2006年08月05日

2005-2006回想

2005年から2006年を振り返る。
あれから一年がたった。
2005年石垣島から戻った後は激動だ。
石垣島のお土産で紅芋タルトが女性に大好評だったのも記憶が薄れるくらいだった。
9月の人事異動で部長が交代し、まったく何もしない部長の下、経営会議に提出する数字を拾っていくことから始まり、部署をまたぐ業務フローをマニュアル化するなど、ほぼ全ての仕事が投げつけられてくる。
良く言えば、自分を成長させる機会になったが、毎日終電で帰る日々の始まりだった。

10月からは、色々あって規模は比べ物にならないがうちの会社でいう松下政経塾の事務局長を任され、司会をすることになった。
塾には出席することに意義を感じる人間が大半を占めるようになっていた。
サラリーマンの性分なのか。
そういう人間に限って、塾で議論が深まらないのは進行が悪いからと風当たりが強くなり、塾への責任感から食べ物がのどを通らない日々が続いた。
そのせいか健康診断では異常値が出た。

11月、何もしない部長が経営会議で対面を保つために大きな土産物を持って帰ってきた。
当時、通販部門である一社の商品しかフルフィルメントをしていなかったのを、全ての商品においてフルフィルメントしていくという。
たった一社の商品でもマンパワー不足だった中、電車が動いている時間の間、否が応でも業務改善をした。
そんな中、一緒に戦ってきた同期が辞めた。
互いに強がり、張り合いながら高めあってきた戦友だった。
自分と違って図太く、弱音をはかなかった奴だったが、結婚式がきっかけで会社とぶつかることがあり、引止めに応じず去ることになった。
会社からは自分に対して形式的な形でしか理由を説明されず、あいつも口止めされていたので、人を信用しない会社に対してやりきれない気持ちだった。

そんな中、12月創業当時から続く当社の社風でもある社内行事の実行委員に選ばれ、何も段取りがされておらず引継ぎもされない中、暗闇の中を責任感で走っている感じだった。
なおかつ12月は新商品の開発プロジェクトメンバーに選ばれ、金曜日の夜更けに言われ月曜日から動き出すと言う急ごしらえの新商品のアンケートを一人で作って集計し、電話で情報を収集し、なれない大きなミーティングの中発言を求められる日々だった。
2005年を振り返るとプラスに考えれば、チャンスの連続だった。
マイナスに考えれば、体を壊してでも仕事にささげた一年だった。
仕事のことを振り返れば、プラスになるかマイナスになるかは、これからの自分の行動と考え方次第だと思っている。

そんな中プライベートで、年末に久しぶりに高校時代の友人と食事をした。
高校時代は、欠席・早退がやけに多い奴ばかりだったが、今はまじめに仕事をしているという。
教師と広告代理店と外資系の人材紹介でイギリス勤務をしている奴。
肩書きだけ聞けばまっとうだが、飲んで話すと中身は変わっていない。
行きつけのおこのみ焼き屋で飲んで話せば、いつでも高校時代に戻れる。
ぐでんぐでんに酔っ払った後、バーでそれぞれの夢を語り合った。
仕事で張り詰めた中、馬鹿なことを躊躇なく話せる仲間を本当の宝物だと思った。

これほど一年が早いものかと思うほどの勢いで新年が明けた。
去年から人員が一人マイナスで始まった1月だったが、人間怖いもので殺人的な業務時間も慣れてしまってきていた。
慣れは怖いものである。
良い意味でも悪い意味でも。

2月、部長が謹慎で会社に来なくなり、変わりの部長が来た。
若い会社なので適切ではないかもしれないが、新しい部長は畑違いであった。
しかし、人間を見る目があり、苦しみながらも現状を変えていこうとする人だった。
自分は部長が好きでよく飲みに誘ってもらい、朝まで熱く語ったのを思い出す。

3月、月の中旬に人事異動で人事部にいくことになった。
やっとこれから面白くなるという時期だったのに。
後輩に泣かれるのが辛かった。
人事部の研修課が配属だったが、実務は社長秘書。
取り急ぎの仕事は、4月に入ってくる新卒の研修プログラムの作成が任務だった。
会社として新卒を本格的に大量採用をするのが初めてで、いつもながら何もかもが初めてだったが、昇格し課長代理という役職がつきプレッシャーの毎日だった。
そんな中、幼馴染が結婚することになり、式には小学校時代からの幼馴染が何年ぶりにか顔をそろえる機会があった。
みんな忙しく休みなしに働いている奴ばかりで勇気付けられる。
昔話で盛り上がり、疲れた顔で無邪気に笑い合った。
時間を忘れて童心に戻れるそんな場は、これで最後かなと頭によぎり寂しくなった。
みんな良い奴なので、幸せになってもらいたいものだ。

4月、新入社員が入社してきた。
合宿に同行し合宿施設と無理な交渉し、ぎりぎりで体裁だけ整えながら、中身をどたん場で考えながら作っていく。
夜中にミーティングをし夜更けまで日報のコメントを書くし、どんな相談にも乗る。
眠れない日が続いた。
新卒がやがて本配属で地方に飛び立っていく頃には、寂しい気持ちで一杯になった。
そんな気持ちに浸っている暇もなく、月の下旬は慣れない採用の仕事で全国を飛び回った。

5月、連休が明け会社のコンベンションでフランスに行かせてもらうことになった。
束の間の休息だ。
電車の窓に映る自分の顔の目の下のくまが、限界に来ていた時期だった。
フランスでは本当に自由に動くことが出来た。
一生治らないであろうと思っていた肩こりも少し軽くなったようだ。
フランスでは、良くも悪くも立ち止まって考える時間があった。
ルーブル美術館の喫茶店で、フランスの空を眺めながら、子供の頃からの夢を振り返った。
改めて考えてみるとずいぶんたくさんの夢を諦めながら大人になってきた自分に気づかされた。

6月、信用できない上司の下、慣れない社長秘書の仕事に記憶が無いくらい悩んだ日々だったが、自分にも部下が出来た。
感情を押し殺して、少しづつ組織のマシーンになろうとしている自分が嫌で、本音で話せる役員の方に相談に乗ってもらう日々だった。

7月、母方の祖母を預かることになり、色んな意味で大変な日々を送ったが、休暇をとり祖母と過ごし、「あんたは本当に優しい子やな。きっと良いお嫁さんに出会うと思うわ。」と言ってくれた祖母のしわくちゃの笑顔に胸が引き裂かれそうになった。

振り返れば本当に色んなことがある。
今までは、仕事に対してがむしゃらにチャンスと思って色々やってきたが、この頃腑に落ちないことが増えてきた。
少しは視野が広がったのか知らないが、人間的な感情を無くして、割り切って機械的に要領良くやっていくことが仕事と割り切ろうとしている自分とそれを許せない自分がいる。
サラリーマンでいいという自分とそれを認めたくない自分がいる。
子供の頃に持っていた大切なものを失いかけていて、なりたくなかった人間になりつつあるのが現状だ。
それを割り切るのが大人と言うのかもしれないが、このままでいいのかと自問自答を繰り返す。
そろそろ決断すべき時が迫っていることを感じながら、眠れない日々が続いている。

shimanookurimono at 03:43|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 2006回想 

2006年07月29日

3度目の石垣島 2005 (6)

石垣島最終日。
いつもより早く起き荷物で膨れ上がったバックパックに最後の詰め込みを行う。
いつもの事だが旅行に行く時は、最小限の荷物で家を出るのに最終日にはもうこれ以上カバンに入らない程だ。
見るからに重い荷物を引きずり、朝食に付いた。
いつも目にしていた琉球放送が寂しく映る。
石垣空港までは、朝食の後に車で送ってもらうことになっている。
惜しみながらも最後の朝食を平らげ、出発する時間になった。
今回の旅では本当にお世話になったTさんと民宿花城の方にお礼と別れを告げ車に乗り込んだ。

悲しくなるよう様な晴れ渡った空の中、車は空港へ走り出す。
空港までは約30分。
やさしい風景がどんどん流れて行く。
あまり言葉が出ない自分に、花城さんが「また、来ればいいよ。」と言ってくれた言葉がやけに響いた。
とうとう石垣空港に到着。
本当にお世話になったお礼の気持ちを伝えて別れ、飛行機の搭乗手続きに向かった。
登場までの待ち時間、これから飛び立つ晴れ渡った空を見つめながら、頭の中で今回の旅を振り返っていた。
今回の旅は本当に人との繋がりが多くのことを感じさせてくれた。
このネット社会の中で、人を通じて出会い、知り、広がっていった旅になった。
重い足取りで飛行機に乗り込み、ビジネスマンとして成功して必ずここに戻ってくるという想いで嫌になるくらい晴れ渡った空へ飛び立った。


竹富島アイヤル浜


   竹富島 アイヤル浜にて撮影




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shimanookurimono at 21:54|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 3度目の石垣島 2005 

2006年07月27日

3度目の石垣島 2005 (5)

石垣島 米原の夕日







石垣島4日目。
明日朝の飛行機で石垣島を離れることになる。
今日が実質最終日だ。
いつもと変わらない時間に朝食をとがら、今日の予定を考える。
毎年同じだが、最終日になると何故か頭が回らず予定が組めない。
雲の多い空を眺めながら考えていると花城さんが、「Tさんと一緒に民宿の車を使って石垣島を一周してきたらいいよ。」と言ってくれた。
よく考えたら石垣島には3度目だが、高速フェリーで離島するばかりで、あまり石垣島を一周したことはなかった。
そうと決まれば早い。
Tさんに案内してもらい出かけることに。

せっかくの機会に観光地に行ってもしょうがないので、Tさんにお勧めまたは本人の行ってみたい場所を選んでもらうことに。
午前中のコースは決まった。
平久保崎の更に先、平野から海に出る海岸を探し、久宇良のサンセットビーチを目指し、明石食堂で石垣島一うまい八重山そばを食べ、八重山ヤシ園で搾りたてサトウキビジュースを飲むというのがコースだ。

何故かバタつきながら荷物をまとめ車に乗り込み出発した。
太陽の光と小雨が入り混じった天気の中、見渡す限りの自然に囲まれ軽自動車を走らすこと約30分。
平野に到着。
視界一面に自然に囲まれた田舎風景が広がる中、勘を頼りに何度も海岸へ続く道を探してトライするが、ことごとく行き止まりになる。
失敗を繰り返すうちにだんだん勘が冴えてくる。
二人の勘が一致した場所に車を進めるているうちに、草木の中をかすかに続く道の向こうに青い背景が映ってきた。
ようやく海岸に到着した。

東シナ海が一面に広がり、平久保崎を下から眺める絶好のビューを独り占めしている気分だ。
あまり知られていない場所を自分達が見つけた喜びが込み上げてくる。
潮の流れからか何故かゴミの多い海岸沿いをTさんの地元静岡の話をしながら二人して歩いた。
静岡では町おこしの一環として始まった大道芸人のワールドカップがあり、世界中から何十万人も動員するという。
まさにサッカーのワールドカップ並みの規模に驚き、地元企業にとっては格好のビジネスチャンスになり経済を潤していることを想像しながら時間が流れた。
日差しが肌を焼き付ける高さになってきたので車に戻り海岸を後にすることに。
海岸からの道を戻りながら、苦労して見つけた道の目印を頭の中に焼き付けた。
郵便ポストを左。

