2008年06月

2008年06月22日

また非国民通信さんの話でごめんね。
 でも、これは自分の考えをまとめるために重要な行為なんだYo!

 非国民通信さんのエントリー「日本は誰に住みよいか」を読んで、頭を抱えちゃったYo!
 腹を抱えて笑えればいいんだけど、今の状況を考えると彼みたいな考え方に乗せられちゃう人が多いンだろうなぁ、と分かってしまうので、あんまり笑えないYo!
 さっきっからYo!とかウザいけど、この程度はギャグ化しないと、俺の精神が堪えられないYo!

 非正規雇用を増やして労働分配率を減らしてきたわけですが、必然的に数の増えた非正規雇用が問題になる、そうなったときにどうすべきか、単純に考えれば「元に戻す」それだけです(トータルで見れば企業の収益はバブル期を上回る水準にあるわけで、元よりも上の水準に引き上げることも可能でしょうが)。

 「元に戻す」というのは、「終身雇用」「年功賃金」という、いわゆる「日本型雇用」に戻すってことでしょ? ということは、俺のような32歳の非正規労働者もちゃんと、22歳で会社に入って正社員として10年働いた32歳としての賃金で、正社員として雇ってくれるということだよね? 「元に戻す」というのはそういうことですよ? 本当に分かっているのかな?

 まず先に報酬が目的としてあり、それを獲得する手段が労働であるなら、そこで十分な報酬という対価を与えられるかどうか、これが雇用主の資質を問う絶対の要件です。労働者に十分な報酬を与えられないのであれば、いかに献身的で善意溢れる雇用主であっても失格です。一方、十分な報酬を支払う雇用主はどれほど強欲であったとしても、その責務を果たしています。

 ところが、しばしば基準は別のところに動かされます。ビジネス本位の基準ではなく、道徳本位の基準に。すなわち支払うべきものを支払えるかどうかではなく、道徳的な善悪がそれに取って代わるわけです。良き経営者とは献身的で清廉な経営者、強欲にして貪欲な経営者は悪であると。なるほど、どちらかと言えば前者の方が人としては好ましいかもしれません。しかし、どれほど善良であろうと従業員に適切な給与を支払う能力がないのであれば、経営者としては失格であり早急に退場願うべきものでは?

 文面には同意します。私もライブドアニュースで「企業には替わりがあるが、人間には替わりなどない」という文章を書き、ルールを守ることのできない経営者は路頭に迷えばいいと主張しています。
 そう考えると主張は同じところにあるように見えますが、しかし、非国民通信さんはなにも分かってないのです。

 なにが分かっていないかというと、従業員に十分な給料を払わず、人を使い捨てにするような悪質な経営者や会社を「退場」させるためには、まさに非国民通信さんが必死になって守ろうとしている「正社員の既得権益」の存在が問題になってくるのです。
 私はライブドアニュースの中で

要は、経営者も正社員も非正規労働者(すでに路頭に迷っている)も、みんなが路頭に迷えばいいのだ。それが「市場原理主義によってもたらされる流動性」である。

 と書いていますが、つまり会社を「退場」させるということは、「経営者も正社員も非正規労働者も、みんな路頭に迷う」ということです。まさか非国民通信は経営者の首をすげ替える一方で、会社という体は守ろうと考えているのでしょうか? しかし、非国民通信さんは結論で、

残念ながら日本では企業を存続させることが何よりも重要視されたままです。人ではなく会社を生かすことの方が優先順位が高いのです。

 と、締めているのですから、そうではありません。
 しかし、そうしたときに社会が「元」にもどって、「終身雇用」「年功賃金」である場合には大変なことになります。
 終身雇用をあてにして入った会社が「退場」させられたときに、果たしてそれまでその会社で正社員として働いていた人たちが「年功賃金」を維持したまま、転職できるでしょうか? よっぽど専門性の高い職業ならともかく、普通の会社が、他の潰れた会社の元社員を高い賃金で雇うと思いますか? 年をとった高コストの人材を雇うよりも、若くて低コストの新卒学生を雇おうとするのがオチではないですか?
 そうなると、「今までよりも安い賃金でもいいから働かせてくれ」ということになるかと思いますが、それは転職先の日本型雇用に守られた正社員にとっては、自らの賃金も引き下げられかねない危機に映るはずです。そうなれば、日本型雇用のもう一つの特徴である「企業別労働組合」が、潰れた他社の元正社員の入社を阻むために労働争議を行うのです。「私たちの雇用を守り、年功賃金の引き下げを防ぐために、他社の落ちこぼれ組を入社させるな」と。
 まさしく非国民通信が異様にこだわる「運動」によって、一度正社員という立場から追われた元正社員は、徹底的に虐げられるのです。それこそ、今の非正規労働者達が虐げられているのと同様にです。

