ジョンヌの部屋

四條久美子のブログです。

尊いお仕事

29a25b83.jpg2月15日17:45、3138グラムの女の子、芳夏(よしか)が生まれました。

前日の14日、深夜1:30から陣痛が始まり、2:15におしるし、それからすぐに陣痛は10分置きになりましたが、病院に電話で状況を説明すると、初めての出産は時間がかかるとのことでそこから陣痛の痛みが強くなるまで自宅待機となりました。
おしるしが来たと同時に早朝出勤に出発しなければならなかった旦那の豪ちゃんは、早くも涙が込み上げてきたようで泣きながら仕事をしたんだとか。朝方電話をかけてきた豪ちゃんからそれを聞いて「泣くの早いよ」と笑いましたが、いつも気持ちから一緒に寄り添ってくれる旦那様に私は心底喜びを感じました。

結局、22時間自宅にいました。
14日の23:30、マタニティータクシーを呼びました。電話の対応をしてくださった方が最後に言った「頑張って元気なお子さんを産んでください!」という言葉に、穏やかに勇気付けられました。

病院に着いたらそのまま陣痛室へ。

分娩室からは他の方がいきむ声が聞こえてきました。

陣痛に耐えながら前開きのパジャマに着替え、それからはとにかくベッドでひたすら陣痛との戦い。
豪ちゃんは深夜2時には再び仕事に出掛けなければならなかったので、1:30まで付き添ってくれて。
その間も助産師さんたちは「ご主人なんとか立ち会えませんか?」「仕事終わりでこちらに来る時間では産まれていると思います」
と、なんとか引き止めようとしてました。
けれど仕方がない。きっと豪ちゃんだって居たいはず。
「仕事と重なったら立ち会えないことは話し合ってたので」
と助産師さんたちに伝え、豪ちゃんとぎゅっと握手をして仕事に向かってもらいました。

それからは部屋で一人耐える時間。

助産師さんたちは分娩室で奮闘。
どうしても辛いときだけナースコールを押し、様子を見に来た助産師さんにベッドを起こしてもらったり、お産を促す椅子を用意してもらったり。
正直この痛み、豪ちゃんが仕事から戻る時間まで待ってられない!と朦朧としながらしらじらと夜が明け少しずつ明るくなる窓と時計とをゼーハー言いながら見てました。


朝9時、夜勤の助産師さんたちが交代の時間となりました。
すると数名の助産師さんと共に、一人だけ制服の違う女性も挨拶にやって来ました。
その方はコダマさんと言い、助産師学校の学生さんでした。

実習で今日一日コダマさんを私の陣痛室、分娩室に立ち会わせてほしいとのこと。既に薄目しか開けられなかった私は「はい…」という返事をし、震える手で同意書にサインをしました。

コダマさんは早速私に付き添い、陣痛がきたときに腰をさすってくれたり、痛みを逃がす呼吸を一緒にやってくれたり、冷たくなってしまった私の足を温める工夫をしてくれました。
暫くすると豪ちゃんが早々と仕事を切り上げ、予定より早く病院に駆けつけてくれました。
その時ちょうど私は先生の内診で子宮口を刺激され破水。カーテン向こうで私の叫び声を聞いていた豪ちゃんが心配そうに入ってきました。
豪ちゃんはお気に入りの真っ白なシャツを着ており、私はぼんやりと(赤ちゃんの誕生に合わせてまっさらな白いシャツにしたのかな…汚れてしまわないかな…)と思いました。

豪ちゃんが間に合ったことにホッとしながらも、いつになったら赤ちゃんが出てくるのかこれ以上どんな痛みに耐えなければならないのか寝不足の体はどこまでもつか、未知の体験に不安と焦りがつのりました。

その気持ちをコダマさんは穏やかに包んでくれました。優しく温かい声で常に私や豪ちゃんに言葉をかけ、陣痛がくると豪ちゃんと共に私に呼吸を合わせ、私がリラックスできるように様々な手を尽くしてくれました。

陣痛間隔はどんどん短くなり、呼吸での逃しも上手くいかず、私はいきんでしまうようになりました。更にはお腹の赤ちゃんが脇腹とお腹の上部を支点に踏ん張っているそうで、その二箇所が陣痛とは別に延々強烈な痛みを引き起こすようになり、陣痛の波が過ぎてもその痛みで声が漏れるようになりました。

