2011年05月
2011年05月11日
被災地にて(3)
今回のボランティア隊は、NPO法人愛知ネット(安城市)の天野竹行理事長はじめ皆さんに大変お世話になりました。
愛知ネットは、岩手県南部の大船渡市や陸前高田市の復興支援のため、少し内陸に入った隣の住田町の役場敷地内にトレーラーハウスを設置して活動拠点とし、これからも長期間にわたり現地に駐留する予定だそうです。
ボランティアを受け入れるだけでなく、多くの臨床心理士の方々を招き、被災者の心のケアや、個々の被災者のニーズの把握に努めておられます。
こうした長期的な活動を続けるNPOのもとに、これからも全国からボランティアが継続的に訪れ、今後長く続くであろう被災者支援活動を担っていく必要があると思います。
被災された方々がいま不安に思っていることの一つに、「いずれこの地域のことを忘れ去られてしまうのではないか。他地域の人たちの関心が薄れ、誰も来なくなってしまうのではないか」という懸念があります。
今のところ、テレビや新聞で被災地報道が連日大きく取り上げられていますが、常に新しいニュースを求めるマスコミが、地道な復興への道のりをこれからもずっと報じてくれるとは限りません。
愛知県内でいえば、中部圏の経済的な打撃や、電力不足による産業・生活への影響など、地元に関係する話題が増えれば、被災地の報道が減少ことも想定されます。
ましてや、次にどこかで大きな災害が発生すれば、東日本大震災に関する報道が大幅に減少することも考えられます。
現に、東日本大震災の発生後、ニュージーランド地震(2月22日発生)の報道はかなり減ってしまいました。
報道されようとされまいと、私たちは、被災された方々、地域のことを決して忘れず、長い復興への道のりをともに歩んでいく姿勢を続けたいと思います。
(写真は津波が来たと思われる時刻を指す時計)
愛知ネットは、岩手県南部の大船渡市や陸前高田市の復興支援のため、少し内陸に入った隣の住田町の役場敷地内にトレーラーハウスを設置して活動拠点とし、これからも長期間にわたり現地に駐留する予定だそうです。
ボランティアを受け入れるだけでなく、多くの臨床心理士の方々を招き、被災者の心のケアや、個々の被災者のニーズの把握に努めておられます。
こうした長期的な活動を続けるNPOのもとに、これからも全国からボランティアが継続的に訪れ、今後長く続くであろう被災者支援活動を担っていく必要があると思います。
被災された方々がいま不安に思っていることの一つに、「いずれこの地域のことを忘れ去られてしまうのではないか。他地域の人たちの関心が薄れ、誰も来なくなってしまうのではないか」という懸念があります。
今のところ、テレビや新聞で被災地報道が連日大きく取り上げられていますが、常に新しいニュースを求めるマスコミが、地道な復興への道のりをこれからもずっと報じてくれるとは限りません。
愛知県内でいえば、中部圏の経済的な打撃や、電力不足による産業・生活への影響など、地元に関係する話題が増えれば、被災地の報道が減少ことも想定されます。
ましてや、次にどこかで大きな災害が発生すれば、東日本大震災に関する報道が大幅に減少することも考えられます。
現に、東日本大震災の発生後、ニュージーランド地震(2月22日発生)の報道はかなり減ってしまいました。
報道されようとされまいと、私たちは、被災された方々、地域のことを決して忘れず、長い復興への道のりをともに歩んでいく姿勢を続けたいと思います。
(写真は津波が来たと思われる時刻を指す時計)
2011年05月10日
被災地にて(2)
ボランティア2日目は、まず歩道と土手のゴミ拾い作業をしました。
なんだゴミ拾いか、となめてはいけません。
落ちているのは紙くずや木くずだけでなく、港近くの水産加工場から流れ出したと思われる、するめイカやサンマなどの魚介類が散乱しているのです。
表面は乾いているものでも、つまみ上げると腐敗していることが多く、強烈な異臭を放っていました。
大量のウジ虫が湧いているものもありました。
こうしたゴミが残っているため、町じゅうに腐敗臭が漂ってしまうのです。
早急に処理していかなければなりません。
避難所前で炊き出し作業もしました。
