2012年02月
2012年02月29日
『水の要らないお風呂』を構想する
前回書いたバックキャストの話は、実は、最近聞いた東北大の石田秀輝教授(陶器メーカーINAXの技術者出身)の話に感銘して書きました。
水資源・エネルギー資源が限界に達する2030年を起点にバックキャストで発想し、『水の要らないお風呂』をつくる。
それを実現する技術は、ネイチャー・サイエンス(自然のすごさに学ぶ科学技術)にあるというのです。
【以下、石田先生の講演とすごい自然データベースより(私の意訳を含みます)】
========================
近年、消費者のエコ意識は高まっているし、企業のエコ技術も進んでいます。
なのに、消費エネルギーは増えています。
なぜこうなるのか。
原因は、エコ商品を購入することが、消費の免罪符になっていることだ。
例えば、「エコなエアコンなんだからもう1台買おう」とか、「エコカーだからたくさん乗ろう」とか。
これを『エコジレンマ』と呼びます。
このままでは人間活動が肥大化し、2030年ごろ地球環境は限界に達します。
一つしかない地球で生きていくには、バックキャストで考えるしかありません。
たとえばお風呂。
日本では、5000万世帯が毎日200〜300リットルの水を20度→40度に温めてお風呂に入る。
しかし2030年には、そんな膨大な水もエネルギーも供給不能となります。
フォアキャストで考えると、入浴回数を減らすか、シャワーにするか、体をふくだけにするか、近くの川へ水浴びに行くか、といった選択肢しか生まれない。
しかし、人間には「欲望の遺伝子」があり、生活水準を下げることはできないのです。
バックキャスト思考では、先に2030年のライフスタイルを考えます。
2030年にも毎日風呂に入りたい。
でも、水やエネルギーが足りない。
ならば、『水の要らないお風呂』があるといい。
そのソリューションをどこに求めるか。
答えは、自然界にあるのです。
アワフキムシの幼虫が作る泡がヒントになるのです。

Photo by Fitopatologia http://www.flickr.com/photos/ fitopatologia/2392496844/
2030年、お風呂に大量の水は必要ありません。
従来の風呂ならばおよそ200〜300リットル必要だった水を、6〜8リットルと10分の1以下に抑えることが可能になります。
また、泡は空気から出来ていますから、熱い泡を作ってやれば熱を運ぶことができ、体をぽかぽかと温めることもできます。
さらに、小さな泡がつぶれる時には超音波が発生し、これが汚れを落とす効果があるので、体の洗浄・保温という入浴本来の目的も達成できる可能性が高いのです。
車いすのまま入浴もできるように風呂の構造を工夫すれば、高齢者やハンディキャップを持つ人たちに、新しい入浴のスタイルや楽しみを提供できるかも知れませんし、水圧がかからないので、高齢者にとって優しい入浴方法となるでしょう。
===================
石田先生の提唱されるネイチャーサイエンスは、日本でこそ発展させなければならないと思います。
18世紀に西洋で始まった産業革命以降、人間は自然を奴隷のように使うようになりました。
しかし、日本は、四季折々の豊かで圧倒的な自然の力を、人間の生活・文化に上手に取り入れ、自然と共生してきた国です。
21世紀も、22世紀も、23世紀も、人間が地球環境の中で生き抜いていくためには、自然の潜在力を引き出し、生かし切る、新しい「ものづくり」を日本人の叡智により作り上げていく必要があると考えます。
そのためには、現状を当然の前提としない、豊かな発想力を磨く教育が不可欠なのです。
水資源・エネルギー資源が限界に達する2030年を起点にバックキャストで発想し、『水の要らないお風呂』をつくる。
それを実現する技術は、ネイチャー・サイエンス(自然のすごさに学ぶ科学技術)にあるというのです。
【以下、石田先生の講演とすごい自然データベースより(私の意訳を含みます)】
========================
近年、消費者のエコ意識は高まっているし、企業のエコ技術も進んでいます。
なのに、消費エネルギーは増えています。
なぜこうなるのか。
原因は、エコ商品を購入することが、消費の免罪符になっていることだ。
例えば、「エコなエアコンなんだからもう1台買おう」とか、「エコカーだからたくさん乗ろう」とか。
これを『エコジレンマ』と呼びます。
このままでは人間活動が肥大化し、2030年ごろ地球環境は限界に達します。
一つしかない地球で生きていくには、バックキャストで考えるしかありません。
たとえばお風呂。
日本では、5000万世帯が毎日200〜300リットルの水を20度→40度に温めてお風呂に入る。
しかし2030年には、そんな膨大な水もエネルギーも供給不能となります。
