2011年08月16日

昭和二十年八月十五日 玉音放送を阻止せよ

Orient Turkish
終戦の日。日本の近代史最大の事件だから、毎年、戦争を振り返る。

今年見た番組の中で印象的だったのは、TV東京「池上彰の戦争を考えるSP」 玉音放送の当日未明、クーデター未遂事件があった。もしそれが成功していれば、終戦出来なかったかもしれなかった。

このあたり、『日本のいちばん長い日』に詳しいが、NHKサイトでも証言集を公開しているので、必見。

NHK番組紹介から:
「宮城事件」は、ポツダム宣言受諾決定に対し、徹底抗戦を叫ぶ陸軍の若手将校が引き起こした皇居占拠事件である。彼らは、東部軍と近衛第1師団を決起させようとし、森赳近衛第一師団長を殺害。ニセの師団命令を出し、近衛師団の部隊に皇居を占拠させる動きに出た。天皇の終戦の詔勅の放送「玉音放送」を阻止しようとしたのだ。

この部隊は、8月14日深夜から15日未明にかけて、「玉音放送」の収録に立ち会っていた下村情報局総裁などを監禁したうえで、玉音放送を収録したレコード盤を奪おうと、宮内省など皇居内の建物を捜索した。さらに、当時内幸町にあった日本放送協会も襲撃した。

この動きに対して東部軍管区の田中司令官が鎮圧に乗り出し、クーデターは失敗に終わり、15日朝には鎮圧された。8月15日正午、昭和天皇による「終戦の詔勅」の朗読の放送「玉音放送」は何事もなく行われた。(以上)

ここでは、単に「鎮圧」としか書いてないが、実は、田中司令官は側近のもの数名だけで皇居に出かけた。部隊を連れて出向けば、皇居を占拠する近衛兵団と戦闘状態になるかもしれず、そうなれば、ますます事態は混乱するかもしれないとの判断からだ。

この田中司令官、小柄だが大変な威厳があったらしく、反乱軍を主導した青年将校を、「貴様ら、なんだこれは!自分たちのしていることが分かっているのか!!」と一喝、これだけでクーデターという大事をしていた将校たちが恭順したというのだからすごい。同行した二人の憲兵が、将校の銃を取り上げて捕縛。これで、下手をしたら終戦にならなかったかもしれない大事件が片付いた。

ということは、田中司令官は終戦を守った英雄。15日未明には、副官を阿南陸軍大臣の元に走らせ、「閣下はどうせ自決されるだろうから、どうやって自決するか聞いてこい」という。阿南大臣は、「作法にのっとり割腹自殺をする」と回答。これを聞いた、田中司令官は、「それは痛そうだな」(笑)。

その後も、蜂起した陸軍予科士官学校生徒を説得。「これでいいだろう」と、副官に「拳銃を持ってこい」と命令するが、意図を察した副官が「さあ、どこへやりましたか」と言を左右し、持ってこない。事態を察した自宅の田中夫人から副官に、「これでは田中がかわいそうですから、銃を渡してやってください」と電話を受ける。8月24日深夜東部軍管区司令室で拳銃自殺。(ここは軍によって摂取されていた第一生命本社ビルであり、引き続き、占領期間中GHQ本部が置かれた)

クーデターを鎮圧した功績でもっと知られていい人物だろう。

shikoku88 at 09:30コメント(0)トラックバック(0) | 映画・TV | 政治 

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
Archives
Recent Comments