2011年05月24日

今後は以下の2つの路線でしかしゃべらないことにしました。

1,日本がヒロシマナガサキという悲劇を包有する国でありながら、どうして原発から太陽光や風力、地熱などの代替エネルギーに移行していけなかったのかという、長期的視座に立った問題意識。
 日本は核の傷みを知っていて、なおかつ「技術立国」だったはず。その日本でどうして半世紀前のエネルギー技術が、多大な問題を孕むことを認識しながら、置き換えられないまま現存していたのか。

2,被災者という分かりやすい存在に対しては、様々な角度からの公的な支援が検討されるのに対して、非正規労働者やホームレスなどの必要以上に苦労させられている存在に対しては、公的支援がまっとうに行き届いていない現状、すなわち社会保障の不平等という、広い視野に立った問題意識。
 民間による支援はまだしも、公的支援が震災被災者に対してばかり行われ、またこういう事態にならないと、公営住宅などの、本来であれば社会保障の範疇にあるべき支援が吐き出されないという問題。

 そして、そのどちらもが「震災以前から」の問題です。
 私は震災以降の、わずか2、3ヶ月の中で、震災問題の是非を問うことは無理筋だと考えています。
 中には全ての問題を震災後の政府や東電の対応の中に押し込めようとして頑張っているジャーナリストがいますが、それよりも今回の問題は「戦後の経済成長のひずみ」が明確に現れた問題だと感じています。
 特に2番の問題は、阪神淡路大震災で救われた被災者と、同時期に問題に晒されながら、いまもなお苦しめられる就職氷河期世代の問題などもはらんでいると考えています。
 たまにTwitterなどで、ジャーナリスト連中に引きずられることもあるかもしれませんが、私はなんとか自分のスタンスを保っていきます。



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