2010年04月02日
●「「非実在青少年問題」規制反対派はもうちょっと戦略的に動くべきじゃないか」と題されたエントリーを読んで「それはどうなんだろ」と思った。
猪瀬のごまかし方についてはその通りだとは思うんだけど、規制反対派の最大の武器が「「日本は世界的に見ても性犯罪が極端に少ない国」で「性表現が豊かになるにつれて犯罪発生率が下がっている」というポイント」であるという見知には疑問がある。
まず、日本はやはり世界に比べて、人権概念が劣っているというベースがあるという点。特に「家族関係」における個人はないがしろにされがち。
日本の「レイプ」に対する意識は「レイプとは見知らぬ男によって、女性が乱暴されること」という思い込みが強く、ここには2つの問題が含まれる。1つが「被害者は必ず女性であるとみなされている」ということ。もう1つが「見知らぬ人間に襲われることがレイプである」ということ。
つまり、日本では「男性の性被害者」や「恋人間や夫婦間のレイプ」が軽視されがちということ。
こうしたことにより、日本の性犯罪の統計に出てくる数字は、欧米諸国のものより暗数の割合が大きい可能性があり、単純に「日本は性犯罪が少ない」と叫んでいると、足をすくわれる可能性がある。
また、「性表現が豊かなことが、性犯罪の発生数を抑えている」という見知は、「性表現が性犯罪に繋がる」という見知と、真逆ではあっても、発想としては「性表現と性犯罪の因果律を認めている」という点で同じなわけだ。
これが先の「暗数」の話と直結してしまうと、そのまま「実は性表現が性犯罪に繋がっていた」という主張を許し、しかも一切の反論を失ってしまう。
こうしたメディア規制の問題を議論する時に「強力効果論」という言葉がよく出てきて「強力効果論は科学的に否定されている」と言われるが、人間が触れたメディアに直接的に影響されるという意味では、「性描写を許せば性犯罪を許す」という考え方と「性描写が性犯罪欲求の解消になる」というのは、同レベルの考え方であり、どちらも否定される。
「戦略的に」というなら、それこそ「そもそも性表現の多様性と、性犯罪は関係がない」という方向性で戦略を考えて行った方がいいのではないか?
基本的に私は「エロマンガは性的欲求の発散になる」とか「凶悪なテレビゲームが流通した方が、凶悪犯罪が減る」という神話を信じていない。それらはいずれも「豊かさの象徴」であって、社会が豊かになれば、さまざまな表現が市場に溢れると同時に、凶悪犯罪そのものも抑止されていくということだと思う。
あと、猪瀬が「テレビ討論慣れ」しているのは当然のこと。
テレビ討論は「主張のイニシアチブ取りの場」であって、それは理性的な討論の場とは異なる。
まっとうに議論をしようと思えば「相手の意見に割り込まない」は普通なんだけど、テレビ討論だと、相手に意見をしゃべらせないことが重要になる。あまりやり過ぎると露骨なので、重要な発言だけ腰を折る。
本当は、それを制御するために司会がいるんだけど、司会が司会として機能していない。
ここで責められるべきは司会だな。