フランス語の勉強?

ブツブツ/仙台育英が大阪桐蔭に勝利♪/NHKテキスト整理

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Attentats en Espagne: la police sur la piste d'une cellule d'une douzaine de personnes
L'enquête sur les deux attentats qui ont fait 14 morts en Catalogne progresse à grands pas dans une Espagne en deuil, avec la mise au jour d'une cellule d'une douzaine de personnes passée à l'acte précipitamment après l'échec d'un premier plan encore plus meurtrier.
Cette cellule pourrait avoir été impliquée dans les attaques menées avec des voitures lancées contre des foules de vacanciers et promeneurs à Barcelone puis à Cambrils, plus au sud, a expliqué vendredi soir le porte-parole de la police régionale, Josep Lluis Trapero. Sur cette douzaine de suspects, quatre ont été arrêtées jeudi et vendredi, et un est en fuite. L'identité de l'homme et sa photo ont été diffusées: il s'agit de Younès Abouyaaqoub, un Marocain de 22 ans. Cinq autres ont été abattus dans la nuit de jeudi vendredi à Cambrils alors qu'ils menaient l'attaque.
Parmi les assaillants tués figurent trois jeunes Marocains vivant depuis leur enfance en Espagne: Moussa Oukabir, Sacd Aallaa et Mohamed Hychami, respectivement agés de 17, 18 et 24 ans et tous habitants de Ripoll, une ville de quelque 10.000 habitants non loin des Pyrénées.
Trois autres personnes également impliquées sont identifiées, mais n'ont pas été interpellées. Deux d'entre elles pourraient avoir péri dans l'explosion suivie d'un incendie d'une maison mercredi à Alcanar, à 200 km au sud de Barcelone, ou le groupe tentait peut-être de confectionner des engins explosifs.
Il y a dans cette maison "des restes humains de deux personnes différentes, nous tentons de voir s'il s'agit de deux des trois personnes impliquées dans les attaques. Il nous resterait une troisième à trouver", a indiqué le porte-parole de la police catalane.
Le conducteur de la camionnette qui a fauché des passants sur las Ramblas n'a toujours pas été identifié par la police, a-t-il ajouté, démentant des informations de presse qui assuraient qu'il s'agissait de Moussa Oukabir.
A 16H50 locales (14H50 GMT) jeudi, une camionnette blanche avait fauché des dizaines de passants sur les Ramblas, tuant 13 personnes et en blessant plus de 120. L'attaque a été revendiquée par le groupe Etat islamique (EI).
Quelques heures plus tard, une Audi A3 avait à son tour foncé sur la promenade du bord de mer de Cambrils, une station balnéaire au sud de la capitale catalane, avant de percuter une voiture des Mossos d'Esquadra, la police catalane. S'en est suivie une fusillade au cours de laquelle les cinq occupants de l'Audi, qui étaient munis de fausses ceintures explosives, d'une hache et de couteaux, ont été tués.
Alors que 17 blessés luttaient entre la vie et la mort vendredi, l'Espagne endeuillée tentait de se réapproprier les Ramblas, la grande avenue qui mène les Barcelonais jusqu'à la mer, désormais parsemée d'autels en mémoire des victimes, d'au moins 35 nationalités.
A midi, des centaines d'habitants de la métropole méditerranéenne avaient scandé "No tinc por", "je n'ai pas peur" en catalan. Une cérémonie avait rassemblé la foule derrière le roi Felipe VI, le chef du gouvernement Mariano Rajoy et celui du gouvernement régional de Catalogne Carles Puigdemont pour une minute de silence.
Ces attaques ont peut-être remplacé des attentats "de plus grande envergure", a aussi expliqué le porte-parole de la police catalane. L'explosion à Alcanar, qui a fait au moins un mort, aurait en réalité évité un autre drame de plus grande ampleur. Selon la police, les assaillants auraient alors perdu les composants nécessaires à la fabrication d'engins explosifs. La police a sorti des dizaines de bonbonnes de gaz de la maison, dont on ignore si elles devaient servir de réceptacles pour des engins explosifs.
La double attaque a du coup été commise de "manière plus rudimentaire, sans être "de l'amplitude espérée" par les jihadistes, toujours selon la police.
Mariano Rajoy, à Barcelone depuis jeudi soir, a tenu vendredi à souligner la nécessité d'union, alors que justement les séparatistes au pouvoir en Catalogne menacent de quitter l'Espagne à l'issue d'un référendum d'autodétermination prévu le 1er octobre. Le gouvernement espagnol doit par ailleurs décider s'il élève encore le niveau d'alerte antiterroriste, de 4 à 5 (son maximum), en pleine saison touristique, alors que le secteur du tourisme pèse pour plus de 11% du PIB national.
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7月下旬と8月上旬にあったブツブツの件をずっと放置していましたが,やっと今日封筒から出して片づけました.
高校野球で仙台育英が大阪桐蔭と試合でたぶんダメだろうな・・・と思っていたらなんと逆転サヨナラで勝利♪うれしいです.
積読になっていたNHKテキストを整理して少しだけすっきりしました.

津波のなか治療続けた医師語る
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町の志津川病院で治療を続けた、医師の菅野武さんが19日、南三陸町で高校生たちに講演し「仕事で社会にどう貢献できるか考えるプロフェッショナルになってほしい」と語りました。
震災当時、南三陸町の志津川病院に勤務していた医師の菅野武さんは、震災で5階建ての病院が4階まで津波でつかるなか、2日後に最後の患者が救助されるまで治療を続け、アメリカの週刊誌「タイム」の2011年の「世界で最も影響力のある100人」の1人にも選ばれました。
菅野さんは19日、東北地方の次世代のリーダーを育てようと高校生24人が参加して南三陸町で開かれている研修会で講演し、使うことができる医療機器が限られるなか、治療しても救えなかった命があったことの悔しさなど、当時の状況や心情を映像や写真を交えながら詳しく語りました。
そのうえで、「将来就きたい仕事はいろいろあると思いますが仕事に就くことがゴールではありません。その仕事で社会にどう貢献できるのか考え続けるプロフェッショナルを目指してください」と高校生にエールを送りました。
地元の志津川高校から参加した小山美里さんは「震災をうけて臨床心理士になりたいと思っています。
菅野先生のように患者と心を通わせられる臨床心理士になりたいです」と話していました。


集団移転の地区 夏祭りで交流
東日本大震災で被災した人たちの大規模な集団移転先となった、東松島市のあおい地区で19日、夏祭りが行われ、住民や家族連れでにぎわいました。
東松島市で被災した住民が集団移転して、新たに生まれたあおい地区は、仮設住宅などから580世帯の移転がほぼ終わった去年から、地域の交流の場を作ろうと夏祭りが行われています。
ことしも地区の広場で行われた夏祭りには、住民をはじめ周辺の地区から家族連れなどが訪れ、子どもの健やかな成長を願う「子どもだんじり」では、おそろいのはっぴを着た40人の子どもたちが、力いっぱい山車を引いて広場を練り歩きました。
見物していた50代の女性は、「子どもたちの元気な姿を見られてうれしいです。地域の宝だと思います」と笑顔で話していました。
また、移転前の地区に伝わる伝統の獅子舞が披露されると、訪れた人たちは、無病息災を願って獅子に頭をかんでもらっていました。
このほか、地元でとれたネギや小松菜などの野菜が、安いものでは店頭価格の半額ほどで販売され、多くの人たちが買い求めていました。
近くの別の地区から訪れていた40代の女性は、「活気のあるお祭りで楽しいです。地域全体で交流を深めていきたいと思います」と話していました。


夏の甲子園 仙台育英が8強
夏の全国高校野球、大会11日目の19日、仙台育英高校が2回目の春夏連覇を狙った大阪桐蔭高校に2対1で逆転サヨナラ勝ちし、準優勝したおととし以来2年ぶりのベストエイト進出を決めました。
仙台育英は、エースの長谷川拓帆投手が力のあるストレートを軸に大阪桐蔭打線を7回まで0点に抑えました。
しかし8回、ワンアウト二塁からタイムリーヒットを浴びて0対1と1点を先制され、今大会23イニング目で初めて得点を奪われました。
打線は大阪桐蔭の先発、柿木蓮投手に終盤まで抑えられましたが、9回、ツーアウト満塁から途中出場の馬目郁也選手がタイムリーヒットを打ち、2人のランナーがかえって2対1で逆転サヨナラ勝ちしました。
仙台育英は20日の準々決勝第3試合で広島の広陵高校と対戦します。


鎮魂の五百羅漢500体到達 震災犠牲者慰める
 東日本大震災の犠牲者を慰めようと陸前高田市の名刹(めいさつ)「普門寺」で制作してきた石仏の五百羅漢が500体に到達し、開眼法要が18日営まれた。遺族や被災地を支援する人々が2013年以降、毎年夏に寺を訪れては石に一彫り一彫り、それぞれの思いを刻んできた。
 五百羅漢の制作は、被災者の心を癒やしたいと、芸術家やアートセラピスト、僧侶でつくる「未来への記憶プロジェクト」が企画。彫刻家らが講師となり、全国から集まった人たちが高さ30〜40センチの石にのみを打ち込んできた。
 今年の作業は13日に始まった。陸前高田市の会社員松崎みき子さん(60)は、津波で亡くなった友人の供養をしたいと参加。家族ぐるみで海水浴やバーベキューを楽しんだ時の笑顔を石に刻んだ。「悲しくて何年も現実を受け入れられなかったが、彫ると心が落ち着く。今日を精いっぱい生きたい」。松崎さんはそう語る。
 普門寺には震災後、五百羅漢プロジェクトとは別に多くの仏像が奉納されている。羅漢像と合わせた総計は、くしくも1750人以上という陸前高田市の震災犠牲者数とほぼ同数になる。
 法要を終えて熊谷光洋住職(65)は「遺族の心を少しでも慰められる場所になってほしい。これで終わりではなく、多くの人に知ってもらい、お参りしてもらうのも使命だ」と話した。
 羅漢像の制作は今年が最後で、19日まで行われる。


「ハーバード大生が見た東北」被災地の今、ブログで発信 
 河北新報社で6月下旬からインターンシップ(就業体験)に取り組んでいる米ハーバード大2年モトイ・クノ・ルイスさん(20)が、東日本大震災の被災地を訪れ、津波被害の痕跡や復興の現状をブログにつづっている。英語で900〜2000語の長文記事を既に7本執筆。被災現場での見聞に日本文化への考察を加え、旺盛に発信している。
 記事は「Tohoku:The Harvard Perspective(ハーバード大生が見た東北)」とのタイトルで、河北新報社のホームページに掲載中。仙台市の震災遺構、旧荒浜小(若林区)を皮切りに訪れた十数カ所を題材とした。
 児童ら計84人が死亡・行方不明になった石巻市大川小の記事では、訪問時に雨が降っていたことから「涙雨」を連想したと記し、犠牲を防げなかった背景を探った。20メートル超の津波に襲われた宮城県南三陸町戸倉地区では、児童たちが避難した神社の写真を掲載し、多発する自然災害と日本人の宗教心に関心を寄せた。
 岩沼市沿岸に整備中の「千年希望の丘」にも足を運んだ。植林による緑の防潮堤に好感を示し「自然を遠ざけるのではなく、自然とつながることで災害を防ごうとしている」と書いた。
 モトイさんは、河北新報社とハーバード大が締結した人材育成・交流事業の一環として、6月27日〜今月22日の約2カ月間、仙台に滞在。同社主催の防災ワークショップ「むすび塾」や新聞を教育現場で活用するNIE活動も体験し、ブログで紹介した。
 今月5〜8日には、同大ライシャワー日本研究所と岩手大などが陸前高田市で共同開催したグローバルセミナーに参加。同市の震災復興や七夕祭りでの交流について、近く報告する。
 帰国を前に、モトイさんは「実際に被災現場に立ち、津波の破壊力や、家族や友人を亡くした悲しみを実感した。宮城県北のリアス海岸地域と、県南の沿岸部で被災の様相が異なるのも印象深い。東北で見聞きしたことをアメリカでも伝えたい」と話した。
 モトイさんのブログのアドレスはhttp://www.kahoku.co.jp/special/spe1151/


被災地のリーダー育成 高校生が課題解決策学ぶ
 東日本大震災の被災地で若者のリーダーシップを育む「U−18東北次世代リーダーカンファレンス」が17日から4日間の日程で、宮城県南三陸町歌津の平成の森で始まった。宮城、青森、山形3県の高校生24人が政治家や医師、社会起業家の講話を通し、地域の課題解決策を考える。
 初日は細野豪志元環境相が講師を務めた。政治家を志した動機のほか、民進党離党の経緯に触れ「考え方の違う党を離れ、まず旗を立てたい。リーダーには協調性だけでなく、強いビジョンが必要だ」と語った。
 同町の志津川高3年小山幸樹さん(17)は「震災を経験し、災害への備えを伝える消防士になるのが夢。どんな発信の仕方が有効か考えたい」と話した。
 カンファレンスは同町で学習支援を行うNPO法人「キッズドア」(東京)が企画。期間中、同町の公立志津川病院で被災した菅野武医師、石巻市の一般社団法人「モリウミアス」の油井元太郎代表ら8人が講演する。漁業体験もあり、地域資源の可能性を探る。


「災害公営住宅工事で自宅被害」男性が仙台市など提訴
 東日本大震災後に仙台市が発注した災害公営住宅の土地造成工事による振動が原因で、自宅の壁がひび割れるなどの被害を受けたとして、宮城野区の会社員石井邦彦さん(51)が18日、市と施工業者に約3790万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。
 訴えによると、自宅は築16年の木造2階で、2015年4月に着工した同区福室の岡田災害公営住宅に隣接する。トラックや重機の往来による振動で自宅に被害が生じたとして、石井さんは同年5月、市に被害調査と修繕費の補償を求めた。市は壁の亀裂など6カ所の被害を認め、補償金約110万円を提示したという。
 石井さん側は「調査が不十分だ。他にも基礎のずれや断熱材の破損などの被害が生じた」として、補償の上積みを求めた。
 奥山恵美子市長は「訴状が届いていないので現時点でのコメントは差し控える」との談話を出した。


原発事故で休診の病院、新天地で被災者の心ケア
 南相馬市小高区の小高赤坂病院が21日、福島県新地町に診療所「新地クリニック」を開業する。東京電力福島第1原発事故の影響で病院の休診が続いていたことから、新天地に建屋を新設して外来診療を始めることにした。診療所は「被災者らの心のケアに当たりたい」と強調している。
 診療所は平屋で床面積は約300平方メートル。JR新地駅から歩いて数分の町有地を借り受けて建設した。建材に木を多用し、落ち着いた雰囲気を演出した。診療科目には精神科、心療内科のほか内科も掲げる。
 小高赤坂病院は1982年の開業。精神科の専門病院として約100の病床を抱えていた。原発事故で小高区全域が避難区域となったのを受けて休止状態になり、全職員が2015年3月までに退職した。
 病院理事長の医師渡辺瑞也さん(74)は「原発事故と東日本大震災で心に傷を負った人が増えている。宮城南部に避難している患者も多く、新地への建設を決めた」と話す。小高赤坂病院建屋は荒廃が進んでおり、解体を検討するという。
 診療所では院長に就いた岩渕健太郎さん(49)が常勤し、渡辺さんが週2回診療に当たる。入院機能が回復する見通しは立っていないものの、軽作業などを行えるデイケア施設の併設を構想している。
 岩渕さんは震災発生時、宮城県内の病院に勤務していた。「被災地の医療体制は大きく揺らいでいる。地元医師会と連携して認知症患者らの治療にも尽力したい」と意気込んだ。


福島原発事故から6年 もの言える社会つくろう
金沢出身 福島大・荒木田准教授講演
 金沢市出身で福島大准教授の荒木田岳さんが十八日、同市安江町の金沢真宗会館で講演し、福島第一原発の事故発生からの六年を振り返った。「事故以来、黙らせて言うことを聞かせるというふうに社会はおかしくなった。福島の人だけでなく、全体の人に関わる問題だ」と訴えた。(小坂亮太)
 荒木田さんは事故発生後の政府の対応について「事故前の安全基準では住めないレベルに汚染していると分かっているのに、情報を隠したり基準を緩和したりし、住民の被ばく回避対策を取らなかった」と批判。「ルールに従えば、事故も被ばくも防げたのでは」と語った。
 自主的に始めた除染活動が「市民の不安をあおる」と止められたり、二〇一四年に漫画「美味(おい)しんぼ」に発言していない内容が実名で載って非難を受けたりした問題にも触れ、「主体性が抑圧されるのは、皆さんにも起こり得ること。一人で悩まず仲間を持ち、一人一人が意見を言える社会をつくっていかなければならない」と強調した。
 講演後、来場者から福島県内の子どもを対象とした甲状腺検査の現状に関する質問があり「がんが確定した人が百九十三人。二千五百人以上が経過観察として心配しながら生活している。被ばくの影響だと認められたところで解決するわけではなく、深刻な問題だ」と話した。
 講演は、人権や差別の問題に取り組む市民団体「人権フォーラム石川」が主催し、四十五人が参加した。


<災を忘れず>水難の記憶 若い世代に
◎東北の施設・地域巡り(3)北上川学習交流館「あいぽーと」(一関市)
 北上川の狭隘(きょうあい)部と支流の作用で、度々大きな水害に悩まされてきた一関市。水難と治水の歴史を伝える国土交通省の北上川学習交流館「あいぽーと」は、国の水害対策・一関遊水地事業で設けられた巨大堤防の上に立つ。
 1947年のカスリン台風、翌48年のアイオン台風で一関市は大きな被害を受けた。カスリン台風から70年となる今年、交流館では被災当時の写真パネル展やゲリラ豪雨展を相次いで企画する。
 8月中の土、日曜はアイオン台風で被災した語り部の講演会のDVDを流し、九死に一生を得た証言を生々しく伝えている。
 「過去には考えられなかった多量の雨が短時間に降り、全国各地で被害が相次いでいる。想定にとらわれることなく避難の意識を持ってほしい」。交流館で見学者を案内する斎藤一公(かずとも)事務局長は話す。
 1階の展示室には豊富な写真資料を展示。砂鉄川などがあふれた2002年の台風6号豪雨をはじめ、一関遊水地が機能した過去の洪水の様子を伝える。縦20メートル、横6メートルの北上川流域の航空写真の上を歩く「空中散歩」も人気だ。
 3階の展望室に上がると、一関遊水地に広がる田んぼと、鉄道橋としては国内最長の東北新幹線第1北上川橋りょう(3868メートル)を見晴らせる。
 2階の集中管理センターは、奥州市内から宮城県境まで北上川の状況を35台のカメラでチェックする常時監視の拠点だ。一関遊水地の排水機場を一元管理する。
 8月、災害ボランティアの研修で訪れた一関市の中学3年松岡立樹(りゅうき)さん(15)は「雨に関する知識や水の怖さを学ぶことができた」と話した。交流館での学習を通じて水難の記憶は、若い世代へと引き継がれていく。
[メ モ] 2002年開館。地上3階、地下1階。年間来場者数は約1万5000人。入場無料。開館は午前9時〜午後5時。月曜休館。


<低温長雨>宮城、福島両県で農作物対策会議
 東北地方の太平洋側を中心とした記録的な日照不足と低温による農作物への影響に、各県が警戒を強めている。宮城、福島両県は18日、緊急の対策会議を開き、生育に一部遅れが出ている水稲や野菜などの栽培管理の徹底を確認。青森、岩手両県も臨時会合の開催や生育調査の実施を決めた。
 宮城県の農作物異常気象対策連絡会議幹事会には、県や全農県本部の関係者ら約30人が出席した。低温に伴う会合開催は2003年以来14年ぶり。農産物の状況や対策を協議した。
 会議ではトマトやナスの出荷量が減少し、キャベツやハクサイなど秋冬野菜の定植作業に遅れが生じているとの説明があった。大豆も変色や倒伏など湿害の影響が出ているという。
 県によると、本年産米の出穂進行率(17日現在)は全体で98.4%に達した。7ブロック別にみると登米、仙台、大崎、栗原、気仙沼で98%を超えたが、大河原は97.7%、石巻93.4%となっている。
 出穂面積が50%以上となる「出穂期」は今月1日で平年より4日早かったが、95%以上の「穂ぞろい期」は平年と同じ11日にずれ込んだ。日照不足でイネの実りに時間を要しており、各地域で収穫時期に差が生じるとの予想が示された。
 「田んぼから水を抜くタイミングによっては品質が落ちる。万全の対策を講じてほしい」(全農県本部)との要望に対し、県農産園芸環境課の担当者は「今後1週間は悪天候が続くため、水田や畑の見回り徹底を呼び掛ける。農家に適切な収穫時期を見極めるよう指導したい」と話した。
 福島県も対策会議を開き、作物ごとに排水や日当たり確保などの技術対策を確認した。中通り地方の担当者から「モモは水分量が多い傾向」「トマトの生育が1週間から10日遅れ」との報告があった。
 岩手県は21日に盛岡市で臨時会議を開き、農作物の生育状況や気象経過を踏まえた対策を検討する。青森県も21日から9月初旬にかけ、水稲の不稔(ふねん)調査を実施する方針を明らかにした。


河北抄
 宮城を代表する海の幸、ホヤの漁期が間もなく終わる。東京電力福島第1原発事故後に続く韓国の輸入規制の影響で、今年も多くのホヤが廃棄処分された。
 「もったいないなぁ」。仙台市青葉区で和食店を営む東海林徳吉さん(69)が、残念そうに話す。各家庭でも消費拡大に貢献できるよと、殻付きホヤのおいしい食べ方を教えてくれた。
 殻はよく洗い、プラスの形の口を切り落とし、中の「ホヤ水」をボウルに取る。殻ごと半分に切って身を外し、排せつ物を取り除く。真水で身を洗うのはほんの数秒。一口大に切ったら、ホヤ水へ。
 山吹色の身は新鮮な証しだ。東海林さんの店で恐る恐る口に運ぶ転勤族も、次はぺろりと平らげるという。
 さっと火を通せば甘みが一段と増す。塩水と酒を煮立たせた鍋に、生の切り身を入れて火を止める。そのまま冷まし、滑らかな食感の残る半生の出来上がり。
 10年余り前、韓国バイヤーの買い付けでホヤが品薄になり、生を口にできない寂しい夏があった。今こそ、地元の旬を味わう喜びをかみしめたい。


デスク日誌 ミホとリリー
 元祖だめんず(ダメ男)とも言える寅さんが騒動を巻き起こす映画『男はつらいよ』。見どころはもちろんマドンナとの恋の行方。
 シリーズ48作は世界最長としてギネス認定された。最多の4作でマドンナになったのが浅丘ルリ子演じる旅回りの歌手リリー。「女が幸せになるには、男の力を借りなきゃいけないとでも思ってんのかい? 笑わせないでよ」と寅さんもたじたじの啖呵(たんか)を切る。
 この夏もう一人、心(しん)のある女性の足跡に触れた。南相馬市ゆかりの作家島尾敏雄の妻ミホだ。戦争中の鹿児島県加計呂麻(かけろま)島で、特攻隊長の島尾と恋に落ちた。島の風景と2人の軌跡は、14日朝刊の写真特集「アングル」で紹介した。
 戦後になってロマンスは一転。ミホは夫の不貞に狂乱する一人の女性として、島尾の代表作『死の棘(とげ)』に登場する。ダメ夫に絶対の愛を求める姿は、恐ろしくもいとおしい。
 『男は…』の最終作はその加計呂麻島が舞台。リリーと寅さんが夫婦のように一緒に暮らす。南の島では男女の間にとても強い磁力線が存在するのかも。時に反発し合うのも、この不思議な力のなせる業か。
(写真部次長 佐々木浩明)


広島土砂災害 腕時計、ボール…思い出の品、返還進まず
 77人が犠牲になった広島土砂災害から20日で3年になるが、被災地のがれきなどから見つかった「思い出の品」の返還が進んでいない。今年度の返還事例はないことから、広島市は犠牲者追悼式が開かれる同市安佐北区可部7の区民文化センターで18日、保管品の展示を始めた。これまでは保管品の写真を収めたアルバムを閲覧してもらっていたが、「実際に見たい」との声も寄せられていたため、初めて実物を並べた。
 市は、安佐北・安佐南両区の被災地のがれきから出た被災者の所有物約1154点を洗浄して保管している。返還件数は、発生翌年の15年度に16件あったが昨年度は8件と減り、今年度に入ってからはまだ無い。市の担当者は「災害時を思い出すとの理由で、心理的に抵抗を感じ、あえて探しに来ない人もいる」と話す。
 会場にはレンズのフレームが曲がったカメラや、針が止まったままの腕時計、使い込まれた野球グラブなどが並び、来場した人たちは静かに眺めていた。
 市は、保管期限を来年3月末と決めているが、今回の展示を受けた返還状況などをみて、延長も検討するという。市環境政策課の担当者は「持ち主にとっては、3年前のあの日までの人生が詰まった大切なものばかり。手に取ってじっくり見てもらいたい」と話す。
 安佐北区民文化センターでの展示は20日までの午前9時〜午後5時。12月にも安佐南区緑井6の佐東公民館で同様の展示会を開く。 原則的に申し出れば、返還されるが、運転免許証など本人確認が可能な書類が必要。問い合わせは、同課(082・504・2505)。【東久保逸夫】


広島土砂災害 被災の子供、ストレス2.2倍 影響長期化
 犠牲者77人を出した3年前の広島土砂災害が、子供に与えた心理的影響について、広島県小児科医会が教員らにアンケート調査したところ、情緒不安定などストレス反応がある「気になる子供」の割合が、被災地外と比べて2.2倍高いことがわかった。同会は「深刻な被災が子供の心に長期的な影響を及ぼしている」としている。
 調査は今年2〜4月、広島市安佐南、安佐北両区の被災地にある保育園・幼稚園、小中学校計15校(児童ら3601人)と、両区の被災地外の計7校(同2711人)を対象に、教員や保育士ら計224人にアンケートを実施した。教師らが相談や指導が必要と感じる気になる子供を抽出し、落ち着きがない▽表情が乏しい▽長期欠席がみられる−−など約40項目で該当する部分をチェックした。
 その結果、気になる子の割合は平均で、被災地が8.6%で、被災地外の3.9%の2.2倍だった。年代別でみると、同様に就学前が2.4倍、小学生が1.6倍、中学生が2.3倍といずれも被災地の方が多く、就学前の子供が最もその差が大きかった。被災地のうち、自宅が被災した子は、被災していない子や被災地外に比べ、気になる子の割合が全年代層で高かった。
 調査をまとめた、安田女子大(安佐南区)の田中丈夫教授(小児科)は「被災が子供の心に大きな影響を与えていると裏付けられた。一方、調査では、被災地の子供たちに問題行動が多いなどの傾向はみられず、心のケアの効果が一定程度表れており、問題の複雑化を抑止している」としている。【東久保逸夫】


教科書採択/「圧力」は中立性を脅かす
 私立灘中学校(神戸市東灘区)をはじめ、慰安婦問題を載せた歴史教科書を採択した全国の中学校に、抗議のはがきが大量に送り付けられていた。
 「反日教育をする目的はなんなのか」などと採択中止を求め、差出人が異なっても大半の文面は共通していた。学校側は「1日数十枚の束が届き、組織的な圧力と感じた」「相手の姿が見えず不安だった」という。
 国立や私立の場合、文部科学省の検定に合格した教科書の中から、どれを選ぶかは各校の判断に任されている。外部から圧力をかける行為は、教育の中立性を脅かすものだ。まして生徒を預かる学校に、不安を抱かせるような言動は許されない。
 教科書は出版社「学び舎」(東京)の「ともに学ぶ人間の歴史」で、現役教員や元教員が執筆した。他社に記述のない慰安婦問題を取り上げている。1993年に政府が元慰安婦へのおわびと反省を表明したいわゆる「河野談話」とともに、現在の政府見解も併記している。
 全国で38校が採択し、このうち同様のはがきが送られたのは、少なくとも国立、私立の11校になるという。灘中には、昨年3月ごろから200枚以上が届いた。同校の校長が一連の経緯を「謂(いわ)れのない圧力の中で」と題して同人誌に寄稿し、ネット上で議論が広がった。
 同校には、自民党の衆院議員と兵庫県議が「なぜ採択したのか」と問い合わせていた。衆院議員は「OBとして周囲の疑問の声を伝えた」と説明するが、当時は副大臣の立場だった。政治的圧力ととられかねない行動は慎むべきだろう。
 学び舎の教科書は、大きめの写真やイラストを使ってエピソードを多く盛り込み、従来の教科書とは異なる構成が特長だ。
 同校は、高校受験を意識した要約中心の教科書ではなく、生徒が読んで考えることを重視した点などを踏まえて選んだという。国が認める教育現場の裁量は大切にされるべきだ。
 次期学習指導要領では、物事を多面的に捉え、主体的に問題を解決する力を養うことを目指す。多様な教科書を使い、そうした授業を実践できる教育現場を守ることの重要性を、改めて確認したい。


「安倍総理から日本を守ろう」
 ★首相・安倍晋三は支持率低下で「おごりがあった」と国民にわびたが、その後も元首相・福田康夫が「各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。国家の破滅に近づいている。政治家が人事をやってはいけない。安倍内閣最大の失敗だ」と極めて強い口調で批判した。首相は休暇中に森喜朗、小泉純一郎、麻生太郎ら歴代首相経験者と会談するなど、先輩に指導を仰ぐことが増えた。 ★また「歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会」が先月、中曽根康弘以降の存命の元首相12人に要請文を送付。11日までに回答した細川護熙、羽田孜、村山富市、鳩山由紀夫、菅直人の元首相の首相への注文を発表した。この中でも羽田は「安倍総理から日本を守ろう」とし、村山は「国民軽視の姿勢許せぬ」、細川は「国益を損なう」といずれも厳しく首相を批判している。 ★首相は他にも、政権に批判的な政治評論家らを相次いで官邸に呼び寄せ、意見を聞いた。その中の1人、田原総一朗は「政治生命を懸けた冒険をしないか」と持ち掛け、首相が前向きに受け止めたといわれるが、結局「訪朝を促した」ようだ。田原は安倍と会う直前まで、「内閣改造で代えるべきは安倍だ」と発言し続けていたが、こうなるともう話題作りの安倍応援団だ。 ★たくさんの人に話を聞いて首相がどう変わるのか興味深いが、森友学園事件で“私人”の首相夫人・安倍昭恵付秘書官・谷査恵子が、イタリア大使館1等書記官に異動した。彼女は、詐欺容疑で大阪地検特捜部に逮捕された森友学園前理事長・籠池泰典と、財務省をつないだ連絡係。本来地検の捜査対象だが、奇異な人事だ。付記すれば、南スーダンPKO日報隠蔽(いんぺい)問題の担当者だった防衛省前統合幕僚監部参事官付国外運用班長・小川修子も、中国大使館の1等書記官に異動している。がんばれば守ってくれる。

政策秘書 何でも屋? 高い専門性、実態は…
 豊田真由子衆院議員(自民党を離党)の暴言・暴行で政策秘書が辞任した問題は、後任に青森県板柳町議が就任したため、同町議会が「兼務は不可能だ」と辞職勧告を検討するなど波紋が広がっている。国会法で「議員の政策立案および立法活動を補佐」するとされる政策秘書。高い専門性が求められるが、実態はどうなのか。【佐藤丈一】
 政策秘書は議員の質問や立法活動を支える政策スタッフだが、働き方は事務所ごとにまちまちだ。自民党衆院議員の政策秘書の一人は「車の運転からコピー取りまで、実際は『何でも屋』だ」と語る。
 国会議員には長らく給与を公費で賄う公設秘書2人が認められてきた。1993年の国会法改正で秘書の「資質の向上」を目的に、資格試験を義務づける政策秘書1人の設置が可能になった。
 政策秘書の給与は月額約43万〜64万円で、公設第1秘書より1万〜2万円高い。現在約690人の政策秘書に年間約70億円の予算が充てられている。豊田氏の元政策秘書は地元で運転中に暴行を受けた。運転手役は、そもそも制度が想定した業務とは言い難い。
    ◇
 近年、政策秘書制度の「空洞化」も問題視されている。資格試験はキャリア官僚の採用試験に匹敵する難関だが、それ以外にも公設秘書を10年以上経験した人らが短期の研修を受けると、議員の申請に基づき政策秘書に格上げされる「抜け穴」があるためだ。
 制度創設以来の試験合格者は635人。このうち実際に政策秘書として働くのは85人に過ぎない。「試験組」は政策秘書全体の12%に過ぎず、公設秘書出身の「ベテラン組」が大部分を占める。衆院では制度創設以来、参院では少なくとも過去5年は議員の申請した全員が政策秘書に認定されている。
 甲府市議の神山玄太さん(35)は当選前の2010年、政策秘書試験に合格。複数の議員事務所の面接に臨むと、官僚出身議員から「政策は自分でやる。秘書には求めていない」と言われた。神山さんは「あくまで秘書の一人に過ぎない」と痛感したという。
 制度創設を91年に衆院議長に答申した有識者会議は「能力と適性」を見極める資格試験の実施を求めた。一方、議員側は一般の秘書を政策秘書に格上げし、人件費負担を減らしたいのが本音。議員による法案化の段階で、答申にはない研修制度が盛り込まれた。
 元政策秘書で「政策秘書という仕事」(平凡社新書)の著書がある石本伸晃弁護士は、「試験組の採用が原則で、ベテランが例外的に横滑りするルートと逆転している実態は問題だ」と指摘。「私自身、ビラ配りや地元回りも経験したが、政策作りのために税金が使われていることを忘れてはならない」と採用を試験組に限定するよう提案している。


公立が躍進、京都の教育改革で何が起きたか 進学実績が劇的に変化
小宮山 利恵子 :リクルート次世代教育研究院 院長
今、教育の世界で注目される自治体がある。京都――。古い歴史を持つ街だが、任天堂、京セラ、日本電産等のテクノロジー企業が本社を置く街でもある。
1869年、全国に先駆けて小学校が設立されたという歴史があるが、近年はというと、長く公立高校は進学実績で苦戦していた。ところが、それが今変化している。いったい何が起きたのか。
公立で起きた「堀川の奇跡」
京都は私学発祥の地と呼ばれ、東京と並んで私学が多いことで有名だ。その一方、公立高校はというと、進学実績などで私学に大きく水をあけられ、「国立大学に進学するなら私学に」といわれる時代もあったという。
その京都で2002年に「堀川の奇跡」と呼ばれる現象が起きた。公立の市立堀川高校の躍進だ。前年度の国立大学への合格者数は6人だったにもかかわらず、この年一気に106人まで増えたのだ。
直近2016年度の進学実績(現役生のみ)は国公立大学129人(内、東京大12、京都大32、大阪大7、神戸大9)、私立大学183人(早慶7、関関同立92)となっており、現役東大合格者数は同校過去最多。公立高校における東大・京大の現役合格率は全国1位だ。現在では、スーパーグローバルハイスクール(SGH)とスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定校ともなっている。
同校の躍進の陰にはさまざまな取り組みがあったが、象徴的だったのは1999年に普通科と並んで「探究科」を設けたことだ。当時、京都市の教育長だった門川大作市長はこう話す。
「探究科は、特別な受験勉強をする学科ではありません。生徒は自らテーマを決めて、研究していく。そこに京都大学の大学院生や教師がサポート役として入る。研究していくうちに、生徒の心が変化していく。高校卒業後も研究を続けたい。そのためには基礎学力が必要だし、設備の整った大学に通いたい。そう考えるようになる子もいます」
探究科は「探究する力を育成する」学科で、具体的に育成しているのは「興味関心を持つ力」「課題を設定する力」「課題を解決する力」「他者に表現する力」。何を探究するかは、生徒一人ひとりが自分で見つけることになる。「探究基礎」という授業をカリキュラムに盛り込み、その授業では1年半かけて3段階の手順に基づいて進められる。
最初に行うのは、探究の「型」(探究の進め方や表現方法)を学ぶこと。次に学ぶのが「術」(具体的な調査技法。実験・フィールドワーク・資料の見方など)。そして最後に「道」(実際に探究活動を進めることで普遍的な探究能力を高める)を学ぶ。情報取得の基礎学習から問題解決の体験を経て、論文作成に至るまでの取り組みを進めるというものだ。
一般的な偏差値教育とは違う、個性的なアプローチだが、そのおかげで生徒は自分の探究心に沿って学び、その延長としての進学先を考えることができる。
この探究科は現在の総合的な学習の時間のようなものといえる。今日21世紀型スキルと呼ばれるような、論理力、思考力、協働する力、リーダーシップ評価の「ものさし」が明確に存在しない中での、先駆けた取り組みだった。
あくまでも生徒が中心で、周囲の大人は教えるのではなく、本人たちが考えるのをサポートする役目が大きい。当時教育長をしていた門川市長はこう話す。
「1995年に起きた地下鉄サリン事件では、有名大学卒の容疑者たちが複数いた。それを見て、このような人たちを育てるような教育は絶対にしない。社会で何かしら人のために役に立てるような子どもを育てたい。子どもたちが30歳になったときにどのような生き方をしているか、それを考えながら教育していきたいと強く思った。堀川でできたことは、どこでもできると確信している」
公立の小中学校の改革
堀川の奇跡の後、京都では公立の小中学校の改革も進んだ。2004年に内閣府の構造改革特区制度を利用して「小中一貫教育特区」の認定を受けた地域において、小学校における英語科や小中一貫の読解カリキュラムを設け、小中の連続性を高め一貫教育の形をつくってきた。その結果、中学入学時に生活不適応を起こす「中1ギャップ」が緩和され、学力向上も見られたのだ。
小中学校の改革の中で、特に注目したいのは御所南小学校だ。
同小学校は1995年に5つの小学校が統合し誕生した学校。御所南小学校の開校当初は662人だった児童数は、2016年度現在はほぼ倍増の1254人。人気化で児童数が増えており、学校施設は手狭で教室数も不足していることから、2018年に「御所東小学校」が開設される予定と盛況だ。
同小学校では、フィンランドの教育法を取り入れ、独自教科「読解科」を導入して課題解決能力等の育成に取り組んだり、地域との連携による総合的な学習の時間を柱とした教育課程に取り組むなど、先進的な取り組みが注目されている。
同校では保護者・地域が学校運営に参加する「学校運営協議会」を設けたコミュニティ・スクールが特徴的だ。2002年に地域と連携して「学校の裁量権の拡大」や「地域の学校運営への積極的な参画」などをテーマとした実践研究を同校で開始。健康安全部会や文化部会といった学校支援活動を行う「企画推進委員会」を設置したり、「学校関係者評価」を取り入れた。その目的は学校と地域相互の評価を基に学校運営を改善することだ。このようなコミュニティ・スクールは、2016年度末現在では全市立学校・園の約9割にあたる239校園に設置されており、全国最多となっている。
また学校運営協議会設置校では、10年以上前から教員公募制を採用している。異動や退職で教員に欠員が出た場合、学校は求める先生を市内の教員から公募することができる。候補者の面接には校長とともにPTAや学校運営協議会の代表も同席する学校もあるという。一般の学校現場では見られないほど関係者の参加意欲が高いと感じる。
また、1週間5日間連続の学校参観日「自由参観」を設けた。授業参観というと、指定された半日や1日が通常だが、5日連続にすることによって親にとって参加しやすくなる。ほかでは見られない取り組みだ。
小中学校の改革を経た今、御所南小学校、同校と同じ校区にある京都御池中学校、そして堀川高校に進学するのが公立では「エリート」、つまりアンテナの高い親がその学区に引っ越しをしてまでも子どもを入学させたいと考える進学先といわれるようになっている。
堀川高校と並んで西京高校も進学校として知られるようになっている。2016年度の合格実績は、272人の卒業生の内、東大・京大が29人、北海道大学・東北大学・名古屋大学・九州大学の旧4帝大が62人等、京都府内の公立高校の中でもトップレベルにある。
テクノロジーが教育に与える変化
このように変貌を遂げる京都の教育だが、一部の学校の偏差値を上げたことだけが成果ではない。不登校児童生徒に対するICTを活用した学習支援も特筆すべき点だろう。
京都府の公立小中学生で長期欠席者(年度間に30日以上欠席した者)は2015年度で3789人いるが、2007年度から、市立中学校に在籍する長期欠席の傾向にある生徒に、学校が教材を配信し、生徒が自宅で教材をもとに自学自習できるシステムを導入した。遠隔で学習指導を行うシステムが有効に機能すれば、一人ひとりの子とより向き合うことが可能になるだろう。
京都の児童生徒へのパソコン整備は児童生徒5.4人に1台と、政令指定都市では2番目、100万人を超える政令市では最も充実した台数を配備。2016年度から全小中学校の普通教室および全小学校のコンピュータ教室にタブレット型PCの整備を進めるなど、地道な取り組みも背景にはある。
約20年前に始まった、偏差値教育とは縁遠い「探究科」を設置するという取り組み。そして、地域ぐるみで課題解決に取り組む姿勢は、京都ならではのものだ。
2020年に小中高の次期学習指導要領が改訂され、小学校で教える内容が増える。たとえばプログラミング教育が始まるほか、5、6年生では英語が必修となる。ただでさえ教師の多忙が深刻化する中、自治体として何を重視し、取捨選択していくか。京都の取り組みには参考になるところがあるはずだ。


大文字焼きがLED照明に 「やめてしまえ」「これも時代の流れか」
山梨県笛吹市で行われた「甲斐いちのみや大文字焼き」で、火ではなくLED照明で「大」の文字を点灯させたことがネットで話題になっている。
時代の流れだと受け入れる声や批判的な指摘など、様々な意見が上がっている。
安全面やコストへ配慮
「甲斐いちのみや大文字焼き」は、江戸時代に行われていた精霊を送るお盆の祭りを、約150年ぶりに復活させたものだ。1988年から行われており、今回の2017年8月16日の開催で30回目となる。
笛吹市観光商工課の担当者によると、「大」の文字の点灯は毎年8月13日から16日まで行われている。従来、「大」の文字については、8月13日から15日まで白熱電球で点灯させ、16日のみ松明(たいまつ)を用いて火で明かりをつけていた。
しかし、松明を設置する際などに山の斜面に安定した足場を取れず危険だという意見があったことや、コストへの配慮から、2017年から全日程でLED照明で点灯させることになった。今回、44個の大型LED照明を用いて点灯させたとのことで、2018年以降も火を用いる予定はないという。
この件に対し、2ちゃんねるでは、
「CO2も出ないし、時代にあった試みなのかも。」
と、受け入れる声もある一方で、
「火じゃないじゃんw」
「誰が見にいくんだ、そんなもん」
「送り火をともす意味を履き違えてんじゃね? やめてしまえ」
と、批判的な声もあった。


水俣条約発効 「脱水銀」日本がリードを
 水銀による環境汚染や健康被害の防止を目指す「水銀に関する水俣条約」が発効した。
 鉱山での水銀産出から輸出入、使用、廃棄まですべての過程を国際的に規制する取り組みだ。
 水銀による健康被害などの根絶に向け、確実な一歩となることを期待したい。
 条約名は、水俣病のような被害を繰り返さないとの決意を込め、日本政府が提案した。
 前文も、水俣病の教訓と同様の被害を将来発生させないことに言及している。
 日本は、けん引役として今後も責任を果たさねばならない。
 1956年に、熊本県水俣市で公式確認された水俣病は「公害病の原点」といわれる。
 本県でも、新潟水俣病が65年に公式確認された。
 条約は本県にとっても、新潟水俣病の教訓や知識を世界へ発信すると共に、足元の現実に向き合う好機となるはずだ。
 水俣病は、工場排水に含まれる毒性の強いメチル水銀が原因だ。
 安全面から、先進国での水銀使用は減った。だが途上国では、小規模な金の採掘や触媒などに使われ、被害が起きている。
 金の小規模採掘に従事しているのは、貧困層が中心という。
 「脱水銀」に向けて、先進国が技術や費用面での支援をすることが欠かせない。貧困者対策も考えるべきだろう。
 条約は一定用途以外の水銀の輸出を規制し、水銀を含む体温計や電池などの製造、輸出入を20年までに原則禁止とした。大気や水、土壌への水銀排出削減や、適切な保管と廃棄も定めている。
 地球規模の汚染対策が必要として、国連環境計画(UNEP)が活動を本格化させたのは2001年のことだ。13年の熊本市での会議で、条約が採択された。
 日本は国内法の整備を進め、16年に条約を締結した。今年5月には、締結国が条約発効に必要な50カ国に達した。
 世界最大の水銀排出国である中国や米国、欧州連合(EU)などが含まれている。
 もちろん、課題もある。
 日本は国内で回収した水銀を輸出している。条約で輸出が大幅に制限されれば、国内で水銀を長期間安全に保管、処分する方法を確立することが必要になる。
 水銀を使った体温計などを、一般家庭から回収する作業も進めなければならない。
 そもそも、水銀の輸出と水俣条約の趣旨は相反する。日本を含めた締結国は、輸出の全面禁止を検討していくべきだろう。
 さらに忘れてはならないのは、日本国内の水俣病が解決したわけではないことだ。
 被害の全貌はいまだ明らかになっておらず、新たな患者の認定は途上にある。各地で訴訟も続く。
 9月下旬には、スイスで第1回締結国会議が開かれる。水俣市から胎児性患者がオブザーバー参加し、水銀被害の実態を訴える。
 条約発効を機に、日本政府は改めて水俣病に向き合う姿勢が問われることになろう。


長渕剛が安倍政権を批判する新曲を発表!「カネにまみれたゾンビ」「歴史に群がる裏切り」
 今月16日、長渕剛の約5年ぶりとなるアルバム『BLACK TRAIN』が発売された。その内容は拝金主義に捕われて経済的利潤のみを追い求め、肝心の助けを求める国民のことは無視する政治家たちを批判してきた長渕のスタンスをさらに際立たせるものとなっている。たとえば、表題曲の「Black Train」からしてこうだ。
〈カネにまみれたBlack Train
 きのう俺は代議士に
 真っ赤な血をひっかけた〉
〈カネにまみれたゾンビ
 歴史に群がる裏切り
 上っ面だけの「Say Hello!」〉
「カネにまみれたゾンビ」「歴史に群がる裏切り」…この歌詞が、森友学園や加計学園問題をモチーフにしていて、「愛国」の名のもとに歴史を歪めてきた安倍首相とその周辺の連中の利権私物化を批判しているのは明らかだろう。
 そのファン層や言動から一見、右翼的な印象を受ける長渕だが、実は、プロテストソングを多く歌った加川良や友部正人を音楽的ルーツにもっており、これまでのキャリアでもことあるごとに体制に対し異議申し立てする歌を歌ってきた。湾岸戦争のときにつくられた「親知らず」という楽曲では〈俺の祖国日本よ! どうかアメリカに溶けないでくれ!/誰もが我が子を愛するように/俺の祖国日本よ! ちかごろふざけすぎちゃいねえか!/もっともっと自分を激しく愛し貫いてゆけ〉と歌い対米従属の果てに戦争に協力する日本に怒りを向けた。また、9.11後には「静かなるアフガン」で〈日の丸と星条旗に僕は尋ねてみたい/戦争と銭はどうしても必要ですか?/広島と長崎が吠えている/「もう嫌だ!」と泣き叫んでいる〉と反戦と平和への思いを歌っている。
安保法制に対し怒りを表明した長渕剛
 そして、第二次安倍政権以降、長渕は政権への批判をよりストレートに口にするようになった。2015年7月、『ワイドナショー』(フジテレビ)に出演した際には、国民の声を無視して強行採決された安保法制についてこのようにコメントしている。
「震災、4年前を思い出してもらいたい。あのときにどんだけのことを自衛隊がやったか。僕も激励に行かせてもらいましたけどね。彼らを死なすのかって。彼らを死なせてしまっていいのかってことだと思うんですよ。
 いまのこの流れでいくと、理屈は分からないんですけどね、感覚論としてね、戦争が近づいている気がするの。もう紛れもなくそこに近づいている気がしますよ。それをね、僕たちはどうやって阻止すべきかってことを非常に真剣に考える局面がありますよ」
 加えて長渕は安倍首相を名指ししながら、このように続けている。
「戦後復興後、高らかに我々は生きてきましたけど、そのなかに負の遺産はありました。負の遺産を残しておきながら、そのことにきちっとケリもつけないくせに、次のことをやっていこうとする俺らの大将、ちょっと違うんじゃない?」
 ここで使われている「負の遺産」という言葉はおそらく原発のことをさしており、原発問題を放置しておいて戦争法案をやろうとするのは違うと長渕は言っているのだろう。
 実際、長渕は自ら被災地に足を運んでその状況を見ていろいろなメッセージを発信している。12年3月には、特別番組『報道STATIONスペシャル「愛おしきあなたへ」』(テレビ朝日系)に出演し、福島第一原発20km圏内に入って警戒区域の実情を取材。その際に「もはや原発の有無を問う余地はない。立場や名刺はいったん脇に置いて、いち個人として現実を直視し、感性で見つめてほしい」という発言を残している。
悪い意味で「空気を読む」若手ミュージシャンに長渕剛は檄を飛ばす
 きわめつきは、昨年12月に放送された『2016FNS歌謡祭 第1夜』(フジテレビ)でのパフォーマンスだろう。この日はもともと、『FNS歌謡祭』のためにアレンジされた「乾杯」が歌われるとアナウンスされていたが、そこで視聴者が目にしたものは耳馴染みのある「乾杯」とはまったく異なるものだった。長渕はギターを叩くように搔き鳴らしながらこう歌い出したのだ。
〈アメリカの大統領が誰になろうとも
 凶と出るか吉と出るかって
 そりゃ俺達次第じゃねぇか
 今日もマスメディアの誰かが
 無責任な話ばかりしている〉
 アメリカ大統領の顔色をうかがってばかりの日本のメディアに対する痛烈な批判をぶちまけた後、さらに長渕は「歌の安売りするのも止めろー!」と、ミュージシャンたちに檄を飛ばし、被災地を置き去りにしてオリンピックに浮かれるこの国にこう問いかける。
〈俺達の東北、仙台、俺達の九州、熊本
 そして福島も頑張ってんだ
 オリンピックもいいけどよぉ
 若者の貧困 地域の過疎化どうする?〉
 騙されねぇぜマスコミ
 騙されねぇぜヒットチャートランキング
 騙されねぇぜワイドショー〉
 こういったオリジナルの歌唱が4分近く続いた後、皆が知る「乾杯」に入っていったのだが、実は、この『FNS歌謡祭』について、長渕は今回、『BLACK TRAIN』のプロモーションとして登場したウェブサイト「音楽ナタリー」のインタビューで、興味深い発言をしている。
長渕が「何が『乾杯』だよ!」「本当に『乾杯』でいいのか?」
「「乾杯」を発表してから何十年も経って、今と当時とでは国民性も時代性もまったく違う。しきりに結婚式の定番みたいに歌われてきたけど、もともとは個人的に祝いたい人のために作った曲だから、僕としては「何が『乾杯』だよ!」って。だから今歌うのなら現在の時代感や思いを込めて、リスナーに対して「本当に『乾杯』でいいのか?」という問いかけが必要になる。コードを変えたり不協和音を入れたくなったりする」(「音楽ナタリー」インタビューより)
 先の戦争で得た反省を無きものにして再びこの国を戦争ができる国につくりかえようとし、また、被災者の思いには耳を傾けようともせず、オリンピックにカネをつぎこみ、大企業など既得権益者たちにひたすら便宜をはかり続ける──安倍政権による政治が続く現在の状況では「乾杯」どころではない。長渕はそんな思いのもと、あのようなパフォーマンスをしたということらしい。
 今回、『BLACK TRAIN』のプロモーションでこの話をわざわざ語ったということは、その想いの延長線上にこの新曲が生み出されたということだろう。しかも、『BLACK TRAIN』を聴いていると、長渕の安倍政権への怒りがさらに強くなり、そのメッセージがさらに具体的になっていることがよくわかる。長渕ファンならずとも、ぜひ一度、聴いてみてほしい。(編集部)


新潟5区補選に浮上 田中真紀子氏“野党共闘”で出馬あるか
 18日、新潟5区選出の長島忠美衆院議員が死去した。66歳だった。これにより10月22日に、愛媛3区、青森4区と合わせ、新潟5区でも衆院補選が行われることになった。
 長島氏は長岡市山古志地域で14日に開かれた成人式に出席し、15日午前に脳卒中で入院していた。長島氏は中越地震で被災した旧山古志村(現長岡市)の村長として復興に尽力。復興副大臣などを歴任した。
 補選が行われることになった新潟5区は、民進党の支部長だった米山隆一氏が県知事となり、野党第1党の候補者が決まっていない状況。そこで関係者が戦々恐々なのが、田中真紀子元外相(73)の出馬だ。
 新潟5区は2012年の落選まで、真紀子氏が圧勝を繰り返した選挙区。14年の衆院選は出馬を見送ったが、政界引退を表明したわけではないだけに、安倍自民に逆風が吹いている今なら、あるんじゃないか、というわけだ。
 実際、真紀子氏は今年6月に「AERA」のインタビューに登場。加計問題をめぐって「安倍退陣」を力説していたが、こうも言っている。
「(政界引退とは口に)しません。私の最大の関心は政治。そういうDNAです。……日本が突然大統領制になったら、選挙に“はーい”と出るかもしれませんよ」
 まだまだ色気アリなのだ。
「地元では真紀子さん本人のほか、息子を擁立するのではないかという話もあります。民進党からではなく、野党統一候補として無所属という観測も出ています」(地元関係者)
 12年の落選後、真紀子氏は民進党に離党届は提出していないようだが、党とは距離を置き、フリーの立場に近い。加えて、新潟は昨年7月の参院選、10月の知事選で野党統一候補が自公を破っている。
「田中ブランドの価値は以前より落ちたとはいえ、角栄ブームもあったし、やはり知名度は圧倒的。田中家の関係者が出馬すれば、選挙の構図に影響を与えるのは間違いない。参院選や知事選のように野党共闘になれば、自民党はかなり痛いでしょう」(政治評論家・野上忠興氏)
 まさか……。


【言わねばならないこと】 (97)社会の軍事化が進む 家族法・憲法学者 清末愛砂さん
 自衛隊を憲法九条に明記する明文改憲が差し迫っている今、本当に戦争できる国づくりが進んでいると実感している。改憲派からは、護憲派は空想論的平和主義者との批判があるが、私はとても現実的な平和主義者だ。パレスチナやアフガニスタンで非暴力運動や難民支援に取り組んだ経験があり、安倍晋三首相よりもはるかに戦闘地や紛争地の現実を知っている。
 銃撃戦や目の前を戦車が走るのを目にし、武器や武力がいかに巨大な暴力を生むかを学んだ。自衛の名の下に暴力が増大する。武力に抑止力なんてない。パレスチナの難民キャンプでは、激しい銃撃戦に、生まれて初めて腰を抜かし動けなくなった。自分がいる建物の壁をガンガン撃たれた恐怖は消えない。殺された友人もいる。
 そうした現実を知らず、想像することすらせずに戦争ができる国づくりを進められても非現実的、非科学的としか思えない。現実的な観点から、憲法九条が非暴力的な社会をつくり出すために生かすことができる条文であると訴えたい。
 安保法制で自衛隊は専守防衛の組織ではなくなった。とりわけ集団的自衛権の限定行使を可能にした点で、侵略軍としての要素を持つようになった。明文改憲で自衛隊が明記されれば、その要素が増し、社会の軍事化が進むだろう。
 安保法制下で自衛隊の海外派遣が進められると、隊員は大きなストレスを抱えることになる。戦闘地には恐怖がまん延し、尋常でない緊張感を強いられる。隊員による派兵先でのさまざまな暴力や内部でのセクハラの悪化を招くだろう。
 安倍政権はどれだけ支持率が下がっても改憲するつもりだろう。護憲派は抵抗の手を緩めてはいけない。
<きよすえ・あいさ> 1972年生まれ。室蘭工業大大学院工学研究科准教授。専門は家族法、憲法。アフガニスタンの女性や難民支援に取り組む。2002年にパレスチナで非暴力の抵抗運動に参加し、デモ参加中にイスラエル軍の発砲で脚に負傷した。


チクッとしない血糖値測定 指に光を5秒 採血いらず 量子科学機構
 指に光を当てるだけで血糖値を測定できる技術を開発したと、量子科学技術研究開発機構のチームが18日発表した。糖尿病の患者が針を刺す採血の痛みを感じることなく、手軽に血糖値を調べる測定器の実現につながるという。国から医療機器の承認を受ける必要があり、5年後の一般向け販売を目指している。
 同機構関西光科学研究所(京都府)の山川考一さんによると、現在は指に小さな針を刺してわずかな血を採り、小型センサーで血糖値を測る測定器が主流。感染症の危険もあるほか、使い捨て針の交換などで年間約20万円かかる。このため患者の負担が軽く、簡単に測る方法が望まれている。
 チームは血液中の糖「グルコース」だけを捉える光の発生装置を小型化して応用した。電源部分を除く試作品は縦15センチ、横10センチ、高さ5センチ。光を発するくぼみに指を置くと5秒で計測できる。将来はスマートフォンのサイズまで小さくする。販売価格は高額になりそうで、月1万2000円程度で貸し出すレンタル方式も想定している。


『バイキング』で有本香がトランプそっくりの「どっちもどっち」論。一方、玉川徹はトランプ発言とネトウヨの共通性指摘
 白人至上主義者らと反対派の衝突事件をめぐるトランプ大統領の人種差別肯定発言問題。本サイトは18日朝の記事で、差別が絶対的に悪であるという自明の前提を無視したトランプ的“どっちもどっち論”が実は日本で大手を振ってまかりとおっている状況を批判したが、さっそく、ワイドショーでとてつもなくひどい“どっちもどっち論”が垂れ流されていた。
 それは、同じく18日放送の『バイキング』(フジテレビ)でのことだ。『バイキング』といえば元横浜市長の中田宏氏や“皇族芸人”こと竹田恒泰氏など、右派の安倍応援団をコメンテーターに起用しているが、この日のスタジオには最近、作家の百田尚樹らとつるんで反中言説に精を出しているジャーナリスト・有村香氏が登場。トランプ発言をめぐるスタジオトークのなか、有本氏はこんなことを言い出したのだ。
「ただ、この事件の背景に、リー将軍の像を撤去するかしないかという問題がありますよね。これはちょっとなやましいところもありまして。奴隷制があった時代のアメリカのいろんな事柄というのは、芝居にも映画にもなっているじゃないですか。いまやアメリカでは、その時代の名作と言われるような映画なんかも公開できないという状態になっているんですね。それが、現在のアメリカの政治的正しさ、ポリティカル・コレクトネスってよく言われたんですけど、そういうものになっている」
「この差別問題っていうのは、アメリカの中に非常に大きな影も落としているだけではなく、そういう新たなルールみたいなもの、こういうものを形成してしまっているというところがあるんですよ」
 リー将軍とは、南北戦争で奴隷制存続派の南部連合を率いた軍人、ロバート・E・リーのことだ。今回のバージニア州での衝突事件では、奴隷制を支持した勢力を顕彰するのは適切でないという広い認識を背景に、公園のリー将軍の像を撤去する決定を市が下した。これに対し、像の撤去反対を名目に白人至上主義者やネオナチらが集合して大規模集会とデモを行ったのが事件の発端だ。
 つまり有本氏は、このリー像の撤去問題を「なやましいところもある」と表現し、奴隷制、人種差別撤廃をめぐるポリティカル・コレクトネスに話にすり替えているわけである。しかも、明らかに“反差別に配慮するあまりいきすぎたポリコレ”という文脈で、そんな話を唐突に持ち出したのだ。
有本香が「白人至上主義だけでなくリベラル至上主義もとんでもない」
 これこそ“どっちもどっち論”の典型的なやり口だろう。そもそも、白人至上主義の象徴となっているリー将軍の銅像の撤去は「名作が上演できなくなっている」なる問題とはまったく次元が違う。また、白人至上主義者たちは今回、あきらかにリー像の撤去反対を名目に、「アメリカを白人の手に取り戻せ」とか「1国1民族、移民反対」などとレイシズムと排斥主義をわめきちらしていた。そして、忘れてはならないのは、白人至上主義者の方が車で抗議者に突っ込み、多数の負傷者とひとりの死者を出したという事実である。
 こんな明白な人種差別、ヘイトクライムに対して、映画界のポリティカル・コレクトネスの是非を持ち出して、いったいどうしようというのか。首を大きくかしげざるをえないが、続けて番組を見ていると、有本氏はついにグロテスクな本音をさらけ出した。
「まあ、いまちょっと揶揄される向きとしては、白人至上主義、これも非常に忌まわしきものだけど、リベラル至上主義っていうのもこれもまたちょっととんでもないね、と。さっき言ったみたいに、非常にオバマ時代の8年間が逆にいろんなストレスを生んでしまったと、こういう側面もあるんですよね」
 この人はいったい何を言っているのだろう。有本氏は「リベラル至上主義」なるものの存在をデフォルトのように語っているが、こんな無理やりな言葉なんてこれまで聞いたことがない。よしんば、有本氏の言う「リベラル至上主義」なるものがあったとして、どうしてそれが白人至上主義と並置されるのか。
 まあ、ようするにこういうことだろう。有本氏は、差別主義に抗議する人々を「リベラル至上主義」なる理解しがたいカテゴリーに入れ、白人至上主義の差別性を薄めた。そのうえで、差別主義の台頭をリベラルなオバマ政権の政策に原因があると言い出し、まるで、反差別、反ヘイト側に非があるかのように議論を誘導したのである。
 これこそがまさにトランプとそっくりな、強者と弱者の構図を無視することで人権や社会的正義を無化しようとする“どっちもどっち論”の典型例だが、しかし、この無茶苦茶な論理は、日本のネット右翼にも、そして実は安倍首相にも通底しているものだ。
 そのことをズバリ指摘したのが、同じ日の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)での、玉川徹氏だった。
玉川徹が指摘したトランプ発言と日本のネトウヨの共通性
 この日の放送で、トランプの発言が二転三転したことが問題視されると、玉川氏はそれが問題ではないと否定。「発言から差別主義の本音が出ている」ところが反発されたとして、トランプが配慮した「固い支持層」について「オルト・ライト」(=オルタナ右翼)と呼ばれる極右を念頭に、“真性の保守ではなくネット右翼的なものが混ざっている”と指摘した。
「まさに日本のネット右翼も(オルト・ライトと)同じような傾向があるわけですよ。排外主義だったり、『取り戻す』っていう表現、これも大好きですよね。だから本当に僕はこれ、共通性を感じるんですよね」
 そして、トランプが会見で「オルト・ライトに抗議した“オルト・レフト”(=オルタナ左翼)はどうなんだ? 一方に悪いグループがいて、もう一方にとても暴力的なグループがいる」と述べたことなどをめぐって、こう当を得た批判をしたのである。
「同じ論理なんですよ、日本も。たとえば、この前の都議選の時に『こんな人たち』っていうふうに言ったら、あそこでデモ活動をしていたのは『左翼だ!』っていうふうな話になったじゃないですか。そういうネット右翼の人たちは、自分の考えに沿わない人はみんな『左翼』っていうふうにレッテルを張るんですね。これはもう、いわゆるネット右翼と同じような発想をするんだなトランプ大統領は、って思ったんです」
 たしかにそのとおりだ。日本でも、反差別や政権批判の動きが起きると、安倍首相もそしてネトウヨなどの安倍応援団も必ず、その動きに「左翼」「過激派」などレッテル貼りをして、「暴力行為を許していいのか」などという攻撃を繰り返してきた。その姿はまさにトランプそっくりといっていいだろう。
 しかも、問題なのは、こうした攻撃に、本来は徹底的に「反差別」「権力チェック」の立場に立たなければならないメディアまでが引きずられ、両論併記か口をつぐんでしまうか、どちらかしかできなくなっていることだ。
 今回のトランプ問題にしてもそうだ。有本氏にトンデモ論を語らせた『バイキング』は論外としても、他ワイドショーにしてもコメンテーターに「対岸の火事」的な解説を語らせるだけの番組がほとんどで、日本にも存在している同様の差別構造やバックラッシュと向き合う報道は皆無だった。
 そう考えると、今回のトランプ発言は改めて日本の言論の脆弱性を浮き彫りにしたと言えるだろう。(編集部)


非正規教員、給料に上限…38都県で内規設け
 公立小中学校に非正規として勤務し、担任や部活動の指導など、正規教員とほぼ同じ仕事をする臨時的教員について、38都県が、地方公務員法に基づく給料表の通りに年齢などに応じて金額が上がることがないよう、別のルールを設けて給料を低く抑えていることがわかった。
 総務省は、給料制度の運用に問題がある可能性を指摘している。
 読売新聞が今年7月、47都道府県の教育委員会に給料などについて聞いた。
 大阪府、岡山県など9道府県は、年齢や経験に応じて給料表通りに上がるが、熊本県、茨城県など38都県は、給料表とは別に、条例や内規などで上限を設けていた。鹿児島県の給料表の最高は月40万5600円だが、規定により20歳代後半の給料と同程度の月22万1200円を上限としていた。

クロサギ/解Iでメール返事/pdf2か月分整理

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Face aux menaces de Trump : solidarité avec le Venezuela ! Non à toute intervention impérialiste !
En menaçant le Venezuela d'une ≪ possible option militaire ≫, le grotesque et dangereux Donald Trump a jeté encore plus d'huile sur le feu de la très grave crise, économique, sociale et politique, que traverse ce pays. Même si tous les gouvernements latino-américains, y compris les plus proches alliés des Etats-Unis, et jusqu'à l'opposition de droite vénézuélienne liée à Washington, se sont démarqués de ces propos, voire les ont condamnés, ceux-ci sonnent comme un avertissement qui ne peut pas être ignoré. Les Etats-Unis d’Amérique ont en effet une longue tradition d'interventions militaires, de soutien à des coups d'Etat et des dictatures militaires dans la région. Et dès à présent ils interviennent – comme le fait aussi, à sa façon, l'Union européenne – au moyen de manœuvres politico-diplomatiques et de sanctions économiques.
Le NPA dénonce toutes ces ingérences et menaces. Il appelle à se solidariser avec le peuple du Venezuela, en premier lieu aujourd'hui en défendant l'intégrité territoriale du pays. Pas un soldat états-unien ne doit poser le pied sur son sol ! Et si demain, par malheur, une telle agression devenait réalité, toutes les forces anti-impérialistes, plus largement toutes celles qui sont attachées au droit à l'autodétermination des peuples, devraient s'unir dans l'action contre les troupes de ‘l'Oncle Sam’.
Cela ne signifie pas, pour notre part, un soutien a-critique ou aveugle à la politique de Nicolás Maduro et de son gouvernement. Les secteurs bureaucratiques chavistes et la ‘bolibourgeoisie’ portent une lourde responsabilité dans la catastrophe actuelle, alimentant par là même les appels au coup d’Etat et actions violentes de la droite revancharde et néolibérale de la MUD (Mesa de Unidad Democrática). La corruption et les détournements de fond, les attaques contre les libertés démocratiques, les trucages électoraux ne sont l'apanage ni d'un camp ni de l'autre, au détriment de celles et ceux d’en bas. Face à la droite et à la vieille bourgeoisie pro-US, Maduro et le gouvernement actuel, de plus en plus appuyés sur l'armée, se présentent comme anti-impérialistes ; ce sont eux pourtant qui payent rubis sur l'ongle une dette extérieure qui saigne de plus en plus le pays, eux aussi qui livrent l'Arc minier de l'Orénoque (12 % du territoire national) à la voracité de multinationales étrangères, avec des conséquences désastreuses pour les populations indigènes et sur les équilibres écologiques.
Notre solidarité politique va aux travailleurs et aux secteurs populaires, qui ont été dans le passé les acteurs de très grandes mobilisations (insurrection dite du Caracazo en 1989, combat victorieux contre le coup d'Etat anti-Chávez de 2002, création d’espaces d’auto-organisation urbains et ruraux depuis plus de 15 ans) secteurs qui, pour l'essentiel, ne sont pas encore intervenus dans la crise présente. Notre soutien va aussi naturellement aux organisations de la gauche anticapitaliste qui luttent aujourd'hui pour faire émerger une telle intervention autonome.
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金曜ドラマ「ハロー張りネズミ」
第6話「探偵vsエリートゲス政治家!美女が怪死…暴けトリック」
あかつか探偵事務所の探偵・ゴロー(瑛太)宛てに一通の手紙が届く。差出人の名は、身に覚えのない見知らぬ女性。 「この手紙が届くころ、私は殺されているはずです。どうかその犯人を捕まえてください」。驚愕の依頼に戸惑うゴローは、早速差出人の住所に向かうと、室内に差出人らしき女性の遺体を発見する。ゴローはその犯人を探し出すことを決意し、ある一人の県議会候補者(ムロツヨシ)の元へ向かう。
瑛太、深田恭子、森田剛、山口智子 (他) (第6話ゲスト) ムロツヨシ、玄理、前野朋哉、岩谷健司 弘兼憲史「ハロー張りネズミ」(講談社「ヤングマガジンKC」所載) 大根仁 韓 哲、市山竜次(オフィスクレッシェンド) SOIL&"PIMP"SESSIONS feat. Yojiro Noda 「ユメマカセ」◇番組HP http://www.tbs.co.jp/hello-harinezumi/ ツイッター https://twitter.com/hello_hrnzm @hello_hrnzm #ハロー張りネズミ #ハロネズ インスタグラム https://www.instagram.com/hello_harinezumi/ オフィスクレッシェンド/TBS


お仕事しなくてはならないのが残念ですが,楽しみなのはランチ.一人でゆっくりといつものお店.ご飯を白飯かかやくごはんで選べるようになっているのもうれしい.クロサギというマンガを手に取り読んでみて面白いと思いました.
解Iで確認のメールが届いていたので返事が面倒だなぁと思いながら遅い時間に返事しました.
それよりも2ヵ月でたまってしまったpdfを整理しました.

<大川小保存>校舎内部非公開へ 石巻市が住民らに方針説明
 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲となった石巻市大川小の遺構保存を巡り、市は17日、津波の痕跡が残る旧校舎の内部を非公開とする方針を明らかにした。市河北総合支所であった遺族や地元住民らとの会合で説明した。
 会合は非公開で住民ら13人が出席。校舎への立ち入りや、釜谷地区と遺族会が校舎南側に設置した慰霊碑の移設場所など、市が6月にまとめた整備方針で未定だった点を中心に話し合った。
 市の担当者は会合後、内部の非公開について「校舎に入らなくても(震災のことを)十分説明できる。出席者から異論はなく、基本設計に反映させたい」と語った。
 見学コースは低学年棟、プール、渡り廊下などを含め、今後検討する。
 内部公開を巡っては、遺構保存を議論する検討会議や住民説明会で「津波の脅威を伝えるため公開は必要」との意見が多かった一方、安全対策などの面から慎重な声もあった。市は建築基準法などを考慮しつつ、住民らの意見を聞いて判断するとしていた。
 慰霊碑は校舎東側にある観音寺の敷地内に移す方針。市は9月にも基本設計に着手し、2018年夏ごろまでに策定する予定。住民説明会を経て実施設計を策定し、19年度末の遺構整備完成を目指す。
 大川小の遺構保存では昨年7月〜今年3月、有識者や遺族らでつくる検討会議が5回の会合を開催。市は意見などを踏まえ、6月に整備方針を策定。その後も意見を集約して基本設計の方針を固め、今回の会合で住民らの合意を得た。


<復興を生きる>漁村 12年の営み記録
◎3・11大震災/「被災地撮り続ける」/映画監督 我妻和樹さん=白石市
 通い続けた小さな漁村は突然、「被災地」として全国に名が知れ渡った。
 宮城県南三陸町戸倉の波伝谷(はでんや)地区。約80戸あった集落は、東日本大震災の津波でほとんどが流された。
 白石市の映画監督我妻和樹さん(32)は、波伝谷の震災前後の12年間を3本のドキュメンタリー映画にまとめた。宮城県内の被災地をはじめ、首都圏などで上映活動を続ける。
 「コミュニティーが分断された被災地にかつてどんな人の営みがあったのか、丁寧に記憶にとどめたい。その暮らしを描くことで震災によって何が失われたのかがはっきり見えてくる」
 波伝谷との出合いは2005年3月。東北学院大の研究室の民俗調査で訪ねたのがきっかけだ。300年以上続く伝統行事「春祈祷(きとう)」や、海辺に生きる人たちに魅了された。
 「色鮮やかな衣装をまとう若者たちは勇ましく、非日常で幻想的な世界があった。海で生きていく覚悟を決めていた。自分は漠然と大学に通っていたのに」
 波伝谷で感じた魅力を映画にしたい。卒業後もアルバイトの傍ら、自宅のある白石市から車で3時間半かけて通った。
 震災当日、波伝谷に向かう途中で津波に遭った。約1キロ手前で車を降り、高台を駆け上がった。隣の集落で避難した人と一緒に難を逃れた家で一夜を明かした。
 車と機材を失い、波伝谷に行くべきか、ためらった。「映画で生きていくと強い覚悟を持って撮っていたわけではない。どんな顔をして会えばいいのか。逃げ出したかった」。悩んだ末、「いるべき場所はここじゃない」と思い立ち、波伝谷でカメラを回した。
 撮りためた映像は16年までの12年間で計550時間を超える。住民の懐に飛び込んで一緒に泣いたり、笑ったり。もがきながら日々の営みを記録し続けた。
 最新作「願いと揺らぎ」は震災翌年、春祈祷の再開へ動きだした住民の思いや復興の現状を描いた。いさかいや和解、喜怒哀楽をありのままに映し出す。
 「人と人とのつながりは時に面倒だけれど、それが生きがいにもなる。時間をかけてようやく地元の人と分かり合える瞬間がある。大切なのは記録し続けること」。地域に寄り添うとは何か、改めて実感した。
 10月に山形市で開催される「山形国際ドキュメンタリー映画祭」のインターナショナル・コンペティション部門で入選。国内外の映画関係者に作品を披露する機会を得た。
 「消えていく暮らし、変わっていく文化は各地にある。そのただ中で悩みながらも土地に根差し、地域で生きる農山漁村の普遍的な姿を描きたい」
 被災地から伝えたいことはまだまだある。映像作家として生きていく。もう揺らぎはない。(白石支局・村上俊)
        ◇        ◇        ◇
 我妻さんの作品3本の上映会が19日、仙台市青葉区のせんだいメディアテークで開かれる。午前10時半〜午後7時半。有料。連絡先は我妻さん070(2037)1552。


<災を忘れず>原発事故の教訓 未来へ
 地震や風水害などの天災、戦争や市街地の火事といった人災。生死を左右しかねない惨事の発生は人々に大きな衝撃を与えるが、その爪痕や傷痕が歳月の中で癒えるにつれ、風化は進む。「大切な記憶を継承する」。熱い願いが込められた東北各地の施設や地域を紹介する。
◎東北の施設・地域巡り(2)コミュタン福島(福島県三春町)
 住民の暮らしを奪った東京電力福島第1原発事故。事故直後の様子を模型で再現する。水素爆発を起こした1号機は、がれきが積み重なっている。
 事故から6年半近く。廃炉作業の現状はどうか。
 「3号機では使用済み核燃料の取り出しに向け、放射性物質の飛散を防ぐかまぼこ型のカバーを設置する工事が進んでいます」
 現地に足を運んで研修を重ねるスタッフが、来館者に丁寧に説明する。
 オープンは昨年7月。原発事故に関する情報を発信する体験型施設として、福島県が整備した。館内は五つのゾーンに分かれ、事故後の福島の歩みや、放射線などを紹介。タッチパネルで楽しみながら学べる。
 中でも「環境創造シアター」は迫力満点だ。直径12.8メートルの全球形スクリーンが映し出す福島の自然や相馬野馬追など伝統行事、復興への取り組みをまとめた映像は臨場感があふれる。
 自然界の放射線などを観察する「霧箱」もある。大きさは国内有数。箱をのぞくと、放射線が霧状の白い軌跡になって出現する。目に見えない放射線の空中の動きをイメージできる。
 放射線への漠然とした不安は消えない。大山一浩副所長は「福島の現状や放射線について正しく理解することが重要」と語る。
 来館者は1年間で8万人を超えた。県内の学校関係は260団体が訪れた。原発事故は県内の子どもにも「昔」になりつつある。
 「事故当時は小学2年。よく分からなかった」と伊達市伊達中3年の渡辺羽由さん(14)。来場したことで「原発で何が起こったのか理解できた」と話す。
 昨年は自主避難の児童生徒へのいじめが全国各地で表面化した。対応が問題になった横浜市教委は今年、教職員研修の一環で、この施設を利用した。
 原発事故の被害は甚大で、風評や偏見は根強い。「事故の教訓を未来へつなぐ役割も果たしたい」。大山副所長は力を込める。
<メモ>入館無料。開館時間は午前9時〜午後5時。毎週月曜休館。オープン1周年を記念した「発明王エジソン展」を27日まで開催中。連絡先は0247(61)5721。


<盆踊り>陸前高田・上の坊で14年ぶり復活 都会の若者が復活後押し
 18世帯、約50人が暮らす陸前高田市小友町の上の坊集落で16日夜、14年ぶりに盆踊りがあった。復活を後押ししたのは、東日本大震災をきっかけに交流を深める首都圏などの若者たちだった。
 夕闇の中、常膳寺の境内に広がる踊りの輪。久しぶりに顔をそろえた住民たちに交じって、浴衣を着た20〜30代の若者たちの笑顔があった。
 「こんなに人が集まったことはない。涙が出る」と集落会長の新沼裕さん(67)がつぶやいた。上の坊集落もまた、高齢化や人口減で恒例行事の盆踊りが途絶えて久しい地域の一つだった。
 それが震災後、若者が空き家に移住。復興支援活動を通じて同世代の人々が集落を訪れるようになり、地域住民と交流を深める中、盆踊り復活に向けて協力を買って出た。
 草刈りややぐら組み、灯籠の設置に一緒に汗を流し、地元のお年寄りから「高田音頭」などの振り付けや浴衣の着付けを教わった。
 東京都中野区の会社員板橋優女(ゆめ)さん(23)は「集落の一人一人とつながっていると感じられ、うれしくなった。地域の人たちと何かしたかった」と話す。新沼さんは「大きな後押しで住民たちもやる気になった。盆踊りが続き、いずれ若者たちが定住してくれたらいいと願っている」と笑顔を見せた。


東日本大震災 福島第1原発事故 汚染水漏れ
 東京電力は17日、福島第1原発の汚染水を処理する多核種除去設備で高濃度汚染水が漏れ、ベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり2200万ベクレル検出されたと発表した。漏れた汚染水はせきの内側にとどまっており、外部への漏れはないという。東電によると、協力企業の作業員が16日午後2時15分ごろ、多核種除去設備の一部から水滴が垂れているのを発見。漏れた汚染水は推定で50ミリリットルとみられる。テープを巻いて補修すると漏れは止まったという。【岡田英】

<豪華列車>鳴子へようこそ「四季島」初の宮城停車
 JR東日本の豪華寝台列車「トランスイート四季島(しきしま)」(10両編成)が17日夜、大崎市の鳴子温泉駅に停車した。5月1日に運行を始めた四季島が営業運転として宮城県内の駅に停車したのは初めて。
 午後9時15分ごろ、シャンパンゴールドの車体が鳴子温泉駅に入線すると、ホームで旅館関係者ら約150人が出迎えた。乗客たちは浴衣姿で共同浴場などへ向かい、約2時間の滞在を思い思いに楽しんだ。
 姥乃湯(うばのゆ)旅館のおかみ遊佐千恵さん(64)は「湯の良さ、人の温かさを味わってもらい、また次の機会にゆっくりと鳴子を訪れてほしい」と話した。
 2泊3日で東北の名所を巡る「東日本の旬」コースで、四季島は16日に上野駅を出発。湯沢、八戸の両駅などを回った。18日は一関市に立ち寄り、上野駅に戻る予定。


広島土砂災害3年 防災、私たちの手で 風化する今、訴え
 77人が犠牲となった2014年8月の広島土砂災害。広島市安佐北区・三入(みいり)地区の自主防災会連合会長を務める新木(あたらしき)信博さん(67)は災害当日、未明の大雨の中で避難しないよう住民に伝え、結果的に多くの命が助かった。「防災は自助が大事。3年たって記憶が風化している今こそ意識を高めなければ」。地域で防災の取り組みを続ける一方、災害を語り継ぐため地域の被害状況を記した石碑を20日に除幕する。【小山美砂】
 新木さんは中学生の頃に土砂災害で山口県の自宅が被害に遭った。12年前に三入地区内の防災会長になり、斜面地など危険箇所を写真に撮り、住民に注意を促してきた。13年11月には住民を集めて危険な場所を予想し、対処法を考える会合も開催。「1階は土砂が流れ込むから、大雨の時は2階で寝よう」などと意見を交わした。
 その9カ月後、14年8月20日未明、大雨が広島市を襲った。市から避難指示・勧告は出ておらず、一部地区の住民から「避難したい」と連絡が入った。新木さんはいったん独自に午前2時半に避難するよう伝えたが、雨雲レーダーをスマートフォンのアプリで見て降雨が続くと予測。「夜間に避難させるのはかえって危険」と考え、避難時刻を明け方の午前4時に遅らせ、その地区の住民67人は自宅2階にとどまった。間もなく避難所の集会所は土砂に襲われ、跡形もなく流された。「あの時全員を避難させていたらと思うとぞっとする」
 一方、三入地区では集会所に早めに来ていた女性、水路の泥をかき出す作業をしていた男性の高齢者2人が犠牲になった。地域の仲間を失った悔しさが残った。
 災害を教訓に、三入地区での防災の取り組みは続いた。大学の研究室と共同で、地区内3カ所の路上に大雨の際に信号を点灯させて住民に避難を促す警報機を設置。新木さんが雨雲レーダーをチェックし、赤信号を出せば独自に避難する仕組みだ。地元小学校の防災教室では被災経験を住民が語る。地域住民らが廃品回収などで資金を捻出し、安全な場所に新たな集会所作りも進めている。
 20日に除幕する石碑には、死者数や損壊家屋数など被災状況を地図と共に刻んだ。併せて防災に関する子供たちの作文や絵画なども展示する。一方、新木さんは最近は大雨でも住民が避難しないなど意識の低下が気掛かりだ。「あれだけ大きい災害が来たから、しばらくは大丈夫と思ってしまう。防災に皆で取り組んでいきたい」と表情を引き締めた。


広島土砂災害3年 「助けて」次は応える 会社員が消防士
 77人が犠牲になった広島土砂災害は、20日で発生から3年を迎える。発生当日の朝、会社の業務で現場を訪れ、悲惨な光景を目の当たりにした恵南(えなみ)直也さん(26)=広島市安佐南区=は昨年、市消防局の消防士になった。土砂の中で取り残された女性から助けを求められたが、何もできなかった悔しさから一念発起し、会社員を辞めた。「今度同じような場面に遭遇したら、絶対に助ける」と誓う。【小山美砂】
 今月16日、今もなぎ倒された木が残り、すぐ近くで住民3人が亡くなった同市安佐北区の山中で、救助訓練に励む恵南さんの姿があった。人形を乗せた担架を運びながら「もう少しですよ、頑張ってください」と声をかける。訓練には少し慣れたが、「経験不足で、いつも慌ててしまう」。
 恵南さんは、被災地にほど近い安佐南区伴東地区の出身。3年前の8月20日朝、防災用品の販売会社で営業を担当していた恵南さんは、災害時に役立つ製品づくりの参考にするため、上司と2人で自宅から約5キロ離れた現場に向かった。
 付近で10人が亡くなった同区緑井7丁目に着くと、大半の家が倒れ、辺り一面に土砂が堆積(たいせき)。道路には泥水が川のように流れていた。過去に訪れたことのある地区だが、自分がどこにいるのかすら分からない。そんな時、悲痛な声が聞こえた。「こっから出たいんじゃけど。助けてちょうだい」
 土砂に囲まれたアパートの玄関先に60歳ぐらいの女性が取り残されていた。「僕、行きますよ」。付近に警察官や消防士の姿はなく、「自分が背負って助けよう」と近づいたが、すぐに片足がひざまで土砂に埋まった。身動きがとれなくなり、上司に引き上げられた。結局、後から来た近所の人に女性を任せ、その場を離れた。「何もできなかった」と無力感だけが残った。
 その後も被災地のことが気にかかり、発生3日後から約1カ月間、休日を利用して被害のひどい同区八木地区などに通った。家屋から土砂をかき出すボランティア作業にあたったが、少し動くだけで息が上がった。その隣で、表情一つ変えずに作業を続ける消防士たちがいた。「自分もこの人たちのように人を助けたい」。4カ月後、約2年間勤めた会社を退職し、消防士を目指して勉強を始めた。
 毎日12時間の勉強を続け、つらい時は、土砂で倒壊した家屋など自身が撮影した被災地の写真を見返し、気持ちを奮い立たせた。2015年夏に初挑戦で合格し、被災地を抱える安佐北消防署に昨春、配属された。厳しい訓練で体力面できついこともあるが、そんな時は女性を助けられなかった悔しさを思い出す。「まだまだ未熟だが、先輩たちから学び、地域の防災に貢献したい」。その目は真っすぐ前を見つめていた。


広島土砂災害から3年を前に 思い出の品返却
77人が亡くなった広島市の土砂災害から20日で3年になります。被災地では、がれきなどの中から見つかった日用品などを、「思い出の品」として、持ち主に返そうと、18日から返却会が始まりました。
広島市の安佐南区や安佐北区で、77人が亡くなった3年前の土砂災害では、がれきや土砂の処理作業で、住民の日用品などが見つかり、市が「思い出の品」として保存し、持ち主を探す活動をしています。
18日からは、一つでも多くの思い出の品を見つけてもらいたいと、実物を集めた返却会が始まりました。
会場の安佐北区民文化センターには、野球のグローブや、ぬいぐるみ、腕時計など、持ち主が見つかっていない品々が並べられています。
広島市によりますと、これまでに見つかった1154点のうち、持ち主に返却されたのは24点にとどまっているということです。
広島市環境政策課の高野正徳課長は「時間が経ち、返却がなかなか進んでいないので、実際に見てもらって、愛用していた品物を少しでもお返ししたい」と話していました。
この返却会は、土砂災害から3年となる20日まで開かれています。


広島土砂災害3年、被災と復興撮り続け供養に 兄夫婦亡くした男性、救えなかった悔い胸に
 2014年8月に発生し、77人が犠牲となった広島市北部の大規模土砂災害の被災地で、兄夫婦を亡くした男性が変わり果てた街並みを撮り続けている。「なぜ助けられなかった」という悔いを胸に収めた写真は、1200枚を超えた。土砂災害は20日で発生から3年。惨事の爪痕を記録し復興を見届けることが、大切な人たちの供養になると信じている。
 流木や土砂が押し寄せ全壊した家屋、泥に埋まった道路、えぐられたような山肌――。写真の日付は、土砂災害が発生した翌日の14年8月21日から始まる。広島市安佐南区の八木地区に住む立川新三さん(80)が一枚一枚、時系列に並べてアルバムに収めてきた。
 約50年前、立川さんが同地区に新居を建てると、「自分たちも」と兄の洋二さん(当時81)と妻、サチコさん(同82)が数軒先に引っ越してきた。毎日のように顔を合わせ、支え合ってきた暮らしは「あの日」に一変。登山に出掛けていた立川さんは無事だったが、兄ら2人は自宅などで遺体で見つかった。
 「自分は助かったのに、どうして……」。深い喪失感と、そばにいられなかった後悔で胸がいっぱいになった。翌朝、足を運んだ兄の家はがれきと土砂で埋まり、住み慣れた街は見渡す限り泥に覆われていた。何かに突き動かされるように、趣味で使うカメラを取り出し、シャッターを押した。
 ファインダーを通して見つめた兄の家は、重機でがれきが取り除かれ、整地が進んだ。背後の山々にカメラを向けると、砂防ダムの建設のため、コンクリートのブロックが少しずつ積み上がっていく。向かい側の山に登り、地区全体の復旧が進む様子も写真に収めた。
 毎日のように撮影を続ける負担は軽くない。しかし「兄たちがのみ込まれた土石流を、自分は経験していない。被害や復興の様子を記録し続けることで、天国の2人も喜んでくれるかもしれない」という思いが高齢の体を奮い立たせる。
 災禍からまもなく3年となり、地区では砂防ダムの一部が完成、建て直された家も増えた。近所の人と被災時の話をする機会は減ったが、最近「街がどう変わってきたのか見たい」と言われることもあるという。「被災の記憶を呼び起こし、復興の道のりを伝える一助になれば」。無心で撮り続けてきた写真の活用法にも、思い巡らせる。
 ▼広島市北部の大規模土砂災害 2014年8月20日未明、広島市の安佐南、安佐北両区などを豪雨が襲い、大規模な土石流や崖崩れが発生した。災害関連死の3人を含む77人が死亡。住宅は約400棟が全半壊するなど約4750棟に被害が出た。県と市は被災者向けに最長で16年8月末まで公営住宅を無償提供し、最大で約300世帯が利用した。


九州豪雨 生活再建へ鍵が届いた…仮設住宅、入居可能に
 九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県の朝倉市と東峰村で18日、応急仮設住宅の鍵が被災者へ引き渡された。同日から入居可能となり、生活再建に向けて被災者が一歩を踏み出す。
 運動場に仮設住宅40戸が完成した朝倉市の杷木(はき)小学校では、入居予定の住民が体育館に集まり、県の担当者から注意事項などの説明を受けた。仮設は木造平屋で間取りは2DKや3Kなどで、鍵を受け取った人たちは仮設に入って部屋の中を確認していた。22戸の仮設が建設される東峰村でも、既に完成した17戸について鍵が渡された。
 また同日、東峰村の残り5戸と朝倉市の追加分の38戸の建設に着手した。朝倉市の追加分が予定より8戸減ったため、両市村の仮設は計100戸となる。入居は最長2年。
 豪雨によって全半壊した住宅の戸数は17日現在で、朝倉市が917棟、東峰村が62棟にのぼる。今も朝倉市で372人、東峰村で10人が避難所生活を送っている。他に親族宅などに身を寄せている被災者もいるとみられる。
 杷木小の仮設に入居する矢野延孝さん(70)は朝倉市杷木白木の自宅が土砂や倒木に襲われ、大規模半壊した。福岡県うきは市の長男(41)宅に身を寄せており、「仮設住宅入居によって気兼ねなく生活ができるというほっとした気持ちと、(仮設団地には)知っている人が少ないという不安な気持ちが半々です」と話した。【遠山和宏】


デスク日誌 ブラックラボ
 山形大の小山清人学長は第4志望の繊維工学科にしか入れなかった劣等感を抱え、同大工学部に入学したという。49年前の話だ。
 しかし、ある日のクラス親睦会。友人が「この学科は第4志望だった」と言いだすと、他の級友から「実は俺も」「自分もだ」との声が相次ぎ、結局、クラス全員が第4志望だったことが分かった。不本意な思いは消え、以後、学生生活を心から楽しめるようになったという。
 今年4月の入学式で、小山学長が新入生に語ったエピソードである。
 助教によるアカデミックハラスメント(アカハラ)で自殺した工学部の学生も第1志望の研究室には成績が及ばず、既に悪い評判のあった助教の研究室に入った。待ち受けていたのは深夜まで拘束される実験や長時間の叱責(しっせき)、人格攻撃。研究に充実感を見いだす余裕はなかったに違いない。
 小山学長の学生時代から研究室を取り巻く環境は大きく変わった。それは山形大だけの問題ではない。
 指導教員によるアカハラが横行する研究室を理系学生は「ブラックラボ」と呼ぶ。大学改革の重い課題から目を背けてはならない。(山形総局長 昆野勝栄)


日照不足 農作物管理の徹底を
今月に入ってから曇りや雨の日が続き、記録的な日照不足となっていることを受けて、県は農業関係者を集めた会議を開き、稲などの農作物の管理を徹底するよう呼びかけました。
仙台管区気象台によりますと、今月に入ってから、県内は曇りや雨の日が続いていて、仙台市の日照時間は平年の16%程度にとどまっています。
こうしたことから、県は18日、農作物への影響を確認し、今後の注意点を話し合おうと、農協や農業試験場の担当者などを集めた会議を開きました。
この中では県の担当者が、「稲」は、先月、暑かった影響で生育は平年並みとなっているものの、今後は病気の発生が懸念されると説明していました。
また、「りんご」や「なし」といった果物も、いまのところ生育は順調なものの、今後も日照不足が続けば糖度の低下が心配されると説明していました。
その上で、水田や果樹園をこまめに見て回り、必要に応じて農薬を散布するなど作物の管理を徹底するよう呼びかけていました。
県の農産園芸環境課の齋藤公仁彦技術副参事は、「影響は現在のところ一部にとどまっているが、今後、広がる可能性があるので農家の皆さんにはできる対策をすべてとってもらい、被害を最小限にとどめたい」と話していました。


オスプレイ 訓練参加へ/日米地位協定の改定急げ
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の新型輸送機オスプレイが、北海道大演習場(千歳市など)で行われている陸上自衛隊と米海兵隊の共同訓練に、きょうから参加する予定だ。
 オスプレイは5日、オーストラリア東部沖で、隊員3人が死亡する深刻な墜落事故を起こしたばかり。事故原因が究明されないままでの訓練参加は、国民の安全性への不信感を増大させる結果になるのではないか。
 訓練期間中の拠点である米軍三沢基地(三沢市)から合流するオスプレイは、1週間前から数機が東北上空を往来していた。沖縄固有の問題と捉えず、「わが事」として真摯(しんし)に受け止めたい。
 小野寺五典防衛相は事故後、国内での飛行自粛を米軍に申し入れた。しかし、米軍側は沖縄県副知事との会談で「オスプレイは世界中で飛んでいる」と発言、7日には普天間飛行場から飛び立たせた。
 それ以後、日本側は米軍の言いなりのように映った。米軍は9日に「安全を確認し、飛行を継続する」と声明を発表。防衛省は2日後、一転して飛行継続を認めた。
 同省の事故評価を読むと、米軍の主張の丸のみと言っていい。「米軍は初期調査を確認し安全だと結論付けている」「(機体に)欠陥はないと米軍が認識している」。こうした一方的な説明を「理解できる」として容認している。
 事故原因が示されておらず、再発防止策の言及もない。安全性の根拠をどうやって確認できるのか。国民の不安をなおざりにしていると言われても仕方あるまい。
 オスプレイを巡るトラブルが多すぎる。昨年12月には沖縄県名護市の浅瀬に不時着し大破事故を起こしたが、いまだに詳細な原因は明らかになっていない。
 国内で米軍による事件、事故があっても、日本側の捜索や検証の権利を制約する日米地位協定の壁が厚く立ちはだかっているからだ。
 名護の事故でも米軍は協定を盾に日本側の現場検証を拒んだ。ならば地域住民らが納得できる早期の情報開示があってしかるべきではないか。
 日々、頭上をオスプレイが飛行する住民は耐え難いだろう。「政府は米軍にもっと毅然(きぜん)たる態度を取って」と憤るのも無理はない。政府は、日本側に不利な地位協定の改定を急ぐべきである。
 訓練はオスプレイ参加を大きく引き延ばす日程となった。沖縄県、北海道、青森県の関係自治体にとどまらず、佐賀空港への配備計画がある佐賀県などにも懸念の声が広がったからに他ならない。
 北朝鮮情勢が緊迫度を増す中で、日米連携の重要性が高まっているのは確か。ただ、同盟が正常に機能するには、互いの信頼があればこそ。政府は追従一辺倒ではなく、国民の安全確保のため、米軍に厳格な対応を要求すべきだ。


河北春秋
 デビューした1956年暮れ、住まう米南部のテネシー州メンフィスで黒人ラジオ局のチャリティーショーが催された。聴衆は黒人ばかり9千人。21歳の若き白人歌手は1人で行った。そのうち周囲に見つかり、ステージに引き上げられ『ハートブレイク・ホテル』を歌った▼大歓声が似合う人、エルビス・プレスリーである。死去してから16日で40年がたった。逸話を集めた『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』(前田絢子氏著)は、彼の言葉も紹介している。「黒人パフォーマーは心の底から魂の歌を絶唱します。彼らにはかないません」▼ロックは黒人をルーツとするリズム・アンド・ブルースと白人の軽快なカントリー音楽が融合して生み出された。これを見事に表現したのがプレスリーであり、あらためてその生き方が脚光を浴びる▼米社会は今、白人至上主義団体と反対派が衝突した事件で揺れる。トランプ大統領は「両陣営に責任がある」と人種差別を容認するかのような発言までした。憎悪や偏見を音楽で壊してきたロックの王様には残念な母国の姿であろう▼天国からあの低音で甘い歌声が聞こえる。♪傷ついた心を晴らしな…つらくなったら訪ねてみな…そう、ハートブレイク・ホテル。米国人を癒やす場所は今どこだろう。

白人至上主義とトランプ大統領 対立と分断をあおるのか
 あまりに無分別な発言である。
 米バージニア州で起きた白人至上主義団体と反対派の衝突についてトランプ大統領は「双方に非がある」と述べた。人種差別組織のクー・クラックス・クラン(KKK)などを喜ばせる発言に対し、改めて大統領の見識を疑わざるを得ない。
 米国における人種問題は火がつきやすく、時に社会の大きな混乱を呼ぶ。バージニア州の衝突では多くの人が負傷し、差別に反対する女性が白人至上主義者の運転する車にはねられて死亡した。
 そんな無差別的な殺傷を大統領が擁護すれば、抗議の火に油を注いで社会の安定を危うくするばかりだ。
 衝突の直後、トランプ氏は「多くの側」の憎悪と暴力を非難した。抽象的だと批判されると、KKKやネオナチなどを名指しして「人種差別主義は悪だ」と明言した。
 だが、その翌日は「誰も言いたがらないが」と前置きして「双方とも暴力的だった」と見解を変えた。二転三転の末、本音が出た格好だ。
 米国では近年、南北戦争の英雄の像や記念碑などを撤去する例が目立ち、バージニア州も1920年代の建立とされるリー将軍(南軍司令官)の像の撤去を予定している。奴隷制を支持した人々を顕彰するのは不適切だとする認識が、南部も含めて全米で醸成されてきたのだ。
 ところが今年、トランプ氏が大統領に就任すると撤去への反対運動が激しくなった。白人至上主義者とも重なるが、「オルト・ライト(代替的右翼)」と呼ばれ多文化主義や少数者の権利尊重、移民受け入れなどに反対する勢力が台頭してきた。トランプ氏の強力な支持層である。
 南北戦争や奴隷制、人種差別など米国が宿命的に背負う問題で論議が過熱するのは分からないではない。
 だが、暴力は容認できないし、バージニア以外でも衝突が懸念される折、融和を促すどころか、大統領自身が対立と分断をあおるような発言をするのは論外と言うべきだ。
 トランプ氏への反発は与党・共和党や経済界にも広がり、大統領の二つの助言機関は解散した。「代わりならいくらでもいる」とトランプ氏はうそぶく。しかし、自分がますます「裸の王様」に近づいていることに、早く気付くべきである。


白人至上主義 大統領が差別煽るのか
 人種差別を容認し、助長しているとみられても仕方あるまい。
 米国南部で白人至上主義者と反対派が先週末、衝突した事件を巡るトランプ大統領の一連の発言である。
 トランプ氏は事件発生直後の声明で、事件を引き起こした白人至上主義者に言及せず、厳しい批判を浴びた。そこで2日後、白人至上主義者の団体を名指しで非難する声明をあらためて出した。
 ところが翌15日の記者会見では「両者に非がある」と蒸し返し、反対派を極端な左翼思想を持つ集団と決めつけた。
 これが本心だろう。トランプ氏はこれまでも人種、宗教による差別を煽(あお)り、社会を分断する言動を重ねてきた。その人権感覚を疑わざるをえない。
 事件は、秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)や極端な右派思想を掲げる団体がバージニア州で開いた集会で起きた。
 南北戦争で奴隷制度を支持する南部連合を率いたリー将軍の銅像撤去が決まったことに抗議するため、数百人が集まった。
 反対派がこれに対抗するデモを行い、両者が衝突。20歳の白人が車で反対派に突っ込み、女性1人が死亡、30人以上が負傷した。
 米紙は、この種の集会では「ここ数十年で最大規模」と伝えた。
 トランプ氏は、昨年の大統領選で白人至上主義の団体から支持を受けた。
 選挙戦では、メキシコから入国する不法移民を「レイプ犯」と呼ぶなど人種差別的な発言を繰り返した。大統領就任後も、イスラム圏からの入国規制など排外主義的な政策を押し通してきた。
 白人至上主義団体を擁護するかのような今回の発言は、米国社会に巣くう偏見や差別を一層、拡大させかねない。
 トランプ氏への批判は、米国内で強まっている。政権に助言してきた民間の諮問会議のメンバーが相次いで抗議の辞任をし、トランプ氏は二つの諮問会議の解散に追い込まれた。
 与党・共和党のライアン下院議長も「白人至上主義には嫌悪を抱く」と語った。
 米国は黒人差別撤廃に取り組んだ公民権運動など苦難の歴史をへて、多くの人種や民族が共生できる社会を目指してきたはずだ。
 そのうねりに逆行するトランプ氏の姿勢には、国際社会の失望も大きい。世界に影響力を持つ超大国のリーダーであることを自覚してもらいたい。


トランプを徹底非難する米国と大違い! 差別vs反差別で「どっちもどっち」論が横行する日本の民度の低さ
 アメリカのバージニア州で、白人至上主義者グループとそれに抗議する人々が衝突、30人以上の死傷者が出た事件をめぐって、トランプ大統領は15日、記者会見で「両者に非がある」などと発言。また「オルト・レフト」なる造語まで用い、“極左思想主義者たちが白人至上主義者たちに突撃した”などと主張している。
「じゃあ、オルト・ライトに(中略)突撃していったオルト・レフトはどうなんだ? あいつらに罪悪感のかけらもあるか? 手にこん棒を持って(中略)突撃してきたのはどうなんだ?」(BBCより)
 トランプは事件発生後の発言でも白人至上主義グループを明確に批判せず、世論から大反発をあびたが、差別主義者と差別を許さない人々を同列に置いたこの発言で、政権は致命的なほどのダメージを受けている。前大統領のオバマはもちろん、ブッシュ親子も連名で「アメリカは常に人種差別を拒絶せねばならない」と声明を出し、与党・共和党からも「国民を分断している」などとの批判が相次いだ。さらに、大統領に助言する評議会のメンバーも、この間のトランプの言動に抗議するかたちでこれまでに3名が辞任、また陸海空海兵隊の制服組トップがそろって批判するコメントを出すなど異例の状況だ。
 現在、アメリカ各地でトランプ大統領に抗議するデモや集会が行われ、“トランプ政権最大の危機”と言われるほど全米を大きく揺るがしているが、こうした社会の反応は当然だろう。
 そもそも事件の発端は、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)やネオナチ、そして「オルト・ライト」(=人種差別主義の極右)ら数百人が「米国を白人の手に取り戻せ」などと訴える集会に対し、人種差別と過激主義に抗議する人々が駆けつけたこと。さらに、白人至上主義側の男が車で抗議側に突入し、多数の死傷者が出る事態となった。にもかかわらず、トランプは“どっちもどっち”という言い方で差別する側を擁護し、差別に抗議する側を批判したのだ。ありえないとしか言いようがない。
 だが、今回のトランプの差別主義肯定発言から学べるのは、実は、トランプが批判されているグロテスクな“どっちもどっち論”が、日本社会ではスタンダードになってしまっているということだ。
ヘイトデモ、沖縄基地反対運動で横行するトランプ的“どっちもどっち”論
 実際、米国内と比べると、このトランプの差別主義肯定発言に対する日本メディアの追及はかなり鈍い。それだけでなく、テレビニュースでは、車で突っ込んで死傷者を出した陣営が、白人至上主義側の関係者であることを報じないケースまで散見された。繰り返すが、アメリカでは、大統領が差別主義者と抗議側を同列に扱ったことで、その地位が揺らぐ大問題になっているにもかかわらず、である。このギャップはいったいどういうことなのか。
 しかし、考えてもみれば、トランプの言うようないびつな“どっちもどっち論”は、日本の近年の差別主義団体によるヘイトデモと、それに抗議するカウンターたちをめぐる報道のされ方にも如実に表れていた。
 たとえば2013年には、当時、東京の新大久保などでヘイトデモを繰り返していた在特会とその関連団体に対し、有志の人たちや「レイシストをしばき隊」などが集まって、差別反対の声をあげるカウンターの動きが大きくなっていた。その後、カウンター行動が功を奏し、大規模なヘイトデモを抑制することになるのだが、メディアのなかには、このヘイトデモとカウンターを同列に扱って“どっちもどっち論”をぶつものが少なくなかった。
 そのひとつが「ニューズウィーク日本版」(阪急コミュニケーションズ)14年6月24日号に掲載された〈「反差別」という差別が暴走する〉という記事だ。記事は、“差別的な言論を暴力をもって押さえ込むカウンターの手法は「憎悪の連鎖」を生むだけではないか”“日本は独り善がりの「正義」と腕っ節ばかりが支配する息苦しい国になるのか”などと、“どっちもどっち論”を使ってカウンター行動を酷評するものだった。
 あるいは、沖縄米軍基地をめぐる抗議活動もそうだ。高江のヘリパッド建設に反対する人々に対し、これを“鎮圧”するために送り込まれた機動隊員が「土人が」と差別発言をしたのは記憶に新しい。本土による沖縄の差別的扱いがこれでもかというほどあらわれたかたちだが、本土の一部メディアやネットでは、逆に新基地反対運動に対して、「反対派は過激な運動で迷惑をかけている」「反対派だって暴言を吐いている」などといった“どっちもどっち論”が絶えない。
 改めて強調しておくが、こうした“どっちもどっち論”は、本来、並べるべきものではない両者をわざと同じように扱うという、典型的なミスリードだ。言うまでもなく、人種差別の問題にしても、基地建設の問題にしても、弱者と強者ははっきりしていて、差別される側、あるいは有無を言わさず近隣に基地をつくられる側が圧倒的弱者である。日本社会にはびこる“どっちもどっち論”は、その前提を完全に無視することによって、なぜ抗議する人々がこれほど大きな声をあげているのか考えることをやめる。しかも、彼らは、さも高みから見物するように“どっちもどっち論”を唱え、抗議活動などを冷笑することこそが、クレバーで正しい意見かのように振舞っているから、一層たちが悪い。
 また“どっちもどっち論”は、ただ社会問題についてのコミットメントを拒絶しているわけではなく、ましてや、まったく冷静な意見を述べているわけでもない。結局のところ、彼ら“どっちもどっち論者”は、差別を温存して、弱者を踏みにじる側についているだけだ。今回、アメリカでトランプの発言がこれだけ批判をあびているのも、まさにこの“どっちもどっち”が内包する問題を、多くの人が認識しているからだろう。
“どっちもどっち”論に侵され権力批判ができないマスコミ
 その意味でも、トランプの差別主義擁護の姿勢は、アメリカの問題というよりも、日本社会でこそ考えられるべきトピックだ。それは、その国で生活する個人個人の問題でもあるし、それだけでなくメディアの姿勢の問題でもある。
 たとえば、日本のメディアは「公正中立」に遠慮して、欧米と比べて政権への批判がかなり弱い。よしんば、政府の政策や態度を問題視する報道をしても、セットで必ず政府の言い分を垂れ流す。そして、生活者もその態度をさほど疑問視しない。それどころか、政権批判の報道に対して「偏向だ」「反日だ」などと素っ頓狂なことを吠え出す人たちも少なくない。安保法制にしても共謀罪にしても、あるいは森友問題、加計問題にしてもそうだろう。これはおかしいのではないか、彼らに政治家としての資質はあるのかと、メディアは一応ツッコミを入れるものの、ほぼ確実に同時に政権をフォローする。
 この権力に対する姿勢も、一種の“どっちもどっち”だろう。考えてみてほしい。私たち生活者と政治権力のどちらが力をもっているのか。圧倒的に政治権力のほうだ。ゆえに、わたしたちが絶えず権力をチェックし、その姿を批判的に検討していかなければ、社会はたちまちお上のやりたいように動いていく。とりわけ、近年の安倍政権は一強体制と言われるぐらい永田町でも霞が関でも強大すぎる権力を握っている。安保の例を出すまでもなく、どんな反対運動があっても強引に法案の成立を許してしまうほどには、すでに日本社会は相当いびつな状況になっているのだ。
 先に“どっちもどっち論”の特徴は、弱者と強者の関係を顧みないことだと指摘したが、まさに、政治権力に対する日本のマスコミ報道というのは“どっちもどっち”である。何度でも繰り返すが、その意味でも、今回のアメリカでの白人至上主義と抗議運動をめぐるトランプ発言、それをめぐる米国メディアの報じ方、そして米国の人々の反応にわたしたちが学ぶべきことは多い。少なくとも、“どっちもどっち論”に侵された日本社会の特異な状況について、ひとりひとりが積極的に見直す契機とするべきだろう。(編集部)


政治家が差別助長 日本にも横行する「どっちもどっち論」
 米南部バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義団体と反対派が衝突した事件を巡り、トランプ米大統領は発言が二転三転した末、「双方に非がある」との言い回しで人種差別を容認した。移民やイスラム教徒を冒涜(ぼうとく)するトップの言動は、米国内の差別と分断を助長してきた。だが、対岸の火事では済まされない。例えば、大阪府警の機動隊員が、沖縄の米軍基地に反対する人たちに「土人」などと暴言を吐いた際、松井一郎府知事らはそれを擁護した。日本にも「どっちもどっち論」が横行する。 (鈴木伸幸、安藤恭子)

灘中への教科書採択抗議 教育現場をおびやかすな
 教育現場に特定の主張を押しつけるような、危うい風潮を感じる。
 教科書検定に合格した歴史教科書を採択した神戸市の私立灘中学校に対し、圧力まがいの抗議が寄せられていたことが判明した。従軍慰安婦を巡る記述が理由とみられている。
 同校の和田孫博校長はてんまつを公表し「政治的圧力だと感じざるを得ない」と指摘している。教科書は、現場に詳しい教員らが内容本位で選ぶべきだ。
 灘中では「学び舎(しゃ)」(東京都)が発行した中学校の歴史教科書を採択し、昨年4月から使っている。
 ところが一昨年から昨年にかけて、自民党の兵庫県議や衆院議員から和田校長に「なぜ採用したのか」と問い合わせがあった。その後、同じ文面だったり、同校OBや親を名乗ったりする抗議はがきが200通以上寄せられたという。
 学び舎の教科書は、第二次大戦中の慰安婦問題について、旧日本軍の関与を認めた「河野洋平官房長官談話」(1993年)を紹介している。このことが抗議の背景にあるとみられるが、採択した教科書について、個別の学校に執拗(しつよう)な抗議が集中するのは異例だ。
 まず確認したいのは、教科書の採択は公立学校では教育委員会に、国立、私立の学校では校長に権限があり、その自主的な判断に委ねられていることだ。
 灘中では、教員による採択委員会で使用を決めた。「歴史の基本である、読んで考えることに主眼を置いた教科書で、能動的な学習に向いている」と評価している。
 文部科学省の検定に合格した教科書を教員が内容を見て、自校の教育にふさわしいと判断した。その手続きは正当であり、何の問題もない。
 検定教科書の中身について、個別に批判したり意見を述べたりすることはもちろん自由だ。だが、学校側に直接介入したり、政治家が関与したりする風潮が広がると、教育そのものをゆがめてしまう。
 この教科書は、難関の国立や私立の中学校を中心に38校が採用しているが、灘中以外に全国で少なくとも10校が同様の抗議を受けたという。
 「教育の独立性が脅かされる」という教員の危惧はもっともだ。学校への、あってはならぬ圧力である。


沖縄戦の遺骨 国は身元特定に全力を
 沖縄戦で亡くなった戦没者の遺骨について、政府が今年から身元の特定方法を見直した。
 事実上、軍人や軍属の遺族に限っていたDNA鑑定を、民間人の遺族にも広げるという。
 それ自体は前進であり、もちろん異論はない。むしろ、多くの住民を巻き込んだ沖縄戦の特殊性を考えれば、もっと早く軌道修正してしかるべきだった。
 国には遺骨を遺族に返す重い責務があるが、遅々として進まない。見直しを機に全力で身元の特定を急がなければならない。
 政府は2003年から、遺骨と遺族を結び付けるDNA鑑定を行っている。ただ、検体の提供を呼びかける対象は、軍人・軍属の遺族にほぼ絞ってきた。
 軍関係者はまとまって行動していることが多く、部隊の記録や遺品などから比較的手がかりを得やすいと考えたようだ。
 だが、これには首をかしげざるを得ない。
 激しい地上戦が繰り広げられた沖縄では、日米合わせて20万人を超す命が失われたが、実にその半数が一般県民である。
 DNA鑑定から民間人の遺族を除く理由はまったくない。
 軍人らに限定したこれまでの身元特定が、ほとんど成果を上げていない事実に照らせば、調査手法そのものに欠陥があったと言われても仕方あるまい。
 政府は先月、鑑定を希望する遺族の募集を始めた。
 制度についての丁寧な説明が欠かせない。
 戦後72年、遺族は遺骨が戻る日を待ち続けている。高齢化を考えると、当然ながら、効果的で迅速な対応が求められる。
 長い年月を経過したDNAは壊れていたり、抽出が難しかったりする。鑑定には困難も予想され、さまざまな科学的手法を駆使する必要があるだろう。
 政府は当面、沖縄県内の10地域で見つかった84柱の遺骨について鑑定を進める方針という。
 戦没者の数に比べれば、ほんのひと握りにすぎない。
 沖縄戦は県内の全域に及んだ。遺骨や地域を限定しない幅広い取り組みで、一人でも多くの身元特定につなげたい。
 一方、国内外の戦場跡には今もなお、約113万柱の遺骨が残されている。
 昨年施行された戦没者遺骨収集推進法は、24年度までを「集中実施期間」と位置付ける。政府は収容に一層力を注ぐべきだ。


辺野古 88歳島袋おばあ 東京で移設強行「反対」訴え
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先とされる同県名護市辺野古で暮らし、移設への抗議活動を長年続けている島袋文子さん(88)が17日、東京都内で講演した。「辺野古に基地を作らせない」と訴え、首相官邸前でも街頭宣伝をした。
 市民団体でつくる実行委員会が主催。参院議員会館の講堂で開いた講演会は、実行委によると約500人が参加した。
 島袋さんは沖縄本島南部の糸満出身。1945年4月に本格的な地上戦が始まると、目が不自由だった母、小学生の弟と逃げ回り、自身は米軍の火炎放射器で左半身に大やけどを負った。3人は生き残ることはできたが、「鉄の暴風」下の逃避行で、住民の凄惨(せいさん)な遺体を至る所で目撃した。
 戦後に結婚した夫と移り住んだ辺野古への移設計画が浮上すると、反対運動に参加。足が衰えた現在も、埋め立て工事の中止を求め、辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続けている。
 講演で島袋さんは、時折声を詰まらせながら、遺体が浮かんだ池の水を飲むなどした沖縄戦での体験を振り返り「基地を置くから戦争が起こる。戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」などと安倍政権を批判。「(抗議活動中に)機動隊にゴボウ抜きに(排除)され、工事車両がゲート内に入っていくのを見ると涙が出るほど悔しいが諦めるわけにはいかない。本土の皆さん、力を貸してください」と呼びかけた。【斎藤良太】


水俣条約 名前が背負う重い意味
 水銀の使用や輸出入を規制する水俣条約が発効した。「繰り返すな」という願いをその名にこめて。フクシマやヒロシマ、ナガサキにも通じるミナマタの訴えに、世界は、日本は、どうこたえるか。 
 水俣条約。正式には、水銀に関する水俣条約−。二〇一三年に熊本市と熊本県水俣市で開催された国際会議で採択された。
 東南アジアやアフリカなどで深刻な健康被害につながる恐れが指摘される水銀の輸出を規制し、水銀を使った化粧品や血圧計、水銀が一定量以上含まれる蛍光灯などの製造、輸出入を二〇年までに原則禁止する。鉱山からの採掘も十五年以内にできなくなる。途上国の採掘現場で、金を抽出する際に使われる水銀の使用と排出を削減、廃絶をめざす−。
 条約制定と命名は、日本政府が主導した。
 “公式発見”以来六十年余、「公害の原点」とも呼ばれる水俣病は、化学工場が海に垂れ流した水銀が魚食を通じて無辜(むこ)の住民に摂取され、重い脳障害を引き起こした「事件」である。母親を通じて取り込んでしまった胎児にも、生涯残る深刻な影響を及ぼした。
 水俣の悲劇を繰り返してはならない、忘れてはならない−。そんな切なる願いがこもるその名前。患者とその家族の長年の思いを込めた約束なのである。
 その日本から、一三年には七十七トンの金属水銀が輸出されている。率先して廃絶へ向かうのは当然だ。
 水俣条約の名前は国内的にはもう一つ、重い意味を持っている。
 水俣病という病の定義はいまだ確定していない。従って被害の範囲も定まらず、患者としての認定を求める訴訟も後を絶たない。「病」の正体は未解明、「事件」は終わっていないのだ。
 「病」は恐らく終わらない。だが、原因と責任を明確にして、すべての被害者を救済すれば「事件」に決着はつけられる。
 九月にスイスで開かれる水俣条約第一回締約国会議には、胎児性患者の坂本しのぶさん(61)が参加して「水俣病は終わっていない」と訴える。不自由な体を励まし、痛みに耐えて、「今できることをしたい」と決意した。その勇気に心から敬意を表したい。
 忘却による清算は、繰り返しの土壌である。原発事故の救済や核廃絶にも通じることだ。
 世界は坂本さんと水俣の思いにこたえ、「今できること」をすべきである。 


文大統領演説  未来志向の関係求めた
 韓国の8月15日は、日本の植民地支配からの解放を祝う「光復節」である。
 今年の記念式典で文在寅(ムンジェイン)大統領は、日韓関係を「東北アジアの平和と発展へ共に協力する関係」と表現。これまでの日本側の努力を高く評価した。未来志向に基づく関係構築の呼びかけと受けとめたい。
 文氏は歴史問題に触れ、両国関係の障害は過去の歴史それ自体ではなく、日本政府の歴史認識の浮き沈みにあると指摘した。
 35年に渡る植民地支配についての認識が政権によってぶれては困る、ということだ。
 戦没者追悼式の式辞でアジア諸国への加害責任に触れない日本の安倍晋三首相へのメッセージとも読み取れる。
 安倍首相は2015年の戦後70年談話で日露戦争を「アジアやアフリカの人々を勇気づけた」とした。だが日露戦争の帰結が韓国併合である。韓国では安倍氏の歴史認識に対する不信が根強いことに留意したい。
 文氏は植民地時代の徴用工問題でも「日本の指導者の勇気ある姿勢」を求めた。
 徴用工に対する賃金の未払いなどは日韓国交正常化交渉の中で解決済みとされている。文氏が主席秘書官を務めた盧武鉉政権時代の05年にも改めて検証され、解決済みと確認された。
 文氏は、個人請求権は消滅していないとするが、具体的な交渉再開を求めてはいない。日本には「蒸し返し」と反発もあるが、安倍政権は冷静に対応してほしい。
 国家間の合意は重要だ。だが時代や状況の変化を受けて見直しを主張したことは、日本の歴史上にもある。
 1965年当時の韓国は軍事政権下であり、民主主義が機能していなかったことも理解しなくてはならない。
 文氏は日本の植民地支配への協力に反発し亡命先で臨時政府を設立した独立運動家の政治的系譜に連なる。発言はこうした背景を踏まえて受け止める必要があろう。
 北朝鮮問題では日本や米国との連携を強調。歴史問題を切り離す「2トラック外交」も確認した。北朝鮮にはミサイル開発の凍結が対話の条件と明言し、米国には「誰も韓国の同意なく軍事行動を決定できない」とくぎを刺した。
 「朝鮮半島の平和も分断克服も私たちが作り出す」と文氏は強調する。二度と大国に翻弄されてはならない。韓国の人々の思いを大統領の演説からくみ取りたい。


低温・日照不足 農作物の管理を万全に
 夏らしい青空や暑さが遠ざかっている。県内は今月2日頃に梅雨明けしたとみられるが、梅雨に逆戻りしたような曇り空が続く。
 気温も低く、8月の盛岡は真夏日が2日しかない。最高気温が25度に届かない日もしばしばで、今月上旬の宮古の平均気温は20度に達しなかった。7月が記録的な猛暑だっただけに落差が際立つ。
 日照不足はさらに著しい。今月上旬の大船渡の日照時間は平年の3割にとどまった。沿岸の不足が目立つが、中旬に入ってからは盛岡など内陸もかなり少ない。
 雨続きの東京など関東・東北の太平洋側も同様の傾向だ。今夏は太平洋高気圧の勢力が弱い。オホーツク海高気圧から吹き出す冷たく湿った空気、いわゆる「やませ」の影響を受けやすくなった。
 盛岡地方気象台は、日照不足と低温に関する県気象情報を出して注意を呼び掛けている。既に影響は各方面に表れ始めた。
 天候不順はさまざまな農作物の生育を妨げるだけでなく、病害も心配される。県内、東北の産地では、トマトやキュウリ、ナスなど夏野菜の出荷が減っている。
 それに伴いスーパーなどの店頭では、野菜の価格が上がりつつある。毎日の食卓に上るものだけに家計、暮らしへの影響は小さくない。
 油断できないのは米の出来だろう。今後の登熟に向けて、いもち病などの発生が懸念される。秋の収穫まで警戒は怠れない。
 農業県である岩手は、今も米が豊かに実るかどうかで地域の心理が左右される。今秋は県の最高級米「金色(こんじき)の風」が市場デビューを果たすだけに、なおさらだ。
 予報によれば、低温・日照不足は来週まで続くとみられる。行政など関係機関は適切な情報を出し、技術対策の徹底をはじめ農作物の管理を万全にしてほしい。
 涼しい夏の影響は農業以外にも出ている。観光地は沿岸を中心に客足が鈍った。関東では海水浴場やプールも人はまばらで、ビアガーデンの売り上げもさえない。
 観光・レジャーの不振は、消費の冷え込みにつながる。これまでにも夏の天気や気温は、景気にさまざまな余波をもたらしてきた。
 4〜6月の実質国内総生産(GDP)は年率で4%増の高成長を示した。その主役となったのは、好天に恵まれたことによる外食はじめサービス支出、エアコンの購入など個人消費の回復だった。
 天候不順の7〜9月は一転、消費の鈍化が懸念されている。天気が消費や景気を動かすことは、いまだ日本経済が本格的な回復軌道に乗り切れていない証左でもあろう。


【天候不順】農産物の管理に万全を
 8月に入って県内は「やませ」と呼ばれる冷たく湿った北東風などの影響で、浜通りや中通りの北部を中心に気温が低く、日照時間が少ない状況が続いている。仙台管区気象台は東北地方の太平洋側で気温が低く、日照時間が少ない傾向はまだ続くとみている。このまま不順な天候が続けば農作物の生育に大きな影響が生じる可能性がある。生産者や関係機関は早め早めに念入りな対策を講じたい。
 県内の主な地点の日照時間を16日までの30日間合計で見ると、福島市は76・3時間で平年の52%、相馬市は58・6時間で同41%にとどまる。ここ10日間だけでは福島市は8・8時間で同17%、相馬市は4・2時間で同9%しかない。
 30日間の平均気温は福島市が平年より0・7度、相馬市が0・6度、10日間ではそれぞれ2・2度、1・9度も低い。
 本県など東北地方は今月2日に梅雨明けしたが、カムチャツカ半島付近に中心を持つオホーツク海高気圧から冷たく湿った東寄りの風が流れ込む影響で、太平洋側を中心に気温が低く、曇りや雨の日が多くなっている。
 天候不順は海水浴やプールなど身近な夏のレジャー、ビールや夏物衣料といった消費動向に影響を与えているが、特に心配なのは農作物への影響だ。1993(平成5)年の大冷害も思い起こされる。
 この年は7月から9月にかけてオホーツク海高気圧が頻繁に発生し、太平洋高気圧の張り出しも極端に弱かった。台風も多かったため東北では著しい低温・日照不足となり、水稲には障害不稔[ふねん]もみ、いもち病が多発した。
 県によると現時点では天候が回復すれば、農作物に深刻な被害が出る状況ではないという。それでもカメムシや紋枯れ病の発生は平年より多く、葉いもち病の感染条件もそろっている。適切な水管理や防除を進めたい。
 モモ、ナシ、ブドウ、リンゴやキュウリ、トマトといった本県自慢の果物、野菜の収穫期も続く。適切な管理で品質や収量を確保してほしい。
 県は今日18日、農産物の管理に関する技術対策会議を開く。JAふくしま未来は異常気象対策本部を設置し、生産者へ現地指導などを強化する。丁寧で速やかな情報提供を生産者の注意喚起につなげることが必要だ。
 仙台管区気象台の1カ月予報では、東北地方の太平洋側で平年より気温が低く、日照時間が少ない確率はともに50%。夏らしい日差しを求めるばかりだ。(佐久間順)


加計問題追及◆理事長の証言が欠かせない◆
 加計学園の獣医学部新設計画を巡り、文部科学省の記録文書が明るみに出て3カ月が過ぎた。「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っていること」を盾に内閣府が文科省に認可手続きを早めるように迫ったとあり、これをきっかけに野党の追及は熱を帯びた。
 さらに前川喜平前文科次官が国会などで文書の内容を裏打ちする証言を重ねた。安倍晋三首相の友人である加計孝太郎氏が理事長を務める学園が国家戦略特区に指定された愛媛県今治市での事業者に選定された過程にさまざまな疑問が噴き出した。
遠い信頼回復への道
 内閣支持率は急落。首相は低姿勢に転じて「丁寧な説明」を誓い、衆参両院で閉会中審査が開催された。だが納得のいく説明は一つとしてなかった。
 それどころか、自ら議長を務める特区諮問会議で今年1月20日に事業者に決定されるまで学園の新設計画を知らなかったとする首相答弁に不自然さが指摘されている。過去には学園が今治市とともに特区に申請した2015年6月に計画を知ったととれる答弁をしていたが、これを訂正した。
 首相と加計氏は米国留学時代から数十年来の友人という。学園関連の式典に出席し、昭恵夫人は学園系列の名誉園長に就任したことも知られている。
 加計氏は昨年1年間で少なくとも7回、首相と食事やゴルフを共にし、8月の内閣改造後には農相や文科相、地方創生担当相にも立て続けに面会している。
 一部の面会で加計氏は新設計画に言及。首相だけ最後まで知らなかったことになる。
 内閣改造で支持率は多少持ち直したとはいえ、信頼回復への道は遠い。これまで公の場に姿を見せず、口を閉ざしている加計氏の国会招致や、関係府省の記録洗い直しなどに政府、自民党がどのような姿勢で挑むかが鍵となる。
記録ないか洗い直せ
 特区のホームページで公開された15年6月のワーキンググループの議事要旨が実際の内容とは食い違っていることも明らかになった。学園幹部の出席や発言を載せないなどの修正が施されていた。「今治市の説明補助者で、公式な発言も認めていない」としているが、少なくとも、この時点で学園が今治市とともに計画を進めていたのは明らかだ。
 首相答弁の不自然さなどを解明するには加計氏の証言が欠かせない。関係府省、中でも特区担当の内閣府の記録洗い直しが求められる。内閣府は、文科省に「早期開学」を迫ったとされるやりとりの記録はないとしている。
 やはり獣医学部新設を目指した京都産業大・京都府と加計学園・今治市の提案を比較検討した際の議事録についても「取っていない」と説明しているが、文科省で再調査により次々と文書やメールが出てきたのは記憶に新しい。「丁寧な説明」の中身が問われよう。


オスプレイ訓練 信頼損なう米の強硬姿勢
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の新型輸送機オスプレイが、北海道で実施中の陸上自衛隊と米海兵隊との共同訓練に参加する。
 普天間所属のオスプレイは今月5日、オーストラリア沖で乗員3人が死亡する墜落事故を起こした。これを受け、北海道や現地の千歳市などは訓練に参加しないよう防衛省に要請したが、退けられた形で、住民に不安の声が広がっている。地元では市民団体による抗議集会も開催された。
 事故を受けて、日本政府は6日、国内での飛行を自粛するよう申し入れたが、米軍は翌日、普天間飛行場から飛行を強行し、要請を事実上拒否した。その後、オスプレイの安全は確認できており、飛行を継続するとの声明を発表している。
 事故については、米軍自身、最も深刻な「クラスA」に当たると認めている。だが、安全を確認した具体的な根拠や、操作ミスなのか機体に問題があったのかといった事故原因は明らかにしていない。これで納得を求めるのは無理があろう。
 日本政府の対応にも首をひねらざるを得ない。防衛省は米軍の説明を「理解できる」として飛行容認に転じた。国民の安全に関わる問題にしては、あまりに腰が引けていないか。
 北朝鮮が米領グアム周辺海域へ弾道ミサイル発射を予告するなど地域の緊張は高まっており、日米の防衛体制はこれまで以上の連携を求められる。そうした中、米軍の強硬な姿勢と、それを追認するかのような政府の対応は、同盟への信頼を損ないかねない。
 オスプレイは開発段階から事故が相次ぎ、安全性が疑問視されてきた。昨年12月にも沖縄県名護市の浅瀬に不時着する事故があった。日本政府は安全が確認されるまで飛行停止を求めたが、米側は事故の6日後に飛行を再開し、沖縄県が反発した経緯がある。
 今回の飛行容認に関しても、沖縄県の翁長雄志知事は、小野寺五典防衛相との会談で「県民、国民の命を守る意味で大変残念だ」と批判した。一方、小野寺氏は「わが国の安全保障に重要な装備だ」と理解を求め、双方の主張は平行線だった。
 事故の波紋は各地に広がっている。オスプレイは東京の米軍横田基地などにも配備計画があり、定期整備が行われている千葉県の陸自木更津駐屯地でも試験飛行が予定されている。
 政府は陸自が導入するオスプレイを佐賀空港に配備する計画を立て、佐賀県に受け入れを要請している。そうした自治体は事故原因の徹底的な究明などを国に対して求めている。
 オスプレイの安全性を担保することは、わが国の問題でもある。米軍は事故原因の徹底究明と情報開示を図らねばならない。日本政府としても、それを毅然(きぜん)と求めていくべきである。


【戦争の伝え方】困難を克服し次世代へ
 鎮魂の季節である。
 8月6日は広島、9日には長崎に原爆が投下され甚大な被害が出た。15日には敗戦を迎えた。8月にはいつにも増して歴史に思いをはせ、不戦を誓うという人が多いだろう。
 過ちを繰り返してはならない。そのためにも、人間を狂わせ、攻撃し合うことを強いて、数多くの悲劇を生む戦争の愚かさについて次の世代に伝える必要がある。
 戦後72年がたった。時間が経過するにつれ、身をもって戦争を知る人々は減り、戦禍の記憶が途切れる恐れもある。戦争体験者の記憶を受け継ぐ時間は少なくなっているといっていい。
 戦争を知らない世代は増え、世代間の認識も次第に違ってきていよう。伝え方は年々、難しくなっているのが現実ではないか。
 戦地に赴いたり、戦火をくぐり抜けたりした経験を持つ人は大多数が80歳を超えている。学校や地域で体験を語る人も少なくなりつつある。子や孫と離れて暮らしている人なら、戦争にまつわる苦しさや悲しさ、ひもじかった思い出を語り継ぐ機会は限られよう。
 若い世代にしてみれば、戦争に触れること自体が困難になっているかもしれない。そうであっても、彼らに伝えることは年長世代の責任といっていい。工夫を重ね、きちんと引き継ぐ方策を考えたい。
 高知県内に残る戦争関連の遺跡の保存や、記憶を残す方法を巡って努力する人々がいる。その事例が本紙連載で紹介されている。
 残されたコンクリート製のトーチカ(防御陣地)、軍用機を格納した掩体壕(えんたいごう)を戦争の“語り部”として残そうと模索する人々。戦死者の妻と子でつくる県遺族会は会員の高齢化が進み、孫やひ孫らによる青年部の発足に望みをつなぐ。
 いずれも活動には時間と資金が要る。簡単な取り組みではなかろう。遺跡の文化財認定を目指すとすれば、多大な労力が必要だ。それにもかかわらず戦争に向き合い続けるのは、記憶を絶やしてはいけないとの強い決意からではないか。
 連載とは別に、四万十町の男性は苦悩に覆い尽くされた記憶を本紙取材に語っている。命を犠牲にして敵への体当たりを命じられる特攻潜水艇の搭乗員候補として、死を覚悟する日々を送った。
 男性が取材に応じたのは、中学生世代の子どもが祖国防衛を叫び、志願した、そんな不幸な時代があったことを訴えたいからだという。
 若い世代は知ってほしい。
 戦争はなぜ始まったのか。日本は何をしたのか。庶民はなぜ巻き込まれたのか。責任は―。
 何があったかを把握し、知識を広げ、原因や背景を考えることが、平和の意義をより深く理解することへとつながるはずだ。
 歴史を証明する戦争遺跡、具体的な証言、記録を収めた書物など、若い世代が戦争に触れ、考えることができる環境を整える必要がある。

眠い1日/遅れの送り火・・・でも提灯忘れた

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Point de vue. L'été au Japon, peu de vacances !
Alors qu'en France, une grande partie du pays semble à l'arrêt en août, le Japon, lui, ne connaît pas ou peu de pause estivale. L'été s'y passe très différemment, avec en point d'orgue la fête d'O-bon, où les Japonais retrouvent leurs racines.
L'été japonais n'est pas agréable. Juillet est la saison des pluies, avec des glissements de terrains redoutables (quarante-six morts cette année). Jusqu'en septembre, la moiteur et la chaleur seraient insupportables sans la climatisation omniprésente. On pourrait s'attendre à une ruée vers la mer ou la fraîcheur des montagnes. Non : dans les sondages, 75 % des Japonais disent qu'ils seront restés chez eux cet été (contre 45 % des Français).
Les Japonais ont vingt jours de congés payés, mais ils n'en prennent en moyenne que la moitié, et jamais d'affilée, par crainte de se faire mal voir des employeurs, mais aussi des collègues. Le gouvernement envisage même de légiférer pour les obliger à les prendre, dans l'espoir de relancer la consommation. Les congés scolaires sont de six semaines, mais beaucoup d'enfants consacrent un mois à des cours supplémentaires.
Les Japonais manquent aussi de moyens. Les salaires stagnent depuis vingt ans. Le budget prévu par ceux qui pensent partir cet été plafonne à 630 € par personne. Rien d'étonnant si à peine 10 % vont à l'étranger : prendre l'avion pour quitter l'archipel coûte cher, et la très forte baisse du yen depuis cinq ans n'arrange pas les choses.
Les plages sont étroites et souvent difficiles d'accès. Jusqu'aux années 1990, les Japonais ne s'y baignaient pas. Elles ont été un moment en vogue, on les a équipées. Mais, depuis dix ans, la fréquentation a chuté de moitié, et une centaine d'entre elles ont fermé. Les Japonais préfèrent les complexes touristiques qui leur offrent des piscines géantes avec de grosses vagues artificielles : c'est plus près, plus propre et plus sûr. Il n'y a ni coups de soleil ni sable qui colle, de la musique d'ambiance et toute sorte de boutiques.
Le retour au village
Le grand moment de l'été est la fête d'O-bon, qui se déroule en juillet ou en août selon les régions. Trois jours durant, selon la tradition, les défunts reviennent visiter leur famille et leur communauté. Il faut leur montrer que la joie règne. Alors, on exécute dans les rues des danses traditionnelles. Puis, dans la fraîcheur de la nuit, on se promène au bord des rivières. Il y a des feux d'artifice, des restaurants en plein air, des jeux forains, de la bière et du saké. Les filles se mettent volontiers en kimono léger. Et au soir du troisième jour, on renvoie gentiment les défunts chez eux, sur des petits radeaux lachés au fil de l'eau.
O-bon provoque des déplacements massifs. Beaucoup de Japonais retournent au ≪ vieux village ≫ (furusato), celui où la famille résidait à l'époque d'Edo (1603-1867), et qu'il était interdit de quitter. Il abrite la tombe ancestrale et, encore souvent, une branche de la famille. Même si le dépeuplement des campagnes mine la tradition, O-bon continue de ramener chaque année des millions de Japonais à leurs racines.
Parmi ceux qui vont rester chez eux cet été, 25 % déclarent qu'ils vont retourner au furusato, 35 % voyager à l'intérieur du pays. Le ≪ vieux village ≫, c'est chez soi, et l'archipel aussi ! On y prend deux ou trois jours de pause-plaisir dans des endroits connus : bains de sources chaudes, vieilles villes et leurs spécialités régionales, parcs d'attractions. On n'en revient jamais sans cadeaux pour son entourage. Cependant, l'économie tourne à plein, la vie politique reste animée. Un schéma très différent de notre grande évasion estivale.
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ちちんぷいぷい【懸賞金50万脱走ゾウガメ▽絶景ビアガーデン▽昔の人▽高菜おやき】
木曜法廷・お菓子教室で手作りクッキー販売…法的問題あり?なし?▽大人な夏デート!天空の絶景パノラマビアガーデン▽河田の足も無事治りいざ再開!有馬目指す湯治場巡り 山本浩之 桂南光 堀ちえみ ピーコ 森直也 近藤夏子 石田英司 西靖 古川圭子 ほか 妃海風 喜多川達 広瀬駿(気象予報士) くっすん 河田直也 宮前徳弘

眠い1日です.しかも大阪は暑いです.
さすがに仕事に行くのはパスして部屋でいろいろ.
夕方1日遅れの送り火をしました.でも提灯忘れてしまいました.ゴメン.