麻婆豆腐とご飯を作り、皆さんに喜んでいただけました。
また、老舗の料理屋の前のドブさらいをしました。
側溝の上のコンクリートふたを外し、たまった泥をシャベルでかき出す。
その泥を土のうに詰めて運び出す。
最後にふたを元に戻す、という作業です。
料理屋のおかみさんは、お店の中まで津波が流れ込んだ様子や、屋根の上に流れ着いた親子で救助を待っていた話を語ってくれました。
そして、なんとかお店を復旧させ、秋からは営業を再開させたいと話しておられました。
こうしたお店が1つ2つと再開することで、町じゅうの方々が勇気づけられ、元気を取り戻すことを願ってやみません。
その際には、私たちボランティアグループもぜひ食事をしに行きたいと思います。
なんだゴミ拾いか、となめてはいけません。
落ちているのは紙くずや木くずだけでなく、港近くの水産加工場から流れ出したと思われる、するめイカやサンマなどの魚介類が散乱しているのです。
表面は乾いているものでも、つまみ上げると腐敗していることが多く、強烈な異臭を放っていました。
大量のウジ虫が湧いているものもありました。
こうしたゴミが残っているため、町じゅうに腐敗臭が漂ってしまうのです。
早急に処理していかなければなりません。
避難所前で炊き出し作業もしました。
麻婆豆腐とご飯を作り、皆さんに喜んでいただけました。
また、老舗の料理屋の前のドブさらいをしました。
側溝の上のコンクリートふたを外し、たまった泥をシャベルでかき出す。
その泥を土のうに詰めて運び出す。
最後にふたを元に戻す、という作業です。
料理屋のおかみさんは、お店の中まで津波が流れ込んだ様子や、屋根の上に流れ着いた親子で救助を待っていた話を語ってくれました。
そして、なんとかお店を復旧させ、秋からは営業を再開させたいと話しておられました。
こうしたお店が1つ2つと再開することで、町じゅうの方々が勇気づけられ、元気を取り戻すことを願ってやみません。
その際には、私たちボランティアグループもぜひ食事をしに行きたいと思います。
2011年05月09日
被災地にて(1)
4月28日(木)の夕方に愛知を出発し、東日本大震災の被災地・岩手県南部の大船渡市と陸前高田市へボランティアに出かけました。
私の同級生や学生ら計8人で、丸2日間、活動してきました。
GWということもあり、全国各地から集まった方々が朝からボランティアセンターに並んで、“仕事”のマッチングを待ちました。
初日は大船渡市内で、アルバムの写真などの泥を落として、きれいに復元する作業をしました。
津波は海底の泥を巻き上げて被災地を襲ったため、流された物はすべて泥だらけです。
乾いた土がこびりついているため、これを雑巾でぬぐったり、はけで落としたりしなくてはなりません。
中には印鑑や、仏壇の位牌などもありました。
実際に位牌を見つけて喜んで持って行かれた女性の方がいました。
こうした世の中に一つしかない物は、お金さえあれば買い換えて済むものと異なり、そのものを取り戻さなければ、二度と返ってきません。
行政では行き届かないこうしたきめ細かい作業こそがボランティア活動の真髄であり、被災者の方々の気持ちにどれだけの思いを致しながら「心の作業」ができるかが、重要なポイントです。
私の同級生や学生ら計8人で、丸2日間、活動してきました。
GWということもあり、全国各地から集まった方々が朝からボランティアセンターに並んで、“仕事”のマッチングを待ちました。
初日は大船渡市内で、アルバムの写真などの泥を落として、きれいに復元する作業をしました。
津波は海底の泥を巻き上げて被災地を襲ったため、流された物はすべて泥だらけです。
乾いた土がこびりついているため、これを雑巾でぬぐったり、はけで落としたりしなくてはなりません。
中には印鑑や、仏壇の位牌などもありました。
実際に位牌を見つけて喜んで持って行かれた女性の方がいました。
こうした世の中に一つしかない物は、お金さえあれば買い換えて済むものと異なり、そのものを取り戻さなければ、二度と返ってきません。
行政では行き届かないこうしたきめ細かい作業こそがボランティア活動の真髄であり、被災者の方々の気持ちにどれだけの思いを致しながら「心の作業」ができるかが、重要なポイントです。