2009年06月

2009年06月15日

【告知】7月4日(土)18:30から「阿佐ケ谷ロフトA」で神沢敦子さん主宰のイベントに出演します。

眼光紙背に書いた働くべきではない人間が働かないことによって、社会全体の生産性が上がるヘの、コメントのレベルが酷くてワラタ。
 まぁなんか、自分に対するアンチのコメントパターンは決まっていて「言葉を斜め向こうに超拡大解釈して、非難する」という、とてもマトモとは思えない批判。つか、批判になっていない。誰も言っていないことに対して、手足をぶん回してるんだから。
 今回の記事でも、なぜか私が「障碍者の生産性はマイナスだ」と主張していることにアンチの間ではなっていて、「赤木は障碍者差別をしている」と騒ぎ立てている。
 そんな連中が「言葉に気を使え!」とか言っているのには、苦笑するしかない。
 まぁ、そんな調子のいい赤木バッシングをしながら、彼らのやっていることは彼ら自身の障碍者に対する差別心や、生活保護に対する悪意の告白である。バッシングは俺が相手をしなければいいだけのことだが、障碍者や生活保護に対する差別的な視座だけは看過できない。

 そもそも、生活保護というのは、国民の権利である。そこに「今現在、生活がなりたたない」という以外の取得条件はない。「障碍者だから」とか「高齢者だから」とか「シングルマザーだから」という前置きを付けなければならないものではない。(←こういう書きかたをすると「赤木は障碍者や高齢者やシングルマザーを敵視している」とか言われるんだよ。意味分かんねぇ(苦笑))
 今回の件の難病の人たちだって、別に難病だからお情けで生活保護を与えられるべきなのではなく、ごく当然の権利として、当たり前に生活保護を受けとるべきなのである。
 次に、そもそも私は障碍者の労働がマイナスになるなどと、まったく考えたことがなかった。大半の障碍者の労働は買い叩かれ、「生産性がマイナスになるような業種」に就くことは非常に稀である。生産性がマイナスになる職業とは、経営判断などにかかわる職業にほぼ限定される。今回の北九州の件も、給付の権限(権限によって決定されること自体がおかしいのであるが)を持つ職員が、給付をしなかったことによるマイナスである。
 経営に関わらない労働者がいくら失敗をしたり、手の動きが遅いとしても、そうそうマイナスになるものではない。
 コップを壊しても数十円、ラインを一日止める大事故を起こしたところで数百万円だが、人を殺せば値段でどうこうできることではない。また、殺さないまでも、生活保護を支給するしないで、他人の人生を大きく左右することになってしまう。生活保護を支給しないことに対する損失は、単純労働の失敗と比べられるような小さな損失ではない。生活保護に対する判断とは、それだけ大きな意味を持つクリティカルな労働なのである。そのことを北九州市保健課の職員は、まったく理解していない。
 労働の義務についても、労働の義務とはおおむね「各自が出来る範囲で社会性を持つ」ぐらいの意味で私は考えており、決して「賃労働を行って、自分の生活分ぐらいは自分で稼ぐ」ことが義務であるとは考えていない。賃労働が義務だというなら、賃労働をしていない主婦や子供、そして賃労働者としての能力が低い(とされる)障碍者やフリーターなどは、社会からぞんざいに扱われてもかまわないという、昔ながらの差別文脈を肯定することになってしまう。
 そう考えれば、私が「生産性がマイナス」と書いたことの意味を理解してもらえると思う。それは「プラスである限り、その大小は問題ではない」という意味を包有している。そしてプラスのブレというのは、障碍者だろうが健常者だろうが同じように存在している。

