ジョンヌの部屋

四條久美子のブログです。

父の上京

47eee64b.jpg父が泊まりに来た。

出版社巡りのために。

幼少期体の弱かった父は学生時代から空手部で心身鍛えたり、瞑想やヨガで精神力を鍛えていた。私は幼稚園から小学校2年生まで毎朝裸足でマラソンに連れていかれ、雨の日はヨガと瞑想をやらされた。どうにも嫌になってお母さんに泣いてしがみついても父はげんこつで無理矢理私達兄弟をマラソンに連れて行った。

昔から父は毎日自分の精神状態をグラフにしていた。今の自分の気持ちを知り、落ち込んだ時も瞑想をして常に安定を保つ、ようだ。何十年間も続けているからグラフの用紙は山のようになっている。私が19才の時母が亡くなった。最愛の妻を亡くして死ぬほど辛い時期も父は瞑想をしていた。

その瞑想法を文章に起こして本にしたい。父の夢のひとつだそうで。
まずはプリントアウトした見本を持って出版社に直接持ち込むのだそう。

子供達からしたらどうぞご勝手に。

スタートの今回は二日間かけて回るので一晩世話になる、とそんな理由で父が東京の我が家にやって来た。

家に上がった父をに対して最初に思ったのが(加齢臭ひど・・)だった。
どうやら古いパソコンがプリントアウトの途中でダメになり、そうこうしているうちに朝3時になってしまい、始発のバスに間に合わせるためお風呂に入れなかったんだそう。
せっかくなら足を伸ばせるお風呂がいいだろうと思い、銭湯に誘った。
銭湯の準備をしながら今日どこを回ったか聞いてみると、いくつか回った中で見本を貰ってくれたのは1社だけだったそう。行ってみたら場所が移転していた会社もあったんだとか。
出版社に直接電話をしてまた移転先まで足を運んで。
スマホを持たない父は家でパソコンの下調べをしてから来る。その場で調べものができるようスマホに変えたら?と言ったけど、お父さんは自分のやり方で充分だと返ってきた。

「いや〜でも東京はどこ行っても暑かったな。外は寒いけど建物内は本当に暑い!思いの外汗すごくかいてな」
父は着替えを持たずに来ていた。
明日こんな臭いじゃ相手も嫌だろうから急いで洗濯する、と豪ちゃんのスウェットに着替えさせた。
きっと真冬だから汗なんてかかないと思ったのだろうけど、言ってみれば会社に営業で回るなんて精神的に汗をかかないわけがない。強がりな父だから緊張したとも思わないようにしているだろうけど、明日も汗をかいてもいい香りがするように柔軟剤を多目に入れて回した。

洗濯を待ってる間、今日回った会社でどんな人が対応してくれたか話をしてくれた。

「とっても丁寧な人もいたぞ。『ありがとうございました』なんて何度も頭下げてくれた若い男性もいてな。最後お父さんがエレベーター乗るまで頭下げてくれてな。」

勝手な想像だけど、どう見ても田舎から上京した70のおじさんが一人で出版社に出向く、その大変さとか、お父さんの見た目が、その丁寧な対応をしてくれた人の故郷の父と重なったのかな、と思った。

近所の銭湯は番台前に休憩スペースがある。父と40分後に待ち合わせをした。お風呂から上がると父が下着のシャツとモモヒキの姿で新聞を読んでいた。
「お父さんここ男女共用スペースだよ。何その格好」
と言ったら
「だって汗引かないだもんよ」
と、しぶしぶスウェットを着始めた。
「家じゃないんだから・・」
と面白いからこっそり写真を撮ってみた。

そのまま近くの定食屋に入った。
初めて入ったオムライスメインの定食屋は父の少し年上くらいのマスターが一人でやっていた。
私はオムライス、父はオムライスのハンバーグプレートを注文した。
店内は私達しかいなかった。
けれど料理が出るまでかなり時間がかかった。
その間父はビールとおつまみのメザシで延々話をしていた。
父の話は尽きない。放っておけばいつまでも喋っている。私は相づちを打つのも面倒になり、店のテレビを見たりたまに視線を父に戻したりして聞いていた。途中、
なんだ、お前眠いのか?
と聞かれたけれど
眠くはない
とだけ答えた。

