2016年07月10日

マトンビリヤニ

【しきち】
昨年12月に通達のあったカルナタカ州の銀行休業日は7月6日であったが、ちゃんと星印がついて暫定となっていた。これはムスリムの一番大事なラマダン明けの大祭が太陽暦ではないから。果たして、断食の終焉は6日ではなく7日となり、5日の夜の終業後に「祝日が動いたので、明日は営業日になった」と連絡網。文句も言わずにすべての職員が揃うのはすごい。祝日変動は例年1度はあるので、こちらもあまり驚かず、日中の予定も入れないようにしていたもの。

そんな風に迎えた七夕の祝日。昼すぎに旧知の友人から連絡があった。「シキチ、今からビリヤニ持って行くから」。ムスリムの友人が、毎年自宅で大量に作ったビリヤニをお裾分けしてくれるのだ。

デリバリーしてもらったマトンビリヤニは、まだほんのりと温かい。骨からハラリとはずれる赤身のマトンはお肉のいい味が出ており、少し残ったゼリー状の骨髄は指で骨からはずして忘れずに食べる。ライタ(ヨーグルトサラダ)は玉ねぎやきゅうりだけではなく、ザクロの実とブドウまで入った豪華版。これに、フライドチキンとデザートまでセットされていた。

ビリヤニはゆうに3人分はあろうかというもの。三分の一は肉とご飯を分けて冷凍する。この、肉無しのビリヤニもクシュカと呼ばれる立派なメニューだ。

今年の七夕は、世界中のムスリムがごちそうを食べたのだろう。  
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2016年07月05日

バンガロールへの機内

【しきち】
ロンドン・バンガロール間は、ブリティッシュエアが11時間程で直行している。駐在員一家とおぼしき外国人乗客が目立つが、過半数はインド人だ。幼児や乳児を連れた人々も多い。

元同居人アルンは仕事で2年間ロンドンに駐在した。そのうち1年半は妻と1歳のアルナブを帯同していた。二人がコルカタからロンドンにやってくる際には、彼はインドに一時帰国してエスコートした。妻のミトは「自分一人でアルナブの面倒をみながら長時間の国際フライトで海外に行くのは無理だ」と言ったに違いない。

バンガロールへ戻るフライトに搭乗したしきちは、自分の席まで来ると番号を手元の搭乗券で2度、確かめた。後ろから7列目の通路側を取ったつもりなのに、なぜか非常口の座席になっている。前は折り畳み式ベビーベッドがあるので、リュックを足元に置くことができない。これは誤算だ、きっと機体が変わってしまったのだろう。

案の定、シートベルトを着用する前に男性フライトアテンダント(以下CA)がやってきて、「お客様、こちらのフライトは機体が直前で変更したため、ベビーベッドのある席を取れなかった方が数名いらっしゃいます。赤ちゃん連れの方のために席を移っていただけませんか」と尋ねられた。しきちの隣の大柄なインド人男性(推定体重95kg)は「俺、シアトルから乗り継いだところで疲れてるから足が伸ばせる席がいいんだ、非常口の席ならどこへでも移るけど」言い、しきちは「いいですよ」と席を立った。乳児を抱いたインド人の女性と入れ替わりで移動した席の隣には5歳くらいの少女。どうやら、母一人子二人で帰省するところらしい。5分程すると、先ほどのCAがまたしきちに話しかけた。「先ほどの女性ですが、お隣の娘さんを一人にしておくのは不安だからやはり元の席に戻りたいとのことです。お手数ですが、もう一度移動していただけますか」と。いいですよと席を立つ。

元の席につくと、今度は大柄男性の逆側の女性が「夫と子どもが後ろの席に居て遠くて不便だ、あなたの席を夫と交換してもらえないか」という。どこの席かと立ちあがってきょろきょろしていると、先ほどのCAが「お客さまどうされました、え?いやいや、もうこれ以上お手数はおかけしません。こちらの席のままでどうぞ」ととりなしてくれた。

そういえばインドの国内線でも列車でも、席を変わってくれと言われることは非常に多い。通路側の席なのに真ん中の席と交換してほしいと言われることもあるし、気軽に応諾しているインド人もこれまた多い。しきちは自分のニーズに合わせて丁重に断ることも多いが、ダメ元精神とそれを受ける親切な人々には感心させられる。

そういえばアルンは、ロンドン郊外のアパートで、息子アルナブの声と足音がうるさいと隣人に苦情を言われたそうだ。「1歳半の子が泣いたり走ったりするのは当たり前じゃないか、信じられないよ」と言っていたので「東京では苦情の方が当たり前だよ」と返したが、インドでは同種の苦情は全く一般的ではないのだ。社会がいかに子どもに寛大であるかを考えさせられる。

