2016年06月20日

老人紳士と卵

IMG_20160619_161300【しきち】
休暇を取り、英国に旅行に出ることになった。両親及び姉も一緒である。コースはロンドンから高速列車で北上してスコットランドへ至り、また別コースで南下して戻るというものだ。

しきちはバンガロールから英国航空で直行便を手配。家族とはホテルで集合である。朝7時のフライトは、インドに暮らす駐在員や出張者、そして様々な事情で欧州に住むインド人とその家族などで満席であった。しきちの隣は白髪のインド人紳士。

機内食が出た時、老紳士は「ベジタリアンです」と申告。インド系乗客の過半数はベジタリアンにつき、何の問題もなく菜食が配膳された。が、問題はその後だった。トレーには温かい食事のほかにパンとデザートも乗っていたのだが、紳士がキャビンアテンダントを呼び止めて質問。「これは何だい?」 はい?と聞き返す若い金髪女子アテンダント。どうやらインドアクセントに慣れていないようだ。二度聞き返した末に、やっと「ペイストリーです」と回答。しかし、紳士は終了しない。「卵が使われているのかね?」これも金髪CAには難解。え、何ですって、使われているか、何がですか、聞き取れないわ。。。しきちは頭越しの会話を聞きながらもどかしくてじだんだを踏む。ベジタリアンが多いインド人の質問なんだから、肉や卵を警戒しているのは当然で、状況からタマゴに決まってるじゃないか!

しかしながらしきちにも答えが分からないので、横やりを入れるのも憚られる。結局彼女は卵という単語には行き当たったものの、「えっと、原材料までは分かりません。すみません」といいのこして去って行き、しきちのじだんだは収まらない。が、さすがはインド紳士。慌てず騒がず、次に通りかかった三十代男性アテンダントを呼び止めた。

「これはエッグレスかね?」

即座に回答が返された。「エッグレス!」

その力強い即答にしきちは心の中で喝采し、紳士はペイストリー(クリームパイ)を完食したのだった。

(写真は翌朝のホテルにて)。  
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2016年06月05日

ファストフード

【しきち】
元同居人アルンが子どもの頃、当時のコルカタにはファストフードなるものは無かった。少なくとも、彼は見たことがなかった。どこかの店で買った炒め麺を親戚が手土産に持ってきたのが、麺を食した初めての体験で、鮮明に覚えているそそうだ。さらに彼が大学生の頃に、米国帰りの親戚が街中のドミノピザにアルン家族を連れて行き、それが初めての海外資本のファストフード体験だったそうである。その後米国で仕事をして戻ってきたら、職場の新卒の若い同僚らはファストフードばかり食べるようになっていた。

しきちが記憶する初めてのファストフードは、マクドナルドだった。当時住んでいた首都圏のA駅の前に、お店ができて母に釣れて行ってもらった。明るい店内、元気なお姉さん、おいしいハンバーガーに感動した。九州の祖母が遊びに来た時にも連れて行った。初めてハンバーガーを食べるという祖母の口元をしきちは固唾をのんで見守り、「美味しいね」という祖母の一言に姉と躍り上がったのだった。

バンガロールにもKFCやマクドナルド、ドミノピザ、サブウェイなどが複数の店舗を構える。普段口にすることは殆ど無いのだが、昨年バーガーキングが店舗をオープンした時には興奮して食べに行った。大人になってしきちが気に入っているファストフードのメニューは、Wendy'sのチリと、モスライスバーガーと、バーガーキングのワッパーなのだ。

インドのマクドナルドには牛肉のメニューは無く、ノンベジはチキンと魚だけなのだが、バーガーキングにはラムバーガーがある。赤身肉のミートパティを網焼きして、たっぷりの野菜と挟んでソースをかけたものはしきちの好きなワッパーそのもの。思わず顔がほころぶ。

パニプリやマサラプリ、たこ焼風のパドゥなどのインドおやつも立派なファストフード。それらと並べると、バーガーキングは、お値段10倍。気軽に食べられる庶民のおやつとは言い難いものの、多様化が激しいインド大都市では外国資本のファストフードも確実に市民権を得ているのである。  
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2016年06月03日

東京出張の同僚

【しきち】
同僚マニシュが、一週間の東京出張から戻ってきた。

「シキチサーン!オハヨゴザイマ〜ス!」と、満面の笑み。「おはよ。元気?出張、楽しかった?」と聞くと「Ah...?アリガトゴザイマース!」とのこと。

いわく、人々は親切だった。ベジタリアンという概念は無いと理解し、食事に苦労することは織り込んでいたが職場の人々がいろいろと気を遣ってくれた。渋谷も新宿も品川も行ってきた。この写真は渋谷の一角で静かな場所があったので撮ったものだ・・・。

