経済社会・文化・科学

2009年10月01日

大科学者の言

有機化学の研究で有名な東京大学大学院教授の福山透さんの話を聞いた。

岡崎高校の先輩であり、今年、中日新聞の中日文化賞を受賞された。
首都圏の同窓会である首都圏段戸会では、年に数回「段戸フォーラム」を開催しており、若者から年配の方まで数十人集まる。

福山さんは、製薬につながる分子構造の基礎研究の権威であり、非常に高度な内容を私たちシロウト向けに解説してくださった(けどここでそれを伝える能力がありません・・・)。

それでも、講演と質疑の中では、どんな分野にも通じる心にグッとくる言葉がいくつもあった。
特に印象的だったのは、次の言葉だ。

ひらめきは、相当勉強しないと生まれない。

他人と違うことをやらないと面白くない。

これが、福山さんの生き方であり、仕事への姿勢だ!と感じた。
何十人もいる研究室の学生さんたちにもこうした姿勢で指導しているそうだ。


20年以上アメリカで研究活動を続けてこられた福山さんは、十数年前に日本に戻ってこられた。

業界誌への寄稿文には、次のようなくだりがある。
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「なぜ帰国したの?」とよく訪ねられるが、一番の理由は「私は根っからの日本人」に尽きると思う。
22年もアメリカで暮らしたが、背中にはいつも日の丸を背負っていた。
自分の家でも何か借家住まいのように思えたのは異邦人としての意識が抜けないからだ。

「日本に帰ってきてよかった?」と、聞かれれば、以前はのらりくらりと答えていたものだが、今では素直に「よかった!」と答えられる。

「日本の若者を育ててみたい」という願いは叶い、気持ちのよい青年たちに囲まれて幸せな日々を送っている。

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正直言って、日本は、こういう方でも帰ってきたくなるような国なんだ、とホッとする感覚を持ったのは私だけでなかったと思う。

実際、世界で通用する日本の人材が海外に流出するのはよくあることだ。
研究者にとって、大学のサポート体制、研究資金、ビジネス環境、様々な面で日本はまだまだ欧米に見劣りすると言われる。

行政に携わる人間として、そんな状況を何とかしたいという思いに駆られる。


福山さんへの質疑の中では同窓会らしく、子どもの頃を知る方から「あのいたずら坊主が世界的な科学者か」という感嘆の声も上がり、楽しい時間を過ごすことができた。

首都圏段戸会では、D-misoプロジェクト進行中であり、これからも老若男女にとって有意義な同窓会として発展することを期待したい。

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2009年09月22日

「ソーシャル消費」へ向かう社会

9月18日(金)の日経新聞の経済教室は、「『社会』意識した消費 一段と」と題した恩蔵直人・早稲田大学教授と上條典夫・電通ソーシャル・プランニング局長の寄稿だった。

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昨秋以降の経済危機で高まった、市場に任せればすべてうまくいくという「市場万能主義」的考え方への反省機運は、消費者の意識や価値観、消費スタイルを変えつつある。

ひとつ例をあげよう。
不振を極める自動車販売の中で、今年4月の新車販売ラインキングのトップに躍り出たのはホンダのインサイト、続く5月のトップはトヨタ自動車のプリウスという、いずれもハイブリッド車だった。
エコカー減税に後押しされ、環境性能の高い車種の人気が続いているが、その底流には消費者の価値観の変化がある。

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わが家は家族5人でキャンプに行くことも多いのでプリウスというわけにもいかず、ワンボックスカー(トヨタ・ノア)に乗っているが、それでも心のどこかに「次はエコカーがいいな」という気持ちが残っているような気がする。

記事には次のようなアンケート結果が引用され、消費者意識の変化が強調されている。
「クルマを買う・買い替えるなら、ハイブリッド車や電気自動車にしたい」
「今後、家電を省エネ型に買い替えたい」
「自分の消費行為の地球・未来への影響を意識することがよくある」
「地産地消でなるべく地元の農業振興に貢献したい」
「国内農業の振興や食の安全のためなら、いまより高い食品でも購入したい」
「消費の仕方や消費者の意識が変われば、社会をもっと良くできると思う」

お〜、確かにそうだ。
近時、これらの考えに違和感を感じる人はきわめて少なくないだろう。

こうした意識とともに、カーボンオフセットとか、グリーン○○とか、環境に関する用語も相当広まっている。
(うちの2歳児ですら、シャワーの水を止めるときに「エコ!」と叫んでいるほどであるから、世の中への定着度は相当なものである。)

