2009年11月

2009年11月02日

NHKの早朝の番組に、田辺一鶴が出てて、妖怪の名前を連呼するお得意の席を披露していた。
 昔からちょっと癖のある発音かつ、やはり高齢には勝てないようで、途中どうしても「むにゃむにゃ」としか聞こえない部分はあったものの、言葉を発する勢いには引き込まれるものがあった。
 いや、別にオチがある話ではないんだけど、無理やりオチを付けるとすれば、価値というものは、固有のものではなくて、人間が付与するものだということかな。「話」という音には物質としての価値はないけれども、それでも人を魅了するその力に対して、金銭が支払われるし、社会に求められる。
 まぁ、この先に続くのは「ところが経済不安の日本では人間の価値を値切れる限り値切ろうとし、そのために「正社員であること」資格の地位を底上げし、過去の正社員たちの金銭的価値を固有のものとして」云々なので省略。
 自らが面白いと思ったものの価値を認めることに、積極的でありたい。

朝生についての話は特にないよ。
 朝生の感想は、とりあえず自分のtwitterからコピペ。

朝生出てみての感想。ロフトは討論場。朝生は戦場。前者は論理がないとどうにもならないけど、後者は勢いがあればどうにかできる。

俺的には、朝生の議論と言うよりも、改めて「女性問題」の見地から非正規論を立ち上げ直すことが重要だと思ったな。男が政治の理論を中心にやる一方で、女性の多い自分側の席では、あんまり音の入らないところでそんなことをつぶやいていた。

途中で少しだけ口にしたけど、本当は80年代の男女問題がそういうスタンスだったはずなんだよね。でも「女性が男性並みに稼ぐ社会」を目指すことによって、ぽしゃっちゃった。

あと、ベーシックインカム論で重要なのは、「社会保障は個人が受け取る」という概念。子ども手当にしても、あれを「親に対する扶助」と考えているうちは、やっぱりダメなんだよな。まぁ定額給付金でも世帯に配ることの問題ということがあった。

終わった後に東さんが直接民主制やベーシックインカムを遂行するためには、国民背番号制が必要不可欠といってたけど、やっぱりそこに入り込むのは「それを管理する行政を信頼できるか」という信頼問題である。

田原さんが言いたいのは、「でも、官僚(行政も)は隠そうとするよ=信頼を得るだけの透明性は表れないよ」ということだろう。

だから、政治の細かい話になると混乱するんだけど、アウトラインをさらえば、昨日の話の筋はワリと必要なラインはたどれていたと思う。枝葉末節が多すぎたけど。

こんなもんか。個人的には政府をまるまる信頼することはできないけど、それ以上に企業を信頼してないから、政府に再配分させる方がいいだろうと思う。

若者の不幸は、信頼に値する他団体が存在しないことだよな。

 「信頼」などと甘っちょろいことをいうと、東浩紀に「だから若者は馬鹿にされるんだ」とか言われるかもしれないけど、社会に対する根源的な信頼は社会生活の上で必須。それが「団体」の形をとって、我々の前に立ち現れる。国とか政党とか社会とか経済とか。
 右肩上がりの経済成長時代の「信頼」とは、まさに右肩上がりの部分であって、だからこそ彼らは右肩上がりに成長する会社を「信頼」し、ただ会社の中で働くという、根源的な「怠惰」を貪っていても、家族を持ったり家を建てることができたわけだ。
 で、バブルというのは、その信頼をどんどん空手形にして利用しつくしちゃったということね。信頼信頼で空手形をバンバン社会に流した結果、「それは空手形じゃないか!」ということがバレてしまった。経済が信頼を失った。

 そしていま、私たちは信頼を経済とは別の場所に打ち立てるというフェーズにいる。
 あるものは家族や地域、そしてといった共同体に求めようとしているし、あるものは経済に別種の信頼を付与し直そうとしている。ただ、どっちにしても、これまでの空手形の乱発を批判できないかぎり、信頼は付与できないだろう。
 信頼というものは作ろうとして作れるものではない。だから俺なんかは今の社会で唯一信頼を得ている「金」(経済という総体ではなく、金単体だ)の価値を利用することが重要だと考えている。とりあえずそれで今の問題に猶予を与えて、現実的な信頼の付与を行っていくべきだろう。
 まぁ、だいたいこんなものかね。民主党政権がどうとか、直接民主制がどうとか、そんな瑣末なことはどうでもいい。
 未来なんか見ないで、足元を確認して、それから大局を見る。大局を見るとは、未来までもを含めて現実を見ること。それが必要。



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