オムライスは普通に美味しかった。私は黙々食べ続け、その間も父は喋り続けた。私が食べ終わってからも父はたまに箸を休めて話すので
「お父さん、まだ私家でやることあるから食べながら話して」
と促した。
銭湯も食事も代金は私が払った。父がこちらにいる間くらいは出してあげよう、そう思って何も言わずに父より先に会計を済ませる度、父は申し訳ないような声で「おぉ」とありがとうの代わりの声を出した。東京に来てから数年続けてくれた仕送りを考えれば微々たるお返し。年金暮らしの今の父にあまりお金を使わせたくなかった。

家に着いて父はテレビを少し見て、明日も何社か回るから寝ると言った。
前から膝が悪かったのだけど、11月のお祭りで更に膝を痛めてから長時間歩くと痛みが我慢できなくなっていた。
「いててて・・」
と言いながら湿布を貼って、処方されたロキソニンを飲んで布団に入った。
誰かが泊まる時は客間に布団を敷くのだけれど、私の2月の宮崎滞在に向けての荷造りで客間が埋まっているため私たち夫婦の寝室にお父さんの布団を敷いた。
豪ちゃんは夜勤なので父娘だけの夜。

父が寝てから二時間程して私も布団に入った。
父のいびきを聞きながら、幼い頃の川の字を思い出した。小さい頃毎晩聞いたいびき。末っ子の私は姉、兄よりも一番大きくなるまで父と母の部屋で一緒に寝ていた。

私は今毎晩、母の遺髪と遺骨を少しずつ小箱に入れたものを巾着に包んで枕元に置いている。
父が眠る前に私が「これお母さん。こんなかにお母さんの髪の毛と遺骨入ってるから」
と言ったら父は
「・・ほんとかよ」
となんとも言えない感じの声をだした。私が遺髪と遺骨を持ってること忘れてたようだ。
「今日はお父さんと私でお母さん挟んで寝よう」と言った。

私は布団で目をつむりながら、そういえば川の字で寝るのはお母さんが亡くなる直前以来だな・・と思い出した。

当時私は上京したての年。たまたま富士宮の秋祭りで帰省していて、姉がフリーマーケットに出店するため私のベッドの上を出品物で占領していたので十年以上振りに父と母の部屋で寝かせてもらった。
偶然にも母がくも膜下出血で倒れる前までの一週間ずっと。
その時、両親の寝息に幼い頃の安らぎを思い出した。

あれ以来か〜・・と、父のいびきを心地よく聞いて眠りについた。

父は3時間程眠ると起きて、居間でテレビを見て、眠くなったらまた2、3時間寝て起きてを繰り返していた。年を取ってから長く眠れなくなったそうで。
私はたまに父の物音で目が覚めるも、すぐまた眠りに落ちた。

朝はたまたまバイトの出勤が遅かったので父に朝食を作った。
暫くして豪ちゃんも帰宅。前日から「豪は何時に帰ってくる?」と気にしていた父は帰宅した豪ちゃんに出版社回りの見本を見せて嬉しそうに説明していた。
優しい豪ちゃんはちゃんと父の話を聞いてあげていた。けれど見本のタイトルにある「瞑想」の漢字を指差し、小さな声で私に「これなんて読む?」と聞いたので、そこから読めないなら何もわからない、とツッコンでおいた。

私の出勤と同時に父も電車に乗った。
混んではいなかったけど座席は空いてなかった。
父は「学生の頃は吊革に掴まらずにバランスを取るのもトレーニングだった」と、両手を下げていたけれど電車が動き出してすぐ吊革に掴まった。
膝が痛いのだな・・と思った。優先席でスマホのゲームをしているOLらしき女性がチラッとこちらを伺ったがまた視線をスマホに戻した。
声をかけるタイミングを逃しただけなのかもしれないけれど、今だけはお父さんに座席を譲ってほしいな・・と心から思った。
池袋駅での乗り換え、売店でフリスクを買ってあげた。
「口臭、気にならないのは自分だけ。営業で回るなら尚更気にかけて」と忠告した。