出発前にメトロの路線図をダウンロードしたり、片言日本語を暗記したりしているマニシュにしきちが送った言葉は3つ。「誰かと一緒に食事をするたびに『なぜベジタリアンなのか』と質問され、同情すらされると思うが、気にしないようにね」「日本人が二人以上居る場合は、彼らはキミの前でも互いには必ず日本語で会話するので多少疎外感があるかと思う。これは日本人同士が英語で話すことに違和感があるためなので、内緒話がしたいわけではないのだ」「滞在中に、仲良くなった人から年齢を尋ねられることが多々あると思うが、答えても答えなくても構わないからね」

マニシュによると、年齢は尋ねられなかったそうだ。「俺、もしかして老けて見えるのかなぁ」と逆に聞かれてしまったので「そんなことないよ」と言っておいたが、余計な入れ知恵だったか。

酒が大好きなマニシュには「夜の六本木にも行っておいでよ」と言っておいたのだが、ちゃんと行ってきたらしい。「ロシア人っていかしてるな、俺、モスクワに仕事があれば収入が下がってでも行っちゃうかも」「ロシア人は別格だけど、東京の女の子たちもスゴイよ。きれいな子がいっぱいだ!」

いつもは1時半から昼食休憩を取っているマニシュだが、12時になると「腹が減っちゃったな。俺の胃袋はまだ日本時間だぜ。出張先の人たちとは、混雑を避けるために11時半からランチだったんだから。合理的だよなー、日本人は」と言い出したのは笑った。さらに6時には「おっと、日本ではもう9時半じゃないか!まだ時差ボケだから帰るよ、バーイ」と軽やかに去っていったマニシュであった。  
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2016年05月28日

路上では自己責任で (その2)

【しきち】
歩行者として、クラクションを鳴らされるのはまだ耳をふさげば何とかなるとして、命の危険を感じるのは道路の横断だ。バンガロールで歩行者と車の交通事故の原因の大きなものだろう。信号や歩道橋が少ない。そもそも、過去10年間で倍ほどにも人口が急増したバンガロールのインフラは、これほどの交通量を想定していなかったのだ。

職場からの帰りに、国道沿いで乗合バスから下車し、小走りで横断して帰宅したら翌日「頼むからやめてくれ。国道の交通量をなめてはいけない。同乗者に気兼ねせず、自分の家の前に乗りつけてくれ」と同僚に諭された。その後、200mくらい先に歩行者横断用地下通路を発見したのは朗報であった。

市内中心部のMGロードでは、両側にびっしりと商業施設などが建っており、ついつい渡りたくなるのだが、交通量も多く危険極まりない。行政も、事故防止のために歩行者を渡らせまいと歩道と車道の間に柵を設けたり、中央分離帯に高さをつけてハードルを上げたりしているため、さらに難易度と危険度が増している。信号機も多数設置されており、歩行者信号も一応あるのが救いだ。が、多くの歩行者信号は車両信号がすべて赤になっているタイミングで、10秒ほどの短い時間、全方向の歩行者信号を青にするシステムを取っている。この10秒を逃すと次のタイミングまで5分以上待たねばならない。しかも車は赤信号になるギリギリまで走行し、青になるのを待ちきれない車やバイクは数秒間のフライングは当たり前。つまり、歩行者には正味5秒ほどの時間しか割り当てられていないので、左右を見て安全確認を怠らない上でダッシュするという高度な技術が必要だ。自信がない場合は一旦中央分離帯でストップした方が良い。

先日、MGロード近くの三叉路を歩いて渡ろうとした。とりあえず中央分離帯で立ち止まったら、「早く早く!今なら渡れるよ!」と、信号待ちのバイクの兄さんが大声で教えてくれた。ぺこりと頭を下げ、無事に渡り切ったしきちであった。  
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2016年05月21日

路上では自己責任で

【しきち】
バスの屋根の上に乗客が座るとか、バス乗り口のステップに腰掛けるとか、軽トラの中に牛や荷物を載せて人が外側に立つとか(写真)。きっと、製造段階ではそんな使い方は想定していないよなぁ・・、と思う。事故になっても自己責任なのは当然だ。

