適応というけれど、適応する先が適応した方がいい社会とは限らない。
当然、学校不適応は学校という社会が正しくあって、そこに適応できない子なのではないだろう。

行動障害が劇的によくなった子のケースを振り返ると、学校の既存の枠組みに適応したのではなくて、例えば新しいオリジナルの日課とか個別の活動ベースとか、集団活動ではない既存の学校の枠組みを壊してつくり出された新たな枠組みをの中で成立していることが多い。

その子にとって適応したらよりハッピーな環境とは何かを考えつくっていくことが大切なのだと思う。