埼京線に乗る私は乗り換え時間に少し余裕があったので父を山手線まで連れて行った。
階段の手すりに手をかけて、腕の力にも頼りながらホームまで上がる父をそっと下から押し上げた。
すぐに来た電車に乗ると、空いた座席に座ればよいのに父はドア付近に立って手を挙げた。
「じゃあまたな」

随分前に大阪公演に来てくれた父とホームで別れたことを思い出した。
喉の奥がきゅうっと締まって、涙が出そうな衝動に駆られたので感情を掻き消した。

父を見送ってから仕事に向かった。




昼の仕事が終わってから、すぐ父にショートメールで連絡した。
どうだった?足は痛くない?

父は
痛いなあ。けど、2社受け取ってくれて目的達成!ケイカラーメンでお祝いしたよ。

とのこと。
父は法政大学に通っていた頃から大の桂花ラーメン好き。家族で東京に来たらいつも食べた。移転する前の新宿桂花ラーメンは家族の思い出の場所。
私も父の影響で桂花ラーメンが好き。食べたくなると一人でも行く。


よかったね。今どこにいるの?
と返信したら
帰りのバスまで時間があるから新宿のカフェラミルで古本を読んでいる

夜のバイトまでの移動が新宿で乗り換えだった私は、30分時間があった。すぐにカフェラミルを検索して桂花ラーメンに近い店舗に入った。
二階の席で眠そうに本を読んでいた父は、小さくびっくりしていた。


席に座って20分、やっぱり父はずっと喋っていた。神保町の古本屋地図を広げて自分が立ち寄ったお店の話をした。行ったお店にはボールペンで丸がしてあった。私は注文したコーヒーが来ると大量のミルクと砂糖を入れてかき混ぜ、一気にお腹に流し込んだ。今度こそ父とお別れになった。
「足、気を付けて駅に向かってね」
「ああ。本が売れて羽振りが良くなったらタクシーで東京駅まで行くよ」と笑った父に
「そうなれるといいね。祈ってるよ」
と伝えてお店を出た。
山手線のホームよりも切なくなかった。


夜のバイトも終わって帰り道、富士宮までの高速バスの中であろう父に「気を付けて帰ってね」とだけメールした。
返事は無いから寝てるのだろう。
ふと、昨日の晩のことを思い出した。
久々の川の字。

お母さんが亡くなってからのこと。医者の誤診で助けることのできなかったくも膜下出血。父がたった一人で大好きな母のために戦った裁判。

お母さんが亡くなった時、姉が電話越しに言った「私たちも辛いけど、一番辛いのはお父さんだから。私たちがしっかりしなくちゃいけない」という言葉。

今、私は結婚をして最愛の人ができて、その人生のパートナーがいなくなるなんて悲しすぎて考えられない。
母が亡くなった時私も死ぬほど悲しかった。
お父さんは、大好きなパートナーの母がある日突然いなくなって、それからの人生を想像の母と暮らしている。
以前、車で遠出をするときはいつも助手席にお母さんがいることを思いながら運転すると言っていた。旅行が大好きな二人。亡くなった時母のスケジュール帳にはこれから行く予定だった旅先の地名がいくつも書き込まれていた。

色んな思いが後から後からこぼれて止まらなくなってしまい、駅から家に帰りつくまでの道をボロボロボロボロ泣きながら歩いた。

すでに夜勤に出掛けた豪ちゃんに
「なんか、昨日お母さんと三人で寝たら、お父さんて大好きなお母さんいないのにずっと一人でよく頑張ってるなって思ったら、涙出そうになった。
お父さん大事にしたくてバイトの間にちょっとだけ会いにいった。
膝痛いって言ってた。歩いたから。
そんなうまくいくはずないけど、神様少しだけでいいからお父さんの本を出版の夢、叶えてあげてくださいって思った。」
とラインをした。
豪ちゃんは
「うん!僕も同じ気持ちになる」
と返してくれた。


