書評

2010年10月02日

本日19時より、阿佐ケ谷ロフトAで、「考えよう、若者の雇用と未来−働くことと、生きること−」というイベントに出演いたします。出演者は以下の通り(プラス、シークレットゲストがいるらしい)。お時間があれば是非。
 あと、二コ生もありますので、遠方の方はこちらで。

司会
荻上チキ(批評家)

出演
雨宮処凛(作家)
赤木智弘(フリーライター)
山内太地(大学ジャーナリスト)
ペペ長谷川(だめ連)
大友秀逸(加藤智大被告の元同僚)
清水直子(ライター・フリーター全般労働組合)
塩見孝也(元赤軍派議長)
増澤諒(就活生の本音フェス実行委員会代表)
大瀧雅史(就活くたばれデモ@札幌・首謀者)
AT(氷河期世代ユニオン)ほか ※ 敬称略

参加費:
前売1500円/当日1700円 (8月25日よりローソンチケットにて販売開始)

『代替医療のトリック』読了

 分厚いけど、文字の密度はさほどではなく、文体も平易で読みやすかった。
 まぁ、JCCastで代替医療の話は何度か取り上げているので、予備知識はそれなりにあるから、スラスラ読めたのかもしれないけど。

 本自体に書かれた話としては、《科学的根拠に基づく医療》エビデンス=ベースド・メディシンが、いかに公共の利益に添うものか、そしてエビデンスに基づかない代替医療が、人の生命を危機に追いやるかという話。
 私は、本を読みながら「我々はどうして、権威よりも、身の回りの「真実」とやらに、騙されてしまうのだろう」ということを考えていた。
 それこそ「ネットで真実」の方たちは、新聞やテレビで報じられるものを「マスゴミ」と揶揄し、自分たちが【拡散】する情報こそ、マスゴミが必死になって隠す本当の真実だと思いたがっている。
 もちろん、現状のマスコミが《客観的根拠に基づく報道》だなんてはずもなく、とても堕落しているけど、だからといって、じゃあネットの真実を伝えてくれるニュースサイトは堕落していないのかと。ネットで真実と言う人達ご用達のニュースサイトは、それこそ「曖昧なソース」「露骨な印象操作」にまみれている。そして、マスゴミが金で報道を切り売りするように、ニュースサイトはアフィリエイトで金を稼いでいる(そう書いているこの文章の冒頭に『代替医療のトリック』のアフィが貼ってあるのは、ご愛嬌)。そして、お金を稼ぐために、他サイトにヘッドラインを引用されたときに、できるだけ目立たせようと、読者の目を引くヘッドラインを演出している。
 簡単に例をもってくると、例えば経済学者の森永卓郎が、秋葉原にアダルトショップが増えていることへのコメントをしているこの記事。
 これがニュースサイトに引用されると。「森永卓郎氏「オタク男性の“二次最高・二次元で満足”は嘘。女性に相手してもらえないので逃げている」
 となる。カッコ書きで、まるで森永の発言のようにされている内容は、この記事の中には「ない」といって過言ではない。
 この記事もそうだ、楽天の三木谷浩史が基調講演を行った中で、「日本語で1時間もしゃべったのは久しぶり」としゃべったことが、ニュースサイトに取り上げられると「楽天・三木谷社長が講演「やべー日本語で1時間もしゃべったのは久しぶりだわー」」と変化してしまう。もちろん三木谷はこんな地獄のミサワのような口調でしゃべってなどいない。
 最近のニュースサイトは、こうしたヘッドラインでの印象操作合戦を繰り返しており、東スポやゲンダイも真っ青で、どれだけ堕落したマスコミといえど、ここまで酷いものはほとんどないという状況であるにも関わらず、いまだに「ネットにこそ真実がある」と信じている人達は、決して少なくない。彼らと代替医療にのめり込み、お金と生命を浪費する人たちは、私からは同類に見える。

