2010年09月30日

今日から、アイドルマスター2に対する拒絶反応ともいえる、ネット上の反応について、しばらく考察していこうかと思います。こればっかりは、いまのところ、自分が仕事できる場所に掲載できる類の原稿ではないので、Blogで。
 とはいえ、単純にゲームの話をするのではなく、オフィシャルとユーザーの関係性や、ファン同士の関係性を論じ、最終的にはネット上の炎上や、論評や批評の意味までを組み込んで、ゲームに留まらない文脈まで、もって行ければいいなと思っています。しばらくお付き合い下さい。

 私としてはもう少し考察を重ねるつもりでいたのですが、昼間たかしさんにコメントを寄せた記事が「「やっぱり、騒いでいるのはネットだけ!?」あまりに空虚な『アイマス2』918事件」出ており、私が考えていることの体系が、決して「生粋のファント騒いでいる人の二元論で論じているのではない」ということを、早急に提示する必要性が生じたので、前倒しで。

 今回は前置きとして、私がどのように「アイドルマスターシリーズ」に接しているかを明記しておくと、存在を始めて知ったのは2ちゃんねるで「クイズマジックアカデミー」のスレッドを見ている中で、「アイドルマスターというアイドル育成ゲームがでるらしい」という書き込みで知りました。
 それからアーケードが出回りましたが、お金もかかりそうなので、アーケードは未プレイ。
 それからしばらくして、なんだかんだで出発点はニコニコ動画でのアイドルマスター動画、いわゆる「ニコマス」からアイドルマスターシリーズとの関わりは始まっています。
 プレイしたのは、無印、L4U、PSP(ムーンのみ)、DSと、家庭用ゲーム機のシリーズには一通り触れています。ただ、いずれも「やりこんだ」というほどはプレイしていません。
 だから、アイマス知識のベースとしてはニコマスです。千早は万かつサンドが大好物で、怒らせるとPC枕木で殴られます。それは特定の旅m@sだけですか。そうですか。

 軽口はともかく、次回から集中的に「9.18事件」とも呼ばれるできごとを中心に、いろいろと論じていきたいと思います。よろしくお願いいたします。



(23:05)

2010年09月18日

また、腰が痛くなってきた……

今週のBLOGOS連載は「スマートフォン市場では何が有料であるべきか」
 食べログのアプリ騒動から、何に対して課金をするべきか、するべきではないか。を考えます。

『マガジン航』に「読者視点で電子書籍を考えてみる」を寄稿しました。

常岡さんが、無事お帰りになったので、一安心です。
 常岡さんには一宿と2、3飯ぐらいのご恩があり、またJCCastにも、これまで何度か出演していただいています。
 いずれも興味深い話が聞けるのですが、個人的に必聴なのは第5回の「chapter4日本と世界の通信業界」と、第15回の「chapter 1 ナイジェリアのIT事情」でしょうか。
 今では「ガラケー」で通じるほど、ガラパゴス携帯問題、すなわち日本の携帯が世界標準から取り残されてしまっていることは、よく知られたトピックですが、日本で語られるようになったのは、2008年の7月にiPhoneが日本で販売されて、しかも普及までしばらく経って以降ですから、かなり早い時期に、この問題を話題にしていたということになります。
 私が、フルキーボードがついた「スマートフォン」という形式の携帯電話の存在を知ったのも、たしか第5回のときだったと思います。

第5回 常岡浩介氏を迎えて
第15回 常岡浩介氏を迎えて #2
第28回 常岡さんの見たアフガニスタン(と『東のエデン』)

 あ、そうそう、最新のJCCastは「多摩ニュータウンをめぐって」です。こちらもよろしくどうぞ



(23:42)

2010年09月06日

アルバイトを「紹介してくれる人」を募集しております。
 条件としては、「池袋・新宿周辺」「週2程度で月8万円程度」「接客や営業以外」となります。
 もちろん、これらの条件に付いては応相談ということで。
 ちなみに、接客や営業以外という条件のことですが、接客については、既に7年近いコンビニバイトや、ハンバーガー店などでのバイトにより、これ以上、自分のスキル形成に繋がらないので、できれば避けたいと考えています。また、普通に自分でアルバイトを選んだ場合、安易に接客を選びがちであるというのも理由の1つです。
 もう1つの営業については、自分の性格として、営業等は無理であり、仕事にならないことは明らかと考えています。

 これをTwitterに定期的につぶやいているのですが、面白い反応がいくつか帰ってきました。
 1つが「週2で月8万円が“おいしい”バイトである」という反応。
 もう1つが「こういうバイトはどうか」という、アドバイスです。

 まず、前者について。
 週2日に付いても、月8万にしても、どちらも私の要望に過ぎず、もう少し安くてもいいかと言われれば、私としてはそれでもかまわないのです。重要なのは、連絡をとって、条件を詰めることであり、文面だけ見て「そんなおいしいバイトあるわけない」と反応されても「しらんがな」としか、言いようがありません。
 仮に、世の中にそういう仕事が「ない」とすれば、週5日、8時間働いた場合の日本の平均年収は240万円以下ということになりますが、そんなハズはないですね。

 後者について。
 どうして「紹介してくれる人を募集している」と明示しているのに、アドバイスをする人が後を断たないのでしょうか?
 なぜ私がわざわざTwitterでつぶやいているかといえば、こちらから仕事を探すのでは、自分の視野がせまく、安易に接客などを選びがちだというのが1つ。もう1つは、バイト先との対話を重要と考えるからです。
 最近は、くら寿司が新人研修で内定取り消しを強要したとされる問題などが話題になっていますが、こうした雇用主からの被雇用者への一方的な押し付けというのは、「被雇用者が雇用主に就業をお願いする」ことが中心となってしまった就職市場の歪みであると考えています。
 本来であれば、仲介者であるハローワークや、大学の就職部などが、相互の利益を調整しなければならないのですが、日本における「賃労働」の意味、単純に言えば賃労働が日本人としての自尊心を得るための必須条件であることを考えれば、そうした調整がちゃんと働かず、雇用主が強くなってしまう事も道理です。
 ですから、私は雇用の前に、雇用側から労働者に声をかけ、雇用側に一種の責任を負ってもらう必要性があると考えています。

