2010年12月01日

アイマスの話は煮詰まったので、ちょっとお休み。まぁ、発売も2月24日に決まったし、それまでにはなんとか。

iPhone4を買った。確か、日記には書いてなかったはず。
 一番使っているのは、メールのチェックと、Twitterのツイートで、これはEMobileを使っていた頃と変わらないのだけれども、他にもNドライブにあらかじめMP3を突っ込んでおいて、iPodに入っていない曲をオンラインで再生したり、ふと、聞きたいyoutubeのアプリを利用したりして、スマートフォンらしさを謳歌している。

 それにしても、外での仕事が楽になった。
 これまでは、それなりの文章を書こうと思えば、macbookを持ち出すか、ネットカフェなどで作業をする必要があった。するとどうしても「今日は仕事をするから、macbookを持っていこう」とか「アイデアが浮かんだけど、ネットカフェに行くか、携帯電話にメモするか」という選択を余儀なくされていた。
 ポメラも持ってはいるが、結局は使うテキストをあらかじめ選択してSDカードに入れておく必要があり、「今日は外で必要しよう」という、絶対的な選択が必要になる。逆に言えば、その選択をせずにアイデアがでたときは、ネットカフェにお金を払うか、家に帰るかしかなかった。
 そうした意味で、いつでも持ち歩くiPhoneと、折畳みのBTキーボードさえあれば、どこでも1000、2000字程度の文章をほぼノンストレスで書ける環境が常にあることは、すごい進化。

 そうした環境を強力にサポートするのが、オンラインストレージの「DropBox」と、iPhoneのアプリケーションの「Textforce」
 DropBoxにあるテキストファイルは、標準のDropBoxアプリでは、別のテキストアプリにコピーして編集をする必要があるが、TextforceはDropBoxのファイルをそのまま読み込み、そのまま編集することができ、自動的に保存してくれるので、あたかもDropBoxに置かれたテキストを、直接編集しているかのような使い心地。
 デスクトップでのDropBoxの使用感を、ほぼiPhone上で再現できる。
 もちろん、そうして書いたテキストは、DropBoxの機能によって、自動的にmacやwindowsでもアップデートされ、その続きは家でじっくり行うことができる。
 まぁ、欲をいえば、Textforceの編集機能が、書き込めるだけで他にほとんど機能はなく貧弱なので、「iText Pad」並の編集機能が欲しいとも思う。というかiText PadがDropBoxに対応してくれたら最高なんだけど。
 それでも、いまのところTextforceが、iPhoneアプリの中では、もっとも買ってよかったアプリですな。

 ついでに、このリンクからDropboxに登録してもらえると、私のDropboxの容量がアップするので(登録する人も、通常の2GBプラス、容量が250MBアップするはず)、もし使いたい人がいたら、ここからよろしくです。
 iPhoneで使わなくても、winにmac、そしてlinuxでもつかえるし、テキストファイルの同期程度なら、自宅での共有であっても、LANで共有よりスマートに共有できますよ。



(22:49)

2010年10月17日

タイトルを縮めました。

 さて、前回の要点をまとめておく。
・現在のアイマス人気の大きなきっかけとなったのは、360版発売とニコニコ動画。
・現在のアイマス人気はアイマスのキャラクター人気であり、「声優人気→キャラクター人気」という道筋をたどったわけではない。

 後者については多少解説不足な部分があったかもしれないが、声優人気ありきでキャラクターにその人気が産まれたのではなく、キャラクター人気から、その声優も人気に、という筋道をたどったということで、決してアイマス声優が不人気という話ではないので、念のため。

 さて、前回はアイマスの概略を紹介したが、アイマスは、アーケードからは5年、360版発売からも3年以上経ったコンテンツである。
 この間に、地上派やインターネットなどのラジオ、CD、またはコンサートなど、声優を通してアイマスのキャラクターたちはファンに対して広くアピールされていった。
 とはいえ、昨今のゲーム業界の事情を考えても、いきなり大きな会場を借り切ってのアピールなどはそうそうできず、小さなイベントをこなしつつ、700ほどの赤羽会館や、2000人ほどの新木場のスタジオコーストなど、徐々に客数を増やして行った。そして2010年の5周年記念ライブでは、幕張メッセの2Daysを成功させるに至った。
 そうした意味で、アーケードの初期から関わっているユーザーはもちろん、360&ニコニコ以降のユーザーも巻き込みつつ、アイマスというコンテンツは、ファンと一緒に育っていったと言えよう。