<島マガジン>大島の魅力全国へ 気仙沼の高校生らが取材・執筆に奔走
 気仙沼市の離島・大島の高校生らが、隔月誌「島へ。」(海風舎)12月号の特集に大島の記事を掲載してもらうため、取材、執筆に奔走している。祖父母世代から聞かされた昔話や生息する鳥獣、人々のなりわい、島の特産品などに焦点を合わせる。生徒らは「古里の島の素晴らしさを全国に知ってもらうチャンス。いい雑誌にしたい」と意欲を燃やしている。
 被災地の青少年支援に取り組む仙台市の一般社団法人「3710Lab(みなとラボ)」と海風舎が、気仙沼大島大橋の2018年度開通を前に、若い世代に島の未来を考えてもらおうと企画した。
 同誌は「日本で唯一の島マガジン」をうたい、根強いファンを持つ。今回は、島在住や出身を中心に7人の高校生・高専生らが6月から会議を重ね、関心を持つ事柄を取材。写真も撮影し、締め切りの10月まで編集・執筆を続ける予定だ。
 海風舎の編集者が、取材対象の選び方やインタビューの方法、文章構成などをアドバイス。初めのうち、生徒たちは約束を取り付けるための電話も緊張でカチカチだったが、次第に自然体で取材に臨めるようになった。
 11、12日には、江戸時代から栽培されてきた伝統野菜「大島かぶ」の畑や、その料理を出す飲食店、頂上から島や周辺のリアス海岸を一望にできる亀山、たびたび島を襲った津波の伝説にまつわる「導き地蔵」などに足を運んだ。
 大島在住で気仙沼高2年の菅原碧さん(16)は「東日本大震災は忘れてほしくないが、復興を別にしても島は魅力にあふれた観光地だと知ってもらいたい」と強調する。
 大島出身で、一関高専2年に在籍して寮で暮らす小野寺大我さん(16)は「島を離れてみて、自然豊かな故郷の良さも、生活の不便さなどの問題点も見えてきた。多くの人に読んでほしい」と話す。
 気仙沼市の本土側在住で菅原さんと同級生の後藤理菜さん(17)は「生態系に興味がある。しっかり調べたい」、同じく佐藤俊太さん(16)は「ものを書く仕事をしたかった。島外からの視点も役に立つのでは」と意気込む。
 みなとラボの北悟代表は「大島大橋の開通で島の生活は変化するだろう。暮らしや歴史、文化を振り返ることで若者たちが島の未来を考える機会になればいい」と語った。


貞山運河に「みんなの橋」パリ在住美術家が架橋構想
 東日本大震災で橋が落ちた仙台市宮城野区岡田新浜地区の貞山運河に、被災地支援に取り組むパリ在住の現代美術家川俣正さん(64)が橋を再現する構想「みんなの橋プロジェクト」を進めている。遠回りを余儀なくされた住民のため、対岸に渡る機能を備えた「作品」を数年以内に造る予定だ。
 周辺の橋は北に約1キロ、南に約2キロと離れ、浜に出る住民は大幅な迂回(うかい)を強いられている。川俣さんは本年度、「橋が欲しい」との住民の要望を受けてプロジェクトを始動した。
 木材や鉄を素材に歩行者専用橋を計画。宮城県の貞山運河管理用道路と市管轄のサイクリングロードを結ぶ全長二十数メートルの橋となる見込みだ。6日には現地を訪れ、震災前の街並みをモチーフにした橋の模型を示し、地区住民の意見を聞いた。
 運河の海側に昭和40年代までモーテルがあり、運河をまたぐ橋を架けていた。廃業後も住民が使っていたが震災の津波で落橋。民間所有だったため、行政による復旧の対象外だった。
 新浜町内会の平山新悦会長は「早く造ってもらえればありがたい。橋を見に来る人が増えれば、にぎわいも生まれる」と期待する。
 市海岸公園整備室は「構想とは別に地元の要望を受け、橋を建設するかどうかの検討に着手したところだ」とし、構想はあくまで文化事業の位置付けだ。橋の再現には予算確保や行政からの許可取得といった課題をクリアする必要がある。
 「みんなの橋」は、建築家伊東豊雄さんが設計した集会所「新浜みんなの家」にちなむ。橋の再現予定地はみんなの家と海岸を結ぶ直線上にあり、川俣さんは「みんなの家からみんなの橋を通って海に出られるようにしたい。人々をつなぐ物語を橋に込めたい」と意気込む。
 川俣さんは東京芸大教授を経て現在、パリ国立高等芸術学院教授。アパートや公共施設に材木を張り巡らした作品で知られる。
 貞山運河は阿武隈川河口から旧北上川河口に及ぶ計49キロの運河の総称。明治中期に完成した。


<舟っこ流し>川面の炎 亡き人への祈り託す
 盛岡市で江戸時代から続く送り盆行事「盛岡舟っこ流し」が16日、北上川に架かる明治橋近くであった。炎に包まれながら川を下る小舟に向かい、市民らは手を合わせて先祖への祈りをささげた。
 地元の13町内会が竜を模した舟をそれぞれ制作。戒名の札を載せ、ちょうちんや短冊で装飾した。引き手が火を放つと、舟は激しく燃えながら夕暮れの川面に消えていった。
 引き手として参加した盛岡市立高3年の高橋真由さん(17)=盛岡市=は「就職を機に盛岡を離れるので、最後に地元の伝統行事に携わりたいと思った。来年以降も帰省して見に来たい」と話した。
 舟っこ流しは先祖の霊を慰め無病息災を祈る伝統行事で、市の無形民俗文化財に指定されている。


<左義長>鎮魂の火祭り 復興の願い込め天焦がす
 東日本大震災の津波で被害を受けたいわき市小浜町の小浜海岸で15日夜、竹に麦わらを巻き付けて燃やす盆送り行事「左義長」があった。地区復興の願いを込め、昨年32年ぶりに復活した鎮魂の火祭り。住民らが犠牲者や先祖を思い、燃えさかる炎を見詰めた。
 砂浜に長さ10メートル以上の竹15本が立てられ、次々と火が付けられた。そばでは共に復活した盆踊りも行われ、おはやしが響く中、参加者は踊りを止めて炎に見入った。
 津波で住民2人が犠牲になり、50世帯が全半壊した同地区では土地区画整理事業が進み、住宅再建が始まっている。人手不足などで途絶えていた左義長を「復興のシンボルに」との機運が高まり、昨年再現された。
 小浜町区長の鈴木朗さん(62)は「雨が降る中、多くの人が来てくれてほっとした。昔の行事を通じて地域が一つになれればうれしい」と話した。


河北春秋
 「この夏は長雨の上、やませ(北東からの季節風)が冷たく、稲穂が出そろっていない田もある。いつ稲刈りができるか」。東日本大震災の被災地、石巻市北上町の農業大内弘さん(54)は重い鈍(にび)色の空を見上げる▼北上川沿いで被災農家ら約70戸の耕作を引き受け、地元の農業復興を担う。「7月までの暑さで稲はよく育ち、順調に出穂したが、雨と寒さで伸びが止まっている」。8月下旬から収穫予定だったわせ種・五百川をはじめ、主力のひとめぼれの生育も2週間以上遅れ、「コメの品質が心配だ」▼東北は2日、管区気象台が「梅雨明けしたとみられる」と発表したが、夏がないまま秋雨の季節になったよう。雨は7月22日からきのう16日まで26日間続けて降り、同気象台が1926年に雨量を記録し始めて以来4番目の長さになった▼昨夏は台風10号が豪雨を降らせ、被災した岩手県や北海道が主産地の野菜も高騰した。「今は東北産の夏野菜が値上がり気味だが、雨と低温で大打撃を受けた産地は幸い、まだないようだ」と仙台の青果物卸売会社▼残念なのは、海開きをして大勢の客を待っていた被災地の浜、思い切り泳げぬうちに夏休みが終わる子どもたち、夏物商戦のにぎわいを期待した店々。頼みの太陽もどこかで雨宿りをしているのか。

冥福祈り再生誓う 震災と水難犠牲者供養 東松島大曲浜
 東日本大震災で被災した宮城県東松島市大曲浜地区で16日、震災と水難事故の犠牲者を供養する合同慰霊祭が営まれた。
 住民の互助組織「大曲浜区委員会」と県漁協矢本支所が主催し、遺族ら約60人が参列。共同墓地内の慰霊碑に焼香し、318人の震災犠牲者と207人の水難犠牲者らの冥福を祈った。
 委員会の相沢勝利委員長(73)は「悲惨な震災を風化させることなく後世に語り継ぎ、慰霊していくことがわれわれの責務だ」と述べた。渥美巌市長は「復興を加速・完結し、震災前の活力ある東松島市を早期に再生する」と誓った。
 震災当時、大曲浜地区周辺は高さ約6メートルの津波に襲われた。委員会は2012年8月、津波と同じ高さの慰霊碑を建立し、犠牲者の名前を刻んだ。


復興の現場で高校生交流 海外の学生と少人数授業 女川
 全国の高校生が国内外の大学生らと共に学びを深めるサマースクールが、宮城県女川町を主な舞台に開かれている。東日本大震災からの復興まちづくりが進む現場で交流し、多様な進路や将来設計につなげる。
 教育・国際交流プログラムを行う一般社団法人「HLAB」(東京)と町などが共催。14〜20日、高校生60人が海外の学生による少人数授業、各界で活躍する社会人との対話などに取り組む。
 15日には町中心部を訪れ、テナント型商店街「シーパルピア女川」の関係者らと共にスペインタイル制作やせっけん作り、スプレーペイントを体験した。
 仙台市泉区の仙台白百合学園高3年八幡莉里花(りりか)さん(18)は「過去にスペインでも災害があったことなどから女川との間に交流が生まれ、女川でスペインタイル作りが始まったと聞いた。感銘を受けた」と説明した。
 八幡さんは「サマースクールではいろいろなことを知る人との出会いがあり、さまざまな視点から自分のことを考えられる。大きな夢だけれど、将来は国際機関で働けたらいい」と笑顔で話した。
 一行は18、19の両日、東松島市宮戸地区にある県松島自然の家にも足を運び、野外活動などを軸とした教育プログラムを学ぶ予定。


デスク日誌 被災地閣僚
 3↓1↓0↓2↓1↓3。現在の安倍政権になってから衆院選後や内閣改造の際に入閣した東北選出議員の数だ。閣僚ポストは19あるので、やや寂しい。
 3日に発足した第3次安倍第3次改造内閣には、東北から鈴木俊一五輪相、小野寺五典防衛相、吉野正芳復興相が起用された。
 久々の3人。しかも東日本大震災の被害が甚大だった岩手、宮城、福島3県からそろって入閣したのは初めて。いずれも復興や防災に関わりの深いポストだ。
 民主党政権時代もそうだったが、東北から閣僚が誕生すると取材現場は活気づく。今回、与党担当記者は改造当日に防衛相の単独インタビューに成功。南スーダンPKO日報問題や北朝鮮への対応を聞いた。復興相、五輪相にもそれぞれ、記者が張り付いた。
 首相は「東北の復興なくして日本の再生なし」「復興五輪となるよう準備を進めてもらう」とは語ったものの、反省や脱お友達の演出に腐心したようだ。
 現政権での被災3県からの入閣は3↓0↓0↓1↓0↓3。せっかくの被災地3閣僚。閣内に震災の記憶が風化している方がいたら強く指導してほしい。(東京支社編集部長 吉岡政道)


<災いを忘れず>空襲の悲劇伝える殿堂
(1)仙台市戦災復興記念館(仙台市青葉区)
 地震や風水害などの天災、戦争や市街地の火事といった人災。生死を左右しかねない惨事の発生は人々に大きな衝撃を与えるが、その爪痕や傷痕が歳月の中で癒えるにつれ、風化は進む。「大切な記憶を継承する」。熱い願いが込められた東北各地の施設や地域を紹介する。
 闇夜に炎が不気味に広がる仙台の様子。資料展示室の順路を進むと、そんな写真パネルが頭上に現れる。仙台空襲の展示ゾーンは、ほの暗さの中に赤色が浮かび、暗い時代を伝える。
 太平洋戦争末期の1945年7月10日午前0時すぎ。米爆撃機B29による仙台市中心部の空襲で、約1400人が命を落とし、約500ヘクタールが焼け野原になった。仙台空襲と復興の歩みを後世に伝えるため、地元住民の記念碑建立の要望を受け、市戦災復興記念館は1981年に開館した。
 資料展示室には当時の焼夷(しょうい)弾や薬きょう、防毒マスクなど約600点が並ぶ。「展示の目玉は、全部です」と鈴木正英館長。「衝撃を受ける子、懐かしがる年配者。年代で感じ方は違う」と言う。
 防空頭巾姿の親子の人形を配した防空壕(ごう)の模型。大きなサイレン脇のヘッドホンを耳に当てれば空襲警報や爆発音が聞ける。小さな仏像に手をかざすと、体験者の壮絶な証言が流れる。
 焼け跡のがれきを片付ける人々の写真パネルには、宮城県庁や仙台駅付近などと説明が付く。ビルが並ぶ現在とは大違いだ。
 来館者は外国人を含め年間1万人。最近は北海道新幹線の開業効果か、函館からの修学旅行の小学生が目立つという。
 同館を拠点に、語り部として市民団体「仙台の戦災・復興と平和を語り継ぐ会」(仙台市)が活動する。会員で青葉区の小野寺哲さん(91)はシベリア抑留体験者。「戦争に参加した責任を感じ、週2回ほど通う。あんな時代を繰り返してはならない」と力を込める。
 館内にはホールや大小の会議室もある。7月10日前後の戦災復興展の開催をはじめ、市民の文化・交流の拠点として幅広く利用され、東日本大震災復興支援イベントにも使われてきた。
 焦土から復興したエリアに立つ、平和の殿堂。鈴木館長は「戦争の悲惨さと平和の大切さを伝え続ける施設でありたい」と話す。
<メモ>鉄筋コンクリート6階、地下1階。休館日は年末年始と施設点検日。JR仙台駅から徒歩約20分。仙台市バスは「東北公済病院・戦災復興記念館前」下車で徒歩5分。市地下鉄の最寄り駅は南北線が「広瀬通」、東西線が「大町西公園」。資料展示室は午前9時〜午後5時(入室は午後4時半まで)で、小中学生60円、高校生以上120円。20人以上の団体は割安になる。連絡先は022(263)6931。


ふるさとへ、帰れぬ遺骨=原発事故の帰還困難区域−改葬選ぶ住民も・福島
 東京電力福島第1原発事故で、原則として立ち入りが禁止されている福島県内の帰還困難区域。高い放射線量に阻まれ、帰れないのは住民だけではない。避難先で亡くなった人たちの遺骨は区域内で埋葬が進まず、寺に預けたり、墓を移したりする住民も多い。区域内にある浪江町の長安寺は、原発事故後に設けた別院で檀家(だんか)の遺骨約100柱を預かっている。
 福島市にある長安寺別院。剣道場を改装した部屋に、浪江町の墓に埋葬されるはずだった多くの遺骨が祭られている。「放射線量が高い所に仏様を埋葬したくないというのが皆さんの思い」。住職の横山周豊さん(76)が住民の気持ちを代弁する。
 南相馬市の女性(66)は12日、お盆の供養のため姉の遺骨がある別院を訪れた。姉は震災後に亡くなったが、浪江町の墓が帰還困難区域内にあるため遺骨を預けた。
 震災前に亡くなった姉の夫は町内の墓地に埋葬されている。「夫婦別々でかわいそう。一緒にしてあげたいとは思うが…」。女性はしんみりと話した。
 帰還困難区域に入るには、市町村に事前に申し込む必要がある。女性は「お盆だけでも自由に入れるようにしてほしい」とこぼした。震災後、義兄の墓参りは一度もできていないという。
 墓を別の場所に移す「改葬」を選ぶ人もいる。長安寺では約500の檀家のうち2割が改葬した。浪江町出身で東京都在住の菅野勲さん(50)は震災2カ月前に亡くなった父親の遺骨を埋葬する直前に、原発事故が起きた。「お骨だけ墓に入れて避難することは心情的にできない。墓も古くなっているし、改葬を検討している」と話す。
 改葬によって、ふるさとと縁が切れることを心配する人もいる。親族の遺骨を預ける都内の男性(57)は「帰還困難区域に指定されても、ふるさとはふるさと。先祖代々の土地で、改葬は全く考えていない」と語った。
 横山住職は「『死んだらふるさとに帰りたい』と言い残して亡くなった檀家もいる。誰かが仏様のお世話をしないと」と話した。


東日本大震災 福島第1原発事故 避難解除地域、野生動物すみ着く 家守る苦肉の「柵」 猟友会高齢化、駆除に限界
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が解除された地域で、街中にすみ着いた野生動物から帰還者の生活を守ろうと、人家を丸ごと柵で囲う作戦が試験的に始まった。避難指示期間中に市街地で生まれ育った動物の個体数が増え続けた一方で、解除後の住民の帰還率が2割程度と低いことが背景にあるという。駆除にも限界があり、当面、街を動物とすみ分ける試行錯誤が続きそうだ。
 「『人間が檻(おり)に入る』なんて冗談みたいだけど、イノシシの侵入が防げるならありがたい」。避難先から夫と福島県浪江町の自宅に戻った40代女性が、50メートル四方の敷地をぐるりと囲った高さ1・2メートルの鉄製フェンスを見ながら言った。
 フェンスは、県などが原発事故で避難を強いられた周辺12市町村を対象に試験的な設置を始めたもので、女性は「イノシシは毎夜のように来る。群れで現れたり納屋を開けようとしたり、怖い思いを毎日してきた」と歓迎した。町も効果を検証した上で、宅地へのフェンス設置費用を補助する施策を検討する。
 福島県内の避難指示は今春までに、大熊町や双葉町などの帰還困難区域を除くほとんどの地域で解除された。だが、避難の長期化で、イノシシが市街地の竹やぶや川沿いの草むらを寝床にしたり、ハクビシンやアライグマは天井裏をすみかにしたりしてしまった。
 こうした状況は、帰還率が上がらない一因にもなっているという。除染の一環でやぶを刈ったり、荒廃した家屋の解体が進んだりして動物がすみづらい環境になってきてはいる。だが、市街地で生まれ、山の生活を知らない個体への代替わりが進んでおり、昼間に街に出現する頻度は減っても、山に戻すのは容易ではないという。
 富岡町では、町に委託された猟友会員が町内約30カ所にわなを仕掛け、捕獲を続けている。だが、12人の会員は大半が60〜70代と高齢で、現在も町外に避難しており、活動には限界がある。
 福島の野生動物を調べている東京農工大の奥田圭助教(野生動物管理学)は、「戻った住民が使う場所と動物が暮らす場所を把握し、効率よく、長く続けられる対策を模索するしかない」と話す。【尾崎修二】


【広島土砂災害3年】 子供たちの笑顔守る 息子2人犠牲の母
 平成26年8月に広島市を襲った豪雨で77人が犠牲となった土砂災害は20日、発生から丸3年となる。2人の息子を亡くした主婦、平野朋美(ともみ)さん(40)は昨年秋、被災した場所で再建した自宅に戻った。新たに娘も誕生。悲しみが癒えることはないが、「もう二度と子供たちを悲しい思いにさせない。笑顔を守る」と前を向いて歩き始めた。
 あの日、同市安佐南区の自宅の裏山が崩れ、轟音(ごうおん)とともに土砂が流れ込んできた。山側の1階和室で寝ていた長男、遥大(はると)君=当時(11)=と三男、都翔(とわ)ちゃん=同(2)=が一瞬で土砂にのみ込まれた。別の部屋にいた平野さんは辛くも助かったが、2人の死後、何度も自分を責め、家に引きこもる日が続いた。
 そんな家族を勇気づけたのは、次男(12)の一言だった。
 「家族みんながニコニコしとかんと、赤ちゃんが来てくれんよ」。兄と弟を失い、怖い夢を見ては泣いていた次男が、少しずつ元気を取り戻し、笑顔でこう話してくれた。そして、新たな命を身ごもり、昨年8月に長女の菜月希(なつき)ちゃんが誕生した。
 自宅を再建して戻ったのも、次男が「帰ろう」と言ったことがきっかけだった。崩れた裏山の擁壁工事が完了したことも後押し、夫の学さん(42)と話し合い、決断した。
 菜月希ちゃんの誕生で家族の笑顔が増えた。「遥大と都翔に見守られ、娘が生まれてきてくれた」と平野さん。2人の幼い息子を亡くした悲しみは深いが、「どんな状況にあっても前向きに生きることはできる」と信じている。
 裏山と反対側の部屋に飾る2人の遺影に、平野さんは毎日のように菜月希ちゃんと手を合わせる。
 「娘は、物心ついたころには亡くなった兄がいるということを、自然と受け入れていくでしょう。少しずつ災害のことを話していきたい。4人きょうだいということを忘れないように」。平野さんは静かに語った。


オバマ氏に史上最多「いいね」 「生まれながら人憎まず」
 【ワシントン共同】米南部バージニア州で起きた白人至上主義者と反対派の衝突事件を受け、オバマ前大統領による「生まれながらに他人を憎む人はいない」とのツイッターへの投稿に共感が寄せられている。16日までに、ツイッター史上最多となる360万超の「いいね」が付いた。
 オバマ氏は事件後間もなく、南アフリカの故マンデラ元大統領の自伝を引用し「肌の色や出自、信仰を理由に生まれながらに他人を憎む人はいない」と投稿。「人は憎むことを学ぶ。憎むことを学べるなら愛することも教われる」「人間の心には、憎しみより愛の方がより自然だ」と続けた。


東北大が女性限定枠を導入へ
東北大学は、女性の研究者を増やそうと、この秋から、女性に限定した研究者の採用や昇進の枠を設けることになりました。
東北大学は、理系の学部を中心に女性の研究者が少なく、去年10月の時点では、全体の11%程度にとどまっています。
こうした中で、大学は、女性の研究者を増やそうと、ことしの秋から女性に限定した採用や昇進の枠を設けることになりました。
今年度は、新規の採用を6人、准教授や教授への昇進を8人行う予定で、それぞれ募集をした上で審査を行い、11月から来年1月にかけて採用する計画だということです。
東北大学では、このほか、各学部が追加で女性を採用する場合に備え、1億円の予算を用意していて、こうした取り組みを通じて、4年後までに女性の研究者の割合を19%にまで引き上げたいとしています。
女性の研究者をめぐっては、去年、「女性活躍推進法」が施行されたことを受けて、全国の大学で採用や昇進を強化する動きが広がっています。
東北大学男女共同参画推進センターの大隅典子副センター長は、「女性の研究者が少ない現状を打破するための起爆剤として女性限定の採用や昇進に踏み切ることにした。女性が働きやすい環境を整え、学問にも多様性を生み出していきたい」と話しています。


最低賃金改定 生活できる額へ速く
 二〇一七年度の最低賃金の引き上げ幅は二十五円となる。時給で決める方式となった〇二年以降最大だった昨年度を超え3%のアップ。だが、非正規労働で生活するには、とても十分とはいえない。
 まず、言っておきたいことがある。政権は最低賃金の引き上げでアベノミクスの下支えを狙う。だが、これを法律で定めるのは憲法二五条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するためだ。それを忘れてほしくない。
 最低賃金は、企業が払う賃金の最低額だ。働くすべての人に適用され、これを下回る賃金は違法となる。労使が参加する国の中央最低賃金審議会が毎年、改定の目安額を決める。改定はいわば非正規労働者の“春闘”といえる。
 審議会が示した目安額(時給)は、全国平均で二十五円引き上げ、八百四十八円とする。安倍政権が三月に公表した「働き方改革実行計画」に掲げる「年3%程度ずつ引き上げ時給千円を目指す」との方針に沿った決着だった。
 二十五円の引き上げは昨年度を上回った。安倍政権は引き上げを求めた成果と胸を張るが、目標の千円まで開きがある。政府は毎年のように「千円」を目標に掲げるが、実現への歩みは遅い。
 厚生労働省の毎月勤労統計調査ではパート労働者の時給は〇八年から既に千円を超えている。業種や地域によっては、千円実現が十分可能なのではないか。
 八百四十八円では、普通に働いても年収は二百万円に届かない。国税庁の民間給与実態統計調査では、年収二百万円以下は約千百三十万人いる。民間労働者の二割強が、この収入で踏ん張って生活している。引き上げがこのままのペースでは千円到達にはあと六年ほどかかる。非正規の人の正社員化を進めることは無論として、この賃金で家計を支える非正規労働者が増えていることを考えれば、一日も速く目標額に到達すべきだ。
 国は都道府県を四ランクに分けランクごとに目安額を決めた。現在、東京は九百三十二円で、最低額の宮崎、沖縄との差額は二百十八円。だが、今改定ではさらに四円差が広がる。審議会で労働側は、三年以内に最低額を八百円超にするよう要望した。地域差の縮小も同時に実現したい。
 賃金アップには、経営体力の弱い中小零細企業の業務効率化などへの支援や、大企業の下請けに対する不当に低い取引価格など下請けいじめの適正化を進めたい。 


連合会長続投/第一線の声に耳を傾けよ
 連合が、神津里季生(こうづりきお)会長を再選する人事案を固めた。10月の定期大会で正式に決める。
 一部の専門職を残業代支払いなどの対象から外す「高度プロフェッショナル」制度を盛り込んだ労働基準法改正案について、連合は先月、健康診断の強化などの条件を示し、修正することで政府と一致した。それまで主張してきた反対の立場を覆したに等しい。
 ところが傘下の労組から猛反発を受けると、再び反対に転じた。「残業代ゼロ法案」と厳しく批判してきた姿勢が、わずか1カ月の間に揺れ動いた。
 働く者を守る使命に腰が定まらないままトップが続投しても、組合員の信頼は得られない。今後、どんな方針で政府に臨むのか。きちんと説明し、信頼回復に努める必要がある。
 今回の人事案では会長代行ポストを新設し、逢見直人(おうみなおと)事務局長を推薦する。逢見氏は労基法改正案で政府との協議の窓口を務めている。内外の批判を受けて辞意を漏らしたが、辞任すれば会長の責任も問われかねない。そのために別の役職で処遇するというのなら、組織防衛ありきの人事だ。
 逢見氏は会長昇格も有力視されていた。2年前には首相と密談するなど、政権との近さが指摘されている。安倍政権が経済界と連携して労働規制を見直そうとする中、どれだけ労働者の防波堤になれるか心もとない。
 連合の地方組織は、昨年10月の新潟県知事選で原発再稼働を掲げる与党系候補を支援したが、野党系候補に敗れた。7月の東京都議選では、支持する民進党ではなく「都民ファーストの会」と政策協定を結んだ。
 支持率低迷が続く民進党は、共産党も含めた野党共闘を模索している。共産と距離を置く連合は否定的で、両者の溝が広がっている。
 だからといって、連合が傘下の労組の意向を聞かず、執行部と政権の直談判を重視しようとするなら、存在意義がゆらぐ。
 働きやすい社会をつくるため第一線に立つ組合員の声に耳を傾け、政府に政策の実行を迫る。約680万人が加盟する巨大組織は、安倍首相が「働き方改革」を進める今こそ、労組の原点に立ち返るべきだ。


カジノ解禁 是非から改めて議論を
 これでカジノに対する国民の疑念や不安が拭えるだろうか。
 政府の有識者会議がまとめた、カジノを中心とする統合型リゾート施設(IR)の制度設計に関する報告書は、「世界最高水準のカジノ規制」をうたった。
 ギャンブル依存症対策などに取り組む姿勢をアピールし、IRを推進しようとする意図がにじむ。
 しかし、列挙された対策の実効性は未知数だ。
 そもそも刑法が禁止する賭博を経済成長や地方振興に利用することへの疑問が置き去りにされ、国民の理解も広がっていない。
 政府は報告書を受け、今秋の臨時国会にIR実施法案の提出を目指している。カジノをめぐる、これまでの国会審議は、あまりに拙速で不十分だった。
 性急に結論を出すのは避け、カジノ解禁の是非からもう一度、議論をやり直すべきだ。
 報告書は、依存症対策として、カジノ施設では日本人利用客を対象に入場回数を制限し、クレジットカードの利用を認めず現金のみとすることなどを打ち出した。
 対策の柱である入場回数の制限には、マイナンバーカードで本人確認するという。
 これらの規制は、政府や誘致自治体が活性化の起爆剤として期待するIRの収益を抑制する方向に働くだろう。
 採算が悪化したような場合、厳格な規制を貫けるか疑問だ。
 依存症になった人や家族への支援策も示されていない。
 治安の悪化、青少年への悪影響といった懸念も依然根強い。
 カジノで外国人を呼び込み、観光振興などにつなげるという推進派の狙いも、実現の保証はない。
 アジアでは、シンガポールや中国、韓国などにカジノがあり、既に飽和状態とも言われる。
 日本国内にカジノが立地しても、残された少ないパイを奪い合うことになりかねない。
 見込み通りに外国人観光客が来なければ、主要な客は国民ということになってしまう。
 これでは、経済効果が芳しくないばかりか、国民にギャンブル依存症が増える恐れもある。
 道内では苫小牧市、釧路市、後志管内留寿都村が誘致に名乗りを上げている。道は道内立地に向け、今後、有識者の意見を聞き、候補地を絞り込む方針だ。
 単にカジノ誘致にお墨付きを与える形式的な手続きであってはならない。依存症などのリスクを多面的に検証する必要がある。


水銀規制の水俣条約発効 日本が世界の対策主導を
 水銀の使用や輸入を国際的に規制する「水俣条約」が発効した。水銀による健康被害や環境汚染を防ぐ国際的な枠組みが、本格始動する。
 条約名には、水俣病のような水銀被害を二度と起こさないとの決意が込められている。提案した日本は世界と手を携え、脱水銀社会への歩みを着実に進めていかねばならない。
 水銀は人への毒性が強く、神経障害などを起こす。環境に排出されると、分解されないまま世界を循環するやっかいな物質だ。このため、2013年10月に熊本県で開かれた国際会議で水俣条約が採択された。
 発効に伴い、限定された用途以外の水銀の輸出入が禁止され、既存の鉱山からの採掘も15年以内にできなくなる。蛍光灯や電池など一定量以上の水銀を含む製品の製造や輸出入も、20年末までに原則禁止される。
 日本は条約の締結に先立ち、国内法を整備した。蛍光灯の製造禁止などは条約の規定より3年早める。
 国内対策では、一般家庭などに残されている体温計など水銀含有製品の回収と適正処理が課題となる。水俣病が発生した熊本県でも、回収率は約1割にとどまるという。住民などへの一層の周知が必要だ。
 国内で回収された水銀の多くはこれまで、輸出されてきた。政府は特定用途での輸出を今後も認める方針だが、水銀被害を防ぐ条約の趣旨に照らせば、全面禁止すべきだ。
 途上国の小規模な金採掘では、鉱石から金を抽出する際に水銀が使われている。貧困層が従事していることから、経済的な影響も考慮し、条約は禁止には踏み込まなかった。日本を含む国際社会の継続的な支援が欠かせない。
 水俣病を経験した日本には、水銀の環境への排出を削減したり廃棄物から水銀を回収したりする技術がある。積極的に提供することで、世界の水銀対策に貢献できるはずだ。
 9月には水俣条約の第1回締約国会議がスイスで開かれる。胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんらも参加し、水銀被害の根絶を訴える。
 水俣病の公式確認から60年余が過ぎても、いまだに被害の全体像は未解明のままだ。裁判闘争も続く。
 水俣の教訓を世界と共有すると言うのなら、政府は足元のこうした問題解決にも真摯(しんし)に取り組むべきだ。


「水俣条約」発効  脱水銀への道筋示そう
 水銀の環境排出と健康被害を防ぐ国際ルール「水銀に関する水俣条約」が発効した。発効に伴い、水銀を含んだ製品の製造や輸出入が2020年までに原則禁止されるほか、15年以内に水銀鉱山からの採掘もできなくなる。
 「公害病の原点」とされる水俣病の被害を繰り返さないようにという日本政府の提案で名称が決まった経過を忘れてはならない。熊本県水俣市にある工場がメチル水銀を含む排水を水俣湾に流し、魚や貝類を長期間食べた人々に深刻で広範囲の健康被害を及ぼした。今も認定患者数は熊本、鹿児島両県で2282人いる。
 水俣病という苦い経験をしたわが国は、世界の脱水銀化のために技術面で貢献し、行動でも規制の先頭に立つ必要がある。
 金属では常温で唯一、液体である水銀は化学特性から鉱工業などで広く利用されてきた。強い毒性があり、水俣病後も世界中に健康被害が広がったことから、国連環境計画(UNEP)が01年から調査に取り組み、13年に水俣市で開いた外交会議で水俣条約が採択された。74カ国・地域が批准している。
 条約は、新しい水銀鉱脈の開発を禁止するほか、特定用途以外の水銀の輸出を規制する。
 しかし、アフリカや南米、東南アジアの発展途上国では、現在でも小規模な金採掘場で水銀が広く使用されている。こうした採掘現場での使用規制が課題となっている。
 河川に水銀を含む廃液や汚染土が流入している地域があり、海洋を回遊するクジラやマグロまで汚染している。食を通じて人への影響も懸念され、世界規模で水銀需要を減らす努力は待ったなしの状況だ。
 欧米では水銀輸出を禁止する国が増えているのに、日本は余った水銀を輸出している現状を改めたい。
 血圧計や体温計、電池の水銀回収が進む中で、今も年に100トン前後を輸出しているという。
 蛍光灯からLED灯への切り替えも契機となる。蛍光灯から取り出した水銀をどう処理し、確実な国内保管につなげるのか。不法投棄はあってはならない。
 条約締結国は来月24日からスイス・ジュネーブで第1回会議に臨む。日本は水俣病の教訓や汚染地の復興の取り組みを語ってほしい。併せて、水銀に頼らない社会の在り方について経験国として発信してもらいたい。


水俣条約 悲劇伝え実効性高めよ
 水銀による環境汚染や健康被害の防止を目指す「水俣条約」がきのう発効した。鉱山での産出から輸出入、工業での使用、廃棄まで全ての過程を国際的に規制する。水俣病の原因となった水銀汚染の根絶に向け、ようやく出発点に立ったといえる。
 人体への毒性が強い水銀は、日本国内での使用は減ったものの、アジアやアフリカの新興国・途上国では排出が増え、今も深刻な健康被害がもたらされている。今後はこうした国々にも規制の網を掛ける。世界規模で汚染拡大を防ぐ対策が強化されるべきである。
 水銀に関する水俣条約は2013年、141カ国・地域が参加し、熊本市での外交会議で採択された。これまでに最大の排出国である中国など74カ国・地域が締結している。「水俣病を教訓に水銀被害を繰り返さない」という決意を込め、条約名は日本政府が提案したという。
 一定量以上の水銀を含む体温計や電池などの製造、輸出入を20年までに原則禁止する。水銀の大気や水、土壌への排出削減と適切な保管と廃棄を定める。発効後は新たな水銀鉱山の開発を禁じ、15年後には既存の鉱山でも採掘できなくする。生産そのものを禁じるのだ。
 規制を求めてきた関係者には悲願の国際条約ともいえよう。ただ「踏み込み不足」との批判もあり、万全ではない。
 その一つが、途上国の小規模な金採掘場に対する規制だ。そこでは金鉱石の精錬に水銀を使う。削減努力を求めるものの、年限は定めておらず、直ちには禁止していない。貧困にあえぐ途上国の人たちにとって金の採掘が貴重な収入源になっている現実があるからだ。
 そうした現実を変えずして禁止は難しいという判断は分からなくもない。だが、最大の汚染源とされ、健康影響が大きいことも分かっている。しかも児童労働が多く、健全な成長を妨げる恐れもある。人道的見地からすぐに禁止すべきだ。条約に実効性を持たせるには、水銀を使わない技術開発の支援なども不可欠だろう。
 輸出の道が残されていることにも疑問が残る。条約では輸入国側に水銀を利用する用途がある場合は輸出できるようになっている。日本も使用済み蛍光灯などから水銀を取り出して輸出している。「水俣病の教訓」などと言うのであれば、全面禁輸に取り組むのが筋だ。
 来月スイスで第1回締約国会議が開かれる。各国の担当閣僚らが確実な実施に向けて議論する。熊本県水俣市から、胎児性患者の坂本しのぶさんも訪れ、被害の現状を訴えるという。きのう坂本さんは記者会見し、「水俣病が終わっていないことを言いたい」と語った。各国の事情が絡み、時間がかかる規制強化に対し、一刻の猶予も許されない健康被害の側面から、根絶を訴える声は力を持つ。
 水俣病は、公式確認から61年が過ぎた今も約2千人が患者認定を申請中だ。認定や賠償を求める訴訟も続いている。日本政府は水俣病患者が求める健康調査を怠り、被害の全容は今も分からない。
 なぜ発生し、なぜ被害拡大を防げなかったのか―。政府は、学んだ「負の教訓」全てを国際社会に知らせ、条約の実効性を高める先頭に立つべきだ。


【水俣条約発効】日本は主導力を発揮せよ
 水俣病を引き起こした水銀の健康被害や環境汚染を防ぐ「水銀に関する水俣条約」が発効した。
 水銀の採掘から製品の製造・輸出入、管理などを包括的に規制する。日本をはじめ約70カ国と欧州連合(EU)が締結し、水銀被害の根絶へ動きだす。
 熊本県水俣市の工場から海に排出されたメチル水銀を原因とした水俣病が、公害病に認定されてから半世紀。今も苦しむ患者らは条約を「出発点」と訴える。着実な実現へ、日本はリーダーシップを発揮しなければならない。
 条約は2013年、熊本市で開かれた国連会合で採択された。条約名の「水俣」は日本政府が提案した。水俣病の惨禍を繰り返さないという誓いが込められた。「ミナマタ」の教訓を世界に発信し、国際社会に一層広げてほしい。
 水銀は自然界で分解されず、環境を汚染。その汚染された魚介類を食べるなどした住民が神経障害を来し、手足のしびれなどを起こす。
 その危険性をどう取り除いていくか。条約は、水銀を含む電池などの製造、輸出入を20年までに原則禁止するほか、土壌などへの排出削減や適正な保管・廃棄などを定め、発効から15年以内に鉱山からの採掘自体を禁じる。
 先進国で水銀の使用は減る半面、発展途上国では小規模零細な金採掘場などで触媒として使われ続けている。10年時点で世界の水銀の大気への排出量は約1960トン、その約半分がアジアという。そこでは貧しい労働者や子どもたちが働き、水銀中毒の危険にさらされている。
 条約は採掘場での「削減」を求めるにとどまり、禁止に踏み込まなかった。金採掘が「生活の糧」になっているからだ。水銀の有毒性の知識も広がっていない。ミナマタの教訓が届いていない。
 そうした途上国に対し条約は、日本などが拠出する資金援助の仕組みを構えた。日本は培ってきた水銀処理技術なども生かし、汚染対策に貢献すべき使命がある。
 条約が実効性を上げるには課題は少なくない。水銀の排出削減の数値目標の設定や、被害補償などを汚染源の企業などに負わせる「汚染者負担の原則」も見送られた。各国の利害がぶつかったためだ。再考すべきテーマだ。
 「水俣病は終わっていない」。9月にスイスである第1回締約国会議に参加する水俣市の胎児性患者の坂本しのぶさん(61)は、自力歩行もできない不自由な体を押し、世界にミナマタを訴える決意だ。
 熊本、新潟両県の水俣病では、今も多くの患者が苦痛にあえぎ、賠償などの法廷闘争も続く。高齢化も深刻化している。政府はその救済責任を果たさなければ、国際社会で説得力を持ち得まい。
 日本は戦後復興、高度経済成長の陰で公害という「負の歴史」を刻み、今に至る。ミナマタは国民全体で向き合うべき命題である。


[水俣条約発効] 水銀規制へ経験生かせ
 水銀による環境汚染や健康被害の防止を目指す「水銀に関する水俣条約」がきのう発効した。
 水銀を「世界的に懸念される化学物質」と明記し、鉱山での産出から輸出入を経て使用、廃棄まで全ての過程を国際的に規制するものだ。
 水俣病は「公害病の原点」だ。日本は被害の深刻さを一層広めるとともに、汚染が深刻化する発展途上国を積極的に支援することが求められる。
 条約は水俣病の教訓と、同様の被害を将来発生させないことに言及している。
 具体的には、水銀を含む体温計や電池などの製造、輸出入を2020年までに原則禁止し、水銀の大気や水、土壌への排出削減や適切な保管と廃棄を定める。
 水銀は水俣病の教訓などから先進国での使用が減っているものの、途上国を中心に金の採掘や触媒などとして利用されている。10年の排出量は計1960トンに上り、うち約半分はアジアだ。汚染被害は後を絶たない。
 水銀を使う途上国に対して、その危険性を伝え、使用の規制を後押ししなくてはならない。
 世界各国に条約の趣旨を訴え、6月末で69カ国を数える締約国を増やす必要もある。
 条約発効で一定の用途以外の水銀輸出は規制される。このため、電池などからリサイクルした水銀を輸出してきた日本は、保管技術の研究をはじめ国内で処理する仕組みづくりが急がれる。
 条約は13年に熊本市で開かれた国際会議で採択され、日本は16年に締結した。
 9月にスイスで開かれる第1回締約国会議には、熊本県水俣市の胎児性水俣病患者、坂本しのぶさんらが出席して被害の実態を訴える予定だ。15歳だった1972年6月、スウェーデンで開かれた国連人間環境会議に参加し、不自由な身をもって水銀被害を世界に伝えた人だ。
 きのう会見した坂本さんは「水俣病が終わっていないことを言いたい」と決意を述べた。
 こうした訴えが、条約の実効性を高めることを願う。
 一方、国内では水俣病公式確認から今年で61年たつが、患者認定を待つ多くの人がいる。国や原因企業チッソに賠償を求める訴訟も続いている。
 条約の名称は日本政府が提案し、「日本最悪の公害病である水俣病の被害を繰り返さないように」との思いが込められている。被害の全容を明らかにして解決の道筋を描かなくては、その願いを実現することはできまい。


憲法改正論議 「改憲ありき」見直しを
 2020年の改正憲法施行を掲げ、今秋の臨時国会に自民党改憲案の提示を目指すとしていた安倍晋三首相が、今月3日の内閣改造後の記者会見で「スケジュールありきではない」と述べ、改憲に前のめりだった姿勢を後退させた。
 改憲は安倍首相の悲願だが、加計(かけ)学園問題などで首相に対する国民の不信が募り内閣支持率が低迷する中、強引に突き進むのは困難と判断したのだろう。
 同じ日の自民党新執行部の就任会見でも「慎重な上にも慎重に」(二階俊博幹事長)、「党内での丁寧な議論が必要」(岸田文雄政調会長)などと改憲日程にブレーキをかける発言が相次いだ。同党改憲案の提示は先送りされる方向だ。
 首相は今年5月の憲法記念日に改憲派の集会にビデオメッセージを寄せ、20年の施行目標を示した上で、戦争放棄などを定めた9条に自衛隊の存在を明記する条文を追加するよう提案。自民党総裁として党内議論と国会での議論を加速させるよう促したが、その提案はかなり唐突なものだった。
 自民党が12年にまとめた憲法改正草案は、陸海空軍を保持しないとする9条2項を改正して自衛権を明記し、9条の2として「国防軍」の創設をうたっている。首相は、9条2項は変えずに自衛隊を書き込む案なら、国防軍案より賛同を得やすいと見たのだろうが、機関決定した改正草案を総裁自らがないがしろにする行為だ。
 何のために憲法を変えるのかという前提が欠け、改憲すること自体が目的化しているかのようだ。党内からもこうした異論が出ているが、自民党は首相の提案に沿って改憲案の議論を進めている。「日程ありき」を思いとどまったのだから、ここは改憲が自己目的化した「改正ありき」も見直して中身の議論をやり直す必要がある。
 首相の提案は戦争の放棄と戦力不保持を定めた9条1、2項は変えず、自衛隊の存在を条文に明記するもの。首相は国会で「(自衛隊への)制約は基本的に変わらない」と答弁した。だが事はそう簡単ではない。多くの憲法学者が違憲性を指摘する集団的自衛権行使の限定容認との関係で、自衛隊の活動を明確に制限できるのか、拡大解釈の余地があるのではないかとの懸念が消えないからだ。
 共同通信社が内閣改造を受けて行った世論調査では、安倍首相の下での憲法改正については反対が53・4%に上り、賛成の34・5%を大きく上回った。内閣支持率は7月から上昇し44・4%になったものの、不支持率(43・2%)と拮抗(きっこう)している。
 首相が支持率回復を待って再び改憲に突き進むことは間違いないだろう。だが、改憲自体が目的化したような状況は異様である。何のために改正する必要があるのか、首相は原点に立ち返り、党内の異論や野党の主張に真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。


低温と日照不足/やませ克服へ万全の対策を
 「ヒデ(ド)リノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」。詩人の宮沢賢治が「雨ニモマケズ」に書いた一節を思い出させる今年の夏である。
 県内は8月に入り、中通りや浜通りを中心に日照時間が少なく、気温の低い状態が続いている。天候不順が長引けば、農作物に大きな被害をもたらす恐れがある。田畑の管理や防除など先手、先手の対策を講じていきたい。
 本県など東北地方は、今月2日に梅雨明けしたが、太平洋側で曇りや雨の天候が続き、肌寒い夏となっている。大きな要因はオホーツク海高気圧から「やませ」と呼ばれる冷たく湿った東寄りの風が流れ込んでいるためだ。
 やませは、古くから不作を生む風として、とくに東北地方の太平洋側で警戒されている。賢治のふるさとである岩手県はもちろん、本県もその地域に該当する。福島地方気象台によると、この気圧配置はここしばらく続く見込みだ。十分な注意が必要だ。
 今月1日から15日まで半月間の状況を平年と比べると、日照時間は相馬や浪江、飯舘が1〜2割、福島が3割、郡山、白河、小名浜が5割程度と大幅に少なくなっている。最高気温の平均も中、浜通りで軒並み平年を下回っている。
 このため県は、日照不足や低温に関する技術情報を出して、農家に注意を呼び掛けるとともに、農林事務所やJAの職員らが技術指導に乗り出した。
 県によると、水稲は天のつぶやひとめぼれが穂を出す「出穂」を終えており、主力品種のコシヒカリがまっただ中にある。開花・受粉を経て成熟に向かうなか、天候不順はいもち病などの発生が心配される。適切な水管理や防除を心がけ、出来秋を迎えたい。
 心配なのは水稲だけではない。果樹王国である本県は、ピークのモモに続いて、ナシ、ブドウ、リンゴと収穫が続く。キュウリ、ナス、トマトなどの野菜も天候が回復しなければ出荷遅れや病気などが懸念される。
 過去の冷害をみると、梅雨時期からの長期にわたるやませの影響に加えて、病気が発生するなど複数の要因が重なって大冷害になることが多かった。
 今夏は、7月が猛暑だったことなどこれまでの冷害年とは状況が異なっており、冷害に強い品種改良も進んでいる。
 県は、天候が回復すれば、深刻な被害が出る状況ではないとみているが警戒は怠れない。関係機関と生産者が連携を強め、万全を期すことが肝心だ。


経産省「施錠」 取材規制は即時解除を
 経済産業省が執務室のドアに鍵を掛け、取材記者らの立ち入りを規制してから間もなく半年になる。
 施錠はメディアの活動を制約し、国民の知る権利を損なう心配が大きい。直ちに中止するよう、世耕弘成経産相に求める。
 始まったのは2月27日だった。原則として執務室の全部のドアに日中の勤務時間中も電子ロックを掛けた。
 記者や来訪者が各課や各室を訪ねるときは、庁舎内の内線電話から連絡してドアを開けてもらい、会議室など指定された場所で職員と話をしている。
 突然の措置だった。経産側からは「機微な情報を各課で共有しており、情報管理の上で必要」とする以上の説明はなかった。
 経産省は施錠に合わせて取材対応のルールも厳格化した。職員が取材に応じるときは別の職員が同席、内容はメモして広報室に報告する仕組みになった。
 施錠の主な目的が取材活動の規制にあるのは明らかだ。
 経産省記者会は施錠を撤回するよう何度も求めている。職員が取材に消極的になったり、応じなかったりする傾向が出ているためだ。記者会の要求は経産側に拒否されたままだ。
 行政機関が持つ情報は本来国民のものである。「国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進」をうたう情報公開法に照らしても、秘密にするのは最小限にすべきだ。
 今のところ全執務室に鍵を掛けているのは経産省だけだ。慎重な扱いを要する情報が多い外務省や財務省でも一部にとどまる。経産の対応は突出している。
 情報が漏れると困るというのなら、書類を引き出しやロッカーに入れて鍵を掛ければ済む。「情報管理の上で必要」という言い分は説得力がない。
 安倍晋三政権になってから、情報を国民に対し隠す傾向が強まっている。南スーダンPKOの陸上自衛隊日報は当初、「廃棄」を理由に開示されなかった。大阪の学校法人森友学園に対する国有地売却で財務省は「資料は破棄した」との説明を押し通した。
 経産省の施錠をきっかけに、国家公務員の目が国民ではなく、時の政権の方にだけ向く傾向が強まらないか心配になる。
 経産省は自治体や企業と情報を交換しながら仕事をする風通しのいい官庁として知られてきた。外部に対して扉を閉ざすようでは強みを自ら損なうようなものだ。


受動喫煙防止 健康被害直視し法整備を
 受動喫煙が原因で亡くなる人は年間1万5千人と推計される。交通事故死者の約4倍にもなる。健康被害を直視し、一刻も早く法整備をして対策を強化すべきだ。
 政府は受動喫煙対策を強化した健康増進法改正案について、自民党との間で調整がつかなかった例外で喫煙を認める飲食店の広さを盛り込まず、政令で規定することにした。
 広さの線引きは法の公布から2年以内に政令で定める。9月にも自民党の担当部会に示し、秋の臨時国会に提出を目指す。対立点を先送りし、法整備を優先させる。
 改正案は多くの人が利用する施設での喫煙を原則禁止とした。違反を重ねた場合は罰金を科す。飲食店、事務所、集会場は屋内禁煙としつつ喫煙室の設置を認める。個人の住宅、旅館・ホテルの客室は喫煙可能とした。
 現行の健康増進法は病院や官公庁、飲食店などの管理者に受動喫煙防止に対策を取るよう求めるが罰則のない努力規定だ。世界保健機関(WHO)は日本の対策を4段階評価の最低ランクに位置付けている。
 改正案は、多くの人が集まる施設を原則禁煙とした点や、罰則を設けた点が対策強化の観点から評価できよう。
 国際オリンピック委員会(IOC)とWHOは、たばこの煙は有害だとして「たばこのない五輪」を推進し、近年の開催地は罰則付きの法律や条例で公共施設などの屋内喫煙を禁じてきた。
 こうした経緯を踏まえると、政府が目指す東京五輪前の法改正は当然であり、むしろ急がねばならないといえよう。
 ところが厚生労働省と自民党との間で調整がうまくいかず法案は通常国会に提出できなかった。例外とする飲食店の線引きで折り合いが付かなかったからだ。
 厚労省は激変緩和措置の数年間を経て、喫煙を認める例外を約30平方メートル以下の小規模なバーやスナックに限定する考えだった。
 自民党は例外を150平方メートルまで広げ、店頭に「喫煙」「分煙」と明示すれば、店の業態に関係なく喫煙可能とする対案を示した。
 自民党の反対派は喫煙者の吸う権利とタバコ農家保護、税収への影響とともに「飲食店の売り上げ減少」に配慮するよう強調する。
 全面禁煙と飲食店の売り上げの相関関係調査では減ったとの回答が4%で、変わらないが95%だった。レストランチェーンでは3カ月で売り上げが回復したという。
 厚労省は、広範な例外措置を恒久的に認めるのは受動喫煙の被害を助長し、国民の理解も得られないと訴えた。
 専門家の中には「ここまで健康被害が明らかなのに反対するのは不作為どころか殺人行為だ」との厳しい指摘がある。
 自民党も受動喫煙対策強化自体には賛成が多いという。ならば原則を重視し、できるだけ例外を設けない方向での対応が望まれる。
 懸念する経済的影響は最小限にとどめられるよう厚労省と知恵を絞ってほしい。命と健康を守ることを何より最優先すべきだ。


加計問題追及/丁寧な説明の中身次第だ
 加計学園の獣医学部新設計画を巡り、文部科学省の記録文書が明るみに出て3カ月が過ぎた。「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っていること」を盾に内閣府が文科省に認可手続きを早めるよう迫ったとあり、これをきっかけに野党の追及は熱を帯びた。さらに前川喜平前文科次官が国会などで文書の内容を裏打ちする証言を重ねた。
 安倍晋三首相の友人である加計孝太郎氏が理事長を務める学園が国家戦略特区に指定された愛媛県今治市での事業者に選定された過程にさまざまな疑問が噴き出し、内閣支持率は急落。首相は低姿勢に転じて「丁寧な説明」を誓い、衆参両院で閉会中審査が開催された。だが納得のいく説明はなかった。
 それどころか、自ら議長を務める特区諮問会議で今年1月20日に事業者に決定されるまで学園の新設計画を知らなかったとする首相答弁に不自然さが指摘された。特区のホームページで公開されたワーキンググループの議事要旨が実際の内容とは食い違っていることも明らかになった。
 お盆休みを挟み、攻防は続く。内閣改造で支持率はやや持ち直したとはいえ、信頼回復への道は遠い。これまで公の場に姿を見せず、口を閉ざしている加計氏の国会招致や、関係府省の記録洗い直しなどに対する政府、自民党の姿勢が鍵となるだろう。
 首相は、加計氏が米国留学時代から数十年来の友人で年に数回は食事やゴルフを共にする間柄と認めている。加えて加計氏はたびたび首相官邸を訪ね、首相も学園関連の式典に出席。昭恵夫人は学園系列の認可外保育施設の名誉園長に就任したことも知られている。
 閉会中審査で首相は学園の獣医学部新設計画を知ったのは今年1月20日と説明。過去には学園が今治市とともに特区に申請した2015年6月に計画を知ったととれる答弁をしていたが、これを訂正した。ただ加計氏は昨年1年間で少なくとも7回、首相と食事やゴルフを共にし、8月の内閣改造後には農相や文科相、地方創生担当相に立て続けに面会している。
 一部の面会で加計氏は新設計画に言及。首相だけ最後まで知らなかったことになるが、関係業者からの供応接待を禁じた大臣規範に抵触しないよう、つじつまを合わせたとの見方も出ている。
 さらに、やはり15年6月に特区ワーキンググループが行ったヒアリングの議事要旨には、学園幹部の出席や発言を載せないなどの修正が施されていた。グループ側は「今治市の説明補助者で、公式な発言も認めていない」とした。要旨修正の是非はともかく、少なくとも、この時点で学園が今治市とともに計画を進めていたのは明らかだ。
 首相答弁の不自然さなどを解明するには加計氏の証言が欠かせない。また関係府省、中でも特区担当の内閣府の記録洗い直しが求められる。
 内閣府は、文科省とのやりとりの記録はないとし、やはり獣医学部新設を目指した京都産業大の提案を比較検討した際の議事録も「内部の議論だったため、取っていない」としているが、文科省で再調査により次々と文書やメールが出てきたのは記憶に新しい。「丁寧な説明」の中身が問われている。


NHKに続きTBSも日本軍の残虐行為を検証報道! 綾瀬はるかが毒ガス兵器製造に関わった元兵士をインタビュー
 先日、本サイトでは、8月13日に放送されたNHKスペシャル『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』について紹介したが、もうひとつ、TBSでも日本の加害責任に言及した特集が組まれた。15日放送の『NEWS23』が、日本軍が中国でおこなった毒ガス戦を取り上げたのだ。
 特集タイトルは、「綾瀬はるか「戦争」を聞く〜地図から消された秘密の島〜」。「綾瀬はるか「戦争」を聞く」は2010年からつづいているシリーズで、広島県出身で、自身の祖母も被曝し、原爆で大伯母を亡くしたという被曝3世の綾瀬が戦争の証言者を訪ねるという趣旨のもの。そして今年は、戦時中、毒ガスの製造所があった島・広島県大久野島で、毒ガスの製造にたずさわったという男性・藤本安馬さんの証言を紹介した。
 藤本さんは現在91歳だが、15歳のときに「お金をもらいながら勉強ができる」と聞き、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所」に入所。しかし、これがじつは毒ガスの製造所だった。毒ガスの使用は国際条約で禁止されていたため、島の存在は地図からも消され、藤本さんも島でのことを口外しないという誓約書を書かされたという。
 この毒ガス製造所で藤本さんがつくっていたのは、「死の露」とも呼ばれるびらん性の猛毒・ルイサイト。しかし、その製造過程は杜撰なもので、製造中に毒ガスを吸ったり、猛毒を製造していることを知らずに動員された女学生が漏れ出した原料に触れるなどしたという。結果、この島で毒ガス製造にかかわり亡くなった人の数は3700人以上にものぼる。
 だが、藤本さんは製造にかかわった当時の意識を、こう語る。
「中国侵略戦争に勝利するために毒ガスを造るわけですから、たいへん名誉なことである、英雄である、という気持ちで毒ガスを造りました」
 特攻隊をはじめとして、戦時中、日本軍は自国の人命をとことん軽視するばかりか、「お国のために」命を捧げることを美化してきたことは周知の通り。そして、藤本さんはいまなお、毒ガス製造にたずさわったことによる健康被害と闘う、戦争の被害者だ。
 しかし、被害者である藤本さんが口にするのは、「加害者」としての責任だ。
「事実を曲げることはできません。毒ガスをつくった、中国人を殺した事実は曲げることはできません。(それが)英雄であったということを曲げることもできません。それは事実であります」
綾瀬はるかに元兵士が「私は中国人を殺すために毒ガスをつくった」と
 藤本さんはいまでもルイサイト製造の方程式をしっかりと覚えている。そのことに対し、綾瀬は「戦後70年以上経っても、いまも方程式を覚えているのはなぜですか?」と尋ねると、藤本さんはこう語った。
「この方程式は絶対に忘れてはならない。忘れることができない。それはなぜ──本来、勉強というのは、人間が生きるために勉強する。私は、生きるために勉強したのではなくて、中国人を殺すために毒ガスをつくった。いわゆる、犯罪者」
「方程式を忘れるというのは、犯罪の根拠を忘れる、犯罪の根拠をないことにするということになるわけですから、絶対忘れてはならない」
 15歳の少年が、何も知らないまま連れて行かれた工場で毒ガスの製造を命じられ、それに従った。当時の状況を考えればそうするほかなかったはずだが、藤本さんはそれでも「中国人を殺すために毒ガスをつくった」自分のことを「犯罪者」と言うのだ。
 しかも、藤本さんは2004年、1942年5月27日に日本軍が毒ガスを使用した中国河北省にある北坦村に赴き、直接、毒ガスの被害者に謝罪をおこなっている。この村では、日本軍の急襲を受けて村民たちは地下洞に避難したが、ここに日本軍は毒ガスを投げ入れ、1000人にものぼるという人びとを死に至らしめた。藤本さんはその地で、自分は毒ガス製造にたずさわったことを告白し、被害者たちに謝罪したのだ。
 番組では、このときの日本軍の毒ガスによって、きょうだい4人を亡くし、いまも「妹の手を離した」ことを悔やみつづけている現地の被害者の男性を取材。藤本さんの謝罪について「非を認めて正直に話してくれてよかったです」と述べる一方、「彼も戦争の被害者です。みんな被害者なんです」と語った。
 原爆や沖縄地上戦、本土空襲によって、日本では多くの人びとが犠牲となった。だが、被害者であるだけではなく、他国で同じように生活を営む罪のない民間人を殺してきた加害者でもある。そのことを認めず、加害責任と向き合わないまま、「アジア解放のため」だの「自衛のためには仕方がない」だのという戦争の正当化を強弁しているだけでは、同じ過ちを繰り返すのは必定だろう。
 だからこそ、藤本さんは戦争による被害に苦しみながらも、加害を認めて「犯罪者」だと言う。藤本さんだけではない。やはり毒ガスの製造にかかわったことを証言する人、中国で毒ガスを使用したことを懺悔する元日本兵……多くの人たちが戦争を直視し、罪を背負っている。
日本軍の残虐行為をなかったことにしようとしてきた安倍首相
 特集の最後にキャスターの星浩は、このように総括した。
「戦争というのは大きな被害を生む一方で加害の積み重ねでもある。一人ひとりが加害について振り返ることは非常に必要だが、そこでいちばん重要なのは政治指導者が加害の歴史をきちっと見つめて、それを反省して、後世に伝えていくこと」
 だが、その政治指導者である安倍首相にそんな姿勢はみじんもない。安倍首相は15日の終戦の日におこなわれた全国戦没者追悼式で、案の定、加害責任および反省を口にすることはなかった。第一次安倍政権時の2007年には歴代首相と同様に「多くの国々、とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えました」とふれていたが、第二次安倍政権以降は一言も言及していない。
 それは、「もう謝ったから」などという理由ではない。安倍首相自身が過去の日本軍が犯した残虐行為を悪いとはまったく思っておらず、むしろ、積極的になかったことにしようとしているからだ。
 実際、安倍首相と思想がぴったり一致するという稲田朋美は、2014年10月3日の衆院予算委員会で、強制連行や731部隊、そして毒ガス被害の裁判について取り上げ、「事実に反して証拠もないのに、日本の戦時中の加害事実がどんどん書かれることは、非常に日本の名誉を毀損することだ」と述べている。強制連行も731部隊も毒ガス問題も、「事実に反する嘘」だと言ってのけたのだ。
 このような人物が防衛相だったと思うとあらためて背筋が凍るが、安倍首相も侵略による加害行為を正当化していることは、過去の発言や戦後70年談話からもあきらかだ。
 そして、この安倍政権の歴史を捻じ曲げ、加害責任に蓋をする姿勢に呼応して、テレビは終戦記念日にも、日本軍が他国に対しておこなった残虐行為にほとんどふれようとしなくなった。たとえば、戦後70年という大きな節目の年の2015年、NHKは戦争特集番組を例年よりも多く放送したが、加害行為に言及した番組はひとつもなかった。
今年、テレビはなぜ、日本軍の加害責任に言及できたのか
 そういう意味では、今年、NHKスペシャルが731部隊の人体実験を検証する番組を放送し、『NEWS23』が毒ガス兵器製造を取り上げたことは、特筆に価する。
 とりわけ、NHKスペシャルの『731部隊の真実』では、満州でいかに残虐非道な人体実験がおこなわれていたのか、発掘した音声記録によって事実を裏付けたが、それだけでなく、現在の安倍政権が軍学共同政策で科学者を軍事に誘い込む同じ構図をつくりあげていることにまで踏み込んだ。加害の事実と、現在進行形の問題であることを暴いたのだ。
 背景にはおそらく、支持率低下によって安倍政権の求心力が弱まるとともに、メディアへの圧力も一時ほどではなくなっているということはあるだろう。そういう意味では、権力が弱らないと、戦争の歴史的真実すら報道できない日本のマスコミの脆弱さの証明とも言えるが、しかし、だとしてもこの報道は大きな意味がある。
 何度でも繰り返すが、被害だけではなく同時に加害の事実を受け止めなければ、戦争を繰り返さないという誓いは立てられない。歴史を都合良く修正し、さらにはメディアを恫喝しながら戦争のための法整備に突き進んできた安倍首相に対しては、いまからでも、その政策の行き着く先が何であるか、危険性をしっかり報じるしかない。そうしたなかで、今回のTBS『NEWS23』やNHKスペシャルが見せた姿勢は、歓迎すべきものだ。この動きが、テレビメディアにさらなる風となることを期待したい。(編集部)

朝4時にできたけど/鹿児島本線→山陽本線で防府

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Japon: une tortue géante retrouvée à 140m du zoo après une escapade de deux semaines
Tokyo - Une tortue géante qui s'était sauvée d'un zoo japonais il y a deux semaines a été retrouvée saine et sauve mercredi à 140 mètres de là.
Nommée Abuh, cette femelle de 35 ans mesurant un mètre de long s'était évaporée du parc animalier de Shibukawa (préfecture d'Okayama) début août, après avoir été autorisée à se promener en liberté pendant les heures d'ouverture.
Les gardiens du parc, incapables de retrouver la tortue, avaient offert une récompense de 500.000 yen (environ 3.800 euros) à celui qui permettrait son retour.
Leur stratégie a payé, puisque le reptile de 55 kilos leur a été signalé, aperçu dans un massif non loin de là.
"Nous étions si soulagés qu'elle revienne en sécurité, car elle est très aimée des enfants", a déclaré Yoshimi Yamane, membre du personnel du zoo, ajoutant que la tortue Abuh était d'un naturel "doux".
"Nous allons essayer de prendre de nouvelles mesures pour faire en sorte que cela ne se reproduise pas", a ajouté Yoshimi Yamane, sans donner plus de détails.
C'était la deuxième fois en un mois qu'Abuh disparaissait. Son retour au zoo a fait les gros titres des journaux télévisés de la chaîne publique NHK.
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朝4時に目が覚めてあれこれしてできたけどでもイマイチ.しばらくベッドの上でダラダラして10時前にチェックアウト.
駅でお土産をみて赤煉瓦文化館と旧福岡県公会堂貴賓館を見てみました.
鹿児島本線と山陽本線を経て5時前くらいに防府につきました.観光する時間はないだろうと思いましたが案内所で少しお話を聞きました.山頭火が生まれた地であり,天満宮や国分寺があってあっという間に夜になってしまいました.

亘理町で鎮魂の灯ろう流し
東日本大震災から7回目のお盆を迎えた15日、津波で大きな被害を受けた亘理町では、犠牲になった人などを供養する灯籠流しが行われました。
亘理町では、この時期に荒浜漁港を会場に毎年開かれている夏まつりにあわせて、町で亡くなった人や魚などの霊を供養するための法要や灯籠流しが行われています。
東日本大震災の後はおよそ300人の犠牲者の供養も行われていて、震災から7回目のお盆を迎えた15日夜は、震災からの復興や亡くなった人への鎮魂の願いを込めたおよそ1300個の灯籠が漁港がある湾の中に流されました。
小雨の中で、訪れた人たちはみなもをうっすらと照らしてかすかに揺れる灯籠を見つめていました。
名取市から訪れた60代の女性は、「病気で亡くした夫と、震災の津波で亡くなった姉の夫のことを思いながら灯ろうを見ていました。
『元気でやっていますよ』と伝えたいです」と話していました。
また、会場では震災からの復興を願って打ち上げられたおよそ3000発の花火が夜空を彩りました。


<亘理夏まつり>雨なんのその 復興の掛け声
 宮城県亘理町の「ふるさと夏まつり」(町観光協会主催)が15日、同町の荒浜漁港周辺であり、勇壮な山車のパレードや東日本大震災の犠牲者の鎮魂を祈る灯籠流しが行われた。復興を願う大勢の町民や帰省客が、雨を押して参加した。
 午後6時すぎに始まったパレードには町民約400人が参加。威勢のよい掛け声とともに、800メートルを山車6基と練り歩いた。町職員らは亘理伊達家の初代当主伊達成実をたたえる「成実ばやし」を踊った。
 灯籠流しは町民らが作った灯籠約1300個を鳥の海湾に浮かべ、震災犠牲者の霊を静かに慰めた。
 荒浜の実家に帰省した仙台市太白区の会社員加藤一昭さん(41)は「雨の中、パレードの参加者が祭りを盛り上げてくれた。少しずつ復興が進んでいると感じられた」と笑顔で話した。


仮設団地で夏祭り 住民ら交流
いまもおよそ60世帯が暮らす、名取市の仮設団地で16日、夏祭りが開かれ、仮設住宅や地域の住民が集まって交流を深めました。
夏祭りが開かれたのは、名取市の「美田園第1仮設住宅」です。
会場となった仮設団地の前の駐車場には、仮設住宅や地域の住民のほか、住宅を再建し、すでに仮設住宅から出た人なども集まりました。
会場では地域の人たちによる和太鼓の演奏などが披露されたほか、訪れた人たちには、焼きそばや焼き鳥などもふるまわれました。
このあと、夕方には盆踊りが行われ、集まった人たちが浴衣姿で輪になって踊りながら、夏のひとときを楽しんでいました。
名取市では震災から6年5か月が経ったいまも市内の5つの仮設団地におよそ280世帯が暮らしていますが、住まいの再建に伴って入居者が減っていることから、来年7月までにこの団地を含む2つに集約されることになっています。
この仮設団地に6年以上暮らしている79歳の女性は、「再建して出て行った人にも再会できてうれしいです。早く仮設住宅を出たいという気持ちもありますが、きょうはそれを忘れて楽しんでいます」と話していました。


被災地でお年寄り「数独」に熱中 仮設での教室人気呼ぶ 全国初認定試験も
 東日本大震災で被災した岩手県大槌町のお年寄りの間で、数字パズル「数独」がブームになっている。東京のNPO法人が仮設住宅の集会所などで定期開催する無料教室が火付け役だ。一般社団法人日本数独協会も触発され、9月に大槌で初の技能認定試験を実施する。
 「数独」ブームの仕掛け人は、町内で2013年から高齢者支援に取り組む「ソーシャルハーツ」代表理事の川上誠さん(63)だ。
 縦横9列の升目に、1から9までの数字を列ごとに重複しないよう埋めていくのがルール。知的好奇心を刺激することが認知症予防につながると考え、お年寄りの生涯学習や生きがいづくりにうってつけだと導入した。
 孤立しがちな高齢男性の関心も高く、教室は気軽に顔を出せる交流の場として定着した。16年度は延べ約1100人が教室に通うようになった。
 常連の伊藤正和さん(62)は「頭を使っている感覚があり、面白い」と笑顔。沢舘静さん(78)は「正解したときの達成感が心地よい。みんなと答え合わせするのも楽しい」と語る。
 川上さんが「高齢者にとって適度な難しさの問題集がほしい」と協会関係者に相談したことがきっかけで、今年4月には問題集「じぃじとばぁば ようこそ数独!」が発売された。
 「自分の実力を試したい」と言う高齢者の要望を受け入れ、協会は技能認定制度を創設。縁の深い大槌を初回の会場に選んだ。
 川上さんは「認定試験に挑戦すれば、会場で仲間が大勢いることを実感できるはず。今後も数独を通じて大槌の人と人とをつなぐ役割を果たしたい」と話す。
 試験は町中央公民館で9月9日午前11時から。40分で4問に挑戦し、正解数などに応じて7〜11級に認定される。申し込み方法は、協会のウェブサイトで告知している。


津波に耐えた桜並木伐採 二転三転、住民にしこり
 宮城県気仙沼市を流れる大川支流の神山川(6.9キロ)沿いにあり、東日本大震災の津波に耐えた桜並木。県の河川堤防建設に伴う全60本の伐採計画は地元の反対を受けて二転三転し、17本を残す案で7月に住民と合意した。賛否を巡るしこりを地域に残したまま、9月にも工事が始まる。
 「津波が土手を越える不安がある。17本は残ることになった。歩み寄りが必要だ」。7月28日に市内であった住民説明会で「神山川の桜保存を望む市民の会」の川崎幸雄代表が呼び掛けると、川沿いの住民からは早期の堤防建設を望む声が上がった。
 桜並木は神山川左岸の約600メートル。県は2016年3月の説明会で、津波の越流を防ぐ海抜3.7メートルの堤防を築くため、全ての桜を秋に伐採する案を示した。
 これに対し、川崎代表らは桜の一部保存を求める4700人分の署名を提出。8月になって県は、震災後の地盤隆起を考慮して5本を残すと説明し、伐採時期を先延ばしした。
 さらに、今年6月には堤防の区間を短縮できたとして、17本を残す方針を明らかにした。
 県の「譲歩案」に、大半の住民が堤防の建設賛成に回ったが、桜の一部保存に理解を示す人ばかりではない。
 市内の会社経営の男性(70)は反対を貫く。「津波に耐えた桜を見ようと全国各地から気仙沼を訪れるはずだ。地域の活性化のためには全て残す必要がある」
 津波に遭いながら花を咲かせた桜の伐採は広く関心を集めた。「銀河鉄道999」などの作品がある漫画家松本零士氏も県の計画を批判し、桜を題材にした絵本を出版する。
 復興の象徴としての完全保存か、安全確保を優先した次善の策か。意見の違いは住民の間にあつれきを生んだ。
 28日の説明会に出た50代の女性は「心一つに復興に向かっていた住民の心がばらばらになった。計画を二転三転させ、対立を招いた県の責任は重い」と憤る。
 県は反対住民の声を踏まえ、伐採した桜の移植も検討する。「丁寧に議論を進めてきた。命を守るために堤防を築く県の方針は変えられない」。気仙沼土木事務所の担当者は強調する。
 市幹部は「市民の気持ちが分断されることを最も危惧していた。地元の意見を聞かずに伐採を提案したこと自体に問題がある」と県の姿勢を批判した。


<土崎空襲>戦渦生きた姿紹介 資料展20日まで
 1945年8月14日夜から15日未明にかけて、秋田市土崎地区が米軍の爆撃機で攻撃された土崎空襲の資料展(土崎港被爆市民会議主催)が、同市土崎港西のポートタワー・セリオンで開かれている。20日まで。
 戦時中に住民が着ていた継ぎはぎの国民服のほか、米軍が空襲計画を立てるために作製した土崎周辺の地図など約250点を展示。旧日本軍に召集された若者の出征を祝う日章旗や、空襲前後の町の風景を捉えたパネル写真なども並び、戦渦を生きた住民の姿を伝えている。
 同市の会社員高橋一正さん(44)は「父は戦争の話をしないまま亡くなった。あの時代に起きた事実をしっかりと心に刻みたい」と熱心に資料を見ていた。
 午前10時〜午後6時。入場無料。


<非正規雇用>無期転換可能で雇い止め続発警戒 新制度理解へ労組などPR
 労働契約法の改正に伴い、有期契約の労働者が同じ職場で5年を越えて働き続ける場合、2018年4月以降は無期雇用への転換を申し出ることが可能になる。雇用の安定を目的に導入された制度だが、権利発生を前に「雇い止め」が相次ぐとの懸念が労働組合などに広がる。新制度の周知も課題で、法にのっとった運用ができるかどうか先行きは不透明だ。
 「多くの企業で非正規労働者が雇い止めに遭いかねない。皆さん、声を上げていきましょう」
 仙台市中心部で7月11日、宮城県労連の職員らが横断幕を手に通行人に訴え掛けた。鎌内秀穂事務局長は「新制度はあまりに知られていない。全国では中小企業を中心に多くの問題が起きている」と危機感を募らせる。
 総務省の12年の調査によると、宮城県内の有期契約労働者は25万2400人。県内全労働者の25.9%に当たり、全国平均22.6%をやや上回る。改正法は13年4月に施行され、5年が経過する18年度から無期転換への申請が本格化する見通しだ。
 有期労働者は長年、企業から「雇用の調整弁」として扱われてきた。無期転換への阻止が目的とみられる雇い止めが紛争に発展した例が仙台地裁であり、全国各地でも労使間のトラブルが憂慮されている。
 県労連や宮城労働局には16年末以降、既に十数件の相談が寄せられた。「『来年度の再契約はしない』と約束させられた」「雇用継続には正社員転換の試験に合格する必要があると言われた」といった内容だという。
 人材サービス会社アイデム(東京)が3月に実施したインターネット調査(有効回答1233人)によると、無期転換を申請できる新制度について、非正規労働者の85.7%が「知らない」「内容がよく分からない」と回答。企業側も28.4%が理解不足との結果が出た。
 連合宮城の大黒雅弘事務局長は「法の内容を全く把握していない経営者が多く、周知が課題」と指摘。雇用主が有期労働者に新制度を知らせる義務はなく、権利を知らないまま退職してしまうケースが続出するとの懸念も出ている。
 宮城労働局は今秋から来年2月にかけ、県内約4800社を対象に講習会を開き、新制度の周知徹底を図る方針。渡辺安子雇用環境・均等室長は「本年度に相談が集中すると予測している。顕在化していないだけでトラブルは起きているとみられ、周知に力を入れたい」と語った。


<非正規雇用>無期転換トラブル法廷闘争 嘱託職員2人「立場の弱さ痛感」
 雇用の安定を目指した法改正が、逆に雇用の危機を招いた。「まさか自分が雇い止めに遭うなんて…」。宮城県内の私立大に勤務していた40代の女性嘱託職員2人が今春、仙台地裁に労働審判を申し立てた。和解は成立したが、女性側は「非正規雇用の立場の弱さを痛感させられた」と法廷闘争を振り返った。
 申し立てによると、2人は今年1月末、大学側から突然「嘱託職員の雇用を改め、公募で採用し直す」などと説明された。2人は単年度の契約更新を重ね、既に勤続5年に達していた。例年、12月ごろに再契約を打診され、2017年度の更新も信じていたという。
 大学側は公募に際し、「週5日勤務」を条件にした。2人はこれまで通り「週4日」を希望したが、「条件を満たさない」と不採用になった。
 背景にあるとみられるのは新制度の「無期転換ルール」だ。有期労働契約が通算5年を越える場合、2018年4月以降、無期雇用を申請できるようになる。
 仙台労基署に相談すると、無期転換ルールの存在と違法な雇い止めの可能性を示唆されたという。2人は3月末、労働審判を申し立て、内容を非公表とする条件で6月に和解した。
 「突然、雇い止めに遭えば再就職の準備もできない。せめて適切な時期に誠実な説明がほしかった。非正規雇用の立場は本当に弱い」。2人は法廷闘争を終え、心境をこう語った。
 同様の問題は各地で表面化し、労使間の団体交渉などが始まっている。
 東北大では非正規職員3243人が来年度以降、雇い止めに遭う恐れがある。同大は14年3月、雇用期間を最長5年に改め、13年4月にさかのぼって適用することを就業規則に盛り込んだ。後に期限を定めず、業務や勤務時間に制限がある「限定正職員」制度の導入を提案したが、採用規模は明らかにされておらず、全員採用される保証はない。
 同大職員組合の小野寺智雄書記は「法改正は不安定な有期雇用を安定した無期雇用に転換する趣旨なのに、雇用主側に都合のいいように制度が悪用されている」と批判する。
 労働問題に詳しい太田伸二弁護士(仙台弁護士会)は「無期転換ルールは周知が進んでいない。予期せぬ雇い止めが多発する恐れがあり、雇用主と労働者が早急に話し合いの場を設けるべきだ」と呼び掛けている。


平和主義が試されている/終戦から72年
 終戦から72年を迎えたきのう、政府主催の全国戦没者追悼式が東京で行われた。天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相、戦没者遺族らが参列し、犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにした。
 だが、この日を安らかな気持ちで迎えられた人はどれほどいただろう。
 朝鮮半島の軍事的緊張が増す一方だ。米国領グアム島周辺に向けた北朝鮮の4発のミサイル発射計画の準備が整った、という。ミサイルの軌道は日本列島上空を通る。これに対して米国が迎撃する可能性も伝えられる。
 安倍首相は、全国戦没者追悼式の式辞で「戦争の惨禍を、二度と、繰り返してはならない」と語り、日本は「戦争を憎み、平和を重んずる国」であると強調した。
 では目下の緊張の種である北朝鮮の核ミサイル問題での対応はどうか。「対話よりも圧力を強める時」と首相は言う。「平和を重んずる国」は掛け声に終わっていないか。今こそその平和主義が試されている。
 国際社会の非難や制裁を無視して核実験やミサイル発射を続ける北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の言動は許せない。対北朝鮮制裁の履行に疑問が残る中国も問題である。 そして米国のトランプ大統領の「(北朝鮮は)炎と怒りに直面する」といった扇動的な発言はおよそ超大国のリーダーのものとは思えない。熟慮の北朝鮮政策があるのか心もとない。
 日本の役割は、軍事的緊張がこれ以上高まらないように冷静な対応を説き続けることだろう。軍事の前にしっかりした外交が求められるはずだが、それができていない。
 近く開かれる日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会では、対話による解決に向けてトランプ政権を説得し、具体的なプロセスを固めたい。
 一方、日本は韓国、中国とも多くの問題を抱えたままだ。相手側に非がある場合もある。敗戦から長い月日が流れながら、いまだに信頼を築けていないというのが現実だ。
 追悼式で首相は今年もアジア諸国への加害の責任を語らなかった。過去にとらわれるのではなく、「未来志向」でいきたいという願いからだろう。だが日本が加害の責任に向き合わないと誤解されれば、平和と信頼のために営々と築いてきた日本人の72年間の努力に水を差しかねない。


終戦の日/平和主義が試されている
 不安が消えない夏になった。72年目の終戦の日。世界は歴史の教訓を本当に学んだのだろうか。
 朝鮮半島の軍事的緊張は増す一方だ。米国領グアム島周辺に向けた北朝鮮のミサイル発射計画の準備が整った、という。ミサイルの軌道は日本列島上空を通る。これに対して米国が迎撃する可能性も伝えられる。安らかな気持ちで8月15日を迎えられなかったのが残念でならない。
 日本も含めて平和への努力は十分だろうか。
 安倍晋三首相は、全国戦没者追悼式の式辞で「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない」と語り、日本は「戦争を憎み、平和を重んずる国」であると強調した。
 しかし、それならば、なぜ目下の緊張の種である、北朝鮮の核ミサイル問題の解決のために前に踏み出さないのか。「対話よりも圧力を強める時」と首相は言う。「平和を重んずる国」が掛け声に終わっていないか。
 国際社会の非難や制裁を無視して核実験やミサイル発射を続ける北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の言動は許せない。対北朝鮮制裁の履行に疑問が残る中国も問題だ。そして米国のトランプ大統領の「(北朝鮮は)炎と怒りに直面する」といった扇動的な発言もおよそ、超大国のリーダーのものとは思えない。
 トランプ氏は不安定な言動に加えて、東アジア担当の高官をそろえておらず、熟慮の北朝鮮政策があるのか心もとなくさえ感じる。
 戦禍をどの国よりも知るはずの日本の役割は、軍事的緊張がこれ以上高まらないように冷静な対応を、説き続けることだろう。軍事の前にしっかりとした外交が求められるはずだが、それが十分にできているとは言えない。
 近く開かれる外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会では、対話による解決に向けてトランプ政権を説得し、具体的なプロセスを固めてもらいたい。今こそ平和主義が試されている。
 朝鮮半島は日本の安全保障を常に左右する地域だ。日清戦争も日露戦争も朝鮮半島を巡る戦いだった。朝鮮半島はかつて「日本の利益線」とされ、72年前の破局で終わった戦争は、そもそも朝鮮半島との付き合い方を間違えた結果だった、とも言える。
 韓国で1990年代に首相を務めた李洪九(イホング)氏はこの8月、朝鮮半島の歴史を「地政学の悲劇」と表現した。それは日本、中国、米国、ロシアという大国に囲まれる故にその干渉で常に苦境に突き落とされてきた苦々しさを口にしたものだ。李氏は今の北朝鮮の核ミサイル開発も、これらの大国に相手にされない弱小国が、核にしがみついて活路を見いだそうとする「断末魔」と見る。
 日本は韓国、中国とも多くの問題を抱えたままだ。相手側に非がある場合も多い。しかし敗戦から長い月日が流れながらも、日本はいまだに信頼を築けていないというのが現実だ。
 首相は今年も式辞で加害責任を語らなかった。過去にとらわれるのではなく「未来志向」でいきたいという願いからだろう。ただ、日本が加害の責任に向き合わないと誤解されてしまえば、営々と築いてきた日本人の72年間の努力に水を差すことになる。


終戦の日◆平和主義を姿勢で示したい◆
 昨日は72年目の終戦の日だった。だが安らかな気持ちで8月15日を迎えられなかった人は多いのではないか。
 歴史の教訓をわれわれは果たして学んだのか、との真剣な疑問が浮かぶ。朝鮮半島の軍事的緊張が増す。北朝鮮は米国領グアム島周辺に向けた4発のミサイル発射計画の準備が整ったという。ミサイルの軌道は日本列島上空を通る。
対話による解決説け
 日本を含めて平和への努力が足りない。安倍晋三首相は、昨日の全国戦没者追悼式の式辞で「戦争の惨禍を、二度と、繰り返してはならない」と語り、日本は「戦争を憎み、平和を重んずる国」であると強調した。
 それならば、なぜ目下の緊張の種である、北朝鮮の核ミサイル問題の解決のために前に踏み出さないのか。「対話よりも圧力を強める時」と首相は言うが、「平和を重んずる国」とは掛け声に終わっていないか。
 国際社会の非難や制裁を無視して核実験やミサイル発射を続ける北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の言動は許せない。対北朝鮮制裁の履行に疑問が残る中国も問題である。そして米国のトランプ大統領の「(北朝鮮は)炎と怒りに直面する」といった扇動的な発言もおよそ、超大国のリーダーのものとは思えない。
 戦禍をどの国よりも知るはずの日本の役割は、軍事的緊張がこれ以上高まらないように冷静な対応を説き続けることであろう。軍事の前にしっかりとした外交が求められるが、それができていない。
 近く開かれる外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会では、対話による解決に向けてトランプ政権を説得し、具体的なプロセスを固めたい。今こそ日本の平和主義が試されている。
加害責任に向き合う
 朝鮮半島は日本の安全保障を常に左右する地域でもある。日清戦争も日露戦争も朝鮮半島を巡る戦いだった。72年前の破局で終わった戦争は、そもそも朝鮮半島とのつきあい方を間違えた結果だった、と総括することもできる。
 韓国で1990年代に首相を務めた李洪九氏は今月、朝鮮半島の歴史を「地政学の悲劇」と表現した。日本、中国、米国、ロシアという大国に囲まれる故にその干渉で常に苦境に突き落とされてきた苦々しさを口にしたものだ。
 李氏は北朝鮮の核ミサイル開発も、これらの大国に相手にされない弱小国が核にしがみついて活路を見いだそうとする「断末魔」と見る。
 日本は韓国、中国ともいまだに信頼を築けていない。首相は今年も式辞でアジア諸国への加害の責任を語らなかった。過去ではなく、「未来志向」でいきたいという願いからだろう。だが日本が加害の責任に向き合わないと誤解されれば、平和と信頼のために営々と築いてきた日本人の72年間の努力に水が差されてしまう。


終戦の日 記憶つなぐ努力重ねる
 「戦争が近づいている時代になってしまったという恐ろしさを感じる」。終戦から72年を迎えたきのう、本紙で紹介した尾道市生まれの映画監督、大林宣彦さんの言葉である。うなずきながら読んだ人も多かったのではないか。
 北朝鮮情勢が不穏さを増している。きのう、全国戦没者追悼式の直前に、安倍晋三首相とトランプ米大統領が電話で会談したことも、緊迫の度合いを象徴していると言えるだろう。米領グアム周辺に弾道ミサイル発射を予告した北朝鮮への対応を話し合ったという。
 戦争の犠牲者に静かに祈りをささげるべき終戦の日に、ものものしい議題での会談を迫られるような情勢となったことが、残念でならない。
 両首脳は、韓国を含む3カ国で緊密に連携し、発射を強行させないことが最も重要だとの認識で一致した。確かに、あらゆる外交努力を通じて北朝鮮に自制を求めなくてはならない。日本政府には引き続き、駆け引きが激しさを増す米朝に冷静になるよう促してもらいたい。
 こんなときこそ私たちは先の大戦を振り返り、二度と戦争をしないと誓う必要がある。しかし、戦没者追悼式での安倍首相の式辞から強い決意が伝わってきたとは、とても言えない。
 首相は「戦争の惨禍を繰り返してはならない」と強調した一方、「不戦の誓い」の文言を今年も避けた。首相に返り咲いた後の追悼式から5年連続で、アジア諸国への加害責任にも言及しなかった。惨禍を繰り返さぬのなら、植民地支配の歴史も含めて直視することが欠かせないはずではないか。
 対照的なのが、天皇陛下のお言葉だった。「過去を顧み、深い反省とともに、戦争の惨禍が繰り返されないことを切に願う」と語った。戦後70年の2015年に初めて使った「反省」を続けて盛り込んだことに強い意志を感じる。かつての戦地を巡って追悼を続けてきた陛下の非戦の思いの表れなのだろう。
 それぞれの言葉を、追悼式に参列した遺族はどう受け止めただろうか。遺族の世代交代は進む一方だ。参列者の4分の1が、孫ら戦後生まれという。
 大林監督は、かつての戦争を知っている世代は「戦争がないことが一番というのが皮膚感覚としてある」と語る。だからこそ、今の時代の恐ろしさを感じると指摘する。そんな感覚がどんどん薄らぐ中、私たちは何をすべきか。
 国内に目を向ければ、集団的自衛権を容認した安倍政権が、安全保障関連法の本格的な運用を始めている。自衛隊の活動の場が際限なく広がりかねない懸念がある。さらに今年5月、安倍首相は自衛隊を明記するための憲法9条改正論を提起した。
 平和憲法の意味を、あらためて考える時だろう。その礎となるのはやはり、戦争がいかに愚かなものかを知ることにほかならない。
 戦地に赴いた人のほとんどは90代になり、証言を聞く機会は少なくなるばかりだ。だからこそ夏を過ぎても、体験談を聞く機会を探し続けたい。大林監督の言うように映画でもいい。本も数多くある。戦争の記憶をたどり直す。そんな努力を重ねることで、今の時代がくっきり見えてくるのではないか。


エネルギー計画 「原発維持」は現実的か
 国のエネルギー基本計画見直しに向けた議論が始まった。3年ぶりの見直しに、この間の動向がどう反映されるか注目される。
 小幅な改定にとどまる見通しというが、状況は変化しており、それを踏まえて検討すべきだろう。
 現行計画の「30年度の電源構成比率」は「原発20〜22%程度」「再生可能エネルギー22〜24%程度」が望ましいとしている。
 このうち原発は、東日本大震災・東京電力福島第1原発事故があった2010年度に比べ、やや低いだけだ。「積極的維持路線」とも言えるこの目標は現実的なのか。
 事故後、同原発の6基を含めて国内で12基が廃炉となった。残る商業用42基のうち、現在稼働するのは5基。16年度推計の電源比率は2%にすぎない。
 この他、新規制基準に合格しているのはまだ7基。さらに、審査中であっても、福島の事故機と同じ「沸騰水型」は自然災害の想定を巡る議論に時間がかかっている。
 審査の申請に至っていないものも十数基ある。合格したとしても、地元自治体の慎重論による難航も予想される。また、再稼働を目指す中には稼働からの年数が長い老朽化原発が含まれる。
 そう考えると、20%台の比率を達成するのは難しいのが現状ではないか。
 可能性としては、老朽原発に代わる原発の新設や建て替えがある。計画改定に向けた有識者会合では、その議論を望む声も出た。
 だが、国は見直しに盛り込まない方向という。国民の反発を招きかねないことから、時期尚早と判断したようだ。とはいえ、いずれ浮上する時期があるだろう。
 考えたいのは、原発維持が賢明な選択かということだ。
 「他の電源に比べて低コスト」とアピールしてきたが、安全対策費や福島の事故処理費、高レベル放射性廃棄物処分費などにより、その根拠は疑わしくなっている。
 「原発介護社会」。吉岡斉九州大教授(科学技術史)は、国家が支える構図をそのような言葉で表現する。「競争力のない劣った発電手段だからこそ、介護を必要としている」という。
 事故前は電源三法交付金による立地支援などが行われ、事故後は、将来も含めた過酷事故救済や廃炉支援などに「国家介護」がある。いずれ国費を含めて国民の負担は増すだろう。
 国民負担は再生可能エネルギーでも課せられている。とはいえ、将来性を踏まえ、こちらに重きを置くべきではないか。太陽光集中からの脱皮など制度設計を改良しつつ、普及を図る政策を望む。


核ごみ処分マップ 原発依存を見直してこそ
 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場となり得る地域を示す「科学的特性マップ」を、経済産業省が公表した。
 核のごみをどこで、どう処分するかは、原発再稼働の是非にかかわらず避けて通れない問題だ。公表を契機に国民的議論を高める必要がある。
 マップは自然科学や技術的観点を基準に、日本地図を4色に塗り分けたものだ。火山や活断層が周囲になく、地層や地質が安定している地域を「好ましい」適地に分類し、このうち海岸近くを最適の候補地とした。
 その結果、適地は国土の7割弱と全都道府県に及び、最適も約3割に上った。
 徳島県には、沿岸8市町など計21市町村に適地があるとした。中央構造線断層帯の周辺を除くほぼ全域が「好ましい」とされた形だ。
 一見して違和感を抱くのは適地の多さである。
 本県を含む太平洋沿岸域で南海トラフ巨大地震の発生が懸念されるなど、日本は世界有数の地震・火山国だ。本当にこれほど適地があるのかどうか。
 経産省は、あくまで可能性のある地域だというが、機械的に火山や活断層を除いただけでは説得力に乏しい。
 核のごみは、原発の使用済み核燃料からウランなどを取り出す再処理で生じる廃液である。計画では、これを
ガラス固化体にし、地下300メートルより深い岩盤に埋める「地層処分」にする。埋設の期間は、放射線量が低くなる数万年から約10万年にも及ぶ。
 問題は、候補地をどう決めるかである。
 経産省は、自ら手を挙げる自治体を待つ一方、国からも複数の自治体に調査への協力を要請しながら、段階的に絞り込んでいくという。
 2007年には、海陽町に隣接する高知県東洋町が文献調査に全国で初めて応募したが、徳島県を巻き込んだ激しい反対運動に発展し、取り下げられた経緯がある。
 過疎や財政難の自治体の弱みにつけ込み、多額の交付金でつるような方法では、住民の理解は到底得られまい。
 政府は地層処分の安全性や必要性を、リスクを含めて国民に丁寧に説明しなければならない。広く議論の場を設けるなど、合意形成の方法も真剣に検討すべきだ。
 忘れてならないのは、原発が稼働する限り、核のごみが増え続けることである。
 使用済み核燃料は現在、全国の原発などに計約1・8万トンあり、貯蔵容量の7割に達している。
 政府はさらに多くの原発を再稼働させる方針だが、処分のめども立たないまま、これ以上、廃棄物を増やしていいはずがない。
 原発依存から脱原発へ、エネルギー政策を抜本的に見直し、核のごみの抑制にかじを切る。政府が最終処分場の候補地選定に本気で取り組むというのなら、そうした姿勢が欠かせない。


[水俣条約発効] 水銀規制へ経験生かせ
 水銀による環境汚染や健康被害の防止を目指す「水銀に関する水俣条約」がきのう発効した。
 水銀を「世界的に懸念される化学物質」と明記し、鉱山での産出から輸出入を経て使用、廃棄まで全ての過程を国際的に規制するものだ。
 水俣病は「公害病の原点」だ。日本は被害の深刻さを一層広めるとともに、汚染が深刻化する発展途上国を積極的に支援することが求められる。
 条約は水俣病の教訓と、同様の被害を将来発生させないことに言及している。
 具体的には、水銀を含む体温計や電池などの製造、輸出入を2020年までに原則禁止し、水銀の大気や水、土壌への排出削減や適切な保管と廃棄を定める。
 水銀は水俣病の教訓などから先進国での使用が減っているものの、途上国を中心に金の採掘や触媒などとして利用されている。10年の排出量は計1960トンに上り、うち約半分はアジアだ。汚染被害は後を絶たない。
 水銀を使う途上国に対して、その危険性を伝え、使用の規制を後押ししなくてはならない。
 世界各国に条約の趣旨を訴え、6月末で69カ国を数える締約国を増やす必要もある。
 条約発効で一定の用途以外の水銀輸出は規制される。このため、電池などからリサイクルした水銀を輸出してきた日本は、保管技術の研究をはじめ国内で処理する仕組みづくりが急がれる。
 条約は13年に熊本市で開かれた国際会議で採択され、日本は16年に締結した。
 9月にスイスで開かれる第1回締約国会議には、熊本県水俣市の胎児性水俣病患者、坂本しのぶさんらが出席して被害の実態を訴える予定だ。15歳だった1972年6月、スウェーデンで開かれた国連人間環境会議に参加し、不自由な身をもって水銀被害を世界に伝えた人だ。
 きのう会見した坂本さんは「水俣病が終わっていないことを言いたい」と決意を述べた。
 こうした訴えが、条約の実効性を高めることを願う。
 一方、国内では水俣病公式確認から今年で61年たつが、患者認定を待つ多くの人がいる。国や原因企業チッソに賠償を求める訴訟も続いている。
 条約の名称は日本政府が提案し、「日本最悪の公害病である水俣病の被害を繰り返さないように」との思いが込められている。被害の全容を明らかにして解決の道筋を描かなくては、その願いを実現することはできまい。


NHKが731部隊の人体実験証言テープを公開し、安倍政権につながる重大な問題を指摘! ネトウヨが錯乱状態に
 敗戦から72年目を迎えた夏。8月13日に初回放送されたドキュメンタリー、NHKスペシャル『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』がいま、大きな反響を呼んでいる。
「731部隊」とは、日本の満州国建設から4年後、日中戦争の前年にあたる1936年8月に、関東軍防疫給水部本部の名称で発足した陸軍の秘密部隊の通称。満州で日本軍の細菌兵器の開発を行い、中国人やロシア人を使った人体実験を行っていた。日本の敗戦と同時に、証拠隠滅のために部隊の研究施設は破壊され、被験体の囚人なども殺害・焼却されたとされる。
 その存在については、当初、右派から「捏造説」がしきりにいわれてきたが、歴史家や研究者の実証的研究で事実であることがほぼ確定している。731部隊研究の第一人者である常石敬一・神奈川大学名誉教授は、隊員数は3000人弱で、10年間に2000とも3000とも言われる人を人体実験によって殺害していたこと明らかにしている(『七三一部隊』講談社現代新書)。
 そんななか今回、NHKは、1949年にソ連で開かれた軍事裁判「ハバロフスク裁判」の音声データを発掘。この裁判では731部隊の関係者も被告や証人となったが、そこで発せられた当事者たちの生々しい証言の数々を、テレビで放送したのだ。
「昭和18年の末だと記憶しています。ワクチンの効力検定をやるために、中国人それから満(州)人を約50名あまり人体実験に使用しました。砂糖水を作って砂糖水の中にチブス菌を入れて、そして、それを強制的に飲ませて、細菌に感染をさせて、そして、その人体実験によって亡くなった人は12から13名だと記憶しています」(731部隊隊衛生兵・古都良雄)
「ペスト蚤(ペストに感染させた蚤)の実験をする建物があります。その建物の中に、約4〜5名の囚人を入れまして、家の中にペスト蚤を散布させて、そうしてその後、その実験に使った囚人は全部ペストにかかったと言いました」(731部隊軍医・西俊英)
 さらに、731部隊では人体実験だけでなく、当時すでに国際条約で禁じられていた生物兵器の実践も行っていた。番組では、大量感染させる目的で集落に細菌を蒔いたとする裁判での証言音声も放送された。
「使われる細菌は、主として、ペスト菌、コレラ菌、パラチフス菌であることが決定しました。ペスト菌は主として、ペスト蚤の形で使われました。その他のものはそのまま、水源とか井戸とか貯水池というようなところに散布されたのであります」
「あの当時、現地に中国人の捕虜収容所が2カ所ありました。その人員は約3000名と言われていました。その饅頭をつくりに参加しました。少し冷やしてから、それに注射器でもって、菌を注射しました」(731部隊第一部〔細菌研究〕部長・川島清)
「人体実験はなかった」「NHKの捏造」とネトウヨがまたぞろトンデモ攻撃
 証言によれば、その後、細菌を注射した3000個の饅頭を収容所の中国人に食べさせたうえで解放。“パラチフスに大量感染させる目的だったか”との問いに、「はい。自分はそのように聞きました」と答えている。
 生きた人間を生体実験に用い、さらに大量感染させるという極めて非人道的な戦争犯罪の実態。今回、NHKが初めて報じたハバロフスク裁判での証言音声は、これまでの研究を裏付ける貴重な新資料だ。
 ところが、放送後、ネトウヨたちがNHKに対して、またぞろ「人体実験はなかった」「NHKの捏造」なるトンデモ攻撃をがなりたて始めた。
〈まだ731部隊とか人体実験とか言ってるんだ…そんな事実はないし、捏造やめろ〉
〈元は森村誠一が書いた「悪魔の飽食」によって事実がゆがめられた防疫部隊の話〉
〈日本軍は中国人にこぉんなに悪いことをしてきたんですよ〜ひどいですね〜と言いたいだけにしか聞こえない。完全なる印象操作。731部隊があった確たる証拠はあるの?〉
〈反日NHK 終戦記念日が近づくと、必ず自虐的な番組を報道しよるな〉
〈信じちゃってる人結構いる?? うわー。マスゴミはほんと罪深いわ。そしてこの嘘つき番組見た人は是非「731部隊 捏造」でググれ〉
 過去の戦争犯罪を正視できず、条件反射的に「捏造」「反日」と騒ぎ立てる知性のなさは今に始まったことではないが、まさか、731部隊まで否定するとは……。
 ネトウヨたちは〈森村誠一が書いた「悪魔の飽食」によって事実がゆがめられた防疫部隊の話〉などと言って〈人体実験は捏造〉と吠えまくっているが、そもそも731部隊の話を書いてセンセーショナルな話題となった本『悪魔の飽食』が出たのは80年代初頭の話だ。現在では前述のとおり、常石敬一氏らの実証的な研究や関係者の証言及び手記等により、731部隊による人体実験の存在は事実と確定している。
 とりわけ人体実験の有無については、秦郁彦氏をはじめとする保守派の歴史学者でも異論を挟む者はもはや皆無だ。というか、だいたい『Nスペ』を見れば、番組が『悪魔の飽食』を下敷きにしていないのは誰にだってわかるだろう。まったく、お話にならない。
 しかし、これは逆にいうと、ネトウヨたちが錯乱し、こんな噴飯モノのいちゃもんしかつけられないくらい、今回の『Nスペ』の内容が実証的で決定的だったということでもある。しかも、同番組を評価すべき点は、裁判証言の音声データを放送したことだけではない。『Nスペ』は膨大な資料と丹念な取材から、731部隊を生み出した背景に、大学と研究者の全面的な協力があったことを浮かび上がらせた。
 そして、これは、現在の安倍政権が推し進める“軍学共同”政策につながる問題だった。
Nスペが浮かび上がらせた731部隊、大学、研究者の関係
 戦中の731部隊には、当時の帝国大学などからエリート医学者たちが集められていた。なぜ、人の命を救う医学者、それもエリートたちが、大量殺戮のための生物兵器の製造・実験に従事することになったのか。『Nスペ』によれば、731部隊に最も多くの研究者を出していたのは、京都帝国大学(11名)で、ついで東京帝国大学(6名)だった。少なくとも、10の大学や研究機関からあわせて40人の研究者が集められていたという。
 番組は京都大学を取材。その大学文書館に保管された文部省と京大の往復文書のなかから、731部隊と京大との“金銭のやりとり”を示す証拠を初めて見つけ出したという。
 その731部隊からの特別費用が記された書類には、細菌研究の報酬として、現在の金額で500万円近い金額が、研究者個人に支払われていた。取材を進めると、弟子たちを部隊に送ったとみられる教授たちの存在が浮かび上がる。その教授のひとりの研究報告書からは、軍関連で現在の額にして実に合計2億5000万円にも及ぶ研究費を得ていたことが判明した。
 ハバロフスク裁判の証言音声にも、731部隊に巨額の国家予算が投じられていた事実が語られている。
「確実な数字はただいま記憶しておりませんが、だいたいの数字を申しますと、昭和15年度におきましては、だいたい1000万円(現在の金額で約300億円)に近い予算が使われておったように記憶しております」(731部隊第一部〔細菌研究〕部長・川島清)
 軍は、豊富な国家予算をもってして大学との関係を深めていったのだ。また、京大出身の軍医だった731部隊長の石井四郎は、大学幹部と結びつくことで、優秀な医学者たちを集めていったという。
 そうしたエリート医学者のひとりに、当時、京大医学部講師だった吉村寿人がいる。吉村は回顧録のなかで、突然、教官から満州の陸軍の技術援助をせよと命令され、断ると、今の日本の現状からこれを断るのはもってのほかである、破門するから出て行けと言われたと記している。結局、吉村は陸軍技師として、1938年から敗戦まで731部隊での研究を行った。吉村の与えられた研究は凍傷の症例と対策。生きた囚人を使って、人工的に凍傷を引き起こすなどの人体実験を行ったのだ。
 しかし、こうした731部隊に従事したエリート医学者たちが、戦後に裁かれることはなかった。たとえば吉村は戦後、京大に戻り、最終的に京都府立医科大学学長を務める医学会の重鎮となったが、吉村だけでなく、その多くは日本へ引き上げたのち、一流の医学者として頭角を現していったという。前述の歴史学者・秦郁彦氏はこのように記している。
〈吉村でなくとも、若い医学者はいつ召集を受け、第一線に狩り出されるかわからない不安な身分にあった。陸軍技師として豊富な研究費を与えられ、自由な実験ができるのは魅力にちがいなかった。
 長老教授たちも、石井の顔で陸軍から研究費が流れ、貴重な実験データをもらえるのを期待して、弟子を送り出すことになる。いわば持ちつ持たれつの利害関係が、成りたっていたのである。〉(『昭和史の謎を追う』上巻/文藝春秋)
731部隊を生み出した「軍学共同」を安倍政権が復活させている
 一見すると、まったく遠い過去のように思えるかもしれないが、実はこの731部隊を生み出した構造が、現在の安倍政権下で復活しようとしているのをご存知だろうか。
 そう、安倍政権は巨額の国費を投じて“軍学共同政策”を推し進めているのだ。たとえば、防衛省が 2015 年度から始めた「安全保障技術研究推進制度」は、初年度予算の3億円から2017年度には実に110億円と急増。戦争の反省から、多くの大学では戦後に“軍事利用のための研究”を禁じる理念を打ち出したが、それがいま、安倍政権のもとで骨抜きにされつつある。
 政府は基礎研究資金の助成に「デュアルユース」(軍民両用)という言葉を使って、その危険性を覆い隠そうとしているが、これが詭弁であることは明らかだろう。
 ノーベル賞を受賞した益川敏英・京大名誉教授は、“軍学共同”に関してこう警鐘を鳴らしている。
〈研究費が減る中、現役の研究者は防衛省の資金も背に腹はかえられないと言うかもしれないが、いったん立ち止まって欲しい。資金を一度受け取れば、その研究者は直接的に軍事研究につながるテーマに一本釣りされ、深みにはまっていくと思う。科学は発達した結果、民生にも軍事にも使えるデュアルユースの問題をはらむようになり、区別をつけるのは難しい。だから、軍事研究かどうかは、どんな機関が、何の目的で資金を出しているかで判断するべきだ〉(朝日新聞2017年1月11日付)
 また、宇宙物理学などを専門にする池内了・名古屋大学名誉教授も、著書のなかでこのように喝破している。
〈(軍民両用が)可能になったのは軍からの開発資金が豊富にあったためで、最初から民生品として開発できていれば、わざわざ軍需品を作る必要はないのである。これまでの例は、あくまで軍事開発の副産物として民生品に転用されたに過ぎない。要するに巨大な軍事資金が発明を引き起こしたのであって、戦争が発明の母であったわけではないことに留意する必要がある〉(『兵器と大学 なぜ軍事研究をしてはならないのか』岩波書店)
 国家権力が科学者たちを利用し、戦争と新兵器の開発を推し進めてきたことは、歴史が証明している。だが、科学者は単に利用された悲劇の人々というわけでなく、一線を超えて加害者となりうるのだ。“戦争の狂気”の一言で片付けられるものではない。そのことを忘れてはならないだろう。
 NHKスペシャル『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』は16日深夜に再放送される。ぜひ、現在の社会状況を考えながら視聴してもらいたい。(編集部)

終戦・敗戦の日/黄金のファラオと大ピラミッド展/もつ鍋

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Abe envoie une offrande au sanctuaire Yasukuni
TOKYO, 15 août (Yonhap) – Le Premier ministre japonais Shinzo Abe a envoyé ce mardi une offrande symbolique au sanctuaire Yasukuni à Tokyo à l’occasion du 72e anniversaire de la capitulation du Japon pendant la Seconde Guerre mondiale, a indiqué l’agence de presse japonaise Kyodo News.
Une visite du Premier ministre japonais à Yasukuni est peu probable, afin d’épargner les relations diplomatiques avec les pays de la région, en particulier la Corée du Sud et la Chine, selon Kyodo.
Le sanctuaire honore les anciens combattants japonais, dont 14 criminels de guerre de classe A. Le député du Parti libéral démocrate Masahiko Shibayama y a déposé une branche ≪tamagushi≫ pour le compte de Abe.
L’agence de presse japonaise a indiqué qu’Abe ≪cherche à organiser un sommet trilatéral≫ avec la Corée du Sud et la Chine à Tokyo cette année. Il s’agirait de la première rencontre de la sorte depuis novembre 2015.
mathieu@yna.co.kr
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終戦・敗戦の日です.ホテルを変わらなくてはいけないのでちょっと面倒です.近くの櫛田神社を見てそれから少し歩いて東長寺.実は荷物が重いので次のホテルに先に行きたいのですが,近くにいろいろ見どころもあり野で仕方ないですね.
地下鉄で藤崎まで移動して少し歩きます.あちこちに「ももち」という表記があってファンが多い??かと思いきや百道を「ももち」と読むのでした.元寇防塁を見て西南学院大学の中を通ってサザエさん通りにでました.それにしても暑いです.さらに北上して福岡市博物館に来ました.最初は金印を見ようって話していたのですが,金印はいつでも見れるので,黄金のファラオと大ピラミッド展を見ることにしました.結構人が多いです.2時間くらいかけてじっくり見ました.内容の深さと濃さでクタクタです.かき氷を食べて一服してから福岡タワーに行きました.
再び地下鉄で移動です.今度は大濠公園で大きな池を見ながらのんびりです.暑い中たくさん歩いたし,ピラミッド展で疲れたからね.
福岡城跡に行こうと思ったら間違ってみくにまつりのほうに行ってしまいました.少し遠回りして天守閣跡にいくことができました.またたくさん歩いたのでクタクタ.
夜はもつ鍋を予約しているので天神から歩きます.警固神社の警固は「けご」と読むようでした.ちょっと迷ったけれど無事にたどり着きました.もつ鍋は思った以上に美味しかったです.ご飯を雑炊風にして食べて満腹です.

震災後7度目のお盆 供養の法要
東日本大震災から7度目のお盆を迎えた15日、津波で大きな被害を受けた亘理町では、犠牲になった人などを供養する法要が行われました。
亘理町では、この時期に荒浜漁港で毎年開かれている夏まつりにあわせて、町で亡くなった人や魚などの霊を供養するための法要が行われています。
東日本大震災の後はおよそ300人の犠牲者の供養も行われていて、震災から7回目の法要になる15日は、会場となった荒浜漁港に特設の祭壇が設けられ、地元のお寺の僧侶が法要の読経を行いました。
雨が降り続く中、法要には関係者およそ60人が参列し、次々と焼香して故人を弔っていました。
参列した亘理町の齋藤貞町長は「亡くなった方々を思うと我々は生かされていると感じます。復興までもう一歩だと思うので町民みんなで進んでいきたいです」と話していました。


<リボーンアート>被災住宅が展示会場に
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市中央2丁目の築70年以上の木造住宅が、同市の牡鹿半島などで開催中の「リボーンアート・フェスティバル(RAF)2017」の展示会場として生まれ変わった。企画したのは、RAFに合わせて4月、同市田道町に移住したアーティスト有馬かおるさん(48)。再生した木造住宅をジャンルを越えた芸術の発信拠点として活用する。
 木造住宅は2階建て。津波で浸水したが、「人が集まる場所にしてほしい」という所有者の願いもあり、1階をガラス張りの約20平方メートルの多目的スペースに改装。被災を免れた2階部分も展示スペースとして使っている。
 有馬さんが過去に運営に携わったギャラリー「犬山のキワマリ荘」(愛知県)などで活動するアーティストが出展し、人の形をしたオブジェなどを飾って独特な空間を演出している。
 有馬さんは愛知県生まれで、ペインティングをメインとするアーティスト。ギャラリーに住みながら制作、展示する斬新な試みなどで知られ、今回は活動拠点だった千葉県柏市から移住し、準備を進めてきた。
 12月からは木造住宅をギャラリー「石巻のキワマリ荘」としてオープンさせ、演劇や彫刻、写真、映像の作品を週末限定で公開する予定だ。
 有馬さんは「地元の人たちと同じ目線になる必要があると思って移住した。厳選した作品を展示して東北の現代美術の発信拠点にしたい」と意気込んでいる。


新設の復興商店街で夏祭り 南三陸町・歌津
 南三陸町歌津の復興商店街「南三陸ハマーレ歌津」で6日、歌津復興夏祭りがあった。東日本大震災後に交流を続ける沖縄県出身のバンド「BEGIN」も駆け付けた。
 BEGINは、津波で流失した歌津管の浜の郵便ポストが沖縄県西表島に漂着したことが縁で、歌津の住民と交流を続けている。この日は地元の三線グループ「サンシンズジュニア」と共演。盆踊り曲「歌津さきてけさい」を披露し、観客が輪になって踊った。
 このほか地元の子どものダンスグループや吹奏楽部が出演。約1500発の花火が夜空を彩った。
 会場には高さ約3メートル、幅約2メートルの絵灯籠4基も7年ぶりに登場した。地元の住民団体が15年前に製作し、毎年の夏祭りで飾っていた。震災後は保管されたままだったが、4月に復興商店街が新設されたことを機に、再び飾られた。
 実行委員長の小野寺敬さん(39)は「子どもから高齢者までが主役の学芸会のような雰囲気を大切にしている。来年はタイトルから『復興』を取り、地元住民が自らが盛り上げる祭りにしたい」と話した。


<水のある風景>義経伝説「痕跡」残る
◎2017夏・涼(6)葉山めがね橋(岩手・住田)
 夏の夜空に白亜のアーチが浮かび上がった。澄んだ水面(みなも)は光を反射し、緑色に染まって揺れた。
 岩手県住田町を流れる気仙川に架かる「葉山(はやま)めがね橋」は1931年、農業用水を引くために造られた。山の湧き水を対岸に渡し、下流域の田んぼ約22ヘクタールを潤す。
 住田町観光協会の美濃はるかさん(34)によると、めがね橋にはもう一つの顔があるらしい。「橋周辺は源義経が兄頼朝の追い打ちをかわし、北へと逃げる途中に通ったルート。一行が川や急勾配の崖を進んだ時の痕跡が見て取れます」
 橋のたもとには、崖を登ろうとして義経がつかんだ「判官手掛けの松」が根を張る。橋下の岩場に目を向けると、川を渡ろうとした弁慶が踏ん張って刻まれた「弁慶の足跡」があった。
 真偽のほどはともかく、町は義経の北行伝説に関連付けて橋の魅力をアピールしたい考え。夏場のライトアップは2012年に始めた。
 だが、「渓流釣りのスポットとしては人気ですが、観光地としてはほとんど知られていません」と美濃さん。義経が峠越えの英気を養ったかもしれない川辺で憩い、涼と歴史ロマンに浸ってみてはいかが?