天候が不安定な中、久宇良のサンセットビーチを目指す。
到着し駐車場へ車を止めビーチへと続く道を進む。
子供の頃にした探検を思い出すような木々の間をすり抜ける道が続き、ビーチに出た。
海岸線沿いにところどころ途切れて続いているが砂浜が続き、遠くの岩肌に囲まれた魅力的な砂浜が見えた。
行けるか行けないのか妙に気になり二人してその海岸を目指した。
海岸の淵の岩肌を白い鳥がぴょんぴょん飛び跳ねながら進むのに誘導されて50メートル程進みようやく到着。
石垣島に来るようになって何故か人があまりいないところに到着するとうれしく思える。
あまり人気のない浜に子供の頃に読んだ十五少年漂流記を思い出した。
特にビーチで泳ぐことはしなかったが、満足してビーチを去った。

次に目指すは明石食堂。
車で10分ほどで到着するが、残念ながらお盆で休みであった。
子供の頃に、お盆や正月に買い物に行ってもほとんど店が閉まっていたのを思い出した。

あきらめて八重山ヤシ園へ向かう。
民宿花城の前に立ちはだかる於茂登(おもと)岳をひたすら駆け上がる。
観光バスが並ぶ駐車場に車を止め、ヤシ郡の中を進む。
木から直接葉っぱが生えている木が気になりながら、ヤシ郡の中に身を落ち着かせた。
今まで森林浴には興味がなかったが、わかるような気がしていた。
すっかり浸ってヤシ郡から出て、お待ちかねの生絞りサトウキビジュースを飲みに行ったが、サトウキビを搾る機械がちょうど故障した。
おじさんに何とかお願いして今から修理してもらうことになった。
機械は台湾から仕入れたもので、10年程使用しているという。
いつもの事のように修理が始まり、15分程続いた。
最近、物が壊れてもすぐに買いなおすようになっていたが、子供の頃は壊れたら直すというのが当たり前だったのを思い出しながら作業を見守った。
切られたサトウキビが一本づつ機械を通って圧搾されていき、絞り汁が溜まっていく。
全てが自然から生み出された飲み物は不思議な味でおいしかった。
コップ一杯だが、都会では味わえない贅沢な気分だった。

そろそろお腹が空いてきたので、昼食を取る場所を探しに行くことに。
Tさんが、一緒に食べに行く相手を捜してくれていたが、つかまらずに二人で石垣牛を食べに行くことに。
石垣牛の握りとゴーヤーチャンプルーを注文するといつもにも増して大盛りの料理がテーブルを覆いつくした。
食べ切れるのか自信はなかったが、とにかく空腹を満たそうと食べに食べたが、どうしても完食出来なかった。
食べに行って料理を残すのは、子供の頃以来な気がした。
空腹感で一杯で店を後にし、午後の予定を考える。
午後の予定は、八重山民族園からミンサー織りのみね屋工房に行き、Beahに明日帰る挨拶に行き、車を貸してくれたお礼の品を買い戻るという予定だ。

早速、八重山民族園へ。
まずは、安里屋ゆんたに合わせてさんばを練習する館に行った。
リズム感のない自分にはなかなか難しいものがあったが、民謡居酒屋に行ったときから一度は叩いてみたいと思っていた太鼓に挑戦でき大満足だった。
その後、古い館を見て植物の葉っぱでの虫かご作り等見学し、リス猿園へ。
リス猿が子供から餌を奪おうと飛び掛っているのを横目にウサギが夏バテ気味なのか地面にお腹を押し付けてバンザイしながら寝転んでいる。
野生に近い動物の気まぐれを目にしながら、民族園を楽しんだ。

次に、ミンサー織りのみね屋工房へと向かう。
白保の海を思わせる綺麗に織り込まれたミンサー織りが5000円で売られていおり、無性にほしくなったが、いつかは部屋のインテリアにしたいと思い今回は我慢した。
その後、憧れの琉装を着て交代で記念撮影した。
自分は結構似合う方だと思っていたが、Tさんの方が明らかに似合っていた。

時間が時間になってきたので、Beahに挨拶に行くことに。
店内の涼しい空気が暑さでのぼせた頭を元に戻してくれる。
そういえば、Beahに始めて来たのはちょうど3年前だった。
アジア雑貨を思わせる店構えから流れ出すボブ・マーリーの曲に引き寄せられて入ったのを思い出す。
Sさん、Mさんに「また、いつでもおいでよ」と言ってもらいながら挨拶を済ませ店を後にした。

サンエーに向かい、お礼のお菓子と友人のお土産を購入し、まだまだ日差しが厳しい夕方の石垣島を惜しみながら、民宿花城へと戻ることにした。
帰る途中にMIXIを教えてもらったのが、これからのWEBへの第一歩になった。
今日一日車を貸していただいたことで、旅の最後の一日を有意義に過ごさせてもたった。

夕日がやさしい光になって来た時間に、民宿花城へ到着。
車のお礼をし、夕食までにシャワーを浴び、明日発つために荷物を整理し、今年最後となる米原のビーチへ。
優しい夕日がビーチを照らしている中、美しい風景に身をおきながら旅の時間が終わろうとしているのが悲しくなっていた。
日も暮れ始めたので、宿に戻り夕食につく。
花城さんは今日は外出していて、いつものように八重泉で乾杯とはいかなかったが、最後の夜の料理は今までより増しておいしかった。

食後にプラズマディスプレーの大画面で、Tさんと「ナヴィの恋」を観ることに。
思えば、沖縄に興味を持ったのはこの映画がきっかけだったのを思い出す。
純粋な人間と美しい自然の風景が好きになり、大学の卒業旅行で来たのが最初だった。
その後、社会に出てベンチャー企業で凄まじい勢いで伸びていく企業のスピード感の中で、チャンスを与えてもらいながら仕事が出来る喜びはあったが、何かが違うと感じ、その何かを取り戻すために毎年この島を訪れる。
そんな繰り返しで今に至っていると感じながら、映画を眺めていた。
映画が終わり、旅の時間も終わりに近づいてきている中で、島を去り現実に戻る寂しさと必ずこの島に移り住み、商売を成功させたいという思いが交差しながら、石垣島最後の夜が終わった。


米原の海

  石垣島 米原の海






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shimanookurimono at 19:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 3度目の石垣島 2005 

2005年10月30日

3度目の石垣島 2005 (4)

波照間の風車







3日目

与那国島の日の出は遅い。
そのせいか朝食ぎりぎりに目が覚めた。
与那国島での時間も残されている。
食堂に行くとKさんが東崎まで朝日を見に行った後に帰ってきていた。
今日与那国島を離れないといけないのに、寝坊した事を後悔した。

後悔している暇はなく与那国空港で帰りのチケットを押えないといけない。
荷物をまとめ原付バイクにまたがり空港へ。

空席はゼロ。
今日か明日にチケットが取れないと予定通り大阪に帰る事が出来ない。
焦りと不安がつのる。
取敢えず、キャンセル待ちの整理券を握り締めたまま民宿に戻ることにした。
民宿には昨日定期便が動いていない事を教えてくれた琉信管財商事のUさんと日本鋳鉄管のSさんがいた。
深々とお礼を言うと「なんとかなるよ」と言ってくれた。
仕事の事が頭によぎると旅を楽しめないので、2人からの言葉で気持ちが楽になった。
2人はこれから市役所に行って昨日決起集会で知り合った社長に昼からダイビングに連れて行ってもらうそうだ。
仕事なのか休暇なのかこの島特有の営業手法なのか理解できないまま彼らは去って行った。
民宿の代金を払い、レンタルしていた原付バイクを返そうとホンダにTELしようとするが、携帯が壊れている。
落ち込んでいる暇もない。
民宿で電話を借りることにして、若いヘルパーさんに空港まで取敢えず送ってもらうことに。
そのヘルパーさんは、まだ一週間目でのんびり島を楽しみたいと思ってきたが、まだわからない事がいっぱいあって今はのんびりしている暇もないとのことだ。
彼女のちょっとした悩みが羨ましく聞こえていた。
「今しか出来ない事だと思うので、色々経験して楽しんでください。ありがとう。」と言い残し、空港で降ろしてもらった。

空港についても落ち着かない。
外に出て綺麗な景色を眺めながら気持ちを落ち着かせていた。
キャンセル待ちの番号が読み上げられる時間になった。
案外キャンセルがあったようで、自分の番号が呼ばれてガッツポーズが出た。
予定より遅れている飛行機を待ち、飛行機に乗り込む。
この島を味わうには、あまりにも時間が短すぎた。
また、しっかり時間をかけてこの島を知りたいと思いながら、与那国島を後にした。

深い青い海の景色がひたすら続き、石垣空港に到着。
取り合えず空港近くのドコモショップへ携帯を修理に行く事に。
やけに教科書通りで丁寧な店員さんが付いてくれた。
半分やけどのように日焼けしていたため「石垣在住の方ですか」と聞かれ、「それはないやろ」と思いながらも一生懸命な姿勢が心地良かった。
本題の修理では、一週間後になってしまうとの事で、しょうがないと思い買い換えることに。
1時間ほどかかるとの事で、近くのマックスバリューで日焼け止めとスキンケアを買い、本屋で立ち読みしながら時間をつぶした。
一時間後ようやく携帯を手に入れたが、今日泊まる宿も取っておらず、お腹もペコペコだ。

取り合えずBeahに向かうことに。
タコスを2つ注文し何とか生き返った。
宿は民宿花城に連絡してもらい、また迎えに来ていただくことに。
今回の旅では、お世話になりっぱなしだ。

花城さんに30分後に迎えに来てもらい、車に乗り込んだ。
道中の話で、「内地の企業(大和ハウス)が大きな資本で米原に大規模のリゾートホテル建設を計画しているが、米原の住民が反対している。」という話を聞いた。
空港の移転計画で、今石垣島バブルが起こっており、土木建築従事者が多いこの島では、開発が進んでいく方に決着が付くんじゃないかとの事だ。
そうなれば、赤土が海に流れて珊瑚や海の生態系が崩れてしまうだろうとのことだ。
「自然が残されているから、多くの人が自然を感じに遠いところからやって来るのに、自然を破壊してリゾート開発を進めれば、この島の良い所がなくなってしまうんじゃないのか。本島のようになってしまうんじゃないか。」と私は腑に落ちない思いでいた。
花城さんは、「どっちとも言えない」と言っていた。
旅行者と移住者と地元住民、リゾート開発業者、それぞれの思い・思惑が交差している。
この島にとっての理想的な発展とはいったい何だろう。
与那国島、波照間島の風力発電の風車が回っているのが頭に浮かんだ。

