2007年04月30日

弟から12月の暮れも押し迫ったある日、

風邪が治らないけど、良い病院ないかと、か細い枯れた声で電話がきました。

何件か知人に聞いて教えました。

三件の病院に行っても喘息だの肺気腫だのと、一向によくなるきざしはなく、年明けてすぐ、喀血をして肺ガンとわかりました。

ステージ4といわれました。

私達家族は何とか助かるすべはないかと治療以外にもはっぽう手をつくしました。

弟は姉の私が言うのもおかしいのですが、女の子にものすごくモテて、デパートの中で二人で喫茶店しているときのバレンタインのチョコの集まったこと、集まったこと。

トイレに入って、壁に書いてる相合傘マークのわが弟の名前横に書いてる女の子の名前を見てえーっとびっくりした事などなど、数えるときりがないほどありましたよ。

その弟が、抗がん剤で髪の毛がなくなり、食べる物がうけつけなくなって、手や足が細くなって、車椅子を乗るようになった姿を見た時、あとどの位弟の顔見れるのかと、弟の好きな事をさせてあげたいと思い、毎週土日曜日の競馬の馬券を買って、何とか気を紛らわしてあげようとしました。

放射線治療の帰りにパルコの一階のカフェが好きだった弟は、寄りたいと言い出して、
心配する私をよそに歩いて入っていきました。

この時だけは奇跡が起きたのか歩けたのです。何も通らなかったのに、2杯もコーヒーが飲めたのです。

これが弟のこの世の最後のコーヒーで、この世の最後の自分の足で歩くことだったのです。

それから毎日行くたびに、体がちいさくなりました。

それから患者が一番敬遠する個室に移ったときに、馬券を買うのか聞くと、「しー」もういいよ、買わなくてもいいよ!と作り笑いで言いました。

私は弟が自分の命の限界を感じたと思うと、帰りの車の中で悲しくて悲しくて涙がとまりませんでした。

それから、三日後弟は親戚家族みんなに看取られて息をひきとりました。

私はこの患っていた半年間、私なりに出来る事はしてあげたかった。
この事は後悔していません。

もう八年が過ぎようとしています。

弟が亡くなる何年か前に私がゴルフが好きなので、ラコステのシャツをブルゼントしてくれました。

それを着る季節になると、弟の顔がふっと春風のようによぎります。



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