 ただ、それは前回記したように、「アイドルマスターというゲームの人気」というよりは、「アイドルマスターという作品を通して産み出されたキャラクター人気」である。
 この辺の話を、もう少し掘り下げるために、「ニコニコ動画」における、アイドルマスターの話をしておきたい。
 前回紹介したアイドルマスターの動画は、ゲーム画面そのままの「公式」のアイマスであったが、アイドルマスターのキャラクターたちは、さまざまな「MAD」の素材として利用された。
 もっとも分かりやすいのが、別の歌手やアーティストの曲に、アイマスのキャラクターのダンスなどを合わせた「コラボレーション」、ニコニコ動画のタグで言えば「iM@SコラボPV」である。
 中でも「わかむらP」が制作した、『アイドルマスター Perfume パーフェクトスター・パーフェクトスタイル PV風』は、一説には、当時、知名度が高いとは言えなかった「Perfume」の知名度を広め、CDの売り上げなどに貢献したとも言われている。

 他にも、歴史やゲームの登場人物を、アイマスキャラに置き換えた「iM@S架空戦記シリーズ」
 キャラクターを使って物語を紡ぐ「Novelsm@ster」
 アイドルたちと観光地などを巡る「iM@S架空旅行記」「旅m@s」
 果ては、アイドルたちがクトゥルフ神話にまつわる、さまざまな恐怖と混沌に巻き込まれる「いあいあM@STER」
 など、きわめて多岐に渡る。最後はニッチすぎて、申し訳ない。

 こうした「アイマス動画」が、ニコニコ動画の発展期を支え、日本における「動画サイト」のあり方を、方向づけたと言っても、決して過言ではないだろう。
 今でこそ、動画の投稿数などの勢いは、「ボーカロイド(初音ミクなど)」や「東方(同人シューティhングゲームを原作にした、一連のキャラクター群)」の方が強いが、それでもニコニコ動画の「御三家」として、良質の動画が、今もなお供給され続けている。

 ここで明確に意識するべきなのは、こうした公式ではないコンテンツにおいて、アイドルたちはもはや完全にキャラクターとして独立しており、元のゲーム性をほとんど有していないということである。さらには、こうした作品群の中では、彼女たちの個性すらユーザーの解釈の元で変化している。
 特にいじられがちなのが、アイドルマスターのメインヒロインとして位置づけられている「天海春香」である。公式では「歌が大好きで、ちょっとドジな普通の女の子」として設定されているのだが、これらの動画の中では、素直なふりをしているが計算高く、決して陰湿ではないもののあざとい性格として扱われたりする。また、嫉妬深いヤンデレ気質の「黒春香」(下記動画、上)などは、春香を利用した動画で、比較的よく見られる性格付けである。また、春香を演じる声優の中村繪里子さんのお歌が、数年前まではちょっと残念なところがあったりしたため(下記動画 下 最初に歌う赤い服が中村繪里子)、ゲーム内ではボーカルのステータスが高い春香が、音痴なキャラとして扱われたりもする。

 もちろん、他のキャラクターについてもそれは同様で、いろいろと大げさな性格描写をされたりするのだが、そうしたことも含めて、アイマスのキャラクターたちはファンと、5年間もの間、繋がりを築いてきたのである。
 最後に、気づいた方もおられるとは思うのだが、ここまで私は、アイマスにユーザーサイドから関わる人達を、一貫して「ファン」と呼んできた。
 しかし、アイマスのゲーム内において、プレイヤーは「プロデューサー」と呼ばれている。プレイヤーは765プロダクションのプロデューサーとなって、アイドルたちを成長させる役割を追うのである。
 プロデューサーという言葉は、本来、ゲーム内の呼称でしかないのだが、上記のような関係性は、まさに現実においてもゲーム内のプロデューサーとアイドルの関係そのものであり、アイマスのファンは自らを「プロデューサー」と呼んでいる。プロデューサーたちは、単なるアイドルマスターシリーズのファンというよりも、「自分たちが育ててきたコンテンツである」として、そのことを非常に大切に思っているのである。