民宿花城に到着。
もう夕食前だ。
溜まりに溜まった洗濯物を洗濯機に入れ、シャワーを浴び、夕食についた。
家庭的な夕食がやさしく感じた。
食後、八重泉を飲みながら、花城さんTさんと大規模リゾートホテル開発の話が出た。
移住者にとっては開発がされれば、便利になって良い部分はあるが、先祖からの土地を守っていく事に執着がある地元住民にとっては迷惑な話だ。
開発業者にとっては、八重山の癒しブームは格好のビジネスチャンスだが、その便益を受ける旅行者にとっては、素晴らしい自然を守って欲しいというジレンマがある。
また、現実に美浜町というところが、昔開発されたが、今は後片付けも去れずコンクリートの山になっているという。
リゾート地がリゾート地であり続けるとは限らない。
私は反対だが、大資本による開発を止めるのは難しい。
自然への影響を最小限にとどめ、失敗に終わった後もしっかり最後まで責任を持って整理していく計画を示し、責任を明確にしていくのが重要だと思った。

雲が多い夜だったが、一人屋上でサマーベットに寝っ転がり、頭の中を整理できないままでいた。
この島にとっての理想的な発展とはいったい何だろう。
星空の下、与那国島と波照間島の風車が回っているのが瞼に焼き付いていた。


米原の自然


石垣島 米原の自然





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shimanookurimono at 14:07|PermalinkComments(2)TrackBack(2) 3度目の石垣島 2005 | 与那国島

2005年10月23日

3度目の石垣島 2005 (3)

Drコトー診療所から見る海







石垣島3日目

今日は与那国島に行く。
眠気を覚ますために、シャワーを浴び、一階へ。
民宿のテーブルには、家庭的な朝食が並んでいく。
いつも朝食を取る時間もない毎日なので、朝食の臭いが懐かしく感じる。
朝から、ホリエモンの出馬に関してテレビが煽っているをTさんと見ながら朝食を終えた。
すっかり民宿「花城」を気に入ってしまった。

最終日もお世話になることをお願いし、石垣空港まで車で送って頂けるとのことなので、部屋に戻って荷物をまとめた。
料金は最終日にまとめてでいいと言って頂き、石垣空港まで車で送ってもらった。
商売とはわかっていても素朴なサービスが嬉しかった。

空港で、キャンセル待ちの順番が呼ばれ始め、すぐさま自分の番号が呼ばれた。
ありきたりだが、テレビドラマのDrコトー診療所を見てからぜひ行ってみたい島だと思っていたので、素直に喜びを表し小さな飛行機に乗り込んだ。

飛行機から見える与那国島は本当にかっこいいとTさんから聞いていたので、窓際の席で喜んだが、飛行機の翼の近くであまり見えない。
深く青い海がひたすら続き、やがて断崖絶壁の島が急に現れた。
青一色の中に、岩の塊がそびえ立っている。
今までの島とは違って男性的な島がかっこよく映った。

与那国島の断崖絶壁







与那国島に到着。
空港で民宿「はいどなん」の迎えのバスを待つ。
若い女性に案内され民宿までのどかな道をひた走り、日本で一番西に来ているのを感じながら、民宿に到着。

のどかな雰囲気の中、簡単に宿の説明を受け、取敢えず荷物を降ろして島を周る準備をした。
夕食が6時からなので、夕食をとってから日本で最後に沈む夕日を見に行こう。
簡単な予定だけ立て民宿の玄関に行くとさっき一緒のバスに乗ってきた30代の男性がバイクを借りようとホンダのパンフレットを見ていたので、便乗させてもらうことに。
彼は、Kさん
神奈川県出身でソフトウェアを作っている会社で総務をしていて、夏期休暇で与那国島に来たという。
まだ独身という事で、暇とお金さえあれば旅行に出かけているそうだ。
旅行に生きがいを求めているようだ。
バイクが到着し彼と島を周る事に。

まずは昼食をと「ゆきさんのカレー屋さん」に行くことに。
日替わりの冬瓜カレーを注文し、ドラマの撮影でも使われていた港と西崎を眺め、海からの心地良い風を受けながらの昼食だった。

食事を終え、反時計回りに島を周る事に。
まずは、ミーハーだがDrコトー診療所のロケ地に向かう。
海からの風を受けながら、自然が剥き出しになった道をひた走る。
今まで感じたことが無いほど心地良かった。
高校一年の時に始めて原付バイクに乗った時のように新鮮だった。

与那国の道







道端の馬や牛を横目に見ながら、ようやく目的地に到着。
診療所の建物がそのまま残っている。
診療所の中に撮影の時に使われていた自転車がそのまま残っていた。
観光地なのに、いたずらされていない。
ここを訪れる旅行者の良識と綺麗な心が好きになった。
しばらく目の前のカクテル色の海に見とれていたが、他にもこの島を見てみたいという思いで、走り出した。

いくつもの観光地を巡りながら、色んな人とそれぞれが持っている情報を交換する。
名前も知らない人たちばかりだが、自然と会話が弾む。
今日泊まる宿のことや今まで旅行してきた島、自分の出身地、今回の旅の予定、与那国島の感想など。
少ない情報の中から旅の予定を決めていくには、こういった口コミが一番の情報になる。
情報化社会になっても人と人との繋がりが情報源になることには変わりない。
私は仕事で営業をやっていた為か人と人の繋がりから得た情報が好きだ。
島に来ると人間関係や情報といった生きていくうえで当たり前に必要なものをシンプルに考えられるようになる。
環境を変えることが物事をシンプルに考えられるようにするのか、ゆっくり立ち止まって考える事がそうさせるのか。
そんな事を考えながら、島の中を巡った。

夕方近くになり時間がなくなってきた。
先ほどの綺麗な海が忘れられず、Drコトー診療所前の海に向かうことに。

何本か道に迷いながらようやく到着。
目の前の綺麗な海に見せられバイクに荷物を詰め込み、さっそく泳ごうと向かった。
海には先客が20代の男性が2人居て、泳いでいた。
一人は本島出身の琉信管材商事のUさん、もう一人は内地出身で日本鋳鉄管のSさんだ。
私達と同じ宿に泊まる予定で、水道工事の仕事で与那国に来ており、今夜の八重山町長選挙の決起集会に出席するという。
かわいらしい規模の談合のにおいを感じながら、会話が弾んだ。
2人とも木曜日の定期便で島を離れる予定だったが、お盆で定期便が運行しないので、来週まで滞在するという。
定期便で石垣に戻る予定だった私には、衝撃的な話だった。
今から空港に行ってもどうしようもないので、明日のキャンセル待ちを死守しなければいけない。
2人と出会わなかったら、知らないままだった。

Drコトー診療所前の海







いい時間になったので、2人にお礼を言って別れ、宿に引き返した。
宿でシャワーを浴び、夕食を簡単に済ませ。
バイクにまたがり日本で最後に沈む夕日を見に西崎へ。

空気が澄んでいる時だったら、台湾が見えるというが、残念ながらその日は見えなかった。
日没時間が19時15分頃と内地では考えられない時間だったが、日没を待つ時間も悪くない。
夕日が沈みゆく様を見ながら、物悲しい気持ちに浸った。
最後は雲に隠れてしまったが、沈む太陽を見届け宿に戻ることに。

太陽が沈むとほとんど明かりが無い為、本当に漆黒の闇だ。
島民の方が、決起集会に参加しているので、店がほとんど閉まっていると聞いて、オリオンビールを買って、港に出ることに。

遠くに台湾の明かりが見える。
島との間に国境があるはずだが、それを感じさせない近さだ。
港の防波堤に寝っ転がって星空を見ていると決起集会の声が遠くで鳴り響いている。
今日この島を周って感じたのが、この島のゴミ処理システムはどうなっているのだろうという事だ。
所々に産廃のような物が見られたが、それを処理する施設やシステムが整っているようには見えなかった。
美しい島を維持していく為に、もうすぐ生まれる新しい町長にはインフラ整備の必要性を訴え助成金を引っ張ってきて取り組んでもらいたい。
降り注ぐような星空にロケット花火のような流れ星が流れるのが見える。
日本で一番西の空の下、この島の未来を考えながら与那国での夜が終わった。

Drコトー診療所


Drコトー診療所



Drコトー診療所から見る海


Drコトー診療所から見える海






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shimanookurimono at 17:45|PermalinkComments(0)TrackBack(3) 3度目の石垣島 2005 | 与那国島

2005年10月16日

3度目の石垣島 2005 (2)

米原の海








石垣島1日目

与那国島に行こうと思い、空港で空席確認し明日のキャンセル待ちをする。
ぜひ行ったみたいと思っていた島だったが、今年は半分諦めかけていたので、与那国島中心に予定を考えた。
とはいっても予定をほとんど決めずに来ていたので、ひとまずバスターミナルへ。

今日の泊まる所を確保しないといけない。
お盆のど真ん中なので、簡単に見つかるだろうか。

ひとまず、昼食を済まそうと去年お世話になったBeahへ。
SさんRさんも去年来ていた事を覚えていてくれた。
一眼レフをぶら下げて飛び込んでくるのが印象的だったそうだ。
毎日、沢山のお客さんが来ている中で覚えていてくれていた事が嬉しかった。

タコライスを注文し懐かしい気持ちに浸る。
去年、ここで一緒に飲んだ、医者カップルも一週間前に来ていたそうだ。
来年からドイツに留学するので、次はいつ来れるかわからないので、休暇に石垣島を旅しに来ていたという。
自分が今年も来るだろうと去年一緒に飲んでいる時に撮った写真を店に預けていてくれた。
連絡を取っていたわけでもないが、アナログな方法で、懐かしい写真を届けていてくれた事が嬉しかった。
遠く離れて連絡も取っていなくてもここで繋がっている。
そんな繋がりがこの島を好きになった理由かもしれない。

思い出に浸りながら、食事を済ませ、「明日与那国島に行くが、今日泊まる宿をまだ取っていないので、どこか良い宿があったら教えてください」とSさんに尋ねた。

米原に今年の7月オープンしたばかりの民宿花城という民宿を教えてもらい、連絡を取って迎えに来ていただくことに。
また、「与那国島に行くならその宿に今泊まっているTさんという女性が、以前与那国島でヘルパーをしていたので、教えてもらうと良いよ」と教えてくれた。
案外簡単に宿を見つけることが出来、どこまで親切なんだと思った。

30分ほどして民宿花城のオーナーの花城さんが迎えに来てくれた。
荷物を積み込み、車に乗り込んだ。
花城さんは、沖縄本島出身で、九州の佐賀県で仕事をしていたが、生まれ育った沖縄に夫婦で住もうと本島に戻ったら、すっかり開発されていて幼い頃の風景がなくなってしまっていたので、石垣島で民宿をする事にしたそうだ。
民宿まで石垣新空港の移転地候補など説明してもらいながら20分ほどで到着。

米原のビーチのすぐ前だ。
部屋を案内してもらい、隣の部屋にTさんがいた。
さっそく、与那国島のおすすめ宿を教えてもらい、電話で予約した。
泊まるところを確保すれば、後は楽しむだけなので、夕食の時間を聞いて、荷物を放り出して海に行った。

石垣島 米原の海


石垣島 米原の海




木々の間を通り抜けると綺麗な海が広がっている。
照りつける太陽が気持ち良い。
さっそく着替えて、海の中へ。
綺麗な景色の中、透明で生ぬるい海の水に浮かんでいると都会での緊張でこわばった体から力が抜けていく。
幸せな時間だ。
夕日がかった海の中、仕事の事でいっぱいだった頭の中が、少しづつ真っ白にリセットされていった。