「いきまないいきまない、息をして、フーーー、そうそう上手です」


もはや陣痛室のすぐ目の前にあるトイレに行くにも、立ち上がったら刺激されて陣痛、トイレに座っても陣痛、ベッドに戻るまでにまた陣痛、そして赤ちゃんが踏ん張っている痛み、一人の力では座り続けることもフラフラでできない、そうなると恥ずかしい気持ちなどどこかに消え失せ、個室の中にコダマさんに入っていただき常に手を握らせてもらいました。


食事を取らないと体力が持ちませんよ!
と、陣痛室に入ってから朝食昼食おやつと出されたけれど、こんなに食べることが大好きな私でも、人は極限まで苦しいと本当に一切の飲食も受けつけられないことも初めて経験し、点滴を受けることになりました。


私が陣痛室にいる間に、私より後に隣りの陣痛室に入った妊婦さんが先に分娩室に入っていく様子が声で伺えました。
いつになったら私の順番はくるのか…
お産を早めることはできないのか…
未だかつて経験したことのない悶絶状態からとにかく開放されたいという気持ちがどんどん大きくなりました。

不安な気持ちを励ますように、コダマさんは「もう少しですよー。頑張ってます頑張ってます。お母さんも赤ちゃんも、お父さんも。」と声をかけてくれました。豪ちゃんも前日からずっと徹夜。
前かがみで私の手を握るから腰も痛くなり途中睡魔にも襲われて。
「ご主人もお疲れですよね」とコダマさんが声をかけると豪ちゃんは「大丈夫です!」と必死に頭と体を起こしてました。

延々息が上がっているのですぐに冷たくなる足を温めようとコダマさんが保温剤を温め直しに立ち上がると「コダマさんいてください!」と私は初めてコダマさんの名前を呼びました。
腰をさする、肛門を押し上げる、あらゆる痛みを逃がす手立てがもはやどれも私には気休めの効果も無くなってしまい、とにかくコダマさんにいてもらい声をかけてもらえることが今一番気を保てると思いました。
コダマさんは「足を温めると赤ちゃんが出やすくなります。1分で戻ります」と優しい声で言いました。
コダマさんがいなくなると豪ちゃんは「とっても優しい人だね。コダマさんにいてもらえて良かったね」と言いました。

16時前、先生から「陣痛が長引いているので陣痛促進剤を打ちます」と説明があり、そこからは止めどない陣痛の大波続き。
子宮口が少しずつ開き、それでも全開の10センチまでは2〜3センチほど足りずに苦しんでいると、コダマさんが
「添野さん、本当に残念なのですが私の実習が16:30までなんです。最後まで立ち会いたかったのですが…」
と言いました。

とてもさみしいのと心細い気持ちと、それでもまだ開ききらない子宮口と、色々な気持ちの混ざる中
「ここまで付き添ってくれてありがとうございました…」と伝えました。
コダマさんは「お手洗い、もう一度行っておきますか?」
と言ってくれました。
実はそれまでも頑張って向かったトイレなのに、赤ちゃんの頭が下がりすぎて出口を塞ぎ、何も出ないでベッドに戻ることを繰り返してました。
「頑張ってトイレに行っておいたほうが良いです」
と言われ、なんとしてもコダマさんがいる間にもう一度行っておこうと思いました。

ヨロヨロとトイレに向かうまでに16:30になってしまい、他の助産師さんが気を遣いコダマさんと交代しようとしましたが、コダマさんはそれでも付き合ってくれました。
トイレを出るときこれまでで一番の猛烈な痛みに襲われ、腰が引けて足もガクガク、全身で震えていると先輩助産師さんが「しっかり立ちなさい!!!お母さんが転んだら赤ちゃんが大変なことになるのよ!!気を張って!!!」と言われ「はい…!」と目を見開きました。
ベッドに横たわるとすぐに内診。するとようやく「よし!子宮口全開です。分娩室に行きましょう!!」といよいよ子供との対面の兆しが見えました。


分娩台に上がると「添野さん、もう少しです」とコダマさんの声がしました。
まだいてくれたんだという感謝の気持ちと、時間が過ぎてしまい申し訳ない気持ちから「ありがとうございます!コダマさん、時間ですよね…無理なさらないで…」と言いながら、本当はいてもらいたいという気持ちを押し殺しました。

薄っすらと開けた視界の向こうで、先輩助産師さんに手招きされたのかコダマさんが分娩室を出ていくのが見え、よし、気持ちを切り替えねばと自分を奮い立たせました。

陣痛が来たときは赤ちゃんも出ようとしてる時。陣痛が収まったらお母さんも休憩。
陣痛の度に目が飛び出そうなほど精一杯いきみ、頭の上で何度も鼻をすする豪ちゃんを感じながら、母になろうとする強さが自分の中に生まれました。
「髪の毛が見えてきました!」
「そうそういい感じです!」
もう少し、もう少しで会える、赤ちゃんに会える!!