(写真はスコットランド式の朝食。)
  
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2016年06月20日

老人紳士と卵

IMG_20160619_161300【しきち】
休暇を取り、英国に旅行に出ることになった。両親及び姉も一緒である。コースはロンドンから高速列車で北上してスコットランドへ至り、また別コースで南下して戻るというものだ。

しきちはバンガロールから英国航空で直行便を手配。家族とはホテルで集合である。朝7時のフライトは、インドに暮らす駐在員や出張者、そして様々な事情で欧州に住むインド人とその家族などで満席であった。しきちの隣は白髪のインド人紳士。

機内食が出た時、老紳士は「ベジタリアンです」と申告。インド系乗客の過半数はベジタリアンにつき、何の問題もなく菜食が配膳された。が、問題はその後だった。トレーには温かい食事のほかにパンとデザートも乗っていたのだが、紳士がキャビンアテンダントを呼び止めて質問。「これは何だい?」 はい?と聞き返す若い金髪女子アテンダント。どうやらインドアクセントに慣れていないようだ。二度聞き返した末に、やっと「ペイストリーです」と回答。しかし、紳士は終了しない。「卵が使われているのかね?」これも金髪CAには難解。え、何ですって、使われているか、何がですか、聞き取れないわ。。。しきちは頭越しの会話を聞きながらもどかしくてじだんだを踏む。ベジタリアンが多いインド人の質問なんだから、肉や卵を警戒しているのは当然で、状況からタマゴに決まってるじゃないか!

しかしながらしきちにも答えが分からないので、横やりを入れるのも憚られる。結局彼女は卵という単語には行き当たったものの、「えっと、原材料までは分かりません。すみません」といいのこして去って行き、しきちのじだんだは収まらない。が、さすがはインド紳士。慌てず騒がず、次に通りかかった三十代男性アテンダントを呼び止めた。

「これはエッグレスかね?」

即座に回答が返された。「エッグレス!」

その力強い即答にしきちは心の中で喝采し、紳士はペイストリー(クリームパイ)を完食したのだった。

(写真は翌朝のホテルにて)。  
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2016年06月05日

ファストフード

【しきち】
元同居人アルンが子どもの頃、当時のコルカタにはファストフードなるものは無かった。少なくとも、彼は見たことがなかった。どこかの店で買った炒め麺を親戚が手土産に持ってきたのが、麺を食した初めての体験で、鮮明に覚えているそそうだ。さらに彼が大学生の頃に、米国帰りの親戚が街中のドミノピザにアルン家族を連れて行き、それが初めての海外資本のファストフード体験だったそうである。その後米国で仕事をして戻ってきたら、職場の新卒の若い同僚らはファストフードばかり食べるようになっていた。

しきちが記憶する初めてのファストフードは、マクドナルドだった。当時住んでいた首都圏のA駅の前に、お店ができて母に釣れて行ってもらった。明るい店内、元気なお姉さん、おいしいハンバーガーに感動した。九州の祖母が遊びに来た時にも連れて行った。初めてハンバーガーを食べるという祖母の口元をしきちは固唾をのんで見守り、「美味しいね」という祖母の一言に姉と躍り上がったのだった。

バンガロールにもKFCやマクドナルド、ドミノピザ、サブウェイなどが複数の店舗を構える。普段口にすることは殆ど無いのだが、昨年バーガーキングが店舗をオープンした時には興奮して食べに行った。大人になってしきちが気に入っているファストフードのメニューは、Wendy'sのチリと、モスライスバーガーと、バーガーキングのワッパーなのだ。

インドのマクドナルドには牛肉のメニューは無く、ノンベジはチキンと魚だけなのだが、バーガーキングにはラムバーガーがある。赤身肉のミートパティを網焼きして、たっぷりの野菜と挟んでソースをかけたものはしきちの好きなワッパーそのもの。思わず顔がほころぶ。

パニプリやマサラプリ、たこ焼風のパドゥなどのインドおやつも立派なファストフード。それらと並べると、バーガーキングは、お値段10倍。気軽に食べられる庶民のおやつとは言い難いものの、多様化が激しいインド大都市では外国資本のファストフードも確実に市民権を得ているのである。  
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2016年06月03日