宿に戻りシャワーを浴びて夕食をとることにした。
奥さんの沖縄風の料理が上手い。
食後のオリオンビールを飲み干し、花城さん
と泡盛を飲みながら、お酒の飲めないTさんと色々な話が始まった。
Tさんは、静岡県出身の33歳で、何度か転職した後人材紹介の営業でばりばり働いていたそうだ。
その後、3年前に石垣島を訪れすっかり好きになって、去年の12月から八重山に来ていて、今年の10月から石垣島に移り住むようだ。
ホームページで営業ウーマン時代の写真を見せてもらったが、私も花城さんも一致して今の方が自然で綺麗だと思った。
その後、石垣島のこと、与那国島のこと、石垣島の家賃、人材紹介という仕事など興味を持ったことを色々教えてもらった。

花城さんが、屋上にサマーベットを引いて空を見ると星が綺麗だと教えてくれたので、迷わずTさんと屋上へ。

梟の声が響く中、心地良い風に吹かれサマーベットに横たわるとプラネタリウムのような星空が視界いっぱいに広がる。
忙しい毎日で空を見上げる時間も無い都会生活から開放された感じだった。

星空を見ながら、30歳になったら石垣島で起業するという私の夢に「がんばれよ青年」とTさんが応援してくれた事が嬉しかった。
自然の中で、星空を見上げながら物思いにふける時間を手に入れることが、今の自分にはどんな物よりも魅力的に感じた夜だった。

石垣島 米原の夕日






石垣島 夕方の米原









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shimanookurimono at 22:43|PermalinkComments(6)TrackBack(0) 3度目の石垣島 2005 | 石垣島

2005年10月10日

3度目の石垣島 2005 (1)

2005年 夏 3度目の石垣島

石垣空港に着いた時の暑さが懐かしい。
歩いてもいい距離だが、ゲートまで送ってくれるバスにも愛着が湧いてきた。
ゲートで荷物を拾い上げ、空港内のいつもの喫茶店へ向かう。
いつもの席でアイスコーヒーを注文し、今飛んできたばかりの空を見上げる。
一年前からの記憶が蘇ってくる。

昨年、石垣島から帰った私は、9月の人事異動で、転勤する事になった。
本社を離れ、小さな店舗の店長を任された。

昔は良かったようだが、最近は数字もさることながら荒れ果てた店舗だったので、失望していた。
しかし、逆に自分の裁量で運営出来る事は、将来起業するうえで貴重な経験になる。
逆にここで頑張れなければ、石垣島にもう一度行く事もままならない。

私は、休日も捧げて仕事に明け暮れた。
最初は基本的な整理整頓、掃除、レイアウトの変更、マニュアルの整備。
仕事をするうえで当たり前の基本的な部分を売上を捨ててでも徹底的に着手した。

最初の1ヶ月で、見栄えは何とか様になってきた。
しかし、数をこなさないとスキルは上がらない。

今度は、如何に店舗を知ってもらうかの広告と顧客との接点だ。
ダイレクトマーケティング部のK部長からアドバイスを受け、本社から与えられたチラシと独自のDM、商業施設が行っている新聞折込、インターネットでの店舗案内、同じ商業施設内の店舗との協力など利用できるツールを洗い出し、予算の範囲内で手当たり次第とにかくやってみて、上手くいったものは残し、失敗したものは原因を突き詰めアレンジして再度チャレンジ。
これを2ヶ月繰り返し、売上はまだ横ばいだが、顧客との接点の数は全国的にも上位に食い込んできた。

そんな時に商業施設が改装工事を1ヵ月半後にするという。
せっかく積み上げてきたものが、台無しになりかねない。

改装工事の前後には、必ず何かイベント事をするものなので、私はこういったイベントに狙いをつけた。

とにかく近くで行われるイベント事を調べ上げ、それに便乗出来るようチラシ、DMを打っていった。
これが功を奏し、逆風の中、売上が右肩上がりになってきた。
店舗に来てから半年後には、この店舗の過去最高の売上になった。
私がこの店舗に来た月の倍の売上だ。

何とか軌道に乗ってきて、自信を持てる様になってきた矢先に本社への移動の辞令が出た。

本社に戻り、今度は以前所属していた部署の人間が次々と辞めていき、質が低下している為、それを立て直しするのが私の仕事だ。

若いベンチャー企業なので、店舗も本社も経験している人間が少ない。
部署をまたぐ仕事もあるので、私にはチャンスに思えた。
とにかく、業務の流れを整理しようと土日も自宅で業務フローとマニュアル作成に取り組んだ。
がむしゃらに働く毎日だ。
将来、起業する為と今年の夏に石垣島に行くために。
不純な動機だが、目的がはっきりしている分負けない強さがある。

そんな日々を過ごしていると、やっと夏期休暇を取れるようになった。
半分諦めていた中での3度目の石垣島だ。
計画を立てる間も無く荷物だけ持って飛び出してきた。
それが、今回の旅の始まりだ。



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shimanookurimono at 12:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 3度目の石垣島 2005 

2005年10月02日

石垣島との再会 2004 (8)

石垣港







石垣島7日目

今日で八重山の旅も終わる。
荷物をまとめホテルを後にする。
特にどこに行くとも決めていなかったので、離島桟橋へ。
カメラつきの携帯で撮影している観光客でいっぱいだ。
今日の昼の飛行機で石垣島を離れることになる。
寂しさを感じながらいつもと変わらないにぎわった桟橋でたたずんだ。

最後にお世話になった方に挨拶して行こう。
それまでに、簡単に買い物を済まそうとあやパニモールへ。
書店に入り、リクルート雑誌に目を通す。
求人数も給料も目を引いて少ない。
また、求人がホテルなどのサービス業に偏っている。
目新しい業種を探すが、見当たらなかった。
1年に一回しか来ないお客さんに買ってもらう商売しか生まれないものなのか?
寂しいのと同時にチャンスと思えた。

今回の旅で車を貸してくれたり色々お世話になったBeahSさんRさんに挨拶しに行く事に。
タコライスが美味い。
最後なので、色々話をしてくれた。
Sさんは高知県でサラリーマンをしていて、百貨店の催しなどの仕事をしていたという。
そんな折に、石垣島の前オーナーがBeahを誰かに譲ろうとしている時に偶然出会って、このお店を現在続けているという。
偶然の出会いが大切な出会いと思った。
今回の旅の思い出を巡らせているとKちゃんが入ってきた。
夜しか会わなかったので、昼間のまじめな顔に驚いた。
Sさんの紹介で、新しい仕事先の面接を受けるという。
どうやらこの店が、情報発信基地でコミュニティーになっているらしい。
こういう出会いを演出できる店を応援したいと思った。

とうとう出発しないといけない時間になってしまった。
Rさんはやさしく「また来れば良いよ、多分きっとまた来てくれると思う」と言ってくれた。
寂しい思いを引きずったまま深々とお礼を言い石垣空港に向かうことに。
どこまでも晴れ渡った空の下、この島と別れるのが、本当に悲しかった。
旅の思い出を振り返りながら、2年目の石垣島の旅は終わった。


今回の旅を通じて感じたことは沢山ある。
偶然の出会いでつながった人と太い線でつながれる。
旅行者は、癒しを求め、情報を求め、コミュニティーや出会いを欲しがっている。
そうしたものは少しづつ出来ているのは知っているが、露出が少ない。
リピートする人間は多いが、内地にいる時にサポートが少ない。
小さな島に年間約70万人が訪れ、ファンになって帰っていく。

これらの条件を上手く組み合わせれば、大きなものになる。
また、石垣島の商習慣や移住者としての付き合い方などを勉強する事が今後の課題となる。
今回の旅でここで起業する事の可能性を感じ、これからの私の行動に大きな影響をもたらす事となった。



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shimanookurimono at 18:07|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 石垣島との再会 2004 

2005年09月25日

石垣島との再会 2004 (7)

波照間の海と空







石垣島6日目

待ちに待った快晴。
二日酔いの重い頭を引きずって離島桟橋へ。
波照間島行きのチケットを握り締め船に乗り込み出発。
台風の後のせいか天井に頭が当たりそうなぐらい波に揺られ続けて50分。

波照間島に到着。

民宿の送迎バスに乗り込んでいく多くの人達を横目に、私は休憩所で大の字に横たわっていた。
船酔いのせいなのか、二日酔いのせいなのか、それともその両方なのか。
とにかく今は動いてはいけない。
体がそう叫んでいた。
30分ほどさんぴん茶を飲みながら体調を整え、島の中心部まで徒歩で行き自転車を借りることに。

島の中心部では選挙演説が行われていた。
波照間島にとっての課題は、干ばつが深刻な問題で、川の無いこの島では主要な一次産業をまかなっていく為の貯水池の整備が急務だという。
そのために、助成金を引っ張ってきて一次産業のインフラを整えることと、観光客の呼び込みを図る事が、波照間島の健全な発展に不可欠だという。
島の健全な発展とは、どういう発展なのだろう。
旅行者のエゴとしては、美しい自然をこのまま残して欲しいという思いがあるが、島にとっては、ここままではやっていけないという思いがある。
交差する双方の思いを両立させた発展というのは、どういった形が望ましいのだろうか。
頭の中が整理できないまま集落を周って、日本最南端の碑を目指す事に。

波照間の道






集落の中の道は、何故か懐かしさを感じる。
子供の時に良く通った田舎道を思い出しながら、集落を抜けると沖縄電力の施設があった。
大きな風車で風力発電を行っている。
こうしたエコエネルギーを国策として育てていく事が、地方の小さな島の発展を健全なものにしていくのだろう。

照りつける太陽の下、ひたすら自転車をこぎ続けるとアスファルトの道がなくなってきた。
サトウキビ畑の真ん中を白い砂の道がひたすら伸びていく。
地平線まで視界が開けた砂の道を汗を流して進むのが、たまらなく気持ち良かった。

ようやく島の外周道路にたどり着き、日本最南端はすぐそこだ。
視界が開けた道をまっすぐに突き進みようやく到着。

汗ばんだ体に太平洋の真ん中から吹き抜けてくる風が心地良い。
日本最南端の碑を前に、初めて国境というものを意識した。
1時間ほどどこまでも続く海と空を見ながら、次の目的地を地図で追った。

日本最南端の碑







取り合えず、島の外周を一周してニシ浜まで行こう。
果てしなく続く道を自転車でまた進み始めた。
長時間、炎天下を走り続けていたせいもあって、照りつける太陽の光が肌を突き刺す。
のどの渇きを癒す飲料も底を着き、頭が真っ白になってくる。
本格的に心配になってきたが、自動販売機など見る影も無い。
このままではいけないと思い、波照間空港まで向かうことに。

ひたすら走り続けようやく波照間空港に到着。
日陰に入ってポカリスエットを流し込む。
これほど飲み物をおいしく飲んだ事は無かった。

体力を取り戻し、また外周を突き進んだ。
外周から時々出ている脇道がやけに気になる。
この機会を逃したら、一生見ないままだ。
そんな思いで、一本一本脇道を試していくが、ことごとく行き止まりである。
やっと一本道が抜けて、少し変わった灯台に行き着いた。

