2017年05月14日

セイシェルへ

https://www.1stdibs.com/【しきち】
セイシェルには驚いた。こんな形のヤシの実が特産品。首都Victoriaの国際空港滑走路から、エメラルドグリーンの海とサンゴ礁の途切れる沖に白い縁取りレースのような波が見える。種子島程度の国土には、海際まで高い岩山がそびえたっている。タタの車体を使った路線バスが低速ギアのエンジン音を唸らせつつブンブン走って山越えしている。日向ぼっこの茶肌縮れ毛の老人に道を問えば、流暢な英語で親切に教えてくれる。有り得ないほど白砂のビーチには人影がない。115もの島、9万人しかいない人口。

しきち一行は貸別荘を一棟借りて過ごした。朝の砂浜を散歩したり、岩山の間のトレイルを歩いたり、路線バスで島を半周したり、キッチンで調理したりした。

別荘地のスーパーマーケットでしきちを和ませたのは、レジに立っていたインド系アラフォー男性店員だ。ケララ州出身の友人ハリッシュに似ているどんぐりまなこに濃い口髭。「タマゴを2つだけいただけますか」と尋ねると、「もちろん、1個だってOKさ!えーっと、ちょっと待ちな、大きいのを選んであげるよ」と。

インドから行く海外ビーチリゾートとしては、近くて行きやすいモルジブがあまりにもポピュラーだが、セイシェルも自信を持ってお勧めしたい。昨年よりスリランカ航空が週4便就航しておりコロンボからわずか4時間程度の道のりである。

次回よりインドの日常に戻ります。

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2017年05月08日

マダガスカルへ

IMG_20170508_125320【しきち】モーリシャスの次の訪問国は、マダガスカル。モザンビーク海峡を隔てた400キロ西側はアフリカ大陸。インドとスリランカの位置関係を彷彿とする魅惑の島は、国土が日本の1.5倍のビッグアイランドだが、これまたインド洋に浮かぶインドの隣国なのだ。しきち一行は最北端の町まで国内線で飛び、四輪駆動車をチャーターした。

町には見慣れた黄色いオートリクシャがぶんぶん走っている。「2013年頃に登場した新しいタクシーだよ。首都では見かけないだろうけど、地方では急速に広がったんだ」という。料金は交渉制で、初乗り1,000アリアリ(約35円)くらいから。トゥクトゥクと呼ばれたり、バジャージと呼ばれたりするらしい。バジャージとはインドの二輪メーカーの名前であり、オートリクシャも多くはバジャージ社製だ。マダガスカルの地方都市にたどり着いたオートリクシャが、普通名詞として製造会社名で呼ばれているとは面白い。しきちはニヤニヤしながら懸命に写真撮影を試みたが、手ブレしたりタイミングが悪かったりしてオートが写っていた画像はわずか数件。視界に常に黄色い車体が3つは入っているくらいに、本当にたくさん走っていたんだけどなあ。  
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2017年05月06日

モーリシャスへ

IMG_20170506_123841【しきち】
父姉と、一週間の旅行に出たしきち。インド洋を挟んだ隣国、モーリシャスへは、モーリシャス航空でひとっとびである。チェンナイから直行6時間程度。大型旅客機は裕福なインド人の家族連れなどで満席。後ろの席からは「今チェンナイでトランジット中なんだけど、今日から家族旅行でモーリシャスなんだよ」と電話で話す声がきこえてきた。小中学生の息子三人と、アラフォー夫婦。豊かだなあ。

モーリシャスはアフリカ大陸の東に浮かぶ島国で、人口126万人のうち7割がインド系である。長距離バスターミナルではサモサやパニプリといったインドスナックが売られている。しかし一人当たりGDPはアフリカで高い方から数えて第三位の豊かな国であり、サモサはインドで買う数倍の値段だ。

パキスタンもお隣りさんだが、こっちもお隣りさん。顔はインド人だがバスの乗客の様子は日本並み。席には詰めて座るし、バスが止まってから席を立っているのには驚いた。  
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2017年04月24日

