日記

2016年11月26日

Blogを復活させようと思います。
こっちにはあまり社会的なことは書かずに、
生活のちょっとしたことを書こうかと思っています。

で、最近ですが40も過ぎて、肌の具合が気になっています。
ちょっとほうれい線も見えてきたしね。
というわけで、評価が良くてお安い、この化粧水を使ってみてます。



使用感はさっぱりしていいですね。
でも、何より良いのは安いこと。
500mlで600円弱なので、何も気にせずに使えます。
化粧水は高いものをちびちび使うよりは、安いものでもしっかりと使ったほうがいいと聞きました。
効果の程はまだ判りませんが、特に肌にトラブルもなく、気持ちよく使えてます。
こういうものは続けて後で気づくものなんで、1年位は続けたいと思います。

まぁだいたい、この程度のことを軽く書きたいと思います。
え? アフィリエイト目当て? しっ、黙って。

(22:51)

2011年11月14日



「手帳」の「帳」が、「張」になってるな。

(18:38)

2011年10月02日

2011年09月30日

2011年09月19日

2011年09月16日

適当にやってみます。
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(15:27)

2010年12月01日

アイマスの話は煮詰まったので、ちょっとお休み。まぁ、発売も2月24日に決まったし、それまでにはなんとか。

iPhone4を買った。確か、日記には書いてなかったはず。
 一番使っているのは、メールのチェックと、Twitterのツイートで、これはEMobileを使っていた頃と変わらないのだけれども、他にもNドライブにあらかじめMP3を突っ込んでおいて、iPodに入っていない曲をオンラインで再生したり、ふと、聞きたいyoutubeのアプリを利用したりして、スマートフォンらしさを謳歌している。

 それにしても、外での仕事が楽になった。
 これまでは、それなりの文章を書こうと思えば、macbookを持ち出すか、ネットカフェなどで作業をする必要があった。するとどうしても「今日は仕事をするから、macbookを持っていこう」とか「アイデアが浮かんだけど、ネットカフェに行くか、携帯電話にメモするか」という選択を余儀なくされていた。
 ポメラも持ってはいるが、結局は使うテキストをあらかじめ選択してSDカードに入れておく必要があり、「今日は外で必要しよう」という、絶対的な選択が必要になる。逆に言えば、その選択をせずにアイデアがでたときは、ネットカフェにお金を払うか、家に帰るかしかなかった。
 そうした意味で、いつでも持ち歩くiPhoneと、折畳みのBTキーボードさえあれば、どこでも1000、2000字程度の文章をほぼノンストレスで書ける環境が常にあることは、すごい進化。

 そうした環境を強力にサポートするのが、オンラインストレージの「DropBox」と、iPhoneのアプリケーションの「Textforce」
 DropBoxにあるテキストファイルは、標準のDropBoxアプリでは、別のテキストアプリにコピーして編集をする必要があるが、TextforceはDropBoxのファイルをそのまま読み込み、そのまま編集することができ、自動的に保存してくれるので、あたかもDropBoxに置かれたテキストを、直接編集しているかのような使い心地。
 デスクトップでのDropBoxの使用感を、ほぼiPhone上で再現できる。
 もちろん、そうして書いたテキストは、DropBoxの機能によって、自動的にmacやwindowsでもアップデートされ、その続きは家でじっくり行うことができる。
 まぁ、欲をいえば、Textforceの編集機能が、書き込めるだけで他にほとんど機能はなく貧弱なので、「iText Pad」並の編集機能が欲しいとも思う。というかiText PadがDropBoxに対応してくれたら最高なんだけど。
 それでも、いまのところTextforceが、iPhoneアプリの中では、もっとも買ってよかったアプリですな。

 ついでに、このリンクからDropboxに登録してもらえると、私のDropboxの容量がアップするので(登録する人も、通常の2GBプラス、容量が250MBアップするはず)、もし使いたい人がいたら、ここからよろしくです。
 iPhoneで使わなくても、winにmac、そしてlinuxでもつかえるし、テキストファイルの同期程度なら、自宅での共有であっても、LANで共有よりスマートに共有できますよ。



(22:49)