帰宅した父からメールがきたのは23時近くだった。
「無事帰宅。充実した2日間だった。いろいろありがとう。」
お父さんが充実した2日間と思ったのなら良かった。

神様に、できれば膝の痛みを少しでも取ってあげてください、と重ねてお願いをした。

ラサールさんの人柄

54601072.jpg先日新橋演舞場にラサールさんや春風亭しょーたししょーの出演している熱海五郎一座を観に行きました。


KAKUTAの公演をしたすみだパークスタジオ、同時期同じ敷地内で熱海五郎一座は稽古をしていました。
ものすごく忙しい中ラサールさんは二回もKAKUTAに足を運んでくれて。

そして感想を沢山聞かせてくれました。

ラサールさんは演劇愛が深い。自らも沢山の構想を寝る間も惜しんで具現化してきたし、面白い劇団だと思うと低姿勢で出してください!と照れながら言う。
頭の回転が早い。演出も的確で分かりやすいので、演者が楽しく芝居が出来て途端にイキイキする。
そして自分が演出じゃないときは、演出家を立てながら気になる点だけアドバイスをしてより面白くしてくれる。
作品作りの協調性を大事にしてくれる。

そして家庭愛も深い。
ラサールさんの愛情にいつも奥様のももやんは感謝している。芸能人だから年の差婚を色々叩かれたこともあるようだけれど、二人一緒の時はもちろん、ももやんがいないときもいつもももやんを大事に思っていて、こちらが温かくなるほど仲が良い。微笑ましくて、私はこの二人が一緒の時がとても好き。

ラサールさんと出会う前は、インテリでものすごくプライド高いイメージを勝手に抱いていたので正直こんなに温かい人だと知ってびっくりした。

ラサールさんの芝居を観に行くと必ずラサールさんは飲みに連れてってくれる。そこで楽しそうにまた芝居の話をする。

けれど今回は私は用事があったため、芝居後すぐに劇場を出なければいけなかった。
えー残念。楽屋で少し飲んでるのに。と言われたけれど泣く泣く劇場を出なければいけないことを伝えた。

劇場に到着したら、入口にラサールさんのマネージャーさんが立っていた。
「これ、石井から手土産だそうです」と紙袋を渡された。中身はいっぱいのお菓子とパンフレットだった。


なんか、お父さんみたい。
里帰りした娘にせめて手土産を持たせる、そんな感じ。ものすごく嬉しい。

一幕と二幕の間に休憩があったので、そこでお菓子を食べた。ラサールさんが声を演じるこち亀の両さんどら焼き。
あはは。両さんから両さんどら焼モロタ。

小腹を満たすには十分なお菓子だった。
お礼をメールしたら後半も楽しんでってくださいとすぐに返信がきた。

ラサールさんの芝居と向き合う姿勢、人柄、これからも良いところを沢山学ばせてもらおう。

スタンプ

10de2f89.jpgダーダことKAKUTAのタダカオリがおつなスタンプ作ってくれた。

男と女

通常本番直前に劇場入りするのだけれど、今回は贅沢にも本番二週間ほど前から劇場で稽古をしている。

「男を読む」と「女を読む」と「猫を読む」


先日、猫を読むの稽古を見学した。
参った。繰り返し同じシーンの稽古をしているのだけど何度見ても面白いし涙を流した。
しかもこの日の稽古はアルケミストはいなかったからスピーカーからアルケミストの楽曲を流しての稽古だったのに。
アルケミストが入ったら猛烈に面白くなる・・というか嫉妬するほど素敵な作品になると確信。
私は猫を読むに出演していない。


そして翌日、もう一つ私の出ていない「男を読む」の通し稽古を見た。

3つのオムニバス、どれも素晴らしかった。ラストのお話に旦那の豪ちゃんが出演している。
豪ちゃんはとても豪ちゃんらしい役をもらった。
この作品を読んだこともあるし、豪ちゃんから稽古の話も聞いていた。全てわかっていたのに、目の前で芝居をする演者と語り手の心情が痛いほど伝わってきて、苦しいくらい涙が溢れた。

一緒に観ていたベテラン女優のまきさん、スタジオライフのまっつんも声が漏れるほど泣いていた。

終わった後楽屋でまきさんが「旦那様、すごくいいね」と言ってくれたのが嬉しかった。まきさんとまっつんとした会話の時間が穏やかだった。


その日の夜は私の出演する「女を読む」の稽古だった。 

男を読むで泣きすぎて頭痛が取れず、ロキソニンを飲んで挑んだ。


この日の飲みの席で作演のバラが豪ちゃん「四條はどうだった?」と聞いたらしい。豪ちゃんは
「悔しいかな、僕よりとっても素敵な女優さんでした」
と言ってくれたらしい。