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例えば環境保護、資源の節約やリサイクル、あるいは社会問題の解決にしても、消費者には「自分ひとりが取り組んでも意味がないかもしれない」という無力感がある。
そこに企業の知恵や力が加われば、より大きな効果が期待できる。
近年、特に若い人びとのあいだでは「お金もうけをするよりも、だれかの、なにかの役に立ちたい」という願いが強くなっており、彼らのエネルギーを利用することは社会にとっても若者にとっても大きな意味があるだろう。

大画面テレビ購入や夕食のメニューを考えるとき、多くの消費者がCO2削減や食料自給率の問題を思い浮かべる一方、企業もそれに敏感に反応し、環境や資源により負荷をかけず、安全で安心な商品の開発に努力を傾ける−−−。

このように新しいマーケティングは、「質」と「絆」を重視する新しい消費トレンドを後押ししている。
経済危機を経て、こうした流れは一段と加速し、消費者との新たな関係の構築を企業に迫ることにもなるだろう。

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「経済危機を経て、こうした流れは一段と加速し」とあるように、こうした底流は、以前から継続的に進行してきた。

例えば、LBA(ロハス・ビジネス・アライアンス)協働代表の大和田順子さんらが数年前から紹介されている「ロハスビジネス」などは、まさにこうした変化をとらえているものである。

大和田さんに先日お会いしたら、持続可能な社会の実現のためには地域の活力こそが重要な決め手となるとお考えで、最近では、山梨県の耕作放棄地を開墾するツアーを企画するなど、地域活性化にずいぶん力を注いでおられるようである。

経済危機のようなエポックメイキングな事件は、こうした中長期的な傾向を多くの人たちに目覚めさせ、その傾向をさらに促す契機となる。

ソーシャルビジネス、ソーシャル消費は、時代の潮流である。
万人をして社会を変革し持続させる“当事者”たらしめる流れだと思う。

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2009年09月13日

点字カラオケ

ナミねぇ”こと竹中ナミさん(社会福祉法人プロップ・ステーション理事長)が主宰する勉強会に参加した。

今回のテーマは、点字カラオケだ。

音楽に合わせ、手元の機材(展示ピンディスプレイ)の表面の小さな突起が出っ張ったり引っ込んだりするシステムで、点字が読める人は、指でなぞりながらカラオケを楽しめる。

日本点字図書館の岩上義則館長さんが、点字カラオケの意義について語られた。
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カラオケは、もともと視覚障がい者にとってハンディの少ない娯楽だった。
一般に歌詞カードが使われていた頃は、目が不自由でも点字歌詞カードを使うだけで、健常者と変わりなかった。

しかし、通信カラオケの普及により、ハンディが広がってしまった。
同伴する人に画面の文字を読んでもらい、耳元で歌詞をささやいてもらわなければならない。
あるいは、歌詞カードを持ち歩かなければならない。

だから、点字カラオケが開発され、驚きと喜びを感じている。

点字カラオケの普及に向けたハードルは、2つ。

1つは、普及のための広報をどうしていくか。
世の中の情報の9割は目から入る。
これらの情報は、視覚障がい者に入らないので、なかなか伝わらない。

もう1つは、点字が読めるのは、全盲の10万人のうち3万人であること。
残り7万人がどう学ぶかが課題である。
特に、指先の感覚の鈍った年齢になってからの中途障がいの方が点字を習得するのは、大変苦痛。

しかし、点字カラオケなら、楽しみながら点字を習得できる。

点字カラオケは、自立と社会参加のツールだと思う。

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う〜んなるほど、通信カラオケという技術の進歩によってかえってハンディが広がるという皮肉な側面があったとは初めて知った。


同図書館職員の加藤さんからは、次のようなコメントがあった。
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これまでは、友人に一緒にカラオケに行っても、お店では歌詞を読んでもらうなど、してもらうことばかりだった。

このカラオケができて、歌詞が自分で読めるようになり、本当の意味で「一緒に行こう」と誘えるようになった。

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点字カラオケ加藤さん加藤さんは、その場で点字カラオケで「オリビアを聴きながら」を歌ってくれた。
会議室で、誰もお酒も入っていない状況で歌うのは気恥ずかしそうだったが、しかしむちゃくちゃ上手だった。
こんな方とぜひ一緒にカラオケに行ってみたい。

このシステムを共同開発したのは、エクシング社日本テレソフト社だ。
エクシング社は、「JOY SOUND」のブランドで知られており、テレソフト社は、これまで点字プリンターなどを開発・販売の実績のある会社だ。