東京出張の同僚

【しきち】
同僚マニシュが、一週間の東京出張から戻ってきた。

「シキチサーン!オハヨゴザイマ〜ス!」と、満面の笑み。「おはよ。元気?出張、楽しかった?」と聞くと「Ah...?アリガトゴザイマース!」とのこと。

いわく、人々は親切だった。ベジタリアンという概念は無いと理解し、食事に苦労することは織り込んでいたが職場の人々がいろいろと気を遣ってくれた。渋谷も新宿も品川も行ってきた。この写真は渋谷の一角で静かな場所があったので撮ったものだ・・・。

出発前にメトロの路線図をダウンロードしたり、片言日本語を暗記したりしているマニシュにしきちが送った言葉は3つ。「誰かと一緒に食事をするたびに『なぜベジタリアンなのか』と質問され、同情すらされると思うが、気にしないようにね」「日本人が二人以上居る場合は、彼らはキミの前でも互いには必ず日本語で会話するので多少疎外感があるかと思う。これは日本人同士が英語で話すことに違和感があるためなので、内緒話がしたいわけではないのだ」「滞在中に、仲良くなった人から年齢を尋ねられることが多々あると思うが、答えても答えなくても構わないからね」

マニシュによると、年齢は尋ねられなかったそうだ。「俺、もしかして老けて見えるのかなぁ」と逆に聞かれてしまったので「そんなことないよ」と言っておいたが、余計な入れ知恵だったか。

酒が大好きなマニシュには「夜の六本木にも行っておいでよ」と言っておいたのだが、ちゃんと行ってきたらしい。「ロシア人っていかしてるな、俺、モスクワに仕事があれば収入が下がってでも行っちゃうかも」「ロシア人は別格だけど、東京の女の子たちもスゴイよ。きれいな子がいっぱいだ!」

いつもは1時半から昼食休憩を取っているマニシュだが、12時になると「腹が減っちゃったな。俺の胃袋はまだ日本時間だぜ。出張先の人たちとは、混雑を避けるために11時半からランチだったんだから。合理的だよなー、日本人は」と言い出したのは笑った。さらに6時には「おっと、日本ではもう9時半じゃないか!まだ時差ボケだから帰るよ、バーイ」と軽やかに去っていったマニシュであった。  
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2016年05月28日

路上では自己責任で (その2)

【しきち】
歩行者として、クラクションを鳴らされるのはまだ耳をふさげば何とかなるとして、命の危険を感じるのは道路の横断だ。バンガロールで歩行者と車の交通事故の原因の大きなものだろう。信号や歩道橋が少ない。そもそも、過去10年間で倍ほどにも人口が急増したバンガロールのインフラは、これほどの交通量を想定していなかったのだ。

職場からの帰りに、国道沿いで乗合バスから下車し、小走りで横断して帰宅したら翌日「頼むからやめてくれ。国道の交通量をなめてはいけない。同乗者に気兼ねせず、自分の家の前に乗りつけてくれ」と同僚に諭された。その後、200mくらい先に歩行者横断用地下通路を発見したのは朗報であった。

市内中心部のMGロードでは、両側にびっしりと商業施設などが建っており、ついつい渡りたくなるのだが、交通量も多く危険極まりない。行政も、事故防止のために歩行者を渡らせまいと歩道と車道の間に柵を設けたり、中央分離帯に高さをつけてハードルを上げたりしているため、さらに難易度と危険度が増している。信号機も多数設置されており、歩行者信号も一応あるのが救いだ。が、多くの歩行者信号は車両信号がすべて赤になっているタイミングで、10秒ほどの短い時間、全方向の歩行者信号を青にするシステムを取っている。この10秒を逃すと次のタイミングまで5分以上待たねばならない。しかも車は赤信号になるギリギリまで走行し、青になるのを待ちきれない車やバイクは数秒間のフライングは当たり前。つまり、歩行者には正味5秒ほどの時間しか割り当てられていないので、左右を見て安全確認を怠らない上でダッシュするという高度な技術が必要だ。自信がない場合は一旦中央分離帯でストップした方が良い。

先日、MGロード近くの三叉路を歩いて渡ろうとした。とりあえず中央分離帯で立ち止まったら、「早く早く!今なら渡れるよ!」と、信号待ちのバイクの兄さんが大声で教えてくれた。ぺこりと頭を下げ、無事に渡り切ったしきちであった。  
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2016年05月21日

路上では自己責任で

【しきち】
バスの屋根の上に乗客が座るとか、バス乗り口のステップに腰掛けるとか、軽トラの中に牛や荷物を載せて人が外側に立つとか(写真)。きっと、製造段階ではそんな使い方は想定していないよなぁ・・、と思う。事故になっても自己責任なのは当然だ。