 そういうふうになってしまう以上、正社員は「終身雇用」「年功賃金」である社会においては、自らが所属する「会社」を絶対に潰せないのです。会社での勤務年数はその会社でしか意味を持ちません。携帯電話の加入年数が他のキャリアに持ち越せないのと同じです(SBは・・というツッコミは不要です)。ならば、企業を存続させることが、その会社に所属する正社員の「終身雇用」「年功賃金」を守ることに繋がるのです。
 だからこそ正社員は、不況に陥った企業を潰さないためにサービス残業で会社を支えなければならないのです。それにより名目上の年功賃金は守られるかもしれませんが、労働時間換算での賃金は減りますし、ライフスタイルも味気ないものになります。もちろん過労死などの問題も生まれます。

 非国民通信さんが「元に戻す」とあっさり言う「日本型雇用」は、正社員に対して「会社との一蓮托生を強要するシステム」なのです。
 それなのに、日本型雇用を守りながら、会社を潰すことができるかのようにおっしゃる非国民通信さんは、やはりなにも分かっていないのです。

 いわゆる日本型雇用が労働者に優しくみえるのは、あくまでもシステムの内側にいる労働者に対してだけです。
 一度システムの外側にこぼれ落ちた労働者に対しては非常に厳しく牙をむく代物です。
 だからこそ、正社員は会社に引きこもるしかなく、非正規社員は絶望するしかないのです。
 トヨタやキヤノンなどの悪質な企業が潰されないのは、正社員たちが必死になって会社を守るからです。日本型雇用を錦の御旗にするかぎり、正社員が非正規労働者を使い捨てにするシステムは絶対になくならないのです。
 正社員の既得権益を守ることこそが、会社を守り、経営者を守ることに繋がるのです。日本型雇用を望むような運動のありかたは、きわめて「経営者に優しい」といえましょう。


 じゃあ、どうするのか?
 皆さんが聞きたいのはそこでしょうが、それについてはまたいずれ。
 非国民通信さんを批判するついでに書いていると思われても嫌なので。



(02:02)

2008年06月21日

 非国民通信さんが私のコメントを載せることを拒否しましたので、その書込みをこちらに提示します。
 なお、寄せられたコメントを消したり公開しないことは、blog主の権利だと考えていますので、公開しないことに対する反論はありません。また公開していないことをちゃんと明言しているのは正しい態度であると思います。

 非国民通信さんに何を言っても言葉が通じず、対話を試みようと思えば思うほど私を逆恨みして、あることないことを書くようですので、そちらは諦めて、非国民通信さんの論理に共感してしまうような人たちに呼びかけます。

 社会における人間関係というのは「雇う側ー雇われる側」というようにシステマティックに決定するものではありません。
 「雇う側(=富む者)」のみが社会問題を責任を負い、「雇われる側(=貧しい者)」がその責任を負わないというのは、ダブルスタンダードであるのみならず、雇われる側の能力を低く見積もる考え方です。

 非国民通信さんが「親方が兄弟子に命じて新弟子をリンチに掛けたとき、新弟子が親方を無視して兄弟子を恨むわけですね。」などと例示してますが、親方に責任があるのは当然として、では兄弟子はリンチをした責任を負わず、またリンチを回避する能力を持たないのでしょうか?
 そしてそうした状況に対して「新弟子が親方に抗わないなら、リンチを受けるのは当たり前だ」などと、責任を新弟子ひとりに負わすことは、果たして正当でしょうか?

 私たちが社会で生活する以上、誰もが社会責任を負い、また誰もが社会問題を解決するだけの力を、その多少に関わらず持っているはずです。
 ならばその力を各自が正当に行使するのが、正しい社会責任の負い方なのです。
 「正社員は雇われる側だから、非正規労働者に対してなんら責任を負わない」という態度では非正規労働者の問題は決して解決しません。私たちは各自が負える範囲で社会責任を持ち、問題の解決に注力するべきなのです。