地図では今どこにいるのかわからないが、充実感がある。
また、そこからみえる海と空が素晴らしかった。

波照間の海と空








そうこうしている内に時間がなくなってきた。
焦りを感じてニシ浜を目指した。
ここで合っているのかと思うほど畑の間のあぜ道のような道を進んだ後、今まで見たことが無いほどの綺麗な海が現れた。
こんな色をした海があるんだ。
カクテルのような海に時間が経つのも忘れてすっかり見とれきった。

波照間ニシ浜








美しい景色を目の前に、石垣行きの最終便に間に合うためにここから去らないといけないのが悲しかった。

取り合えず自転車を借りたところに返しに行った。
そこで、夏バテ気味に寝っ転がっている犬を見つけた。
気ままなその振る舞いを羨ましく思った。

港までのバスが来るまでに10分ほど時間がある。
遠くで白いヤギがこっちを見ている。
近くまで行くが、あまり人を怖がらない。

いよいよ時間が来た。
うねり立つ入道雲を背に波照間島を後にした。

石垣港に到着。
天候が一変していた。
船を降りるなり激しい夕立に打たれながら、カメラを抱えホテルまでびしょ濡れでたどり着いた。

荷物を全部バックパックに詰め込んで移動していたので、着替える服も無い。
ホテルの乾燥機を回しながら、雨に打たれたカメラの手入れをし、シャワーを浴びると良い時間になっていた。
傘など持っているはずも無かったので、乾かしたばかりの服を着て、また雨の中コンビニまでびしょ濡れになりながら、弁当を買いに行った。
ホテルに戻り、また乾燥機を回し、シャワーを浴びて、細々とコンビニ弁当で夕飯を済ませベッドに横たわった。

島の健全な発展って、どういう発展なのだろう。
そんな事を考えながらその日は終わった。




波照間のサトウキビ畑


サトウキビ畑の道




波照間の犬


夏バテ気味の犬




波照間の風車


波照間の風車




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shimanookurimono at 18:10|PermalinkComments(2)TrackBack(8) 石垣島との再会 2004 | 波照間島

2005年09月24日

石垣島との再会 2004 (6)

米原ビーチ






石垣島5日目

「チェックアウトの時間です」ホテルの電話で起こされる。
前日、Beachで散々飲んだ後、夜中の2時頃にラーメン食べてまた飲んで、土砂降りの雨の中ホテルまでたどり着いた記憶がだんだん蘇ってくる。

今日は波照間島に行く予定だった。

飛び起きてシャワーを浴び、風の強い中、離島桟橋へ向かった。
安栄・八重山観光両便とも欠航になっている。
うなだれて桟橋でさんぴん茶を飲みながら、二日酔いをさまし、今日の予定を考えながら遠くを眺める。
一日も無駄にしたくないと焦りが募る。
ふと隣に目をやると20代の女性が同じようにうなだれている。
どうしたのかと声をかけてみた。

彼女はTさん
岐阜県出身で、夏期休暇を使ってダイビングに石垣島に来ている。
今回で50本目のダイビングになるという。
今日はダイビングの予定だったが、波が高くて中止になったらしい。
同じような境遇なので話が合った。

2人共行く宛てがなかったうえ、昼食もまだだったので、ひとまず昼食をとることに。
昨日遅くまでお世話になったBeachに行くことに。
天気も良くないのでどこに行こうかとマスターのSさん に聞いてみると「車を貸してあげるから石垣島をぐるっと周ってきたらいいよ。50キロ以上出すと変な音がするから気をつけてね」と言ったくれた。
有難過ぎるくらいいとも簡単に人を信用してくれる。
騙し騙される都会では考えられないと思った。
夕方から天気が良くなるらしいので、御神崎 で最後に夕日が見たいが、島を一周する時間は無いので、川平湾・米原まで行って御神崎 に行くことに。

礼を言い店を出て出発。
案の定50キロを超えると変な音が聞こえた。

まずは、川平湾、米原に着き、ゆっくりと海を眺めた。
台風の後だったのでそれほど人がいなかったのが良かった。
米原の海





夕方、御神崎 に着く。
あいにく雲が出ていて太陽がうっすら隠れていたが、最高のロケーションだった。
夕日が沈むまで、Tさん に潜る楽しさを教えてもらい、来年は自分も挑戦しようという気になっていた。
綺麗な場所で、好きな話をし夕日を待つ時間が、幸せな時間だと思った。
また、車を親切に貸してくれたことに本当に感謝した。

夕日を見届けBeachに戻った。
いっぱいお礼を言い、夕食をとることに。
しばらくすると昨日のKちゃん がきた。
東京から大学時代からの友人夫婦が来ているらしい。
取り合えず合流し、一緒に飲むことに。
いきなり「こんな場所で何してるんだ。早く戻って来い。」と友人が下町の言葉で言う。
口論になったかと思えば、すぐに仲直りになり、また口論が始まる。
仲の良さと信頼関係がにじみ出ていた。
こうした繰り返しが延々と続き、楽しい夜が更けていった。

こんないい場所と言う人もあれば、こんな場所と言う人もいる。
人のあったかさ・綺麗な景色と引き換えに、不便で生活していく収入もままならない。
この島に夢を見る人が多いが、実際には離れていく人間も多い。
この島に移り住む事は夢のあることだが、将来もそうあり続けるとは言い切れない部分がある。
旅行者として見ている自分にとっては、実際に住んでみてどうなのかというのが見えてこないし、良い所ばかりが目に付く。

理想だけじゃなく現実の表と裏をしっかり見極めてみたい。
その上で、自分にとってプラスなのかマイナスなのかを確かめたい。
そんな事を考えながら、今日が終わった。




米原ビーチ


米原ビーチ





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shimanookurimono at 18:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 石垣島との再会 2004 | 石垣島

2005年09月19日

石垣島との再会 2004 (5)

竹富島アイヤル浜への道






石垣島4日目

朝からテレビで台風が向かって来ているという。
今夜あたりに石垣島周辺に上陸予定だ。
まだ天気は良い。
自転車に乗ってアイヤル浜を目指す。
緑に囲まれた砂利道を進み、木々の向こうに海が見える。

アイヤル浜に到着。
遊泳禁止なのが解るくらい波が横に流れている。
家族連れが楽しそうに水遊びをしているのが見える。
ほとんど人がいない浜でTシャツの間をすり抜ける心地良い風に吹かれながら贅沢な時間を過ごした。

台風が迫っている事もあって、今日は石垣に戻って宿を確保しよう。
そう思い、今来た道を自転車で引き返す。
さっき見てきたばかりの景色を反対側から見るのも新鮮に映る。

宿に戻り出発する準備。
自転車屋の前に送迎バスが来る時間を待った。
今日竹富島を去る広島から来た2人で旅行中の女性が持っていたカンカラ三線を交代交代で練習している。
広島に帰って練習するのだそうだ。
この島を一度知ると深くのめり込んでしまうのは、おそらく以前より人生観が広がるからだ。
そんな事を考えていると迎えのバスが来る時間になり、宿の皆と別れを交わし、自転車屋まで見送りに来てもらった。
八重山を愛する人たちは、本当に出会いと別れを大事にする。
その基本的な事が、すれ違いだらけの都会の人間を引きつけるのだろう。

バスに乗り込み港へ。
いつもより波が高く感じる港で船を待つ。
台風前だからだろうか竹富島への荷物をいっぱい積んで船が到着した。
いつもどおり船の最後尾に乗り込む。
島が遠く離れていくのを見ていると何故かどうしようもなく悲しくなった。

石垣港に着く。
台風なので、明日も最悪足止めされる場合があるし、洗濯物も溜まっていたので、港近くの少し良いホテルを連泊で取った。

夕食をどこで取ろうかとぶらぶら。
去年行って良かった、Beachというタコライスの店に行くことに。
店は去年とは少し変わってしまっていたが、良い感じの店で2階に案内された。

自分より先に来ていた女性が一人座っていた。
テレビで台風情報が流れている。
彼女が携帯で、台風で飛行機が欠航になったので、本島に帰れなくなったと話している。
私は彼女に台風の情報を聞いてみた。
今夜に石垣を通過すると言う。
彼女は、本島の那覇出身の Aさん
西表の民宿でヘルパーをしていて期間が終わったので、今日本島に帰るつもりが、予定が狂ったので、何とか宿を押えたが行く宛てがないそうだ。

2人で話し込んでいると1階から三線の音が聞こえてきたので、1階に降りていく事に。
50代のおじさんと30代の女性がいた。
Beachのマスターの SさんRさんの人の良さに誘われるがまま席に着き泡盛を飲み交わした。
三線を弾いているのが、20代の愛媛県出身の女性だ。
何回か旅行で石垣に来ていて、思い切って数ヶ月前に石垣島に移住してきたらしい。
この近くで仕事をしているという。

50代のおじさんは、Kちゃん
埼玉県出身で自営でインターネットの会社をしていたが、奥さんと離婚し財産もほとんど全て持って行かれたそうだが、親権は預かり娘さんを大学卒業させたので、会社もたたんで最後にどこに住もうかと考え石垣島にしたという。
日中は、ホテルの厨房で仕事をしているそうだ。
フルタイムで働いて月11万。
娘が高校の時にしていたマクドナルドのアルバイトの自給より安いと笑っていた。
これが現実かと驚いた。

しばらくして、三線を弾いてくれていた女性が帰り、2階で食事していたカップルが参加してきた。
二人とも20代の大学病院に勤める医者カップルだ。
最初石垣島への旅行を彼女は反対していたそうだが、今日も波照間島に行ってきてすっかり気に入ってしまって、来年も必ず夏期休暇は石垣島とBeachに来るという。

すっかり酔っ払っていたので、話がDrコトー診療所の話題になり、医者として離島の医者になってみたいと思わないのかなど聞いてみた。
医者として素晴らしいと思うが、今は大学病院で専門分野だけでいいが、全ての分野逃げ場なく24時間体制というのは、やっていく自信が無いという。
真剣な意見だった。

しばらくして、琉歌という民謡居酒屋で修行中のTさんが駆けつけた。
千葉県出身ので、千葉県に来ていた琉歌の三線弾き彦さんに憧れて、石垣島に移住し修行中なのだという。
彼の三線を聞きながら時間を忘れて尽きることなく話が続いた。

Beachというバーで、今日この時間にここに来なければ出会うことが無かった、それぞれお互い名前も知らなかった人達と偶然に交わり、時間も忘れて飲み明かした夜だった。



竹富島アイヤル浜


アイヤル浜からの帰り道







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shimanookurimono at 16:26|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 石垣島との再会 2004 | 竹富島

2005年09月18日

石垣島との再会 2004 (4)

竹富島の集落1







石垣島3日目

期待通りの晴天。
朝一の船で竹富島へ。
去年のように集落まで歩く事はやめ、丸八サイクルのバスへ乗り込む。
集落まで5分 美しい風景が流れ、1年前より少し変わったなと思う。
自転車を借り、安宿へ向かった。

宿の説明を受け、ベッドを借りる。
雑魚寝に近いベッドに荷物を残し、カメラ片手に西桟橋を目指した。
あまりに透き通った目の前の景色に体が溶け込むような感覚だった。
体中がしびれたような感覚のまま島をぐるりと回り、ビジターセンターでフィルム交換をしながら休憩していると、一人の青年と出会った。