こわいもの

【しきち】
小学校4年生の時から住み始めた実家は、マンションの11階だ。当初、しきちはエレベーターが怖かった。特に夕暮れ以降、帰宅してエレベータに乗る際、「ゆうかいされたりおどされたらどうしよう」と毎回ドキドキした。エレベータのドアが開くまでの間、見つからないように非常階段の陰に隠れたりもした。

高校生のころ、ファストフード店でバイトをした。ある夜、暇だったので店内のテーブルを一つ一つ拭いていたら、客席にいた制服姿の高校生がものすごい目つきでにらんでくる。全く知らない人物なので、自分の後ろに何かあるのかなと思ったが、しきちが動くと彼女の目も執拗に追ってくる。しきちはゾッと恐怖を覚え、ベテランの主婦パートのマキコさんに助けを求めた。マキコさんは「なに?あたしが見て来るよ」と言って客席に消え、しばらくすると戻ってきて「あの子タバコ吸ってるんだよ、注意されたくないからガンつけてたのかもね」と教えてくれた。恨みを買ったわけではないと分かり大変助かったが、動悸はなかなか収まらなかった。

社会人1年生のころ、しきちは最年少で経験もなく、身の置き所がなかった。職場は静かで紙をめくる音と電話の鳴る音しかしない。そんな中、ファイリングをしている時にベテランの派遣社員女性に話しかけられ、仲良くなった。やっと話せる人がいた!母親くらいの年齢だがお洒落で話の上手な彼女、Fさんと話すのがしきちの唯一の息抜きになった。一か月ほどが経ち、ある日廊下にいたFさんに話しかけようとしたところスーッと歩き去ってしまった。目も合わせてくれない。何か失礼なことをしただろうか、怒らせただろうか・・と気になって仕方がない。頭を抱えたい気持ちで一日が終わった。失意の日々を過ごすしきちに、ある日キムラさんという別のベテラン女性が話しかけてくれ、少しずつお喋りするようになった。後日、キムラさんいわく「Fさんは昨日で派遣終了だったそうよ。急に誰とも話さなくなって、変わった人だったわ」。それで初めて、Fさんはしきちに腹を立てていたのではなかったのだと分かった。

自分が当時のマキコさんやキムラさんの年代になった今、あの時あれほどまでに動揺した自分に失笑したくなる。怖くて泣きたくなることがめっきり減り、面白いことばかりが増えたことを思えば、年齢を重ねるのは素晴らしい。

先週食事の帰りに路線バスで帰宅したところ、自分の家の近くには止まらないバスであった。2キロ弱の道のり、歩けないことはない。軽快な小走りで家路を急いでいたら、野犬の縄張りに差し掛かったらしく5匹ほどにものすごい勢いで吠えたてられた。目を合わせず足を止めず・・と思うが明らかについて来られ、かかとに息がかかると思うくらいに近い距離まで迫って吠えられ、血の気が引いた頭で「狂犬病の血清を注射してもらうにはどこの病院がいいか」と考えた。結局かまれずに済んで事なきを得たが、久しぶりに心からの恐怖を味わったのであった。
  
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2017年03月04日

蟻退治

【しきち】
ここ一年ほど、アパートで蟻と同居していた。

台所の調理台にこぼれただしの素や、野菜くず、食卓の下に落としたパンくずなどをめがけていつのまにか行列が発生する。どこから来ているかたどってみると、戸外に伸びていく。インドの住居は気密性を追求しておらず、ぴったりと閉まらない作りの窓が多いのだ。殺虫スプレーを使えばその時は収束するが、またすぐに別ルートが開拓されている。

まぁ仕方ないか・・と思いつつ過ごしてきたのだが、戸棚の隅に「アース スーパーアリの巣コロリ」を見つけて使ってみた。

アースのアリ退治薬品には「アリの巣コロリ」と「スーパーアリの巣コロリ」がある。プラスチック容器の内部に毒餌が入っており、蟻が巣まで持っていき分け合って食べることによって巣の全体を退治する仕組みはどちらも同じだが、前者が顆粒状の毒餌であるのに対し、後者は顆粒とゼリー状の2種類が低いパティションに分けられて両方入っている。甘いものを好むタイプと雑食タイプのいずれにも効果が発揮されるそうである。ゼリー状も直径0.5个曚匹涼鳥劼砲覆辰討い董蟻が運べるように工夫されている。