異分野の会社が手を組むことで、新しい価値が生まれ、世の中に幸せを生む。
こういうコラボは、本当に感動的だ。

素敵な機会をつくってくださったナミねぇに感謝。

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2009年02月25日

元気・感動・仲間・成長

子どもたちを連れて、エミネランドというイベントに参加した。

子どもから大人まで、いろいろなスポーツを1日で体験できる、都心の小学校の校庭でのイベントである。

・体を動かしたい
・やったことがないスポーツにチャレンジ!
・親子で一緒にスポーツを楽しみたい

・・・といった軽い気持ちで参加できるのがウリだ。

10種類のスポーツのうちから、タッチフットボール、タグラグビー、サッカーに参加してみた。

タッチフットボールは、ラグビーではなく、アメフトのコンタクトなしバージョンであった。
タックルなし、防具なしのアメフトといえども、フォーメーションプレーをするのは本物のアメフトと同様。私にとっては初めての“アメフト体験”だった。
そして指導は、“ONE PACK”という女子チームのメンバーの方があたっていた。
これは驚き。
聞いてみたら、このチームは大学時代からのつながりで、現在も社会人でプレーしているとのことだった。
どんな試合をしてるのか、今度見に行ってみたいな。


一方、タグラグビーは、私の大学ラグビー部の後輩でもある村田祐造くんスマイルワークス株式会社代表取締役)がコーチだ。
先月も彼のタグラグビー教室に参加したが、実にユニークな指導で、とっても楽しめる。
みんなを巻き込んで、明るく楽しくやることを通して、ラグビーの精神(ワン・フォー・オールとか)を理解させるという運び方が実にうまい。

とりわけ、人の話への傾聴、人への敬意、そして、チームワークを育む「ともだち握手」といった人と人との関係づくりを大切にしている。
終わった後は、何ともさわやかな気分になるのである。


さて、エミネランドの主催者辻秀一さん(NPOエミネクロス・スポーツワールド代表理事)は、NPOの理念として、「スポーツで元気・感動・仲間・成長」を掲げている。

パンフレットには、「スポーツって勝つためにばかりやるので苦しくないですか?上手くなることばかりが目的になってないですか?・・・」などという投げかけがあり、エミネランドは、「日本初のスポーツのディズニーランドを開催しています」とある。

閉会式で、辻さんは「いま日本に必要なのも、元気・感動・仲間・成長です」とおっしゃっていた。

そう、スポーツを通じた人づくり、地域づくりも、日本社会を建て直すのに不可欠な要素なのだ!

様々な分野の人たちが手を携えて、元気を生み出し、仲間とともに感動できる社会、人生が豊かに成長する社会をつくっていけるといいなと思う。

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2009年01月07日

不信の連鎖を断ち切れるか

作家の村上龍さんが、日経新聞経済教室に「信頼回復で閉塞打破」をテーマに寄稿していた。

【以下抜粋】
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日本社会は、各層、各組織相互の信頼が失われつつあって、今回の経済危機でさらに鮮明に表面化した。
与党と野党、与党内の各グループ、官僚と政治家、内閣と議会、経営と労働、正規社員と非正規社員、富裕層と中間層と貧困層、自治体と中央政府、老年層と若年層、そして国民と国家、さまざまな利害の対立が顕在化し、不信の連鎖が起こりやっかいな悪循環が始まっているように見える。
・・・

昨年秋以来いわゆる派遣切りが多発した。
マスメディアは契約を打ち切られ寮を追い出される派遣労働者や期間工の窮状を主に報じた。
契約を切られる労働者の側からの報道が間違っているというわけではない。
だが、急激な販売減、需要減で赤字になった輸出企業が雇用をそのまま維持すればどうなるのかという経営側の状況はほとんど知らされない。
・・・

経営を悪役とする労働側に沿った報道は、経営と労働、非正規労働者と正規労働者間の対立と不信を増幅させる。
マスメディアに求められるのは、各層、各組織間の信頼を醸成するための、客観的な情報の提供と事実のアナウンスメントである。
被害者意識を煽り、問題を矮小化してドラマチックに報道することで、不信の連鎖とシステムの機能不全が引き起こす悪循環が、逆に隠ぺいされる。

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正月に、ある企業で働く友人が「日本企業が生き残りを賭けて体質強化に必死に取り組んでいる中で、派遣労働者の問題一色の報道のあり方は疑問」と言っていた。

現代社会におけるマスコミの影響力はいよいよ増す一方であり、政治家や企業経営者、行政官がどんな仕事をしても、報道のされ方如何によって、国民からの評価が大きく左右される。