 最近は「セーフティーネット」がどうこういわれるが、セーフティーネットとは、生活保護そのものである。
 死刑議論で「日本は終身刑がないから」などとよく言われるが、外国の終身刑は日本の無期懲役とほぼ同じ内容であるのと、同じことである。
 「死刑に変わる終身刑の導入を」という提言が欺瞞であるように、生活保護を有効に活かすことを考えずにセーフティーネットの議論をすることは欺瞞である。言葉の安直な言い換えによって、その内実を無視するような議論が、建設的であるとは思わない。
 セーフティーネットを議論することは、生活保護を議論することそのものである。しかし、右肩上がりの経済成長で、多くの人が「当たり前」に賃労働で生活できた記憶が残る日本には、生活保護に対する偏見と悪意がたっぷりと詰まっている。平和だ平等だという連中ですら、そうした偏見に塗れているのが現状だろう。
 流動性とセーフティーネットを語る人間は、そうした偏見から逃げずに、一枚一枚悪意と偏見をはぎ取っていくべきだろう。
 そしてそれは、「お金」という万能の神との戦いでもある。



(20:47)

2009年06月09日

7月4日(土)18:30から「阿佐ケ谷ロフトA」で神沢敦子さん主宰のイベントに出演します。

「殺人2 −殺人から革命へ−」

トークありライブありの、パンクでアナーキーで妖しく、かつ大真面目な企画
神沢敦子企画「殺人−こんな世界は最悪だ!もう殺すしかない−」第二弾

日々様々に送られてくる、「お前なんか死んで当然!」というメッセージ。
そんな中で殺意に燃え上がること、それは「自然な人情」だ。
だが世界は、「殺意を持つ奴等は、ガス室送りへ!」と、残酷に連呼し続ける。
皆が人情を抑圧し、血も涙も失っているから、弱者が一人で孤独に「殺人」という最悪の形で、「血と涙」を流さねばならない羽目に陥る。
だが、心無い「左翼にも右翼にも絶望」し、「殺意」に身を焦がすのは、きっと君だけじゃない。「殺意という心と心」で繋がろう。
「殺意による連帯」を!「殺意」を新たなる革命の原動力へと、変換してゆこうではないか!

【出演】
・神沢敦子
半年間、無差別殺人衝動に駆られ続けた過去を持つ。AGUA GALAの「ハムレット・マシーン」に出演後、様々なアーティスト達と、コラボレーション。 現在は主に、自らの思想を訴えるアジテーション・パフォーマンスを展開。
・赤木智弘
論文「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争」で論議を呼んだ、左翼批判などで有名な論客。 著書に、「『若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か』
・山田惣
ベニート・ムッソリーニとファン・ペロンの思想に影響され、ファシストを名乗る活動家。ファシズムによる社会変革を目指す政治結社「黒い旅団」団長
・鈴木峻
ユニット「阿呆船」や宮西敬三とのコラボレーションなどで活躍する、サックス吹き兼ボイスパフォーマー。 音楽のみでの参加。
・ぺぺ長谷川
「だめ」な有様を仕方のないことと捉え、そこを立脚地にして生き直そうとして誕生した、オルタナティブな生き方模索集団「だめ連」メンバー。著書に、『だめ連宣言!』
・市野善也
元ひきこもりの、生きづらさ系を中心とする幅広い社会活動を展開する、活動家。著書に、「ひきこもりの社会理論」
・伊藤まく

OPEN18:00 / START18:30
予約¥1,000/当日¥1,200(ともに飲食代別)

Asagaya/Loft A web予約と電話予約にて予約受付中!
電話予約:03-5929-3445 (17:00〜24:00)
web予約:http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=96

出演者に直接予約も承り中!
神沢敦子ホームページ: http://homepage.mac.com/kamizawaatsuko/

※暗器使いさんのご出演は都合によりキャンセルとなりました。申し訳ございません。

 前売りチケットありますので、私に個人的に連絡をとれる方は、お問い合わせください。

日本語ぐらい読んでくれ。
 前回の更新にはてブコメントがついてて、コメントをみたけど、酷いのがいるねー。

# I11 赤木智弘, フェミニズム, 平等 「女性が強者になった」という認識の歪みに苦笑。赤木智弘の人権に対する無知がわかる空振り批判。DV被害者は圧倒的に女性だし管理職登用率も所得も男性が高い。大事な事は人間が平等かどうかだ。 2009/06/05