台所とダイニングに1つずつ置いてみると・・・これは凄い。1時間も経たないうちに蟻たちがせっせと毒餌を運びはじめ、翌朝は行列が消滅していた。床には蟻の死骸とおぼしき芥子粒のようなものが。

ウヒヒ・・・と手を叩く自分の姿は、殺生を良しとしないインド人には見せられない。かつて、同居人アルンはゴキでさえ、ちり取りで追いやるように部屋の外に出していた。「また戻ってくるからちゃんと殺してほしいなあ」とリクエストしたが、殺すと始末も気が重いし・・・と言われ、次からはしきちがゴキ担当になった。

インドの蟻対策薬品も、チョーク状のものや液体など薬品は各種あるらしい。が、素手で触る必要がなく、餌も2種類と工夫されているスーパーアリの巣コロリは非常に日本的。効果も抜群だった。
  
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2017年02月25日

カンナダ語もヒンディ語も出来ず

【しきち】
「日本でインドの話をすると『インド語はペラペラなんですか』と聞かれることがあり、返答に困る」とは、インドに長く住む知人の弁。インドにはそれぞれの州の言葉があり、バンガロールの言語はカンナダ語だ。ヒンディ語は州の言葉ではなく、北のデリーやハリヤナ州、UP州などで使用されており話者が多い。前述の知人はテルグ語を操り、カンナダ語での日常会話が出来るのだが、インド語というものは存在しないので返答に困るのだ。

バンガロールはカルナタカ州の州都なのでカンナダ語が主な言葉ではあるが、ヒンディ語もよく通じる。10年間で人口が倍増したバンガロールにおいては、生粋のカルナタカっ子は多くはないのだ。

インド人に「バンガロールに通算8年ほど住んでいる」と話すと「じゃあカンナダ語もマスターしたんでしょ」と言われて、言葉に詰まる。パキスタン旅行の現地ガイド・アズマット氏も「インドにお住まいなのにローカルの言語を習得されていないんですか。残念ですね。話せれば、土地の人たちの心の開き方が全く違います」と冷静にしきちに言った。アズマット氏はよどみない日本語を操り、日本にも何度も行っている人物だ。パキスタンの複数の州の言葉も話す。しきちは「ハハーッ」と頭を垂れるしかなかった。

ある夜、居間の電灯をつけるとバチッと破裂音がして家じゅうの電気が消えた。停電は慣れているとはいえ、明らかにアパートの中のしきち部屋だけが停電しているようなので、慌ててアパートの管理人室に行き、窮状を訴えた。電気技師に「カンナダ語が無理ならヒンディ語で話してくれ」と言われるが、「ごめんなさい英語しかできません」と言うしかない。技師はヒンディ、しきちは英語で会話をして「電気代の未払いも無いようだね。10分後に技術者を派遣して点検する」と言ってもらえた際は心からホッとした。

職場で同僚らが話す言葉は英語が7割、ヒンディやカンナダが3割と言ったところで、非英語の際も英単語をまぜて話しているのでしきちにも見当がつく。内緒話の際は小声の現地語で話しているのが面白い。バスの行先表示のカンナダ語は5種類くらいしかないので、見当がつく。バスの車掌の言う「あと5ルピー」とか「そこは行かない」といった簡単なカンナダ語も分かるようにはなった。困ったら乗客が英語で通訳してくれるし、スマホで地図も見られるので通行人に道を尋ねることも減って、言葉に不自由する事態に直面しなくなってしまっていた。

技術者が点検に来て状況を確認し「ヒューズが飛んで管理室の電源スイッチがオフになったようだ。オンにしてくるから待っていなさい」というようなことを言い置いて退散し、ほどなく電気がついた時には心からホッとした。結局停電は30分間くらいで解消したものの、その間の心細さともどかしさで、おそらく30回目くらいの語学習得熱がむくむくと沸いたのであった。

(写真はシンハラ語・タミル語併記のスリランカの鉄道時刻表。)
  