フォアキャストで考えると、入浴回数を減らすか、シャワーにするか、体をふくだけにするか、近くの川へ水浴びに行くか、といった選択肢しか生まれない。
しかし、人間には「欲望の遺伝子」があり、生活水準を下げることはできないのです。
バックキャスト思考では、先に2030年のライフスタイルを考えます。
2030年にも毎日風呂に入りたい。
でも、水やエネルギーが足りない。
ならば、『水の要らないお風呂』があるといい。
そのソリューションをどこに求めるか。
答えは、自然界にあるのです。
アワフキムシの幼虫が作る泡がヒントになるのです。

Photo by Fitopatologia http://www.flickr.com/photos/ fitopatologia/2392496844/
2030年、お風呂に大量の水は必要ありません。
従来の風呂ならばおよそ200〜300リットル必要だった水を、6〜8リットルと10分の1以下に抑えることが可能になります。
また、泡は空気から出来ていますから、熱い泡を作ってやれば熱を運ぶことができ、体をぽかぽかと温めることもできます。
さらに、小さな泡がつぶれる時には超音波が発生し、これが汚れを落とす効果があるので、体の洗浄・保温という入浴本来の目的も達成できる可能性が高いのです。
車いすのまま入浴もできるように風呂の構造を工夫すれば、高齢者やハンディキャップを持つ人たちに、新しい入浴のスタイルや楽しみを提供できるかも知れませんし、水圧がかからないので、高齢者にとって優しい入浴方法となるでしょう。
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石田先生の提唱されるネイチャーサイエンスは、日本でこそ発展させなければならないと思います。
18世紀に西洋で始まった産業革命以降、人間は自然を奴隷のように使うようになりました。
しかし、日本は、四季折々の豊かで圧倒的な自然の力を、人間の生活・文化に上手に取り入れ、自然と共生してきた国です。
21世紀も、22世紀も、23世紀も、人間が地球環境の中で生き抜いていくためには、自然の潜在力を引き出し、生かし切る、新しい「ものづくり」を日本人の叡智により作り上げていく必要があると考えます。
そのためには、現状を当然の前提としない、豊かな発想力を磨く教育が不可欠なのです。
2012年02月25日
詰め込みから発想力へ
かねてより日本の学校教育は「詰め込み教育」と揶揄されてきました。
最近は、かなり改善されたと思います。
以前このブログにも、当時小学1年だった長男坊の授業を様子を書きました。
そもそも詰め込みでない教育って何でしょうか?
私は、他者が持っている知識を詰め込むのではなく、自らの力で知恵を生み出すこと、すなわち発想力を育てることではないかと思っています。
テレビを見ていたら、昔話「桃太郎」の中で普段思いつかない“疑問”を持ってみようという番組がやっていました。
解答者の一人、所ジョージさんは「何で桃をいきなり切るんだろう。私なら剥きます」と答えていました。
子どもの回答者たちは「むか〜し昔、っていつなの?」「なぜ桃なの?」「桃を真っ二つに切ったとき、桃太郎は左右どちらかに寄っていた?」と様々挙げていました。
確かにこんなことふだん考えないな、と思って見ていました。
取るに足る疑問かどうかはともかく、何事も当然の前提としないことが、発想力の基本ではないでしょうか。
トヨタ自動車の「なぜ?を5回繰り返す」カイゼンの社風も、本質は同じだと思います。
それから、発想力を引き出す方法として、「バックキャスト」という考え方があります。
バックキャストとは、まずはじめに、例えば2030年の理想の社会の姿を思い描き、次にそこから遡って(バックキャスト)、現時点でやるべきことを考える、という発想法です。
このため、将来像が大胆であればあるほど、いますぐに思い切った発想転換を迫られることになります。
これと反対なのが、「フォアキャスト」です。
今を起点として、その先(フォアキャスト)にできることは何かを考える発想法です。
今日やっていないこと、できないことを明日できるとは考えにくいから、なかなか前に進みません。
人間は基本的にフォアキャストに物を考えます。
今日の延長線上に明日があると考えるのが普通なのです。
ある日突然、ビックリするような大変化を起こすことはなかなか難しいです。
でも時代は、思い切った将来像を描き、そこに向けた革新的な発想を生み出し、突破口を切り拓いていく人材を求めています。
日常に流されず思い切った発想を起こす機会は、学校教育の場だけでなく、社会に出た大人にこそ必要です。
その意味で、学校だけでなく、まちじゅうに学びの場、思い切った発想を生む場が必要だと考えます。
最近は、かなり改善されたと思います。
以前このブログにも、当時小学1年だった長男坊の授業を様子を書きました。
そもそも詰め込みでない教育って何でしょうか?