2010年06月15日

東洋経済オンラインに「トイレの現場から見えてくる話・その1」という話があった。
 これを読んで思い出したのが、伊集院光が少し前にラジオでしていた話だ。

 伊集院のラジオは月曜深夜から生放送で行われているが、打ち合わせなどのためにTBSに入ってトイレに行くと、いつもトイレにウンコが流されずにあるのだという。
 ところが、TBSのトイレはセンサー式の自動水洗で、用を足そうとすれば、普通は放っておいても流れるようになっている。むしろ流さない事は至難のワザである。このXファイルよろしくの怪奇事件に対して、伊集院と助手の「汚いメーテル」こと構成のスカリー(ウンコだけに)が、犯人像を突き詰めていくわけだ。
 もし、センサーに流さず、用を足すとすれば、かなりアクロバティックな姿勢で用を足す事が求められる。
 そこで伊集院たちが思いついたのは、「ある種の人たち」のトイレにおける行動である。
 つまり「洋式トイレに座るのが嫌な人たち」や、「洋式トイレに違和感がある老人」が、洋式便器をどのように使うのかといえば、洋式便器の上に乗っかって、和式のような形で用を足すのである。
 さらに、ウンコを流さないというのは、センサー式のトイレになれていない人。若い人ならセンサーに手を近づけて反応させるなどを思いつくだろうということにも思い至る。
 そして伊集院たちは、「犯人は、月曜日にTBSラジオにいて、長寿番組をもっているおじいちゃんおばあちゃんなのではないか?」という推論に行き着く。

 そして、ある日、スカリーがトイレに行って、便器を確かめたが、流されていないブツはなかった。トイレを出ようとした時に、目を付けていた、とある長寿番組のラジオパーソナリティーがそのトイレに入っていった。彼がトイレを出た後に、急いで便器を確かめるとそこには!!! トントントン トントテントン トンテントン

 まぁ、そんな話なわけです。
 東洋経済の記事に出てくる小学生の男の子は、洋式トイレに慣れ親しんでいるから和式トイレがつかえない。そして伊集院の話に出てくる「的こころ」なご老人は、和式トイレに慣れ親しんでいるから洋式トイレやセンサーがうまく使えない。どっちの話も、本来、それだけのことです。
 しかし、伊集院の話は、ご本人のキャラクターも含めて「笑い話」になっているのですが、その一方で東洋経済の記事は、医者などの権威を出して、筋肉がどうのこうのと、俗流若者論に貶めているわけです。
 もし私が、「タッチパネル式券売機の使い方が解らず、まごまごしている老人」に対して、同じような記事を書いたらどうなるだろうか?

 『先日、駅で奇妙な場面に遭遇した。
 杖をついた90代とおぼしき老人が、駅の券売機の前で不安そうな顔をして立っている。切符を買いたいようである。
 よく見ると券売機は開いている。誰も使っていない。駅員が通りがかると、老人はそそくさと話しかけて、切符を買ってもらっていた。
 後で脳外科の医者に聞くと、今の老人の何割かはタッチパネルが使えないのだという。
 彼らは前頭葉が退化し、新しい技術を受け入れて、操作する事ができなくなる。自分で切符を買おうとしても、券売機をストップさせるのがオチである。
 駅の老人はタッチパネルの操作が出来ないから、駅員を待っていたのだろう。
 ……
 さて、脳外科医によれば、切符を買えなかった老人は、
「切符を買えるのでまだましなほうです」
という。技術の進化におどろき、外出恐怖症に罹っている老人も少なくないという。
 一部ならいいが、老人にタッチパネル恐怖症が蔓延しているとすると、これは横着とは別次元の由々しき問題である。 』

 こんな恥ずかしい記事、俺なら書けない。
 ただ、少しだけ思うのは、この記事は完全に創作であるが、単純に自動改札とか、老人は使いにくいだろうなとは思う。
 自動改札は少し時間が経つと自動扉が「バンッ」と音を立てて閉まるので、つい早歩きで通過してしまう。それができる人はいいが、老人はなかなか難しいのではないだろうか?
 また、俺なんかは背が高いからいいが、背の低い人には、あの自動改札は威圧感があるのではないか?
 俺の場合は、タッチパネルや自動改札でまごついている老人を見たとすれば、「そうしたシステムに問題があるのではないか」と考えてしまうのが常であり、あまり「個人に問題があるのではないか?」とは考えない。

 また、トイレに関しては、少なくとも俺が子どものころから、小学校のトイレではウンコをしてはいけないという風潮があった。実に馬鹿馬鹿しい風潮ではあるが、小学校という村社会において、学校内でウンコをするなどという失態を晒すという事は、その後の在学期間、学区を考えれば中学生卒業までの期間に至るまで「ウンコマン」というあだ名で呼ばれ続けかねない。周囲が気軽にそう呼んだとしても、本人には一生のトラウマとして、人生を左右する事になる。
 記事中の「大人なみの便秘や過敏性腸症候群に罹っているケースも少なくない」という話は、そうした「排便」と言う人間の自尊心をめぐる問題なのであり、決して「大腿四頭筋が退化しているので、和式トイレが使えずひっくり返ってしまう」などという、牧歌的な話ではない。

