しましま日記

アセスメント・コンサルテーション・教材作り@特別支援学校                      N県のとある特別支援学校に勤務する教師の しましま です。障がいのある子とかかわって思ったこと、考えたこと、作った教材など、記していきたいと思います。

社会的失言検出課題

高校での研修会の準備の中で、心の理論課題のちょっと複雑なもの、アイスクリーム課題とか二次信念課題を調べていました。
その中で成人向けの「社会的失言検出課題」というのがあるらしく、例えば

〈ミチル君はトシヒコ君の誕生日プレゼントにおもちゃの飛行機をあげました。トシヒコくんは「ありがとう」とお礼をいいました。
数ヶ月後、二人は一緒にその飛行機で遊んでいました。そのとき、ミチル君は飛行機を落としてしまい、飛行機は壊れてしまいました。
ミチルくんは「ごめんなさい」と謝りました。トシヒコ君は「気にしないで、これ好きじゃなかったんだ。誰かが僕の誕生日プレゼントにくれたの」と言いました。

※調べたものに若干手を加えました

みたいなお話。
で、〈さて、今のお話で、誰か何か言ってはいけないことを言いましたか〉
と質問して、それを指摘できるかという課題です。

正直に白状すると、社会的失言課題はちょっと苦手です。
文章として読むと、間違えないかなと思いますが、実際の場面になると、果たしてどうか。
なんかトシヒコくんの気持ちが少し分かるような気が。
一生懸命、気を使って社会的なふるまいをした結果、失言するという。
実際、大学生の十数パーセントは誤答するという結果もあるらしいです(自己弁護)。

どうでもよいこと

高校で話をしました。
多様性を前提にすると社会や学校はどうなるか、みたいな話をしようと思って、意図したようにできたか分からないけれどなんとか終えました。
多様性を考えず、生徒はみな同じとすれば、ひとくくりで指導できるので頭の中では効率性、経済性が上がります。それを一般化するといいます。

大切なのは一人ひとり、目の前のその生徒から考えていくこと。
必然、具体的な事例を考えることになります。

質問がいくつか出ました。
周囲の生徒へ当事者の生徒の困難さを理解させるよい指導方法はないか。
レポートが出せない生徒にどうすればいいか。
時間の管理や忘れ物が多い生徒にどう支援すればよいか。

いずれも高校ならでは、ではなく、馴染みのある質問でした。
だたし、これに簡単に答えるわけにはいかない気もしました。
なぜならば、自分その生徒を知らないからです。背景も原因も異なるでしょう。

そう、こういった質問は支援方法を一般化しようとする力をもっているのだと思います。
単純化すると分かりやすいし、やりやすいからです。

もちろん一般化できる部分もあります。

従って、「一般論ですが」と必ず前置きをしました。
せっかく多様性の話をしたのに。

一人ひとりみな違うと言っておきながら、実際には子どもたちを理解するときは、こういうタイプだなとか、よくあるな、とか過去の自分の経験とてらして、いくつかのパターンに当てはめます。
それをやらないと、時間的にも物理的にも情報処理的にもかるく自分の限界を超えてしまいます。

そんなに考え込まなくても。と思われるかもしれません。

例えばグラフにすると分かりやすい。それは、実は自分の頭に入りやすいというだけであって、世界は自分の頭に入るようにできているのかと問われるとそんなわけはない。
一般化が好きなのに、そうすることに若干の後ろめたさがあります。
ようするに多様性と一般性、具体と抽象を右往左往しています。
以前はだいぶ葛藤がありましたが、最近は、それでいいんじゃない、と思うようになりました。

学業不振について

特別支援教育コーディネーターへの研修会で話す機会がありました。
その中で学業不振のことを話題にしました。
というのも特に中学校から学業不振やそれに伴う相談がけっこう多くあるからです。

あらためて学業不振とは何かと問われると何と答えるでしょうか。
相談される先生のイメージは、とにかく勉強できないこと、テストで点数がとれないことというものが多いです。