 非国民通信さんの「雇われる側に責任はない」などという甘言に騙されてはいけません。

 以上です。
 付け加えるなら、非国民通信さんの考え方は、彼が重視しているハズの「運動」のリアリティーとしても、きわめて貧弱な考え方と言えます。
 昨今の労働運動は、社内労組のくびきを離れ、職能集団やフリーター同士などといった「他者との連帯」を重要視する流れになりつつあります。そうした変化の中で「安定労働層が貧困労働層が共に戦う」という考え方が重要になってきます。
 しかしその時に「安定労働層は雇う側ではないから、責任がない」などという考え方で戦っていては、とてもではありませんが共闘することはできないでしょう。口先では「一緒に戦おう」といっても、非正規社員は数合わせであり、本音では非正規を正社員にすることに反対しているのではないかという疑念しか生まれません。
 私は正しく労働運動を社会に活かしてしていくためにも「正社員は雇われる側だから責任はない」「非正規労働者は運動をしないのだから自己責任」などという考え方は否定されなければならないと考えています。

 非国民通信さんへの共感は、運動の弱体化しか生み出しません。



(00:24)

2008年06月18日

非国民通信さんのエントリーに私の名前が出ているものの、私の意見とは少々異なるものだったので、コメントを入れてみました。

nknown (赤木智弘)
2008-06-15 12:09:29

いつも記事を拝読させていただいております。
私の名前があったので、少し意見を。

まず、私が考えていることは、マジョリティーである「安定労働層」すなわち家族を養える程の給料を得ている正社員とその家族のことですが、彼らが考え方を変えない限り、社会は変わらないということです。
そして、この点について非国民通信さんが「雇用の問題から雇用主を免責する」と考えているのと同じように、私は「雇用の問題を雇用主の問題に限定することは、雇用の問題から安定労働層を免責している」と考えているのです。

そもそも、「終身雇用」という枠組みは、決して雇用主の都合だけでできたものではありません。安定雇用を望む労働側と、それを組み入れて経営を安定化できる雇用主。そして右肩上がりの経済成長という両者の合意と状況からでき上がったものです。
そしてその終身雇用の枠組みこそが、就職氷河期世代を就職からはじき出した最大要因なのです。


その点について、安定労働層は雇用主以上になんら反省をしていません。そして方や「最近の若者は」と愚痴り、方や「雇用主が悪いのだ。(私は自分の生活を守っただけだ)(だから若者も私たちの手先になって戦うべきだ)」と開き直っているだけです。

そしてマジョリティーである安定労働層が今すぐに既得権益を放出することが、一番手っ取り早くワーキングプアを救い出す手段なのです。

雇用主から取り戻そうとしても、取り戻したものは「残業代が出ないから」などと言って、安定労働層が真っ先に持っていくのが常です(マクドナルド「みなし店長」の件など)。そのような「とにかくワーキングプアにお金を回すのだ!」という合意がされていない状況で、いくら雇用主が悪いのだ、経営者が悪いのだ云々言っても、それはただの富裕層と安定労働層間の闘争に過ぎません。
そして、闘争のネタとしてワーキングプアが利用されているに過ぎないように、私は考えています。

 強調部分を見ていただければ分かるように、私は「貧困労働層の問題は、富裕層、安定労働層双方の責任であり、それを自覚するべき」ということを論理のベースとしており、エントリーに書かれているような「非正規雇用層にとっての不足分を補うべき財源として、この当然の対象である経営層を除外し、あたかも当たり前のように正社員層に財源を求める発想」など、私はしていないのです。これは私の論旨をちゃんと捉えていない、非国民通信さんのミスリードです。

Unknown (非国民通信管理人)
2008-06-15 12:44:28

>赤木智弘さん

 商業媒体で活躍されている方につきましては、名指しで批判させていただいております。御了承を。

 さて、マクドナルドの例を挙げておられますが、マクドナルドは店長に残業代を支給することを決定しましたが、同時に店長手当(管理職手当)を廃止しました。赤木さんは「安定労働層が真っ先に持っていくのが常」と仰いますが、そのような事例は仮想のものに過ぎません。結局、雇用側と労働側の取り分は動いていないわけです。雇用側が労働側に回した分を、安定労働層が懐に入れている、それが赤木さんの世界観のようですが、実態に即さないことをいくら繰り返しても何の説得力もありません。むしろそのような虚構を広めることで、経営層を免責しているだけです。そして経営層を免責するために赤木さんの主張が有効だからこそ、ブルジョア媒体で赤木さんが重用されている理由だとも思いますよ。

 前のエントリでも書いたのですが、安定労働層は我々のママではありません。確かに我々の世代は安定労働層の両親に養われてきましたが、それはあくまで親だからであって、親でも何でもない無関係の安定労働層のポケットマネーで我々が養われているわけではないのです。雇用の問題に雇用主を含めず、労働者観の間でそれを完結させようとしても、それは親が助けてくれることを期待して泣き叫んでいるのと同じことです。