名古屋の大学に通うMさん
現在4回生で事務用品の商社に就職が決まり、最後の夏休みを沖縄の島々を巡りながら旅をしているという。
何故、一人旅かと聞くと「1ヶ月前に彼女と別れ、引きずる思いを断ち切るための一人旅なのだ」と言う。
島に来る旅行者、特に一人旅で来る人は本当に心の綺麗な人が多い。

Mさんもカメラをぶら下げ、島の風景を撮って回っているという。
自転車を置き、一緒に集落の風景を撮影して回ることに。

石垣、白砂、赤瓦の風景を1時間ほど撮影していると急な雨に襲われ、雨宿りし昼食をとることに。
彼に、今度の予定を聞いてみた。
「竹富島には泊まらず、夕方の船で石垣に戻り、明日から与那国へ行き、その後本島で1週間過ごし名古屋に帰る予定」との事だ。
学生の間しか出来ないことをして、就職までの半年を過ごすという。
就職してからの夢を聞いてみたが、「あまりこれをしたいというものはなく、普通に結婚して幸せになれたらいい。それだけじゃいけないと思っているんだけど」と後ろ向きな答えが返ってきた。
逆に彼から何故石垣に来ているのかと言う質問が返ってきた。
「何をするかは決まってないが、将来、独立して石垣島で商売がしたい」と私は答えた。
彼は何か目標を探しているように見えた。
私は彼に「就職して仕事をしていく上で、自分の中で何か目標がなければ、潰れてしまうので、これからの半年間でそれを見つけるために時間を使ってみるべきだ」とアドバイスした。
今の彼だと私が去年初めて石垣に来た時のように、会社の仕事に目標を描けず、仕事に追われて消耗していってしまうと感じた。

引き続き雨が止む気配は無かった。
このまま夕方まで彼に、私がどういう仕事をしていて、どういうことで苦しんできたか、また独立する為に仕事に対してどのように取り組んでいるかを話し夕方まで時間が過ぎた。
彼の頭の中が少しはクリアーになったようだ。
「これからの時間の使い方を考え直し、目標を見つけるための旅にする」と笑顔で竹富を去って行った。
少しは人の役に立った自分に自信を持てた気がした。

夕方、宿に戻り荷物を整理し、寝っ転がっていると疲れて眠ってしまっていた。
目が覚め、宿で焼きそばUFOを買って、簡単な夕食を済ませた。
半ば雑魚寝の安宿で、色々な世代の人が日本体操陣のオリンピック金メダルの瞬間をテレビで見守りながら、たむろしている。
女子高生から50代の男性まで。
仕事を辞めてここに1年以上居着いている人、転職して次の仕事までの間ここで過ごしている人、働いていないテント生活の若者。
都会では出会わない色々な価値観がここには集まっている。
理想しか描いて来なかった自分には、もの凄い違和感を感じたが、そうした人たちと一緒に、外に出てサマーベッドに寝っ転がって見上げる竹富島の星は、価値観の違いなど度外視させてくれるほどの美しさだった。


竹富島の集落1


竹富島の集落





竹富島のブーゲンビリア


竹富島のブーゲンビリア






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shimanookurimono at 12:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 石垣島との再会 2004 | 竹富島

2005年09月17日

石垣島との再会 2004 (3)

526c9875.JPG







石垣島2日目
天気が悪い。
竹富島へ行く事を諦め、離島桟橋付近でシャッターを切りながらぶらぶら。
こんな日に土産物を買ってしまおうと会社関係の方へのお土産を手っ取り早く買い済ませた。
石垣から大阪までの郵送は、3,4日かかるという。

お土産について自分の中で分類していくと、_饉甸愀犬諒等への義理で買うもの、⇒蠅泙譴毒磴辰討いもの、5た瓦涼里譴真閥瓩平佑魎遒个擦燭させちで買っていくもの、ぢ臉擇癖へのものがある。
旅先の貴重な時間なので、´△聾率良く、い砲靴辰り時間をさいて買いたいものだ。

お土産を買う習慣は、インターネット時代になってもまだ誰もが歩いて見て回って買って行く。
お土産の買い方は、近い将来変わっていってもお土産を買う習慣は、この先も無くならないのだろう。
そんな事を考えながら、また歩き回った。

午後から天気は持ち直してきたが、離島桟橋付近で去年石垣に来てからの事を思い返し過ごした。
あれから一年、去年石垣で出会ったIさんOさんとは、それぞれ大阪で一度再会した事があった。
話題はすぐに石垣で出会った時の話になり、時間を忘れて楽しんだ。
石垣島には、遠く離れても人と人を結びつける力があり、遠く離れても共通のものになっていると感じた。

夜は安宿を押えて、夕食は宿の1階のバーで取る事に決めた。
マスターが海鮮冷やしパスタを作ってくれるという。
どんなものが出てくるのか想像力が働く。
ぽつぽつと客が入ってき、気が付くと20代の九州の自衛官と神奈川の中学校の先生と石垣の美容室で働いている女性と飲んでいた。
夏期休暇を使ってそれぞれが石垣島まで来ていたが、自衛官の方が、中学校の先生より夏期休暇が多いことに驚いた。

何故、遠い石垣まで来たのかという話題になり、共通しているのが、かたい仕事をしていると色々ストレスが溜まるらしく、誰にも知られていない綺麗なところに行きたいという衝動になるという事だった。
逆に、石垣に住んでいる女性は本島や東京、大阪に憧れると言う。

石垣に来る人は、非日常を求めてわざわざ遠くからやって来るが、石垣に住む人は、都会に非日常を求める。

結局、非日常は日常になりえないのじゃないか。
移住者は1年で去っていく理由はそこにあるのかな。
そんなことを考えながら一日が終わった。


526c9875.JPG


離島桟橋付近のシークワーサー屋








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shimanookurimono at 18:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 石垣島との再会 2004 | 石垣島

2005年09月11日

石垣島との再会 2004 (2)

西桟橋から見るコンドイビーチ







石垣島1日目
石垣空港からバスターミナルを目指す。
1年間で、開発が進んでいるのか所々景色が変わっていっている。
のんびりとしたバスの中、私も同じなのだが、あまり目的を持たずに観光だけにやって来る人達にうんざりする。

取り敢えず腹ごしらえしようと「まーさん道」で八重山そばとオリオン生を注文し、タイムカプセルノートに目を通す。
去年と違って込み上げる感情が湧いてこない。
去年と違って自分の中で何かが変化したようだ。

宿をおさえ、最初に行こうと決めていた「白保」に向かう。
バスの中、「白保」だけは時間の流れに左右されず変わらないで欲しいと願った。
30分ほど、変わらない美しい風景が流れ「白保」に到着。

1年ぶりなのに地理が完全に頭に残っている。
海岸まで出て、視界に広がる透き通った景色に見いっていると木陰で休んでいる中年の男性に声をかけられ、誘われるままに木陰に腰を下ろした。
ここに来る人は、初めて会った人にも挨拶をし、何の障壁もなく会話が始まる。
石垣在住の方と那覇から来た女性と自分 今日この時間にここを訪れなかったら出会うことが無かった人達が交じり合っている。

那覇から来た女性に「何故この島に来たのか」を聞いてみた。
「通訳の仕事をしていて、珊瑚の国際シンポジウムが沖縄本島で開かれているのに仕事で参加したと時、オーストラリアの教授に、「白保」と西表島の珊瑚は世界の中でも素晴らしいと言われ、ぜひ見てみたいと思い来た」と言う。
彼女は、京都育ちでカナダに留学後、東京で仕事についていたが、沖縄に夏休みに観光できた時に、何か違いを感じ夏休みが終わるとともに仕事を辞めたという。
その後、仕事を探していると友達のつてで沖縄での通訳の仕事がすぐに見つかり移住を決めたという。
移住に対してと移住した後に悩んだ事はと私は聞いた。
「私は、出会えた時がその時だと思っているし、色々大変な事はあったけど、それ以上に素敵なところが多い。お金が無くても好きならやっていけるよ」という。
彼女のその澄んだ瞳が綺麗だった。
そして、内地と沖縄の違いを私は聞いた。
「こっちの人は、人が人を攻撃しないんです。皆、心が温かい人ばかりだから」という。
日頃、時間に追われるばかりの自分に、その言葉が突き刺さった。
そして、「これからも沖縄でずっと生活を続けていくのか」という私の問いに、「はい。不便なところはあるけれど、それ以上のものがこっちにはあるから」と言い残し、透き通る海にさっそうと消えていった。

その後、私は何人かの地元の人たちと話をしたが、「もともと大阪で仕事をしていて、沖縄に帰ってきたが、島にはとにかく仕事が無い、また大阪に出稼ぎに行く」という。
見た目の理想とは違うこの現実が、移住者の大半が1年で離れていってしまう理由なのだと私は感じた。

この島でやっていくには、何か特殊なスキルを持って自立してやっていくか労働者ではなく独立して事業主としてやっていくしかないと私は感じた。
特殊なスキルも独立してやっていく資本金もままならない中、しっかりとしたビジネスプランと資本金を準備し、日々の仕事の中でビジネススキルを磨いていくしかない。
ぼんやりと抱いている期待と現実の厳しさを考えながら、石垣島1日目は終わった。








西桟橋から見るコンドイビーチ










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shimanookurimono at 21:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 石垣島との再会 2004 | 石垣島

石垣島との再会 2004 (1)

2004年夏 再び石垣島へ

石垣空港のジワットくる暑さと鼻をつく臭いが懐かしい。
空港の喫茶店の去年と同じ席でアイスコーヒーを頼み、空を見上げているとこわばった体と心が解けてく。
1年前初めて石垣に来た時からの記憶が駆け巡る。

去年石垣島から帰り、石垣島の現状を調べ上げた。
毎年、石垣島を訪れる人は60万人を超え、移住者の数も多いが去っていく人も多い。
内地では考えられない、求人の少なさと低賃金が主な原因という。
一次産業、三次産業(サービス業)、公共事業(本土は+基地収入)で、9割の産業を占めている。
製造業がほとんど存在しないので、観光客と天候に左右されるのが、石垣島の経済の現状だ。
石垣島で起業するには、メリットとして「この小さな島に毎年60万人の観光客がきてそのリピート率が高い」のとデメリットとして「さまざまな地域からの一回きりの客である」というこの2つを結び付けなければならない。

昨年、石垣島を去る際に持ち帰った「沖縄の物産革命」から、沖縄県物産公社が物産の店舗販売で経常利益を10億上げているのを考えると年に一回訪れ、そこで購入したものを再度顧客は求めているにもかかわらず、売った後に追いかけれていないから、目に見える近くの店舗で求めているというのが、悪い現状であり可能性だと私は思った。

私は、石垣島での起業はインターネットを使ったデータベースマーケティングが一番近道ではないかと考える。

今回の旅のテーマは、「移住者の声とマーケティング」に決めていた。



沖縄の物産革命―“わした”を越えて 自立的発展への方程式




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shimanookurimono at 11:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 石垣島との再会 2004 

2005年09月04日

石垣島との出会い 2003 (5)