旦那様にあんなに良い演技を見せられたら私も燃えないわけない。

それぞれの作品の出演者が、互いをヤバイ・・面白い・・!と刺激しあっている。

3つの上演作品をまとめあげた桑原裕子って・・なんだろう・・この天才。

寝惚け〜まもなく舞台の本番〜

現在夫婦で稽古中。
主婦の意地で毎回二人分のお弁当を用意する。

毎朝目覚まし用のコーヒーを淹れるところから一日が始まる。

昨晩炊飯器の予約をし忘れて寝たので、今朝はコーヒーと同時に米を研ぐ作業が入った。ら、研ぎ終わり水を張った炊飯器にまさかのドリップ用のコーヒーの粉を入れていた。

寝ぼけまくっていた。


が、その後の私は冴えていた。

コーヒーの粉末が水より軽く全て水面に浮いていたので、お水を沢山足して粉を溢れ流した。

我ながら素晴らしいアイデアと感心したが、余計なミステイクしなきゃこんなに無駄な時間も無駄な水も節約して過ごせたのになあ・・。


まもなくKAKUTAの朗読劇。

私は「女を読む」に出演します。4つの短編作品オムニバス。
こんなこと言っちゃなんだが、最高に面白い。
 
稽古が毎回楽しく、頬の筋肉つる程笑って、そして泣いております。
私の愛してやまないバラも女を読むに出演。

ちなみに豪ちゃんは男を読むと猫を読むに出演。

KAKUTA Sound Play Series「朗読の夜」#8
『アンコールの夜』
構成・演出・脚本:桑原裕子
朗読の夜シリーズ最新作は、観客投票によって選ばれた過去の作品と新たな物語の全8編。
「男」「女」そして「猫」を読むアンコール・アンソロジー。

■会場/すみだパークスタジオ倉(錦糸町)
■日時/5月
※私は「女」と書かれた回に出演します。

7日(土)13:00男/18:00男
8日(日)13:00女/18:00女
9日(月)19:00男★
10日(火)13:00男★/19:00女★
11日(水)19:00女◆
12日(木)13:00女◆/19:00男
13日(金)19:00男◆
14日(土)13:00男/18:00女◎
15日(日)13:00女
16日(月)休演日
17日(火)休演日
18日(水)19:00猫★
19日(木)13:00猫□/19:00猫
20日(金)19:00猫
21日(土)13:00猫□/18:00猫◎
22日(日)13:00猫□
※本公演はプログラムが3作品あります。日程によって観られる作品が違いますのでご注意ください。
男…「男を読む。」
女…「女を読む。」
猫…「猫を読む。」
★…サービスデー3,100円
◆…開演前ミニイベントあり
◎…終演後スペシャルイベントあり
□…こどもとねこの会(小・中学生1,000円、未就学児観劇可・無料、途中入退場可。

【チケット料金】
<全席指定(猫を読む。のみ全席自由)>
前売・当日=3,500円
★サービスデー=3,100円
学生割引=3,000円(要学生証・劇団扱いのみ)
3作品通しチケット=9,300円
□こどもとねこの会=小中学生1,000円/未就学児無料

≪30名を超える豪華キャストと気になる読み本はKAKUTA公式HPをご覧ください。≫
KAKUTA 公式HP http://www.kakuta.tv/

本気で是非観てほしい。
バラが本当に楽しい役をあてがってくれた。
ある作品では語り、別の作品では主人公もやります。

ご予約は以下より!
--------------------------------
https://www.quartet-online.net/ticket/encore?m=0cfhfhc

晩餐

誕生日の昨日は稽古後旦那と外食に行き、昼間買っておいた近所のちょっといい値段するマジ美味しいケーキ屋のケーキを食べました。

37歳二日目の今日は旦那が飲み会に行ったのでおうちで一人近所のアコレで買った賞味期限間近の10%オフになったミートボール食べました。

主婦はそんなもん。

4月27日

日付の変わる一時間前、大阪から来た友人が誕生日プレゼントのフライングでラーメンご馳走してくれました。

無事37才を迎え、別れ際新宿駅の改札入った私の(絶対やめて)というジェスチャーも虚しく、改札の外から友人がでっけー声で「誕生日おめでとう!!!!!」と叫んでくれました。