各層間の相互不信の根本原因がメディアにあるわけではないと思うが、しかしメディアが「対立と不信の増幅」をするのは、忌々しき問題である。

いたるところに社会のスキマが生じてしまっている現代日本の社会の改修が急務となる中で、マスメディアには、スキマの増幅ではなく、「各層、各組織間の信頼を醸成するための、客観的な情報の提供と事実のアナウンスメント」を期待したい。

そして、本質的には、この社会のスキマは、公務員をはじめとした国民自身が埋める努力をしていかなければならない。
隣人への無関心、公共への無関心が横行し続ける世の中ではいけない。

バッシングされまくっている官僚にしても、官僚同士が内輪で「一部のダメな官僚を取り上げて、まじめに頑張っている官僚全体を批判するマスコミはひどい」などとぼやいていても、問題は何ら解決しない。
これは私の感覚だが、おそらく「まじめに頑張っている官僚」が、今の仕事のスタイルのまま、24時間365日一生懸命働いたとしても、国民から官僚への信頼を取り戻すことにはならないだろう。
どうあれ仕事の仕方を批判されているからには(縦割り行政にしろ、コスト意識の欠如にしろ、天下り問題にしろ)、その指摘は真摯に受け止めて、問題解決に向けて新たなビジネススタイルに切り替えていくべきだと思う。

村上さんも「高度成長によって失われたものもあって、それらを新しい形で再構築するというのが、中長期的な対策になりうるのだと思う。もっとも重要なものはいうまでもなく『環境』、それと『家族・世間などの親密で小規模な共同体』だろう」と述べている。

従来の組織中心のタテ割り社会から1歩前進して、多くの人が、組織や世代を超えた横断的、地域主体的な社会への質の転換に携わっていくという、日本人全員の努力と挑戦が求められているように思う。

「政治が、マスコミが」などと、誰かを批判し、誰かがやってくれるのを期待するなんていうのでなく、すべての日本人が、常に社会の当事者意識、参画意識を持ち、子どもたちの世代に引き継げる豊かな国を作り上げていきたいものである。

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2008年11月06日

安藤忠雄のメッセージ

建築家・安藤忠雄さんの講演会(世田谷区主催)を聴いた。

独特の関西弁のダミ声で「世田谷・東京〜美しいまちづくりへ」と題して、自らが手がけた建築をスライドで紹介しながら、1時間ほど話をされた。

印象に残ったのは、次のような話だ。
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好奇心は、若さや元気のもとである。
「歳を重ねただけでは、人は老いない。理想を失うとき人は初めて老いる」。(詩人サムエル・ウルマン『青春』より)

東京湾のゴミと残土の埋立地に植樹をする『海の森プロジェクト』。
宇宙飛行士の毛利衛さん、ノーベル平和賞のワンガリ・マータイさん、U2のボノさんの賛同も得て、1口1000円を50万人分集めて5億円の募金を目指している。
毛利さんは、「100haの森は宇宙から見える」と言う。
東京から発信し、世界の人の手でつくるプロジェクトである。

東急渋谷駅の設計では、地下構造の中に吹き抜けをつくり、下の階を見降ろせる“地宙船”構造にした。
地下空間の中にいても、人間が安心感を得られるデザインである。

2016年の誘致を目指す東京オリンピックの建築設計は、世界中の建築技術の粋を集める“世界コンペ”とする。
これによって、自由に行き来できる東京、世界に開かれた都市を目指す。

電柱の地中化、学校グラウンドの芝生化も進めている。
ぜひ人々の心に残るまちをつくっていきたい。

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何と言っても、次々と放たれる壮大な発想、そして、ひたむきな前向きさに胸を打たれる。
また、それを明るく言い放つ人間力。

失敗を恐れず、失敗しても良いからどんどん新しいことを考えていこうじゃないかという主張は、建築家・安藤忠雄の生きざまそのもののように感じた。
著書にも「連戦連敗」なんていうのもあるぐらいだ。

今の日本に、安藤さんと同じような生き方のできる人はそうたくさんはいないだろう。
しかし講演の中で、「若い人には家族や社会を背負って立とうという気概をぜひ持ってもらいたい」と繰り返し述べておられたように、日本の将来のためにも、強い責任感を持ち、旺盛なチャレンジ精神を失ってはならない、という私たちへのメッセージを感じた。