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2017年01月15日

パキスタン旅行 その2

【しきち】
現在、外国人が陸路でインド・パキスタン国境を超えられる唯一の場所が、ラホールとアムリトサルを結ぶ場所だ。ボーダーには鉄の門と国旗掲揚台があり、日没前にはフラグセレモニーと呼ばれる応援合戦のような国旗降納式が行われる。両国の警備兵が足を高々と上げて行進し、スタンドに陣取った見物客は旗を振ってはやし立てる。インド側のスタンドには二階席の建設が進んでいた。しきち一行も、パキスタン側で見学を行った。

国境を実際に超える場合のイミグレーションは、パキスタン時間の16時まで(2017年1月)。セレモニーの開始時刻は季節で変わるようだが、しきち達の際はパキスタン16時半(インド17時)からであった。

旅行最終日の朝、しきちは午前9時にパキスタン・ワガの国境から500mの地点で車を降りた。セレモニー見学を含め、国境へ到達するには3回の身体検査・検問があり、時間がかかる。9時半すぎに出勤してきたイミグレ担当官をしばし待つ。

パキスタンのイミグレ担当官は20代前半とおぼしき2名の黒衣女性たちだった。ぽつりぽつりと出国者が来る合間は、猫のように二人じゃれあって辺りを行ったり来たりし、お喋りしたりスマホで遊んだりしている。しきちの書類はすぐに先輩らしきおじさん係官の手にゆだねられ、しきちは待つように言われた。おじさん係官とて陽だまりでほかのおじさん同僚達とおしゃべりしており、様子を聞きにいっても「もうちょっと待て、調べてるから」と言う。猫係官は「あのね、あなたインドのe-Visa(雇用ビザ)でしょ、これって空路でしか国境超えちゃだめなのよー!」と言い、フフフと笑っている。しきちは頭痛を覚え「彼が調べてるらしいから待ちます」とボソボソと言って冷たい金属の椅子に座り込んでふて寝。

1時間後、おじさん係官がしきちの旅券を持ってきた。「進みなさい」。やった、その言葉が聞きたかった!猫係官はアッサリとスタンプを押し、しきちは足取り軽く校庭くらいの敷地を超えて、隣のインド側の敷地へ。工事中のスタンド席を通り、インド側イミグレへ。ここでも前の人が終わるのに30分、自分の番で40分ほど待った。おやつと読み物は持参すべし、と心の中にメモ。しかし特に不快な尋問も賄賂要求と思われる場面もなく、時間がかかる点以外はスムーズ。パキスタンもインドも観光ビザという外国人は数人通って行ったし、インド人もパキスタン人も居たが、インドが雇用ビザという第三国パターンは近年まれだったに違いない。後続がどんどん国境を通って、彼らの記憶が風化しないといいなぁ。以下、備忘メモ。

・どちら側から国境を超える場合でも、インド・パキスタン両国のビザはあらかじめ取得が必須。
・両国の時差は30分。パキスタン正午=インド12時半。
・パキスタンのイミグレカウンター脇に立派な免税店があるが、営業していない。インド側にも大した店は無し。
・少なくともパキスタン側には両替施設もない。おじさんが「インドルピーあるよ」と英語で声をかけてくる。
・パキスタンからの外貨の持ち出し及びインドルピーの持ち込みには厳格な制限があるが、現金を見せるようにという要求は無かった。
・パキスタン側の正規の係官は税関(CUSTOM)及び出国審査(IMMIGRATION)。ほか、各関所での警備担当者が何度もパスポートや荷物をチェック。
・インド側の正規係官は入国審査、探知犬、税関。税関までは無料バスで行く。
・インド側の入国審査官は、手続きの最後に短冊のような白い紙(税関用紙)をくれる。ここに自分の名前や国籍、旅券番号を書き、無くさずに保持。
・入国審査が終わった地点にポーターが客引きしている(有料)。そのまま進むと建物の外に大型バスが止まるので、荷物を後部の荷物室に入れて乗りこむ(無料)。小型ハンドバッグは車内持ち込みが可能。ポーターもバスに乗る。
・1劼曚描ると税関のビルに着き、ポーターがいち早く降りて荷物を下ろしてくれる(無料)。探知犬のチェックが済むまで荷物は放置するよう言われる。税関の係官に短冊を渡し、荷物を示して、ビルの外に出るとタクシー乗り場になっている。
・しきちのタイミングではオートリクシャは無く、タクシーでアターリー(国境町)バス停まで行き100ルピー払った。
・アターリーからアムリトサル市街まではバスで20ルピー。