 不思議な事を言い始めました。
 マクドナルド裁判では、「店長は管理職としての裁量が十分に認められていないのに、管理職と見なし残業代もなしに長時間労働を強いるのは不当である」として、「店長は管理職ではない」とマクドナルド側に認めさせたのですから。当然「店長は管理職ではない」は合意のハズです。
 にもかかわらず、管理職手当を削ったことが問題になっている???? 管理職じゃないのに??????
 あと、「雇用側と労働側の取り分は動いていない」のであっても、そもそも件の裁判を起こしたマクドナルドの店長の年収は、一番低いときで600万円台ですから、残業代が発生することによって残業が減れば暮らしとしては十分営める年収です。そしてその600万円もの年収は、それこそ大量のフリーターからの搾取で成り立っているわけです。
 みなし店長の話の中で、それこそ「時給換算したらバイトよりも時給が安かった」ような店長ならともかく、年収600万+残業代という成果を手にしながら、さらには管理職でもないのに管理職手当をもらおうなんて、欲の皮が突っ張りすぎだと思うのですがね。

参考: マクドナルド店長が、年収600万円に過ぎないので、提訴?

 そして、最も問題なのは、下の段落ですね。
 完全に言い分がネオリベのそれです。「安定労働層は我々のママではありません」「親が助けてくれることを期待して泣き叫んでいるのと同じことです」などと、貧困労働層の甘えを強調していますが、単なる再配分の拒否です。
 労働争議をするにしても、それ相応に身分が保証される正社員ならともかく、非正規が労働争議なんてしたって「じゃあクビ」でおしまいです。しかも正社員と違って、賃金が安いのですから、ほかの仕事を探す前に死んでしまうかもしれません。
 それでも、労働争議をしろというなら、それこそ安定労働層が貧困労働層を下支えするような仕組みが必要なのです。それを無視して、「労働争議を行わないから悪いのだ」などというのは、ただのマッチョであり、精神論であり、自己責任論です。すなわち完全にネオリベのそれなのです。

プチブルネオリベの非国民通信さまへ (赤木智弘)

2008-06-16 10:45:07
非国民通信さま

マクドナルドで店長手当てが廃止されたのは当たり前でしょう。
店長側は「店長としての権限がないのに管理職とみなされ、残業代が支払われなかった」ことを問題にし、マクドナルド側が「店長は管理職ではない」と正したのですから、管理職手当てがなくなるのは当然のことです。
そして、その分残業をすれば、残業代が支払われるようになった。すべては店長側の主張通りになったのですから、なにも問題はないはずです。
そうなると、マクドナルド側は当然「残業を減らそう」とするわけで、例え賃金の総額が少々減ったとしても、労働時間が減るわけですから、時間あたりの受給額は増える可能性があります。また、件のマクドナルドの店長は一番働かされて年収が低かった年の年収が640万ですから、少しぐらい年収が減ったところで左うちわですね。

>前のエントリでも書いたのですが、安定労働層は我々のママではありません。
>(略)

この一文を読んで、ガッカリしました。
それはこの一文が「闘争せずに文句を言う人は、駄々っ子と同じ」という、単なる感情操作の「悪口」であることもありますが、それよりもあなたが結局のところ「ネオリベ」であることがハッキリしてしまったことが重要です。
そもそも経営者だって、あなたと同じ事を考えているのですよ。「私たちはママではないのだから、労働者という他人を養う義務はない」と。だからこそ、経営者は労働者を平気で使い捨てるわけです。
もちろん経営者に対して十分な利益を生み出す労働者は大切にするでしょうが、その「利益」とやらが、本当に正しく定量化して計りうるものであるとは私は思いません。結局「この労働者は利益を出している、出していない」というのは経営者の恣意的な判断です。
この「労働者の利益」という部分を、あなたのいう「運動」に変換すると、そのまま当てはまります。「利益を出さない社員など雇う義務はない」と、「運動をしなければ安定労働層が貧困労働層を養う義務はない」というのは、裕福な人間が恣意的な判断で他人を切り捨てていいという意味で、全く同じ言葉です。

平気で労働者を切り捨てる経営者を免責しているのは、あなたです。

Unknown (非国民通信管理人)

2008-06-16 23:26:31
>赤木智弘さん

 マクドナルドの件ですが、そこまで経営側の主張に賛同できるのが「らしい」と言えば「らしい」ですね。新自由主義のメディアから重用されるのも納得です。財界が支配する側からものを言っても白々しい自己弁護ですが、赤木さんのような支配される側からそう言ってくれれば免罪符になるでしょうから。白人が奴隷制を擁護するよりも、黒人奴隷を連れてきてその口から奴隷制を擁護させた方が説得力があると感じる人も多いでしょう?