 ここまでが、これまでのアイドルマスターをめぐる話。
 次回からは本題の、アイドルマスター2にまつわる騒動に踏み込んでいきたい。



(06:09)

2010年10月14日

さて、今回からアイドルマスター2をめぐる話を書いていく。

 まず、『アイドルマスターシリーズ』とは何かということについて。
 アイドルマスターとはナムコ(現バンダイナムコゲームス)が、2005年7月に稼働を開始した、アーケード用のアイドル育成シミュレーションゲームである。
 と、このままゲームの概略の紹介をすると、「Wikipedia THE IDOLM@STER」の丸写しになるので概略そのものはそちらを参照していただくとして、ここではアイドルマスター(以下 アイマス)と、ファンとの繋がりについての概略を。

 アーケードのみが稼働していた時代は、一部にコアなファンがいて、ブレイクに至るための熱気は高かったものの、けっしてゲームに関わる人達に、その内容が広く知られたコンテンツとは言えなかった。
 自分としてもこの時代のアイマスは、まったくと言っていいほど知らないのだが、その当時にアイマスに関わっていた人達のBlogなどを読むと、その当時のコアなファンたちの熱気は、すさまじいものがあったのだと感じさせられる。
 とはいえ、当時すでにゲームやアニメなどのキャラクタービジネスと、声優のアイドル化という現象は、決して珍しいものではなく、一種のビジネスモデルとして確立していた感があった。
 そうした状況で、アイマスへの熱気が、その他の同等のコンテンツの熱気と、どのように違ったのか、もしくは同じだったのかということは、そうした記録を読むだけでは、残念ながら理解することはできない。
 ただ、少なくとも当時の熱気が、今なおアイマスを支えていることに間違いはなく、結果として、アイマスの秘めた熱気は、その他のコンテンツと違い、持続的なものであったと言える。

 自分とアーケード時代のアイマスの関わりを記しておくと、当時「クイズマジックアカデミー」の掲示板に、「ナムコがこんなアイドル育成ゲームを出すらしい」という書き込みがあったことから、アイマスの存在を知ることとなった。しかし、その当時の私は、その掲示板での多くの反応とおなじように「アーケードでギャルゲーか。ナムコ始まったな」と、アイマスを冷ややかに見ていた。
 私が当時住んでいたのが実家の方で、アイマスをおいてあるゲームセンターはあったが、そのゲームセンターもなくなってしまった。そして結局、今年の9月にアーケードのオンライン接続が終了するまで、アーケードのアイマスに触れることはなかった。

 そうした中で、多くの人にアイマスが知られるキッカケとなったのは、「Xbox360版」の発売と、その動画がアップされた「ニコニコ動画」の存在だろう。(正確には、当時のニコニコ動画は、youtubeなど、他の動画サイトにアップされた動画の上に、コメントを流すサイトであった)
 2007年の1月に発売されたXbox360版のアイドルマスターは、モデリングがアーケード版から大きく進化した。ゲームの3Dといえば、FFシリーズのようなリアルな3D感にこだわるソフトが多い中で、「顔や目が大きく頭身が小さい」というアニメやマンガなどの2Dの特徴を程よく捉えたアイマスの3Dは、特徴的な3Dモデルとして人目を引くものであった。私も秋葉原のゲーム展で、始めて360版アイマスのプロモーションビデオを見たときに、単純に「これがポリゴンかー。すごいなー」と思ったのを覚えている。
 また、当時youtubeなどの動画サイトがインターネットコンテンツとして注目される中で、そうした「特徴的な動画」を欲していたユーザーにとって、アイマスはちょうど良いコンテンツであったのだろう。
 当時、ニコニコ動画で特に注目されたのは、キャラクターの一人である双海亜美が、アイマス内の楽曲「エージェント夜を往く」を歌う動画であった。