石垣島5日目
台風は、昨夜大きく方向を変え去っていった。
何とか飛行機は飛び立つようだ。
昨日出会ったOさんをバスターミナルまで見送り。
別れを済まし宿へ戻った。

朝食を済ませ、離島桟橋へ。
今日で石垣島ともお別れとなる。
いつもと同じようにタバコをふかせ遠くを眺める。
にぎわった離島桟橋が寂しく映る。
夕方の飛行機で去るまでの限られた時間しかない。

Oさんからメールが入る。
午前中の宮古島行きの飛行機のチケットを確保できたようだ。
彼女の笑顔が目に映る。

午後の飛行機で、Iさんが石垣を去る。
石垣空港まで見送りへ。
この島で出会った人との別れが、何年も一緒にいる人と別れるように悲しい。

宮古島に着いたOさん、石垣から飛び立つIさんからのメールで、寂しさの頂点に達する。
わずか数日、数時間の付き合いなのに、心が通じ合っている。
すれ違いだらけの都会の生活には無い、この島が持っている不思議な力の強さを感じた。

簡単にみやげものを買い、沖縄についてもっと深く知りたいと思い、書店へ。
書店で何冊か目を通し見つけたのが、、沖縄の物産革命
沖縄の現状と物産での地域経済の発展について書かれた本だった。
その本を手にする前から、私の頭の中はすでにこの島で将来起業するとぼんやり固まっていた。

とうとうこの島を去る時間になった。
旅先から帰る際に、これほど涙しそうに悲しくなった事は無かった。
「来年もこの島に必ず帰って来る」その思いでいっぱいだった。

涙をこらえ、沖縄の物産革命を片手に石垣島との別れとなった。
今回の私の旅は終わったが、私にとってはこれが始まりとなった。


http://depart.livedoor.com/trackback/40957


沖縄の物産革命―“わした”を越えて 自立的発展への方程式



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shimanookurimono at 02:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 石垣島との出会い 2003 

2005年08月28日

石垣島との出会い 2003 (4)

石垣島4日目
朝早くから離島桟橋で、缶コーヒーにタバコで目を覚ませて、ゆっくりと予定を考える。
風に吹かれながら、ぼんやりと遠くを眺めている時間を贅沢に感じるようになった。
石垣に滞在している時間も限られてきた。
現実が頭によぎるのを振り払おうと今日も離島めぐりをする事に。
行き先は、「ちゅらさん」でおなじみの小浜島にした。

石垣島から高速船で約30分 小浜島に到着。
人口:517人 周囲:16.6Kmの起伏の激しい島なので、自転車で周遊することに。
中心部の集落を目指して出発するが、いきなりの上り坂に消耗させられ、バイクを借りれば良かったと後悔。

消耗し切って、集落に到着。
「ちゅらさん」の舞台になった「こはぐら荘」をさがす。
迷路のような集落を進み、やっと見つけるが、急に雨が降り出してきたため喫茶店で雨宿りすることに。アジアの雑貨屋と喫茶店が一緒になったような店だった。
アイスコーヒーを口にしながら窓の外をうかがうが、雨はなかなかやまない。
ガイドブックに目を通し、待ってても仕方が無いと思い、雨の中出発することに。
「ちゅらさん」の通学路の「シュガーロード」を通り、「海人公園」を目指した。

サトウキビ畑の間を突き進むまっすぐな下り坂。晴れた日ならさぞかし素晴らしい景色だろうと頭の中で想像しながら、雨の中を突き進む。
サトウキビ畑のまっすぐ向こうに、牛が2頭道をふさいでいるのが見えた。
手前で止まろうとブレーキに手をかけるが、限界まで握っているのに、雨のせいで止まらない。
体をぐねるようにして、何とか牛の間をすり抜けた。
一歩間違えていたら、牛と刺し違えていた。
急に噴出した汗と雨で、体も荷物もびしょびしょになっているにもかかわらず、ペダルをこぎ続けた。
八重山での時間も限られてきていたため、とにかく現実を振り払おうと夢中だった。
びしょびしょの地図を片手に、おそらくこの下り坂だろうと思える場所にさしかかる。
試しに下ってみる事に。
果てしなく続く下り坂に、おそらく道を間違ったのだと気付くが、消耗し切っていたので、正しいと信じたいという気持ちで、行き止まりまで後戻り出来なかった。
行き止まりの防波堤に笑顔の女性が見えた。
20代後半くらいだろうか。
「こんにちわ」と笑顔で声をかけてきてくれた。
「こんにちわ」と返す。同じように道を間違ったそうだ。
ここで何をしているのか尋ねると「道を間違えたついでに海を眺めています」という。
曇りの無い綺麗な笑顔だった。

しばらく海を眺め、雨の中2人で「海人公園」を目指す事に。
雨は一向に止まない。
一人で坂道を登るのと二人とは違う。
自然と笑顔がこぼれる。
野良牛の間をすり抜け、やっと目的地への下り坂を発見。
雨に打たれながらの下り坂が心地良い。

「海人公園」に到着。屋根の下に腰を下ろして2人で雨宿り。
雨で景色は何も見えないが、ここまで来れた事に満足していた。
息つく間も無く、台風が接近しているので、最終の石垣便が早まると民宿の案内をしている方が教えてくれたので、引き返すことに。
帰り道に「結」という民宿に寄り道し、三線を聞かせてもらいさっさと港に引き返した。

港から逃げるように荒波の中、石垣港に到着。
彼女は、今日の夜の宮古島行きの便に乗るのだそうだ。
早速空港まで見送りに行くことに。空港では、欠航の案内がされていた。
明日以降の便しか飛ばないと言う。
彼女ののキャンセル待ちの手続きを済ませ、石垣での宿探しの協力をすることに。
昨日泊まった宿で珍しく連泊の予約を入れていたので、連絡してみることに。何とか宿はとれた。台風の際には、宿の確保が何より大切だと空港までのタクシーの運転手に教えてもらっていたのが助かった。

ホテルに帰り、シャワーを浴び、びしょびしょになった服を着替え、夕食へ。
店を探して歩いているうちに昨日知り合った Iさんと鉢合わせる。
何もしてないが気まずい空気で別れた。

取り敢えず、夕食は彼女が行きたいと言った「南風(ぱいかじ)」という店に入る事に。
グルクン、イラブチャー、昆布いりちーと彼女が次々と注文。彼女は山口県出身で、Oさん
弟が琉球大学出身なのをきっかけに何度も沖縄本島には遊びに来ていたのだそうだ。
八重山は今回初めてで、特に石垣と竹富にすっかり虜になっているらしい。
弟は卒業後、山口に帰って「タコライスの店」を開いており、お父さんは山口県で唯一オリオンビールを取り扱っている酒屋をしているという沖縄一家である。
将来は、ぜひ八重山に移り住みたいと思っているらしい。
八重泉を注文し、話が進む。

昨日、Iさんにした深夜番組の話をOさんにもしてみた。
彼女は、定年まで待たずにでも好きなところに移り住みたいという。
そのためなら、好きな服も諦め、生活が厳しければ、共働きでもいいという。
人生を楽しむことに全力を注いでいそうだ。

Oさんに出会い、彼女の明確さを感じ、人生のベクトルを共有できる人と一緒になれば、現実の壁も越えられるのではないかと思えるようになった。
「人生に正解なんてあるもんじゃない」そう思えるようになった。

石垣最後の夜に、今までの狭い視野が少し広がったような気がした。



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shimanookurimono at 17:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 石垣島との出会い 2003 | 小浜島

石垣島との出会い 2003 (3)

b678c0cf.JPG







石垣島3日目
少し早めに朝食を済ませ、離島桟橋へ。
にぎわった離島桟橋で缶コーヒーを片手にタバコをふかし、海の向こうをただ眺める。
太陽に照らされながら、Tシャツの間を心地良く通り抜ける海からの風を感じる。
肩の重さが急に軽くなった気分だった。
しばらくすると「違う島を見てみたい」そんな衝動にかられ、竹富島行きのチケットを握り締め、船に乗り込んだ。

穏やかな大きな海を私の乗った小さな船が、波に揺られてゆっくりと進む。

竹富島に到着。
人口約300人 周囲約9.2kmの小さい島だ。
バスに乗ることも出来たが、私は島の中心部の集落まで歩く事にした。
照りつける暑さが心地良い。

約30分ほどして集落に到着。
歩き疲れたので、自転車を借りて島を周る事に。
自転車に鍵がついてなかったので、「なぜ?」と尋ねると「盗む人がいないから」と返ってきた。
半分納得したまま集落が一望できるとガイドブックに載っていた「なごみの塔」を地図を片手に探した。
小さい丘の上に石の階段があるのを見つけたので、そこに登って「なごみの塔」を探そうと私は列に並んだ。

私の前に並んでいた女性に話し掛け「なごみの塔」はどこですか?と訪ねると今並んでいる先がそうだという。
案外簡単に見つけてしまい「塔」といっても案外小さいものだったのに驚いた。
順番が来て塔に登り、集落を一望。
空と海と赤瓦の屋根が一面に広がる。
頭の中に田舎の風景がリンクし、初めて訪れた場所なのに懐かしいと感じた。

私は先程、列の前に並んでいた女性と島を周ることに。
彼女は、Iさん
広島出身で、今大阪に住んでいるという。
まずは、眺めが綺麗という「西桟橋」を目指した。
空と海の間に桟橋がまっすぐ伸びている。
その先に向かって自転車を押しながら、2人でゆっくりと歩いた。
「青い海と空に吸い込まれそう」と言った彼女の涼しげな横顔が印象的だった。

b678c0cf.JPG


「竹富島の西桟橋」




桟橋の先で、ゆっくりと海の風を感じ浸った後、少し早めの昼食をとることに。
桟橋から集落に少し戻った食堂で、八重山そばを注文。
彼女は大学が大阪で、大阪に就職し、今回夏期休暇で来ているのだと言う。
「何故石垣島なのか」と尋ねると「石垣は以前から行きたいと思っていたので友達と一緒にくる予定だったが、予定が合わなかったので、一人旅になってしまった」という。
「親は心配してない?」と尋ねると、心配しているから、週末に実家に帰る予定だそうだ。
今の子にしてはやさしい子だなと感じた。

昼食を終え、島を一周することに。
彼女は水牛車を引く牛に興味を惹かれ、集落では「白砂、石垣、赤瓦それしかないのがいいですね。」と笑う笑顔がかわいかった。

竹富での時間も限られてきたので、ビーチに向かうことに。
まずは、「星の砂浜」で手のひらを砂につけ、星の砂探しで楽しみ、「コンドイビーチ」へ。

コンドイビーチ


「コンドイビーチ」




木の間から白い砂のビーチが見える。
暑さの中動き周っていたので、まずは2人ともかき氷を注文し休憩。
灼熱の中食べるかき氷は最高においしかった。
食べ終わるとビーチの砂浜に荷物を降ろし、早速水着に着替えることに。
海の水は生ぬるく遠浅の海が50mは続いていた。
あまり恥ずかしがらず、水着ではしゃぐ彼女が綺麗な景色に馴染んでいた。
一通りはしゃぎ疲れて、日陰で休憩する事に。
日陰で、ヤドカリがせっせと動いているのを見ながら風に吹かれる。
楽しかった時間も残りわずかの為、着替えて帰りの準備をする事に。
自転車屋に戻り、自転車を返し、港まで送迎のバスを待つ。
少しして送迎のバスが来て港で石垣行きの船に乗り込む。
夕日がかった島が遠ざかっていくのがもの凄く物悲しかった。