私は、他者が持っている知識を詰め込むのではなく、自らの力で知恵を生み出すこと、すなわち発想力を育てることではないかと思っています。
テレビを見ていたら、昔話「桃太郎」の中で普段思いつかない“疑問”を持ってみようという番組がやっていました。
解答者の一人、所ジョージさんは「何で桃をいきなり切るんだろう。私なら剥きます」と答えていました。
子どもの回答者たちは「むか〜し昔、っていつなの?」「なぜ桃なの?」「桃を真っ二つに切ったとき、桃太郎は左右どちらかに寄っていた?」と様々挙げていました。
確かにこんなことふだん考えないな、と思って見ていました。
取るに足る疑問かどうかはともかく、何事も当然の前提としないことが、発想力の基本ではないでしょうか。
トヨタ自動車の「なぜ?を5回繰り返す」カイゼンの社風も、本質は同じだと思います。
それから、発想力を引き出す方法として、「バックキャスト」という考え方があります。
バックキャストとは、まずはじめに、例えば2030年の理想の社会の姿を思い描き、次にそこから遡って(バックキャスト)、現時点でやるべきことを考える、という発想法です。
このため、将来像が大胆であればあるほど、いますぐに思い切った発想転換を迫られることになります。
これと反対なのが、「フォアキャスト」です。
今を起点として、その先(フォアキャスト)にできることは何かを考える発想法です。
今日やっていないこと、できないことを明日できるとは考えにくいから、なかなか前に進みません。
人間は基本的にフォアキャストに物を考えます。
今日の延長線上に明日があると考えるのが普通なのです。
ある日突然、ビックリするような大変化を起こすことはなかなか難しいです。
でも時代は、思い切った将来像を描き、そこに向けた革新的な発想を生み出し、突破口を切り拓いていく人材を求めています。
日常に流されず思い切った発想を起こす機会は、学校教育の場だけでなく、社会に出た大人にこそ必要です。
その意味で、学校だけでなく、まちじゅうに学びの場、思い切った発想を生む場が必要だと考えます。
2012年02月18日
教育が大事。みんな分かってることなんだけど・・・
久しぶりに書きます。
毎日、いろんな方々にお会いしますが、ほとんどの人が「日本はどうなっちゃうんだ?」と心配しています。
日本の将来に対して楽観的な方はゼロに近いですね。
では、どうすれば良いか。
「人材育成」、「教育」が大事だ、という結論に行きつくことが多いです。
でも教育って、誰がやるの?