<終戦記念日>帰還しない仲間 病に倒れた友 戦争体験元兵士に聞く
 8月15日は終戦記念日。玉音放送が太平洋戦争の終わりを告げて72年となる。満州事変から日中戦争、太平洋戦争と突き進み、泥沼化する戦況に人々はいや応なく巻き込まれた。元兵士で仙台市太白区の豊田力男さん(93)、宮城野区の佐藤政敏さん(91)に市内で戦争体験を聞いた。
◎海戦、自分の命は自分で守るしかなかった/無職 豊田力男さん(93)
 宮城県丸森町の出身で、16歳で志願して横須賀海兵団に入団。1941年8月に航空母艦「翔鶴」に整備兵として乗り組みました。見上げるほど大きな船で、この船に命を託すのかと思ったのを覚えています。
 九州沖で訓練をしていた時、急に金華山沖への参集が命じられました。「(米国ハワイの)真珠湾奇襲作戦に向かう。諸君の命は艦長が預かる」と艦長に言われ、びっくりしましたね。12月8日朝は暗い中、1次飛行隊が出撃。全て無傷で戻ってきました。でも2次隊は総攻撃を食らい、機体に穴が開いていました。
 国民は大戦果だと喜んだが、米国の被害は古い艦船ばかりで空母は無傷。海軍内には負け戦の始まりだとの声がありました。空母が打撃を受けていたら、戦況は変わっていたかもしれない。
 珊瑚海海戦や南太平洋海戦にも参戦しました。敵機が来ると甲板を逃げ回り、仲間は格納庫へ。焼夷(しょうい)弾が格納庫の鉄壁を貫き、みんな死んでしまった。誰も自分のことで精いっぱい。自分の命は自分で守るしかないとつくづく思いました。
◎ラバウルでマラリアに苦しむ/無職 佐藤政敏さん(91)
 東京出身です。志願しなくても引っ張られると分かっており、1942年に横須賀第2海兵団に志願。整備兵の訓練を受け、第501海軍航空隊でラバウル(パプアニューギニア)に行ったのが43年10月です。
 班で2機の整備を任されましたが、空襲でやられ、残り1機は出撃し帰らない。担当する飛行機がなくなり、本隊がトラック島に移った後は農耕作業と軍事訓練ばかりの毎日でした。
 空襲はひどかった。50〜60機が飛行場を狙いに来た。野積みの燃料入りドラム缶が爆発して、すっ飛ぶのを目の前で見ました。畑仕事、戦車壕(ごう)を掘っている時も来るので、防空壕に急いで入り込みました。
 陸戦隊に編成替えされてから銃と弾薬を渡されました。1人200発はなかったですね。こっちは三八式銃で、向こうは自動小銃や火炎放射器。今考えれば、太刀打ちできるわけがない。
 マラリアに8回かかりました。2〜3日休み、我慢して作業や訓練に戻りました。最初は予防薬もありましたが、最後の方はなかった。現地で偶然会った幼なじみもマラリアで亡くなったと聞きました。


<終戦記念日>鐘鳴らして平和を祈る
 終戦記念日の15日、塩釜ユネスコ協会(清水努会長)は「平和の鐘を鳴らそう」運動の一環として、宮城県塩釜市海岸通の緑地公園に置かれた「復興の鐘」を打ち鳴らした。
 会員やその家族ら30人が参加した。ユネスコの「わたしの平和宣言」を唱和し、正午の時報に合わせて黙とう。降りしきる雨の中、一人一人が鐘を鳴らした。
 会員の小達和子さん(85)は東京出身で疎開先の小牛田町(現美里町)で終戦を迎えた。「避難しようと山に逃げたら、何かがあるから帰って来いと言われた。『何か』は天皇の言葉だった」と振り返った。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の理念を広める民間ユネスコ運動が仙台市で始まって70周年。清水会長(68)は「終戦記念日の行事が少なく、寂しい。せめて民間ユネスコ運動発祥の地の宮城から平和の祈りを発信したい」と話した。
 運動は全国各地の寺や教会の鐘を鳴らし、平和を祈る内容で、塩釜では昨年も開催している。


<終戦記念日>核なき世界実現を訴え
 15日、宮城県大崎市古川の吉野作造記念館で「平和のつどい」が行われ、出席した約60人が恒久平和と核の無い世界の実現を願った。
 市民グループ「ふるかわ平和のつどい」(佐藤昭一代表)が主催。佐藤代表は「平和憲法が改正される危機にある。核廃絶のために国連で採択された核兵器禁止条約に日本も署名すべきだ」と訴えた。
 市内小中学校平和作文コンクールの最優秀賞に輝いた古川学園中1年佐藤心彩(みさ)さん(12)と鳴子中3年高橋梨咲(りさ)さん(14)がそれぞれ作品を朗読。佐藤さんは曽祖父が5歳の祖父を残して戦死し、祖父が苦労したことに思いをはせ、「一日一日を平和に暮らせない戦争はしてはいけない。どれだけの人が悲しみつらい思いをしたかを伝えていくべきだ」と語りかけた。
 つどいでは、憲法改正反対と核兵器条約の締結を求める特別決議を行った。


終戦記念日 平和な世界の構築を
 72回目の終戦記念日を迎えた。全国戦没者追悼式には天皇陛下や安倍晋三首相らも出席、遺族たちは約310万人とされる戦争犠牲者をしのぶ。
 戦後、国民は平和憲法の下、さまざまな苦難を乗り越えて復興に努め、経済発展を遂げた。だが近年、歴代政権が禁じてきた集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法が施行され、憲法改正の動きも加速するなど、日本はかつてなかったような転換点に差し掛かっている。
 世界の各地では内戦やテロが続き、破壊された街や傷ついた市民、故郷を追われた難民の姿が絶えない。人類滅亡を招く核兵器が使われる恐れも消えない。今こそ、武力による争いをなくし、核廃絶を進めるよう、唯一の被爆国・日本がまず声を上げ、平和な世界の構築に向けた行動に進むべきだ。
 9日、長崎市で開かれた原爆犠牲者を慰霊する式典の平和宣言で、田上富久市長は国連の会合で採択された核兵器禁止条約を歓迎しながらも、日本の条約不参加を「理解できない」と批判した。
 政府は条約に核保有国が参加しないため、実効性がないとする。安倍首相はあいさつで、核保有国と非保有国の双方に働き掛けると述べただけで、条約に署名する考えはないとした。北朝鮮が核・ミサイル開発を進めている現状では「核の傘」は不可欠だとの指摘もある。
 しかし、日本は核兵器の脅威を世界に発信できる経験や知見を備え、核廃絶を呼び掛ける責任を持つはずだ。広島と長崎の被爆者団体が条約不参加を首相に抗議したのも当然ではないか。条約に加わり、積極的に核軍縮を訴えるべきだ。
 一方、北朝鮮は日本上空を通過して米領グアム周辺に撃ち込む弾道ミサイル発射計画を公表、トランプ米大統領との応酬が緊張を高めている。
 グアムには米空軍基地がある。小野寺五典防衛相は国会で、米側の抑止力の欠如は集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」に当たる可能性があると言及した。万一、日本がミサイル迎撃をすれば武力紛争に巻き込まれかねない。政府には米国と北朝鮮の対立がさらに激化しないような働き掛けを望む。
 安倍首相は戦争放棄条項などは残し、自衛隊の存在を明記する憲法9条改正案を提起した。これに対し、9条に手を付けることへの反対論も強い。戦争を体験した人が少なくなる中で、悲惨な戦争の実相を知らない世代にも改憲論議の意味を十分に考えてほしい。


終戦の日 「20年後」を現代が映す
 日中戦争が始まって今年で80年になる。日本が泥沼に入り込んだこの戦争をつぶさに見ると、源流はおよそ100年前のシベリア出兵にあると考えられている。
 出兵は1918(大正7)年に始まった。謀略により出兵を果たそうとした陸海軍、現地に親日政権を樹立する手法。いずれも日中戦争での日本のやり方に似ている。
 出兵と、それに伴う戦争は7年に及んだ。初めは大勝するが、やがて非正規軍の襲撃に遭い、兵は疲弊していく。37年から8年にわたる日中戦争の経過と共通する。
 麻田雅文・岩手大人文社会科学部准教授が著書「シベリア出兵」(中公新書)で解説している。中国との戦争で日本が取った行動は、20年前に原形があったことになる。
 軍部や政府だけではない。社会の思想や運動も、その時代の20年前には、目の前に源が表れている。
 戦後思想に影響を与えた政治学者の丸山真男は、日本のファシズム時代が昭和期に始まるとの常識を否定した。既に大正期にはファシズム運動が活発化する「準備期」があったとしている。
 そして戦時下の「東条(英機)独裁」について、丸山は言う。政治的自由がゼロになる空前の時代を招いた条件は「それ以前にことごとく出そろっていた」と。
 72回目の「終戦の日」を、きょう迎えた。戦争の惨禍を二度と繰り返さぬため、歴史に学ぶ日でもある。
 日本の国が危うくなる時。丸山によれば、それは突然始まるわけではない。だから今、目の前で起きていることを見逃してはならない。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題は、稲田朋美防衛相の辞任で真相が不明瞭になった。だが、この問題は国の根幹を揺るがす重大さをはらむ。
 陸上自衛隊が大臣にも報告せず、独断で文書の不開示を決めた。事実なら、日本の文民統制(シビリアンコントロール)は機能していない。驚愕(きょうがく)すべき事態だ。
 文民統制は、軍部の暴走を止められなかった過去の反省に基づく。暴走は日中戦争で噴出するが、その20年前に源があることは見逃せない。
 「シベリア出兵」の締めくくりで、麻田准教授はこう指摘した。
 「日中戦争では、シベリア出兵に参加した多くの将校たちが昇進して指揮をとっているが、その経験が生かされたようにも見えない」。教訓や反省が20年後に生きない。そこに悲劇があると見る。
 組織に巣くう問題を改めない限り、歴史は繰り返される。「20年後」の日本の姿は既に現代が映している。それを胸に刻まなければならない。


終戦記念日/英知結集して平和築く力に
 「戦争は、戯(ざ)れ事じゃないんだ」−。俳界の最重鎮、金子兜太さん(97)は太平洋戦争の体験をこう言い表した。
 終戦を南太平洋のトラック諸島で迎えた。海軍主計中尉として多くの部下を飢えで亡くし、その無念さを引き揚げの駆逐艦の上で詠んでいる。<水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>
 忘れられぬ惨劇の記憶が呼び覚まされることだろう。きょうは72年目の「終戦記念日」。300万人余の戦没者を悼み、平和と自由の尊さをかみしめる日である。
 「戦後生まれ」の人口は3年前に8割を超えた。NHKの最近の世論調査では18、19歳の14%が、8月15日が戦争が終わった日だということを「知らない」と答えた。風化は着実に進んでいる。
 戦争を体験した人がいなくなる社会は、遠からず訪れよう。その先には何があるのか。不安が拭えない。
 金子さんはここ数年の政治の雲行きを見るにつけ、あの戦争に向かう時代を想起するという。
 安倍政権はことし6月、参議院の委員会採決を省く「禁じ手」まで使って、「共謀罪」法(改正組織犯罪処罰法)を成立させた。2013年の特定秘密保護法、15年の安全保障関連法に続き、数の力で押し通した。
 戦前、思想弾圧に利用された「治安維持法」に重ねる懸念の声があった。「国民を監視社会に閉じ込め、内心の自由に国家権力が踏み込む恐れがある」と、野党や多くの言論人らが反対したが、政権はお構いなしだった。
 加えて安倍晋三首相は憲法記念日に、改憲案の20年施行を提唱した。スケジュールを軌道修正したものの、旗そのものを降ろしていない。安倍首相が脱却を唱えた「戦後レジーム(体制)」の象徴である、憲法9条に手を付けることが目的のように映る。
 日本が戦争に巻き込まれなかったのは、9条のおかげであることもまた、紛れもない事実だ。戦争の悲惨な歴史や憲法の精神を次世代にどう伝え、国民的議論に結び付けていくのか。アジア諸国を侵略した歴史を持つ日本人が背負う「十字架」である。
 日本が置かれた国際情勢に目を転じれば、平和はまさに危機に直面しているかに見える。全ての国民が沈思し、「不戦の誓い」を胸に刻むきょうの日も、自衛隊は北朝鮮のミサイル発射に備え、厳戒態勢を敷く。
 しかし、武力だけで平和は達成できないことは、歴史が証明している。大戦の犠牲の大きさを受け止め、できる限りの英知を結集して乗り越えるしかあるまい。
 金子さんは「戦争体験を若い人たちに伝えるのが今後の私の仕事」と言う。一人一人が声を上げ、戦争体験者の話に耳を傾け、行動によって未来への責任を果たしていかねばならない。


【終戦から72年】平和の尊さを次世代に
 72回目の終戦記念日を迎えた。戦争は出征した兵士のみならず、庶民にも大きな苦しみと悲しみをもたらした。戦争を知らない世代が大半を占め、陰惨を極めた体験を生の声で聞く機会も減りつつある。しかし、犠牲者の慰霊碑、戦争体験者の手紙や書物は残る。それらを訪ねたり、ひもといたりして平和の尊さを受け継ぎ、さらに次世代に橋渡しするのが、今を生きる者の大きな責務となる。
 政府は1963(昭和38)年5月の閣議決定に従い、支那事変から太平洋戦争終結までの戦没者数を約310万人としている。一方、その中に含まれる民間人犠牲者数は諸説あり、80万人ともいわれる。広島に投下された原爆では1945年12月末までに約14万人、長崎の原爆では終戦5年後までに約7万人が亡くなった。広島、長崎以外の地域でも空襲のため大勢の民間人が犠牲となった。
 本県も例外ではなかった。1945年4月12日の郡山空襲は約460人もの命を奪った。学徒動員により工場で働いていた生徒30人も含まれ、うち14人は旧白河高等女学校(現白河旭高)の生徒だった。校庭には犠牲者を慰霊する乙女の像「想」が立ち、傍らに14人の名前を記した銅板がある。当時15歳か16歳。それぞれに大切な家族、仲の良い同級生がいただろう。一人一人の名前からは幾重もの無念さが伝わってくる。戦争がなければ孫やひ孫に囲まれ、きっと楽しい人生を過ごしたに違いない。戦争によって少女たちの未来が突然奪われたという悲劇を決して忘れてはならない。
 戦中戦後の庶民の暮らしに関する資料を展示する国立施設の「昭和館」(東京都千代田区)には戦死者が生前、家族に宛てた手紙も並んでいる。「ますます身体に気をつけるように」「お母さんをはじめ皆よい年をお取りください」。家族を思い続けながらも、生還を果たせなかった切なさを感じる。
 太平洋戦争の端緒となったハワイ真珠湾攻撃で海軍の飛行隊長を務めた淵田美津雄中佐(当時)は戦後、キリスト教に改宗し伝道師となった。死去から31年後の2007(平成19)年に発刊された「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」(講談社)は、かつての敵国・米国で戦争の愚かさを説き歩いた赤裸々な体験をつづる。
 家族を思いながら亡くなった戦没者や、命からがらに生き抜いた人々は多くの伝言を残している。その伝言を胸に、不戦の誓いを改めて心に刻みたい。(川原田秀樹)


終戦の日/平和のバトン確実に次代へ
 72回目の終戦の日を迎えた。戦没者に哀悼の意を表し、平和への誓いを新たにする日にしたい。
 先の大戦では全国で約310万人が犠牲になった。このうち旧日本軍兵士は本県出身者約6万7000人を含め約230万人。さらに広島、長崎への原爆投下や東京大空襲の無差別攻撃、学徒動員されていた高校生までもが命を落とした郡山空襲など、民間人の犠牲者も全国で約80万人に上る。
 いまの平和は、戦禍で亡くなった人々の犠牲のうえに成り立っていることを忘れてはならない。平和のバトンを若い世代に手渡していくことが、いまを生きる私たちの責任であることをもう一度、深く心に刻みたい。
 戦時下、学生たちは軍需工場などに勤労動員がかかった。郡山市にあった工場では、同市や福島市などの女子生徒らが「風船爆弾」の製造に動員された。
 風船爆弾は気球に爆弾を搭載、偏西風に乗せて米国本土を攻撃しようと考えられた。気球は直径約10メートルで、和紙を何枚も貼り合わせてつくる。空気が漏れないよう紙を正確に合わせなければならず、何度も指でなでつけるため指紋が消えるほどだったといわれる。
 1944(昭和19)年当時、福島高等家政女学校3年だった福島市の瀬戸君子さん(87)は同級生と共に冬季の5カ月間、気球づくりに携わった。冷たい板の間に正座し、かじかむ手で和紙を貼り続けた。
 「寮生活で食料も粗末。つらい作業だったが、みんなで声を出して励まし合った」と瀬戸さん。
 風船爆弾は、いわき市勿来にあった基地から米国に向かって放たれたことはよく知られているが、県内で製造されていた実態を知る人は少ない。
 終戦から長い年月が過ぎ、戦争の苦しさや悲しさ、無念さを知る人たちは年を追うごとに少なくなっている。さまざまな体験を戦争を知らない世代に確実に伝え、引き継いでいくことが大切だ。
 県遺族会の会員数は7993人(2月現在)で前年より648人減少した。戦没者の妻の平均年齢は98歳、いまの活動の中心を担う戦没者の子どもたちの世代でも78歳になった。
 高齢化が進み、戦争を語り継ぐことが難しくなっている。このため同会は2年前、終戦70年を機に語り部活動をすることを決めた。
 一昨年は会員から手記を集めて冊子にまとめ、昨年は各地区の遺族会が中学校に冊子を贈った。そして今年、初の語り部が中学校の壇上に立ち訴えた。「戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない」。


憲法の岐路 自衛隊明記案 行き着く先を見据えねば
 憲法施行70年の8月15日を迎えた。
 安倍晋三首相の方針を受け、自民党が9条改憲の議論を進める中での終戦の日だ。
 今ある条文には手を付けず、自衛隊についての規定を加えようとしている。内閣支持率の低下でペースが落ちる可能性はあるにせよ、発議を目指す姿勢に変わりはない。
 内外に大きな惨禍をもたらした戦争への反省から、戦後日本は抑制的な防衛政策に努めてきた。首相主導の改憲によって一変しかねない。9条の下での自衛隊の在り方を改めて考えたい。
   <独り善がりな提案>
 5月3日の首相の提案は唐突で性急なものだった。改憲派の会合に自民党総裁として寄せたビデオメッセージで、東京五輪・パラリンピックが開催される2020年を「新しい憲法が施行される年にしたい」と打ち出した。
 具体例として挙げたのが9条加憲だ。戦争放棄の1項、戦力不保持・交戦権否認の2項を残しつつ自衛隊を明文で書き込むという考え方を提示し、国民的な議論に値するだろうと述べていた。
 論議の加速を促された自民党憲法改正推進本部は、自衛隊を「必要最小限度の実力組織」などと位置付ける案を「たたき台」として条文案を検討している。
 何のために自衛隊を憲法に書き込むのか。首相は、憲法学者らの中に自衛隊を違憲とする議論が今なお存在するとした上で「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地はなくすべきだとの考えを示した。
 憲法学者からは首相の改憲案に異論が出ている。9条に明記しても自衛隊を巡る議論に終止符は打たれない。独善的な主張である。
   <衣の下のよろいは>
 現にある自衛隊を書き加えるだけなら一見、問題がないように思える。国民に受け入れられやすいと考えての提案だろう。
 首相は国会で、改憲案が実現しても自衛隊への制約は「基本的に変わらない」と述べている。果たしてそうか。影響を過小評価するわけにはいかない。
 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と9条2項は定める。自衛隊はこの規定に反しないのか、当初から憲法との整合性を問われ、政府は合憲であることの説明に腐心してきた。
 基本に据えたのは、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は憲法が禁じる「戦力」に当たらないとの憲法解釈だ。
 その上で活動拡大に伴い、見解を積み上げてきた。
 国連平和維持活動(PKO)への参加では、海外での武力行使を避けるため紛争当事者間の停戦合意などの5原則を定めている。
 米軍などへの後方支援については、自衛隊が一体となって武力を行使していると受け取られないよう、戦闘発生の恐れがない「後方地域」や「非戦闘地域」に限定する考え方を取った。
 絶えず合憲性を問われればこそ政府は9条の枠内であることの説明を迫られてきた。
 条文を加え、自衛隊を憲法に位置付けた場合、厳しく整合性を問われることがなくなり、2項の縛りが失われる恐れがある。
 海外での活動はどこまで許されるか、どのような装備を持てるのか。一つ一つ突き詰め、掘り下げる議論の土台が崩れかねない。防衛予算の増加もますます歯止めが利かなくなるのではないか。
 14年の解釈変更で自衛隊が従来の憲法の枠を超えたことも見落とせない。安全保障関連法に基づき集団的自衛権を行使できる。もはや日本が直接攻撃されて初めて武力行使する「専守防衛」の組織ではなくなった。明記でお墨付きを与えることはできない。
   <「お試し」に乗らず>
 改憲に向けて安倍政権はあの手この手を繰り出してきた。
 第2次内閣発足後にまず狙ったのは96条を改め、改憲のハードルを下げることだった。批判を受け撤回すると、より賛同を得られそうな項目を先行させる戦略に転じている。「お試し改憲」だ。
 9条に自衛隊を書き加える案も一つの「お試し」である。
 安保法成立後の16年、首相は国会で9条2項を改める必要性に言及していた。「憲法学者が自衛隊に憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきだとの考え方もある」と今回同様、違憲論を引き合いに出しての発言である。
 「国防軍」保持を盛り込んだ自民党草案と党総裁である自身の考えが違うことはあり得ないとも述べていた。加憲案は首相にとって通過点にすぎない。
 今月の党役員人事後、二階俊博幹事長は議論を慎重に進める考えを示した。高村正彦副総裁は、改憲論議を今後は党に任せるよう首相に伝えたという。与党の強引な国会運営が続いている。数を頼みにごり押しへと走らないか、厳しく見ていかなくてはならない。


終戦の日に 「戦後」守る決意を持とう
 「戦争に負けたお陰(かげ)で日本は世界に誇る戦争放棄の憲法が生まれました」
 上越市が2008年に作った市民の「戦争体験談集」に見える述懐である。「戦時下の青春」と題し、1929(昭和4)年生まれの女性がつづっている。
 72回目の終戦の日、「世界に誇る戦争放棄の憲法」の一節が一段と重みを伴って響く。
 「戦後」をどう守り、未来に手渡すか。一人一人がこれまで以上に真剣に考える時に来ている。
◆9条をかみしめたい
 「戦後」とは、イコール平和である。いま、その土台が揺らぐ気配が見える。
 東アジア情勢が緊迫の度を深めている。北朝鮮は大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射し、米国への威嚇を繰り返す。ICBMに搭載可能な小型核弾頭開発に成功したとの分析も報じられた。
 こうした中で、米朝両国間では武力行使も辞さないとの激しい言葉の応酬が続く。
 北朝鮮は日本への挑発も行っている。グアム周辺へのミサイル発射計画を発表し、実施されれば島根、広島、高知3県の上空を通ると予告した。不安を覚えた人は少なくあるまい。
 だが、重要なのは冷静さを失わないことである。日本は戦争放棄を定めた憲法9条の下で平和の歩みを重ねてきた。唯一の被爆国として核兵器の惨劇も知る。
 高まる米朝の緊張を平和的に解決する。それを求めていくことが日本の責務であることを、重ねて訴えたい。
 そのためにも私たち国民が9条をもう一度かみしめ、非戦の誓いを新たにしたい。
◆重み増す一票の役割
 9条は1項で戦争放棄、2項で戦力の不保持をうたう。先の大戦の深い反省が込められた平和憲法の骨格である。
 安倍晋三首相は憲法記念日の5月3日、9条に自衛隊の存在を明記する改正を行い、2020年に施行したいとの意向を表明した。
 7月の東京都議選で自民党は歴史的大惨敗を喫した。これを契機に安倍政権の勢いは失速し、首相が主導してきた改憲論議も練り直しを迫られることになった。
 当初は9条改正を柱とする自民党改憲案を秋の臨時国会で示す構えだったが、先送りされる方向となった。
 妥当な判断だろう。9条は「戦後日本」という国のかたちの根幹ともいえる。改憲論議の俎上(そじょう)に載せるなら、あくまで慎重に取り扱わねばならない。期限を切るようなやり方は乱暴すぎる。
 安倍政権は首相「1強」の下で強権的ともいえる政治手法を取り続けてきた。その標的となってきたのは「戦後」だともいえる。
 特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法。これらは国民の間で賛否が分かれていたにもかかわらず、政権と与党側が「数の力」を背景に採決を強行し、成立に持ち込んだ。
 特定秘密保護法を巡っては、国民の知る権利の侵害につながるとの懸念が示された。安全保障関連法は、9条の下で歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権の行使に道を開いた。
 「共謀罪」法に対しては「内心の自由」を縛り、監視社会を招きかねないと不安が上がった。戦前に思想弾圧の根拠とされた治安維持法に重ねる見方も出た。
 いずれも丁寧に議論を積み重ねていくべきものであったろう。それが、異論を切り捨てる形で法案審議が進んでいった。
 政治の横暴に歯止めを掛けるため、選挙で行使する一票を通じてその在り方を監視していくことは一層重要になるに違いない。
◆戦争体験を知らねば
 あの無謀な戦争では異論は封じられ、情報は統制された。それによって国民が戦いへの参加を強いられ、300万人余にも上る犠牲者を出した。その悲劇の上に平和があり、民主主義があることを決して忘れてはならない。
 戦後23年に当たる1968年8月12日の新潟日報に、雑誌「暮(くら)しの手帖(てちょう)」編集長の花森安治さんのインタビュー記事がある。
 当時花森さんは戦争中の暮らしの記録を集めた特集号を作った。戦争の苦しみを若い世代に伝えたかったと説明している。
 「美化して語る戦争体験でなく、戦争中の暮らしはこんなだったのだよと、ありのままの事実を“歴史”として若い人に読んでもらいたい。いや読んでもらわなければ困ると思ったのです」
 戦時のつらさを肌身で知る世代は減る一方である。「戦後」を守るために戦争の現実を知り、それを忘れない。花森さんの言葉を深く胸に刻みたい。


終戦の日 平和の先頭に立たない国
 今年も広島、長崎は深い祈りに包まれた。被爆者たちは知っている。平和は祈るだけではつかめないことを。それゆえ非人道性の極みである核兵器の廃絶を世界に訴え、行動しているのだ。その先頭に立とうとしない安倍晋三首相に失望と怒りの声が渦巻いた。
 では、いったい国民に何ができるのだろうか。72回目の終戦の日に、政治のリアリズムを超える国民の覚悟と行動力が試されていることを自覚したい。
 「平和は力では保たれない。平和はただ分かりあうことで、達成できるのだ」 アインシュタインが残した真理である。ただ、分かりあうことがいかに困難か。
 2発の核爆弾を落とし、一瞬にして20万人以上の命を奪った米国は「戦争を終わらせるためだった」との論理で正当化している。本来、憎むべきはずの米国に従属し「核の傘」に依存し続ける歴史の矛盾。日本はこの矛盾をさらに広げ、7月に国連で採択された核兵器禁止条約に反対した。
 長崎原爆の日、首相はあらためて核保有国不在の条約には署名しないと言明。保有国と非保有国の橋渡し役を力説した。
 展望が全く開けない中で「核兵器なき世界の実現」を叫ぶことは、あまりにも無責任に映る。祈念式典後、首相に「怒りを込めて抗議」した被爆者団体の代表はこう断じた。「あなたはどこの国の総理ですか」
 政治が過去と民衆に寄り添わず、分かりあうことができなければこの国は真の平和にたどり着けない。
 安倍首相や保守的な改憲勢力は今、国民が70年以上守り抜いた平和憲法に手を付けようとしている。首相は憲法の核をなす戦争放棄をうたった9条を書き換え、自衛隊の存在を明記する考えだ。2015年9月に強行成立させた安全保障関連法を突破口に、戦争ができる道を開く懸念が強まる。
 首相は来年中に改憲を実現させる日程を描いているようだ。学校法人「加計(かけ)学園」を巡る問題や南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題などで内閣支持率が急落、トーンダウンしているが、悲願達成への執念はいささかも衰えてはいない。
 世界唯一の戦争被爆国でありながら「核の抑止力」を行使し、強力な戦力を保持することは、世界が不安定化する中で一定の説得力があるようにみえる。
 核・ミサイル開発を加速させる北朝鮮の危険な挑発に軍事報復も辞さないトランプ米政権の動き、軍事力を背景にした中国の一方的な海洋進出、また過激派組織「イスラム国」(IS)のテロと無縁な国はどこもない。国際社会を覆う内向きなエゴイズムと暴力主義が日本を「過去」に急旋回させつつある。
 国連が掲げる国際平和の理想がなぜ揺らぐのか、なぜ愚かな戦闘が絶えないのか。そのことを考える原点として、自国の「過ち」に真摯(しんし)に向き合いたい。
 先の大戦に対する歴史認識や戦勝国の東京裁判に異を唱える勢力は根強い。それも含め分かりあう力が必要だ。戦前生まれが人口の2割を切った今だからこそ至高の財産である平和の尊さを学び、未来へ誓いを新たにする8月であらねば。


終戦記念日 より重み増す記憶の継承
 72回目の終戦記念日が巡ってきた。全国各地できょう、犠牲者を追悼する行事が催され、第2次世界大戦で貴い命を失った多くの人の魂に祈りがささげられる。
 北朝鮮の挑発により、軍事的緊張がかつてなく張り詰めた中で迎えた終戦の日である。北朝鮮は、米軍の要衝・グアム周辺海上への弾道ミサイル発射を検討していると警告した。直前にトランプ米大統領は、北朝鮮の核開発の進展を受けて「米国を威嚇しない方がいい。世界が見たこともない炎と怒りに見舞われることになる」と武力行使も辞さぬ考えを示していた。
 北朝鮮は、米首都までを射程に収めるべく、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験や核実験を続け、技術を高めているとみられる。国際社会の懸念に背を向けた行動は許されるものではない。一方、抑制的であるべき軍事大国のトップが、異例とも言える強い言葉で反応したことにも驚きと懸念を覚える。
 威嚇の応酬が現実に行動に発展するのか。両指導者とも出方が読みにくいことが余計に不安を増大させている。
 日本も、今回の事態で極めて重要な選択を迫られる可能性がある。小野寺五典防衛相は、集団的自衛権の行使が可能になる「存立危機事態」に認定することもあり得ると述べている。
 存立危機事態は、昨年施行された安全保障関連法に基づくものだ。認められれば初のケースとなり、自衛隊に防衛出動が命じられれば、海上自衛隊がイージス艦でグアムに向かうミサイルを迎撃するといった流れが想定される。
 北朝鮮の軍事的脅威を踏まえて、発射拠点を破壊する敵基地攻撃能力を保有すべきだという議論も活発化している。自民党安全保障調査会は今年、敵基地攻撃能力の保有について政府が早急に検討するよう提言をまとめた。
 当時、検討チーム座長を務めたのが小野寺氏で、防衛相就任後、あらためて前向きに検討する意向を示している。
 アジア地域や世界の平和と安定を維持し、国民を守るために日本はどう対処していくべきか。これまでにないほど厳しい現実に直面させられていると言えよう。
 戦後の平和国家としての歩みの礎に、300万人以上の国民が犠牲になった戦禍の記憶があったことは言うまでもない。しかし、終戦から72年の歳月が経過し、戦場の過酷な現実や、戦時中の苦難をじかに語れる人は減る一方だ。被爆者団体なども高齢化や会員の減少などに直面し、解散を余儀なくされているところが出ている。
 戦後生まれが8割を超えた日本で、戦争の現実を身をもって知る人たちの言葉は今後一層重みを増そう。その体験を次世代へ受け渡し、どのようにして風化を食い止めていくか。再び惨禍を招かぬために、戦争の記憶を継承する大切さを胸に刻みたい。


終戦72年 「戦争を始めない努力」を重ねよ
 いま、8月15日が何の日か、知らない若者が増えているという。きょうは、72回目の終戦の日。戦争放棄を宣言した平和憲法の下、長きにわたって保たれた平和に感謝しつつ、過去を真摯(しんし)に省みる。そして、薄れゆく戦争の記憶をいかに未来につなぎ、「次の戦前」への移行をどう食い止め、踏みとどまるか―を改めて問い直す日である。
 世界の戦争や紛争、対立は絶えず、近年は米国をはじめ内向きな自国中心主義が台頭。テロや格差拡大で不穏な空気が世界を覆う中、ついに日本の、愛媛の上空を、ミサイルが飛び交う事態も現実味を帯びてきた。
 北朝鮮の、米領グアム沖に向けた弾道ミサイル発射予告を受け、松山にも地対空誘導弾パトリオットの部隊が配備された。むろん非は、無謀な挑発行為を続ける北朝鮮側にある。それでも、ひとたび兵器が使われてしまえば、知らぬ間に暴力の連鎖に巻き込まれ、後戻りできない「有事」に突入しかねない。過度に緊張を高めぬよう、冷静かつ抑制的な対応が欠かせない。
 だが、日米同盟を偏重する安倍晋三首相の外交バランスは危うい。首相は先月の電話会談でトランプ米大統領と「さらなる行動を取らねばならないとの認識で、完全に一致した」と述べた。しかし、広島や長崎の原爆の日の前後に核を想起させる威嚇や脅しの言葉を軽々しく発するトランプ氏に「完全に一致」でいいとは思えない。「どこの国の総理ですか」と被爆者に問われた核兵器禁止条約への「不参加」や、沖縄の民意を踏みにじる基地移設の強硬姿勢を見ても、自国民より米国の顔色を優先する振る舞いを憂慮する。
 求められるのは「戦争を始めないための努力」。暴力ではなく、あらゆる外交と対話、忍耐をもって粘り強く共存の道を探るほかに世界の未来はない。国民もそのことを胸に刻み、一日一日の「戦後」を地道に積み重ねていかねばならない。
 だが日本の歩みは、かつてなく揺らいでいる。
 首相は、全国戦没者追悼式で2013年から4回続けて「不戦の誓い」の文言を使わなかった。そこに安倍政権下で強硬に進められてきたことを重ね合わせれば、危険な針路がくっきりと透ける。武器輸出を可能にした「三原則」の見直し、特定秘密保護法、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認、自衛隊任務を飛躍的に拡大した安全保障関連法、内心の自由を縛る「共謀罪」法の強行成立…。
 72年前、敗戦を境に世は軍国主義から民主主義に一変、教科書は墨塗りにされた。「変節」はしかし、逆も当然ある。「戦後」は一夜にして「戦前」に変わり得る、との恐れを持たねばならない。首相の「不戦を誓わない」姿勢、そして「憲法上疑義のある」法改正をごり押ししてきたその先に、改憲がある。「戦争ができる国」への転換をこれ以上許してはならない。その誓いを、何度でも重ねたい。


終戦記念日 空襲の記憶を平和の礎に
 長い間、徳島県民の記憶の底に埋もれていた太平洋戦争の傷痕に、触れたような気がした。
 1945年7月4日の徳島大空襲では、米軍の爆撃機が投下した焼夷弾が徳島市の中心部を焼き払い、約千人の市民が犠牲になった。
 大規模な空襲であり、体験者も多いことから、さまざまな形で語り継がれてきた。
 ほかにも、県内では空襲によって少なくとも15カ所で人的被害が発生し、217人の死者が出ていたことが、県警察史や徳島新聞の取材などで分かった。
 終戦から72年を迎え、当時の状況を知る人が少なくなる中で、掘り起こされた事実である。今こそ、空襲についての証言を書き残し、後世に伝えていかなければならない。
 徳島大空襲以外では、7月30日に起きた阿南市那賀川町の那賀川鉄橋の空襲が、体験者たちの証言によって、語られてきた。子どもも乗っていた列車を米軍機が銃撃し、約30人が亡くなった。鉄橋には今も弾痕が残る。
 人的な被害がさらに大きかったのは、6月22日の徳島市秋田町一帯への空襲だ。米軍機が秋田町、伊月町、鷹匠町などに5発の爆弾を投下し、123人が犠牲になった。
 3月から終戦間際の8月にかけて徳島、鳴門、小松島、阿南、吉野川、美馬の各市、藍住、松茂、海陽、那賀の各町で、空襲があったことが判明している。
 地元では知られた事実であっても、県民が広く共有していたとは言い難い。
 戦後、悲惨な戦争体験を語りたがらなかった人は多い。時間の経過とともに、戦時中の記憶の中に埋もれてしまうのは、無理のないことだ。
 ただでさえ空襲に関する史料や写真が乏しい中、体験者の証言は大きな頼りになる。
 県内の空襲をまとめた記事を受けて、読者からは貴重な情報が次々に寄せられた。関心の高さをうかがわせる。
 空襲の脅威は、遠い過去のものではない。北朝鮮は大陸間弾道ミサイル(ICBM)を日本海に向けて2回も発射して、緊張を高めている。核とミサイルをもてあそぶような挑発が、偶発的な事態を誘発しないか心配だ。
 国際社会を挙げて、北朝鮮の暴発を食い止めることが大切である。
 戦後、日本は平和主義をうたう憲法の下で、武力を排した外交解決に専念してきた。
 平和を築くためには膨大な労力を要するが、戦争で崩壊させるのは一瞬だ。その教訓を次の世代に伝えるのは私たちの責務である。
 古里に深い爪痕を残した空襲は、戦争の悲惨さを肌で学ぶための教材になる。
 お年寄りが子どもたちに空襲体験を語り、戦争の愚かさを共有することで、平和の礎を築きたい。
 終戦記念日のきょう、徳島市など全国各地で追悼行事が行われる。犠牲者の冥福を祈り、永遠の平和を誓う。


【終戦の日】平和の「芯」を守り抜く
 「じんまもばんばも」踊るよさこい祭りがことしも華やかに繰り広げられた。64回を重ね、彩りとにぎわいを増す。
 あの日から72年。ことしも終戦の日を迎えた。戦没者を慰霊し、平和の誓いを胸深くに刻み続けたい。
 だが、現実はどうか。今年のよさこいの夏空に不穏な影がよぎった。時間軸が逆回転を始めたのではないか―。そんな危惧さえ覚える。
 戦後世界に緊張を強いてきた東西冷戦の終結は「融和」を喚起し、国際社会は「新しい秩序」の構築を目指した、はずだ。それから約30年。欧米、アジアで広がるのはむしろ逆行する風景だ。
 自国第一、排外主義、分断、憎悪とテロ…。「自由の国」米国の新大統領は差別的、好戦的な言動で世界を振り回す。歴史的な恩讐(おんしゅう)を乗り越えてつながってきた欧州連合(EU)は結束に亀裂が入り、極右勢力の伸長を招いた。
 日本も自衛隊の活動領域が国連平和維持活動(PKO)などで広がった。中国は尖閣諸島などで覇権主義的な海洋進出を図る。北朝鮮は核開発で周辺に脅威を広げ、この夏は本県に自衛隊の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)が展開される事態を招いた。
 そうした安全保障、治安環境の変化を理由に、安倍政権は特定秘密保護法、禁じ手だった集団的自衛権を可能にする安保法制、さらに「共謀罪」法の成立を強行した。
 平和主義の国是や、知る権利など憲法の根幹に関わる歴史的変更だが、安倍政権は国民の不安や説明を求める声を退け、「数の力」で押し切った。9条をはじめ改憲にも前のめりだ。
 国民に負担と忍耐を強いる政策であっても、国民を守り、社会を豊かにするのであれば、それは政治の責務である。政権は国民に丁寧に説明責任を果たし、国会議論を尽くし、多様な民意を誠実に酌み上げる。そうして初めて、批判にも耐え得る政策に練り上げられる。
 安倍政権は「1強」の強権政治に陥っているように映る。裏返せば、政権批判の受け皿が脆弱(ぜいじゃく)な政治状況がある。
 「こんな人たち」。安倍首相は政権批判を訴える国民に向けて公然と言い放った。国民には主権も言論の自由もある。戦前の状況とは違う。
 民主主義社会が認めるのは、権力による国民監視ではない。国民の側が権力を監視し、暴走を正していくのみだ。それが立憲政治であり、不戦の安全装置である。
 なぜ、よさこいへの共感が全国へ世界へと広がるのか。自由と平等、寛容の精神が祭りの背骨を貫くからではないか。自由民権運動発祥の地の真骨頂であり、民主主義の本質と言えよう。胸を張りたい。
 「不戦の誓い」に立つ戦後民主主義こそが、日本の平和の「芯」を成す。憲法前文は国際平和への貢献も要請する。その普遍的原理を守り抜く決意を新たにしたい。


終戦の日 平和への決意あらたに
 72回目の「終戦の日」が巡ってきた。太平洋戦争では軍人軍属と一般人、合わせて310万人の貴い命が失われた。私たちが享受してきた平和は、その犠牲と、焦土の上に成り立っている。
 まもなく、あるNPO法人が、その活動に幕を下ろそうとしている。戦没者の遺骨捜しや遺品の返還に取り組んできた塩川正隆さん=三養基郡みやき町=が理事長を務める「戦没者追悼と平和の会(旧・戦没者を慰霊し平和を守る会)」である。
 「二度と戦争を繰り返させない」という思いを込めて、沖縄やフィリピンで遺骨を集め、追悼してきた。旧日本兵の埋葬記録を米側から手に入れ、遺品を遺族の元へ届けるなど地道な活動を続けてきた。遺族にとってどれほど慰めとなっただろう。あの戦争を風化させないという点でも、非常に意義深い。
 いまだ収容されていない遺骨は、113万柱もあるという。そこに、私たちが忘れてはならない現実が残されている。
 今年は、被爆国・日本にとって、その姿勢が国際社会から問われ続けた。国連で「核兵器禁止条約」が採択され、核廃絶に向けて国際社会が大きな一歩を刻んだが、当の日本は背を向け続けたからだ。
 「あなたはどこの国の総理ですか」−。長崎市で被爆者団体が安倍晋三首相に向けた言葉には、激しい怒りが込められていた。
 核兵器を違法と断じる国際条約が世界122カ国の圧倒的賛同を得たにもかかわらず、そこに日本の姿がない。「ヒバクシャの受け入れがたい苦しみと危害」「核兵器廃絶という目標達成に向けたヒバクシャの努力」と盛り込まれただけに、政府の態度を許せないのは当然だろう。長崎市の田上富久市長も、この条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいとして「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を被爆地は到底理解できない」と批判した。
 一方で、日本を巡る安全保障環境は厳しさを増している。核兵器や弾道ミサイル開発に突き進む北朝鮮の脅威が増しているだけに、「核の傘」を手放すわけにはいかないという主張も根強い。
 だが、局面は変わりつつある。北朝鮮の脅威は今や、東アジアだけの問題ではなくなった。北朝鮮が弾道ミサイルの飛距離を伸ばせば伸ばすほど、危機は世界へと拡大している。それだけに、国際社会が足並みをそろえ、断固とした姿勢を示す意義はあるはずだ。
 ぜひとも日本政府には、核廃絶の流れを加速させる役割を担ってもらいたいが、逆行しかねない、気になる動きがある。
 日本国内で、敵基地攻撃能力の保有論が公然と語られ始めた点だ。小野寺五典防衛相はこれまで「ミサイルを発射する前に、止めるのが一番確実だ」と先制攻撃を主張してきた。大気圏外に出たミサイルを着弾する直前に打ち落とすのが技術的に難しいとしても、これは日本が堅持してきた「専守防衛」を踏み外すのではないか。
 安倍首相がリードしてきた憲法改正論議も、9条改正を軸に議論が本格化しつつある。平和国家としての役割を果たしつつ、いかに安全保障体制を築いていくか。その覚悟と対応力が試されている。(古賀史生)


[終戦記念日] 不戦の誓いを未来へ引き継ぐために
 5人の少年飛行兵が子犬を囲んでほほえんでいる。1945年5月、陸軍万世飛行場から出撃する前日の写真である。日本の未来について何を考え、どんな思いを巡らしていたのか。
 南さつま市の万世特攻平和祈念館が企画展「特攻隊員たちの軌跡」で飛行兵らの手紙など遺品を公開している。戦争の不条理さが胸に迫る。
 特攻は敗色濃厚な太平洋戦争末期、米軍に一矢を報いた上での講和を模索する中で採用された。隊員の多くは少年飛行兵や学徒兵だ。沖縄戦に向け、各地で短期間で養成された。
 「歴史が教えるのは人間が国家によって序列化され、死の順番さえ決められていくということだ」。ノンフィクション作家の保阪正康氏はこう指摘する(「特攻この地より」南日本新聞社刊)。
 72回目の終戦記念日がめぐってきた。戦没者一人一人を悼み、不戦の誓いを新たにする日である。 戦後の日本は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないと誓う平和憲法を制定し、民主主義国家として歩んできた。
 だが今、大きな岐路に立っているのではないか。戦争を巡る記憶の風化が進み、「国のかたち」を変えかねない政治の動きも続く。
 多大な犠牲を払って手に入れた平和をどう守り、将来へ引き継ぐのか。不戦の誓いの原点を見つめ直したい。
■安保法の実績づくり
 安倍政権は2015年、歴代内閣が禁じた集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法を成立させた。
 国是の専守防衛から逸脱し、多くの憲法学者から違憲と指摘されている。にもかかわらず安保法運用の実績づくりが進む。
 政府は昨年、南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊に「駆け付け警護」の任務を付与し、5月には自衛隊が米艦船を守る「武器等防護」の実施に踏み切った。「戦争ができる国」への布石ではないか。
 国の権限を強める法整備も続く。特定秘密保護法は安保政策に関し国民の知る権利を損なう。改正組織犯罪処罰法(「共謀罪」法)は政府に異を唱える市民運動を萎縮させかねない。
 安保法と前後した一連の法整備について、戦時下の秘密保護法制や反戦思想を取り締まる治安維持法になぞらえる見方もある。
 日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮の脅威は深刻だ。強引な中国の海洋進出も看過できない。
 国防上、脅威への対処は確かに重要である。ただ、拙速に強硬措置に走れば危うい。
 日米同盟強化による抑止力への依存一辺倒の政策は限界がある。逆に地域の緊張を高めることにならないか。主体的なアジア外交を構築する知恵が求められる。
 先の大戦で亡くなったのは日本人が310万人、アジア諸国は推定2000万人とされる。
 戦争の実相は被害と加害の視点がそろってピントが合う。不戦の誓いを確かなものにするには、加害の歴史を直視することが欠かせない。
 日中戦争を研究する歴史学者の笠原十九司氏によると、中国大陸では太平洋戦争中も約100万人の日本兵が戦闘を続け、虐殺や毒ガス・細菌兵器の使用、物資の略奪など戦禍は甚大だった。
 だが、記録が組織的に廃棄され、元兵士の多くが口を閉ざしたことなどから「国民的な記憶が抜け落ちてしまっている」(笠原氏)という。
 日本は過去に誠実に向き合い、歴史認識のしこりを解きほぐす努力を続ける必要がある。
■庶民史を掘り起こす
 戦前生まれは総人口の2割を切り、戦争の「生き証人」は減少の一途だ。それにも増して戦争の記憶が一段と風化しているのが気にかかる。
 南日本新聞が10〜30代の50人を対象にしたアンケート調査によると、終戦記念日の年月日を正しく答えられた人は3割にとどまった。米国と戦争をした事実を2割が知らなかった。
 戦争の記憶をどう受け継ぎ、歴史の教訓に学ぶかは待ったなしの課題である。
 鹿児島大学教育学部の教員・学生と、出水市の市民グループは連携して戦争体験者から聞き取り調査を行い、証言の分析に取り組んでいる。
 掘り起こした戦争の庶民史は証言記録として集積し、「地域の歴史資産」を目指すという。注目される試みである。
 地域から戦争を見つめ直す視点は重要だ。米軍は1945年11月に吹上浜、志布志湾などに上陸する本土侵攻作戦を立てていた。
 もし作戦が決行されていれば、南九州は沖縄同様の激戦地になった可能性がある。想像力を働かせれば、無関心ではいられない。
 県内では本土決戦に備え、特攻艇の出撃基地や砲台、トーチカなど多くの軍事施設が建造された。だが、その後は放置や取り壊しも多い。
 戦争遺跡やその記録を保全する意義を再確認したい。足元の歴史に向き合い、平和の尊さをかみしめる必要がある。


PKO日報閉会中審査◆説明責任を尽くしていない◆
 内閣改造後の記者会見で安倍晋三首相が国民の不信解消に向けて強調した「謙虚に、丁寧に」という言葉とは真反対の対応だった。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る閉会中審査が衆参両院の委員会で実施された。しかし組織的な隠蔽への当時の稲田朋美防衛相の関与の有無が問われているのにもかかわらず、与党側は稲田氏の参考人招致を認めなかった。首相も出席しなかった。
稲田氏関与あいまい
 防衛省の防衛監察本部が実施した特別防衛監察は稲田氏の関与に関してあいまいな記述になっている。だが野党側の質問に対して監察本部の担当者は「関係者の証言があやふやで発言が特定できなかった」と従来の説明を繰り返し防衛省幹部も明確な答弁を避けた。
 小野寺五典防衛相は稲田氏に日報データを報告した際のやりとりが記されたとされるメモや、陸上自衛隊がまとめた内部調査結果の公表、国会提出を拒否した。
 国民への説明責任を尽くそうという真摯(しんし)な姿勢は全く示されなかった。自衛隊という実力組織の活動には、文民統制がきちんと機能しているという国民の信頼が不可欠だ。内閣支持率の下落を受けた安倍政権の「低姿勢」がうわべだけのものならば、信頼回復には程遠いと言わざるを得ない。
 稲田氏の関与に関して監察結果は、2月の報告の際に陸自の日報データ保管について「何らかの発言があった可能性は否定できない」としながら、同時に「書面を用いた報告や、非公表の了解を求める報告がされた事実はなかった」とした。
 あいまいな記述であり、「口頭での報告」はあったのかとの疑問が生じる。その疑問点を明確にするのが国会の責務だ。関係者の証言が食い違うのならば、稲田氏の説明を聞くのは当然だろう。
第三者の再調査必要
 自民党の森山裕国対委員長は「特別監察という非常に重いところで調査した以上のものはない」と稲田氏の招致を拒否した。だが監察本部は防衛相の下に設置されるもので防衛相自身は調査対象ではない。調査の在り方自体が不適切であり、第三者機関などでの再調査が求められる。
 日報の隠蔽問題が深刻なのは、極めて重要な政策決定に関係するからだ。昨年7月に南スーダンの首都ジュバで起きた政府軍と反政府勢力の激しい紛争を日報は「戦闘」と記録していた。しかし首相や稲田氏らは「衝突」と言い換えてPKO派遣を継続してきた。
 開示請求に対して「戦闘」と記述した日報が公開されれば、PKO派遣5原則に照らして派遣が継続できなくなった可能性がある。
 安倍政権は昨年11月に安全保障関連法に基づく新たな任務「駆け付け警護」の付与を決定したが、派遣を継続して安保関連法の実績をつくるため日報隠しの配慮が陸自内で働いた疑念が拭えない。


瀬戸内寂聴が語る戦争体験と反戦、憲法への思い「美しい憲法を汚した安倍政権は世界の恥」
 本日8月15日は72回目の終戦記念日となる。しかし戦後70年以上の時を経て、戦争の記憶と反省が失われつつある。テレビや雑誌などメディアでも、戦争の記憶を語り継ぐための企画は年々少なくなっている。そんな風潮に抗い自身の戦争体験を語る、仲代達矢、桂歌丸、市原悦子らの声を、本サイトでは紹介してきた。
 もうひとり、熱心に自身の戦争体験を語り、戦争の恐ろしさを忘れつつある日本に警鐘を鳴らし続けているのが瀬戸内寂聴である。瀬戸内は新刊エッセイ集『生きてこそ』(新潮社)のなかで、自身の戦争体験についてこのように語っている。
〈北京で中国古代音楽史の研究をしていた夫は三十一歳にもなって、突然北京で応召した。まだ誕生日も迎えていない女の子をかかえ、私は初めて戦争のむごさを、身をもって思いしらされた。夫が出征して二ヵ月すぎた時、何の予告もなく夫は無事に帰ってきた。
 着の身着のまま子どもだけかかえて帰国してみれば、故郷の徳島の町はまる焼けになっていて、母は防空壕で焼け死んでいた。夫の家も焼けて姑は義兄の住む愛媛に移っていた。焼け跡に父と姉で手造りで建てた家がぽつんとあった。私たちは親子三人そこへ居候するしかなかった。二人の男の子を残し、出征した義兄は、ソ連へつれていかれたとシベリアからハガキが一枚来ただけだという。知人の家でもさまざまな苦難に耐えていた〉
 無事に引き揚げられはしたが、故郷では家も家族も失ってしまった。防空壕では母だけでなく祖父も亡くなっていた。そして終戦の日には〈日本人は皆殺しにされるだろうと、その夜は一睡もできなかった〉(前掲『生きてこそ』)という。
 そういった悲惨な体験をしているからこそ、子どもや孫の世代に同じような経験をさせたくないという思いが強い。そのために、彼女はメディアを通して、先の戦争でいかに人々がつらい思いをしたかということを伝えてきたのだが、そういった活動と反比例するように、現在この国は着実に先の戦争で得た反省を無きものにし、再び戦争ができる国へと生まれ変わろうとしている。瀬戸内寂聴はそういった傾向を危惧している。
〈戦争時の体験のない政治家たちによって運営されている戦後七十年の日本の行方が、日々不安でならないのは、死齢に達した老婆の妄想にすぎないのであろうか〉(前掲『生きてこそ』)
 この文章のなかで瀬戸内の頭に想起されている〈戦争時の体験のない政治家たち〉のひとりは、いうまでもなく安倍晋三だろう。事実、瀬戸内寂聴はかつて「美しい憲法を汚した安倍政権は世界の恥です」と痛罵したこともある。
瀬戸内寂聴「“戦争法案”を押し通した安倍首相の神経は理解しがたい」
 それは、「女性自身」(光文社)2015年8月4日号でのこと。このインタビューのなかで瀬戸内寂聴はさらにこのように語っている。
「安倍晋三首相と、与党議員たちが強行採決した安保法案は、日本国民を世界中で死なせ、家族を不幸にし、国まで滅ぼすものだと思います」
「これだけ国民に反対されていることを自覚しながら、“戦争法案”を押し通した安倍首相の神経は理解しがたいですね」
 安保法制に反対する文化人・芸能人のなかでも、ここまで強い調子で安倍首相を非難できる人間はそう多くないだろう。そして、瀬戸内はこうまで言い切っている。
「多くの国民が安保法案に反対したという事実、そして安倍首相と政府与党がどれだけ横暴なことをしたのかという事実は、歴史に刻まれます」
 安倍晋三のような首相ができあがったのも、それに共鳴する人間が増えたのも、ひとえに国民が戦争の恐ろしさを共有できなくなっているという状況が根底にあるのは間違いない。
 先月に亡くなったばかりの、聖路加国際病院名誉院長・日野原重明氏もまた同じような危機感を抱いていたひとりだった。彼は、高齢者が健康的で活発な生活を送るためのサークル「新老人の会」をつくり、現在では1万人以上の会員を擁する組織となっているが、瀬戸内寂聴も参加するその会でつくった本について彼女はこのように語っている。
〈日野原重明氏提唱の「新老人の会」というのは、七十五歳以上の元気で前向きな生き方のできる老人たちの集まりである。その人たちは戦争体験者なので、余生は戦争の記憶を綴り戦争を知らない若者に伝えたいと念願して戦争体験記の本を出した。それは真面目な立派な記録だけれど、今の若者たちにどうやってそれを読ませるかが問題である〉(前掲『生きてこそ』)
 また、そもそも、体験として戦争を語ることのできる人がどんどん減ってきてしまっているという問題もある。たとえば、水木しげる、永六輔、大橋巨泉、野坂昭如、ペギー葉山、野際陽子など、ここ数年だけでも戦争体験を盛んに語り継いでいた文化人や芸能人がどんどん鬼籍に入ってしまっている。
 だからこそ、いま語り残される戦争の記憶はとても重要なものであり、そこで語られる証言を我々は胸に刻み込むべきだろう。(編集部)


ウーマン村本は“最強反戦芸人”だ! 朝生で安倍批判連発、終戦記念日に「国よりも自分が好きなので戦争は行きません」
 芸能人による政治的発言がタブー化し、「物言えば唇寒し」の空気が蔓延するこの時代に、驚くべき論客が現れた。ウーマンラッシュアワーの村本大輔が8月11日放送の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)に初出演し、タブーを破りまくったからだ。
 すでにネットニュースでは、司会の田原総一朗が「国民には国を守る義務があると思う」と発言したことに対し、村本が「絶対に戦争に行くことがない年寄りに言われてもピンともこないわけですよ。絶対行かないじゃないですか」と反論、田原が激昂したことが話題となっているが、じつは、このやりとり以外でも、村本の覚悟と本気が感じられる場面は多々あった。
 たとえば、この日の番組テーマは「安倍政治と日本の平和」で、自民党の山本一太参院議員や小林よしのり、国際政治学者の三浦瑠麗といったおなじみの朝生メンバーと肩を並べてパネリストとして登場した村本だが、初っ端から田原に「安倍晋三という男は好き、嫌い?」と尋ねられた村本は「まあ、会ったことないので好きか嫌いかわかんないですけど」と前置きしつつ、秋葉原での『こんな人たち』発言を例に挙げ、「感情的になってああいうことを言うのは大人じゃないんだなと思った」と述べた上で、こうつづけた。
「安倍さんに対していろんなニュースを見て思うのは、みなさんにぜひお聞きしたいんですけど、やっぱりこう、戦争の臭いがプンプンする人な気がする。戦争臭というか。それがずっと感じるのが怖さみたいなのがあって」
 村本は以前より共謀罪について〈国民から声を奪う法律〉と訴え〈大反対〉の意思をTwitter上でも表明してきたが、この日も安倍政権に対して「内閣改造して、メンバー改造するだけで、支持率がぐっと上がるような人たちの支持率を信じて討論するべきなのか」と疑問視。内閣改造はお為ごかしに過ぎないと喝破したのだ。
三浦瑠麗の“上から目線”発言も一蹴、「国際貢献の言葉がきれいすぎる」
 さらに、駆けつけ警護という新たな任務が加わった南スーダンへのPKO部隊の派遣についても、村本は自身の弟が自衛隊員であると明かし、スタジオの議論で「(PKOで自衛隊員が)命落とす可能性ありますよね?死ぬ可能性ありますよね?と言ったら、結構みんな簡単に『はい』って言った」ことを俎上に載せ、「そのPKOに自衛隊が行かないといけない理由を教えてもらいたいんですけど」とパネリストたちに疑問をぶつけた。
 だが、他のパネリストは、三浦が“憲法の前文に諸国民の平和や自由を尊重すると謳われているから”といつもの上から目線で語ったり、山本も「国際貢献」であることを強調しながら「日本以外はかなり亡くなっている」と述べるなど、村本が提起した「自衛隊員を簡単に死なせていいのか」という問いには答えないまま。そんな状況に、村本は、自衛隊員やその家族は生きるか死ぬかの戦時中のような思いを抱えているなかで「国際貢献という言葉がきれいすぎて」と指摘。“PKOの実態をきちんとメディアが伝え、どういう状況なのかを自衛隊員や家族にまで届くくらい議論するべきでは”と訴えたのだ。
 日本の核保有の是非について議論になれば、「お盆で返ってきている原爆で亡くなった方、人たちはどう思ってるのかな」と是非を語ること自体に抵抗感を示し、「核の抑止力っていうのは本当に意味がない」と意見を口にする。──リアリストを気取るパネリストが高圧的に振る舞うなかで、村本は一貫して、人の命の問題であるという本質を突きつけつづけた。
 しかし、村本の本領が発揮されたのは、北朝鮮問題についてだ。たとえば、「さっきから国防、国防って言いますけど、守るような状況に追い込んでいるのは政治家」と発言し、田原から「追い込んでない!」と怒鳴り散らされても怯むことなく「だから外交っていうのがあるんじゃないですか」と反論。“まずは対話から”という外交努力の必要性を村本は訴えた。その上、田原にこう迫ったのだ。
「誰かが北朝鮮に行って金正恩とちゃんと対話する、喋る。田原さん、ちょっと安倍さんに言ってきてくださいよ」
 先月、田原が官邸で安倍首相と対面し、そこで「政治生命を賭けた冒険をしないか」と提案したと報じられたが、このとき田原は「安倍首相による電撃訪朝、金正恩委員長との首脳会談を提案したんじゃないか」という噂があることを本サイトは指摘したが、村本は直接、田原に対して「電撃訪朝とか安倍さんはできないんですか?」と問いただしたのだ。
北朝鮮非難にも村本は「日本だって北朝鮮を侵略した」と毅然と発言
 このとき、田原は「できないことないでしょ」と答えたが、日頃から対北朝鮮への「防衛戦争」準備の必要性を語っている小林よしのりなどは「対話してもね、嘘しかつかないの」と村本の意見を一蹴。だが、村本はこうした意見に、こう反論した。
「すいません、すごいバカな喩えするんですけど、たとえば日本なんかも昔はヤバイときあったわけですよね。北朝鮮を植民地にしたりとか、っていう歴史があったわけですよ。満州とかあるわけですよ。ドイツなんかもあるわけですよ。どの国にも反抗期があるとしたら、北朝鮮に対して『こいつやべえ奴ら』だと、『話すのやめようぜ』っていう対応していたら、どんどんどんどん悪くなっていくと思う。最終的にはアメリカっていうめちゃめちゃ強いヤンキー連れてきて『殴る』って言ったら殴り返してくると思うんですよ」
 さらに、山本一太議員が、拉致問題を例に「日本人みんな基本的に北朝鮮嫌いですよね?」と言うと、村本はすかさず「ぼく、嫌いじゃないです」と返答。やはり、このように持論を述べたのだ。
「ぼくの友だちが北朝鮮の学生とこのまえ喋ったときに、日本のね、北朝鮮の拉致問題の話をしたときに、だったら日本はそのまえに北朝鮮を植民地にしているじゃないかと。なんで自分たちの都合のいいところだけ切り取るんだということを喋っていたんですよ。それで『嫌い』って、都合いいなって思うんですよね」
 朝鮮半島を植民地にしたという歴史を踏まえないで拉致問題だけを問題にし、憎悪を煽るのは都合が良すぎる──。「どの国にもある反抗期」という表現は問題を矮小化する危険性があるが、それでも日本が北朝鮮と同様に「ヤバイ国」だったこと、そして、そもそも朝鮮半島を侵略した加害国であることを前提にしなければならないと、村本ははっきりと口にしたのだ。
 拉致問題の議論のなかで、日本の加害責任に踏み込んだ発言をテレビでおこなった芸人が、近年いただろうか。過去には爆笑問題の太田光も近いことを述べていたが、いまはテレビでそんな話はしない。「北朝鮮との対話」を求める時点でネトウヨが大騒ぎするのに、さらに加害責任にまで言及するなどということはタブー中のタブーだからだ。
 しかし、村本は毅然と発言した。たしかに、これまでもベッキーをはじめとするタレントの不倫を断罪してバッシング攻撃に晒す道徳ファシズムを批判したり、前述したように共謀罪に反対を表明するなど、批判や炎上に晒されるような問題にもはっきり意見してきた。だが、現在のテレビと芸能界が置かれた状況を肌身で感じているであろう芸人である彼が、評論家でさえ尻込みする問題に突っ込んだのだ。正直、ここまで本気でぶつかる芸能人を見たことはない。
朝生出演の理由を「百田尚樹という人の安っぽさを見て俺でもいける」と
 しかも、村本がすごいのは、発言がネット上で炎上しても、まったくたじろいだりしていないことだ。
 村本の「植民地」発言に対しては、案の定、〈植民地支配じゃなく併合だ〉〈コイツは拉致問題と植民地を同等と考えてる馬鹿、こんなゲスで馬鹿を出すな〉などと攻撃を受けたが、村本は撤回することなく、逆に高校の日本史教科書採択率の高い山川出版社の参考書をひきながら“韓国併合によって日本は完全に朝鮮半島の植民地支配した”との記述をつきつけた。一方、『朝生』への出演についても、こう述べている。
〈百田尚樹という人と杉田水脈と言う人が朝生に対して自分たちの動画で語っていた。そのほとんどが安っぽい想像と自分主観の人格批判。あれを見た時に、あれでもでれるなら、おれもいけるな、と緊張はなくなった。〉
『朝生』に初出演した百田が無知を晒してとんだ赤っ恥をかいたことは既報の通り【http://lite-ra.com/2017/06/post-3215.html】だが、その後、百田がおこなった“負け犬の遠吠え”のレベルの低さによって、村本がのびのびと発言できたのなら、百田の言動にも意味があったというべきかもしれない。無論、村本は放送中の発言が攻撃に遭っても、番組出演や終戦記念日に際した感想を、このように投稿している。
〈年寄りに、若者はいざとなった時に日本を守るために戦争が起きたら戦うべきと言われても、過去にその年寄り達がおかした失敗から学んで同じ間違いを犯さないようにするのが次の世代。年寄りは、愛国心押し付けるより経験から学ばせてくれ。そう思った夜。議論はとても楽しかった。〉
〈軍人さんがいたからいまの平和があるって言うやついる。もしいま戦争が起きたら10代20代の若い子が戦争にいく。これからの若い子が爆弾で体バラバラになってまで得る平和に強い疑問がある。〉
 終戦記念日のきょう、テレビは相変わらず北朝鮮のミサイル攻撃の脅威を煽り、バスに設置された慰安婦像について政府の見解だけを垂れ流している。当然、朝鮮半島に対する加害責任に言及する空気など微塵もない。そんななかで、歴史を修正しようとする偽物を見分け、しっかりと人の命から学ぼうとする村本。彼はきょう、こうツイートした。
〈終戦記念日
僕は国よりも自分のことが好きなので絶対に戦争が起きても行きません
よろしく〉
 どれだけ批判を浴びても胸を張って自分の意見を貫くこの姿勢を、ぜひずっと続けてほしい。(編集部)

小倉で松本清張の日本の黒い霧に衝撃/門司港/下関/博多でついに

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Japon : le bébé panda du zoo de Tokyo fête ses deux mois
Des photos montrent l'animal né le 12 juin en train d'être pesé ou de jouer avec sa mère.
Le zoo Ueno de Tokyo avait célébré le 12 juin la naissance de son premier bébé panda géant en cinq ans. Ce lundi, lors d'une conférence de presse de son directeur, Yutaka Fukuda, l'établissement a donné ce lundi les dernières nouvelles du petit animal, photographié et filmé sous toutes les coutures. La femelle, qui n'a pas encore de prénom, grandit bien et son pelage bicolore se fait chaque jour ≪plus épais et doux≫, a assuré ce dernier. ≪Elle va devenir de plus en plus adorable en grandissant≫, a-t-il souri.
Sur les images, on la voit être délicatement pesée et mesurée (un peu plus de 3 kg pour 43,9 cm), baîller aux corneilles, ramper et jouer affectueusement avec sa mère, Shin Shin. Si ses yeux sont maintenant grands ouverts, sa vision est encore floue et il lui faudra encore un mois avant de pouvoir se hisser sur ses quatre pattes, ont expliqué les responsables du zoo. Le contraste est saisissant avec les premiers clichés qui montraient un minuscule rongeur tout rose et sans fourrure, d'à peine 150 grammes.
Le zoo, qui avait invité le public à trouver un nom au panda, a reçu quelque 250.000 propositions au total et annoncera son choix en septembre. Sa mère Shin Shin, qui s'est accouplée avec Ri Ri en février, avait déjà donné naissance en 2012. Il s'agissait alors d'un événement inédit en 24 ans pour ce zoo mais le petit était mort de pneumonie six jours plus tard.
La France a elle aussi depuis peu son bébé panda, le premier né dans l'Hexagone. Prénommé provisoirement "Mini-Yuan Zi", du nom de son père biologique, il a vu le jour le 5 août au zoo de Beauval (centre) et a passé le cap délicat de la première semaine. Son jumeau, trop faible, est décédé peu après sa naissance.
En dehors de Chine, seuls 22 parcs zoologiques dans le monde possèdent des pandas géants. Selon des estimations, il reste en liberté moins de 2.000 de ces grands ursidés au pelage noir et blanc et aux oreilles rondes, dans trois provinces du centre-sud de la Chine.
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小倉に着いたので,観光案内所でお話を聞いて,松本清張記念館に行ってみました.実は読んだことがなく特に興味があったわけでもないのですが,約80分の「日本の黒い霧」の上映を見て強い衝撃を受けました.帝銀事件・下山事件・松川事件という黒い霧を松本清張が独自の調査と視点から論考をすすめ,それについての映画?です.真犯人の推理など面白いというだけでなく考えさせられる点もあります.安倍の黒い霧についていろいろ報道されていますが,たくさんの書籍が書かれるべきですね.いまは隠されている情報が多いのですが,将来的にはそれが明らかさにされアベの黒さがはっきりするはずです.
門司港に行って焼きカレーを食べ関門トンネルを渡って下関に移動しました.ボランティアの方が耳なし芳一を紙芝居でやっていてとても面白かったです.
バスで下関駅に移動して山陽本線で博多へ.雨の中出て夕ご飯.そしてついに・・・

花に囲まれ安らかに 樹木葬墓地28日開園 独身者ら想定 東松島・長音寺
 東日本大震災で被災した東松島市野蒜の長音寺で28日、花や木々に囲まれた環境で供養できる墓地「マイメモリー樹木葬 のびる」が開園する。市内に樹木葬が整備されるのは初めて。「自然に返りたい」との要望に応えるほか、「墓の承継者がいない」といった事情にも対応し、納骨後13年で永代供養する。
 墓地に隣接した樹木葬のエリアは全78区画で、花壇のように整備されている。各区画では遺骨を埋葬した土の上に石板のプレートを置き、故人が好きだった花も植えられる。プレートには自由なデザインの彫刻も施せる。
 1〜3人用があり、広さは幅30〜50センチ、奥行き40センチ。ペット共葬区画(幅50センチ、奥行き40センチ)も用意した。自分の死後に墓を守る人がいない独身者や子どものいない夫婦らの利用を想定。通常の墓石を建てる費用の半額以下の数十万円で永代供養までしてもらえる。
 長音寺は震災の津波で本堂などが全壊。被災の痕跡が残る墓地をきれいに整備しようと、桜や色とりどりの花を植えた樹木葬の区画整備を決めた。
 秋山公純(こうじゅん)住職(50)は「松島や石巻からのアクセスも良く、平らな墓地でお参りもしやすい。檀家(だんか)でない方も利用できるので見てほしい」と説明。販売管理する市内の墓石販売会社「上東五和」の佐藤牧観(まきみ)社長(40)は「それぞれのスタイルに合わせて墓を選んでほしい」と話す。
 16日まで現地相談会を実施。連絡先は同社0225(86)1131。


紛争 震災 心の傷と向き合う 医師の桑山さん訴え ユニセフが仙台で講座
 宮城県ユニセフ協会主催の国際理解講座が仙台市内であり、発展途上国で医療に従事してきたNPO法人「地球のステージ」代表理事の心療内科医、桑山紀彦さん(54)=神奈川県海老名市=が講師を務めた。桑山さんは紛争地帯や東日本大震災の被災地などでの取り組みを紹介。つらい境遇にある人々の心の傷と向き合い続ける大切さを語った。
 桑山さんは、地球のステージがイスラエルとの衝突が続くヨルダン川西岸のパレスチナ自治区で3月から子どもたちの心のケアに当たっていることを報告。
 現地の映像を流しながら「お互いの正義が合わなくても共存の糸口を見つけるため、その間に入ることのできる人間になりたい」と力を込め、平和を願う自作の歌を披露した。
 震災当時、名取市でクリニックを開業していた桑山さんは津波で家族を亡くした同市閖上の遺族の語り部活動にも協力している。
 復興が進むにつれて震災遺構が失われていく現状を憂慮し「津波の記憶を整理しないまま忘れようとすると、人は立ち直ることができず前に進めない」と指摘。聴講した市民ら約300人に活動への息長い支援を呼び掛けた。
 桑山さんと親交のある県ユニセフ協会の五十嵐栄子事務局長(64)は「人はどんな状況でも強く生きようとするパワーを持っているのだということを、彼の話はいつも気付かせてくれる」と述べた。
 講座は青葉区の仙台市福祉プラザで5日に開かれた。


<東松島市>医療福祉再生や教育振興へ連携 東北文化学園大と協定
 東日本大震災で被災した東松島市は、東北文化学園大(仙台市)と包括連携協定を結んだ。互いの資源を生かして地域社会発展や人材育成などを目指す。
 主な連携内容は(1)保健・医療・福祉の向上(2)教育・研究・文化の振興(3)まちづくり−など。
 震災後、市は「医療福祉サービス復興再生ビジョン」策定に当たり、同大の教職員を委員として選任。同大の学生らは、市内の仮設住宅や防災集団移転団地「あおい地区」で、地域活動やコミュニティーづくりなどを支えてきた。
 市役所で10日にあった締結式で、渥美巌市長は「支援や知恵を得ながら課題を解決し、開かれた魅力ある街に復興したい」と強調。土屋滋学長は「大学は医療や福祉、保健の陣容が整っており、皆さんのお役に立つような提案を多くできるのではないか」と話した。


震災から7度目の盆入り 墓地再建ようやく
 東日本大震災から7度目となる盆の入りの13日、被災地の寺院や墓園には先祖や震災犠牲者の冥福を祈る家族連れらが訪れた。1月に墓地が再建された名取市閖上の観音寺では、檀家(だんか)らが震災後初めて地元で盆の墓参りをした。
 復興のかさ上げ工事で様変わりする閖上地区は、7月に集合型災害公営住宅への入居も始まった。観音寺は津波に流された本堂の再建に先立ち、墓地に真新しい墓石が並ぶ。訪れた人は造り直した墓に花や線香を供え、手を合わせた。
 同市杜せきのしたの主婦伊藤利枝さん(39)は閖上にあった自宅を流失。13日には震災前に亡くなった祖父の納骨を行った。「ようやく供養がかなった。早く街の活気も取り戻してほしい」と願った。


仮設で最後の盆踊り 福島・双葉の避難者集う
 東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県双葉町の町民が暮らすいわき市南台の仮設住宅で12日夜、盆踊りがあった。退去が進む仮設での開催は6回目の今年が最後となる見通し。懐かしいおはやしが響き、避難先から集まった町民らが笑顔の輪をつくった。
 事故前に使われていたやぐらが町内から運び込まれ、各地区の芸能保存会のメンバーが次々と演奏した。これまでで最も多い8地区が参加。町民が踊りの輪に加わり、古里に思いをはせた。
 盆踊りは町民有志グループ「夢ふたば人」が町の伝統を継承しようと2012年から開催。仮設入居者がピークの3割に減り、多くが来春にもいわき市勿来町酒井地区に完成する災害公営住宅に移る。来年は町が町外拠点に位置付ける同住宅での開催が検討されている。
 夢ふたば人会長の会社員中谷祥久さん(37)は「コミュニティー維持に向け、今後も続けていく」と意欲を見せた。いわき市に避難し、毎年参加している双葉中3年野村遥花さん(15)は「参加者は少なくなったが楽しかった。また踊りたい」と話した。


河北春秋
 「ユウちゃん、久しぶり」。似顔絵師の阿部仁文(ひろふみ)さん(39)が声を掛ける。女の子は机の向かい側にちょこんと座り、阿部さんを真っすぐに見た▼ここは、大崎市古川の画廊「しあわせ美じゅつ店」。窓の外に七夕飾りが揺れる。阿部さんがユウちゃんを描くのは4度目だという。毎年8月3、4日にある「古川まつり」がその機会。去年まで大崎市のみなし仮設住宅に住んでいたユウちゃん、今年は気仙沼市からお母さん(47)と一緒に来た▼さらさらと筆が動いて、好奇心の強そうな笑顔が仕上がった。「この子は東日本大震災の2週間後に生まれたんです」と、お母さん。3歳の時から毎年、1枚ずつ描いてもらい、成長の記録にしている▼阿部さんもユウちゃん一家も津波の被災者だ。流失した家の再建が成り、ユウちゃんは今春、古里で小学校に上がった。アワビやワカメの養殖が本業の阿部さんも、同時期に宮城県南三陸町の造成地に新宅を構え、大崎を離れた▼去年の古川まつりで振る舞った1年もののアワビは一口サイズだった。今年は三口サイズに育った。養殖が軌道に乗ったとは言いがたいが、ユウちゃんと出会った頃は明日が見えなかった。「今は手探りで未来の輪郭を描いています」。焦らずに進もうと、自分に言い聞かせている。

事業承継2020年問題/地域経済存続へ集中支援を
 東日本大震災からの経済復興を目指す東北に、企業の事業継承問題が影を落としている。後継者難が常態化する中、団塊の世代の経営者が後期高齢者に差し掛かる2020年以降、中小・零細企業の廃業が相次ぐ事態が予想されるからだ。復興はもとより、雇用維持、技術の伝承、税収確保の観点から、支援の集中展開が急務になっている。
 東京商工リサーチ東北支社によると、東北で16年に休廃業したり、解散したりした企業は前年比8.6%増の2014件。宮城は56.9%増と突出した。団塊の世代の経営者が高齢を理由に継続を断念したケースが目立つという。
 同社の16年の全国社長年齢調査で東北の平均は62.1歳となり、全国の9地方別で最も高かった。社長の年齢は業績と連動し、高齢になるほど減収となる傾向も表れた。同東北支社は「後継者がいないと新規の投資意欲がそがれ、競争力が減退し、業績悪化につながる」と分析する。
 経営者の高齢化は全国的に進行している。中小企業庁の「事業承継ガイドライン」の資料によると、過去20年で経営者の年齢分布のピークは47歳から66歳へ移動した。同庁は、20年ごろには数十万人に及ぶ団塊の世代の経営者が大量引退するとみている。
 全国最速のペースで高齢化と人口減が進む秋田県は、事業承継対策に早くから取り組んできた。秋田商工会議所は14年、国の委託で「県事業引継ぎ支援センター」を設置し、支援体制を整備した。
 15年には起業希望者や県外からの移住者と、事業譲渡を望む事業主をつなぐ「後継者人材バンク」を東北で初めて始動させた。
 資金需要の先細りが懸念される金融機関も対応を急ぐ。東邦銀行は、後継者難で事業継続が困難となった企業と業容拡大を目指す企業との合併・買収(M&A)をマッチングする事業を展開する。フィデアホールディングスは17年度から3カ年の中期経営計画で事業承継を積極支援する姿勢を打ち出した。
 東北の被災地において、中小・零細企業は地域産業や暮らし、雇用の再生で重要な役割を果たしている。規模の大小を問わず、地場の企業は地域経済を循環させてきた。廃業はそのまま地域経済の地盤沈下につながりかねない。
 16年度決算の地方税収は7年ぶりに減少に転じる見通しとなった。金融緩和政策を柱とした安倍政権の経済政策「アベノミクス」の失速が地方からあぶり出されている。企業が事業を承継できない状況は、弱体化が進む地方経済の負の象徴であり、アベノミクスの政策効果が地方の中小・零細企業に行き届いていないことの証左とも言える。
 時間的な猶予はあまりない。東北の企業・事業所は42万。どの企業も地域に必要とされ、存続してきた事実を忘れてはならない。


荒浜で犠牲者追悼のキャンドル
東日本大震災で被害を受けた仙台市若林区の荒浜地区で、キャンドルに火をともして犠牲者を追悼する催しが、お盆にあわせて13日夜開かれました。
仙台市若林区の荒浜地区では、津波でおよそ200人が犠牲になったほか、およそ800世帯の住宅が全壊する、などの被害を受けました。
催しは、犠牲者を追悼するとともに、夜は明かりの少なくなる地区を明るく照らそうと、住んでいた人たちが中心となって企画しました。
13日夜は、住宅跡地の一角に、帰省した人などもあわせておよそ50人が集まり、ガラスの器に入った300個のキャンドルに火をともして、ひとつひとつ丁寧に並べていました。
また、地区出身のシンガーソングライター・佐藤那美さんが、ふるさと・荒浜への思いを込めた歌を披露し、集まった人たちが聴き入っていました。
津波で父親を亡くし、東京から帰省していた大友麻衣さんは、「人が住むことは難しくなってしまいましたが、いろんな人が来てくれたことがうれしいです。地区は、寂しい状態が続きますが、思いをはせられる場所であってほしいです」と話していました。


<土崎空襲72年>平和のバトン次世代へ
 太平洋戦争の終戦前夜、秋田市土崎地区で250人以上の命が奪われた土崎空襲から、14日で72年を迎える。同市土崎港西の主婦伊藤津紀子さん(76)は語り部として、空襲体験を伝え続けてきた。戦災記憶が風化する中、「戦争を繰り返さないために、平和への思いを次の世代に継承したい」と決意を新たにする。
 1945年8月14日夜、寝静まった港町の闇夜を赤い閃光(せんこう)が切り裂いた。米軍機「B29」約130機が同市土崎港の旧日本石油秋田製油所を標的に、15日未明にかけて爆弾約1万2000発を投下。町は一瞬にして炎に包まれた。
 当時4歳の伊藤さんは家族と共に、土崎港西の自宅裏の畑に掘った防空壕(ぼうくうごう)に避難した。「ここでは危険すぎる」。父の判断で、約3キロ離れた松林に逃げ込んだ。逃げ惑う住民の叫び声や爆撃音におびえながら、一夜を明かした。
 翌朝、町には民家が跡形もなく、焼け焦げた無数の死体があった。家族9人は無事だったが、防空壕に逃げ込んだ近隣住民は爆撃で亡くなった。「松林に避難していなかったら、間違いなく自分も死んでいた」と声を震わせる。
 銀行を退職した1997年、体験者らでつくる「土崎港被爆市民会議」の運営に携わり始めた。
 語り部を始めたのは2007年。空襲体験を語る人が少なくなっていた。市民会議主催の犠牲者を追悼する平和祈念式典で、子どもたちがメッセージに平和への願いを込めて訴える姿に心を動かされたことも大きかった。
 毎年、被爆した町並みの写真や紙芝居などで戦争の惨状を伝えるため、訪れる市内外の小中学校で必ず見せる物がある。
 隣家に住んでいた小学6年の男児が亡くなった時に着ていた国民服だ。爆弾の破片が貫通し、右脇腹から背中にかけて小さな穴が開いている。
 「命の重さを教えてくれる『生きた資料』」。伊藤さんが語り掛けると、子どもたちは真剣な表情で聞き入るという。
 終戦から15日で72年。戦禍の傷跡は色あせる。空襲で被災した旧日本石油秋田製油所の「被爆倉庫」は今年、老朽化を理由に解体された。
 焼けただれた柱や梁(はり)の一部は来年3月開館予定の「土崎みなと歴史伝承館(仮称)」で展示されるが、伊藤さんは「戦争の悲惨な現実を見せつける景色がなくなるのは残念」と話す。
 市民会議は14日、同市土崎港西のポートタワー・セリオンで平和祈念式典を開く。「当事者の声でしか伝わらない思いがある。命が続く限り、平和の尊さを訴え続けたい」。式典への出席を前に、伊藤さんは改めて誓う。


デスク日誌 語り継ぐ
 あれから20年以上が過ぎても取材の記憶は鮮明に残っている。猛暑だった1994年8月。秋田総局で土崎空襲の体験者の聞き書きをした。戦後49年、戦災犠牲者の50回忌に合わせた。
 土崎空襲は、終戦前夜の45年8月14日の出来事だった。地元の警防団の元団長、負傷者が運び込まれた病院の元看護師、遺体が並べられた寺の僧侶。証言は生々しかった。若気の至りで表現の配慮を欠き、何度も書き直させられた。
 取材相手は70〜80代だった。冷たい麦茶を何杯も出してくれたおばあさん、風通しのいいお堂で「足を崩していいよ」と笑ってくれたおじいさんも、多くは鬼籍に入られただろう。「残された時間は少ないから」という言葉が耳に残る。
 新聞記者は歴史の記録者と言われる。日々の報道はもちろん、昔あった事柄を今に伝え、個々の記憶に公の価値を与えることもまた、使命なのだろう。
 私たちは東日本大震災を経験した。未曽有の災害も時がたてば歴史の一部になる。記者として、当事者の一人として、語り継ぐ責務を背負っている。23年前の夏は考えてもみなかったことが、今は身に染みる。
(報道部次長 今里直樹)


<東北の道しるべ>どぶろくで世界に挑む
 「どぶろく」で世界に挑む若き職人が遠野市にいる。市内の老舗民宿の4代目、佐々木要太郎さん(36)だ。10年以上の歳月をかけて磨き上げた味が評価され、昨年2月からスペインや香港の高級レストランが扱うようになった。さらなる海外展開を見据え、コメ農家の支援に乗りだした。
 輸出している「水もと仕込み」は、天然酵母と乳酸菌の力を最大限生かし切る独自製法で醸す。優しい酸味と深いうま味、抜群の切れが一体となり「エレガンスさとバランスの良さ」(佐々木さん)を実現した。
 遠野市が「どぶろく特区」に認定されたのは2003年。これを機に佐々木さんも醸造を始めて04年6月、23歳の誕生日に初めて自作のどぶろくを宿泊客に提供した。ところが−。
 「ばかにするな。勉強不足すぎる」。激しく叱責(しっせき)された。相手は酒どころ新潟県の杜氏(とうじ)だった。
 「何も言い返せなかった」と佐々木さんは振り返る。「深く考えずに造り、おいしいと思えないまま出した自分を恥じた」
 どぶろくと真剣に向き合うことを決意し、モヒカン頭を丸めた。一日2箱吸っていたたばこもやめた。
 以来、民宿業務の傍ら奈良県の酒蔵に弟子入りするなど理想のどぶろく造りに心血を注いだ。日本古来の発酵技術の奥深さに魅了され、職人の技を身に付けようと努力を重ねてきた。
 原料米は遠野原産の「遠野1号」で、佐々木さんと20〜30代の弟子ら4人が無農薬・無肥料で育てている。農作業の大変さを知るにつれ、農家が正当に評価されていないとの思いが強まった。
 自分たちと同様に農薬や肥料を使わないコメ農家の経営を支援したいと考え、適正価格で原料米を仕入れる取り組みを始めた。まずは盛岡市の農家と連携し、各地に広げる計画だ。
 「遠野でも一つのことを深く突き詰めれば、世界と渡り合える」と新たな海外展開を練る佐々木さん。自分と仲間たちの挑戦を地元の若い世代に知ってもらい、後に続いてほしいと願っている。
 「どぶろくは長い歴史の中でほとんど改良されておらず、可能性が広がっている。世界に誇れるお酒として遠野から発信したい」
 水もと仕込み(720ミリリットル)は2700円。連絡先は佐々木さんが営む宿泊施設付きレストラン「とおの屋 要」0198(62)7557。


<青森県PR動画>青森方言ラップ第2弾
 「こいへ(津軽弁)、かさまい(下北弁)、おんでやんせ(南部弁)」。沖縄県出身の「滑舌悪い芸人」諸見里大介さん(35)と青森県民が難解なラップバトルを繰り広げる県のPR動画の第2弾「ディス(り)カバリー青森2」が公開されている。再生回数は既に2万回を超え、反響を呼んでいる。
 第2弾も県への観光客が少ない関西地方をターゲットに制作された。前作で青森の魅力を知った諸見里さんが三内丸山遺跡(青森市)やみろく横丁(八戸市)など県内各地を観光しながら県民とラップをぶつけ合うストーリーとなっている。
 青森、八戸両市の女子高校生も出演。十和田湖で「かちゃくちゃね(むかつくな)」「十和田湖ふどづもわがねくね(全然よくなくない)」などと津軽弁と南部弁を披露する。
 今回も「青森県つづ(知事)」として三村申吾知事が登場。酸ケ湯温泉(青森市)で諸見里さんとラップ対決をする。
 青森県誘客交流課の担当者は「第2弾では諸見里さんが実際に県内を訪れているので、より青森の良さがアピールできていると思う」と話す。
 新たなPR動画は9日に公開を始めた。第1弾、第2弾とも2018年3月まで動画投稿サイト「ユーチューブ」で見ることができる。


岐路の安倍政権 自民党 「異議なし」体質の転換を
 安倍晋三首相が今回の内閣改造の大きな目玉にしようとしたのは、これまで首相と距離を置いてきた野田聖子総務相の起用だった。
 首相は「耳の痛い話も直言してくれた」と野田氏を評価した。今後は異論にも耳を傾けていくとの姿勢を見せたかったのだろう。
 安保法制や「共謀罪」法など国民世論を二分する法律を「反対する者は敵だ」とばかりに数の力で強引に成立させてきた首相である。政治姿勢を改めるのは当然だ。
 ただし同時に変わらなくてはならないのは自民党だ。「安倍1強」の下、異論というより、もはや議論そのものが乏しくなっているからだ。
 例えば憲法改正だ。支持率急落を受けて首相は自民党の議論に委ねる方針に転じたが、それまで党側はほとんど首相の言いなりだった。
 しかも400人を超える所属国会議員全員を対象に開いた7月の憲法改正推進本部の会合に出席したのは全議員の2割程度。そもそも関心がないのでは、とさえ疑わせた。
 例外がなくはない。受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案は党内で反対意見が収まらず、国会に提出できない状況が続く。だが、これは「活発な議論」という以前に、時代の流れを見誤っている姿を見せつけているだけだと言っていい。
 自民党は今、衆院議員の約4割を当選1、2回生が占める。安倍首相が自民党総裁に返り咲いた後に当選した議員だ。首相はこの若手を中心に「安倍色」のみに党を染めようとしてきた。議論なき政党にしてしまった首相の責任は大きい。
 一方で若手議員による国会審議などとは無関係の不祥事が相次ぎ、議員の劣化が深刻になっている。さまざまな要因があろうが、党として日常的に政策論議を重ねる習慣がなくなっているのも一因ではないか。
 かつての自民党にはハト派からタカ派まで混在し自由に議論を戦わせてきた。幅広さや多様性が国民に安心感を与えていたのは確かだ。
 その意味で今回、外相から党政調会長に転じた岸田文雄氏の役割は重要だ。多様な政策議論を重ねたうえで、決まったらそれに従う。そんな党に再度転換できるかどうか。岸田氏とともに「ポスト安倍」を狙う石破茂氏らにとっても課題となる。


終戦の日を前に 9条の理念守るために
 今年もあす終戦の日を迎えます。悲惨な戦争を二度と起こしてはならない。戦後、そう誓った憲法九条の理念は、これからも守り抜かねばなりません。
 これまでも在任中の憲法改正を政治目標に掲げていた安倍晋三首相(自民党総裁)が、改憲実現に向けて大きく踏み込んだのが、憲法施行七十年に当たる今年五月三日の憲法記念日でした。
 東京都内での改憲派の集会にビデオメッセージを寄せ、九条について次のように述べたのです。
 「『九条一項、二項を残しつつ自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います」
◆「軍隊」持つ自民草案
 改憲実現の時期についても「二〇二〇年を、新しい憲法が施行される年にしたい」と明言し、六月の講演では、秋に召集予定の臨時国会で衆参両院の憲法審査会に、自民党の憲法改正草案を提示したいと、さらに踏み込みました。
 その後、東京都議選での惨敗と内閣支持率の急落を受けて、首相は内閣改造後の記者会見で「スケジュールありきではない」とトーンダウンしましたが、自衛隊を憲法に明記する首相の「加憲論」は九条論議に一石を投じることにはなったようです。
 憲法九条と自衛隊の在り方は戦後日本政治の中心的論点でした。
 一九五五年の結党以来、改憲を党是としてきた自民党は野党時代の一二年に発表した改憲草案で、自衛隊を「首相を最高指揮官とする国防軍」に改編する九条改正案を打ち出します。日本が「軍隊」を持つことは、自民党には目指すべき「九条」像なのでしょう。
 自衛隊の存在を憲法違反と考える意見はもちろん今も根強くありますが、歴代内閣は自衛隊は憲法が禁じる「戦力」に当たらないとの見解を堅持してきました。
◆首相加憲論への異論
 一五年に行った内閣府の世論調査では、自衛隊に「良い印象を持っている」と答えた人は92・2%に達しています。災害時の救援活動や、海外では武力の行使はしない専守防衛に徹していることが評価されているのでしょう。
 自衛隊はすでに現行憲法の下で国民に広く認められているのだから、九条改正の必要はない、という改正不要論は、一定の広がりがあるようにも見えます。
 九条に手を加えれば、戦争放棄や戦力不保持という理念が壊れてしまう、との懸念は当然です。
 安倍首相の加憲論は、戦争放棄の一項、戦力不保持の二項を残すとしている点で、九条の理念に変わりがないことを示そうとしているのかもしれません。これまで加憲論を提唱してきた公明党への配慮があるのでしょう。
 しかし、異論もあります。
 「首相提案のポイントは、九条一、二項の否定にあります。第三項を書き込むだけで、オセロゲームみたいに、九条の意味が平和条項から自衛隊を正当化する軍事条項にひっくり返ってしまう仕組みですから」。本紙特報部の取材にこう答えているのは、文芸評論家の加藤典洋さんです。
 自民党を含めて歴代内閣は、集団的自衛権は有するものの、行使はできないとの憲法解釈を堅持してきましたが、安倍内閣は解釈の変更により行使を容認しました。 現状のまま自衛隊を憲法に書き込めば、専守防衛を逸脱したまま追認することになり、九条の理念は蔑(ないがし)ろにされてしまうからです。
 一方、九条の理念を守るために、あえて改正すべきだとする「新九条論」も提唱され始めています。
 加藤さんが著書「戦後入門」で提起したのは、戦争放棄の一項を維持した上で、自衛隊を国土防衛隊と国連待機軍に再編、交戦権を国連に移譲し、外国軍の基地は許可しない、という条項を加えることです。
 また、ジャーナリストの今井一さんは著書「『解釈改憲=大人の知恵』という欺瞞(ぎまん)」で、個別的自衛権の行使としての交戦権を認める一方、集団的自衛権の行使は放棄する、専守防衛に徹する自衛隊の保持を唱えました。
 法哲学者の井上達夫東大大学院教授は九条削除論を提唱しています。「特定の安全保障観を憲法に固定化すべきでない。安全保障の問題も、通常の民主的討議の場で争われるべきだ」との趣旨です。
◆思考停止に陥らずに
 先の大戦の反省に立ち、二度と悲惨な戦争を繰り返さないと誓った九条は、戦後日本の在り方を決定付けた条項です。それを改正するのか維持するのか。最終的に決めるのは、私たち国民自身です。
 今を生きる私たちには、九条の理念を次の世代にも引き継ぐ責任があります。そのためにはどうすればいいのか。思考停止に陥らずに、一人ひとりが考え続け、行動することが、九条の理念を守ることにつながると思うのです。


食料自給率  回復へ政策実施が急務
 食の基盤の貧弱さを改めて突きつける数字である。
 農林水産省によると2016年度の食料自給率(カロリーベース)は前年度より1ポイント下がり38%になった。
 37%だった1993年度以来、23年ぶりの低い水準だ。昨夏、北海道を襲った台風によって、砂糖原料のテンサイや小麦の生産が落ち込んだのが響いた。
 食料自給率は低落し続けている。政府は2025年度に自給率を45%に回復する目標を掲げているが、達成は難しい。
 貿易自由化は世界の潮流で、安定した外交を続ければ、食料の貿易依存度が高くても問題はない、という考え方もある。
 だが、世界人口の増加や地球温暖化による異常気象の頻発で、食料輸入がこれからも同じように続けられるとは限らない。
 国は落ち込みについて「自然要因が大きい」と説明している。
 農業が自然の影響を受けるのは当然だ。問題は、自然の影響を受けても食料が安定的に確保できるかどうかではないか。
 新興国ではかつての日本のように食生活が急速に変化している。牛肉や食用油などの需要が増加。中国はすでに穀物輸入国に転じた。国際市場で日本が「買い負け」する産品も少なくないという。
 生活の基本である食を守るため、自給率回復に向けた政策実施が急務だ。
 自給率低下の背景には、コメの消費減に加え、80%以上を輸入に頼っている小麦や、食用油や肉の消費増がある。家畜の飼料穀物も輸入に頼っている。
 小麦や飼料穀物の生産増が鍵となろう。消費が増えているパンや麺に適した小麦の生産や開発を支援すべきだ。需要が伸びている業務用米のてこ入れも急務だ。
 安倍晋三政権は成長戦略で果樹などの生産強化を位置づける。付加価値の高い分野の支援はもちろん大切だが、穀物など基礎的な食料もしっかり守ってほしい。
 担い手育成にも一層力を入れる必要がある。若い世代には、消費者と顔の見える関係を築き地産地消を広げている人が少なくない。同時に地域社会や農村の維持発展にも貢献している。
 93年のコメ不作では、日本がタイ米を緊急輸入したためコメの国際相場が急騰。タイ米に依存していた東南アジアの庶民の暮らしに打撃を与えた。日本の食料自給率は世界に影響を与えることを忘れてはなるまい。


市原悦子が語り続ける戦争体験と安倍政権への怒り「『国民の命と財産を守る』と言っても空々しい」
 戦後72年を迎えたこの夏。先日お伝えした仲代達矢や桂歌丸をはじめ、先の戦争を知る世代が減るのと呼応するように戦争の恐ろしさを国民がだんだんと忘れ始めている社会状況を危惧し、自らの戦争体験を語り残そうとする芸能人や文化人は多い。
 そんななか、『家政婦は見た!』(テレビ朝日)シリーズでおなじみの市原悦子も自身の戦争体験を語り話題となっている。
 それは、先月末に出版されたエッセイ集『白髪のうた』(春秋社)に記されている。1936年生まれの彼女は、空襲で危うく命を落としかける体験をしたという。
〈終戦の前の年、千葉市栄町(現在の千葉市中央区栄町)にあった生家のそばに爆弾が落ちたんです。家には庭に面して広い廊下がありました。
 家族でお昼ご飯を食べていたとき、「ダダダダーン」と爆音がして、ご飯のうえにうわっとほこりが積もったの。「何ごとだ!?」と居間を出たら、廊下がこなごなになったガラスの川でした。爆風でガラスが全部吹き飛んで、廊下に割れ散っていたんです。ほこりの積もったご飯とガラスの川、それが目に焼き付いています〉
 もしもこの爆弾が直撃していたら、確実に無事ではすまなかっただろう。事実、彼女の兄は爆弾が落ちた場所を見に行っているのだが、そこには空襲で犠牲になった人の遺体があったという。
〈夕方、兄が友達と、爆弾は家のそばの小学校に落ちたことを確かめてきました。爆風で近所の人が吹き飛ばされて、ばらばらになった。兄たちは、校舎の壁面に飛び散りへばりついた、その人の肉片を見たそうです。近所の人たちが「東京に落とす爆弾を試しに千葉に落としたんだ」と騒いでいました〉
 この空襲をきっかけに、市原の家族は同じ千葉県の四街道へ疎開する。空襲の恐怖からは逃れることができたものの、今度市原らを苦しめたのは飢えだった。慢性的な食料不足に苦しみ、素人ながら近所の農家に教わりながらトマトやきゅうりを栽培するも、それでも飢えは解消されない。最終的には口に入れられるものならなんでも、ザリガニすら食べるような生活を送ることになる。
 市原はその暮らしがつらいものであったと同時に、人間としての自分の礎をつくった体験でもあったと語る。『白髪のうた』ではこのように綴られている。
〈ひもじいことの辛さ、ものを大事にし、感謝する。自分のすることに責任感を持つ、すべての人間の原点になる情感を、そこで学んだ気がします。
 あの頃、今の自分ができたと思います。たくましいというか、案外へこたれないというか。自分のことは自分でする。自分にも周りの人にも世の中にも、あんまりガタガタしない。欲がなく、目の前にある仕事を丁寧にやるだけで満足する。その日食べられて、大事な友達が数人いて、楽しく身体を動かしていればいい、ちょうど「都合のいい」女が、その頃にでき上がりました〉
戦争を失くすこと、世界の問題と関わることが女優の仕事だと市原悦子は語った
 とはいえ、こんな体験は子どもたちの世代にさせてはならない。その思いから彼女は戦争の記憶を後世に語り継ぐことをライフワークとする。それが戦争童話の朗読だ。
 野坂昭如「凧になったお母さん」「年老いた雌狼と女の子の話」や、あまんきみこ「ちいちゃんのかげおくり」など、戦争によって弱い者、とくに子どもたちが犠牲になっていく物語を読む朗読会を定期的に行い、その活動はいまや30年以上継続したものになった。そんな戦争童話の朗読について、エッセイ集『ひとりごと』(春秋社)のなかでこのように振り返っている。
〈私の朗読は、死とか戦争とか暗い話が多いといわれるけれど、私自身の現在は、戦争を抜きにしては語れない。いつも言っているけれど、戦後の食糧難の時代に、いまの私がつくられたといってもいいほどに、あのころの生活が私の原点です〉
 だから、先の戦争で得たはずの反省を無きものにし、再びこの国を戦争ができる国にしようと企む安倍政権の野望は到底許すことのできるものではなかった。2014年の朝日新聞のインタビューでは、怒りをにじませながらこのように語っている。
「集団的自衛権を使うことが認められましたね。「自衛」とか「戦争の抑止力」とか信じられない。原発事故への対応もあやふやなまま、国は原発を輸出しようとしている。被爆者、水俣病患者を国は救済しましたか。「国民の命と財産を守る」と言っても空々しい。
 先の戦争で犠牲になった300万人の方々がどんな思いで死んでいったか。戦争によって人の心に何が起こったか。それを知れば、私たちがこの先どうすべきか見えてくると思います」
 市原が戦争童話の朗読をライフワークとしたり、メディア上で政権の方針に対して怒りをぶつけたりするのはなぜか。彼女はそれこそが女優の仕事であると確信しているからだ。『白髪のうた』ではこのように綴られている。
〈貧困の中で栄養失調で死んでいく子どもたちや、戦争で自分の子どもを失った母親たちが嘆き悲しむ姿を見ると、胸がしめつけられる。ああいう人たちがいる間は幸せになれないよね。いたたまれないですよ。
 戦争がなければあの顔を見なくて済むでしょう。だから、黙ってないで、戦争をなくすこと、世界の問題と関わることも、女優の大事な仕事よ。「私の子どもは戦争にやりません!」って。
 理不尽なことで人は傷つく。歩道で自転車にぶつかるとか、地震に遭うとか、放射能で故郷を捨てさせられるとか……責任をどこへ持っていっていいかわからない、ひどい事故がたくさんある。一番気になるのはそのことですよ。私たち女優がもっとこういう理不尽なことに対して、モノを言えば少しは力になると思うの〉
 まさしくその通りだろう。彼女にはこれからも自らの貴重な体験を語り継いでいってほしいし、市原の掲げる〈女優の大事な仕事〉を引き継ぐ若い世代の役者がもっと現れてくれることを願ってやまない。(新田 樹)


インド仏教界頂点の僧侶 佐々井秀嶺さんに日本はどう映る
インド国籍を取っても心に武士道
 仏教発祥の地でありながら、ヒンズー教徒が圧倒的多数を占めるインド。しかし、近年、爆発的に仏教徒が増えている。そのインド仏教界の頂点に立ち、育てたインド人僧と共に民衆を指導するのが、実は81歳の日本人だ。青年時代、生きることに悩み自殺未遂を繰り返したが、山梨県の大善寺に拾われ、僧となった。半世紀前からナグプールを拠点に仏教復興と不可触民(カーストにも入れない最下層民)の解放に取り組んでいる。インド仏教1億5000万人の頂点に立つ高僧に、今の日本はどう映るのか。
  ――インドを訪れたのが1967年。半世紀近くも帰国せず、仏教の復興と最下層の人々のために戦い続けてこられました。
 渡印する2年前、仏教の交換留学生として、高尾山の薬王院から信仰のあついタイに渡ったんだ。民衆は貧しいのに、食べ物や生活用品などたくさんの寄進をしてくれる。真面目に修行もしたが、そんな恵まれた環境がかえって良くなかった。コカ・コーラを1日で20本も飲んで、アル中ならぬコカ・コーラ中毒に。そして中国娘と恋に落ちたり、タイ美人に迫られたりと女に溺れ、恥ずかしくて日本に帰れない。そこでインドに旅立ったのです。  ――逃げるようにしてインドに向かったのですね。
 そうです。インドの日本山妙法寺の八木上人の下でお世話になり、1年後に帰国を考え始めたころ、突然、枕元に大乗仏教の祖、龍樹菩薩が現れ、私に「南天龍宮城へ行け、南天鉄塔もまたそこに在り」と伝えると姿を消したんだ。
  ――日本語の夢だったのですか?
 日本語だけど夢じゃないよ、ものすごい強い力で肩を掴まれ動けないんだから。上人に聞くと「龍はナーガ、南はプール……インドのど真ん中にあるナグプールのことではないか?」と。くしくも、そこは、アンベードカル博士(仏教復興運動の指導者)が亡くなる2カ月前に、10万人をカーストのない仏教に改宗させた地。アウトカーストである不可触民解放に力を注ぎ、新憲法を制定したインドの偉人だ。当時の私は博士の名前も知らなかったが、お告げといい、何か宿命を感じざるを得ない。
■「日本は仏教国。戦争はいかん」
  ――当時のナグプールはどんなところでしたか?
 仏教徒の多い地区に行ったんだが、バラックのような建物が並んで治安は最悪だった。当時は、カーストのない仏教に改宗しても、貧しいまま。何千年も前から触れたら汚れると虐げられてきた人々だ。博士が急に死んでしまって、皆、どうしていいか分からない。私が裸足でお題目を唱えて街を歩くと、突然やって来た日本人にびっくりして「何だ、こいつは?」と石を投げつけることもあったが次第に聞いてくれるようになってな。
  ――佐々井さんが来てから街は変わりましたか?
 そりゃ、変わったよ。私は「学びなさい。お金がないなら、親が1食ぬいて子供を学校にやりなさい」と。学校に養老院、孤児院、それに迫害されたときに皆で団結できるよう組織もつくった。希望ができると人は見違える。インドの子はよく勉強します。その子たちも大人になると稼いだお金を出し合い、また地域に学校をつくる。今では本当に街がきれいになり、治安も良くなった。
  ――日本の戦後からの復興のようですね。しかし、今、日本では「共謀罪法」が成立したことで、再び、戦争へ近づいているのではないかと国民は心配しています。
 私は普段、インドで暮らしているので、日本の政治の詳しいことはあまり分からない。ただ、当時と違い、日本国憲法は言論の自由や戦争反対をうたっているので、第2次世界大戦前後のように憲兵が人々を引っ張っていくような事態にはならないだろうが、私も小さい頃に経験した戦争は、ほんとうにひどいものだった。日本は仏教国だ。仏教は自由を尊重し、博愛主義。戦争はいかん。戦争を経験した世代は悲惨さを伝えてほしい。
人として大切なのは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌
   ――東日本大震災の折には、被災地域を回ってお経を上げられています。福島も訪れたそうですね。
 今もその被災地の光景を思い出します。家族がバラバラになって、津波や原発で今も戻れない土地も多く、何かあった時に一番困るのは一般市民。日本列島は火山帯であり、また大地震が起きないとは限らない。政府の人はよく考えてエネルギー問題に取り組んでもらいたい。
  ――震災の前年から年に1度、帰国されていますが、3年前、ニコニコ動画に出演されたのがきっかけなのか講演会には若い方が目立ちますね。
 それは私が大変に苦しみ、悩んで悩んで生き抜いてきたのが、若者に伝わるからだろう。そして「この坊さんは嘘をついてない。心から私たちの行く道を心配している」と。講演が終わると大勢の人が並んで、この老僧に「握手をしてください。力をください」と手を差し出す。ただ、悩みを私に聞いて欲しい若者もいるのだが、一人だけに時間を割くわけにいかない。あとから思い出して、私はなぜ救ってやれないのだと苦悶することもある。
■日本の寺はお金儲けの株式会社のよう
  ――今、日本では、世界の共通語となったKaroushi(過労死)の問題がクローズアップされています。若い頃、人生や恋に悩み、自殺未遂を3回されていますが、人は苦境に立った時、どうしたらいいでしょうか?
 人はそれぞれ使命を持って生きておる。しかし、毎日、満員列車に揺られ会社に長時間、閉じ込められては心が機械人間になり、これが生涯続くのかと絶望してしまうのだろう。子供がいれば会社も辞めることができない。昔、お寺は悩みを抱える人々の駆け込み寺で、お寺に行けばなんとかしてくれる、そういう場所だった。こんな私も、自殺を図りそこねて、さまよい倒れた時、寺の住職に助けてもらい僧となった。残念ながら、今の日本の寺は昔と違って、お金を儲ける株式会社のようだ。お布施を集め、自分たちの生活ばかり考えている。しかし、本当にいい僧もいるから探してほしい。あとは過去の偉人たちの伝記をたくさん読むことだ。本には人生のヒントがたくさんある。
  ――インドの僧と日本の僧はだいぶ違いますか?
 インドではお坊さんを生かすも殺すも民衆が決める。つまり、このお坊さんは私たちに必要だから生きてほしい、だから食事を与えよう、お布施を出そうとする。私利私欲や執着を捨て、民衆の中に入り、菩薩道に邁進し、人々を助けるのが本来のお坊さんの姿だ。まだ未熟な坊主も多いが、インドでは一生、結婚しないと覚悟して出家するから、それなりに頑張っておるのではないか。
  ――御年81歳。かつて10万人程度だった仏教徒が1億5000万人に。後進も育ち、我が人生に悔いなし、という心境でしょうか?
 わっはっは、私の後を継げるやつなどおらん、男一代で終わりだ。だから、まだ死ぬことができん。世界中の仏教徒にとって悲願であるブッダガヤーの大菩薩寺を取り戻すまでは。お釈迦様が悟りを開いた仏教の大事な聖地だが、今はヒンズー教徒の手にあり、仏教徒は入ることもできない。首相官邸前で数万人規模のデモを決行したり、私が命懸けでハンストをしたりと、長年、闘争してきたがダメだった。そこで5年前、最後の望みをかけ裁判を起こした。しかし金がなく、高等裁判では、いい弁護士をそろえられず負けてしまったが、早ければ今年中に最高裁で争うことになる。
  ――反対派や人気を妬んだ人から何度も暗殺されかかったとお聞きしました。80過ぎてもなお、異国の地で奮闘する力はどこからくるのですか?
 私はもうインド人なんだ。不法滞在だと逮捕された時、60万人の署名運動によってインド国籍を取ることができた。しかし、心にはいつも武士道がある。里見八犬伝を読んだことはないか? 人として大切なのは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌だ。私を生かしてくれたインドの貧しい人たちを見捨てて、日本に帰ることはできない。日本男児たるもの、命を懸けて民衆を導き、使命を全うしてインドの大地に骨をうずめる覚悟だ。 (聞き手=ジャーナリスト・白石あづさ)
▽ささい・しゅうれい 1935年8月、岡山県生まれ。33歳でインドに渡り、布教や仏教の聖地ブッダガヤーの大菩薩寺の奪還闘争などに尽力。87年、インド国籍取得。長年の功績が認められ、2003年、インド政府少数者委員会によってインド仏教の代表に任命される。


「平泉」拡張登録 浄土の全体像伝えたい
除外された5資産の拡張登録に向けたスタートでもあった。
 除外資産は、平泉町の柳之御所遺跡と達谷窟(たっこくのいわや)、奥州市の白鳥舘遺跡と長者ケ原廃寺跡、一関市の骨寺村荘園遺跡。県と関係市町は13〜17年度の5カ年計画で、集中的に調査研究を進めてきた。
 その総括が今月、都内で開かれた国際会議「世界のなかの平泉」。骨寺は「奥州藤原氏の仏教的理想・仏国土(浄土)を表す村落」、白鳥舘は「仏教的理想空間を維持・荘厳するために不可欠な物品を生産・加工した工房跡」などと、幅広い知見に基づく研究成果が発表された。
 もとより、12世紀平泉に突如として「浄土世界」が出現したわけではない。そこには、戦乱が相次いだ悲劇的前史を踏まえ、平和を希求した藤原氏の営為があった。浄土世界を支えた産業拠点、浄土信仰を基調とした村落づくりなどの広がりもあった。
 こうした「平泉」の多様性をトータルに世界に発信してこそ、登録済みの寺院や庭園の輝きも増す。5年間の蓄積を生かし、拡張登録に向けた「顕著な普遍的価値(OUV)」の証明、推薦書案作成に全力を挙げてほしい。
 気になるのが、国際会議後に開かれた拡張登録検討委員と海外専門家の意見交換会(非公開)の議論だ。県側が示した四つの案のうち、「仏国土(浄土)を表す建築・庭園およびそれらの考古学的遺跡群とともに、一体的に造営された政庁(居館)の考古学的遺跡」を構成資産とする案が適切とされた。
 この案なら、奥州藤原氏の政庁「平泉館(ひらいずみのたち)」と推定される柳之御所は構成資産に入るだろう。だが、それ以外の資産はどうなるのか。
 県と関係市町は本年度末、文化庁に推薦書案を提出する予定。議論では、短期間で価値を証明する可能性の高さを重視した。
 その観点からは適切としても、この案で、浄土世界平泉の全体像を伝えることができるだろうか。他の3案にはより包括的な視点が提示されている。なお熟議が必要だ。
 本年度末に推薦書案提出というタイムスケジュールにこだわらず、少々時間がかかるにせよ調査研究成果を生かす道もあるのではないか。
 先月の文化審議会では、一戸町の御所野遺跡を含む「縄文遺跡群」の国内推薦がまたも見送られ、来年の推薦を目指し再スタートを切った。
 来年の国内推薦を「平泉」と「縄文」が争う−。決して望ましい姿ではあるまい。


【軽率な発言】政治が劣化していく
 政府要人の軽率な発言が止まらない。内閣改造で初入閣した江崎鉄磨沖縄北方担当相は国会答弁で誤らないよう「役所の原稿を朗読する」とし、北方領土問題は「素人」と述べた。政権が掲げてもいない日米地位協定の見直しに言及し火消しに追われている。慎重さと素直さには感服するが、重責を担う閣僚の言葉とは到底思えない。
 南スーダン国連平和維持活動の日報隠蔽[いんぺい]、政府の国家戦略特区制度を活用した学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画など諸問題への政府対応の不満に加え、閣僚らの発言が国民の政治不信を強めているといえよう。言葉は思想や考えを伝える大事な伝達手段であり、発言者の人間性をも表す。不用意な一言が混乱を招き、政治を劣化させることに政治家は気付くべきだ。
 政府要人の心ない言動は内閣改造前からあった。台風被災地で長靴を持たず背負われて水たまりを渡った内閣府・復興政務官は「長靴業界はもうかった」と述べて辞任。東日本大震災の被害に関し「まだ東北で良かった」と言った復興相も椅子を追われた。極め付きは安倍晋三首相の都議選での「こんな人たちに負けられない」発言だろう。自民党大敗を受けて反省の弁を述べたが、国を束ねる最高責任者が国民を敵と味方に分断する発言をするとは驚いた。
 各種世論調査で安倍内閣の支持率は軒並み大幅に下落した。不支持の理由は「首相が信頼できない」がトップを占める。発言の裏に権力者の傲慢[ごうまん]さや国民軽視を感じ取る人が増えたためだろう。国民の支持を失えば、政治は行き詰まるに違いない。
 乱発されるスローガンも言葉の価値を軽んじているように映る。改造内閣の看板政策である「人づくり革命」には「上から目線だ」「政府に都合の良い人間を育てる意味か」などの批判が上がる。「1億総活躍」「教育再生」は成果を生んだのか。検証し、事態を改善して初めて言葉に実体が伴うはずだ。
 日報隠蔽と「加計学園」の獣医学部新設計画の問題は国会の委員会で審査されたが、肝心の当事者が出席しない事例が目立つ。これでは問題解明は進まない。真相を明らかにして国民の信頼を取り戻そうという誠意が政府にはないのか、と勘ぐりたくなる。
 安倍首相は先の通常国会閉幕を受けた記者会見で「信なくば立たず。何か指摘があれば、その都度、真摯[しんし]に説明責任を果たす」と表明した。忘れたわけではあるまい。政治の世界で「言行一致」はいまや死語なのだろうか。(鞍田炎)


沖縄の戦後 知らぬふりはできない
 6月に亡くなった元沖縄県知事、大田昌秀さんが現憲法の条文を初めて目にしたのは、1947年の夏。日本から切り離され、米軍の占領統治下にあった沖縄に、この年5月に施行された憲法の写しを届けたのは、本土からの密航船だったという。
 住民を巻き込み、凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦に学徒兵として動員され、多くの学友の死を目の当たりにした。前文と9条を読んだとき、熱いものがこみ上げ、体が震えたと著書に記している。
 〈われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する〉―。憲法は前文にうたう。
 その主語である「われら」に、このとき沖縄の人たちは入っていなかった。参政権が停止され、新たな憲法をつくる国会での議論に加わることもできなかった。
   <基地負担さらに重く>
 米軍は沖縄を「太平洋の要石」と位置づけ、軍事拠点化した。それは戦後70年余を経た現在につながっている。日本に復帰した後も「基地の島」であり続ける沖縄に、憲法の力はいまだ届いていないかのようだ。
 四半世紀に及ぶ米軍の統治下、沖縄の人々は軍用地のために土地を奪われ、命と暮らしを脅かされ続けた。6歳の少女が米兵に暴行殺害される事件や、小学校に米軍機が墜落し、子どもら17人が死亡する事故も起きている。
 72年に沖縄は日本に復帰するが、求めてきた「平和憲法の下への復帰」とはほど遠かった。広大な基地は残り、在日米軍基地の7割以上が集中するようになる。
 復帰後は自衛隊も配備された。沖縄は平和憲法の下へではなく、日米安保体制の下へ返されたのだと大田さんは述べている。
 米兵らによる犯罪や米軍機の墜落事故は今も絶えない。昨年、20歳の女性が暴行殺害されて遺棄された事件は大きな憤りを呼び、すべての米軍基地の撤去を求める声が高まった。
 けれども現実には、基地負担はさらに重く沖縄にのしかかろうとしている。民意を顧みようとせず、新たな基地建設を進める政府の強権的な姿勢が際立つ。
 米軍普天間飛行場の移設先として辺野古に計画されているのは、大型船が接岸できる護岸などを備えた巨大な新基地だ。政府が言う「負担軽減」ではあり得ない。
 地元の名護市長選、県知事選、国政選挙のいずれも反対派が勝利し、建設を拒否する民意は明確である。それを踏まえて沖縄県は国に異議を申し立ててきた。
 憲法は民主主義の土台として地方自治を保障している。住民の命と権利を守り、地域の未来を自分たちで選び取るために、その妨げになる国の施策に抵抗することは自治体の当然の責務だ。
   <自治を押しつぶして>
 「沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて、国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです」―。俳優の故菅原文太さんが沖縄で語ったのを思い出す。
 国の安全保障に関わる事柄であっても、住民の同意や自治体の承諾は欠かせない。国と自治体は対等の関係にある。政府の方針に有無を言わさず従わせるのは、民主主義ではない。
 政府と沖縄県が争った訴訟で、高裁、最高裁は、地方の主体性を考慮せず、政府の主張を認めた。司法も、権力の行使に歯止めをかける役割を果たしていない。
 辺野古でも、集落を取り囲むようにヘリコプター離着陸帯が新たに造られた東村高江でも、抗議する人たちを排除して工事は強行されている。政治的な意見の表明は、民主主義の基盤として最大限尊重されるべきだ。力ずくで押さえつけてはならない。
 反対運動の先頭に立ってきた山城博治さんは、器物損壊などの疑いで逮捕、起訴され、勾留が5カ月にも及んだ。保釈された今も行動を制限され、現場に戻れていない。住民運動に対する不当な強制力の行使は許されない。
   <主権者として誰もが>
 自治や人権をめぐって、憲法と民主主義の根幹に関わる事態が沖縄で起きている。主権者であり、自治体の住民である私たちの誰もが、当事者として向き合うべき問題だ。知らぬふりをしていると、足元が掘り崩されていく。
 本土のみなさん、第二の加害者はあなたたちです―。女性暴行殺害事件に抗議する県民大会で、被害者と同年代の玉城愛さんが訴えた言葉が今も胸に響く。無関心でいることは、政府の強硬な態度を黙認することにもなる。
 過重な負担の押しつけは、差別にほかならない。その現状をどう変えていくか。米軍基地を本土に引き取ろうと呼びかける市民運動も、大阪、新潟などに広がっている。沖縄の側に立って考え、声を上げて政府を動かしたい。


カジノ導入へ リスクをどう抑えるのか
 政府の有識者会議はカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の運営ルールをまとめた。
 政府は今後、与党協議などを経て、秋に想定される臨時国会に制度設計を定めたIR実施法案を提出する方針だ。
 だが、ギャンブル依存症の増加といったリスクは否定できない。カジノの解禁ありきではなく、負の側面を直視し、国民の根強い不安の声にもっと丁寧に耳を傾ける必要がある。
 有識者会議報告書によると、IRはカジノや国際会議場、ホテルのほか、博物館などのレクリエーション施設、観光案内所の5施設の完備を認定の要件とする。
 国土交通相が整備計画を審査し、2020年以降にはIRの区域を認定する見通しだ。区域数は2〜3カ所とみられている。
 カジノは刑法が禁じてきた賭博の一部合法化に道を開く。そうした懸念から廃案となった経緯があるにもかかわらず、政府は昨年末、基本理念を定めたIR整備推進法を「数の力」で成立させた。
 IRは成長戦略の一つと位置付けられている。日本人だけでなく海外の富裕層を呼び込み、経済の活性化につなげることが期待されている。
 一方で課題は山積している。IR整備推進法の衆院本会議での採決で、自民党と連立を組む公明党の約3分の1が反対したのを見ても明らかだろう。
 既に国内では競馬競輪といった公営ギャンブルに加え、パチンコやパチスロなどがある。
 政府が2200人を対象に実施した面接調査では、ギャンブル依存症になった経験があると疑われる割合は2・7%だった。国勢調査のデータで換算すると約280万人に上る。別の調査では500万人以上との推計もある。
 報告書ではギャンブル依存症対策として本人確認や入場制限、入場料徴収などを掲げており、「世界最高水準の規制」とうたう。
 しかし、具体的な中身はこれからだ。予防策や回復を後押しするといったケアは十分に整っていない。カジノ解禁で依存症に陥る人が増えるのは想像に難くない。
 治安の悪化も懸念される。カジノが、犯罪で得た収益を隠すマネーロンダリング(資金洗浄)に使われたり、暴力団の資金源になったりする恐れがあるからだ。
 政府内に新設する「カジノ管理委員会」がどこまで厳格にチェックし、実効性を確保することができるかが問われよう。
 そもそも、さまざまな規制を設けなければならないこと自体、カジノが負の要素を多く抱えていることの表れといえる。
 IRを巡っては、北海道や大阪、長崎などの道府県が誘致に乗り出している。
 政府はIRで地域経済の振興を図るとするが、海外では逆に観光客をIRに奪われ、周辺の商店街などが衰退した例もある。
 17日からは札幌、富山など全国9都市で公聴会が開かれるほか、一般からの意見公募も行う。政府には、形だけでなく、国民的な議論を尽くすよう求めたい。


国税庁長官が会見拒否 疑惑隠しは納税者の反発を招く
 国民生活に直結する行政機関のトップが、公の場に姿を見せず、沈黙を守ったままで許されるはずがない。7月5日付で国税庁長官に就任した佐川宣寿氏が、新長官恒例の就任記者会見をしないことになったと、国税庁が発表した。少なくとも過去十数年間の新長官は全員が就任会見を開いており、あえて会見をしないのは極めて異例だ。その姿勢に強い疑問を呈したい。
 佐川氏は、大阪市の学校法人「森友学園」に国有地が格安で売却された問題で、担当の財務省理財局長として先の通常国会で追及を受けた。しかし「売却価格は適正」と言い切る一方で「資料は破棄し、面会記録はない」などと木で鼻をくくったような答弁を繰り返した。詳細な調査も拒否し、結果的に安倍晋三首相をかばう形になった。
 国税庁長官への昇格は、露骨な「論功行賞」人事との批判があり、国民からも不信の目を向けられている。会見をしない理由を、国税庁は「諸般の事情」としているが、佐川氏が森友問題を蒸し返されるのを嫌がっているのだろう。支持率が低迷する安倍政権も、会見することによるリスクを避けたいとの意識が働いているのは間違いない。
 佐川氏の理財局長退任後、財務省近畿財務局が森友学園側との交渉の中で、買い取り可能な金額を尋ねていた疑いが新たに浮上した。佐川氏は国会で「先方にあらかじめ価格について申し上げることはない」と説明しており、食い違いが出ている。虚偽答弁の可能性もある。一日も早く国会などの場で説明してもらわなければならない。
 国民から税金を徴収するという国税庁の権力は絶大なものがある。それだけに他のどの省庁にも増して公平性が求められている。国民の協力を得るには、その業務に関する国民の理解と信頼が絶対に不可欠だ。
 国税庁には、佐川氏の長官就任に対する苦情が寄せられている。「よほど後ろめたいことがあるのか、会見もしない長官の下、納税者と向き合う現場の職員がかわいそうだ」との関係者の嘆きを、佐川氏は真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
 佐川氏は会見の代わりにコメントを発表した。国際的租税回避などに適切に対応し「国税当局に課された課題に取り組んでいきたい」などの内容だが、組織のトップが国有地を不当な安値で売却したという疑惑をうやむやにしたまま、国民に納税の重要性を説いても説得力はないに等しい。納税者の反発が一層強まることで、国税当局の税務調査にも支障が出てこよう。
 もちろん、最大の責任は疑惑解明に背を向ける安倍首相にある。内閣改造後の記者会見でも森友問題に触れ「大きな不信を招く結果となった」と述べた。「反省の上にも反省」し「丁寧な説明」を約束したはずだ。そのためにはまず、佐川氏に会見を促すべきだ。「雲隠れ」させて、時間稼ぎをしても国民の不信は拭えない。


【連合執行部】労働者を守る原点に戻れ
 労働基準法改正案の修正を政府に求め、合意しながら組織内の異論を受け撤回した連合は、神津里季生会長が続投することになった。
 労働組合が果たすべき使命は、働く人々の命と暮らしを守ることだろう。労組の中央組織である連合が向き合うのは、あくまで働く人々でなければなるまい。
 そうした原点を忘れたのか、政府の方を向いた末、連合に混乱と不信を招いた執行部の責任は大きい。組織内外で失った信頼を回復させるのは容易ではないだろう。
 連合執行部が修正を要請したのは「高度プロフェッショナル制度」を含む労基法改正案である。この制度は、年収が1075万円以上の金融ディーラーや研究開発といった専門職を労働時間規制と残業代支払いの対象から外し、成果に応じて賃金を決めるものだ。
 「残業代ゼロ法案」であり、労働時間の規制が外されれば過労死を助長する恐れがあるとして、連合は反対してきた。法案は2年以上、国会でたなざらし状態となってきた。
 この法案について、神津会長は安倍首相と修正する方針でいったんは合意したものの、組織討議が十分でないと傘下労組などから強く反発され合意を撤回した。
 連合は、「高度プロフェッショナル制度」に関し年間休日104日制の義務付けなどで修正を求めたものの、制度の大枠はそのままとした。これでは週休2日制の義務化にすぎない。専門職の人は、働く時間が増えるのに残業代は減る不利益を押し付けられかねない。
 政府の法案には「高度プロフェッショナル制度」のほか、残業時間の上限規制などを強化する働き方改革関連も含まれる。適用する対象は異なるが、規制の緩和と強化がセットになった法案といえる。整合性が問われてしかるべきだろう。それでも政府は一括で成立させることを目指している。
 連合執行部は、与党が多数を占める国会の情勢から法案の成立を見越し、休日拡充などで改善を図る考えだったという。執行部の一部幹部が政府と水面下で交渉を重ねてきたことも問題視された。
 過重労働による過労死や自ら死を選ぶ事例が後を絶たない。安心して働ける環境とするため、政労使が利害を超えて対策を講じるべき時でもある。しかし連合執行部は政府の思惑を見極め切れなかった。傘下労組や過労死した人々の遺族からの批判は当然である。
 労使間で決める賃上げについて首相が経済界に求める「官製春闘」が続く。それでも中小、地方をはじめ経営が厳しい企業は少なくないだろう。政府は働き方改革の旗を振るが労働環境の改善は進んでないのが実情ではないか。
 連合の存在意義は問われ続けている。政府との距離を考え直す必要もあろう。今回の迷走を教訓として、方向を確認し態勢を立て直さないことには信頼は取り戻せまい。


核のごみマップ 課題に向き合う機運を
 経済産業省は、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)について、最終処分用地としての適性を示した地図「科学的特性マップ」を公表した。用地選定に向けた第一歩だろうが、まずは国民の理解、コンセンサスづくりに力を尽くすべきだ。
 核のごみは、原発の使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出す再処理の過程で出る。国は地下300メートルよりも深い岩盤に埋め、放射線量が下がる数万年から約10万年先まで隔離して処分する方針を打ち出している。
 その処分用地の適性を示したマップでは、「活断層の周辺」「火山から15キロ以内」「地温が高い」「軟弱な地盤」などの基準に一つでも該当する地域は「好ましくない」と分類した。「好ましい」は全てに該当しない地域で、このうち海岸から約20キロ以内の沿岸部を「輸送面でも好ましい」とした。
 佐賀県内は、県東部から中部にかけての市町などが「輸送面でも好ましい」地域に入っている。九州電力玄海原発が立地する東松浦郡玄海町は、石炭が埋蔵されているとして、好ましくない地域に分類された。
 輸送面を含め、高い適性があるとされた地域は日本列島の海岸線をなぞるように国土の約3割を占めている。マップは用地選定の出発点となるが、これだけ広範囲の地域からどのようにして候補地を選んでいくのか。慎重に進めなければ、物議を醸すだけに終わりかねない。
 国は2015年、自治体から名乗りを上げてもらう方式を改め、国が科学的な有望地を示した上で複数の候補地を選定する方針を明らかにした。マップ公表を機に候補地の絞り込みに向けた動きが本格化するのだろうが、マップ作成の基準を疑問視する専門家もいる。拙速に候補地を挙げるのではなく、科学的に不確かな点を含め、最終処分の必要性や処分の方法など、基本的な事項から丁寧に説明していく必要がある。
 核のごみの最終処分は原発稼働の賛否にかかわらず、避けて通れない直面する課題である。悠長に構えてはいられないが、理解が広がらないままに具体化しようとすれば、住民の反対、対立を生み、混乱を繰り返すことになる。最終処分の必要性が社会全体で共有され、解決しなければならない課題として受け止める機運づくりができるかどうかが重要だろう。
 今後は適性の高い地域を中心に説明会を開くなどして、理解促進を図っていく。その際、安全性を強調するばかりでは国民の信頼は得られない。福島第1原発事故で原発の“安全神話”が崩壊した中、原発に関わる施策を進めるにはリスクについても率直に示す姿勢が欠かせない。原発政策を進めてきた国と電力会社は核のごみの発生責任を負っており、最大限の努力が求められる。
 最終処分ができるまでには複数の候補地に調査を申し入れた後、文献調査、ボーリング調査、精密調査と、20年程度はかかるとされる。さらに、地域の同意を得て建設するのに10年程度を要する。長期的な事業であり、その間も原発の稼働に比例して使用済み核燃料は増える。エネルギー基本計画の改定に向けた協議が始まったが、核のごみの処分も念頭に置いて考えていきたい。(大隈知彦)


原発と立地県知事 あやふやな公約通らぬ
 何やら巡り合わせめいたものを感じる。先日告示された茨城県知事選である。原発の是非が大きな争点となっており、投開票は今月27日だ。ちょうど60年前、同県東海村の原子炉が臨界状態に達し、日本の原子力産業の幕開けとも言える日である。
 知事選がにわかに注目を集めているのは、内閣改造後最初の大型地方選であるとともに、7選を目指す現職候補が日本原子力発電東海第2原発の再稼働について「無条件で認めない」と踏み込んだ発言をしたからだ。
 2011年の福島第1原発事故では茨城にも大量の放射性物質が降り、地元では不安が根強い。現職候補はこれまで、実効性のある広域避難計画の策定などを条件に挙げながらも、再稼働自体は否定していなかった。
 方針転換の背景には自身への多選批判をかわす狙いと、再稼働を「全くの白紙」とする自公推薦の新人候補との対立軸にしたい考えがあるのではないか。そういう見方が一部にある。
 共産推薦の新人候補は廃炉を唱える。政府・与党のみならず電力各社までもが知事選に強い関心を寄せるのは、原発再稼働などを巡って、立地県トップの意向を無視できないからだ。中国地方でも島根原発の再稼働や、山口・上関原発の新設計画において言えることである。
 そこで思い返されるのは「脱原発候補の連勝」と騒がれた昨年の鹿児島、新潟の知事選だ。ともに反原発の野党や市民団体の支援を受けた2人の新知事だが、そのスタンスに今は明確な違いが出ている。
 首をかしげざるを得ないのは鹿児島県の三反園訓(みたぞの・さとし)知事だ。昨年7月の知事選は立候補を取り下げた反原発団体代表と政策協定を結び、脱原発の統一候補として川内(せんだい)原発の一時停止を求めると訴えた。ところが、九州電力に拒まれると「私に原発を止める権限はない」とし、就任7カ月で運転容認に傾いた。鹿児島県民ならずとも驚かされた。
 さらには就任1年を前にした先月の会見で「選挙戦で言ったのは鹿児島を変えよう、再生エネルギーの推進をということだった」と述べた。まるで勝手に勘違いした有権者の方が悪いと聞こえる。疑念が地元で高まっているのも無理はなかろう。
 三反園氏と対比して語られるのが新潟県の米山隆一知事だ。昨年10月、柏崎刈羽原発の再稼働に反対して当選し、今なお東京電力には厳しい態度を取る。万一の避難方法や福島事故の原因についての検証がなされない限り「再稼働議論はできない」としており、検証には3、4年かかるとの見通しを示した。
 ただ最近の米山氏は再稼働への賛否について言及を避けている節もある。先日の会見も3年後の知事選に意欲をのぞかせ、再稼働について「きちんと明示して信を問う」と述べた。問題の先送りや日和見だと有権者に疑われれば信頼は失墜しよう。
 言うまでもなく率先垂範すべきは政府や各政党だろう。安倍政権は原発依存低減を掲げるが、3年前にまとめたエネルギー基本計画を見れば原発回帰は明らかだ。2030年代の原発ゼロを訴える民進党も党内の路線対立を抱え、本気度を疑う声がある。あいまいな公約や方便は許されない。原発をどうするのか。イエスかノーか分かりやすく、ぶれない訴えが聞きたい。


産経新聞OBが驚きの社内事情を証言!「本物の右翼はいない」「幹部は商売右翼」「東京新聞に記者が大量移籍」
 周知のとおり、加計学園問題では安倍首相や政府の虚偽答弁、トンデモな言い訳が次々と露見したが、同時に各マスコミの“政権御用度”を国民が知るリトマス紙にもなった。周知のとおり、読売新聞は例の“出会い系バー報道”で官邸の謀略に丸乗りした様を満天下に知らしめたが、もうひとつ、忘れてはならないのは産経新聞だ。
 たとえば、この間も、産経は安倍政権と加計学園の問題を追及するどころか、疑惑を追及している野党やメディアを批判することに血道をあげ、政権擁護のためにネトウヨがつくりだしたフェイクニュースをそのまま拡散する、なんてことまでやってきた。“安倍御用記者三羽烏”のひとり、阿比留瑠比論説委員兼政治部編集委員に至っては、コラムで〈テレビのワイドショーや左派系新聞を主な情報源としている人は丸め込めても、今後、そうした人は少なくなろう。すでにインターネット上では、メディアの偏向報道と印象操作は周知の事実だからである〉(7月24日付)と書き散らすなど、有象無象のネトウヨと同一化している始末だ。
 そんななか最近、この安倍応援団新聞の内幕を検証する『検証 産経新聞報道』(「週刊金曜日」編)という本が発売された。
 同書では、産経が援護射撃してきた歴史修正主義、男女共同参画バッシング、教科書改悪運動などをめぐって、能川元一氏や斉藤正美氏、高嶋伸欣氏など右派運動に詳しい研究者たちが論文を寄せて、その虚偽やインチキを徹底的に明らかにしている。また、一連の慰安婦問題をめぐる朝日バッシングの標的とされた元朝日新聞記者・植村隆氏の寄稿文では、昨年、産経からのインタビューを受けた際の“直接対決”の裏側などが詳述され、阿比留瑠比記者たちのトンデモが白日のもとにさらされているなど、多方面から産経新聞報道の問題点を指摘している。
 だが、そのなかでも実に興味深いのは、フジサンケイグループの「日本工業新聞」(現紙名「フジサンケイビジネスアイ」)の元論説委員・松沢弘氏のほか、絶対匿名を条件に集まったという3名の産経グループOBらによる座談記事だ。松沢氏は、産経労組とは別に、マスコミ界初の合同労組「反リストラ産経労」を立ち上げたことがきっかけで、不当な懲戒解雇に処された経緯を持つ。
 一方、3名の産経グループOBたちは匿名ながら、最近、退社したと思しきOBもおり、これまた社内事情にかなり詳しそうだ。いったい彼らが暴露する産経新聞社の実情とはいかなるものなのか。
幹部は商売右翼、新入社員は他紙を落ちて仕方なく…
 まず、素朴気になるのが、なぜ、産経には他の全国紙・ブロック紙ではほとんど見られない“ユニークすぎる極右記事”が並ぶのかということ。さぞかし、社内はネトウヨだらけなのかと思いきや、本気の右翼思想をもっている人はあまりいないらしい。
 まず、松沢氏が「『産経』の社員が、みんな右翼かというと、そんな人はほとんどいません」と切り出すと、OBのA氏も幹部批判をしながら、こう語った。
「取締役会に出たことのある人の話なんですけど、「『産経』の取締役は本当にひどい。どうしようもない奴らばかりだ。こんな無能な連中が取締役でいて、いい会社になるわけがない」とこぼしていました。幹部は思想的にも普通の人だったと思うんですけど、メディアにおける『産経』の位置づけからして、「商売右翼」でしか生きられないんですよね。幹部も社員も右翼的な思想とは全く無縁といって差し支えないと思います。
『産経』で経営者になったり、局長になる人は、そういう風に自らをしつけるというか、振る舞うほかないのかもしれません。左翼はあんまりいないでしょうけど、ホンモノの右翼もほとんどいません」
 他紙に比べてシェアが低い産経が生き残りのために、右派読者にターゲットを絞ってどんどん極端になっているという話はよく聞くが、このOBによると、幹部もただの「商売右翼」らしいのだ。
 一方、産経新聞に入ってくる新入社員たちの実態、メンタリティを明かすのは、同じくグループOBのB氏だ。
「そもそもどういう人が入ってくるかというと、「朝・毎・読」(『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』の略)とNHKの試験を落ちた人が『産経』を受けて、それぞれおさまっていきます。
 そういう意味では、東京本社の記者はかなりコンプレックスが強いです。学歴的にも華々しい人はあまりいませんし。学校の成績も入社試験の成績もイマイチだった人が入ってきます。そして、東京本社の記者は自分の紙面を恥じている人が多い。本当は『朝日』に行って、カッコ良く社会批判の記事でも書きたかったんだけど、そうは問屋が卸さなかった。仕方なく『産経』に入り、「ジャーナリストになりたいという夢」は一応、表面的に満たしてくれるので、そこで言われたことをやるという人がほとんどでした。
 世間の評価は特に『産経』東京本社は低いですし、「自分は、こういう記事を書きたいんだ」という志のある人はあまりいませんでした。入社のときにジャーナリストとしての志が、挫けてしまった感じです」
 ようするに、右派イデオロギーと政権擁護を前面に出した、ああいう紙面を本気で書きたいと思って入ってくる記者はほとんどおらず、他紙を落ちて仕方なく入ってきた者もけっこういるらしいのだ。しかも、驚いたのが、産経の記者たちが自分たちの紙面を恥じているという証言だ。
 まあ、普通の知性があれば、あの紙面を恥ずかしいと思うのが当然だが、産経の社員にまだそういう良心が残っていたとは……。しかし、だとしたら、産経の記者としてあんな記事を書き続けるのは相当な苦行だろう。そこで、記者たちが考えるのは「他紙への転職」らしい。
「入社した頃、みんなで「とりあえず『産経』で仕事を覚えて、他に行ってしまおうね」という話はしょっちゅうしてました」(B氏)
 実際、産経新聞では、記者の離職率がかなり高く、入社から数年で他紙や週刊誌に移るケースが頻発していると言われている。もちろん、読売や朝日と比べて給料が圧倒的に安いという事情もあるだろうが、記者たちのこうしたメンタリティも影響しているのではないか。
産経新聞からなんと、東京新聞に記者が大量流出していた
 しかも、同書を読んでいて驚いたのが、産経を辞めた記者が一時、思想的に真逆のはずの東京新聞に大量に転職していたという事実だ。
「『産経』東京本社の中には、『東京』のスカウトマンがいると言われていました。『産経』の社員なのに『東京』からお金をもらって、「これは」と目をつけた記者をどんどんスカウトするのです。一時期、『東京』にものすごい数の記者が移りました。よく笑い話で、「『東京』に移った『産経』グループのOBで、野球チームができるどころか、リーグ戦ができるんじゃないか」と言われていたくらいです」(C氏)
 よくもまあ真逆のスタンスの新聞社に移籍できるものだなと感心するが、もともと、「商売右翼」が多い産経の記者たちは、簡単に切り替えられるということなのだろうか。
 しかし、産経新聞に「商売右翼」が多いからといって、決して侮ったり、無視するわけにはいかない。事実、産経が右派のイデオロギーをむき出しにして、デマの拡散や差別の扇動まで加担し、“日本の恥”としか言いようのないネトウヨを培養してきたことは、幾度となく本サイトでも取り上げてきたとおりだ。
「フジサンケイグループの社内風土や空気は、恐ろしいといえば恐ろしいです。普通の人が志や思想とは関係なく、「ド右翼」「権力の走狗」という風になってしまうわけですから。そうじゃない人は他社に移るか、私のように辞めさせられるかのどちらかです」(松沢氏)
 とりわけ、近年の産経が政権の“広報部”よろしく、権力チェックをする他のマスコミの足を引っ張り、憲法破壊や他メディアへの報道圧力を“応援”する記事を濫造していることは、はっきり言って、戦後の平和主義にとっても表現の自由にとっても害悪でしかないだろう。
 『検証 産経新聞報道』には他にも、産経新聞の経営的な問題やフジテレビとの歪な関係など、興味深い証言が載っている。産経新聞は、フジテレビから陰に陽に資金援助をしてもらってなんとかやっている状況で、フジに見切りをつけられた瞬間に“おしまい”だというくらい、経営が逼迫しているのだという。
 ネット上では積極的なコンテンツ配信で幅を利かせているように見える産経新聞だが、その実態は読者が思っているよりも何倍も、いろんな意味でヤバいということらしい。(編集部)

ブツブツの資料スキャン・pdf印刷頑張る/迎え火と精霊馬

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Fig55

Les ventes d'abris antiatomiques s'envolent au Japon
Les menaces répétées du régime nord-coréen de prendre pour cible les bases américaines présentes dans l'archipel inquiètent la population, explique "Le Figaro".
Par 6Medias
Tous aux abris ! L'escalade verbale entre les États-Unis et la Corée du Nord fait des nerveux dans la région du Pacifique où, comme le rapporte Le Figaro , les ventes de refuges antiatomiques se sont multipliées ces dernières semaines, notamment au Japon.
Coincé entre les deux belligérants potentiels, l'archipel, qui n'a plus d'armée depuis 1945, est à portée des missiles nord-coréens. En mars dernier, l'armée de Kim Jong-un avait d'ailleurs tiré quatre missiles dans sa direction afin de s'entraîner à ≪ frapper les bases des forces impérialistes américaines présentes au Japon, le cas échéant ≫.
209 000 euros l'abri
Une menace qui a poussé la population à se ruer sur les abris antinucléaires, au point que certaines entreprises ont dû mettre en place des listes attente. Pourtant, le prix d'un tel équipement est loin d'être à la portée de toutes les bourses : contacté par Les Échos , le directeur d'une compagnie de Kobé explique qu'un abri pouvant accueillir 13 personnes coûte environ 25 millions de yens (209 000 euros) et qu'il faut quatre mois pour le construire. Le même fabricant vend des purificateurs d'air – censés protéger des radiations et des gaz toxiques – pour six personnes à 620 000 yens (5 200 euros) l'unité. Et à 1,7 million de yen (14 000 euros) pour 13 personnes.
De leur côté, les autorités nipponnes n'ont pas attendu les derniers échanges de politesses entre le régime nord-coréen et Donald Trump pour préparer ses citoyens à un éventuel conflit : neuf villes ont mené des exercices d'évacuation depuis le mois de mars. Et une publicité gouvernementale de trente secondes indiquant à la population quoi faire en cas d'attaque est diffusée en prime time à la télévision.
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NHKスペシャル 東日本大震災「帰還した町で〜原発事故7年目の闘い〜」
今春、原発周辺4町村で一斉に避難指示が解除。住民が直面したのは、町にはびこるイノシシやアライグマ。放射能への不安も残る。故郷を取り戻そうと苦闘する人々の4か月。
原発事故により、およそ9万人が避難を強いられた福島・原発周辺の町。国は除染を進め、段階的に避難指示を解除してきた。そして今春、4町村で一斉に解除。対象者が最も多い浪江町もそのひとつだ。住民たちが直面したのは、家屋や田畑を荒らすイノシシの群れ。屋根裏で繁殖するアライグマは、感染症をもたらす恐れが指摘されている。さらに、今なお残る放射能汚染への不安…。故郷を取り戻そうと苦闘する人々の4か月を追った。 渡邊佐和子

サンデーモーニング【危険な応酬…北朝鮮VSトランプ大統領▽速報世界陸上リレー】
一週間の見逃せないニュース&スポーツをサンデーモーニングならではの視点でお送りします◎世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽危険な応酬…北朝鮮vsトランプ大統領▽上空通過のミサイル迎撃は▽日報めぐり攻防 ◎おなじみ・スポーツ御意見番「喝!&あっぱれ」▽速報世陸400mリレー▽松山メジャー初Vへ? ◎関口宏の「一週間」ニュース◎時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」〜不戦の誓い〜
関口宏 姜尚中 大崎麻子 岡本行夫 亀石倫子 辺真一 松原耕二 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美(TBSアナウンサー) 張本勲&川藤幸三 三枝成彰 ◇番組HP http://www.tbs.co.jp/sunday/
制作プロデューサー西野哲史 番組プロデューサー金富隆 TBSテレビ

テレメンタリー 「回天 時を超える肉声」
102年の歴史を持つ慶応義塾大学水球部で、今も伝説として語り継がれるゴールキーパーがいる。塚本太郎さん(享年21)。太平洋戦争末期、学徒出陣で海軍に入り、人間魚雷・回天の搭乗員となった。山口県周南市の基地を出発したまま帰らぬ人に。戦後、太郎さんが出撃前、自らの肉声を録音したレコードが見つかった。「みんなと愉快に暮らしたい」、「国のための命を捧げよう」。肉声には異なる二つの心が。彼の本当の叫びとは?太郎さんゆかりの人たち訪ね歩いた。 山根基世 山口朝日放送
NNNドキュメント 4400人が暮らした町〜吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園〜
広島市の平和公園は、かつて4400人が暮らし、多くの民家がひしめき合う中島地区と呼ばれた町だった。ここにあった旅館をルーツに持つ被爆2世の吉川晃司さんが、失われた町の記憶を求め平和公園のいまと過去をたどる。当時の住民が語る町の姿とは?発掘調査で露わになった黒い地層、出土した生活遺品は我々に何を訴えるのか?そこから見えてくる原爆の破壊とは?原爆で一瞬にして町と人々の声が失われた事実を今、改めて訴える。 吉川晃司・玉川砂記子 広島テレビ

ブツブツの資料のスキャンを頑張りました.昨日もかなり頑張ったのですが今日も.疲れます.pdfの印刷は頑張るというのは変ですが,カラーなので時間がかかりました.
迎え火と精霊馬の準備で麻ガラとナスとキュウリを買いました.ほおずきも.ひょうたんとおもちゃナンキンはよくわからないのでパス.