 それはさておき、私は会社から給料をもらっているわけであり、雇う側と雇われる側を区別しますが、赤木さんは雇う側と雇われる側の区別をつけないようにしているわけです(コメントでも意図的にでしょうか、雇用主とそうでない人をすり替えていますよね?)。自分に給料を支給しているのが誰か、その権限を持っているのが誰か、そこを見ようとしていない、ただ自分よりも持っていそうな人の前で泣き喚いているだけです。小さな子どもであれば泣いている自分を憐れんで誰かが手を差し出してくれるでしょうが、我々は自分に給料を払う雇用主と向き合うほかないのです。

 基本的には同じことの繰り返しです。
 前回よりも論理は消えうせ、より感情的な部分で私を非難しています。
 つか、完全に悪口です。

 私は『若者を見殺しにする国』の中で、「強者女性が弱者男性と結婚する」という、「雇われる側が他人を養う方法」を提唱しました。
 またその他のところでも、「安定労働層が、知り合いの雇用主と、知り合いの貧困労働層の間に立って仕事を紹介する」など、「安定労働層が無理なく貧困労働層を下支えする方法をいくつか考えています。
 そもそもこの社会において、人間関係が「雇う側、雇われる側」なんてシステマティックに決まると思っているのでしょうか?
 「私は雇われる側だから、貧困に対して責任がない」などと、安定労働層が安全圏から言い放つ欺瞞を私は社会に対して暴露しているのです。それが嫌だというなら、安定労働層は、自ら社会責任を負うべきなのです。

 そして最終的に非国民通信さんはこういうエントリーを書くに至りました。

 彼の中では、どうも「低賃金でも真面目に働く」ことが「奴隷として従順に主人に仕える」ということに変換されているようです。その裏には「私(非国民通信)は奴隷ではない」という自尊があります。「私は奴隷ではないが、彼らは奴隷なのだ」などと差別意識を丸出しにしている人間と、果たして共闘なんてできるのでしょうか?

同じ世代の非正規雇用従事者として、我々の世代が皆、赤木智弘のような人間だと思われたら堪ったものじゃないなぁ、と。

 同じ世代の非正規雇用従事者として、我々の世代が皆、非国民通信さんのような人間だと思われたら堪ったものじゃないですね。
 経営者や安定労働層からすれば、非正規労働者の立場でありながら、ネオリベラリズムをを信奉し、個人の社会責任に言及せず、ただ労働者間の憎悪を煽ってくれる非国民通信のような臣民がいることは、非常に心強いのではないでしょうか。



(11:20)

2008年06月16日

オーマイニュースに、フリーライターの渋井哲也さんによる、私へのインタビュー記事が掲載されています。
 短い記事ながら、私が語ったことの要点がしっかりと切り出されています。
 はてブを見ると「編集がいまいち」なんて言っている人がいますが、これは時間的には40分ぐらいしゃべっているわけです。なまじ会話調にして、それしか語っていないように見えるよりも、要点の切り抜きの方が正確に私の考え方が伝わると思います。

 で、反発を受ける点としては「彼より年下の犠牲者はかわいそうだけど、年上や年上の遺族は自己責任」という部分があるのでしょうが、一つ言っておくと、私も加藤容疑者よりも年上なのです。だからもし私自身が殺されたとしても、また仮に自分に子供がいて殺されたとしても、それは彼にああいう状況を課し、言論人としてそれを解消できなかった私の責任でもあるのです。
 そして、私は被害者だからといって、その罪を免責することはしません。心情的に同情しても、それとこれとは話が別です。
 そうした考えは、決して加藤容疑者の罪を軽くするものではありません(当たり前ですが、彼は殺人者として裁かれるべきです。そして私は加害者罪を軽くしてしまう死刑制度には反対です。生きながら罪と向かい合うことのみを強制される、仮釈放なしの無期懲役こそが、もっとも「犯罪者を厳しく罰する」刑罰だと考えています)。そうではなく、社会のすべてはかかわり合っているのです。各自がそれぞれに罪を抱えて生きているのなら、まずはその罪に自覚的になることが、やがて自らの罪を贖うことに繋がっていくのです。

 かつてmoonridersは「DON'T TRUST OVER THIRTY」というアルバムを発表しました。
 イギリスのヒッピー文化に端を発する、「30歳以上を信じるな!」という言葉を冠されたこのアルバムが発売されたとき、moonridersのメンバーは全員30歳以上でした。彼らは大人の欺瞞と誠実さを大人の側から歌ったのです。