 初期のニコニコ動画は、動画の内容などにコメントでレスを寄せるというよりは、コメントが流れること自体が新しい体験であり、皆で同じタイミングでお約束のコメントをつけることが流行していた。
 この動画においても注目されたのは、亜美が「溶かし尽くして」と歌うところが、どう聞いても「とかちつくちて」としか聞こえないという部分であり、この部分になると「とかちつくちて」という文字列が動画を塞ぐほどに流れる様子に、ユーザーは一体感を覚えた。
 アーケードでは、大器晩成型ではあるものの、初期パラメータがきわめて低く、苦戦しがちなことから、遠ざけられがちで、人気ランキングでも下位常連であった亜美が、動画サイトでのアイマス動画人気の先鞭を著けたという事実は、ニコニコ動画以降のアイマス人気が「アイドルマスターというゲームの人気」ではなく、「アイドルマスターという作品を通して産み出されたキャラクター人気」であるという、アイマス人気の方向性をハッキリと示している。
 人気の方向性という話をもう少し詰めておくと、多くのアニメ作品などのキャラクター人気は、声優人気に支えられていると言えるが、現在のアイドルマスターのキャラクターを演じる声優の中で、声優業界においてもっとも多くのファンを抱えているのは間違いなく、水瀬伊織を演じる釘宮理恵である。一般にも広く知られる「ツンデレ」という言葉を社会に認知させたのも彼女といっても過言ではなく、ツンデレの第一人者として認識されている。しかし、アイマスキャラということを考えると、他のキャラクターと比較した場合の、伊織そのものの人気は高い方ではない。
 このことは、アイマスのキャラクター人気が、決して声優人気から生じたものではなく、声優業界の事情とは独立した形で、キャラクターそのものとして独立して確立しているということを示している。

 最後に、肝心のゲーム内容については、この動画の流行によってかなりの誤解を受けていたと記しておこう。あくまでもアイマスは「アイドル育成シミュレーション」であり、女の子のおっぱいを触ってフヒヒなどというゲームではない……うん、ない。

ー続くー



(19:53)

2010年10月11日

すこし遅くなったが、氷河期世代ユニオン主催の「考えよう、若者の雇用と未来 −働くことと、生きること−」のイベントに参加してきた。

イベント参加者の写真

 ちょうど先日、韓国に入国できず強制送還になった「素人の乱」の松本哉さんがいらっしゃったので、「強制送還おめでとうございます」と挨拶すると、「みんなが、おめでとうございますと言ってくる」と笑っていた。

 第一部は、氷河期世代が見聞きしたことの話。
 第二部が、現在の就活世代の話。
 第三部が、広い世代を揃えた、世代横断的な話。

 一部と三部は自分も出ているので、二部に対する感想を少々。
 最近は、一度社会に出ても転職をするというのは当たり前になりつつあるが、それまでの世代にとっての就職活動というのは、一生に一回、学校を卒業する時だけに行うことだった。
 そうした時代に就職活動を行った人たちの大半は、経済成長著しい、緩やかな売り手市場の中で就職活動を行ったために、就職活動に楽なイメージを持ったままである。
 彼らは、今の就職活動に苦しむ学生たちを、良くても「苦しむのは良い経験」くらいにしか見ていない。
 しかし現実は、新卒カードを用いることができる最初の一歩の正否が、今後の人生にクリティカルに関わってくるのであり、就活失敗への恐怖は、人生そのものを失いかねない、死の恐怖に等しいのである。それはどこかの都知事が言うような「教育のための徴兵制」のような、人を人とも思わない、恥ずべき言説である。
 大学生たちは勉学や部活などを行う余裕もなく、1年生のころから就職活動の準備を進めている。今や、大学での勉学はおまけであり、本質は選抜制ハローワークに過ぎない。
 「就活」という言葉は、決して大学生が就職活動をしていることそのものを表す言葉ではなく、ハローワーク化した大学や、リクナビなどの就職サイトを含めた就職産業と、それを利用して学生の人生を選抜のために一方的に利用する会社、それらとの大学生たちの関わり。その体系を指した言葉なのではないか。
 だから「就活くたばれ!」というスローガンはストライクだなー。などということを、二部を見聞きしながら思った。