大胆な構想を描き、それを実現するための日々の努力を継続するという姿勢は、先行き不透明な時代において求められるリーダーシップの姿だと思う。

ぜひ多くの同世代・若い世代の仲間とともに、こうしたマインドを共有し、希望あふれる明るい時代をつくっていきたい。

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2008年10月06日

ICT革命の今後

世界ICTサミット2008(主催:日経新聞・総務省)で、国内外の情報通信やネットビジネスに携わる方々のプレゼンテーションや討論を聞いた。

議論を貫いたテーマは、“ポストWeb2.0”。

ちょっと不可思議で理解が難しい言葉だ。

“ポスト”以前に、“Web2.0”という言葉は(明確な定義はないそうだが)、コンテンツ事業者だけでなく、一般のネットユーザーがコンテンツの発信に参画することによって、ネット世界の質が革新的に変化し、規模も加速度的に拡大していく、といった状況をさすようである。

つまり、従来は、情報の出し手と受け手が固定化されていたが(テレビ番組や新聞記事の提供側と、一般視聴者・読者の関係のように)、ネット世界では、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)ウィキペディア、ブログ、YouTubeに見られるように、ユーザー側が、情報の出し手としての地位をも確立してきており、多数のユーザーが発信した情報により形成されたコンテンツに対して、さらに多くのユーザーがアクセスする、といった重層的な情報流通のありさまは、これからの経済社会を読み解く上で重要な要素となってきているのである。

今後はパソコンだけでなく、携帯電話(モバイル)やゲーム機といったハードウェアもさらに進化していくし、テレビも日本ではアナログ波から地上デジタルへの完全移行まであと3年を切った。

“ポストWeb2.0”においては、こうした目まぐるしい環境の変化に伴って、次なる革新的なビジネスモデルの模索が続くこととなろう(・・・という程度にしか理解できていないですが、詳しい方、ぜひご指導ください。)


さて、今回の世界サミットで特に印象に残ったのは、まず、日々パソコンを使う上での基本的な“常識”も、数年単位で次々と覆される、そのスピード感である。

たとえば現在、多くの人たちは一般に、パソコンのブラウザを立ち上げると、まずyahooやgoogleといった検索画面から操作を始めることが多い。
そして、それとは別にメールソフトを立ち上げ、メールの送受信を始める。

だが米国の(日本でもそうなりつつあるのだろうか)10代・20代の若者の多くはyahooやメールでなく、SNSから入るそうだ。
SNSは、知人・友人ら登録メンバー間で情報をやりとりできる“コミュニティ”であって、誰かとつながっていることで安心感を得られる空間である。
したがって、SNSのサイトから、メールや検索、ニュースなどに入っていけるのが一番“気持ちいい”。
こういうのがウケるわけだ。


また、強烈だったのは、やはり世界のICTを牽引してきた米国企業の方々の話だった。

まずYouTube共同創業者のスティーブ・チェン氏の奔放なビジネスモデルの創造の話は刺激的であった。

YouTubeは、動画のアップロード・ダウンロードを簡便にしたことで爆発的なアクセスを得るようになったサイトだ。
これまで動画に字幕や吹き出しを付ける機能を付加したり、映像を高画質化するなど、次々と新しいサービスを創造してきた。
広告主に対しては、広告サイトの閲覧数を時間帯別、国・地域別に分析できる機能もある。
ユーザーが、動画をどこまで見て止めたか、といったことも分かるそうだ。
これらの機能を駆使することで、広告ビジネスが成り立ってくる。


課題は“著作権”である。

ユーザーによるコンテンツの形成は、Web2.0の基本である。
が、たくさんの匿名ユーザーによって作り上げられたコンテンツの著作権はいったい誰のものなのか?
また、どのユーザーでも容易に複製できる映像や写真などの著作権はどこまで保護されるべきものなのか?
ネット上のビジネスモデルがものすごいスピードで革新されていくこの世界で、法により個別具体的に網をかけていくのは、現実性・実効性に乏しそうだ。

そこで米国の著作権法では“フェア・ユース”という規定があるそうである。
著作権者に無断で著作物を利用していても、批評・解説・報道・研究などを目的とする、著作物のフェアユース(公正な利用)であれば、著作権の侵害とならないのである。
日本でも、政府の知財戦略本部でこの考え方が議論され、著作権法改正を検討するようだ。

リスクなきところに革新はない。
企業がグレーゾーンの手前でたたずみ躊躇している間に、国際競争に敗れていくようなことのないよう、政府は企業が安心してチャレンジしていける環境をつくらなければならない。