 そして私は、私自身が彼よりも年上であり、かつ言葉がこうしてメディアに取り上げられる人間である以上、社会の欺瞞を俯瞰者の側ではなく、この社会を作り出している側から語るべきだと考えています。加藤容疑者によって心身に関わらず傷つけられた人たちや加藤容疑者本人に、誠実さを示す唯一の方法だと考えています。



(00:48)

2008年06月13日

先日は阿佐ケ谷ロフトでのイベントに多くの方が駆けつけていただき、ありがとうございました。
 やっぱり外山さんは人気がありますね。外山さんは70年生まれなんですよ。私と5つしか違わない。
 あと、鈴木邦男さんが会場にいらっしゃってました。少しでしたがお話できて良かったです。

イベントのお知らせです。
 1つ目が、急ですが明日14日に渋谷でのイベントです。
 会場の渋谷ネクサスは、道玄坂のど真ん中ですね。
 例の秋葉原での通り魔事件については、いろいろと思うところがあるので、ここで話ができると思います。
 それに合わせて「希望は戦争」とは、結局どういう考え方なのかと言う話も。

NPOニュースタート事務局主催
“若者の選択2008”トークライヴ 「勝ち負けを超える希望宣言」

日時●6月14日(土)18:00〜20:30
会場●渋谷ネクサス 301〜303会議室
    (渋谷区道玄坂2-9-9)
出演●栗田隆子(LLPフリーターズフリー)
    赤木智弘(『若者を見殺しにする国』)
    中本英彦(NPO法人ニュースタート事務局)
    進行=二神能基(NPO法人ニュースタート事務局代表)
参加費●1,200円
ご予約・お問合せ ニュースタート事務局
   ●TEL 047-307-3676 FAX 047-307-3687
  E-mail newstart@mua.biglobe.ne.jp
   URL http://www.new-start-jp.org

もう1つが『ロスジェネ刊行イベント』が6月27日、紀伊国屋新宿南店サザンシアターで行われます。
 2部の出演者でいうと、東浩紀さんと萱野稔人さんとは初対面になります。
 また、杉田俊介さんもいらっしゃるので例の論争の話になるかも。

「言論空間に挑む新雑誌」
とき
6 月27 日(金)19:00 開演(18:30 開場)
ところ
東京・紀伊国屋新宿南店サザンシアター
(紀伊國屋書店 新宿南店7 階)
料金
1,000 円(税込/ 全席自由)
 〈第1部〉
出演者
・浅尾大輔 作家、「ロスジェネ」編集長
・雨宮処凛 作家
・増山麗奈 画家、「ロスジェネ」編集委員
 〈第2部〉
出演者
・赤木智弘 フリーライター
・東 浩紀 東京工業大学特任教授、「思想地図」編集委員
・大澤信亮 批評家、「ロスジェネ」編集委員
・萱野稔人 津田塾大学准教授、「VOL」編集委員
・杉田俊介 介護労働者、ライター、「フリーターズフリー」編集委員

■チケット前売所
キノチケットカウンター(新宿本店5 階)
紀伊國屋サザンシアター(新宿南店7 階)
(いずれも受付時間は10:00 〜18:30)
■電話予約・問合せ
紀伊國屋サザンシアター 03-5361-3321(10:00 〜18:30)
※予約開始は5月26日(月)より
http://www.kinokuniya.co.jp
■サイン会参加方法
当日、会場にて出演者の著作をお買い上げの先着150 名様に整理券を配付いたします。
■共催
かもがわ出版、紀伊國屋書店



(02:22)

2008年06月11日

今回の秋葉原での通り魔事件で、確実に分かったことを1つだけ書く。

 死刑に犯罪抑止力はない。
 以上。



(02:14)

2008年06月06日

お知らせその1
 JCcastの新作、2つアップされています。

第16回 「人間回復の橋」20周年から
 『隔離という病』で武田さんが論じた問題を、ハンセン病からまた別の視点で論じる試み。
 橋の向こう側ではなく、こっち側の隔離。

第15回 常岡浩介氏を迎えて #2
 ジャーナリストとして発展途上国を渡り歩く常岡さんをして「ヒドイところ」と言わしめるナイジェリアって、どんな国?