元同居人アルンがムンバイに移住して2年あまり。昨年、スズキの軽自動車を中古で購入した彼は、米国駐在中に数年間自分で運転していたから、ついつい当時の運転の癖が出ていたそうである。

「歩行者がいれば渡るのを待ち、本線から出て来る車には道を譲り、信号のない交差点では一時停止していたんだ。そしたら周りの車が混乱するのなんのって。ペースが狂い、事故すら招きかねない。それに気づいて、郷に入っては郷に従うしかないと切り替えたんだ。今はインド的な運転だろ?勿論、安全運転だけどね」と言って軽やかにクラクション。

バンガロールで運転する外国人に言わせると、「コツは前だけ見る、ってことだ。少しでも空間があれば突っ込む。これを遵守すれば、流れにのって運転するのは難しくない」とのこと。なるほどなあと思う。

何年たっても慣れないのは、歩道のない道の端を歩いていて後ろからクラクションを鳴らされることだ。「車が来るよ、注意しろ、飛び出すなよ」と注意喚起しているのだと理解はできても、車外至近距離の警笛音は耳にガンガン響き、不愉快だ。アパートの敷地内を歩いている時に慣らされた時など、振り向いて運転手の顔を凝視したり、腕を振りあげてみたり、これみよがしに耳をふさいでみたりといった地道な抗議を続けるしきちである。  
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2016年05月18日

南インドの朝食 パドゥ

【しきち】
たこ焼の形をしたスナックに魅入られたしきちは、職場の給湯室でも「ねえねえ、あのピンポン玉みたいな食べ物って何ていう名前?」と尋ねまくった。「は?ピンポン?」と互いに顔を見合わせる男たちの中で、タミルナドゥ州出身の40代、アンソニーが膝を打った。「ああ、あれか!あれはタミル語で・・・・(他の男たちにカンナダ語で)あのドーサの生地を焼いたスナックのことだよ」と説明。

弟がどら焼き屋のシャンティは「シキチあれ好きなの?うちに鉄板あるわよ、今度作ってきてあげる」と言う。そうそう、弟くんのどら焼き屋はマンガロールのショッピングモールに入っているそうで、残念ながらバンガロールではないことが判明・・・。

小学5年生の娘のいるアヌーは「ドーサと同じよ、形が違うだけね。カンナダ語ではパドゥ、別名グンパングリっていうんだけど、南インドの朝ごはんのメニューで、北には無いと思うわ。私も作るけど、平日の朝は時間がないからもっぱら週末ね」。

そんな会話をひとしきりした、翌朝のことである。しきちがパソコンの画面に顔をくっつけるようにしてメールを熟読していたら、誰かが背後に立っている気配がする。振り向くと、アンソニーが色黒の顔に真っ白な歯を見せてはにかんでいる。「おはよう、アンソニー」と言うと「給湯室に届け物があるよ」と。なにぃ?しきちは椅子からジャンプして給湯室に走った。

後ろからついてきたアンソニーの指し示す包みは新聞紙にくるまれ、ほんのり温かい。そっと糸をほどいて開けると、たこ焼(風のもの)が6つ、並んでおり、2種類のチャツネ(ソース)も添えられている。

「家の近くで売ってたから、買ってきたよ」とアンソニー。そうだった、しきちはたこ焼スナックの名称が覚えられなくて、何度も聞き返していた。日本に同じ形のスナックがあることを自慢気に吹聴していた。1個5ルピーって安いよねと感嘆していた。決して「食べたいなぁ、近くに売ってるかな」とは言わなかった。今日はお弁当も持参している。・・・でも、そんなことはどうでもいい。「ありがとう、そうそう、これだよ!日本のスナックにそっくりなんだよ、いただきます!」

こんな「愛すべきお節介」に、インドでちょいちょい出会う。そのたびに、子どもの頃に四国のばあちゃんが食べきれないほどしきちの好物のおかずを作ってくれて、満腹すぎるけど残すのがイヤで食べ続けて涙目になった時のことを思い出す。胸の奥がキュンとして、ちょっと甘酸っぱい。

持参した弁当は夕飯にまわして、2つを朝、4つを昼に食べた。職場の冷蔵庫にストックしていた青のりとマヨネーズをかけたら見事に日本風になり、「これはいける」と大きくうなずいたのであった。  
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2016年05月13日