 あと、老人世帯で、足腰が弱くなって和式便器が使いにくくなっているので、洋式化のリフォームが増えているなど、トイレにまつわる話は色々とあるのだけれど、「その1」でいきなりああした単純な俗流若者論を放ってしまったトイレの話の「その2」がどのようなものになるのか、楽しみである。



(00:20)

2010年06月03日

ラーメン二郎がブームらしい。
 経済誌の『PRESIDENT』でもラーメン二郎が取り上げられた。
 どこもかしこも不況の中で、本店はもちろん、支店まで含めて行列を絶やさないラーメン二郎のビジネスに、経済人も食らいついたのだろう。
 実をいうと、この二週間ぐらいで、ラーメン二郎を数店回っていた。
 別にブームに便乗したわけではなく、たまたま「ここ数ヶ月、ラーメン二郎行ってないなー」と思って、桜台の二郎に食べに行ってから、なんとなく二郎づいてしまっただけのことである。また今はまったく食べる気にならなくて、次に食べるのはまた数ヶ月後だと思う。

 ここから本題なのだが、先に言っておくと、この文章で二郎のビジネスモデルを査定したり、二郎の人気の秘密を探る気はない。そういうことを期待している人は回れ右で。

 ラーメン二郎はチェーン店ではあるが、味は各店で違う。もちろん「二郎」という食べ物としてのベースはあるものの、味は各店で大きく異なる。そうした各店の個性が、「各地の二郎に行ってみよう」という二郎ファンへの誘因に繋がっている。
 そうした中で、別に毎週のように食べる二郎マニアではないけど、私も、たまに遠出をして散策がてら各地の二郎に行っていた。
 ネット上に「二郎コピペ」(1) (2)と呼ばれるジャンルの文章がある。その多くは他の飲食店と違う、二郎独自のシステムを大げさにおもしろおかしく表現したものである。
 私もこのコピペを話半分で面白がっていた。これまでに回ってきた二郎では、もちろんあまりちんたら食べてはいけないという意識はあったが、私も食べるのが早い方なので、その辺は気にせずに済んだ。
 しかし、目黒二郎に行った時には、さすがに二郎コピペに描かれる「ロット」を気にせざるを得なくなった。

 「ロット」とは、二郎の麺を1回茹でる時に、何人前ずつ作る事ができるかを1とする単位である。
 二郎は行列店なので、常に同じペースで麺を茹で続ける。その際、一度に何人分ずつ作るのかが「1ロット」となる。目黒の場合、1回に5人分の麺を茹でるので、「1ロット5人」である。
 私がこれまで行った、他の二郎で食べている分には、席は食べ終わった順に開き、そこに次の人が座る。その席はバラバラなので、ロットごとに二郎が提供されていても、そのことを明確に意識する事はなかった。
 しかし、目黒の場合、1ロット5人、かつ、テーブルがL字になっていて、片方(A列)に5人、もう片方(B列)に5人。計10席。つまり、1回の提供ごとに片方の5人ずつに提供される。
 あなたがA列に座ったとしよう。自分の列5人に、茹で上がった二郎がほぼ同時に提供される。食べていると、次にB列の5人に提供される(1ロット目)。そして次に提供されるのはどこか。もちろんA列である(2ロット目)。

 二郎コピペでは、食べる時間制限として「2ロット」という表現がされる。2ロット越えてまで食べ続けるのは「ギルティー」だという。
 行列店である二郎では、常に同じペースで麺が茹でられている。二郎に並んでいると、列の先頭付近で先に食券を確認されたり、ラーメンのサイズを聞かれることがあるが、これは行列に並んでいるうちから麺を茹で始め、速やかに二郎を提供するためである。そうして茹でられた麺が、ゆで上がった時に、もし席が開いてなかったらどうなるか。席が開いていない分の麺が無駄になってしまう。また、開いてない人の麺は、次のロットに回される。そうなるとその後に並ぶ人がその分だけ、長時間待たされる事になる。
 店は2ロットまでに席が開く事を前提に麺を茹でている。そうした前提を崩すことは後の客の迷惑になるからこそ、「2ロットを超えて食べ続けるロット乱しはギルティー」なのである。
 そうした事が、列ごとに同時に提供され、横一列で同一ロットのラーメンを食べることになる目黒二郎では、おのずと自覚させられた。A列に座って二郎を食べながら、B列に二郎が提供されるのを目にしたら、制限時間はあと1ロットなのである。
 「ロットバトル」なんていう表現も、そうした二郎の風景を表した言葉であろう。サウナなどで「こいつが出るまで我慢する」ような、しょうもない競争心が芽生えるように、二郎でも「同一ロットのこいつより先に食べてやる」という競争心が芽生えるのだろう。ただしこっちは、実際に意味のある「2ロット」と違い、単なるネタである。