 自分の発言としては、人数が多く、言いたいことを全部しゃべることは不可能と判断したので、第三部の最初に、話したいことの要点は先に話してしまった。
 発言の要旨は、
「もう、自分は35歳であり、オッサンである」
「オッサンをいつまでも若者扱いする社会はおかしい」
「オッサンにはオッサンにふさわしい社会的役割が存在するはずであり、それを与えるのが社会の役割だ」
 ということ。もし会場で違うふうに聞こえてたらゴメン。

 こうした考え方を「クレクレだ」と批判することは簡単だけど、それは社会が持つ「承認」という重大な機能からの逃避であり、「社会責任」の放棄といえる。
 今回はさまざまな人が登壇したわけだが、その中の誰一人として、社会の中での自らの役割を希求していない人はいなかった。
 友人であった大友さんの言葉を通して聞いた、秋葉原通り魔事件を引き起こした加藤智大だって、労働という形での承認を希求していた。
 だが、労働という承認の形は、もはや日本人のすべてに承認を与えることは不可能である。なぜならば、労働の形は多種多様であるのに関わらず、今の日本では正社員という、「生活を営めるだけの給料を得られる賃労働」にしか、承認を与えていないからである。
 では、右肩上がりの経済成長の時代には、そんな承認が十分であったかといえば、実は人口の半数にしかそうした承認は与えられていなかった。すなわち、男性のみがその承認を得て、女性を自らの承認(家族)のために囲い込んでいたというのが、かつての日本社会の現実であった。
 それが女性が社会進出をするに従い、また、不況になるに従い、承認を得られず、かつ承認された誰かに養われることもできない人達が増えてきたのが、現状であろう。

 だから私は、社会に対して、昔ながらの家族概念である「家庭を持つ」「子供を育てる」という役割を要求する。
 それは、私が実際に家庭を持ち、子供を育てるような役割を得たいと考えているのが1つ。
 そしてもう1つが、社会的役割を明確に希求することにより、いいかげんオッサンをモラトリアムのように扱っていいという社会的風潮に、異議を申し立てたいということ。
 オッサンが家族も持てず、子供を育てることができないのは、彼らが自ら、家庭を持たず、子供を育てなくてもいいと選択しているのではない。
 就職氷河期世代は、フリーターであることも、薄給であることも、苦しいことも、承認をえられないことも、何一つ選択させていない。就職氷河期世代にそういう人生を歩ませているのは、社会そのもの、そしてそうした社会に暮らし、他人を蹴落としながら、安穏としている人達なのである。



(22:23)

2010年10月02日

本日19時より、阿佐ケ谷ロフトAで、「考えよう、若者の雇用と未来−働くことと、生きること−」というイベントに出演いたします。出演者は以下の通り(プラス、シークレットゲストがいるらしい)。お時間があれば是非。
 あと、二コ生もありますので、遠方の方はこちらで。

司会
荻上チキ(批評家)

出演
雨宮処凛(作家)
赤木智弘(フリーライター)
山内太地(大学ジャーナリスト)
ペペ長谷川(だめ連)
大友秀逸(加藤智大被告の元同僚)
清水直子(ライター・フリーター全般労働組合)
塩見孝也(元赤軍派議長)
増澤諒(就活生の本音フェス実行委員会代表)
大瀧雅史(就活くたばれデモ@札幌・首謀者)
AT(氷河期世代ユニオン)ほか ※ 敬称略

参加費:
前売1500円/当日1700円 (8月25日よりローソンチケットにて販売開始)

『代替医療のトリック』読了

 分厚いけど、文字の密度はさほどではなく、文体も平易で読みやすかった。
 まぁ、JCCastで代替医療の話は何度か取り上げているので、予備知識はそれなりにあるから、スラスラ読めたのかもしれないけど。