「うーん、学校だよね、やっぱり。教師がもっとしっかりしなきゃ」
「でもパソコン・英語の導入、学校評価事務、学級崩壊、研修参加、果てはモンスターペアレント対応と、今の先生は忙しすぎて余裕がなくなる一方みたい」
「だいたいゆとり教育がダメだったからと元に戻したり、学校教育の方向自体がブレすぎてるよ」
「『ゆとり世代』の若者がレッテル貼られたり自虐的になっててかわいそうだ」
「本当は家庭や地域での教育が一番大事なんだよ」
「でも今はおじいちゃん・おばあちゃんがいない核家族ばかりだし、共働きの父母も多いからねえ」
「給食費を払わないような親を教育し直さなきゃイカン!」
「昔なら必ず近所に怖いおじさんがいて、悪さをしたら、どこの子であれ叱られたものだけど」
「今はマンションの隣に誰が住んでるのか知らないし、せいぜい挨拶程度の関係。逆ギレされたら怖いし、大人も叱りづらいよね」
「最近は、高学歴の学生でも基礎学力が不十分だったり、会社での基本的な礼儀作法や言葉遣いも分からない新入社員が増えてるみたいだね」
「景気が悪いので会社側も、社員教育に力を入れる余裕がないんだよね」
「せっかく就職しても3年以内に辞めてしまう若者も多いようだ」
「就職難の時代なのに、意地でも会社にしがみつこうとしないんだね」
「就職難といっても、中小企業は人手不足のところも多い。学生が選びすぎなんだよ」
「いや、学生は必ずしも大企業志向ではなく、良い中小があれば行きたいと言ってるんだよ。中小企業の情報不足、イメージが沸かないことがネックなんだ」
「学生のうちにもっと社会に出て、生きた体験や社会勉強をする機会が必要なんだよ」
「団塊世代など定年退職後の元気な人たちの中には、若い人に色んなことを教える機会を欲しがっている人がたくさんいるぞ」
・・・などなど、学校教育から職場教育、シューカツ事情まで、議論百出するのですが、問題点はたくさん挙がっても、これは!という答えがなかなか出ません。
まちづくりは、人づくり。
よく言われるように、資源少国ニッポンには、人材しか資源がありません。
これからしばらく、広い意味での「教育」について、具体的に何が必要なのか、様々な立場の方々と一緒に考えていきます。
毎日、いろんな方々にお会いしますが、ほとんどの人が「日本はどうなっちゃうんだ?」と心配しています。
日本の将来に対して楽観的な方はゼロに近いですね。
では、どうすれば良いか。
「人材育成」、「教育」が大事だ、という結論に行きつくことが多いです。
でも教育って、誰がやるの?
「うーん、学校だよね、やっぱり。教師がもっとしっかりしなきゃ」
「でもパソコン・英語の導入、学校評価事務、学級崩壊、研修参加、果てはモンスターペアレント対応と、今の先生は忙しすぎて余裕がなくなる一方みたい」
「だいたいゆとり教育がダメだったからと元に戻したり、学校教育の方向自体がブレすぎてるよ」
「『ゆとり世代』の若者がレッテル貼られたり自虐的になっててかわいそうだ」
「本当は家庭や地域での教育が一番大事なんだよ」
「でも今はおじいちゃん・おばあちゃんがいない核家族ばかりだし、共働きの父母も多いからねえ」
「給食費を払わないような親を教育し直さなきゃイカン!」
「昔なら必ず近所に怖いおじさんがいて、悪さをしたら、どこの子であれ叱られたものだけど」
「今はマンションの隣に誰が住んでるのか知らないし、せいぜい挨拶程度の関係。逆ギレされたら怖いし、大人も叱りづらいよね」
「最近は、高学歴の学生でも基礎学力が不十分だったり、会社での基本的な礼儀作法や言葉遣いも分からない新入社員が増えてるみたいだね」
「景気が悪いので会社側も、社員教育に力を入れる余裕がないんだよね」
「せっかく就職しても3年以内に辞めてしまう若者も多いようだ」
「就職難の時代なのに、意地でも会社にしがみつこうとしないんだね」
「就職難といっても、中小企業は人手不足のところも多い。学生が選びすぎなんだよ」
「いや、学生は必ずしも大企業志向ではなく、良い中小があれば行きたいと言ってるんだよ。中小企業の情報不足、イメージが沸かないことがネックなんだ」
「学生のうちにもっと社会に出て、生きた体験や社会勉強をする機会が必要なんだよ」
「団塊世代など定年退職後の元気な人たちの中には、若い人に色んなことを教える機会を欲しがっている人がたくさんいるぞ」
・・・などなど、学校教育から職場教育、シューカツ事情まで、議論百出するのですが、問題点はたくさん挙がっても、これは!という答えがなかなか出ません。
まちづくりは、人づくり。
よく言われるように、資源少国ニッポンには、人材しか資源がありません。
これからしばらく、広い意味での「教育」について、具体的に何が必要なのか、様々な立場の方々と一緒に考えていきます。