また、ジュースト社CEOのマイク・ボルピ氏は、地デジをにらんだ放送と通信の融合のビジョンを描き出してくれた。

いわく、テレビとネット上のコミュニティとの融合。

現在わたしたちは、テレビを家族や友人と一緒に見ることもあるだろう。
また、前の晩に見た番組の話を学校や職場の人たちと話題にすることもあるだろう。
そして、その話を聞いて、再放送があれば見てみたかったりすることもあるだろう。

こうしたやりとりは、テレビがインターネットと一体化すれば、すべてテレビ上でできるようになるのである。
こうした縦横無尽な展開の中で、新しいビジネス機会が生まれてくるはずだ。

NHKは、今年12月から地デジを活用して「NHKオンデマンド」サービスを開始する。
見逃した番組を1週間以内なら見られるサービスや、過去の人気番組を配信するサービスが登場するのである。
まさにデジタル化の賜物だ。

個人的にはぜんぜん理解が進んでいないが、ICT、デジタルの分野は、もっとも進化のスピードが早く、革新的な発想が求められる。

わが国は、世界一のブロードバンド網を持つ国なのだ。
今回は米国のイノベーティブな話が目立ったが、いずれ世界を凌駕するような日本のビジネスモデルが誕生することを期待したい。

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2008年03月10日

平山画伯の国家観

尾道市(旧瀬戸田町)の平山郁夫美術館を訪れた。

2年半前に来たときは、子どもたちが館内で大騒ぎし、作品を見ることなく外でシャボン玉遊びに付き合って終わりになってしまったので、今回はリベンジである。

平山郁夫「行七歩」新たな収蔵品として、「行七歩(こうしちほ)」という画伯の長男をモデルとした絵があるなど、地方にありながら黒字を続ける美術館には素晴らしい作品が並んでいた。

平山画伯は、著書「絵と心」にその国家観について述べられている。
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東西文明の交流ということがよく言われる。私自身、東西をつなぐ心を求め、画題を求めて世界の道を歩いてきた。この東西文明、あるいは東西文化の交流というものがなぜ起こってきたのか、歴史の中での日本の国のあり方を理解することをめざして、私なりに考えてみることにしよう。

大きな東西文明交流の末端に連なった日本は、自分だけの力ではとうてい手の届かない、インドの仏教にふれたり、はるか西方のイスラム文化が生んだ文物まで、唐を通じて手に入れることになった。私たちは今日、それを正倉院の文物に見ることができる。

このように、残念ながら日本は、自らの力で文字を生んだ国でもなく、東西文明の交流の中では、もっぱら西からの文明の流れを受け容れた国でしかない。少なくとも、古代においてはそうである。しかし、中国を中心とする大陸の文化を、独自の方法で受容し、消化してきたことの中に、日本の文化の優れた力があった。

私は、日本は中国を中心とする東西文明交流から、はかり知れない裨益を受けている国だと思っている。そのことに、日本人の末裔の一人として、感謝の心を忘れないようにしたい。私の仕事が、そうした感謝の表現であってほしいと願っている。

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シルクロードと仏教を生涯かけて描き続けている画伯から見れば、日本という国は、やはり西方からの文明の行き着く先であり、東西文明の交流あってこそ、成り立っている国なのである。

しかし、そうありながらも、日本人の美意識や文化には大いに独自性があるとする。
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私は、美というものは、生きることそのものだと思っている。これは人間だけでなく、この世に存在するあらゆるものについて言えることである。
わかりやすくいえば、たとえば鳥が鳥として、花が花として生きよう、成長しようとしているときには、美しさを表す、ということである。この世に存在するあらゆるものが、生きようとする意志をもっている。人間や動植物だけでなく、私たちには見えないだけで、水や石のようなものにさえ、生きようとする意志があるかもしれない。

この世のありとあらゆるものを、自然と言い換えてもいい。長い歴史を通じて、自然とともに暮らしてきた日本人は、自然の恵みによって生きられることに感謝し、自然に学びながら文化を形成してきた。これが日本人の文化の本質なのだ。

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そして、大陸の合理的精神の源流を体験的に見極めたうえで、さらに日本人の美意識の価値を強調しているのである。
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大陸で生きる人々の精神構造が、日本列島で暮らす人々と違ってくるのは当然である。私はシルクロードの旅の中で、砂漠を移動中、思いがけない天候の急変にあって立往生するようなことを、再三経験した。そういうときに、砂漠の暮らしというものが、常に死と紙一重のところにあることをつくづく感じさせられたものである。