いきんでいる途中で陣痛の波が終わってしまうことを何度も繰り返しながら、最後の最後はその波が終わりそうなところを力を振り絞って一番長く強くいきみました。
「頭が出ました!もう後は力を抜いてください!!」

ドラマのワンシーンみたいに産まれたての芳夏が第一声を上げました。
頭の上で泣いていた豪ちゃんはなんて言ったのか記憶になく、笑顔で誕生を喜ぶ助産師さんたちと、お腹の中にいた芳夏を初めて右腕に抱いた時
「…あなただったのねー…」
と安堵の声を漏らしました。

赤ちゃんを隣りの部屋に連れていき、豪ちゃんも一度退室し、私はお産後の処置を施されました。
先生にボソっと
「先生…これは難産だったんですか…?」
と聞くと
「…安産です」
と返され、そうかー…本当に出産という大仕事を経験している世の中の全てのお母さんの強さに頭が下る…とぼんやり考えました。

「改めて赤ちゃんとお父さんと対面です」と二人が分娩室に入ってきて、芳夏を見たら、ポロポロと涙が流れました。

「かわいい…」

豪ちゃんはこれ以上ないくらいの笑顔で
「めちゃくちゃかわいいよ!本当にかわいい宝物!今までの人生でボクは今日が間違いなく一番幸せな日!!」と喜んでました。
本当に幸せでした。



入院中、助産師さんにコダマさんへ感謝の気持ちを伝えたいという話をしました。

すると平日の昼間にコダマさんは病室まで会いに来てくれました。
陣痛中ほとんど目を閉じていた私はその時初めてコダマさんの顔をしっかり見ました。
「あ。」
と、私はコダマさんに色んな言葉を用意していたはずなのに感情ばかりが溢れ、詰まりそうな声で
「本当に本当にありがとうございました。無事産まれました…」と初めてコダマさんに見せるほっとした表情でお礼を言いました。
コダマさんは「かわいいですね〜…!」と静かに芳夏の顔を覗き込みました。

「本当に、コダマさんにはこれ以上ないくらい感謝してます。学生さんとは思えないほど落ち着いていて、私が気を張ってられたのはコダマさんの励ましの言葉とあったかい手が本当に大きくて…本当に尊いお仕事をされてますね」
と言うと、コダマさんは謙遜するように何度も頭を下げ「ごめんなさい、涙が…」とみるみる目が真っ赤になり、それを見て私もボロボロと涙がこぼれ落ちました。
お互い涙が止まらなくなり、コダマさんは「こちらこそありがとうございました」と改めて深く頭を下げ、私も「本当に本当にありがとうございました」と言うのが精一杯になり、コダマさんは部屋を出ました。

うっかり、芳夏を抱っこしてもらうのを忘れてしまった、それだけが心残り。

新しい命をこの世に産み出そうとするお母さん、産まれようとする赤ちゃん、その手助け。
なんて素晴らしいお仕事なんだろう。

2月15日は私と豪ちゃんにとって、かけがえのない宝物を授かった日になりました。

赤ちゃんを授かりました。

cb69d0be.jpgとても嬉しく、本当にありがたいことに、現在妊娠七ヶ月となりました。

今のところ女の子の可能性が高いと言われた赤ちゃんはお腹の中でとてもよく動くようになりました。

結婚するずっと前から「私もし妊娠しても普通にペテカンやり続けたい」と言ってましたが、実際妊娠してから活動を休むことなくイベント、長野公演、本公演と全てに参加させてくれた劇団メンバーと旦那の豪ちゃんに心から感謝してます。

周りの心配をよそに、自分自身つわりもひどくなく動けてしまうから毎回全力で楽しんで、その度次の検診で小さな命が動いているかドキドキして、心拍を確認してほっとして、このわがままで身勝手な母親のお腹で頑張って成長してくれた赤ちゃんにも本当に感謝。

お腹の子に早くから名前をつけました。男でも女でもこの名前。
豪ちゃんの亡くなったお父さんが義雄(よしお)、私の亡くなった母が芳子(よしこ)、二人ともよしがつくからよしの音は入れて。
豪ちゃんは母の芳の字を使おうと言いました。
そして私たち夫婦が大好きな夏の字を入れることにしました。
芳夏。そえのよしかさん。