 たぶん、どっちも「心地がいい」のだと思うね。
 自分が「何となく信じている」ことを、面と向かって肯定されることは、誰だって気持ち良い。
 それが、細かな違和感を無視して、自分を肯定してくれる方向へ突き進んでしまう。「それは間違っている」「もっとよく考えるべきだ」という否定の声は、耳障りの悪いノイズに変わり果てる。体感として正しいものを、理性は容易に乗り越えることはできない。
 とはいえ、それが自分の命や知性を危機に晒すだけであれば、勝手にやってくれればいい。それは「愚行権」の範疇であり、愚かしい趣味もまた、その人の人生を豊かに彩ってくれる。
 しかし、こうした人はたいてい、それを善意の元に他人に広めようとする。否定の声はむしろ「この真実を伝えなければならない」という天啓を伴ってしまう。そして、曖昧でいい加減でせいぜい「友達の友達の知り合いがこんなことを言っていた」程度の情報を信じてそれを広めようとする。医者やマスコミという鼻持ちならない権威より、友達の友達の知り合いの方が信頼できるのだろう。もっともその人間が誰で、何をして生計を立てているかなんて、誰も知りようが無い。自分の作ったデマ話で金を儲けて高笑いしているかもしれないというのに。
 そしてそうした【拡散】の被害にあうのは、いつだって子供や動物といった、立場の弱い者たちだ。ホメオパシーは明らかに「子供や動物を飼っている親」をターゲットにしている。『代替医療のトリック』の中にも鮫の軟骨にガン抑制の効果があると信じ、子供をガンで殺してしまった親がいたという話が出てくるが、嘘か真か、ネトウヨの中にも子供にネトウヨレベルの知識を教え込んでいる親がいるそうだ。

 代替医療の問題は「明確なエビデンス」を持ちながら、それでもなお、インチキとしか言いようの無い代替医療が蔓延り、決して少なくない支持を得て現実に人の健康を損なっている現状を示している。ならば、すべてがケースバイケースで臨床試験などしようがない政治や社会の問題において、幼稚で暴力的な言論を排除していくことは、きわめて遠い道のりである。



(03:56)

2009年07月18日

『精神』見てきた。

 えーと、この映画を「精神病の内側を描いた作品」だと思ってみると、拍子抜けすると思います。
 まぁ「育児に対する精神的ストレスや、周囲の無理解から、赤ん坊を殺してしまった女性」なんかもいますが、そういうことが、この映画のベースではありません。
 あくまでも、私たちは「開かれた精神病院」を背景に、談笑したり、自分の過去と対峙する普通の人々を見るだけです。あれが居酒屋であっても違和感はありません。
 ちなみに一番笑ったシーンは、街角のシーンで、意図的に共産党の「確かな野党」というキャッチコピーで志井さんが微笑んでるあのポスターが映されているところですね。
 というわけで『精神』には、政治的なものが意図的に含まれています。精神病患者は周囲によって生かして貰っているというのが現状でしょう。それは行政からの福祉もそうだし、山本所長の尽力でもある。
 福祉は「障害者自立支援法」によって切り捨てられ、山本所長もスタッフの話から、10万円ぐらいのお金しか貰っておらず、生活は年金によって支えられていると語る。
 ということは、年金がまともに貰えない世代には、山本所長のようなやりかたはできないということでもあります。
 作品中で、患者さんの一人が「生活は、人間関係とお金が半々」というようなことを言っていました。
 生活だけで言えば、彼らは「精神病患者」という結びつきで、俺なんかよりもはるかに豊かな人間関係を築いている。けれども、福祉が切り捨てられる中で、今後の生活の目処は立たない。お金がないのは俺も同じか(笑)
 だからこそ、この作品には患者たちの姿だけではなく、「政治の話」がいっぱい出てきます。というか、政治の話に触れざるを得ないのです。

 そして、この作品を見た私たちが、彼らに対して何かできるかといえば、政治のことを何とかするしかできないわけです。
 というか、精神病でも貧困でも老人でも片親家庭でも、そうなのだけれど、私たちが彼らに近しい存在であれば、「生活」の半分側、人間関係をなんとかすることもできる。
 しかし、遠方の縁もゆかりもない私たちが、彼らに対してできるのは、やはり政治的な側面、すなわち、福祉を維持することによって、お金を回すことでしか、彼らを支援できないわけです。
 ところが、それが日本だと「人間関係を何とかしましょう」という方向ばかりに寄りがちなんですね。ボランティアとか、そんな一時的な人間関係を作って、それで「私は弱者に対していいことをしました」みたいな、満足感を得てしまう。

 だから、日本においてタブーなのは、精神科のカーテンだけではなく、精神病患者の生活が、福祉によって、つまり「政治とカネ」によって守られているということの方が、より強いタブーなのではないかと、思いました。
 「“豊かな日本”で、一生懸命生きている人たちが、生活に困るハズがない。生活に困る人間は、サボっているのだ」というのが、日本の常識ですから。
 『精神』は、このような「普通の人々」と政治の関係をあぶり出す作品である。そう感じました。



(10:09)