知的能力 ≒ 学力 ⇒ 本来の能力を生かしている
知的能力 > 学力 ⇒ 能力を生かせないでいる
知的能力 < 学力 ⇒ 無理している

ということは、学業成績が平均以下でも知的能力に見合っていれば学力不振とはいわないわけです。
表面的な学業成績ではなく、自分の本来の力をうまく生かせているかが大切では。

だから、本来の力、ポテンシャルはどのくらいかを、どう見積もるかが大切ではないかと思っています。そうじゃないと、無理させすぎたり逆にこんなもんだとなる。

そんなこと考えたこともなかったようでした。
そうなのか。認識をあらためないと。



姿勢マネジメントと学習支援

筑波大学の松原先生をお呼びして「姿勢マネジメントと学習支援」の研修会を行いました。
今回ともう一回の2回シリーズで、事例研形式です。
長年様々な研修会に参加したり企画したりしてきましたが、特に校内研修では座学の研修会だけでは何か大きな変化は難しいことは既に証明済みなのではないかと思います。そこで実際の事例をもとに具体的に支援して経過を追っていく事例研形式をしたわけです。
これは、すでに奥田先生の事例研でも3年前からやっているのと同じ方法です。
キャスパーアプローチは、従来の姿勢の考え方に疑問を呈し、トレーニング的ではなく環境による工夫で改善していく考え方がよいです。その場でウレタン材の工夫をしてすぐに変化を目の当たりにすることができるわけです。というわけで2回目が楽しみ。

肢体不自由のある子のための座位姿勢チェック表

座位姿勢のチェック表職員研修会がある関係で肢体不自由のある子の座位姿勢チェック表を作りました。というか再現しました。キャスパーアプローチです。

実践の口頭発表

今回の学会では事例の口頭発表をしました。
実践発表で、基本的に、単一の事例です。
これによって何が明らかになったか。

一般的な意味では何も明らかになっていません。
特殊的な意味では、対象の子にこうしたらこうなった、程度のことは言えます、といったところです。
しかも、独立変数と従属変数、それらの因果関係まで検証していない事例なので、単一事例としても研究とはよべないレベルなのだと思います。
これが一般的な意味で「指導法Xをすれば~になる」レベルまで検証するとなると、群間比較をすることになりますが、日々実践するものとしては現実的ではありません。

というか、そもそも対象の子が同じ条件なんて現実にはあり得ないわけで、指導法XがAさんに有効だからと言ってBさんに有効であるとは限らない。
頭の中の理論が抽象で、現実が具体だとすると、正しいのは頭の中の抽象的な世界ではなく具体的な現実です。
それでも一般化すること(科学)は意味があると思いますが、具体的な世界がベースにあっての一般化ということを忘れないようにしたいものです。
ある実践がいかに評価され素晴らしいと言われたとしても、それをもって似たタイプだと思われた他の子へ乱暴に適用するのはおかしいし、柔軟さのない一般化された信念に出会うと、この人は目の前の現実よりも自分の頭の中が正しいと思っているんだな、と思ってしまいます。
特別な支援を必要とする子どもたちの存在は、どこまで行っても個別的な存在だし、一人ひとり違う。このことが、過度に一般化しようとする社会の中で意味することは大きいと思っています。

メタ認知と学習方略

学会でメタ認知のことを学んだのでメモと感想です。

以前こんなことがありました。

ある子が自分が未だ覚えていない漢字をノートに書いて提出しました。
普通に考えて何も問題はないでしょう。
でも、先生が指定した範囲ではなく、しかも同じ漢字を一行ずつという決まりを守らなかったとして、提出内容を認めませんでした。

