ささいな問題をきっかけとした他人とのトラブル、わずかな心の支えが途切れる悲しい出来事、心を引き裂かれるようなやりきれない事件・・・。
本気で日本を良い国にしようと考えるなら、今の社会に足らざるものが何かを考えるため、人間の現場にもっと想いを寄せ、日常的に見聞きする努力を怠るべきではない。
これは、一人ひとりの意思の問題であり、意識が問われているのである。
山田さんは、身をもって多くの公務員やサラリーマンにそのことを伝えてくださっているように思う。
育児休業を1年間取得し、そのときに貴重な体験をまとめた著書も出された方だ。
「地域に飛び出す公務員ネットワーク」のメンバーでもあり、いまは横浜市の副市長をされている。
今回の記事であらためて印象に残ったのは、次の部分だ。
【以下記事より引用】
=================
保育園の送り迎えでパパ友・ママ友もでき、育児も板についてきたころ、小泉首相の「郵政解散選挙」があった。
ニュースでは連日のように選挙戦が報じられ、画面の向こうの世界にくぎづけになった。
だが、ママやパパたちとは、まるで話題に上らない。
「やっぱり生活の根っこはこっちだよな」。
霞が関特有の熱気に浸ってきた自分とのズレを痛感した。
「かつては『国家』とか『国益』とか大上段の議論ばかりしていた。
だが、それを因数分解したら『家庭の幸せ』に行き着くことを実感したことが育休の最大の収穫でした」。
復帰後は週2回は定時退庁し、3人の子どもを保育園に迎えにいった。
=================
本来、国家公務員は国民すなわち生活する人すべてのために仕事しているのであるが、霞が関の職場で語られる話題は、国民の日常生活の場面とは乖離していると思う。
もちろん国家公務員が国益や日本の将来を考えなくなったら、他の誰が考えるんだ、という自負を持って仕事をしているわけで、そのこと自体はまったく否定されるべきものではない。
だが、物事を考えるには、バランスというものが必要である。
霞が関の職員で5時や6時に家に帰る者はほとんどいないので、職場の外の世界がどうなっているのか、自分の目で確かめる機会がほとんどないのは事実である。
商店街で買い物する主婦、学校・塾・保育園帰りの子どもたちの姿を知らないばかりか、そもそも自分の家で子どもたちと食卓を囲むこともないのだから、実は平日の家庭のことも何も知らない。
最近、マスコミにも同様のことを言っている方がいた。
「私たちは夕方に記事を書き始め、深夜に帰宅する。たまに明るい時間帯に職場を離れる機会があると、こんなにたくさんの人たちが世の中で生活しているのかと新鮮に感じるほど。いつも帰る頃には、ネオンサインとコンビニしかやってないのでね。でもそれほど社会に触れていない人が書いた記事を読者は読んでるんですよね」と。
人間として生きていくのに不可欠な、人間同士の“愛”とか“信頼”・・・。
そうした言葉が、霞が関で交わされることはほとんどない。
多くのサラリーマン職場でも同様ではなかろうか。
雑談ならともかく、そんな議論を会議でまじめにしていたら、失笑を買ってしまいそうだ。
でも昨今、こうした愛や信頼の欠如ゆえに、どれほど多くの人たちが、空虚な人間関係の中で暮らしているだろう?