一年中元気な夏がかおるような名前。


日付が変わって、昨日11月9日母の命日でした。
19年前、私が19歳の時くも膜下出血で亡くなりました。

生きていたらお母さんは私の妊娠のことをどんなふうに喜んでくれただろう、旦那様の豪ちゃんとどんな会話をしただろう、今も「お母さんに会いたいなあ」とこぼしてしまいます。

私と豪ちゃんをお母さんお父さんに選んで降りてきてくれたお腹の芳夏さんが、これからもお腹の中で、そして産まれてからも元気に成長してくれることを願う毎日です。
二月に母になります。

今も大好きな私のお母さんのようなお母さんになりたいと思います。

父の上京

47eee64b.jpg父が泊まりに来た。

出版社巡りのために。

幼少期体の弱かった父は学生時代から空手部で心身鍛えたり、瞑想やヨガで精神力を鍛えていた。私は幼稚園から小学校2年生まで毎朝裸足でマラソンに連れていかれ、雨の日はヨガと瞑想をやらされた。どうにも嫌になってお母さんに泣いてしがみついても父はげんこつで無理矢理私達兄弟をマラソンに連れて行った。

昔から父は毎日自分の精神状態をグラフにしていた。今の自分の気持ちを知り、落ち込んだ時も瞑想をして常に安定を保つ、ようだ。何十年間も続けているからグラフの用紙は山のようになっている。私が19才の時母が亡くなった。最愛の妻を亡くして死ぬほど辛い時期も父は瞑想をしていた。

その瞑想法を文章に起こして本にしたい。父の夢のひとつだそうで。
まずはプリントアウトした見本を持って出版社に直接持ち込むのだそう。

子供達からしたらどうぞご勝手に。

スタートの今回は二日間かけて回るので一晩世話になる、とそんな理由で父が東京の我が家にやって来た。

家に上がった父をに対して最初に思ったのが(加齢臭ひど・・)だった。
どうやら古いパソコンがプリントアウトの途中でダメになり、そうこうしているうちに朝3時になってしまい、始発のバスに間に合わせるためお風呂に入れなかったんだそう。
せっかくなら足を伸ばせるお風呂がいいだろうと思い、銭湯に誘った。
銭湯の準備をしながら今日どこを回ったか聞いてみると、いくつか回った中で見本を貰ってくれたのは1社だけだったそう。行ってみたら場所が移転していた会社もあったんだとか。
出版社に直接電話をしてまた移転先まで足を運んで。
スマホを持たない父は家でパソコンの下調べをしてから来る。その場で調べものができるようスマホに変えたら?と言ったけど、お父さんは自分のやり方で充分だと返ってきた。

「いや〜でも東京はどこ行っても暑かったな。外は寒いけど建物内は本当に暑い!思いの外汗すごくかいてな」
父は着替えを持たずに来ていた。
明日こんな臭いじゃ相手も嫌だろうから急いで洗濯する、と豪ちゃんのスウェットに着替えさせた。
きっと真冬だから汗なんてかかないと思ったのだろうけど、言ってみれば会社に営業で回るなんて精神的に汗をかかないわけがない。強がりな父だから緊張したとも思わないようにしているだろうけど、明日も汗をかいてもいい香りがするように柔軟剤を多目に入れて回した。

洗濯を待ってる間、今日回った会社でどんな人が対応してくれたか話をしてくれた。

「とっても丁寧な人もいたぞ。『ありがとうございました』なんて何度も頭下げてくれた若い男性もいてな。最後お父さんがエレベーター乗るまで頭下げてくれてな。」

勝手な想像だけど、どう見ても田舎から上京した70のおじさんが一人で出版社に出向く、その大変さとか、お父さんの見た目が、その丁寧な対応をしてくれた人の故郷の父と重なったのかな、と思った。

近所の銭湯は番台前に休憩スペースがある。父と40分後に待ち合わせをした。お風呂から上がると父が下着のシャツとモモヒキの姿で新聞を読んでいた。
「お父さんここ男女共用スペースだよ。何その格好」
と言ったら
「だって汗引かないだもんよ」
と、しぶしぶスウェットを着始めた。
「家じゃないんだから・・」
と面白いからこっそり写真を撮ってみた。