極端な例かもしれませんが。

ところで、メタ認知は認知の認知と呼ばれる機能で、イメージ的には自分の認知や行動をもう一人の自分が上から眺めている感じかと思います。
これがうまくできると、いまやっていることや方法がうまくいっているか、このまま続行すればどうなるのか予測し判断しながら、工夫していくことが可能になると言われています。
メタ認知がうまく働くと当然、学習方法もよい方法を工夫していくことができます。ただ、最初からできるわけではなくて、だんだんできるようになっていきます。
5歳くらいまでは、他者から教えられた方法を使用することはできけれど自発では使用しない段階。
次に6~7歳くらいになると、方略の自発的使用が出始める。
そして、8~9歳くらいになると、自発的に方略を使用できる。
つまり、工夫してよりよく生きるという前頭葉機能は、小学生段階をかけて発達し続けると言えるようです。
なので、小学生の3年生くらいになっても、先生が言ったとおりにしか学習しない、または、させないようだと、せっかくのメタ認知を使わせないことになってしまいます。学習のゴールのためにどう工夫すればよいか、選ばせたり、考えさせたりすることがとても大切。にもかかわらず、考えさせないようにすることが多いような。選ばせたり、考えさせたりすると、時にはうまくいかなかったり、教師の予想外の行動をとったりするでしょう。
それを許容し、むしろ歓迎するくらいがよいのでは。

支援が必要な子の多くは前頭葉機能がうまく働かないことが多いとすれば、なおさらうまくいく手段を教え体験的に方略の使用を成功を持ってつかんでいかれる支援が必要なのではないか。

いきつくところは、「子どもが自分で自分にあった学習方略を獲得していくこと」、「やってあげる支援からやれるようになる支援」だということですね。

意図なき支援と意図ある支援

新しい学習指導要領はより具体的な内容や方法の例示が増え、懇切丁寧になった印象があります。
K-ABCの学会でも少し話題になったので小中学校の新学習指導要領解説の特別支援教育関連のところをざっと読んでみました。
ふむふむ。ぐうぐう。

改定の前のワーキンググループで検討されていたころの資料も公開されているので、そことあわせて読むとちょっと分かりやすいかなと思いました。
例えば「資料2-2 各教科等における障害に応じた配慮事項について(検討例)」
これによると、これまでは障害種別ごとの配慮例だけだったのが、それに加え、学習の過程で考えられる困難さごとに配慮例が検討されていました。まさに障害に応じた支援だけでなく、困難さで考えましょうという方向です。
そこでは、学習の過程で考えられる[困難さの状態]に対する[配慮の意図]+[手だて]の構成で例示してあり、注意書きに、「安易な学習内容の変更や学習活動の代替にならないよう、教員が配慮の意図を持つ必要」とまで書いてある。

意図を持てと。
逆に言うと、これまであまり意図がなかったでしょ。ということですね。
この障害にはこの方法、というように考えずにやってたのでは、思考停止していたのではという指摘。
確かにそういう支援ありました。どうしてそういう支援しているんですか?と尋ねると、前からそういうことになっていたから、とか。特別支援学校でもしばしばあります。
困難さのある子の共感的な理解とそれに対する意図ある支援をしたいものです。

ちなみに、学会で話題になったのは、資料の中に継次処理、同時処理というワードが頻繁に出てきたからでした。

懇切丁寧なマニュアル化は思考停止に至りやすい。しかし、そのマニュアルに考えてやれ、意図を持て、と書いてある。循環的な矛盾を感じてしまうのは気のせいかな。

京都の空

京都タワーK-ABCアセスメント学会で京都です。
秋を思わせる空ですね。

プログラミングを教えるというよりも

プログラミング












プログラミングをどうやって教えたらわからない大人が子どもに教えるとき、マニュアルに従って手順と正解を教え、間違えたら修正させ、同じようにできたかを評価するという風景は最悪なんだろうな。
実現したいことがあって、試行錯誤して近づいていくことが楽しいと思えるような機会になればと思う。
画像はScratchで息子とつくったブロック崩し風のゲームです。
これは、モデルとなるゲームのプログラムの一部を改変したり、新たに加えたりしてつくりました。

四角い車輪の三輪車


面白い。
何かができるって環境との相互作用だということがよくわかる。
つまり、障害も能力も同じことをいってたわけだ。
身体に帰着されるものではない。
障害のある子たちの支援環境がいかに大事か。