ささいな問題をきっかけとした他人とのトラブル、わずかな心の支えが途切れる悲しい出来事、心を引き裂かれるようなやりきれない事件・・・。
本気で日本を良い国にしようと考えるなら、今の社会に足らざるものが何かを考えるため、人間の現場にもっと想いを寄せ、日常的に見聞きする努力を怠るべきではない。
これは、一人ひとりの意思の問題であり、意識が問われているのである。
山田さんは、身をもって多くの公務員やサラリーマンにそのことを伝えてくださっているように思う。
2010年05月10日
最上訪問
今年のGWは、子どもたちのクラスメイトの3家族と一緒に、山形県鮭川村の鮭川村エコパークに2泊3日のキャンプをしに行った。
この地域(最上地方)は、国産スギの生産地である。
吉永小百合さんが登場するJR東日本「大人の休日倶楽部」のCMでも、スギの巨木を散策する有名なシーン(ロケ地:戸沢村)がある。
ロケ地には行けなかったが、鮭川村内の田んぼの真ん中にそびえる「トトロの木」と呼ばれる大きなスギの木を見に行った。

樹齢1000年ともいわれる木で、確かにトトロの姿そっくりで、大人が見ても面白い。
村の天然記念物であるが、指定されたのは、もちろんトトロが流行る前だ。
こんな地域資源が観光客を呼び込むのだから面白い。
続いて羽根沢温泉に行き、ヌルヌル感のあるお湯を楽しんだ。
この地域の温泉は、20世紀初頭に石油採掘をしたときに出たものだそうで、創業100年の歴史を誇る。
GW中は、温泉旅館の書き入れ時で、旅館の若い娘さん(たぶん20歳ぐらい)が親の手伝いをしに戻ってきていた。
3姉妹だそうだが、古い旅館をちゃんと誰かが継ぐのかな、と他人事ながら心配になった。
たまたま隣の新庄市から仲間と温泉に入りに来たという70代と見られるおじさんと、どこから来たなどと少し話をしていたら、「ザイは都会に飲み込まれて、これからはもう駄目だ」という話になった。
「ザイ」とは、田舎を意味する方言で、「在郷(ざいごう)」に由来する。
長らく地方に暮らす方が、二言目に「ザイは駄目」という言葉を発するのであるから、なんともやりきれないが、これが実感なのであろう。
少し足をのばして、羽黒山を訪れた。

いわずと知れた修験道の聖地である。
特筆すべきは、羽黒山には、出羽三山といわれる出羽神社・月山神社・湯殿山神社の3つを一緒に祭った三神合祭殿(国重要文化財)があることである。
羽黒山の参道沿いなどに並ぶスギ並木も、特別天然記念物に指定されている。
この山の上の神聖な空間を訪れたのは、新人で山形県庁に赴任していたとき以来、15年ぶりである。
また今度ゆっくり(大人だけで?)訪れたくなる地だ。
今回の旅で、一つだけ心残りだったのは、新庄市内にある「一茶庵(いっちゃん)ラーメン」に行けなかったことだ。
もつラーメンに酢を入れて食べる、忘れられない味である(これも15年越し)。
残念ながら今回立ち寄った時間には、お店が閉まっていた。
次回、最上を訪れるのはいつになるか分からないが、何十年ぶりであろうと、再チャレンジしたい。
この地域(最上地方)は、国産スギの生産地である。
吉永小百合さんが登場するJR東日本「大人の休日倶楽部」のCMでも、スギの巨木を散策する有名なシーン(ロケ地:戸沢村)がある。
ロケ地には行けなかったが、鮭川村内の田んぼの真ん中にそびえる「トトロの木」と呼ばれる大きなスギの木を見に行った。

樹齢1000年ともいわれる木で、確かにトトロの姿そっくりで、大人が見ても面白い。
村の天然記念物であるが、指定されたのは、もちろんトトロが流行る前だ。
こんな地域資源が観光客を呼び込むのだから面白い。
続いて羽根沢温泉に行き、ヌルヌル感のあるお湯を楽しんだ。
この地域の温泉は、20世紀初頭に石油採掘をしたときに出たものだそうで、創業100年の歴史を誇る。
GW中は、温泉旅館の書き入れ時で、旅館の若い娘さん(たぶん20歳ぐらい)が親の手伝いをしに戻ってきていた。
3姉妹だそうだが、古い旅館をちゃんと誰かが継ぐのかな、と他人事ながら心配になった。
たまたま隣の新庄市から仲間と温泉に入りに来たという70代と見られるおじさんと、どこから来たなどと少し話をしていたら、「ザイは都会に飲み込まれて、これからはもう駄目だ」という話になった。
「ザイ」とは、田舎を意味する方言で、「在郷(ざいごう)」に由来する。