そのまま近くの定食屋に入った。
初めて入ったオムライスメインの定食屋は父の少し年上くらいのマスターが一人でやっていた。
私はオムライス、父はオムライスのハンバーグプレートを注文した。
店内は私達しかいなかった。
けれど料理が出るまでかなり時間がかかった。
その間父はビールとおつまみのメザシで延々話をしていた。
父の話は尽きない。放っておけばいつまでも喋っている。私は相づちを打つのも面倒になり、店のテレビを見たりたまに視線を父に戻したりして聞いていた。途中、
なんだ、お前眠いのか?
と聞かれたけれど
眠くはない
とだけ答えた。

オムライスは普通に美味しかった。私は黙々食べ続け、その間も父は喋り続けた。私が食べ終わってからも父はたまに箸を休めて話すので
「お父さん、まだ私家でやることあるから食べながら話して」
と促した。
銭湯も食事も代金は私が払った。父がこちらにいる間くらいは出してあげよう、そう思って何も言わずに父より先に会計を済ませる度、父は申し訳ないような声で「おぉ」とありがとうの代わりの声を出した。東京に来てから数年続けてくれた仕送りを考えれば微々たるお返し。年金暮らしの今の父にあまりお金を使わせたくなかった。

家に着いて父はテレビを少し見て、明日も何社か回るから寝ると言った。
前から膝が悪かったのだけど、11月のお祭りで更に膝を痛めてから長時間歩くと痛みが我慢できなくなっていた。
「いててて・・」
と言いながら湿布を貼って、処方されたロキソニンを飲んで布団に入った。
誰かが泊まる時は客間に布団を敷くのだけれど、私の2月の宮崎滞在に向けての荷造りで客間が埋まっているため私たち夫婦の寝室にお父さんの布団を敷いた。
豪ちゃんは夜勤なので父娘だけの夜。

父が寝てから二時間程して私も布団に入った。
父のいびきを聞きながら、幼い頃の川の字を思い出した。小さい頃毎晩聞いたいびき。末っ子の私は姉、兄よりも一番大きくなるまで父と母の部屋で一緒に寝ていた。

私は今毎晩、母の遺髪と遺骨を少しずつ小箱に入れたものを巾着に包んで枕元に置いている。
父が眠る前に私が「これお母さん。こんなかにお母さんの髪の毛と遺骨入ってるから」
と言ったら父は
「・・ほんとかよ」
となんとも言えない感じの声をだした。私が遺髪と遺骨を持ってること忘れてたようだ。
「今日はお父さんと私でお母さん挟んで寝よう」と言った。

私は布団で目をつむりながら、そういえば川の字で寝るのはお母さんが亡くなる直前以来だな・・と思い出した。

当時私は上京したての年。たまたま富士宮の秋祭りで帰省していて、姉がフリーマーケットに出店するため私のベッドの上を出品物で占領していたので十年以上振りに父と母の部屋で寝かせてもらった。
偶然にも母がくも膜下出血で倒れる前までの一週間ずっと。
その時、両親の寝息に幼い頃の安らぎを思い出した。

あれ以来か〜・・と、父のいびきを心地よく聞いて眠りについた。

父は3時間程眠ると起きて、居間でテレビを見て、眠くなったらまた2、3時間寝て起きてを繰り返していた。年を取ってから長く眠れなくなったそうで。
私はたまに父の物音で目が覚めるも、すぐまた眠りに落ちた。

朝はたまたまバイトの出勤が遅かったので父に朝食を作った。
暫くして豪ちゃんも帰宅。前日から「豪は何時に帰ってくる?」と気にしていた父は帰宅した豪ちゃんに出版社回りの見本を見せて嬉しそうに説明していた。
優しい豪ちゃんはちゃんと父の話を聞いてあげていた。けれど見本のタイトルにある「瞑想」の漢字を指差し、小さな声で私に「これなんて読む?」と聞いたので、そこから読めないなら何もわからない、とツッコンでおいた。

私の出勤と同時に父も電車に乗った。
混んではいなかったけど座席は空いてなかった。
父は「学生の頃は吊革に掴まらずにバランスを取るのもトレーニングだった」と、両手を下げていたけれど電車が動き出してすぐ吊革に掴まった。
膝が痛いのだな・・と思った。優先席でスマホのゲームをしているOLらしき女性がチラッとこちらを伺ったがまた視線をスマホに戻した。
声をかけるタイミングを逃しただけなのかもしれないけれど、今だけはお父さんに座席を譲ってほしいな・・と心から思った。
池袋駅での乗り換え、売店でフリスクを買ってあげた。
「口臭、気にならないのは自分だけ。営業で回るなら尚更気にかけて」と忠告した。

埼京線に乗る私は乗り換え時間に少し余裕があったので父を山手線まで連れて行った。
階段の手すりに手をかけて、腕の力にも頼りながらホームまで上がる父をそっと下から押し上げた。
すぐに来た電車に乗ると、空いた座席に座ればよいのに父はドア付近に立って手を挙げた。
「じゃあまたな」

随分前に大阪公演に来てくれた父とホームで別れたことを思い出した。
喉の奥がきゅうっと締まって、涙が出そうな衝動に駆られたので感情を掻き消した。

父を見送ってから仕事に向かった。




昼の仕事が終わってから、すぐ父にショートメールで連絡した。
どうだった?足は痛くない?