元同居人アルンがムンバイに移住して2年あまり。昨年、スズキの軽自動車を中古で購入した彼は、米国駐在中に数年間自分で運転していたから、ついつい当時の運転の癖が出ていたそうである。

「歩行者がいれば渡るのを待ち、本線から出て来る車には道を譲り、信号のない交差点では一時停止していたんだ。そしたら周りの車が混乱するのなんのって。ペースが狂い、事故すら招きかねない。それに気づいて、郷に入っては郷に従うしかないと切り替えたんだ。今はインド的な運転だろ?勿論、安全運転だけどね」と言って軽やかにクラクション。

バンガロールで運転する外国人に言わせると、「コツは前だけ見る、ってことだ。少しでも空間があれば突っ込む。これを遵守すれば、流れにのって運転するのは難しくない」とのこと。なるほどなあと思う。

何年たっても慣れないのは、歩道のない道の端を歩いていて後ろからクラクションを鳴らされることだ。「車が来るよ、注意しろ、飛び出すなよ」と注意喚起しているのだと理解はできても、車外至近距離の警笛音は耳にガンガン響き、不愉快だ。アパートの敷地内を歩いている時に慣らされた時など、振り向いて運転手の顔を凝視したり、腕を振りあげてみたり、これみよがしに耳をふさいでみたりといった地道な抗議を続けるしきちである。  
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2016年05月18日

南インドの朝食 パドゥ

【しきち】
たこ焼の形をしたスナックに魅入られたしきちは、職場の給湯室でも「ねえねえ、あのピンポン玉みたいな食べ物って何ていう名前?」と尋ねまくった。「は?ピンポン?」と互いに顔を見合わせる男たちの中で、タミルナドゥ州出身の40代、アンソニーが膝を打った。「ああ、あれか!あれはタミル語で・・・・(他の男たちにカンナダ語で)あのドーサの生地を焼いたスナックのことだよ」と説明。

弟がどら焼き屋のシャンティは「シキチあれ好きなの?うちに鉄板あるわよ、今度作ってきてあげる」と言う。そうそう、弟くんのどら焼き屋はマンガロールのショッピングモールに入っているそうで、残念ながらバンガロールではないことが判明・・・。

小学5年生の娘のいるアヌーは「ドーサと同じよ、形が違うだけね。カンナダ語ではパドゥ、別名グンパングリっていうんだけど、南インドの朝ごはんのメニューで、北には無いと思うわ。私も作るけど、平日の朝は時間がないからもっぱら週末ね」。

そんな会話をひとしきりした、翌朝のことである。しきちがパソコンの画面に顔をくっつけるようにしてメールを熟読していたら、誰かが背後に立っている気配がする。振り向くと、アンソニーが色黒の顔に真っ白な歯を見せてはにかんでいる。「おはよう、アンソニー」と言うと「給湯室に届け物があるよ」と。なにぃ?しきちは椅子からジャンプして給湯室に走った。

後ろからついてきたアンソニーの指し示す包みは新聞紙にくるまれ、ほんのり温かい。そっと糸をほどいて開けると、たこ焼(風のもの)が6つ、並んでおり、2種類のチャツネ(ソース)も添えられている。

「家の近くで売ってたから、買ってきたよ」とアンソニー。そうだった、しきちはたこ焼スナックの名称が覚えられなくて、何度も聞き返していた。日本に同じ形のスナックがあることを自慢気に吹聴していた。1個5ルピーって安いよねと感嘆していた。決して「食べたいなぁ、近くに売ってるかな」とは言わなかった。今日はお弁当も持参している。・・・でも、そんなことはどうでもいい。「ありがとう、そうそう、これだよ!日本のスナックにそっくりなんだよ、いただきます!」

こんな「愛すべきお節介」に、インドでちょいちょい出会う。そのたびに、子どもの頃に四国のばあちゃんが食べきれないほどしきちの好物のおかずを作ってくれて、満腹すぎるけど残すのがイヤで食べ続けて涙目になった時のことを思い出す。胸の奥がキュンとして、ちょっと甘酸っぱい。

持参した弁当は夕飯にまわして、2つを朝、4つを昼に食べた。職場の冷蔵庫にストックしていた青のりとマヨネーズをかけたら見事に日本風になり、「これはいける」と大きくうなずいたのであった。  
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2016年05月13日