長らく地方に暮らす方が、二言目に「ザイは駄目」という言葉を発するのであるから、なんともやりきれないが、これが実感なのであろう。
少し足をのばして、羽黒山を訪れた。

いわずと知れた修験道の聖地である。
特筆すべきは、羽黒山には、出羽三山といわれる出羽神社・月山神社・湯殿山神社の3つを一緒に祭った三神合祭殿(国重要文化財)があることである。
羽黒山の参道沿いなどに並ぶスギ並木も、特別天然記念物に指定されている。
この山の上の神聖な空間を訪れたのは、新人で山形県庁に赴任していたとき以来、15年ぶりである。
また今度ゆっくり(大人だけで?)訪れたくなる地だ。
今回の旅で、一つだけ心残りだったのは、新庄市内にある「一茶庵(いっちゃん)ラーメン」に行けなかったことだ。

残念ながら今回立ち寄った時間には、お店が閉まっていた。
次回、最上を訪れるのはいつになるか分からないが、何十年ぶりであろうと、再チャレンジしたい。
2010年05月02日
ファンドレイジングを具体化していこう
第7回の地域力おっはー!クラブのゲストスピーカーは、日本ファンドレイジング協会常務理事の鵜尾雅隆さん。
現在、日本の寄付は2000億円市場といわれる。
歴史もお国柄も違うが、米国では20兆円である。この差は大きい。
2020年に寄付10兆円!というのが、鵜尾さんがいつも訴えている目標である。
鵜尾さんは「寄付は、文化の問題よりも、一人ひとりの“成功体験”の有無が大切」という持論をお持ちである。
政府税制調査会の市民公益税制プロジェクトチームでも、寄付税制拡充の方向性が打ち出され、寄付は、もう必要性に関する議論の段階でなく、どうお金を回すかを個別具体的に考える段階に来ていると思う。
〇熊本市の「一口城主」制度では、熊本城復元のため1万円以上寄付した人には、城主手形が発行され、市内施設に無料で入園できたり、物産館での買い物で割引を受けられたりする。
〇NPO法人ワールドビジョンは、発展途上国の子どもとの手紙のやりとり等を通じて、寄付の成果を実感できるチャイルドスポンサーシップという仕組みを作っている。
〇社会貢献的な目的と関連づけた商品販売(コーズ・リレイテッド・マーケティング)の例として有名なのは、ボルヴィックの「1Litter for 10Litter」だ。アフリカの井戸の開発のためボルヴィックの水の売上げの一部がユニセフへの寄付に回る。
〇また、バナナのブランド「富楽宝(ブラボー)」(丸紅・ダイエー)の売上げの1%は、(財)ケア・インターナショナル・ジャパン(CARE)を通じ、アジアやアフリカでの職業訓練や家庭菜園の普及など、恵まれない女性や子供たちの支援活動に寄付される仕組みになっている。
こうした動きは、消費者の温度感の変化に対応しているという。
各種調査によると、高齢者のNPOへの関心が高まっているし、一方、若い人の間でも社会貢献意識が高まっている。
ワークライフバランスの観点からも、これまで以上に「家族を大切」と考える人が増えているのである。
さて鵜尾さんが寄付の拡充を実現する仕組みとして、現在提案されているのは、「Planned Giving」といわれる公益信託制度の推進である。
政府の「新しい公共円卓会議」においても、第2回(3月2日)に大西健丞委員から資料が提出されている。
信託銀行業界も注目し始めているようで、信託協会会長(住友信託銀行常陰社長)も、4月の記者会見で以下のように述べている。
===============
社会の期待については、昨年、閣議決定されております新成長戦略の中で、・・・新しい公共を実現するということについて触れられているかと思いますが、こういうジャンルでの信託の活用を考えられないか、ということを考えております。
具体的には、・・・社会貢献の面においては、例えば、国民の皆さんが公益への活動に参画できるように、いわゆる寄付制度と申しますか、寄付スキームを信託を活用してできないかというようなことを考えています。
===============
こうした流れが社会のコンセンサスになってきて、一定の税制支援などが実現すれば、かなり大きなインパクトになるだろう。
「新しい公共」は、(若干意味が分かりにくいという意見もあるが)成熟ニッポンの基礎となるテーマである。
一部の権力者が社会をつくる発展途上国型でなく、多くの人の心と行動に変化が起こり、カネの流れにも変化を起こすことを通じて、心豊かな社会をつくるのが、追いつけ追い越せの時代を抜け出した、わが国の方向だと思う。