父は
痛いなあ。けど、2社受け取ってくれて目的達成!ケイカラーメンでお祝いしたよ。

とのこと。
父は法政大学に通っていた頃から大の桂花ラーメン好き。家族で東京に来たらいつも食べた。移転する前の新宿桂花ラーメンは家族の思い出の場所。
私も父の影響で桂花ラーメンが好き。食べたくなると一人でも行く。


よかったね。今どこにいるの?
と返信したら
帰りのバスまで時間があるから新宿のカフェラミルで古本を読んでいる

夜のバイトまでの移動が新宿で乗り換えだった私は、30分時間があった。すぐにカフェラミルを検索して桂花ラーメンに近い店舗に入った。
二階の席で眠そうに本を読んでいた父は、小さくびっくりしていた。


席に座って20分、やっぱり父はずっと喋っていた。神保町の古本屋地図を広げて自分が立ち寄ったお店の話をした。行ったお店にはボールペンで丸がしてあった。私は注文したコーヒーが来ると大量のミルクと砂糖を入れてかき混ぜ、一気にお腹に流し込んだ。今度こそ父とお別れになった。
「足、気を付けて駅に向かってね」
「ああ。本が売れて羽振りが良くなったらタクシーで東京駅まで行くよ」と笑った父に
「そうなれるといいね。祈ってるよ」
と伝えてお店を出た。
山手線のホームよりも切なくなかった。


夜のバイトも終わって帰り道、富士宮までの高速バスの中であろう父に「気を付けて帰ってね」とだけメールした。
返事は無いから寝てるのだろう。
ふと、昨日の晩のことを思い出した。
久々の川の字。

お母さんが亡くなってからのこと。医者の誤診で助けることのできなかったくも膜下出血。父がたった一人で大好きな母のために戦った裁判。

お母さんが亡くなった時、姉が電話越しに言った「私たちも辛いけど、一番辛いのはお父さんだから。私たちがしっかりしなくちゃいけない」という言葉。

今、私は結婚をして最愛の人ができて、その人生のパートナーがいなくなるなんて悲しすぎて考えられない。
母が亡くなった時私も死ぬほど悲しかった。
お父さんは、大好きなパートナーの母がある日突然いなくなって、それからの人生を想像の母と暮らしている。
以前、車で遠出をするときはいつも助手席にお母さんがいることを思いながら運転すると言っていた。旅行が大好きな二人。亡くなった時母のスケジュール帳にはこれから行く予定だった旅先の地名がいくつも書き込まれていた。

色んな思いが後から後からこぼれて止まらなくなってしまい、駅から家に帰りつくまでの道をボロボロボロボロ泣きながら歩いた。

すでに夜勤に出掛けた豪ちゃんに
「なんか、昨日お母さんと三人で寝たら、お父さんて大好きなお母さんいないのにずっと一人でよく頑張ってるなって思ったら、涙出そうになった。
お父さん大事にしたくてバイトの間にちょっとだけ会いにいった。
膝痛いって言ってた。歩いたから。
そんなうまくいくはずないけど、神様少しだけでいいからお父さんの本を出版の夢、叶えてあげてくださいって思った。」
とラインをした。
豪ちゃんは
「うん!僕も同じ気持ちになる」
と返してくれた。


帰宅した父からメールがきたのは23時近くだった。
「無事帰宅。充実した2日間だった。いろいろありがとう。」
お父さんが充実した2日間と思ったのなら良かった。

神様に、できれば膝の痛みを少しでも取ってあげてください、と重ねてお願いをした。

ラサールさんの人柄

54601072.jpg先日新橋演舞場にラサールさんや春風亭しょーたししょーの出演している熱海五郎一座を観に行きました。


KAKUTAの公演をしたすみだパークスタジオ、同時期同じ敷地内で熱海五郎一座は稽古をしていました。
ものすごく忙しい中ラサールさんは二回もKAKUTAに足を運んでくれて。