パキスタン情報に関心のある方、お気軽にコメント下さい!次回からまたバンガロール編に戻ります。
  
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2017年01月14日

パキスタン旅行 その1

【しきち】
インダス文明、ガンダーラ美術の旅へ。モヘンジョダロやハラッパ等の遺跡を見に、パキスタンに行ってきた。日本の学校教育を受けた者ならだれもが知るであろうこれらの遺跡はインドでの知名度は低い。「去年モヘンジョダロっていうタイトルの、古代をテーマにしたボリウッド映画が公開されたよ。架空の話だと思ってた」という反応があった程度。

独立以来ずっと芳しくない印パ関係。昨年末北の国境カシミール地方での軍の衝突が報道されて、特に仲が悪い。しきち姉の発案で、昨年9月には手配を開始し、10月には東京でパキスタンの観光ビザを取ったしきちであったが、職場の同僚らにパキスタンに行くと言うと無用な心配を誘うだろうから、「北インドに遊びに行ってくるよ」とだけ言い残した。

パキスタンについてはガイド本「地球の歩き方」もこの10年間発行されていないくらいに情報が乏しい。が、観光で行くことは充分可能だ。パキスタンの観光ビザも2日あれば取得できる。東京でもデリーでも取得可能だが、提出書類は同じではないので注意が必要だ。しきちはデリーまで行かずに一時帰国を利用して東京で取得した。

今回、父・姉が日本から、しきちは現地参加の形で3名でのパッケージツアーを予約。ここ数年、インドからの直行便のフライトは就航していない。さらに、国境超えの列車も運休している。デリーとラホールを結ぶ国際バスはWebサイト上は運休にはなっていないが、運行の事実確認を怠ってしまい、不明。ゆえにしきちは中東オマーンを経由して首都イスラマバードに飛んだ。帰りはラホールから徒歩で国境を越え、インド・アムリトサルに入った。

旅行は素晴らしかった。本当に行ってよかったと思う。デジカメが壊れたため写真が無いが、備忘録のみ羅列することにする。明日は国境編を掲載。

・日本からパキスタンへ行くツアーは、西遊旅行・ファイブスター・クラブツーリズムなどにより催行されている。
・パキスタンは外務省の海外安全情報において「レベル2 不要不急の渡航はやめて下さい」とされており、アフガニスタン国境等の一部地域はレベル3・レベル4。ツアーではレベル3以上の場所には立ち入らない。
・日本人の旅行客は2001年をピークに減少傾向。フンザ(桃源郷と言われる美しい山すそ)の、ヒマラヤのふもとのトレッキングが人気。
・パキスタンの治安は不安定で、外国人を狙ったテロの発生も過去に起こったため、バックパッカーの自由旅行は難しい(2017年1月現在)。
・パキスタンには8つの行政区があり、そのうち首都近郊やラホールを含むパンジャブ州は治安が安定している。モヘンジョダロ遺跡は州外にあり、かつ街中からはずれているため、路線バスを乗り継いで行く等の行動は難しい。
・しきち一行は、モヘンジョダロ遺跡から近いサッカル空港へ国内便で飛び、そこで外国人登録(旅券の写しと行動計画の提出等)を行い、車でモヘンジョダロへ行った(約2時間)。
・「モヘンジョダロ空港」も存在するが、一日数便の発着と少ないらしい。
・モヘンジョダロ遺跡にはパキスタン観光客が多く訪れていた。外国人も一日に1〜2組は来ているとのこと。
・モヘンジョダロ遺跡は広大で、本当に大都市だったのだと感嘆。日陰が無く冬でも日差しが強い。
・しきち一行はサッカル市内に宿泊。モヘンジョダロの内部の宿泊施設は改築中で、一部屋だけ見せてもらったが非常に快適そうであった。
・パキスタンの宿泊施設はインドと似ておりピンからキリまで存在。しきち一行は3つ星のビジネスホテル風に宿泊したが、停電対策の自家発電があり、湯も出て英語も通じ、特に不自由はなかった。
・宿泊や各種入場料には外国人価格(税)が存在する。モヘンジョダロの入場料は約500円、パキスタン人は20円。
・宿泊はしきち一行が使用したホテルは、1部屋あたり5千円〜1万円程度。
以上、全て2017年1月現在。