さて、次回の「地域力おっはー!クラブ」は5月19日(水)朝8時から、日本財団会議室にて行われる。(日本財団CANPANさん、いつもありがとうございます。)
ゲストスピーカーは、Food Action Nippon推進本部事務局長の芳野忠司さん。
「食糧問題と地域力」〜地産地消費で地域が元気に!〜と題して語っていただく予定である。
(参加ご希望の方は、おっはークラブのHPから申し込みをお願いします。)
現在、日本の寄付は2000億円市場といわれる。
歴史もお国柄も違うが、米国では20兆円である。この差は大きい。
2020年に寄付10兆円!というのが、鵜尾さんがいつも訴えている目標である。
鵜尾さんは「寄付は、文化の問題よりも、一人ひとりの“成功体験”の有無が大切」という持論をお持ちである。
政府税制調査会の市民公益税制プロジェクトチームでも、寄付税制拡充の方向性が打ち出され、寄付は、もう必要性に関する議論の段階でなく、どうお金を回すかを個別具体的に考える段階に来ていると思う。
〇熊本市の「一口城主」制度では、熊本城復元のため1万円以上寄付した人には、城主手形が発行され、市内施設に無料で入園できたり、物産館での買い物で割引を受けられたりする。
〇NPO法人ワールドビジョンは、発展途上国の子どもとの手紙のやりとり等を通じて、寄付の成果を実感できるチャイルドスポンサーシップという仕組みを作っている。
〇社会貢献的な目的と関連づけた商品販売(コーズ・リレイテッド・マーケティング)の例として有名なのは、ボルヴィックの「1Litter for 10Litter」だ。アフリカの井戸の開発のためボルヴィックの水の売上げの一部がユニセフへの寄付に回る。
〇また、バナナのブランド「富楽宝(ブラボー)」(丸紅・ダイエー)の売上げの1%は、(財)ケア・インターナショナル・ジャパン(CARE)を通じ、アジアやアフリカでの職業訓練や家庭菜園の普及など、恵まれない女性や子供たちの支援活動に寄付される仕組みになっている。
こうした動きは、消費者の温度感の変化に対応しているという。
各種調査によると、高齢者のNPOへの関心が高まっているし、一方、若い人の間でも社会貢献意識が高まっている。
ワークライフバランスの観点からも、これまで以上に「家族を大切」と考える人が増えているのである。
さて鵜尾さんが寄付の拡充を実現する仕組みとして、現在提案されているのは、「Planned Giving」といわれる公益信託制度の推進である。
政府の「新しい公共円卓会議」においても、第2回(3月2日)に大西健丞委員から資料が提出されている。
信託銀行業界も注目し始めているようで、信託協会会長(住友信託銀行常陰社長)も、4月の記者会見で以下のように述べている。
===============
社会の期待については、昨年、閣議決定されております新成長戦略の中で、・・・新しい公共を実現するということについて触れられているかと思いますが、こういうジャンルでの信託の活用を考えられないか、ということを考えております。
具体的には、・・・社会貢献の面においては、例えば、国民の皆さんが公益への活動に参画できるように、いわゆる寄付制度と申しますか、寄付スキームを信託を活用してできないかというようなことを考えています。
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こうした流れが社会のコンセンサスになってきて、一定の税制支援などが実現すれば、かなり大きなインパクトになるだろう。
「新しい公共」は、(若干意味が分かりにくいという意見もあるが)成熟ニッポンの基礎となるテーマである。
一部の権力者が社会をつくる発展途上国型でなく、多くの人の心と行動に変化が起こり、カネの流れにも変化を起こすことを通じて、心豊かな社会をつくるのが、追いつけ追い越せの時代を抜け出した、わが国の方向だと思う。
さて、次回の「地域力おっはー!クラブ」は5月19日(水)朝8時から、日本財団会議室にて行われる。(日本財団CANPANさん、いつもありがとうございます。)
ゲストスピーカーは、Food Action Nippon推進本部事務局長の芳野忠司さん。
「食糧問題と地域力」〜地産地消費で地域が元気に!〜と題して語っていただく予定である。
(参加ご希望の方は、おっはークラブのHPから申し込みをお願いします。)