<震災6年5カ月>遺骨189柱 帰れぬ盆 身元不明や引き取り手なし 岩手、宮城16市町村保管長期化
 東日本大震災から7度目のお盆を迎える岩手、宮城、福島の被災3県沿岸市町村のうち、身元不明などで親族の元に帰れず、自治体が預かる犠牲者の遺骨が岩手、宮城両県に189柱あることが、河北新報社の調べで分かった。震災から6年5カ月がたち、身元確認の困難さが増す一方、判明しながら引き取る人がいないケースもある。自治体は慰霊塔整備など安置の具体化を進めている。
 3県の沿岸37市町村に今月上旬に聞いた結果、岩手、宮城両県の計16市町が遺骨を管理している。県別の内訳は表の通り。2014年7月には3県で223柱あり、徐々に減ってはいるものの依然として多くの遺骨が残る。
<特定年々困難に>
 市町別で最多は岩手県大槌町の69柱。石巻市33柱、気仙沼市25柱と続く。大槌町は7月、新たに身元が分かった1柱を遺族に引き渡したが、町民課の担当者は「身元特定は年々、難しくなっている」と話す。
 保管が長期化する自治体は新たな安置場所を検討する。宮古市は現在、市内の2寺院に5柱を保管。市営墓地に慰霊塔を建てて納める方向で、市福祉課の担当者は「ご厚意で預かってもらっている。いつまでも、というわけにはいかない」と説明する。
 宮城県南三陸町も、町内の寺に保管する2柱を、町が整備予定の復興祈念公園の慰霊碑に安置することなどを検討する。
 身元が確認できても、引き取り手がいない遺骨を預かる自治体は対応に悩む。
<遺族の意向探る>
 多賀城市が市内の寺に保管する5柱は、全て身元が判明した。ただ、遠い親族しかおらず、生前のつながりが薄いなどの理由で引き受ける人がいない状態だ。
 市生活環境課の担当者は「他の親族を探すなど手を尽くしたが、時間がたつほど対応が取りにくくなる」と明かす。同市は、震災以外で亡くなり、引き受け手のない遺骨も管理しており、合同の供養塔の整備が今後の検討課題だという。
 仙台市は6柱を市葛岡墓園の管理事務所に仮安置している。うち4柱は身元が判明。さまざまな事情で引き取る遺族がいない。今後も遺族に定期的に連絡し、状況や意向に変化がないか確認していくという。
 福島県では浪江町が管理していた最後の1柱が、今年までに遺族に引き取られ、現在、自治体で保管する遺骨はない。


古里思う短歌楽曲に「ふるさとをうたう短歌コンサートin宮城仙台」被災3県の500首から 25日初披露
 宮城、岩手、福島の3県の人たちから寄せられた短歌をもとに、オリジナル曲を作るプロジェクト「ふるさとをうたう短歌コンサートin宮城仙台」が25日、仙台市青葉区の日本聖公会仙台基督教会で開かれる。
 文化活動を通じた震災復興支援活動を続ける「とうほくLOVE委員会」の主催。短歌は若者から70代まで幅広い世代から約500首が集まった。古里の美しい自然や、亡くなった友人への思い、初々しい恋心などを詠んだ歌もあった。
 委員会共同代表でシンガー・ソングライターのあんべ光俊さん(釜石市出身)ら東北ゆかりの10人のアーティストが曲作りに参加。それぞれが気に入った短歌を選び、思い思いに曲を付け独自にアレンジして制作した。
 仙台でのコンサートにはあんべさんと、イケメンズの元メンバー伊東洋平さん、シンガー・ソングライターの幹mikiさんが出演し、曲を披露する。
 9月15日には陸前高田市コミュニティホールで別のメンバーも参加して開催。福島市では秋ごろに開く。
 委員会はクラウドファンディング(CF)で開催資金を募り、目標を上回る約111万円が集まった。
 25日は午後6時半開演。入場無料。定員制のため事前連絡が必要。事務局050(3799)5263。


震災遺構の小学校で灯ろう作り
東日本大震災の教訓を伝える震災遺構として保存されている仙台市の荒浜小学校で、お盆の時期にあわせて犠牲者を追悼する灯ろう作りが行われました。
この灯ろう作りは、仙台市若林区の荒浜地区の人たちがお盆の時期にあわせて震災の犠牲者を追悼しようと企画しました。
会場となった震災遺構の荒浜小学校にある展示スペースの一角には、3連休の最終日とあって多くの人が訪れ、用意された色紙に花や魚の絵を描いたり、願い事を書いたりしたあと木の骨組みに貼り付けて灯ろうに仕上げていました。
できあがった灯ろうは、しばらく荒浜小学校に展示されたあと、19日に近くの貞山堀で行われる灯ろう流しで使われることになっています。
親子で参加した、仙台市に住む40代の男性は「家族が元気で過ごすことができますようにという願いを込めて灯ろう作りに来ました。
震災の記憶が風化してしまわないよう、子どもが大きくなったら多くの人が犠牲になった事実をしっかりと伝えていきたい」と話していました。


震災後の七ヶ浜町見つめる写真展
多賀城市のアマチュア写真家が東日本大震災の直後から七ヶ浜町を訪れて撮影した写真を集めた展示会が七ヶ浜町で開かれています。
多賀城市のアマチュア写真家、本郷浩さんは震災の発生直後から県内の被災地の様子をモノクロで撮り続けていて、今回の写真展はこの中から七ヶ浜町で撮影した写真62点を展示しています。
このうち震災の年の11月に撮影された「残されたスポーツカー」という作品は、津波の影響で大きく変形した車が畑の中に1台だけぽつんと残されている様子がおさめられています。
また、震災の翌年に穏やかな海を眺めながら思いにふける人たちを撮影した「海原の彼方」や、津波の被害を受けて家の土台のみが残された場所で力強く咲き誇るひまわりの花を写した「咲いたひまわり」なども展示されています。
アマチュア写真家の本郷さんは「『震災からとどまっていない、進んでいるんだよ』というメッセージや、住民の人たちがひまわりのような笑顔で生活している様子を伝えたいです」と話していました。
この写真展は来月8日まで七ヶ浜国際村で開かれています。


本格再開の海水浴場でイベント
東日本大震災の津波で大きな被害を受け、ことし7年ぶりに本格的に再開した七ヶ浜町の海水浴場で、訪れた人たちにダンスの実演やヨガの教室など海水浴以外でも楽しんでもらおうというイベントが開かれました。
七ヶ浜町の菖蒲田海水浴場は、震災の津波で大きな被害を受け、先月、7年ぶりに本格的に再開しました。
13日は、海水浴場を盛り上げようと地域の住民らによるイベントが開かれ、砂浜に設けられたステージでは午前中、地元の小学生によるダンスや県内の高校生のバンドによる演奏などが披露されました。
また、砂浜の一角ではヨガの教室も開かれ、インストラクターの指導のもと、訪れた人たちが波の音を聞きながら、ストレッチをしたりめい想をしたりしていました。
地元の観光協会によりますと、この海水浴場は天候不順の影響で訪れる人が思ったほど伸びていないということですが、13日は3連休の最終日とあって多くの人が訪れ、海水浴やイベントを楽しんでいました。
町内から訪れた親子連れは、「身近だった海水浴場がようやく再開されたので、こうしたイベントで盛り上げていってもらいたいなと思います」と話していました。


復興を願い金魚の飾り 展示会実行委が制作 登米
 「第9回夏のつるし飾り展」が23〜27日に宮城県登米市の登米祝祭劇場で開かれるのを前に、実行委員会のメンバーが、同劇場に集まり作品の制作や展示方法の打ち合わせを行っている。
 市内や南三陸町、仙台市のつるし飾り愛好家ら約40人が制作。今年の主テーマは「生きた縁起物・金魚」で、東日本大震災からの復興を祈願し、幸せを呼ぶとされる赤い金魚、邪気を払うとされる黒い金魚の飾り計612点を作る。金魚を含め全体で計約1万2000点が並ぶ。
 実行委の佐々木雅年事務長(59)は「縁起のいい金魚を実行委員全員で作り、みんなで復興を願うのが目的」と話す。
 つるし飾り展は入場無料。午前10時〜午後4時(最終日は午後3時まで)。連絡先は佐々木さん090(8920)5108。


多賀城で15日に万灯会 ライブステージも
 「復興への祈り 多賀城万灯会(まんとうえ)」(宮城県多賀城市・復興祈念東大寺展実行委主催)が15日夜、特別史跡多賀城廃寺跡と東北歴史博物館水上ステージを会場に開かれる。8500個の灯明(LEDキャンドル)で、会場全体を光で包み込む。
 多賀城廃寺跡では伽藍(がらん)配置の講堂跡、塔跡、金堂跡に5000個、廃寺跡と博物館を結ぶ散策路200メートルに1000個、水上ステージに2500個を配置。女子美術大教授で光のアーティスト、ヤマザキミノリさんがプロデュースする。
 水上ステージでは二胡とシンセサイザーのライブデュオもあり、光と音で幻想的空間を演出する。
 多賀城市の山王遺跡や高崎遺跡から平安時代の灯明皿が大量に出土し、万灯会が当時開かれていたことが分かっている。来年4月28日〜6月24日に東北歴史博物館で開かれる東大寺展(仮称)のプレイベントとして、奈良の東大寺大仏殿万灯供養会と同時開催する。
 多賀城万灯会は午後7〜9時。入場無料。博物館駐車場や最寄りのJR東北線国府多賀城駅の利用を呼び掛けている。連絡先は市市民文化創造局022(368)1141内線262。


山元の中学生宮崎訪問へ 被災体験発表の準備進む
 宮城県山元町の山下中(生徒214人)、坂元中(同81人)両校の生徒計12人が16〜18日、宮崎県宮崎市の中学校を訪問し交流を行う。宮崎市が被災地支援として続けている町との交流事業の一環で招かれた。生徒たちは同市の檍(あおき)中、青島中の2校を訪れ、東日本大震災時の学校の様子や復興状況を発表する予定で、夏休みに入ってから入念に準備を進めている。
 9日、6回目の打ち合わせが山下中であり、生徒たちはプロジェクターを使った発表の予行練習を実施した。担当教師と練った発表文を写真に合わせて順番に朗読。震災時に当時の中学生が学校で炊き出しのボランティアをしたり、仮設住宅で掃除をしたりしたことなどを紹介した。
 この日が最後の練習で、坂元中3年の工藤紅凜(くりん)さん(15)は「中学生にもできることがたくさんあると思う。自分たちが経験したことを少しでも生かしてもらえるように発表をしたい」ときっぱり。山下中3年の荒陽夏乃(ひなの)さん(14)は「これまでに全国から受けた支援に対する感謝の気持ちも伝えたい」と語った。


兵庫の高校生が旧荒浜小見学 津波の脅威を遺構で実感
 兵庫県尼崎西高(尼崎市)の生徒有志23人が12日、東日本大震災の津波に遭い、震災遺構として一般公開されている仙台市若林区の旧荒浜小を訪れた。
 生徒たちは、荒浜小での震災発生から津波の襲来、救助までの経過を伝える映像や写真を通じて、津波の脅威や早期避難の大切さを学んだ。当時320人が避難した屋上から、かさ上げ道路工事などが進む様子を見学。近くにある荒浜地区の慰霊碑で犠牲者をしのび、黙とうをささげた。
 3年の新見玲奈さん(18)は「津波の爪痕が残る校舎を見て、威力の強さを実感した。家族とも防災、減災を話し合い、皆で意識を高めたい」と語った。
 一行は11日から3日間、県内に滞在。13日は、南三陸町志津川の仮設住宅で焼きそばパーティーを催し、住民との交流を育む。


津波発生時の避難道路 渡波稲井線が本格着工
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市渡波地区から内陸の稲井地区に直接つながる幹線道路「渡波稲井線」が本格着工した。津波発生時の避難道路になり、緊急輸送路としての役割も期待される。
 渡波稲井線は両地区を南北に結ぶ市道で、全長約3.5キロ。石巻市は今回、未着工だった最後の約2.7キロの工事に着手し、幅15メートルの片側1車線の道路1.7キロや2本の橋計約310メートル、トンネル約700メートルなどを整備する。JR石巻線の上を通過する36メートルの陸橋工事はJR東日本に委託する方針。
 今回の事業費は53億4600万円で、復興交付金を活用する。2020年度の完成を目指す。残りの0.8キロは既に一部が使用されており、未完成部分も年度内に整備する計画で工事を進めている。
 全線がつながれば、津波被害に遭った旧北上川河口周辺の市中心部を経由せずに避難できる。三陸自動車道石巻女川インターチェンジへのアクセスも良くなり、石巻漁港周辺の物流網を強化できるという。
 9日に現地であった安全祈願祭には約80人が出席。亀山紘市長は「産業の推進や災害時の避難路の確保など期待される役割は大きい。一日も早く完成させたい」と語った。


<震災6年5カ月>岩手・大槌中心部で7年ぶり夏祭り
 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県大槌町中心部の末広通りで12日、7年ぶりに夏祭り「よ市」が開かれた。あいにくの雨の中、復活した名物行事を楽しもうと大勢の町民が足を運んだ。
 大槌末広町商店会の主催。商店が立ち並び始めた通りを約150メートルにわたり歩行者天国にし、露店約25店が並んだ。被災地支援で応援職員を派遣している自治体の特産品販売、観光PRをするブースもあった。
 よ市はかつて2日間開催され、約2万人を集めたこともある。往時には及ばないが、町民らは祭りの雰囲気を存分に楽しみ、ステージで繰り広げられるバンド演奏や歌謡ショーで盛り上がった。
 町中心部の自宅が津波で全壊した介護士の岩間由華さん(29)は「大槌は祭り好きの人が多い町。よ市の復活で、みんなが元気になるといい」と話した。


<震災6年5カ月>原発被災地で復興願う盆踊り あす開催
 東京電力福島第1原発事故で被災した福島県飯舘、葛尾両村で14日、それぞれ復興を願う盆踊りが開かれる。避難指示が今春解除された飯舘村飯樋地区は、住民有志が7年ぶりに復活させる。葛尾村では大学生が企画と運営に携わり、特産品を使った商品の販売で盛り上げる。
 飯樋地区の盆踊りは地区集会所前で開催。カラオケ大会や焼きそば、ビールを無料提供し、先着50人には地元で営業を再開した「ゑびす庵」のうどんを無料で振る舞う。
 盆踊りにはかつて約1000人が集まった。2日間通行止めにした村道で、力士や芸者姿などになる仮装踊りが繰り広げられた。
 今回は有志16人が「古里のいい思い出をつくる場をもう一度」と実行委員会を組織。一部は避難先から駆け付け、高さ約3.5メートルのやぐらを建てるなど準備を進めてきた。
 「40年以上続いた盆踊りは地域の交流の場だった」と発起人で実行委員長の荒利喜さん(67)。「何人集まるかは分からない。それでも伝統を後世に引き継ぎたい」と意気込む。
 葛尾村の避難指示は昨年6月、一部を除き解除された。各地の大学が復興を支援しており、村役場近くの広場である盆踊りも学生有志が協力する。
 郡山女子大短期大学部(郡山市)の学生はスナック菓子を販売。村の伝統食「凍(し)み餅(もち)」を揚げたスティックフライ(200円)など考案した商品で、地域の味の魅力を発信する。
 日大工学部(郡山市)の学生は、子ども向けにキャンドル作り体験を企画。昨年から関わる工学部学生団体の代表で3年の片岡直樹さん(20)は「多くの方に楽しんでもらい、コミュニティー再生につながればうれしい」と話す。
 盆踊りは飯舘村飯樋地区が午後4時、葛尾村が午後6時スタート。


「鳥の目」で被災地一望 石巻の団体、ドローン駆使し震災伝承
 東日本大震災で被災した石巻市の公益社団法人みらいサポートが、小型無人機「ドローン」を駆使して震災伝承に取り組んでいる。視線の高さと異なる位置から臨場感のある映像が撮影できるのが利点。空撮画像を組み合わせれば立体的なデータを作成でき、震災遺構などを3Dにして残す活動も始めた。専務理事の中川政治さん(41)は「さまざまな手法で被災地の姿を伝えたい」と語る。
 中川さんが操るドローンは最大飛行時間18分、操作可能範囲は約2キロ。高性能カメラが搭載され、動画や静止画を撮影できる。
 主な撮影場所は津波で甚大な被害を受けた同市の南浜、門脇両地区。みらいサポートが運営する伝承施設「南浜つなぐ館」が立地し、隣に「がんばろう!石巻」の看板がある。命日には追悼行事が行われ、キャンドルの光で「3.11追悼」と浮かぶ光景などを撮影している。
 ドローン撮影を始めたのは2015年3月。通常のカメラだけで被災地の様子を伝えるのは限界があると感じ、当時、全国的に話題になっていたドローンの活用を思い付いた。
 今年4月からは空撮した数百〜数万枚の写真をパソコンで合成し、立体化するソフトを導入。震災遺構として一部保存される旧門脇小校舎を撮影し、3Dのデータを作成した。市は校舎の中央部を残して両端を解体する方針で、いずれは現在の全体像は見られなくなるため、3Dデータは貴重な資料になる。
 中川さんは他にも復興事業に伴い移転予定の同市雄勝町の雄勝ローズファクトリーガーデンや、復興祈念公園の整備工事が始まった南浜地区なども撮影。一部はホームページで公開している。
 中川さんは「ドローンは震災を伝える上で強力なツール。今後もいろいろな技術を組み合わせて震災伝承や防災教育に役立てたい」と話した。


<あなたに伝えたい>感謝を込めた歌 天まで届け
◎音楽への道 背中を押してくれた父/稲辺隆大さん(塩釜市)恵一さんへ
 稲辺恵一さん=当時(54)= 宮城県多賀城市宮内1丁目の自宅で妻(60)、次男隆大さん(29)と暮らし、仙台塩釜港近くの運輸会社に勤めていた。東日本大震災当日は透析のために市内の病院へ。徒歩で病院へ向かう途中、津波に巻き込まれたとみられる。1週間後、宮城県利府町の遺体安置所で、衣服の特徴から身元が分かった。
 隆大さん 無口で優しい父でした。私は多賀城中生の時に同級生2人とラップグループ「GAMISM(ガムイズム)」を作り、音楽活動を始めました。自宅が練習場になっても「気にしなくていいから」と応援してくれ、楽器を買う頭金まで出してくれました。
 歌ができてCDになると、まず父に聞いてもらいましたね。「このさびいいね」「いい曲作るなあ」。背中を押してくれる言葉ばかりでした。
 震災の1週間ほど前、父から「もみあげを整えてくれないか」と声を掛けられ、電気シェーバーでそってあげました。糖尿病の影響で目が見えにくくなっていて、大好きな車の運転からも遠ざかっていました。
 父の遺体が見つかったのは、自宅近くの八幡神社でした。車好きが導いたのでしょうか、自宅にあった愛車も同じ境内で見つかりました。思い出の品の多くが津波に流された中、車内にあった愛用の眼鏡が大事な遺品になりました。
 震災時、自宅にいた母は2階に逃れて助かりましたが、家屋は津波で大規模半壊。父に一番なついていた飼い猫「ミント」も津波に流されました。1カ月後、自宅近くで奇跡的に見つかり、今では震災前よりも家族になついています。
 音楽活動は今も続けています。震災後、父への思いを込めて「花火」という歌を作りました。区切りを付けるために、感謝を込めて。プラス思考で心が広く、まっすぐ歩む父の生き方を受け継いでいきます。


河北春秋
津波は由比ガ浜の堤防を越え、鶴岡八幡宮の鳥居に押し寄せる。鎌倉駅周辺の商店街は濁流にのみ込まれた−。鎌倉市が昨年4月にホームページで公表した津波のシミュレーション動画を見た▼実際の街並みに津波を合成している。サイレンの音も入り、かなり生々しい。最大14.5メートルの津波が8分で到達するとの想定。「背筋が凍る」などと反響を呼び、再生回数は33万に上るという▼「観光地のイメージを損ねると批判もあったのでは?」と担当者に聞くと、「観光地だからこそ、リスクは包み隠さず伝えたい」ときっぱり。「大切なのは津波の被害を防ぐことよりも、高台に逃げること。東日本大震災の教訓に学びました」▼7月下旬、宮城県七ケ浜町の菖蒲田海水浴場であった行事に、松尾崇鎌倉市長が駆け付けた。市民団体が復興支援を続けているのが縁で、両市町は「パートナーシティ提携」を結ぶ。動画をはじめとした鎌倉の防災対策は、被災地を歩き、被災者と対話した経験に基づく▼鎌倉では「オレンジフラッグ」の普及が進む。津波の恐れがある時、視認性の高いオレンジ色の旗を海岸に掲げて避難を促す。2011年に地元のマリンスポーツ連盟が提案した。「今度は自分たちが学ぶ番」と七ケ浜の人たちが導入を話し合っている。

御巣鷹の麓で追悼慰霊式 日航ジャンボ機事故32年
 日航ジャンボ機墜落事故から32年となった12日夕、墜落現場の「御巣鷹の尾根」の麓にある群馬県上野村の「慰霊の園」で追悼慰霊式が営まれ、遺族や日航幹部ら260人が墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうし、故人を悼んだ。犠牲者の数と同じ520本のろうそくに火がともされた。
 式典に先立ち、尾根の「昇魂之碑」に献花した日航の植木義晴社長(64)は報道陣に「来るたびに当時の記憶がよみがえってくる。安全への誓いを新たに、さらに強固なものにしていく」と語った。
 日航によると、この日、尾根に慰霊登山した遺族は過去3番目に多い97家族359人だった。


[お盆の入り] 亡き人に万感を込めて
 きょうはお盆の入りである。先祖や亡き人を供養し、静かにしのびたい。
 人の死はさまざまである。きのうは乗客乗員520人が亡くなった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から32年、三十三回忌の節目だった。
 歳月の経過とともに、事故の記憶が薄らいでいくことは避けられないとしても、遺族にとっては決して忘れることはできない。
 いや、むしろ思いが年々募る人も少なくなかろう。肉親を突然奪われた悲しみと衝撃の重さは計り知れない。
 事故機は、出張の会社員やお盆の帰省客などでほぼ満席だった。夏休みに一人旅をしていた子どもも犠牲になった。
 遺族らは墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に登山し、犠牲者を悼んだ。
 前日から降り続いた雨が明け方には上がり、夏の太陽がのぞいたという。遺族らはどのような思いで現場を目指し、故人と向き合ったのか。
 夫を失った70歳の女性は「今年が最後かもしれない」と語った。迷う気持ちが伝わってくるようである。
 あの日、揺れる飛行機の中で妻と子どもに「パパは幸せだった」と感謝のメモを残した男性の“遺言”は大きな反響を呼んだ。
 それだけ家族のつながり、一人一人の人間の結びつきは尊い。死者の声に耳を澄ます心構えは失いたくない。
 きのうの本紙「ひろば」に、南九州市の齊藤功さんの「ちょうちん供え先祖と向き合う」と題された投稿が掲載された。
 齊藤さんは、暑い夏にサルスベリが咲き乱れると、「先祖をしのぶお盆がやってきます」と記す。
 家紋入りの1対のちょうちんで仏壇を飾り、先祖を迎える準備を整える。そうすることで厳粛な気持ちになるという。
 お盆の帰省客でにぎわうひとときだ。家族や親戚が集まり、故人の思い出話など語り合う機会を大切にする必要がある。
 ただ、高齢化が進み、墓参りなど困難になる事例も多くなっているようだ。
 子どもが県外にいたり、親戚が周囲にいなかったりして「墓じまい」を考える人や納骨堂に移す人が増えている。
 鹿児島県は花の消費量が全国一といわれる。それだけ墓や仏壇などを大切にする文化や風習が根付いているということだろう。
 弔いの形は変化しても、先祖や故人を敬う心はいつまでも大切にしたい。


平和首長会議 国際社会を動かす力に
 世界7千以上の都市が加盟する平和首長会議(会長・松井一実広島市長)は長崎市で開いた総会で、核兵器廃絶を訴える「ナガサキアピール」を採択して閉幕した。
 「核兵器禁止条約の早期発効をめざし、全加盟都市から自国の政府に働きかけていく」。国連で核兵器禁止条約が採択されたことしは、とりわけ首長たちの「決意」を心強く感じる。
 アピールには、全ての政府に署名と批准を求める内容を盛り込んだ。「特に核保有国と核の傘の下にいる国々の政府には強く働きかけていく」とも明記しており、高く評価したい。
 核を巡る国際情勢は厳しさを増す。米国には核軍縮に後ろ向きなトランプ政権が誕生し、北朝鮮は核実験やミサイル発射で挑発を繰り返す。首長会議には、利害や思惑が絡み合う国家間の厚い壁を、自治体外交の力で打ち破ってほしい。
 核兵器が使用されれば、都市と市民が最大の被害者になる。市民の安全を確保することは自治体の使命であり責務―。35年前、前身の「世界平和連帯都市市長会議」が発足したのもそうした首長らの思いからだった。
 いまや162カ国7417都市(今月1日現在)が集う巨大非政府組織(NGO)になった首長会議はその原点を守っているのだろう。今回の総会ではアピールに加え、副会長の田上富久・長崎市長の提案で「条約の早期発効を求める特別決議」が採択された。
 核兵器の使用や威嚇、保有、開発などを全面的に禁じた初の国際条約は9月20日、署名手続きが始まり、50カ国の批准で発効する。2020年までの廃絶を目指しながら、NGOとして具体的行動が示しにくかった従来と比べて目標は明確になった。特別決議はそれを見据えた強い意志の表れといえよう。
 問題は、会長と副会長を務める被爆地広島、長崎の両市長がどれだけ自国の政府を動かし、加盟都市に示せるかだろう。
 日本政府は依然として「核の傘」に固執する。条約の制定交渉にも「核保有国抜きで交渉を進めれば、非保有国との溝が深まる」などとして背を向けた。採択されると今度は署名しない方針を貫いている。
 首長会議は総会で、20年に向けての新たな行動計画も示した。この年までに核兵器廃絶を達成する目標は従来と変わらない。興味深いのは、テロや難民、環境問題などへの取り組みも加えた点だ。
 被爆地の訴えに対して共感の裾野を広げるためにも、核兵器の問題が、ほかの戦争や暴力の被害と同様、人道問題であることを伝えていく意義は大きい。NGOが立役者となった対人地雷全面禁止条約の成立過程(オタワ・プロセス)も、国家間のパワーバランスではなく、人道主義を貫いたことが成功に結びついたとされる。
 決議は「長崎を最後の被爆地に」との言葉を「永遠のものにするため力を尽くす」とも決意している。それを支えるのは、市民一人一人である。
 世論をいかに築くかも課題になる。著名人をキャンペーン大使に起用して政府に呼び掛けるという計画もあるが、人選もこれからだ。首長らの決意を、いかに国際社会に反映できるか。綿密な作戦が求められる。


岐路の安倍政権 エネルギー政策 既定路線では解決しない
 エネルギー改革への関心が低く、旧来通りの原発依存から脱する気がない。安倍政権のこれまでのエネルギー政策を一言で言うなら、そうなるだろう。
 それを象徴するのが2014年に閣議決定した「エネルギー基本計画」と、これを基にした将来の「電源構成」だ。
 基本計画は原発について「依存度を可能な限り低減する」と言いつつ、「重要なベースロード電源」と位置づける矛盾に満ちた内容だった。
 30年度の電源構成の目標は、原発20〜22%、再生可能エネルギー22〜24%。エネルギー政策の大胆な転換からはほど遠く、既得権益を握る大手電力会社と経済産業省の発言力の大きさを反映する内容だった。
 現状はどうか。
 原子力規制委員会の安全審査を経て5基が再稼働したが、昨年度推計の原発比率は約2%に過ぎない。
 そもそも原発が安い電源であるという前提にも破綻が見える。原発の廃炉費用や事故の賠償費が膨れ上がり、その一部を原発とは無関係の新電力にまで負担させる仕組みを政府が作り出したことはその表れだ。
 内閣改造と時を同じくして、先週、エネルギー基本計画の見直しが始まった。政策を抜本的に見直すチャンスだが、世耕弘成経産相は会議の冒頭から従来路線の踏襲に言及している。
 それが意味するのは、原発新増設には触れないまま、運転40年を超える老朽原発も含めた原発再稼働をめいっぱい進めることだろう。それは、依存度低下にも、安全性向上にも反する。
 安倍政権に求められているのは、再生エネや省エネをこれまで以上に強力に進めるための方策を打ち出すことだ。昨年度推計の再生エネ比率は約15%で原発事故前の10%からは増えたが、十分とは言いがたい。
 世界の情勢を見れば、安全対策でコストが膨らみ続けている原発とは逆に、再生エネはコストが下がり続けている。
 既定路線のまま原発維持に莫大(ばくだい)な費用をつぎ込めば世界から取り残される。それより、再生エネの将来性を見越して制度や運用を改善し、投資を増やす。安倍政権を再生させるにはその方が得策のはずだ。


憲法の岐路 首相の情念 歴史に逆行する危うさ
 8・15が巡ってくる。数えて72回目の終戦記念日だ。敗戦から新憲法公布(1946年)、講和条約発効(52年)を経て、今の私たちの暮らしはある。
 そうした戦後の歩みも、安倍晋三首相には是認できないものに映っているようだ。
 首相はよく「真の独立を取り戻す」と言う。連合国の占領下で制定された憲法を変えることによって日本は初めて独立を取り戻すことができるのだ、と。
 「GHQ(連合国軍総司令部)の素人がたった8日間で作った」「妙にへりくだった、いじましい文言」「みっともない」
 首相が憲法を評した言葉だ。先日は目指してきた2020年の改定憲法施行にこだわらない姿勢を示したものの、改憲をあきらめたわけではない。
 終戦の日に合わせ、戦争と憲法について考える。
   <祖父の改憲論>
 国会の議事録を開くと、首相の祖父、岸信介首相の答弁にも似た表現がしばしば登場する。例えば1958(昭和33)年11月の参院予算委でのやりとりだ。
 論客として知られた社会党の羽生三七氏(長野地方区)が問う。総理が改憲論者であることはよく知られているが、憲法を変える必要はどこにあるのか―。
 岸が答える。「われわれが占領下から出て真の独立を回復し、自由な意思をもって憲法を考える時期に来ている」
 祖父と孫は政策の方向や政治姿勢もよく似ている。岸は警察官の権限を強化する警察官職務執行法(警職法)の改正、教員に対する勤務評定導入など、保守色の濃い政策を推し進めた。
 日米安保条約改定はデモの学生に死者が出るなど混乱を極めた。自然成立を待って岸は退陣。「私には声なき声の支持がある」がその時の言葉とされる。
 安倍首相は第1次政権のとき教育基本法を改定。第2次、第3次政権では特定秘密保護法や安保関連法、共謀罪法を制定している。数の力による無理押しだった。
 首相は反対論に耳を傾けない点まで祖父に学んだかのようだ。「世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった」と、著書「新しい国へ」に書いている。
 岸が主導して54(昭和29)年にまとめた改憲案がある。自民党の前身、自由党の憲法調査会長を務めていた時のことだ。
 その内容は、▽天皇は元首とする▽軍隊を設置する▽非常事態宣言の規定を設ける▽国民に国防義務、法律の順守義務、国家への忠誠義務を課す▽基本的人権は法律で制限できる―など。
 時計の針を戦前、戦中に戻したかのようだ。自民党の2012年改憲草案と重なる部分も多い。
   <9条が空文化する>
 安倍首相は今年の憲法記念日に9条改憲を打ち出した。戦争放棄の1項、戦力不保持と交戦権否認の2項はそのままに、自衛隊の存在を書き込むという。
 これなら小さな改定に見えて国民の支持を得られやすい―。そう考えたのだろう。
 2014年7月の安倍内閣による閣議決定により、自衛隊は集団的自衛権が行使できるようになった。そんな自衛隊を書き込めば9条は空文化する。小さな見直しでは決してない。
 首相の言葉の一つに「戦後レジームからの脱却」がある。首相によると戦後レジームとは、占領時代に作り上げられた憲法、教育基本法などの枠組みを指す。
 戦後の歴史の出発点は1945年7月26日のポツダム宣言だ。連合国が日本を占領することや、武装解除、旧体制の除去、戦争犯罪人の訴追などを定めている。
 憲法との関連では、言論・宗教・思想の自由と基本的人権の尊重を定めた条項が重要だ。憲法の基本理念になっている。
 日本政府はポツダム宣言を受諾したことにより天皇中心の国家体制を転換することを義務付けられた。だが新憲法の制定は旧体制への未練からなかなか進まない。業を煮やしたQHQが独自の案を提示、その案に沿った憲法制定を日本政府に求めた。そうやってできたのが今の憲法だ。
   <「脱却」してどこへ>
 これを押しつけと見るのは、事柄の一面だけをとらえた議論である。出発点には日本がポツダム宣言を受け入れた事実がある。国民の多くが新憲法を歓迎したことも見落とせない。
 今の憲法には市民革命以来の世界の歴史が織り込まれてもいる。平和、国民主権、基本的人権の尊重は地球上どこに住む人にも保障されるべき普遍的価値である。
 その憲法から脱却して首相はどこへ行こうというのか。
 9条改憲を突破口に岸の改憲案が息を吹き返すようでは歴史の逆行になる。


PKO日報審査/謙虚に、丁寧に説明責任を
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る閉会中審査が衆参両院の委員会で実施された。この問題では組織的な隠蔽への当時の稲田朋美防衛相の関与の有無が問われていたが、与党側は稲田氏の参考人招致を認めなかった。首相も出席しなかった。
 防衛省の防衛監察本部が実施した特別防衛監察は稲田氏の関与に関してあいまいな記述になっている。だが野党側の質問に対して監察本部の担当者は「関係者の証言があやふやで発言が特定できなかった」と従来の説明を繰り返し、防衛省幹部も明確な答弁を避けた。
 小野寺五典防衛相は稲田氏に日報データを報告した際のやりとりが記されたとされるメモや、陸上自衛隊がまとめた内部調査結果の公表、国会提出を拒否した。
 これでは国民への説明責任を尽くしたことにはならない。自衛隊という実力組織の活動には、文民統制がきちんと機能しているという国民の信頼が不可欠だ。内閣支持率の下落を受けた安倍政権は、信頼回復に格段の努力が必要ではないか。
 日報問題に関する特別防衛監察が認定した経緯の概要はこうだ。まず昨年7月に作成した日報に関する同月の情報公開請求に対し、開示対象外とするのが望ましいとして陸自が不開示とした。さらに12月には「陸自で廃棄済み」として不開示を決定。今年に入って陸自で保管されていることが判明したが、当時の黒江哲郎事務次官が公表する必要はないと判断した。
 稲田氏の関与に関して監察結果は、2月の報告の際に陸自の日報データ保管について「何らかの発言があった可能性は否定できない」としながら、同時に「書面を用いた報告や、非公表の了解を求める報告がされた事実はなかった」とした。
 あいまいな記述であり、「口頭での報告」はあったのかとの疑問が生じる。その疑問点を明確にするのが国会の責務だ。関係者の証言が食い違うのならば、稲田氏の説明が必要になる。
 自民党の森山裕国対委員長は「特別監察という非常に重いところで調査した以上のものはない」と稲田氏の招致を拒否した。だが監察本部は防衛相の下に設置されるもので防衛相自身は調査対象ではない。調査の在り方自体が不適切であり、第三者機関などでの再調査が求められる。
 日報の隠蔽問題が深刻なのは、極めて重要な政策決定に関係するからだ。昨年7月に南スーダンの首都ジュバで起きた政府軍と反政府勢力の激しい紛争を日報は「戦闘」と記録していた。しかし首相や稲田氏らは「衝突」と言い換えて、PKO派遣を継続してきた。
 安倍政権は昨年3月に施行された安全保障関連法に基づく新たな任務「駆け付け警護」の付与を検討していた。開示請求に対して「戦闘」と記述した日報が公開されれば、PKO派遣5原則に照らして派遣が継続できなくなった可能性がある。
 安倍政権は昨年11月に新任務付与を決定したが、野党側には派遣を継続して安保関連法の実績をつくるために、日報が隠されたとの疑念がある。「謙虚に、丁寧に」説明責任を果たす必要がある。


沖縄県民大会/「基地の島」が訴えること
 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の危険性を取り除くことが、喫緊の課題であることは言うまでもない。だが名護市の辺野古沖に移設しても、沖縄が基地の島であり続ける状況が変わらないことも事実だ。
 辺野古沖の新基地建設に反対する「県民大会」が昨日、那覇市内で開かれた。主催者発表で約4万5千人が参加し、建設差し止め訴訟を起こした翁長雄志(おながたけし)知事を支える決意を示した。
 県民大会は昨年5月にも、米軍属による殺人事件に抗議し開かれた。戦後72年、沖縄の日本復帰から45年を経た今も駐留米軍による事件や事故、そして騒音被害が住民を苦しめる。
 県民の忍耐は限界に達している。毎年のように抗議の声を上げねばならない人々の訴えに耳を傾け、同じ国民として苦悩に思いをはせたい。
 沖縄県民が願う基地負担軽減は県外移設のみを意味するのではない。ほかの地域の住民が同じような苦しみ、痛みを味わうことを求めているのではない。
 本当に現状の米軍駐留基地が必要なのか。地元に苦悩を強いる地位協定は現状のままでいいのか。日米安保の在り方も含めて国民に真摯(しんし)に考えてほしい、と問い掛けている。
 しかし政府は「辺野古沖が唯一の解決策」と繰り返すばかりで、沖縄の声に向き合うことなく、護岸工事を推し進める。いま一度、立ち止まって対話の席に着くことを改めて求める。
 きょう13日は13年前、普天間飛行場所属の米海兵隊の大型ヘリが、沖縄国際大学に墜落した事故が起きた日である。
 折しも新型輸送機オスプレイがオーストラリア沖で墜落した事故を巡り、全国で米軍と日本政府を批判する声が広がる。
 米軍は事故の詳細な調査報告を示すことなく、飛行を再開した。当初、飛行の自粛を要請した政府は、米軍の「機械的、構造的、システム上の欠陥はない」との判断を受け、飛行再開を容認した。いずれも国民の不安を置き去りにした姿勢で、到底理解を得られないだろう。
 沖縄の県民大会では、オスプレイの国内での全面飛行禁止を求める特別決議が採択された。政府は決議に表れる怒りと危機感を真剣に受け止めるべきだ。


新基地阻止県民大会 子や孫のため思い一つに
 那覇市の奥武山陸上競技場には、続々と人々が押し寄せた。灼熱(しゃくねつ)の夏の強い日差しが照りつける中、トラック中央や客席の木陰を埋め尽くした人々は汗を拭いながら、じっと登壇者の話に耳を傾けた。そして「NO辺野古新基地」「我々はあきらめない」と書かれた紙を同時に掲げ、思いを一つにした。
 沖縄への過重な米軍基地負担とそこから派生する事件・事故に抗議し、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対する「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」には、主催者発表で約4万5千人が集まった。
 会場には小中学生の子どもを連れた家族の姿も多く見られた。開催された12日は3連休の中日に当たる。夏休み中の子どもと海や山、川などの行楽地に出掛け、一緒に遊ぶ絶好の機会だったろう。
 それなのに県民大会に多くの家族連れが足を運んだのはなぜか。大会宣言にあるように、日本政府が「沖縄の民意を圧殺し続けている」状況を打破し、敢然と立ち向かう意思を示すためにほかならない。親たちは未来を担う子どもたちに、そのことを感じ取ってほしいと願ったのだろう。
 裏を返せば、沖縄の置かれた状況があまりにも理不尽で、自己決定権が踏みにじられた極めて危機的な状況に置かれていることを意味する。県民世論調査で毎回7〜8割が反対を占める辺野古移設について、政府は建設を強行し続け、4月からは護岸工事に着手した。辺野古では連日、青く澄んだ海の中に砕石が次々と投下されている。
 米軍垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは2012年10月、普天間飛行場に強行配備された。13年に県内全41市町村長らが賛同し配備撤回を求める「建白書」を携えて国に要請したが、配備は撤回されず、現在も駐留している。
 そして普天間所属のオスプレイは昨年12月に名護市安部沖、今月5日にオーストラリアで相次いで墜落した。昨年12月の同じ日には別の機体が普天間飛行場で胴体着陸の事故を起こし、6月には伊江島と奄美大島で相次いで緊急着陸している。どれだけ住民の生命と財産を危険にさらし続ければ気が済むというのか。
 今月の墜落事故で日本政府は当初、米側に飛行自粛を求めていたが、事故から6日後の11日に自粛要請を撤回し、国内での飛行を容認する姿勢に転じた。
 事故原因が明らかになっていないにもかかわらず、米側の「飛行再開は安全だ」との説明に「理解できる」と応じた。米側の言いなりというほかない。
 大会で最も大きな拍手が起きた翁長雄志知事のあいさつのしまくとぅばの呼び掛けこそ、参加者の共通の思いだ。
 「子や孫のために、先祖の思いを胸に刻み、命の限り頑張ろう」


オスプレイ容認 国民よりも米軍優先か
 これでは、ほとんど米軍の言いなりではないか。
 防衛省が、国内での飛行自粛を求めていた米軍の新型輸送機オスプレイについて、飛行再開を容認した。機体に欠陥がなく、安全な飛行が可能との米側の説明は「理解できる」という。
 オーストラリア東部沖での墜落事故は5日に起きたばかりだ。
 その詳細な事故原因や具体的な再発防止策が示されていない状況に変化はない。
 にもかかわらず、一転しての容認である。国民の不安を置き去りにして、米軍の都合を優先したと批判されても仕方あるまい。
 墜落事故後、日本政府は、飛行自粛に加え、事故原因の究明や再発防止策の徹底を求めたが、米軍は安全を確認できたとして、一方的に飛行継続を発表した。
 例によって、安全性の根拠は明らかにされていない。
 ところが、防衛省は、米軍が事故後、整備記録などを調べ、オスプレイに構造的な欠陥はないと認識し、運用手順を再度徹底させたため、安全飛行は可能だというのである。
 「米軍が安全と思うなら安全」と言うに等しい。要は、相手の言い分をうのみにしたにすぎない。
 防衛省が容認を発表したのは11日未明という非常識な時間だ。
 同日中にオスプレイ4機が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)から米軍三沢基地(青森県三沢市)に移動した。
 早期の飛行再開を望む米側の意向に配慮したとみるのが自然だろう。これが国民の安全に責任を持つ政府の態度なのか。
 昨年末、空中給油訓練中のオスプレイが沖縄県名護市の沿岸部で大破した事故の際、米軍は6日後に飛行を再開し政府も容認した。同じことの繰り返しである。
 事故から約8カ月たつのに、いまだに米側から事故報告書は出されていない。忘れてならないのは、日本側がこの事故の原因究明に関与できないことだ。
 米軍の事件・事故の際、基地の外でも米軍に警察権を認める日米地位協定が壁になっている。政府は改定に取り組むべきだ。
 10日から道内で始まった日米共同訓練に、米軍はオスプレイを途中参加させる方針だ。
 事故が起きても、現状では日本の捜査機関は事故調査に手を出せない。なおさら、十分な情報開示が必要だが、米軍にも政府にも、その姿勢は乏しい。これでは参加を受け入れられるわけがない。


手塚治虫が描いた戦争をいま読み直す「飲まず食わずで、こんがり焼けた赤ん坊の手を…」そして30年前に警告していたこと
 戦後72年目の夏となる今年。
 特定秘密保護法、安保法制、そして、共謀罪と、何度も日本国憲法を蹂躙し、先の戦争で刻まれたはずの反省を無きものとしてきた安倍政権だが、森友・加計疑惑など数々の横暴により支持率は低迷し小手先の内閣改造でも回復の兆しはない。
 安倍首相の宿願である憲法改正、とくにその第9条に手をつけることも、この状況となれば難しくなってきたようにも思われるが、それでも彼はまだ諦めていないらしく、7月23日に出席したイベントでも、改めて党内での議論を促したのに加え、「各党はただ反対するのではなく、案を持ち寄ってほしい」(7月23日付WEB版毎日新聞より)とも発言。野党の対案をも促したという。
 安倍首相や、安倍応援団たるネトウヨたちが馬鹿の一つ覚えのようにしばしば持ち出す、この「対案主義」のアホらしさに関してここでいちいち取り上げるつもりはないが、今後まだこの国を再び戦争ができる国に変えようとする動きがあるのならば、ここで再度、過去の戦争について振り返ってみることには大きな意味があるだろう。
 そんな折、『手塚治虫傑作選「戦争と日本人」』(祥伝社)という本が出版された。この本はタイトル通り、手塚治虫が描いていた戦争をテーマにした作品を集めた本なのだが、そのなかで解説を担当している政治学者の白井聡氏は、2017年のいま、敢えて手塚治虫の戦争マンガを読み直すことの意義をこのように綴っている。
〈あの戦争体験に普遍性を見出すという戦後日本人の文化的合意には、致命的な弱点がはらまれている。それはすなわち、体験は時間経過によって必ず風化することである。普遍性と体験は、究極的には相容れない。ゆえに実際、手塚治虫の世代が次々に鬼籍に入るのと並行するように、現代日本の政治は、「戦に強いことを国の誇りとするのは止めよう」という戦後平和主義の最大公約数的コンセンサスを投げ捨てようとしている〉
 手塚治虫は自身の戦争体験に材をとった作品を何本か描いている。そのなかでも強烈なのが、1979年から1980年にかけて「週刊ヤングジャンプ」(集英社)に連載されていた『どついたれ』だ。
 この作品は、戦前戦中戦後の手塚の人生を振り返る自伝的作品で、結局は未完に終わってしまったものだが、そのなかに1945年の大阪大空襲での場面が出てくる。
 そのなかでは、空襲で両親を失い立ち尽くす幼い子どもに出会ったり、菓子工場跡の焼け跡にあったチョコレートや飴を拾い食いして上官から殴られたりといったエピソードなどが描かれているが、とくに衝撃的なのが、終戦間際の7月に起きた空襲でのエピソードだ。
大阪空襲で九死に一生を得た手塚治虫
 この空襲で彼は勤めていた淀川の工場を焼け出され、家まで徒歩で帰ることになるのだが、その途中では橋が空襲でやられていたり、道のりには死体の山が積まれていたりで、帰宅までの道のりは過酷を極めていた。
 真夏の暑い盛りに飲まず食わずで何十キロも歩き披露困憊のなか、彼の頭に浮かんできたのは、道の途中で出会った死体の山のことであった。
〈彼はなぜ悪いこともしてない自分たちがこうもみじめなめにあわなければならないのか考えた
 そしてこんなめにあわせただれか知らない責任者にたまらない怒りがこみあげてきた
 ふと彼はあの橋の下でつかんだこんがり焼けてにおいをたてている赤ん坊の手を思い出した
 そしてなんのためらいもなく思った
 あれを捨てずに持ってればいま頃食えたのになあ……
 そのとき彼の心には良心だのモラルだのなんてはいりこむ余地がなかった
 ひたすらただ食いたい欲望だけであった〉
 大阪大空襲に関する記憶は他の作品にも登場する。『紙の砦』(1974年、少年画報社「少年キング」に掲載)では、1945年3月の空襲のとき、ヤグラにのぼり敵機の見張りをしており、自分のすぐ脇を何個も爆弾がかすめて九死に一生を得たエピソードが描かれているが、これは手塚本人が実際に体験したものである。
 自伝エッセイ『ぼくのマンガ人生』(岩波書店)では、そのときのことがこのように綴られている。
〈その日は「ああ、B29が来たな」と思ったとたんに、「キューン」という音がしました。ぼくは、「おれはもうおしまいだ!」と思って、監視の上で頭をかかえてうずくまりました。すると、ぼくのすぐ横を焼夷弾が落ちていき、ぼくがうずくまっている横の屋根に大穴が開いて、焼夷弾が突き抜けていったのです。下はたちまち火の海です。〉
 当時隣組でバケツリレーをして火を消す訓練をしていたというが、当然そんなものはまったく役に立つはずがなく、あたりは一瞬で火の海になったという。幸いにも助かった手塚だが、焼夷弾の威力はたいへんなものだった。
〈防空壕に焼夷弾が当たっていました。焼夷弾はひじょうに小さな筒ですが、何百メートルも上から落とされますから、その加速度たるやたいへんなもので、防空壕の屋根を突き抜けて下に落ちてしまいます。そこで爆発するのです。
 人の頭の上から足まで突き抜けてしまうぐらいのすさまじい勢いです。あたりにぼくの仲間とか、工員の人たちが死んでいます。ぼくは逆上して、火を消すことも忘れ、一散に工場を駆け抜けて淀川の堤防へ出ました。淀川の堤防は避難所になっていて、空襲警報があるとその陰に隠れるということになっていました。それで、多くの人が淀川の堤防に避難してきていました。〉(前掲『ぼくのマンガ人生』)
過酷な飢えの果てにある人肉食への欲求まで描いていた手塚治虫
 ただ、その避難所に多くの人が逃げ込んでしまったというのが悲劇だった。その橋が爆撃の標的になってしまったからだ。『どついたれ』で登場する、爆弾で壊された橋や死体の山は、この状況を描いているのだと思われる。
〈ところが、その堤防めがけて無差別の何トン爆弾というやつが落ちたのです。避難した人たちはひとたまりもありません。ぼくが堤防に駆けあがると、死体の山です。ウシもたくさん死んでいました。淀川の堤防で食料増産のために、牧場の代わりに、ウシを飼っていたのです。そこへ爆弾が落ちて、人間もウシもいっしょくたに死んでいる。ウシは黒こげになって煙がぶうっと出ている。ビフテキみたいな臭いがぷーんとただよっています。上流のほうにある淀川大橋にも直撃弾が当たりました。だから、大橋の下に逃げ込んだ人たちがひとたまりもなくやられてしまった。
 大阪の方向や、阪神沿線を見ると、まっ暗な雲の下が赤く光っています。それもふつうの赤ではありません。ちょっと形容のしがたい赤色なのです。赤いイルミネーションのようです。それを見ているうちに、現実の世界ではないのではないか、もしかしたら夢を見ているのではないか、あるいはぼくはもう死んでしまって、地獄なのではないかという気が一瞬したのです。そのくらい恐ろしい光景でした〉(前掲『ぼくのマンガ人生』)
 こういった壮絶な体験をした数カ月後、日本は終戦を迎えることになる。そのときに感じた思いを手塚はこのように綴っている。
〈八月十五日の夜、阪急百貨店のシャンデリアがパーッとついている。外に出てみると、一面の焼け野原なのに、どこに電灯が残っていたかと思えるほど、こうこうと街灯がつき、ネオンまでついているのです。それを見てぼくは立ち往生してしまいました。
「ああ、生きていてよかった」と、そのときはじめて思いました。ひじょうにひもじかったり、空襲などで何回か、「ああ、もうだめだ」と思ったことがありました。しかし、八月十五日の大阪の町を見て、あと数十年は生きられるという実感がわいてきたのです。ほんとうにうれしかった。ぼくのそれまでの人生の中で最高の体験でした。
 そしてその体験をいまもありありと覚えています。それがこの四十年間、ぼくのマンガを描く支えになっています。ぼくのマンガでは、いろいろなものを描いていますが、基本的なテーマはそれなのです。
 つまり、生きていたという感慨、生命のありがたさというようなものが、意識しなくても自然に出てしまうのです。そのくらいショックだったわけです。ぼくなりにそれが人生の最大の体験で、これを一生描きつづけようと心に決めたわけではありませんが、とにかく描いているかぎりどうしても出てきてしまうのです〉(前掲『ぼくのマンガ人生』)
手塚治虫が最晩年に残していたメッセージ
 戦争を体験したからこそ、生命に手塚はひときわ思いを馳せた。そして、それぞれの命がお互いを尊重し合い、一緒に生きていくことの尊さについて、彼は作品を通じて読者に語りかけていった。
 だが、時が経ち、戦後の絶望的な状況から復活すると、日本人は大切なことを忘れ、増長していった。前掲の『ぼくのマンガ人生』は、1986年から1988年にかけての講演記録をもとにして編まれたものだが、最晩年(手塚は1989年2月9日に死去している)の彼は、そういった変わりゆく日本人の心に憂慮していた。
〈みなさんにお願いがあります。みなさんはそういう国際社会の中で、日本の立場というのをどういうように思っているでしょうか。ぼくたちが若いころは、国際社会の中で孤立していたのです。戦争で負けて、国連に入るのも、それから一〇年ぐらい経ってからです。世界中でこんなに貧乏な国はないとか、こんなに幼稚な国はないとか言われていたのです。それが四〇年の間に、こんなに立派な国になってしまった。いわば成り上がりです。みなさんが生まれたときにはすでに立派だったかもしれませんが、ほんのわずかのあいだに発展した国なのです。これをよく覚えておいてもらわないと困ります。
 外国を訪れた日本人は案外威張ります。「アメリカはたいしたことない。知能水準も低い」とか、「東南アジアは貧しいし、不潔だ」と言ったりします。これは困ったことです。これから世界中の人たちと手をつなぎあっていくうえでは、みなさんは謙虚に、控えめに、人間らしくつきあっていってほしいのです。けっしていばらないこと、これだけは約束してほしいと思います〉(前掲『ぼくのマンガ人生』)
 手塚の講演から30年近くの時が経ち、日本の世界における経済的立ち位置は坂を転げ落ちるように低くなっているが、中国や朝鮮をはじめとした人々に対するレイシズムがはびこって止まない事態が象徴する通り、他国を見下し、いばりくさった態度は現在でもなにも変わっていない。むしろ、手塚が嘆いていた時代よりもひどくなっていると断じてもいいだろう。
 その態度の果てに、命の軽視があり、戦争があるのは言うまでもない。1945年に手塚が大阪で見た地獄のような光景をもう二度と再現させないためにも、いま改めて手塚のメッセージに耳を傾けることには重要な意味がある。(編集部)

デジカメ修理へ/ワックス10分/日航機墜落32年

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L'importance du "MOX" dans la filière nucléaire
La filière nucléaire se verdit toujours plus – et s'exporte. C'est la conclusion qu'il convient de tirer de la récente signature, entre New Areva – la nouvelle entité du groupe nucléaire tricolore centrée sur le cycle du combustible – et la centrale japonaise de Takahama, d'un contrat portant sur la livraison de 32 assemblages de combustible dit MOX. Exploité depuis 1987, le "Mélange d'oxyde de plutonium et d'oxyde d'uranium" est utilisé dans les centrales électronucléaires pour limiter la consommation d'uranium naturel – élément chimique qui, une fois "enrichi", sert de combustible dans les réacteurs – en recyclant le plutonium extrait des combustibles usés.
Des stocks de plutonium stabilisés
L'archipel japonais, qui utilise désormais la technologie MOX dans ses quatre unités de Takahama, exploitées par la compagnie Kansaï Electric, n'en est pas à son coup d'essai. "La fourniture d'assemblages MOX pour Kansaï s'inscrit dans la continuité des accords signés avec les électriciens japonais à partir de 1975 pour le traitement de près de 3 000 tonnes de combustibles usés sur le site de La Hague" a précisé Areva en marge de la signature du contrat. Entre 1999 et 2017, six chargements de MOX ont ainsi voyagé des côtes françaises jusqu'au Japon, qui exploite actuellement cinq réacteurs nucléaires pour son électricité.
En France, c'est l'usine d'Areva Melox, dans le Gard, qui produit les assemblages de MOX, dont les livraisons pour EDF, qui gère le parc des 58 réacteurs nucléaires français, représentent plus de 13 000 tonnes de combustibles usés – traités quant à eux à La Hague (Manche) – et plus de 130 tonnes de plutonium recyclées. Loin d'être une exception française, le MOX sert de combustible un peu partout sur la planète ; certains grands acteurs nucléaires, comme la Chine, la Russie, l'Inde et les Etats-Unis, disposent – ou vont disposer – également d'infrastructure de recyclage. En Europe, c'est le choix fait notamment par l'Allemagne, depuis 1972, mais également par la Suisse, depuis 1984 et, plus récemment, la Belgique, en 1995.
La raison de cet engouement pour les "mélanges d'oxydes" ? "Le recyclage des matières énergétiques (uranium, plutonium) encore contenues dans le combustible usé, dont 96 % sont valorisables sous forme de combustible MOX" d'après le pure player Connaissance des énergies. Ce qui permet également la limitation des quantités de plutonium produit par les centrales ; on estime qu'un réacteur qui utilise 30 % de combustible type MOX consomme autant de plutonium qu'il en produit et, par conséquent, stabilise plus ou moins les stocks. Et c'est une bonne chose : alors que le plutonium n'existe pas dans la nature, les réserves naturelles d'uranium, dont l'enrichissement produit le plutonium, s'amincissent d'années en années.
Faible empreinte environnementale
Autres avantages : l'entreposage (provisoire) ou le stockage (définitif) des déchets non valorisables, qui, après conditionnement, voient leur volume et leur toxicité réduits – respectivement par 5 et 10 –, sont facilités. ≪ Les combustibles sont retirés du cœur du réacteur nucléaire au bout de trois ou quatre ans. Ils sont alors stockés dans les piscines des réacteurs des centrales nucléaires pour commencer leur ≪ désactivation ≫. Puis ils poursuivent cette désactivation pendant cinq à huit ans dans les piscines de l'usine de retraitement de La Hague ≫ indique le média spécialisé dans les énergies. Ce n'est qu'après cette période que "les assemblages sont sortis de l'eau et cisaillés en tronçons de quelques centimètres" ; le plutonium et l'uranium sont ensuite séparés et conditionnés sous forme d'oxydes prêts à être recyclés.
Une manière, en quelque sorte, de rendre l'électricité nucléaire presque durable. ≪ Presque ≫, car le MOX usé, en raison de l'accumulation d'isotopes du plutonium non-fissiles dans les réacteurs, ne peut être recyclé. Ce qui n'empêche pas la technologie d'être, a priori, éco-responsable. Ce n'est pas nouveau, la production électronucléaire, si le système est bien optimisé, peut avoir une très faible empreinte environnementale – comme c'est déjà le cas en France – ; l'énergie nucléaire fait ainsi partie des trois sources énergétiques les plus respectueuses de l'environnement, avec l'éolien et l'hydraulique. Et c'est logique : que ce soit en termes de surfaces terrestres utilisées ou de quantité de gaz à effet de serre émise, l'atome fait office de bon élève, dépassant parfois même les sources vertes.
Dans le processus nucléaire, cependant, un élément peut alourdir le bilan écologique des centrales : l'enrichissement de l'uranium, s'il est alimenté par une électricité d'origine fossile, augmentera logiquement l'empreinte carbone. D'où l'importance d'avoir recours au MOX ; en France, 22 réacteurs d’EDF sont autorisés à charger du combustible "mélangé" et plus de 10 % de l'électricité nucléaire est ainsi produite. Le Japon, l'un des principaux partenaires de l'Hexagone en la matière, devrait dans les prochaines années posséder sa propre usine de recyclage de combustibles nucléaires usés. Des contrats ont d'ailleurs été passés en 2014 sur la transmission de retour d'expérience et Areva, l'an dernier, a formé au sein de Melox quatre ingénieurs de la société Japan Nuclear Fuel Limited (JNFL).
Auteur: Benoit Boulard
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あの日を忘れないで 日航機墜落事故 遺族の20年
8月12日、日航機墜落事故から20年を迎える。しかし今年に入り、空の安全を脅かすトラブルが相次いでいる。「あの日の教訓は生かされているのか」危機感を強める遺族たちは自らの文集「茜雲」を出版し訴えることにした。風化は許せないという遺族たちの今を見つめた。
インドア派キャンパー‏ @I_hate_camp
田原「安倍さんは、今までの態度について反省している、と言ってるが本当に反省しているなら閉会中審査に稲田を出すのが当然。ちっとも反省なんかしていませんよ」
飯田哲也(いいだてつなり)‏ @iidatetsunari
「岸田はハト派、石破はタカ派、安部はバカ派」by 中野晃一先生

結局デジカメを修理してもらうことにしました.
土曜日でお休みの日だけれど仕事をしなくてはなりません.せっかく仕事しているとワックスかけるので,10分どこか行ってて♪と.えっ?と思ったけれど,コンビニにお菓子買いに行けばそのくらいかな?でも前もって教えてくれたらいいのに・・・
今日は日航機墜落32年の日でもあります.去年だったかいろいろ本を読みました.でもやはりここしばらくはすっかり忘れていました.毎年気にしていきたいと思いました.

石巻 鎮魂のあかりを空高く放つ
東日本大震災から11日で6年5か月となりました。
津波で大きな被害を受けた石巻市では、500個ものあかりを空高く飛ばし、震災を語り継いでいこうという催しが行われました。
この催しは、震災の月命日にあわせてたくさんのあかりで犠牲になった人たちを追悼しようと行われ、会場の石巻市の中心部では、1500個の灯ろうに火をともし、はじめに集まった人たち全員で黙とうを捧げました。
このあと亡くなった人たちに思いを届けようと、スカイランタンと呼ばれる500個ものあかりが空に放たれると、会場は幻想的な雰囲気に包まれました。
石巻市の60代の女性は、「もうすぐ6年半になりますが、職場の同僚がまだ見つかっていません。
彼らと同じ時を過ごせたような気持ちになりました」と話しました。
主催した石巻商工会議所青年部の武山雄樹会長は、「震災を語り継ぎ、再び犠牲を出さないためにも今後もあの日を思い返せるような場を作っていきたい」と話していました。


震災後初の盆踊り 追悼の花火に亡き人思う
 東京電力福島第1原発事故の避難指示が帰還困難区域を除き今春解除された福島県富岡町で11日、7年ぶりの夏祭りがあった。夏の恒例行事が復活し、帰還した町民や町外で避難生活を続ける人らでにぎわった。
 会場の富岡一小には屋台が並び、ステージで町ゆかりの歌手の音楽ライブや太鼓演奏があった。やぐらの周りでは町民らが盆踊りを楽しんだ。
 いわき市に避難している会社員安倍真李乃さん(24)は「毎年来ていた夏祭りが復活して、とてもうれしい。町に戻る予定はまだないが、イベントの度に足を運びたい」と話した。
 東日本大震災の犠牲者の追悼と復興への願いを込めた花火大会「ライトアップニッポン」もあり、約1500発の大輪が夜空を彩った。


新住民、盆踊りで交流 気仙沼・鹿折の災害公営住宅
 東日本大震災で被災した気仙沼市鹿折地区で11日、「復興盆踊り大会」があった。災害公営住宅の住民らが、盆踊りなどを通じて交流を深めた。
 市が整備した災害公営住宅で最大の「市営鹿折南住宅」(284戸)を会場に、浴衣姿の住民らが盆踊りを楽しんだ。市出身のシンガー・ソングライター熊谷育美さんらのライブや綱引き大会などもあった。
 鹿折小4年の昆野汐莉さん(9)は「友達と一緒にかき氷を食べて、盆踊りを踊った。来年も楽しみ」と話した。
 盆踊り大会は今年で2回目。企画した鹿折まちづくり協議会の鈴木博会長は「かもめ通り商店街がオープンするなど、地区は少しずつ活気が戻ってきた。地域住民が交流する祭りとして来年以降も続けたい」と語った。


<ココロの灯り>灯籠など2200個ともす
 東日本大震災で被災した石巻市雲雀野地区で11日夜、追悼行事「ココロの灯(あか)り」が初めて開かれた。雨が降りしきる中、計約2200個の灯籠やランタンに鎮魂の灯をともし、亡き人の冥福を祈った。
 実行委員会と石巻商工会議所青年部が主催し、県内外から約150人が参加。迎え火の灯籠を並べ、熱気球の一種「スカイランタン」を夜空に浮かべた。白や赤、緑などの淡い光が被災地を温かく照らした。
 高橋崇実行委員長(37)は「津波などの自然災害で犠牲者を出したくない。命を守ることの大切さを伝えていきたい」と強調。青年部の武山雄樹会長(45)は「心の中に強い意志を持った光があれば、何回でも再生できる」と誓った。
 愛知県刈谷市の運送会社経営中川農志(あつし)さん(46)は「亡くなった方々に安らかに眠ってほしい。大きな川に囲まれた地に住んでおり、震災は人ごとではないと改めて感じた」と話した。


石巻 鎮魂のあかりを空高く放つ
東日本大震災から11日で6年5か月となりました。
津波で大きな被害を受けた石巻市では、500個ものあかりを空高く飛ばし、震災を語り継いでいこうという催しが行われました。
この催しは、震災の月命日にあわせてたくさんのあかりで犠牲になった人たちを追悼しようと行われ、会場の石巻市の中心部では、1500個の灯ろうに火をともし、はじめに集まった人たち全員で黙とうを捧げました。
このあと亡くなった人たちに思いを届けようと、スカイランタンと呼ばれる500個ものあかりが空に放たれると、会場は幻想的な雰囲気に包まれました。
石巻市の60代の女性は、「もうすぐ6年半になりますが、職場の同僚がまだ見つかっていません。
彼らと同じ時を過ごせたような気持ちになりました」と話しました。
主催した石巻商工会議所青年部の武山雄樹会長は、「震災を語り継ぎ、再び犠牲を出さないためにも今後もあの日を思い返せるような場を作っていきたい」と話していました。


福島・飯舘に帰還住民待望の道の駅
 東京電力福島第1原発事故による避難指示が一部を除き今春解除された福島県飯舘村に、道の駅「までい館」が完成し、竣工(しゅんこう)式が11日にあった。オープンは12日で、帰還住民の生活再建の後押しや交流促進を担う。
 施設は木造平屋、床面積約1200平方メートルで、県産農産物や花を扱う販売所や豚丼などを出す軽食コーナーを備える。入居するコンビニエンスストアは村中心部から移転。中央ホールの天井にはベゴニアなどの花80鉢がつり下がる。総事業費約13億7000万円で、国の補助金や交付金を活用した。
 村内の商業施設の営業は原発事故後、コンビニを除いて初めて。今後は営農再開の進展に合わせ、地元産農産物を増やしたい考え。周囲には花栽培用のハウスを設け、10月には村営住宅15戸の建築に着手する。公園整備も計画する。
 関係者ら約120人が参加した式典で、菅野典雄村長は「ユニークでまた立ち寄ってみたいと思われる道の駅にしたい」と話した。


教育補助アプリ「ミヤギタッチ」利用広がる
 東北大大学院情報科学研究科博士課程3年の板垣翔大さん(27)が開発した教育補助アプリ「miyagiTouch(ミヤギタッチ)」の利用が県内外の学校に広がっている。累計ダウンロード数は約3万に拡大。宮城生まれのツールが県境を越え、子どもの学びをサポートしている。
 ミヤギタッチは、教員のタブレット端末に表示した画像に文字などを書き込める無料アプリ。板垣さんが宮城教育大4年だった2012年に完成させた。教室のテレビ画面と連動が可能で、画像を拡大したり印を付けたりして、授業のポイントを分かりやすく伝えられる。
 試作品づくりの段階から開発に全面協力した岩沼市岩沼小(児童626人)。5年生の理科の授業で、教諭の土井謙治さん(38)がアプリを操作し、成長段階の異なるメダカ2匹をテレビに映し出すと、40人の児童が一斉に注目した。
 タブレットに丸を書き込むと、画面のメダカにも赤い丸印が現れる。土井さんは「子どもが集中し、学習の足並みをそろえやすい。授業の準備も短縮でき、子どもと接する時間が増えた」とメリットを説明する。同校では算数や社会など多くの科目で活用する。
 県教委が利用を推奨するほか、県外での利用も増えている。開発を監修した宮教大安藤明伸准教授は「大阪や新潟、三重など県外の学校や教育委員会からの問い合わせも多い。余計な機能がない使いやすさが評価される理由ではないか」と人気の要因を分析する。
 教員を目指す板垣さんは「子どもたちが勉強を好きになるようなツールを目指した。鉛筆や定規のように、ミヤギタッチが何十年も使われ続ける道具になってほしい」と願っている。


<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第2部・再生(1)所有と利用、中心街で分離 
 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。民間事業者らによる町復興連絡協議会(FRK)の設立を機に、再生のバトンは若い世代に託された。公民連携で町を「経営」する−。手探りで描いた将来像だ。第2部では、その理念を体現するまちづくり会社の誕生や、多様な機能が有機的につながる仕組みを追う。(石巻総局・関根梢)
 FRKは、100年先を見据えた町のグランドデザインを示した。コンセプトは「住み残る、住み戻る、住み来る」だ。
 提言として打ち出した一つが、中心街をまとめて公設民営の商業施設とする案だった。
 町が中心街区の土地を買い上げるなどした上で、店舗や周辺の設備を建設する。そして経営や開発は、民主体の「まちづくり法人」が担う。所有と利用を分離することで、店舗の流動性を高めて、シャッター街化を防ぐ狙いがあった。
 FRKメンバーで新聞販売店店主の阿部喜英(49)は、震災直後から民間主体のエリアマネジメントの構想を温めていた。しかし、町に新たな仕組みを持ち込み、定着させる道のりは平たんではなかった。
 「まず、まちづくり会社とは何なのか。それを周囲に理解してもらうのが大変だった」と阿部は言う。
 具体的な手だてを学ぶ場となったのが、現在の一般社団法人公民連携事業機構が2012年に開いた「復興まちづくりブートキャンプ」。被災した市町の一部が参加し、公民連携での復興などを考えた。女川町からは12年3月に「復幸祭」を開催した実行委員の若手経済人と、町職員が名を連ねた。
 ブートキャンプで講師を務めたのは、全国各地で地域の再生を手掛けてきた一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンスの代表理事木下斉、岩手県紫波町でまちづくり「オガールプロジェクト」を進めてきたCRA合同会社の代表社員岡崎正信ら。先駆者の実践を参考にしながら、阿部らはまちづくり会社の設立、経営スキルなどを吸収していく。
 しかし、町中心部のほぼ全域が壊滅状態になった女川で、まちづくり会社は何をすればいいのか。参加者は考えあぐねていた。
 「土地が確保できないのは仕方がないけれど、それまで何もやらないのか」。講師陣に厳しく叱られ、阿部は「尻に火が付いた」と苦笑交じりに振り返る。
 3カ月にわたるブートキャンプの最終クールを迎えた12年9月。水産加工業や飲食業といった多様な分野の若手6人が、女川町で「復幸まちづくり女川合同会社」を発足させる。
 公民連携で町を「経営」する。そんな新たな視点に行政も可能性の芽を感じた。町長の須田善明(45)は「まちづくりは終わりのないソフトの取り組みだと気付かされた。公と民が手を組むことで、さらに面白い町ができる」と確信したという。
 町は14年4月、産業振興課内に公民連携室を新設。テナント型商業施設「シーパルピア女川」の開業に向け、庁内の調整や民間のサポートに当たった。
 新たな商店街づくりを目指し、同じ「船」に乗った公民の関係者は手を取り合いながら、針路を模索していった。(敬称略)


<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第2部・再生(2)循環と持続へ、自力で稼ぐ
 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町で2012年9月、新たな町づくりを目指して「復幸まちづくり女川合同会社」が誕生した。設立に加わった6人はいずれも被災事業者だ。
 合同会社の資本金は、それぞれが小遣いの範囲で持ち寄った計30万円。町内の2団体と共同で間借りしたプレハブを拠点に、事業をスタートさせた。
 <津波被災は不幸な出来事だったが、これを機に産業構造の転換を図り、次代の子どもたちに負担を掛けることのない持続可能な循環型まちづくりを行う>
 設立趣旨には、若き経済人たちの覚悟がにじむ。
 基幹産業の水産業を活用して町を立て直すべく、事業の2本柱として(1)水産加工品のブランド化と販路拡大(2)水産業の体験プログラムの提供−を据えた。
 被災地で動きだした新たな活動には多くの支援が寄せられた。
 水産加工などの特産品を販売し、水産業体験もできる拠点施設「あがいんステーション」はキリングループと日本財団の「復興応援キリン絆プロジェクト」の助成金を活用した。
 事業の実動部隊となる人材も必要だった。県の復興応援隊事業と、民間企業などの人材を被災地に派遣する「WORK FOR 東北」事業により確保できた。
 代表社員の阿部喜英(49)らが見据える先には、人口減少に耐えうる確かな地域の将来像が描かれていた。「外から人を呼び込んで『外貨』を獲得して域内経済を回し、自力で稼げる事業スキームをつくる」
 震災で多くを失った町民一人一人が、それぞれの幸せを取り戻す「復幸」を成し遂げたい。そのためにはまず、自分の足で立たなければならない−。震災直後に町復興連絡協議会(FRK)を発足させ、将来の町の姿を議論してきた女川人の気概が、まちづくり会社にも受け継がれている。
 町などと連携した統一ブランド「あがいん おながわ」を開発。15年のJR女川駅開業に合わせ、新しい土産物ブランド「碧(あを)のか」を発売した。
 第1弾はホヤを使った加工品4種。まちづくり会社の業務執行役員に名を連ねる2社が商品を開発し、製造する。商品は町内のほか仙台駅構内などでも販売されている。
 「女川の魅力的な資源と外部をつなぐ、地域商社のような役割を果たすことができたのではないか」。阿部は手応えを感じる。
 県の復興応援隊事業は昨年度で終了し、まちづくり会社は本年度、本格的に自走し始めた。
 人や資本が循環する持続可能な町。拠点「あがいんステーション」で実践するまちづくり会社の理念は、15年12月に開業した商業エリア「シーパルピア女川」の運営会社にも引き継がれている。(敬称略)


<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第2部・再生(3)海見える街 丸ごと盛り土
 JR女川駅に降り立つと、商業エリアを貫くれんが道の先に穏やかな女川湾が見える。海と街を隔てる、無機質で巨大な防潮堤の姿は見当たらない。
 「防潮堤がない」わけではない。女川町では防潮堤の背後地に約4メートルの盛り土を施し、造成した標高5メートル超の高台に商業施設などを配している。海との一体感を損なうことなく、数十年から百数十年に一度の高さ(L1)の津波に対応する安全性を確保した。
 住居は、東日本大震災と同程度(L2)の津波でも浸水しないよう、造成した高台に移転している。
 同町は震災以前も幾度となく、津波の被害に見舞われてきた。「海が見えなくなるような防潮堤を海岸線域に張り巡らしても、津波の危険性は避けられないだろう」。前町長の安住宣孝(72)は震災直後、将来の町の姿を思案した。町内の犠牲者は827人にも上る。どうすれば将来、忌まわしい津波から町民の命を守れるのか−。
 「自宅に残ろうとする人たちは逃げ遅れてしまう。住宅地は、津波の被害が及ばない場所に整備しなければならない」「避難訓練をしても参加人数は限られる。有事の際に確実に避難できるようにするにはどうすればいいのか」
 町の総面積は65.8平方キロメートル。震災前はその84%を山林が占め、宅地は2.8%。わずかな平地に住宅が集積し、市街地を形成していた。三陸特有のリアス海岸と山に取り囲まれた地形ゆえ、利用できる土地は限られている。
 震災の発生から3日後、安住は人命第一の信念に基づき、将来像を思い描いた。「住宅は高台に移す。巨大防潮堤は造らず、海が見える街にしたい」
 一方で、民間事業者らが震災後につくった町復興連絡協議会(FRK)の若手たちは当初、安住とは別の考えを持っていた。海岸線に沿って城郭のような防潮堤を張り巡らせ、道路として活用してはどうか−。
 しかし、防潮堤を建てるには少なからぬ土地が必要だ。市街地の形成に影響が出る。「やっぱりやめっぺ」。議論を重ねた末、FRKなど民間も「町ごとかさ上げしよう」という意見が大勢を占めた。
 学識経験者や、町の各種団体の代表者らで構成する復興計画策定委員会の答申を経て、11年9月に策定された町復興計画。現在の町の礎が築かれた。
 宅地造成のため切り土で生じた土を、防潮堤の背後地に運び込む。町中心部全体を盛り土し、標高5メートル超の高台に商店街をつくる。さらに山側も約10メートルの盛り土をして高台にする。その場所に住宅を整備する。
 海が眺められる町中心部の商店街は今、復興の象徴でもあり、休日には大勢の観光客や買い物客でにぎわっている。(敬称略)


<復幸の設計図>女川・公民連携の軌跡 第2部・再生(4完)ゼロからの町 柔軟、大胆に
 2011年11月。無投票で女川町長の椅子に座ったばかりの須田善明(45)は、机上に広げられた図面を前に考え込んでいた。
 9月に策定した町復興計画を基にコンサルタントらが作成した都市計画の資料だった。東日本大震災で被災し、ゼロから町をつくらなくてはならない。図案ではJR女川駅南側、町中心部近くにあり、硬い岩盤から成る堀切山が町を二分していた。
 「震災前の女川は住宅が連なり、それが町民のつながりを強くしてきた。町が分断される構造はどうかと思う一方、復興に向けて半年以上積み上げてきたものを変えることにためらいもあった」
 須田は当時の心境をそう打ち明ける。その夜のうちに担当職員らと意見を交わし、覚悟を決めた。
 須田は翌日、コンサルタントらを呼び出して告げた。「一つだけ変えたい所がある。山を切ってほしい」
 11年6月から町の復興事業に携わってきた中央復建コンサルタンツの末(すえ)祐介(43)らは驚いた。「本当にやるんですか、10年がかりの仕事になりますよ」
 しかし、須田の決意は揺らがなかった。末らは約1週間で図面を引き直した。
 地形を一変させる決断の後も町は計画を度々変更した。公共施設を集約したシビックコア、住宅地、商業施設などのにぎわい拠点をつなぐ「生活軸」を背骨に据え、コンパクトな町づくりに行き着いた。
 末は「都市計画の大きな変更の連続は、技術者にとってクーデターのような衝撃。他の自治体でこんなに柔軟かつ大胆に変える例は聞いたことがない」と振り返る。
 民間事業者による町復興連絡協議会(FRK)などが早い段階から議論を重ねていたことが、女川町の「目指す町の姿」を明確にした。50年、100年先の町民に引き渡せる町づくりに町は知恵を絞った。
 ともすれば、自治体は国の制度やコンサルタントが敷いたレールにそのまま乗りがちだ。しかし、女川町は戦略的に制度を選んだ。時には「規格外」の手法も繰り出した。
 町中心部のほぼ全域を対象とした土地区画整理事業もその一つ。国の担当者はあまりにも広範囲だとして、事業適用には懸念を示した。広いほど住民合意のハードルが高くなり、事業が困難になる恐れがあるからだ。
 それでも女川町は事業適用を訴えた。事業の対象範囲にある土地は、その範囲内で同等価値の土地と換地できる。範囲が狭ければ、地区をまたいで複数の土地を持つ地権者は、それぞれの範囲内の土地としか換地できない。
 町は、住民がばらばらに所有する複数の土地の集約を可能にしたかった。そのためには、事業の適用範囲が広い方がいい。「土地利用の効率が上がり、事業者の意欲も引き出せる」と須田は狙いを語る。
 換地により商店街周辺の土地利用を促し、町は体系的ににぎわい拠点の表情を作り上げていく。(敬称略)


日航機事故から32年 追悼慰霊式 群馬 上野村
520人が犠牲となった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で32年となり、墜落現場となった群馬県上野村では、午後6時から追悼慰霊式が行われ、遺族などが黙とうをして犠牲者を追悼しました。
昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。
事故から32年の12日、上野村では墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して、遺族などの慰霊の登山が朝早くから行われました。
遺族などは、亡くなった人の墓標や慰霊碑に、花や線香を供え、手を合わせて犠牲者を悼んでいました。午後6時からは、墜落現場の山のふもとにある「慰霊の園」で、遺族や地元の人などが参列して追悼慰霊式が行われ、参列者が祭壇に花を供え、犠牲者の数と同じ520本のろうそくに火をともしました。
そして、墜落時刻の午後6時56分に全員で黙とうをして犠牲者を追悼するとともに、悲惨な事故が繰り返されることがないよう空の安全を祈りました。日本航空によりますと、12日慰霊登山をした人の中には、子どもや若者の姿が見られたということで「事故が忘れられることのないよう同じ世代に伝えていきたい」と話す高校生もいました。
遺族の高齢化が進む中、事故の風化を防ぐためには、より多くの若い世代の人たちに事故の記憶を伝えていくことが引き続き課題となります。
日本航空社長が慰霊登山
日本航空の植木義晴社長は12日午後1時すぎに墜落現場の「御巣鷹の尾根」に到着し、慰霊碑に花を手向けて手を合わせました。
植木社長は「社長になってこの日に慰霊登山をするのは6度目で、安全に対する誓いを新たに、さらに強固なものにしていきたいと思います。32年がたち、当時、社員として事故を経験したものはわずか6%となりました。われわれの使命は事故を風化させることなく事実を伝えていくことだと思っています。私自身、パイロットとして入社し、誰よりも安全や命の尊さを知っているので、自分の経験を社員全員と共有し、同じ気持ちになれるよう努力していきたい」と話していました。
遺族は
事故でいずれも妹の山岡知美さん(当時16)と薫さん(当時14)の2人を亡くした大阪・堺市の山岡直樹さん(50)は「何年たってもあの事故で感じた悲しみが変わることはありません。高齢の母を連れて尾根に登るのは大変でしたが、来年も必ずまた来たいです」と話していました。
夫の謙二さん(当時49)を亡くした大阪・八尾市の山本啓子さん(72)は、追悼慰霊式に息子2人と参列しました。山本さんは、「黙とうの時には夫に『息子は立派に育ちましたよ』と語りかけました。夫の死をむだにしないよう二度と事故を起こさないでほしい」と話していました。
おばの木内静子さん(当時17)を亡くした群馬県沼田市の大学2年生、木内美里さん(20)は、家族と一緒に慰霊登山をしたあと夕方の追悼慰霊式に参列しました。木内さんは「黙とうをした墜落時刻はあたりが暗くなっていて、叔母はこんな時に亡くなったのだと知り、怖かっただろうなと思って胸が苦しくなりました。事故を風化させたくないし、来年もまた絶対に来ます」と話していました。
福知山線事故の遺族も参加
平成17年に107人が死亡したJR福知山線の脱線事故で、娘の中村道子さん(当時40)を亡くした大阪市城東区の藤崎光子さん(77)は、日航ジャンボ機の事故の遺族と交流があり、これまでにも何回か御巣鷹の尾根を慰霊登山しています。
藤崎さんは「列車と飛行機で事故の原因は違っても、同じように理不尽に家族を奪われた遺族は納得することはできません。悲しみは年月が癒やすといいますが、私は今も娘がいない生活が悲しくてしかたがありません。日航ジャンボ機の事故の遺族も今も悲しい思いを持ち続けていると思います」と話していました。


再訪誓う「みかえり峠」清掃=日航機墜落32年控え−群馬
 520人が犠牲になった日航機墜落事故から32年となるのを前に、墜落現場「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)への慰霊登山を終えた遺族らが再訪を誓い振り返る「みかえり峠」の周辺を、尾根の管理人黒沢完一さん(74)が7日、清掃した。
 みかえり峠は、2006年まで使われた旧登山道の道中で、現在の登山口から数百メートル手前の村道脇にある。帰り道で尾根を真正面から望める最後の場所とされ、黒沢さんによると、現在も峠を訪れる遺族は多いという。
 雨が降りしきる7日午後、黒沢さんは、遺族有志が建てた「みかえり地蔵」に花を手向け、丁寧に地蔵を拭くなどした。墜落日の12日が近づくと毎年清掃に訪れるほか、普段から周辺の草むしりも続けているという。
 黒沢さんは「みかえり峠は遺族にとって愛着のある場所。きれいにして12日に備えたい」と話した。


eye 日航機墜落事故32年 あの子に、会いにいかんと
 かつて巨大な機体に削り取られむき出しになった山肌は、32年を経て緑に覆われた。山々に囲まれた群馬県上野村の、さらに山奥に位置する通称「御巣鷹の尾根」。1985年8月12日にこの地で起きた日航ジャンボ機墜落事故では乗員・乗客520人の命が失われ、山頂付近や斜面には犠牲者の銘標が点々と、場所によっては寄り添うように立ち並ぶ。「弔い上げ」とされる三十三回忌の節目を迎え、遺族らはまた新たな一歩を踏み出そうとしている。
 7月下旬、修繕した銘標を背負い御巣鷹を歩く2人の姿があった。墜落事故で次男健さん(当時9歳)を亡くした美谷島善昭さん(70)と、元日航職員で退職後も遺族支援を続けてきた大島文雄さん(73)。正反対の立場にありながら、「御巣鷹を守る」という同じ目的で長年一緒に登山道の整備や銘標の修繕などを続け、公私で親交を深めてきた。
 一方で年を重ねるごとに支援活動の負担は増し、「三十三回忌まで頑張ろう」というのが2人の約束だった。しかし、気がつけばその年を迎え、今年新たに活動の継続を誓い合った。遺族で作る「8・12連絡会」の事務局長で美谷島さんの妻邦子さん(70)は「三十三回忌は一つの区切りとしてずっと意識して、一年一年を積み重ねてきた。その年を迎えて安心するとともに、またこれからも続けていこうと思える」と語る。
 娘3人を失った兵庫県西宮市の田淵親吾さん(88)、輝子さん(83)夫妻は年3回の慰霊登山を続けてきたが足腰の衰えは否めず、輝子さんは登山を断念する年も。5月には親吾さんが大腸のポリープ切除で1カ月近く入院し、初めて春の登山を見送った。それでも退院後は夏から慰霊登山を再開するため、2人で散歩を始め体力づくりに励んできた。「娘たちが守ってくれとるから、この年になっても元気でおられる。会いにいかんと」
 32年で遺族の高齢化は進み、鬼籍に入った人も少なくない。一方で御巣鷹は「慰霊の聖地」として墜落事故以外の事故や災害の遺族も受け入れ、事故後に生まれた世代にとっては命の重さを学ぶ場となりつつある。月日の流れも、立場の違いも包み込み、御巣鷹はこれからもあり続ける。<喜屋武真之介>


日航機事故 安全への思い「子、孫へ」 木の銘標を石碑に
 あの日から32年の夏が巡ってきた。1985年の日航ジャンボ機墜落事故の現場となった群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」は12日、遺族らが慰霊登山に訪れ、無数の銘標が並ぶ現場は鎮魂の祈りに包まれた。一方で、遺族の胸には風化への懸念が募る。「子の代、孫の代につながっていけば」。三十三回忌の今年、木の銘標を石碑に替えた遺族もいる。
 「パパ安らかに」。川崎市の内野理佐子さん(57)は、父への思いが刻まれた深緑色の真新しい石碑に花を供え、今年、学校職員の長女(30)が結婚したことを報告した。この日に合わせ、これまでの木の銘標から替えた。毎年油性ペンで銘標に父の名前を重ね書きしていたが「これでもう大丈夫」と笑顔を見せた。
 事故で電機メーカーに勤めていた父、南慎二郎さん(当時54歳)を失った。あの日の朝、「行ってきます」と大阪出張へ向かう父を玄関で見送ったのが最後の別れとなった。
 事故の3カ月前、結婚したい気持ちを打ち明けていた。「合意があるなら早くしなさい」。優しくうなずいてくれた父。結婚式の日取りが12月に決まると、ピンクのドレスを贈ってくれた父。「この年齢になって初めて父の気持ちが分かる。『どうして父は……』と余計に悔しい思いがします」
 石碑に替えたのは「自分が来られなくなっても目印くらいはあってほしいな」と思ったからだ。これまでは、木の銘標が朽ちて山に戻れば受け入れるつもりだった。だが、父と同じ年齢になった3年前ごろから気持ちが変わってきた。
 父の遺体はまだ見つかっていない。捜索で発見されたのは義歯の金具とボロボロになったアタッシェケースなどの持ち物だけ。「この地に執着するのは、それが原因なのかもしれない」。最後にきちんと別れの言葉を言えなかったのが今も心残りだ。
 三十三回忌を迎え、風化させたくないとの思いはますます強まっている。「この犠牲が少しでも役に立って、二度と事故が起きないようにしてほしい」。この日同行した長男の慎一さん(28)=川崎市=も石碑の前で「家族が休まる場所がきれいになってうれしい。周りの人にも事故のことを語り継いでいきたい」と話した。【杉直樹】


日航機墜落32年「ここでないと会えない」
 520人が亡くなった日航機墜落事故から12日で32年。まもなく追悼の式典が始まる群馬・上野村の墜落現場のふもとから中継。
 犠牲者を追悼するためにつくられた「慰霊の園」では、12日午後6時から始まる式典を前に、遺族や関係者が集まってきている。会場には、合掌する手をイメージしてつくられた塔があり、その約10キロ先には日航機が墜落した御巣鷹の尾根が位置している。
 式典に先立ち、遺族らは12日朝から尾根を目指して所々ぬかるんだ山道を登り、立ち並ぶ数多くの墓標や慰霊碑に手を合わせた。今年は三十三回忌の節目にあたり、97家族359人の遺族が登ったという。
 おじを亡くした男性「1年に1回ですけども、ここでないと会えないような気がするんですよ」
 父を亡くした男性「父が生きられなかった分、前を進んで生きていますよと、今年も報告しに来ました」
 遺族『8・12連絡会』美谷島邦子事務局長「これからも特に子どもたちに、私はこの事故を伝えていきたいなと思っています」
 また、午後1時すぎには、日本航空の植木社長が献花を行った。日本航空では事故を経験していない社員が全体の94%になっている。
 日本航空・植木義晴社長「我々の使命は、この事故を風化させることなく、この事実をしっかりと心に刻み込んで、これからの安全運航に全力を尽くす」
 この後に始まる式典では、亡くなった520人と同じ本数のろうそくに灯がともり、墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうがささげられる予定。


「8・12」が来ると思い出す…
 「8・12」が来ると思い出す。墜落していく日航ジャンボ機内で「きっと助かるまい原因はわからない」「今迄(いままで)は幸せな人生だった」と書かれた乗客の遺書。その娘さんが事故から20年後に「8・12連絡会」編の文集「茜(あかね)雲」に寄せた一文がずっと頭の隅にあった▼修理ミスによる圧力隔壁破壊が原因ではないかもしれない、とつづられていた。日航の機長をしている高校の同窓生から「社内の多くの人の調査で分かったことがあるといわれた」という。「尾翼に自衛隊機が…」▼墜落原因は隔壁破壊以外にある、とする説は種々いわれてきた。大きく報じられることはなかった。「茜雲」のあのくだりを思い出させる本が先月出版された▼「日航123便墜落の新事実」(青山透子著、河出書房新社)。元日航客室乗務員の青山さんが、墜落現場の群馬県上野村の小中学生が学校の文集に残した目撃証言などをたどって書いた。読んでいくうち、それまで漠としていた自衛隊機の影が、別の角度からも大きく見えてくる▼米軍情報も含めて墜落現場はすぐに分かったはずだが一晩、不明とされたのはなぜか−などの謎にも触れられている。遺族、国民が知らされていない大きな何かがあるのだろうか▼何が起きたか分からないまま520人が命を絶たれて32年。単独機では世界最大の航空機事故には謎が多い。この本の帯には「三十三回忌に検証する」とある。

日航機墜落32年 慰霊登山 「今年も会いに来たよ」
 乗客乗員520人が亡くなった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で32年となり、遺族や関係者が墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に慰霊登山し、犠牲者を悼んだ。
 遺族にとって三十三回忌の節目の年。久しぶりに訪れる人や、今後も登山を続けると決意を新たにする人がいた。高齢化が進んで体力の不安を抱える遺族も多く、つえを頼りに歩く姿が見られた。
 夏空の下、遺族らは午前十時半ごろから墜落地点に建てられた「昇魂之碑」の前で黙とう。子どもたちがシャボン玉を飛ばすと涙を流す人もいた。「安全の鐘」を鳴らして事故の再発防止を祈願した。
 副操縦士だった叔父佐々木祐(ゆたか)さんを亡くした熊本県八代市の医師佐々木雅人さん(57)は三十三回忌に合わせ、約三十年ぶりに登った。「『来るのが遅くなりました』と墓標に語り掛けた。これだけ多くの人が亡くなった航空事故を風化させたくない」と話した。
 妹吉田仁美さん=当時(28)、めい有紗ちゃん=同(三カ月)=ら三人を亡くした奈良県御所市の自営業田仲威幸(たけゆき)さん(67)は「子煩悩で家族は幸せいっぱいだった。どこか遠くでみんな一緒に暮らしている気がする」と語った。
 午後には日航の植木義晴社長(64)も尾根に登って献花。夕には麓にある「慰霊の園」で追悼慰霊式が開かれる。
 日航によると、この日尾根に向かった遺族は正午現在、六十八家族二百七十六人。毎年八月十二日に慰霊登山する遺族は近年、悪天候だった二〇一四年を除いて三百人前後で推移しており、事故発生三十年の一五年は過去最多の四百六人が登った。
<日航ジャンボ機墜落事故> 1985年8月12日午後6時56分、乗客乗員524人を乗せた羽田発大阪行き日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、520人が死亡した。死者数は単独事故としては世界の航空史上最悪。87年、当時の運輸省航空事故調査委員会は、78年に起きた尻もち事故で圧力隔壁の修理にミスがあったことが原因と結論付けた。群馬県警は業務上過失致死傷容疑で米ボーイング社や日航、運輸省の計20人を書類送検したが、全員不起訴処分になった。


審議過程を明らかにせよ/「加計」答申延期
 加計学園が国家戦略特区制度を活用し愛媛県今治市で進める獣医学部新設計画を巡り、設置の可否を審議している文部科学省の大学設置・学校法人審議会が判断を保留することを決めた。月内に予定されていた林芳正文科相への答申は延期される見通しとなった。学園側が提示した学生の実習計画など教育内容が不十分と判断したという。
 獣医学部新設を巡っては前川喜平前文科事務次官が国会で、首相官邸や内閣府から設置認可の手続きを早めるよう圧力がかかり、行政がゆがめられたと証言。安倍晋三首相と加計学園の理事長との親密な関係が焦点となり、学園が特区の事業者に選定された過程について野党は「加計ありき」と批判を強めている。
 政府はこれまで、学園の計画は「獣医師の需要動向の考慮」など政府が2015年6月に閣議決定した獣医学部新設の4条件をクリアしていると強調してきた。設置審も4条件などに照らし審議を進めており、今回の判断により選定過程で条件を満たしているかどうか十分に検討したか、疑問符が付いたといえよう。
 設置審は今後、学園側に計画見直しを求めた上で審議を続ける。会合は非公開で行われるが、加計問題を巡る疑念が深刻なまでに深まり、行政の公平公正を問う声が高まっていることを重く受け止め、文科省は審議の過程を公開するべきだ。
 獣医学部新設を目指す加計学園は3月、国際的な獣医学教育や家畜の感染症防止の拠点化などを掲げ、定員160人というかつてない規模で設置認可を申請した。実現すれば、全国で獣医師を養成する学部の総定員は2割増となり、教育の質の確保に問題があるとの指摘も出ていた。
 学園側は教員を増員するなど計画を修正したが、設置審は学生の実習計画が不十分で学園側が掲げるライフサイエンスの獣医師養成に課題があるなどとし、判断保留の方針を固めた。
 特区の事業者選定を巡っては15年6月、特区ワーキンググループによる愛媛県や今治市へのヒアリングで、学園関係者が説明補助者として同席、発言していたが、議事要旨には記載がなかったなど、透明性に疑問をもたれかねない経過も新たに明らかになっている。この上、設置審の審議過程が明らかにされないのであれば、国民の納得は得られないのではないか。


[「加計」判断保留] 審議の透明性を高めよ
 学校法人「加計学園」が愛媛県今治市で計画している獣医学部新設を巡り、設置の可否を審査する文部科学省の大学設置・学校法人審議会が、判断を保留する方針を固めた。
 教育課程や財務状況などを調べ、学生の実習計画が不十分としたためだ。学園側が掲げるライフサイエンス分野の獣医師養成の教育内容に課題があった。
 獣医学部の新設については、2015年6月の閣議決定で「既存の獣医師養成ではない構想」「獣医師の需要動向の考慮」など4条件が必要としている。
 政府は加計学園がこれをクリアしたと強調しているが、設置審は同じ4条件などに照らして審議し、判断を保留した。政府の主張に疑問符がついたといえよう。
 今月中に予定されていた林芳正文科相への答申は10月以降にずれ込む見通しだ。設置審は今後、学園側に計画の見直しを求めた上で審査を続ける。
 加計学園を巡っては、安倍晋三首相の友人の理事長に、利益誘導があったのではないかとの疑惑が消えない。前川喜平前文科事務次官は国会で、官邸の関与によって「行政がゆがめられた」と証言した。行政の公平公正への信頼も大きく揺らいでいる。
 設置審は非公開だが、行政に向けられた疑念を晴らすためにも文科省は今後の審議過程を公開し、透明性を高めるべきである。
 加計学園の申請で特徴的なのは160人という定員の多さだ。実現すれば、全国16の獣医系学部・学科の総定員930人が一気に2割増となり、「べらぼうな数」と指摘する獣医学系教授もいる。
 設置審は5月、教育の質の確保に問題があるとして、定員や教員の構成について学園に再考を促した。学園側はその後、教員を増やすなど計画の一部を改めた書類を提出していた。
 だが、獣医学系の教員はもともと数が限られている。「かき集めたら全体の教育レベルが低下する」との危惧もある。
 今回の設置審の判断も、こうした事情を考慮した結果だろう。学園側の準備不足は否めない。
 安倍首相が議長を務める国家戦略特区諮問会議は昨年11月、獣医学部の新設方針を決定し、18年度開学が前提と表明した。野党はこの過程を「加計ありき」と追及を強めているが、経緯の大半は今もやぶの中だ。
 定員数は適切なのか。教育体制に不備はないのか。設置審が数々の疑問に切り込み、審議の中身を公開しなければ国民は到底納得しない。


日報隠蔽問題 稲田氏隠しは不誠実だ
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊の日報が隠蔽(いんぺい)された問題を巡り衆参両院の閉会中審査が行われたが、疑惑の焦点とも言える稲田朋美元防衛相の隠蔽への関与は解明できなかった。それもそのはず、肝心の稲田氏が出席しなかったからだ。
 稲田氏の参考人招致を強く求める野党に対し、与党はかたくなに拒んだ。隠蔽問題に関して防衛監察本部による特別防衛監察の結果が公表されたが、稲田氏の関与については表現が曖昧で、疑惑が残ったままだ。
 防衛省・自衛隊を統括する防衛相が隠蔽に関わっていたとすれば大問題である。隠蔽体質を指摘された防衛省・自衛隊も、真相究明なくして組織の出直しは図れないはずだ。安倍政権への打撃を恐れ、問題にふたをしようとしているのであれば、これほど不誠実なことはない。国会として稲田氏に真相をただす機会を早急に設けるべきだ。
 特別防衛監察によると、昨年7月に陸自部隊が作成した日報への情報公開請求に対し防衛省・自衛隊は12月、「陸自で廃棄済み」として不開示とした。その後、統合幕僚監部や陸自などに日報データが保管されていることが内部で確認されたが、防衛省は統幕にのみ残っていたことにし、今年2月に一部黒塗りにして公開した。
 稲田氏の関与に関しては、2月に統幕幹部らから日報について報告を受けた際、「陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」とする一方、「書面を用いた報告や、非公表の了解を求める報告がされた事実はなかった」と結論付けた。
 閉会中審査で、この曖昧な記述について問われた防衛監察の担当者は「関係者の記憶があやふやで特定できなかった」と述べた。特定できるまで調べるのが監察ではないのか。そもそも防衛相は防衛監察の対象外で、今回調査対象に含まれたこと自体が適切さを欠いている。
 稲田氏が陸自に日報データが存在するとの報告を受け、非公表方針を了承したと複数の政府関係者が証言している。防衛監察は稲田氏を対象にしながらこうした疑惑に答えていない。真相究明には、第三者機関による再調査が必要なことは明白だ。
 ところが、小野寺五典防衛相は「(防衛監察は)しっかりとした結論を出した」と、野党が求める再調査を拒否した。稲田氏に日報について報告した際のやりとりを記したとされるメモなどの公表にも応じなかった。
 安倍晋三首相は今月3日の内閣改造後の記者会見で、日報問題などに触れて謝罪し「謙虚に丁寧に国民の負託に応える」と述べたが、閉会中審査への政府与党の対応に謙虚さや丁寧さは感じられなかった。首相は自身の言葉に責任を持ち、第三者機関による再調査を指示するとともに、自民党総裁として稲田氏の国会招致に応じるべきだ。


PKO日報閉会中審査 これが「謙虚、丁寧」か
 内閣改造後の記者会見で安倍晋三首相が国民の不信解消に向けて強調した「謙虚に、丁寧に」という言葉とは真反対の対応だった。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る閉会中審査が衆参両院の委員会で実施された。しかし組織的な隠蔽への当時の稲田朋美防衛相の関与の有無が問われているのにもかかわらず、与党側は稲田氏の参考人招致を認めなかった。首相も出席しなかった。
 防衛省の防衛監察本部が実施した特別防衛監察は稲田氏の関与に関してあいまいな記述になっている。だが野党側の質問に対して監察本部の担当者は「関係者の証言があやふやで発言が特定できなかった」と従来の説明を繰り返し、防衛省幹部も明確な答弁を避けた。
 小野寺五典防衛相は稲田氏に日報データを報告した際のやりとりが記されたとされるメモや、陸上自衛隊がまとめた内部調査結果の公表、国会提出を拒否した。
 国民への説明責任を尽くそうという真摯(しんし)な姿勢は全く示されなかった。自衛隊という実力組織の活動には、文民統制がきちんと機能しているという国民の信頼が不可欠だ。内閣支持率の下落を受けた安倍政権の「低姿勢」がうわべだけのものならば、信頼回復には程遠いと言わざるを得ない。
 日報問題に関する特別防衛監察が認定した経緯の概要はこうだ。まず昨年7月に作成した日報に関する同月の情報公開請求に対し、開示対象外とするのが望ましいとして陸自が不開示とした。さらに12月には「陸自で廃棄済み」として不開示を決定。今年に入って陸自で保管されていることが判明したが、当時の黒江哲郎事務次官が公表する必要はないと判断した。
 稲田氏の関与に関して監察結果は、2月の報告の際に陸自の日報データ保管について「何らかの発言があった可能性は否定できない」としながら、同時に「書面を用いた報告や、非公表の了解を求める報告がされた事実はなかった」とした。
 あいまいな記述であり、「口頭での報告」はあったのかとの疑問が生じる。その疑問点を明確にするのが国会の責務だ。関係者の証言が食い違うのならば、稲田氏の説明を聞くのは当然だろう。
 自民党の森山裕国対委員長は「特別監察という非常に重いところで調査した以上のものはない」と稲田氏の招致を拒否した。だが監察本部は防衛相の下に設置されるもので防衛相自身は調査対象ではない。調査の在り方自体が不適切であり、第三者機関などでの再調査が求められる。
 日報の隠蔽問題が深刻なのは、極めて重要な政策決定に関係するからだ。昨年7月に南スーダンの首都ジュバで起きた政府軍と反政府勢力の激しい紛争を日報は「戦闘」と記録していた。しかし首相や稲田氏らは「衝突」と言い換えてPKO派遣を継続してきた。
 安倍政権は昨年3月に施行された安全保障関連法に基づく新たな任務「駆け付け警護」の付与を検討していた。開示請求に対して「戦闘」と記述した日報が公開されれば、PKO派遣5原則に照らして派遣が継続できなくなった可能性がある。
 安倍政権は昨年11月に新任務付与を決定したが、派遣を継続して安保関連法の実績をつくるため日報隠しの配慮が陸自内で働いた疑念が拭えない。(共同通信・川上高志)


新長官の会見/批判浴びる異例の対応だ
 森友学園問題で財務省理財局長として国会答弁に立ち、7月初め国税庁長官に就任した佐川宣寿氏が新長官恒例の記者会見をしないという。国税庁は「諸般の事情」と説明しているが、確認できた少なくとも過去十数年間、新長官は就任から2、3週間後の会見で取り組むべき課題や抱負を語っており、何も話をしないのは異例のことだ。
 国有地が8億円余りも値引きされ、小学校用地として森友学園に売却された経緯を巡り、安倍晋三首相の昭恵夫人が小学校の名誉校長だったことから学園が不当に優遇されたと野党は追及。佐川氏は担当局長として「学園との面会や交渉の記録は廃棄した」と詳しい説明を拒み続けた。
 省内調査などの求めにも一切応じず「説明責任を果たしていない」「真相解明を阻んでいる」と批判を浴びた。そのかたくななまでの姿勢は政権寄り過ぎるのでは、と指摘されている。
 さらに8億円値引きに絡む新たな疑惑も浮上。佐川氏の答弁との食い違いが指摘されており、就任会見では追及が予想されていた。
 こうした対応は、批判されても仕方ない。首相は改造内閣発足後の記者会見で加計学園や防衛省による日報隠蔽(いんぺい)の問題とともに森友問題にも言及した。繰り返し「反省」と「謙虚」を強調して「国民の声に耳を澄ます」と述べたが、その言葉の重みが問われる。
 国有地売却を巡っては、先に大阪地検特捜部に国の補助金受給に絡む詐欺容疑で逮捕された森友学園の籠池泰典前理事長が、小学校名誉校長の昭恵夫人との関係を強調して近畿財務局や財務省本省との売買交渉を有利に運んだとされる。その過程で、夫人の存在により財務省側が忖度(そんたく)して破格の値引きにつながったという疑念が根強い。
 さらに財務省幹部が前理事長との面会で、売却前の定期借地契約について「特例」と発言したことも音声記録から明らかになった。
 こうした不透明な経緯について佐川氏は記録廃棄を盾に説明を拒否。関係法令の説明や一般論に終始して追及をかわし、職員の聞き取りなどの調査を求められても「いちいち確認することはしていない」と応じようとしなかったのは問題を大きくした。
 次官級ポストである国税庁長官への昇任は、主税局の要職や国税庁次長などをこなした佐川氏の経歴から「順当」との見方もある半面、首をかしげる人もいるだろう。
 その後、近畿財務局の担当者が学園側との交渉で、買い取り可能な金額を尋ねていた疑いも出てきた。学園側が上限として1億6千万円を示したのに対し、担当者は学園に払う国有地の土壌改良工事費1億3100万円を上回る額を求め、最終的に評価額の14%に当たる1億3400万円になったという。
 国会で佐川氏は「先方にあらかじめ価格について申し上げることはない」と述べており、食い違いがある。
 会見でこうした点を追及されることになれば、問題が再燃しかねないと佐川氏は恐れているのかもしれない。だがこのまま説明に背を向け続けるなら、国民の目はますます厳しくなるだろう。政治には透明性が最も求められることを肝に銘じてほしい。


【国税庁長官】納税者に誠実に向き合え
 国税庁長官に昇格した佐川宣寿氏が、恒例の就任記者会見をしないことになった。
 その理由が「諸般の事情」だという。7月5日付の就任から1カ月以上が過ぎた。「諸般の事情」とはどういう意味だろう。納得できる理由ではない。
 同庁によると、確認できる範囲では十数年前から、全ての長官が就任会見に臨み、税務行政に関する抱負などを語っている。
 会見には出るのが当たり前というわけではない。ただし、記者やカメラの向こうには国民、納税者がいる。国税の業務に携わる約5万人のトップとして就任に当たって所信を表明し方針を述べる。記者会見というのは、そうした場と捉えるべきではないか。
 要職者や主な組織のトップには、必ずといっていいほど就任会見が設定される。発言が注目されるのは、それだけ社会で重みある組織だからでもある。出席することは責任といっていいだろう。
 佐川氏は先の通常国会で、国の財産を管理する財務省理財局長として答弁に立ち、学校法人「森友学園」に格安で払い下げた国有地売却を巡り「資料を破棄し、面会記録は残っていない」「事実関係について個別の職員に確認していない」と繰り返した。問題解明に極めて消極的な態度が目立った。
 役職が代わっても、会見に出れば国有地に関する質問続出は確実だ。だからといって、会見に応じない理由にはならない。やましいことがあるから拒んでいるのでは―。そう受け取られても仕方ないだろう。
 税を徴収する国税当局の権力は強大だ。国家を支える業務だからこそ力を与えられている。だから何よりも公正公平を重んじる姿勢が欠かせない。職員は日々そうした姿勢で業務に当たっていよう。
 納税は国民の義務の一つだが、業務を円滑に進めるには国民、納税者の理解が必要なはずだ。納税者の不信を招きかねない長官の姿勢が、組織の士気低下に結び付く恐れはないだろうか。
 佐川氏は5月に国会で、売却に関して「先方にあらかじめ価格について申し上げることはない」と答えている。ところが7月に、財務省近畿財務局が森友学園側との交渉の中で、買い取り可能な金額を学園側に質問していた疑いが持ち上がった。答弁と食い違う内容だ。
 安倍首相は、内閣支持率の急落を受けて今後は丁寧な説明を心掛ける考えを強調した。ところが菅官房長官は、佐川氏が就任会見をしないことに関して「国税庁の判断だ」などと述べたにすぎない。
 支持率急落の要因の一つは、国有地売却をはじめとした諸問題の真相を解明しようとしない政権への不信といっていい。印刷したコメントの配布で済まさず、佐川氏は誠実に説明を尽くす必要がある。長官昇格を「適材適所だ」とした麻生財務相がそう指示すればいい話だ。


自民の改憲論議 「数」より「信頼」が先決
 憲法改正に関し、安倍晋三首相は内閣改造後に「スケジュールありきではない」と、自身が示していた2020年の改正憲法施行に向けた議論の先送りを表明した。
 衆参で、いわゆる改憲勢力が総議員の3分の2を超え、数の上では国会発議が可能な現状は絶好機に違いない。しかし、党の熱意が国民の意思を反映するとは限らない。
 数度の国政選挙を経て国民が与党に多数を与えたのは、改憲への期待が主ではない。支持率を失って、ようやく庶民目線に思いが至ったと言えようか。もっとも、これで自民党の改憲論議が減速するとすれば、それ自体が「安倍1強」の証明ではある。
 自民党が大惨敗を喫した先の東京都議選を象徴として、「自民1強」は国民の厳しい視線を浴びている。
 それは閣僚や所属議員に相次ぐ不祥事に現れた「緩み」への批判であり、近くは共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法の成立強行に見られる「おごり」への強い反発だ。さらには安倍首相周辺の関与が疑われる学校法人の問題や防衛省の日報隠蔽(いんぺい)問題で、不明朗な政府説明に高まる疑念もあるだろう。
 憲法論議は、政局にはそぐわない。かねて衆院憲法審査会の森英介会長(自民党)が言うように「静かに議論する環境」が必要だろう。それは同時に、改憲が決して「数の力」で強引に進めるべきものではないことを示唆する。
 安倍首相は今年5月3日の憲法記念日に合わせ、改正憲法の2020年施行を提唱した。党総裁任期は来年9月、衆院任期は同12月で満了だ。当初の想定通り来年1月召集の通常国会で改憲を発議できれば、その是非を問う国民投票は、衆院解散のタイミング次第で現任期中に総選挙と同時実施−といった可能性も伝えられていた。
 だが「日程ありき」の憲法論議には、かねて与党内にも反発があった。公明党の山口那津男代表は「政権の課題はアベノミクス。憲法は政権として取り組むものではない」と先走りを戒める。確かに、これでは順序が逆だ。
 特定秘密保護法や集団的自衛権の行使に道を開く安全保障法制、「共謀罪」などの審議で見せた「1強」の政治手法は、都議選の街頭演説で、やじる聴衆に向かって「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放った首相の言動に重なる。説得によらず力でねじ伏せる発想だ。
 「敵」を敵と見なしたまま対立を深める手法は、憲法論議を汚す。国民に広く信頼されない政権に、改憲を語る資格はない。「数」より、それが先決。まずは首相周辺を含め、政権を取り巻く疑念にきちんと対応することだ。


38%の自給率 国民の「食」守る方策を
 農林水産省が発表した2016年度の食料自給率(カロリーベース)は前年度より1ポイント下がり、38%となった。
 下落は6年ぶりで、コメが凶作だった1993年度の37%に次いで過去2番目に低い。
 昨年の道内の台風被害で小麦やテンサイの生産量が落ち込んだことの影響が大きい。加えて、深刻なのは長年の下落傾向に歯止めがかかっていない点だ。
 世界の人口増加に伴う食料不足が懸念される中、諸外国と比べて圧倒的に低い自給率を、これ以上放置してはならない。
 政府は国民の食を守る大切さをあらためて認識し、国内生産を高める政策を積み上げるべきだ。
 自給率は1965年度に73%だったのが、2010年度以降は40%を切る年が続いている。
 コメの消費が減る一方、輸入品比率が8割を超す小麦から作られるパンのほか、原料、製品の国産の比率が低い油脂や肉の消費が増えたことが背景にある。
 農水省の13年の試算では、経済協力開発機構(OECD)に加盟する35カ国中、日本の穀物自給率は30番目と低かった。
 政府は貿易立国を掲げるが、食の土台が貧弱な実情を直視する必要がある。
 世界を見渡せば、中国のような新興国で食肉の需要が伸びている。これは飼料となる穀物の逼迫(ひっぱく)にもつながる。
 自給率の低い日本が穀物や肉を調達する際、国際市場で買い負ける懸念もあるだろう。
 さらに、世界の栄養不足人口が約8億人に上ることを考えれば、日本がこのまま安易な輸入頼みを続けていいはずがない。
 政府は、環太平洋連携協定(TPP)や欧州連合との経済連携協定(EPA)交渉で、コメ、牛・豚肉、乳製品などの関税引き下げや輸入枠増加で譲歩した。
 輸入拡大は、さらなる自給率低下に直結する。国が25年度の食料自給率を45%に引き上げるとした目標とも矛盾するのではないか。
 食料自給率が低迷する中、役割が一層高まるのは、自給率がほぼ200%の北海道だ。
 輸入品が大半を占める家畜の穀物飼料も、農家同士の連携などで調達できれば自給率は上がる。
 小麦生産者と製粉会社、パンや菓子をつくるメーカーなどが協力してつながることも効果的だ。
 政府は地域や作物の実情に合わせた、きめ細かな生産振興策を練り上げてもらいたい。


辺野古移設阻止求める大規模集会 那覇
沖縄県のアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設に反対する大規模な集会が、12日に那覇市で開かれ、翁長知事が移設の阻止に向けた決意を改めて示すとともに、オーストラリアでの墜落事故を受け、輸送機オスプレイの配備撤回などを訴えました。
普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐっては、ことし4月から海上で事実上の埋め立てとなる護岸工事が始まる一方、移設阻止を掲げる沖縄県は先月、工事の差し止めを求める裁判を起こしています。
こうした中、翁長知事を支える市民団体などでつくる「オール沖縄会議」は、那覇市で「辺野古に新基地を造らせない県民大会」とする大規模な集会を開き、主催者の発表で4万5000人が集まりました。
この中で翁長知事は、「強行に新基地建設を押し進めるのは法治国家には程遠い。掛けがえのない宝の海を埋め立てて半永久的な基地を造らせることは、到底容認できない」と述べ、前の知事による埋め立て承認を撤回する方針も含め、移設の阻止に向けた決意を改めて示しました。
そして、辺野古への移設の断念や普天間基地の閉鎖・撤去の実現などを日米両政府に求める大会宣言が読み上げられました。また、集会では、普天間基地に配備されているオスプレイが今月5日にオーストラリアの沖合で墜落した事故を受けて、オスプレイの配備撤回や国内での飛行の全面禁止などを訴える決議を採択しました。
集会に参加した人たちは
沖縄県読谷村から5歳と2歳の息子と参加した34歳の会社員の女性は、「政府は『沖縄に寄り添って』という言葉で、すべてを片づけようとしていますが、今のやり方は強引すぎです。これから未来を築いていく子どもたちのためにも声を上げないといけないと思って参加しました」と話していました。
また、同じく読谷村から両親と参加した27歳の会社員の女性は、「政府は、法律に従って工事を進めていると言いますが、それでもこのような県民大会が開かれているという意味を考えてほしい。地元の人の声をもっと聴いて、慎重に進めるべきだと思います」と話していました。
沖縄県うるま市の76歳の農業の男性は「沖縄戦を経験した県民として平和を強く願っています。辺野古に基地が建設されれば、また戦争に巻き込まれるという不安から参加しました」と話していました。
那覇市の80歳の女性は、「じっとしていられなくて、きょうは参加しました。沖縄の観光業は海で成り立っているわけで、埋め立ては許せないです」と話していました。
また、沖縄県南城市の30歳の男性は、オーストラリアでの事故のあともオスプレイの飛行が続いていることについて、「いつも『丁寧に説明する』とか『安全性は保たれている』とか、よくわからないことを根拠に頭ごなしに飛行していることに怒りを感じています。オスプレイは、ほかの県ではこんなに多く飛んでいません。ほかの県で行われないことが沖縄で起きているということは理不尽だし、差別としか思えないです」と話していました。


辺野古阻止へ決意 オスプレイ撤退 要求 県民大会
 辺野古新基地建設に反対し、米海兵隊輸送機MV22オスプレイの配備撤回・飛行禁止を訴える「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない県民大会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)が12日午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場で開かれた。翁長雄志知事や稲嶺進名護市長らも登壇した。辺野古新基地建設に反対し、翁長知事が提起した辺野古新基地を巡る差し止め訴訟を支持する大会宣言に加え、オーストラリアでのオスプレイ墜落事故に抗議し米軍普天間飛行場の即時閉鎖・撤去を求める特別決議も採択する。
 3万人以上の結集を目指した大会には多くの県民が参加した。米軍北部訓練場のへリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設抗議中に逮捕、約5カ月勾留された沖縄平和運動センターの山城博治議長も登壇した。オスプレイ墜落事故後、原因究明されないままの飛行強行への批判に加え、米軍の説明をうのみにした日本政府の飛行容認にも反発の声が上がった。
 大会宣言は「政府は、法解釈をねじ曲げ、沖縄の民意を圧殺し続けている。手続きを無視し、法を侵してまで行う違法な埋め立て工事は即中止すべきだ」と強調する。その上で「知事が提訴した訴訟を全面的に支持し、全力で支える」と宣言する。
 オスプレイに抗議する特別決議は「わずか8カ月の間に沖縄、世界各地で墜落、緊急着陸する異常事態が続発している」と指摘する。オスプレイ配備撤回や飛行禁止、事故の原因究明、普天間飛行場の即時閉鎖・撤去や夜間訓練・つり下げ訓練禁止などを求める。
 県民大会は、米軍属女性暴行殺人事件に抗議して昨年6月に開かれて以来。
 参加者らは「我々はあきらめない」などと書かれたメッセージボードを掲げて、辺野古新基地建設に反対する声を上げた。


「米では考えられない」 平和団体幹部 埋め立てに驚き
 【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設で11日、米国最大の平和団体「ピースアクション」の政策担当で上級ディレクターのポール・マーティンさん(47)が辺野古を訪れ、抗議船で海上から工事現場を確認した。
 基地建設が進んでいることに「米国内でこんな美しい海を埋め立てることは考えられない」と驚きの表情を見せた。マーティンさんは10日には、県議会与党議員とも意見交換した。
 マーティンさんが辺野古を訪れるのは3回目。辺野古の浜のテントでは、ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表から説明を受けた。抗議船で工事現場を確認したマーティンさんは「米軍基地があることで日本はさらに危険になる。その上、新基地建設には日本の国民の税金が多く使われている。それを日本国民の多くは知らない」と指摘した。その上で「米軍基地の存在が日本を安全にするわけではない」と強調した。
 建設反対の抗議活動について「多くの人が現場でよく頑張っている。現状を日本国民に伝え、日本政府や政治家に働き掛ける必要がある」と指摘した。
 マーティンさんは今後、米国内にあるピースアクションの約100の支部と辺野古の現状を共有し、米国の政治家やNGO団体にも新基地建設反対に向けて働き掛ける予定だ。
 この日は海上での工事は確認されなかったが、工事に反対する人たちは抗議船4隻、カヌー18艇で「美ら海を壊すな」と抗議行動を展開した。ゲート前の抗議行動はなかった。


オスプレイ事故 安全の根拠ない飛行即刻中止を
 事故原因も明らかにされないまま「安全」と言われても、到底納得できない。
 オーストラリア沖で、米軍新型輸送機オスプレイがまたも墜落事故を起こした。沖縄の米軍普天間飛行場の所属機だ。事故を受けて日本政府は国内での飛行自粛を要請したが、米軍は拒否。沖縄を拠点に飛行を強行した上、事故後わずか4日で安全を確認したと発表、防衛省は飛行再開を追認した。北海道で現在行われている日米共同訓練への参加も両国で調整している。
 オスプレイは毎年のように事故を繰り返しており、構造的欠陥への疑念が拭えない。人為的ミスだとすれば運用や体制に問題があり、徹底調査が欠かせない。米軍は「地域の平和と安全確保に欠かせない」と言うが、検証も情報開示もないままの飛行は国民の命を脅かすものであり、断じて許されない。惨事が起きてからでは手遅れだ。政府は即刻、飛行を中止させなければならない。
 防衛省は米軍からの報告に基づき「オスプレイの機械的、構造的およびシステム上の欠陥はないと米軍が認識し、沖縄の海兵隊が安全対策を徹底したことを踏まえると、米軍が安全な飛行は可能であると説明していることは理解できる」と述べる。わずかな時間で一体どれだけ安全性が確認できたというのか。具体的な根拠は何も示されていないにもかかわらず、米側の曖昧な言い分をうのみにして容認する姿勢は看過できない。
 昨年、沖縄県名護市の海岸で大破した事故も記憶に新しい。墜落の状況にもかかわらず日米両政府は「不時着」と強弁、6日後には飛行を再開した。いまだに調査結果や再発防止策の報告もなく、いくら口で安全を唱えても信頼できるはずがない。
 沖縄では昼夜を問わず日常的にオスプレイが頭上を飛び交っている。千葉の陸上自衛隊木更津駐屯地で定期整備が行われ、東京の米軍横田基地にも配備計画がある。米軍だけでなく陸自も導入、佐賀空港への配備を地元に要請している。全国にまたがって飛行する中、住民の不安は当然であろう。政府は国民の声に真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。
 万が一事故があった場合、日米地位協定によって日本が捜査や検証に関与できない点も放置できない。沖縄では過去何度もこの不平等な協定に苦しめられてきた。安全対策が進まない一因でもある。江崎鉄磨沖縄北方担当相は今回の事故を受け、協定見直しに言及した。「沖縄県民の気持ちを政府がしっかり受け止め、米国に言うべきことを言うべきだ」との発言は的を射ていた。その後改定に後ろ向きな安倍政権の方針に沿い、自ら発言の修正に躍起になったが、政府は「失言」扱いでなく、重要な問題提起と捉え、見直しを進めることが重要だ。
 安倍政権は日米同盟を優先し続けるが、国民の安全置き去りの米国追従は認められない。毅然(きぜん)とした対話を求めたい。