#ttmet この手の一部の男による「すでに女性は強者」論に対する違和感がすごい。例えば男女の賃金格差だけ見ても、口が裂けても「すでに女性が強者」なんて言えないと思うんだかが、あえて見ないようにしてるのか。 2009/06/02

 えーと、前回の文章のどこかに一言でも「今の女性は強者だ」なんて、書いてあるのでしょうか?
 どこに書いてあるの? 見えないよー。ああそうか、バカには見えないフォントかなんかで書かれてるんですかね。俺はバカだから見えないですねー。

 私が書いているのは、あくまでも「強者女性は弱者男性を養え!」と書いたら、バカなフェミに、そもそもの女性差別の文脈そのままの差別的発言をされた。という話です。
 まぁ、「また、差別されていたのも、お前のお母さんやおばあちゃんといった女であって、お前ではない。」という文章に対して「今だって女性は差別されている」という批判があるのは分からないではないけれども、この両者は「すでに女性は強者」とか「女性が強者になった」と俺が書いていると主張してるんだから、それではない。

 ここでの私の主張は、仮に強者の立場にいるのが、「男性99」:「女性1」だとしたら、「その「女性1」は男性弱者を養え」と言っているわけです。(ちなみに、これは「ちゃんと働いていれば、家庭を養えるだけの給料が得られて当たり前」という意識が社会に蔓延している状況を前提としているので、自分が理想とする社会は、これとはまったく違うということは、先に書いておきます)
 結局のところ、私は女性が差別されている状況を否定なんかしていないのです。にもかかわらず、こういう批判がくるというのは、彼らの日本語能力の欠如なのか、それともそういういちゃもん付けで相手をこき下ろすのが正当なことだと考えているのか。
 いずれにしてもこういう連中が男女差別の文脈に乗っかり、他人を非難して溜飲をくだすための材料にすることを許してしまえば、そりゃ、いつまで経っても男女平等なんて実現しませんよと。非難のための批判をする人間から、建設的な言説なんか、産まれるハズがありませんしね。


 そもそも、賃金格差について、この人たちは何を問題にしてるんだろうね?
 たぶん何も考えずに「男性に比べて、女性の賃金が少ない」ことを問題にしているんじゃないか?
 問題はそこじゃなくて、過剰な給料と福祉を男性正社員につぎ込んで、家族を養うことが当たり前だという社会体制、そしてそれを望む人たち、そのものにあるんだよ。

 「女性社員が、男性社員並のポストと賃金を得られるようになるのが、男女平等だ」なんていう、80年代後半に流行った、上っ面のお題目を唱えて、いい気になっているようでは、お話になりません。
 まさに「木を見て森を見ず」。もっとも、木すら見えているのかどうかも怪しいのだけれど。

最後に、自分の考えかたの推移を簡単に記しておく。
 自分の古い考え方を単純に非難されるのも嫌だし。

0「男性が家族を養うのは当たり前だ」(←多くの普通の人たち)
 ↓
1「女性も男性並の賃金とポストを得なければならない」(←日本語が読めない人たちのレベル)
 ↓
2以上「男性並の賃金とポストを得た女性は、弱い立場の男性を養わなければ、平等とは言えない」(←自分が『若者を見殺しにする国』を書いた時点の考えかた)
 ↓
3以上「そもそも、誰か1人に家族全体を養うような賃金と福祉を集中させるのは間違っている。家族全員が自分の生活を維持できるだけの収入を(家庭内格差の解消。家族は自立した個人の、自主的な集合体であるべき)」
 ↓
4以上「会社に労働者の家族を守るような賃金や福祉を負担させている限り、労働者は会社と対等な関係になれない(労使活動の萎縮。ダメな企業の淘汰が、労働者の生活に直結してしまう)」
 ↓
5以上「福祉の主な担い手を、企業から国に変えなければならない(正社員の賃下げ。セーフティーネットと健全な自由競争の両立。市場の効率化)」(←自分の考えかたはイマココあたり)



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