【しきち】今年の春ごろから、両親のもとに「お使いの携帯電話が使えなくなります」という知らせが頻繁に入るようになった。ハガキや電話、メールなどで何度も繰り返し通知されるという。
使っているのはいわゆる「ガラケー」で、使用している3Gサービスへの電波供給が来年、終了するらしい。
夏には「スマホに移行するわ。友達が皆さんLINEとかいうのを使っているの。連絡が取りやすくなるから」と決めた母に感心しつつ、しきちはスマホを一緒に買いに行くことを約束した。姉は契約を一手に引き受けてくれた。父は「ほとんど使っていないから、携帯は不要かも」と言うので、別のガラケーに移ってもらうことにした。
店頭で在庫のある機種から選び、即購入。ボタンを大きくする設定をして、母への使い方指南を始める。しかしながら、使い慣れた端末をスマホに変えるのは、容易なことではないとすぐに痛感。
ボタンを押下するガラケーとは違い、スマホの画面はツルツルだ。アイコンを正確にタップしたり、文字入力をするのは至難の業。さながら、手袋をはめたままで端末を操作するような感じだ。スワイプとタップの使い分けも混乱を生む。
横についていると、つい「こうやるんだよ」と手を出してしまう。最後には手書きのマニュアルを書いて渡してきたが、インドに戻る前に空港から電話すると「全く知らない画面が出てきちゃったから、なんだか怖くて・・」と。先週は「思いつめるとストレスになるから、今はもう固定電話だけで過ごしてる」と話していた。ストレスをためないのは大賛成なのだが、母からの毎朝一言の近況メールが来なくなっており、どうにも寂しい。
そのうち本でも買って、スマホ教室にも行って、ゆっくり覚えるから・・と本人は言っていたが、姉が画面コピーを駆使した詳細マニュアルを自作し、母を訪ねて手ほどきしてくれることになった。ありがたい。
インドでは携帯の通信費が大変安価で、八百屋の見習い少年も掃除のおばさんもおしなべてスマホを使っている。農村にも普及している。「親はまだガラケーだ」と4年前に言っていた友人にきいてみたら「もう使いこなしてるよ。今やYouTube中毒で、いつも宗教動画(説法)を見てる」と。大家族だから、孫に聞きながら少しずつ覚えていったのだろう。
母からの一言メッセージが再開することを心待ちにしている。
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(写真は山歩きに出かけた帰りのカフェにて。)