本当は番組内でお伝えしたかったエピソードを2つ書きます。
一つは1月13日に亡くなられた被爆者・廣瀬方人(ひろせ・まさひと)さん(享年85)との思い出です。
2007年6月、廣瀬さんが実行委員として参加された「ストーン・ウォークコリア」の取材で
重さ1tの碑石を牽いて韓国を歩く過酷な道程を共にしました。
廣瀬さんは当時77歳。腰に持病の椎間板ヘルニアを抱えながら
日韓の和解や友好、世界平和のため、昼夜各国の参加者同士をつなぐ役に奔走されていました。
夜は、寝袋で、横に並んで、救護院のコンクリートの冷たい床で寝たこともありました。
以来、廣瀬さんは取材でお会いする度に、1年ほど前、療養中のご自宅にお伺いした時も
まるで初めて会った時のような笑顔で迎えてくれました。
そしていつも「次は、こんな活動をしようと思っているんだよ」と
意気揚々と眼を輝かせながら語ってらっしゃいました。
先日、番組内でもお伝えしたように、
究極的には「平和・核廃絶」を希求されていたとは思いますが、
その取り組みは、決して大袈裟なものではなく、身の丈に合ったというか、いつも等身大で、
個人でも、いわば誰でもやろうとおもえばできる「人と人の間の壁を無くすこと」、
「人と人が仲良くなること」、「助け合うこと」、
そんなささやかだけどとても大事なことに一つ一つ、
丁寧に、向き合われていたようにおもいます。
それはまさに「平和・核廃絶」の第一歩でもあるとおもいます。
カトリック城山教会で営まれた通夜で長男・雅志さん(58)はおっしゃいました。
「父が家でゴロゴロしているのを見たことがない」と。
そして肺がんの闘病生活のさなか、ご自身の夢でもあった芥川賞の受賞に向けてか
病室には、読んだ形跡は無いものの、又吉さんの「火花」が置いてあったそうです。
最期は自ら「点滴をやめたい」とおっしゃったと知りました。
天国でもきっと毎日、ゴロゴロすることなく、自分にできる
ささやかだけどとても大事なことに取り組んでいらっしゃることでしょう。
忘れません。


もう一つは、
ジャパネットたかたの髙田明前社長(67)が1月15日、最後のテレビ通販レギュラー出演を終えました。
最初にお会いしたのは2004年、顧客情報流出事件で元社員が逮捕されたときでした。
土砂降りの日、逮捕を受けて社長談話を頂きたく、私が本社に突撃取材に行った際、
断られるかと思ったのですが、25分ほど待っていると、髙田さんが来てくれました。
そして開口一番、「ごめんね。待たせたね。雨の中、大変だったね。濡れなかった?」と言われました。
事案が事案だけに、社長(当時)としては、決して喜ばしい取材ではなかったとおもいます。
その時私は、この細やかな気配りや気遣いが、一代で会社をあれだけの大企業に築き上げた
一つの所以と感じました。商売は相手に対する真摯な態度が不可欠です。
私の親も商売人でしたのでよく分かります。
でも髙田さんの驕らず昂らず謙虚に分け隔てなく一人ひとりに対する真摯さは、
「商売」という枠を超え、自然とにじみ出るものでした。
無論報道機関におもねることなく、
私も報道機関としておもねらず取材・報道はしっかりさせていただきました。

あの甲高い独特の語り口調がテレビから遠ざかるのはやはり寂しいですね。

数年後、テレビ通販の裏側の取材で髙田さんが私に語った信条は「ステップ・バイ・ステップ」。
それは等身大の「一歩一歩」。
先ばかり見すぎず、背伸びし過ぎず、一つ一つ、自分に出来ることを、日々しっかりやるということです。

ある意味、廣瀬さんと、一緒ですね…(笑)

志久弘樹