 念のために言っておきますが、私は権利を声高に主張する労働者ではありません。
 私が、もしそんな労働者だったら、7年もコンビニでバイトをしていません。
 だからこそ、実際に働く前に、最低限の条件を主張しておきたいのです。

 というわけで、アルバイトを紹介してくれる方を募集しております。
 詳細については、いろいろと応相談です。メールはこちらまで。



(17:46)

2010年07月24日

田原総一朗がしゃべり出して、30秒で決着がついた。
 「若者不幸社会」なる議題で始まった、昨日の『朝まで生テレビ』は、最初に田原総一朗が「僕が若い頃は、親に仕送りをしていた(から不幸だった)。ところが今の若い人はそうではない(から不幸ではない)」という主旨の発言をし、それに対する反発が出なかった時点で、もはや終了していた。
 もちろん、あの場にいたメンツを責めるつもりはない。司会者が最初に自分の意見を述べるのは当然であり、普通はそこに意義を挟むようなことはしない。自分だってあの場にいたら、反発を思いながらも、それを止めることはできなかっただろう。
 だが、やはりあそこで、「親の面倒を見られることは幸福なのだ!」と反発するべきであった。

 確かに、それは結果論であるともいえる。田原世代の若者が、親にお金を送りながら、自分はぜいたくはできない。彼らはその当時に不安の中で生きてきたのであろう。しかしそれは結果論であると同時に、過去のことである。今の若者を自らを見比べた場合に「今の若者の方が幸せである」と思える事が、どれだけ恥ずべき事か。そのことを指弾する必要があった。

 若者に親を支える役目が課される、家族をもつ役目が課される、会社で働く役目が課される。そうして社会に役割を与えられ、“徴用”される事は、今の若者から見れば「とてつもない幸福」なのである。

 だいたい、あそこにいたメンツを見ればわかるだろう。福嶋麻衣子を除けば、皆、おっさんおばさんだ。30過ぎて「若者の代弁者」をすることが、どれだけ惨めで空しい事か分かるか? 俺だってもう35だ。本当だったら立派なおっさんだ。にもかかわらず、社会的な役割を与えられてない限り、35だろうが40だろうが、いつまでも「若者」でありさせられ続ける。「若者」というのは、ひとりの人間がモラトリアムであることを示す言葉だ。年齢的には子供ではないが、社会的には大人ではない状況を差す言葉である。
 ならば、若者が不幸なのは、まさに若者が社会から徴用されず、大人になれないからである。田原の世代はは若いうちから、若者ではなく大人として、社会に徴用されたのである。

 何の苦もなく大人になれた彼らは、不幸な人間の気持ちを理解する事ができない。
 自らの幸福を幸福と気づかず、後の世代に適切な権限譲渡をせずに批難ばかりを口にし、「かつて自分は不幸であった」と自分語りをして自尊心を得る。その無自覚な幾重もの傲慢を指弾できなかった時点で、「若者不幸社会」なる議題は破綻し、田原総一朗の圧勝に終わった。



(17:48)

2010年07月18日

twitterのメモ

人間が見えないんだよな。それは昔からそうだったはずだけど、現代はより巧妙に見えなくなっているような気がする。私たちの多くは、家族と仕事仲間しか知らず、その他の人間は一種の「機関」に過ぎない。 2010年7月18日(日) 15時11分3秒 YoruFukurouから

人間を見るということは、相互に影響しあうという事。影響しない程度の人間関係は、例え友人関係のように見えても、それは友人という機関に過ぎない。 2010年7月18日(日) 15時18分53秒 YoruFukurouから

だが、私は他者を機関として見る事自体は批判しない。むしろ、限られた少ないコミュニティーと、多くの人的機関に囲まれた生活は、多くの人にとって、心地よいモノであるはずだ。 2010年7月18日(日) 15時31分47秒 YoruFukurouから

しかし、自分のコミュニティーに属する人間と、人的機関を差別する事は問題である。むしろ人的機関にこそ「互いの生活様式が互いに影響しない配慮」が必要なのである。 2010年7月18日(日) 15時34分49秒 YoruFukurouから

そういう意味で、人的機関とコミュニティーを形成する必然性はないが、社会を通した繋がりは意識しておかなければならない。 2010年7月18日(日) 15時36分8秒 YoruFukurouから

つまり、他人を遠ざけておく権利のためにこそ、社会保障は必要なのではないか。 2010年7月18日(日) 15時36分43秒 YoruFukurouから

社会保障とは、政府を経由した人的機関同士の繋がりである。それを破棄するならば、人は直接人と繋がらなければならない。それはとてつもなく煩雑な社会である。 2010年7月18日(日) 15時39分40秒 YoruFukurouから

生活保護などの社会保障が否定されるのであれば、生存のために他者の財産を奪う事が肯定されざるを得ないのではないか。他者からの簒奪と分配の役割を政府が果たさないのであれば、当然その役割には当事者同士が晒されるのだから。 2010年7月18日(日) 15時43分19秒 YoruFukurouから

最近覚えた言葉で、それを「自助努力」というんだけどね。 2010年7月18日(日) 15時44分16秒 YoruFukurouから



(17:41)