お知らせその2

 6月11日に、以前にもロフトプラスワンのイベントでご一緒させていただいた佐藤悟志さんと、例の都知事選でのパフォーマンスが話題になった外山恒一さん、そして私の3人でイベントを行います。司会は中川文人さんです。

阿佐ヶ谷ロフトA 2008年6月スケジュール
6月11日(水)

ジーク外山Presents
「外山恒一・新著『青いムーブメント』刊行記念トークライブ〜 プレカリアート右派!?〜」
近年熱い注目を集める“プレカリアート”運動の近傍に身をおきながら、片や「ファシスト」、片や「希望は、戦争」と、本気なのか露悪趣味なのか“右まがい” の暴論でヒンシュクを買いまくっている異端の論客2人が登場。本番当日が初対面とのことだが、果たしてこの組み合わせ、激突となるか意気投合となるか、見逃せない一夜だ。
さらに佐藤悟志(青狼会総統)出演決定!!
「北朝鮮への人道軍事介入」を掲げ、「不正義の平和よりも正義の戦争を」という佐藤、「31歳、フリーター、希望は戦争」という赤木、そして「戦争はイラクやアフガンではなく日本国内で起きている」という外山、それぞれ微妙に異なる角度から「戦争」を展望する三者の共通点と対立点が浮き彫りになる。のか!?

【出演】
赤木智弘(『論座』07年1月号掲載論文「「丸山眞男」をひっぱたきたい」筆者)
外山恒一(九州ファシスト党・我々団 臨時総統)
佐藤悟志(青狼会総統)
中川文人(司会/法政大学統一OB会)
OPEN18:30 / START19:30
前売¥1,000(飲食代別)
当日¥1,500(飲食代別)
前売チケットは店頭、電話予約にて5/25より販売開始。
http://ameblo.jp/toyamakoichi/

桂言葉ちゃんお誕生日記念競走
 Nice boat race.



(17:12)

杉田俊介さんと論争中

 私が主張したい、最も重要な点は、コメント欄に書いたこの部分です。

人間なんて聖人君主じゃないのですから、見つめれば見つめるほど、ボロがでるのが当然だと思います。それを日記に書いている私と、書いてない誰かさんで、どちらがより暴力的かなんて比較しようがないはずです。
そして弱者問題でも、弱い人間を見つめれば見つめるほど、自己責任が見えてくる、それこそワーキングプアを特集した番組の実況では「タバコを吸うな」とか「サウナに泊まるな」なんてことまでいわれるのです。弱者の問題を個人の人間性の問題にするなんて、誰でも簡単にできるのです。それを「見つめる」とはいいません。

そして多分誰かが誰かを見つめるとして、それができるのは自分に対してのみでしょうね。他人を見つめるなんて、長年連れ添った夫婦でもできやしませんよ。

 あと、杉田さんは、

 ともあれ、僕は今無力感で一杯です。『ロスジェネ』の僕の批評や大澤君の小説には、赤木さんの内臓に響くものは何もなかったんだろうか。批評の言葉ごときで人を動かす、正確には、「ある人がその人自身の人生に躓きうる」ことを願うなんておこがましいんだろうか。しかし、「無力さ」を今口にしてしまうのは性急過ぎますね。人がある言葉を真に「受け止める」には時間の熟成が不可避なのかもしれない(これは僕自身のことです)。「誰かが誰かを見つめるとして、それができるのは自分に対してのみでしょうね」という言葉は正しいですが、人が自力でそれをやるには、たぶん他人の言葉=力が差し込んでいなければならないような気がするのです。

 と、おっしゃいますが、いったい「批評を赤木さんの内臓に響かせる」ことで、何を果たしたいのでしょうか? それが私には全く分かりません。
 響いたってお金は入ってこないし、生活が潤うわけでもない。だったら『蟹工船』みたいな、貧困労働層の内面など問わずに「労働が大変だ」「奴隷扱いされている」という、表層的な関係性のみで団結するような小説を読んで溜飲を下すほうが、よっぽど楽しいですよ。まぁ、どっちも実質歴な意味はないけど、プレカリ娯楽という意味では、後者の方が優秀でしょう。
 無力感でいえば、私の方がよっぽど無力感でいっぱいですよ。
 私は他人から嫌われながらも必死に「とにかく金。その他のことはどうでもいいから、弱者に金を分配しろ」と言っているのに、いまだに貧困労働層は左派に意味なく内面ばかりを探られて、いまだに金銭が落ちてくる気配はない。
 その一方で左派は、「みなし管理職」などの既得権益者には残業代を払えと、内面なんか関係なく、ただ「残業をしていた」というだけのことで金を流そうとしている。そんなんだったら、貧困労働層も安定労働層も「苦しいのは本人の問題。休みたかったら休めばいい」とする、ザ・アールの奥谷禮子の暴言のほうが、よっぽどフェアだ。
 とか書くと、また「赤木は自己責任論を肯定するのか?」なんてとんちんかんなことを言い出すのがいるんだろうけど、「フリーターや派遣労働者として働いている」という一点で生活できるだけの金銭ぐらいは得られるべきなんだから、それ以上に内面なんか探る必要はないって話。弱者の内面を探ろうなんて方が、自己責任論的な考えだろ。
 それこそ杉田さんの文章を読んだら、大半の人は赤木の貧困は「犬を殺したから自己責任」「親にたてついたから自己責任」としかおもわないだろう。自分で読んでてそう思うもん「この赤木ってやつは、どれだけひどいヤツなんだ!」って。
 で、結論として