人間をマシンに…安倍政権「人づくり革命」の露骨な魂胆
 新内閣の目玉政策「人づくり革命」。革命的に人を改造するということですから、人を人と思っていない安倍政権の思想が露骨に表れています。
 今年3月に出された働き方改革実行計画は、「同一労働同一賃金と長時間労働の是正」「柔軟で多様な働き方」が2つの大きな柱ですが、いずれも非常に問題がある。「同一労働同一賃金と長時間労働の是正」については、労働生産性の向上のためにやると、実行計画に明確に書かれています。労働者の当然の権利としての同一労働同一賃金ではなく、過労死を避けるための長時間労働の是正ではない。「労働者」という名前の機械の生産効率を高めるためにやると明示されています。
「柔軟で多様な働き方」も労働法制によって保護された状態の労働者の数を減らすことが狙い。働きたい時に働きたい場所でやりたい仕事ができると、フリーランスや個人事業主になることを勧めていますが、被雇用者でなくなれば企業はその労働者の健康や働く環境に一切責任を持たなくていい。これを先取りしたのが、問題になっている高度プロフェッショナル制度(残業代ゼロ)で、専門性や時間を切り売りすることにつながっていくでしょう。実はこのことは、はやりの「シェアリングエコノミー」と表裏一体の関係にある。人間を人権が守られている状態から追い出し、“労働マシン”としてこき使うための政策なのです。
■アベノミクスの失敗を挽回するため
 一連の働き方改革に安倍政権が執着する背景には、アベノミクスがうまくいっていない焦りがある。首相本人も最近はアベノミクスという言葉を使わなくなっていて、「三本の矢」についても国民の記憶からデリート(消去)したいと思っているのではないか。失敗を挽回するため、強い経済づくりの別のテーマが必要。革命的に突破したいという必死さがにじみ出ています。
「高プロ制度」をめぐり連合が混乱しましたが、先日、講演会で一緒になった神津里季生会長は、「決して容認したわけではなく、メディアに流れをつくられてしまった」と釈明していました。神津会長はきちんとした人なので、実際そういう感触があることは理解します。ただ、働き方改革実行計画は、次の国会で「高プロ制度」を必ず実現すると宣言しているのです。働き方改革実現会議に労働側の代表として参加しながら、ブレーキをかけられなかったのは事実です。
 とはいえ、最終的に連合が高プロ制度を認めない態度を明確にしたのはよかった。どうも野党も労働側も、「同一労働同一賃金」や「長時間労働の是正」を安倍政権に言われた段階で、自分たちのお株を奪われたような喪失感に陥ってしまい、このテーマから逃避している感じがあるのです。しかし実行計画をよく読めば、その思想は全く異質なものだと分かるはず。本来、ILO(国際労働機関)が示す「同一労働同一賃金」は、同一価値を生み出した労働には同一賃金が支払われるというものですが、働き方改革では、同一賃金の基準は「成果と貢献度」だとしていて、ILOの考え方とは違う。
 今からでも遅くありません。野党と労働側は“敵情視察”を徹底し、政府の意図を見抜いて暴走を止めて欲しい。


少年に自白強要の高井戸署は、萩原流行死亡事故でも隠蔽の過去! 児童買春、覚せい剤、裏金隠し…警察の不祥事隠蔽
 またしても警察の卑劣な取り調べ、しかも少年に対する自白の強要の実態が明らかになり、大きな波紋を呼んでいる。
 これは今月10日、東京弁護士会と少年の父親らが「重大な人権侵害があった」として会見を開いたことで明らかになったもの。会見によれば2015年12月19日、万引きに関与したとして警視庁高井戸署が当時中学生だった男子生徒2人を任意で聴取。その際、取り調べの警察官が「否認すれば牢屋に入れるんだぞ!」「少年院にぶちこむからな」「お前の人生終わり、高校行けねえから」などと高圧的に罵倒、2時間にわたり自白を迫ったというものだ。それぞれ別々の部屋で取り調べを受けた少年たちだが、そこでは立会人もなく、黙秘権も告知されず、2人の少年はいったんは犯行を認めてしまったという。
 その後、少年たちが万引きに関与していなかったことが明らかになったが、少年側は東京弁護士会に対して、人権救済の申立てを行い、そのため弁護士会が高井戸署に人権侵害にあたると「警告書」を発したと発表したのだ。
 今回の一件が衝撃的だったのは、取り調べの際の音声がICレコーダーに残されており、それが公開されたことだ。
「窃盗罪を負わせといて、お前たちはぬくぬくできると思ったら大間違いだぞ」
「テメェらこそ地獄を見せてやる」
「訳のわからないこと言ってんじゃねぇ! この野郎」
「二度としませんから許してくださいって言うまでは、高校行けねえからな。いいな」
 少年に対して身の毛のよだつ暴言、自白の強要が克明に記録されているのだが、これは自宅を訪れた警察官の態度が高圧的だったことに不安を感じた少年の母親が少年にICレコーダーを持たせたことで、残されたものだ。
 こうした“証拠”を突きつけられた高井戸署は「取り調べの際に不適切な言動があった。2人が万引きを強要した事実はなかった」と、2人の両親らに謝罪したが、しかし、逆に言えば“証拠”がなかったら、おそらく警察はその事実を認めることはなかっただろう。
 というのも、本サイトでも度々指摘してきたが、警察の不祥事には必ずと言っていいほど、卑怯な「隠蔽」が絡んでいるからだ。たとえばこれまでにも警察による自白の強要や、不当な取り調べなどの不祥事は数多く指摘されてきた。しかし、今回のような音声や映像などの“動かぬ証拠”がない限り、警察はそれを決して認めない姿勢を貫いている。実際、今回の少年たちへの不当な取り調べ、自白強要に関しても、昨年2016年12月までに、少年の万引きへの関与はなかったと認め、取り調べた警察官に対しても処分が行われているが、しかし今回の弁護士会の会見までそれを自ら発表することはなかった。また会見で、父親のひとりは「もしボイスレコーダーがなければ泣き寝入りせざるを得なかったと思うと、いたたまれない」とその心情を語ったほどだ。
 そう考えると今回の事件も氷山の一角と見るべきで、一刻も早い取り調べの全面可視化が求められるが、さらにもうひとつ、今回の事件で注目すべき点がある。それは事件の舞台になった高井戸署が過去において、世間の注目を浴びた“隠蔽事件”を起こしていたことだ。
 それが2015年4月22日に起こった俳優・萩原流行氏のバイク死亡事故だ。この事故は警察の護送車両による車線変更が原因だったが、その車両こそ今回問題となった高井戸署のものだった。しかも当初警察はその事実さえ隠蔽、その後、萩原氏の妻・まゆ美さんの訴えで、ようやくその事実が明るみになっていったのだ。


小池都知事との連携に否定的=民進・枝野氏インタビュー
 9月の民進党代表選に出馬を表明している枝野幸男元官房長官は時事通信社のインタビューに応じ、小池百合子東京都知事との連携に否定的な考えを示した。主なやりとりは次の通り。
 −出馬を決めた理由は。
 今回は安倍晋三首相、自民党と戦う前哨戦だ。民進党が政権の担い手たり得るかどうかを示す、自民党との違いをいかにクリアにできるかだ。
 −どんな旗を立てるか。
 多様性を認め合い、困ったときに寄り添い、お互いに支え合う社会。自由競争や自己責任だけではうまくいかないときのために政治がある。安倍首相や自民党との違いとして強く打ち出したい。法の支配、立憲主義という根幹が崩れている。ここも徹底的に戦わなければならない。
 −首相が進める憲法改正への対応は。
 今のままで自衛隊を明記したら立憲主義の破壊という、わが党の綱領に照らしても絶対に許されないことを追認することになる。断固として戦う。
 −次期衆院選に向け候補者調整を行うとした4野党合意への評価は。
 (合意には)一貫して「できる限り」という言葉を使っている。わが党の支持者や応援団が離れ、票も減らし、わが党の体力が弱まるのでは元も子もない。われわれが単独過半数を目指す上で、マイナスにならない範囲では余地がある。
 −合意は引き継ぐか。
 政党間の約束を守れずに国民の信頼を得られるわけはないので、前提となる大きな政治状況の変化がなければ(引き継ぐ)。
 −小池知事との連携は。
 小池氏は(自民党議員として賛成した)特定秘密保護法などで私たちと立場が違う。安保法制は間違いでした、特定秘密保護法は間違いでした、アベノミクスは間違いでした、と言ってもらわないと(連携の)前提が整わない。
 −対抗馬の前原誠司元外相については。
 非常に優秀で思い切りが良い。常に一目も二目も置いてきた仲間だ。
 −「保守」対「リベラル」の対決構図とみられているが。
 多様性、寛容、社会的な支え合い。一般にこれを「リベラル」と言う人もいるが、かつての自民党がやっていた政策だ。今の自民党は「保守」ではなく「右翼」だ。右翼に対して、保守的なリベラルが対抗軸だ。
 −代表選が党分裂につながるとの危惧も。
 富士山を山梨県側、静岡県側から見て描くのか、どちらから見た絵の方が、自民党の描く富士山よりもきれいかという話だと思っている。「挙党態勢だ」とみんなが受け止め納得できる執行部人事でスタートしないと(その後の党運営は)なかなか大変だ。


「日本軍が慰安所を直接運営」…未公開の米文書4件発掘
国史編纂委員会が米国立文書庫で発掘 
日本軍の陳述などで「軍が慰安所直接運営」 
「インドネシア地域7カ所の慰安所に女性150人あまり」

 旧日本軍が戦地で「慰安婦」と慰安所の運営に直接介入したという事実を語る史料が新たに出てきた。
 11日、韓国の国史編纂委員会は「日本軍『慰安婦』・戦争犯罪関連史料収集・編纂事業」を通じて米国立文書記録管理庁(NARA)で発掘した史料4件を公開した。
 1番目の史料は、第2次大戦当時に米軍が作成した「東南アジア翻訳尋問センター心理戦時報第182号」(1945年7月6日発刊)で、「軍(日本軍)は占領後直ちに許可された公用慰安所を設立したが、強姦は頻繁に発生し続けた」(16ページ)、「一部(日本)軍人が村の少女を強姦した」(18ページ)という内容が出てくる。この史料は過去に日本の「女性のためのアジア平和国民基金」が出した「慰安婦」資料集にもその一部の4ページ分が収録されたが、今回国史編纂委員会は脱落した42ページを新たに捜し出した。
 2番目は「連合軍翻訳通訳部」(ATIS)の日本軍捕虜尋問報告書3件だ。パプアニューギニア地域で逮捕された日本軍(第91番報告書)は「慰安所が軍の管理(army supervision)下にある」とし、インドネシアのマラン地域で逮捕された日本軍(第470番報告書)は「軍の司法管轄(jurisdiction)下に7カ所の慰安所が設立され、朝鮮人、日本人、インドネシア人など合計150人余りの女性がいた」と述べた。フィリピン地域の日本軍捕虜(第652番報告書)も「日本軍の軍医官が性病予防のために女性たちを毎週検診した」と述べた。
 国家編纂委員会は「日本軍が『慰安婦』と慰安所の運営に介入した事実と各地の慰安所の規模と状況を教える。日本政府の法的責任と公式謝罪を要求する根拠になるだろう」と明らかにした。また、これまでに集めた史料を今年末から資料集として刊行すると明らかにした。
チェ・ウォンヒョン記者


仲代達矢と桂歌丸が語った戦争体験が話題!「戦争を知らない政治家が戦争に触れるな」
 今年で終戦から72年。実際に戦争を体験した世代が次々と鬼籍に入り、戦争の恐ろしさを語り継ぐ人がいなくなるのと入れ違うように、安倍首相をはじめとした極右政治家による憲法改正論議がかまびすしくなってきているという悲嘆すべき状況がある。
 そんななか、今月5日『報道特集』(TBS)で放送された仲代達矢と桂歌丸のインタビューが話題を呼んでいる。この日の『報道特集』では、「戦争と憲法」と題し、実際に戦争を体験した人の証言を踏まえたうえで、日本国憲法が人々にどのように受け止められてきたのかを振り返っていた。
 番組の前半、当時を知る人々へインタビューしていくパートで登場したのが仲代達矢と桂歌丸。そのなかで語られる戦争体験は凄まじい。1932年に生まれ東京に住んでいた仲代達矢は、戦争末期の東京においては死体を街中で見かけることすらもはや日常の一コマであったと語る。
「まあ凄まじいもんで、新宿あたりへ空襲の後に行きますと、黒こげになった死体が何百と死んでるわけですから、それを通り越して中学へ行ったもんです」
 そして、仲代自身もまた空襲に遭い九死に一生を得る壮絶な体験をした。それは、1945年5月25日の夜、友だちに会うために青山通りを歩いているときのことだった。
「徒歩で行く途中に空襲警報が鳴りまして、焼夷弾がバラバラ落ちてきて、これはいかんと思って逃げ回っているときに、まだ小学生でもないような女の子がひとり逃げているんですね。全然知らない子ですけど、その子の手を握って逃げ回っていたら急に手が軽くなったんですね。で、見たら、焼夷弾が彼女に直撃して、私はその腕だけ持っていたと。自分もやられたかなと思ったんですけど、かろうじて私に当たらないでその女の子に当たって、その手だけ握ってたんですね。恐怖のあまりにその手を捨てて逃げてしまったんですけど、その手を捨ててしまったことを私はいまだ後悔しております」
 これは「山の手大空襲」と呼ばれる東京大空襲後の大規模空襲で、渋谷、表参道、赤坂などを標的に6000トン以上の焼夷弾が投下され、2万2000人の死傷者を出している。彼はこの空襲を生き延びた。
仲代達矢「最期に「戦争反対」っていうのを唱えて死んでいきたい」
 仲代達矢といえば、『人間の條件』や『激動の昭和史 沖縄決戦』をはじめ反戦色の強い戦争映画に出演し、とくに主演を務めた『人間の條件』は彼にとっての出世作となった作品だが、役者として仕事をするうえでの基盤をつくったのもまた戦争体験であったと過去に語ったことがある。「キネマ旬報」13年3月1日号ではこのように話していた。
「僕は子どもだったから、批判する力もなにも持っていなかった。校庭へ入れば右に天皇陛下のご真影があってそれに敬礼するというような学校生活を六年間過ごしたわけですから。天皇陛下のために死ぬことは、当然のことだと思っていました。東京の渋谷にいたものですから、昭和二十年の四月から五月にかけての東京大空襲を体験しました。爆弾が投下されて、学校のクラスの半分くらいが死んでしまい、僕は生き残った。そして八月十五日の敗戦を境にして、大人たちの態度が変わってしまった。“鬼畜米英”が一夜にして“ギブ・ミー・チョコレート”になった。もっとも多感な年頃でしたから『なんでだ!』と大人に対するニヒリズムを持ちました。それが役者になってから随分役立ったと思っています。人間の脆さ、負の部分の捉え方に。人間肯定と人間否定の間に板挟みになりながらね」
 権力も、また、その権力に追随する大人も所詮は朝令暮改で意見を変えるし、信用するに足らない。だから、「お国のため」などと言われても命を差し出す必要などない。彼と同じく、戦争中と終戦後で人が変わったかのように意見を変える大人を見て人間への不信感を抱いたと語る人は多いが、仲代は『報道特集』のなかで、いまを生きる若者たちにこう語りかけた。
「僕らの世代で生き延びている奴はもう少ないですけど、みんなこういう経験しているわけで、何が戦争だと思いますね。国を守るためにって言われると、そうかなぁと思って、みんな権力者の後についていってしまうのかもしれませんけれども。戦争を体験したこともない人たちに、最期に「戦争反対」っていうのを唱えて死んでいきたいですね」
 そして、番組のなかでもうひとり戦争体験を語ったのが桂歌丸だ。彼はインタビュー冒頭から強い調子でこのように語る。
「戦争なんてのは本当に愚の骨頂ですよ。やるもんじゃないですよね。いまだに戦争の爪痕っていうのは残ってるじゃないですか」
 歌丸は1936年に横浜で生まれ育つが、戦争中は千葉に疎開していたため、仲代のように九死に一生を得るような場面に遭遇してはいない。しかし、横浜大空襲のときには千葉から東京湾越しに見える横浜の黒煙を眺め、その煙の下にいる祖母の安否を案じていたという記憶を語っている。
桂歌丸「戦争を知らない政治家が戦争に触れるな」
 そして歌丸は、「人間、泣かせることと怒らせることは簡単なんですよ。笑わせることぐらい難しいことはないですよ」と語りつつ、戦時中の「禁演落語」について語る。
 禁演落語とは、遊郭に関した噺、妾を扱った噺、色恋にまつわる噺など、国のための質素倹約を奨励された時局に合わないとされ、高座に上げられることを禁じられた53の噺のこと。そのなかには吉原を舞台にした「明鳥」など、今でも盛んに高座に上げられる人気の噺も含まれている。
 また、当時の落語界は観客に人気の古典落語を捨て去ったのみならず、表向きは自ら進んで戦争に協力した。時局柄政府にとって「都合のいい」グロテスクな国策落語を多く生み出してしまったという過去ももっている。歌丸は落語界がもつ暗い歴史をこのように語る。
「あの落語をやっちゃいけない、この落語をやっちゃいけない、全部お上から止められたわけですよ。だから、「長屋の花見」を改作して「長屋の防空演習」としてやっている師匠もいましたよ。面白くないよ、そんなものは」
 そして彼はインタビューの最後、『笑点』では見ることのない怒りに満ちた表情でこのように語りかけた。ここで彼の脳裏に誰が浮かんでいたかは言わずとも誰もが想像つくだろう。
「戦争を知らない政治家が戦争に触れるなと言いたくなるんです。戦争を知らなかったら、戦争をもっと研究しろって言うんです。戦争っていうのは良い物なのか悪い物なのか、この判断をきっちりとしろって言いたくなるんです。それをただ上辺だけで話しているからおかしくなっちゃうんです。良い物だと思っている政治家だったら、我々は選ばないです。絶対に」
 この番組での二人の証言は大きな話題を呼んだが、その一方、ネトウヨからは「桂歌丸は終戦当時10歳だから戦争を知らないくせに」との声も溢れた。
 確かに、仲代達矢にせよ桂歌丸にせよ、終戦当時は10歳前後だ。戦地に赴いたわけではない。しかし、焼夷弾が雨のように降り注ぐなか逃げ惑った経験、千葉から見える故郷・横浜の黒煙をなす術もなく眺め家族の安否を思った経験、これが「戦争を知らない」ということになるのだろうか。十二分に戦争の恐ろしさを伝える経験である。当時を知る世代が次々と鬼籍に入っているなか、絶対に耳を傾けるべき貴重な体験談であることはわざわざ指摘するまでもない。
 ちなみに、番組の最後、仲代達矢はこのように語っていた。
「日本国憲法9条の問題にしてもですね。あれが70年間を平和にしてきたわけですから、憲法が改正される、それから9条に対して自衛隊がどうのこうのっていう問題はね、実に恐ろしいことだと思いますね。だから、憲法改正は具体的に言って反対です。やっぱり、それを改正しないで平和憲法を保っていくのは、日本人の叡智だと思いますね」
 先人たちが反省をもとにつくりあげ、70年間この国に平和をもたらしてくれた「叡智」。これが壊されることのないよう、日本がかつて経験した戦争の悲劇を改めて見つめ直すことには大きい意味がある。(編集部)


「長官を攻める私でも、夫婦ゲンカは受け身です」東京新聞・望月衣塑子記者インタビュー#2
 原則として平日の午前と午後、首相官邸で行われる菅官房長官の記者会見。今年6月以降、ここに突如として現れた一人の記者が注目されている。
「東京の望月です」と名乗ってから、矢継ぎ早に長官に質問をぶつける女性記者。東京新聞社会部、望月衣塑子記者(42)である。
 鉄壁の長官に果敢に攻め込むこの人は、一体どんな人なのか? #1につづく、インタビュー後編です。

社会部記者はしつこくて、常に怒ってる
――菅官房長官の記者会見を取材するようになってから、社会部記者と政治部記者の文化の違いがよく分かったそうですね? 例えばどんなところなんでしょうか。
望月 質問の仕方は違うなあと、改めて感じました。政治部の方たちは日々政治がどう動くかを見ているわけで、北朝鮮のミサイルが発射されたときに菅さんや外相のコメントを取ることが仕事ですからね。一言引き出せればそれがニュースになる世界でもあるんです。だから自然と淡白になるのかも。私のように、事件取材でしごかれてきた身としては異文化でしたから、初めは驚きました。
――社会部の記者の方は、望月さんのように畳み掛けるように質問するのが当たり前だとお聞きしたことがあります。
望月 そうですね。私たちが普段、相手にしているのは警察ですが、事件についてはあまり詳しく教えてくれないんです。裁判まで伏せておきたいことが多いので。だから、新聞社に入社したばかりの駆け出しのときから、会見や取材のときに何回も何回もしつこく聞くということは徹底的に叩き込まれるんです。あと、社会部の人は、たいてい怒ってる。
――怒ってる?
望月 加計学園問題の疑惑にしても、社会部記者は一つ一つ疑惑の種をフォローして根掘り葉掘り取材します。そのモチベーションの一つは、一体どうなってるんだ! という怒りだと思うんですよ。
文春を引用して質問したら突っぱねられた
――望月さんは官房長官への質問のときに「週刊文春によれば」とか、雑誌を引用されることがありますよね。記者会見では珍しい質問の仕方ではないですか?
望月 そうかもしれないですね。でも最近、雑誌に出ていることをここで聞くなという、会見での不文律があるということを知りました。『文藝春秋』や『週刊文春』が加計学園問題をルポした記事を引用して質問したときも、菅さんから「雑誌のことについて、政府として答えることは控えたい」と突っぱねられました。雑誌はいまや政治を動かす大きなきっかけになっているのに、政治家は「雑誌だから」「週刊誌だから」と否定して逃げることが多い。裏を返せば、それだけ雑誌が政治家にとって痛いところを突いていることの現れなんだと思います。
――望月さんの質問で印象的だったのがもう一つ。加計問題で出てきた「総理のご意向文書」を菅長官が「怪文書」と批判したことに関して、わざわざ『広辞苑』を引っ張り出してきて聞いていましたよね。あれはどんな意図があったんですか?
望月 ああ、ありましたね。「怪文書」って結構きつい意味合いなんですよ。「いかがわしい文書。無責任で中傷的・暴露的な出所不明の文書または手紙」。あれは菅さんが使った「怪文書」という言葉が、いかにひどい文脈で使われているかを、本来の意味をバシッと出して問いただしたくて入れたんです。質問するにあたって、私はけっこう朝のニュースを参考にしたりもするんですが、字幕スーパーで出るような、ああいうキャッチーな言葉をバシッとぶつけたいところがありますね。
うちはわりと政治部と社会部の垣根が低いんです
――会見に参加している他社の記者たちの印象はいかがですか?
望月 一時期、朝日新聞の社会部記者さんは来られていましたが、常時はいないですね。いま、朝日新聞の元官邸番の南彰記者がよく来られています。私よりずっと論理的に攻め、練り込まれた質問をぶつけ、よい回答を菅さんから引き出していていて、すごいなと感心します。ジャパンタイムズの吉田玲滋記者も鋭い質問を浴びせていますね。
 毎日新聞はすごく加計問題を扱っていますが、社会部の記者の方は来ていないです。それぞれの取材が忙しいというのもありますし、政治部の敷居が高くて入れないというのもあるのかもしれません。社によっては、政治部と社会部がかなりケンカしているとも聞きますので。
――東京新聞の社内的には、望月さんの活動を後押ししているような感じなのですか?
望月 うちはわりと政治部と社会部の垣根が低いんです。「質問しにいっていいですか?」って聞いたら、「いいよ」と。でも、こんなことになるとは思っていなかったと思います。ご迷惑も多々かけていると思いますが、これだけ官邸や政権が、国民に対して、隠し事や改ざんまがいのことを続けている限りは、疑念をぶつけないわけにはいきません。読者の方から数多くの応援メッセージが来たり、購読者が増えたり、会社にとっても良い面もあるようで、批判があっても「頑張ってこい!」と背中を押してくれるのはとても有り難いことで、会社には大変感謝しています。
いつも警察の先を行っちゃう清水潔さんは神
――ところで、記者として望月さんが尊敬される方はどなたかいらっしゃいますか?
望月 清水潔さんのすごさは別次元ですね。私たちは事件を追っていても、先に警察の捜査があって、そこにたどり着くのがやっとですが、清水さんは足利事件にしても、桶川ストーカー殺人事件にしても、先に自分で取材して犯人を特定してしまいますからね。事件屋からすると、神様みたいな存在ですよ。いつも警察の先を行っちゃっている(笑)。文筆家の菅野完さんの戦後を総括して、現代の日本の形を切り取ろうとしている姿勢にも、同世代なのにまねできないすごさを感じています。
――望月さんが記者を目指した理由はどんなものなのでしょうか?
望月 中学の頃、吉田ルイ子さんという元朝日放送のアナウンサーでジャーナリストの方が南アフリカのアパルトヘイト政策について書かれた本を読んで衝撃を受けたのがきっかけですね。世界を股にかけて、問題をあぶり出していくような生き方に憧れました。
 あと、父が業界紙の記者だったんです。いろいろな人に会って話を聞き、今の状況を見ていくという記者の仕事は面白いよ、という父のサジェスチョンの影響も大きかったと思います。
――記者の仕事に加えて、世の中を良くしていきたいという思いがあったのですか?
望月 世の中を変えていくというより、社会福祉が行き届かない人たちや、行政の狭間に追い込まれてしまった人たちの問題を自分で取り上げたいという思いはありました。東京新聞に入社するときの志望動機に「山谷の問題を書きたい」と書いた記憶があります。
夫婦ゲンカでは、けっこう言い負かされます
――これだけ注目されていると、ご家族に心配されることはありませんか?
望月 夫は同業者なので大丈夫ですね。ただ、TwitterとかFacebookの発言に気をつけるようにとは言われています。
――変な話ですが、夫婦ゲンカとか、望月さんのほうが圧倒的に強そうな感じがしますけど……。
望月 いや、そんなことないですよ。けっこう言い負かされます。
――「それは批判には当たらない」と「菅話法」は駆使しないんですか?
望月 ハハハ、しないですよ。私が物を失くしたりして、「人としてしっかりして」って言われたら、もう逆らわずに「はい」って従います。
――お子さんもいらっしゃるということで、1日のスケジュールは大変ではないですか?
望月 でも、昔に比べれば、朝起きて夜寝られる生活になりましたから。昔は夜中の3時や4時に呼び出されて、朝6時過ぎにまた朝回りしていましたからね。今は子どもを預けて、朝9時から夕方6時か7時まで仕事をして、子どもをお迎えに行くというスケジュールです。体は健康に戻りましたね。
――でも、日中は官邸で菅官房長官とバトル。夕方はお子さんを迎えに行ってそのまま帰宅……。究極のメリハリ生活だと思います。
望月 そうですね、日中の緊張感は子どもに癒やしてもらっている感じです。でも、たまに一人でちょっと遠くに行きたいなぁ、と思うこともあります(笑)。
これからも「政治の世界の外側の人間」として
――望月さんが定例会見に出席し続けたり、こうやって取材を受ける記者としてのモチベーションとは何なのでしょうか?
望月 新聞記事を書いて世の中に出していくことに、昔はもっと自己満足があったのですが、武器輸出についての本を出したり、講演をしたりすると、それだけではなかなか伝わっていないと感じることが増えました。講演に来てくれた方に「どこで知りましたか?」とお聞きすると、Facebook、Twitter、ラジオ……と十人十色なんです。
 だから、加計学園の問題や詩織さんの問題がいかにおかしな話なのかを伝えるためには、新聞で記事を書き伝えていくのは第一ですが、それだけではなく、Twitter やFacebook、私が知らないような媒体も含めて、全方位外交で様々なチャンネルを駆使し、見ている人たち、読んでいる人たちに投げかけていくしかないとも感じています。特に新聞を読まないという若い世代には、様々な形で問題を発信していかなければ、今の政治や社会の問題を伝えられないと感じています。
――今後も日本の政治の見過ごせない問題を伝えていくために、東京新聞以外にもあらゆるチャンネルを使っていくというお考えですか?
望月 チャンスが頂けるなら、武器輸出含めて、今の政治や社会の問題を伝えていくために、様々なアプローチをしていきたいと思っています。まずは東京新聞の記事を読んでもらって、その上で記事を読んでない人にも届けなければいけない。特にネット世代の若い子たちに、今の政治の良い面と悪い面をどう伝えて理解してもらうか。これは重要な課題ですね。そのためにもまずは、政治の世界の外側の人間として、質問をぶつけ続けようと思っています。
もちづき・いそこ/1975年東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉・横浜・埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。著書に防衛省取材をもとにした『武器輸出と日本企業』(角川新書)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(共著・あけび書房)などがある。


連合の迷走 本当に「働く人の代表」か
 連合は本当に「働く人の代表」なのか−。一部専門職を「1日8時間、週40時間」の労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」をいったん容認した迷走ぶりに、そう問い掛けたくなる。
 年収1075万円以上の金融ディーラーや研究開発職などが対象で、残業や深夜、休日労働をしても割増賃金が支払われなくなる。成果を上げようとして際限ない長時間労働に陥る恐れがある。
 政府は「時間に縛られず効率的に働ける」と説明し、制度を盛り込んだ労働基準法改正案を2015年4月に国会へ提出した。経済界には対象拡大のため年収要件の大幅引き下げを求める声もある。
 連合は民進、共産両党や過労死遺族などとともに「残業代ゼロ法案」「過労死助長法案」と反対してきた。ところが先月、神津里季生(こうづりきお)会長が安倍晋三首相と会談し、一部修正による容認を表明した。
 修正は祝日を除いても週休2日で達成できる年間休日104日の義務化などだが、これで働く人の健康が守れるか疑問が残る。
 連合傘下の労組や支持関係にある民進党、過労死遺族が驚いたのも無理はない。組織内外の論議を経ないままだった。かねて首相官邸との近さが指摘されていた逢見直人事務局長ら一部幹部が政権側と水面下で交渉した結果という。
 労働運動に政治力が求められる局面もあろうが、議論抜きでいいわけがない。傘下の労組から反発の声が上がったのも当然である。連合本部に抗議のデモが詰め寄る異常事態となり、連合は一転して容認を撤回した。
 しかし政府は今回の修正を反映する改正案を秋の臨時国会に出し直すという。難航していた制度導入に連合が結果的に「助け舟」を出す形になった。混乱は10月が任期満了の連合執行部人事にも波及し、会長昇格が確実視されていた逢見氏は専従の会長代行となり、神津氏が続投の方向になった。
 連合は今年で発足30年になる。国内最大の労働団体として働く人に寄り添っているのか。自らの足元を再点検すべきだ。

東日本大震災から6年5ヶ月/高槻で軍事研究と大学

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La chasse, nouvelle passion des femmes japonaises
JaponLe gouvernement japonais recrute des chasseurs pour pallier la destruction des récoltes. La population féminine est sollicitée.
Par Sarah Jelassi
Loin, le temps des geishas. Les femmes japonaises sont de plus en plus nombreuses à braver les stéréotypes du genre. La nouvelle tendance? Devenir une ≪female hunter≫ (femme chasseur). Plus étonnant encore: l’initiative a été lancée par le gouvernement japonais pour pallier la destruction des récoltes de fruits et légumes.
Depuis une vingtaine d’années, la flore japonaise est menacée par l’explosion de la population des cerfs et des sangliers (on dénombre 3 millions de cerfs en 2017, contre 400 000 dans les années 90). Les dommages causés par ces derniers sont catastrophiques pour l’agriculture locale. Le Ministère de l’environnement japonais estime la perte de marchandise à près de 170 millions de francs par année. Particulièrement friandes de légumes, les bêtes viennent se nourrir directement dans les récoltes. ≪Certaines fermes sont complètement dévastées≫, témoigne à Reuters Manabu Ushiyachi, agriculteur dans la région centrale du Japon. ≪Construire des clôtures n’a pas suffi à stopper les dégâts, ajoute Kazuhiro Akiba, à la tête du bureau de gestion de la faune à Tokyo. La chasse est nécessaire pour maintenir un écosystème sain et réguler la biodiversité.≫
Pour stopper les dégâts, les gouvernements locaux proposent de payer des cours et d’aider les femmes à passer leur licence de chasseur. Des tours sont organisés gratuitement pour permettre aux femmes de s’entraîner. Et elles sont de plus en plus nombreuses à répondre à l’appel: en 2014, elles étaient 3184 à détenir une licence de chasse. Cela ne plaît pas à tout le monde. ≪Je pense que la chasse est un mode de vie et une culture destinés seulement aux hommes, lance, sceptique Masato Hata, chasseur retraité, dans une interview accordée à Reuters. Spécialement la traque des ours, qui est une chose impossible pour une femme.≫
Le gouvernement n’a cure des vieilles traditions et exhorte les femmes à se former, par le biais des réseaux sociaux. Pour l’Etat, la population féminine apporte du sang neuf à la profession: au Japon, le nombre de chasseurs a chuté de moitié depuis les années 70 et 65% sont des hommes de plus de 60 ans. La plupart des femmes ont entre 20 et 30 ans, et exercent d’autres professions à côté de cette activité. C’est le cas de Fujiko Nagata, restauratrice dans la province du Fukui, au centre de l’île de Honshu (île principale du Japon). La viande qu’elle chasse sert à la fabrication de saucisses servies dans son restaurant. La jeune femme ne jette rien. ≪Avec la peau, je confectionne des pochettes en cuir de cerf que je vends par la suite, explique-t-elle à Reuters. Et la viande est délicieuse.≫
Pour ces femmes, la chasse est à la fois une philosophie de vie et une manière de se nourrir en respectant la nature, loin des industries, comme il est expliqué sur le site Internet The Women In Nature (Les femmes dans la nature), qui regroupe les passionnées de ce hobby. ≪Nous respectons les animaux que nous chassons. Il est important de voir d’où provient notre alimentation et de consommer local, explique un membre du groupe. C’est aussi un moyen de se rappeler notre place en tant qu’humains et face aux ressources que la terre nous offre.≫ Sur le sol helvétique, elles sont 1500 femmes actives dans le domaine, selon l’association Chasse Suisse. (TDG)
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東日本大震災から6年5ヶ月になります.
しかしバスが4時間も遅れてそれどころではない・・・感じです.
梅田から直接高槻に向かい,軍事研究と大学に関してのお話を聞きました.とても分かりやすいお話で頑張って行った甲斐がありました.
それにしてもムチャクチャ暑いです.

南三陸町で震災不明者の捜索
11日は東日本大震災から6年5か月の月命日です。
南三陸町の海岸では警察による行方不明者の捜索が行われました。
行方不明者の捜索が行われたのは南三陸町歌津地区にある漁港近くの海岸です。
11日の捜索には南三陸警察署の警察官7人が参加し、まずはじめに海に向かって1列に並び、黙とうをささげました。
このあと警察官たちは、道具を使って海岸沿いの砂を掘り起こしたり、打ち上げられた海藻や石をかき分けたりして行方不明者の手がかりを探していました。
警察によりますと宮城県内ではいまも1200人以上が行方不明のままでこのうち南三陸町では211人の行方が分かっていません。
この海岸ではこれまでに13回の捜索が行われましたが町内の海岸沿いは防潮堤整備などの復興工事の影響で捜索できる範囲が限られてきているということです。
南三陸警察署の滝口忠克地域課長は「先日の台風の影響で不明者の手がかりが流れ着いているかもしれない。捜索できる場所は限られるが家族の帰りを待っている人がいるかぎり捜索を続けたい」と話していました。


震災犠牲者を供養 朗読会
お盆を前に東日本大震災で亡くなった人たちへの供養の思いを込めてつくられた文芸作品の朗読会が10日、仙台市で開かれました。
この催しは震災で被災した人たちへの鎮魂の思いを示そうと仙台市若林区の「せんだい3.11メモリアル交流館」が開き、東北地方で活動する作家たちが震災をテーマにつくった作品を俳優や放送局のアナウンサーたちが朗読しました。
このうち、気仙沼市出身の作家、須藤文音さんの作品「白い花弁」は震災で父親を亡くした体験をもとに書かれた作品で父親の安否がわからないところから2週間後に発見されて遺体と対面するまでの過程が花びらにまつわる不思議なエピソードとともにつづられています。
また、小田イ輔さんの作品「私の話」は震災で亡くなった子どもの幽霊をテーマにした作品で、幽霊でもいいので子どもに会いたいと思う父親の深い愛情が表現されています。
会場を訪れた人たちは朗読をする人たちの情感のこもった語り口にじっくりと聞き入っていました。
仙台市の小学6年生の男の子は「しみじみと心が温まりました。6年たっても震災のことを忘れてはいけないということを強く感じました」と話していました。


同級生を悼む「物故祭」
東日本大震災の発生からまもなく7度目のお盆を迎える気仙沼市の寺では、中学校時代の同級生が集まって亡くなった友人を悼む「物故祭」と呼ばれる行事が行われました。
「物故祭」はよくとしに厄年や還暦を迎える中学校の同級生がお盆のこの時期に集まって亡くなった友人を悼む気仙沼市の風習です。
11日は、震災の津波で大きな被害を受けた気仙沼市松岩地区の寺で「物故祭」が行われ地元の中学校を卒業し来年還暦を迎える57人が集まりました。
この学年では震災の津波で3人が犠牲になりこの日は寺の本堂で亡くなった人たち1人ひとりの名前が読み上げられたあと焼香をして同級生の死を悼みました。
被災したあと生活の再建に追われて集まる機会がなくなり震災後、初めて一堂に集まったということで、参加した人たちは最近の暮らしぶりや亡くなった同級生の思い出を語り合っていました。
出席した藤沢秀文さん(58)は「自宅を流され妻や同級生を亡くしてから6年以上たち、きょうは自分の中でもひとつの区切りになったと感じます。亡くなった人たちの分までこれから生きていきたい」と話していました。


土地かさ上げ 再建の墓で祈り
東日本大震災の発生から6年5か月となる11日、津波で大きな被害を受けた名取市の閖上地区の寺では、かさ上げされた土地に再建された墓の前で祈りを捧げる人の姿が見られました。
津波で大きな被害を受けた名取市閖上地区の東禅寺は、かさ上げされた土地で本堂の建設工事が行われていて墓の再建も進んでいます。
このうち自宅が津波に襲われ母と娘、それに生後7か月の孫を亡くした橋浦利是さん(68)は11日に墓が再建されました。
墓石は津波で被災したもので、ところどころ傷ついていますが、津波で自宅も家族も失った橋浦さんは残された墓石を大切にしたいと再利用することを決めたということです。
11日は完成した墓に花を手向けたあと住職と一緒にお経を読み上げ先祖や津波で犠牲になった3人を弔っていました。
橋浦さんは「長い間待たせてしまいましたが、一つの区切りがつきました。かさ上げでまちの姿は変わりましたが懐かしい墓石を見ると気持ちが落ち着きます」と話していました。
東禅寺の三宅俊乗住職は「皆さんの心のよりどころや再び集える場所になるよう新しい寺を守っていきたい」と話していました。


被災地振興に台湾の若者呼び込もう 日台の大学生が南三陸で討議、企画を提案
 日本と台湾の大学生が参加する南三陸町日台交流プログラムの事業発表会が10日、同町志津川の南三陸ポータルセンターであった。東日本大震災で被災した町の交流人口を増やすため、台湾の若者を呼び込む観光振興策を提案した。
 プログラムは7〜10日の日程で、日本と台湾の大学生18人が参加。町内の漁師や水産加工業者を訪ねて町の魅力を探った。7月に再開した海水浴場サンオーレそではまにも足を運んだ。
 発表会で学生は、自然体験を取り入れ日本語を学ぶツアーや、個人で楽しむ民泊旅行といった企画を紹介。台湾人好みの味付けをしたホヤ入りのシーフードカレーを作って審査員に食べさせたグループもあった。
 台湾から参加した陳柏欣(ちんぼうしん)さん(20)は「日本の学生と仲良くなり、文化の違いを知ることができた。台湾に帰って南三陸のことを発信したい」と話した。
 審査員を務めた仙台国際空港の岡崎克彦取締役は「若い人が南三陸の良さを伝えていくことで町民同士の交流が活発になるだろう。観光から移住といった長期的な視点でも地域活性化を考えてほしい」と話した。


震災の月命日 高台の展望台で法要 岩手
東日本大震災の発生から6年5か月となる11日、津波で大きな被害を受けた岩手県大船渡市では、犠牲者の追悼のために設けられた高台の展望台で法要が営まれました。
大船渡市の越喜来地区では震災の津波でおよそ90人が犠牲となり、おととし、地元の人たちが湾を一望する高台に犠牲者を追悼するための展望台を設けました。
この展望台に地蔵が設置され11日、月命日にあわせて法要が営まれました。そして参列した地元の人などおよそ20人が、海に向かって黙とうをささげました。
この地区で犠牲になった大学生の瀬尾佳苗さんの両親も東京から駆けつけ、地蔵に静かに手を合わせていました。海が好きだったという瀬尾さんは水族館の学芸員を目指して、大船渡市にあった大学で学んでいましたが、津波に巻き込まれ、今も行方がわかっていません。
瀬尾さんの母親の裕美さんは「お地蔵様の穏やかな顔を見て娘を思い出しました。娘が大好きだったこの土地や地元の人たちとつながりができ、私たちもうれしいです」と話していました。
再建された墓の前で祈り
津波で大きな被害を受けた宮城県名取市の閖上地区の寺では、かさ上げされた土地に再建された墓の前で祈りをささげる人の姿が見られました。
津波で大きな被害を受けた名取市閖上地区の東禅寺は、かさ上げされた土地で本堂の建設工事が行われていて、墓の再建も進んでいます。
自宅が津波に襲われて母と娘、それに生後7か月の孫を亡くした橋浦利是さん(68)は11日、墓が再建されました。墓石は津波で被災したもので、ところどころ傷ついていますが、津波で自宅も家族も失った橋浦さんは残された墓石を大切にしたいと再利用することを決めたということです。
11日は完成した墓に花を手向けたあと、住職と一緒にお経を読み上げ、先祖や津波で犠牲になった3人を弔っていました。
橋浦さんは「長い間待たせてしまいましたが、一つの区切りがつきました。かさ上げで町の姿は変わりましたが、懐かしい墓石を見ると気持ちが落ち着きます」と話していました。
東禅寺の三宅俊乗住職は「皆さんの心のよりどころや再び集える場所になるよう、新しい寺を守っていきたい」と話していました。


<復興事業>気仙沼市、岩の撤去費用支払い求め業者を提訴へ
 宮城県気仙沼市は10日、東日本大震災の復興事業として同市鹿折地区の水産加工施設集積地の造成工事を発注したアルファー建設(気仙沼市)が、契約の基準を超える岩を埋めたために撤去費用などが生じたとして、同社に対して約9250万円の損害賠償を求める訴えを今月中に仙台地裁に起こす方針を固めた。同日あった市議会震災調査特別委員会で市当局が明らかにした。
 市によると、同社が2013年7月〜14年5月にかさ上げ造成工事をした後の用地に、基準(直径約25センチ程度)を超える岩が埋められていたため、市は建物建造に支障が出るとして別の業者に撤去させた。
 撤去費用と、工場稼働が遅れた水産加工会社に市が支払った損害賠償金などの金額を求める。特別委員会で菅原茂市長は「司法の場で正しい判断が下されると考えている」と答弁した。
 アルファー建設は震災後、気仙沼に本社を構えた。同社によると岩は市が支給した土砂で、基準を超える大きさの岩があることは口頭で市に告知したという。
 同社の担当者は「市が支給した土砂で、指示に従い工事を実施した。岩の存在は分かっていたはずで、市の対応には不信感が募る」と争う考えを示している。


<記憶の街>懐かしき大川の4集落 復元模型を展示
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川地区の4集落について、街並みを復元した模型の展示会が10日、市河北総合センターで始まった。地元住民やお盆で帰省した人々らが古里の記憶をたどり、思い出話に花を咲かせた。16日まで。
 住民有志らでつくる実行委員会が主催。住民の記憶などに基づき、間垣、釜谷、長面、尾崎の4集落を500分の1の大きさの模型で現し、彩色を施した。
 家々や学校、松林などを再現。「8月にペルセウス座流星群を見た」「海水浴でよく行った」といった記憶を約2500枚のアクリル片の旗に記して並べた。
 石巻市の無職佐々木律子さん(70)は長面集落で生まれ育った。自宅が津波で流され、今も仮設住宅に暮らす。「模型でみんなの思い出を共有できて心の支えになる」と感謝する。
 東京都の無職山田宏治さん(71)は釜谷集落で中学卒業までを過ごした。「子どもたちが農道を走る姿や祭りの準備作業が思い出深い」と郷愁に駆られた。
 神戸大大学院の田中はつみさん(24)は住民から記憶を聞き取るなど模型作りに力を注いできた。「模型を見て生き生きと語り合う姿を見ると、やって良かったと思う。『記憶の旗』の内容をデータ化して、インターネットで見られるようにしたい」と話す。
 参加無料。昼の部が午前10時〜午後4時、夜の部は午後6〜8時。16日は昼の部のみ開く。12日までは「記憶の旗」を立てる活動もしている。


震災資料を後世に継承 岩手・大槌アーカイブを公開 写真、文書1万4000点
 岩手県大槌町が、東日本大震災の被災状況や復興の歩みを伝える写真、文書など計1万4000点をインターネット上に公開した。行政の震災対応を記録し、教訓の伝承や将来の備え、防災教育に生かす。
 震災アーカイブのウェブサイト「つむぎ」に収録した写真は、町民や復旧・復興に携わった関係機関、民間企業などから提供を受けた。震災前の町並みや人々の日常生活、郷土芸能も紹介。災害対策本部の行政文書や広報、新聞記事も収録する。
 利用者は、膨大な資料を時系列や地域別のほか「被害」「支援・ボランティア」「福祉」などテーマ別の12分類から検索、閲覧できる。サイトはパソコンやスマートフォン、タブレットに対応。町中心部に来年3月完成の復興拠点施設には、高齢者向けのタッチパネル式大型端末を設置する。今後、県や国立国会図書館の震災アーカイブとの相互リンクも構築する。
 事業費約1800万円は復興交付金で賄った。当初は今年3月末の稼働を予定したが、データ整理などに時間を要して公開が遅れた。一部で時系列が逆になっている資料があり、順次修正する。
 平野公三町長は「見やすく、利用しやすいアーカイブが完成した。資料を後世に継承し、永続的な活用を目指したい」と述べた。


「心の災害」防ぐこつ 小学生向けに冊子 災害契機のいじめや差別に向き合う方法解説
 東日本大震災の被災地などで支援活動を続ける山形市の一般社団法人日本ソーシャルセラピストアカデミー(JAST)が、冊子「こどもこころの防災師」を作成し、小学生を対象に災害をきっかけに生まれるいじめや差別、分断などに向き合う方法を広めている。本年度は復興庁の「心の復興事業」として、被災地の学校などでワークショップを開催している。
 冊子はイラストを使いながら、災害が起きると建物や道路だけでなく、心も傷ついてしまうことを紹介。ストレスを抱え、イライラする気持ちを抱えた状態を「トゲトゲマン」と表現しながら当事者や周囲の気持ちを解説する。
 一人が抱えたトゲトゲは、仲間に伝染することもある。災害がきっかけで生じるいじめや差別といった「心の災害」を防ぐため、「トゲトゲマンのトゲが刺さらないように、トゲが抜けるまで上手に距離を置こう」「トゲトゲをはやらせないように、みんなで話し合おう」などと呼び掛ける。
 法人は震災直後から、石巻市や名取市などを中心に炊き出しやカウンセリングを実施。心のケアに関する知識を持つ支援者が少ないことを実感し、災害心理カウンセラーの講座にも取り組んできた。
 カウンセラーで代表理事の大谷哲範さん(56)は「周りがトゲトゲマンを理解することで、心の傷を減らすこともできるはず。上手で思いやりを持った距離の取り方を覚えてもらえればうれしい」と話す。
 冊子はA5判18ページ。ワークショップの対象は小学3年生以上。保護者らを対象にした講座にも対応する。連絡先は同法人023(600)6764。


津波防御の県道かさ上げ 海側20戸守る築堤を県と町が提案 住民主張に配慮
 津波防御を目的にかさ上げ工事とルート変更が計画されている宮城県道相馬亘理線を巡り、県と山元町が、ルート変更によって海側に取り残される形となる同町笠野地区周辺の住民約20戸を守るための築堤を建設する対策案を住民側に示していたことが10日分かった。住民の主張を一定程度考慮した形で、建設計画が前進する可能性が出てきた。
 関係者によると、計画では築堤の高さは5メートル。笠野地区周辺の海側に、南北1.5キロにわたって建設される。住民が残った地域の陸側を走る県道のかさ上げ高は当初の5メートルから最も低い所で3メートル程度にまで引き下げられる。このほか、笠野地区から内陸側への新たな避難道路も整備される見通し。
 一方で、県道新ルートとなる予定地に住み、立ち退きを求められている数世帯の一部は用地買収に応じておらず、先行きには不透明さも残る。
 新ルートでは常磐線旧山下駅付近から南側は、現ルートから約500メートル内陸にある旧常磐線の路盤を利用する。このため、住宅の新築が制限される津波防災区域(災害危険区域)1種に住む笠野地区周辺の約20戸が新ルートより海側に位置する形となっていた。
 防潮堤と県道などによる多重防御は町の震災復興計画に盛り込まれ、2011年12月の町議会で計画が承認された。県道かさ上げは東日本大震災級の津波を想定しており、津波の内陸到達を遅らせるために計画された。計画に反発していた住民側は一部町議らとともに、県や町に計画変更を求めていた。


<リボーンアート>作品の魅力、被災地でやる意味…責任者が紹介します!ガイド役担う
 宮城県石巻市の牡鹿半島などで開催中のアートと音楽、食の総合祭「リボーンアート・フェスティバル(RAF)2017」で、アート部門を総括するワタリウム美術館(東京)の館長和多利恵津子さん(60)、最高経営責任者(CEO)浩一さん(57)のきょうだいが作品を巡るツアーガイドをしている。東日本大震災の津波被害や復興の様子を交えながら、野外展示の作品の魅力を伝えている。
 「普通は作品を雨ざらしにしない。美術的に過激でしょ」。山道を20分歩いてたどり着いた浪田浜で、浩一さんが生き生きした口調で作品を紹介する。
 浜辺では刺しゅうや土に描かれた絵などが風雨にさらされた環境に並ぶ。浩一さんは「苦労して行っても見る価値のある作品になった」と満足げに語る。
 毎週日曜日のツアーには宮城県内外の美術ファンが集まる。6日は25人が参加し、バスに添乗した浩一さんが「日和山に多くの住民が避難した」「石ノ森萬画館は1階まで津波が来た」などとアナウンスした。
 浩一さんは「震災の話をしなければここでやる意味がない。被災の状況や防潮堤建設の賛否、遺族の思い…。参加者に関心を持ってもらうだけでも意味がある」と話す。
 RAFとの関わりは2014年春。実行委員長の音楽プロデューサー小林武史さん(新庄市出身)に協力を求められた。「被災地でアートに何ができるのか。逃げずにトライしたいと思った」。石巻に月1、2回通い、展示場所を探しては国内外のアーティストに出展を打診した。
 準備を進める中で地元の若者がまちづくりに頑張っている姿を目にした。浩一さんは「普段はできないことをやる場がRAF。若者にそういう姿を見せて未来に希望を持ってもらえるようにしたい」と語る。
 恵津子さんは「震災でゼロになった場所で展示する貴重な機会をもらった。それぞれのアート作品に東北へのメッセージが込められており、その思いを感じてほしい」と多くの来場を呼び掛ける。


河北春秋
 住所はS市紅葉区杜王町。「牛たんミソ漬け」が名物で、3月11日の大震災では大きな被害を受けた。仙台市出身の漫画家荒木飛呂彦さんの「ジョジョリオン ジョジョの奇妙な冒険Part8」は、故郷がモデルのこんな街が舞台だ▼地震により海岸の近くに隆起した断層「壁の目」で、記憶喪失の青年が発見されたところから物語は始まる。「壁の目は防波堤のように何かを守るためのもの」と荒木さん。東日本大震災では沿岸部にあった荒木家の本家も津波に流された▼今年は作品誕生30周年。記念の原画展「ジョジョ展 in S市杜王町2017」が12日、仙台市で開幕する。仙台開催は2012年以来となる▼前回は3万人が訪れ、作中と同名の履物店などは「聖地巡礼」のファンでにぎわった。最新シリーズは広瀬康穂、八木山夜露、作並カレラら地名をもじった人物が登場。この夏、意外なスポットが人気を集めるかも▼ファンに足を延ばしてほしい場所がある。被災から間もなく6年半の沿岸部だ。あの日を境に住民の営みは一変した。復興のつち音が響く一方、月命日の集中捜索のように被災直後と変わらぬ光景が今も残る。震災の爪痕に向き合う被災地巡礼はきっと、犠牲者へのレクイエムとなり、風化を防ぐ「壁の目」になる。

デスク日誌 アメとムチ
 ためつすがめつ日本地図を眺めている。先日公表された「核のごみ最終処分場の科学的特性マップ」。どこかが引き受けなければ解決しないと分かってはいるが、見れば見るほど岩手が最終処分場に選ばれそうな気がしてきた。
 古く強固な地層からなる北上山地は、高レベル放射性廃棄物の積み降ろしに便利な港湾に近いとして今回、広く適地とされた。
 この理屈、実は30年近く前にも聞いたことがある。相手は旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の釜石事務所長だった。
 動燃は当時、釜石鉱山の坑道を借りて地層処分の基礎研究をしていた。所長の口ぶりからは、あわよくばこのまま処分場建設まで突き進みたい気持ちがありありと読み取れた。
 釜石市は1989年、最終処分場の受け入れ拒否を宣言。民意は既に決していると言いたいところだが、安心するのは早計だろう。
 原発施設の例を挙げるまでもなく、為政者はアメとムチをセットで提示する。そして岩手では、北上山地に長大な穴をうがって超大型加速器を誘致しようという機運が高まっている。杞憂(きゆう)ならいいのだけれど。
(盛岡総局長 矢野奨)


日航機墜落事故 別れた友と31年ぶりの再会
鈴木 「520人が犠牲となった日航ジャンボ機の墜落事故から、明日(12日)で31年です。
群馬県上野村では、今夜、亡くなった人を悼む灯籠流しが行われました。
事故で亡くなった同級生と、この夏、31年ぶりに向き合おうとする男性を取材しました。」
別れた友と31年ぶりの再会
リポート:盒狭行
先月(7月)末、墜落現場の御巣鷹の尾根を慰霊登山に訪れる人たちがいました。
龍野右紀(たつの・ゆうき)さん、39歳です。
事故で亡くなった同級生に会うため、初めて尾根を訪れました。
龍野右紀さん
「ようやく、きちんと、ここから本番に向かっていく。」
事故当時、小学校3年生だった龍野さん。
同級生の美谷島健(みやじま・けん)くんとは、互いの家を行き来する仲でした。
「東京発、大阪行きの日本航空機がレーダーから姿を消し、安否が気遣われております。」
「健くんが事故機に乗っていたようだ」。
学校の連絡網で一報を聞いた龍野さんは、言葉を失いました。
龍野右紀さん
「え、何それ。
普通にまた“おう、何する?”と会話するだろう1人だった。
全然受け止められなかった。」
実は事故の前、龍野さんは健くんとささいなことで取っ組み合いのけんかをしていました。
夏休みに入る前日のことでした。
龍野右紀さん
「健ちゃんが僕のここをぐっとかんで、僕はつかみながら、健ちゃんの近鉄バファローズの帽子をとってやりあう。
ずっとかまれて、僕はずっとたたいていた。
歯形がずっとそのあと残っていた。」
仲直りをしないといけないと思っていた龍野さん。
事故によって、その思いはかなえられなくなったのです。
龍野右紀さん
「また一緒に遊ぶんだろうなと、その時に仲直りすればいいやと。
健ちゃんに悪いことをしたなあって。
どうしたらいいかわからない。
それを引きずったまま…。」
龍野さんには、ずっと大切にしてきた絵本があります。
事故の3年後に、健くんの母親・邦子さんが出版したもので、龍野さんがよく知る笑顔の健くんが描かれています。
大切な友とけんか別れした後悔、そして悲しみ。
龍野さんはその思いの重さゆえに、この31年、御巣鷹の尾根に足を向けることができなかったといいます。
龍野右紀さん
「怖さもあった。
やりきれなかったことは、ずっと心に残るものがある。」
龍野さんに今年(2016年)、大きな転機が訪れました。
絵本をかいた、健くんの母親の邦子さんです。
地元で子どもたちに講演を行いました。
健くんの母 美谷島邦子さん
「私の息子も、このジャンボ機に乗っていました。
空に1人で旅立っていった健ちゃんが、いま一番願っていることは、この事故を忘れないでほしい。」
その話を、龍野さんの長女・葵(あおい)さんが聞いていたのです。
葵さんは龍野さんに、「御巣鷹の尾根に登ってみたい」と言いだしました。
龍野さんの長女 葵さん
「落ちる瞬間、怖いのもそうだけど、どういう思いだったのかなって。」
龍野右紀さん
「健ちゃん自身が?」
龍野さんの長女 葵さん
「そう。」
龍野右紀さん
「娘にボンと背中を押されて。
“行こうよ”と言ってくれた。」
事故に向き合おうと決めた龍野さん。
どうしても会いたい人がいました。
健くんの母親・邦子さんです。
事故後、初めて会います。
健くんとけんか別れしたことを、自然と打ち明けることができました。
龍野右紀さん
「僕と健ちゃんがけんか。」
健くんの母 美谷島邦子さん
「そうなの?」
龍野右紀さん
「僕が健ちゃんをこうやって、やっているわけです。」
健くんの母 美谷島邦子さん
「けんかだもんね。」
健くんの母 美谷島邦子さん
「そのころの健ちゃんが、そのままいるみたいよ。」
邦子さんが口にしたのは、感謝の気持ちでした。
健くんの母 美谷島邦子さん
「さっきから話して、健ちゃんはみんなの心の中に、31年間ずっと生きていたんだなって。
いまも生きているかなって、すごい思った。
それだけで本当に十分。
ありがとう。」
健くんに会いに行く。
龍野さんの決意が固まりました。
登山当日です。
龍野さん親子は、急な斜面を一歩一歩、踏みしめるように頂上を目指します。
健くんの墓標にたどり着きました。
龍野右紀さん
「守り神になるので。」
健くんの母 美谷島邦子さん
「ほら、来たよ。」
31年ぶりの再会です。
龍野右紀さん
「けんか別れしたままだったね、ごめんね。」
龍野右紀さん
「僕の記憶の31年前の彼の状態で、“いいよいいよ”と笑っているような気がした。」
龍野さん親子が墓標から離れようとしたそのとき、一匹のチョウが周りを舞いました。
龍野右紀さん
「どこにも行かずに、ここで舞っている。
迎えに来てくれたような気がしない?
何か言いに来てくれたような気がしない?」
事故で幼くして命を失った友。
龍野さんは、その思いを受け止めました。
龍野右紀さん
「9年間で命を絶ってしまった。
けれどもそれは短い9年間ではなくて、短くても太い9年間だったはず。
そういった重みを(健くんが)いまのお前だったらわかるぞと、娘を通してチャンスをくれたんだと思う。」
別れた友と31年ぶりの再会
鈴木 「龍野さんは今後、事故を伝える活動を続けてきた、健くんのお母さんの邦子さんを支えていきたいと思っていて、当時の同級生たちにも呼びかけをしているということです。」


日報問題 閉会中審査/稲田氏らの招致が不可欠だ
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊の日報を巡る隠蔽(いんぺい)問題の真相解明とは、程遠い内容だったのではないか。
 きのう行われた衆院安全保障、参院外交防衛両委員会の閉会中審査である。
 小野寺五典防衛相の答弁は、防衛省幹部だけの関与を認定した「特別防衛監察」結果の枠を出なかった。野党から要求された再調査や資料公開にも応じない姿勢を示した。
 出席した防衛省関係者は「おうむ返し」のように答弁するだけで、中身に踏み込んだ説明を避けた。
 結局、最大の焦点だった稲田朋美元防衛相が日報データ保管の報告を受け、非公表方針を了承したのかどうか、不明瞭のまま。これで幕引きされれば「疑惑封じ」と受け止められても仕方があるまい。
 引責辞任した稲田氏と黒江哲郎前防衛事務次官、岡部俊哉前陸上幕僚長がいない場で、論議してもらちが明かないことがはっきりした。与党は3人の参考人招致に応じて説明責任を果たすべきだ。
 監察結果によれば、問題は昨年7月に情報開示を求められた日報について、部隊の情報保全や開示請求の増加を懸念して不開示にしたのが発端。その後、陸上幕僚監部や陸自で電子データが見つかったが、「適切な管理」という指導の名の下に削除された。
 政府関係者の話では、データ保管の報告を受けた稲田氏が緊急会議で非公表を了承したとされる。一連の経緯について報告を受けていないとした国会答弁について虚偽だった疑いも持たれている。
 稲田氏は「報告を受けたという認識はない」と主張しているが、監察結果は「(幹部が)何らかの発言をした可能性は否定できない」として、稲田氏が事実を把握していた可能性も排除していない。
 小野寺防衛相は監察結果と稲田氏との電話での事実確認を基にして、「報告がなかったという方は終始一貫しているが、報告したかもしれない方は意見が曖昧で二転三転した」と指摘。稲田氏の疑惑に疑問を呈した。
 しかし、監察の詳細な部分についてただされると、小野寺防衛相を含め防衛省関係者は一様に口をつぐんだ。聴取に応じていることを理由に「発言を差し控えたい」と語ったり、今後の監察業務への支障が出る恐れがあるといった理屈を並べ立てたりして、「逃げ」の答弁に終始した。
 根拠を示さずに、監察結果だけを信じろと言われても、一体誰が信じるのか。そもそも疑惑の渦中にあった稲田氏が命じた内部監察そのものの信ぴょう性に、疑問の目が向けられているからこそ、閉会中審査が開かれているのだ。
 小野寺防衛相は再発防止を強調したが、そのためには隠蔽体質にメスを入れなければ、対策も講じられまい。事実の徹底究明が最初に取り組むべき最重要課題である。


防衛省・自衛隊 日報隠しの闇は続く
 防衛省・自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)をめぐる閉会中審査が衆参両院で行われた。引責辞任した稲田朋美元防衛相ら関係者は出席せず、真相が解明されたとは言い難い。日報隠しの闇はどこまで続くのか。
 こんな不誠実な対応を繰り返しては国民の不信は解消されるどころか、深まるだけではないのか。南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣の陸上自衛隊部隊が作成した日報を、防衛省・自衛隊が組織的に隠蔽した問題である。
 まず問われたのは防衛省・自衛隊が日報を非公表とした経緯に稲田氏自身が関与したかどうかだ。
 防衛省が行った特別防衛監察は今年二月十三日と十五日の幹部会議で「陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」ものの書面での報告や非公表の了承を求めた事実はなかったと結論づけ、稲田氏の関与を否定した。
 しかし、十三日の幹部会議については、稲田氏が日報の存在を認識していたとうかがわせる手書きのメモの存在が報道されている。
 野党側は、この会議の出席者にメモに記載された内容の事実関係をただしたが「監察結果に記述されたとおり」と繰り返した。
 特別防衛監察で日報隠しの全容が明らかにされたとは言い難い上に、真相解明のための特別防衛監察が国会での真相解明を妨げては本末転倒だ。小野寺五典防衛相は再調査にも否定的である。
 ならば第三者による再調査が必要だ。国会も引き続き真相解明に努めるべきである。稲田氏だけでなく、黒江哲郎前防衛事務次官、岡部俊哉前陸上幕僚長ら関係者の参考人招致も求めたい。
 加えて解明すべき重要なことは日報に記された南スーダンの首都ジュバでの「戦闘」や宿営地近くでの「激しい銃撃戦」を、稲田氏や安倍晋三首相ら首相官邸がどこまで認識していたのかである。
 「戦闘」を認識しながら派遣を継続したのなら、PKO参加五原則を無視する判断であり、厳しく問われなければならない。認識していなかったのなら、重要な情報が報告されないという、文民統制を脅かす重大な事態だ。
 そもそも自衛隊がなぜ日報を公表しない判断をしたのか。そこに安全保障関連法に基づく「駆け付け警護」などの新しい任務を付与するには、撤収するわけにはいかないという政権への忖度(そんたく)はなかったのか。日報隠しへの稲田氏の関与と併せて解明すべきである。


稲田氏不在の国会質疑 これでは何もわからない
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題をめぐる閉会中審査が衆参両院の委員会で行われた。
 陸上自衛隊の日報データはなぜ隠蔽(いんぺい)されたのか。内部で発覚した後も存在を非公表とした経緯に稲田朋美元防衛相の関与はあったのか。
 こうした疑問の解明を図るはずの審査だったが、終日の質疑を経ても何も明らかにならなかった。
 新たに就任した小野寺五典防衛相は「つまびらかに国民に報告する」と答弁した。しかし、疑問解明のための再調査を拒否した。
 防衛省事務方の当事者である辰己昌良審議官は特別防衛監察の報告書に記されたこと以外「申し上げることは差し控えたい」と繰り返した。
 これでは真相究明にはほど遠い。
 焦点は、いったんは廃棄したと公表した陸自の日報データが存在することについて、2月中旬に2回行われた省内協議で稲田氏が報告を受けていたかどうかだった。
 小野寺氏は「(監察の聴取では)意見が分かれた。報告はないという人の話は終始一貫している。報告したという人の意見は二転三転し、あいまい」と説明した。だが、防衛監察本部の幹部は、何人ずつで意見が割れたのか、だれがどう言ったのかなどの詳細は明かさなかった。
 防衛省は監察の過程で得られた証言や資料などは情報公開法の「非開示情報」にあたると言う。
 しかし、きのうの質疑は国会が真相を究明する場だ。国会での答弁と情報公開を横並びにするのは違和感がある。防衛省はできる範囲で積極的に情報を公表すべきだ。
 稲田氏との協議に出席し真相を知る辰己氏は口をつぐんだ。事実関係すら明らかにしない態度は国民の不信を増幅させるだけだ。
 そもそもなぜ日報は隠蔽されたのか。昨年7月の首都ジュバでの「戦闘」状況が公開されれば、駆け付け警護の任務付与に影響を与えないかと考えたとしても不思議ではない。
 陸自データの非公表は防衛省高官が主導したが、稲田氏がこの報告を受けていたら隠蔽を追認したことになる。受けていないならシビリアンコントロール(文民統制)がなぜ働かなかったかの検証が必要だ。
 日報問題の疑問に答えられるのは稲田氏だけだ。


日報問題の審査/稲田氏の招致が不可欠だ
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡って、衆参の委員会で閉会中審査がきのう開かれた。稲田朋美元防衛相が、日報データの保管報告を受け、非公表方針を了承したかどうかの解明が焦点だった。だが肝心の稲田氏が出席せず、内閣改造で就任した小野寺五典防衛相や幹部らは従来の説明を繰り返すばかりで、一歩も前に進まなかった。
 これでは国民の疑念は晴れない。真相を明らかにするために、稲田氏の発言を直接聞く必要性がますます強まったといえる。政府・与党は引き続き閉会中の審査に応じ、参考人として稲田氏を国会に招致するべきだ。
 この問題では先月、特別防衛監察の結果が公表され、意図的なデータ廃棄や不開示の決定など、防衛省・自衛隊の隠蔽体質が浮き彫りとなった。責任を取って当時の稲田防衛相や事務次官らが辞任した。
 しかし、「廃棄済み」とされた日報データの存在を稲田氏が知り、非公表の方針を了承していたのかについては、不透明な結論だった。
 委員会では、この点に質疑が集中した。防衛監察本部の担当者は「関係者の証言があやふやで発言が特定できなかった」と、これまでと同様の答弁に終始した。陸上自衛隊が独自にまとめた調査結果などの資料の公開要求に、小野寺防衛相は「開示すれば今後の監察業務に支障をきたす」と応じなかった。
 稲田氏と幹部とのやりとりを記したとされるメモは存否すら答えず、第三者による再調査も否定した。質問や要求に対してゼロ回答である。
 先日の自民党の国防部会では「日報は公開すべきではない」とする意見が相次いだという。日報を開示対象から除いた陸自の対応を、職務遂行の義務違反とした監察結果と食い違う。国民には実態を知らせる必要はないと考えているのなら問題だ。
 相通じるのは「真摯(しんし)に説明責任を果たしていく」とする安倍晋三首相の発言と正反対の姿勢である。内閣を改造しても、政府・与党の体質は何ら変わってないのではないか。言葉通りの真摯な態度で臨まなければ、国民の信頼を取り戻すのは難しいことを知るべきだ。


日報問題審査 政権の隠蔽体質を疑う
 国会はきのう、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣した陸上自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡り、衆参両院の委員会で閉会中審査を行った。
 この問題で引責辞任した稲田朋美元防衛相が、日報データ保管の報告を受けて隠蔽に関わったのかどうかが最大の焦点だった。
 ところが与党側は稲田氏の招致に応じず、安倍晋三首相も出席しなかった。現職の小野寺五典防衛相はデータ保管の報告があったとされる会議記録などの公表を拒絶し、究明は空振りに終わった。
 あまりにも国会軽視が過ぎる。
 都合の悪い事実を押し隠す政権の姿勢は、学校法人森友学園や加計(かけ)学園の問題でもちらつく。
 首相が政治不信の解消を言うのであれば、日報問題の再調査に加え、早急に臨時国会を召集して国民の疑問に答えねばならない。
 日報問題の特別防衛監察の結果は、稲田氏出席の会議でデータ保管について「何らかの発言があった可能性は否定できない」と、曖昧な指摘にとどまっていた。
 きのうの審査でも担当者が「関係者の証言があやふやだった」と認めた。調査不足は明白だ。
 にもかかわらず小野寺氏は、監察の対象となった資料の公表について「開示すれば監察業務に支障をきたす」と応じなかった。
 だがこの問題は、文民である防衛相が部隊を統率できていたかというシビリアンコントロールの根幹に関わる。そこを素通りするのでは監察自体が存在意義を失う。小野寺氏の主張は本末転倒だ。
 自民党は稲田氏が閣僚を辞したことを理由に招致を拒んだが、国民への説明責任は何ら果たされていない。国会は稲田氏らの証人喚問も含め、追及を尽くすべきだ。
 政権の「隠蔽体質」が疑われるのは日報問題にとどまらない。
 森友学園問題では、国会で調査を拒否し続けた財務省の佐川宣寿前理財局長が、野党の追及を逃れるように国税庁長官に昇任。就任会見にすら応じないという。
 森友問題の質問を嫌ったのだろうが、税金を徴収する立場の長官が、国民の「知る権利」に応えずに理解が得られるだろうか。徴税業務にも影響が及びかねない。
 先の内閣改造では、加計学園問題に関わった文部科学相や地方創生担当相が軒並み交代した。「疑惑隠し」と取られても仕方ない。
 首相は一連の問題について「深い反省」を口にしたはずだ。ならばすべてを包み隠さず、国民に明らかにするのが筋だ。


日報隠蔽問題  うやむやでは終われぬ
 これでは隠蔽(いんぺい)の上塗りではないか。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽問題を巡る衆参両院の閉会中審査である。
 隠蔽への関与が疑われている稲田朋美元防衛相の参考人招致が与党の反対で実現せず、防衛省の特別防衛監察結果が全てだと言わんばかりの素っ気ない答弁が繰り返された。
 国民が抱く最大の疑念は、日報の電子データを陸上自衛隊が非公表にしたプロセスに稲田氏が関与したかどうかである。
 監察結果は、その疑問にきちんと答えず、曖昧なまま済ませている。事実解明に向けて野党が稲田氏らの参考人招致を求めるのは当然のことだ。にもかかわらず、政府・与党からは真相究明に消極的な姿勢しか見えてこない。
 自民党の国対委員長は稲田氏招致を拒否する理由について「稲田氏は聴取を受け、特別防衛監察という重い調査をした。それ以上はない」と記者団に説明した。真相究明より、幕引きを優先したい思惑が見え見えであり、こんな不誠実な態度では防衛省・自衛隊への信頼回復などできるはずがない。
 稲田氏の関与の有無を解く鍵は2月13、15日の防衛省内の幹部会議でのやりとりだ。
 監察結果では、稲田氏が日報のデータ保管の報告を受けた可能性を否定できないとした上で、非公表とする方針を了承した事実はないと認定した。一方、複数の政府関係者は報告、了承はあったと証言しており、食い違っている。
 小野寺五典防衛相は、監察結果は「しっかり結論を出した」と再調査の考えを否定。稲田氏に日報データを報告した際のやりとりが記されたとされるメモや、陸上自衛隊が問題の経緯をまとめ防衛監察本部に出した報告書の提出なども拒否した。
 資料を開示しない理由について小野寺氏は「今後の監察業務に支障をきたす」などと説明したが、それなら今後、特別防衛監察に対し、国会は十分な検証ができないことになる。日報問題が問うのは、防衛省・自衛隊の情報公開の在り方そのものだということを忘れるべきではない。
 日報は昨年7月の首都ジュバでの大規模武力衝突を「戦闘」などと記述。停戦合意などのPKO5原則に抵触しかねず、安全保障関連法に基づく「駆け付け警護」の新任務付与に不都合だった。隠蔽の真の狙いもうやむやなまま、幕引きにするわけにはいかない。


日報問題審査 「主役不在」で幕引きとは
 政府や与党は真相解明に背を向けて一体、何を守ろうとしているのだろう。国民の信頼回復も自衛隊員の安全も軽く考えているのではないか。
 衆院の安全保障委員会と参院の外交防衛委員会できのう、南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る閉会中審査があった。
 稲田朋美元防衛相の関与が最大の焦点だが、与党の反対で稲田氏は参考人招致されなかった。「辞任した大臣を国会に呼んではいけない」など理解不能の理由だ。
 予想されたこととはいえ、「主役不在」の審査は隔靴掻痒(そうよう)で真相に迫れなかった。後任の小野寺五典防衛相は「国民に申し訳ない」と陳謝したが、詳細な経緯を代弁できるはずもなかった。
 稲田氏に代わって野党の集中砲火を浴びたのが、防衛相直轄の防衛監察本部だ。
 特別防衛監察をしたのは、南スーダンの治安状況を「戦闘」と記載した派遣部隊の日報を陸上自衛隊が電子データで保管しながら「廃棄済み」と隠蔽した問題だ。
 隠蔽に稲田氏が関与したとの政府関係者の証言も明らかになったのに、特別監察は「陸自から稲田氏に日報データ存在の報告があった可能性は否定できないが、稲田氏が非公表を了承した事実はない」と疑問が残る結果に終わった。
 審査で何を聞かれても監察本部の職員は「答弁を差し控えたい」と繰り返した。監察対象の防衛省幹部も同様である。監察本部は関係資料の国会提出も拒んだ。小野寺氏も第三者機関などの再調査を否定した。これで幕引きを図るつもりなのだろう。その意図は単に稲田氏擁護だけではあるまい。
 「戦闘」の事実が当事者間の停戦合意など派遣条件を規定した「PKO参加5原則」に抵触し、隊員の生命を危険にさらす可能性がありながら派遣を続けた安倍晋三政権の責任が問われかねないからではないのか。国会の国政調査権まで軽んじる姿勢では、国民の信頼回復はますます遠ざかることに政府も与党も早く気付くべきだ。


[日報隠蔽 閉会中審査]「知る権利」への挑戦だ
 疑念は何一つ晴れなかった。防衛省の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る衆院安全保障委員会と参院外交防衛委員会の閉会中審査。小野寺五典防衛相は冒頭「国民に大変申し訳ない」と陳謝したが、その後の答弁では、全ては特別防衛監察の結果が示しているとして事実上の「ゼロ回答」を貫いた。
 だが、小野寺氏が「十分な調査がなされた」とする監察結果は、あまりにも不自然な点が多い。
 隠蔽問題の最大の焦点でもある稲田朋美前防衛相の関与について、「同省や陸自幹部との間で何らかの発言があった可能性は否定できない」としながら、発言を記す文書がないという理由で稲田氏が隠蔽を了承した事実はないと認定した。
 一方、丸井博副監察官は閉会中審査で、稲田氏の関与を示唆する「手書きメモ」の存在の確認を問われ、「確認しなかった」と答えた。あると報道されたメモを確認しなかったのに、文書がないから隠蔽了承の事実はないという監察結果は矛盾している。
 もしも稲田氏が隠蔽を了承したなら、「日報は見つからなかった」とした国会答弁は虚偽となる。逆に日報の存在を同省や陸自幹部が稲田氏に隠していたなら、政治が軍事に対して優位に立つ文民統制(シビリアンコントロール)が失われているということになる。
 同問題はどちらにしろ、防衛省に大きな課題があることを示すものだが、矛盾を抱えた監察結果は、そのどちらもうやむやにした。十分な疑惑解明がなされたとは到底言えない。
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 今回の閉会中審査は、この不十分な監察結果を補うはずだった。しかし与党は、疑惑の当事者である稲田氏や黒江哲郎前防衛事務次官、岡部俊哉前陸上幕僚長らの参考人招致を拒否。当事者として唯一出席した辰己昌良前統幕総括官は、「監察に話したこと以上は差し控える」と答弁を拒否し続けた。
 衆参委合わせて約8時間の質疑は、「明らかにできない」とする防衛省側と委員との押し問答に終始。空虚というほかなかった。
 小野寺氏は、「監察は高検の元検事長や現職の検事らが担当している」と繰り返し正当性を主張したが、聴取を受けた全員が、国会の場で不在または口をつぐむ中で、その言葉をうのみにすることはできない。
 そもそも日報隠蔽問題の発端は、昨年10月の陸自日報の情報公開請求に対し、防衛省が「廃棄済み」とうそをついたことにある。
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 当時は、自衛隊に新たに付与された「駆け付け警護」に関して、南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸自部隊の活動状況が注目されていた。同地での激しい「戦闘」を記した日報が開示されれば、安倍晋三政権はPKO派遣を維持できなくなった可能性がある。
 閉会中審査はそうした国民の疑問に答える場だ。監察結果をたてに一切の答弁を拒否する態度は、国民の知る権利を脅かす以外の何物でもない。


「日報」閉会中審査 国民の信頼が遠ざかる
 本来なら「主役」となるべき稲田朋美元防衛相は、肝心のこの場にいなかった。自民党が参考人招致を拒否したからだ。これでは真相が明らかになるはずもない。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の「日報」隠蔽(いんぺい)問題をめぐる閉会中審査が衆参両院の委員会で行われた。与党はこの日の開催までは同意したが譲歩はここまで。
 案の定、この問題の焦点である稲田氏の関与について、小野寺五典防衛相はあいまいな結論だった特別防衛監察結果をなぞっただけだった。
 監察結果は、防衛省、陸上自衛隊幹部が稲田氏に日報に関して説明したと認めたが、稲田氏がデータ存在の報告を受けて非公表方針を了承した事実はないとした。
 しかし、その根拠は稲田氏自身らの否定という極めて希薄なものにすぎない。それを否定する政府関係者の証言や報道が相次ぐ。
 だからこそ、関係者の証言の食い違いをたださねばならなかった。
 しかし、稲田氏へ報告した際のやりとりを問われた防衛監察本部の担当者は「関係者の証言があやふやで発言が特定できなかった」。稲田氏に説明した防衛省幹部も「私の立場から申し上げるのは差し控えたい」と繰り返した。
 小野寺防衛相は謝罪の言葉を連ねて低姿勢に徹したが、その中身はこれまでと変わらない。第三者機関も含めた再調査を否定。野党が要求した資料の公開や提出についてもゼロ回答だった。
 要するに、特別防衛監察結果の段階から、ほとんど一歩も前に進まない。稲田氏ら防衛省、陸自トップが辞任して終わりというのでは、国民のイライラは募るばかり。特別監察の対象外だった稲田氏の招致が欠かせないだろう。
 安倍晋三首相は内閣改造後の記者会見でこの問題などに触れ「改めて深く反省し、おわび申し上げる」と頭を下げた。「国民の声に耳を澄ませる」とも語った。
 内閣支持率の急落を受けて「丁寧」「謙虚」がこれからの政権運営のキーワードになった。閉会中審査はその試金石だった。
 安全保障政策を大きく転換させたPKOに絡んで失った国民の信頼を取り戻す好機だったのに、それをみすみす逃したことは残念だ。現場で汗を流してきた自衛隊員も同じ思いではないか。
 2017年版防衛白書では日報問題に触れなかった。防衛省を揺るがせた事態に「ふた」をしようとしているのかとさえ思う。
 情報公開と文民統制の機能不全があらわになった。国民の信頼に直結する問題を軽くみているとしたら、これほど危ういことはない。


改造内閣の課題 「謙虚に」の具体化が鍵
 内閣改造を行った安倍晋三首相の大きな課題は、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設計画や、南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報隠蔽(いんぺい)問題などで疑惑を受けた国民の信頼を取り戻すことだろう。
 しかし二つの問題への対応は、林芳正文部科学相と小野寺五典防衛相に犂歸蠅沖瓩靴審聞イ澄3愽新設に関して「総理の意向」などと記された文書を巡り、文科省と内閣府の主張が真っ向から対立している。首相自身が真相解明のため、政府内の徹底した調査を指示し、長年の友人である加計学園理事長の国会招致も実現に向け主導権を発揮すべきではないか。
 PKO日報問題では、衆参両院の委員会で閉会中審査が行われたが、辞任した稲田朋美元防衛相の参考人招致を自民党が拒否した。だが稲田氏に対しては、日報の保管データの非公表方針を了承していたとの疑惑が持たれている。
 改造直後に実施した共同通信社の電話世論調査では、安倍内閣の支持率は44・4%と前月より8・6ポイント上昇、不支持と拮抗(きっこう)した。しかし、他社調査では依然として不支持が支持を上回っているのが大半だ。江崎鉄磨沖縄北方担当相の「役所の原稿朗読」発言で、支持回復に向けた首相の思惑がくじかれた感がある。
 安倍首相は改造後の記者会見で、執念を燃やす憲法改正に関し「日程ありきではない」と軌道修正した。秋の臨時国会への自民党案提出と2020年の改正憲法施行を掲げていたが、強引に進めれば、来秋の党総裁選での3選に加え、改憲自体も困難になるとの危機感があったと思われる。
 政策課題では「経済最優先」を強調した。内閣改造のたびに用いるフレーズだが、アベノミクスは失速気味で、国民の多くは景気回復を実感していないのが現状だ。
 野党第1党の民進党は蓮舫氏の辞任表明に伴う代表選を実施する。東京都の小池百合子知事に近い若狭勝衆院議員が政治団体「日本(にっぽん)ファーストの会」を設立、年内との観測も出始めた次期衆院選に向け、自民党に代わる受け皿づくり論議が活発化する見通しだ。
 首相は批判を受けた際に「謙虚で丁寧な」政権運営に心掛けると、よく口にする。しかし、実践されていないという不信が国民の間に広がっているのだ。謙虚さ、丁寧さをどう具体化するのか、それが政権の浮沈、選挙に直結することを肝に銘じるべきだろう。


政権の信頼回復 程遠い/PKO日報閉会中審査
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る閉会中審査が衆参両院の委員会で開かれた。
 組織的な隠蔽への当時の稲田朋美防衛相の関与の有無が問われているのにもかかわらず、与党側は稲田氏の参考人招致を認めなかった。安倍晋三首相も出席しなかった。
 防衛省の防衛監察本部が実施した特別防衛監察は稲田氏の関与に関してあいまいな記述になっている。だが、野党側の質問に対して監察本部の担当者は「関係者の証言があやふやで発言が特定できなかった」と従来の説明を繰り返し、防衛省幹部も明確な答弁を避けた。
 小野寺五典防衛相は稲田氏に日報データを報告した際のやりとりが記されたとされるメモや、陸上自衛隊がまとめた内部調査結果の公開と、国会提出を拒否した。
 国民への説明責任を尽くそうという真摯(しんし)な姿勢は示されなかったといえる。内閣改造後の記者会見で首相が強調した「謙虚に、丁寧に」という言葉とは反対の対応だった。内閣支持率の下落を受けた安倍政権の「低姿勢」がうわべだけならば、信頼回復には程遠いと言わざるを得ない。
 稲田氏の関与に関して監察結果は、2月の報告の際に陸自の日報データ保管について「何らかの発言があった可能性は否定できない」としながらも、同時に「書面を用いた報告や、非公表の了承を求める報告がされた事実はなかった」とした。
 あいまいな記述で「口頭での報告」はあったのかとの疑問が生じる。その疑問点を明確にするのが国会の責務だ。関係者の証言が食い違うのならば、稲田氏の説明を聞くのは当然だろう。
 日報の隠蔽問題が深刻なのは、極めて重要な政策決定に関係するからだ。昨年7月に南スーダンの首都ジュバで起きた政府軍と反政府勢力の激しい紛争を日報は「戦闘」と記録していた。
 安倍政権は、昨年3月に施行された安全保障関連法に基づく新たな任務「駆け付け警護」の付与を検討していた。「戦闘」と記述した日報が公開されれば、PKO派遣が継続できなくなった可能性がある。
 昨年11月に安倍政権は新任務付与を決定したが、派遣を継続して安保関連法の実績をつくるため、日報隠しの配慮が陸自内で働いた疑念は拭えない。


日報問題 稲田氏の招致が必要だ
 疑惑の当事者は出席せず、経緯を調べた担当者は公表済みの結果を説明するばかり。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る衆参両院の閉会中審査は、進展がないまま終わった。これではとても信頼を取り戻せない。
 焦点は稲田朋美元防衛相の関与の有無だった。廃棄済みとされたデータが陸上自衛隊に残っていたものの、事実が伏せられた。複数の政府関係者は、稲田氏が報告を受け、事務次官の意向に沿って非公表とする方針を了承したと証言している。
 一方、7月下旬に公表された特別防衛監察の結果は、稲田氏が報告を受けた可能性は否定できないとしつつ、非公表を了承した事実はないと結論付けた。
 2月中旬に次官らが稲田氏に日報の情報公開業務の流れなどを説明していた。この時、どんなやりとりがあったのか。報告を受けていたなら国会で虚偽の答弁をしたことになり、非公表方針を知らなかったのであれば組織を統率できていなかったことになる。
 稲田氏本人に詳しい事情をただすべきなのに、与党の反対で参考人招致されなかった。監察本部に述べた内容に間違いがないか、小野寺五典防衛相が稲田氏に確認したとするにとどまる。
 報告の場に同席していた防衛省の審議官は、監察で話した以上のことは「差し控えたい」とし、詳細を明かさなかった。やりとりを記したとされるメモや陸自の内部調査結果について省側は「資料を開示すれば今後の監察業務に支障を来す」と公開を拒んだ。
 大臣が存在を承知していたのではないかという重大な点で言い分が食い違っている。にもかかわらず、小野寺氏は監察で「しっかりした結論を出した」として再調査を否定した。
 先ごろ閣議報告された2017年版防衛白書は、南スーダンPKO部隊への安全保障関連法に基づく駆け付け警護の新任務付与を詳述する一方、日報問題には触れなかった。正面から向き合おうとする姿勢がうかがえない。
 実力組織である自衛隊に対するシビリアンコントロール(文民統制)にも関わる問題だ。事実関係をはっきりさせなければ、不信感は消えない。
 与党は稲田氏の参考人招致に応じるべきだ。退任した次官らにもいきさつをただす必要がある。小野寺氏には監察結果の基になった資料の公開とともに、第三者による再調査を求める。


PKO日報 閉会中審査 「証言あやふや」で済まぬ
 特別防衛監察の結果に全て反映しているから、個別の証拠や証言には触れない―。南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡り開かれた衆院安全保障と参院外交防衛の両委員会の閉会中審査で、政府側はこんな答弁に終始した。これでは国民の疑念は晴れない。
 焦点の稲田朋美元防衛相が日報データの保管の報告を受け、非公表方針を了承したかに関しては、防衛監察本部が「証言があやふやで発言が特定できなかった」との答弁を繰り返した。「謙虚に丁寧に」を掲げて船出した新内閣のはずが、早くも「疑惑隠し内閣」体質を露呈させたと言わざるを得ない。
 そもそも渦中の稲田氏、黒江哲郎事務次官、岡部俊哉陸上幕僚長の参考人招致について、辞任を理由に認めなかった時点で政府が本気で解明しようという気はなかったとみるべきだろう。安倍晋三首相の姿もなかった。就任したばかりの小野寺五典防衛相は低姿勢を見せたが、監察結果の正当性を専ら強調しただけ。陸上自衛隊の内部調査結果などの公表も拒み続けた。
 問題は稲田氏の関与を巡る監察結果で、2月の報告の際、陸自日報データの保管について「何らかの発言があった可能性は否定できない」とする一方、「書面を用いた報告や、非公表の了解を求める報告がされた事実はなかった」とあいまいに記されていたことだ。
 監察本部は、報告があったとする証言者の供述が二転三転したなどと説明。日報データを報告した際のやりとりが記されたとされるメモに名前があり、その場に「居合わせた」と証言した防衛省の辰巳昌良審議官は「(答弁を)差し控えたい」と逃げた。
 防衛省側は「個別の証言を明らかにすれば、今後、監察に協力してくれない恐れがある」などと国会軽視とも受け取れる説明をしたが、それならば、その場にいた全員を呼んで答弁させるべきだ。監察本部は防衛相の指揮で設置され、防衛相ら政務三役は調査対象ではない。稲田氏からも聴取したというが適切かどうか疑義が残る。第三者機関での再調査が必要だが、小野寺氏はこれも拒否した。
 日報は、昨年7月に南スーダンで起きた政府軍と反政府勢力の「戦闘」を記録。監察結果では、同時期にあった日報開示請求に対して、派遣部隊の上級部隊である中央即応集団の幹部が「部隊情報の保全や開示請求の増加に対する懸念」があり、該当文書から外すよう動いたとしている。
 政府はこのころ安全保障関連法に基づく新たな任務「駆け付け警護」の付与を検討していた。この日報が公開されれば、PKO派遣5原則に基づき派遣自体が中止になる可能性もあった。陸自が不開示を決定したというが、政府に忖度(そんたく)した可能性はないのか。
 さらにはそんな重大な日報が首相に報告されていなかったのか。疑念は膨らむばかりだ。安倍政権が「監察結果ありき」で押し通すなら信頼回復は程遠い。


日報問題 閉会中審査 稲田氏自ら説明尽くせ
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報隠蔽(いんぺい)を巡る問題で、衆参両院の委員会で閉会中審査があった。
 組織的隠蔽への関与の有無が焦点となっている稲田朋美元防衛相の姿はなく、解明はまったく進まなかったといえる。
 稲田氏は在任中、「特別防衛監察の結果が出たら国会で説明する」と繰り返したではないか。当事者として、出席して説明責任を果たすのが筋だろう。
 3日に就任した小野寺五典防衛相は両委員会で冒頭、「情報公開の重要性の認識が十分ではなかった」などと謝罪の言葉を重ねながら、7月28日に公表された特別防衛監察の結果を淡々と報告した。
 ただ、特別防衛監察の結果は稲田氏の関与についてあいまいな記述にとどまる。陸上自衛隊や防衛省の幹部から、稲田氏に日報取り扱いなどの説明があったことは認めているものの「日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」と断定を避けている。
 日報を非公表とする方針を決定・了承したことはなかったとも結論付けているが、関与の有無がはっきりしたわけではない。「書面を用いた報告や、非公表の了解を求める報告がされた事実はなかった」との記述はかえって「口頭での報告」はあったのかといった疑念も生む。
 複数の政府関係者は稲田氏が報告を受け、非公表とする方針を了承したと証言しており、陸自が監察本部に提出した内部報告書にも記されているという。野党の追及を受けた監察本部の担当者は「関係者の証言があやふやで発言が特定できなかった」などとの説明に終始した。
 小野寺防衛相も省幹部も明確な答弁を避け、調査の詳細を問われると「監察の性質上答えられない」「今後の監察が難しくなる」などとかわした。事実をつまびらかにできないなら何のための監察なのだろう。
 閉会中審査は特別防衛監察の結果を受けて疑問点を明らかにするための機会ではなかったのか。政府には、国民へ説明を尽くそうという姿勢がまったくうかがえない。
 野党は日報データがあったとの報告を受けた稲田氏が、国会で「なんて答えよう」などと発言したとされるメモをパネルで示し、その場に居合わせたとされる防衛省の辰己昌良審議官も追及した。「こうした発言があったことを特別防衛監察に認めたか」などと問われた辰己氏は「差し控えたい」と繰り返すばかりだった。
 この問題を巡り、防衛相、事務次官、陸上幕僚長の3人が辞任したことについて、小野寺防衛相は反省を込めて「異常な状況」であるとも述べた。そう認識しているならば、一刻も早く信頼を回復するため率先して稲田氏に説明を求めるべきではないか。日報の隠蔽問題は、文民統制(シビリアンコントロール)が機能していたかも問われる重大な事態である。
 小野寺防衛相は、特別防衛監察の結果を「しっかりした結論を出したものだ」として再調査や、陸自の内部報告書など関係資料の公表も拒否している。
 だがそもそも監察本部は防衛相の指示で設置されるものであり、調査には限界があったといえよう。第三者機関による調査が求められる。


日報隠蔽問題国会審査 稲田氏不在の幕引き許されない
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡って、衆参両院で閉会中審査が行われた。疑惑の渦中にある稲田朋美元防衛相は不在。防衛省幹部は「答えを差し控えたい」と繰り返し、議論は案の定、平行線をたどった。政権、政府にまん延する隠蔽体質は何一つ改まっておらず、国民の疑念は全く解消されないままだ。
 安倍晋三首相が出席しなかったのも問題である。首相は稲田氏の任命責任を認め陳謝した。閣僚辞任のたびに任命責任を口にするが、責任を取ったことは一度もない。今回も自民党が稲田氏の参考人招致を拒否したことを、首相は黙認した。「疑惑隠し」の批判は免れまい。「丁寧な説明」を誓った以上、稲田氏が国会で疑問に答えるよう指示するのが筋だ。首相も稲田氏も説明責任から逃げ続けることは到底許されない。
 最大の焦点は、稲田氏の隠蔽への関与の有無だ。2月の会議で稲田氏は日報のデータが残っていたとの報告を受け、非公表を了承したと複数の政府関係者が証言している。ところが特別防衛監察の報告書では「日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」としながら、稲田氏がデータ公表の是非を了承した事実はない、と曖昧にされている。
 真相解明には2月の会議のやりとりが鍵になる。審査で、防衛監察本部の担当者は「証言があやふやで発言が特定できなかった」と説明、会議に出席した辰己昌良審議官は発言の内容や入手した資料の開示を拒んだ。「内容を明かすと監察への対抗策が講じられ、今後の業務に支障がきたす」からという。監察を口実に説明を拒む姿勢に、反省の気持ちはみじんも感じられない。報告書の根拠とした資料などの開示なくして疑惑は拭えないと肝に銘じる必要がある。
 小野寺五典防衛相が「報告書はしっかりした結論を出した」と再調査を否定したのも甚だ疑問だ。そもそも今回の監察は、統率力不足を指摘された稲田氏が批判をかわすために始めたとみられる。本来は監察対象外の稲田氏自らも聴取を受ける異例の展開になりはしたが、いわば「お手盛り」の調査で「しっかりした結論」が導き出せるはずはない。第三者機関による調査を実施するべきだ。
 再発防止策として、小野寺氏は文書不存在として開示しなかった案件を調査する「情報公開査察官」の新設を発表した。しかし問題の真相が分かってこそ実効性のある再発防止策が講じられるはず。報告書では実在した文書を組織ぐるみで隠蔽した背景に踏み込んでいない。事実がうやむやのままでは、過ちが繰り返される恐れがある。
 今回の審査で幕引きを図ることは当然できない。森友・加計学園問題も疑惑は深まるばかりだ。首相は憲法に基づき野党が求める臨時国会を速やかに召集し、自らが真相解明の先頭に立たねばならない。


日報閉会中審査 肝心の稲田氏抜きでは
 主役抜きでは、疑惑を到底解明することはできない。稲田朋美元防衛相の参考人招致を拒んだ与党の姿勢も厳しく問われよう。
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る閉会中審査が、衆参両院で開かれた。
 最大の焦点は、稲田氏が日報データの保管の報告を受けて、非公表とする方針を了承したかどうかにあった。
 しかし、小野寺五典防衛相は稲田氏に、防衛監察本部に述べた内容に間違いがないか確認したと明言。その上で「報告書はしっかりした結論を出した」とし、第三者機関も含めた再調査は否定した。
 さらに稲田氏に日報データを報告した際のやりとりが記されたとされるメモや、陸上自衛隊がまとめた内部調査結果の公開や提出を野党に求められたが、これも拒否した。
 閉会中審査は真相を明らかにする場だ。当事者である稲田氏が事実を丁寧に語らなければ「疑惑隠し」という言葉が付いて回るだろう。
 黒江哲郎前事務次官ら5人が懲戒処分を受けた憂慮すべき問題である。稲田氏は辞任をもって責任を取ったとしたのだろうが、説明責任は免れない。
 そもそも、7月28日に公表された特別防衛監察結果は納得できるものではなかった。
 監察結果は、2月13、15日に当時統合幕僚監部の総括官だった辰己昌良審議官ら防衛省、陸上自衛隊幹部から稲田氏に日報に関する説明があったと指摘した。その際のやりとりの中で「日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」とした上で、稲田氏がデータの存在を公表するかどうか決定、了承した事実はないと認定している。
 だが、複数の政府関係者は、稲田氏がデータが存在するという報告を受け、黒江氏らの意向に沿った非公表方針を了承したと証言している。
 防衛官僚中心の内部部局と陸自の対立が深まっている。この食い違いを放置し続ければ禍根を残すことになろう。
 今回、真相解明に消極的な姿勢を印象づけたのは、日報に関する説明を稲田氏に行った辰己審議官の対応だった。
 手元の資料に視線を落としながら「(答えを)差し控えたい」と繰り返すばかりで、議事が中断される一幕もあった。あまりにも不誠実ではないか。
 安倍晋三首相は3日、内閣改造・自民党役員人事後の記者会見の冒頭で、反省とおわびに言及して頭を下げた。
 日報隠蔽問題のほか、学校法人「加計(かけ)学園」を巡る国会審議での野党質問への態度が慢心の表れと受け止められ、内閣支持率が急低下したことを忘れてはならない。
 ただ姿勢だけを低くしても、疑惑に対して丁寧に説明を尽くさなければ、再び民心は離れよう。首相は、稲田氏と共に、日報問題に真摯(しんし)に対応すべきだ。有言実行を肝に銘じてもらいたい。


【日報隠蔽審査】稲田氏抜きで解明できぬ
 「主役」を欠いては、議論が深まるはずもない。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る衆参両院の閉会中審査は、疑惑の核心を何ら解き明かせなかった。
 焦点は、稲田前防衛相が防衛省・自衛隊幹部の非公表方針を了承し、隠蔽に関与したかどうか。その稲田氏をはじめ当事者が不在では、閉会中審査を開く意味があったのかさえ疑わしいほどだ。
 防衛省の特別防衛監察結果は、防衛官僚や陸自幹部が稲田氏に日報に関する報告をした事実は認定した上で、出席者から「データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」とする一方、稲田氏が隠蔽を了承した事実はないと結論付けた。
 稲田氏はデータの報告自体もなかったと全面否定する。監察結果は事実認定が曖昧で、疑義を残している。報告を巡り何があったのか―。その解明がポイントだった。
 しかし、監察本部も、報告の場に出席していた自衛隊幹部も「個人が特定される」を理由に出席者の人数さえ説明を拒み、聴取内容を明かさなかった。
 詭弁(きべん)というものだ。防衛官僚も制服組も公務に携わる「公人」であり、しかも最高幹部らだ。秘匿対象にはなり得ないだろう。当事者の特定は説明責任の入り口である。
 稲田氏が日報データの報告を受け「(国会で)何て答えよう」と発言したとする手書きメモの存在も報道されている。だが、防衛省側は出所不明や監察対象だったことを理由に、その存否さえ説明しようとしなかった。
 加計(かけ)学園問題を巡る内部文書を菅官房長官らが「出所不明の怪文書」と切り捨てた後、当局の再調査で確認された経緯がある。なぜ国民の不信を招いているのか。防衛省には自覚が欠けている。
 防衛省側の答弁は監察結果の範囲を出ようとしなかった。稲田氏の後任の小野寺防衛相も「反省」を口にしながらも監察結果を追認し、第三者機関による再調査も拒否した。事実解明を託された監察結果が逆に疑義を深めたことに真摯(しんし)に向き合うべきだ。
 稲田氏は大臣辞任で引責とはならない。国会で国民の疑問に答えることが前提であり、そこからしか真相の究明には入れない。
 安倍首相が言う「丁寧な説明」とは何なのか。臨時国会に応じない首相や稲田氏らの招致を拒む与党の姿勢は「1強」の横暴そのものだ。
 日報は防衛省・自衛隊内の約190人が保有していた。組織的な隠蔽体質を物語ろう。データ隠しの発端になった制服組の独断が横行していないか。文民統制は機能しているのか。民主主義下の実力組織の根幹が揺らいでいる。
 稲田問題の根は深い。このままの幕引きを国民は決して認めまい。民意の信頼を得られない組織に再発防止はできない。


[日報隠蔽審査] 稲田氏の出席欠かせぬ
 これで幕引きを図るなら国民の理解は到底得られまい。
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡り、衆院安全保障委員会と参院外交防衛委員会の閉会中審査が開かれた。
 陸上自衛隊に残っていた日報を非公表とした決定に、稲田朋美元防衛相が関与していたかどうかが最大の焦点だった。だが、議論は平行線をたどり、事実解明は進まなかった。
 というのも、問題の当事者である稲田氏の出席を与党が拒否したからだ。結果はある程度予想されたことだった。
 安倍晋三首相は内閣改造後の記者会見で、「国民の声に耳を澄ます」と語っていた。そうであるなら、稲田氏を出席させて答弁させればいいはずだ。
 稲田氏が野党の追及を受け、窮地に追い込まれる状況を避けたかったのだろう。これでは説明責任を果たしたとはいえない。改めて稲田氏を出席させ、ただす必要がある。
 閉会中審査は、防衛省による特別防衛監察の結果公表を受けて開かれた。
 稲田氏の関与の有無を解明するポイントは、2月13日と15日の防衛省内でのやりとりである。監察結果は防衛省と陸自幹部から稲田氏に日報に関する説明があったと指摘した。
 その際「日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」としたものの、稲田氏がデータの存在を公表するかどうか決定、了承した事実はないと結論付けた。
 だが、複数の政府関係者は、稲田氏がデータ存在の報告を受け、黒江哲郎前事務次官の意向に沿い非公表方針を了承したと証言している。食い違いは明らかだ。
 小野寺五典防衛相は、監察本部に述べた内容に間違いがないか稲田氏に確認したとし、「報告書はしっかりした結論を出した」と第三者機関も含めた再調査を否定。やりとりが記されたとされるメモなどの公開や提出も拒否した。
 防衛監察本部の担当者は「答えを差し控えたい」と繰り返した。これでは詳細は分からず、真相解明は遠のく。
 日報問題では、稲田氏のほか黒江事務次官と岡部俊哉陸上幕僚長の3人が辞任した。
 閉会中審査は、建設的な議論をし、国民の信頼回復を取り戻す場でもあろう。だが、主役の稲田氏不在ではらちが明かない。
 安倍政権は、自衛隊という実力組織の統括が土台から揺らいでいることを直視すべきだ。


菅氏の「誤説明」 「条件隠し」を強く疑う
 垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの飛行自粛を求めた際に「運用上必要なものを除く」との条件を付けたかどうかで、要請の重み、効果は大きく変わる。その当然の認識が菅義偉官房長官には欠けている。
 米軍普天間飛行場所属オスプレイの豪州での墜落事故を受けた米側への飛行自粛要請について、菅氏は条件付きだったとの説明を訂正した。「条件を付すことなく」要請していたというのである。
 菅氏は小野寺五典防衛相の米側への申し入れについて「条件付き」要請を明言していた。小野寺氏は「(運用上必要なものを除くとは)言っていない」とし、説明が食い違っていた。
 菅氏が挙げる誤った説明を招いた理由は、到底納得できるものではない。
 小野寺氏に対して米側が「運用上必要な飛行である」と説明したことを「取り違えて秘書官から報告された」とした。だが、防衛省関係者は「自粛要請は運用上必要な場合を除きということをもともと含んでいる」と明言していた。菅氏は、秘書官に責任を押し付けているようにしか見えない。
 たとえ秘書官が取り違えたとしても「運用上必要なものを除く」との条件を付けた要請に、疑問を持たなかったのだろうか。飛行自粛につながらないことは明白であり、再度確認すべきである。
 菅氏は「運用上必要なものを除く」との条件を付けた飛行自粛要請を当然視していたのではないか。要請は形だけでいいとの認識があったのではないか。
 その証拠に、自粛要請を米側が無視し、米軍が沖縄県内で飛行を再開しても、政府は一切抗議していない。
 それどころか、菅氏は米軍が自粛を拒否する理由を「現下の厳しい安全保障環境を考えたとき、米側は運用上必要だと判断したと思う」と説明した。米側に代わって自粛拒否を正当化していることは看過できない。
 菅氏が条件付き要請を明言した際の小野寺氏の発言も理解し難い。「米側に求める立場にいるのは私だ」とした上で、菅氏の発言について「言い方を少し変えて言った中で、そういう言葉になったのではないか。(自身との)齟齬(そご)はない」と述べた。
 小野寺氏は、条件を付けていない全面的な自粛要請だとしながら、条件を付けたとの発言とは食い違いがないとしている。そんな論理が成り立つはずがない。安倍政権の隠蔽(いんぺい)体質からして「条件隠し」さえ強く疑われる。
 北海道で始まった陸上自衛隊と米海兵隊の共同訓練で、普天間飛行場所属のオスプレイは初日の参加を見送った。北海道では地元自治体の要望を受け入れたのに対し、沖縄では米側は県の抗議にも耳を傾けずに飛行を再開し、政府も容認している。この二重基準も許し難い。


オスプレイ事故◆飛行停止と安全確保求めよ◆
 重大な事故が起きた場合、まず安全を確保した上で原因究明を尽くすのが当然の対応だろう。だが日米間ではその当たり前の原則さえ守られないのが現実だ。
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の新型輸送機オスプレイがオーストラリア沖で墜落、海兵隊員3人が死亡する事故を受けて、日本政府が国内での飛行自粛を申し入れたにもかかわらず、米軍は沖縄県内で飛行させた。
小林市上空で損壊も
 普天間所属のオスプレイは昨年12月に沖縄県名護市の浅瀬に不時着、大破する事故を起こしたが、その際も事故からわずか6日後に運用が全面再開されている。
 2012年に普天間に配備されたオスプレイは全国の米軍基地や自衛隊駐屯地に飛来。陸上自衛隊も導入・配備を計画しており、関係地は全国に広がる。
 本県では、航空自衛隊新田原基地(新富町)の航空祭でオスプレイが展示されたのを除いて、県内の上空を飛行したとの情報はない。だが小林市の上空で2014年6月、普天間所属のオスプレイが被雷してプロペラを損壊していたことが今年1月に分かり、市民から不安視する声が上がった。
 米軍は今回の事故後の飛行について「安全性を確認した」とするが、事故原因は明確になっていない。関係地から上がる不安の声に耳も貸さないのか。日本政府は米側に飛行を直ちに停止し、事故原因の究明と説明を尽くすよう求め続けるべきだ。
 オスプレイは開発段階からトラブルが相次いでいる。事故時の態様はさまざまだがなぜ重大事故が相次ぐのか。機体自体の構造的な欠陥であれ、人為的なミスであれ、関係地の不安は募る。
 日本政府の対応も腰が引けている。小野寺五典防衛相が事故直後に米側に申し入れたのは、あくまで「自粛」であり、「飛行停止」ではない。
当事者能力ない政府
 8日に公表された17年版の防衛白書は、昨年の沖縄での事故を踏まえて「米側に対し、安全面に最大限配慮するとともに、地域住民に与える影響を最小限にとどめるよう求めていく」と明記したが、その言葉が実行されているとは言い難い。
 沖縄県の翁長雄志知事が「日本政府に当事者能力がない。国民を守る気概があるのか」と批判したのは当然だ。
 江崎鉄磨沖縄北方担当相は記者会見で「地位協定をもう少し見直さないといけない」と発言。「米国に言うべきことを言い、話し合うべきだ」と述べた。まっとうな考えだ。
 ところが安倍政権の方針と異なるため、閣内不一致との指摘を恐れたのか、会見から数時間後に「政権の方針に沿った発言だ」と軌道修正した。当初の言葉が本心ならば主張通りに行動すべきだ。その覚悟もなく発言したとすれば閣僚失格と言わざるを得ない。


オスプレイ事故 飛行停止し安全確保を
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の新型輸送機オスプレイがオーストラリア沖で墜落し、海兵隊員3人が死亡する事故が起きた。米軍は事故の深刻度を最も重大な「クラスA」にあたると発表。これを受けて、日本政府が国内での飛行自粛を申し入れたにもかかわらず、米軍は沖縄県内でオスプレイを飛行させた。
 重大事故が起きた場合、まず安全を確保した上で原因究明を尽くすのが当然の対応だが、信じられない思いである。日米間では当たり前の原則さえ守られないのが現実だ。ここは日本の空である。
 事故原因の究明まで飛行中止を求めている沖縄県では「軍事優先でやりたい放題だ」と批判の声が上がっているが、当然のことだ。
 普天間所属のオスプレイは、昨年12月に沖縄県名護市の浅瀬に不時着、大破する事故を起こした。その際も事故からわずか6日後に運用が全面再開されている。
 米軍は今回の事故について、事故を起こした部隊による48時間の運用停止と初期の事故調査などを踏まえた結果、オスプレイの安全を確認した上で飛行を継続する決定をしたとの声明を発表した。ただ、具体的根拠や事故原因は明らかにはしていない。日本政府は米側に飛行を直ちに停止し、事故原因の究明と説明を尽くすよう求め続ける必要がある。
 またオスプレイが、北海道で実施される陸上自衛隊と米海兵隊の共同訓練について、28日までの期間中に参加する可能性が高くなったという。沖縄県外でも飛行するとなれば、関係地からの反発も強くなろう。
 オスプレイは開発段階からトラブルが相次ぎ、量産決定後の2012年にモロッコで、15年には米ハワイ州で死亡事故を起こしている。今回の事故は海上で輸送揚陸艦への着艦中にデッキに衝突し墜落した。事故時の態様はさまざまだが、なぜ重大事故が相次ぐのか。機体の構造的な欠陥であれ、人為的なミスであれ、佐賀空港への配備計画が持ち上がっている佐賀県を含め、関係地の不安は募る。耳を傾けるべきだ。
 日本政府の対応も腰が引けている。小野寺五典防衛相が事故直後に米側に申し入れたのは、あくまでも「自粛」であり「飛行停止」ではなかった。
 今回の事故を受け、防衛省から配備要請を受けている佐賀県の山口祥義知事は「しっかりとした事故原因の報告を」と求めた。記者会見では、原因究明がなければ計画の受け入れ可否の判断を示すことはないと明言している。当たり前のことである。
 配備計画ではノリ養殖場の真上が飛行ルートになっている。漁業者にとっては、事故があるたび、原因がはっきりしないのが一番不安だろう。仮に海上にオスプレイが不時着しただけでも、ノリ養殖に多大な影響が出る。
 佐賀県にとっては、配備計画に関し、漁業者から聞き取った意見を国に届けようと準備していたタイミングでの重大事故だった。県としては、漁業者の繁忙期となるノリ漁期の9月までの判断を目指していたかもしれないが、ずれ込む可能性がある。安全の問題をないがしろにして、スケジュールありきで軽々に進めるべきではない。このままでは県民の国策への不信は募るばかりだ。(横尾章)


オスプレイ事故/運用面の安全が不可欠だ
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の新型輸送機オスプレイがオーストラリア沖で墜落、海兵隊員3人が死亡する事故を受けて、日本政府が国内での飛行自粛を申し入れた。米軍は通常通りオスプレイの飛行を継続しているが、まず原因の究明を優先させなければ、安心感は得られない。
 重大な事故が起きた場合、まず安全を確保した上で原因究明を尽くすのが当然の対応だ。だが日米間ではその原則に立ち戻って対応を検討してほしい。
 普天間所属のオスプレイは昨年12月に沖縄県名護市の浅瀬に不時着、大破する事故を起こした。その際は事故から6日後に運用が全面再開されている。
 2012年に普天間に配備されたオスプレイは全国の米軍基地や自衛隊駐屯地に飛来。陸上自衛隊もオスプレイの導入・配備を計画しており、今後、関係地は全国に広がる。
 米軍は今回の事故後の飛行について「安全性を確認した上で、運用上必要だと判断した」と説明した。在日米海兵隊は「地域の平和と安全確保に欠かせない」とするが、その前提には運用面の安全が不可欠だ。
 米側は今回の判断の根拠を示すとともに、日本政府は米側に事故原因の究明と説明を尽くすよう強く求め続けるべきだ。新型機には開発段階のトラブルは付きものだが、オスプレイは量産決定後の12年にモロッコで、15年には米ハワイ州で死亡事故を起こしている。
 今回の事故は海上で輸送揚陸艦への着艦中にデッキに衝突し墜落したもので、米海軍安全センターは事故の深刻度を示す4分類のうち最も重大な「クラスA」に当たると公表した。
 同様の「クラスA」とされた昨年の沖縄の事故は夜間の空中給油訓練中だった。事故時の態様はさまざまだが、重大事故につながる機体自体の構造的な欠陥や、人為的なミスは徹底的に防がなければならない。
 日本政府は小野寺五典防衛相が事故直後に米側に「自粛」を申し入れたが、もう一段の要望を行うべきではなかったか。
 8日に公表された17年版の防衛白書は、沖縄での事故を踏まえて「安全の確保が大前提」「米側に対し、安全面に最大限配慮するとともに、地域住民に与える影響を最小限にとどめるよう求めていく」と明記した。
 沖縄県の翁長雄志知事は江崎鉄磨沖縄北方担当相との会談で、従来通りオスプレイの沖縄配備の撤回と、在日米軍の法的地位や基地の管理・運用などを定めた日米地位協定の抜本的な改定を要望した。
 江崎氏は会談に先立つ記者会見で「地位協定をもう少し見直さないといけない」と発言。しかし、運用改善や補足協定で対応してきた安倍政権の方針と異なるため、閣内不一致との指摘を恐れたのか、江崎氏は会見からわずか数時間後に「政権の方針に沿った発言だ」と軌道修正した。
 北朝鮮の核ミサイル開発や繰り返される威嚇によって、北東アジアの緊張は増している。事故による不安を払しょくするとともに、大局的な視点で日米間の関係強化に取り組まなければならない。


組織犯罪防止条約への加盟 共謀罪の懸念は依然残る
 政府が先月締結した国際組織犯罪防止条約への日本の加盟手続きが終了し、きのう発効した。
 条約の発効によって、国際的な組織犯罪を防止するために、締結国の警察同士で、捜査共助を進めることができるようになる。
 政府はこれまで、米国や中国、欧州連合(EU)などと個別に捜査共助の条約を結んできた。こうした連携が、今後は世界180カ国を超える国との間で可能となる。逃亡犯罪人の引き渡しもできる。
 薬物の密輸入やサイバー犯罪など、国境の壁を超える事件が増えている。国際協力を円滑に進め、組織犯罪を封じ込めるべきだ。
 ただし、条約に加盟したからといって、先の国会で成立した改正組織犯罪処罰法(共謀罪法)の問題点が解消されるわけではない。
 政府は、法を成立させるために、参院での委員会採決を省略するという方法までとった。
 差し迫った脅威であるテロ対策のためには、国際組織犯罪防止条約を締結する必要性があり、条約締結のためには、共謀罪法が必要という理屈だった。
 確かに条約は、重大な犯罪の実行を合意段階などで処罰できるよう、各国に国内法の整備を求めている。
 だが、この条約は、2001年の米同時多発テロ事件の前年に国連で採択された。テロではなく組織的な経済犯罪が主要なターゲットだ。
 一方、共謀罪法は、277もの犯罪を対象とする。著作権法違反のように国民生活に身近な犯罪も多く含まれている。また、組織的な犯罪集団が行うには現実性に乏しい犯罪も見られる。
 条約が求める国内法の整備と、実際に行われた法改正の落差はあまりにも大きいと言わざるを得ない。
 準備段階の犯罪を摘発する共謀罪法は、捜査の前倒しを前提とする。その先にあるのは、国民への監視強化だ。警察など捜査機関が権限を乱用してきた過去の事例を見れば、懸念は当然だろう。
 法成立後、警察庁は、都道府県警察本部の指揮の下で捜査を進めるように各警察本部に指示した。適切な捜査が行われるのか今後も見続けなければならない。法の慎重な運用を重ねて求める。


知事のゴルフ問題 信頼回復の道は険しい
 佐竹敬久知事のゴルフ問題をただす県議会全員協議会が10日開かれ、県庁の危機管理意識の低さや知事の不誠実な対応に議員から批判が集中した。知事は「正直、(辞職して)楽になりたい気持ちがないわけではない」としつつも「許されるのであれば県政を前に進め、不名誉な事態の挽回を図りたい」と改めて辞職を否定、続投の意思を示した。しかし、県民が納得できる説明には程遠かった。
 知事は本県が記録的大雨に見舞われた先月22日朝から宮城県内にゴルフに出掛け、浸水などで大きな被害が出る中で夕方から飲酒して宿泊した。翌23日に県庁で災害連絡会議を開くよう指示しながら渋滞に巻き込まれて欠席。さらに当初、同行者は県庁OB3人としていたが、実際は現職幹部2人、県OB4人の計6人だったことが発覚、虚偽説明だったと認めた。
 なぜ最初の段階で本当のことを話さなかったのか。ゴルフに同行した県の水澤聡・産業労働部長と草なぎ作博・観光文化スポーツ部長について、知事は2人に責任が及ばないよう、かばうためにうそをついていた。議員から「虚偽説明は最悪のパターンだ」と指摘されたのに対し、知事は「後悔してもしきれない。非常に恥じ入っている」と述べたが、根底には極めて甘い身内意識が横たわっている。
 不誠実な対応を重ねたことで、知事の発言そのものの信用度は低下している。全員協で知事は「災害復旧など多くの県政課題に取り組むことが私の責務と捉え、初心に帰って県政運営に全力を傾ける」と訴えたものの、説得力に欠けた。
 危機管理意識の乏しさも改めて露呈した。休日とはいえ、県民の生命と財産を守る立場の県政トップが県庁の誰にも行き先を伝えず、県外へ出掛けていた。ゴルフに同行した部長2人が知事に帰県するよう一度も進言しなかった上、県から知事への災害情報はメールだけで電話連絡が一本もなかった。信じ難いことであり、組織の緩みが厳しく問われて当然だろう。
 こうした問題点が指摘されているのを受け、県は災害時などには必ず知事に電話で連絡することや知事の所在を幹部職員で共有するといった改善策を全員協で示した。いずれも基本中の基本であり、直ちに徹底すべきである。
 今回の問題での知事の対応を見れば、リーダーとしての資質に首をかしげざるを得ない。野党議員からは「県民を守るための県庁が、知事を守る組織になっている。知事に立て直しができるとは思わない」として知事の辞職を求める意見も出た。
 県庁には数百件に及ぶ批判が寄せられている。県庁は失った県民の信頼を取り戻せるかどうかの瀬戸際にある。知事は県民や議会の批判を重く受け止めて自らを律するのはもちろん、身内意識を早急に改めなければ県民との距離はますます広がる。


久米宏、明石家さんま、鴻上尚史、アジカン後藤、ウーマン村本…同調圧力に負けず東京五輪に異議を唱えた著名人
 先週、本サイトでは椎名林檎の「国民全員が組織委員会」「全メディア、全企業が日本のために取り組んで」という発言を紹介。リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック閉会式のフラッグハンドオーバーセレモニーで企画演出・音楽監督を務め、東京オリンピックの開会式にも深く関与する可能性が高いアーティストが、戦前の「一億火の玉」を彷彿させるような言葉で全国民への協力を呼びかけることを厳しく批判した。
 実際、椎名の発言に限らず、オリンピックのためならどんな我慢もするべき、オリンピックに異議申し立てをするような人間は非国民である──というような言説が当たり前のように流布されている。オリンピックのためという名目で半強制的なボランティア圧力やブラック労働も横行し、また、オリンピックのスポンサーなどになっている大手メディアもオリンピックを批判するような報道をすることはなく、諸手を挙げて賛同している状況がある。
 まさに大政翼賛会状態だが、しかし、そんななか、オリンピックをめぐるこの空気に異議申し立てをする著名人は少ないながらも存在している。
 その急先鋒が久米宏だ。久米は以前より東京オリンピックに対しては一貫して反対の意見を表明し続けてきた人物だが、先月31日付日刊ゲンダイのインタビューでこういった全体主義的な同調圧力を「オリンピック病」と断じたうえでこのように語っている。
「「今さら反対してもしようがない」ね。その世論が先の大戦を引き起こしたことを皆、忘れているんですよ。「もう反対するには遅すぎる」という考え方は非常に危険です。日本人のその発想が、どれだけ道を誤らせてきたか」
「しょせん、オリンピックはゼネコンのお祭りですから。つまり利権の巣窟。一番危惧するのは、五輪後のことを真剣に考えている人が見当たらないこと。それこそ「オリオリ詐欺」で閉会式までのことしか誰も考えていない。国民が青ざめるのは祭りの後。いいんじゃないですか、詐欺に遭っている間は夢を見られますから」
「何で誰も反対と言わないのか不思議なんですよ。そんなに皆、賛成なのかと。僕は開会式が終わっても反対と言うつもりですから。今からでも遅くないって。最後の1人になっても反対します。でもね、大新聞もオリンピックの味方、大広告代理店もあちら側、僕はいつ粛清されても不思議ではありません」
久米宏と同じく鴻上尚史も大会期間中の天気を問題視
 久米が東京オリンピックに反対する理由はいくつもあるが、その主要なもののひとつが、東京をこれ以上大きい街にしてしまうことへの危機感だ。
「僕がオリンピックに反対する大きな理由は、これ以上、東京の一極集中は避けるべきと考えるからです。既にヒト、カネ、コンピューターが集まり過ぎ。オリンピックは日本中の財や富をさらに東京に集中させます。首都直下型地震が起きたら、日本の受けるダメージが甚大になる」
 今回のオリンピックに関しては「アスリートファースト」なる言葉が黄門様の印籠のごとく躍っているが、久米はこの季節にオリンピックを開催することが本当に「アスリートファースト」なのかという根本的な疑問も投げかける。
「競技を行うには暑すぎます。台風も来るし。日本にとって最悪の季節に開催するのは、アメリカ3大ネットワークのごり押しをIOCが聞き入れているだけ。今からでもIOCに10月に変えてと懇願すべきです」
「なぜ真夏開催でOKなのか。本当に聞きたいんです、組織委の森喜朗会長に。アンタは走らないからいいんだろ、バカなんじゃないのって。この季節の開催は非常識の極み。開催期間の前倒しは難しいけれど、3カ月ほどの後ろ倒しは、それほど無理な注文じゃないと思う。工事のスケジュールも楽になる。絶対に開会式は前回と同じ10月10日にすべき。それこそレガシーですよね」
 これと同じことを劇作家の鴻上尚史も主張していた。彼は「SPA!」(扶桑社)2017年8月8日号掲載の連載コラムでこのように書いている。
〈炎天下と言えば、2020年7月24日から8月9日まで開かれるオリンピックですよ。この暑さで、マラソンするんですよねえ。本気なんでしょうか? なんで、こんな真夏にやるんでしょう。
 マラソン選手がバタバタと熱中症で倒れたら、誰が責任取るんですかね? 誰も取らないんでしょうねえ〉
ウーマンラッシュアワー村本大輔と明石屋さんまも東京五輪に異和感
 前述した通り、東京オリンピックには主要なメディアがこぞってスポンサーなどのかたちで参加しているため、オリンピックに対して芸能人や文化人が否定的な意見を表明することには少なくないリスクが伴う。しかし、そんななか勇気ある発言をしているのが、ウーマンラッシュアワーの村本大輔だ。今年1月、村本はツイッターにこのような文章を投稿。予算を使うべきところが山ほどあるのにも関わらず、その金がオリンピックに流れていっていることに対して疑問の声をあげた。
〈気仙沼。お年寄りがまだ仮設住宅、病院にいけない、自殺する人もいるって。当事者は言えない空気、ニュースも伝えない、世間は気付かないふり。それは熊本も福島、宮城、広島の土砂災害も一緒。「声上げれないお金ないお年寄りが沢山いるの、むらちゃんこのこと伝えて」と言われた。絶対伝えます。〉
〈東京オリンピックでお金使い過ぎ、とか、舛添さんの政務活動費無駄遣いし過ぎ、とか、無駄遣い的な話題の流れで、だったらここにって毎回誰かが言わないといけない。〉
 同様の意見を表明していたのが、村本の先輩である明石家さんまだ。さんまはオリンピック招致の段階から東京オリンピックに対して異論を唱えていた数少ない芸能人であった。
 さんまはオリンピックの開催が決まった直後、2013年9月14日放送の『MBSヤングタウン土曜日』で「いや、だからでも、福島のことを考えるとね……」と切り出し、このように語った。
「こないだも『福島から250キロ離れてますから大丈夫です』とかいうオリンピック招致のコメントはどうかと思って、やっぱり。俺までちょっとショックでしたけど、あの言葉はね」
 さんまがショックだったと言っているのは、同年9月4日に東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会の竹田恒和理事長がブエノスアイレスでの記者会見で語った言葉だ。まるで福島を切り離すかのようなこの暴言に、さんまは「『チーム日本です!』とか言うて、『福島から250離れてます』とか言うのは、どうも納得しないコメントやよね、あれは」と不信感を隠さない。
 さらにさんまは、安倍首相はじめ招致に躍起になる人々から“お荷物”扱いを受けていた福島に、こう思いを寄せた。
「福島の漁師の人にインタビューしてはったんですけど、『7年後のことは考えてられへん』と、『俺ら明日のことを考えるのに精一杯や』って言わはったコメントが、すごい重かったですよね。だから、あんまり浮かれて喜ぶのもどうかと思いますけどもね」
アジカン後藤正文と赤川次郎「共謀罪が必要なら五輪なんか開くな」
 東京オリンピックは安倍政権によって何度も政治利用されてきた。その典型が言うまでもなく共謀罪である。安倍首相は衆院本会議で「国内法を整備し、条約を締結できなければ東京五輪・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない」と強弁。共謀罪を成立させなければ国際的組織犯罪防止(TOC)条約に加盟できない、TOC条約を締結できなければ五輪は開けない、というインチキを撒き散らかして強行採決させてしまった。オリンピックが政治利用されたことにより、私たち国民は表現や思想の自由を著しく損なったのである。
 こういった状況に対し、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文は今年1月、ツイッターにこのような文章を投稿していた。
〈五輪というイベントが、本当に共謀罪を創設したり、基本的人権を制限しないと開催できないような空恐ろしいイベントであるのだとしたら、そんな剣呑なイベントの開催は、いまからでもぜひ辞退するのが賢明だということだ〉
 まさしくその通りだろう。作家の赤川次郎も同様の主張をしている。彼は6月15日付朝日新聞朝刊にこんな文章を綴っている。
〈これがなければ五輪が開けない? ならば五輪を中止すればよい。たったひと月ほどの「運動会」のために、国の行方を危うくする法律を作るとは愚かの極みだ。五輪は終わっても法律は残るのだ〉
「オリンピック憲章」を読むと、憲章の冒頭「オリンピズムの根本原則」の2項目目にこのような文章が出てくる。
〈オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある〉
 オリンピックの招致からいまにいたるまで繰り返されてきたのは、〈人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励すること〉でも、〈スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てること〉でもない。政治家や財界人が利権にたかって私腹を肥やし、現場の労働者は命を削って過重労働を強要される。傷つき救いを求める被災地の人々は放っておかれ、本来そこに投じられるべきだった金はこれといった必要性も見当たらない競技場などにつぎこまれる。挙げ句の果てには、法律がなければオリンピックは開けないとして、治安維持法の再来のような悪法まで成立させられる結果となった。
 前述した日刊ゲンダイのインタビューで久米宏はこのように語っていた。
「五輪を返上すると、違約金が1000億円くらいかかるらしいけど、僕は安いと思う。それで許してくれるのなら、非常に有効なお金の使い道です」
 本当にそうしていただきたいものである。(編集部)


加計学園関係者が一刀両断「獣医学部新設など言語道断」
「加計学園」の獣医学部新設を認めるのか――。設置認可の可否を判断する大学設置・学校法人審議会が実習計画などが不十分だとして、判断を保留する方針を決めた。今月下旬の予定だった文科相への答申は2カ月程度延期される見込みだが、実は加計学園の内部からも異論が出ている。08年から加計学園系列の千葉科学大で客員教授を務める加藤元氏(獣医学)は、「獣医学部の新設なんてとんでもない話。むしろ今、必要なのは大学の数を減らすことですよ」と指摘する。どういうことなのか。
「現在、獣医学を学べる大学は日本に16校ありますが、世界の最先端をいく米国と比べると、恐ろしいほどレベルが低い。底上げを図るには、今の16校から多くても4校にまで減らし、1校あたりの教授陣のマンパワーと予算を4倍に増やし、獣医師の専門性を高めるカリキュラムを組む必要があります」
 加藤氏は「どうしても大学を新設したいなら、全米獣医師会が設けた基準『AVMAスタンダード』をクリアするようなレベルの高い大学をつくらないと意味がない」と強調。学生1人に対して常勤の教授が1・2倍以上いること、羊、乳牛、馬などの動物が十分にいる環境があることなどがAVMAスタンダードの条件となっている。
「この基準を満たしている大学は日本に一つもありません。難関とされる北大や東大でさえクリアできていないのに、加計学園にクリアできるわけがないのです」
 そもそも加計問題は日本の獣医師不足に端を発したものだったが、加藤氏によると、この前提がおかしいという。
「恒常的に不足しているのは所得が低い地方公務員の獣医師であって、都心の動物病院はいつも飽和状態です。大学を増やし、仮に獣医師を倍増させたところで、地方の待遇改善を図らない限り解決にはつながりません。ところが、安倍政権や加計学園は獣医学部を増やせばいいと考えているようです。私に言わせれば、極めて安易な発想だし、自分たちのエゴばかりで本末転倒です」
 大学で獣医学部・学科は人気の学科の一つ。学生確保のため、新設を望む大学や自治体が多く、その中の一つが加計学園だった。
「加計学園の初代理事長は、獣医学部新設を熱望しており、息子である現理事長も長い間、設置のために尽力してきました。そのことを、加計学園で客員教授を務めている私はよく知っていますが、やはりおかしいものはおかしい。政治家や地方自治体は獣医学・獣医療を本当に必要とする国民の立場に立って物事を考えるべきです」(聞き手=本紙・岩瀬耕太郎)


広島平和式典で露呈した 安倍首相の信用ならない本性
 やはり、安倍首相は信用できない。ますます、その思いを強める一日だった。広島への原爆投下から72年目を迎えた6日、広島市の平和記念公園で開かれた記念式典での首相のあいさつは、実にしらじらしいものだった。
 参列した約5万人を前に「『核兵器のない世界』の実現に向けた歩みを着実に前に進める」と誓ったが、その歩みの足を引っ張っている人こそ、安倍首相自身なのである。
 今年7月、国連加盟193カ国のうち、122カ国の賛成で核兵器禁止条約が採択された。この歴史的採択に唯一の戦争被爆国である日本政府は欠席。それどころか、条約交渉の議論にすら参加しなかった。
 広島選出で核軍縮に思い入れがある岸田文雄前外相は当初、条約交渉への参加に前向きだったようだが、「待った」をかけたのは安倍首相だ。
 報道によると、その理由はトランプ米大統領が条約に批判的だから。大統領との個人的な関係をテコに良好な日米関係を維持したい首相にすれば、トランプのご機嫌を損ねる行動は慎めということ。唯一の被爆国のトップが「核廃絶」より「トランプからの寵愛」を優先させたのだ。
 記念式典のあいさつで、広島県知事、広島市長、広島市議会議長、国連事務総長(代読)は、そろって核兵器禁止条約にふれ、言及しなかったのは安倍首相くらい。松井一実市長が「核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求めた直後にもかかわらず、一切ふれようとしなかった。
 それでいて「核兵器のない世界の実現」だけは目指すというのだから、意味不明だ。核兵器廃絶の国連の議論にも加わらず、いかなるプロセスで核兵器ゼロを実現する気なのか。しかも日本政府は禁止条約を批准しない理由に、米国の「核の傘」に頼っていることを挙げている。米国の核戦力を尊重し、感謝していては永遠に「核兵器なき世界」はやって来ない。
 本気で実現を目指すのなら、安倍首相は松井市長の要求を聞き入れ、世界の橋渡し役に努めることだ。核保有国と非保有国との対話の懸け橋となり、核・ミサイル開発の北朝鮮のような新たな脅威にも、交渉のテーブルに着くよう促す。制裁を強めるだけでは、いっそう核軍備を急がせる結果を招きかねない。
 唯一の被爆国として核廃絶で世界をリードするため、そこまでの覚悟と戦略が、果たして安倍首相にあるのか。国際社会で日本をどう位置付けるかという世界観、歴史観、国家観などが何ひとつ、首相からは感じ取れないのだ。
 しょせん、安倍首相の言う「核兵器のない世界の実現」なんて上っ面だけ。「もり・かけ」問題でもそう感じたが、常に適当なその場しのぎの言葉をペラペラと話しているだけのようだ。いよいよ、この国を任せるには信用ならない本性が、あからさまになってきた。


私が菅官房長官に「大きな声」で質問する理由 東京新聞・望月衣塑子記者インタビュー#1
 原則として平日の午前と午後、首相官邸で行われる菅官房長官の記者会見。今年6月以降、ここに突如として現れた一人の記者が注目されている。
「東京の望月です」と名乗ってから、矢継ぎ早に長官に質問をぶつける女性記者。東京新聞社会部、望月衣塑子記者(42)である。
 鉄壁の長官に果敢に攻め込むこの人は、一体どんな人なのか? 