振り返る人々。

その人々について「心の中では祝福しているはず」と友人は後にラインをくれました。
が、終電間際の混雑した新宿駅、そんな広い心持った人いねーだろと思ったけど、私もああいった場面にたまたま出くわしたら心の中で祝福するような人間でありたい、と思った37才なりたての久美子でした。

前日の過ごし方

一つ歳を重ねる前に今朝トイレ掃除をした。
トイレには女神様がおるんやで〜綺麗にするとべっぴんさんになるんやで〜って歌ってたから。

そのまま運転免許証の更新に行った。
1歳でも若い写真にしておこうと思い。

あと一時間で36才が終わる。

証明写真の使い道

e1ab1bda.jpg古い証明写真、そのまま捨てるにしのびないと思いトイレの注意書きに使用しました。

家族

二週間程前、義兄から連絡があった。
4週間便秘で動けなくなった病院嫌いのお義母さんをようやく医者に連れていったら大腸と肝臓に癌がみつかったと。
便が出ないのは腫瘍が大きくなり便の通り道を塞いでしまったそうで。
そのまま入院になった。

翌日、入院に必要な足りない物を買い揃えてお見舞いに行った。

結婚してからこれまで、千葉に住むお義母さんと義兄に会いに行くのはお盆とお正月に日帰りでご飯を一緒に食べる程度。家から一時間ちょっとしかかからない距離にいるので本当はもっと頻繁に会いに行けばいいのになかなかそれをしなかった。
会えば楽しく過ごす。けれど忙しいからお互い気を遣って連絡を取ることも遠慮してしまう。
今は遠慮などしてはいられない。
お義母さんには身内が義兄と豪ちゃんと私しかいない。守れるのは私たちしかいない。

豪ちゃんは稽古なので、私一人病院に行った。ちょうど日曜日だったので義兄のじゅんさんも病院にいた。
病室に行くとお義母さんは横になっていた。お腹が痛くて寝ていることしかできない。私の顔を見ると
「ありがとうくみこさん」
と笑顔を見せてくれた。
靴下や下着、タオル等買ってきたものを確認しながら棚に入れていった。
お義母さんは普段から人と会話をあまり進んでしない。
私が見舞いに来たことを申し訳なく思ってしまうようでしきりに謝り「私は大丈夫だから地下に食堂があるからそこでご飯でもしてってね」「近くのお店でじゅんくんとお茶でもしに行ってね」と私が病室にいることも遠慮してしまう。

じゅんさんは気にして「豪や久美子さんにすごく会いたがるのに顔を見ると安心してすぐ帰そうとする。俺にもそうなんだよ」と話してくれた。
待ち合い所でじゅんさんと話をしていると先生が来て手術の流れを説明してくれた。
癌と言う病気に良いイメージはないけれど詳しく知っている訳ではない。今の段階で癌の進行がどれ程なのか、命の危険性があるのか、イマイチわからなかった。きっとじゅんさんもそういったことを確認したいのだろうと思った。けれど恐くて聞けない雰囲気があったので私もためらったまま結局その場では聞けなかった。

夕方には豪ちゃんが来た。稽古場で事情を説明したら稽古はいいからお母さんのところに行ってあげて!と早くに出してくれたんだそう。お義母さんは笑顔で「ありがとう」と言い、やっぱり「大丈夫だから、どこかでお寿司でも食べてってね」と言った。遠くまで来たのだからせめて美味しいものでも食べて帰ってほしいと思ったようで。

まだどうなるともわからない状況、安心もできなかったけれど、この日の夜豪ちゃんは私に「僕のお義母さんのことを自分の家族みたいに心配してくれてありがとう。僕が一緒に行けないのに、すぐに『明日の午前中行ってくる』って言ってくれて嬉しかった」と穏やかな声で言った。
豪ちゃんには「家族なのだから当たり前だよ」と言ったけれど、改めてその時思ったのは、豪ちゃんの大切な家族が大変と知ったら助けになってあげたい、という気持ちだった。