 「大切なのはご自身(赤木)が「もっとも見たくないもの」を、あえて「見る」勇気ではないですか。

 と、まさに、経済問題が当人の心情の問題にすり替えられてしまっているわけで、これを自己責任論といわずに、何を自己責任論というのか。あたりまえのことですが、大切なのは金ですよ。経済弱者が大変なのは金がないからですよ。真っ赤な家計簿を前にしていくら内面を見つめても、赤い数字は黒くなりませんよ。

 で、最後に杉田さんのいう上記のような自己責任を私が「いつ見つめるか」という問題については、私が普通に結婚して普通に子供を産んで、普通に孫ができて、普通に老衰で死の床についてお迎えが来る間際に考えるということにしました。
 死の間際に、それまで悪しきざまに言い続けてきた親に対して「ありがとう」とかいったら、感動的じゃないですか。ついでに「俺に轢かされた犬、ありがとう」とか。
 冗談はともかく、そういう「普通の人生」をたどれるというハッピーエンドを迎えることができれば、それを考えることにしましょう。
 それは、現状では宝くじで1億とか当たるのとどっちが高い確率かといった具合ですが、もし左派の方々がちゃんと「貧困労働層に金を」とやってくれれば、その可能性は高くなると思います。
 是非とも弱者の内臓ではなく、弱者のお財布にいろんな力を入れて響かせてください。



(17:00)

【独女通信】大人の男が若い女性を伴侶にしたがるワケとは

 読売ウィークリーの奥田祥子は『男はつらいらしい』(買って欲しくないので、リンクは張りません)というくだらない本の中でこう書いています。

 もちろん、世の女性たちすべてが、高い理想を男性に求めているわけではない。私の周りでも5歳から10歳程度年下の男性と、30歳代で結婚したケースが何件かある。彼女たちに共通しているのは、夫よりも収入が多いという点だ。
 そのうち一人の弁。
 「これまで築き上げてきた自分のキャリアを崩されたくなかったら、年下の男が絶対にお勧め。女性の仕事を尊重して、家事も自分から進んでやろうという柔軟性があるのよ。年上ではありえないでしょう。同年代や年下でも2歳ぐらいまでの年齢差だったら、仕事を応援してくれるよりも、ライバル視されちゃったりするから、ダメ。確かにね、年下男には経済力とか不安な面もあるよ。でも、そこは長い目で見て、男を『育てる』覚悟じゃないとね」
 さすが! 感心してしまう。
 要するに、彼女たちは、相手が自分に与えてくれるメリットを見つけ出して十分に理解し、自分よりも劣る経済力を含めた彼のすべてを甘受しているのだ。そこに男性に対しての悪い意味での依存や甘えは見受けられない。

 完全に同じじゃねーか。しかも「高い理想を男性に求めているわけではない」などと、たかが収入の低い配偶者を養うという、かつての男性が当たり前のようにやってきたことに、恩をたっぷり着せて。
 これを、ハピ婚アドバイザーの大安ケイコ(って、「大安」「慶」子ってこと?)さんのお言葉にあわせれば、

 「正直に言えば、『付き合う男性を自分の色に染めたい』という思いがあるんですよ。30代の男性は自分のライフスタイルができているから、それを崩すのが難しい。その点、20代前半の男性は経験も少ないしね」。

 と、いうことになります。つか、「伴侶を育てる」とか「自分の色に染めたい」という思想こそが、かつての男性が女性に対して行ってきた「軽視」でしょ。フェミって、そういうことに反発してきたんじゃないの?
 その結果、経済的に自立した女性がそういう思想に「さすが! 感心してしまう」なんてヒザを打っている現状を、フェミはどう考えてるのよ?

 ちなみに、30代低収入男性である私は「精神的にも経済的にも自立した女性」とおつきあいをしたいと考えてますので、よろしければメールをください。



(16:25)