信州カンファ2018-24クロージング

クロージング












いちどやってみたい「えー」
芸のうちなのでむりですが。
はじまっちゃうとおわっちゃうので寂しいですが楽しかった。

研究の評価の軸が「興味深い」とか「面白い」だったのが、「有益だ」「役立つ」に変化してきた、と聞いたことがある。
そして、今はどうだろう?もしかしたら、「役立つ」すら怪しくなっているんじゃないか。いかにお金がとれるか、とかブームになっているからとか。誰かから評価されるかとか。
自分にとって面白いと思えるか、楽しいと思えるか、そういう好奇心に満ちた生き方、それが支援者としても影響することは明らかだと思う。
個人の印象だけれど、ふりかえって信州カンファも「楽しい」というワードを使うことに躊躇した時期があったように思う。それは、強いられた楽しさに対する違和感だったように思う。
「楽しさ」は人からどう思われるかより自分が感じていく世界なのだ。
そんなことを感じた信州カンファだった。

信州カンファ2018-23教材くらふとワーク

教材くらふとワーク
Blueprint興味深々
あおやき















くるくるぺったん こういうのわりと好きくるくるぺったん



ポップアップカード
いつか教材で使いたい
いつか型紙から自作したい
ポップアップカード


















3Dプリンタ体験楽しそう
3d















走れ!宇宙人 これに研究費をつけよう
走れ宇宙人他にもたくさんあったけど写真がとれずざんねん。

信州カンファ2018-22教材ぷらっとホーム

大学同期のO先生の光るVOVA
丁寧なものづくりだなと感心。
教材ぷらっとホーム3














ヘボカンより
ははは。
ヘボカン1



















タワッチボカッチ
巨大タワシのタワッチをボカにしたのか。
これ見た瞬間、巨大化した古代生物を思い出した。
ヘボカン2
教材ぷらっとホーム1
















実はこれ一番びっくりしました。「なんだこれ!」って叫んでた。mapleさん作。流石。

信州カンファ2018-21境界知能

ポテンシャル












「こんなもんだろう」
支援者が設けたその檻は、支援者自身の支援をしばる定義にもなってしまう。
そして、子どもも「こんなもん」として処遇されてしまう。
そういう支援者のひとりよがりな子どもの見方に疑問をなげかけるために、「境界知能だとされた子どもの能力は正当に評価されているのか?」とやや挑戦的なタイトルでした。
言いたいことが言えたのか、伝えたいことが伝わったのか疑問ですが、自分がやったのでもない素晴らしい実践例にすくわれました。

信州カンファ2018-20シンボルサイコロ

シンボルサイコロ












どうでもよいですが教材くらふとワークなのかクラフトわーくなのかときどき分からなくなります。

くらふとワークですね。

今回はシンボルサイコロをやってみました。
シンボルサイコロは、この1年だいぶ活躍した教材です。
6面サイコロって自作すると、ころがりにくい、紙でつくると壊れやすい、小さく作るのが難しいなど、思うようにできなかったんですが、一応これに落ち着きました。
bo-symbolのおけげでかわいくできました。

多くの方にお立ち寄りいただき、今回113個のサイコロが世に出ました。
6面はって完成したみなさんが満足そうで嬉しかったです。
ありがとうございました。

信州カンファ2018-19二日目オープニング

シャーマン












bo-ya氏ついに実用性ゼロのまじないロボットを発明か。
暗闇に目が光ってる。
そんなノリで2日目もスタート。

無駄づくり。
信州カンファ自体この世に存在しなければならないものか?
なくても淡々と世界は続いていくだろう。
そういえば、いつか京都でbo-ya氏とYajic先生と飲んだとき、人生で絶対にしなければならないことなんて何一つないっていう話になったことがあったっけ。
誤解ないように加えると、矛盾してるようだけど、そうはいっても日常はやりたいことをするためにやらなきゃならないことはきっちりやるんですけどね。
そんなことを思い浮かべた瞬間でした。

信州カンファ2018-18

教材くらふとワーク2日目―
教材くらふとワークの準備から
天才mapleさんの空間デザイン炸裂














「矩形から立体へ」
矩形を立体に1
矩形を立体に2
















信州カンファ2018-17懇親会

お土産












信州カンファ夜の部=懇親会
こんかいのお土産です。

信州カンファ2018-16教材の鉄人2

料理の鉄人2












真剣に語ったと思ったら、思いっきり遊ぶ。
この両極端に舵を切りながらすすんでいく。
ほんと、稀有な会だな。
信州カンファ
         8月4、5日、長野大学で開催
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