一人分の料理

【しきち】
暑くて料理をする気が失せてはいるが、しきちの食生活は自炊が中心である。屋台のインドスナックから高級和食レストランに至るまで、外食の選択肢がとても広い現在のバンガロール。自炊を全くしなくても食事には困らないとはいえ、自分で好きな食材を好きなように調理するのがやはり美味いし飽きがこない。一人分では食べる量も知れているものの、昼は弁当を持参すればそれなりに食材は消費できるし、何と言ってもインドでは玉ねぎ1つ・人参1本・たこ焼風スナック1つから購入可能なのが助かる。

福岡の郡部で四人兄弟の末っ子として育った母は、若いころ決して料理が得意な方では無かったと思う。北日本で5歳ごろまで過ごした時は、屋台の焼き鳥屋さんに母や姉と3人で買いに走ったり、日曜は家族で行きつけの食堂で外食したりするのが我が家が華やぐイベントであった。小学校1年生でエジプトのカイロに引っ越して食事情の激変を余儀なくされ、母は血のにじむような苦労をしたはずだが、不思議と悲壮感が漂った思い出は無い。

カイロの自宅にお客さんが来る時には、夕方からキッチンが大わらわで、両親が並んで海老を春巻きの皮で包んで油で揚げたり、食パンやクラッカーを使ったカナッペを作ったりしていた。海老包みスナックの揚げたてをつまみ食いさせてもらえるのが嬉しくて、姉としきちは台所をチョロチョロした。ただし、つまみ食いは1つか2つしか許されない。いつかこれをお腹いっぱい食べてみたい、早く大人になりたいなぁ・・・と心から思った。今にして思えば、自宅で仕事関連の人々を接待せねばならない両親のプレッシャーはいかばかりだっただろう。「早く寝なさい」と子ども部屋に追いやられたのは確かだが、「邪魔だから台所に入るな」と戒められた記憶はなく、むしろつまみ食いの相伴にありついていたのだから有難いものだ。

その頃の両親がしきちよりも若かったことを考えると、一人分のつまみを作って晩酌しながら食べる日々は気楽すぎて申し訳ないほどである。街を歩いて買い食いしても、日本から買ってきたおせんべいを夕飯がわりにしてしまっても、誰にも咎められない。せめて日本の実家に帰った時ぐらいは自分が台所に立って両親に楽をさせたいと思うものの、いつのまにか好物の「鯛のあら煮」が鍋いっぱいに作られているのである。  
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2016年05月11日

街角B級グルメ

【しきち】
バンガロールが暑い。例年、4月から5月は一年の中で最も暑く、6月ごろから雨が降り出して涼しくなるのだが、今年は4月末の暑さが尋常ではなかった。「熱波の影響でバンガロールの気温が摂氏50度になる」という噂もあったほどで、50度はさすがに無いとしても連日40度は越したのであった。日本のゴールデンウィークあたりからやっと猛暑が和らいだ。

首都圏のしきち実家には今どき珍しいことにエアコンが無い。真夏の暑さはバンガロールのアパートの比ではないのだが、それでも通年初夏のような快適なバンガロールに慣れた身体には今年の4月の暑さがこたえた。台所でガスを使って調理をする気にならない。せいぜい、乾麺をゆでた冷やしうどんか、冷製パスタぐらいだ。スイカを買ってきて鈴虫のようにシャクシャク食べたり。

日曜の夕方、涼しくなる時間を見計らって出かけたら、夜店のようにジュース屋から張り出してたこ焼きを焼いていた。球状の穴があいた鉄板といい、金串でくるくる転がす焼き方といい、たこ焼きそのもの!しきちは興奮して「おおお!」と唸り、おもむろにリュックからデジカメを出してカシャカシャ撮影しはじめる。ジュースを買っていた青年らは「なんだ、なんだ」と呟いてしきちを指さす。しきちは一連の作業を鉄板の横で見学し、6つ購入したおばさんに「これ何ていう食べ物?」と聞き、「おじさん、私にも一つ下さい。マサラとコリアンダーソースはいりません」と宣言し、10ルピー(約17円)で2つを購入してほおばった。

小麦粉を溶いた生地にみじん切りの玉ねぎとコリアンダーの葉が入ったパンケーキ。コリアンダーかチリのたれをつけて食べるのが一般的。当然のことながらタコも何も入らない「具なし」だ。意外とモッタリと重く、お腹がいっぱいになる。

この食べ物の名前、何度も聞き返したのだが結局忘れてしまった。日中の暑さが溶け残ったような街角で立って食べたたこ焼風スナックは、夜店での買い食いのような高揚感があり楽しかった。  
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2016年05月04日