砂漠や荒野に生きる集団に指導者がいた場合、その指導者の判断しだいでは、集団の全員が死ぬこともある。指導者は判断を迫られたとき、絶対に判断を誤ってはならない。私は、こういうところに、きびしい合理精神や論理性も生まれてくるに違いないが、強烈な一神教が受け入れられる基盤もまたあるのだと思った。

科学は、世界のあらゆることを解明したかに見えるが、実はわからないことだらけである。逆説的に言えば、科学の発達は、自然というもの、あるいは生きるということの謎をかえって深めたとも言える。自然のいのちを感じるところから出発している日本の美は、意味を失ってはいない。むしろ世界的に存在価値を増してきたとも言える。

現在の価値観に合わないものは、何でも切り捨てるというなら、神話などは何の意味ももたないだろう。そこにマンションやオフィス・ビルを建てるのに、神社やお地蔵さんが邪魔だということになる。
私は日本人は、現代的な生活をしながらも、神話の価値がわかるような生活をすべきだと思う。古くから伝わった歴史の遺跡、文化遺産は、私たちがどんなに優れていても新たにつくることはできない。自分たちの歴史の価値を知らない日本人は、国際的にも尊敬を得られないだろうと思う。

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著書のあとがきにも、戦後日本の歩みを振り返った上で、今のわが国が、蓄積された富を人類のためにどう生かすのか、専門性に陥ることなく、自然との調和、真善美の認識を通じて、世界から信用を勝ち取るのかといった持論が述べられている。
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日本的価値観の一つに、自然との調和を述べてきたが、政治、経済、文化に関しても調和こそが前提であろう。

日本では「真」、「善」、「美」の調和を教養として学ぶ時代があった。この考え方は古い伝統的なものである。と同時に、普遍性がある。全人格的な人間形成として、これまで少なくとも日本の指導者には、この思想を持つよう教育されてきたものである。

ちょうど、自然の生態系に似ている。宇宙は、森羅万象が、大自然の法則によって、何十億年と悠久の時を経てきている。
その中を何百万種類の生命体が、自然の摂理に沿って進化しようと、努力を繰り返している。これまでこの真善美が、宗教的に、哲学的に、文化的に様々な方式で人の生き様を支えてきた。

こうした自然の調和や摂理と国家の運営を比較すると、失敗した例はすべてこの原則を破っている。或いは、科学技術が高度に専門化され分化した結果、専門的な技術論に陥り易く、この原則が崩れている。
開発者の目的や、利用など、また、すべてを統治する政治家の判断で、真善美のバランスが根底から崩れることになり、人類を破滅に導くことになる。

日本は、今一度、この失いかけた真善美や自然の摂理を再認識して、しっかりとした日本のグローバルな目標を示せば、世界は日本を認め国際信用が高まるだろう。

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平山画伯が魅せられた東西文明交流の道・シルクロードを訪れてみたいという気持ちが、数年前からずっと心の中にある。
その道をたどれば、日本の伝統文化や、日本人独特の感性(その細やかさ、いたわり、調和を重んじる精神など)がなぜ存立するのか、深い理解を得られるに違いない。

米国に留学していた頃、“欧米文化に対して卑屈になる同僚日本人”への嫌悪感を強く感じたものだ。
一つには、常によそからの文化を受け入れることにより成り立ってきた、日本人の(文明の発祥地におけるような)文明の自発性のなさに対し、私自身こそが卑屈になっていたのかもしれない。
だがもう一つには、日本人には、世界に誇るべき文化性(平山画伯の言われる美の感性がその代表格なのであろう)を有していることへのプライドが許さなかったのではないかと思う。

これからの日本経済は、国際的に相対的には縮小局面に向かうのだろうが、そうであればあるほど、国家の成り立ちの歴史や、日本人の持つ文化性の高さをしっかりと心に据えていくべきだと思う。

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2007年02月04日

展開するITS

広島で、ITS(高度道路交通システム)の公道実験が始まるらしい。

事故・渋滞が多発する道路にセンサー内臓カメラなどを設置し、見通しの悪いカーブの先に停止している車両や、渋滞状況を感知して、カーナビで見れるようにするモデル実験である。

半年間の実験にはマツダ車50〜100台が参加し、雨天・夜間など異なる条件下でのブレーキのタイミング、車間距離などの情報も収集する。
マツダや広島大が解析し、ITSによる事故防止に向けた技術開発などに役立てるとのことである。

交通事故といえば、ここ数年の死者は、激減している。
平成8年には9,942人だったのが、平成18年には6,352人まで減ってきている。
10年で2/3以下である。