そして感想を沢山聞かせてくれました。

ラサールさんは演劇愛が深い。自らも沢山の構想を寝る間も惜しんで具現化してきたし、面白い劇団だと思うと低姿勢で出してください!と照れながら言う。
頭の回転が早い。演出も的確で分かりやすいので、演者が楽しく芝居が出来て途端にイキイキする。
そして自分が演出じゃないときは、演出家を立てながら気になる点だけアドバイスをしてより面白くしてくれる。
作品作りの協調性を大事にしてくれる。

そして家庭愛も深い。
ラサールさんの愛情にいつも奥様のももやんは感謝している。芸能人だから年の差婚を色々叩かれたこともあるようだけれど、二人一緒の時はもちろん、ももやんがいないときもいつもももやんを大事に思っていて、こちらが温かくなるほど仲が良い。微笑ましくて、私はこの二人が一緒の時がとても好き。

ラサールさんと出会う前は、インテリでものすごくプライド高いイメージを勝手に抱いていたので正直こんなに温かい人だと知ってびっくりした。

ラサールさんの芝居を観に行くと必ずラサールさんは飲みに連れてってくれる。そこで楽しそうにまた芝居の話をする。

けれど今回は私は用事があったため、芝居後すぐに劇場を出なければいけなかった。
えー残念。楽屋で少し飲んでるのに。と言われたけれど泣く泣く劇場を出なければいけないことを伝えた。

劇場に到着したら、入口にラサールさんのマネージャーさんが立っていた。
「これ、石井から手土産だそうです」と紙袋を渡された。中身はいっぱいのお菓子とパンフレットだった。


なんか、お父さんみたい。
里帰りした娘にせめて手土産を持たせる、そんな感じ。ものすごく嬉しい。

一幕と二幕の間に休憩があったので、そこでお菓子を食べた。ラサールさんが声を演じるこち亀の両さんどら焼き。
あはは。両さんから両さんどら焼モロタ。

小腹を満たすには十分なお菓子だった。
お礼をメールしたら後半も楽しんでってくださいとすぐに返信がきた。

ラサールさんの芝居と向き合う姿勢、人柄、これからも良いところを沢山学ばせてもらおう。

スタンプ

10de2f89.jpgダーダことKAKUTAのタダカオリがおつなスタンプ作ってくれた。

男と女

通常本番直前に劇場入りするのだけれど、今回は贅沢にも本番二週間ほど前から劇場で稽古をしている。

「男を読む」と「女を読む」と「猫を読む」


先日、猫を読むの稽古を見学した。
参った。繰り返し同じシーンの稽古をしているのだけど何度見ても面白いし涙を流した。
しかもこの日の稽古はアルケミストはいなかったからスピーカーからアルケミストの楽曲を流しての稽古だったのに。
アルケミストが入ったら猛烈に面白くなる・・というか嫉妬するほど素敵な作品になると確信。
私は猫を読むに出演していない。


そして翌日、もう一つ私の出ていない「男を読む」の通し稽古を見た。

3つのオムニバス、どれも素晴らしかった。ラストのお話に旦那の豪ちゃんが出演している。
豪ちゃんはとても豪ちゃんらしい役をもらった。
この作品を読んだこともあるし、豪ちゃんから稽古の話も聞いていた。全てわかっていたのに、目の前で芝居をする演者と語り手の心情が痛いほど伝わってきて、苦しいくらい涙が溢れた。

一緒に観ていたベテラン女優のまきさん、スタジオライフのまっつんも声が漏れるほど泣いていた。

終わった後楽屋でまきさんが「旦那様、すごくいいね」と言ってくれたのが嬉しかった。まきさんとまっつんとした会話の時間が穏やかだった。


その日の夜は私の出演する「女を読む」の稽古だった。 

男を読むで泣きすぎて頭痛が取れず、ロキソニンを飲んで挑んだ。


この日の飲みの席で作演のバラが豪ちゃん「四條はどうだった?」と聞いたらしい。豪ちゃんは
「悔しいかな、僕よりとっても素敵な女優さんでした」
と言ってくれたらしい。