縁起の悪いこと

【しきち】
写真は職場の用務員さん宅で開かれた、新築祝いにて。床にあぐらをかき、振舞われた食事をいただく。

ある夕方、営業マンのマニシュが鞄を取り出して帰り支度を始めた。何の気なしに「どこ行くの?」と聞いたら、一瞬手を止めた彼がにやりと笑って答えた。

「シキチ、実は、インドの文化ではその質問は縁起が良くないんだよ。支度をして出かけようとしている人に『どこに行くのか』と尋ねると、外出先で不運に見舞われると信じられてるんだ」

しきちは椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。今まで一体何人の人にこの質問を投げかけてきたことか。

「気にするなよ、俺らはシキチに他意が無いことは十分承知だ。俺が迷信深いかって?そうでもない、実際に不吉なことが起こるとは思ってない。でも、俺自身がほかの人に同じ質問をすることは無いよ」

では、相手がどこへ行くのか本当に知らねばならない場合はどうするのだ。

「かみさんがどこに行くのか聞く必要があるだろうって?ハハハ、常にNGな質問なわけじゃないんだ。『明日、どこへ行く?』とか、外出の支度をしていない時の質問なら問題ない。屋外へ出て行く様子が無い人に対して『どの部屋へ行くのか』という文脈で質問するのもOKだよ。例えばマンションの駐車場で隣人に会うだろ、そんな場合だよ、この質問を避けるのは」

なるほど、そういうことか。それでも出かけようとしている営業マンたちに「今日はどこへ外出?」といつも聞いていたしきちは、さながら定食屋でご飯に箸を突き立てて無邪気に茶を飲む外国人のようなものだったのかもしれない。

「まぁ、気にするな。ちょっとした文化のレクチャーだよ。というわけで俺は今から家に帰る。じゃ、明日な!」

と軽やかに手を振って帰っていくマニシュを、いつもより長く見送ってしまったしきちであった。  
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2016年05月01日

不注意に注意

【しきち】
写真は同居当時のアルナブ君。ちょうど二年前だ。今では彼の弟がこのくらいに成長している。

長距離バスに小説を置き忘れたことを先週書いたが、今回は愛用のサロン(大判スカーフ)を飛行機に置き忘れてしまった。日傘・腰巻・上着・毛布と、一枚あれば大活躍の布はしきちの旅と日常の友であった。無い、と気が付いたのは2日後。帰りのフライトで毛布として使用し、そのまま機内に忘れたに違いない。

ネットでエアラインの紛失物問い合わせ番号を調べ、電話した。日時とフライトを告げると「その日の忘れ物は・・・ サムソンの携帯、タブレット、手帳、めがね・・・」と10項目も読み上げてくれた。携帯電話が非常に多いようだ。どこの国にもウッカリ者はいるのである。

結局しきちの無くし物は発見されず涙をのんだ。そういえば前回ジャカルタに遊びにいった時のフライトでは、手に持っていたパスポートを機内で隣席との間の隙間に落としてしまい、隣に座ったインド人のおじさんに発見されたのだった。おじさんは「む?こんなところに何かあるぞ。あれ、パスポートだ。キミのかい?いやー危ないじゃないか、パスポートは一番大事だぞ。(逆側の連れに)おい、信じられるかい、この子がパスポートを俺の席に落としてたんだ」・・・確かにおっしゃる通りだが、連れに告げ口までするとは、小さな親切大きなお世話。

そんな経験からまだ2か月も経たないうちに、またパスポートを無くした。今度は成田空港である。電車を降りた際にカートに荷物を載せ、手に持っていた手帳と旅券をカートの手元のラックに置いた。チェックインカウンターに並ぶ際に、カートから荷物を降ろして列の最後尾についた。少し列が短くなってきたから旅券を準備しようと思い、カバンを探るが無い。カートのことを思い出し、戻した場所を振り返ると、跡形も無くなっている。血の気が引くとはこのことだ。後ろに並んでいた人に「すみません、5分間抜けますのでこの荷物お願いします」と言い置いて案内カウンターに行くと・・・係のお姉さんがしきちの手帳のポケットに詰まった紙片を一つ一つ精査しているところだった。助かった!

思えば、そんなヒヤリハット事件から半日後に愛用のスカーフを置き忘れているのだから、小さな親切大きなお世話どころじゃなく、あれはおじさんの貴重なアドバイス、いや予言だったと言えよう。

ちなみにエアラインスタッフが読み上げてくれた忘れ物リストには、さすがに「パスポート」は無かった。それ無しでは入国できないから当然か。  
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