(明日に続く)
  
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2017年01月06日

バンガロール、2017年

【しきち】
バンガロールの元日。旧空港にほど近いシヴァテンプルに行ってきた。シバ神をまつったヒンドゥ教の寺院で、観光で訪れる人もいる有名な場所だ。

近くに住んでいたころもあるのだが、しきちは初訪問。今年初めて年越しをする日本人の友人の発案で気軽に出かけたのだが、外まで続く長い列に圧倒される。インドでもやはり初詣なのだ。

しかしありがたいことにスペシャルチケットというものが300円程度で販売されており、これを買えば線香などのお参りセットが無料でついてきて、しかも並ぶ必要がないという。まさに「ちょっと初詣にふらりとやってきました」という我々にはうってつけのこのチケットを二つ返事で購入し、列をすっとばして中に入ることができた。内部もものすごい行列と人込みで大熱気。

シバ神の像は立派だが、狭い敷地に強引に作られた寺は灰色の山を書き割りで作られて、チープな遊園地のようになっている。これはこれで面白い。ワイワイガヤガヤと記念撮影とお参りを済ませるしきち一行。

新札問題では、ATMの現金引き出し上限金額が2500ルピーから4500ルピーに引き上げられ、現金不足もかなり解消しつつある。500ルピーは数は多くないものの流通が拡大しつつある。ATMの前の長い行列も、しきち居住エリアでは見ることがなくなった。2千ルピーと500ルピーの他に、千ルピーのお札も発行されたとのこと。こちらはまだ流通していない。

今年もよろしくお願いします。
  
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2016年12月24日

バンガロール、冬本番

【しきち】
バンガロールの冬。12月と1月は気温が低く、夜は毛布がないと寒すぎるくらいだ。それでも日中は太陽光が眩しく、Tシャツでも寒くない。総じて、東京の冬よりもずっと過ごしやすい。しきちは正月くらいは帰省すべし、という声を無視し、祝日では無いことも理由にして年末年始は過ごしやすいバンガロールに滞在するのが常だ。

写真は大衆チェーン店、Adigasのトマトスープ。冬は特に、温かいスープがありがたい。あまり汁物を飲む習慣がなく、カップ麺も汁を捨てて皿にあけて食べる人がいるお国柄だが、トマトスープはインド国鉄の車内販売でも売りにくるくらい市民権を得ている存在だ。大きなクルトンも浮き、クリーミーで美味。シャワーキャップのようなものをかぶり、正面からカメラを見据えている調理場の兄さんたちが微笑ましいではないか。

子どもの頃を過ごしたエジプトも、冬は寒かった。男の人たちは、ガラベーヤと呼ばれるパジャマのような長衣の上から灰色のざっくりしたセーターを着ていた。突き出た太鼓腹とセーターは、カイロの冬の風物詩として思い出される。しきちは鼻が弱く、冬になると決まって鼻風邪をひいた。しきちが鼻をかんだ後のチリ紙を子ども部屋のゴミ箱に捨てると、そのゴミを回収してゴミ捨て場に出してくれるメイドのナディヤさんが「シキチのチリ紙から風邪がうつった」と毎年言っていたと母に聞き、申し訳なく思った。

主に母が台所に立っていたが、時々ナディヤさんも腕を振るった。当時既に高校生くらいの子どもがいて、母よりもずっと年上だった彼女が作る、モロヘイヤのスープは絶品だった。モロヘイヤの葉をきれいに洗い、草刈のカマの刃の両側に持ち手が付いたような器具で細かくみじん切りにし、小切の赤肉(おそらくマトン)と共にクリアなスープに仕立てる。モロヘイヤがスープにとろみをつけて、とても滋味深く温まる。しきちのエジプトのソウルフードは、ダントツであのモロヘイヤスープ。母がことのほか喜んで、何度も「美味しいね、ナディヤさんのスープは最高よね」と言いながら食べており、子ども心にそんな母の様子を見るのが嬉しかったのかもしれない。

残念ながら、モロヘイヤはバンガロールではあまり一般的ではないようで、あの緑色のスープも当地では見たことがない。
  
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