翌日、手術に向けての準備が始まった。色々な検査や食事が点滴だけな状態が続きやつれて見えるお義母さんを心配して私たち夫婦それぞれにじゅんさんから電話があった。
「また会いに来てあげて」

豪ちゃんにその話をした時は電話の向こうでじゅんさんが涙をこらえているのがわかったそうで。
「不安に押し潰されそうになるけど私も豪ちゃんもいる。踏ん張ってるお母さんを私たちが支えてあげよう。必ずもっと会いに行くから」とじゅんさんに約束した。

数日後手術が決まり、その日はじゃんさんも私も仕事が休めず豪ちゃんが稽古を休んで朝から立ち合うことになった。

手術は5時間に及んだ。仕事を終えてそのまま病院に行くと豪ちゃんはお医者さんから術後の説明を受けた後だった。
「切り取った大腸見た。普通に見せてきたからびっくりした」
前置きもなく突然見せられた肉の塊に困惑したそうで。
お義母さんが病室に移された後に顔を見に行った。
「出産より痛かった・・」と顔を歪めたので少し喋れることにほっとし「そう。じゃあ痛かったね」と、出産したことないけど想像だけして微笑みながら返した。
その後別の部屋に私たちだけ呼ばれ、改めて先生から今後の説明を受けた。

説明の最後に「どう質問したらよいかわからないのですが・・命の危険性はどうなんですか?」と質問してみた。
先生は「今のところ大腸と肝臓にしか影は見当たりません。詳しい検査はこれからですが、肝臓の影も取り除けば治る可能性はありますよ」
と少しだけ表情をゆるめながら話してくれた。

改めてお義母さんの部屋に行き、棚の中身を整理し直した。
ふと靴を見ると、かかとが踏まれて内側がボロボロなのに気がついた。
豪ちゃんがぼそっと「お母さん、靴ボロボロ」と言った。

一時間ほどするとじゅんさんも合流した。お医者さんに確認した内容を伝えるとほっとしていた。肝臓の手術までに腫瘍を小さくするため暫く抗がん剤治療をすると言われたことを話した。
じゅんさんは「わ〜・・抗がん剤治療のイメージって良くないなあ。どう思う?悪いイメージでしかないのだけど。不安。抗がん剤治療無しでいけないかなあ」とグズグズ言い出したので「イメージだけでここで答えを求めるな!気になるならお医者さんに聞きなさい!」と笑いながら叱った。

ここ何日かでじゅんさんと過ごす時間も増え、話しをするうちに豪ちゃんと似ている部分に気付き、当たり前に活を入れるようになっていた。

改めて3人で病室を覗いた。お義母さんの腕を少しさすると目を開けた。お義母さんは私たちを確認して嬉しそうに「ありがとう」と言った。
お義母さんは私たち夫婦に「今度の土曜日、二人ともお休みだからお見舞い来てくれるって言ったけど大丈夫だから無理しないでいいから」と言った。
豪ちゃんは「わかった」と返した。
「今日は傷が痛いから寝るね。もいいいよ」と言い、じゅんさんが「夜来ようか?」と聞くと「いいよ。・・・・・・・・あでも退屈だから来てもらいたいかな」とこぼし「わかった」とじゅんさんは少し笑って返した。

豪ちゃんがじゅんさんに靴がボロボロなことを話した。以前私たちがお母さんにプレゼントしたビルケンのサンダルがあったのだが、お気に入りで沢山履いてくれてそれもボロボロになっていることを聞いた。じゃあお義母さんに新しいビルケンのサンダルをプレゼントしようと話した。ビルケンは元々ドイツの医療用サンダルとして使用されているからちょうどいい。
じゅんさんは「メルカリとかの中古で安いやつでいいからね」と言ったけれど、帰りの電車で豪ちゃんにせっかくなので新しいビルケンを買ってあげようと話した。そして「お義母さん土曜日来なくていいって言ったけど、せっかくの結婚記念日なのだから今私たちがしたいことをしよう。ビルケンのサンダル買ってお義母さんに会いに行こう。結婚記念日は私のお母さんの誕生日でもあるのだから、お母さんにも治子お義母さんを天国から見守ってもらおう」と提案した。
豪ちゃんは素直に「うん」と答えてくれた。