 本自体に書かれた話としては、《科学的根拠に基づく医療》エビデンス=ベースド・メディシンが、いかに公共の利益に添うものか、そしてエビデンスに基づかない代替医療が、人の生命を危機に追いやるかという話。
 私は、本を読みながら「我々はどうして、権威よりも、身の回りの「真実」とやらに、騙されてしまうのだろう」ということを考えていた。
 それこそ「ネットで真実」の方たちは、新聞やテレビで報じられるものを「マスゴミ」と揶揄し、自分たちが【拡散】する情報こそ、マスゴミが必死になって隠す本当の真実だと思いたがっている。
 もちろん、現状のマスコミが《客観的根拠に基づく報道》だなんてはずもなく、とても堕落しているけど、だからといって、じゃあネットの真実を伝えてくれるニュースサイトは堕落していないのかと。ネットで真実と言う人達ご用達のニュースサイトは、それこそ「曖昧なソース」「露骨な印象操作」にまみれている。そして、マスゴミが金で報道を切り売りするように、ニュースサイトはアフィリエイトで金を稼いでいる(そう書いているこの文章の冒頭に『代替医療のトリック』のアフィが貼ってあるのは、ご愛嬌)。そして、お金を稼ぐために、他サイトにヘッドラインを引用されたときに、できるだけ目立たせようと、読者の目を引くヘッドラインを演出している。
 簡単に例をもってくると、例えば経済学者の森永卓郎が、秋葉原にアダルトショップが増えていることへのコメントをしているこの記事。
 これがニュースサイトに引用されると。「森永卓郎氏「オタク男性の“二次最高・二次元で満足”は嘘。女性に相手してもらえないので逃げている」
 となる。カッコ書きで、まるで森永の発言のようにされている内容は、この記事の中には「ない」といって過言ではない。
 この記事もそうだ、楽天の三木谷浩史が基調講演を行った中で、「日本語で1時間もしゃべったのは久しぶり」としゃべったことが、ニュースサイトに取り上げられると「楽天・三木谷社長が講演「やべー日本語で1時間もしゃべったのは久しぶりだわー」」と変化してしまう。もちろん三木谷はこんな地獄のミサワのような口調でしゃべってなどいない。
 最近のニュースサイトは、こうしたヘッドラインでの印象操作合戦を繰り返しており、東スポやゲンダイも真っ青で、どれだけ堕落したマスコミといえど、ここまで酷いものはほとんどないという状況であるにも関わらず、いまだに「ネットにこそ真実がある」と信じている人達は、決して少なくない。彼らと代替医療にのめり込み、お金と生命を浪費する人たちは、私からは同類に見える。

 たぶん、どっちも「心地がいい」のだと思うね。
 自分が「何となく信じている」ことを、面と向かって肯定されることは、誰だって気持ち良い。
 それが、細かな違和感を無視して、自分を肯定してくれる方向へ突き進んでしまう。「それは間違っている」「もっとよく考えるべきだ」という否定の声は、耳障りの悪いノイズに変わり果てる。体感として正しいものを、理性は容易に乗り越えることはできない。
 とはいえ、それが自分の命や知性を危機に晒すだけであれば、勝手にやってくれればいい。それは「愚行権」の範疇であり、愚かしい趣味もまた、その人の人生を豊かに彩ってくれる。
 しかし、こうした人はたいてい、それを善意の元に他人に広めようとする。否定の声はむしろ「この真実を伝えなければならない」という天啓を伴ってしまう。そして、曖昧でいい加減でせいぜい「友達の友達の知り合いがこんなことを言っていた」程度の情報を信じてそれを広めようとする。医者やマスコミという鼻持ちならない権威より、友達の友達の知り合いの方が信頼できるのだろう。もっともその人間が誰で、何をして生計を立てているかなんて、誰も知りようが無い。自分の作ったデマ話で金を儲けて高笑いしているかもしれないというのに。
 そしてそうした【拡散】の被害にあうのは、いつだって子供や動物といった、立場の弱い者たちだ。ホメオパシーは明らかに「子供や動物を飼っている親」をターゲットにしている。『代替医療のトリック』の中にも鮫の軟骨にガン抑制の効果があると信じ、子供をガンで殺してしまった親がいたという話が出てくるが、嘘か真か、ネトウヨの中にも子供にネトウヨレベルの知識を教え込んでいる親がいるそうだ。

 代替医療の問題は「明確なエビデンス」を持ちながら、それでもなお、インチキとしか言いようの無い代替医療が蔓延り、決して少なくない支持を得て現実に人の健康を損なっている現状を示している。ならば、すべてがケースバイケースで臨床試験などしようがない政治や社会の問題において、幼稚で暴力的な言論を排除していくことは、きわめて遠い道のりである。



(03:56)