菅さんが「俺にも我慢の限界がある」とこぼしたらしい
――望月さんが菅義偉官房長官の定例会見に出席するようになって2カ月ほど経ちました。官房長官の印象は変わってきていますか?
望月 全然変わりませんね(笑)。最近は「主観と憶測に基づいて聞くな」とか「あなたの要望に答える場じゃない」とか、私に対して個人攻撃的なことを言いはじめているとも感じています。産経新聞さんが私への批判記事(「官房長官の記者会見が荒れている! 東京新聞社会部の記者が繰り出す野党議員のような質問で」)を書いていましたが、会見とは国民に成り代わって、記者が政府への疑問や疑念をぶつけ、より国民にとって開かれた政治を作っていくきっかけになる場でもあると思っています。
 また、私は取材や出ている報道に基づいて、質問をしているつもりです。取材に基づいた記者の「主観」を質問で聞けないのであれば、取材から湧き出てくる政府への疑問や疑念をどう国民に成り代わって伝えろと言うのでしょうか。菅長官の言葉は、ジャーナリズムに対する冒瀆(ぼうとく)のようにも聞こえました。
――個人攻撃をされて、正直どう思いましたか?
望月 菅さんは「この質問をしている女は変なやつだ」という色をつけたい、「印象操作」をしたいのかもしれません。それでも、私が怯まずに聞きたいことをガンガン聞くので、つい先日は、オフレコ会見で「俺にも我慢の限界がある」と番記者にこぼしたとも聞きました。
――望月さんが最初に菅官房長官の定例会見を取材したのが6月6日です。社会部記者が長官会見でガンガン質問するのは珍しいことだと思いますが、どんな経緯があったのでしょうか?
望月 私の追いかけていたテーマと政治の動きが点と線でつながり始めたことが大きいですね。どうしても自分で手を挙げて、政権のスポークスマンに質問をぶつけ、答えを聞きたいと。
「官邸の一存」の強さが悪い方に加速している
――点と線とおっしゃいましたが、どういうことなんですか?
望月 もともと私は武器輸出の問題を取材し続けていました。2014年4月に「武器輸出三原則」が撤廃されて「防衛装備移転三原則」が決まり、武器を他国に売って海外と共同開発も行っていくという方向に転換したことがきっかけです。これまでの「戦後70年」とは明らかに違う動きが出てきているという恐怖と、未来の子どもたちの為に何とかしなくてはいけないという思いに駆られるようになりました。
 これに重なって取材をしていく中で、大きな動きだと思ったのが、教育基本法の改正です。2006年、第1次安倍政権のときのものですが、教育基本法の前文の精神がなくなり、愛国心とか道徳とかナショナリズムを全面出す形に法律が変わった。取材で知りましたが、森友学園問題の籠池(泰典)さんが安倍さんに心酔した大きな理由は、これなんですよね。一方で、前川喜平前文科事務次官にインタビューしたとき、彼はこう言っていました。政権に疑問を感じるようになったのは、民主主義を根付かせるために作られた教育基本法が改正され、その精神が変わり、改正した教育基本法が愛国心を強化する流れになったときからだと。
――国のありかたが明らかに変わってきたと……。
望月 そうですね、その後、第2次安倍政権になり「安倍一強」となりましたが、「官邸の一存」の強さが悪い方に加速していると思うんです。加計学園問題の資料を出すか出さないか、森友学園の8億円値引きの経緯についての行政文書を出すか出さないかも「官邸の一存」次第。権力の中枢部でいったい何が起きているのかという疑問がすごく湧いてきました。
――望月さんはTBSの山口敬之・元ワシントン支局長の女性への暴行事件の「もみ消し疑惑」を訴えた詩織さんにインタビュー取材もされていますが、これに前川前次官、籠池氏といった取材で得た「点」が連なり、官邸権力という「線」が見えるようになったと。
望月 おまけに私が取材していた武器輸出を巡って、経産省、財務省の役人を呼びつけていろいろ指示していたのが和泉(洋人)補佐官。加計学園問題でもキーパーソンとして名前が挙がって驚きました。ここもつながりますか、と。
「菅話法」はある種の決壊状態だと思います
――6月6日以降、定例会見で望月さんが矢継ぎ早に質問を浴びせていく姿がおなじみになりましたが、同時に菅官房長官が「問題ない」「あたらない」と言い続ける、いわゆる「菅話法」も多くの人の目に触れることになりました。これだけ何も答えてもらえないと、質問していても嫌になりませんか?
望月 「問題ない」以外言えないのかな? って思いますけどね(笑)。番記者の方たちは2年半以上取材している方も多いそうなので、「菅話法」に慣れと諦めがあるのかもしれません。私は「菅話法」のことをまったく知らずに飛び込んでいったので、その強みはあったのかな。そもそも部外者なので、怖さを知らない(笑)。ここは重要だったと思います。その後、だんだん怖さがわかってきて、杉田さん(和博・内閣官房副長官/内閣人事局長)もいろいろ聞くと怖いですね。
――毎日新聞が「鉄壁ガースー決壊」と報じましたが、望月さんから見て「菅話法」が決壊した瞬間はあったでしょうか?
望月 どなたかがツイッターで「壊れたラジオ」とおっしゃっていましたけど、同じ言葉を繰り返しているのも、ある種の決壊状態です。「問題ない」「私の担当ではない」と言い続けるしかないし、本当は答えられるようなことも「何か言ってはマズい」と防御反応が働くから同じ答弁を繰り返すしかないのかもしれません。この前、TBS『あさチャン!』で菅さんが「国会で総理が説明した通り」「国会でお答えした通り」と同じ内容の答えを同じ日の記者会見で計10回も繰り返していたと放送していました。
――「壊れたラジオ」を目の当たりにして、「おかしい」と思うようになった人は増えたと思います。それが望月さんの空気を読まない質問でわかりました。一方、今は首相に記者が直接取材する「ぶら下がり」がないんですよね。
望月 8月3日の内閣改造発表後の記者会見でも、決まった社しか指していないと思います。安倍さんが加計学園の疑惑に対して、記者の取材に直接答えるのが一番理想ですけど、官邸は、安倍総理を何が何でも護ろうと必死ですから、そうはならないでしょうね。だから、ある意味、菅さんが一番大変だと思います。総理の疑惑の矢面に立ち、答え続けなければいけないので。
――でも、政権と官邸にアクセスする方法が他にない以上、菅さんに質問し続けるしかない。
望月 ないですよね。私たちがノックできる扉はそこしかないんですから。菅さんは菅さんで、自分の役回りを充分理解されていると思います。私も周りから「いつまでやるんですか?」と聞かれますが、しんどい時もありますが、疑惑が尽きない限り、他の人が質問をぶつけないのならば、私が行かざるを得ない。行かなくなったら行かなくなったで、「何かあったのか?」「消されたのか?」と思われてしまうでしょうし(笑)。
質問するときに気をつけていることは、大きな声で聞くこと
――ちなみに記者会見のとき、望月さんはどのあたりに座っているんですか?
望月 いつもだいたいみんな定位置に座っていますが、私は菅さんの真ん前、前から4列目あたりの中央ちょっと左側です。お互い顔がきちんと見える距離ですね。最前列は番記者さんが並んで座っています。
――記者会見動画を観ると、番記者の人たちの声が聞こえにくいんですが……。
望月 一番前に沢山いるので、聞き取りにくいこともあります。
――だからその分、望月さんの質問がはっきり聞こえます。
望月 ハハハ。私はもともと、やたらと声が大きいということもあるんですけど、質問は国民のみなさんが聞いているかも知れない、だからはっきりと聞こう、という意識はあります。
――官房長官に質問するとき、質問のテクニックとして気をつけているようなことはありますか?
望月 やっぱり大きな声かな(笑)。みんなに伝わるように質問しようという意識はありますね。菅さんからコメントを引き出すだけじゃなく、なぜそういうことを聞いているのかを含めて文脈が伝わるように質問しています。質問の根拠や取材した部分も話すので、「質問は簡潔にお願いします」って広報官の人に注意されてしまいがちなので、そこは改めてもっと気をつけなければならないのですが……。
質問したからには答えを聞き切るべき
――記者会見には細かいルールもありそうですね。
望月 自分の質問が続くときでも、必ず発言の最初には「東京の望月です」って名乗らなければなりません。つい質問をどんどんしたくて、名乗るのを忘れてしまうこともあるのですが……。
――そういえば、望月さんは質問するときに「菅さん」って呼ぶときがありますよね。他の記者は長官とか、菅長官とか呼びかけている気がしますが。
望月 たまに気持ちが先に行ってしまって、そうなってるときがあるかもしれません。ルールがあるわけじゃないと思いますが、確かに官僚の方には驚かれましたね。あの世界は必ず役職で呼ぶから。辞めた人でも総理経験者だったら「総理」と呼ぶのが文化なんだそうです。
――例えば6月8日の午前中の会見では、37分中じつに25回近くの質問をぶつけていましたよね。一人何問まで、みたいなルールは特にないんですか。
望月 なるべく多くの社に機会を与えるのは原則だと思いますが、本来、質問したからには答えを聞き切らなければならないはずだと思うんです。あの時は「同趣旨の質問を繰り返すのはやめてください」と広報官に注意されましたが、「きちんとした回答をいただけていないと思うので、繰り返し聞いています」と申し上げました。「菅話法」のままでは何も答えが出てこない。だから、手を変え品を変え、いろいろな角度で聞くことを心がけています。
――その辺り、もっと詳しく聞かせてください。

お台場でデジカメ故障/沈没家族とダメ連

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函谷鉾130715

Japon: Une bombe de la Seconde Guerre mondiale découverte dans la centrale de Fukushima
NUCLEAIRE Cette découverte n'a cependant pas entravé les travaux de démantèlement en cours...
Après le tsunami, une bombe ! L’exploitant du site nucléaire a annoncé qu’une bombe datant probablement de la Seconde guerre mondiale a été découverte jeudi au Japon dans l’enceinte de la centrale nucléaire accidentée de Fukushima Daiichi.
L’engin, d’une longueur d’environ 85 centimètres pour 15 cm de diamètre, ≪ se trouvait dans le sol à une distance d’un kilomètre des bâtiments des réacteurs 2 et 3 du site ≫. Il a été repéré mercredi soir ≪ par un employé d’une société sous-traitante au cours de travaux pour créer un parking ≫, a expliqué un porte-parole de la compagnie Tokyo Electric Power (Tepco).
Une zone déserte depuis 2011
Le porte-parole de la compagnie a précisé que les ≪ services de police de Futaba ≫, l’une des localités sur laquelle s’étend le site nucléaire, s’occupent actuellement de la bombe, qui devrait a priori être retirée par l’armée nippone après la vérification des risques d’explosion.
D’après Tepco, une base aérienne de l’armée japonaise se trouvait dans la région, et a subi des bombardements américains. Cette zone côtière est inhabitée et inhabitable depuis la catastrophe de 2011 où tous les habitants survivants ont été évacués.
Mise en place un périmètre de sécurité
La centrale nucléaire Fukushima Daiichi fait actuellement l’objet d’importants travaux en vue du démantèlement de ses six réacteurs, dont quatre ont été sévèrement saccagés par des explosions d’hydrogène à la suite des violents séisme et tsunami survenus il y a six ans.
La découverte de la bombe jeudi a conduit à mettre en place un périmètre de sécurité sur une petite partie de l’immense site, mais n’a pas perturbé le travail des équipes œuvrant ailleurs, notamment près des réacteurs, selon la compagnie.
フランス語
フランス語の勉強?

東京に来ました.と言っても行くあてもないのですが・・・これまでだと東京メトロ沿線あたりしかいってないので今回は思い切ってお台場に行ってみました.新橋からのゆりかもめがなかなか楽しいです.多くの乗客がお台場で下車しました.何があるかよくわからないけど適当に歩きます.デジカメを落としてしまいなんか調子が悪くなってしまいました.ガーン,いきなり故障してしまったみたいです.
しかも携帯には家賃催促の電話.
代々木上原で激辛カレーを食べて一服して
飯田橋での映画上映に行きました.正直あまり期待していなかったのですが沈没家族という映画なかなか考えさせられます.
加納実紀代さんの関係者でしかもダメ連ともつながりがあるというのでなるほど・・・という感じです.

震災前の町並みを模型で再現
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた石巻市の大川地区で震災前のふるさとの町並みを再現した模型が完成し、お盆を前に10日から地元の住民らに公開されています。
10日から公開が始まったのは、震災の津波で大きな被害を受け、その後、多くの地域が災害危険区域に指定された石巻市の大川地区の模型です。
震災後、人が住めなくなった地域の記憶を後世に伝えようと神戸や地元の大学生などが住民に聞き取りを行い、およそ半年をかけて制作しました。
模型はおよそ500分の1に縮小した大きさで「海水浴場」「子どものころに泳いだ」など思い出とともに地名が書き込まれた旗が立っています。
訪れた人たちは模型や旗を指さしながら懐かしそうに震災前の思い出を語り合っていました。
見学に来た60代の女性は「自分の心の中だけにあった震災前の楽しい記憶が模型を見ながら話すことで、みんなで共有でき嬉しいです。形にしてくれた学生さんたちにとても感謝しています」と話していました。
模型作りに参加した大学1年生の永沼悠斗さんは「自分自身もふるさとの魅力を再発見できました。
お盆に家族で見てもらい震災前を知らない子どもにもふるさとの記憶を伝えてほしいです」と話しました。
この模型は石巻市の河北総合センターで今月16日まで展示されています。


宮城 石巻の被災地で音楽ライブ
【今週の震災ニュースピックアップ】東日本大震災の被災地を盛り上げようという大規模な芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」の音楽ライブが6日、宮城県石巻市の鮎川浜で行われ、訪れた観光客などでにぎわいました。
震災の津波で大きな被害を受けた石巻市牡鹿地区の鮎川浜では6日、伝統の「牡鹿鯨まつり」が開かれました。
これに合わせて被災地を盛り上げようという大規模な芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」の音楽ライブが会場で行われました。
ライブでは芸術祭の実行委員長を務める音楽プロデューサーの小林武史さんらが震災後に被災した人を励ました「toU」など7曲を披露しました。
会場には観光客や地元の人たちが大勢集まり、肩を揺らしたり口ずさんだりしながらステージを見つめていました。
青森県から家族で訪れた30代の女性は、「大自然の中ですてきな音楽を聴かせてもらえてぜい沢な経験ができました。初めて石巻を訪れましたが、被災地を知る大切な機会になりました」と話していました。
また、地元の30代の女性は、「震災前のように戻ることはないけれど、たくさんの人が訪れてくれてうれしいです。いつかまた活気あるまちになってくれたらと思います」と話していました。
「リボーンアート・フェスティバル」は、9月10日まで開かれています。
陸前高田市でけんか七夕まつり
岩手県陸前高田市の夏の風物詩、「けんか七夕祭り」が7日、復興祈念公園の計画地の近くで行われました。
陸前高田市気仙町では巨大な杉の丸太をくくりつけた山車を互いにぶつけ合う「けんか七夕祭り」が、900年前から続く夏の伝統となっています。
6年前の震災では4台のうち3台の山車が津波で流されましたが、全国から支援を受けて平成24年に再開されました。
「けんか七夕祭り」は、平成32年度の完成を目指して工事が進められている復興祈念公園の近くで行われ、高台の造成が進められる中、家族の健康や地域の復興を願う短冊をつけた山車が「よいやさー」の掛け声とともに練り歩きました。
クライマックスには「始め」の掛け声を合図に参加者が山車につながれた綱を力いっぱい引っ張ると、重さ4トンの山車が勢いよくぶつかり、見物客から大きな歓声があがりました。地元の72歳の女性は、「祭りを見ると震災前の町の姿が懐かしくなり涙が出ます」と話していました。
仮設の空き店舗で夏休みの勉強
震災のあと仮設住宅などで暮らす子どもたちのために、岩手県大槌町では仮設商店街の空き店舗が学びの場として活用され、子どもたちが勉強に励んでいます。
大槌町では仮設住宅などで暮らしている子どもたちが集中して勉強できるよう、この夏、仮設商店街の2つの空き店舗が勉強の場として活用されています。7日には夏休み中の小学4年生が訪れ、震災直後から学習支援を行っているNPOのスタッフやボランティアの大学生などのサポートを受け、算数や国語をはじめ、「大槌検定」と呼ばれる漢字と算数などのテストに取り組んでいました。
夏休みに入って、多いときでは、小学生から高校生までおよそ150人が勉強に励むということです。
NPO法人の山田雄介さんは「震災直後に受け入れていた子どもは40人程度だったので勉強する意欲のある子どもが増えているのを感じる。テストや受験のシーズンも利用者が増えるので、仮設の空き店舗を自習室などとして活用していきたい」と話していました。


震災遺構の荒浜小に2万人余
東日本大震災の教訓を伝える震災遺構として、ことし4月から一般公開が始まった仙台市の荒浜小学校を訪れた人はこの3か月間で2万5000人余りに上ったことがわかりました。
仙台市若林区の荒浜小学校は震災の津波で校舎2階まで浸水し、校舎に避難した人は全員救助されたものの地区ではおよそ200人が犠牲になりました。
校舎は津波で壊れたベランダなどをできるだけそのままの形で保存したうえで、震災遺構として整備されことし4月から一般公開が始まりました。
仙台市によりますと、この荒浜小学校を先月までの3か月間に訪れた人は2万5702人に上ったということです。
最も多かったのは大型連休中の5月5日のこどもの日で1727人に上りました。
市によりますと、これまでのところ家族連れのほか小中学生が校外学習や修学旅行で訪れるケースが目立つということです。
仙台市では今月13日には荒浜小学校の活動スペースで灯ろうづくりのイベントを開く予定で今後も多くの人に小学校や地区を訪れてもらいたいとしています。


鶏卵加工大手が宮城・多賀城の復興団地に進出
 鶏卵生産加工大手のホクリョウ(札幌市)が宮城県多賀城市八幡一本柳の工業団地「さんみらい多賀城・復興団地」への進出を決め、同市と9日、立地協定を結んだ。同団地への進出企業と市の協定締結は11件目。10.2ヘクタールの団地面積のうち92%の立地が決まった。
 ホクリョウは年商156億円。北海道で250万羽、岩手で100万羽を飼育している。復興団地のうち1ヘクタールの敷地に生卵と温泉卵のパック詰め工場を建設する。来春の着工を目指し、パートなど20人の地元雇用を予定する。
 市役所であった締結式で米山大介社長は「道内のシェアは50%ほどあり、道外に成長を求めた。復興にも協力していきたい」と述べた。


「震災風化させない」東北や熊本の学生ら、東京で意見交換
 東日本大震災の被災地復興を支援するイベント「STAND UP SUMMIT 2017」が8日、東京都江東区の東京ビッグサイトであった。東北などの高校生や大学生ら約300人が、復興と地域づくりについて意見を交わした。
 プログラムの一つ「復興ディスカッション」には東北と熊本地震被災地の熊本県、首都圏の代表7人が参加。東北高1年の川又英雄さんは震災の記憶の風化に関し「語り部がいれば記憶は薄れないのでは。将来は英語を使う仕事に就き、海外の人にも震災を伝えたい」と未来を見据えた。
 福島工業高専4年の桜井友香さんは、熊本の学生と共に復興や防災を考えるプログラムを企画した体験談を紹介。「震災を経験した私たちだからこそできることがある」と強調した。
 熊本県阿蘇中央高2年の吉岡杏優さんは「地震後、地域の人口が減っている。将来は地元に牧場を造り、たくさんの人を阿蘇に呼びたい」と夢を描いた。
 学生が東北の企業関係者らから復興の課題を学ぶプログラムもあった。三陸鉄道(宮古市)や「スマイルとうほくプロジェクト」を運営する河北新報社など東北の新聞3社を含め、15の企業・団体が参加した。


仙台沿岸12集落の今昔 見て聞いて触れて学ぶ 10月まで参加型企画展
 仙台市地下鉄東西線荒井駅内の「せんだい3.11メモリアル交流館」で、東日本大震災の津波で被災した市東部沿岸地域の歴史や特色、現在の状況などを体感しながら学べる参加型企画展「みんなでつくるここの地図」が開かれている。10月22日まで。
 展示フロア全面を沿岸地域に見立て、若林区の荒浜や井土、宮城野区の蒲生など12の集落を木製の箱で表現。箱の上に木製のサイコロが複数置かれ、その側面に地域の写真や住民が語る町の思い出などを記した紙などが張られている。
 地域に関する自分の思い出を来館者がサイコロに書き足すこともできる。ふたの裏にタブレット端末が取り付けられた箱もあり、住民らの声とともに地域の現在を収めた写真のスライドショーが見られる仕掛けもある。
 住民の声は荒浜出身の若手ミュージシャン佐藤那美さんが現地で集め、フロアに流れる音楽も作った。目と耳、手で沿岸地域を体感できる展示となっている。
 若林区での被災者支援ボランティアの合間に訪れた横浜市の主婦千葉ひろみさん(66)は「それぞれの地域特性がよく出ている。地域住民と会話しているような気分になれた」と話した。
 交流館の八巻寿文館長は「沿岸地域も新しく生まれ変わりつつある。企画展を見て、次は沿岸地域に足を運んでほしい」と語った。
 入場無料。開館時間は午前10時〜午後5時(月曜休館)。連絡先は交流館022(390)9022。


被災3県前向く人々 100人以上撮影のドキュメンタリー映画完成
 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県を舞台にしたドキュメンタリー映画「一陽来復 Life Goes On」が完成し、撮影の協力者ら約30人を招いた試写会が8日、宮城県南三陸町の南三陸ホテル観洋で開かれた。
 2016年7月から10カ月間にわたり100人以上を撮影し、1時間21分の作品に仕上がった。石巻市で3人の子どもを亡くした夫婦や釜石市の鵜住居(うのすまい)虎舞の若手後継者、東京電力福島第1原発の30キロ圏内の福島県川内村でコメ作りを続ける農家ら、被災者の苦悩と前を向く姿を映した。
 出演者の一人で南三陸町のそろばん教室に通う奥田梨智ちゃん(6)は生まれる前、父親を津波で亡くした。梨智ちゃんと試写会を訪れた母の江利香さん(33)は「世界中からありがたい支援を受けた。子どもが成長した姿を見てほしい」と語った。同町からは、他にホテル観洋の語り部、カキ漁師、酒屋店主らが出演した。
 尹美亜監督(42)は「作品にたくさんの希望を詰め込んだ。世界に発信し、多くの人に被災地に訪れてもらえたらうれしい」と話した。
 映画は18年3月3日から、東京都のヒューマントラストシネマ有楽町など全国で順次公開される。映画製作は16年度の復興庁「心の支援」事業に採択され、約2000万円の補助を受けて進められた。


七つの浜の砂使い七色のガラス玉 震災犠牲者への祈り込める
 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県七ケ浜町の七つの浜の砂を使い、町民らがガラス玉を作るプロジェクトが完了した。100人以上に上る震災犠牲者への追悼の思いを込め、3年間のプロジェクトには延べ400人を超える人が参加。浜ごとに色合いの異なるガラス玉が完成した。
 プロジェクトは「EARTH GLASS七ケ浜。」。町のシンボルで津波被害に遭った白砂の七海岸について、町民のさまざまな思いを形にして残そうと、七ケ浜国際村が2014年8月、仙台市太白区のガラス作家村山耕二さんの協力を得て始めた。
 ガラス玉作りのワークショップは菖蒲田浜、花渕浜、東宮浜、代ケ崎浜、松ケ浜の砂に続き、吉田浜、湊浜の砂で作る回が7月29、30日に国際村であった。参加した約120人の子どもたちは砂を炉に入れ、赤く溶けたガラスを棒に絡めて形を整えた。
 完成した七つの浜のガラス玉は、国際村に展示している。村山さんは「浜ごとに砂の鉱物の組成が違うので、色合いが異なるガラス玉ができた。それぞれの思いを形に残してもらえればうれしい」と話す。


伝統行事の再開、海辺の暮らし…被災漁村の12年見つめる 仙台で記録映画上映会
 東日本大震災で甚大な津波被害を受けた宮城県南三陸町の波伝谷(はでんや)地区を被災前から追い続ける同県白石市の映画監督我妻和樹さん(32)の作品上映会「波伝谷サーガ ある営みの記録」が19日、仙台市青葉区のせんだいメディアテークで開かれる。12年間の記録映画3本を紹介し、映画に登場する地元住民との対話も交えながら、土地に根差し、地域とともに生きる意味を考える。
 最新作の「願いと揺らぎ」(145分)は震災翌年、伝統行事が再開されるまでの道程を追い、被災で生じた心のすれ違いや復興への課題を浮き彫りにする。上映後、波伝谷地区の住民ら4人に、地域で暮らし続ける気持ちや記録映画への思いなどを聞く。
 10月に山形市である世界有数の「山形国際ドキュメンタリー映画祭」インターナショナル・コンペティション部門で、1146本の中から上映15作品に選ばれた。
 「波伝谷に生きる人びと」(14年、135分)は、約80戸が暮らした震災前の漁村の日常を生き生きと描き出す。「春祈祷(きとう) 南三陸町波伝谷の行事」(07年、53分)は、我妻さんが東北学院大在学中に研究室の民俗調査の一環で、地区の伝統行事を記録した。
 我妻さんは「震災から6年が過ぎ、被災者はどう暮らしや記憶をつないでいくか。被災地と呼ばれる前から現在までの映像や生の声を通し、本当の意味での復興を考えたい」と話す。
 19日午前10時半から、「波伝谷−」「春祈祷」「願い−」の順で上映する。入場料は作品ごとに違い、3回通し券は2500円。高校生以下は無料。18日まで事前予約もできる。連絡先は我妻さん070(2037)1552。電子メールpeacetree_products@yahoo.co.jp


デスク日誌 誰もいない海
 東日本大震災で被災した宮城県七ケ浜町の菖蒲田海水浴場が先月、本格的に再開した。歓声を上げる大勢の海水浴客の姿を見て、胸に迫るものがあった。
 脳裏によみがえったのは、今のにぎわいとは正反対の、誰もいない海だ。
 七ケ浜町を担当する塩釜支局に着任したのは震災翌年の2012年。早々に海岸の復旧工事が始まった。工事中の防潮堤から眺める海岸には、人影が全くなかった。がれきは撤去されたものの、細かなごみはまだ砂浜に散乱していた。
 なんと寒々しい光景なんだろう。夏なのに。
 震災以降、延べ6万人以上のボランティアが砂浜清掃に汗を流し、元気を取り戻そうと地元有志が企画した「海まつり」などのイベントも催された。当時は海開きのめどが立たない時期。にぎわいが戻るのは、いつの日になるのか。人々の視線の先はまだ遠かった。
 あれから時は流れた。菖蒲田海水浴場のように、復興の形が見えてきたものもある。ただ、あの「誰もいない海」から今日に至るまで、多くの人の思いや努力が積み重ねられていることを忘れてはならないと、改めて胸に刻んだ。(生活文化部次長 加藤健一)


<山形大アカハラ自殺>学内混乱、調査委設置に2ヵ月超 報告書「異常」と指摘
 山形大工学部(米沢市)の男子学生が2015年11月、指導教員の助教によるアカデミックハラスメント(アカハラ)を苦に自殺した問題で、真相究明に当たる第三者調査委員会が設けられるまで2カ月以上かかっていたことが9日、大学が設置した第三者調査委の報告書で分かった。
 調査委が設置されたのは16年1月。工学部と法人本部との間で設置主体を巡る混乱が生じていたほか、大学の顧問弁護士への連絡に手間取ったのが主な原因とされる。
 関係者の記憶が薄れないうちに迅速な調査が求められていただけに、報告書は「(学生の自殺から)2カ月たっても正式に調査委が決まらない事態は異常」と指摘した。
 大学の規程によると、学内でのハラスメント防止に関する研修、啓発事業や事案対応は主に学部・部局ごとに設置されるキャンパス・ハラスメント防止対策委員会が担う。ただ複数部局にまたがる事案などは全学的なキャンパス・ハラスメント特別対策委員会が対応するケースもある。
 事案に関する調査が必要となった場合は、防止対策委か特別対策委の下に調査委員会を置くことになっている。
 報告書によると、学生の自殺直後、両親は学部内での調査ではなく、独立性の高い委員による調査を求めたことなどから、工学部と法人本部との間で、防止対策委、特別対策委のどちらに調査委を設けるかを巡って混乱が生じたとみられる。
 さらに大学の顧問弁護士と長期間連絡が取れなかったことで、規程の解釈や外部委員による調査委の法的な位置付けの確認にも手間取った。
 報告書は16年1月上旬〜4月下旬に行った学生や教員らへの聞き取りなどに基づき、同年6月10日付でまとめられた。


原爆の日「どこの国の総理」

 「総理、あなたはどこの国の総理ですか」。毎年恒例となっている県内の被爆者5団体による首相への要望。5団体側は冒頭、安倍晋三首相に手渡す文書にはない言葉で、核兵器禁止条約の制定交渉に加わらなかった政府へのいらだちを表した。
 県平和運動センター被爆連の川野浩一議長(77)は首相に要望書を手渡す際、「私たちを見捨てるのですか。今こそ核廃絶の先頭に立つべきです。私たちもお手伝いします」と訴えた。
 首相は表情を変えずに要望書を受け取り着席。「核軍縮の進め方にはさまざまな考えがあるが、核兵器(保有)国と非核兵器国の参画が必要。双方に働き掛けて国際社会を主導する」と強調。核拡散防止条約(NPT)体制などを基本とした従来の取り組みを進める方針を説明した。終了後、川野議長は「条約に賛成する気は全くないという政権の姿勢が明確になった」と憤った。
 県被爆者手帳友愛会の中島正徳会長(87)も「唯一の戦争被爆国の日本が先頭に立てば核廃絶の世論が高まる。政府は核保有国と非核保有国の『橋渡し』をすると言うが、本気でやろうとしているように感じない」と落胆。長崎原爆遺族会の本田魂会長(73)は「『核の傘』で守ってもらっている米国に気を使い、何も言えないのではないか」ともどかしそうに話した。
 県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長(81)は「政府は隣国との緊張を緩和するのではなく、高める側に回っている」と指摘。終了後、首相とあいさつした際、「非核三原則の堅持や核廃絶への努力などこれまでの発言を実行してほしい」と求めたという。「やはり首相なのでわずかでも期待しなければならない。支持率も低下してきているので聞く耳は持っていてほしい」と述べた。


首相、改憲日程先送り/拙速がゆえの当然の帰結だ
 求心力低下の象徴と言っていいだろう。安倍晋三首相(自民党総裁)が先頭に立って旗を振ってきた憲法改正について、軌道修正を余儀なくされた。「黄信号」がともったのではないか。
 「議論を深めるべきだと一石を投じた。スケジュールありきではない。党主導で進めてもらいたい」
 安倍首相が内閣改造後の記者会見で、自ら提唱した改正憲法の2020年施行目標や、秋の臨時国会での自民党改憲案提示について固執しない考えを示した。事実上のスケジュール先送りだろう。
 さらにテレビ番組では「憲法は国民投票で決められる。国会だけで通してしまう法律とは性格が違う」と述べ、慎重な姿勢を強くにじませた。
 都議選で歴史的惨敗を喫し、内閣支持率が急落する中、このまま改憲に前のめりになり、数の力でごり押ししていけば、国民の反発を招くと最終的に判断したのだろう。
 あまりにも拙速すぎて、国民の不信感を招いたのは当然の帰結だ。共同通信の3、4日の世論調査でも、安倍首相の下での改憲に反対する人は53.4%で、賛成の34.5%を大きく上回った。
 20年に施行しなければならない必然性はなく、首相の自己都合以外の何物でもない。「初めに改憲ありき」という側面は拭えず、レガシー(政治的遺産)にしたいのでは、との疑念が今も付きまとう。
 安倍首相が改憲の対象として唱えたのは、9条である。「戦争放棄」「戦力の不保持」を定めた1項、2項は残しつつ、自衛隊の存在を明記するという「加憲」の考え方。学者が自衛隊を違憲と指摘する「鎖」から解き放ちたいというのがその理由だ。
 ただ、大半の国民が自衛隊の存在を認めているのに、改憲の必要があるのかという根本的な疑問が残る。説得力に欠ける、と言わざるを得ない。「自衛隊員が気の毒」というのでは感情論だ。
 2項を削除して「国防軍」創設を盛り込んだ12年の党改憲草案とは相いれず、自民党内でも異論が少なくない。実際、党憲法改正推進本部では「議論百出」の様相で、論議は生煮えのままのようだ。
 安倍首相の改憲を巡る発言は振幅、ぶれが激しい。政局を見極めて戦略的にメッセージを使い分けている節がある。そもそも改憲を諦めたわけではない。断念はコアな保守層の支持基盤を失うことにつながってしまうからだ。
 当面は経済に力を入れることで支持率を回復させていき、改憲に向けてのシナリオを練り直す戦略を描いていることだろう。当然、衆院解散の時期とも絡んでくる。
 改憲の機運が一気にしぼんだ現状を見れば、議論が熟していないことの裏返しだ。早急に変えなければならない不備が現憲法にあるのか。まだまだ国民の理解を得られる根源的な議論が足りない。


岐路の安倍政権 経済政策 いつまで「道半ば」なのか
 「アベノミクスにより、やっとここまで来ることができた。しかし、まだまだやるべきことがある」
 安倍晋三首相は第3次改造内閣でも「経済最優先」を掲げ、十分な効果がまだ得られていないので、この路線を続けるのだと強調した。
 2012年12月の政権発足時に「デフレ脱却」をうたって以来、繰り返してきた主張だ。
 「三本の矢」に始まったアベノミクスは15年秋、「第2ステージに移る」と宣言して「新たな三本の矢」となった。希望を生み出す強い経済、夢をつむぐ子育て支援、安心につながる社会保障の3本だった。
 ほどなく「1億総活躍社会の実現」が掲げられ、そのための「働き方改革」が昨夏の内閣改造の目玉となった。14年秋から続く「すべての女性が輝く社会」と「地方創生」の政策目標も健在である。
 こうしたスローガンを次々に打ち出し「道半ば」を演出しながら、時間稼ぎをしてきた4年半余だった。
 看板の具体化のため、さまざまな施策が展開された。だが、効果について検証した形跡はない。
 次は「人づくり革命」だという。
 首相は「子どもたちの誰もが、夢に向かって頑張ることができる社会。いくつになっても学び直しができ、チャレンジできる社会。人生100年時代を見据えた社会」と言う。目指す将来像に異論はない。
 だが、やはり賞味期限は短く、いずれ看板がつけ替えられると多くの人は受け止めている。そんな空気が漂う中での政策は人々に浸透せず、効果に乏しいものになる。
 この間、多額の税金が費やされた。政策効果が道半ばゆえ手を緩められず、新たな看板にも対応しなければならなかったからだ。財政規律には目をつむった。
 12年末の「国の借金」は997兆円だったが、今年3月末は1071兆円に膨らんだ。消費税増税があったにもかかわらず、である。
 誰にこのツケを払わせるのか。人づくり革命の第一の対象となる将来世代だろうか。夢のない話だ。
 こうしたことを繰り返している限り、消費は伸びず、人々が結婚や子育てに慎重なのも当然と言える。
 今こそ、根本的な修正が不可欠である。


オスプレイ墜落/米軍に飛行中止を求める
 新型輸送機オスプレイがまた墜落した。今度はオーストラリア沖で、米軍は3人の海兵隊員が死亡したと発表した。
 事故機は普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に所属し、米軍は日本政府に対し「輸送揚陸艦への着艦中、デッキに衝突した」と説明している。
 事故を受けて、政府は米軍に日本国内での飛行自粛を申し入れた。オスプレイは沖縄をはじめ、列島各地の空を飛んでいる。政府の要請は当然である。
 ところが米軍はこれを事実上拒否し、要請の翌日、危機感を抱く住民の感情を逆なでするように沖縄県内で飛行させた。どういう感覚なのか。
 在沖縄米軍トップのニコルソン沖縄地域調整官は、抗議に訪れた沖縄県の富川盛武副知事に対し「オスプレイは世界中で飛んでいる」と述べた。だが一方で米国内はもちろん、アフガニスタンやモロッコ、ペルシャ湾、そして沖縄など世界各地で墜落しているのも事実だ。
 今も事故原因をはっきりさせないまま、飛行を続ける。昨年12月に沖縄県名護市沖で起きた不時着事故では、日米合意で原則6カ月以内に提出されるはずの調査報告書が、もう8カ月になるというのに明らかにされないままだ。あまりに不誠実な態度と言うしかない。
 名護市沖の事故同様、オーストラリア沖の事故についても、米軍は深刻度が最も高い「クラスA」に当たると発表した。米軍は機体構造に問題があるのではなく、人為的ミスと判断しているとされる。
 安全性を強調するのなら、過去の事故をどう分析し、どんな対策を講じたのか説明すべきである。それなくして、飛行を続けることは許されない。
 普天間所属のオスプレイは、山口県の岩国や神奈川県の厚木など、各地の米軍基地や自衛隊駐屯地を利用している。飛行ルートの下で暮らし、仕事にいそしむ人々の生命を危険にさらしてはならない。
 沖縄ばかりでなく、きょうから日米合同訓練が始まる北海道、陸上自衛隊が配備を目指す佐賀など、各地で抗議と飛行中止を求める声が上がる。政府は米国に、事故原因の説明と飛行自粛を粘り強く求めるべきだ。


オスプレイ墜落 不安無視する米軍の傲慢
 一体どこの国の空だと思っているのだろうか。
 在沖縄米海兵隊に所属する新型輸送機オスプレイが5日、オーストラリア東海岸沖で訓練中に墜落し、隊員3人が死亡した。米軍は事故の深刻度を最も重大な「クラスA」にあたると発表した。
 事故を受け日本政府は6日、国内でのオスプレイの飛行自粛を米側に要請した。にもかかわらず7日、米軍は普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)からオスプレイを飛行させ、要請を事実上無視した。
 米側は「安全性を確認した上で、運用上必要だと判断した」と説明したというが、事故原因もはっきりしないのに、どうして「安全性を確認」などと言えるのか。
 オスプレイは沖縄だけでなく横田基地(東京都)などに展開・配備の予定がある。陸上自衛隊もオスプレイを導入する計画で、佐賀空港への配備を要請している。日本各地の住民が安全性に懸念を抱く中で、その不安を一顧だにせず平然とオスプレイを飛ばす。米軍の姿勢は傲慢(ごうまん)というほかない。
 米軍のオスプレイは昨年12月にも沖縄県名護市沖で大破する事故を起こしたが、米軍はわずか6日後に飛行を再開した。日本政府は米軍の表面的な説明をうのみにし、当時の稲田朋美防衛相が「再開は理解できる」と容認した。
 今回も政府は最終的に米軍のオスプレイ運用を追認する可能性が高い。沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は「日本政府に当事者能力がない。(米軍の)自由自在という状況だ」と強い不満を表明している。
 この事故に関し、江崎鉄磨沖縄北方担当相が「日米地位協定をもう少し見直さないといけない」と発言した。協定見直しに消極的な政権から見れば新任大臣の認識不足にすぎず、本人も軌道修正したようだが、この不規則発言こそ常識にかなう正論ではないか。
 在日米軍の訓練や演習について、もっと日本側が「物が言える」ように制度を変えなければ、どれほど国民が不安を覚えようとも、米軍機はお構いなしに日本の空を飛び続けることになる。


[オスプレイ自粛要請]こんな弱腰でどうする
 基地の提供であれ運用であれその前提は、地域住民の生活や安全を脅かすものであってはならない、ということである。
 それが安保条約・地位協定を運用する際の根本原則だということを、この際、あらためて確認したい。
 普天間飛行場所属の垂直離着陸機オスプレイは、事故の深刻度が4段階の中で最も重い「クラスA」の事故を1年足らずの間に2度も起こしている。
 政府はオスプレイの沖縄配備にあたって繰り返し「安全性」を強調してきたが、相次ぐ重大事故発生で安全神話は崩れ去ったといっていい。事故原因もはっきりしないのに米軍は沖縄でのオスプレイの飛行を継続し、北海道では10日からオスプレイを投入した日米共同訓練が予定されている。
 飛行訓練が予定されている全国各地で、住民の不安が高まっているのである。 
 基地提供の根本原則を踏まえて考えれば、政府は米軍に対し「飛行自粛」というあいまいな要請ではなく、事故原因の早期究明と安全性が確認されるまでの「飛行中止」を毅然(きぜん)と申し入れるべきだ。
 「飛行自粛」の解釈をめぐっては8日、小野寺五典防衛相と菅義偉官房長官の間で食い違いが表面化し、9日午前の記者会見で菅氏が自らの発言を訂正するというお粗末な事態も表面化した。
 菅氏は当初、「運用上必要なものを除いて…飛行を自粛するよう申し入れた」と説明していた。これでは何のしばりにもならない。
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 自粛とは「自分で自分の行いをつつしむこと」。政府はなぜ、この言葉にこだわるのか。背景にあるのは、「基地を提供している以上、機種の変更や基地の運用には口出しできない」という考えが防衛省、外務省の中にしみついていることである。
 この考えにしばられている限り、冒頭に掲げた根本原則は軽視されざるをえない。沖縄の人びとは、過去、幾度となく米軍優先の対応に接し、悔しい思いをしてきた。
 仮に機体に異常が見られないとしても、それをもって安全だとは言い切れない。
 オスプレイを運用する沖縄の海兵隊部隊は特殊作戦にも従事することになっている。そのために夜間の空中給油や物資つり下げ、パラシュート降下、低空飛行などの訓練を頻繁に実施する。
 危険度の高い訓練を恒常的に行っているのである。問題はそれだけではない。
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 オスプレイは固定翼と回転翼の機能を兼ね備えた垂直離着陸機で、操縦士には普通のヘリとは異なる技術が要求される。機種の性格上、気流の変化にも影響されやすい。
 沖縄での訓練には、こうしたこと以外にも、重大な問題が横たわっている。演習場が狭すぎること、演習場と民間住宅が接近しすぎていることだ。
 狭い沖縄で危険な訓練を続ければ、いつか取り返しのつかない事故が起きる−と、多くの県民が感じ恐れている。 この根本問題に目をつぶるようでは政権失格だ。


【オスプレイ墜落】原因究明まで飛行止めよ
 機体の安全性も、米軍の姿勢も、これでは信頼せよという方が無理な話だ。米軍輸送機オスプレイが再び重大事故を起こした。
 オーストラリア沖で米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の所属機1機が訓練中に墜落し、兵士3人が死亡した。詳細は不明だが、揚陸艦に接触したとみられる。
 固定翼機と回転翼機の双方の機能を持つオスプレイは、1990年代の開発段階から重大事故が相次ぎ、機体のシステムや操縦性の問題が指摘されてきた。
 各地での死者は既に30人を超えている。米軍によると、今回も4段階の最も重い事故に当たるという。
 普天間には2012年以降、住民の反対を無視する格好で20機以上が配備されてきた。住民の不安は的中し昨年12月、同県名護市沖で1機が海に不時着し、大破した。
 やはり欠陥を疑われても仕方があるまい。米国防総省は「安全を最も重視している」と説明している。ならば、事故原因が究明できるまで運航を停止するのが筋だ。
 米軍のオスプレイは本県上空を含め、国内各地を飛んでいる。陸上自衛隊が導入し、佐賀県の佐賀空港へ配備する計画も進む。国民の不安は大きくなるばかりだ。
 日本政府は、米軍に日本国内での飛行を自粛するよう要請したが、あろうことか米軍は事実上、拒否。要請の翌日に沖縄で飛ばした。
 あまりに不遜な対応だ。国民の安全に関わるというのに政府も腰が引けていないか。毅然(きぜん)と抗議しなければならない。
 2016年末の不時着事故の時もそうだった。在沖縄米軍トップは沖縄県の抗議に謝罪するどころか「パイロットは県民に被害を与えなかった。感謝されるべきだ」と述べた。飛行は事故から6日で再開した。
 新任の江崎沖縄北方担当相は事態を憂慮してか、記者会見で「日米地位協定をもう少し見直さないといけない」と発言した。
 地位協定の改定は沖縄県が求めているが、安倍政権は改定までは掲げておらず、江崎氏は結局、趣旨を軌道修正した。閣僚としてあまりに軽率だが、政府が本質的な問題を避けている証しでもある。
 新たな事故を受け、佐賀県知事は事故原因が明らかになるまで佐賀空港への配備に同意できないとの見解を示した。北海道も、陸自と米軍の共同訓練にオスプレイが参加するのを見合わせるよう求めている。当然であろう。
 米国の報道では、米海兵隊は世界中に保有する固定翼機と回転翼機を24時間飛行停止にし、安全確保の手順などを確認するという。日本での反発を意識した可能性があるが、安全安心には程遠い。
 軍用機である以上、過酷な状況を想定した訓練が必要だろうが、住民の命を脅かしていいわけではない。米軍と日米両政府には誠意ある対応と、事故原因や安全性について徹底した情報公開を求める。


辺野古人権侵害 過剰警備を直ちにやめよ
 デモなどの意思表示は民主主義で保障された当然の権利だ。力で抑え込もうとするなら、そうした対応を取る組織は民主主義の敵といえる。
 新基地建設が進む名護市辺野古での抗議活動に参加する人へのアンケートで、参加者のほとんどが警備に当たる機動隊員から何らかの暴力を受けていることが分かった。明らかな人権侵害である。
 県警はアンケート結果を真剣に受け止めてもらいたい。その上で直ちに過剰警備をやめるべきだ。
 アンケートを実施したのは全国の弁護士でつくる日本環境法律家連盟と沖縄ジュゴン「自然の権利」訴訟弁護団だ。辺野古や北部訓練場のヘリ着陸帯建設に抗議する現場では、以前から過剰警備が何度も指摘されてきた。今回は法律家による調査で実態が明らかにされた。弁護団などは「違法性を明らかにして国際機関に働き掛け、日本政府に勧告するよう求める活動につなげたい」と述べている。
 弁護団などが公表したアンケート結果によると、回答207件のうち複数回答で「腕をひねる、ねじる、強くつかむ」行為を受けた人が90人もいた。このうち42人は内出血や捻挫したという。「殴る」「蹴る」も5人ずついた。
 不当な新基地建設に抗議する人々を強制的に排除するだけでも問題だ。さらに強大な権力を持つ警察による暴力行為が常態化している。県警は市民の安全・安心を確保するという警察官の使命を忘れてしまったのか。
 さらに弁護団は市民が身動きできないよう1カ所に隔離する行為も問題視している。
 機動隊のバスなどで市民を囲み、ひどいときには1時間近く排ガスを吸わされる。これに対し弁護団は「法的根拠が不明。監禁行為に当たり、令状などが必要な行為」と厳しく指摘している。
 恐ろしいのは、県警がこうした不当、違法性の高い行為に無自覚であるということだ。県警の重久真毅警備部長は7月6日の県議会総務企画委員会で、警察車両を使った市民の囲い込みについて問われ「排ガスを吸いたくなければ、違法行為をやめていただくことだ」と答弁した。
 法的根拠もなく市民を「監禁」する行為に対して、警備部門の責任者が容認しているのだ。幹部がこうした認識であれば、現場で過剰警備がはびこるのも当然といえる。
 県公安委員会は、県民を代表して警察を管理するだけでなく、県民の意見を警察行政に反映させる役割がある。即刻、過剰警備をやめるよう働き掛けてもらいたい。
 現場に立つ県警が矢面に立たされてはいるが、問題の根源は民意を無視した新基地建設を強行する政府にある。
 国民を危険にさらしてまで造る新基地にどれほどの価値があるのか。民意を無視した政策にどれだけの正当性があるのか。政府は弁護団の指摘を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。


エネルギー計画 原発依存脱する道筋を
 経済産業省は、原発を含む2030年に向けたエネルギー政策の指針となるエネルギー基本計画を見直す議論を始めた。
 現行計画は14年に決定された。東京電力福島第1原発事故後、初の改定作業だったにもかかわらず、原発を「重要なベースロード電源」に位置づけ、再稼働を進める方針を明記した。
 新たな規制基準の下、すでに5基が再稼働している。
 忘れてならないのは、福島の事故により、5万人以上の人が避難を続け、廃炉のめども立っていないことだ。各種世論調査では国民の多数が再稼働に反対している。
 こうした事情を顧みず、再稼働を推進する政府と大手電力の姿勢は納得できない。
 国民は、原発抜きで電力需給を工夫する経験もした。もはや原発は不可欠な電源とは言えない。
 新計画では、原発依存を脱する道筋を国民に示すべきだ。
 現行計画は原発依存度を「可能な限り低減する」と明記したが、15年に決めた30年の電源構成で原発の比率は20〜22%とされた。
 本来、運転期間を原則40年とするルールを厳密に適用すれば、15%程度に下がる。最初から、運転延長を前提にしており、可能な限り低減する方針と矛盾する。
 現に、原子力規制委員会は、「相当困難」としていたはずの運転延長を関西電力高浜原発1、2号機などについて認めた。
 今回は、原発の新増設の可否も議題に上っている。
 これでは、低減方針は「空手形」にすぎない。民意はほとんど無視されている。
 新基準導入後、原発から30キロ圏内は避難計画策定が義務付けられたのに、周辺自治体は再稼働に実質的に関与できない。
 新計画では、地元同意のあり方を見直す必要がある。
 核燃料サイクル政策を巡っては、要となる再処理施設の稼働のめどは立たず、高速増殖原型炉もんじゅの廃炉も決まった。
 事実上破綻した現状を直視し、撤退すべきだ。
 現行目標では、電源に占める再生可能エネルギーの比率は30年で22〜24%だが、一層高める努力が欠かせない。
 再生エネは分散型の電力で、地域振興にもつながる。
 道内でも、酪農や林業でのバイオマスをはじめ太陽光、風力などの発電が着実に広がっている。
 脱原発依存のためにも野心的な目標を設定すべきだ。


国税庁長官の会見拒否 人前に出ない不可思議さ
 行政機関のトップとして首をかしげざるを得ない対応だ。
 国税庁が、佐川宣寿(のぶひさ)長官の就任に伴う記者会見を行わないと決めた。財務省理財局長だった時、森友学園への国有地払い下げ問題を巡り、国会で交渉経過の説明と徹底した調査を拒否した人物だ。
 佐川氏の就任は1カ月前だ。国税庁の記者クラブは会見を再三求めたが、国税庁は先送りした揚げ句、「諸般の事情」を理由に拒んだ。
 森友学園を巡っては、安倍晋三首相の妻を名誉校長とする小学校の用地として国有地が不当に安く売却されたのではないかと言われてきた。
 佐川氏は「価格は適正」と強調したが「記録は破棄した」「データはない」と繰り返した。木で鼻をくくったような姿勢に野党は反発した。
 「先方からいくらで買いたいと希望があったこともない」とも答弁したが、虚偽の可能性が指摘される。
 会見で国会答弁の疑問点を蒸し返されるのを嫌がったのだろう。
 佐川氏の人事について、「論功」との野党の批判に対し、麻生太郎財務相や菅義偉官房長官は「適材適所」と主張してきた。
 佐川氏は大阪国税局長や国税庁次長を歴任した。理財局長から国税庁長官に就任するケースは多く、佐川氏の昇格が異例なわけではない。
 それならば、なおさら堂々と会見に臨んでいいはずだ。応じないのは、何か後ろめたい事情があると思われても仕方がないのではないか。役所のトップが人前に出るのを拒むのは不可思議である。
 税金を徴収する国税庁の権力は絶大だ。公平さが重要な業務であり、国民の理解と信頼が欠かせない。
 佐川氏は会見の代わりとして文書で談話を出し、国税庁の使命を「公平な課税」「悪質な事案への厳正な対応」と表明した。
 ただ、森友問題解明のかぎを握る人物が疑惑をうやむやにしたまま、一方的に納税の重要性を強調しても説得力に乏しい。国税当局の税務調査に支障が出る恐れも指摘される。
 政権の対応も問題だ。
 首相の友人が理事長の加計学園問題と並んで不透明な行政への不信が国民の間で広がった。批判を受け、首相は「丁寧な説明」を約束した。佐川氏に会見を促すのが筋だ。


加計記載なし 国家戦略特区「議事要旨」改ざんは日常茶飯
 曇りだらけじゃないか――。2015年6月の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)のヒアリングに、加計学園幹部が出席し、今治市の獣医学部新設の意向を明言していた問題。WGの「議事要旨」には一切記載されておらず、「諮問会議やWGで議事も全て公開するオープンな形で議論している」(7月25日参院予算委)という安倍首相答弁は完全に崩壊だ。
 塩見英之内閣府参事官は、「『説明補助者』という非公式な立場だった。発言も公式なものではないため、記載していない」とか言っているが、公式の場で非公式発言もヘッタくれもない。菅義偉官房長官は8日、「加計学園は共同提案者ではなく、(説明)補助者。ルールに基づいている」との認識を示した。しかし、この解釈が許されるのであれば、加計学園のように提案者以外の利害関係者が出席して会議で猛アピールしても「議事要旨」には記載されないことになってしまう。一体、どこが「オープンな議論」というのか。この問題を追及している田村智子参院議員(共産党)はこう憤る。
「オープンにしているように装いながら、都合の悪い部分だけを隠すのは最も悪質です。しかも、それをルール通りと強弁しているわけで、“加計隠し”がシステム化していたのでしょう」
 これほどデタラメだと「議事要旨」の改ざんは常態化していた疑いが濃厚だ。国家戦略特区のWGや諮問会議の議事では、概要版の「議事要旨」はすぐに公開されるが、詳細な議事録の公開はナント4年後。審議中の議論の行方をチェックするには「議事要旨」を見るしか方法がない。しかも、梶山弘志地方創生相は「速記録は議事録や議事要旨を作った時点で不要になる」と速記録の破棄を認めているから、政権にとって都合の悪い情報は削除し放題だ。
 実際、獣医学部新設を認める方針を決定した昨年11月9日の国家戦略特区諮問会議の議事要旨を見ると一目瞭然だ。この会議で、松野文科相(当時)は「今後とも内閣府及び農林水産省と連携協力し、調整を行ってまいります」と発言していたことが、文科省の内部メモで明らかになったが、「議事要旨」ではこう記されている。
<文部科学省におきましては、設置認可申請については、大学設置認可にかかわる基準に基づき、適切に審査を行ってまいる考えです>
 メモにあった内閣府や農水省との調整の部分はバッサリ削除され、文科省が獣医学部新設に前向きな姿勢を示していたような発言内容に“捏造”されているのだ。
「4年後に議事録を公開するというのはどう考えても遅すぎます。加計学園のように何か問題がある案件だったとしても、すぐに確認できません。都合の悪い情報は省略したり、加工したりするといった議事録の改ざんが日常的に行われている疑いが強い」(田村議員)
まさに国家ぐるみの徹底的な加計隠しと言っていい。


防衛白書 日報素通りは不誠実だ
 国民に現実を公正、客観的に伝えようとしているのだろうか。防衛省が公表した今年の防衛白書には、そんな疑問を禁じ得ない。
 南スーダンの首都ジュバに派遣した陸上自衛隊の国連平和維持活動(PKO)に関し、ジュバで昨年7月に激しい「戦闘」があったことを記した陸自の日報隠蔽(いんぺい)問題について言及がなかった。
 小野寺五典防衛相は白書の巻頭言で「防衛省・自衛隊が任務を的確に遂行するためには、何よりも国民の皆さまの理解と信頼が不可欠だ」と記した。
 ならば、政府にとって不都合な真実も直視しなければ、その目的は果たせまい。
 防衛省は日報問題に触れなかったことについて、特別防衛監察結果の公表が今年6月までの白書の記載対象期間の後だったため、来年に回すことにしたと説明する。
 だが、日報問題は3月に特別防衛監察が始まる前から、国会で激しい論戦が交わされていた。
 稲田朋美元防衛相が「戦闘」を「武力衝突」と言い換えていたのは、安全保障法制に基づく新任務として付与した駆け付け警護の危険性から目をそらすためだ―。
 野党側はこう追及した。
 この1年の日本の安全保障政策を振り返る上で日報問題を素通りするのはおかしい。監察の途中でも経過に触れるのが筋だ。
 不誠実な姿勢はほかにもある。
 北朝鮮情勢の緊張を受け、安保法に基づく海上自衛隊の米艦防護が5月に初めて実施された。
 だが、政府は公式には実施したかどうかをいまだに明らかにしておらず、白書にも記述はない。
 安保法の審議で、安倍晋三首相が米艦防護について「可能な限り最大限情報を開示し丁寧に説明する」と述べた答弁と矛盾する。
 また白書は沖縄の米軍北部訓練場4千ヘクタールが返還された成果を強調したが、返還条件として訓練場の残る敷地に建設したヘリパッド周辺の騒音被害には触れていない。
 そればかりか、建設反対派の行動を「妨害行為」と断定した。あまりに一方的ではないか。
 白書は、北朝鮮の核・ミサイル開発は「新たな段階の脅威」と位置付けた。中国の海洋進出にも引き続き強い懸念を示した。
 こうした認識の下、首相は4年前に閣議決定した現行の防衛大綱の見直しを小野寺氏に指示した。
 脅威を強調して防衛力をひたすら強化する政策が、安全保障環境の好転につながるだろうか。国会で徹底的な議論が求められる。


長崎市長の平和宣言 核抑止論を正面から問う
 「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたい―。7月に国連で採択された核兵器禁止条約について長崎市の田上富久市長がきのう平和宣言の冒頭で、こう述べたことに大いに共鳴する。
 条約は核保有国や日本の参加を得られていない。それでは実効性がない、という指摘もあろう。しかし、条約は国連加盟国の6割を超える122カ国の賛同を得た。時を置かず核攻撃を受けた日本の二つの都市を明確に念頭に置いたものであり、「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼んでいいだろう。
 田上市長が読み上げた宣言にあるように、私たちも非核保有国や国連などの「人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動」に感謝の念を示したい。
 その上で核保有国と「核の傘」の下にある国に対し、田上市長は「安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください」と述べた。核抑止論を明快に否定した、被爆都市の首長の重い進言ではないだろうか。
 むろん、安倍晋三首相も広島と長崎でそれぞれあいさつし、「核兵器なき世界」を実現するために何が必要か言及した。だが、核保有国と非保有国双方の参画を説くのみで、核兵器禁止条約には触れず、核廃絶の具体的なプランはない。
 あるいは、米国のオバマ前大統領が広島で「私の国のように核を保有する国々は恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と述べたほどの決意さえうかがえない。
 広島市の松井一実市長と田上市長はともに、ことしの平和宣言で憲法に触れている。松井市長は憲法の平和主義を体現するためにも条約の締結促進と核保有国と非保有国の橋渡しを政府に求め、田上市長は「二度と戦争をしてはならないと固く決意した憲法の平和の理念」を非核三原則の厳守とともに世界に発信すべきだとした。
 戦争放棄をうたう1項と戦力不保持を定めた2項を維持したまま自衛隊の存在を書き加える憲法9条改正を、安倍首相が打ち出していることと無関係ではあるまい。被爆者の多くは9条の平和主義を「核兵器なき世界」への力にしてきたのではなかったか。その先行きへの漠たる不安感があろう。
 田上市長は平和宣言で、最も怖いのは無関心と忘却である、とも述べた。「被爆者のいる時代」の終わりが近づいている、という表現も用いた。肉声による被爆体験だけには頼れない時代がいずれ訪れる。
 その意味で、20年目を迎えた「高校生平和大使」がきのう全国各地から長崎市の爆心地に集い、「核兵器なき世界」に向けて行動していく、と宣言したことは心強い。長崎原爆の当初の投下目標とされていた北九州市で、被爆都市を想定する市の平和資料館構想が動きだしていることも注目したい。
 「継承」がより重要になり、博物館や資料館などで「モノをして語らしめる」ことの重みが増していく。その思いを強くしたことしの8月6日であり、8月9日である。


長崎平和宣言 核禁止条約を育てよう
 田上富久長崎市長は平和宣言で、政府に対し核兵器禁止条約に加わるよう求めた。核抑止力より、人類に及ぼす非人道性をよく考えるべきだとも述べた。被爆地からの訴えは、一層重みを増した。
 長崎平和宣言は被爆者と識者、市民による起草委員会で協議される。田上市長は七月に国連会合で採択された条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼び、被爆者の長年の努力が実を結んだと述べた。
 政府に対し、条約への一日も早い参加と、米国の「核の傘」に安全保障を依存する政策を見直すよう訴えた。核がもたらす惨状を十分に理解しているはずの日本政府が、矛盾した政策を取り続けていることを強く批判した。
 政府は米国、ロシア、中国など核保有国が条約に参加しない現状では実効性に疑問があるとの理由で、条約に署名しない方針だ。一方で、核を持つ国々と持たない国々の「橋渡し」をすると強調し、安倍晋三首相も広島、長崎両市での式典でこの点に言及した。
 しかし、橋渡しとはどんな役割をするのか、具体的な政策が見えてこない。米ロ中などとの首脳会談、外相会談で、繰り返し核軍縮に言及すべきなのに、そのような発言は聞かれない。日本は核を持つインドと原子力協定を締結したが、今後の核開発に厳しい縛りをかけられるか、疑念がぬぐえないままだ。
 禁止条約は非締結国に対しても、会議へのオブザーバー参加を認めている。日本は出席して、条約を支持した国々の声を正確に受け止める必要がある。
 田上市長は宣言で「ようやく生まれたこの(禁止)条約をいかに生かし、進めることができるか、人類に問われている」と語った。条約は来年後半にも発効する見通しだ。一カ国でも多く参加し、核廃絶への国際世論を高めたい。
 日本には被爆者の貴重な証言をはじめ、原爆投下の惨状を伝える多くの資料がある。政府はもちろん研究者、市民団体、個人でも世界に発信することができる。
 第一歩を踏み出した禁止条約が核なき世界への道筋となるよう、粘り強く育てていきたい。被爆国の国民としての重要な責務である。
 条約採択を受けて国際社会は、世界の核兵器の90%以上を保有する米ロ両国に軍縮を促さねばならない。大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発を急ぐ北朝鮮には、さらに孤立し経済発展の望みも実現しないと伝え続けたい。


差別、格差、戦争 同和問題啓発月間に考える
 6日の広島原爆忌、昨日9日の長崎原爆忌、そして15日の終戦の日。あの戦争を語り継ぐ日が続く。この時期に集中する報道を「8月ジャーナリズム」と揶揄(やゆ)する向きもあるが、戦争体験者が少なくなる一方、国の平和と安定をめぐる内外の情勢は複雑さを増す。報道を含め、その時どきの視点をもって教訓を胸に刻み直す意義は大きい。
 8月は「同和問題啓発強調月間」でもある。佐賀県独自の月間として1991年から始まった。歴史はそう古くないが、「寝た子は起こすな」論、つまり同和問題、部落差別問題をタブー視しがちな風土の中で差別の歴史と現実に向き合う機会となってきた。
 部落差別の現状はどうか。本紙書評欄で先日紹介した『結婚差別の社会学』(斎藤直子著)は生活の多様化などを踏まえ、「従来の『系譜的連続性・地域的要素・職業』というようなイメージでは実態をうまくつかめない」としつつ、「だからといって問題が『なくなった』のではない。現にさまざまな差別が根深くあり、今も身元調査ビジネスやヘイトスピーチの対象になっている」と指摘する。
 インターネット上には同和地区に対する差別的な言辞があふれる。ネットの匿名性が個人の内面に沈潜していたものを表出させる。こうした感情がなぜ生まれるのか。啓発を形骸化させないためにも直視しなければならない。
 と、同時に、積み重ねた成果を広く社会に還元する必要がある。
 差別と偏見は就労の機会を奪い、経済格差を生む。経済格差は家庭の学習環境の低下をもたらし、子どもの教育や進路に影響を及ぼす。その結果、格差が固定化し、再生産されていく。いわゆる差別と貧困の連鎖である。
 この負の連鎖を断ち切るため、部落差別撤廃運動は学校現場での教育支援や企業の公正採用の取り組みと連携して進められてきた。だが今、同じような連鎖が深刻化している。子どもの貧困である。
 先の佐賀県総合教育会議でも取り上げられ、子どもの7人に1人が貧困状態で、佐賀県内では約7割の子どもが大学などに進学する中、生活保護世帯の子どもは15%にとどまる実態が報告された。
 1965年の同和対策審議会答申以来、同和問題は「国民的課題」としてさまざまな施策が講じられてきた。非合理的な偏見、前時代的な意識が残る「日本社会固有」の人権問題とする位置付けゆえだが、差別はすべて当事者にとって深刻で重大な問題である。
 障害者、ハンセン病元患者らの人権問題がそうであり、在日朝鮮人や韓国人に対するヘイトスピーチ、性的マイノリティーへの偏見など新たな人権問題が浮上する。
 だからこそ、同和対策や差別解消の先頭に立ってきた部落解放運動の到達点と教訓を踏まえ、貧困や格差をはじめ差別を生み出す社会的背景を根本から変えていくことが求められる。
 格差社会を問い続けるジャーナリストの斎藤貴男さんは十数年前、哲学者高橋哲哉さんとの対談著作で「不平等が拡大した階層社会と、自国を疑うことのない愛国心が整った時、戦争は遠くないだろう」と論じた。今日、状況はどうか。戦争を振り返る8月に差別や格差社会との相関を考える。その意義も大きい。(吉木正彦)


稲田欠席の閉会中審査がヒドすぎる! 小野寺防衛相も同じ穴のムジナ、陸自報告書を「読んでない」とごまかし
 稲田朋美前防衛相が欠席するという、とんでもないかたちでおこなわれた、きょうの閉会中審査。疑惑の当事者が欠席するなどまったくあり得ないが、稲田氏の欠席について追及された小野寺五典防衛相は、「委員会のなかで議論する内容」と無責任に述べた。無論、疑惑は払拭されるどころかより深まっただけでなく、安倍政権の隠蔽体質が遺憾なく発揮される審議となった。
 たとえば、公表された特別防衛監察の結果では、稲田氏が日報データの保管について了承していたか否かについて、「データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」などという曖昧な表現でお茶を濁していた。しかし、フジテレビがスクープした「手書きメモ」には、陸自でも日報データが保管されていたことを知った稲田氏が「明日なんて答えよう」と語ったことが記されている。稲田氏が日報隠蔽を了承していたことは明白だ。
 だが、このメモに登場する辰己昌良・前統合幕僚監部総括官は「事実関係は監察結果に記述してある通り。これ以上、私の立場から申し上げることは差し控える」と答弁。この後も、辰巳前総括官は何を訊かれてもこの言葉を繰り返すだけだった。
 しかも、小野寺防衛相の口からは、信じがたい発言が飛び出した。それは陸自が独自で調査結果をまとめ、防衛監察本部にも提出された内部報告書についてだ。この陸自の報告書では、稲田氏に対して日報データが保管されていた事実を伝えていたことが記されているといわれている。
 しかし、驚いたことに、小野寺防衛相はこの陸自報告書を「とくに読んでおりません」と答弁したのである。
稲田も、報告書も、監察結果も出さず、隠蔽に加担する小野寺防衛相
 重要な資料を読んでいないと公言する大臣が、何を言っても納得できるはずがない。さらに、小野寺防衛相は稲田氏とはこの日報問題について会って話をしておらず、「電話で確認した」だけだと言う。まったく話にならないのだ。
 手書きメモや陸自報告書では稲田氏の関与が明確に示されているのに、監察結果にはそれが反映されていない。小野寺防衛相は「大臣の承認を証言した方はいなかった」「(稲田氏に報告)したかもしれないという方が複数いたが、意見が二転三転し、曖昧なところもあった」と言うが、民進党の玉木雄一郎議員は「否定しているのは大臣と秘書官だけなのでは?」と疑義を呈し、「証言の主張対比表をつくって監察は比較検討している。これは明確にある。陸自の報告書、手書きメモ、主張対比表を提出してください」と迫った。
 だが、小野寺防衛相の答弁は、「開示することは困難。開示請求を受けても情報公開法で不開示情報に該当する」。また、第三者機関による再調査を求められても「この監察結果はしっかり報告された内容と承知している」とし、これも拒否した。
 稲田氏を審議に「出さない」、報告書は「出さない」、監察結果がまとめられた経過も「出さない」──。隠蔽の事実に不信感が募っているのに、この期に及んでまだ隠そうとする。大臣を挿げ替えたところで、その本質は何も変わっていないのだ。そして、当然ながら、こうした隠蔽体質の元凶は、安倍首相にある。
 そもそも、稲田氏は閉会中審査への出席について、「出たくないねん」と関係者に漏らしていたと報じられている。まったく無責任も甚だしいが、一方で竹下亘・前自民党国対委員長も「辞任した大臣を国会に呼び出すことはやってはいけない」と語り、稲田氏の出席を拒否した。
 しかし、ここまできて本人の一存や国対委員長の判断で欠席を決定できるはずがない。いや、安倍首相がそれを指示すれば、稲田氏も出ないわけにはいかない。ようするに、安倍首相こそが稲田氏の出席を拒否したのである。その上、稲田氏の任命責任を問われるのはもちろん、安倍首相自身も日報隠蔽への関与が疑われているにもかかわらず、自分自身も欠席し、追及から逃げたのだ。
閉会中審査を中継せずに高校野球を放送し続けたNHK
 4日に『news every.』(日本テレビ)に生出演した際、安倍首相は日報隠蔽問題について、「説明責任が欠けていたという問題点がありました。そういう意味において意識を変え、そして再発防止を進めていくことが、わたしたちの責任」「国会が必要と認めれば、当然、稲田さんも国会議員として誠意をもって対応していくと思います」と殊勝なふりをして語っていた。なのにきょうの審議はどうだ。稲田氏はもちろんのこと、新任したばかりの防衛相も説明責任を投げ捨て、当の安倍首相も逃亡。「意識を変える」など、やはり口からでまかせでしかなかったのだ。
 さらに、きょうの閉会中審査は、NHKの中継もなし。高校野球を延々と放送していた。国民の関心は高いのに、これもまた官邸の意向を忖度しての判断なのだろう。
 実際、政府は臨時国会を9月下旬に開催する意向だが、これが時間稼ぎであることは見え見えだ。森友・加計学園問題も、この日報隠蔽問題も、そのころにはメディアもネタがつき、そうすれば関心も薄れるはずだ。そう踏んでいるのだろう。安保法制を強行採決した際、「国民は時間が経てば忘れる」とあざけったように。
 いいかげん、この男を引きずり下ろさなくては、いつまでも国民はバカにされつづけることになる。きょうの閉会中審査では、そのことを再認識した。(編集部)


「コンドームつけて」思いをボールペンに
「コンドームつけて」思いをボールペンに
性感染症、梅毒の感染が拡大しています。感染者はこの10年で4倍です。「感染を防ぐ意識を持ってほしい」「検査に行ってほしい」。そんな思いから、性風俗産業で働く人たちの安全衛生向上を目指す団体があるボールペンを手にして東京の街で啓発活動を行いました。(ネットワーク報道部 岡田真理紗)
10日有楽町駅前
8月10日の夕方、有楽町の駅前。道行く人に声をかけボールペンを配る人たちの姿がありました。今、感染が急増している「梅毒」の感染予防を呼びかけるためです。ボールペンには無料・匿名で検査を受けられる保健所などの一覧表がついています。
この活動をしたのは、性風俗の店で働く人の健康と安全を守るために活動している団体、「SWASH」。店で働く人たちと団体のサポーターが参加しました。
去年1年間に梅毒に感染した人は4557人、10年前の718人の4倍以上。(国立感染症研究所調査)特に増加しているのは20代の女性と、30代から50代の男性です。
梅毒に感染すると
梅毒は古くからある性病のひとつ。粘膜同士の接触で感染するため、セックスだけでなく、オーラルセックスやキスでも感染します。感染すると、性器などにしこりができたり、全身に発疹ができたりします。治療しなくても症状が自然に消えるため「治った」と勘違いされることもあります。さらに症状が出ない人も3割程度いるため、気づかないうちに相手に感染させてしまうケースも出ています。早期に発見すれば薬で完治しますが、進行してしまうと最終的には死に至る危険もあるのです。
また女性の場合、妊娠中に感染すると、流産や死産の原因となるほか、赤ちゃんに先天性の障害が出るおそれも指摘されています。
コンドームをつけ、粘膜を接触させないことで、感染のリスクを減らすことができますが、SWASHの代表の要友紀子さんに聞くと、これが難しいといいます。
「サービスのうち、特にオーラルセックスはコンドームをつけないで行うことが主流となっているからです」
実態を調べた調査もありました。
なぜ着けない?調査から見ると
厚生労働省のエイズ対策研究事業に採択され、平成19年から20年にかけて行われた調査です。
風俗サービスを利用した経験がある男性785人が回答しました。「過去1年間に風俗店に行った」と答えた人は390人。このうち直近に利用した性風俗店でコンドームを毎回装着したと回答した人の割合は、ソープランドが64.4%、店舗型ヘルスが32.9%などとなりました。
このうちコンドームをつけなかった人に、理由をたずねています。以下の選択肢に「あてはまる」または「大いにあてはまる」と答えた人の割合は「セックスはできるだけ自然な姿でしたい」が52.8%、「快感がそこなわれるから」が51.1%。このほか「性病、エイズの心配がなかったから」が40.7%、「自分は大丈夫と安心していたから」が39.3%でした。数字から見ると感染の危険を軽く考えている人が多い傾向がうかがえました。
働く人たちの声は
風俗店で働く女性に話を聞いたところ、性風俗店は「コンドームなしでの接客」を売りにしているところも多く、女性側が嫌だというと「それではお客が取れない」「指名がつかない」と言われることがあると話していました。
また着けることを決めている店でも「コンドームを使わないでサービスをしてほしい」とお客が要求してくるケースもあるそうです。
先ほどの調査にも「女性にコンドームを使わないサービスを依頼したことがあるか」という項目がありました。「あてはまる」または「大いにあてはまる」と答えた人は4人に1人でした。(26.8%)。
お客さんに渡したい
SWASHは、これまで風俗店で働く人を対象に感染を防ぐ研修や勉強会を開いてきました。しかし、働く側だけではなく、客側の意識も向上させることが欠かせないと考え、今年はじめて作ったのが、啓発ボールペンです。
作ったことをツイッターなどで知らせたところ、風俗で働く女性たちから「お客さんに渡したい」と連絡があり、すぐにボールペンを送りました。
要さんは「お客さんに自分で”コンドームをつけてほしい””検査にいってほしい”と言いにくい雰囲気があるが、啓発グッズがあれば話しやすいんです」と語っていました。
啓発活動に参加した人たちは連休前の夜の東京で、道行くに人に声をかけ、ボールペンを手渡していました。店では感染の不安を口に出せず、ボールペンで思いを伝える人もいると思います。
感染を防ぐための啓発活動。まずは小さな一歩ですが、SWASHの人たちは今後も続けていくことにしています。


心の傷に貼る言葉のばんそうこう 上松の大畑さんが作成
 木曽郡上松町のイラストレーターで絵本作家の大畑哲也さん(36)が「心の傷に貼る言葉のばんそうこう」と名付けたばんそうこう型のシールを作り、人気を呼んでいる。「がんばってるのしってるよ」など、元気になってほしい人に贈ったりする26のメッセージだ。
 大畑さんはうつを経験し、さまざまな悩みを抱える人へのメッセージとして、自らを投影させた素朴なイラストを添えた「一枚絵本」を描き続けている。2015年には59点をまとめた絵本を自費出版。より身近に言葉を伝えられないかと考え、「言葉のばんそうこう」を思い付いた。
 最初は「痛いの痛いの飛んでった!」だけだったが、昨年9月に売り出してみるとさまざまな要望が寄せられ、言葉の種類が増えた。これまでに千枚以上売れた。
 直接声を掛けられない同僚に渡す人が多いという。一人暮らしのわが子に贈る「いつでも電話しておいで」、子どもから親へ感謝を込めた「あなたの子供でほんとよかったぁ」などの他、「あなたなら大丈夫」のように自分用にも他人用にも使えるものも。大畑さんは「今後も見た人の気持ちが楽になる言葉を考えたい」と話している。
 同町の「ねざめ亭」や伊那市の平安堂伊那店で1枚80円(税抜き)で販売している。


加計記載なし 国家戦略特区「議事要旨」改ざんは日常茶飯
 曇りだらけじゃないか――。2015年6月の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)のヒアリングに、加計学園幹部が出席し、今治市の獣医学部新設の意向を明言していた問題。WGの「議事要旨」には一切記載されておらず、「諮問会議やWGで議事も全て公開するオープンな形で議論している」(7月25日参院予算委)という安倍首相答弁は完全に崩壊だ。
 塩見英之内閣府参事官は、「『説明補助者』という非公式な立場だった。発言も公式なものではないため、記載していない」とか言っているが、公式の場で非公式発言もヘッタくれもない。菅義偉官房長官は8日、「加計学園は共同提案者ではなく、(説明)補助者。ルールに基づいている」との認識を示した。しかし、この解釈が許されるのであれば、加計学園のように提案者以外の利害関係者が出席して会議で猛アピールしても「議事要旨」には記載されないことになってしまう。一体、どこが「オープンな議論」というのか。この問題を追及している田村智子参院議員(共産党)はこう憤る。
「オープンにしているように装いながら、都合の悪い部分だけを隠すのは最も悪質です。しかも、それをルール通りと強弁しているわけで、“加計隠し”がシステム化していたのでしょう」
 これほどデタラメだと「議事要旨」の改ざんは常態化していた疑いが濃厚だ。国家戦略特区のWGや諮問会議の議事では、概要版の「議事要旨」はすぐに公開されるが、詳細な議事録の公開はナント4年後。審議中の議論の行方をチェックするには「議事要旨」を見るしか方法がない。しかも、梶山弘志地方創生相は「速記録は議事録や議事要旨を作った時点で不要になる」と速記録の破棄を認めているから、政権にとって都合の悪い情報は削除し放題だ。
 実際、獣医学部新設を認める方針を決定した昨年11月9日の国家戦略特区諮問会議の議事要旨を見ると一目瞭然だ。この会議で、松野文科相(当時)は「今後とも内閣府及び農林水産省と連携協力し、調整を行ってまいります」と発言していたことが、文科省の内部メモで明らかになったが、「議事要旨」ではこう記されている。
<文部科学省におきましては、設置認可申請については、大学設置認可にかかわる基準に基づき、適切に審査を行ってまいる考えです>
 メモにあった内閣府や農水省との調整の部分はバッサリ削除され、文科省が獣医学部新設に前向きな姿勢を示していたような発言内容に“捏造”されているのだ。
「4年後に議事録を公開するというのはどう考えても遅すぎます。加計学園のように何か問題がある案件だったとしても、すぐに確認できません。都合の悪い情報は省略したり、加工したりするといった議事録の改ざんが日常的に行われている疑いが強い」(田村議員)
 まさに国家ぐるみの徹底的な加計隠しと言っていい。


万引き捜査の署員、中学生に「少年院ぶちこむ」
 警視庁高井戸署員が2015年12月、万引き事件の捜査で、当時中学生の少年2人に対し、「認めないと逮捕するぞ」などの暴言を吐いていたことがわかった。
 同庁は、署員2人を注意処分とし、少年の両親に謝罪した。
 少年から申し立てを受けた東京弁護士会は10日、人権侵害があったとして、高井戸署に警告した。
 同庁幹部によると、15年12月、スーパーで起きた万引きで、同署の警部補と巡査部長が、同級生に万引きを強要した疑いがあるとして、中学生の少年2人を任意で取り調べた。
 少年らは事件への関与を否定したが、警部補らは黙秘権を告知せず、「高校に行けなくしてやる」「鑑別でも少年院でもぶちこむしかない」などと強い口調で迫ったという。少年の1人が取り調べをICレコーダーで録音していた。最終的に、少年らの万引きへの関与は認められなかったという。


女性蔑視社員を解雇できるGoogleとできない日本企業の差【勝部元気のウェブ時評】
「テクノロジー業界に女性が少ないのは、偏見や差別によるものではなく、男女の生物学的な違いが原因」と社内文書で主張したGoogleの男性社員James Damore氏が、解雇されるということがアメリカで起こったようです。
CNET Japanの報道によると、解雇の理由としては「ジェンダーバイアスを捨てきれずにいる」という理由のようで、CEOのSundar Pichai氏は、公式ブログに従業員宛てのメッセージを公開して、今回の文書が「行動規範の違反」に相当するとし、「我々の職場において、ジェンダーに関する有害なステレオタイプを助長させてしまい、一線を越えた」と非難しました。
ジェンダーバイアスは血液型占いと同じレベル
一部では「解雇はやり過ぎだ」という声も出ているようですが、もちろんGoogleの判断は私も正しいと思います。詳細は後述しますが、ジェンダーに対する偏見がいかに「危険な思想」であるかを分かっていれば、解雇という判断は決して重くはありません。
逆に、日本の職場では、このような偏見を当たり前に口にして有害なステレオタイプを助長している人は少なくないはずで、企業が解雇という厳格な対応をすることで「働きやすい職場」を作ることができるアメリカの法律をとても羨ましく思ってしまいました。日本は解雇に関する要件がかなり厳しいですが、このような差別や蔑視の事例における解雇については、規制緩和をするべきでしょう。
確かに昔から理系科目は女子が苦手と言われることは多いですが、フランスで2022年に医師の約60%を女性が占めると予測されているほど急速に女性医師が増えている等、近年ヨーロッパを中心に理系の分野において女性が男性を上回る事例が出ています。もちろん「男性は医師に向いていない」という偏見があるわけではないので、生物学的な差というものはないように思うのです。
結局のところ、向き不向きに関しては、性別差よりも個体差による影響のほうが大きいのではないでしょうか? それに万が一男女で多少傾向の違いにあったとしても、教育等の他の変数で簡単に超えられるものであり、「A型は几帳面」のような血液型占いと同じレベルのものでしょう。そのようなことをいちいち発言するメリットは男性にも無いですし、むしろ女性への抑圧を生むというマイナスの影響しかありません。
終わっているのはGoogleじゃなくて日本のネット民
ところが、このニュースに対して、日本のインターネット上でも「グーグルもジェンダー病か、終わったな」「女様優遇か」「女性様を少しでも批判するとこれだ」「もうグーグルは女だけでやってればいいんじゃね」「グーグルも衰退期に移行しつつあるな」等、Googleの対応を批判する声が散見されます。
私としては、ダイバーシティ経営を武器に多様な人材を世界中から集めて時価総額世界2位まで上り詰め、今なお拡大している超優良企業に対して、安易に「終わったな」と言えてしまう神経に心底ビックリしてしまいました。15年前にとっくに終わってしまった人たちの負け犬の遠吠え・恨みつらみにしか聞こえません。天に唾しているようにも見えます。
また、Googleは差別をする人に厳しい態度を取っただけなのに、これを男性に対して厳しい態度を取ったと勘違いする人が多過ぎます。偏見か否か、有害か否かという視点ではなく、「会社は男女どちらかの性別の味方か」という視点でしか物事を見られていないところが善悪の区別がついていないですし、認知がかなり歪んでいると言えるでしょう。
ウイルスも多様性の観点から保護すべきとでも?
また、このように普段多様性を重視する個人や企業が、差別に対して厳しい言動・態度を取ると、必ずその多様性ポリシーに対して難癖が飛びます。今回も「多様な意見交換を行える職場じゃなかったのか!」という書き込みがありました。
私自身も、記事やSNSで差別に対して反対すると、差別を言っている側の人々から「お前らは多様性を尊重すべきと言っているのに俺の意見を排除するなんて矛盾している!結局は自分たちにとって都合の良いものだけ尊重しているだけで、むしろお前らこそ差別主義者や独裁者ではないか!」と難癖つける方が必ずと言って良いほど出てきます。
ですが、もちろんこれらの指摘は誤りです。彼らの主張は「生物多様性条約で鳥インフルエンザウイルスも保護の対象にせよ」と言っているに等しいと思います。多様性というのはどんな意見でも受け入れるというわけではありません。差別を受け入れてしまえば当然多様性によっては有害であるため、差別は多様性の概念から除外するべきものなのです。
おそらく彼らは多様性という言葉に対する誤った認識をしています。多様性が重要だというのは、現在という「点」の話をしているわけではなく、現時点から未来に続く「線」の話をしているのです。正確に言えば「多様性が重要」ではなく、「持続的な多様性が重要」であり、その持続性を脅かすから差別は多様性の適用範囲外なのです。
ちなみに余談で上記のロジックとは違う話ですが、「多様性と言いつつ俺の全体主義という一つの意見を否定するのか!」という多様性概念を利用した全体主義の正当化は大きな自己矛盾を孕んでいて、「あなたの意見だけ例外というのも多様な一つの意見なので」で論破できてしまいます。
変化の激しい時代、多様性無き企業は死滅する
Googleに限らず、多様な人材を活かす企業が伸びているというのは、今の時代もう常識でしょう。社会の構造や環境がますます複雑になる中で、それに対応するためには多様な人材で対応せねばなりません。
生物に置き換えてみれば分かるように、環境の変化が劇的に起こる時、それに対応できない種は絶滅します。そうならないために、多様な個体や多様な種を用意することで生き物は生き残ってきました。つまり、ますます社会環境の変化の速度が速くなる中で、多様性無き企業から消滅していくのだと思います。
だからこそ多様性を棄損する差別的な考えには厳しい態度が求められます。まさに今私たちに必要なのは以下の態度ではないでしょうか? これは職場に限らず、人間関係すべてに言えることだと思います。
「多様性には寛容であれ。抑圧と差別には不寛容であれ」

父の命日でお墓参り・・・みどりの苔/女川まで往復

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Commémoration du bombardement: Nagasaki appelle le Japon à voter un traité contre l'arme atomique
JAPON Il y a 72 ans, l’engin destructeur au plutonium baptisé ≪ Fat Man ≫ avait tué 74.000 personnes, trois jours le bombardement d'Hiroshima...
Nagasaki a commémoré mercredi l’attaque nucléaire qui frappa cette ville du sud-ouest du Japon il y a 72 ans, une cérémonie marquée par un vibrant appel du maire à signer un récent traité des Nations unies interdisant les armes atomiques.
≪ Vous n’avez même pas participé aux négociations ≫, a fustigé le premier édile, Tomohisa Taue, en s’adressant au gouvernement dans sa ≪ déclaration de paix ≫ annuelle, prononcée en japonais mais retranscrite en plusieurs langues. ≪ C’est quelque chose de difficile à comprendre pour ceux qui vivent dans les régions touchées par les bombardements nucléaires ≫.
≪ En tant que seul pays à avoir subi les ravages de telles armes ≫, a insisté l’élu, ≪ je vous demande de faire tout ce qui est en votre pouvoir pour participer au plus tôt à ces négociations et de revoir votre politique de défense qui dépend d’un parapluie nucléaire ≫, celui de Washington, qui s’engage à protéger son allié japonais via le principe de dissuasion.
Le Premier ministre reste flou
Début juillet, un traité bannissant les armes atomiques a été adopté par 122 Etats membres de l’Onu, mais les puissances nucléaires - Etats-Unis, Russie, Royaume-Uni, Chine, France, Inde, Pakistan, Corée du Nord et Israël - ont boycotté les discussions, de même que le Japon et la plupart des pays de l’Otan.
Tomohisa Taue a dit sa ≪ profonde gratitude ≫ envers l’Onu et tous ceux qui ont promu ce traité ≪ qui parle si bien de la souffrance et des efforts des hibakusha (survivants irradiés) ≫ et pourrait être baptisé ≪ le Traité de Hiroshima et de Nagasaki ≫.
Le Premier ministre, Shinzo Abe, présent à la cérémonie, n’a pas fait explicitement référence à ce document. ≪ Le Japon est déterminé à jouer un rôle de premier plan en travaillant à la fois ≫ avec les puissances nucléaires et non nucléaires, pour parvenir à un monde sans armes atomiques, a-t-il affirmé.
Obama, premier président américain en exercice à Hiroshima
Auparavant, une cloche avait retenti à 11h02 locales (4h02, heure française), l’heure exacte à laquelle explosa la bombe atomique, le 9 août 1945. Plusieurs milliers de personnes, parmi lesquelles des survivants et proches des victimes, se sont alors figées pour une minute de silence.
Baptisé ≪ Fat Man ≫, l’engin destructeur au plutonium, qui a tué 74.000 personnes, a été largué par les Américains sur Nagasaki trois jours après ≪ Little Boy ≫, à l’uranium, qui avait anéanti Hiroshima, provoquant la mort de 140.000 personnes.
Barack Obama s’était rendu dans cette ville martyre en mai 2016, la première visite d’un président américain en exercice. Ces deux bombardements allaient précipiter la capitulation du Japon le 15 août 1945 et la fin de la Seconde guerre mondiale.
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長崎原爆の日でもありますが,8月9日はわたしにとって優しかった父の命日です.すい臓がんでした.そういうわけでお墓参りです.駅から近道ができたとはいえ結構かかります.運河沿いの道まで20分さらにお寺まで20分くらいの感じでしょうか?お供えする花は仙台の1番丁朝市で買いました.お墓には蜘蛛の巣が張ってあるだけでなく,緑の苔がうっすらとついていました.大阪に住む身として年に2回しか来ることができないのでこうなってしまうのは仕方ないのかもしれません.でも横浜ナンバーの車があったりであちこちからお墓参りにきているようなので,言い訳してもしかたないですね.お掃除したりするのにも結構時間がかかりました.きれいになってすっきりした感じかな.
3時まえなので石巻方面に行ってみようかなと思い仙石線に.石巻までは意外にすぐでした.そこで下車して石巻市内をぶらぶらするかあるいは石巻線で女川まで行くか迷います.女川行きの電車は30分待ちです.ぐずぐずしているうちにかなり時間が過ぎてしまったのでとりあえず女川行きに乗って出発を待つことに.ちなみに石巻駅構内には石ノ森章太郎の009などアニメキャラがたくさんあって楽しいです.女川に行くまで仮説団地が見えて胸が苦しくなる感じです.震災から6年以上過ぎているのにまだ仮設にいなくてはならないというのは想像するだけもつらいです.
女川駅に着きましたが,時間がなさそうなので下車せず再び石巻まで戻りそこから仙石東北ラインで仙台に向かいました.

震災で部員が激減した女川中女子バスケ部の実話 NHKでアニメ化
 東日本大震災で部員不足となりながらも、全国大会出場を目指した、宮城県女川町の女川中学校女子バスケ部の実話をNHKがアニメ化。東北地方で25日(後8:00〜8:43)に総合テレビで先行放送した後、27日(後10:00〜10:43)にBS1で放送される。
 女川中バスケ部の3年生、5人の挑戦は昨年、同局の『おはよう日本』や『BS1スペシャル』でリポートしてきた。今回、アニメーションという表現手法をとることで、ドキュメンタリーとは違った視点で少女たちの揺れ動く心情や固い絆で結ばれた友情を浮かび上がらせる。さらに、中学を卒業した彼女たちの“今”をドキュメンタリーで紹介する。
 切り込み隊長のキャプテン・アンナ(CV:佐々木李子)、負けず嫌いの副キャプテン・セリナ(CV:三瓶由布子)、チームのムードメーカー・カリン(CV:伊瀬茉莉也)、大胆不敵なリバウンダー・カホ(CV:潘めぐみ)、ストイックなポイントゲッター・ナナミ(CV:大和田仁美)。幼なじみの5人は、中学最後の夏、バスケットボールの全国大会出場を目指して日々練習に明け暮れていた。
 彼女たちが所属する女川中学校の女子バスケットボール部は、全国大会3位の実績を持つ強豪。しかし、東日本大震災以降、部員の激減により、廃部寸前の状態だった…。震災により生活が一変したなか、避難所の片隅でバスケを再開した5人。彼女たちが、“最後の夏”につかんだものとは…。
 監督は『ONE PIECE』や『DAYS』を手掛けた宇田鋼之介氏。5人を見守るコーチ・チッピちゃん役は、女優の倉科カナが演じる。さらに東北にゆかりある山寺宏一(宮城県出身)、お笑いコンビ・サンドウィッチマン(宮城県出身)が、チームを支える街の大人たちの声で参加するほか、プロバスケットボールプレーヤーの大神雄子(山形県出身)が本人役で登場。音楽はシンガー・ソングライターの遊佐未森(宮城県出身)。番組ナレーションは女優の綾瀬はるかが担当する。


<台風5号>釜石市民 不安な夜
 台風5号が接近した東北は8日、激しい風雨に見舞われた。市内全域に避難勧告を出した釜石市の避難所では、身を寄せた人たちが不安な夜を過ごした。仙台市では女性1人がけがをした。東北各地でイベントの中止や国道などの通行止めも相次いだ。
 釜石市は8日午後6時10分、市内全域の1万6817世帯、3万4855人に避難勧告を出した。市中心部の釜石小には午後7時までに15人が避難した。
 夫婦で避難した同市大只越町1丁目の無職小倉貞二さん(80)は「自宅近くに山と沢がある。何事もなく台風が過ぎ去ってほしい」と語った。
 町内全域5440世帯、1万2148人に避難準備・高齢者等避難開始を出した岩手県大槌町では午後10時現在、避難所5カ所に計101人が避難した。一関市、宮城県加美町も避難所を開設した。
 仙台市宮城野区福田町南1丁目の介護施設では8日午前8時50分ごろ、入居者の女性(96)が家族と外出しようとした際、強風で転倒し頭にけがをした。
 石巻市の牡鹿半島を主な舞台に開催中の「リボーンアート・フェスティバル2017」は8、9両日、牡鹿半島エリアの屋外作品展示や飲食施設営業の休止を決定。石巻市街地の展示やイベントは実施する。
 秋田県では7月22〜23日の大雨で河川の氾濫や土砂崩れが相次いだ被災地などで警戒を強めた。県などは9日に秋田市で開催予定だった県身体障害者福祉大会の中止を決めた。
 宮城県によると8日、栗原市の国道398号、川崎町の国道286号、加美町の国道347号、蔵王町−七ケ宿町の県道白石上山線(蔵王エコーライン)で雨量が規制値を超え、全面通行止めになった。


<仙台七夕まつり>最終日、泣きっ面に風
 仙台七夕まつりは8日、3日間の日程を終えた。最終日の仙台市中心部は台風5号の影響で、風雨が断続的に強まった。雨よけのビニールに包まれた吹き流しが風に揺れ、観光客は足元を気にしながら見物した。
 主会場の市中心部の商店街のうち、一番町四丁目商店街(青葉区)は安全確保のため午前10時から七夕飾りを撤去させる異例の対応を取った。勾当台公園市民広場(同)ではステージショーなど全イベントが中止された。


相次ぐ豪雨被害/早め早めの行動を心掛けて
 台風5号は列島を縦断し、広い範囲に大雨を降らせた。きのうは東北に接近し、荒れ模様となった。引き続き警戒を緩めることなく、災害の発生に備えねばならない。
 太平洋上を迷走した後、列島に近づいてからもずっと動きが遅かったのが今度の台風の特徴だ。同じ地域に長時間雨雲がかかるため影響が長引き、被害が出やすい。最も危険な「雨台風」と言える。
 ただ、今夏全国で相次いでいる豪雨の要因は、台風とは異なる。活発化した前線の影響で、積乱雲が続々と発生するパターンが多い。局地的に1時間に50ミリを超す猛烈な雨が降り続けることになる。
 進路予想が可能な台風とは違い、いつどこでこうした集中豪雨が起きるかを予測するのは難しいとされる。
 7月上旬、九州北部が最初だった。福岡県朝倉市で24時間雨量が500ミリ超を記録。山林の保水能力を上回る雨が一気に降ったため、至る所で土砂災害が起きた。氾濫した川の濁流や流木に巻き込まれるなどして福岡、大分両県での犠牲者は36人となった。
 秋田県内で7月下旬に降った記録的な大雨も例外ではなかった。前線に向かって湿った空気が入り込み、街も農地も一面水浸しになった。
 同22〜23日の雨量は秋田市雄和で約350ミリ。平年の7月1カ月分の2倍に当たる雨が2日足らずで降った。大仙市の雄物川など各地の河川も氾濫し、住宅の床上・床下浸水は計2100棟を超した。
 これほどの大雨だと、九州北部のような重大な災害が引き起こされても不思議ではないが、人的被害がなかったのは幸いだった。
 降雨が平地に集中し、土砂崩れ箇所が少なかったことなどに加え、大仙市内では自主防災組織による避難呼び掛けが生きたとされる。
 避難のタイミングは難しい。大雨になってから逃げるのは危険だし、夜間はなおさらだ。住む地域でどんな災害が起きやすいかを確認しておき、自らの判断で早めの行動につなげることが基本。
 地域での日頃からの声掛けが、いざという時「共助」のセーフティーネットになることも改めて肝に銘じたい。
 国や自治体の対策も常に見直しが迫られよう。政府は2016年末、従来の「避難準備情報」を「避難準備・高齢者等避難開始」と改めた。
 同年8月、岩手県岩泉町のグループホームを襲った河川氾濫の際、避難準備情報の趣旨が管理者側に伝わっておらず入所者9人が亡くなった。その悲劇が教訓となった。
 政府はきのう、九州北部の豪雨、秋田豪雨を含む6〜7月の災害を激甚災害に一括指定した。地域の復興へ素早い支援も一層求められる。
 台風や豪雨のシーズンはまだ続く。雨の降り方自体が変わってきたと考えを切り替えるべきだ。身を守るために日々の心構えが不可欠だ。


<世界遺産>平泉・無量光院跡 整備着々
 岩手県平泉町の世界遺産「平泉の文化遺産」を構成する浄土庭園「無量光院跡」で、池に浮かぶ三つの小島の復元がほぼ完了した。同町は、阿弥陀堂が建っていたとされる中島などを期間限定で開放している。
 無量光院跡では、東西約140メートルの池に「中島」「東島」「北小島」を配置した。島に芝生が根付いたことから、20日までの期間限定で中島と東島に立ち入れるようにした。両方の島で一定間隔で並ぶ当時の建物の礎石を間近に見学できる。
 特に中島は、奥州藤原氏の三代秀衡が京都の宇治平等院鳳凰堂を模して阿弥陀堂を建立した島。堂の背後にそびえる金鶏山に日が沈む光景を取り入れて、浄土世界を表現したとされる。
 あぜ道で隔てられた北側の池跡には昨年、北小島を復元した。2020〜21年度に水を張る予定で、往時の池が全面的に再現される。
 町平泉文化遺産センターの担当者は「中島、東島に足を踏み入れ、実際の建物の規模を感じてもらいたい」と話している。


三沢に寺山修司の世界「幻想市街劇」公演
 寺山修司が手掛けた市街劇の新作「幻想市街劇『田園に死す』三沢篇(へん)」が6日、青森県三沢市中心部や市寺山修司記念館などで開かれ、来場者が現実と幻が入り交じった世界を楽しんだ。
 一般公募の105人を含め、300人以上が出演者、スタッフとして参加。顔を白く塗った出演者が市中心部の路上に集まり、プロローグが上演された。
 その後、紙飛行機が落ちた場所に時間を記入する少年、米国漫画のポパイ、さまざまな長さを測り続ける女性、米軍基地専用線路の跡を走るトロッコなど、市内各地で約60演目が同時に展開された。
 来場者は公演の時間と場所が記入された地図を手に、寺山修司のお面をつけて各地点を訪れた。出演者に話し掛けられ、演劇の一部に取り込まれる人もいた。
 プロが髪を切る「青髭(あおひげ)理髪店」の演目に参加した千葉市の大学3年枌(へぎ)唯香さん(20)は「『前髪を切って』と言ったら、バリカンで切られてびっくりしたけど、面白かった」と喜んだ。
 トロッコに乗った石巻市の自営業古里裕美さん(30)は「逆に一般の人の方が劇の出演者のようで、風景までセットに見えた。どれが現実か分からない感じだった」と話した。
 最後は出演者が市公会堂に集結。最後の場面を演じ、約7時間にわたる市街劇は幕を閉じた。
 市街劇は寺山修司記念館の開館20周年を記念したイベントで、同館指定管理者の「テラヤマ・ワールド」が主催し、三沢市が共催。寺山主宰の演劇実験室「天井桟敷」のメンバーで、演劇実験室「万有引力」主宰のJ・A・シーザー氏が総指揮を務めた。


オスプレイ 飛行中止を即刻求める
 在日米軍が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)で新型輸送機オスプレイを飛行させた。
 同飛行場所属のオスプレイがオーストラリア東部沖で5日に墜落事故を起こしたばかりだ。
 この事故について、米軍は事故の深刻度を示す4分類で最も重大な「クラスA」に当たると発表した。それでも、平然と飛行を続けるとは、安全に対する意識を疑わざるを得ない。
 オスプレイの飛行は即刻中止するべきだ。10日から道内で予定されている日米共同訓練への参加も論外である。
 日本政府も相変わらず及び腰だ。事故を受け、飛行自粛要請はしたものの、「運用上必要なものを除く」との条件を付けていた。
 これでは、単なるポーズとほとんど変わらない。事故の懸念を棚上げして、「日米共通の安全保障上の目的を達成するために必要」と強調する米側に抜け道を与えているようなものだ。
 オスプレイの配備に反対する沖縄県の翁長雄志知事が「日本政府に当事者能力がない。日本国民を守る気概があるのか」と憤るのも無理はない。
 昨年12月に沖縄県名護市沖で機体が大破する事故を起こした際も、わずか6日後に飛行を再開し、日本政府もあっさり容認した。
 忘れてならないのは、大破事故から約8カ月たっても、調査報告書を明らかにしていない米軍の不誠実な態度だ。
 今回も事故原因の詳しい説明もなく、なし崩しで元に戻そうとする姿勢が透ける。
 今度こそ、政府は毅然(きぜん)と対応しなければならない。
 オスプレイは開発段階から墜落事故が相次いでおり、構造上の欠陥を指摘する声は根強い。今回の事故で、安全性に対する不安が一層高まるのは避けられまい。
 日米共同訓練でオスプレイの広域飛行や夜間訓練が予定されている道内でも、飛行自粛を求める動きが強まっている。
 日本政府の飛行自粛要請がほとんど考慮されていない現状では、道内での訓練がこのまま強行される恐れもある。
 政府は米側の主張に追従せず、飛行中止を粘り強く求めていかなければならない。
 同時に、オスプレイの危険性を考えれば、自衛隊の導入計画も含めて国内配備を見直すべきだ。
 オスプレイの基地も、訓練も、住民被害の恐れがない国外への移転を重ねて求める。


オスプレイ事故  飛行継続は許されない
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の新型輸送機オスプレイがオーストラリア北東部で海に墜落、海兵隊員3人が死亡した。これまで何度も死亡事故を引き起こし、安全性が不安視されている機体であり、構造的欠陥を疑わざるをえない。
 政府は、日本国内でのオスプレイの飛行を自粛するよう申し入れたが、事故翌々日の7日に普天間飛行場からオスプレイ1機が離陸、政府の要請は事実上拒否された。
 米軍は「安全性を確認した上で運用上必要だと判断した」と説明したというが到底納得できない。ただちに飛行を停止すべきだ。
 小野寺五典防衛相は米軍に対して「飛行の自粛を求める考えに変わりがない。安全面に最大限、配慮するよう求める」と懸念を伝えたというが、さらに強く飛行停止を求める必要がある。
 オスプレイは開発段階からトラブルが絶えない。2012年にはモロッコや米フロリダ州で、15年には米ハワイ州で乗員らが死傷する事故が発生している。昨年12月には、同じ普天間飛行場所属の機体が名護市の海岸に近い浅瀬に不時着する事故を起こした。
 名護市の事故では、政府の飛行自粛要請に対し、米側は一時的だが飛行を停止した。わずか6日後には再開したが、今回はそうした対応すら取っていない。あまりにも不誠実過ぎる。
 米海軍安全センターは、オーストラリアでの事故を、深刻さを示す4分類のうち最も重大な「クラスA」にあたると公表した。米国防総省は日本側の懸念を解消するために日本政府と密接に協議しているとしたが、少なくとも原因究明まで飛行を停止しなければ、懸念が解消されるはずがない。
 事故後も飛行を強行したことに対して沖縄県は強く反発しているが、オスプレイの訓練や配備は沖縄県外でも計画が進められており、関係する地域から安全性などに懸念の声が上がる。
 北海道では10日から行われる陸上自衛隊と米海兵隊との共同訓練にオスプレイも参加予定で、道や演習場を抱える千歳市、札幌市は参加を見合わせるよう要請した。定期整備を行う陸自木更津駐屯地のある千葉県や木更津市も整備に伴う試験飛行自粛を求めた。
 陸自は佐賀空港(佐賀県)にオスプレイを配備する計画も進めている。国民の不安を放置したまま、オスプレイが国内を飛ぶことは許されない。政府は米側に厳しい態度で臨むべきだ。


オスプレイ墜落 飛行継続は認められない
 国民の不安と不信はこれまでになく高まっている。飛行中止を強く求める。
 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場から7日、新型輸送機オスプレイが飛行した。
 5日には普天間飛行場所属のオスプレイが、オーストラリア沖で墜落事故を起こしたばかりだ。
 政府はこれを受けて6日に国内での飛行自粛を要請したが、米軍に無視された形である。
 翁長雄志知事は「日本政府には日本国民を守る気概があるのか」と不信感を示した。当然だろう。
 政府は米軍に対し、墜落原因を究明して再発防止策を講じ、その情報を提供するよう改めて要求するべきだ。
 オスプレイは3月、上越市中郷区と妙高市にまたがる関山演習場での訓練に参加した。決して人ごとではない。
 米軍によると、オスプレイが、輸送揚陸艦に近づいた際、甲板に接触し、海に落下した。
 乗員26人のうち23人は救助されたが、3人が死亡した。機体の回収には数カ月かかるとみられる。
 墜落事故について、米軍は事故の深刻度を示す4分類のうち、被害額や死者の有無などから、最も重大な「クラスA」に当たると公表した。
 にもかかわらず、米軍は日本政府に対し「安全性を確認した」と説明した。機体を引き揚げて、状況を調べていないのに、なぜ安全だと言えるのか。理解に苦しむというほかない。
 オスプレイは昨年12月、沖縄県名護市の浅瀬に不時着し、大破した。同じ日には別の機体が普天間飛行場に胴体着陸した。
 米軍は事故原因を完全に究明しないまま、6日後には飛行を再開した。日本政府は主体的な調査を行えないまま容認している。
 そして再び事故が起きた。これまでの事故で機体に構造的な欠陥があると指摘されてきた。その疑いがさらに強まったといえよう。
 今回の事故を受け、沖縄県だけでなく、オスプレイの訓練や配備が計画されている北海道や佐賀県などで不安の声が広がっている。
 オスプレイは今後、陸上自衛隊に配備される計画だ。政府は米軍の言い分をうのみにせず、自らが主体的に調査に当たれるよう米軍に働き掛けるべきだ。
 政府は普天間飛行場の移設先として、4月に名護市辺野古沿岸部の埋め立て工事に着手した。
 沖縄県はこれに反対し、移設工事の差し止めを求めて提訴した。10月には国と県が再び法廷闘争をする異例の事態となる。
 政府は移設の理由として、市街地の中心部に位置する普天間飛行場の危険性除去を挙げる。
 だが、安全性に懸念のある飛行機が日常的に飛び回っていては、飛行場が移設されても県民は安心して暮らせまい。
 しかも事故を繰り返しているにもかかわらず、米軍は詳しい原因を説明しようともしないのだ。
 政府は埋め立て工事を中止し、沖縄県民の不安に向き合うべきである。県内移設の是非についても考える契機にしたい。


オスプレイ豪沖で墜落 国内の飛行自粛は当然だ
 【論説】開発段階から安全上の問題点が指摘されていたオスプレイがまた墜落事故を起こした。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の新型輸送機MV22である。昨年12月にも名護市辺野古近くの海岸で事実上墜落、8カ月の間に2度の重大事故だ。在沖縄米軍は日本政府の飛行自粛要請を無視して飛行を強行。翁長雄志(おながたけし)知事は配備撤回を強く要求している。県民の不安と不信感は高まるばかりだ。
 事故は5日、オーストラリア東部沖で発生。オスプレイが輸送揚陸艦に近づき着艦しようとした際、甲板に衝突、海中に墜落したとみられる。米海軍安全センターは搭乗の海兵隊員26人のうち3人が死亡したと発表した。事故は深刻度を示す4分類中、最も重大な「クラスA」である。
 事故原因が明らかになっておらず、小野寺五典防衛相が国内での飛行自粛を求めたのは当然だ。それにもかかわらず、米軍は要請の翌日に飛行を始めた。
 シュローティ在日米軍副司令官は「安全性を確認した上で、運用上必要だと判断した」という。どのように確認したのかも分からず「運用上必要」と独占的な管理運用の論理で強行するのは、まさに「治外法権」そのものではないか。
 「自粛」という政府の弱腰も気になる。翁長知事は「起こるべくして起きた。事故究明も全く当てにならない」と批判した上で「日本政府に当事者能力がない。国民を守る気概があるのか」と主権が危うい政府に不信感をあらわにした。
 強固な日米同盟に基づき米軍が日本の防衛に貢献しているのは事実だ。だが、国防総省のデービス報道部長の「日米が共有する安全保障を促進するために、オスプレイは資産だ」「安全を最優先させている」という発言には首肯できない。欠陥機との指摘もあるオスプレイだ。果たして日本にとっても重要で安全な「資産」なのだろうか。
 昨年12月13日の「墜落事故」は夜間の空中給油訓練中に起きた。同日、普天間飛行場で別機が胴体着陸。6月に米軍飛行場、その4日後には民間の奄美空港に緊急着陸する事態が発生した。夜間飛行や低空飛行訓練も日常化しており、運行計画の堅持に県民の不安と怒りは増す一方である。
 オスプレイを巡っては、開発段階の1991〜2000年に「クラスA」の墜落が4件発生、死者は計30人に上った。実用段階に入っても墜落や着陸失敗事故が相次いでいる。
 同型機は陸上自衛隊が佐賀空港に17機配備の予定だが、同県は墜落事故原因が明らかにされるまで計画に同意できないと反発した。また10日から北海道大演習場(札幌市)などで、オスプレイ6機が参加して日米共同訓練を計画するが、飛行中止を求める動きは関係各地で広がっている。
 その渦中、江崎鉄磨沖縄北方担当相は沖縄訪問に先立つ会見で日米地位協定の見直しに言及した。一度は入閣を断るほどの「素人」閣僚だ。軽率な発言なら、これも不信の種となろう。


原爆の日  核兵器禁止の精神こそ
 広島に続いて長崎に72回目の「原爆忌」が巡ってきた。
 人類に破滅的な被害をもたらす核兵器を、地球上からなくす。困難だが達しなければならない目標を前に、現実は足踏み、いや後退感すら漂う。
 最新の推計によれば、世界の核兵器の総数は約1万5千個。ロシアの7千個と米国の6800個で全体の92%を占め、フランス、中国、英国、パキスタン、インド、イスラエル−と続く。
 核軍縮を国際社会に約束したはずの米ロは、近年、核戦力の近代化を打ち出し、さらなる縮減には後ろ向きだ。昨年5月に広島でオバマ前米大統領が「核なき世界」への誓いを新たにしたのとは逆に、今のトランプ大統領は核増強を示唆している。
 こうした現状に耐えかねた、核を保有しない122の国連加盟国と被爆者の声によって先月生まれたのが核兵器禁止条約である。
 日本政府が条約に不賛同の立場を堅持しているのは極めて残念だ。安倍晋三首相は6日の広島での式典で条約に言及せず、会見で「(条約は)わが国のアプローチと異なるものだ」と述べた。
 政府は、未発効の包括的核実験禁止条約(CTBT)と、いまだ交渉開始のめどのたたない兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)を動かすことを優先する。これに先んじて核兵器の使用や配備を全面禁止する条約は、核保有国に受け入れられず、対立をかえって深めるとの立場だ。
 むろん、CTBTとFMCTで核兵器の質と量を制限し、廃絶へつなげる努力は必要である。現行の核拡散防止条約(NPT)体制の強化も不可欠だ。
 ただ、国連加盟国の6割超が核禁条約に賛同した中、日本の立ち位置は「核大国の代弁者」とも受け止められている。唯一の戦争被爆国として、核保有国と非保有国の橋渡し役を自任する国として、あるべき状況とは到底いえない。
 政府は何よりまず、日本が核禁条約の精神に立つことを国内外に宣言すべきだ。
 北朝鮮という現実の脅威を前に、核と核抑止力を否定するのは難しい。だが、抑止力で完璧に安全が保障されるわけではない。核が存在する限り、使用の可能性も、予期せぬ事故やテロのリスクも消えない。
 その被害の甚大さ、非人道性の認識を被爆者たちと共有し、核と核の傘への依存から脱する力にする。そうした核禁条約のアプローチを、視野に入れるべきである。


【長崎原爆の日】平和と鎮魂の祈り共に
 長崎市はきょう、戦後72回目の原爆の日を迎える。同市の平和公園で原爆投下時刻に合わせて「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が挙行される。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を経て本県と長崎市は、広島市と同様、より強い絆と縁で結ばれるようになった。長崎市民が歩んできた戦後の苦難の歴史に思いを至らせ、共に平和と鎮魂への祈りをささげる日としたい。
 1945(昭和20)年8月9日午前11時2分に投下された原子爆弾は、広島型の約1・5倍の威力があったとされる。山で囲まれた地形のため広島より被害が軽減されたというが、それでも当時の人口の3分の1に当たる約7万4000人が犠牲になった。その一人一人には大切な日常の生活があったはずだ。全ては一瞬で消し飛んだ。
 市民は原爆の後遺症にも苦しむことになる。6日後の終戦を経て進駐してきた連合国軍は、原爆の被害実態についての情報が広がらないようにしたという。放射線が人体に及ぼす影響を医師らが調査した資料は全て米国に提出させた。国民は放射線が及ぼす影響について正確な情報を知らせられないまま戦後を過ごす。その結果、長崎、広島市民らは結婚や出産などで根拠のない風評にさらされた。
 西洋近代医学の発祥の地として明治以来、国内医学界をけん引してきた旧制長崎医大も原爆で壊滅的な被害を受けた。学舎は倒壊し、医学生の約6割と学長をはじめ教職員合わせて約900人が犠牲となった。しかし戦後、長崎大医学部として復活をすると、先人の思いを引き継ぎ、被爆や放射線関連医療の中心的機関としての役割を担ってきた。
 被爆研究を続けてきた長崎大医学部の存在は、原発事故において本県医療界の大きな力となる。事故の3日後には長崎大医学部のチームが福島医大を拠点に活動を始め、的確なアドバイスをもたらした。経験のない大規模原発事故と放射線の影響について混乱し始めていた医師らは落ち着きを取り戻し、県民医療に全力で取り組む。長崎市職員の派遣や民間の積極的な援助も続けられた。いわれなき風評に対する悲しみを誰よりも理解していた。
 原爆投下による被爆を経験し、心から平和を願う長崎市民の思いを、原発事故を経験し、風評に苦しむ県民はより深く理解できるはずだ。郡山市長崎派遣団の中学生29人もきょうの平和祈念式典に出席する。県民を挙げて長崎市民と共に平和への祈りをささげよう。(関根英樹)


長崎の真摯なメッセージも安倍首相には届かず! 原爆の日に核兵器禁止条約の署名拒否を宣言した総理大臣の信じがたい感覚
 本日8月9日は72回目の長崎原爆の日である。長崎市の平和公園では平和祈念式典が開かれ、多くの人々が参列した。
 6日に行われた広島の平和記念式典では、広島市の松井一実市長が「平和宣言」のなかで7月に国連で採択された核兵器禁止条約に触れ、日本政府に「日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求めていたが、長崎市の田上富久市長は核兵器禁止条約に対する日本政府の姿勢を「被爆地は到底理解できない」と厳しく糾弾し、より踏み込んだスピーチを行った。田上市長は本日の平和宣言のなかでこのように語っている。
〈「ノーモア ヒバクシャ」。
 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。
 しかし、これはゴールではありません。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
(中略)
 日本政府に訴えます。
 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください〉
また、式典のなかで被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた深堀好敏氏は、「核は人類と共存できない」とし、福島の原発事故であらためて核の脅威を目の当たりにしたにもかかわらず原発が次々と再稼働する状況に対して「自然エネルギーに軸足を移すべきだ」とも訴えた。
 しかし、このような声は安倍首相のもとには届いていなかった。事実、広島での記念式典に続き、長崎でも安倍首相はスピーチのなかで核兵器禁止条約に触れることはなかった。そして、長崎の式典後の会見で核兵器禁止条約について「条約は我が国のアプローチと異なるもの」「署名、批准を行う考えはない」と突き放した。
 唯一の戦争被爆国である日本が国際社会から求められている態度は火を見るより明らかなはずなのに、なぜ安倍政権はこのような態度をとり続けるのか。本サイトでは過去に検証記事を掲載。核兵器禁止条約に対する対応の背後には安倍首相の核兵器所有の欲望があることを指摘した。


PKO日報隠し 白書で触れぬ不誠実
 二〇一七年版防衛白書が閣議に報告された。北朝鮮や中国の動向をめぐる情勢認識はおおむね妥当だが、情報隠しが指摘された陸上自衛隊の日報問題に全く言及がないのは、不誠実でないのか。
 きのう閣議に報告された防衛白書は、日本を取り巻く国際情勢や政府の安全保障政策を説明する、防衛に関する年次報告書である。
 北朝鮮が七月四日に発射した弾道ミサイルを「大陸間弾道ミサイル(ICBM)級」と分析した上で「軍事的挑発行為の増加・重大化につながる可能性もあり、わが国としても強く懸念すべき状況となり得る」と指摘する一方、中国の海洋進出については「地域・国際社会の安全保障環境に与える影響について強く懸念される」と詳述している。
 こうした記述は、日本周辺の国際情勢を表したものとしては理解できる内容だが、白書から完全に欠落しているものがある。南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊部隊が作成した日報に関する記述だ。
 七月二十八日に公表された特別防衛監察結果で防衛省・自衛隊の組織による日報隠しが指摘されたにもかかわらず、この問題については一行も触れられていない。
 確かに、監察結果の公表は、昨年七月から今年六月ごろまでという白書の対象外ではある。編集上の都合も理解できなくはない。
 しかし、稲田朋美防衛相、黒江哲郎事務次官、岡部俊哉陸上幕僚長が引責辞任するという防衛省・自衛隊にとって重大な問題だ。
 そもそも、稲田氏が特別防衛監察を指示したのは今年の三月。国会でもたびたび取り上げられ、議論になった問題でもある。
 防衛省はこれまでの特別防衛監察と同様、来年版で記述することになるとしているが、単に監察結果の公表が対象期間外だからといって、陸自部隊が派遣された現地の情勢悪化や監査の指示、国会質疑などの事実に、今年の白書で全く触れなくていいものだろうか。
 今年の白書は稲田氏の辞任に伴い閣議への報告が一週間先延ばしされ、巻頭言を後継の小野寺五典防衛相のものに差し替えたが、差し替えるべきは日報に関する記述ではなかったか。新しい巻頭言でも、日報隠しに全く言及していないとは不誠実極まりない。
 防衛省・自衛隊に都合の悪いことは書き込まず、忘れ去られるのを待つというのでは、いつまでたっても隠蔽(いんぺい)体質は改まるまい。猛省を促したい。


“元凶”は細野さん、あなたです
 ★8日、民進党前代表代行・細野豪志は国会内で同党幹事長・野田佳彦と会談し、離党届を提出した。会見では離党理由を「基本的政策が根本的に異なる共産党との共闘は信念に反する」としたが「政権交代可能な2大政党を作る」とも説明している。それが民主党であり民進党ではなかったのか。では聞くが細野こそ静岡県知事選挙に色気を見せ、候補者調整や党内調整に失敗し、党内に足場を失った結果の離党ではなかったのか。 ★同調者なく離党しても、細野の言う2大政党の一角を形成しようとするのならば結果的に元同僚たちを糾合して塊を作ることになろう。細野という政治家こそが、民主党・民進党が2大政党の一角を占めることができなかった元凶ではないか。あたかも細野の持つ思想・信条が党に残留することを許さなかったかの説明は全く理屈に合わず、同党が持つ中途半端なその場しのぎでの行動で、国民がその行動を見てどう受け止めるかより、自身の的外れな政治的勘に頼っているに他ならない。 ★自民党は政策や価値観に幅があるといわれる。今は総務相・野田聖子や外相・河野太郎、元党幹事長・石破茂程度の政権批判や発言だけで大騒ぎだが、それは首相・安倍晋三の了見が狭いだけで、本来は自由な気風がある。ところが民進党は意見の違いを言い張るだけでまとめる気がない。自民党には総務会という意思決定機関があり民進党にはないからかも知れないが、機関決定の仕方だけではなく政治家の矜持(きょうじ)が両党の差ではないのか。党代表・蓮舫の辞任劇にも通じる「思い通りにならないと辞めてしまう」気質が民進党の弱点ではないのか。

包括的な依存症対策を/カジノ規制
 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の運営ルールに関する報告書を政府の有識者会議がまとめた。ギャンブル依存症や治安悪化の懸念が根強いため、マイナンバーカードを使い日本人の入場を制限したり、入場料を取ったりする「世界最高水準のカジノ規制」を盛り込んだという。
 政府は来週から公聴会を開催し、住民や事業者らの意見を聞きながらIR実施法案の作成を進め、秋に想定される臨時国会への提出を目指す。
 ただ、世界最高水準の規制といっても、入場回数の上限など具体的な中身は、まだ何も決まっていない。普及率が低いマイナンバーカードで入場回数などの確認や管理ができるのかという疑問の声もある。中身はともかく、規制のメニューを多く並べ、実施法案成立の環境づくりを急いでいるようにしか見えない。
 各地の自治体がIRの誘致に名乗りを上げ、海外のカジノ業者も参入に意欲を示している。政府が最優先で取り組むべきは、カジノはもとよりパチンコや競馬なども含めた包括的で実効性のある依存症対策を整備することだ。
 有識者会議がまとめた制度概要によると、全国で2、3カ所の選定が有力視されるIR区域一つにつき、カジノ施設は一つに限定。国際会議場やホテルといった施設との一体運営を義務付ける。
 カジノ事業は免許更新制とし、政府内に新設される「カジノ管理委員会」が暴力団との関係などを審査。マネーロンダリング(資金洗浄)や法令違反といった問題があれば免許を取り消す。
 最も注目された依存症対策では、日本人入場者にマイナンバーカードの提示を求め、入場回数を確認・制限するほか、本人や家族の申告で入場を規制できるようにする。
 政府はカジノをあくまでIRの一部とし、IR全体による経済効果を強調する。ただ採算を取るのが難しいといわれる会議場などの運営をカジノの収益で支える仕組みになっており、依存症対策でどこまで踏み込めるか不透明さが残る。
 警察庁はパチンコの出玉の上限を抑えるなど、風営法施行規則などの改正案をまとめた。パチスロにも同様の規制を掛けるという。カジノ解禁により予想される依存症の深刻化に対処するためだが、カジノとパチンコ、競馬なども含めたギャンブル全体について規制を検討すべきだ。


カジノ規制 解禁ありきの依存対策
 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)導入に向けた政府の動きに、唯一評価されるべき点があるとしたら、ギャンブル依存に対する国民の関心を高めたことだろう。
 本県でギャンブル依存問題に取り組むNPO法人いわて生活者サポートセンターには昨年度、84件の相談が寄せられた。前年度の39件から倍増。依存問題が1年間で急速に深刻化したとは考えられない。カジノ解禁論議をきっかけに、身近な問題が掘り起こされたと言えよう。
 そんな中、政府の有識者会議は「世界最高水準のカジノ規制」を盛り込んだIRの設置や運営ルールを取りまとめた。これを踏まえ、政府は来週から東京、大阪などで公聴会を開催し、IR実施法案の策定を進め、秋の臨時国会への提出を目指す。
 だが、報告書に、国民の間に広がるギャンブル依存への懸念を払拭(ふっしょく)するだけの中身はあるか。
 日本人の入場回数を確認・制限する、入場料を取る、本人や家族の申告で入場を制限できるようにする−報告書にはさまざまなメニューが並ぶ。問題は、具体性に乏しいこと。入場回数の上限も、入場料の額も決まっていない。
 これで、なぜ「世界最高水準の規制」と言えるのだろうか。印象操作としか思えない。対策を並べ立て、IR実施法案を成立させようという狙いが透けて見える。
 昨年末に議員立法で成立したIR整備推進法の付帯決議には、ギャンブル依存症対策の抜本的な強化などが盛り込まれた。政府は今年3月、東京など11都市の成人2200人を対象に実施した初の面接調査の結果を公表。生涯で依存症の経験が疑われる人は2・7%だった。
 国勢調査データに基づき単純計算すると、約280万人。政府は調査対象を1万人に広げ、より正確な実態把握に努めるほか、相談治療体制の整備を急ぐ方針だ。
 だが、そう簡単に相談治療体制が充実するわけがない。ギャンブルにのめり込む人の背景には、対人関係やお金の使い方が苦手だったりなど、さまざまな問題がある。
 一律に「病気」と見なして医療機関につなぐのではなく、その人が抱える問題を理解し、粘り強く支えていく専門的なスキルの習得が欠かせない。長期的な人材育成プログラムが必要となるだろう。
 カジノ解禁論議は、そもそもパチンコやパチスロなどギャンブルが身近なこの国で、依存対策が遅れている現状をあぶり出した。
 政府は、パチンコなどを含めた総合的な「ギャンブル規制」を打ち出すべきだ。「カジノ解禁ありき」の規制は小手先にすぎない。


カジノ規制◆包括的な依存症対策必要だ◆
 カジノを目玉に国際会議場やホテルなどから成る統合型リゾート施設(IR)の導入に向け、政府の有識者会議は設置や運営のルールをまとめた。ギャンブル依存症や治安悪化の懸念が強いことから、マイナンバーカードを使い日本人の入場を制限したり、入場料を取ったりする「世界最高水準のカジノ規制」を盛り込んだという。
 これを踏まえ、政府は来週から東京、大阪など9都市で公聴会を開催し、住民や自治体の担当者、事業者の意見を聞きながらIR実施法案の策定を進め、秋の臨時国会への提出を目指す。
海外から参入に意欲
 ただ世界最高水準の規制といっても、入場回数の上限や入場料の額など具体的な中身は、まだ何も決まっていない。普及率が1割にも満たないマイナンバーカードで入場回数などの確認や管理ができるのかという疑問の声もある。規制のメニューを多く並べ、実施法案成立の環境づくりを急いでいるようにしか見えない。
 そんな中、各地の自治体がIRの誘致に名乗りを上げ、海外のカジノ業者も参入に意欲を示している。政府がいま最優先で取り組むべきはパチンコや競馬なども含めた包括的で実効性のある依存症対策を整備することだ。
 昨年末のIR整備推進法成立を受け有識者会議がまとめた制度概要によると、全国で2、3カ所の選定が有力視されるIR区域一つにつき、カジノ施設は一つに限定。国際会議場やホテル、劇場といった施設との一体運営を義務付け、カジノの収益の一部を国と自治体とで折半して観光振興などに活用するという。
 カジノは免許更新制とし、マネーロンダリング(資金洗浄)や法令違反といった問題があれば、免許を取り消す。
 依存症対策として、カジノ内への現金自動預払機(ATM)設置の禁止も上がった。しかし客が持ち込む金額や滞在時間にも上限を設けなければ不十分だろう。
政府は経済効果強調
 政府はカジノをあくまでIRの一部とし、IR全体による経済効果を強調する。とはいえ、採算をとるのが難しい会議場や展示場の運営を“稼ぎ頭”であるカジノの収益で支える仕組みになっており、依存症対策でどこまで踏み込めるか不透明さが残る。
 警察庁はパチンコの出玉の上限を現行の3分の2程度に抑えるなど射幸性を抑制する風営法施行規則などの改正案をまとめ、パブリックコメントを実施している。だがギャンブル全体に及ぶ規制を検討すべきだ。
 カジノで待ったをかけても、ほかのギャンブルに流れては元も子もない。ただ万全の依存症対策を取れば、カジノの運営は厳しくなるだろう。IR誘致には、本県でも経済界などから熱い視線が投げ掛けられる一方、反対論も根強い。カジノが必要か、維持できるか、改めて考えてみたい。


核のごみマップ 原発不信の払拭が先だ
 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)を地下深い岩盤に埋める最終処分場の立地に関し、国は地質などの特性を基に全国各地の適性を示す「科学的特性マップ」を公表した。
 火山や活断層の周囲などを「好ましくない特性があると推定される地域」に区分。それ以外を「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」とし、中でも海岸から20キロ以内で核のごみが搬入しやすい地域を「輸送面でも好ましい地域」とした。いわゆる「適地」は国土の7割弱に及ぶという。
 本県では、十和田、秋田駒ケ岳、秋田焼山、栗駒山、鳥海山、男鹿半島など火山の周りや活断層の周辺に加え、将来的に石油やガス掘削の可能性があるとして秋田市や由利本荘市などの沿岸の一部が「好ましくない」とされた。それを除いた地域が適地で、沿岸自治体には輸送面でも好ましいとされる「最適地」が分布している。
 最終処分場が決まらないまま原発が稼働する状況は、「トイレのないマンション」と批判されている。処分地選定のめどが立たないことを受けて国は一昨年、自治体の応募に頼っていた選定方式を、国主導で適地を提示する仕組みに転換した。
 マップ公表はこの流れを受けたもので、資源エネルギー庁は選定に向けた議論を活性化させたい考え。今後、各地でマップの趣旨などについて説明会を開く。その後、公募に応じたり、国の協力要請を受け入れたりした自治体を対象に約20年かけて立地の可能性を調査し、場所が決まれば10年ほどで建設する計画を描いている。
 地層処分は、使用済み核燃料を再処理した際に出る放射性レベルの高い廃液を、高温のガラスに混ぜて固体化し地下300メートルより深い岩盤に埋めるもの。放射線量が低くなる数万年から10万年先まで隔離するという。
 現在、全国の原発に保管されている使用済み核燃料は約1万5千トンで貯蔵容量の7割超。再処理は日本原燃が青森県六ケ所村の工場で行う予定で、原燃は2018年度上半期の工場完成を目指しているが、これまでの試運転でトラブルが続いたこともあり稼働時期は不透明だ。
 原発再稼働に対する国民の反発は根強く、昨年11月の全国世論調査では58%が再稼働に反対し、賛成の35%を上回った。最終処分のめどが立たないまま再稼働が進むことへの抵抗感もあるとみられる。
 エネ庁は地層処分が世界各国で採用された方式として安全性を強調するが、国民の不信はそうした議論以前の問題だ。東京電力福島第1原発事故後も、冷却水漏れや作業員の被ばく事故など原発を巡るトラブルはなくならない。過酷事故に備えた自治体の避難計画に対しても実効性に疑問の声が上がっている。こうした不信感の払拭(ふっしょく)なくして処分地選定は進まないことを国は肝に銘じるべきだ。


沖縄北方担当相の発言 名ばかり「仕事人」では
 発足したばかりの「仕事人内閣」が早速、その看板を問われる事態である。初入閣した江崎鉄磨沖縄北方担当相が「(国会答弁では)役所の原稿を朗読する」と発言した。国会軽視だとして野党が更迭を要求するなど、波紋を広げている。
 閣僚経験者を多く起用するなど安定を重視したはずだ。その改造内閣から飛び出した失言だけに、対応次第では国民の信頼をさらに失いかねない。
 江崎氏の発言は5日、地元の愛知県一宮市で記者団に語ったものだ。「しっかりお役所の原稿を読む。立ち往生より、答弁書の朗読かな」と述べている。
 翌日になって「野党の質問に対し、誤った答弁をしないようにする意味だった」などと弁明したが、国会答弁を軽視していると受け取られても仕方ないだろう。
 また北方領土問題については「素人は素人。皆さんのいろんな知恵で色を付けてもらうことが一番大切」と語ってもいた。他人任せ、官僚任せの姿勢を、安倍晋三首相は求めたわけではあるまい。
 そもそも、沖縄北方担当相への就任は気が進まなかったという。首相から入閣を要請されたが、いったん断ったと明かし、「重荷だった」「激務をこなす自信がない」と説明していた。だが直後に、所属する二階派の二階俊博幹事長から説得されて、就任したというのだ。
 舞台裏を隠さないのは、実直に思いを語る江崎氏の、憎めない人柄だろうか。
 とはいえ、閣僚を務めるには見識と覚悟が求められる。「素人」が重要な職務である沖縄北方担当相の任に就けば、沖縄や北海道の地域振興はもとより、北方領土の返還交渉の行方にも影響するのではないか。
 これまでの発言を聞く限り、適材適所には程遠いと言わざるを得ない。「適性ではなく、派閥順送りで選ぶからだ」と野党も批判している。首相の任命責任が問われよう。
 さらにきのう、政権には悩ましい発言が出てきた。江崎氏が会見で、米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイの墜落事故に関連し、「日米地位協定をもう少し見直さないといけない」と語ったのである。
 安倍政権は日米同盟の強化を推し進めながら、地位協定の抜本的な改定には消極的な姿勢をとってきている。政権にとって発言は都合が悪いはずだ。
 江崎氏は就任後初めてきのう沖縄県入りし、翁長雄志(おなが・たけし)知事と会談した。協定改定に強い思いを持つ知事ではあるが、このような担当相では期待するのもためらわれるだろう。
 閣僚の国会軽視発言は過去にもあった。7年前、旧民主党政権の柳田稔法相が「(国会答弁は)二つだけ覚えていればいい」と述べ、8日後に辞任した。
 不適切な言動を追及されたり答弁能力が疑問視されたりした閣僚は、内閣改造前の安倍政権で目立った。稲田朋美前防衛相や金田勝年前法相らである。支持率を下げたため、首相は内閣改造に踏み切り、「結果重視、仕事第一、実力本位の布陣を整えた」と胸を張ったが、早くも馬脚を現したと言える。
 菅義偉官房長官は江崎氏を辞任させないという。不適任の閣僚をまたも擁護し、国民の政治不信を深めるつもりなのか。


「TGVもう造らない」、仏新大統領が爆弾発言 「高速鉄道より在来線」、運輸相とは意見対立
佐藤 栄介 :鉄道ジャーナル編集部 記者
7月2日に、フランスで2本の高速線が同日開業して1カ月余りが経過した。南ヨーロッパ大西洋線(トゥール―ボルドー間)、そしてブルターニュ=ペイ・ド・ラ・ロワール線(ル・マン―レンヌ間)の2線だ。
開業前日、フランス国鉄(SNCF)は大規模なセレモニーを開催。就任間もないエマニュエル・マクロン大統領も、高速列車TGVに乗車し、会場のレンヌを訪れた。
セレモニーも終盤に差し掛かった頃、マクロン大統領が登壇し、招待客の前で約19分間、スピーチを行った。大統領は率直に高速線2本の同日開業という歴史的偉業を祝った後、次のように宣言した。「これ以上、高速線計画に着手しない」――。
ロケットスタートを決めたTGV大西洋線
開業セレモニーは、7月1日、19時10分に始まった。フランス北西部、ブルターニュ地方の都市レンヌ。そのレンヌ駅から徒歩5分の広場が会場。約700人の関係者が招待され、最前列にマクロン大統領の姿があった。
SNCFグループの2017年度上半期(1〜6月)の業績は好調だった。売上高は前年同期比3.7%増の166億ユーロ(約2兆1600億円)。牽引したのはTGVで、フランス国内需要が同8.4%も伸びた。
2本の新高速線のチケットは、3月15日に発売開始。開業前日まで200万枚超が売れ、ボルドー・レンヌ両都市方面のTGV大西洋線の売り上げは、昨夏と比較し30%超で推移する。
マクロン大統領はパリから16時50分発のTGVに乗車、新高速線を走行し、18時16分にレンヌ駅に到着した。
ただのTGVではなかった。一般の乗客は立ち入れない特別列車。しかも、前方に線路上の障害物の有無を確認するTGV、後方に護衛用TGVを従え、3編成のTGVが、それほど間隔を空けずに最高時速320kmで走行したのだ。さらに、上空をフランス空軍の戦闘機「ラファール」が護衛飛行。そして、沿線の橋や建造物にも機動隊が配備された。フランスの大統領が、“TGVで移動する”緊迫感がそこにあった。
19時47分にマクロン大統領が登壇した。5月14日に大統領に就任したばかり。姿が見えただけで会場の雰囲気は確かに一変した。拍手が1分以上、鳴りやまない。39歳という年齢的若さを超越した雰囲気が放たれていた。
スピーチは、穏やかに始まった。「レンヌまでの途上、橋や沿線に、開業したTGVを見ようと人々が集まっているのを見た。(開業は)テクノロジー、人類と産業のイノベーション、すなわち、フランスとしての誇りで、世界の国々に示すわれわれのもう一つの顔だ」
賛辞を、SNCFの総裁ギョーム・ペピ氏が最前列で冷静に受け止める。ほかにも、運輸担当大臣はじめ閣僚、レンヌ市長等も出席し、会場のすべてが高速線2本の同日開業を祝っていた。
マクロン大統領の言葉がかすかに変化したのは約6分後――19時53分だ。
最優先すべきは “日々の交通手段”
「将来の交通に関し、われわれが思考を放棄することはない」と、マクロン大統領は切り出した。
「次の5年間の目標は、TGV開業のような、新たな大プロジェクトを起こさないことだ。われわれはすでに、(この種の事業で)借金を積み重ねている。ある日、誰かがそれを支払うことになる。交通は変化する。すべての県庁所在地におけるTGV開通、あるいは、空港の建設――それらを認めないことが、挑戦である」
この大統領発言から8時間、時計を戻したい。同日の11時30分から、ボルドーでも開業セレモニーが行われた。その会場で、エリザベット・ボルヌ運輸担当大臣は、真逆ともいえる発言をしていたのだ。
フランスでは現在、ボルドー以南に新たな高速線建設の計画がある。そのプロジェクト反対派が、ボルドーの行政裁判所に提訴、裁判所は訴えに基づき、「公益宣言」を6月29日に棄却していた。簡単に言うと、公益宣言が認可されないかぎり、高速線は建設できない。ボルヌ運輸相は、「国はこの判決に対し、控訴する」と発言したのだ。
大統領は演説の中で、「プライオリティ」という言葉を4度、発した。「わが国はプライオリティを見極め、優先度の高い事業から積み上げていかねばならない」「われわれはここで一度立ち止まり、プライオリティを再構築しなければならない」……。
マクロン大統領の示す具体的なプライオリティとは、以下のようなものだ。
「私が皆さんに約束したいのは、新たな大事業に取り組まず、現有インフラを改修すべく資金を投入することだ。フランスは現在の鉄道ネットワークの改修に努力と投資を集中しなければならない。そして、ここ数年で悪化した地域間格差を減少せねばならない。私が、今後数年間で取り組みたい戦いとは、日々の交通、そして、プライオリティの高い交通を統合することだ」
確かに、フランスでは在来線を中心に、現有インフラの老朽化の指摘をよく耳にする。セレモニーに集まったボランティアの地域住民の1人は、次のように話した。「今回の開業は経済発展や地域の団結に、十分な貢献があるだろう。でも、問題はTGVより普通列車。在来線の線路の老朽化が、列車遅延の重大な要因のひとつだ」。
TGVにとってもうひとつの高い障壁が、資金だ。新高速線の1本、トゥール―ボルドー間(全長302km)の建設費は78億ユーロ(約1兆150億円)。加えて、駅や信号システムの改修に12億ユーロ(約1560億円)と莫大な金額を要した。さらに、SNCFグループ傘下でインフラ監督を主とするSNCFレゾー社は、追加3億5000万ユーロ(約455億円)の支出を覚悟している。というのも、沿線33の地方自治体が、TGVと在来線の接続が不十分という理由から、出資を一時拒否する事態となっているためだ。
むろん、マクロン大統領も国民も高速線2本の同日開業を大歓迎している。マクロン大統領は演説中に「フィエルテ(誇り)」と9度発した。「SNCFは21世紀における交通のチャンピオンにならねばならない」と、同社幹部を鼓舞、促進する場面もあった。ボルヌ運輸相も、大統領と対立関係にあるわけではない。マクロン大統領自らが抜擢した新閣僚で、前任者からの引き継ぎの渦中にある。
とはいえ、金や権力、また選挙での集票のために新幹線を誘致しようとする日本の政治家とマクロン大統領との間には、絶対的に埋められない意識の隔たりが存在した。
大統領スピーチに対するフランスの回答は?
マクロン大統領のスピーチは、20時06分に終了した。再び、拍手が1分以上も鳴りやまない。そのまま地元の合唱団が登壇、会場全体がコーラスに包まれた。その後は、地元のワインや食材が振る舞われるパーティ会場に早変わりした。
SNCFのペピ総裁もパーティの輪の中にいた。音楽に合わせ、リズムをとる。だが、大統領のスピーチを受けたせいか、「手放しで喜ぶだけではいけない。新たな課題を示された」――。表情が、そう語っていた。ペピ総裁は昼のボルドーでのセレモニーにも出席していたが、音楽に対するリズムに、よりキレがあった。
ペピ総裁は今年3月末、ボルドー以南における新高速線建設計画に関し、次のように発言している。「現時点で、建設は始まっていない。2018年中に、国と政治家が、(建設か否か)決定することになるだろう」。
7月1日のマクロン大統領スピーチは、決して、フランスとしての最終決定ではない。だが、今後、フランスの鉄道が進むべき方向性に、確かに、巨大な一石を投じた。大統領が発した「国が必要とし、国民が期待する抜本的な交通」へのフランスの回答は、近く示される。

梅田でタブレット/中崎町で久しぶりのフレンチ

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Japon: décès de l'acteur qui a le premier représenté Godzilla
L'acteur japonais qui a le premier revêtu le costume du monstre nippon Godzilla, Haruo Nakajima, est décédé à l'âge de 88 ans d'une pneumonie, ont annoncé mardi les studios de cinéma Toho. M. Nakajima avait 25 ans quand il a commencé à animer la créature représentant l'horreur atomique déferlant sur Tokyo, dans un film sorti sur les écrans en 1954 et vu par 9,6 millions de spectateurs au Japon. L'accoutrement était si lourd (environ 100 kg) qu'il arrivait à peine à marcher 10 mètres. Malgré maintes difficultés, il a fini par "aimer jouer Godzilla", si bien qu'il l'a incarné dans pas moins de 12 longs-métrages. Le nom Godzilla découle de Gojira, la contraction en japonais des mots "gorilla" et "kujira" (baleine).
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ESHITA Masayuki‏ @massa27
国公立大学の学費は学生本人が自分で負担可能な範囲にするのが合理的だと思うんだけどね。それが月額で最低賃金×20〜25時間分だとすると、現在の東京都基準で1.86〜2.33万円ぐらい、年額だと22.4〜28万円ぐらいなのだが。

梅田に行くの面倒だけど忘れ物があるのとタブレットの契約のため行かねばなりません.暑いです.契約の後携帯のメール表示関連でお願いがあって結構時間がかかりましたが無事にできてよかったです.
さてランチはどうしようかな?たまには梅田ではなくて・・・と思って中崎町に行ってみるといい感じのフレンチのお店がありました.久しぶりのフレンチです.しかもお昼からワインをいただいてしまいました.まだこれから仕事あるのにね.