 ネットなどに描かれる二郎の姿をみると、二郎はおもしろおかしく「ヤサイマシマシニンニクカラメ」などという呪文を唱えなければならず、ロットバトルに敗れたものは屈辱を味わい、ロットを乱した者は店主に土下座などと、過剰におもしろおかしく表現されている。
 しかし実際は、「(小)ラーメン」であれば、普通の男性が私語とかなしに集中して食べる分には、十分食べられる量であり、トッピングのコールについても、「ニンニク入れますか」と聞かれたら「お願いします」とか「入れないでください」で十分である。私もたいていの場合はトッピングはニンニクのみだ。
 後ろに人が並んでいる事を自覚し、彼らに迷惑をかけない事だけを考えていれば、おのずと取る行動は決まってくる。ついでに、基本的に丼をカウンターに上げ、自分の周囲を備え付けのふきんで拭く事を忘れずに。

 最後におまけとして、ちょっとした情報を。
 二郎は行列店なので、普通は食べるために並ぶ事になるのだが、私が食べて回ったうち、唯一並ばずに食べられ、かつ食べている間も空席があった二郎が、実はラーメン二郎の本店にあたる「三田二郎」である。
 もちろん三田二郎は不人気店ではない。それどころか、二郎の創業者である山田拓美氏が元気に厨房に立つ、屈指の人気店である。そんな三田二郎を、行列に並ばず、すぐに食べられたのはなぜか。
 二郎のファンサイトなどには営業時間が10時からと書かれているが、実は三田二郎は朝の9時過ぎぐらいから営業しているのである。私はその時間に行って食べたのである。もちろん、常時ウォッチしているわけではないのでハッキリとは言えないが、9時から10時の時間であれば、ほぼ行列ができることはないようである。
 もし、これから始めて二郎を食べるという人がいれば、この時間帯の三田二郎をお勧めしたい。ロットも気にする必要もなく、食べるのが遅かったとしても、並んでいるジロリアンから「ギルティー!!」と土下座を要求される事もない(笑)。
 もっとも、朝早くからたっぷりの二郎を食べるのは、少々キツイかもしれないし、電車で行くにも通勤ラッシュに揉まれなければならないのだけれど。



(18:24)

2010年02月07日

渋谷のユーロスペースで絶賛公開中の『おやすみアンモナイト 貧乏人抹殺篇/貧乏人逆襲篇』を見てきました。
 一度、素人の乱で見たのですが、細かいところで色々と変わっていました。特に音の調整にはかなりの力を入れていたようです。
 開演前にキャスト陣の舞台挨拶があったのですが、皆さん渋谷でビラ配りなどをしていたようです。当日はかなり寒かったのですが、作品に対する意気込みが伺えます。

 作品内容は「貧乏人抹殺篇」と「貧乏人逆襲篇」が交互に描かれています。
 抹殺編は父親がリストラされ失踪してしまった家庭で、少女が貧困の波に流されながら、自分を失わないように必死にしがみついていく物語。
 逆襲編では、「素人の乱」の松本哉をモデルにした主人公が、革命や祭りへの思想や、男と女の問題のなかで揺れ動きながら、自分のするべきことを見つけていく物語。
 いずれも、貧しさの中で、自分なりの生き方を模索し、そこにたどり着こうとする物語です。

 貧しい人に「希望を失わないで」と助言するのは簡単ですが、ただ言うだけならそれは言った人間の優越感や見下しにしかならない危険を伴う中で、こうした作品という形を通して貧困を見つめてもらおうとすることは、非常に重要なことだと、私は考えます。
 娯楽作品でありながら、けれども貧困を見つめつつ、それでも悲惨でお涙ちょうだいなだけの作品では終わらない。
 おやすみアンモナイトはそんな作品だと、私は思います。

 『おやすみアンモナイト 貧乏人抹殺篇/貧乏人逆襲篇』は、渋谷のユーロスペースで19日まで。



(21:38)