実際土曜日は結婚記念日前日だった。けれど4月17日は二人とも稽古なので、今年は前日のオフ日を三周年としてお祝いしようと決めていた。

新宿の路面店に行き病室にあった靴と似た色のサンダルを購入し、そのまま病院に向かった。

病室を覗くとお義母さんは目を瞑っていた。腕を少しさするとすぐに目を開けた。
「来てくれたの。ありがとう」と笑顔になった。
ビルケンのサンダルを開けてあげ、古い靴と交換した。
「明日ね、私たち結婚記念日。三年経つよ」
「そう!・・おめでとうございます」
「あと私のお母さんの誕生日」
「いつまでも忘れないためにって言ってたものね」
とお義母さんは笑顔で言ってくれた。

まだ傷口が痛くて会話するのが大変そうだった。体に繋がれた沢山の管を見ると体勢を変えるにも辛いだろうと思う。
あまり長くいるとお義母さんがキツイだろうからこの日は私たちから「今度は6日後にまた二人で来るから」と言った。「ありがとう」とお義母さんが答えたのを聞くと豪ちゃんが「じゃあね」と立ち去ろうとしたので
「豪ちゃん、せっかくなんだからお義母さんの手握ってあげて」と促した。
豪ちゃんは手を伸ばし、お義母さんは少し笑いながら手を合わせた。
その後、私も手を握り「また来るからね」と病室をあとにした。

病室を出てエレベーターまで歩く間にふと気付いたことを口にした。
「お義母さん、今日は早く帰そうとする言葉出さなかったね」
なんだか嬉しかった。
エレベーターまで来て豪ちゃんの顔を見上げると、豪ちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
その顔を見た途端、私も涙が出そうになって堪えた。
豪ちゃんはエレベーターの前にある長椅子に座りに行き一生懸命涙をぬぐった。
隣りに座って、先日手術の日ずっとこの長椅子に座って豪ちゃんが一人でじっと待っていたことを思い返し「手術不安だったね。よく一人で我慢したね」と声をかけた。
豪ちゃんは涙をぬぐいきる前にまた立ち上がり、エレベーター横の階段を指差しスタスタと歩き出した。
帰り道の豪ちゃんには笑顔が戻っていた。

昨日また夫婦で病院に行ってきた。お義母さんは驚くほど回復しており、ベッドに腰かけて現在の状況を話してくれた。点滴から病院食に変わり、経過も順調だそう。術後の体温も、白血球や血中の炎症数値も正常。何十年も病気にかからず多少の風邪も自然治癒力のみで治してきただけあって、細胞はタフなようで。
予定ではあともう一週間入院と聞いていたけれど、明日退院が決まった。
ベッドの下にビルケンのサンダルがあった。サンダルの内側には早くも足の裏の踏み跡が付き始めていたので、お義母さんが歩いている証拠なのだとわかった。
お義母さんは気分が良いようで、豪ちゃんの昔話を沢山聞かせてくれた。中学生の時カラスに追いかけられ泣いて帰ってきたこと、うんちを漏らして変な歩き方をして帰ってきたこと、昔の豪ちゃんの話は私も聞いてて嬉しい。

「先生がね、久美子さんのことを初めは豪くんたちの妹と思ったみたいで。『しっかりしたお嫁さんですね』って。うちの息子たちはのんびりしてるけどお嫁さんがしっかりしてるんですって言ったの」
と笑顔で言われた。

本当はしっかり者では全くないのだけれど、今はとにかく女手の私にしかできないことはなんでもしてあげたいと思っている。
お義母さんが倒れてから度々お義母さんに会いに行くようになり、お義母さんとじゅんさんが当たり前に大切な家族という思いが前よりも強くなった。

お義母さんは新しいサンダルも履き心地良くて気に入っているそう。ビルケンのサンダルを持ってない私は、数日後迎える自分の誕生日プレゼントにビルケンのサンダルを豪ちゃんにお願いしようかな・・と考えている。
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