今年もBEGIN にぎやかに歌津復興夏祭り
 南三陸町歌津の復興夏祭りが6日、伊里前地区のハマーレ歌津で開かれ、多くの見物客でにぎわった。
 恒例のポストくんパレードや住民らによる音楽や踊りなどがにぎやかに繰り広げられたほか、今年もBEGINのメンバーによるライブが祭りに花を添え、最後は夢メッセージ花火約1500発が夜空を彩った。


移転建設中の気仙沼向洋高 新校舎地元児童ら見学
 東日本大震災で校舎が被災し、新築移転する気仙沼向洋高の建設現場の見学会が7日、気仙沼市長磯牧通の現地であった。地元の小学生や保護者ら約70人が、生まれ変わる校舎を見て回った。
 県と県建設業協会気仙沼支部が、子どもたちに建設業の仕事の楽しさを知ってもらおうと主催した。協会の担当者の説明を聞きながら、参加者は校舎や体育館の工事現場を間近で見学。校舎の一部にも入った。
 工事の進行状況を記録するドローン(小型無人機)の内蔵カメラを動かしたり、クレーン車の運転席に乗ったりする機会もあった。同市大谷小4年の高橋陽太君(10)は「家から近く、新しい校舎なので通いたくなった」と話した。
 同校は津波で被災し、約1.2キロ西に移転。約5ヘクタールの敷地に鉄骨4階で延べ床面積約6100平方メートルの校舎や、鉄骨2階で延べ床面積約3900平方メートルの実習棟が立つ。
 総事業費は約90億円。本年度末に完成し、2018年度に使用開始の予定。


<仙台七夕まつり>二つの被災地と東京五輪つなぐ 物販で復興支援
 東日本大震災や熊本地震の復興支援と、復興五輪を掲げる2020年東京五輪をPRする合同物産展「仙台JAPAN市」が7日、仙台七夕まつりでにぎわう仙台市中心部で始まった。8日まで。
 青葉区の東北電力ビルなど3カ所にブースを設け、岩手、宮城、福島、熊本、大分の5県の特産品を販売。福島県国見町で朝採りした桃などが人気を集めた。
 熊本の菓子を買った仙台市太白区の佐々木真貴子さん(80)は「九州も地震や大雨の被害が続く。少しでも応援になれば」と話した。
 経団連など財界でつくる「オリンピック・パラリンピック等経済界協議会」が企画し、仙台商工会議所と東北経済連合会が共催。五輪公式グッズの販売やパラリンピックの競技体験も行っている。


<陸前高田市>かさ上げ市街地 「うごく七夕」帰る 山車が練り歩く
 岩手県陸前高田市で7日、伝統の「うごく七夕」が繰り広げられた。東日本大震災で壊滅し、新たにかさ上げされた市街地を、初めて山車が練り歩いた。
 「帰ってきたぞ」。荒町祭組の山車は、かつて町があった場所で足を止め、ひときわ勢いのいいおはやしを響かせた。
 山車の多くは津波で流失。各祭組は震災後、全国から資金援助やボランティアの支援を受けながら山車を再建し、復興工事の合間を縫うようにして個別に運行してきた。
 荒町祭組代表の久納豊さん(69)は「やっとの思いでここまできた。支援がないと厳しいが、毎年山車を出したい」と声を弾ませた。


<石巻鮎川>鯨肉かみしめ文化を次代へ
 宮城県石巻市鮎川浜の牡鹿公民館跡地で6日、牡鹿鯨まつり(実行委員会主催)が開かれた。捕鯨基地として栄えた地区の鯨文化を伝える一大行事で、大勢の家族連れなどでにぎわった。
 鯨肉の炭火焼き700食や地元の女性らが考案した「鯨のピザ」などが無料で振る舞われ、来場者は鯨肉の味をかみしめた。ステージでは、牡鹿中の復興太鼓、鮎川小による子ども七福神舞などが披露された。
 牡鹿半島を中心に開催中の総合祭「リボーンアート・フェスティバル2017」と連携し、音楽プロデューサー小林武史さん(新庄市出身)らによるライブもあった。
 東日本大震災後は中断していた花火も打ち上げられ、地区は終日、祭り気分に包まれた。家族4人で訪れた石巻市の山本裕香(ゆか)さん(30)は「鯨肉を食べに毎年来ている。おいしかった」と話した。


日航機墜落事故から32年 日航新入社員が展示施設見学
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から今月12日で32年となるのを前に、日本航空の新入社員たちが機体の残骸や乗客の遺品などを展示する施設を見学し、「空の安全」への思いを新たにしていました。
7日は日本航空の新入社員16人が、羽田空港にある安全啓発センターを訪れ、担当者の説明を受けながら群馬県の山中に墜落したジャンボ機の機体の残骸や乗客の遺品、事故の経緯をまとめた資料などを見学しました。
日本航空では事故のあとに入社した社員が9割を超えていて、5年前からはグループの全社員が施設を見学することになっています。
来館者は平成18年の開設以降、延べ20万人を超え、半数以上は社外からの見学者で、運送業や建設業、IT企業など幅広い業種の人たちが、安全を考える場として利用が広がっているということです。
新入社員の男性は「命を預かる責任の重い仕事だと感じてはいたが、事故の原因となった圧力隔壁などを実際に見て、安全文化を受け継いでいくのが自分たちの使命だと感じました」と話していました。
日本航空・安全推進本部の大城戸智子さんは「社外の方々も非常に多く施設や事故現場を訪れており、安全がいかに大事かということを広く伝える場になっています」と話していました。


<壇蜜さん動画>全国女性議連が配信停止を要請「公金で制作すべき内容ではない」
 タレントの壇蜜さん(秋田県横手市出身)が出演する仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会の観光PR動画を巡り、全国の女性議員ら約200人でつくる全国フェミニスト議員連盟は7日、公金で制作すべき内容ではないとして配信停止を申し入れた。
 樋口典子仙台市議と岩佐孝子山元町議、伊藤美代子山形市議が県庁を訪れ、吉田祐幸経済商工観光部長に要請書を手渡した。樋口氏は「性的な表現が不快。女性が男性をもてなす表現はジェンダーの視点から重大な問題だ」と訴えた。
 県には動画に関する意見が約400件寄せられ、うち9割が批判的な内容という。投稿サイト「ユーチューブ」の再生回数は300万回を突破した。
 村井嘉浩知事は7日の定例記者会見で、ヤフーのインターネットアンケートで高評価が多数を占めた結果を挙げ、「一般世論として8割が評価し、2割が厳しい意見なのではないか」と批判に疑問を呈した。


<戦後72年>教育勅語の記憶(上)義勇軍 少年を戦場へ学校加担
 戦前の教育指針だった教育勅語。道徳の基本を教えるとともに、天皇の臣民としての務めを求め、軍国主義を支える役割を担った。戦後72年の今年、学校法人「森友学園」問題などで、勅語がにわかに注目を集める。勅語の時代の学校はどんな雰囲気だったのか。当時を知る人々を訪ねた。(角田支局・会田正宣)
 戦争で卒業式に出られず、70年ぶりに卒業証書を受けた人がいる。丸森町石倉の農業佐藤三吉(みきち)さん(86)。同町丸森小で授与された卒業証書を、佐藤さんは万感の思いで見つめた。
 佐藤さんが出席した2015年の式では、児童一人一人がスピーチをした。「今の学校では個人が大事にされる。全体主義の時代とは大きく変わった」と感慨深げに語る。
 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ(万一危急の事態が起きたら、大義に基づき勇気を奮って一身をささげ、皇室国家のために尽くせ)」。佐藤さんはそんな勅語の下で育った。
◎同級生らと渡満
 1945年3月、旧丸森国民学校高等科2年だった14歳の佐藤さんは、卒業式の直前に、旧満州(中国東北部)の開拓と国境警備に当たる満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍に参加。敗戦で一時、旧ソ連軍の捕虜となった。
 農家の三男。進学は考えられなかった。南満州鉄道に就職希望だったが、担任は「募集がない」と義勇軍を熱心に勧めた。佐藤さんは「学校に割り当てがあったんだろう」と推測する。
 佐藤さんも抵抗はなかった。軍人は児童の憧れの的で、特攻要員にもなった海軍飛行予科練習生の学校訪問にも心が躍った。上空を旋回する航空兵の練習機を、校庭に「万歳」の人文字をつくって迎えた。丸森国民学校は義勇軍養成の県南の拠点校だったとされ、同級生5人で渡満した。
 紀元節(現在の建国記念の日)などの記念日や、12月8日の太平洋戦争開戦にちなむ毎月8日の「大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)」には式典があった。校庭の奉安殿から御真影(天皇、皇后の写真)と勅語の巻物が出され、校長が恭しく朗読した。「意味は分からなかったが、毎日、『国に尽くせ』と戦争に駆り立てられた」
◎全体主義支える
 82歳で漢学を学んだ佐藤さんは「戦争と結びついたのは問題だが、『父母ニ孝ニ(親に孝行を尽くし)』『夫婦相(あい)和シ(夫婦むつみ合い)』などの内容は立派だ」と感じている。
 戦前の教育に詳しい宮城学院女子大の大平聡教授(62)は「学校で戦争を当然のこととして教え、児童を戦時体制に組み込んだ。勅語は臣民教育の根幹で効果は絶大だった」と解説する。
 第2次安倍晋三内閣は今年3月、勅語を憲法や教育基本法に反しない形で、授業の教材に使うことを認める閣議決定をした。近い将来、「道徳」の授業などで使われる可能性もある。
 大平教授は「教育の基本は個人の幸福の基をつくること。教育勅語の目的は天皇制強化などにあり、全体主義の支えだったことを忘れてはならない」と指摘する。
<教育勅語>大日本帝国憲法の元首だった天皇が臣民に示した教育の基本理念。1890年発布。忠・孝などの道徳を基礎に、有事には身をささげて国家に尽くすことを求める内容が含まれた。衆参両院が1948年に失効を決議した。


<戦後72年>教育勅語の記憶(中)戦地 国家に献身「臣民」犠牲
 戦前の教育指針だった教育勅語。道徳の基本を教えるとともに、天皇の臣民としての務めを求め、軍国主義を支える役割を担った。戦後72年の今年、学校法人「森友学園」問題などで、勅語がにわかに注目を集める。勅語の時代の学校はどんな雰囲気だったのか。当時を知る人々を訪ねた。(角田支局・会田正宣)
 夏空の下、山の斜面に牧草地や飼料用のトウモロコシ畑が広がる。蔵王町北原尾。太平洋戦争の敗戦で、西太平洋の島国パラオから日本に引き揚げた人々が入植した。「北のパラオ」の意を込めた開拓地だ。
 地区入り口に「行幸啓記念碑」が立つ。天皇、皇后両陛下が戦後70年の2015年6月、北原尾を訪問された。両陛下はその2カ月前、旧日本軍の約1万人が玉砕したパラオのペリリュー島を訪れ、戦没者を追悼した。
 両陛下に面会した吉田智(さとし)さん(84)は「にこやかで、親しみやすいお方だった」と印象を語った。
◎「現人神」に緊張
 吉田さんはパラオから引き揚げ後、千葉県の一時収容施設で、昭和天皇に面会したことがある。「緊張した。昔は天皇は現人神(あらひとがみ)、姿を見ただけで目がつぶれると思っていた」と振り返る。戦前の国家元首から戦後の象徴天皇へ、時代の変遷を実感する。
 吉田さんは小学2年のとき、一家でパラオ本島の大和村に入植した。ジャングルで終戦を迎えた。
 日本から約3500キロ離れたパラオでも、教育の中心は教育勅語だった。毎朝のように、背筋をぴんと伸ばして暗唱させられた。
 天皇を「赤子(せきし)」である臣民が慕い、天皇が臣民を慈しむ。天皇中心の家族国家観に立った勅語は、道徳とともに、国のために身をささげることを教えた。
 吉田さんは6人きょうだいのうち弟と妹の2人を、米軍機の機銃掃射で亡くした。炊事で煙を上げてしまったためだ。動くものは何でも撃たれた。吉田さんは「『天皇陛下、万歳』と言って死ぬよう教えられたが、『天皇陛下』と口にした人は見掛けなかった。みんな家族のことだった」と証言する。
 象徴天皇として即位した今の天皇陛下は、象徴の在り方を模索されてきた。被災地で膝をついて被災者を見舞う姿は、その表れだ。平和への思いも深い。
◎両陛下も望まず
 パラオ本島の隣、コロール島にいた北原尾の佐崎美加子さん(85)も、両陛下に面会した一人。皇后陛下に「大変でしたね」、天皇陛下に「ご苦労さまでした」と声を掛けられたという佐崎さんは「お優しかった」と思い起こす。
 佐崎さんも小学生のとき、勅語を暗唱させられた。勅語が朗読された式典が終わると、紅白のまんじゅうが配られた覚えがある。
 佐崎さんは「残酷な戦争は、二度としてはいけない。勅語も含めて昔のような時代に戻ることを、両陛下は望んでいないでしょう」としみじみ語る。


<戦後72年>教育勅語の記憶(下)銃後 道徳の押し付け危惧も
 戦前の教育指針だった教育勅語。道徳の基本を教えるとともに、天皇の臣民としての務めを求め、軍国主義を支える役割を担った。戦後72年の今年、学校法人「森友学園」問題などで、勅語がにわかに注目を集める。勅語の時代の学校はどんな雰囲気だったのか。当時を知る人々を訪ねた。(角田支局・会田正宣)
 仙台空襲から72年を迎えた7月上旬、仙台市戦災復興記念館で戦災復興展が開かれた。空襲を体験した青葉区の広瀬喜美子さん(84)が、昔の遊びコーナーで高校生にお手玉やけん玉を教えていた。
 広瀬さんの家は空襲による焼失を免れたが、避難者があふれて防空壕(ごう)に入れず、桜の木に隠れて震えて過ごした。「沖縄の地上戦の惨状を知らされないまま、本土決戦だと思っていた。空襲で戦争の恐ろしさが分かった」と振り返る。
◎賛美歌など禁止
 広瀬さんは教育勅語を教わった片平丁国民学校から1945年春、宮城高等女学校(現在の宮城学院中・高)に進んだ。ミッションスクールの入学式でも、勅語が朗読された。礼拝や賛美歌は、交戦国の「敵性文化」として禁じられた。
 8月15日、自宅のラジオで敗戦を告げる玉音放送を聞いた。父は終戦を喜んだが、居合わせた高校生のいとこは「これから戦場に行って、天皇陛下のために頑張るつもりだったのに」と泣き崩れた。
 広瀬さんは「当時の日本人にとって天皇は神様だった。勅語で教育され、皇室のいる宮城に向かっての遙拝(ようはい)などが徹底された。洗脳されていた」と話す。
 青葉区の元高校教諭今野敏さん(85)も空襲を受けた。近所の女性が、腹部から弾丸が突き出たまま亡くなっているのを目撃した。火葬場への道に遺体が累々と横たわり、ハエが飛び交っていた。その羽音が今も耳にこびりついている。
 今野さんは荒町国民学校5年のとき、勅語が朗読されているさなかに隣の子とふざけてけんかし、げんこつを食らって講堂の外に出されたことがある。
 とはいえ、典型的な軍国少年だった。仙台の第二師団司令部に小遣いを寄付し、陸軍大臣東条英機と海軍大臣嶋田繁太郎名の感謝状をもらった。
 神風特攻隊に感激した今野さん。「『後に続く者を信ず』と言った先輩の後に続きます」と作文に書き、卒業式で紹介された。直後、陸軍航空隊に所属した親戚が台湾沖で散った。
◎戦前回帰のよう
 戦後の中学の恩師の影響で、今野さんは日本史の教員になった。教育の力を知るだけに、「道徳は日常生活で学ぶもの。上から押し付けるような勅語を、再び教育現場に持ち込むのは間違いだ」と訴える。
 今野さんは危惧する。「勅語や『共謀罪』法(改正組織犯罪処罰法)の成立など、安倍晋三首相の政治は戦前に回帰するようだ。将来、言論や思想の自由が奪われる時代になってしまわないか」
<仙台空襲>1945年7月10日午前0時すぎから約2時間半、仙台市中心部に約120機の米軍機B29が焼夷(しょうい)弾約1万3000発を投下。死者1064人、負傷者1683人。約500ヘクタールが焼け野原となった。


「進撃の巨人」 被災者を励ますメッセージ【四重奏】
 日田市大山町出身で人気漫画「進撃の巨人」の作者諫山創さん(30)が、福岡・大分豪雨の被災者を励ますイラストとメッセージを色紙に描いた。父光夫さん(63)=同町東大山=が7日、市役所で原田啓介市長に手渡した。盆明け以降、市役所1階で展示する予定。
 イラストは同作の登場人物が襲いかかる巨人に立ち向かう様子で、「心よりお見舞い申し上げます」との言葉を添えた。
 光夫さんによると、創さんは「古里への思いが強い」といい、原田市長は「巨人を災害に例えるなら、まさにこんな気持ちで立ち向かわないといけない」。無情の豪雨災害に対処して復旧・復興に取り組む決意を新たにしていた。


夏の高校野球 8・9伝える 長崎出身の横浜・増田中堅手
 第99回全国高校野球選手権大会の第4日(11日)に初戦を迎える横浜(神奈川)の増田珠(しゅう)中堅手(3年)は9日の午前11時2分、兵庫県伊丹市の練習場で、いつもの年と同じように黙とうをささげる。自身は長崎市出身で、祖母の久美子さん(74)は広島で被爆。出身地と関東での「原爆の日」への意識の差に戸惑いながら、「長崎で起きたことを伝えていかなくては」と甲子園で思いを新たにしている。
 増田選手は4番打者で、神奈川大会で5本塁打を放った全国屈指のスラッガー。
 原爆を意識するようになったのは、幼いころ一緒に風呂に入った久美子さんの体に残る傷痕を見て、「何でこうなってるの」と尋ねてからだ。久美子さんから原爆について聞かされ、小・中学校の授業でも被爆直後の長崎の様子、今も続く被爆者の苦しみを学んできた。原爆投下時刻には同級生たちと一緒に黙とうをささげるのが、長崎での8月9日だった。
 それが当たり前でなくなったのは、プロ野球選手を目指して神奈川県に引っ越してからだ。原爆の日が近くなっても、長崎のように同級生の間で「今年もあの日が近づいてきた」という雰囲気はない。他の野球部員に「8月9日って、何の日か知っている?」と尋ねても、「野球(や・きゅう)の日だろ」という答えが返ってきた。ショックだった。
 去年の8月9日の投下時刻は、甲子園での1回戦を控え、ウオーミングアップ中だった。時計をチラチラ見ながら時間を確認し、体を動かしながら静かに目を閉じた。今年も同じように、どこにいても、何をしていても「原爆の悲惨さ」に思いをはせるつもりだ。チームメートは不思議がり、「何してるの?」と聞いてくるかもしれない。「その時は『72年前、長崎に原爆が投下された時間なんだよ』と説明したい。知っている人が、伝えていかなきゃならないんで」【中村紬葵】


岐路の安倍政権 政と官 お追従をはびこらせるな
 改造内閣が直視すべき課題に、ゆがんだ「政と官」の関係の見直しがある。首相官邸の官僚に対する行き過ぎた統制や、それに伴う官僚の変質が安倍内閣の迷走に影響しているとみられている。
 中央官庁の官僚が安倍晋三首相ら官邸の意向をおもんばかり迎合するように政策を調整し、情報開示を拒む。その風潮は「そんたく」という言葉に象徴されている。
 首相の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設問題もそうだ。内閣府の官僚が「総理のご意向」をかざして文部科学省に認可を迫る内部文書が判明した。菅義偉官房長官はそれを「怪文書」扱いし、文科省も最初は存在を認めなかった。
 森友学園の小学校建設問題では籠池泰典前理事長が首相夫人の昭恵氏との親密さをアピールしていた。国有地売却で8億円の値引きに国はなぜ応じたのか。財務省はいまだに実態解明に協力していない。
 政と官の変質は2014年5月、内閣人事局の発足が転機となった。官庁の幹部人事を一元管理することで、省益優先やタテ割りの打破を目指すとのふれこみだった。
 ところが、安倍政権の一連の幹部人事には、自らの意に沿う官僚を選別して重用したり、気に入らない官僚を排除したりする手段に制度を利用した疑念がつきまとう。
 人事による冷遇をおそれた官僚たちは意見を言わなくなり、首相や官房長官へのお追従(ついしょう)が幅をきかせるようになってきた。
 民主的に選ばれた政治家が大きな方針を示す政治主導は当然だ。しかし、政と官は単なる上下関係ではなく、協業関係にある。官僚が政権に迎合し、緊張関係を失うようでは組織は劣化してしまう。
 改造人事では加計問題への関与が文書で指摘された萩生田光一前官房副長官に代えて、事務トップの杉田和博副長官を人事局長にあてた。とはいえ官僚を実質統括する菅氏は留任しており、基本は変わらない。
 いったんはびこった風潮を改めていくためには、適正な公文書の管理や情報公開が欠かせない。
 何よりも、官僚は国民全体の奉仕者であり、政権の奉仕者でないことを首相や菅氏は認識すべきだ。それが権力者のたしなみである。


北方相の失言 これで「仕事人内閣」か
 「仕事人内閣」の看板を疑わせる無責任な発言である。
 先の改造で初入閣したばかりの江崎鉄磨沖縄北方担当相が、国会答弁について「しっかりお役所の原稿を読む。立ち往生より、答弁書の朗読かな」と述べた。
 北方領土問題については「素人は素人。皆さんの知恵で色を付けてもらうことが一番大切」と、見識不足を自ら認めた。
 閣僚の重責を軽んじるかのような姿勢である。野党が更迭を求める動きを見せたのも当然だ。
 安倍晋三首相は改造内閣について「専門性と実力を兼ね備えた人材をそろえた」と豪語したが、不安を抱かざるを得ない。
 国民の信頼回復には聞こえの良い言葉ではなく、閣僚が真摯(しんし)に職務を遂行するしかない。政権はその基本を再確認してもらいたい。
 江崎氏の発言は地元愛知県一宮市での会合後、記者団に述べたものだ。本音が漏れたのだろう。
 入閣自体が「はっきり言って重荷だった」という。ではなぜ受諾したのか。職務を全うする自信がないのなら、断るのが筋だ。
 江崎氏はその後、一連の発言は「言葉足らずだった」と釈明したが、経験不足は容易に繕えまい。
 安倍政権下ではこれまで、金田勝年前法相や稲田朋美元防衛相らが不適切な国会答弁や失言を連発して、資質を問われてきた。
 改造では閣僚経験者の起用など手堅い布陣を目指したはずだが、問題は一掃されていないようだ。
 改造後の世論調査でも、内閣支持率の回復は一定の範囲にとどまっている。政権運営に気を引き締めて臨まなければ、国民の政治不信がさらに高まりかねない。
 沖縄北方担当相は、北方領土問題と米軍基地問題を抱える両地域の振興策などを担当する。領土返還運動も所管し、外交と両輪で問題解決に取り組む重い役回りだ。
 なのに与党の一部では入閣待機組の処遇ポストとみなされ、地元の現状への理解を欠く政治家が起用される例も少なくなかった。
 前任の鶴保庸介氏は、沖縄県の米軍工事への反対派を「土人」となじった機動隊員の暴言を「差別とは断じられない」と擁護した。
 さらに前任の島尻安伊子氏は、北方領土「歯舞(はぼまい)」群島の字を読めず、地元関係者を失望させた。
 首相は北方領土問題の「任期中の解決」に意欲を見せるが、地元への対応をないがしろにするようでは、その姿勢に疑問符が付く。
 一閣僚の失言と片付けるのではなく、重く受け止めるべきだ。


脱ガソリン車  世界に後れないように
 次世代エコカーの開発分野で、電気自動車(EV)の存在感が増している。先週、トヨタ自動車とマツダがEV開発で資本提携に合意したのは一つの象徴だろう。
 企業戦略としてだけでなく、各国の成長戦略としてEV重視が強まっていることに注目したい。
 フランスと英国が7月、石油を燃料とするガソリン車とディーゼル車の国内販売を2040年までに終える方針を相次いで発表し、衝撃が広がった。仏政府は排ガス規制の強化や買い替え補助金の充実、英政府も大気汚染対策事業への資金拠出を通じ、EVの普及を後押しする。
 アジアでも同様の動きがある。インドは英仏より踏み込み、30年までに脱「燃料車」を実現する方向だ。世界最大の自動車市場で、大気汚染が深刻な中国は、EVを含む新エネルギー車の生産をメーカーに義務づける罰則つきの新法を18年にも施行する。企業側では、スウェーデンのボルボ・カーやドイツのフォルクスワーゲンなどがすでに増産計画を打ち出した。
 こうした海外勢の動きに比べ、日本勢の出遅れ感は否めない。
 エンジンと電気モーターを組み合わせたハイブリッド車に強みをもつ日本勢は、将来、水素と空気中の酸素を反応させて走る燃料電池車の普及を狙う。排出するのは水だけのため、究極のエコカーとされるが、価格が高く、水素補給拠点の整備にもコストがかかるなど課題が多い。
 一方、EVの一番の弱点とされる充電1回あたりの走行距離の短さは、世界的な技術の進歩で克服されつつある。
 当面の普及を図る観点でいえばどちらが優位か明らかだろう。
 EVへの転換が進む背景には、燃費のよさで欧州で人気のディーゼル車が、15年の排ガス規制逃れ問題で逆風にさらされていることがある。だが、今の日欧の差は、パリ協定をはじめとする世界の環境対策のスピードを、日本の政府と産業界が測りかねていたことも一因ではないか。
 車の電動化は、人工知能(AI)を用いた自動運転の進展などを見据えて、さらに広がりそうだ。米国のテスラなどEVに特化した新興勢力、異業種も参入し、業界の競争の構図そのものが変化している。後れを取らないようにしたい。
 自動車産業は言うまでもなく日本経済の柱の一つであり、関連する企業や雇用、エネルギー需要に与える影響が大きい。産官ともに多角的に戦略を練る必要がある。


上原康助氏死去 「主体は沖縄」の信念継ぐ
 元沖縄開発庁長官の上原康助さんが死去した。
 全沖縄軍労働組合(全軍労)の委員長として基地労働者の待遇改善に取り組み、1970年に沖縄で戦後初の国政参加選挙に当選。県選出議員として初めて国務大臣に就任した。10期30年、基地の重圧や、格差など沖縄の現状を国会で訴え、問題解決のために奔走した。
 68年11月、嘉手納基地にB52が墜落した。嘉手納町の自宅の庭にまで破片が飛んできた。「B52を撤去させるには、ゼネストくらいの抗議をしないといけない」と怒り、翌69年2月4日に計画された沖縄初のゼネストのきっかけになったとも言われる。
 しかし、ゼネスト参加者は解雇という米当局の強硬姿勢に直面して組織は混乱、全軍労は直前でゼネスト参加を回避した。全軍労が加盟する県労協は、屋良朝苗主席のゼネスト回避要請を受け激論の末、回避を決定した。上原さんは生前「実際にゼネストに入れなかったことは県民に申し訳ない」と語っていた。
 この挫折で全軍労は立ち上がれないという見方があったが立て直して、基地労働者の大量解雇に対し70年1月に48時間、120時間と相次いでストライキを決行。「首を切るなら基地も返せ」と訴え、先頭に立って離職者対策や解雇後の生活保障を求めた。
 国政参加選挙に当選した直後の70年11月27日、戦前戦後を通じ県選出議員として初めて代表質問に立つ。38歳だった。「沖縄県民の意思を問うことなく、平和条約と引きかえに、日本政府は一方的に沖縄を米軍支配にゆだねた」と主張し、佐藤栄作首相に対し、県民が被った差別と犠牲に対する責任を追及した。
 本会議場で傍聴していた屋良主席は感激して「沖縄にとっては歴史的瞬間」「沖縄の声を率直大胆に表明し、訴えてくれた」と日記に書いているほどだ。
 特筆されるのは95年に議員立法で軍転特措法を成立させたことだ。軍用地が返還された場合、国の原状回復義務を明記し、返還後3年間賃借料・補償金を支払う内容だ。在任中、病で倒れた平良幸市知事が心血を注いだ懸案事項だった。
 それを上原さんが引き継ぎ80年、82年、91年の3度、国会に提案した。だが審議未了で廃案になってきた。94年6月に4度目の提案を行ったが、自民党の抵抗で危うく廃案になりかけた。ここで上原さんは粘りを発揮し、沖縄側が保革一致団結することによって法案は成立した。
 「沖縄の明日を創造していく主体は、常に沖縄側にある」と主張し、沖縄の政治家に政策を磨き、気骨を持って日本政府や米国と大胆に勝負するよう求めた。基地問題を前進させるために、党派を超えて県民の英知を結集する必要性を訴えていた。
 上原さんの信念は次世代に引き継がれるだろう。


沖縄相「地位協定見直しを」 閣僚で異例な見解
 【東京】江崎鉄磨沖縄北方担当相は8日の閣議後会見で、豪東海岸で発生した米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの墜落事故に関して「日米地位協定をもう少し見直さないといけない」と述べた。沖縄振興を担当する閣僚が地位協定見直しに言及するのは異例だ。
 江崎氏は「話し合って時間をかけてでも、沖縄県民の気持ちを政府がしっかり受け止め、米国に言うべきことは言いながら、という考えを持っている」と強調した。
 政府は地位協定について「あるべき姿を不断に追求していく」などとする見解を示してきたが、これまでの対応は運用改善にとどまり、事実上改定に否定的な立場を取ってきた。
 地位協定を巡っては、昨年4月に発生した米軍族女性暴行殺人事件を受け、当時の島尻安伊子沖縄担当相(自民党県連会長)が「県連としても改正、改定について求めざるを得ない」と求めた経緯があるが、菅義偉官房長官は「県選出の国会議員、県連会長としての考え方を述べたのだろう」と語り、政府見解ではないとの見方を示した。


小野寺五典氏の事務所が使途不明金で代表「わかんないなァ」
 8月3日に安倍改造内閣が発足した。前任大臣の稲田朋美氏がズタズタにした国防再建の大役を担うのは、安倍晋三・首相の信頼厚い“再任組”の小野寺五典・防衛相。
 小野寺氏の地元・宮城県気仙沼市は東日本大震災で大きな被害を受けた。4年半前、第2次安倍内閣の発足で防衛相に初入閣。防衛相を離任してからの3年間、地元で奇妙な“復興活動”に励んでいた。
 フカヒレの水揚げ量日本一を誇る気仙沼漁港の魚市場の目の前に「海の市 シャークミュージアム」がある。気仙沼市の第三セクターが運営し、震災で大きな被害を受けたが、国の震災復興予算約7億円を掛けて修復され、小野寺氏が防衛相時代の2014年にリニューアルオープンした。年間30万人以上の観光客が訪れる復興のシンボルだ。
 この建物の3階に地元企業などと並んで「小野寺五典後援会」の事務所がある。この後援会は毎年巨額の“使途不明金”を出す実態不明の団体なのだ。
 小野寺氏の2015年の政治資金収支報告書によると、資金管理団体『事の会』は2015年に地元で開いた政治資金パーティと地元企業経営者などからの献金で約3300万円を集め、その3分の1の1200万円を同後援会に寄附している。
 後援会はそのうち1150万円を使い切ったことになっているが、具体的な支払い先が報告されているのは「ポスター印刷代」の8万6400円だけで、支出のほとんどが何に使ったか記載がない。有権者側の視点で見れば、1200万円がほぼ丸ごと“使途不明”なのだ。
 前年の2014年も『事の会』から寄附された1000万円のうち、989万円を使い、使途が記載されているのは「後援会入会申し込み書印刷代」5万8320円だけである。
 政治資金規正法では、国会議員関係政治団体は「1件1万円以上」の支払い先は、目的、金額を記載しなければならないと定めている。小野寺後援会は2011年に国会議員関係政治団体の登録から外れていた。同後援会代表のA氏を直撃した。
──毎年1000万円ものカネを何に使っているのか。
「私もよくわかんないなァ」(困り果てた顔)
──事務所の家賃も明記されていない。
「市場のとこ? あそこナンボだべ? 聞いてみてよ」
──あなたが代表でしょ?
「う〜ん。(小野寺大臣とは)大学の同級生だから代表ではありますが、なーんもわかんねぇ」
 この不透明極まりない報告書は小野寺氏の秘書が作成したらしい。小野寺事務所に聞いた。
「震災で収入、支出が激減したため2011年から国会議員関係政治団体から外しました。今は震災前と同程度まで回復しましたが、登録を戻していません。現状は不記載などに当たらない」
 政治資金規正法に詳しい神戸学院大学教授の上脇博之氏が言う。
「震災で収支が悪化したから外した、という理由はおかしい。小野寺氏の資金管理団体と会計責任者が同じで、多額の寄附も入っており議員とは関係が深い団体です。使途を明らかにしない状況は、意図的に政治資金の流れを不透明にしているようにも見える」
 やましいところが無いなら、公開すればいいだけだ。


「このハゲーーー!」元秘書、文章執筆中&秘書オファー待つ
「このハゲーーー!」──。ワイドショーで連日繰り返し流され、幼稚園児まで真似するようになってしまったのは、『週刊新潮』(6月29日号)が報じた豊田真由子衆院議員の政策秘書への「絶叫暴言」。
 自民党“魔の2回生”である豊田氏はすぐさま離党し、体調不良で「入院」して雲隠れ。一方、「絶叫音声」を録音していた元秘書は被害届を出し、7月6日に埼玉県警が受理した。豊田氏の後援会関係者はこう話す。
「豊田は被害届の件はどうにかなると思っているようで、議員辞職はせずに次の選挙も同じ選挙区で戦おうと考えているようだ。8月に入ってから秘書が地元でお詫び行脚を始めています」
 豊田氏が政治活動再開に向けて動き出すなか、仕事や運転のミスを咎められ、“ハゲ”“生きてる価値ないだろう”と罵られた元秘書はどうするのか。
「被害届を出し、その後の聴取や現場検証など一通りのことは終わっています。他の関係者への聴取なども進んでいると聞いていますので、今は捜査の進展を見守っていたいと思います」
 そう語るのは、当の元秘書だ。本誌の直撃に、あの録音音声と変わらぬ穏やかな声で応対した元秘書は50代で、豊田事務所の前には、自民党のベテラン議員や、民主党の重鎮議員の秘書も務めていたことがある。かつて記者をしていたこともある彼は、近況についてこう明かした。
「今までの経緯を振り返りながら文章にまとめています。現段階では、出版も掲載のアテもないのですが」
 あれだけの恐怖を味わった秘書業には見切りをつけ、豊田氏との騒動をネタに作家デビューということか。ただ、よどみない口調でこうも答えるのだ。
「いろんな選択肢があるので今はこれといって決めていませんが、秘書の仕事も声がかかればやりたいと思っています」(同前)
 再就職先では、上司に恵まれることを祈るばかり──。


奨学金400万円超を返済するため…風俗で働く貧困女子25歳のリアル
 就職直後から借金地獄――。近年、若者が貧困化する事例の一つとして問題視されているのが奨学金負債だ。東京型貧困の特徴とも言え、苦しむ若者は年々増えている。
「駒澤大学に入学するため、学生支援機構から月8万円の貸与奨学金と入学一時金を合わせた計440万円を借りました」と話すのは現在、Webマーケティング会社に勤務する土本由美さんだ。
奨学金400万円超を返済するため…風俗で働く貧困女子25歳のリアル
 高校卒業後、大学進学のために静岡から上京。母子家庭で生活が苦しく、最初から奨学金を借りる予定だった。当時は「東京に行きたいという気持ちが強く、返済は卒業後」と楽観視していたという。
「社会人になるときに、返済計画書を見せられたんですが、月2万6000円を20年間返済し続けることになっていた。結婚もできないじゃんって……愕然としましたね。でも、就活して実感したんですが、駒大卒じゃ高給取りにはなれない。そこでとりあえず就職し、風俗嬢になったわけです」
 ダブルワークのため、デリヘルに出勤できるのは休日のみ。しかし、Webマーケティングという多忙を極める職業柄、休日も不定期で思うように稼げないという。
「3年間デリヘルをやって、月の稼ぎは5万〜10万円。それを全額奨学金の返済に充てていますが、まだ350万円近く借金が残っている。会社の同僚にはダイエットと嘘をついてランチを我慢し、服だってここ1年はほとんど買っていないのに……。あまりの借金の多さに何のために生きているのかわからなくなることもあります」
 大学時代から交際していた彼氏とはデリヘル嬢になったことをきっかけに別れてしまった。
「貸与型の奨学金は借金と同じ。大学は卒業できても、いい会社に就職できなきゃ地獄ですね」
 社会人になると同時に、人生を苦しめる奨学金負債は深刻だ。週刊SPA!8月15日・22日号では「東京vs地方 貧困のリアル」という特集を組んでいる。日本の相対的貧困率は15.6%。この数値は本当に真実を語っているのか。東京と地方では年収や生活水準が異なるにもかかわらず、貧困問題はこれまで一緒くたに語られてきた。しかし、実際は東京型貧困と地方型貧困では病理が違うのだ。土本さんの例は典型的な東京型だろう。貧困を腑分けした本特集でその病理をあぶりだした。


科学的特性マップ公表 処分地議論を前進させよ
 経済産業省は、高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)の最終処分地選定に向け、科学的観点での適性度合いを日本地図で示す「科学的特性マップ」を公表した。世耕弘成経産相は「最終処分の実現に向けた重要な一歩であると同時に長い道のりの一歩」と強調。今後、処分地選定議論を活性化させる方針だ。
 原子力利用に伴い、発生した使用済み核燃料を再処理する際に出る廃液を固めたガラス固化体は、極めて強い放射線を長い期間にわたって出し続ける。
 六ケ所村の日本原燃施設内には現在、2176本のガラス固化体が保管されている。貯蔵期間は青森県や村と原燃が結んだ協定で最大50年と決められており、県と国には県内を最終処分地にしないとの確約もある。三村申吾知事は「一時貯蔵を前提に、核燃料サイクル施設の立地協力要請を受諾している」と強調する。
 だが、最初に海外から返還された分を貯蔵してから既に22年が経過。この間、処分地選定は一向に進まなかった。県内には搬出が履行されず、なし崩し的に最終処分地化する事態を懸念する声もある。世耕経産相は青森県を最終処分の候補地から除外する方針を示すが、早期選定へ?みを進めることが重要であり、これ以上の議論の停滞は許されない。
 特性マップ公表に対して県内自治体の評価は分かれた。サイクル施設が立地する下北地域の首長からは「国が前面に立つ姿勢の現れ」と歓迎の声が上がったが、それ以外の地域は「コメントを差し控える」(八戸市)「県内を最終処分地にしないとする取り決めがあり、コメントしようがない」(三沢市)など静観の姿勢が目立った。全国でも議論の深まりを期待する声と不安が交錯しており、処分地選定の難しさを浮き彫りにする。
 これまでの国は前面に立つ姿勢が欠如していた。交付金と称したアメをぶら下げ、名乗りを上げる自治体を待つ受け身の手法は混乱も生んだ。高知県東洋町が処分地の文献調査に応募しながら反対運動で撤回を余儀なくされた。これを受け、国は自治体への申し入れ方式も取り入れたが、実現しなかった。
 東京電力福島第1原発事故で高まった国民の原子力不信は消えておらず、選定のハードルはより高くなったと言えよう。こうした中で、いかに国民的議論を醸成するか。アメを使った手法はもう通用しない。議論を前進させるため、国は真(しん)摯(し)な姿勢で丁寧な説明を尽くさなければならない。


核のごみ最終処分場 負担を後世に残さない施策を
 原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場候補地になり得る地域を示す「科学的特性マップ」を経済産業省が公表した。長年、行き詰まったままの処分場問題を前に動かそうという狙いだ。
 地図では火山や活断層周辺、地下に採掘可能な鉱物資源がある場所を除く「適地」や、海上輸送の条件がいい「最適地」を示している。経産省は秋以降、重点的に説明会を開き、最適地の調査につなげたいという。
 核のごみは原発の使用済み核燃料の再処理の際に出る廃棄物。人体への危険性を考慮し、数万年から約10万年、地下300メートルより深い岩盤に埋めることを決めている。
 候補地選定を巡っては過去に一度、高知県東洋町が2007年に調査に応募したが、町民が賛成派、反対派に分かれて対立し、最終的に撤回した経緯がある。
 最終処分場ではないが、白浜町の旧日置川町でもかつて、原発誘致を巡って町が二分された。家族や親戚の中でも対立が生まれ、1988年に反対派の町長が当選するまで10年以上、混乱が続いた。
 今回、経産省が提示した地図では、ほぼ県全域が適地とされ、紀南の大部分も最適地とされた。
 これに対し、仁坂吉伸知事は記者会見で、処分場を「誘致するとか、いいですよとか言うつもりは全くない」と明言。大規模地震が予想されること、人家から隔離できる場所がないことなどを理由に挙げた。たとえ市町村が手を挙げることがあっても、辞めるよう促すとしている。
 県政のトップが「県内は断固拒否」の姿勢を明確に示した意味は大きい。地図公表直後は「情報を収集する」などというコメントを出していた紀南の市町長も、知事の発言後は「受け入れるつもりはない」「適地とは思えない」などという見解を出している。処分場受け入れと引き替えに巨額の交付金を受けるより、安心して住み続けられる環境を守るのが地域のためとの判断だろう。
 では「核のごみ」はどこに持って行くべきか。最終処分の見通しのないまま使用済み核燃料はすでに1万8千トンもたまっている。最適地を明示しても、何万年も地下深くに隔離しないといけないほどの危険物を実際に受け入れてくれる自治体を選定するのは、簡単なことではない。
 その間にも「核のごみ」は増え続ける。それを考えると、廃棄物を処理する場所を事前に確保しないまま、何十年も「トイレなきマンション」状態を続けてきた日本の原発政策そのものへの疑問に行き着く。
 政府は、福島第1原発の爆発事故以降も、原発を「重要なベースロード電源」に位置付け、各地で原発の再稼働を進めている。
 それで後世に対する責任は果たせるのか。処分場の選定と同時に、これ以上は「核のごみ」を増やさないという選択肢を真剣に考える時ではないか。(K)


カジノ規制/依存症対策をどうする
 カジノを目玉に国際会議場やホテルなどからなる統合型リゾート施設(IR)の導入に向け、政府の有識者会議は設置や運営のルールをまとめた。ギャンブル依存症や治安への懸念があることから、マイナンバーカードを使い日本人の入場を制限したり、入場料を取ったりする「世界最高水準のカジノ規制」を盛り込んだとしている。
 これを踏まえ、政府は来週から東京、大阪など9都市で公聴会を開催。住民や自治体の担当者、事業者の意見を聞きながらIR実施法案の策定を進め、秋の臨時国会への提出を目指す。一方でパチンコや競馬など公営ギャンブルの依存症対策も取りまとめ、理解を広げていきたい考えだ。
 ただ世界最高水準の規制といっても、入場回数の上限や入場料の額など具体的な中身は、まだ何も決まっていない。普及率が1割にも満たないマイナンバーカードで入場回数などの確認や管理ができるのかとの疑問の声もある。中身はともかく、規制のメニューを多く並べ、実施法案成立の環境づくりを急いでいるようにしか見えない。
 そんな中、各地の自治体がIRの誘致に名乗りを上げ、海外のカジノ業者も参入に意欲を示している。政府がいま最優先で取り組むべきなのは、カジノはもとよりパチンコや競馬なども含めた包括的で実効性のある依存症対策を整備することではないか。
 昨年末のIR整備推進法成立を受け有識者会議がまとめた制度概要によると、全国で2、3カ所の選定が有力視されるIR区域一つにつき、カジノ施設は一つに限定。国際会議場やホテル、劇場といった施設との一体運営を義務付け、カジノの収益の一部を国と自治体とで折半して観光振興などに活用するという。
 カジノ事業は免許更新制とし、政府内に新設される「カジノ管理委員会」が暴力団との関係などを調査。マネーロンダリング(資金洗浄)や法令違反といった問題があれば、免許を取り消す。
 最も注目された依存症対策では、日本人入場者にマイナンバーカードの提示を求め、1週間や1カ月単位で入場回数を確認・制限するほか、本人や家族の申告で入場を規制できるようにする。またカジノ内への現金自動預払機(ATM)設置を禁じる。しかし客が持ち込める金額や滞在時間にも上限を設けなければ不十分との指摘もある。
 政府はカジノをあくまでIRの一部とし、IR全体による経済効果を強調する。とはいえ、採算を取るのが難しいといわれる会議場や展示場の運営を”稼ぎ頭”であるカジノの収益で支える仕組みになっている。
 一方で、警察庁はパチンコの出玉の上限を現行の3分の2程度に抑えるなど射幸性を抑制する風営法施行規則などの改正案をまとめ、パブリックコメントを実施している。パチスロにも同様の規制を掛けるという。カジノ解禁により予想される依存症の深刻化に対処するためだが、それよりもカジノとパチンコ、さらに競馬や競輪なども含めたギャンブル全体に及ぶ規制を検討すべきとの意見もある。
 ほかのギャンブルを含め万全の依存症対策を取れば、カジノの運営は厳しくなるかもしれない。それでもカジノが必要か、考えてみたい。


原爆の日◆被爆体験の原点に立ち返れ◆
 広島に続いて長崎もあす「原爆の日」を迎える。
 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で16万4621人、平均年齢は81歳を超えた。昨年4月からの1年間で9581人が亡くなり、核攻撃の生き地獄を知る歴史の証人は年々減っている。
 広島、長崎両市が主催する式典には毎年、各都道府県の遺族代表が参列するが、長崎の場合、今年の式典には16県が欠席だという。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいるのだ。
核廃絶を求める背景
 原爆投下から72年になる。
 長い月日がたち、被爆体験の風化を懸念せざるを得ない。しかし、残虐兵器を実戦使用された世界唯一の国として、日本は「核兵器の非人道性」を後世に伝え、国際社会の先頭に立って核廃絶を唱道していく特別の責任がある。
 それは、被爆国が人類全体に負う道義的かつ倫理的な責務でもある。
 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼き殺されざるを得なかった肉親と、その場で永遠の別れをした被爆者が大勢いるという。そうした経験から、生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。
 そんな残酷でつらい思いを、他のだれにも二度とさせてはならないとする「反原爆」の強靱(きょうじん)な哲学が、被爆者が核廃絶を希求してきた背景にある。
 広島の松井一実市長は6日、原爆が投下された午前8時15分の直後に読み上げた平和宣言で、被爆者の体験に根差した「良心」と、為政者が発揮すべき「誠実」さを訴えた。
 なぜ今この時、被爆地が「良心」と「誠実」を強調せざるを得なかったのか。
 大きな理由が二つある。まず憂慮すべき核保有国の現状だ。
 国連で今年7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が採択されたが、九つの核保有国は無視を決め込む傲慢(ごうまん)さと愚かさを見せている。
誠実さ圧倒的に不足
 そして、もう一つの理由は被爆国日本の政府、為政者に「誠実」さが圧倒的に足りないことだ。
 米国の差し掛ける「核の傘」を優先して核兵器禁止条約の交渉に参加しようともせず、被爆体験を土台にこれまで紡がれてきた「非核の国是」を踏みにじろうとしている。
 長崎の田上富久市長は9日の平和宣言で政府に対し、禁止条約に参加し、核兵器に依存する安全保障政策の見直しを提言する方針だ。安全保障と抑止力は確かに重要だが、核兵器にだけ固執する必要はないはずだ。
 安倍晋三首相が改憲を模索する中、被爆国の非核と平和は岐路に立たされている。
 今こそ人類無二の被爆体験という原点に立ち返りたい。


特区WG、発言内容を書き換え 「公開」巡り趣旨正反対に
 政府の国家戦略特区WGが、加計学園の獣医学部新設に関する議事要旨に関し、冒頭部分の発言内容を書き換えていたことが七日、明らかになった。同日の民進党会合で書き換えの疑いが指摘され、WGの八田達夫座長が記者会見で事実を認めた。安倍晋三首相は「WGもすべて議事録を公開している」と加計学園選定の透明性を強調してきたが、議事要旨そのものの信頼性が揺れる事態となった。
 八田氏によると、問題のヒアリングは二〇一五年六月、WGが獣医学部新設を計画していた愛媛県などに行った。会議冒頭、内閣府の藤原豊審議官(当時)が「議事内容は公開でいいか」と尋ね、愛媛県は「非公開を希望する」と答えた。藤原氏が「(獣医学部新設を)提案したことは公開でいいか」と尋ねると、愛媛県は「はい」と答えた。
 ところが、今年三月に公開された議事要旨では、藤原氏が「議事内容は公開でいいか」と尋ね、愛媛県が「はい」と答えたと記された。途中のやりとりを削除することで、実際は非公開を希望した愛媛県がその場で了承したとの内容に書き換えられた。
 この問題を追及した民進党の会合では「議事要旨の改ざんではないか」「行政文書が信用できない」などの批判が相次いだ。内閣府は「県の了解を得て公表したが、議事要旨を見たほかの特区提案者が、非公開を求めたのに公開されたのかと萎縮する恐れがあった」と説明した。
 公文書管理に詳しい長野県短大の瀬畑源助教は「実際の議論の内容を改ざんする行為であり論外だ。政府の情報管理や情報公開そのものを根本的に揺るがすことになりかねない」と指摘した。 (金杉貴雄)


加計発言記載の速記録を廃棄 地方創生相、要旨書き換え「適当」
 政府の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)に出席した学校法人「加計(かけ)学園」幹部による獣医学部新設の提案が、議事要旨に記載されていなかったことについて、梶山弘志地方創生相は八日、「現時点では(発言内容は)分からない。確認する」と答えるにとどまった。
 梶山氏は、業者が書き起こしたヒアリングの速記録には、議事要旨で伏せた加計側の発言も記載していたと説明。ただし、速記録は、議事要旨や四年後に公開する議事録を作成した時点で、廃棄したという。
 愛媛県今治市が特区提案した二〇一五年六月五日のWGに加計学園側は「説明補助者」として参加。「説明補助者の発言は非公式」として議事要旨に記載しない政府側の判断について、梶山氏は「規制官庁とのWGとのやりとりは、ほとんどオープンにしている。事業者に関しては反対する人もいるのでオープンにしないこともある」と語った。
 議事要旨の冒頭部分で、議事内容を非公開とすることに合意したやりとりを、要旨公開に当たって公開に合意したように正反対の趣旨に書き換えた八田達夫・WG座長のやり方については「当事者の了解を取って公表した。ルールにのっとっており、運用上適当と認めている」とした。


三菱重に賠償命じる=女子挺身隊訴訟で韓国地裁
 【光州(韓国南西部)時事】太平洋戦争中、女子勤労挺身(ていしん)隊員として名古屋市の軍需工場に徴用された韓国人女性1人と別の女性の遺族1人が三菱重工業に賠償を求めた裁判で、韓国南西部の光州地裁は8日、賠償を命じる判決を言い渡した。金額は女性本人が1億2000万ウォン(約1200万円)、遺族は約325万6000ウォン(約32万円)。
 判決によると、女性2人は1944年、「勤労挺身隊に入れば、お金が稼げて勉強もできる」といった言葉を信じて志願。しかし、名古屋市の三菱重工の航空機製造工場で厳しい監視の下で働かされ、賃金を受け取れず、教育を受ける機会も得られなかったとされる。地裁は判決で「韓日請求権協定で個人の請求権が消滅したとみることはできない」と判断した。
 光州地裁では11日にも、同様に徴用された韓国人女性や遺族4人が三菱重工に対して起こした賠償請求訴訟の判決がある。韓国では7月、「軍艦島」と呼ばれる端島(長崎市)に徴用された朝鮮半島出身者らの脱出劇を描いた映画「軍艦島(クナムド)」が公開されたばかりで、メディアは「強制労働への関心が高まる中、相次ぐ判決」と伝えている。
 韓国最高裁は2012年5月、戦時徴用をめぐり、日韓請求権協定で原告個人の請求権までは消滅していないとして、元労働者側の主張を全面的に認めた。これ以降、日本企業に賠償を命じる判決が続いている。
 三菱重工広報部は「判決文を入手次第、判決内容の詳細を確認した上で、控訴の手続きを速やかに進めたい」とコメントした。


全米が泣いた「日系アメリカ人議員」の正体 オバマケア撤廃反対を命懸けで呼びかけた
ピーター・エニス :東洋経済 特約記者(在ニューヨーク)
この数週間、米議会でバラク・オバマ前大統領の任期中に導入された「オバマケア」を撤廃する共和党案が議論される中、ひとりの日系米国人女性議員に米国人の注目が集まった。
彼女の名前はメイジー・ヒロノ。ハワイ州選出の上院議員だ。2012年、上院議員に選出された初めてのアジア系米国人女性として話題にもなった同議員が、ここへきて再び耳目を集めている理由――それは、彼女が5月に腎臓がんのステージ4との診断を受けたにもかかわらず、議案採択のためにハワイから首都ワシントンに渡り、ライバルの共和党議員たちに、オバマケア撤廃に反対票を投じるように呼びかけたからだ。そして、そのときのスピーチが、「心に響いた」という人が後を絶たないのである。
実は当初、米国の"主要メディア”がこのスピーチを取り上げることはなかった。が、リベラル系政治ブログDaily Kosが取り上げたことで、徐々に大手メディアでも伝えられるようになると同時に、SNSでも彼女の「行動」が拡散されるようになった。
福島県で生まれ育った
「ヒロノ議員は上院議会に出席し、2000万人以上の健康保険を守るために投票してくれた」――。あるフェイスブックユーザーの投稿は、瞬く間にSNS上で拡散され、ヒロノ議員の行動は多くの人の知るところとなった。「本当のヒーローは有言実行であり、実際、必要なときに自らが公言した価値観に従って行動を起こす」。
議案採択が行われる7月27日の夜、議会に出席したヒロノ議員は、両院議員を前にこう切り出した。「オバマケアの撤廃は、この国の何百万人もの人を苦しめることになる。特にその影響を受けるのは、最も重病で、最も貧しい人々だ」。
ヒロノ議員は1947年、福島県で生まれた。夫の虐待でシングルマザーとなった母親の下に生まれたヒロノ議員には3人の兄弟がいたが、戦後まともな医療が受けられない中、全員が自宅で生まれた。議会ではこのことに触れ、「ここにいる議員の中で、病院で生まれなかったのはひょっとしたら私だけかもしれない」と語った。
また、同議員は姉妹の1人を2歳のときに肺炎で亡くしており、「あのとき、適切な医療が受けられれば彼女は助かっていたかもしれない」と、ヒロノ議員は涙ながらに振り返った。
1955年に、母親と兄弟とともにハワイに移住したヒロノ議員だが、母親が病弱だったため働けなくなり、医療費を払えなくなることにずっと不安を感じていたという。幸い同議員は無事に大学へ進学し、その後名門ジョージタウン大学のロースクールへと進んだ。
程なく政治家を志すようになったヒロノ議員は、1980年から1994年まで、ハワイ州議会で下院議員を務め、その後2002年までハワイ州の副知事を務めた。2002年には知事選で敗北したものの、米下院議員に再び当選。3期を務めた後、2013年には上院議員となった。
このとき、ヒロノ議員は、上院司法委員会の委員となり、多くの人を驚かせた。小さい州の新人議員が同委員会に入ることは極めて珍しいからだ。後に同議員は、米政権に対して非常に影響力のある軍事委員会の委員にも就く。ハワイ州は、米太平洋軍の司令部なので、軍事問題は同州にとって極めて重要。海軍や海兵隊を管轄するシーパワーの軍事小委員会の最高位の民主党員として、同議員の影響は、はるか沖縄にまで及んでいる。
定期検診でがんが見つかった
政治家としてキャリアを積んできたヒロノ議員が、自身ががんに冒されていることを知ったのは、今年5月のこと。定期検診で見つかった。翌日、同議員は選挙区にその旨を知らせ、ワシントンにあるジョージタウン医療センターで腎臓の摘出手術を受ける。が、がんはすでにほかの臓器にも転移しており、助骨を7インチのチタンプレートと取り替えるなどの治療が施された。
ヒロノ議員はこのとき、医師に自分があとどれくらい生きられるのかを尋ねたという。すると医師からは「まだ時間はある」という答え。その後、同議員はオバマ政権最大の功績の一つと考えているオバマケア撤廃を防ぐための取り組みを始め、ハワイ州でタウンホールミーティングを開催するように。ほかの民主党議員とも協力し、ポッドキャストを通じて共和党による改革案の危険性を示唆したり、既存システムを支えるための集会に参加したりしてきた。
ヒロノ議員は、27日の議会でも共和党議員たちに対して「私たち全員が医療危機から逃れるためには、1つの判断しかない」と主張。同氏は、やはり悪性脳腫瘍を押してこの日の議会に出席していたジョン・マケイン議員を名指しし、自らの良心に従って投票するように促した。
「私が腎臓がんに冒され、最初の手術を受けたとき、多くの同胞――民主党議員だけでなく、競合政党の同胞たちも――私を励ますために自分たちの経験を共有するなどすばらしいメッセージをくれた。あなた方は私を気遣ってくれた。あなた方は思いやりを示してくれた。今夜、あの気持ちはどこへ行ってしまったのか」
結局、米上院は28日未明の本会議採択で、オバマケア撤廃案を賛成49、反対51で否決。マケイン議員のほか、2人の共和党議員が反対票を投じた。これで、オバマケア改正案は再び振り出しに戻ったわけである。
「これが最後の機会かもしれない」
後にヒロノ議員は、このときのスピーチについて、ネットニュース「デイリー・ビースト」にこう語っている。「私は、スピーチをする前に、大きな不安とともに座っていた。これは私の家族の物語であり、私の姉妹の死についても及ぶからだ」。しかし、同氏がそこに座っていたとき、自らの危険な健康状態に気がついて、「『これは、私がこのことについてハッキリと話せる最後のときとなるかもしれない』と思った」。
議会でスピーチをした後、ヒロノ議員は米国会議事堂の建物の階段で群衆に、あらゆる米国人は良質な医療を受ける権利を有している、と語った。「これは富裕層の特権ではない」。
そして同氏はこう続けた。「すばらしいのは、私自身、医療保険があることで、必要な治療費をどうやって賄ったらいいのか、心配せずに済んだことだ。そして、健康になるための治療に専念し、皆さんと一緒に闘うために今こうして、議事堂の階段に立つことができるのだ」。
同じハワイ州出身のブライアン・シャッツ上院議員は、27日のスピーチをこう振り返る。「メイジーは、上院で最もタフ議員の一人だが、心の内を率直に話すタイプではない。その彼女が胸の内をさらけ出したからこそ、その影響は絶大だったのだ」。

原稿直前に訂正/暴風警報で皆帰るのに提出?

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Japon. Le typhon meurtrier Noru atteint Osaka, au centre de l’archipel
Le typhon Noru qui touche le Japon depuis vendredi a provoqué la mort de deux personnes. Les autorités japonaises dénombrent également 12 blessés. Près de 300 vols sont annulés au Japon. Il devrait cependant être rétrogradé en tempête tropicale dès demain.
Le typhon Noru est la cinquième tempête de la saison au Japon. S’il a changé de trajectoire dimanche, il a fait 2 morts sur l’île de Kyūshū et se trouve actuellement au-dessus de l’île de Shikoku. Noru a touché ce lundi la ville d’Osaka vers 15 h 30 (heure locale).Les autorités ont ordonné l’évacuation de dizaines de milliers de personnes à Shikoku et environ 280 vols ont été annulés ce lundi 7 août.
Le typhon se déplace lentement et entraîne de fortes pluies pendant plusieurs heures ce qui provoque des inondations et des glissements de terrain. Deux décès ainsi que neuf blessés ont été enregistrés dimanche à Kagoshima (Kyūshū), selon l’Agence japonaise de lutte contre les incendies et les catastrophes. Dans la préfecture voisine de Miyazaki (Kyūshū), au moins trois personnes ont été blessées.
À l’aéroport international de Kansai (préfecture d’Osaka), plus de 120 vols domestiques et internationaux ont été annulés ce lundi dont les vols reliant Shikoku à l’aéroport Haneda de Tokyo.Le typhon de catégorie 1 avec des vents à 150 km/h devrait être rétrogradé en tempête tropicale mardi alors qu’il poursuit sa route vers l’Est. Il devrait passer au nord de Tokyo dans la nuit de mardi à mercredi.
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バリバラ「バリバラジャーナル 見え始めた精神医療の実態」
入院患者の圧倒的な多さと入院期間の長さから、「深刻な人権侵害」と言われてきた日本の精神医療。その実態は、これまで明らかにされてこなかったが、東日本大震災をきっかけに、明るみに出始めている。原発事故で、福島県の原発周辺の精神科病院の患者たちが大量に転院。そして今、患者たちを地元に呼び戻し、地域での生活へ移行させようと県が動き始めているのだ。当事者や家族の証言から、精神医療の知られざる実態に迫る。 IVAN,精神科医…高木俊介, 山本シュウ,大西瞳, 玉木幸則, 大橋グレース, 神戸浩

メールを朝見て慌てて原稿を直前に訂正しました.結局5分前に提出できました.
とはいえ仕事が終わったわけではありません.暴風警報で皆帰るのに頑張って仕事をしなくてはなりません.実際のところ雨が少し降っている感じなのでそんなに慌てる必要はないかな?という感じです.
なのに夕方に提出物があるとかいうので若い男性がやってきました.わたしは担当ではないのでよくわかりません.メール等で連絡いってないのかな?

きょうは 立秋 ど根性ひまわり7世咲く 南浜町 がんばろう看板前
 きょう7日は二十四節気の立秋。暦の上では暑さのピークが過ぎ、徐々に秋へと季節が移ろいでいく頃とされる。この日を境に「暑中見舞い」が「残暑見舞い」へと変わるが、夏はこれからが本番だ。
 この日の石巻地方は、台風5号が接近する影響で午前中から雲に覆われ、強い日差しでジリジリする感覚はなかったものの、午前中の最高気温は石巻市桃生で29.5度(正午)と蒸し暑さを感じる一日となった。
 石巻市南浜町の「がんばろう!石巻」看板前では、東日本大震災直後に咲き始めた“ど根性ひまわり”の子孫たちが花を咲かせ、訪れる人たちを出迎えている。現在は7世代目で、もうすぐ種が収穫されて8世代目へと歴史がつながっていく。 広島県から夫婦で初めて石巻地方を訪れた前田修一さん(57)は「ヒマワリにまつわるエピソードや震災についての話など、とても勉強になっている。今見ている景色がどう変わっていくか、何年後かにまたこの地を訪れたい」と被災地の思いに寄り添っていた。
 仙台管区気象台によると、8日以降は台風5号の影響で石巻地方でも雨や風が強まり、気温は平年よりやや低めで推移する見込み。台風が過ぎた後は平年並みに夏の暑さが戻りそうだ。


<アングル文化>「劇の甲子園」に東北2校 被災地の「今」発信
 8月1〜3日、仙台市泉区のイズミティ21で開催された第41回全国高校総合文化祭の演劇部門。「演劇クラブの甲子園」と呼ばれる大会で、東北代表の2校が東日本大震災の「今」を演じて全国に発信した。
 『−サテライト仮想劇−いつか、その日に、』は、東京電力福島第1原発事故によって、福島県飯舘村から福島市に移った相馬農業高飯舘校の劇。
 プレハブ校舎を舞台に、村に戻る日を前にして繰り広げられる生徒たちの人間模様をリアルに演じた。
 被災者が抱える心の問題を描いたのが名取北高(宮城県)の『ストレンジ スノウ』。津波で妹を失い、その苦しみから逃れようと別の人格に逃げ込んだ女子高生が、クラスメートの励ましで再び現実と向き合い始める。大震災で家族を亡くした人に実際に取材し、役作りに励んだ。
 「全員、力を出し切りました」と名取北高3年の砂口優美子さん(17)。大震災をもう一度振り返る「きっかけにしてほしい」と願って演じたという。(写真部・佐々木浩明)


<仙台七夕まつり>吹き流しに涼求め 短冊に復興願う
 杜の都の夏を彩る仙台七夕まつりが6日、開幕した。仙台市中心部や周辺の商店街に創意工夫を凝らした竹飾り約3000基が登場。短冊には東日本大震災からの復興を願うメッセージが添えられた。
 主会場の中央通と東一番丁通(青葉区)は観光客らであふれた。初日の仙台の最高気温は29.7度。強い日差しが照りつける中、風に揺れる吹き流しが行き交う人々を楽しませた。
 家族4人で訪れた名取市増田小6年三浦伽恋さん(12)は「折り鶴や花がたくさん付いた七夕飾りが好き。風にそよぐ鈴の音も良かった」と話した。初日の人出は約77万2000人で、昨年より約1万1000人少なかった。
 仙台管区気象台によると、7日の仙台は曇り時々雨、最高気温27度の見込み。まつり協賛会は8日までの期間中、215万人の人出を予想する。


<仙台七夕まつり>8万8000羽の折り鶴の下 小中学生が復興ソング合唱
 仙台市内の小中学校など185校の児童生徒らによる東日本大震災からの復興を願うイベントが6日、青葉区一番町の藤崎前であった。手作りの8万8000羽の折り鶴の七夕飾りが取り付けられ、子どもたちが復興ソングを合唱した。
 市教委が取り組む故郷復興プロジェクトの一環。7回目となる今年の折り鶴は、幸せと希望の色である黄色を基調に、白とオレンジの折り紙で作った。短冊には「早く東北の復興が進みますように」「東北をハッピーに」など復興への願いが託された。
 展示場所であったセレモニーで、青葉区の上杉山中3年塩月菜々瀬さんが「さまざまな学びを得た震災の記憶を後世に残したい」と語った。
 上杉山通小と上杉山中の児童生徒計59人が、2013年度の故郷復興プロジェクトで作られた復興ソング「希望の道」と「仲間とともに」を歌い、七夕見物客が足を止めて聞き入った。


<仙台七夕まつり>チャリティー茶会 震災遺児と九州豪雨被災地を後押し
 仙台市若林区の連坊地区の商店主らでつくる連坊商興会は6日、仙台七夕まつり恒例の「連坊チャリティー七夕茶会」を連坊コミュニティセンターで開いた=写真=。
 江戸千家不白会仙台支部の伊藤宗圭さん(83)の社中のメンバーがお点前を披露。主婦やお年寄りら約130人が、七夕をイメージした和菓子と一緒に抹茶を味わった。
 チャリティー茶会は8回目。茶席代は県の「東日本大震災みやぎこども育英基金」に寄付し、親を亡くした子どもたちの支援に役立てる。今回は日本赤十字社を通じて九州北部の豪雨災害の被災地にも送る。
 商興会の千葉隆夫会長(64)は「震災の時は全国から支援を頂いた。次世代を担う子どもは地域の宝であり、息の長い支援を続けたい」と話した。


リケジョ知性キラリ 女子高生の科学研究 仙台で東北大会
 理系の女子高校生による科学研究発表会「集まれ! 理系女子」の東北大会が5日、仙台市青葉区の宮城学院女子大で開かれた。
 文部科学省のスーパーサイエンスハイスクールに指定された清心中・清心女子高(岡山県倉敷市)が主催。約40人を前に、4校の女子生徒が研究を報告した。
 仙台城南高の自然科学部は、学校の敷地内で産卵する準絶滅危惧種のトウホクサンショウウオの生態を調査。「個体に幅広い年齢分布があることから世代が更新されており、すぐに絶滅するという状況ではない」と結論づけた。
 「カンボジアにおける雨水飲用の可能性の検討」と題して発表した仙台二華高3年の佐藤明音さん(17)は「参加者から的を射た質問があり、カンボジアの問題を共有できてよかった」と語った。
 理系女子の先駆けの金沢大名誉教授田崎和江さん(73)による講演もあった。


東京23区の大学定員抑制 若者が地方選ぶ施策こそ
 政府は地方創生の一環として、大学改革の施策を決めた。
 柱は二つある。地域の産業振興と人材育成を担う地方大学を支援することと、都心への学生の流入を抑制することだ。
 特に後者は、東京23区内で大学の定員増を認めない方針を掲げる。23区内で大学が新学部などを設ける場合も、既存学部の改廃が条件だ。
 「東京に学生がみんな吸い上げられてしまう」。そんな思いを地方が抱くような実態は理解できる。
 文部科学省の調べでは、23区の大学の大学院を含めた学生数は52万6000人で、全国の18%を占める。この10年間一貫して増えており、校地移転で都心に集まる傾向も続く。
 一方、地方の大学は恒常的な定員割れに苦しんでいる。特に都市部以外が深刻で、私立大が自治体運営の公立大に転換して、大学存続を図ろうとする例も各地で見られる。
 だが、23区内の大学定員を抑制することで、地方大学が活性化するかは疑問がある。
 2018年以降、18歳人口は急速に減少していく。定員割れを危惧する都市部の大学も出てくるだろう。定員規制にどこまで実効性があるだろうか。また、都心部にしかない学部への進学を生徒が希望した場合、その選択肢を狭める恐れもある。
 問題は肝心の地方大学の支援に迫力が乏しいことだ。
 政府は、東京圏の大学と地方大学との単位互換などで、学生が双方を行き来する仕組みも促している。
 ただ、地元高校生を引き留めるためには、国が総合的な支援策をもっと明確に打ち出す必要がある。たとえば優秀な教員を確保しやすくする支援の具体化や地方大学への奨学金制度拡充も有効だろう。
 若者が東京を目指す理由のひとつに就職の問題もある。行政や大学が地域の企業などと連携して、雇用につなげる努力も重要だ。
 政府が今回、地元に就職した学生への奨学金返済の支援制度などを盛り込んだのは、その反映だろう。
 最近は、経済的な理由などから、東京に進学するよりも、地元の大学を選ぶ若者も増えている。その流れを生かすためには東京への流入規制よりも、地方大学拡充という本道に立ち返るべきだ。


改憲案先送り 必要性の議論から始めるべきだ
 内閣支持率の低迷を背景に、安倍晋三首相は改憲を巡り自身が掲げた秋の臨時国会での自民党案提示、2020年施行の事実上の先送りを表明した。
 安倍政権はこれまで、違憲の疑いが極めて強い集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法を強行成立させるなど、憲法を軽んじる姿勢が目立つ。この政権が、権力を縛る憲法を変えることへの不安は根強い。内閣改造後の世論調査では、首相の下での改憲に賛成が35%なのに対し、反対は53%で国民の賛同は得られていない。首相は、自身に求められているのは日程の先送りではなく、改憲に前のめりな政治姿勢を改めることだと自覚しなければならない。
 日程に関し首相は5月、戦争放棄などを定めた9条は維持しつつ、自衛隊を明記する形で20年までの改正・施行を目指すと突然表明した。6月には秋の臨時国会に自民案を提出すると踏み込んだ。衆参両院で改憲勢力が発議に必要な3分の2以上を占める中、来年の通常国会での発議を目指していたのは明らかだ。しかし、加計学園や森友学園、南スーダン国連平和維持活動(PKO)日報隠蔽(いんぺい)の問題で内閣支持率が急落。高支持率を背景に改憲を実現するというもくろみは狂い、先送りに追い込まれたのが実情だろう。
 内閣改造後の会見で、日程を示した以前の発言を「議論をさらに深める必要があるとの考えから、一石を投じた」とし「スケジュールありきではない」と強調した。しかし、自ら進んで具体的に言及しており、会見での説明は自己弁護と受け取らざるを得ない。改憲を宿願とする首相は、支持率などその時々の状況で自分に都合の良い発言を繰り返している。その都度、国民や国政を混乱させていることは看過できない。
 首相は、自民に「党主導の議論を進めてもらいたい」と求めたが、新執行部は前向きとは決して言えない。二階俊博幹事長は「慎重の上にも慎重に、国民の意見を承る」と拙速を避ける考えを述べ、岸田文雄政調会長は9条改正に慎重な以前からの立場を変えない。首相は、改憲に前のめりになっているのは自身や側近に限られているという状況を、直視すべきだ。
 12年に第2次安倍政権が発足して以降、憲法軽視の姿勢が通底している。安保関連法や加計学園問題に絡み、野党が憲法規定に基づき臨時国会召集を要求しても、一向に応じようとしない。都議選では、当時の稲田朋美防衛相が自民候補の集会で自衛隊を政治利用した。そもそも現在の衆院議員は「違憲状態」が解消できなかった区割りで選出されている。改憲を論じる前に、憲法順守という政治の基本に立ち返る必要がある。
 改憲は、首相の個人的な思いや内閣支持率の高低で左右されるものであってはならない。国民の声に真摯(しんし)に耳を傾け、そもそも改憲が必要なのかという原点から議論を進めるべきだ。


岐路の安倍政権 憲法改正 首相主導の日程は崩れた
 もはや安倍晋三首相が憲法改正を主導できるような政治環境にはない。首相に必要なのはその自覚だ。
 首相は内閣改造時の記者会見で改憲の進め方について「スケジュールありきではない」と答えた。2020年の改正憲法施行を目指し、今秋の臨時国会に自民党案を出す日程が険しくなったことの反映だろう。「私は一石を投じた。党主導で進めてもらいたい」と弁解もした。
 改造直後の毎日新聞世論調査で内閣支持率は35%だった。7月調査の26%から若干持ち直したものの、長期政権のおごりが目立った首相に対する国民の不信感はなお強い。
 首相は改造内閣の姿勢として「経済最優先」を掲げ「政権を奪還した時の原点に立ち返る」と表明した。
 気になるのは、これまでも支持率が下がるたびに経済最優先を強調し、支持が戻れば改憲に意欲を示す、という繰り返しだったことだ。
 今回も経済で得点を稼ぎ、支持率の「貯金」ができれば、それを改憲の「資金」に振り向けようと考えているのではないか。国民の暮らしを豊かにする経済政策を、自身の宿願をかなえる手段のように扱う発想にそもそも無理がある。
 首相が憲法9条1、2項をそのままに自衛隊の存在を明記する案を提起し、具体的な改憲の目標時期を打ち出したのは、支持率が5割前後を維持していた今年5月だった。
 首相は自民、公明に日本維新の会などを加えた「数の力」で改憲を進める姿勢をにじませた。国会の憲法審査会における、与野党の合意形成を重視してきた自民党憲法改正推進本部には従来路線の転換を求め、同本部の人事にも介入した。
 9条を巡り意見対立を抱える民進党に「踏み絵」を突きつけ、党分裂を誘う思惑もちらつかせた。
 「安倍1強」の慢心からくる首相の強硬路線は、その基盤となる世論の支持が細った瞬間に崩れた。
 憲法は将来にわたって国のかたちを定める根本規範だ。時々の支持率に寄りかかって議論すべきではない。だからこそ、憲法審査会では「憲法を政局に利用しない」との不文律が与野党間で共有されてきた。
 「謙虚に、丁寧に」が改造内閣のうたい文句だ。まずは憲法論議を従来の与野党協調路線に戻すべきだ。


政権批判「福田の声」無視するな
 ★元首相・福田康夫と言えば冷静沈着でクールなイメージだが、意外と感情をあらわにすることもあった。福田内閣では官房長官を現首相・安倍晋三が務めたが、安倍はどんなことを学んだのだろうか。福田内閣は今問題となる内閣人事局や公文書管理体制を早くから訴えてきた。「政府や自治体が持つ記録は、国民の共有財産なのだから、大事に保存して次世代に引き継がなくてはいけない」という発想が、今の霞が関幹部や政府中枢に理解が及んでいないことが最大の失敗だ。 ★内閣改造と前後して、福田は安倍政権に苦言を呈すインタビューを受けた。「各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。恥ずかしく、国家の破滅に近づいている。官邸の言うことを聞こうと、忖度(そんたく)以上のことをしようとして、すり寄る人もいる。能力のない人が偉くなっており、むちゃくちゃだ。自民党がつぶれる時は、役所も一緒につぶれる。自殺行為だ。(内閣人事局について)政治家が人事をやってはいけない。安倍内閣最大の失敗だ」とした。 ★また安倍内閣を「(自民党内に)競争相手がいなかっただけだ。(脅かすような)野党もいないし、非常に恵まれている状況だ。そういう時に役人まで動員して、政権維持に当たらせてはいけない」。これほど痛烈な政権批判はない。福田は派閥経由で安倍に直接苦言どころか直言も可能な立場だ。それをわざわざ取材に答える形でメディア経由で伝える手法を選んだ。それ相当の思いがあったはずだ。ところが内閣人事局について変えていこうとか、公文書についての議論を深めたいという声は党からも閣内からも聞こえてこない。福田の声に正面から向き合わずして改革も革命もないはずだ。無視するな。

核ごみ処分地図 丁寧に事業の全容説明を
 原子力発電所から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定につなげる日本地図「科学的特性マップ」を政府が公表した。火山からの距離など自然条件を基に建設の適否を色分けして示している。
 特に適性が高いとされた地域は国土の3割を占め、九州7県では153市町村に分布している。
 福島原発事故やその後の対応で国民の原子力施設や政策への不信感は強く、処分地選定は難題中の難題だ。ただ、地図の公表は避けては通れない核のごみ処分に向けた議論の入り口となろう。
 国は、候補地を見つけた後も諸調査に20年程度かけるという。政府と電力事業者には、最終処分の方法や、それに伴って予測されるリスクと不確実性、コストなど事業の全容について国民へ丁寧かつ誠実に説明するよう求めたい。
 核のごみは、原発の使用済み核燃料を再処理してプルトニウムなどを取り出した後に残る廃液だ。ガラスと混ぜたガラス固化体(重さ500キロ)として管理するが、強い放射線を出し、安全なレベルになるには数万年かかる。
 2000年に制定された法律で、地下300メートルより深い岩盤に埋め数万年から約10万年、生活環境から遮断する「地層処分」の方針が決まった。現在、使用済み燃料は約1万8千トン。ガラス固化体換算で計2万5千本に達する。
 しかし、これをどう処分するかは棚上げされてきた。地図の提示は、こうした原発を巡って先送りしてきた政策を転換しようとするものだが、疑問も尽きない。
 10万年に及ぶ地層への永久封印は最善の選択なのか。暫定保管し、新処理技術の開発や将来世代の意志を尊重する必要はないか。
 また、高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃炉決定など核燃料サイクルが行き詰まる中で、再処理にこだわる必要はあるのか。
 丁寧に説明をしてほしい。同時に将来的な原子力政策について議論を深め、廃棄物の総量を削減する努力も欠かせない。処分地選考は、その延長線上にあるべきだ。


[上原康助さん死去]基地沖縄の苦闘 一身に
 元全軍労委員長で衆院議員を10期30年務め、沖縄開発庁長官などを歴任した上原康助さんが6日、呼吸不全のため亡くなった。84歳だった。
1970年の国政参加選挙で当選を果たした上原康助氏=1970年11月16日
 康助さんと言えば何をさておいても全軍労である。
 復帰直前まで軍職場は県内で最大の雇用の場だった。基地で働く労働者の諸権利は、米国民政府の布令によって大幅に制約されていた。
 1950年代前半は特にひどかったという。
 同じ仕事をやっても米国人、フィリピン人、本土からきた日本人と地元沖縄人の間には歴然とした賃金差別があった。
 反共政策が吹き荒れる軍政下の基地職場に組合をつくるというのは容易なことではない。危険さえ伴う活動だ。幾多の困難を乗り越え61年、全軍労連が結成され、康助さんは初代の委員長に選ばれた。
 「上原康助」の名が全国で注目されるようになったのは、B52撤去を求める69年の「2・4ゼネスト」の時である。沖縄全体が歴史の曲がり角に立たされていた。
 屋良朝苗主席の要請もあって、全軍労は土壇場でゼネスト回避を決めた。全軍労の決定も大きく影響して復帰協によるゼネストは中止された。
 復帰協が「基地撤去」の強い運動方針を打ち出していたのに対し、全軍労の立場は微妙だった。
 康助さんはそのことを当時、「撤去と口をそろえて叫ぶことのできない悩み」だと吐露している。
 この「悩み」が後々まで全軍労をしばることになる。
■    ■
 70年1月、全軍労は大量解雇の撤回を求め、第1波48時間、第2波120時間のストに突入した。
 「基地に反対しながら解雇撤回を求めるのはおかしい」との日本政府の世論操作に対し、全軍労は「首を切るなら基地を返せ」と反論した。
 この年、康助さんに大きな転機が訪れる。11月の国政参加選挙に社会党公認で立候補し、当選した康助さんは、11月27日、当選したばかりの1年生議員ながら衆院本会議で代表質問に立った。
 「沖縄戦で悲惨な犠牲者となった沖縄県民にひとことの相談もなしに、25年余も米軍支配を許した自民党政府の政治姿勢を追及したい」。康助さんの文字通りの晴れ舞台だった。
 野太い声、ふんぞり返っているようにも見える歩き方、容赦ない批判。四角四面のとっつきにくい印象を与えもしたが、中選挙区制の下で当選を重ねた。
■    ■
 90年代後半、社民党を離れ、「民主リベラル勢力の糾合」を主張し、民主党の県連代表に収まった。
 保守系から、大田昌秀知事(当時)の対抗馬として県知事選に擁立する動きがあったのはそのころだ。
 2012年5月の復帰40年記念式典で康助さんは、首相や駐日米大使らを前に、強い調子で訴えた。
 「なぜ両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのか」
 政治家引退後、康助さんが公式の場で遺したこの言葉は切実さを増すばかりだ。


経済の再生 看板はすでに色あせた
 もはや看板は色あせているのではないか。
 安倍晋三首相が改造内閣発足直後の記者会見で、「最優先は経済の再生」と語り、「経済の好循環をさらに加速し、デフレ脱却を成し遂げる」と改めて強調している。
 2012年の第2次安倍内閣の発足直後からの課題である。確かに「アベノミクス」は当初、一定の成果を挙げたといえるだろう。日銀の大規模金融緩和の効果で株価上昇や円安の傾向をつくり、企業業績は改善した。「安倍1強」をつくる源泉にもなった。
 加計学園問題などで内閣支持率が落ち込む中、国民の人気が高い原点を強調して、挽回したいという狙いが安倍首相にはあるのだろう。思惑通りに進むのか。アベノミクスの行き詰まりは明らかだ。異論を唱える新閣僚もいる。
 日銀が金融緩和を続けても物価上昇の勢いは鈍く、デフレ脱却は見通せない。日銀は2%の物価上昇目標の達成時期を1年先送りした。延期は6度目である。
 黒田東彦総裁はデフレ脱却が進まない理由を、家庭や企業のデフレ心理に求めている。家庭には賃金や物価が上がりにくいことを前提にした節約志向があり、企業もそれに対応して値上げに慎重という分析だ。
 背景には人口減や年金問題など将来への不安もある。企業には業績が伸びても人件費を抑えようとする傾向がなくならない。
 日銀が保有する国債は発行総額の6割を超えた。経済再生を支えた大規模緩和は限界が近い。財政再建や社会保障改革などの構造問題に政府が真正面から取り組むことが欠かせない。
 政府は根源的な問題に対応した政策を打ち出しているのか。
 改造内閣が目玉政策とするのは、教育無償化や社会人の学び直しなどの「人づくり革命」である。「1億総活躍」など以前から掲げる政策との重複感が否めない。兆円単位とされる財源の捻出方法も今後の検討課題だ。
 国の財政状況は悪化するばかりだ。企業収益の拡大とともに伸びてきた税収も16年度は減少に転じた。20年度に基礎的財政収支を黒字にする目標達成は厳しい。借金残高は1千兆円を超え先進国で最悪の水準だ。それなのに政府は財政健全化の新指標を導入し、実情を取り繕うことを画策している。景気浮揚のため、10兆円規模の補正予算を求める声も出始めた。
 場当たり的な経済政策を続けていては「経済の再生」は看板倒れに終わる。


【カジノ解禁】 このまま進めていいのか
 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の運営ルールについて、政府の有識者会議が報告書を取りまとめた。
 多くの疑問と批判を積み残したまま、昨年末、特定の区域に限ってカジノを解禁する法が成立した。報告書は、海外の事例を参考に検討を重ねた結果だ。
 それによると、カジノに加え、国際会議場・展示場▽ショッピングモールや美術館などの娯楽施設▽国内旅行の提案施設▽ホテル―の一体運用を義務付けた。都道府県か政令指定都市が、事業者を選んで共に整備計画を作り、申請を受けた国土交通相が区域を認める。
 認定は早くても2020年以降となる見通しで、開業はまず2〜3カ所とするという。
 報告書は政府の狙いに沿って、訪日外国人旅行客の誘致と、それに伴う経済効果を前面に出した形だ。国内旅行の提案をする施設は、外国人客の地方への分散を図るためにほかならない。
 滞在型観光を実現させ、地域経済の振興などを図る施設として、報告書は「公益」の実現が目的だと強調する。そうだとしても、カジノ解禁をこのまま進めていいものか。
 「大人も子供も楽しめる新たな観光資源を創造するものでなければならない」。どうにも疑問が拭えないうたい文句だ。外国人客やビジネス客に加え、親子連れも取り込もうというイメージ戦略だろう。
 確かに娯楽施設やホテルなどと一体で運営される。とはいえ賭けをする施設のある所だ。
 報告書では、健全育成のためとして、未成年者へのカジノ関係のビラ配布や勧誘行為の禁止を規定している。子供にも足を向けてもらえるようにせよ、と求めるのは理解に苦しむといわざるを得ない。
 ほかにもカジノに対する世論を意識してか、「世界最高水準のカジノ規制」との方針を掲げている。強い権限を持つ「カジノ管理委員会」を政府に設け、暴力団関係者の関与、マネーロンダリング(資金洗浄)などの監視を強めるとした。
 一方で、懸念が根強いギャンブル依存症に関する対策は十分とはいえまい。日本人についてのみマイナンバーカードで本人確認を徹底するとし、入場料の徴収、入場回数の制限などを盛り込んだ。
 もっともこれでは水際防止にすぎず、カジノが新たな依存症の人を生み出す可能性は否定できない。報告書は依存症に関する相談窓口の設置や管理者の配置などを求めたものの、実効性は未知数ではないか。
 運営面ばかり先行させているようにも映るが、依存症に関する啓発、予防や治療など支援策が手薄なままであってはならない。万全を期す必要がある。
 政府は実施法案をまとめた上で、国会に提出する考えだが、カジノ解禁の是非を含めて、論議を深める必要がありはしないか。今度こそ慎重に審議しなければならない。


キッズウイーク/有給休暇の取得率向上が先
 「看板倒れ」に終わるのではないか、という懸念がつきまとう。安倍政権が「働き方改革」に続き、「休み方改革」として打ち出した「キッズウイーク」である。
 地域ごとに小中学校の夏休みの一部を春や秋に分散させ、それに合わせて親の有給休暇取得を促進する。公立校には義務化を目指し、私立校には協力を求める方針で、2018年の導入を目指す。
 政府はプラスの面ばかりを強調する。いわく地域ごとに連休が分散するため、行楽地などの混雑が回避できる。さらには観光需要が喚起されることで、地域活性化や雇用拡大につながるという。
 一方で「現実的でない」という批判が少なくない。長期休暇が分散化されたからといって、面倒を見る保護者が柔軟に休めるかどうかは別の話。日本人の有給休暇消化率は、先進国で最下位レベルにとどまっているからだ。
 企業に協力を求めるといっても、どこまで実効性があるのだろうか。いい例が2月から始まった「プレミアムフライデー(プレ金)」だ。
 最終金曜日、早期退社を推奨する官民挙げての取り組み。PRこそ華やかだったが、数字を見れば、普及しているとは到底言えない。
 5月に発表された東北経済連合会の会員企業アンケートによると、導入が5%ほどにとどまる。導入検討の予定を加えても、1割にも達しなかった。月に1度、早く退社することさえ難しいのが社会の現実なのだ。
 しかも、今回のキッズウイークは企業だけでなく、教育現場とも大きく関わる。
 中学教諭の6割が、時間外労働時間80時間という「過労死ライン」を超えるという勤務実態がある。松野博一文部科学相が6月、中教審に「教師の長時間労働の改善策検討」を諮問したばかりだ。
 長期休暇分散化の取り組みが、学校の年間運営にどう影響するのか。教師の長時間労働改善や子どもの教育環境の向上につながらなければ、逆効果でしかない。
 教育的な理由から、全国の一部の自治体では小中学校の「2学期制」を導入しており、「秋休み」が既にある。2002年度に導入した仙台市もそうだ。
 目的は異なるとはいえ、教育現場への影響や家庭での「秋休み」の位置付けなどは分析したのだろうか。
 日本人は休み下手と言われる。人手不足や過労死問題が深刻化する中、安倍政権が多様な働き方や休み方を「改革」として掲げる意義は否定しない。
 しかし、キッズウイークは「多様な勤労形態」と矛盾する、官による「休み方」の押し付けではないか。
 子どもの長期休みの間に、個人や家庭の独自判断によって、有給休暇を取得しやすい制度や環境をつくる政策こそ急ぐべきだ。


キャプテン翼 東外大シリア人留学生、アラビア語に翻訳 
 東京外国語大(東京都府中市)のシリア人留学生、カッスーマー・ウバーダさん(26)がアラビア語に翻訳した少年サッカー漫画「キャプテン翼」が、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで販売されている。出版元の集英社は翻訳版を非政府組織(NGO)などを通じて、欧州のシリア難民の子どもに贈った。
 ウバーダさんは2012年にシリアのダマスカス大の交換留学生として来日した。その後、シリアは内戦が激しくなり帰国が難しくなったため、東京外大の正規学生として入学し直した。現在、日本の教育制度などを学ぶ国際社会学部の4年生だ。
 キャプテン翼は1981年に集英社の週刊少年ジャンプで連載が始まった。イタリアやメキシコなど約20の国と地域で翻訳版が流通している。テレビアニメも各国で吹き替え放映され、サッカーファンの多い中東では人気が高い。ウバーダさんも幼いころからテレビを見て、主人公・大空翼をまねてヘディングの練習をしたという。
 翻訳はドバイに出店している紀伊国屋書店(東京都)が企画した。昨年6月に東京外大教授を通じて翻訳を打診されたウバーダさんは「光栄なこと」と快諾した。内戦や難民など「シリア人はかわいそう」というイメージを変え、自分が社会の一員として活躍できることも示したかったという。
 翻訳は「オリジナルを尊重」という条件が付いた。このため、中東地域では削除されることが多い酔っ払いが登場するシーンも残し「変わり者」という設定にしたり、3種類の字体を使って登場人物の感情を表現したりと工夫した。
 翻訳版は今年1月の発売開始から7月上旬までにドバイで3巻を発売し、計約1250冊を売り上げた。今後はエジプト、チュニジアなど中東・北アフリカのアラビア語圏で発売する予定という。
 一方、集英社は計3000冊を買い取り、一部をドイツやトルコのNGOなどを通じて欧州のシリア難民に贈った。ダマスカス大への留学経験がある中東研究者で、集英社に寄贈を頼んだ同志社大大学院の内藤正典教授は「言葉に尽くせない苦難を生きている難民の子どもの希望になってほしい」と話す。
 ウバーダさんも「母国の子どもが読んでいる間だけでも苦しみを忘れられたら」と願う。卒業後は日本で働きながら全巻を翻訳し、将来は翻訳の仕事を通じてシリアの復興や日本とアラブ諸国の懸け橋になりたいという。【賀川智子】


激戦区の福岡を突破 東筑・青野監督に聞く“進学校の野球”
 8日に登場する東筑(福岡)は今春、現役で161人が国立大に合格した県立の進学校。1日平均2〜3時間の練習で、激戦区の福岡を勝ち抜いた秘密は何か。指揮を執るのは東筑OBで、体育科教諭の青野浩彦監督(57)。選手として78年夏、指揮官として96年夏の甲子園を経験した同監督に話を聞いた。
■県大会が「ミニ甲子園」
 ――強豪が多い福岡で優勝。
「“(優勝を)狙ってもいないのに行ってしまった”というのが強さの秘訣かな。逆に、県大会でのプレッシャーはすごかった。公立高校にとっては、県大会が『ミニ甲子園』みたいな意味合いがある。欲がなかったのがよかったのかもしれません」
 ――野球ばかりの私立には負けたくない?
「私立相手には負けてもともとだから、めちゃくちゃ思い切ったことができる。逆に私立は公立に負けられないというプレッシャーがあるでしょう。今回の県大会(の終盤)は全部甲子園の経験校だったので、面白かったですね」
 ――1日2〜3時間しか練習しないと。
「うちは『勉強重視』というより『勉強の学校』ですからね。今は『完全下校』というのがあって、20時までには学校を出て帰りなさいというルールが、ここ6年くらいの間にできたのです。それまでもあったけど、そんなにやかましくなかった。今は厳しくなりましたから。月曜と金曜はグラウンドを全部使えるけど、火曜と木曜は使えるのは内野だけなので、どこか外で練習できる球場を見つけてやります。水曜は18時からバッティングができるけど、できないときは内野を使って守備練習やトレーニングを工夫しながらですね」
 ――試合は一日順延。練習場所の確保がなかなか難しいと。
「もし、練習場所がなかったら自習にしようか。一日やっただけで、何か(劇的に)変わるわけじゃない。体を動かさないのが不安なだけで、旅館の近くに公園があったからそこでもいいかなと」
 ――大阪に来ても勉強の時間は取っているのですか?
「あえて時間を区切ってやらせることはしていないけど、勝手にやってるみたい。2年生は夏の課題、3年生は受験勉強をしていますよ。(宿舎が)同じ旅館の早稲田佐賀さんは、勉強の時間を2時間くらい取っているらしいです。シーンとして素晴らしいなと思って。うちは自由に、自己責任と思ってそういうことはしていない」
 ――生徒に考えさせる野球をしていると。
「自主性は大事です。僕が考えなくても、生徒もバカじゃないから自分たちで考えている」
■「野球部は人間力を育てるところ」は違う
 ――個々にもそんなに話すことはない?
「ないですね。放っておいた方が自主性を与えられる。でも、放任じゃない。自由を与えてるけど、行動は見ているので。野球よりも生活態度や学校での態度を小耳に挟んで怒ることの方が多い。『野球(部)は人間力を育てるところ』なんて言うけど違う。悪さをしないために野球をやってるみたいな学校もあるでしょう。でも、野球に縛られたものが外れたら結局ダメになりますよ。ある他校の私立で、謹慎になった学校の先生が『曲がった竹を真っすぐな竹に縛り付けて一生懸命に真っすぐにしようと思っても絶対に無理』と言っていたのを覚えています。素行が悪くても野球がうまいから、といって取るのはダメという話ですよね。挨拶して舌を出してる子がいたり、監督がいなくなってタガが外れる子もいるかもしれない」
 ――そういうことはミーティングで話すのですか。
「いえ、言いません。僕が思っているだけ。ミーティングはみんな短くてびっくりしますよ。30秒くらい。試合前に『こういう球を狙って、こうしようかな』というときは5分くらい。いっぱい言ったって頭に入らないですから。私の思いつきも予選では結構当たった。天才的なAB型ですから(笑い)」
 ――選手はみな県内出身ですね。
「県内どころか地元の子がほとんど。鹿児島本線と筑豊本線の交点が(最寄りの)折尾駅なので、校区以外からも来るんです。成績がいい子が野球もできて進学校というのがうちくらいしかないから、意外と集まってくれる」
 ――公立ですが、スポーツ推薦は?
「推薦入試があります。(来年迎える)創立120周年に向けて学校がスポーツに力を入れてくれて、推薦枠を増やしてくれたみたいです。いつもは推薦で野球部に来るのはだいたい5〜6人だけど、今は2年生に11人、3年生に6人います」
 ――推薦に関して成績は関係なし?
「冬になると、試験休みがあるので、土日は生徒の勧誘で中学生を見に動くんですけど、成績がいいか聞いて、『悪い』と言われたらもう引き揚げます。推薦でも評定がなかったら話になりませんから。東筑に入る子は『オール5』ばかりで、それでもいっぱい落ちる。満点は『45』ですけど、今は相対評価でなく絶対評価なので、本当にいいのか分からないですが」


江崎沖縄北方相がさっそく失言 「お役所の原稿を朗読」
 安倍改造内閣の正体見たりだ――。
 3日の内閣改造で初入閣した江崎鉄磨沖縄北方相が5日、地元・愛知県一宮市で、今後の国会答弁で「役所の原稿を朗読する」と述べた。北方領土問題について「素人。皆さんの知恵で色をつけてもらう」とも語った。江崎氏は6日“失言”について「誤った答弁をしないようにするとの意味だった」と釈明した。
 地元事務所であった支援者らによる就任祝賀会合の後、記者団の質問に答えて「しっかりお役所の原稿を読ませていただく。立ち往生より、ちゃんと答弁書を朗読かな」と話した。
 確かに前内閣はヒド過ぎる答弁のオンパレードだった。金田法相は「私の頭脳では対応できません」など珍答弁を連発し、稲田防衛相は森友学園の弁護士をめぐってウソ答弁を撤回。日報問題でも虚偽答弁が濃厚だ。
 山本地方創生相に至っては、頼まれてもいないのに「私に聞いてください」と出しゃばり答弁を繰り返した。
 このため、改造内閣は答弁の安定性を重視したとされるが、その結果が、「原稿を朗読する」役所の“口パク答弁”ということか。こんな調子では、実のある国会議論は期待できそうにない。
 江崎氏は3日の会見で、「基地と沖縄振興はリンクしている」と述べ、従来の立場をそのまま朗読している。だったら、沖縄県民の怒りの声もしっかり朗読してほしい。


8・6と首相 被爆国の役割、自覚せよ
 核兵器は「絶対悪」で、二度と使ってはならない―。ヒロシマとナガサキの思いを結実させた核兵器禁止条約が生まれたのは、ほんの1カ月ほど前のこと。きのうは、それから初めて迎えた原爆の日だった。
 しかし、平和記念式典の参列者に、核兵器のない世界へ一歩を踏み出した高揚感が、どれだけあったろう。うだるような暑さの中で老いた被爆者たちは、条約に全く言及しなかった安倍晋三首相のあいさつをどう受け止めたのだろう。
 首相は式典で「核兵器のない世界を実現するには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要」と、従来の主張を繰り返した。核保有国が加わる見込みの立っていない条約を、暗に批判したといってもいい。
 さらに驚いたのは、その後の記者会見で「署名、批准は行わないことにした」と初めて明言したことだ。慰霊の日に被爆者や遺族がどんな思いでその言葉を聞くか、分かった上で発言したのだろうか。
 「唯一の戦争被爆国」と繰り返してきた政府が、条約に背を向ける重大さを自覚しているのかどうか。「核兵器は違法」という規範を世界に設けることを多くの国が求め、行動するところまで、やっとたどり着いた。この潮流を促す役割が、被爆国にこそあるはずだ。
 被爆者団体は安倍首相に面会し、日本の条約不参加について「怒りを込めて抗議する」と直接批判した。当然だろう。中国新聞社が全国の被爆者団体に行ったアンケートでも、9割以上が日本の条約加盟を求めている。切なる声に首相は耳を傾けるべきだ。
 首相からすると、核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮の脅威が高まる中、米国の「核の傘」に頼る日本が条約に賛同できないのはやむを得ない、と言いたいのかもしれない。だが、非核三原則を国是とする被爆国が、核兵器を紛争の手段と考えるのは筋違いだ。
 安倍首相とは対照的に、松井一実市長の平和宣言は、核兵器の使用はもちろん、開発や製造、保有も認めない条約に賛同していることを、色濃く示した内容だった。
 条約の採択を受けて各国政府が、核兵器廃絶に向けた取り組みを前進させるよう求めただけではない。核兵器の使用は「自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為」と断罪し、保有することは「人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入」と踏み込んだ。被爆地の思いを、代弁するものだったに違いない。
 それならば、市長は政府に、条約への加盟を強く訴えるべきではなかったか。核の傘に頼らない安全保障政策への転換を提言することもできたはずだ。きのうは、条約の締結を促すため核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう求めるのにとどまった。もちろんそれも大切だが、もっと核心に迫ってもらいたかった。
 条約を携え私たちは、核兵器なき世界に向けた新たなスタートを切ったばかりだ。核保有国と非保有国の溝を埋めるには、核兵器の「非人道性」への共感をこれまで以上に広げていくことが鍵の一つになる。決して諦めることなく、被爆地の声を今こそ強く伝えていきたい。


「加計」幹部出席、伏せる 特区WGの議事要旨
 国家戦略特区による獣医学部新設を巡り、政府のワーキンググループ(WG)が二〇一五年六月に愛媛県と今治市からヒアリングした際、学校法人「加計(かけ)学園」の幹部が同席していたのに、公開された議事要旨には名前も発言も記載がないことが、学園側や他の出席者への取材で分かった。WGの八田達夫座長は六日、政府の特区のホームページにコメントを掲載して同席の事実を認め、加計学園の立場を「説明補助者」とし「参加者と扱っていないので記載しなかった」と説明した。
 安倍晋三首相は七月二十五日の参院予算委員会で「特区の運営は、議事をすべて公開するオープンな形で議論している」と答弁したが、議事要旨は「加計隠し」とも取られかねない。
 議事要旨に記載されている出席者は、事務局を除き、八田氏らWG委員四人と、特区提案者の愛媛県、今治市の担当者三人。提案者ではない加計学園は記載がないが、学園の吉川泰弘・新学部設置準備室長は本紙の取材に出席の事実を認め、「教員確保や感染症対策の質問に答えた記憶がある」と話した。
 八田氏はコメントで「今治市が独自の判断で加計学園関係者三人を同席させていた」と説明。「通常、説明補助者名を議事要旨に記載していない。特区の制度趣旨にかなう運営だった」としている。
 八田氏のコメントによると、議事要旨は当初、愛媛県と今治市が議会対策や反対派・競合相手との関係から非公開を要望。いったんは非公開にすることとしたが、今年一月に特区による獣医学部新設が決定した後、経過をできる限りオープンにしようと、今年三月六日に議事要旨を公開したという。要旨公開の三日前には、国会で加計学園の問題が取り上げられていた。
 加計学園と競合していた京都産業大は京都府との共同提案者で、昨年十月のWGヒアリングの議事要旨には出席者の名前や発言が記載されている。 (中沢誠)
<政府の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)> 有識者の民間委員が特区の提案者や規制官庁からヒアリングする場で、非公開で行われ、議事録の簡略版に当たる議事要旨を公開している。WGでの議論は、首相が出席する最高意思決定機関の諮問会議などでの審議に反映される。現在の委員は大学教授や経営者ら9人。


「呼吸しない微生物」を発見 どのようにして生きているのか不明…生命誕生の謎に手掛かり
 呼吸する仕組みを持たず、どのようにして生きているのか分からない常識外れの微生物を発見したと海洋研究開発機構などの国際チームが発表した。
 生命誕生の謎の解明につながる可能性があるという。英科学誌電子版に発表した。
 チームは米カリフォルニア州の山で、地下深部からの湧き水に含まれる微生物を採取。ゲノム(全遺伝情報)を調べたところ、16種類の微生物は呼吸をつかさどる遺伝子がなかった。うち4種類は体内でエネルギーを生産するための遺伝子も見当たらなかった。これらが生命を維持する仕組みは全く分からないという。
 この湧き水は、地球のマントルの成分のかんらん岩と水が反応してできた。強いアルカリ性で酸素をほとんど含まず、生命にとって極めて厳しい環境だ。
 生命が誕生した約40億年前の地球は、よく似た環境だったとされる。
 過酷なこの時代に生命が生まれた理由は大きな謎で、今回の微生物が解明の手掛かりになる可能性があるという。
 海洋機構の鈴木志野特任主任研究員(環境微生物学)は「予想外の発見で驚いた。生命を維持する未知の機能を解明したい」と話す。(草下健夫)

72年目の広島原爆の日/とりあえず原稿メール送信

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72 ans après Hiroshima, le Japon se recueille
Le Japon commémorait dimanche 6 août le premier bombardement atomique de l’Histoire, qui frappa il y a soixante-douze ans la ville du sud de l’archipel.
Le Japon commémorait dimanche 6 août le premier bombardement atomique de l’Histoire. Celui-ci frappa Hiroshima, ville du sud du Japon, il y a soixante-douze ans. Le 6 août 1945, à 8 h 15, un bombardier B-29 américain baptisé ≪ Enola Gay ≫ larguait sur la ville la bombe atomique ≪ Little Boy ≫. D’une puissance équivalant à près de seize kilotonnes de TNT, la bombe de Hiroshima causa une déflagration faisant monter la température au sol à 4 000 degrés.
Cent quarante mille personnes périrent le jour même et dans les semaines qui suivirent. Trois jours plus tard, une autre bombe atomique, ≪ Fat Man ≫, frappait Nagasaki, conduisant à la reddition japonaise, le 15 août, qui marqua la fin de la seconde guerre mondiale. A Nagasaki, soixante-quatorze mille personnes furent tuées.
Contradictions japonaises au sujet des armes nucléaires
Le premier ministre, Shinzo Abe, qui s’exprimait au parc du Mémorial de la Paix de Hiroshima dimanche, a déclaré que le Japon espérait militer pour un monde sans armes nucléaires d’une manière qui conviendrait à tous les pays du monde.
≪ Pour parvenir réellement à un monde sans armes nucléaires, nous avons besoin de la participation à la fois des Etats nucléaires et des Etats non nucléaires ≫, a-t-il dit. ≪ Notre pays veut montrer la voie à la communauté internationale en encourageant les deux parties ≫ à progresser vers la dénucléarisation, a-t-il ajouté, sans faire explicitement référence au traité interdisant les armes atomiques adopté par l’ONU le 7 juillet.
Au moment de cet anniversaire, les traditionnelles contradictions japonaises au sujet des armes nucléaires refont leur apparition. Il y a un mois, le Japon avait rejoint les rangs des puissances nucléaires comme les Etats-Unis, la France ou la Grande-Bretagne pour bouder ce même traité, qui préconise une interdiction totale du développement, du stockage et de la menace d’utilisation d’armes nucléaires.
Tokyo a critiqué celui-ci en jugeant qu’il aggravait le fossé entre les pays dépourvus de l’arme nucléaire et ceux qui en sont dotés. Aucun des neuf pays détenteurs de l’arme nucléaire (Etats-Unis, Russie, Royaume-Uni, Chine, France, Inde, Pakistan, Corée du Nord et Israël) n’a pris part aux négociations.
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歴史秘話ヒストリア「京都で旅する地獄と極楽」
井上あさひアナが案内する京都ミステリーツアー。極楽を再現した平等院鳳凰堂や、えんま様と出会える六道珍皇寺、さらには絵図の中に飛び込んで恐ろしい地獄ツアーも実施!
千年の都・京都は“あの世”がとても身近にある場所。長い歴史の中で数多くの霊を生み、現世の人々が関わってきた都の地には地獄や極楽にまつわるスポット、物語がいっぱい!平安貴族の極楽テーマパーク「平等院鳳凰堂」や地獄へ通じる井戸がある「六道珍皇寺」。井上あさひアナが実際の場所を探訪…のみならず地獄の光景を描いた絵図にも飛び込み“地獄ツアー”を実施。いにしえの人々が考えた“あの世”の世界を案内する。 井上あさひ

平成29年 広島平和記念式典〜広島平和公園から中継〜
被爆72年を迎える広島。一発の原子爆弾で街の日常は一瞬で失われ、被爆者や遺族の心身には生涯癒えることのない深い傷が刻み込まれた。二度と過ちを繰り返してはいけない…。平和記念式典が開かれている平和記念公園から式典の様子、そして「ヒロシマの使命」と向き合う市民の姿を、この1年間の核兵器廃絶をめぐる動きや被爆者のインタビューを交えながら生中継で伝える。 田村直之,八田知大
サンデーモーニング【安倍改造内閣が始動▽速報世陸ボルト▽ダル新天地▽風をよむ】
安倍改造内閣が始動…加計森友の説明は?▽トランプ政権に波紋▽中国指導部で何が?▽速報・世陸ボルトが▽プロ野球▽ダル新天地初登板▽Jリーグ▽風をよむ
この一週間をフラッシュでお伝えする「早わかり一週間」▽世界と日本の出来事を掘り下げるカバーストーリー▽おなじみ・スポーツ御意見番「喝!&あっぱれ」▽関口宏の「一週間」ニュース▽時代と社会の断面を切り取るコーナー「風をよむ」 関口宏 岸井成格(他) 橋谷能理子 唐橋ユミ 伊藤友里 水野真裕美(TBSアナウンサー) 張本勲(他)■番組HP http://www.tbs.co.jp/sunday/ ■ツイッター @sundaym_tbs https://twitter.com/sundaym_tbs

明日へ つなげよう 復興サポート「震災遺構 未来へ 体験と教訓を語り継ぐ」
東日本大震災から6年半。未来の命を守るため、体験と教訓をどう語り継いでいくかが、重要なテーマとなっている。その際大切なのが、震災遺構の存在である。陸前高田の「奇跡の一本松」、石巻市で多くの児童が亡くなった「大川小学校」など。語り部など市民にも参加してもらい、防災教育ツアーなどを実現するには、どうしたら良いのか?原爆ドームを保存する広島平和記念資料館や、中越地震の被災地の実践から学び話し合っていく。 広島平和記念資料館元館長…原田浩,中越防災安全推進機構…山崎麻里子, 後藤千恵, 濱中博久
テレメンタリー 「追跡!原爆影響報告書 〜隠された安田高女の記録〜」
被爆後の広島・長崎で、被爆者の調査を行った米・合同調査団。近年、その報告書『原爆の医学的影響』(全6巻)がネットで公開された。長らく極秘扱いされていた第6巻目の中に、特筆されていた “安田高等女学校の死傷者研究”——その学校は、取材ディレクターの母校であった…そこには一体何が書かれていたのか?原爆により315人の生徒が命を落とした安田高女の“知られざる悲劇”と、隠されてきた「原爆影報告書」の謎に迫る。進藤晶子 佐々木誠 テレビ朝日
NNNドキュメント ギャンブル依存―巣食う闇を断ち切れるか―
競馬などの公営ギャンブルにパチンコ、パチスロ。日本ほど"ギャンブル"が身近な国は少ない。そのような中、"カジノ解禁法"が施行された。
懸念されるのは、ギャンブル依存症の拡大だ。借金を重ねた末に、家庭崩壊、自殺未遂、犯罪に手を染めた依存症者。回復の途上には再発の不安がつきまとう。意志の弱さとされがちだが、射幸心を持つ誰もが陥る可能性のある"病"の現実から、支援のあり方を考える。 三浦隆志(読売テレビアナウンサー) 読売テレビ

ガリレオX 第140回 「地球を測る。宇宙を知る。天文学の原点」 
広大無辺な大きさをもつ地球。現代の科学技術では正確な地球の大きさを知ることができるが、私達が普段生活する上でその大きさを実感することは稀だ。しかし驚くべきことに紀元前には既に、おおまかな地球の大きさはわかっていたという。紀元前300年頃、エラトステネスという科学者の試みによって計算されたのだ。その方法は美しさを感じるほど単純な実験だった。人類が宇宙を知る大きな第一歩に迫ることで科学の原点が見えてきた。<主な取材先> 西條敏美さん(日本科学史学会)

72年目の広島原爆の日です.広島県にも住んでtことがあるので忘れられません.Tシャツを買ったのは66年目だったか60年目だったかわかりません.そもそもTシャツあれからずっと来ていないのでどうなっているかな?
とりあえず原稿メール送信しました.完全にやる気なしです.