交通事故死者数の減少の理由は、交通安全白書(平成17年版)によれば、「道路交通環境の整備、交通安全思想の普及徹底、安全運転の確保、車両の安全性の確保、道路交通秩序の維持、救助・救急体制等の整備等の諸対策が効果を発揮したことは言うまでもない」とした上で、「定量的に示すことができる主な要因」として、いくつか挙げている。

特に1ドライバーとしても実感できるのは、次の2つではなかろうか。

^酒運転の厳罰化
飲酒運転による死亡事故は、平成6年に1,458件だったのが、16年には710件まで減っている。半減だ。
平成14年に、懲役・罰金の限度が引き上げられたり、酒気帯びの基準が厳しくなったりした成果といえよう。

さらに、去年8月の福岡市職員の起こした死亡事故以来、公務員は飲酒運転事故のケースで免職処分が幅広く適用されるようになり、日常的な意識を持たざるを得ない環境になってきている。

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着用者率は、平成6年の68.5%から平成16年には88.3%に上がっており、その間に致死率(死傷者数のうちの死者数)は0.88%から0.39%まで下がっている。
この辺のモラルは、相当高まっていると思う。

もらい事故だってあるんだから、事故を100%避けることはできない。
ならば、死ぬ可能性を下げるしかないだろう。


話は戻るが、ITSは交通安全のためだけのツールではない。

NPO法人青森ITSクラブでは、路線バスの位置情報を携帯電話などでリアルタイムで提供する、バスロケーションシステムを普及させている。
渋滞などで時間が当てにならないとされるバスを、より信頼のおける公共交通機関に転換していくことは、社会的に大きな意味がある。

特に、青森のように、吹雪の中、病院に行くためにバス停で待たなくてはならないような土地では、バスロケの導入目的は、単なる「待つ間のイライラ解消」だけではない。

ITSはIntelligent Transport Systemsの略であって、IT(Information Technology)と語源は異なるが、内容的には、いかに交通システムとITをミックスして高度化していけるかという、大いにITと関係する概念である。

カーナビの活用一つ取ってみても、渋滞や対向車といった情報だけでなく、地域のお祭りやショッピング、地場の旬な食べ物情報、観光情報をドライバーに提供する、といったアイディアを実現していけるはずである。

ITSは、これからまだまだ進化していくITの大きな活用方策の一つだと思う。

shigetoku2 at 23:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2006年07月06日

ピカソの革命

パブロ・ピカソの絵を見に行った。

魚と瓶1881年生まれのピカソは、1900年にパリを訪れて以降、いわゆる「青の時代」(1901〜04)を経て、1907年制作の「アヴィニョンの娘たち」に始まるキュビスム(立体派)の大運動を起こす。

【←「魚と瓶」(1909年)】

よく知らなかったのだが、キュビスムは、ポール・セザンヌの影響が大きいのだそうだ。
解説によれば、「『自然を円柱・円錐・球として捉える』というセザンヌに触発されて、ルネサンス以来の遠近法の画法を打ち破り、対象を基本的なフォルム(形態)とボリューム(量感)でとらえ、平面という絵画本来の世界に留まりつつ、現実の対象物を表現する新たな絵画世界を切りひらいた」ものだという。

ピカソは突然変異の革命家のようなイメージがあったりするが、キュビスムの作品について言えば、パリ・モンマルトルなどで多くの画家や作品に出会い、影響を受けて生み出されたもののようだ。
どんな革新や進歩も、他の世界や過去の歴史から学ぶことなしに、ゼロから生まれるものではないということだ。「温故知新」という言葉もある。

ピカソは、第1次大戦後、キュビスムから離れ、シュールレアリズム(超現実主義)で夢や無意識の世界にも入り込む。
また、オルガ、マリー・テレーズ、ドラ・マールといった女性たちとの生活の色合いも、作品に色濃く描き出されていく。
やがて、彼を取り巻く社会環境は、スペイン戦争や第2次大戦といった不幸な動乱の時代に突入し、「ゲルニカ」のような社会性の強い作品が生み出される。

常人をはるかに超える感性の持ち主が、これほど波乱に満ちた人生を送ったことにより、どれほど精神的に翻弄され、苦悩を続けたのか、想像もつかない。

それにしても、遠近画法という当時の常識を打ち破ったピカソという人物の歴史的存在価値は絶大である。

何事にも従来の常識を疑う必要に迫られている今日、キュビスム的発想転換をしていきたいものである。
そのためには、過去から学び、他者から学ぶことが大事だと、ピカソは私たちに教えてくれている。


shigetoku2 at 21:37|PermalinkComments(1)TrackBack(0)