一人分の料理

【しきち】
暑くて料理をする気が失せてはいるが、しきちの食生活は自炊が中心である。屋台のインドスナックから高級和食レストランに至るまで、外食の選択肢がとても広い現在のバンガロール。自炊を全くしなくても食事には困らないとはいえ、自分で好きな食材を好きなように調理するのがやはり美味いし飽きがこない。一人分では食べる量も知れているものの、昼は弁当を持参すればそれなりに食材は消費できるし、何と言ってもインドでは玉ねぎ1つ・人参1本・たこ焼風スナック1つから購入可能なのが助かる。

福岡の郡部で四人兄弟の末っ子として育った母は、若いころ決して料理が得意な方では無かったと思う。北日本で5歳ごろまで過ごした時は、屋台の焼き鳥屋さんに母や姉と3人で買いに走ったり、日曜は家族で行きつけの食堂で外食したりするのが我が家が華やぐイベントであった。小学校1年生でエジプトのカイロに引っ越して食事情の激変を余儀なくされ、母は血のにじむような苦労をしたはずだが、不思議と悲壮感が漂った思い出は無い。

カイロの自宅にお客さんが来る時には、夕方からキッチンが大わらわで、両親が並んで海老を春巻きの皮で包んで油で揚げたり、食パンやクラッカーを使ったカナッペを作ったりしていた。海老包みスナックの揚げたてをつまみ食いさせてもらえるのが嬉しくて、姉としきちは台所をチョロチョロした。ただし、つまみ食いは1つか2つしか許されない。いつかこれをお腹いっぱい食べてみたい、早く大人になりたいなぁ・・・と心から思った。今にして思えば、自宅で仕事関連の人々を接待せねばならない両親のプレッシャーはいかばかりだっただろう。「早く寝なさい」と子ども部屋に追いやられたのは確かだが、「邪魔だから台所に入るな」と戒められた記憶はなく、むしろつまみ食いの相伴にありついていたのだから有難いものだ。

その頃の両親がしきちよりも若かったことを考えると、一人分のつまみを作って晩酌しながら食べる日々は気楽すぎて申し訳ないほどである。街を歩いて買い食いしても、日本から買ってきたおせんべいを夕飯がわりにしてしまっても、誰にも咎められない。せめて日本の実家に帰った時ぐらいは自分が台所に立って両親に楽をさせたいと思うものの、いつのまにか好物の「鯛のあら煮」が鍋いっぱいに作られているのである。  
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2016年05月11日

街角B級グルメ

【しきち】
バンガロールが暑い。例年、4月から5月は一年の中で最も暑く、6月ごろから雨が降り出して涼しくなるのだが、今年は4月末の暑さが尋常ではなかった。「熱波の影響でバンガロールの気温が摂氏50度になる」という噂もあったほどで、50度はさすがに無いとしても連日40度は越したのであった。日本のゴールデンウィークあたりからやっと猛暑が和らいだ。

首都圏のしきち実家には今どき珍しいことにエアコンが無い。真夏の暑さはバンガロールのアパートの比ではないのだが、それでも通年初夏のような快適なバンガロールに慣れた身体には今年の4月の暑さがこたえた。台所でガスを使って調理をする気にならない。せいぜい、乾麺をゆでた冷やしうどんか、冷製パスタぐらいだ。スイカを買ってきて鈴虫のようにシャクシャク食べたり。

日曜の夕方、涼しくなる時間を見計らって出かけたら、夜店のようにジュース屋から張り出してたこ焼きを焼いていた。球状の穴があいた鉄板といい、金串でくるくる転がす焼き方といい、たこ焼きそのもの!しきちは興奮して「おおお!」と唸り、おもむろにリュックからデジカメを出してカシャカシャ撮影しはじめる。ジュースを買っていた青年らは「なんだ、なんだ」と呟いてしきちを指さす。しきちは一連の作業を鉄板の横で見学し、6つ購入したおばさんに「これ何ていう食べ物?」と聞き、「おじさん、私にも一つ下さい。マサラとコリアンダーソースはいりません」と宣言し、10ルピー(約17円)で2つを購入してほおばった。

小麦粉を溶いた生地にみじん切りの玉ねぎとコリアンダーの葉が入ったパンケーキ。コリアンダーかチリのたれをつけて食べるのが一般的。当然のことながらタコも何も入らない「具なし」だ。意外とモッタリと重く、お腹がいっぱいになる。

この食べ物の名前、何度も聞き返したのだが結局忘れてしまった。日中の暑さが溶け残ったような街角で立って食べたたこ焼風スナックは、夜店での買い食いのような高揚感があり楽しかった。  
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