石垣の離島桟橋に到着。
夕食を一緒に食べる約束をし、彼女は宿を予約済みだったので、そこでひとまず別れようとするが、私の今日泊まる宿探しに彼女もついて来てくれた。
どのホテルも高かったので、結局前と同じホテルにする事に。
どんな部屋か見てみたいと彼女は言い、部屋までのぞきに来る事に。
色んな事に興味を持つ彼女にドキッとした。
シャワーを浴びて集合場所を決めて、別れることに。

シャワーを浴び、集合場所の大きなホテルの一階のロビーで彼女を待つ。
昼間とは違って少し綺麗目な装いをした彼女の姿が見え。
行きたいと言っていたお土産Tシャツの「あ〜」という店で買い物をし、沖縄料理の店に入った。
沖縄県魚の「グルクンのから揚げ」を注文し、お互いの旅の予定を確認。
彼女は、明日初めてのダイビングをし、明後日石垣を離れるののだそうだ。
話が進み、泡盛を注文。
彼女も付き合った。
大阪で仕事をしているとの事で、話してみると自分の勤務先ともの凄く近かった。
彼女は通販の会社で、オペレーターの仕事をしているらしく、クーラーの効いた職場で、電話での対応に毎日追われているのだそうだ。
冷え性の彼女には、クーラーはきつく、仕事にもストレスを感じていて今の仕事について考えているらしい。
やがてお互いの人生設計に話が進み、お互い以前見た深夜番組に話が移った。
それは、定年を迎えた夫婦の3つの人生の選択の話だ。
1つ目は、今の仕事を嘱託で続け、生活水準を維持する。
2つ目は、田舎に移り住み、年金を受給しながら生活水準は落ちるが2人でのんびりと暮らす。
3つ目は、タイなどの物価が安く医療水準は低いが、途上国に移り住み悠悠自適の生活を送る。
彼女は、「3番目でもいいがその時の子供のことを考えると現実的に1番か2番目になるが、1番とはなかなかいえないと思う」と悩ましい顔で言う。
私も今は独身だが、将来家族のことを考えると現実的には2番が理想的だと思っていた。
では、石垣島についてはどうかと彼女に伺った。
「この島は好きだけど、若い間は、欲しい服もここじゃなかなか買えないし、ある程度歳をとってからなら移り住みたい」と複雑な顔で答えが返ってきた。
私は、石垣島を知ってから、「出来れば今にでも移り住みたいが、現実的には仕事で出来るだけ早くに成功し、夫婦でこういう島でのんびりと暮らしたい」とだんだん思うようになってきていた。。
南の島で、理想と現実を今日知り合ったばかりの彼女と話し合い、お互いの淡い夢が揺れ動いて夜が更けていった。

すっかり遅くなったので、明日朝が早い彼女をホテルまで送り、宿へ向かう。
少し冷たい夜の風に吹かれながら、この島に来てから少しづつ自分の中で何かが変わろうとしているのを感じながら、宿に着いた。



なごみの塔から見える水牛車

「なごみの塔からの風景」



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shimanookurimono at 06:41|PermalinkComments(2)TrackBack(10) 石垣島との出会い 2003 | 竹富島

2005年08月21日

石垣島との出会い 2003 (2)



白百合クラブ 東京へ行く


石垣島2日目
気が付けば、ホテルのチェックアウトの時間まで眠ってしまっていた。
1階の食堂で何とか朝食にありつけることに。
本島出身の店のお母さんに「どうせ余ってもしょうがないから」とコーヒーを3倍もおかわりさせてもらい、八重山毎日新聞に目を通す。

雨が少ない年らしく、干ばつの記事が1面に枠を裂いて載っていた。
八重山中心に世界が回っているような記事に興味がそそられ、島の生活を知ってみたいという感情を引きずったまま店を出る。

行く宛ても無く天候もあまり良くなかったので、ガイドブックで知った真珠の養殖で有名な川平湾にバスで向かうことに。
川平湾は、大きなリゾートホテルが立ち並び、いかにもリゾート地に来ている観光客がビーチにあふれていた。
自分も同じような観光客なのだが、この人たちとは一緒になりたくないと思い、足早にビーチを後にし、米原のキャンプ場まで、歩いて行ってバスを拾うことに。
思いのほか長い道のりで、照りつける太陽の光の存在を皮膚で感じながら、頭の中が真っ白になっていった。
そんな状態が、何十分続いたかわからないが、体から吹き出す汗が粘り無く流れていくのが、心地良かった。
ようやく米原に到着。
暑さに負けてビーチに出る事も無く、運良く来たバスに飛び乗り、バスターミナルに戻る事に。

戻ったはいいが行く宛てもなく、取り敢えず遅めの昼食を取る事に。
どこに入ろうかと彷徨いBeachというタコライス店へ。
アジア風な装いの店内で、期待していた以上に美味いタコライスを口にしながら、ボブ・マーリーのNO WOMAN NO CRYが流れている。
石垣島、タコライス、レゲエと都会での憂鬱な心が心地良く交じり合った時間だった。

店を出て、3月に本島に行ったときに興味を持った三線を見に行く事に。
店に入り、色々あるものだと見ていると手に取って弾き比べて良いと言われ、取り敢えず手に取ってみる。
本島で買ったカンカラ三線で練習した八重山民謡の「安里屋ゆんた」を弾いてみると見ず知らずの地元のお客さんも一緒に弾き歌いライブのようになった。
人に対して壁を作らない陽気さに自分を見つめ直す。
取り敢えず、最終日に買うと約束し、店を出た。

三線で火が付いたのか石垣島で流行っている音楽が知りたくなって、根間楽器に行くことに。
店内を一周しCDを手に取る。観光客向けのCDランキングのように感じうんざりするが、年間60万人も観光客がやって来ることを思えば、しょうがないかという思いで店を後にした。

店を出ると電柱に張られてあった、市民会館での映画上映会のチラシを目にする。
ナビィの恋の中江裕司監督の作品の上映会だ。
白百合クラブ 東京へ行くという映画だった。
私は宿をとる事も忘れ、ホットスパーでチケットを買い、石垣市民会館へ。
その日2回目の上映に何とか間に合った。
作品の内容は、白保の「白百合クラブ」という終戦の翌年から続く楽団が東京の若者たちの前で歌い踊るというドキュメントタッチの作品でBOOMが共演していた。
上映が終わると実際の「白百合クラブ」と監督が現れ、作品についての思いが語られる。
私は、作品自体よりもほぼ自主制作のこの映画を作り上げた人達に感動し、この作品に協力していたBOOMやBEGINや島の人達を素晴らしいと思った。

館内を出ると、監督と「白百合クラブ」の握手会があった。
私は、その列に並び握手をして行った。
中江祐二監督の握手はひときわ強く、目の強さを感じた。

市民会館を後にした時は、もう相当な時間になっていたので、大急ぎで昨日泊まったホテルに駆け込み、何とか宿は確保できた。

コンビニで弁当を買い、宿で映画のパンフレットを眺める。
中江祐二監督のプロフィールが気になり、読み上げた。
京都生まれで、琉球大学卒業後、沖縄を舞台に自主制作で島の映画を取り続けているようだ。
彼には、生きる場所が明確にあり、それゆえに目の強さを感じたのだと思った。
自分に置き換えてみて、生きていく場所をイメージするがただ漠然と起業への思いがあり、具体的には何の色も浮かんでこなかった。少なくとも今の会社は。

私は、起業するために今の会社に入り、28歳までに、起業に必要な営業力、管理能力、必要資金を準備し、30歳までに、具体的なビジネスプランを練り上げ、資本金1000万円を持って起業という漠然とした目標はあった。
しかし、「どこで 何を 何の為に」といったものが、決定的に欠けていた。
ぶれない軸を持っている人間のあの強い目を思い出しながら、2日目の夜ベッドに溶けていった。 



白百合クラブ 東京へ行く




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shimanookurimono at 19:03|PermalinkComments(0)TrackBack(1) 石垣島との出会い 2003 | 石垣島

2005年08月20日

石垣島との出会い 2003 (1)


ナビィの恋


2003年 春 
映画ナビィの恋を見て、3泊4日の旅行で沖縄本島へ。
ゆっくりとした時間の流れと普段感じる事の出来ない異質な空気を感じながら、大阪に戻る。

大阪での現実は厳しかった。
将来、独立して社長になるという淡い思いを胸にベンチャー企業に入社したが、感情を押し潰されるような日々だった。
誰かがやらないといけない仕事を率先してやる人間が馬鹿を見る。
自分は不器用なタイプだった。
毎日終電まで仕事に上司に追い回され、人生の目標を失いかけていた夏。逃げるように石垣島に旅立った。

石垣空港に到着。
サウナのような暑さが心地良かった。
初日は港近くのホテルに宿を取り、昼食を済まそうと近くの三線の音が聞こえる「まーさん道」という店へ。
セルフサービスかと思わせるくらいゆっくりとお冷が出され、八重山そばを注文。
そこで、テーブルに無造作に置かれたタイムカプセルノートと書かれたものを目にする。
旅行者が島から離れる前の複雑な心境を書いたものだった。
食事を取りながらそれに目を通していると日ごろ凍りついていた感情が強烈に込み上げて来た。
気が付くと店を出るまでに全てに目を通していた。

店を出て、行き先も決めていなかった為に、幼馴染の友人が勧めてくれていた「白保」へ向かうことに。
バスのチケットを買い、30分に一本の白保行きのバスに乗り込む。
運転手さんは旅行者と気付いてか行き先を聞いてきた。
「白保の海に近いところ」と答える。
「じゃあ、一番近いところで降ろしてあげるさ」と答えが返ってき、バスは動き出した。
何番目かのバス停の前で、おばあさんがバスに間に合おうと急いでいるのが見えた。
運転手は窓を開け、「急ぐとこけるから、待っててやる」と声をかけ、おばあさんを乗せてバスはまた動き出す。
都会の人間が忘れている当たり前の行動を目の当たりにし、言葉を失い、自分の胸に手を当てた。
何分かして、地元の小学生が2人乗り込んできた。
興味があって見ていると二人して漫画に熱中している。
石垣島も内地の子供もあまり変わらないようだ。

ようやく白保に到着。親切に道を案内してもらい海辺に着く。
友人に聞いていたとおり素晴らしい海だった。
耳からは、珊瑚のリーフで波が崩れる音と風の音しかしない。
目からは、海と空がコントラストくっきりとどこまでも青く映った。
日頃見ている灰色の構造物やうるさい電話音や怒鳴り声はそこには無かった。
緊張感でこわばっていた体が一気にほぐれていくのを感じ、白保を後にした。
疲れていた事もあり、初日は簡単に食事を済ませ、宿で体を休ませる事にした。



ナビィの恋



この映画を見て沖縄に興味を持ちました。おじいが切ないが、心温まる作品です。



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shimanookurimono at 23:10|PermalinkComments(2)TrackBack(4) 石垣島との出会い 2003 | 石垣島