旦那様にあんなに良い演技を見せられたら私も燃えないわけない。

それぞれの作品の出演者が、互いをヤバイ・・面白い・・!と刺激しあっている。

3つの上演作品をまとめあげた桑原裕子って・・なんだろう・・この天才。

寝惚け〜まもなく舞台の本番〜

現在夫婦で稽古中。
主婦の意地で毎回二人分のお弁当を用意する。

毎朝目覚まし用のコーヒーを淹れるところから一日が始まる。

昨晩炊飯器の予約をし忘れて寝たので、今朝はコーヒーと同時に米を研ぐ作業が入った。ら、研ぎ終わり水を張った炊飯器にまさかのドリップ用のコーヒーの粉を入れていた。

寝ぼけまくっていた。


が、その後の私は冴えていた。

コーヒーの粉末が水より軽く全て水面に浮いていたので、お水を沢山足して粉を溢れ流した。

我ながら素晴らしいアイデアと感心したが、余計なミステイクしなきゃこんなに無駄な時間も無駄な水も節約して過ごせたのになあ・・。


まもなくKAKUTAの朗読劇。

私は「女を読む」に出演します。4つの短編作品オムニバス。
こんなこと言っちゃなんだが、最高に面白い。
 
稽古が毎回楽しく、頬の筋肉つる程笑って、そして泣いております。
私の愛してやまないバラも女を読むに出演。

ちなみに豪ちゃんは男を読むと猫を読むに出演。

KAKUTA Sound Play Series「朗読の夜」#8
『アンコールの夜』
構成・演出・脚本:桑原裕子
朗読の夜シリーズ最新作は、観客投票によって選ばれた過去の作品と新たな物語の全8編。
「男」「女」そして「猫」を読むアンコール・アンソロジー。

■会場/すみだパークスタジオ倉(錦糸町)
■日時/5月
※私は「女」と書かれた回に出演します。

7日(土)13:00男/18:00男
8日(日)13:00女/18:00女
9日(月)19:00男★
10日(火)13:00男★/19:00女★
11日(水)19:00女◆
12日(木)13:00女◆/19:00男
13日(金)19:00男◆
14日(土)13:00男/18:00女◎
15日(日)13:00女
16日(月)休演日
17日(火)休演日
18日(水)19:00猫★
19日(木)13:00猫□/19:00猫
20日(金)19:00猫
21日(土)13:00猫□/18:00猫◎
22日(日)13:00猫□
※本公演はプログラムが3作品あります。日程によって観られる作品が違いますのでご注意ください。
男…「男を読む。」
女…「女を読む。」
猫…「猫を読む。」
★…サービスデー3,100円
◆…開演前ミニイベントあり
◎…終演後スペシャルイベントあり
□…こどもとねこの会(小・中学生1,000円、未就学児観劇可・無料、途中入退場可。

【チケット料金】
<全席指定(猫を読む。のみ全席自由)>
前売・当日=3,500円
★サービスデー=3,100円
学生割引=3,000円(要学生証・劇団扱いのみ)
3作品通しチケット=9,300円
□こどもとねこの会=小中学生1,000円/未就学児無料

≪30名を超える豪華キャストと気になる読み本はKAKUTA公式HPをご覧ください。≫
KAKUTA 公式HP http://www.kakuta.tv/

本気で是非観てほしい。
バラが本当に楽しい役をあてがってくれた。
ある作品では語り、別の作品では主人公もやります。

ご予約は以下より!
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https://www.quartet-online.net/ticket/encore?m=0cfhfhc

晩餐

誕生日の昨日は稽古後旦那と外食に行き、昼間買っておいた近所のちょっといい値段するマジ美味しいケーキ屋のケーキを食べました。

37歳二日目の今日は旦那が飲み会に行ったのでおうちで一人近所のアコレで買った賞味期限間近の10%オフになったミートボール食べました。

主婦はそんなもん。

4月27日

日付の変わる一時間前、大阪から来た友人が誕生日プレゼントのフライングでラーメンご馳走してくれました。

無事37才を迎え、別れ際新宿駅の改札入った私の(絶対やめて)というジェスチャーも虚しく、改札の外から友人がでっけー声で「誕生日おめでとう!!!!!」と叫んでくれました。

振り返る人々。

その人々について「心の中では祝福しているはず」と友人は後にラインをくれました。
が、終電間際の混雑した新宿駅、そんな広い心持った人いねーだろと思ったけど、私もああいった場面にたまたま出くわしたら心の中で祝福するような人間でありたい、と思った37才なりたての久美子でした。

前日の過ごし方

一つ歳を重ねる前に今朝トイレ掃除をした。
トイレには女神様がおるんやで〜綺麗にするとべっぴんさんになるんやで〜って歌ってたから。

そのまま運転免許証の更新に行った。
1歳でも若い写真にしておこうと思い。

あと一時間で36才が終わる。
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ジョンヌ

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