<あなたに伝えたい>生まれ変わってまた親子に
◎「ママを助けたい」と言っていた優しい息子/鈴木あけみさん(宮城県柴田町)将宏ちゃんへ
 鈴木将宏(まさひろ)ちゃん=当時(6)= 宮城県山元町花釜の自宅で、母親のあけみさん(52)らと3人暮らしだった。通っていた町東保育所で東日本大震災に遭遇した。保育士らの誘導で園庭に待機中、津波が押し寄せ、巻き込まれた。3日後に遺体で見つかった。
 あけみさん 震災に遭ったのは息子が小学生になる直前でした。生きていれば中学生になります。どんなに頼りになる子に育っていただろうかと考えます。「早く大きくなって、ママを助けたい」と言っていたのを思い出します。
 私が一人で仕事や家事に追われ、苦労しているのを分かっていたようでした。米をといだ後に内釜の目盛りで水の量を測る時、くっついてきて一緒にのぞいてくれました。
 保育所に迎えに行くと、遠くからでも走ってきて、満面の笑みで抱き付いてきました。自分が必要とされていると思えました。この子を絶対に守る。それが生きがいでした。
 一通りの人生を送り、いろんな体験をさせてあげたかった。私ができなかったことを伸び伸びやってほしかった。そうさせてあげられなかったのが残念です。
 遺体の顔はつらそうでした。人生の最期に苦しくて怖い思いをさせてしまいました。息子の苦しみが続いていると思うと、何年たっても悲しみは消えません。
 どちらか選べるなら、息子は生き残り、自分が死んだ方がよかったです。一人残された親はとても前を向いて生きていけません。
 私自身が両親の愛情を感じられなかったところがあり、息子には日々、あえて口に出して「大好きだよ」と言っていました。
 まーちん、大好きだよ。ママの息子に生まれてきてくれて、ありがとう。生まれ変われるなら、また親子になろうね。


震災津波の教訓、10ヵ国学生学ぶ 東北大・サマースクール
 東北大など16カ国の45大学が加盟する環太平洋大学協会(APRU)のサマースクールが7月18日、仙台市青葉区の東北大災害科学国際研究所で行われた。10カ国約30人の学生が東日本大震災の教訓を4日間連続で学び、女川町で実地研修やグループ討議などもこなした。
 初日は巨大津波発生のメカニズムと対策、被災地の復興状況などに関する講義があった。
 災害研の小野裕一教授(国際防災政策)は2015年の国連防災世界会議で採択された国際的な防災行動指針「仙台防災枠組」を解説。「枠組の達成に向け、災害データを分析して各国の政策立案者に提示することが必要だ」と強調した。
 インドネシア防衛大の研究員ファジャール・シディックさん(26)は「日本で震災の経験がどのように伝承されているかを知った。世界中の研究者とネットワークをつくり、防災に関する知見を広げる機会にしたい」と語った。


「仙台七夕まつり」始まる
東北を代表する夏祭りのひとつ「仙台七夕まつり」が6日に始まり、仙台市中心部の商店街に飾られた色とりどりの七夕飾りが訪れた人たちを楽しませています。
「仙台七夕まつり」は、伊達政宗が仙台藩主だった400年以上前から続くとされる、東北を代表する夏祭りのひとつです。
6日は、仙台市中心部のアーケード街で午前中、開幕を祝うセレモニーが行われました。
会場にはおよそ8万8000羽の折り鶴で作った七夕飾りがつるされ、制作した市内の小中学生が東日本大震災からの復興への願いを込めた歌を披露しました。
折り鶴を制作した小学6年生の女子児童は「復興が進み、みんなが元気になるようにという思いを込めて折りました。飾りを見た人には復興に対する多くの人の気持ちを感じてほしい」と話していました。
会場には色とりどりの吹き流しや短冊で彩られたおよそ3000本の七夕飾りが取り付けられ、訪れた家族連れなどが写真をとったり眺めたりして楽しんでいました。
茨城県から家族と訪れた52歳の男性は「震災は大変なことだったと思うが、被災地の方にはこの七夕を通して元気を出して頑張ってほしい」と話していました。
「仙台七夕まつり」は8日まで開かれ、期間中、およそ220万人の人出が見込まれています。


<仙台七夕花火祭>煙る夜空に光降る 震災からの復興願う1万6000発
 仙台七夕まつり(6〜8日)の前夜祭「第48回仙台七夕花火祭」(仙台青年会議所主催)が5日夜、仙台市青葉区の西公園周辺であった。濃い霧が立ち込めるあいにくの空模様の中、東日本大震災からの復興を願う約1万6000発が打ち上げられた。
 テーマは「以心伝心〜心通うやさしい強さ溢(あふ)れる仙台へ〜」。仙台藩祖伊達政宗の生誕450年を記念し、三日月の前立てのかぶとや「450」をかたどった花火も用意された。
 来場者数は約45万人(主催者発表)で、昨年より5万人少なかった。霧の影響で上空で開く大輪はほとんど見られず、打ち上げを中断する場面もあった。
 仙台管区気象台によると、仙台七夕まつり期間中の天候は6、7日が曇り、8日が曇り時々雨の予報。最高気温はいずれも28度前後の見込み。


気仙沼みなとまつり 打ちばやし
気仙沼市の夏の風物詩「気仙沼みなとまつり」は6日、2日目を迎え、港の岸壁では大勢の市民が一斉に和太鼓を打ち鳴らす「打ちばやし」が披露されました。
「気仙沼みなとまつり」は気仙沼市恒例の夏まつりで、震災の年は港が被害を受け中止になりましたが、よくとしには再開し、ことしで66回目を迎えます。
まつり2日目の6日は最終日で、漁船の集まる気仙沼港の岸壁にたくさんの和太鼓が並びました。
そして、午後5時からおよそ800人の市民が一斉に太鼓を打ち鳴らす「打ちばやし」が披露されました。
会場には浴衣姿の家族連れなどが大勢訪れていて、かき氷やわたあめを手に港に響き渡る迫力のある和太鼓の音に歓声を上げていました。
「打ちばやし」を披露していた地元の男性は「まちが復興するにつれて、まつりの雰囲気もどんどん元気になっていると感じます。力いっぱい太鼓をたたいて盛り上げたいです」と話していました。


<気仙沼みなとまつり>「はまらいんや」3200人が乱舞
 港町の夏を彩る「気仙沼みなとまつり」が5日、宮城県気仙沼市で開幕した。初日は内陸部の田中前地区で「はまらいんや踊り」があり、色鮮やかな法被やTシャツを着た踊り手約3200人が、東日本大震災からの復興を後押しする元気いっぱいの踊りを披露した。
 「はまらいんや」は気仙沼地方の言葉で「一緒に参加しよう」の意味。小中学生、企業など67団体がバンド演奏に合わせてオリジナルの振り付けで舞った。
 被災した同市階上地区の階上小6年生34人も参加。小野寺夏実さん(12)は「みんな笑顔で楽しく踊ることができた。練習の成果が出た」と満足そうに話した。
 最終日の6日は、八日町などで街頭パレード。夕方から港町で太鼓の打ちばやし大競演、船で太鼓演奏する「海上うんづら」、2400発の海上打ち上げ花火がある。


石巻「牡鹿鯨まつり」にぎわう
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた石巻市の牡鹿地区で伝統の鯨まつりが開かれ、大勢の家族連れなどでにぎわいました。
石巻市牡鹿地区鮎川浜の「牡鹿鯨まつり」は、捕鯨文化を継承しようと昭和28年に始まった伝統行事で、震災で一時中断しましたが4年前に再開されました。
ことしは被災地を盛り上げようという大規模な芸術祭「リボーンアート・フェスティバル」と共同で行われ、会場の舞台にはアーティストが手がけたステージトラックが使われました。
そして、震災後、初めて地区すべての小中学校の児童や生徒が参加して舞台の上で地元に伝わる太鼓の演奏や踊りを披露しました。
子どもたちが大漁旗で作ったはっぴを着て威勢のいいかけ声とともに太鼓をたたくと、会場からは大きな拍手が送られていました。
会場では地元でとれたツチクジラをみそだれに漬けた炭火焼きもふるまわれ、訪れた人たちが笑顔でほおばっていました。
地元の70代の男性は「大勢の人が集まり、まちに活気が戻ったようでうれしいです。子どもたちの元気な姿に励まされました」と話していました。
近くの仮設住宅に住む40代の女性は「芸術祭が開催されてからバス停にたくさんの人が並んでいて驚きました。地元の人や震災後に来た人が一緒に新しいまちをつくっていけたらと思います」と話していました。


核廃絶に向けて/見えぬ 被爆国が描く道筋
 広島はきょう、長崎は9日、被爆から72年を迎える。鎮魂と、不戦を誓い合いたい。
 「生き地獄」の惨劇を生んだ戦争の加害、被害の歴史を直視し、核兵器という存在そのものがはらむリスクを排除できない現実とも、しっかり向き合わねばならない。
 ただ、ことしは「核の時代」の終焉(しゅうえん)に向け、重要な一歩が踏み出された。国連で7月に「核兵器禁止条約」が採択されたことである。
 広島、長崎の被爆者らが待ち望んでいた。開発、保有、使用を含め関わる行為を一切禁ずることで、核兵器を非合法化する史上初の国際法だ。その論拠は、核兵器は極め付きの非人道兵器であり「絶対悪だ」ということにある。
 批准する国が増えれば、「核は悪で違法」とのルールが、国際社会で広範に形づくられることになる。
 米英仏中ロの核保有五大国や、「核の傘」に安全保障を依存する国々は核抑止論から抜け出せず、条約に背を向ける。だが、そうした国でも「核は違法」との規範が広がり世論のうねりとなれば、国の方針をも変えかねない。
 核廃絶という山頂に至るルートが複数あるなら、禁止条約がたどり得る道は、その有力な一つになると信ずる。
 唯一の戦争被爆国・日本は、条約制定交渉の議論にすら参加しなかった。
 核保有国抜きの交渉に意味はなく、保有国と非保有国との分断を深めるというのが表向きの理由。だが、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対するためには、米国の「核の傘」を頼らなければならないからにほかならない。
 核廃絶の実現は「国是」であろう。現に国連では、日本主導の核廃絶決議が20年以上も連続して採択されている。
 その中で求めるのは、一つは核拡散防止条約(NPT)体制の強化。核保有五大国による段階的な核軍縮である。だが、米ロの対立などから、一向にらちは明かない。
 もう一つは、高濃縮ウランやプルトニウムといった兵器用核分裂性物質の生産禁止条約(FMCT)の制定交渉開始を関係国に促すことだ。日本政府は、この条約と包括的核実験禁止条約(CTBT)で核兵器の質と量を厳しく制限することを、核廃絶に向かう出発点にしているという。
 だが、CTBTは米中が未批准で発効のメドは立たず、FMCTは決議が物語るように交渉すら始まっていない。そもそも、この方針をどれほどの国民が知っていようか。
 核廃絶への道筋を描いているのだとしても、その道が国民に共有されていないばかりか、その出発点にさえ立てていないのが現状なのではないか。これで、山頂に至るルートになれるのかどうか。
 禁止条約に署名しない姿勢を貫くなら、確かで現実的な別の道筋と手だてを明示すべきだ。政府といえども、それなくして核廃絶は語れまい。


河北春秋
 「記憶は、過去のものでない。それは、すでに過ぎ去ったものでなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ」。詩人の故長田弘さん(福島市出身)が詩文集『記憶のつくり方』のあとがきに書いている▼文章は続く。「とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ」と。人が記憶を現在に投影しながら生きていけば、過去はまさに現在の中にある。8月、余計に心に響く言葉である▼広島は被爆から72年の「原爆の日」を迎えた。9日は長崎原爆忌である。核兵器禁止条約が国連で採択されながら、核の傘の下にある日本は条約に賛同しなかった。この状況をどう捉えるか。一人一人が自問自答するときかもしれない▼先日、仙台市青葉区の錦町公園で、核廃絶を願う「いのり」の像を見た。宮城県原爆被害者の会が23年前に設置した。少女は膝を折り、手のひらに折り鶴を乗せている。「過去を踏まえて未来へ」。そんなメッセージが伝わってきた▼ユダヤ人物理学者の故アルベルト・アインシュタインの「予言」を思い出す。「第3次世界大戦でどんな兵器が使われるかは分からない。だが、第4次なら分かる。石とこん棒だろう」。次の大戦があれば世界は吹っ飛ぶことを暗示している。

広島・長崎の「原爆の日」 核廃絶への行動を怠るな
 1947年8月6日、焼けつくような日差しの下、浜井信三・広島市長は初の平和宣言を読み上げた。
 恒久平和のためには「恐るべき兵器」(原爆)を廃する「思想革命」が必要だ。「原子力をもって争う世界戦争は、人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、世界の人々に明白に認識せしめた」というのである(浜井著「原爆市長」)。
 敗戦国の一隅から世界に呼びかける緊張感ゆえか、浜井は自分の声が自分のものでないように感じた。
 それから70年、「原爆の日」(広島6日、長崎9日)に際して思う。「思想革命」は進んだだろうか。
 70年代に発効した核拡散防止条約(NPT)は5カ国(米英仏中露)のみに核兵器の保有を認めた。だが、90年代にはインドとパキスタンが核兵器を持つに至り、イスラエルも実質的な核保有国とみられている。
「唯一の被爆国」として
 それに加えて北朝鮮だ。核・ミサイルの実験を繰り返し、日米への核兵器使用さえほのめかす。その姿は「思想革命」とNPT体制が暗礁に乗り上げたことを物語る。
 そんな折、国連では7月に約120カ国の賛成で核兵器禁止条約が採択されたが、米国など核保有国は反対し、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国や米国の「核の傘」の中にいる日本と韓国も反対した。
 核兵器の保有や使用の禁止はもとより、核によって核をけん制する、伝統的な「核抑止論」に批判的な条約だからだろう。北朝鮮の脅威が高まる折、これでは賛成できないと日本政府は判断したようだ。
 だが、日本は昨年5月、オバマ米大統領を広島に迎え、「核兵器のない世界」への誓いを新たにしたはずだ。米国が核軍拡路線のトランプ政権になったとはいえ、「唯一の被爆国」が核廃絶への弾みにブレーキをかけるのは違和感がある。
 被爆者団体は当然ながら日本政府の対応に不満を表明した。条約交渉会議の参加者から「母国に裏切られ見捨てられたという思いを深めた」(サーロー節子さん)などの声が上がったのも無理はなかった。
 「日本政府はがんじがらめなんですよ」と「平和首長会議」の小溝泰義事務総長は言う。米国からの圧力と北朝鮮の脅威の板挟みになったのに加え、「禁止」を先行させた条約案には、核保有国や同盟国が承服しにくい部分も確かにあった。
 そこで小溝さんは国連での条約案の討議で、核保有国が重視する「検証措置」などを盛り込むよう提案し、核保有国が参加しやすいように努めた。「批判もあるが、条約ができたこと自体が大きな成果。文言も批判しにくい内容です。不参加の国々の勇気ある方針転換を望みたい」
第二の「思想革命」を
 日本政府は被爆者と米国のはざまで米国を取ったようにも見える。誤解だというなら、日本は核廃絶の意思を行動で明確に示すべきだ。NPTも禁止条約も究極の目標は核廃絶。日本は二つの条約をめぐる国際的な対立をやわらげ、足並みをそろえることに努める。そして禁止条約への対応も再考すべきである。
 北朝鮮の脅威に対して、ある人々は言うかもしれない。「だから核は核でけん制すべきなんだ」と。だが、核兵器がある限り同様の危機は起こりうる。現状での核抑止力は否定せず、核廃絶へ全力を挙げるのが現実的で誠実な態度ではなかろうか。
 私たちは禁止条約が唯一無二の道だとは思わない。だが、同条約に反発する核保有国に問いたい。NPTが定める核軍縮の責務を果たしてきたか。核軍縮が遅々として進まないから非保有国は禁止条約の採択に動いた。問われるべきは核保有国の怠慢と、危機意識の欠如である。
 大阪女学院大学大学院の黒澤満教授は、禁止条約の前文にある「全人類の安全保障」について「個々の国同士の安全保障に加え、国際的で地球規模の安全保障を考える時代になった。そのように発想を転換すべきです」と説く。誤って核を使用する危険性も含めて、第二の「思想革命」が必要な時代になったのだろう。
 「原爆市長」によると、初の平和宣言には連合国軍総司令部のマッカーサー司令官も一文を寄せた。このままだと人類を絶滅させるような手段が戦争で使われるだろう。「広島」は全ての人々への警告だと述べ「警告がないがしろにされないように」と神への祈りで結んでいる。
 「唯一の核兵器使用国」の米国もかみ締めるべき言葉である。


原爆忌に考える 沈黙の声は未来を語る
 蝉(せみ)しぐれがかき消しそうな八月の記憶と記録。「沈黙の声」は懸命に語っています。今を生きる人たちが、もう二度と、ヒバクシャにならないように。
 「三菱長崎兵器製作所大橋工場」−。長崎大学文教地区キャンパス正門前の木陰にたたずむ銘板です。
 <一九四五年(昭和二十年)八月九日、午前十一時二分、原子爆弾の炸裂(さくれつ)によって、爆心地から北約千三百メートルに位置した二十棟余の大橋工場は、一瞬にして、空洞化したコンクリートの巨塊と飴(あめ)のように折れ曲がった鉄骨の残骸に姿をかえた。原爆当時、大橋工場、茂里町工場など三菱長崎兵器製作所全体の従業員数は女子挺身(ていしん)隊、学徒報国隊を含め、一万七千七百九十三人。そのうち、原爆による死亡者は二千二百七十三人、負傷者は五千六百七十九人−>
 当たり前のことですが、そこにはただ淡々と、被爆の記録が刻印されています。
 「この先が、林京子さんの小説『祭りの場』の舞台です」
 日本学術振興会特別研究員の四條知恵さんに、教わりました。
 四條さんは広島生まれ。広島平和記念資料館の学芸員を務めたあと、今は長崎大に籍を置き、“手のひらからこぼれ落ちていきそうな”被爆の記録と被爆者の記憶を集める仕事をしています。
 ことし二月に亡くなった作家の林京子さんは、大橋工場に動員された勤労学徒の一人。十四歳の時でした。その日のことを克明につづった「祭りの場」という作品で、芥川賞を受賞した。被爆からちょうど三十年後のことでした。
 正門のすぐ内側に立つ、長崎師範学校(現長崎大教育学部)の慰霊碑の周りでは、九日の慰霊祭の準備が始まっていて、ただ黙々と夏草刈りに汗をかく人の背中にも、祈りが見えるようでした。
◆「今」を描き続けた人
 長崎の街そのものがそうであるように、兵器工場跡のキャンパスも、凝縮された記憶を宿すタイムカプセルなのかもしれません。
 「歩いていると、被爆当時の光景が、立体映像のように立ち上がってくることがあるんです」。案内の足をふと止めて、四條さんが言いました。
 四條さんは一方で、被爆者個々に異なる記憶や体験が「怒りの広島」「祈りの長崎」というレッテルや、「恒久平和」「核廃絶」のスローガンへと安易に集約されてしまうことには、違和感を覚えます。林さんが「被爆作家」と呼ばれることをいやがったのと、恐らく同様に。
 <八月九日をなぜ私が書くか…>。林さんは「残照」という短編の中で、打ち明けます。
 <被爆者である私は九日の再発を怖(おそ)れ、(息子の)桂に伝わるかもしれない後遺症を怖れて、桂の父親が愛想をつかすほど不安を訴えてきた。(中略)思想にも政治にも無縁な、親と子が無事に生きていたいための、個人的な苦悩から出発した仕事なのだ>と。
 林さんは、“自ら血を流すようにして”現在進行形の不安や恐れを描き続けた人でした。過去よりも「今」を記した人でした。
 それはそのまま、平凡な日常や命の尊さを訴える、同時代への警鐘でもありました。
 <アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、美事(みごと)なセリフがある。−かくて破壊は終りました−>
 「祭りの場」は、このように結ばれます。痛烈な皮肉でしょう。
 私たちは今現に、米国の核の傘の下にいて、核兵器禁止条約に署名すらできない国、隣国が打ち上げるミサイルに右往左往しながらも、長崎原爆の数千発分ともされる核物質との“共存”を続ける国で、平然と日々を送っています。
 一九四五年の八月六日と九日で、原爆の破壊が終わったわけではありません。七十二年の時を経た今もなお、原子の力はこの国を脅かし、蝕(むしば)み続けているのです。被爆地は未来を憂う預言者です。
◆平和とは何ですか?
 帰り道、涼を求めて飛び込んだ長崎市内の“スタバ”の壁に、ことしも掲示されていました。
 <長崎は戦後七十二年目の夏を迎えます。あなたにとって平和とは何ですか?>というメッセージ。この街の記憶も記録も文学も、今と未来のためにある−。預言者の言葉は、コーヒーショップの壁にも書かれているのです。


原爆の日/「核なき世界」をあきらめない
 「雲一つない明るい朝、空から〈死〉が落ちてきて、世界は変わった」
 昨年5月、現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏が平和記念公園での演説で述べた言葉である。
 夏の空を見上げ、この言葉に改めて思いを巡らしたい。
 72年前のきょう、広島に投下された1発の原爆によって確かに世界は変わった。それ以降、人類は自ら生み出した核兵器に生存を脅かされている。放射能が人間にもたらす影響の「罪深さ」におののいている。
 核。それは人間性を否定する〈死〉、言い換えれば「絶対悪」の象徴といえるだろう。
      ◇
 先月7日、国連本部で核兵器禁止条約が採択された。核そのものを「違法」とする初めての国際条約が誕生した。
 核の開発や実験、製造、保有、移譲のほか、使用をほのめかしての威嚇行為も禁止する。
 「全廃こそが、核が二度と使われないことを保証する唯一の方法である」。そう断言する条文には、「核の抑止力が平和を実現する」という保有国の論理が入り込む余地はない。
 さらに、条約は広島、長崎の被爆者を「核の被害者」と明記し、その「受け入れ難い苦痛」にも言及した。国連加盟193カ国のうち賛成は122カ国。これほど多くの国々が広島、長崎と心を一つにしたのは、歴史的な出来事と言っていい。
高まる暴発の危険
 長崎大の核兵器廃絶研究センターは6月、ロシアや米国などが保有する核弾頭の推計結果を発表した。その数は計約1万4900発。昨年より約450発減ったが、米ロは近代化で兵器の性能を上げている。地球を何度も破滅させる量を抱えている現実に変わりはない。
 核・ミサイル開発を加速する北朝鮮の保有数は20発未満に倍増したとされる。それに対抗してトランプ米政権は核戦力強化を公言する。偶発的な核暴発のリスクはむしろ増大している。
 米国の科学誌が公表する「世界終末時計」は今年初め、人類滅亡までの残り時間を30秒短縮して「2分半」とした。米ソが相次ぎ水爆実験に成功した1953年に次ぐ短さだ。足元の氷は薄く、もろくなっている。
 それなら核ときっぱり縁を絶とうと世界は動き始めた。それこそが日本の進むべき道だ。
 核開発は最初から「後ろめたさ」を背負っていた。
 原爆を考案したとされる物理学者レオ・シラードは、先の大戦でアインシュタインと共に米大統領ルーズベルトに原爆開発を進言した。核開発でナチスドイツに先んじるためである。
 亡命者であるシラードらの脳裏には「ナチスが核を持てば必ず用いる」という恐怖心があった。しかしドイツは敗れ、核開発を急ぐ理由はなくなった。シラードは日本への原爆投下に強く反対する。本当に使用すれば取り返しのつかない事態を招くと分かっていたからだ。
 急死したルーズベルトから大統領職を引き継いだトルーマンは、日本への投下を承認する。ただ、トルーマン自身は女性や子どもを含む市民が対象ではなく、軍事施設への攻撃だと甘く考えていたふしがある。
 実際は犠牲者のほとんどは一般市民だった。広島、長崎では20万人以上が亡くなった。トルーマンはあまりの惨状に肝をつぶし、軍が計画する3度目の原爆投下を拒否したとされる。
 核には免れない「原罪」がつきまとう。オバマ氏は原爆投下への謝罪を避けつつ〈死〉という言葉で人類全体の罪の意識を表現した。核保有国の大統領として苦渋の思いだったろう。
折り鶴たちの祈り
 トランプ政権からも、安倍政権からも、そうした葛藤は伝わらない。核の脅威に考えが至らないのか、トランプ氏は就任前に日本の核武装を容認する発言を行っている。一方、安倍晋三首相は「将来的な核保有」を持論とする稲田朋美氏に最近まで防衛相を担当させた。
 日本政府は北朝鮮の脅威を引き合いに出し米国の「核の傘」を是認する。核兵器禁止条約では協議にすら参加せず、「裏切られた」(カナダ在住の被爆者サーロー節子さん)との声が上がった。それが72年目の「被爆国」の姿である。
 シラードは予言した。「人類は想像を絶する惨事におびえる時代の扉を開くことになる」。その言葉が説得力を失ったとは思えない。むしろ72年前に落とされた〈死〉の影を、今も続く人類共通の恐れや痛みと受け止めねばならない。
 「使っても良い核なんてない」。被爆者が語るその言葉を国民一人一人がかみしめたい。そして「世界の流れに加われ」と政府に対して求め続けたい。
 〈折り鶴の祈りのかたち鋭くてなにも語れぬ一日のあり〉(窪田政男)
 広島や長崎の苦難を背負う無数の折り鶴が、私たちを叱咤(しつた)する。世界の現実がどれほど厳しくても、「核なき世界」の実現を絶対にあきらめるな、と。


広島、長崎原爆の日 「核兵器禁止」に踏み出せ
 広島はきょう、長崎は9日、被爆72年を迎える。
 世界にはなお1万5千発の核弾頭があり、「核兵器のない世界」にはほど遠い。
 北朝鮮が核・ミサイル開発を加速させるなど、核廃絶に逆行する動きも目立っている。
 だが、新しい潮流も生まれている。国連で7月、核兵器を国際法違反とする核兵器禁止条約が採択された。
 「被爆者(ヒバクシャ)の苦痛と被害を心に留める」と明記し、核兵器の非人道性を強調した。国連加盟国の3分の2が賛同し、来年にも発効する見通しだ。
 なのに、唯一の戦争被爆国である日本は核保有国に追随し、交渉に参加せず、署名もしない考えを明らかにしている。理解しがたい対応だ。
 松井一実広島市長は、きょう発表する平和宣言で、平和憲法の前文を引用し、条約の締結促進を呼びかける。田上富久長崎市長も9日の平和宣言の半分を割き、条約の意義、重要性を訴える。
 政府は広島、長崎の声を真正面から受け止め、核廃絶の動きをリ
ードしていかなければならない。
軍縮への期待は後退
 記念式典が行われる広島市の平和記念公園。その一角にある平和記念資料館に、ケースに入った折り鶴が展示されている。
 昨年5月、現職の米大統領として、オバマ氏が初めて広島を訪れた際に、持参した。「核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」と記した自筆の手紙も添えられている。
 あれから1年3カ月足らず。核軍縮への期待感は後退し、後任のトランプ氏は核戦力の増強に意欲を見せる。
 北朝鮮も核弾頭を搭載可能な大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を繰り返し、米国を挑発している。
 核の脅威が高まっているからこそ、核兵器禁止条約が採択された意味は大きい。
危機感強い非保有国
 核保有国が入らない条約では、実際には軍縮が進まず、条約の実効性は乏しいとの指摘がある。
 しかし、発効すれば、国際的な非難を無視して核兵器を使用することはますます困難になろう。歯止めになることは間違いない。
 実質的な核軍縮につなげるには、核保有国にも条約入りを求めていく必要がある。本来であれば、その役割を真っ先に担うのが、被爆国・日本であるはずだ。
 政府は「核保有国と非核保有国の橋渡しをする」と言うが、これまでいったい何をしてきたのか。
 日本は米国の「核の傘」に依存する。米国の核で他国からの攻撃を抑止するという考え方だ。政府は北朝鮮に加え、中国も急速に軍拡を進めており、この傘は外せないと考えている。
 現行の核拡散防止条約(NPT)は米英ロ仏中5カ国に対して、核保有を認めつつ、核軍縮を義務づけている。ところが、一向に軍縮は進まない。北朝鮮にも核開発の口実を与えていると言えよう。
 こうした現状に強い危機感を抱き、多くの非核保有国が結束し、核兵器禁止条約の採択にこぎ着けた。それが、平和を願う人々に希望を与えている。
 長崎市などは「北東アジア非核兵器地帯構想」を提唱する。日本に加え、韓国、北朝鮮の核兵器保有を禁じるのが柱だ。こうした提案にも耳を傾けたい。
社会で体験の継承を
 広島県原爆被害者団体協議会(被団協)副理事長の箕牧智之(みまきとしゆき)さん(75)は毎年のように米国を訪れ、被爆体験を伝えてきた。話を聞き、泣き崩れる中学生もいる。
 「米国の子にも通じているんだな、と大きな感動があります」。箕牧さんは手応えを語る。
 6月、禁止条約交渉の舞台となったニューヨークの国連本部の会議場。箕牧さんは空席だった日本の席に抗議の折り鶴を置いた。
 後ろ向きな政府に代わって、核兵器廃絶の訴えを届けてきたのが被爆者と世界各国の非政府組織(NGO)だった。
 世界中で核廃絶を求める約300万の署名を集め、交渉中の議長に手渡した。
 被爆者の平均年齢は3月末で81歳を超えた。この1年で9581人が亡くなり、16万4621人となった。
 道内では今年5月、被爆2世らでつくる会が発足した。親の世代の体験を語り継いでいく。
 被爆証言が共感を広げ、核抑止に大きな役割を果たしてきた。その継承は被爆者頼みではなく、社会全体で取り組む必要がある。
 発がんなどのリスクに不安を抱く被爆2世らが被爆者援護法の適用外で、医療費の助成を受けられない問題もある。政府は全面的な救済を急ぐべきだ。


広島原爆の日 「核抑止論」を乗り越えて
 きょう8月6日は「広島原爆の日」である。核爆弾が広島と長崎に投下され、人類が核の業火にさらされてから72年となる。
 被爆者たちは今年のこの日を特別な感慨とともに迎えている。国連で核兵器禁止条約が採択され、初めて核兵器を国際法で禁止する枠組みができたからだ。核廃絶運動にとって歴史的前進である。
 しかし、核廃絶に向かうこの新たな道筋には大きな障害物が立ちはだかる。「核抑止力」の理論に執着し、核兵器を正当化する核保有国やそれに同調する国々だ。
 今夏の被爆地には、核なき世界が近づく喜びと、理想に背を向ける核大国への怒りが入り交じる。
 ●「違法」を新たな常識に
 「この日を70年待っていた」
 7月7日、米ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約が採択されたとき、議場で見守った被爆者たちはこう語り、涙を流した。
 核兵器禁止条約は、核兵器を非合法化する初めての国際条約だ。核兵器の使用はもちろん、開発、実験、製造、保有を禁じている。さらに「使用するとの威嚇」を禁止し、核保有国が安全保障の基盤とする「核による抑止力」論を否定したのも大きな特徴である。
 この条約づくりは核兵器を保有しない国々が主導した。大量の市民を無差別に殺傷し、幾世代にもわたる被害を及ぼす核兵器に「悪の烙印(らくいん)」を押すことで、どの国も事実上使えず、保持できない兵器にしてしまおうという狙いだ。
 核兵器禁止条約の投票では、国連加盟国193カ国の63%にあたる122カ国が賛成した。数で見る限り「核兵器は国際法違反」という考え方が国際社会の新たな常識になったといえる。
 今年、広島市と長崎市がそれぞれ発表する平和宣言にも、条約への高い評価が盛り込まれる。
 ●保有国は必死の抵抗
 一方、核保有国はこの条約を殊更否定しようとしている。
 米、英、フランスは条約採択後、北朝鮮の核開発にも言及し「条約は世界の安全保障情勢を無視している」と批判、条約に署名しない方針を表明した。ロシアや中国も採択交渉をボイコットした。
 核保有国が加盟しなければ核放棄の義務は生じず、条約は「絵に描いた餅」に終わりかねない。
 日本政府も「保有国と非保有国との亀裂を深める」との理由で、署名しない構えを示した。「核の傘」に依存する立場から、米国の方針に追従した格好だ。北大西洋条約機構(NATO)加盟国のほとんども同様の対応である。
 昨年5月、当時のオバマ米大統領が被爆地の広島を訪れ、核軍縮の機運は高まるかと思われた。
 その後は停滞が著しい。トランプ米大統領は核軍縮に興味を示さず、米ロ関係の悪化で両国の核軍縮交渉は再開の見込みがない。北朝鮮は国際社会の非難を無視して核開発に突き進んでいる。
 ●拡散招く矛盾あらわに
 世界ではこれから核軍縮を巡り「核の非合法化」を進める非保有国グループと、「核抑止論」にこだわる保有国や同盟国との間でせめぎ合いが演じられそうだ。
 とはいえ、核抑止論の弱点は北朝鮮の動き一つ見ても明らかである。北朝鮮が核保有を目指す動機は、核大国の米国の圧力に抗して現体制を堅持することだ。つまり北朝鮮の核開発も「核には核で」という核抑止論に基づいている。
 核大国が抑止力の名目で核保有の特権を握り続ける限り、北朝鮮のような国が同じ論理を盾に、核開発に乗り出すリスクは消えない。核抑止論が逆に、核拡散を誘発しているのだ。「北朝鮮の脅威があるから核抑止力を」という米国や日本政府の主張は一見もっともらしいが、実はこうした矛盾と危険性をはらんでいる。
 日本政府は核保有国と非保有国の「橋渡し役」を自任してきたものの、成果は上がっていない。政府がまず理性と勇気を発揮して核抑止論を乗り越え、「核の非合法化」の論理の下で核軍縮政策を立て直すべきだ。国際社会の新たな潮流を見失ってはならない。
 日本に課せられているのは、東アジアの緊張を外交努力で緩和しつつ、被爆国として核兵器の非人道性を訴え、核保有国の世論を変えていく努力だ。被爆者たちは期待と不信のはざまで、日本政府の新たな一歩を待っている。


むっちゃん最後の笑顔、胸に刻む 広島原爆の日
 「8月5日 日曜日 晴(中略)小西さんと泳ぎに行った。私はちっともよう泳がないのに、皆んなよく浮くなと思ふとなさけなかった。今日は大へんよい日でした。これからも一日一善と言ふことをまもらうと思う」
 今年4月から、リニューアルされた広島平和記念資料館(広島市)で展示されている「むっちゃん」と呼ばれた当時12歳の石崎睦子さんの日記だ。1945年8月5日の出来事が記されている。その隣には被爆地で見つかった上着。原爆が投下された瞬間まで、少女の日常があったことを無言のまま物語る。
 8月6日の朝。麦わら帽子を買うための代金を母親にもらって、うれしそうにしていたむっちゃん。「行って帰ります」。玄関から、ちょこんと横顔を出して家族に笑顔を見せた。
 日常は突然、壊れた。午前8時15分。1発の原子爆弾が広島を襲った。やけどで皮膚がただれた人たちが、水を求めてがれきの街をさまよった。足や手など体の一部がなくなった遺体がいたる所にあふれ、行方が分からなくなった子どもを探す母親の悲痛な叫び声が響いた。戦後、被爆者は放射線が及ぼす後遺症や理不尽な差別に苦しんだ。
 広島県立広島第一高等女学校の1年だったむっちゃんは、爆心地からわずか800メートルの場所で建物の強制疎開の作業をする予定だった。とても晴れていたあの日。日差しも強かったかもしれない。楽しみにしていた麦わら帽子は、ちゃんとかぶれたのだろうか。
 むっちゃんは帰ってこなかった。京都府城陽市の榎郷子さん(83)は姉のむっちゃんが、家族に向けた最後の笑顔を胸に刻む。なぜミカンを食べさせてあげられなかったのかと、戦後ずっと悔いたまま亡くなった母の姿も。
■後悔の姿、脳裏に
 郷子さんは被爆当時、国民学校(現在の小学生)5年生の11歳だった。広島県立広島第一高等女学校(現在の中学生)2年になる長姉と1年の「むっちゃん」と呼ばれる次姉石崎睦子さんは、午前7時半ごろに出掛けた。三女の郷子さんは仕事が休みだった父の秀一さんと一緒に過ごそうと、学校に行かなかった。
 父と母の安代さんとちゃぶ台を囲んでいると、ふいに周囲が暗闇に包まれ、同時に絵に描いたような稲妻が走ったのが見えた。
 母がとっさに郷子さんの手を取り逃げようとしたが、爆風に巻き込まれた。母はガラスが全身に突き刺さって血まみれとなり、父は庭に吹き飛ばされた。郷子さんは奇跡的に無傷だった。
 「うちへ直撃弾が落ちた」。近所の人たちが口々にそう言って家からはい出てきた。当時は原子爆弾なんて知らない。誰もが焼夷弾だと思っていた。あたりを見渡せば荒廃した街が広がり、大人たちも理解ができずに呆然としていた。
 出血がひどく意識がもうろうとする母を連れ、父と3人で避難した。皮膚が垂れ下がり、重油をかけたように体が真っ黒になった人たちが、市の中心部から逃げてきた。息が絶え、倒れた人もいる。川を渡る時には死体が上流から続々と流れて来た。それを踏み越え、押しのけながらひたすら前に進んだ。
 「できるだけ、死体は踏まないようにまたいでました。でも、怖いというのはなかったです。普通じゃないんですよね、まひしてますよね」
 工場に動員されていた長姉は、近くの山に逃げて無事だった。しかし、爆心地からわずか800メートルほどの場所で建物疎開の作業をしていたむっちゃんの行方は分からなかった。
 3日目ぐらいに火が収まり、父は連日、むっちゃんを探して広島の街を歩き回った。声を枯らし、何度も「石崎睦子」と叫んだ。
 10日ほど経っただろうか、郷子さんが父に連れられて探した日があった。むっちゃんらが作業していた周辺で、地面にあった瓦の間に布きれが見えた。引っ張ると、上着だった。胸に縫い付けていた名札には「廣島第一縣女 石睦子 血液型エ型」の文字。「父は見つかった時、ほおーって顔してました。これは睦子のじゃあって」。上着は父の大島つむぎを母が仕立て直したものだ。
 「むっちゃんの上着だけあったんよ」と告げると、母は上着を抱きしめて号泣した。日記も見つかり、戦後もずっと肌身離さず大事にしていたという。
 遺体は見つからなかった。形見は、父が1994年に上着を、長姉が2004年に日記をそれぞれ広島平和記念資料館に寄贈した。平和を実現する一助になることを願って。
 郷子さんは資料館には行ったことがない。何も感じずに死体を乗り越えて逃げた、「心が止まった」時のことを思い出すのが怖いからだ。
 郷子さんは戦後、母がミカンを食べている姿が記憶にない。「母があの時になんで食べさせてあげなかったのかと、泣いていたのを覚えてます」と話す。
 72年前の8月5日に何気ないこんな家族の会話があった。珍しくミカンの瓶詰が手に入った。むっちゃんが「これ食べたいね」と言うと、母は「こういう日持ちのするものは、いざという時のためだから」と諭した。「ほうじゃね」と、むっちゃんはうなずいた。
 被爆から約40年後、母が亡くなる日。急に体調不安を訴えて何も食べていないことを心配した父がミカンを勧めた。「ミカンは苦い。いらん」。そう言って母は断ったという。
 「あの悲惨な思いは、もう嫌じゃないですか。みんなで知恵を出し合って、もう核兵器を作らない、使わない世界を目指さないと」。犠牲者を弔うため学校のあった地には石碑が立ち、毎年8月6日には追悼式が開かれている。
 今年も鎮魂の日を迎える。郷子さんは京都から、むっちゃんたちに祈りをささげる。


広島原爆投下72年 核禁止条約、日本の責務
 米軍による広島への原爆投下から72年を迎えた。核廃絶運動は今、新たな地平に立っている。核兵器を非合法化する史上初の国際法「核兵器禁止条約」が7月に国連で採択されたからだ。
 しかし、唯一の被爆国である日本は、核保有国などと共に交渉に参加しなかった。核廃絶を願う被爆者への裏切りであり、無責任極まりない。「核のない世界」に向けて国際的役割を果たすべきだ。
 72年前、広島と長崎に落とされた2発の原子爆弾で21万人以上もの命が奪われた。命を取り留めても、健康被害や就職・結婚での差別、2世への影響などに苦しめられてきた被爆者は多い。原爆は生涯影響を及ぼす悪魔の兵器だ。
 核兵器禁止条約には国連加盟国の6割超に当たる122カ国が賛同した。核兵器の開発、実験、製造、保有、移譲を禁じ、さらに「使用するとの威嚇」、つまり核抑止力も明確に否定している。
 いざ核を使えば、人類の存亡や環境にとって不可逆的な地球規模の被害をもたらす。その非道な兵器に、そもそも人類の安全保障を依存していいのか。冷戦時代の思考、呪縛から脱却することを考えないといけない。
 条約前文には「核兵器使用による被害者(ヒバクシャ)の受け入れ難い苦しみと危害に留意する」と明記された。日本の被爆体験が条約の根幹をつくり、採択に至るまでに、被爆者を中心とした息の長い国際的な核廃絶運動が原動力になったと言える。
 にもかかわらず、日本は米国の「核の傘」の下にあるとして、条約に背を向けた。核の悲惨さを最も熟知し、1994年以降23年連続で核廃絶の国連決議を主導してきた姿勢と矛盾する。基地問題と同様、米国に配慮し追従に走る政府の姿が垣間見える。
 オバマ米政権が昨年「核の先制不使用」を検討した際も、反対を貫く日本の説得は難しいとして断念に至った事実も明らかになった。失望を禁じ得ない。
 核軍縮の動きは停滞している。核拡散防止条約(NPT)の再検討会議は2年前に決裂した。一方で北朝鮮は核実験を繰り返している。
 こうした脅威に核保有国は「条約は非現実的だ」と批判するが、核抑止力の正当化にくみするわけにはいかない。
 核廃絶が国際規範となった意義は大きい。条約の実効性を高めるためにも、今後は保有国などにも参加を呼び掛ける努力を粘り強く続けたい。日本は保有国と非保有国に生じた溝を埋める「橋渡し役」を率先して担うべきだ。
 保有国を動かすには国際世論の後押しも欠かせない。現在「ヒバクシャ国際署名」運動が繰り広げられている。2020年までに世界中で数億人分を集める目標だ。
 平均年齢80歳を超えた被爆者の体験をしっかりと継承し、「核兵器の終わりの始まり」につなげていきたい。


[原爆の日]消えた日常想像しよう
 72年前の8月6日は月曜日で、広島の空はよく晴れていたという。
 午前7時すぎに鳴った警戒警報は間もなく解除され、それぞれの1日が始まろうとしていた。
 午前8時15分、米軍のB29爆撃機から原子爆弾が投下された。
 強烈な爆風と熱線、放射線によって爆心地から半径2キロに及ぶ市街地の建物のほとんどが破壊され、その年の暮れまでに約14万人が亡くなった。
 きょう広島は「原爆の日」を迎える。
 平和記念公園で開かれる式典には被爆者や遺族のほか、世界80カ国の代表が参列し、死没者の霊を慰め、恒久平和を祈る。
 「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」との文言が盛り込まれた核兵器禁止条約が、7月に国連で採択されてから初めての原爆忌である。
 今回、核兵器禁止を明文化した国際条約文書の誕生を報告するため参列するという人も少なくない。
 広島市の松井一実市長は式典で読み上げる平和宣言で条約に触れ、日本政府に「核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう」促す予定だ。被爆者の体験に根差した「良心」と、為政者が発揮すべき「誠実」さを訴えるという。
 唯一の被爆国でありながら条約制定交渉会合への参加を見送った日本の首相は、犠牲者や被爆者を前に何を誓うのか。
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 核兵器禁止条約は核兵器の使用や保有、実験だけでなく、使用をちらつかせる脅しも禁じる画期的なものである。
 戦後、体験を通して被害の実相と核兵器の非人道性を訴えてきた被爆者の取り組みが条約の原点にもなっている。
 国連加盟国の6割を超える122カ国が賛成したにもかかわらず、核保有国や米国の「核の傘」に頼る日本は交渉に参加していない。
 政府にも言い分はあるだろうが、平均80歳を超える被爆者が「生きている間に核兵器のない世界を」と訴えているのである。その願いを踏みにじり国際社会の期待を裏切る誠実さに欠ける対応だ。
 被爆者の体験を核廃絶につなげていくため、困難ではあっても核抑止論を乗り越える道を示さなければならない。保有国に核廃絶を働き掛ける真の橋渡し役になることが日本の責務である。
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 昨年度、広島市の原爆資料館には過去最多となる約174万人が訪れた。オバマ前米大統領の訪問や戦時中の呉市が舞台のアニメ映画「この世界の片隅に」のヒットなどが影響したとみられる。
 普通の家庭に少しずつ戦争が入り込む様子を描いた「この世界−」は、原爆で壊される直前まであった暮らしのいとおしさが伝わる作品だ。
 核兵器禁止条約を採択した国連の会合で被爆者の女性が「亡くなった一人一人に名前があり、誰かに愛されていた」と語ったことを思い出す。
 原爆によって奪われた一人一人の日常を想像しながら、その死を悼みたい。


きょう72年 広島原爆の日 核兵器のない世界を
広島に原爆が投下されてから6日で72年となります。核兵器を法的に禁止する歴史上、初の条約が国連で採択されてから初めてとなる「原爆の日」で、被爆地・広島は、犠牲者を追悼するとともに核兵器のない世界に向けた訴えを国内外に発信します。
原爆投下から72年となる6日、広島市の平和公園には夜明け前から被爆者や原爆で亡くなった人の遺族などが訪れ、追悼の祈りをささげています。
広島市内に住む被爆者の82歳の女性は、70代で亡くなった同じ被爆者の夫の遺影を手に娘と一緒に慰霊碑を訪れ、祈りをささげました。女性は原爆の日に慰霊碑を訪れるのは初めてだということで、「自分にとって最後になるかもしれないのでこの日にこの場所に来て『平和になるように』という思いで祈りました。核兵器禁止条約はできましたが、日本が参加していないのは理解できません。核兵器はないほうがいいです」と話していました。
また、広島県呉市の高校で英語を教えているアメリカ人の36歳の男性は、毎年8月6日に平和公園を訪れているということです。男性は「最も悲しいことは犠牲者の中に罪のない多くの子どもたちがいたことです。アメリカ人の中にはいまだに偏った見方で当時のことをとらえている人もいます。この悲劇を繰り返さないためにもこの場所を訪れ、歴史と向き合うべきです」と話していました。
6日の平和記念式典は安倍総理大臣や世界80か国の代表が参列し、午前8時から始まります。式典ではこの1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人5530人の名前が書き加えられた、30万8725人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められます。そして原爆が投下された午前8時15分に参列者全員で黙とうをささげます。
世界の核軍縮をめぐっては、先月、国連で歴史上、初めて核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」が、非核保有国が中心となって採択されましたが、核保有国や核の傘のもとにある日本などは条約に反対の立場を示し、核兵器の廃絶にどうつなげていくかが課題となっています。
広島市の松井一実市長は「平和宣言」の中で、「各国政府は、核兵器のない世界に向けた取り組みをさらに前進させなければならない」としたうえで、日本政府に対して「核保有国と非保有国の橋渡しに本気で取り組んでほしい」と求めることにしています。
また、被爆者団体やNGOが街頭での署名活動などを行うことにしていて、原爆投下から72年となる6日、広島は、原爆の犠牲者を追悼するとともに被爆者の悲願である核兵器のない世界に向けた訴えを国内外に発信します。


被爆の原点に立ち返れ/原爆の日
 広島は6日、「原爆の日」を迎える。長崎も9日に原爆犠牲者を慰霊する式典を開いて、被爆地から反核と平和のメッセージを全世界へ発信する。
 原爆投下によって両市は壊滅、多くの大切な命が奪われた。「核兵器の非人道性」は言うまでもない。あれから72年。核攻撃の生き地獄を知る歴史の証人は、年々減っている。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいる。長い歳月の経過により、被爆体験の風化を懸念せざるを得ない。
 しかし、唯一の被爆国として、日本は核兵器の非人道性を後世に伝え、国際社会の先頭に立って核廃絶を唱道していく特別の責任がある。それは、被爆国が人類全体に負う道義的、倫理的な責務でもある。
 被爆国の非核と平和は岐路に立たされている。人類無二の被爆体験という原点に立ち返りたい。
 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼き殺されざるを得なかった肉親と、その場で永遠の別れをした被爆者が大勢いる。そうした経験から、生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。
 そんな残酷でつらい思いをほかの誰にも二度とさせてはならないとする「反原爆」の強靱(きょうじん)な哲学が被爆者が核廃絶を希求してきた背景にある。
 憂慮すべきなのは核保有国の現状だ。「核なき世界」を唱え広島を訪れたオバマ氏に代わり米大統領となったトランプ氏は、核兵器の刷新・増強を進める意向だ。
 ロシアのプーチン大統領も呼応するかのように、質的な核軍拡に動いており、米ロの間に新たな核軍縮の機運は何ら感じられない。
 北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返して、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。
 国連で今年7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が採択されたが、核保有国は無視を決め込んだ。
 日本は、米国が差し掛ける「核の傘」を優先して条約交渉に参加せず、被爆体験を土台に紡がれてきた「非核の国是」が踏みにじられようとしている。
 核保有国と同盟国は核抑止力を国家安全保障政策の根幹に位置付けてきた。確かに安全保障と抑止力は重要かもしれないが、核兵器にだけ固執する必要はないはずだ。


原爆投下72年 核廃絶へ問われる足元
 広島はきょう6日、長崎は9日に「原爆の日」を迎える。原爆投下から72年。被爆者や遺族の高齢化が進む中、惨禍が二度と繰り返されないよう世界に向けて訴える。核兵器を非合法化する初の国際条約「核兵器禁止条約」が7月に採択されたばかりだ。その意義深い年に迎える原爆の日を心に刻み、核廃絶に向けて着実に歩みを進めたい。
 条約は、核兵器の使用や保有、開発に加え、核抑止力を意味する「核兵器を使用するとの威嚇」などを禁止する。核兵器がもたらす破局的な結末には対応不可能とし、その存在を「全人類の安全保障」に関わる問題と位置付けた。国連本部で122カ国の賛成により採択され、9月に発効する見通しだ。
 条約の前文には「ヒバクシャ」が被った受け入れ難い苦痛と危害に留意することが盛り込まれた。被爆者団体は「核兵器のない世界の実現という念願が、やっと具体的な形で現れた」などと条約採択を歓迎する。
 被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は、今年3月末時点で16万4621人。前年から9459人減り、交付開始以降で最少となった。平均年齢も81・41歳となり高齢化が進んでいる。過酷な体験をいかに継承し、世界へ伝えられるかが課題だ。
 ところが、唯一の被爆国として核廃絶を訴えてきた日本政府は、禁止条約の制定交渉に参加しなかった。米国、ロシア、中国などの核保有5大国や北朝鮮も不参加だ。
 日本政府は「条約は核保有国と非保有国の分断を深める」とし、双方が参加できる枠組みが必要と主張。核開発を進める北朝鮮が国際社会の深刻な脅威になっているとし、「現実的な視点」が欠かせないと強調した。
 そもそも日本は世界に核廃絶を訴える一方、自国防衛では米国の「核の傘」に依存し、核兵器の有効性を認めるという矛盾を抱えてきた。政府はそれを「現実的」と表現するが、果たしてそうか。核抑止力には核抑止力をと、双方がエスカレートしかねない危険をはらんでおり、日本の足元が問われている。
 北朝鮮を含む北東アジアの非核化への道筋を提言する長崎大学核兵器廃絶研究センターの鈴木達治郎センター長は「核兵器を使って脅すことが、本当に日本が望む抑止力なのか。核抑止論から脱却する方法を模索すべきだ」と指摘する。
 北朝鮮が国際社会の制止を聞かず核やミサイル開発を進めているため、ペナルティーとしての強硬論に目が向きがちだ。鈴木センター長は「経済制裁とともに対話が必要。まずは米中と北朝鮮による対話の場を模索すべきだ」と語る。日韓にも制裁の一方で、民間などさまざまなルートを通じ北朝鮮と接触する努力が求められるという。
 核兵器廃絶という大きな流れの中で日本が何をなすべきか、北朝鮮問題などを通じて改めて考える必要がある。


原爆の日 国は被爆地の声を聞け
 きょう6日は広島、9日は長崎の原爆の日。原爆投下から72年を迎えた夏、核廃絶をめぐる二つの流れがくっきりと浮かび上がった。
 国連で7月に採択された核兵器禁止条約に対して、被爆地と日本政府の姿勢が分かれたことだ。
 両市が式典で読み上げる平和宣言は、いずれも条約に言及。広島市の松井一実市長は政府に対して、核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう訴える。
 長崎市の田上富久市長は条約採択を評価。さらに一歩進めて日本が条約に参加するよう求める。核抑止力に頼った安全保障政策の見直しも政府に迫る。
 条約は核兵器の保有と使用はもちろん、製造、実験、配備、移転も禁じる。核兵器による威嚇も許さない。核兵器が使用されてから初めて、人類がたどりついた歴史的な一歩だ。
 条約の前文には「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)の受け入れ難い苦しみと被害に留意する」という一文があった。被爆者が長年訴えてきた核の非人道性を、国際社会が受け止めた証しだ。
 だが、条約を採択する国連の交渉会議から、唯一の被爆国である日本は姿を消した。核保有国とされる9カ国が条約に反対、または無視。その「核の傘」の下にある日本や韓国、ドイツなども足並みをそろえたためだ。
 核兵器をなくせば安全保障上の脅威が生じ、抑止力に影響を及ぼしかねない。この論理は、紛争が絶えない世界で力を持ち続けている。
 北朝鮮の核・ミサイル開発は国際社会の大きな脅威になった。米本土に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)が現実味を帯び、6回目の核実験もささやかれている。
 この現実を前に米国の「核の傘」に頼らざるを得ないという意見ももちろんある。しかし、抑止力とは、ある意味で「信頼関係」がなければ成立しない。
 今の米国と北朝鮮はその関係を築けるだろうか。むしろ偶発的な衝突が怖い。その時は韓国と日本が巻き込まれる危険性が大きい。
 不毛な核のパワーゲームが続いている。核保有国と非保有国の対立も解消しない。核兵器におびえずに原爆の日を迎えられるのは、いつのことになるだろう。
 困難な道だが、北朝鮮の核を除去するためには圧力と対話による外交的手段を尽くしながら、条約の目指す理想を求めていくしかない。
 政府には今からでも被爆地の流れに寄って、核廃絶の流れを太くするよう求めたい。悲劇を二度と繰り返さない。その先頭に立つ責務が日本にはあるはずだ。


あすへのとびら 広島原爆の日に 幅広く担い手を育てたい
 広島はきょう「原爆の日」を迎えた。9日は長崎である。
 米軍による原爆投下から72年。被爆者らが求め続けてきた核兵器禁止条約が7月上旬、国連で採択された。
 条約を弾みに核廃絶の道筋を付けたい―。この夏はこんな決意を新たにする人が多いのではないか。
 核兵器の製造や保有、使用などを全面的に禁止する史上初の国際法である。国連加盟国の6割を超える122カ国が賛同し、「核兵器なき世界」を願う国際世論の強さを示した。
   <核禁止条約の重み>
 広島、長崎の両式典で読み上げられる平和宣言はともに禁止条約の意義に触れる。長崎の田上富久市長は、条約に反対した日本政府に参加を求める見通しだ。
 条約の採択にようやくこぎ着けたのは、日本の被爆者が国際社会に向かって核惨禍の実態を訴え続けたことが大きい。
 日本全国で被爆者健康手帳を持つ人は2016年度末で16万4621人。10年前より約8万7千人も減った。平均年齢は82歳に近づいている。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)によると、会員の高齢化で活動を停止したり、解散したりする地方組織が出ている。
 先細りが懸念される中、被爆2世の動きが目立ってきた。2世だけの組織も幾つかあり、活動の継承が進んでいる。
 長野県内では被団協が結成された1956年、広島や長崎などとともに、いち早く県原爆被害者の会(長友会)ができた。
 中心となったのは、広島で被爆した後、松本市に移り住んだ前座良明さんだ。2009年に亡くなるまで、原爆症による体調不良に悩まされながらも熱心に被爆者支援に取り組んだり、被爆体験を語り続けたりしてきた。
 長男の明司さん(69)は父の生前、被爆時の生々しい話を聞くことはほとんどなかった。が、良明さんの死が背中を押した。直後に長友会の会員になり、今年から副会長を務める。
 明司さんは名刺に「被爆2世」と明記した。「自分の世代が核廃絶の先頭に立っていくという気持ちを示したかった」と話す。2世や3世だけでなく、市民や若者とどう連携し、活動の幅を広げていけるかが、課題と考える。
 指針はある。父が生前よく語っていた「今日の聞き手は明日の語り手」という言葉だ。原爆や被爆の話を聞いた人は、感じたことを自分の周囲の人に話してほしいとの思いが込められている。
 松本大学4年生の宮阪絢子さん(23)は、松本市が平和事業の一環で昨年4月に立ち上げた大学生の組織「松本ユース平和ネットワーク」に参加している。11月に初めて長崎を訪れた。市内に残る原爆の傷痕を見て、被爆当時の話を聞いて衝撃を受けた。
 「知識でしかなかった被爆が、初めて自分の身の回りで起きたことのように思えた」
 ネットワークのメンバーは、市内の中学校などに出向き、原爆に関する出前授業も行っている。中学生は年齢が近いこともあり、熱心に耳を傾けた。被爆者でなくとも語り手になれることを示した事例といえるだろう。
 被団協などは昨春から核廃絶を求める国際署名を始めた。県内は知事をはじめ、77市町村長が署名した。全ての首長が署名したのは全国でも異例である。
 署名の推進団体には作家の窪島誠一郎さんや戦争体験を歌う活動をしているシンガーソングライター清水まなぶさんも名を連ねる。長友会のほか、政党や労組の路線対立で分裂して原水爆禁止世界大会を開いている原水協と原水禁の県組織も加わり、柔軟な体制で取り組んでいる。
 禁止条約は発効の見通しが付いたけれど、現実は厳しい。米ロ英仏中の核保有五大国に加え、米の「核の傘」に依存する日本などは条約に背を向ける。北朝鮮は核・ミサイル開発にまい進し、不安をまき散らしている。
 核拡散防止条約(NPT)で核保有五大国には核軍縮が義務付けられているのに、本気で取り組む気配もない。逆に核抑止力を重視する姿勢を強めている。被爆者らの思いは複雑だ。
   <市民の力は大きい>
 原水爆禁止世界大会が広島で初めて開かれたのは1955年だった。米国の水爆実験による第五福竜丸事件を機に東京・杉並の主婦らが始めた署名運動が幅広い共感や賛同を集め、大会に結実したことはよく知られる。
 禁止条約を機能させるには、保有国に圧力をかける世界的なネットワークを築く必要がある。長野県をはじめ、日本の市民がその担い手になれないだろうか。その力があるはずだ。


原爆の日 核廃絶への決意問われる
 広島と長崎に人類史上初めて原爆が投下されてから、72回目となる鎮魂の夏が巡ってきた。
 きょう6日は広島市で、9日には長崎市で「原爆の日」の平和式典が開かれる。犠牲者に祈りをささげるとともに、核廃絶と不戦への誓いを新たにしたい。
 今年は7月に核兵器禁止条約が国連本部での条約制定交渉会合で採択された。その一方で、北朝鮮が核・ミサイル開発を加速させ、核の脅威が高まっている。
 核兵器の非人道性を知る唯一の被爆国として、廃絶へ向けた決意が例年以上に問われている。
 核兵器禁止条約は、核兵器の開発や実験、使用などを全面禁止するものだ。122もの国が賛成し採択された。
 前文には「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と明記され、核軍縮や平和教育の重要性も指摘されている。
 まさに、広島、長崎の被爆者らの思いが実を結んだ、歴史的、画期的な条約といえる。
 ところが日本政府は、条約には事実上反対した。交渉が始まった直後の演説で、核保有国抜きの交渉は国際社会の分断を深めるとして不参加を表明していたからだ。
 条約は「核兵器を使用する」と威嚇することも禁じている。核抑止の考え方自体を否定するものといえ、米国は同盟国に不参加や反対を働き掛けた。
 北朝鮮がミサイル発射訓練を繰り返し、米国の「核の傘」の重みが増しているのが実情といえる日本としては、苦渋の選択を迫られたのだろう。
 核禁止条約について米英仏は、安全保障環境の現実を無視していると反発し、日本も含め署名しない方向だ。
 だが、このまま核保有国と非保有国の溝が深まれば、北朝鮮を利するだけだ。唯一の被爆国として、保有国と非保有国の橋渡し役を担うことこそが、日本の責務なのではないか。
 原爆の日の式典では、広島市の松井一実市長は平和宣言で、「憲法が掲げる平和主義を体現するため」として、政府に核保有国と非保有国との橋渡しに本気で取り組むよう求める予定だ。
 長崎市の田上富久市長も条約参加へ転じるよう求めると同時に、憲法の平和理念を世界に向けて発信することを政府に注文する。
 昨年はオバマ前米大統領が現職の大統領として初めて広島を訪れ、「核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と演説した。
 米国の大統領は、そのオバマ氏から核戦力強化を公言するトランプ氏に代わった。北朝鮮も挑発を繰り返している。
 しかし、オバマ氏の広島訪問を契機とした核なき未来への歩みを逆戻りさせてはならない。
 オバマ氏と広島を訪れた安倍晋三首相は「核兵器のない世界を必ず実現する」と表明したはずだ。
 唯一の被爆国として、核廃絶に向けてどう主導的な役割を果たしていくのか。言葉だけでなく、行動力が問われている。


72年目の原爆忌 非人道的な安保観見直せ
 1961年の国連演説で、ケネディ米大統領はギリシャの故事を引いて言った。
 「地球に住む全ての人間が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている」
 その剣は細い糸でつるされている。糸はいつ切れても不思議ではない。事故か誤算か、あるいは狂気によって―。
 広島はきょう6日、「原爆の日」を迎える。長崎も9日に原爆犠牲者を慰霊する式典を開き、被爆地から反核と平和のメッセージを全世界へ発信する。
 半世紀以上も前のケネディ演説を思い出しながらヒロシマ、ナガサキと連帯したい。
 ■減る歴史の証人■
 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼かれていく肉親。それを、なすすべもなく見守るしかなかった大勢の被爆者。「核というダモクレスの剣」がもたらしたのは、まさに生き地獄だった。そんな経験から、自分が生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。
 原爆投下から72年。こうした歴史の生き証人は年々減っている。厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で16万4621人。この1年間で9581人が亡くなり、平均年齢は81歳を超えた。
 広島、長崎両市が主催する式典には毎年、各都道府県の遺族代表が参列する。しかし長崎の場合、今年の式典には16県が欠席するという。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいるのが実情だ。
 ■いつでも発射の恐れ■
 一方、世界には約1万5千発の核がある。このうち1800発はいつでも発射できる「高度警戒態勢」に置かれているという。たとえ事故であっても、いったんボタンが押されれば核攻撃の応酬となり、世界は破滅のふちへと追いやられる。
 そこで「核なき世界」を唱えたのがオバマ氏だった。昨年は現役の米大統領として初めて広島を訪れた。ところが、代わって大統領となったトランプ氏は核兵器の刷新・増強を進める意向だ。
 呼応するかのように、ロシアのプーチン大統領も質的な核軍拡に動いている。米ロの間には核軍縮の新たな機運は何ら感じられない。
 さらに懸念されるのは北朝鮮である。弾道ミサイルの発射を繰り返し、日本や韓国だけでなく米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。
 唯一の明るい兆しといえるのはことし7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が国連で採択されたこと。しかし、九つの核保有国は無視を決め込んだ。傲慢(ごうまん)であり愚かだとの、そしりは免れないだろう。
 ■核抑止論は非人道的■
 責任の一端は、唯一の被爆国日本の政府、為政者にもある。そもそも条約交渉に加わることさえしなかった。「核保有国が参加しないまま交渉を進めれば、国際社会の分断が深まる」との理由だったが、「核の傘」を提供してくれる米国に配慮したのは明らかだ。
 世界を滅ぼしかねない核兵器は「実際には使用できない兵器」といわれる。使えば報復され、自国も破滅するからだ。そこで核保有国同士、その力を均衡させて平和を保とうという核抑止論は、現実的に見える。
 しかし、それは極めて非人道的な安全保障観だとの指摘もある。自国を守るためならヒロシマ、ナガサキの惨劇が他国で繰り返されても構わないという前提に立っているからだ。
 長崎の田上富久市長は9日の平和宣言で政府に対し、禁止条約に参加し、核兵器に依存する安全保障政策を見直すよう提言するという。人類無二の悲惨な体験をした被爆地として当然だろう。核を持たない多くの国々が望むのも、こうした主張に違いない。


広島原爆の日 世界の「溝」埋め核軍縮を
 広島はきょう、「原爆の日」を迎えた。人類が初めて経験した原爆の惨禍から72年。核兵器を初めて非合法化した「核兵器禁止条約」が先月、国連で採択された。この歴史的な一歩を弾みに、核軍縮を前進させたい。
 原爆の日を前に、リニューアルオープンして3カ月余りの広島市の原爆資料館の東館を訪ねた。
 改装で新設されたのが、1945年8月6日の原爆投下前後を再現した街の模型だ。原爆を落とした側の目線ではあるが、コンピューターグラフィックス(CG)映像が投影され、一瞬にして街が破壊されたことが伝わる。地上では大勢が、もがき苦しむ惨状が広がっていたに違いない。
 館内で目立つのが、アジアや欧米からの外国人観光客である。家族連れや若者、高齢者が展示に見入っていた。
 資料館に足を運んだ外国人は昨年度、過去最多の約37万人で、ここ5年で4倍近くになった。入館者に占める割合は21%に上っている。
 オバマ前米大統領が昨年5月に訪問した影響もあろう。オバマ氏同様に資料館で被爆の実相に触れ、心を動かされた海外の指導者は多い。
 そうして高まった「核兵器なき世界」を求める機運が実ったのが核兵器禁止条約である。前文には「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と明記した。国連加盟の6割以上の122カ国が採択に賛成し、核廃絶を願う国際世論を示した意義は大きい。
 だが、核軍縮を巡る現実は厳しい。米国、ロシアなどの核保有国は条約の制定交渉に参加しなかった。核の全面禁止は現実的でないとの主張だ。米国の「核の傘」に入る日本などもこれに従った。
 世界にはなお約1万5千個もの核弾頭がある。核拡散防止条約(NPT)は米ロなど5カ国に核兵器の保有を認める一方、核軍縮の義務を課しているが、進まない。それどころか、1月に就任したトランプ米大統領は核戦力の強化を公言し、核超大国へ再びかじを切り始めた。
 さらに懸念が募るのが、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射や核実験などの暴挙を続ける北朝鮮である。
 こうした脅威を考えれば、安全保障上、米国の核の傘に頼らざるを得ない。それが日本政府の考えである。それでも、核兵器の非人道性を訴え、核軍縮へ努力を重ねることが、唯一の戦争被爆国として日本の責務であることを忘れてはならない。
 禁止条約の採択では、核保有国と非保有国の溝があらわになった。広島市の松井一実市長はきょう、平和記念式典で読み上げる平和宣言で、日本政府に両者の橋渡しに本気で取り組むよう訴える。
 核保有国と非保有国の溝を埋めながら、核兵器の残酷さを粘り強く訴えねばならない。そのためにも、さらに多くの人が広島や長崎を訪れるようにも働き掛けたい。


ヒロシマ72年 核兵器を断じて使うな
 <あなたの国では、夏にはどんな花が咲きますか? 私の国では、夏はとても暑くて、花はあまり咲きません。それなのに、不思議に赤い花だけがたくさん咲きます>
 被爆2世の作家朽木祥さんの短編小説「カンナ―あなたへの手紙」(「八月の光―失われた声に耳をすませて」所収)の書き出しだ。あの日、九つの祖母は四つだった弟とピカに遭う。やけど一つなかったのに、弟は焦土のカンナの花をめでて程なくみまかる。祖母は孫に彼のことを忘れないよう最後にこいねがい、この小編は次のように結ばれる。
 <あなたの国では、夏にはどんな花が咲きますか。すさまじい力に打ち倒されてもまた咲いた、カンナのような花がきっとあなたの国にもあるでしょう>
 ▽採択は大きな節目
 この一節はヒロシマ・ナガサキの、いわば想像力を表現したのではないか。あの日から72年。人類史上初の核攻撃を受けた都市の被爆者や市民は、この世界で戦後起きた非人道的な行いにしばしば異議を唱え、犠牲を強いられた国の復興と民の再起に思いをはせてきた。むろん、みたび核兵器を使用させないと訴え続けてきたことは言うまでもない。
 その意味で、ことしは大きな節目を迎えた。核兵器禁止条約が122カ国の賛同を得て国連で採択されたのである。核兵器を非合法化する初の国際法だ。使用はもちろん、開発や製造、保有など関連することを全面的に認めない。
 底流にあるのは、国際社会で近年注目されてきた「核兵器の非人道性」という概念である。核軍縮は倫理的責務であり「核兵器なき世界」を急ぎ実現させなければならないという決意を示したといえよう。採択へ動いてきた多くの非保有国に被爆地から敬意を表したい。
 交渉議長国のコスタリカが示した草案段階から、前文に「hibakusha(ヒバクシャ)」が受けた苦痛を心に刻む、との文言が加えられたことも決意の表れだろう。そのヒバクシャを「核兵器使用の被害者」とし「核実験に影響された人々」の苦難にも言及した。
 ▽「抑止論」にも異議
 「歴史の証人」として現存する第五福竜丸などの遠洋漁船が米国の核実験の「死の灰」を浴びた日本にとっても、重要な定義といえよう。私たちが生きる核の時代は、民から土地を奪い、命と健康を脅かす核実験によって少なからぬ国々に爪痕を残してきたのである。
 さらに、核兵器使用をほのめかす「威嚇」も禁止の対象にした点は「核抑止論」の否定を意味する。核による脅しがもたらす平和は真の平和ではあるまい。ところが、核保有国はおろか被爆国日本までが、条約とりわけ威嚇禁止のくだりについて無視あるいは冷淡さをもって応じていることは納得できない。
 広島市の松井一実市長は、けさ読み上げる平和宣言で「良心」や「誠実」という言葉を何度も用いる。「規範」と言い換えてもいいだろう。核兵器の実戦使用を縛ってきた規範が今、崩れゆく恐怖がある。人類の名において、核を断じて使うな、使わせるな、脅しとしても用いるな、と私たちも強く主張する。
 「ヒロシマ演説」を残したオバマ氏に代わって米大統領となったトランプ氏は、核兵器の刷新や増強を進めている。ウクライナ政変の際には核兵器使用を準備していたと平然と口にしたロシアのプーチン大統領も、質的な核軍拡に動いている。米ロの間に新たな機運を何ら感じられない核軍縮の冬の時代だ。
 加えて北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返し、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。米ロと同様、この独裁国家もまた核使用のリスクを高める要因に違いない。
 ▽艦載機飛行自粛を
 日本が保有国と非保有国を「橋渡し」すべきだという見方は、衆目の一致するところだろう。しかし米国の「核の傘」を絶対視して日米同盟の強化をうたい、条約交渉には参加しない安倍晋三政権にその役割は果たせそうもない。
 長崎市の田上富久市長は9日の平和宣言で、政府に対し核兵器に依存する安全保障政策の見直しを求めるという。安全保障は重要だが、条約によって明確に「悪の烙印(らくいん)」を押された核兵器にこれ以上こだわる必要はないはずだ。
 被爆地の新聞として私たちは昨年、オバマ氏が広島を訪れるに際し、日米同盟の緊密さをこの地で強調するのは控えてほしいとも主張した。この地はそのような「貸座敷」ではない。だが先日、米海兵隊岩国基地(岩国市)への艦載機移転を6日ごろから始めるという、この地の感情を逆なでする情報がもたらされた。
 艦載機移転に対する賛否を別にしても、原爆の犠牲者を静かに悼む日に、あの日を思い起こさせる米軍機の機影を一機たりとも見せてはならないし、爆音をとどろかせてはならないはずだ。きょうの飛行の自粛を強く求めたい。
 ことしは長崎の動員先で被爆した作家林京子さんの訃報を聞いた。不意の熱線で絶命した教師が「なぜ」という驚きの表情のままだったと、短編小説「道」にある。原爆が過去の問題なら書かないと語った上で、冷戦下の日本への核持ち込みを強く批判し、非核三原則の堅持を求めた評論が本紙に残っている。
 72年の歳月が流れても原爆は過去の問題になっていない。それでも諦めることなく核廃絶を求めなければならない。核兵器禁止条約を支えた国々の存在が、私たちを勇気づけてくれていよう。


改めて被爆の原点に
 広島はきょう「原爆の日」を迎える。長崎も9日に原爆犠牲者を慰霊する式典を開き、被爆地から反核と平和のメッセージを世界に発信する。
 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は今年3月末時点で16万4621人、平均年齢は81歳を超えた。1年間で9581人が亡くなった。核攻撃の悲惨さを体験した証人は年々減っている。
 広島、長崎両市が主催する式典には毎年、各都道府県の遺族代表が参列するが、長崎での今年の式典には16県が欠席だという。被爆者に加え、遺族の高齢化も進んでいる。
 原爆投下から72年。長い歳月の経過により、被爆体験の風化を懸念せざるを得ない。
 しかし残虐兵器を実戦使用された世界唯一の国として、日本は「核兵器の非人道性」を後世に伝え、国際社会の先頭に立って核廃絶を唱道していく特別の責任がある。それは、被爆国が人類全体に負う道義的かつ倫理的な責務でもある。
 「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことをしのぶと、今でも耐えられない気持ちになります」。広島の松井一実市長は原爆が投下された午前8時15分の直後に読み上げる平和宣言で、当時15歳だった被爆者の言葉を紹介する予定だ。
 倒壊した家屋の下敷きになって身動きが取れず、迫り来る炎に焼き殺されざるを得なかった肉親と、その場で永遠の別れをした被爆者が大勢いる。そうした経験から、生きていることに負い目すら感じる被爆者もいる。
 そんな残酷でつらい思いを他の誰にも二度とさせてはならないとする「反原爆」の強靱(きょうじん)な哲学が、被爆者が核廃絶を希求してきた背景にある。
 松井市長は宣言で、被爆者の体験に根差した「良心」と、為政者が発揮すべき「誠実」さを訴える考えだ。なぜ今この時、被爆地が「良心」と「誠実」を強調せざるを得ないのか。
 大きな理由が二つあるだろう。まず憂慮すべき核保有国の現状だ。「核なき世界」を唱え広島を訪れたオバマ氏に代わり米大統領となったトランプ氏は、核兵器の刷新・増強を進める意向だ。
 ロシアのプーチン大統領も呼応するかのように、質的な核軍拡に動いており、米ロの間に新たな核軍縮の機運は何ら感じられない。北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返し、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようとしている。
 国連で今年7月7日、核兵器の開発や保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が採択されたが、九つの核保有国は無視を決め込んだ。 そして、もう一つの理由は被爆国日本の政府、為政者に「誠実」さが足りないことだ。米国の「核の傘」を優先して条約交渉に参加もしなかった。
 長崎の田上富久市長は9日の平和宣言で政府に対し、禁止条約に参加し、核兵器に依存する安全保障政策の見直しを提言する方針だ。安全保障と抑止力は確かに重要だが、核兵器にだけ固執する必要はないはずだ。
 安倍晋三首相が改憲を模索する中、被爆国の非核と平和は岐路に立たされている。人類無二の被爆体験という原点に立ち返りたい。


原爆の日 「核なき世界」再生の決意新たに
 また盛夏が巡ってきた。広島はきょう、長崎は9日に72回目の「原爆の日」を迎える。
 米軍は1945年、両都市に人類史上初めて原爆を投下し、壊滅的被害を与えた。死者はその年だけで21万人に上り、放射線は今も被爆者の健康に深刻な影響を及ぼしている。それなのに世界には今もなお1万5千発もの核弾頭が存在している。核兵器廃絶を強く国内外に訴え、核軍縮の動きを確実に前に進めていかねばならない。
 昨年5月、現職の米大統領として初めてオバマ氏が広島を訪問し、「核なき世界」実現への取り組みを強調した。訪問は原爆被害の悲惨さを再認識させ、世界の目を被爆地に向けさせる機会となった。実際、海外から原爆資料館に訪れる人は大幅に増加している。その目には被爆の実相が焼き付いたはずだ。これを核廃絶につなげてこそ意義がある。
 だが「オバマ後」の核を巡る国際情勢は混迷を深めている。今年1月に就任したトランプ米大統領は、前政権の方針転換に躍起で、核に関しても「核戦力で他国に後れを取ることは決してない」と核戦力強化に意欲を示した。北朝鮮は国際社会の警告を無視して核やミサイルを開発し挑発を繰り返している。核拡散リスクは冷戦後、最も高まっていると言わざるを得ない。
 核拡散防止条約(NPT)は核兵器保有を米ロ英仏中に限定し核軍縮を義務付けているが、空洞化は明らかだ。世界の9割超の核弾頭を保有する米ロの交渉はウクライナ危機の対立で停滞している。包括的核実験禁止条約(CTBT)も発効されておらず、非保有国が不満を募らせるのは当然だ。
 国連で先月、非保有国が提案した核兵器を非合法化する「核兵器禁止条約」は、122カ国が賛成し採択された。核削減に背を向ける保有国への対抗策である。しかし保有国は段階的軍縮を主張し、条約を批准しない方針を示している。保有国抜きでは実効性が疑問視されるが、それでも核兵器を「絶対悪」とする国際ルールを確立した意味は重い。忘れられつつある「核なき世界」を再生させる決意を新たにしたい。
 理解できないのは、条約の交渉にすら参加しなかった日本政府の態度だ。唯一の戦争被爆国は国是として「非核」を掲げているにもかかわらず、日米同盟の下で米国の核抑止力への依存を公言する。矛盾した姿勢は被爆者や非保有国を失望させた。核廃絶には抑止論からの脱却が不可欠である。核なき安全保障の展望を早急に描くべきだ。
 被爆者の平均年齢は3月末で81歳を超えた。被爆者団体の解散が相次ぎ、被爆体験を次代に伝えていくことが年々難しくなっている。壮絶な記憶は簡単に継げるものではない。だが、その証言に触れ、平和の願いを伝え続けていくことが今を生きる世代の責任である、と一人一人が胸に刻みたい。


原爆の日 被爆国の使命を果たそう
 1945年8月6日、人類史上初めて、広島で原子爆弾が使われた。3日後には長崎に落とされた。それから72年になる。
 広島では約14万人、長崎では約7万4千人が亡くなった。一瞬で命を奪われた人、水を求めて苦しみながら息絶えた人。筆舌に尽くし難い悲劇を、二度と繰り返させてはならない。
 きょう広島で、9日には長崎で、平和を祈念する式典が開かれる。犠牲者を悼み、核兵器廃絶への誓いを新たにしたい。
 昨年の原爆忌から1年がたち、核兵器を取り巻く状況は大きく変わった。
 一つはトランプ米大統領の登場であり、もう一つは、核兵器禁止条約が国連で採択されたことだ。
 トランプ氏は核戦力の拡大に意欲を見せている。核軍縮でロシアと合意した新戦略兵器削減条約(新START)の見直しも示唆した。
 昨年5月、現職米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏が、「(核保有国は)核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と決意を表明したのとは、全く逆の姿勢だ。
 そうした変化に怒りと危機感を抱いた国々が選んだのが、核兵器を非合法化する道だった。核軍縮の機運が後退する中、国連加盟国の3分の2に迫る122もの国が条約に賛成したのは当然だろう。
 広島、長崎の被爆者による半世紀以上にわたる叫びが、その動きを強く後押しした。
 ところが、残念なことに、核兵器の非人道性を最もよく知る唯一の戦争被爆国である日本は条約に反対し、参加しなかった。米国の「核の傘」の下にあるというのが理由だ。核兵器は「絶対悪」ではなく、「必要悪」だというのだろうか。
 きょう広島の式典で読み上げられる平和宣言は、禁止条約に触れ、「核保有国と非保有国との橋渡し役に本気で取り組むよう」政府に訴える。長崎の平和宣言も、条約参加に転じるよう求める。
 安倍晋三首相は、被爆地の声に真摯(しんし)に耳を傾けてもらいたい。そして参加へかじを切り、米ロなど条約に反対する核保有国に範を示すべきだ。被爆国としての使命はそこにある。
 被爆者の平均年齢が81歳を超え、体験者は年々少なくなっている。そんな中、広島、長崎両市は体験講話のビデオ化などに加えて、証言を伝承する語り部の養成に取り組んでいる。
 悲惨な体験を語り継ぎ、次世代に伝える営みが、惨禍を防ぐ力になる。絶対に風化させないという被爆地の意志を、私たちはしっかりと受け止めなければならない。
 徳島県内でも、平和を願う集いが各地で行われる。毎年恒例の行事も多いが、大人だけではなく、子どもたちの姿があるのは心強い。
 平和のバトンを未来へ、確実につないでいきたい。


【原爆の日】逆行している日本の姿勢
 第2次大戦で、米軍が広島に原爆を投下してから、きょうで丸72年になる。
 史上初めて使用された核兵器は、町を一瞬にして崩壊させ、何万人もの命を奪った。非情なきのこ雲は3日後、長崎にも上がった。
 核兵器は究極の大量破壊兵器だ。敵国を民間人もろとも壊滅させる非人道的な武器であり、どのような理由であれ、正当化することはできない。原爆の日に改めて強調しておきたい。
 戦後の冷戦下、国連常任理事国5カ国は特権を得て核兵器の開発と保有を進めてきた。広島、長崎の惨劇は教訓になるどころか、抑止力として利用された。
 冷戦終結後も、実験禁止や削減の動きがあったものの基本的な構図は変わっていない。5カ国は非核の実現を目指すことなく、大国の論理で保有を続けている。
 不拡散の責任も不十分だった。北朝鮮などの核開発を許し、核を巡る新たな緊張を生んだ。
 日本は唯一の戦争被爆国だ。ビキニ環礁での米国の水爆実験でも漁船乗組員が被ばくした。核の悲劇と、非核の重要性を最も国際社会に訴えていかなければならない国だ。
 ところが、現実は逆行している。米国の「核の傘」に入り込み、出ようとしない。
 国連で7月、核兵器禁止条約が圧倒的多数で採択された。歴史的な日だったが、日本政府代表の姿はなかった。核保有国とともに不参加だった。条約の実効性にブレーキをかける側に回ったといっていい。
 確かに中国や北朝鮮の軍事的な脅威は増している。特に北朝鮮は核やミサイル開発を続け、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験も行った。
 だからといって日本は核の抑止力に依存し、緊張を高める側に立つのか。核廃絶を米中にも北朝鮮にも呼び掛け、核を取り除く方向に力を注ぐのが被爆国の姿勢であろう。
 日本のありようが疑われるのは、それだけではない。
 オバマ前米大統領が任期の末期、「核の先制不使用」を米政府として打ち立てようとしたが、日本などの反対表明で頓挫した。核軍縮に向けた重要な一歩にできただけに日本政府の対応は大いに疑問だ。
 民生分野にも課題がある。日本政府は原発の使用済み核燃料を再処理・再利用する核燃料サイクル事業に固執し続けている。
 再処理をすると核兵器の原料にもなるプルトニウムが生じる。これを高速増殖炉やプルサーマル発電の燃料に用いる計画だが、利用は進まず破綻状態にある。
 事業継続はプルトニウムの生産を続けることを意味する。到底、国際理解は得られまい。日本の核武装を懸念する声も増すだろう。
 これでは日本の平和への訴えは響かない。原爆犠牲者の無念をいま一度、胸に刻み、被爆国として姿勢を自戒する必要がある。


[広島原爆の日] 核廃絶を主導する責任
 広島はきょう、被爆から72年の「原爆の日」を迎えた。
 平和記念式典には約80カ国と欧州連合(EU)の代表らが参列し、被爆地から反核と平和のメッセージを世界に発信する。
 核兵器の生き地獄を知る人たちの悲しみや無念をしのび、不戦の誓いを新たにしたい。
 日本は唯一の被爆国として、核兵器の非人道性を後世に伝え、国際社会の先頭に立って核廃絶を訴えていくことが求められる。重い責任と使命をしっかり自覚しなければならない。
 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は3月末時点で16万4621人で、平均年齢は81歳を超えている。被爆体験の風化を防ぎ、どのように次世代に継承していくかも大きな課題だ。
 平和宣言で、松井一実広島市長は核兵器を「絶対悪」と断じ、核使用は人類として決して許されない行為だと訴える。
 行動理念として提示するのは、被爆者の体験に根差した「良心」と、為政者が発揮すべき「誠実」さだ。依然として核を巡り憂慮すべき現状があるからだ。
 今年7月、「核なき世界」への歴史的な一歩が刻まれた。国連で100カ国以上が賛成して採択された「核兵器禁止条約」である。
 条約は核兵器を非合法化する史上初の国際法だ。被害者として「ヒバクシャ」と明記し「受け入れがたい苦痛」に言及した。制定を後�向けた機運を高める必要がある。


原爆投下から72年 広島市で犠牲者の追悼続く
人類史上初めて核兵器の惨禍を経験した広島は、6日原爆が投下されてから72年になりました。午後からは、時折雨が降りましたが、広島市の平和公園にある原爆慰霊碑の前は、鎮魂の祈りをささげる人の姿が途切れず、広島では犠牲者を追悼するとともに核兵器の無い世界の実現を改めて国内外に訴える一日が続いています。
広島市の平和公園で、午前8時から行われた式典には、80か国の代表を含むおよそ5万人が参列しました。式典では、この1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された人5530人の名前が書き加えられた、30万8725人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められました。そして原爆が投下された午前8時15分に、参列者全員で黙とうをささげました。
ことしは、歴史上初めて核兵器を法的に禁止する条約が国連で非核保有国が中心となって採択されたことを受け、広島市の松井一実市長は、「平和宣言」の中で、「各国政府は、核兵器の無い世界に向けた取り組みを、さらに前進させなければならない」と訴えました。そのうえで核保有国や核の傘の下にある日本などが条約に反対の立場を示していることから、日本政府に対し、「核保有国と非保有国の橋渡しに、本気で取り組んでほしい」と要請しました。
また安倍総理大臣は、条約には言及せず、「核兵器国と非核兵器国、双方に働きかけを行うことを通じて国際社会を主導していく」と述べました。
6日の広島市は、日中の最高気温が、ことし最も高い37度まで上がり、72年前と同じように暑い一日となりました。午後からは時折雨が降りましたが、平和公園にある原爆慰霊碑の前には、被爆者や遺族、それに外国人などが長い列を作り、静かに手を合わせて祈りをささげています。
爆心地から2キロの場所で被爆し、母親の行方が今もわからないままだという広島市西区の81歳の女性は、「あの日は、いたるところに遺体が横たわっていて、言葉では言い表せないほどひどい状況でした。戦争の無意味さを多くの人に知ってもらい、これからは戦争が無くなって平和になってほしいと思います」と話していました。また原爆で家族を亡くした広島市西区の73歳の男性は、「亡くなった祖母や母のことを思い出して、非常につらい気持ちになります。それでも『広島原爆の日』には、毎年ここを訪れて安らかに眠ってほしいと祈っています。人の命を簡単に奪ってしまう原爆は、絶対に許せません」と話していました。
原爆投下から72年となった広島では、犠牲者を追悼するとともに核兵器の無い世界の実現を改めて国内外に訴える一日が続いています。


原爆投下から72年 慰霊の灯籠流し 広島
広島に原爆が投下されてから72年になる6日、広島市内を流れる川で犠牲者の霊を慰める「灯籠流し」が行われました。
灯籠流しは地元商店街の関係者やボランティアでつくる実行委員会が毎年8月6日に行っています。
広島市中区の原爆ドームのそばを流れる元安川には、川岸に被爆者やその遺族などが集まり、赤や白、黄色などの紙が貼られた色とりどりの灯籠を川に流しました。
灯籠には亡くなった人の名前や「世界が平和になりますように」といったメッセージが書かれ、集まった人たちは川に浮かんでゆっくりと漂う明かりを見つめて手を合わせていました。
灯籠流しに参加した広島市の22歳の大学生は、「去年、91歳で亡くなった私の祖母は被爆者でしたが、戦争の話をあまり聞くことができませんでした。若い世代が戦争や原爆の悲惨さを伝えていければと思います」と話していました。
灯籠流しは6日午後9時半まで行われ、およそ8000個の灯籠が犠牲者の霊を慰めます。


亡き妻の分も広島の原爆を伝える 兵庫の男性、平和記念式典に初参列
 「米寿(88歳)まで一緒に生きよう」。72年前の夏、広島でともに被爆し、こう誓い合った妻は82歳で逝った。妻の死後、夫は2人の被爆体験を子供たちに伝える活動を始めた。広島市で6日開かれる平和記念式典に兵庫県遺族代表として初めて参列し、妻ら原爆死没者の慰霊碑の前でこう呼びかけるつもりだ。「あなたたちの分も私は生きて、ずっとお母さんのこと、原爆のことを伝えていくから」。(有年由貴子)
 昭和20年8月6日、爆心地から1・7キロの中学校の校庭にいた兵庫県宝塚市の下桶敏之さん(86)は、強烈な閃光に包まれ、爆風に吹き飛ばされた。「熱い、熱い」「家に連れて帰ってくれ」。血まみれで目が覚めると、顔が判別できないほど大やけどを負った級友らの無残な姿。火の海の中、近くの道や川では人が重なり合うように死んでいた。
 女学校生だった佳子(よしこ)さんも、爆心地から2・3キロの軍需工場で被爆し、倒壊した建物の下敷きなった。お互い命は助かったが、2カ月後にはほとんどの髪の毛が抜け落ち、原爆で多く同級生や身内を失った。
 2人は戦後、就職先の銀行で出会った。当時は被爆者への偏見から、「被爆した娘は結婚できない」と噂された時代。被爆の事実は周囲に隠しつつも、お互いだけには打ち明けた。「背中に大きな傷があるんよ」。3歳年上の佳子さんは声をひそめ、教えてくれた。昭和33年に結婚。九州を訪れた新婚旅行では、「米寿まで一緒にいようね」と翁の博多人形を買って帰った。
 毎年8月6日が近づくと、原爆や当時の苦しかった思い出を話が尽きるまで語り合った。36年には長女が誕生し、2人で泣いて喜んだ。仕事柄、全国を転々とし、最終的に宝塚市に居を構えた。
 もともと体が弱かった佳子さんは、さまざまな病に苦しめられた。平成14年にC型肝炎を患っていることが発覚すると、その後も手術を繰り返した。「家内の苦しみの原因が原爆にあることを国に認めてほしい」。下桶さんが原爆症認定に奔走するなか、佳子さんは肝臓がんで22年3月に亡くなった。認定が下りたことを知った5日後だった。
 佳子さんの死後、遺品を整理していた下桶さんは日記を見つけた。そこには感謝の言葉がつづられていた。
 「お嫁には行けないと諦めていたけど、お父ちゃんが結婚してくれてよかった。ありがとね」「いつもいつも2人で原爆の話を笑いながらでもできたね。それが楽しかった」。読み返すと、今でも涙が止まらない。闘病生活の苦しみをほとんど口にすることがなかったが、日記では「負けてはならじ原爆の子よ」と強がる一方、「淋しいよ」「やせ我慢」と心の内も吐露していた。
 「原爆に遭わなければもっと違う人生だったはず。原爆は死んだ者も、生き残った者も苦しめる」。佳子さんの死をきっかけに、下桶さんは、地元の被爆者の会の世話役や小学校などでの�はっきり言って」と心情を吐露した。
 江崎氏は記者団の取材後、本紙の取材に対して、役所の原稿を朗読するとした発言の真意について「自分の思いで話すと、どこかで揚げ足を取られかねない。間違えたことを言ってはいけないという意味。答弁書を自分でチェックした上で読む」と説明した。北方領土問題に関しては「今まで専門に携わっていないということ」と釈明した。
 江崎氏は内閣改造前日の二日、首相からの入閣要請を「激務をこなせる自信がない」としていったん断った。直後に派閥会長の二階俊博幹事長から説得され、入閣に応じた経緯がある。
 江崎氏は、父の故江崎真澄元通産相の秘書などを経て一九九三年に衆院に初当選し、現在六期目。国土交通副大臣や衆院消費者問題に関する特別委員長などを務めた。


科学的特性マップ公表 処分地議論を前進させよ
 経済産業省は、高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)の最終処分地選定に向け、科学的観点での適性度合いを日本地図で示す「科学的特性マップ」を公表した。世耕弘成経産相は「最終処分の実現に向けた重要な一歩であると同時に長い道のりの一歩」と強調。今後、処分地選定議論を活性化させる方針だ。
 原子力利用に伴い、発生した使用済み核燃料を再処理する際に出る廃液を固めたガラス固化体は、極めて強い放射線を長い期間にわたって出し続ける。
 六ケ所村の日本原燃施設内には現在、2176本のガラス固化体が保管されている。貯蔵期間は青森県や村と原燃が結んだ協定で最大50年と決められており、県と国には県内を最終処分地にしないとの確約もある。三村申吾知事は「一時貯蔵を前提に、核燃料サイクル施設の立地協力要請を受諾している」と強調する。
 だが、最初に海外から返還された分を貯蔵してから既に22年が経過。この間、処分地選定は一向に進まなかった。県内には搬出が履行されず、なし崩し的に最終処分地化する事態を懸念する声もある。世耕経産相は青森県を最終処分の候補地から除外する方針を示すが、早期選定へ?みを進めることが重要であり、これ以上の議論の停滞は許されない。
 特性マップ公表に対して県内自治体の評価は分かれた。サイクル施設が立地する下北地域の首長からは「国が前面に立つ姿勢の現れ」と歓迎の声が上がったが、それ以外の地域は「コメントを差し控える」(八戸市)「県内を最終処分地にしないとする取り決めがあり、コメントしようがない」(三沢市)など静観の姿勢が目立った。全国でも議論の深まりを期待する声と不安が交錯しており、処分地選定の難しさを浮き彫りにする。
 これまでの国は前面に立つ姿勢が欠如していた。交付金と称したアメをぶら下げ、名乗りを上げる自治体を待つ受け身の手法は混乱も生んだ。高知県東洋町が処分地の文献調査に応募しながら反対運動で撤回を余儀なくされた。これを受け、国は自治体への申し入れ方式も取り入れたが、実現しなかった。
 東京電力福島第1原発事故で高まった国民の原子力不信は消えておらず、選定のハードルはより高くなったと言えよう。こうした中で、いかに国民的議論を醸成するか。アメを使った手法はもう通用しない。議論を前進させるため、国は真(しん)摯(し)な姿勢で丁寧な説明を尽くさなければならない。

オプンキで人が多い/模擬授業??/携帯メール設定/

ブログネタ
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Montréal souligne les 72 ans du bombardement d’Hiroshima
Le maire de Montréal, Denis Coderre, accompagné du Consul général du Japon à Montréal, M. Hideaki Kuramitsu et du président de la Fondation du Jardin et du Pavillon japonais, M. Luc Vanasse, rendra hommage aux victimes du bombardement d’Hiroshima en 1945, samedi soir, au Jardin japonais du Jardin botanique.
La Cérémonie de paix de Montréal se tiendra en simultanée avec celle organisée à Hiroshima. Samedi à 19 h 15, instant précis où la bombe a été larguée en 1945, Denis Coderre et Hideaki Kuramitsu feront résonner la cloche de la paix, 72 fois, à la mémoire des milliers de victimes du bombardement atomique.
C'est l'une des rares occasions où l'on peut entendre cette cloche, offerte à la Ville de Montréal par la Ville d’Hiroshima en 1998, lors de la signature d’une entente de jumelage.
Le 6 août 1945, la bombe projetée sur la ville d’Hiroshima faisait plus de 140 000 victimes.
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助けて!きわめびと「イライラする私にさようなら!」
毎日イライラすること、ありますよね?でも、適切な訓練をすれば、イライラしない脳へと変えられるんです。それが、今話題の「マインドフルネス」。イライラは、過去や未来を思い、雑念にのみこまれることから起こります。マインドフルネスは、今この瞬間に意識を向け、雑念から離れます。その手がかりは、なんと「呼吸」。すぐに実践できる心の筋トレを伝授します。生活にマインドフルネスを組み込み、イライラにさよならしよう! 藤井隆,濱田マリ,小野塚康之, マインドフルネス…木蔵シャフェ君子, 菱田盛之,木元美香
えぇトコ「湖国の夏!味めぐり 人めぐり 〜滋賀 野洲・湖南〜」
びわ湖の南に位置する野洲市と湖南市。湖と大地の豊かな恵みを礎に、伝統が大切に受け継がれている。伝統漁法の「えり漁」で水揚げされる鮎。漁師の家に代々伝わる佃煮そしてかき揚げなどを堪能する。野洲の伝統野菜・吉川ごぼう、そして湖南の伝統野菜・下田なす。ともにそのまま生で食べても、やわらかくみずみずしい。これを使った農家の家庭料理も絶品。とっておきの味、それを伝える人の思いと出会う湖国の旅。 西村知美,木下ほうか, 島よしのり,橋本のりこ

今日はオプンキです.わたしは関係ないけれど人が多いです.初めて知りました.親子づれもいました.
模擬授業??でHyさんが若者をしばき倒しています.
携帯メール設定がわからないので守口まで行きました.親切な人で良かったです.

河北抄
 梅雨明け後、さえない天気が続く。汗が噴き出る盛夏はどこへやら。今夜は仙台七夕花火祭。せめて夜空は、うっとうしさを吹き飛ばしてほしい。
 汗をかくなら、体を動かして心地よく、といきたい。「激しい運動はちょっと…」という人も、気軽に楽しめるスポーツがある。ストリートラグビー。先日、石巻市で体験会があった。
 ルールは簡単。3人対3人でプレーし、危険なタックルに代わり「タッチ」して相手の動きを止める。「ボールを前に投げない」「ディフェンスを抜いてゴールにトライ」などラグビーの基本はそのままに、広い場所がなくても年齢、性別、経験の有無を超えて参加できる。
 「東日本大震災で被災した街ににぎわいを」と石巻ラグビーフットボール協会の佐々木勝男会長は意気込む。
 ラグビーワールドカップ日本大会開幕まで2年。仙台市が断念したキャンプ地誘致に挑む石巻市の審査結果発表も近い。東北唯一の会場となる釜石市の試合日程が決まるのもそう遠くない。ラグビーが一段と身近になりそうだ。


震災遺構の荒浜小でやぎと草取り
東日本大震災の教訓を伝える震災遺構として公開されている仙台市の荒浜小学校で、校庭などに目立ってきた雑草を取り除こうと、市の職員らが3頭のやぎと一緒に草取りをしました。
仙台市若林区の荒浜小学校は、震災の津波が校舎の2階まで達し、子どもたちや教員などは屋上などに逃れて全員が救助されましたが、地区ではおよそ200人が犠牲となり、改修工事をした上で、ことし4月30日から震災遺構として一般に公開されています。
公開開始から3か月が過ぎ、校庭などに雑草が目立ってきたことから、仙台市ではやぎを飼育している東北工業大学のグループに協力してもらい草取りを行うことにしたもので、市職員と大学の関係者などあわせておよそ20人が3頭のやぎと一緒に草取りをしました。
市の職員らが鎌などを使って雑草を取り除いていく中、3頭のやぎは、ゆっくり校庭を歩きまわりながら雑草を食べていました。
市によりますと、5日の4時間の作業で20キロほどの雑草を除去できたということです。
仙台市防災環境都市推進室の柳谷理紗主任は、「きょうはやぎの力を借りて楽しみながら草取りができました。今後も多くの人たちに訪れてもらえるようさまざまな人の力を借りて、震災遺構の維持管理に努めたい」と話していました。


被災地の若者 東京で語る
東日本大震災の当時、小中学生だった被災地の若者が、地元の復興のために続けてきた取り組みや被災地の現状について語る催しが都内で開かれました。
この催しは、今後の被災地支援のあり方を考えようと東洋大学が企画したもので、首都圏の大学生ら40人が参加するなか、震災当時、小中学生だった若者が被災地の現状について語りました。
このうち、南三陸町出身の小野寺翔さん(21)は、これまで東京の大学生らを対象に被災地をまわるツアーに取り組んできたことを報告し、「被災地の出身者とそうでない人の間で震災の認識にギャップがあると感じています。被災者自身が震災を語り継ぐことが重要だと思います」と話していました。
また、岩手県山田町の高校生6人は、町に活気を取り戻したいと月に1、2回、地元の人たちが集まれるカフェを開いてきたことを報告し「地域の人とのふれあいを通して学ぶことが多く、喜びを感じています」と話していました。
催しを企画した東洋大学社会学部の森田明美教授は「震災を語り継ぐ活動など、被災地の若者が自主的に行っている取り組みが長く続けられるように今後の支援のあり方を考えていきたい」と話していました。


「桃鉄」から「三鉄」へ さくまあきらさん2000万円寄付
 ゲームソフト「桃太郎電鉄」の作者さくまあきらさん(65)が4日、岩手県庁を訪れ、ふるさと納税を活用し、東日本大震災で被災した第三セクター三陸鉄道の支援金2000万円を寄付した。
 達増拓也知事に目録を手渡したさくまさんは「ゲームに取り入れさせてもらった恩返しをしたかった。復興の象徴である三陸鉄道と地域のため活用してほしい」と話した。
 三陸鉄道の中村一郎社長は「大事な節目を迎える時期に、多額の寄付をいただくことができた。有効に活用したい」と感謝した。
 さくまさんは震災後、被災地を何度も訪問し、昨年12月に震災復興をテーマにした桃太郎電鉄の新作「2017 たちあがれ日本!!」を発売。ゲームには三陸鉄道の久慈駅などが登場する。
 県はふるさと納税による寄付金の使途に三陸鉄道の支援を加えている。10万円以上を寄付するとオーナー証が贈られるが、さくまさんは高額のため名誉オーナーに認定された。
 三陸鉄道は2014年4月に全線再開。19年3月にはJR山田線の宮古−釜石間の運営を引き継ぎ、久慈市から大船渡市を結ぶ鉄道になる見通し。


<気仙沼みなとまつり>東京海洋大の練習船を一般公開 祭り盛り上げ
 実習航海で気仙沼湾に寄港した東京海洋大の練習船「神鷹(しんよう)丸」(986トン)が4日、一般公開された。東日本大震災からの復興を支援するため2012年に気仙沼市と連携協定を結んだ同大が、5日に始まる「気仙沼みなとまつり」を盛り上げようと企画した。
 市朝日町の商港岸壁に寄港した練習船の船内を一目見ようと、市内外から約300人が参加。乗船する同大の3年生約40人がガイドを務めた。
 参加者は学生の説明を聞きながら、操舵(そうだ)室にある最新鋭の機器や航海日誌などを興味深く見学した。南三陸町伊里前小6年の阿部世和さん(11)は「船を動かすハンドルはすごく重かった。機械の多さに驚いた」と話した。
 ガイドを務めた市出身の柏隼人さん(20)は「漁業に対する関心の高さを感じた。地元の人が楽しんでくれてうれしい」と話した。


<涼・宮城>県に停止要請「女性330人の署名集めた、一刻も早く削除を」
 タレント壇蜜さん(秋田県横手市出身)が出演する仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会の観光PR動画に対し、新日本婦人の会県本部などは4日、性的な表現が不快だとして、県に配信停止を申し入れた。
 メンバー約20人が県庁を訪れ、吉田祐幸経済商工観光部長に要請書を提出。婦人の会県本部の佐々木ゆきえ会長は「約330人の女性から賛同の署名が集まっている。一刻も早く削除してほしい」と求めた。
 動画には県議会の野党4会派が配信中止を要望。県に電話やメールなど県内外から意見が約300件寄せられ、うち9割が批判的な内容だという。投稿サイト「ユーチューブ」の再生回数は約280万回に達している。


<山形大アカハラ自殺>「ばれたら進級できない」学生、報復恐れ相談せず?
 山形大工学部(米沢市)の男子学生が助教のアカデミックハラスメント(アカハラ)を苦に自殺した問題で、学生は自殺前、ハラスメントに関する学内の窓口に相談するよう勧めた父親に「(助教に)ばれたら進級できなくなる」という趣旨の話をしていたことが4日、大学が設置した第三者調査委員会の報告書で分かった。学生が誰にも相談できないほど、助教の報復を恐れていた可能性が浮かび上がった。
 学生は3年生だった2014年度の後期、希望する研究室に進めず、助教の研究室への配属が決まった。助教の評判が悪いことを知って思い悩んでいた際、父親が窓口の利用を促した。学生は4年生になった15年4月から、助教の研究室に所属。助教は長時間の説教をするなどのアカハラを繰り返したとされる。
 両親は調査委の聞き取りに対し、学生が15年8月に大学院入試を受けた際も、周囲に「(助教に)何を言われるか分からないから」と言って、大学院での研究室変更を希望しなかったと話している。
 両親は大学と助教に損害賠償を求めて山形地裁に提訴。調査委の報告書は自殺とアカハラの因果関係を認定しており、7月25日の第1回口頭弁論で証拠として提出された。大学側は答弁書で、報告書は「聞き取りが不十分」などとして因果関係を否定している。


【科学的特性マップ】最終処分の出発点に
 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)を最終処分できる可能性のある地域を日本地図に示した「科学的特性マップ」を経済産業省が公表した。政府は昨年中に提示する方針を先送りしてきただけに、ようやくといった感がある。
 最適とされた地域で秋以降に説明会を重点的に開き、候補地選定に向けた調査への理解を広げるとしているが、マップの内容も選定基準もあまりに曖昧だ。長年の課題解決への出発点にしなければ意味がない。調査受け入れの可否を地元が判断するための材料をまずはしっかりと明示するよう求めたい。
 最終処分の候補地になり得るとされた適地は国土の7割近くを占める。このうち海岸から約20キロの範囲は最適地とした。ただ、火山や活断層、鉱物資源の有無など自然科学的観点から色分けし、人口密度など社会的観点は除外したため、都市部を含め全域が適地とされた県も複数ある。現実性に欠けると感じた人は多いのではないか。
 説明会を開くにしても、日本列島の沿岸部のほぼ全域が対象とされた中で、どこからどんな理由で始めるのかを分かりやすく示さなければ、理解どころか、反発や拒否感が広がる懸念さえある。
 最終処分では、使用済み核燃料の再処理過程で発生した高レベル放射性廃棄物をガラス固化体にして金属製容器で包み、地下300メートルよりも深い岩盤に造った坑道に埋める。国内では、最終処分場がないまま原発が新増設され、核のごみはたまり続けてきた。東京電力福島第一原発事故後も変わらず、最終処分の見通しが何もないまま国内原発は再稼働の流れにある。
 国は公募や協力要請に応じた地域での調査の実施を想定しているが、文献調査の受け入れを表明した首長が辞職に追い込まれた例もある。説明会では、地層処分の妥当性や安全性を示す前に、最終処分場を整備する必要性自体をしっかりと伝え、理解を得る積み重ねが欠かせない。
 県内にも適地や最適地があるとされたが、世耕弘成経産相は候補地から除外する考えを示唆している。一方で政府には、原発事故による除染廃棄物を中間貯蔵施設から30年以内に県外で最終処分する責務がある。
 核のごみと除染廃棄物の最終処分問題は、候補地選定の手順や課題などに共通する部分が多いはずだ。核のごみ問題が立ち往生すれば影響が及びかねない。今後の政府の取り組みを厳しく見ていく必要がある。(五十嵐稔)


津軽弁をAIで標準語に変換研究
青森県の津軽地方で、ほかの地域から来た医師と、患者が意思疎通する際などに役立てようと、AI=人工知能を使って、津軽弁を標準語に変換し、内容を要約する研究を、弘前大学と東北電力が共同で始めました。
青森県の津軽地方にある弘前大学の付属病院では、これまで、ほかの地域から来た医師が、地元の津軽弁を十分に理解できず、患者との意思疎通に時間がかかるケースがありました。
このため、弘前大学の保健学研究科は、東北電力と共同でAIを使って、津軽弁の音声を標準語に変換し、内容を要約する研究を今月から始めました。
研究では、東北電力のコールセンターで蓄積した津軽弁の音声データを活用するほか、青森県鯵ヶ沢町の住民にも協力してもらい、津軽弁の独特の言い回しやイントネーションをAIが正確に認識できるかなどの検証を進めていくということです。
研究成果は、来年1月ごろにまとめる計画で、弘前大学や東北電力は、医療現場や顧客サービスなどで実用化していきたいとしています。


誤認と公表遅れ/全く危機意識に欠けている
 なぜ同じようなことが繰り返されるのか。再々指摘している危機管理や安全意識の欠如が改善されているとはとても言い難い。
 東京電力福島第1原発の4号機近くの「サブドレン」と呼ばれる井戸の水位が一時低下し、原子炉建屋地下の汚染水の水位と逆転して、汚染水が外部に漏えいする恐れがあった。東電は当初、水位計の故障と誤認していた。
 第1原発では、建屋地下にたまる汚染水の漏えいを防ぐため、周辺の井戸を使って地下水の水位が汚染水より高くなるよう調節している。2日午後6時半ごろ、井戸の水位が低下して警報が鳴ったが、東電は水位計の故障と誤って判断し、現場も確認していなかった。
 3日午前に現場を確認したところ、水位計は故障しておらず、実際に水位が低下したと判断。同日夜になって記者会見し公表した。東電は「安易に計器の故障と判断すべきではなかった」として、今回の対応を検証するとしている。
 第1原発をきのう視察した原子力規制委員会の更田(ふけた)豊志委員長代理は「連絡の遅れは東電の姿勢に関わる問題だ。水位の逆転は最も恐れていることの一つだ」と述べ、近く東電から情報収集する考えを示した。
 建屋地下の汚染水漏えいにつながる井戸の水位低下が確認されたのは初めてであり、更田氏が東電の対応を厳しく批判したのはもっともなことだ。
 東電の企業体質を問われるような事案は後を絶たない。第1原発では昨年12月、3号機の原子炉内を冷やす注水が停止した際、ポンプの停止を知らせる警報に関して点検作業が原因と誤って判断、注水再開が遅れた。第2原発では昨年11月の地震で2〜4号機の使用済み核燃料プールから水があふれたが、東電は「第2原発は通報案件ではなかった」として公表は2日後だった。
 第1原発では3号機で溶融燃料(デブリ)とみられる物体が初確認され、9月にも取り出し方法が決まる予定であり、廃炉作業は本格化する。安全確保と危機管理の徹底は基本中の基本であり、東電はあらゆる可能性を想定した安全対策などを講じる必要がある。
 東電は6月下旬に、川村隆新会長、小早川智明新社長による新体制がスタートした。新体制発足に当たって両氏は、本県の復興に最優先で取り組み、本県への責任を果たす考えを示している。有言実行するためには、旧来の悪弊を正し、安全文化をはじめとする健全な企業風土を築くことが不可欠であることを銘記すべきだ。


<九州豪雨>発生1カ月、犠牲者に黙とう 500人超今も避難
 福岡、大分両県で36人が死亡するなど甚大な被害が生じた九州北部の豪雨は5日、発生から1カ月となった。自宅を失うなどした500人超が今も避難を続け、生活再建への不安を抱えたままだ。自治体は復旧作業を進めるとともに被災者支援に全力を挙げる。被災地では住民らが犠牲者を悼み、黙とうをささげた。
 7月には秋田県などでも記録的な大雨による浸水被害が発生。台風5号の接近に伴い、大量の土砂や流木が残る九州の被災地では二次災害への警戒が強まっている。
 福岡県の朝倉市役所では午前10時からの災害対策本部会議で森田俊介市長や市職員らが黙とうした。


九州豪雨「みなし仮設」入居進む 避難所集約へ
 36人が死亡し、5人が行方不明となった九州北部の豪雨で、被害が大きかった福岡県朝倉市は5日、市内に7カ所設けている避難所の集約を始めた。罹災証明書の発行に伴い、民間賃貸住宅を行政が借り上げる「みなし仮設住宅」への入居が進み、避難者が減少したためだ。住まい確保が生活再建につながる一方、地域のコミュニティーをどう維持するかが課題になりつつある。
 ピーク時は約1800人だった福岡、大分両県の避難者数は、被災から1カ月の5日で約530人に減り、被害が集中した朝倉市でも半分以下の485人になった。


九州豪雨1カ月 凛とした母を思い 実家跡に花を手向け
 九州北部豪雨の発生から1カ月となる5日朝、福岡県朝倉市杷木志波で犠牲になった桜木トシ子さん(86)が暮らしていた実家跡を長女の上村京子さん(60)が訪れ、そっと花束を置いた。生まれ育った広い屋敷や庭は濁流に流されて跡形もなく、今も山からの水が流れる。「安らかに眠ってください」。いつもりんとしていた母を思い、上村さんは手を合わせた。
 雨脚が強くなり出した7月5日午後3時45分ごろ、1.8キロ下流で暮らす上村さんが電話すると「髪を染めに行こうと思っていたのに無理かねえ」と普段通りの母の声。「こんな時に年寄りが白髪を気にしてどうすんの」と笑い合ったのが最後の会話になった。
 母が大好きだった山あいの渓流沿いに建つ屋敷や庭はすべて流されてしまった。9日後、桜木さんは実家から5キロ西の筑後川沿いで遺体で見つかった。
 桜木さんの子育ては礼儀作法に厳しく、上村さんら3人の娘たちには「横着な物言いをしたらいかん。相手には常に下から下から話しなさい」と言うのが口癖。45歳から習い始めた日本舞踊は名取になる腕前で、地域の敬老会でもよく披露し、豪雨に襲われるまで大分県日田市に練習に通い続けていた。2000年に夫と死別し、1人暮らしになった後も気丈で、病気の心配もほとんどなかった。
 「こんな亡くなり方をするなんて夢にも思わなかったから」。母との突然の別れに実感を持てないまま上村さんは17日に慌ただしく葬儀を済ませたが、少しずつ日常が戻ると、ふと喪失感に襲われるようになった。母の面影を求めて気づいたら発見現場をさまよっていたこともある。
 母の思い出が詰まった実家の跡地に、母が大好きだったほおずきなどを手向けた。上村さんは語った。「あの日、私の家に避難してくれていればよかったのに。それが悔やまれてならない」【佐野格、比嘉洋】


九州豪雨1ヵ月  被災者の支援に全力を
 九州北部に大きな被害をもたらした豪雨の発生から1カ月になった。
 福岡、大分両県で犠牲者は36人、行方不明者は5人に上る。2300棟を超える住宅が被害を受け、500人以上が避難所などでの生活を余儀なくされている。親族宅などに身を寄せている人を含めれば、その数はさらに多くなる。
 政府は九州豪雨を激甚災害に指定する方針だ。住宅の確保など、被災者の暮らしの再建に全力を注いでほしい。京滋からも協力と関心を引き続き寄せたい。
 非常に強い台風5号が5日以降、九州をはじめ西日本に接近する可能性がある。被災地では防災インフラがもろくなっている。十分な警戒が必要だ。
 今回の災害では大量の流木が目立つ。被災地の各地で山の表面が樹木ごと崩れ落ちた。
 流木は土石流と一緒に下流に流れ込み、住宅や橋を破壊した。橋脚に引っかかり、川の流れをせき止めたため、氾濫を広げる結果にもなった。さらに下流域に積み上がり、住宅やインフラの復旧の妨げにもなっている。
 九州は林業が盛んで、被災地でも手入れが行き届いた山林が多いという。安定しているとみられた山が崩れたのは、保水力を超える量の雨が降ったからだろう。
 山の表層が花こう岩の風化した「まさ土」から成っていることも、流木の大量発生につながった。黄色いまさ土の山は西日本に広く分布している。今回の事態はどこでも起きうる。京滋の自治体も、まさ土と流木の発生に着目した危険箇所の洗い出しや防災対策を作る必要があろう。
 被害が大きかった福岡県朝倉市では、豪雨のあった7月5日から6日までの24時間雨量が545ミリを超えた。7月の平均降水量を一晩で上回った。
 集中的な豪雨は近年、各地で発生し多大な被害を出している。京都では2013年の台風18号で桂川や由良川流域が浸水被害を受けた。
 一因は地球温暖化とみられている。温暖化の最大のリスクは予測できない極端な気象現象を起こすことだ。
 気温上昇で大気中の水蒸気が増え、雨雲や台風が巨大化する。大都市部でもヒートアイランド現象が重なり局地豪雨が懸念される。
 気象は穏やかではなくなっている。自宅近くの川や崖は安全か。通勤、通学路はどうか。避難はどうするか。身近な場所の点検から始めたい。


九州豪雨1カ月 警戒緩めず復興へ一歩を
 福岡、大分両県に甚大な被害をもたらした九州豪雨から、きょうで1カ月が過ぎた。
 死者は36人に上り、なお行方不明者5人の捜索が続く。犠牲者の無念を思えば言葉を失う。
 台風5号が九州に接近しており、上陸の恐れもある。被災地の地盤は緩んでおり、土砂災害などに引き続き厳重な警戒が必要だ。
 九州豪雨の被災地は九州一の大河、筑後川の本流や支流の一帯に広がっている。その一角で国史跡「三連水車」(福岡県朝倉市)が今月2日に再び動きだし、筑後川の水が肥沃(ひよく)な水田を潤し始めた。豪雨災害からの復旧・復興を目指す地域の象徴といえるだろう。
 被災地には今も、山間部の支流から筑後川に向けて押し寄せた土砂で全半壊した家々が並ぶ。山々には巨大な爪で引っかいたような傷痕が無数に残る。
 豪雨は先月5日、瞬く間に災害をもたらした。朝倉市の24時間雨量は約千ミリに達し、7月の月間平均雨量の3倍近くに上った。支流の多くに水位計が設置されていないことや、多くの集落で通信手段が途絶えて孤立したことなどが問題点として浮上した。
 今回の災害で大きな特徴は、おびただしい数の流木である。国土交通省は約21万立方メートルに上ると推計している。
 その多くは上流域に植林されたスギやヒノキで、道路や水田を覆って捜索や復旧を阻んだ。手入れや管理は十分だったのか。人手不足や需要低下など国策による植林の在り方も問い直されている。
 被災地では刺すような日差しが続く。避難所での不自由な生活を余儀なくされる人はなお500人以上に上る。心身の健康管理に万全を期してもらいたい。
 まさにこれからが正念場である。仮設住宅の建設が急ピッチで進む一方、特に被害が甚大だった集落では集団移転を望む声もあるという。自宅改修や就労支援など生活再建に向けた被災者の要望を丁寧に受け止め、官民の力を結集して古里の復旧・復興に取り組んでいきたい。


改憲案先送り  国民の厳しい視線受け
 自民党の憲法改正案について、安倍晋三首相は、秋の臨時国会への提示を事実上先送りする、と表明した。
 内閣改造後の記者会見で「スケジュールありきではない」と軌道修正したのは、内閣支持率の続落を気にしてのことだろう。
 5月3日の憲法記念日に、2020年の新憲法施行をめざすと宣言し、首相主導で党内の取りまとめを急がせていた。臨時国会に改憲案を示し、来年の通常国会で発議、秋に国民投票というシナリオも取りざたされた。
 「安倍1強」の勢いで改憲に突き進む姿に、多くの国民は危うさを見ていたのではないか。
 先月の共同通信世論調査で、内閣支持率が35・8%と第2次安倍政権発足以降で最低を記録し、安倍政権下での改憲に反対が54・8%もあった。
 国民の厳しい視線を、首相はもっと深刻に感じるべきなのだ。
 自民党の新執行部は、さすがに危機感を抱いているようだ。再任された二階俊博幹事長は「慎重の上にも慎重に、国民の意見をうけたまわる」と改憲への性急な議論を改める姿勢を示している。
 やはり再任された高村正彦副総裁が「憲法は党にお任せいただき、内閣は経済第一でやってほしい」と進言したところ、首相は了承したという。
 確かに首相は会見で、改憲の持論を封じ、経済最優先を強調してみせた。しかし、これまでも経済優先と選挙で訴えながら、実際はどうだったか。国の方向を大きく変える特定秘密保護法や安全保障関連法、共謀罪を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法などを、数の力で国会に通してきたではないか。
 強引な手法は、高い支持率からくる慢心が根っこにあったろう。改憲の先送りが一時しのぎなら、世論の動向を見て、再び改憲へ強行ぶりを発揮するかもしれない。
 内閣改造で問題閣僚を切り、反省を口にすることで、支持率の回復を狙っているのだろう。
 安倍氏の改憲意欲は変わっていないと見るべきだ。
 憲法記念日の改憲発言には、9条に1項、2項を残したまま自衛隊を明記する案があった。自民党草案の頭越しに、これまでの議論の積み重ねをないがしろにするものだ。
 安倍氏は「結果を出す」と繰り返す。しかし、民主主義は結果に至る過程を何よりも大切にすることで成り立つ。憲法をめぐる議論は、国民参加で時間をかけて交わすべきことだ。


憲法の岐路 日程先送り 原点に返って考えよ
 安倍晋三首相が記者会見で秋の臨時国会への自民党改憲案提示を事実上先送りする考えを表明した。
 いま憲法を変える必要性について国民の間に共通理解はない。野党は無論、与党にも慎重論がある。首相は日程先送りにとどまらず、改憲する必要がそもそもあるのか原点に返って考えるべきだ。
 首相が改憲の具体的日程を示したのは5月3日の憲法記念日だった。民間団体の会合に寄せたビデオメッセージで「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べた。
 6月にはさらに踏み込んで、自民の改憲案を臨時国会に出す考えを表明した。来年の通常国会で国民に向け改憲を発議し、国民投票に付すのが目標だ。
 首相は内閣改造後の会見では一転して「スケジュールありきではない」と述べている。日程を示したのは「議論を深めるべきだと一石を投じた」のだという。
 森友、加計学園やPKO日報の問題で、安倍政権に国民が向ける目は厳しさを増している。憲法を変えるべきかどうかは別にして、安倍首相の下での改憲に反対する人も少なくない。この状態で改憲を急ぐのは得策でない、と首相は判断したのだろう。
 今後の進め方について、自民党幹部の発言が伝えられている。
 岸田文雄政調会長は「憲法9条はさまざまな議論がある。まずは党内での丁寧な議論が必要だ。そうすることで国民の中に理解が進む」と述べた。首相の足元が揺らぐのを見て、党内にくすぶる慎重論が表に出てきた印象だ。
 高村正彦副総裁は「憲法は、これからは党にお任せいただきたい」と首相に伝えたことを明らかにしている。
 なぜいま憲法を変えるのか、首相からは納得のいく説明がない。国会などでは、戦後の占領時代に制定された憲法を変えることによって「真の独立を取り戻す」など、改憲を自己目的とするかの発言しか聞かれない。これでは与野党が一致した形で改憲を国民に向け発議するのは無理だ。
 臨時国会への自民案提示の目標は引っ込めたものの、首相は改憲そのものをあきらめたわけではない。内閣支持率の動きを見ながらタイミングを狙うはずだ。
 国民の声に真摯(しんし)に向き合う気があるのなら、首相はそうした前のめりの姿勢から改めるべきだ。


[首相と憲法改正] 「謙虚と丁寧」忘れるな
 安倍晋三首相は内閣改造後の記者会見で、自身が掲げた改正憲法の2020年施行目標や秋の臨時国会での自民党改憲案提示について「スケジュールありきではない」と、固執しない考えを示した。
 事実上の改憲日程先送りの表明である。
 会見では経済最優先の方針を強調し、「謙虚に丁寧に国民の負託に応える」と述べた。
 だが、憲法改正は首相の悲願だ。任期中の改憲を目指す姿勢は変えていない。支持率が回復すれば再び前のめりになる可能性もある。
 憲法改正については、自民党の新執行部からも拙速を避けるべき、との意見が相次いでいる。
 首相はまず「改憲ありき」を脱すべきではないか。国民世論や党内の意見に耳を傾け、自らの言葉通り、「謙虚に丁寧に」議論を進めてもらいたい。
 首相が憲法改正の目標に大きく踏み込んだのは、5月3日の改憲派集会に寄せたビデオメッセージだった。9条を維持したうえで自衛隊の存在を明記する加憲案を示し、東京五輪が開かれる20年の施行を目指すというものだ。
 6月には講演会で、秋の臨時国会に自民党の憲法改正案を提示すると表明した。
 しかし、学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画や南スーダン国連平和維持活動(PKO)日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る疑念などから内閣支持率は急落。東京都議選では惨敗の結果を招いた。
 首相の主導権が揺らぐなか、賛否の分かれる改憲への意欲を前面に掲げ続けることは、得策ではないと判断したのだろう。
 自民党新執行部役員の就任会見では憲法改正を巡り、二階俊博幹事長が「慎重の上にも慎重に、国民の意見を承る」と注意深く進める姿勢を示した。岸田文雄政調会長も「まずは自民党内での丁寧な議論が重要だ」と強調した。
 こうした党内の慎重論も、首相の発言を後退させたとみられる。
 自民党は首相の20年改憲施行発言を受けて、党憲法改正推進本部の議論を行ってきた。
 9条と教育無償化、緊急事態条項の新設、参院選の「合区」解消の4項目がテーマだ。そこで明らかになったのは、12年に決めた自民党改憲草案との整合性や教育無償化の財源論など、異論や課題の多さである。
 内閣改造後の支持率は共同通信社の世論調査で8.6ポイント上昇したが、政治不信は依然根強い。首相は国民の信頼を取り戻すためにも改憲手続きを「数の力」で押し切るような政治手法とは決別しなければならない。


「革命」よりも成果の報告を
 ★新内閣にメディアは、キャッチフレーズを付けたがるものだ。毎回、目的は分かるが、一向に実現しないスローガンが安倍内閣には付けられる。3日の内閣改造で経済財政再生担当相に就任した茂木敏充が、人づくり革命担当を兼務する。首相・安倍晋三は国会閉会後の6月19日の会見で、人材育成への投資政策に言及。今月中には有識者会議「みんなにチャンス構想会議」も発足させる。 ★しかし中身を聞くと、大学の高等教育や幼児教育の教育費無償化、待機児童の解消、社会に出た後も生涯にわたって労働と教育を交互に行う教育システム「リカレント(循環する、の意味)教育」を目指すという。年内に基本政策を策定、来年度予算で4兆円規模を予定しているそうだ。この方針について共産党の小池晃は、「内閣改造があったが、革命という言葉をね、軽々しく使わないでほしいと思います。革命っていうのは、もう政治権力が変わるわけですよ。ある階級からある階級に政治権力が変わるような重い言葉だと思う」と、「革命」に不快感を示した。 ★小池に指摘されるまでもなく、この政策は革命でも何でもない。まして、これまでの一億総活躍だとか女性活躍だとか、組閣のたびに生まれるスローガンの進捗(しんちょく)や中間報告はないものか。地方創生は、特区構想で大学設置という「結果」を見せてもらった。安倍政権になってからも多くのキャッチーな政策が発表されたが、その成果がまるで見えてこない。その最たるものがアベノミクスでもある。革命よりも、成果の報告を見せてほしい。4兆円の予算ありきの革命とは、一体何を目指すのか。

公文書管理見直し◆国民の「知る権利」が危うい◆
 国民の「知る権利」が危うい。政府は有識者らの議論を踏まえ、年内に公文書管理のガイドラインを見直す。まさかとは思うが、やっかいな文書を表に出さないために保存・公開の範囲を狭めるようなら、誰も政府を信用しなくなるだろう。
 政府による情報公開と説明が民主主義の根幹であり、公文書管理法は公文書を「国民共有の知的資源」とした上で、政策決定過程について「国民に説明する責務が全うされるようにする」という目的を掲げ、行政機関の文書作成や保存、公開のルールを定めている。
不都合な記録は隠蔽
 このうち職員が職務上作成し「組織的に用いる」ものを「行政文書」と定義。1年から30年まで5段階の保存期間を決め、期間満了で廃棄する場合には首相の同意が必要となる。ただ、どの文書を行政文書とするかや保存期間は役所の裁量。「1年未満」とすることも可能で、その場合は役所の独断で廃棄できる。
 衆参両院の予算委員会で開かれた閉会中審査で、安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画を巡り論戦が繰り広げられた。加計学園が不当に優遇されたと追及を強める野党に対し、担当閣僚や参考人として出席した首相側近ら政府側は否定を重ねるばかりで「記録はない」「記録にない」と、その証拠を何一つ示していない。
 中でも、加計学園に有利になるよう文部科学省に対応を迫ったり、獣医学部新設要件を修正したりしたとされる内閣府は、内部の議論や文科省とのやりとりの記録はないと言ってはばからない。
 森友学園問題では国有地売却を巡る財務省の面会・交渉の記録が廃棄され、南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報も廃棄・隠蔽(いんぺい)された。
個人のメモが焦点に
 森友問題では、財務省が学園側との面会・交渉記録を1年未満に分類して廃棄したため、国有地を8億円余りも値引きして売却した経緯の検証が困難になった。PKO日報も1年未満の文書として廃棄したと防衛省は説明していたが、後に元の電子データが見つかるなど混乱が続いている。
  先月初め初会合を開いた政府の有識者会議は、1年未満の文書の範囲や廃棄する場合の責任の所在を明確化する方向で議論を進める。もう一つ焦点となりそうなのが「個人メモ」の扱いだ。公文書管理法上の保存・公開の対象になっていない。
 加計学園問題で萩生田光一前官房副長官の発言を記録したとされる文科省文書について、菅義偉官房長官は「個人のメモ」を強調し、行政文書の判断基準を見直す方針を表明した。
 表に出さないようにしたいようだ。だが個人メモでも政策決定過程の検証に資するなら行政文書であり、時の政権の都合で公開を制限してはならないだろう。


[日報・森友・加計問題]疑惑解明へ臨時国会を
 南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽(いんぺい)、国有地が8億円以上も値引きされて払い下げられた森友学園問題、獣医学部新設を事実上1校だけに認めた加計(かけ)学園問題−。
 疑惑の3点セットを積み残したまま安倍改造内閣が4日始動した。安倍晋三首相が自ら真相解明の先頭に立たなければ、国民の信頼を取り戻すことはできない。
 PKO日報問題を巡り、10日に衆院安全保障委員会と参院外交防衛委員会で閉会中審査が行われることが決まったが、野党が求める安倍首相、稲田朋美前防衛相の出席を自民党は拒否している。
 稲田氏は辞任の際の記者会見で国会に呼ばれれば出席する意向を示していた。
 辞任したからといって国民への説明責任がなくなるわけではないのに信じがたい対応である。政権の「隠蔽体質」は変わっていないと言わざるを得ない。疑惑が持たれれば、率先して解明に尽くすのが大臣とその任命権者が取るべき道である。
 日報隠蔽問題は稲田氏が関わっていたかどうかが最大の焦点だったが、特別防衛監察の結果はあいまいな結論しか出さなかった。
 一方で陸自側から保管の事実を伝えられた稲田氏が国会で「明日、何て答えよう」と発言する詳細なメモの存在が明らかになっている。稲田氏は報告を受けたことも、非公表を了承したこともないと国会で全否定しており、食い違っている。真相解明には辞任した防衛省・陸自トップらの出席も不可欠だ。
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 森友学園問題の核心はなぜ国有地が8億円以上も値引きされて売却されたかである。
 近畿財務局と学園前理事長の籠池泰典容疑者側が売却価格を決める前に具体的な金額を出して交渉していた音声データがある。籠池容疑者夫妻、弁護士、設計・施工会社の打ち合わせメモも明らかになっている。国側が低価格で売却することに前向きと受け取られるやりとりである。
 小学校名誉校長を務めていた安倍昭恵首相夫人の影響や官僚の忖度(そんたく)はなかったのか。その解明も必要だ。
 加計学園問題で首相側は「記録がない」「記憶がない」との答弁を繰り返した。疑惑は解消されるどころか膨らむばかりだ。安倍首相の数十年来の友、加計孝太郎氏が理事長を務めており、決定が公正・公平になされたのか。加計氏の証人喚問も欠かせない。
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 三つの問題に共通するのは文書の廃棄、権力私物化の疑い、誠実さに欠ける答弁などである。安倍首相は改造内閣発足後の記者会見で「深く反省し、おわび申し上げる」と頭を下げた。異例の陳謝が本気なのかが問われている。
 共同通信の世論調査で安倍内閣の支持率は44・4%に回復したが、不支持と拮抗(きっこう)している。支持の理由は「ほかに適当な人がいない」、不支持の理由は「首相が信頼できない」がそれぞれ最も多い。信頼回復は簡単ではなさそうだ。
 安倍首相は、野党が憲法に基づきただちに求めている臨時国会を開き、疑惑の解明に当たるべきだ。


新・国税庁長官 納税者に沈黙のままか
 森友学園への国有地売却問題を国会で追及されながら徹底調査を拒み続け、国税庁長官に昇任した佐川宣寿・前財務省理財局長。就任から一カ月になるが慣例の就任会見まで拒否し続けるのか。
 「我々に与えられた使命を着実に果たしていくためには、何よりも国民の皆さまに信頼される組織であることが不可欠」
 「納税者に法令の順守を求めるわけですので高い倫理観を持って綱紀の厳正な保持に努め、基本を忠実に守って職務に専念しなければならないと考えている」
 これは佐川氏が大阪国税局長に就任した際、抱負を聞かれて答えたものだ。四年前のことである。
 国民、納税者に信頼されるよう高い倫理観を持って職務に専念する−今も胸を張って、答えることができるか。就任会見を開かないのは、後ろめたさがあるからではないかと思わざるを得ない。
 佐川氏はこのほか国税庁次長も経験しており、国税庁長官就任は「適材適所に沿う」と麻生太郎財務相らは説明する。しかし、そんな政権本位の説明に納得する国民がどれだけいるだろうか。
 佐川氏は、国民の貴重な財産である国有地を管理する要職にあった。しかし、九割引きという信じられない価格で売却された経緯についての追及に対し、連日、木で鼻をくくるような答弁に終始。野党の国会議員はもとより多くの国民の不信を買った。
 だが、安倍政権にとっては盾となる答弁だったことは確かだ。佐川氏の栄転は「論功行賞」との見方が強い。反対に同問題で真摯(しんし)に答弁した別の官僚が、内定していた昇進を取り消される異例の人事もあった。
 これは内閣人事局ができ、中央省庁の幹部人事を官邸主導で決めることになった弊害である。官僚にとってはまるで恐怖政治だ。
 内閣人事局の本来の狙いは、省益に走りがちな官僚を国民への奉仕者に徹するようにするものだった。安倍政権のやり方では官僚は政権だけの奉仕者となり、行政を歪(ゆが)め、国益を損ねる。福田康夫元首相が「国家の破滅に近づいている」と政権を批判した通りである。
 こうした強権的な手法や政権の体質が昨今の支持率の急低下につながっていることを自覚すべきだ。政権にとって自業自得だが、それですむ問題ではない。
 歪んだ人事をやり直し、公正公平な行政に戻らなければ、国民の信頼回復などあり得ない。